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夏休みってことで、『毎日が夏休み』を観た。1994年、金子修介監督作品。原作は大島弓子の漫画。出社拒否の義父といじめを受けて登校拒否の娘が、なんでも屋を開業するというストーリー。2人は血がつながってない、というのが面白い。しかし2人の関係は実の親子以上に絆が強いかもしれない。主演はこれでデビューの佐伯日菜子。いじめられても、どこかあっけらかんとしているキャラクターが笑いを誘う。物知りでクールで理論派な役柄は佐伯日菜子にピッタリだったと思う。義父役は佐野史郎。淡々としているのに突飛な行動に出たり、熱いハートを持っていたりとそのギャップが面白い。エリートなのに世間知らずというところに愛着がわく。母親役は風吹ジュン。ドロップアウトしてしまった夫と娘をなんとか立ち直らせようと頑張る姿は、必死だけどなんか可愛い。この人は「歳取っても可愛いなぁ」と思わせる数少ない女優さんである。義理の父と娘、娘と父の元妻というふうに意外なところで絆が生まれるのに心温まる。学校で学ぶことよりも大切なものを学んでいく、主人公の姿が清々しい。この映画は90分ほどだが、もっとストーリーを盛り込んでくれてもよかったかも。実に爽やかな映画だった。
2003.08.31
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浜崎あゆみが司会をする「ayu ready?」という番組がある。私は別にあゆファンではないが、やってるとついつい観てしまう。先日、ゲストたちと好みの男性のタイプの話をしていて、ゲスト(誰か忘れた)が「アタシのタイプは佐藤浩市かな~」と言ったら、浜崎は「佐藤浩市って…『カッ!』って言う人?」 と言っていた。「おいおい、その程度の認識かよ」とテレビの前で突っ込んでしまった。しかも浜崎は、佐藤浩市主演のドラマ「高原へいらっしゃい」の主題歌を担当してるではないか。私は知っている。「高原へいらっしゃい」の番宣で浜崎が「私もこのドラマ、毎週楽しみにしてまぁ~す☆」 と言っていたことを。事務所側も事前にチェックできなかったのだろうか。あゆのツメの甘さが露呈してしまった。
2003.08.30
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1963年製作、『ゴジラ』の本多猪四郎監督作品。円谷英二も参加しているSFホラー。ヨットでクルージングを楽しんでいた男女7人が無人島に漂着。食料になるものはほとんどなく、あるのは不気味なキノコ“マタンゴ”だけ。強い幻覚作用があるがとても美味なそのキノコを、誘惑に負けて食べてしまった人が1人、また1人と…。この映画を子供の頃に観てたら、きっとトラウマになっていたと思う。閉鎖された空間で徐々に正気を失っていく人々、そしてそれを嘲笑うかのように存在するマタンゴ…。そしてマタンゴを食べた人間は自身もゾンビ状態のキノコになり人間を襲う。森の中から聴こえる『ウケケケケ』という笑い声はかなり不気味。そして極限状態に置かれた人間たちがどんどん利己的になり、エゴむき出しに争う姿も恐ろしい。水野久美演じる歌手が、ラリッてるのか恍惚とした表情でキノコを頬張る姿が印象的。怖いけど妙に官能的である。「生き残った人間は実は…」という後味悪いラストのオチも効いている。顔にボコボコと浮き上がってくるキノコの造形はグロテスクで、忘れられそうもない。ビデオに収録されている、公開当時の予告編がなんか面白かった。抑揚のない声での「最高娯楽傑作、マタンゴマタンゴ。近日公開乞うご期待!」というナレーションが笑いを誘う。昔の予告編ってみんなこんな感じだったんだろうなあ。映画の内容はオカルトでも、予告編のローテクな雰囲気に心がほんのり和む。あと劇中で水野久美が歌う「石だたーみのうえーの、水たまーりー♪」という歌。いったい何なんだろう。かなり奇妙。日本で本格SFホラーを撮ろうとした製作者の意欲がビンビン伝わってくる。そしてその試みは見事成功し、現在でもカルト的人気を誇る映画になった。CGを多用したホラーより、アナログな技術のホラーのほうが数倍怖いということを実感した。
2003.08.29
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単館系ながら5億のヒットを飛ばした映画版『呪怨』。もともとはオリジナルビデオで発表された『呪怨』だが、一部のマニアックな人々に支持され映画版として新たに製作された。 『リング』『女優霊』といった中田秀夫監督のホラー映画は、暗がりに誰か佇んでいるとか、人の顔が布で覆われているといった「見せない」怖さだった。しかしこの『呪怨』はこれでもかとばかりに見せつけてくる。幽霊の実体が最後まで明らかにされない『リング』などとは違って、この映画では幽霊を正面から捉えている。私にとってはそれは「怖い」というよりも「笑えて」しまった。『エクソシスト』を観て笑ってしまったように、「怖さ」を追求しすぎると「笑えて」しまうのだ。「怖い」と「笑える」は紙一重である。本当に「怖い」と思えるのは実体が見えないものに対してである、と感じた。 この『呪怨』シリーズは構成が凝っていて、1軒の幽霊屋敷にまつわるオムニバス形式である。しかも1本の映画の中でそれぞれのエピソードの時間軸が交錯している。そのため細かいモチーフから「ああ、ここはこういう風に繋がるんだ」という楽しみ方ができる。細かいところに注目していると、後々にストーリーを読み解く鍵になったりする。そこは面白い。 昔の怪談話と違うところは、「因縁」というものが無視されているところである。昔の怪談だと、主人公が何か悪いことをしてそれを幽霊が祟るというものだが、この映画の幽霊は、その家に関わってしまった人を思いっきり無差別に襲う。奥菜恵演じる理佳も、ただボランティアでその家を訪れたというだけで何も悪いことはしていないのに、幽霊の餌食になってしまう。他の登場人物も同様である。一度幽霊に関わってしまったらもう元の生活には戻れない。そこには「因果応報」という言葉は存在しない。そこはちょっと怖い。 そして最近の幽霊は昼夜問わず襲ってくる。昔だと幽霊が出るのは決まって夜だったものだが、『リング』にしろ『回路』にしろ、いつでもどこでも出没する。「無差別」という言葉はホラー映画にも侵食し始めているらしい。混沌とした世の中、何が怖いかというと無秩序に生活を乱されてしまうことかもしれない。それは現実社会でも映画の中でもそうなのである。 ホラーにおける恐怖の表情は、目が大きい人ほど恐怖が伝わりやすい。この映画でも奥菜恵・伊東美咲・上原美佐・市川由衣といった若手アイドル女優が出演している。大きな目が持つ伝達能力はホラー映画の驚愕の表情で発揮される。可愛い女の子の恐怖に歪んだ表情を見るだけでも楽しめる。奥菜恵はあまり好きではないが、『呪怨』での細かい表情作りはなかなかのものであった。『リング』の松嶋菜々子からあまり恐怖が伝わってこなかったのは、目があまり大きくなかったからかもしれない。 映画の構成は面白いが、ホラー映画としては欠点が多い。そんな映画である。続編に期待。
2003.08.28
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新潮社から出版されている『月刊アクトレス』シリーズという廉価な写真集がある。コンビニとかでも売ってる、1000円もしない写真集である。毎月1人の女優をピックアップして出版しているのである。 この『月刊アクトレス』シリーズ、人選が実に面白い。井川遥・眞鍋かをりあたりはわかるが、嘉門洋子とか小松千春とか微妙なところを突いてくる。『月刊マルシア』などはもはやどんな層を対象にしているのかすらわからない。そんなセンスが実に素敵。 ちなみに私は『月刊麻生祐未』を持っている。隠れファンなもんで。 今月は『月刊伊藤裕子』。これまた微妙である。『月刊松島トモ子』とか『月刊岸田今日子』とか、はたまた『月刊十勝花子』とか、そのくらい冒険して欲しいな新潮社。
2003.08.27
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エドワード・ノートン、ブラッド・ピット主演。デビッド・フィンチャー監督作品。つまらない日常を送っていたが、「暴力」で生きがいを感じるサラリーマンが主人公。彼らが作り上げた“ファイト・クラブ”はいつしか大規模なテロ組織へと発展していく…。私はリアルな痛さを感じてしまう映画は苦手であったが、この映画思った以上に楽しむことができた。「暴力」という手段こそ正しくは無いが、現状を打破したいと願う男たちの姿に少なからず共感したからだ。人は常に感情のはけ口を求めている。誰だって少なからず暴力的な感情を持ち合わせているだろう。そこの部分をデフォルメして突きつけられたような気がする。『ゲーム』『パニック・ルーム』と同様にデビッド・フィンチャー特有のトリッキーな映像センスはここでも健在である。彼は人がなかなか思いつかないような映像を作り出してくる。そんな新鮮な映像体験ができるのもこの映画の楽しさの1つである。ラストには驚きの大どんでん返しがある。思わず「マジかよ?」と呟いてしまった。多少ストーリーに伏線が張られていて、「?」と思う部分もあったが、そう繋がるとは思わなかった。1本取られた。エドワード・ノートンもブラピも好演。エドワード・ノートンが徐々に狂気を帯びていく様子もブラピの不敵な芝居も、なかなか見ごたえがあった。惜しむらくはヘレナ・ボナム・カーターが演じる女性のキャラが弱かった。やり方によっては、もっと効果的に使えたのではないかと思う。都会や個人に巣食う病巣を鋭く抉った映画であると思う。ラストの爆破シーンは、同時多発テロを想像せずにはいられない。やっぱりアメリカも、病んでいる。
2003.08.26
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今日、ワイドショーに秋吉久美子が出てた。なにやらマイナスイオンが発生するヘアヌードを出版するらしい。ヘアヌードなのに癒し系。どう解釈したらいいものか。この人、48歳らしい。びっくりだ。胸元がバックリ空いたドレスから覗く谷間は美しい曲線を描いていた。きっと並々ならぬ努力をしていらっしゃるのでしょう。この人の虚ろな目が怖い。シャンパンを飲む仕草も妙に挑発的だった。イヤンでアハンな雰囲気がムンムンしている。昔は「妹」キャラだったらしいが、今は「いけない兄嫁」というイメージがしっくりくる。なんか妻が寝た後に布団に潜りこんできそう。「ああいけませんお義姉さん」いつだったか忘れたが、この御人「卵で子供を産みたい」と言ってた気が。そんなプッツン(死語)発言も怖い。産めるもんなら産んで欲しいものである。日本3大久美子(秋吉久美子・武田久美子・大場久美子)はみんないけない雰囲気を持っている。ちなみにこの日本3大久美子とは、私が勝手にそう思っているだけなので悪しからず。
2003.08.25
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「虎の門」でおなじみの井筒監督の最新作。前作『のど自慢』に続く歌が絡んだ人情喜劇。やっぱり西田敏行って面白い。彼の芝居は好き嫌いが分かれるところがあると思うが、私はけっこう好きである。会話の中の「ボケ」の間が絶妙である。関西の人じゃないのにネイティブかと思うくらい関西弁が上手だった。コメディがわかってる数少ない俳優かもしれない。ストーリーの舞台が蒲郡や府中とピンポイントなのが妙におかしかった。井筒監督は堤監督と同じようにご当地映画が好きなのかもしれない。『のど自慢』も桐生が舞台だったし。正直言って、俳優の芝居に飲まれてストーリーはぼやけてしまっている。「えーと、この人たちは今何をしてるんだっけ」と思うこともあった。しかし、西田敏行を含め藤山直美や岸部一徳といった見てるだけで笑えるような俳優たちが歌って踊るのを観るのは実に楽しい。他にも木下ほうか・根岸季衣・小宮孝泰・ラサール石井といった芸達者たちがいい味を出している。その反対に若手があまりパッとしないのが残念だった。山本太郎は雰囲気が井筒監督の映画に合っているので違和感なかったが、常盤貴子がどうも場違いな気がしてならなかった。彼女がドラマでよくやる「チャキチャキ女」風な芝居は空回りしているような印象を受ける。コミカルな芝居って頑張れば頑張るほど空回りしちゃうところがある。どうも彼女は不器用な女優で、緩急つけた芝居が苦手だと見受けられる。映画は真っ向からエンターテイメントに徹している。「せっかく金払うんだからハッピーな気分になってほしい」という井筒監督の言葉が聞こえてきそうだ。登場人物が1人1人踊ってみせるエンドロールまで楽しませてくれる。観て損は無い、娯楽映画だった。
2003.08.23
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嵐の5人主演、監督は『ケイゾク』『愛なんていらねえよ、夏』の堤幸彦。ここのところ嵐続きの生活だが、この映画メチャ面白い。アイドル青春映画の傑作である。アイドル映画だからといって手は抜いておらず、ユーモアたっぷりに真っ直ぐな青春を描いている。舞台は品川区の埋立地に立てられた八塩団地。堤監督の『木更津キャッツアイ』の木更津、『STAND UP!』の戸越に連なるご当地モノである。堤監督は地域限定の映画がお好きと見える。この八塩団地は海に囲まれた島のようなところに建っているので、東京であって東京でない陸の孤島のような存在である。そこで繰り広げられる幼馴染5人の青春映画である。嵐の5人が演じるキャラがそれぞれ個性的で面白い。相葉=普通、松本=マイペース、大野=運が悪い純朴少年、二宮=クール、櫻井=ツッパリ、というふうにバラバラな個性を持っている。そんな5人が1つにまとまりながら突き進む姿は実に爽快である。堤監督特有の小ネタも私のツボである。スケールの小さい笑いがそこかしこに散りばめられて思わずニヤニヤしてしまう。八塩団地の盆踊りのゲストが猿岩石だったり、屋台の名前が「ミス・サイゴン」で本田美奈子の写真が張ってあったり。ドカンという笑いではなく、わかる人にはクスリとくる笑いである。たまらない。映画の軸は「友情」という実に真っ当なものであるが、ややチープな作りであるため逆に嫌味がない。むしろここまで直球でこられると気持ちがいい。何度か転校を繰り返した私にとっては、地元でつるんだり、恋愛のことで抜け駆けしたりといったそんな青春が羨ましく映った。幼馴染っていいなぁ。今からでもこんな青春をしてみたい、と思わせてくれる。嵐の面々は役をきっちりこなしていて、安心感がある。脇役の人々もツボにはまる小芝居を見せてくれるし、タイトルバックなども凝っていて面白い。笑えるけど、ちょっと胸キュンな心地よい青春映画である。拍手。
2003.08.22
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元になったドラマシリーズも観ていたし、今回の『2』もかなり客が入っているらしいので、やっとというかついにというか、レインボーブリッジを封鎖してきた。映画館はかなりの混みよう。しかもガキんちょが多いのにびっくりした。ロビーの子供が溢れていたので、てっきり『仮面ライダー』だか『アバレンジャー』だかだと思っていたら、『踊る~』に流れてきた。子供向けだったっけこの映画。ストーリーはテンポよく進むし、ところどころで小ネタを挟んでくるので退屈しない。しかし素直に「面白かった~」と言うことはできなかった。まず、「キャリア=悪」「所轄=正義」というお決まりの構図が気になる。組織に深く根付いているタテ社会を批判しているのだが、あまりにも所轄の人々がヒーローになりすぎていてキャリアの人々を蔑ろにしすぎではないか。もちろん所轄に理解を示すキャリアもいるが、全体的にキャリアの存在を否定しすぎている気がして疑問を感じた。次に、舞台であるお台場にこだわりすぎ。物語の中で、お台場全域に監視カメラを設置するくだりが出てくるが、「お台場だけ監視しても仕方ないのでは?」と思ってしまう。犯罪は何もお台場だけで起こるわけじゃないし、お台場で犯罪を犯した人間が外部に逃げる可能性だってあるわけだ。フジテレビ製作とはいえ、お台場ばかりクローズアップされたんじゃ面白くない。レインボーブリッジって事件1つで封鎖できるもの?事件は大小合わせて3つ起こる。しかしこの映画のメインは「所轄VSキャリア」の軋轢と、捜査というスペクタクルなため、事件自体はぼんやりしてしまっている。会社役員殺人事件の犯人がリストラされた社員ってのはちょっと安直すぎやしないだろうか。リストラされた人間が可哀想である。織田裕二と深津絵里の妙にスカした芝居も飽きてきた。ヒーロー&ヒロインぶった彼らの芝居にはどうも共感できない。ラストで、撃たれてしまった同僚を助けるためにテレビで献血を呼びかけるところなど、がっかりした。他人が殺されても「事件だ事件だ」と喜んでいるくせに同僚が死にかけていると必死である。人間の生命に貴賤はないが、このシーンは安っぽいヒューマニズムに包まれている。なんだかなぁ。今回はユースケ・サンタマリアが良かった。このシリーズで彼が一番面白いキャラクターである。いつものトボけたキャラにネゴシエーターとして活躍するカッコよさがプラスされて、おいしい役どころだった。キャリアの女刑事役の真矢みきもキマっていた。今回は徹底的に悪役に徹しているが、「悪の中に一瞬光るもの」をうまく表現していたと思う。組織の中で生きるには感情を失わなければやってこれなかったということが充分伝わってきた。悪役に感情移入してしまう私だけかもしれないが。と色々ストーリー上の不満はあるが、エンターテイメントに徹しようとしている姿勢は悪くない。テレビシリーズの頃からスケールがある作品だっただけにスクリーンで観ても見劣りしない。シンメトリを多用するなど監督の映像作りにもこだわりが見えるし、カメラワークも派手で工夫されていて面白い。それだけに残念な部分が多かった。私は運悪くガキに囲まれてしまい、落ち着きのないガキに終始イライラさせられていた。横ではモゾモゾ動いているし、後ろではいちいちストーリーを解説しているし。ガキは家帰ってクソして寝な!また続編やるのかなぁ?やるだろうなぁドル箱だから。
2003.08.21
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実はスタジオジブリの作品の中では『風の谷のナウシカ』の次にこの『おもひでぽろぽろ』が好きだったりする。大抵の人は「え~?」と言う。確かにわかりますよその気持ち。どうせみんな『もののけ姫』とか『ラピュタ』とかが好きなんでしょ?でも私は『ラピュタ』とか『となりのトトロ』とか、どうもハマれない。『千と千尋の神隠し』はつまらなくはなかったが、1回見れば充分。『もののけ姫』は3度観たが3度とも眠くなった。「あんなにみんなが騒ぐんだ、『もののけ姫』は名作に違いねぇ、眠くなったのは疲れてたからに違いねぇ」と思い3度観たがやはりダメだった。ナウシカ以外の宮崎駿の作品とはどうも肌が合わないようだ。スタジオジブリといっても宮崎駿が全てではない。どういうわけか、宮崎以外の監督作品は気に入っている。高畑勲監督の『火垂るの墓』とか近藤喜文監督(故人)の『耳をすませば』とか。ちょっと地味な作品のほうが性に合っているらしい。そこでこの『おもひでぽろぽろ』であるが、これは高畑勲監督作品。原作はコミックで、作者が自分の小学校時代を回想し、様々なエピソードを1話完結で描いている。テイストは『ちびまる子ちゃん』に似ている。そこに描かれるエピソードは決して派手ではなく、「初めてパイナップルを食べた話」とか「熱海旅行の話」などをほのぼのと描いている。原作は1話完結であるために映画にするとなるとそれらいくつかのエピソードを繫げなくてはならない。そこで映画版では「大人になったタエ子の前に、小学校時代のタエ子が幻想となって現れる」という巧妙な手法を使っている。その設定が接着剤となって、数々のエピソードをうまくまとめているのだ。大人になったタエ子が田舎の生活に憧れ、実際に田舎で過ごすうちに思い出があふれ出してくる。それは非常にノスタルジックで心地よい。決して泣けるストーリーではないのだが、いつもなぜかエンディングでホロリときてしまう。過去との決別、というわけではないが人生を切り開いていくタエ子の姿に感動する。都はるみが歌うエンディングテーマも効果的である。ペット・ミドラーの『The Rose』を日本語でカバーしているのだが、都はるみらしからぬ、柔らかな歌声でじんわり沁みこんでくる。ジブリ作品の中ではあまり評価されていない作品ではあるが、観終わったあとに非常に良い余韻を与えてくれる、疲れた大人のためのアニメ映画である。ジブリの映画のいいところは、声優に実写で活躍している役者を使っていることである。アニメの声優たち特有のアニメボイスはジブリの雰囲気にはそぐわない。そこをちゃんとわかっていて、抑制した声の役者を使っているところがいいところだと思う。
2003.08.20
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映画撮影所を舞台にした映画。描かれているのは日本映画全盛期だった1965年と2000年の現代。この映画の監督である中田秀夫は『リング』『仄暗い水の底から』など、ジャパニーズ・ホラーブームの火付け役となった人で、以前にも『女優霊』というホラー映画で撮影所を舞台にしている。彼自身も撮影所育ちであるため、映画に並々ならぬ愛情を注いできた。それがこの映画に現れている。「映画の撮影風景を映画にする」というのはよくあることだが、この映画の中で撮影されているのは、最近流行の「テレビドラマの映画化作品」である。そこが妙にリアルで面白い。薄っぺらい脚本と緊迫感のない役者、時間と金の帳尻を合わせることしか頭にないテレビ局のプロデューサーなど、テレビドラマを映画にするということの存在意義を問いたくなるような人物が登場する。もちろんテレビ局の人間も必ずしもこういう人ばかりではないとは思うが、中田監督はこれらの人々をシニカルな視線で撮っている。私自身は映画には映画の良さがあるし、ドラマにはドラマの良さがあると思っている。だからどちらが良いとは一概に言えない。しかし近年流行している「劇場版ドラマ」というものには少々疑問を持っている。例えば『踊る大捜査線』はスクリーンで観ても耐え得るスケールがあるが、『サラリーマン金太郎』『トリック』なんかはテレビのサイズがちょうど良いのではないだろうか。わざわざ互いのテリトリーを侵してまで映画にする必要が感じられないのである。しかし映画の価値は観客が決めることなので、その映画を面白いと感じる人がいる以上は、存在を否定することはできないだろう。主人公である三原健という男は、1960年当時は花形スターであったが、その後転落していき2000年ではエキストラ同然の端役として登場する。その間に妻を事故で喪ってしまう。花形スターとしての地位も妻も、何もかもを喪ってしまうのである。そんな彼の「ラストシーン」がこの劇場版ドラマの病人役でのシーンなのである。最期になってようやく「妻への愛」と「映画への愛」に気づく、そんな心情がどうにもやるせない気分にさせる。中田秀夫という監督は、女優の撮り方が上手い人だなぁと感じた。この映画でも女優はたくさん登場するが、その中でも抜群に麻生久美子が美しく撮れている。撮影所でひたすらこき使われる小道具係役なのだが、本来なら裏方である小道具係を非常に魅力的に撮っている。中田監督の映画への愛情、スタッフへの愛情、女優への愛情が伝わってくる。不満がないわけでもない。この映画、少々物足りない感がある。あまりにも主人公である三原健寄りの話になってしまっているために、映画の裏側というものが存分に描ききれていないように感じられる。もっと映画に関わるスタッフ達にライトを当てて欲しかった。「映画の時代は終わったのよ」というセリフがなんとも切ない映画である。
2003.08.19
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筒井康隆著『鍵』これもお気に入りの短編集。ここにはホラーのような作品や奇妙なテイストの作品が集められている。しかし後味は悪くなく「ほほう、そうきたか」と思わせるオチがついている。この中の『池猫』という話が好きである。話はかなり短く、文庫本の見開き1ページで終わる。小さい頃に、増えた猫を池に捨てた男が、大人になって池を見たら、水面いっぱいに猫が繁殖していた。それだけの話。まるで童話のようでもあり都市伝説のようでもある。私はこういう奇妙な話が大好きである。筒井康隆の短編は意表をついた展開の作品が多い。しかも人をおちょくっているような内容も多い。読む人を挑発するような作風はけっこうクセになる。2003/08/18 2:02:50江戸川乱歩著『鏡地獄』中学だったか高校だったか、昔に読んでショックを受けた短編小説。話自体はとても短い。極端な鏡フェチの男が、その究極的な形として、内面に鏡を張り巡らせた球体を作り、その中に入ってキチガイになるという話。目からウロコが落ちた、というか考え込んでしまった。鏡を張り巡らせ、電気を入れた球体に入るといったい何が映るのだろうか。考えても考えても答えは出ない。気が狂っちゃうほどだから、きっと凄いことになるのだろう。江戸川乱歩って人はいろんな意味で恐ろしい人だと実感。2003/08/18 1:51:55
2003.08.18
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怖かったコト。私には霊感が無いため、怪奇現象に遭遇したことは無い。しかし1度だけ携帯電話が絡んで妙な経験をしたことがあった。ある日の夕方、私は自宅に携帯で電話をした。母親が家にいるかいないかわからなかったが、ちょっとした用があったように記憶している。電話をかけたら「トゥルルル、トゥルルル」という音の後で繋がった。私が「もしもし?」と言ったら受話器の向こうから「ザー、ザー」という雑音が聞こえてきた。再び私が「もしもし?」と言ったら、遠い声で「ひろし?ひろし?」という声が聞こえた。私は何じゃこりゃと思い、ひたすら「もしもし?」を繰り返した。その後、電話は向こうから切れた。「電話が混線しちゃったのかな?」と思い、もう一度自宅に電話したら留守番電話になっていた。私は留守ならしょうがないとメッセージを入れずに電話を切った。その後、帰宅したらちょうど母親も帰ってきたところらしく、電話の前に立っていた。母は電話の前で怪訝そうな顔をしていたので、「どうしたの?」と聴いたら、電話を指差し「これアンタの声?」と言う。何のことだと思い、留守電を聞いたら私の声で「もしもし?もしもし?」という声が入っていた。私からの電話を受け取ったのは一体誰だったのか?「ひろし?ひろし?」と呼びかけてきた女の声はいったい誰だったのか?心霊現象ではないだろうが、妙に怖かった。2003/08/17 18:18:22怖いモノ。最近、深夜の4時5時に風呂に入ることがある。我が家の風呂にはラジオが据え置かれており毎日それを聴いている。でも4時5時になると番組はやっておらず、有線放送のように曲が延々と流れている状態である。そこに唐突に無機質な女の声で「周波数○○メガヘルツ、こちらはFM○○です」という声が流れる。それが妙に怖い。放送終了後のテレビやラジオというものは、けっこう怖いという認識が世間的にもあるらしく、都市伝説として時折取りざたされる。「NHKの放送終了後、受信料未払い者リストのテロップがゴミ処理場の映像をバックに流される」とか、「放送終了後の砂嵐をじっと見てると気が狂う」とか。先日、深夜番組を見ようと思ったら、地上波デジタル放送うんたらかんたらの試験のため番組が中止されていたらしく、フジテレビでは「カーネーションを持った前髪がカールした妙に昭和な雰囲気の女」が静止画で延々と映し出されていた。別に怖いわけではないが、なぜそんな写真を使っているのか、もっと気の効いた写真はなかったのか。かなり奇妙だった。2003/08/17 18:04:41
2003.08.17
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相次いで夫と息子を亡くした黒人女性と、息子に自殺され父親に精神的に追い詰められている刑務所の看守が繰り広げるラブストーリー。この『チョコレート』はアカデミー最優秀脚本賞と最優秀主演女優賞にノミネートされた作品である。が、私はあまりいい映画だとは思わなかった。2人の男女が「身近な人の亡くした孤独から愛し合う」という設定が好みに合わなかった。それは本当の愛情ではなくて、愛情の代用品にしか過ぎないと思う。2人とも、子供を喪ってから大切さに気づく愚かな親である。死んでから不在を嘆いたってもう遅い。ハル・ベリー演じる女性が「私はいい母親だった」と言うシーンがあるが、「ホントにそうだったか?その自信はどこから来るのか?」と突っ込みたくなった。人の死が妙に軽く扱われているのも気になった。ビリー・オブ・ソーントン演じる看守の息子が自殺するのだって、とってつけたような感じである。「何も死ぬことはないんじゃ?」と思わせるほど唐突で、自殺の理由もピンと来ない。要は、身近な人を喪い孤独な男女のラブストーリーを描きたかったがために大した理由もなく殺した、といったところだろう。そのためか、映画自体にあまり深みが無かった。妙にすっきりしないものが残るラストも気になった。ハッピーエンドになるのかと思いきや、行く手には暗雲が待ち構えていそうなラストである。愛情の代用品としてくっついた男女はそうそう上手くいかないよ、ということなのだろうか。ちょっと後味が悪い結末である。この映画は日本でもヒットしたらしいが、観た人はこの映画のどこに共感するのだろうか。少なくとも私は全く共感できなかったし感動もしなかった。ただ「自業自得」という言葉が浮かんでくるだけだった。
2003.08.13
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ふともう一度観てみたいな、と思い出したドラマ。『羊たちの沈黙』がヒットし、日本でもサイコ・サスペンスが流行し、それをゴールデンタイムのドラマ枠で実践したエポック的なドラマだと思う。主演は浅野温子。このドラマでの彼女の演技は、今でもたまに言及される。それほどインパクトが強かった。冷酷なほどにクール、だけど精神のバランスを崩している刑事役で、なぜかシャツの胸元がバックリ空いていて「エロい刑事だな」と当時の私は思ったものである。彼女の泣きの芝居が強烈だった。「ぐすんぐすん」と泣くのではなく、「ズーハーズーハー」と髪を振り乱しながら泣くのである。激しすぎて逆に笑える。毎回出てくる殺人犯もインパクトがあった。最初に登場したのは香取慎吾。ヘリウムを吸って「すきーになったらいーのちーがけー」と叫んだり、沙粧妙子に頭突きをかましたりと、その姿はまるでジェイソンのようであった。香取慎吾の「無邪気な表情と大きなガタイ」というアンバランスさがこのシリアルキラー役に妙にハマッていた。次に登場したのは国生さゆり。自分を誘う男を次々と毒殺していくOL役であった。なんとなく彼女自身の生き様が反映されているような気がして凄みがあった。国生さゆりって笑うとき「ヒヒヒ」って笑う。普段からそうなのだが、ドラマで見ると妖怪っぽくて面白かった。道路を全力疾走するシーンがあるのだが、走るフォームがすごく綺麗だったこと覚えている。彼女は後半、目的(近づく男を殺す)と手段(毒薬)が逆転し暴走するのだが、そこで発狂するシーンが凄かった。ビルの屋上でフェンスを掴みながら絶叫するのである。国生さゆりの、元おニャン子というキャリアをかなぐり捨てた芝居に女優魂を見た。最終回の1つ前の回がハンパなく怖かった。なぜって実は黒幕だった佐野史郎がバアさんに変装してエレベーターで襲ってくるのだ。それはさながらホラー映画のようであった。その回だけ音楽も妙におどろおどろしくて、まだ幼かった私は戦慄したものである。話の細かい部分では辻褄が合わなかったり、少々無理がある部分もあったりはしたが、ゴールデンタイムでこれだけ完成度の高いサイコ・サスペンスを放送したというだけで充分価値のあるドラマであった。それ以降もこのドラマを越えるサイコ・サスペンスドラマは作られていないと思う。私が観てきたドラマの中でも印象に残っているものの1つである。
2003.08.10
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『がんばっていきまっしょい』愛媛県の松山を舞台にした、高校の女子ボート部を描いた物語。原作はこの作品で「坊ちゃん文学賞」を受賞した敷村良子。監督はピンク映画出身の磯村一路。主演はこの後に「なっちゃん」としてブレイクした田中麗奈。この映画は私にとって今まで観てきた映画の中でトップクラスの出来栄えであった。予告編だけで泣きそうになった映画はそうそうない。そしてまた何度観ても色褪せない魅力があり、そして何度観ても泣けてしまう。観終わってからも、この映画の世界からしばらく抜け出せずにボーっとしてしまったことを覚えている。主人公の悦子は、松山の進学校に入学できたはいいがそこでやりたいことが見つからない。そんなときに海で目にしたボート部の練習風景に目を奪われ、女子ボート部を作ることを決心する。集まったメンバーは「秋の新人戦まで」という約束であったが、そこで敗れてしまった悔しさから、ボート部を続けていく。決してありがちなスポ根映画ではなく、自然体に描いているのが実に清々しい。ラストの大会でも優勝したりせずに、準優勝止まりで涙を飲むというのもリアルな青春であった。大会で懸命にボートを漕ぐ彼女たちをスローモーションで撮った映像は何度見ても泣ける。切り取られた風景も実に美しい。夕焼けの海をボートが進んでいくカットは、あまりに美しくて鳥肌が立った。こんな風景の美しさも見所の1つである。がんばることや何かに打ち込むことがいかに素晴らしいことかをこの映画は教えてくれる。この映画は高校生が観る映画ではなく、心が乾いてしまった大人たちが観るための映画だと思う。彼女たちの「がんばっていきまっしょい!」という掛け声に何かしら感じるものがあるはずである。「胸がキュンとする」ということを実際に経験した初めての映画である。多くの人に観てもらいたい。2003/08/09 3:06:43『54/フィフティー★フォー』1970年代のニューヨークに実際にあった、伝説的なディスコ「スタジオ54」を舞台にした映画。主演はライアン・フィリップ。この映画ではほぼ全編、上半身裸で頑張っている。ディスコが舞台だけにディスコサウンドで彩られているのだが、どうも物足りない。一応、当時の風俗を忠実に再現した青春映画なのだけれど、上辺だけをなぞっているストーリーなのであまり感情移入はできない。そもそも題材自体があまりドラマチックなのではなかったのかもしれない。もしかしたら支配人であるスティーブ・ルベルを主人公にしたほうが、もっと骨太な映画ができたのではないかな、とも思う。登場人物それぞれに苦悩があるのだが、それもあまり突っ込まずにサラリと流してしまっている。青春映画でありながら人物の苦悩を描かない、「あの頃は良かった」というノスタルジー映画になっている。そこがちょっと残念。うまく料理すればもっと面白い映画になったであろう。2003/08/09 1:00:14
2003.08.09
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この映画に関しては、サントラから入ったことになる。高校時代に、タワーレコードでこの映画のサントラを視聴して気に入り購入した。そのときはまだ公開未定の映画だった。その後しばらくしてミニシアターでレイトショー公開され、ヒットしたらしい。主人公は数学者で、世界の森羅万象は数式で表せると思っている人間。そんな彼が円周率に取り憑かれ、精神のバランスを失っていく話。正直、かなり退屈してしまった。モノクロで粒子が粗い映像はデビッド・リンチや塚本晋也を彷彿させるが、ストーリーが面白くない。たしかに数学の奥深さや、数字の不思議さは実感できるが、それ以上のものを感じることができなかった。低予算でありながら、映像にも音楽にもかなり凝った映画を作り上げた監督の手腕は評価できるが、テーマがいかんせん少々とっつきにくかった。その後、同じ監督が作った『レクイエム・フォー・ドリーム』は、こちらも映像・音楽ともに凝っていてなかなか楽しめた。次の作品が楽しみな監督である。
2003.08.08
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言わずと知れた、伝説的なオカルト映画の再編集版。オリジナル版は数年前に観ていたが、細かいディティールはかなり忘れていたので、初めてのように観ることができた。それにデジタル加工をしているのか、映像がかなり綺麗である。とても30年前の映画とは思えない。ただ、ディレクターズカット版ということで、カットされたシーンが追加されているので2時間を優に超える。そのためちょっとダレた印象を受けた。映画と言うものは、フィルムを切って完成するわけであって、切ったシーンをプラスすることは映画としてはプラスにはならないと私は思う。まあ映画によっては、諸事情で切らざるを得なかったものもあるとは思うが、この映画に関してはオリジナルのほうがメリハリがあったように記憶している。しかし、この映画のインパクトはとてつもないものがある。あの有名な、少女が階段をブリッジの姿勢で駆け下りる「スパイダーウォーク」や、首が180度回転するシーンなど、ビジュアル的なインパクトは今観ても新鮮である。この映画を観て怖いと思うことはないが、意表を突いた映像を作り上げたアイデアは賞賛に値する。ラストの悪霊と神父の死闘も、映画史上に残る闘いであったと思う。とにかく迫力はすごい。悪霊にとり憑かれた少女を演じたリンダ・ブレアの演技も、どこまで実際に演じているのかわからないが凄まじいものがあった。この後、彼女がイメージを脱却できずに伸び悩んでしまったのも頷ける。私はこの映画のテーマソングがかなり気に入っている。ホラー映画特有のおどろおどろしいものではなく、同じメロディーを繰り返す無機質な曲は頭に残る。この映画はビジュアル・音楽・俳優の芝居ともにとてつもないパワーが溢れている。今見ても決して色褪せない魅力があると思った。
2003.08.07
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1999年製作のスペイン映画。なんたってタイトルがスゴイ。『世界で一番醜い女』ってどんな女よと興味をそそられる。ビデオのジャケットは暗い色調なので、ツタヤには「ホラー・サスペンス」のコーナーに置いてあった。しかし蓋を開けてみたら、派手な色調に彩られたブラック・コメディだった。1982年1月1日。スペインの病院で世界一醜い赤ちゃんが生まれた。名前はローラ・オテロ。両親や親戚からも見捨てられた彼女は幼い頃からカトリックの孤児院で育てられるが、そこでも容姿の醜さから執拗なイジメを受け、人間扱いされないありさまだった。時は移って西暦2011年の正月。マドリッドの養老院で82歳の老女が殺される。防犯カメラに写っていたのは尼僧姿の美しい女。捜査を担当するアリバス刑事は、さまざまな手がかりをもとに、元人気モデルのローラ・オテロが事件に深く関わっていることを確証するのだが……。ストーリーはこんな感じ。なんだかおどろおどろしい感じだが、映画を観ると「なんでそーなるの」的なバカバカしさ満載であった。映画の後半は「整形したブス女が、美人を逆恨みしてミスコンを襲撃する」というチープな展開である。映像は多少凝ってはいるが、ストーリーがこれだから、どうやっても底の浅い映画になってしまっている。この映画には外見にこだわる人間が多く出てくる。主人公はもちろんのこと、刑事のアリバスはヅラで義眼で総入れ歯であり、その部下はシリコン入りの美人ニューハーフに惚れてしまったことに悩んでいる。劇中に「内面の美」という言葉が出てくるが、それを映画の中で表現していないのが不思議である。「ブスだけど心が優しい」という内容ではなく、「外見美人だけど性格悪い」とか「外見ブスでやっぱり心もブス」といった人物ばかりである。監督が言わんとしたことは一体何なのか、?マークだらけである。ラストのミスコン襲撃シーンで、ローラの顔は無残に崩れ落ちる。そこはCGで描かれているが、ちょっとやりすぎかなと思った。これじゃローラは本当に醜い女ということで終わってしまう。あくまで醜い姿は観客の想像に任せて、内面の美をプラスしたほうが映画としてオチがつくのではないだろうか。前述した映画『顔のない眼』も醜さを覆い隠すために皮膚を移植する話だったが、この映画も醜い女が最後まで救われない。やはり人間は外見の美にとらわれてしまうものである、ということなのであろうか。外見にコンプレックスを抱いている人の憎悪をデフォルメしたらこれらの映画のようになるのだろう。面白くもつまらなくもない、良くも悪くもB級映画であった。
2003.08.06
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1960年制作のフランス映画。この映画をジャンル分けするならばホラーの部類に入るのだろう。事故で顔に大やけどを負ってしまった娘のために、医者である父は若い娘をさらってきては顔の皮膚を娘に移植する、という話。娘は顔のやけどを隠すために、犬神家の一族の佐清のような白いマスクを被っている。そこから覗く眼が非常に不気味である。手術シーンも割とダイレクトで、皮膚を剥がすシーンは思わず目を覆ってしまった。このようにビジュアル的にはインパクト大である。アメリカのホラーとも、日本の怪談とも異なる、フランス独特のセンスが漂っていると思った。しかしストーリーは少々緩慢な印象。なんというか、キャラクターに感情移入できないし、メリハリがないからいまいちドキドキもしない。監督はこの映画をホラーとして撮りたかったのかどうかはわからないが、ホラー映画としては物足りないという感は拭えない。ラストで、様々なしがらみから解放されて森の中へ消えていく娘の姿は、どことなく切ない。娘は決して怪物ではなく、父親の身勝手さに踏みにじられた被害者であった。むしろ怪物は、娘のためにとためらいなく人を殺していく狂気じみた父親のほうであった。
2003.08.05
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巨匠、ロバート・アルトマン監督作品。この映画、なにしろ登場人物が多い。大きな屋敷で起こる殺人事件が大きな軸になっていて、そこに絡んでくる人物は優に20人を越える。そして時代設定が1930年代のイギリス貴族社会ということで、貴族の女性たちはみな似たような髪形に似たようなドレス。パーティが舞台のため、貴族の男性はみなタキシードである。そのため、映画の最初のほうは名前と顔を見分けるのにかなり苦労する。映画を観る手段としては反則かもしれないが、ホームページの人物相関図と見比べながら鑑賞してしまった。この映画は「階上」である貴族の人々と「階下」である使用人の人々が様々な形で絡み合う。それぞれ違った思惑を持った人々が、殺人事件をきっかけに同じベクトルを持ち始める。その様が面白く、脚本の勝利だと感じた。2度、3度観たら会話の端々から物語のヒントを見出すことができ、違う楽しみ方ができるだろう。決して難解な映画ではないが、それぞれのキャラクターを分析する楽しみが含まれている、懐の深い映画である。群像劇というのは描くのがとても難しいと思う。ともすれば話の重心が偏ってしまう可能性がある。しかしこの映画はバランスが絶妙で、その人が映っているときはその人が主役になっている。ちょっとしたシーンで人々が絡み合う様子は観ていても楽しくなってくる。会話の中にその人物の人生を滲み出させ、それを交差させることで絶妙なアンサンブルが生み出されている。出演している俳優たちも実に豪華で、主役級の俳優が集まっている。若手からベテランまで、数多くの俳優をまとめあげてしまうのは、やはり監督ロバート・アルトマンの手腕であろう。全体に流れる雰囲気は、アガサ・クリスティの推理小説のようである。殺人事件を題材にしているが、そこに流れている空気は決して重苦しいものではなく、小気味のいいものである。しかし、1930年代のイギリス貴族社会を舞台にしているだけあって格調高く、典雅である。ハウス・パーティという閉じられた空間が舞台になっていながらも、そこには様々な人生とドラマが生み出されている。スケールが小さいようで、実にスケールが大きい映画である。
2003.08.04
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事故で下半身不随になってしまい、自暴自棄になり自殺まで考えた青年が、合気柔術に出会うことで変化していく、というストーリー。実在するデンマーク人がモデルになっている。監督は天顔大介。かの今村昌平監督のご子息である。父親の欲望渦巻く独特の世界とは正反対の、青春映画に真っ向から取り組んだ、素直に楽しめる作品である。主役は加藤晴彦。この主人公は演じる人によって如何様にも撮れる人物だと思う。そこで加藤晴彦ってのが慧眼だったと思う。彼は外見は華奢でイマドキっぽい風貌だが、内に秘めた情熱的な部分を小細工なしに表現できる人だなあと感心した。もちろん、合気柔術・ボクシング・車椅子と芝居の他にも演じる上での要素はたくさんあっただろうが、自然で真っ直ぐな芝居を見せてくれた。なかなかいい俳優である。相手役はともさかりえ。私は正直、彼女の芝居はクセがあってあまり好きではない。この映画でもそのクセのある芝居は健在だが、今回はあまり気にならなかった。役柄が博打打の風来坊の巫女、というちょっと飛んだ設定であるからかもしれないが、うまくハマっていたと思う。いいことか悪いことかはわからないが、彼女は役に近づくというよりは、役を自分に近づけるタイプの女優ではないかと思う。ともすればみんな同じ芝居になってしまう危険を孕んでいるが、役によっては良い化学反応を見せ、観客にインパクトを与えてくれる。脇を固める役者も渋くてよい。ミッキーカーチス・火野正平・桑名正博といったベテランがそれぞれ個性豊かな役を演じている。こういうベテランの人々の台詞には妙に説得力がある。たとえそれが破天荒な台詞であっても、年齢と人生経験を重ねてきたであろう人が発すると、すんなり聞くことができる。役者ってのはすごい商売だなあとつくづく感じる。その中でも抜群に格好よかったのが石橋凌である。この映画で彼が演じるのは、サラリーマンでありながら合気柔術の師範であるという、真面目で穏やかな男性である。石橋凌というと、今までの役柄はどちらかというと強面の印象が強いものが多かったが、今回はさえない風貌で、謙虚で、でもどこかオーラが漂う面白い役柄である。でもそれが、どんなにハードボイルドな役よりもカッコイイのである。合気柔術で静かに相手を押さえ込めていく姿は感動さえ覚える。石橋凌という俳優の懐の深さを知った。合気柔術というものは、力ではなく呼吸や気で相手を封じ込めるものであるらしい。目にしただけではちょっとうそ臭い感じがしなくもないが、それは超能力でも催眠術でもない、れっきとした原理があるものらしい。劇中の台詞にあった「人を殺す武術は現代にもはや必要ない。合気柔術はやわらかく相手を封じ込めるものである」という台詞が印象的。この映画の根底に流れるテーマは、合気柔術の要素の1つでもある「相手を拒絶するのではなく、いったん受け入れること」なのではないかと思う。障害とについてなど、考えさせられることはたくさんあるだろうが、それはあくまで映画を組み立てる上でのパーツであり根底に流れるテーマは一貫している映画だと感じた。「障害者の映画」という表面的な印象に縛られず、あくまで青春映画として楽しむほうが良い映画だろう。
2003.08.03
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市川崑監督。この1961年作品は妻がいるにもかかわらず他に9人の愛人を持つテレビプロデューサーが、たまりかねた女たちに殺害を企てられる、というストーリーで、岸恵子、山本富士子、中村玉緒と時代を代表する女優が揃ったことでも話題だった。時代は流れ1997年、シネセゾン渋谷でレイトショー公開された時はレイトショ-動員記録歴代2位という記録を樹立したらしい。1997年に渋谷でレイトショーされたときの発起人はピチカート・ファイブの小西康陽で、そこもまた渋谷界隈のおしゃれ星人に支持された理由であるだろう。確かに、岸恵子の部屋のインテリアやファッションは一時期流行した60年代そのものであり、スタイリッシュである。山本富士子の「そうざんしょ」や「○○ざます」といった言い回しも新鮮に映る。カラー映画が主流になり始めた時期にあえてモノクロで撮ったり、様々な角度から人物を撮ったりと凝った映像ではある。ストーリーも序盤は展開が早く、暗殺計画が実行されるまでは退屈せずに観ることができるが、その後がやや冗長である。船越英二演じる風のキャラクターも突然つまらないものになってしまう。そこが残念である。市川監督の映画は何本か観ているが、凡庸な出来であるという感は否めない。ただ、当時の大映のトップ女優が一同に会するとさすがに艶やかな迫力がある。60年代のファッションやインテリアに興味がある人なら、かなり楽しい映画であるに違いない。
2003.08.01
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