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最近、巷では昼ドラブームが再燃しているようだ。私の大学の女友達も『女優・杏子』あたりから『真珠夫人』『新・愛の嵐』など東海テレビ製作のドロドロ系ドラマにハマッている。私はそんなに昼ドラにハマるタイプではないのだが、先日、ついつい『コスメの魔法』と『牡丹と薔薇』をハシゴしてしまった。最初から観ているわけではないので勿論ストーリーはわからない。しかし話がわからなくても独特の世界が味わえる、それが昼ドラである。TBS系列で13時から放送されている『コスメの魔法』は、いつか日記にも書いた萬田久子通称まんきゅー主演。化粧をモチーフにしたライトコメディの体裁を採っている。案の定、萬田久子の存在感が強い。「キレイを怠るのは犯罪です!」というキメ台詞もインパクトが強い。これはもう萬田久子のためのドラマであると言えよう。しかし萬田久子のキャラが強い分、脇が甘い。カリスマメイクアップアーティスト(だと思われる)の役に渦中の人・大鶴義丹って、これ一体どうして。血迷ったキャスティングとしか思えない。あの妙にキーの高い声質も、カリスマを演じるのには分不相応である。「大鶴義丹≠カリスマ」という公式はしばらく拭えないであろう。その後、13時30分からフジテレビ系列で放送されている『牡丹と薔薇』は東海テレビお得意の、これでもかとばかりのドロドロ攻撃である。以前に1度観たきりだったので、久しぶりに観たら主人公が成長して大河内奈々子になっていた。昼ドラや朝ドラは、気がついたら歳月が経っているということがままあるので、そこは気が抜けない。以前観た回はなかなかにショッキングだった。エリート会社社長である神保悟志が愛人である川上麻衣子の元に殴りこむ場面であった。どうやら川上麻衣子は、神保悟志の本妻の指輪を盗み出してしまったらしい。それを激しく追及する神保悟志。堪忍した川上麻衣子は嘲笑を浮かべながらその指輪を飲み込む。そこでの川上麻衣子のセリフ「あーはっはっは、ダイヤ美味し~!美味し~!!美味し~!!!」これを衝撃的と言わずして何と言おう。「ダイヤ」が「美味しい」という、一見どうやっても結びつくことがなさそうな2つの単語を結びつけた脚本の中島丈博の手腕に脱帽。これこそ女のカルマである。そんな川上麻衣子を激しく責める神保悟志。すると妊娠していた川上麻衣子の腹から大量の水が。ビチャーなんてもんじゃない、ザッパーンと水が噴出。私も驚いて「破水ってこんなに水が出るもん?」と思ったが、その後、川上麻衣子の腹から氷枕が。実は彼女は偽装妊娠だったのだ!ジャジャジャジャーン。めまぐるしいストーリーの波状攻撃に頭がクラクラした。というか突っ込みどころが多すぎて突っ込んでる暇がなかった。ドロドロでビシャビシャの激情シーンに危うく腰が砕けそうになった。しかし川上麻衣子という人は、「子供を盗む」という行為がよく似合う。職業は看護婦、これまた幸薄くてよく似合う。友人のさわでさんは「川上麻衣子が病気に臥せっているシーンを見ると、志村けんのコントにしか見えない」と言っていた。それもごもっともである。そして時は経ち、主人公の姉妹も成長した。ストーリーをちゃんと把握してないのでどうこう言うのもアレだが、どうやら大河内奈々子演じるぼたんは金欲しさにデートクラブでバイトを始めたらしい。デートクラブって、なんか久しぶりに聞いた単語である。まだあるのかデートクラブ。淫靡な響きを持つその言葉に、何だかホクホクした気分になる。そもそも、このドラマの時代設定はいつなのか。大河内奈々子がデートクラブの客と待ち合わせる喫茶店の名前は「喫茶・パピヨン」だ。パピヨンってオイオイ。あなたはアジアのパピヨンと島谷ひとみが歌っている時くらいしか聞かないネーミングである。雰囲気としては、店のドアを開けるとカランカラーンと鐘が鳴りそうな喫茶店である。これでイメージを掴んでいただけたら幸いである。カフェ全盛期のこのご時世に、「喫茶・パピヨン」というところが昼ドラらしくて良い。これくらいバタ臭いモチーフを盛り込んでくれないと昼ドラを観た気にはならない。大河内奈々子が「喫茶・パピヨン」で待ち合わせた相手は神保悟志。そう、実の父親であった!デデデーン。「ホテル行きましょうよ!」という大河内奈々子の絶叫でジャーンと「つづく」の表示。あわや近親相姦か!?次の日の放送を観られなかった私は、その続きを知らない。申し訳ない。ペコリ。とにかくこの枠のドラマは展開が早く、内容の密度も濃い。視聴者に深く読み解かせるヒマを与えずに、ストーリーはガンガン進んでいく。日本ライン急流川下りのように危険に満ちている。これを観てしまうと、TBS系列の昼ドラは山中湖でスワン型のボートをえっちらおっちら漕いでいるくらいのユルさだ。それはそれで突っ込みどころも多いが。昼ドラはゆったりとした午後のひと時をハイ・ヌーンへ誘ってくれる。そこにはこってりとした濃密な世界が渦を巻いている。昼ドラをしっかりビデオ録画し始めてしまったら、それはもう立派な昼ドラ依存症である。マダむんむん。
2004.01.31
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2002年制作のイギリス映画。監督はリン・ラムジー。主演は『マイノリティ・リポート』にも出演しているサマンサ・モートン。スコットランドの港町でスーパーの店員として働いている21歳の女性・モーヴァン。クリスマスの朝、彼女の恋人が自殺した。ミュージックテープとパソコンに小説を残して。モーヴァンはその小説の作者名を自分の名前に書き換えて出版社に送る。そして彼女は親友とともに旅に出る…。何とも理解しがたい映画である。90分強の短い映画ではあるが、かなり退屈した。スタイリッシュな映像とオシャレな音楽が売りであるとは聞いていたが、いかんせんストーリーに起伏が無い。そのため音楽も宙ぶらりんな印象だし、映像も決してスタイリッシュには見えない。正直、最後まで観られるかどうか不安に感じてしまったほどだ。この映画の主人公であるモーヴァンは、決して感情を表情に露わにしない。恋人が死んだということで、本当は泣き喚いたりするはずなのに平静な表情である。そこがリアルなのだと言われればそうなのかもしれないが、映画としては面白味に欠ける。モーヴァンは恋人が自殺した後に、親友とスペインに旅立つ。この旅も彼女にとってどういう意味を持つのかわからない。そもそも恋人が死んだことが彼女にとってどういう意味を持つのかすらも読み解きにくい。旅先で彼女たちが繰り広げる、行き当たりばったりでモラルに欠ける行動も現代的と言われればそうかもしれないが、観ている者にとっては不愉快でしかない。彼女たちが得たい「自由」とはこの程度のものなのかと訝しく思ってしまった。主演のサマンサ・モートンが魅力に乏しい。監督の意図としては、彼女で市井の人間の苦悩を描きたかったのだと思うが、それは成功しているとは言いがたい。「アンチヒロイン」として描こうとしているモーヴァンは、やっぱりどこか悲劇のヒロインぶっているようで共感できない。この映画は、やけにリアルさを追求していると思われる。しかし映画というのは不思議な媒体で、演劇のような飛躍した設定は忌み嫌われるし、かと言って普段の会話をそのまま映像にしたかのようなリアルさは面白味に欠ける。リアルを追求すればするほど、映画として成り立ちにくくなってしまうのだ。そこのところのさじ加減が監督の手腕だと言えよう。フィクション映画におけるリアルは、事実をそのまま映像にするのではなく、あくまで計算されつくしたリアルでなければならないということを実感。あと、女性差別的な発言になってしまうかもしれないが、どうも女性監督の映画は観念的なシーンが多い。この映画にも、主人公の心情と直結しないような観念的なシーンが多く出てくる。このようなシーンを羅列することによって、「スタイリッシュ」とかもっともらしい評価を得ることもあるだろうが、映画としては失格であると私は思う。ストーリーに起伏が無い、冗漫な映画であった。期待していただけに、肩透かしを食らった気分である。★☆☆☆☆
2004.01.30
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2001年制作のスペイン映画。監督は『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』のアグスティン・ディアス・ヤネス。友人である、吉祥寺のお騒がせユニット・妹のかとぅさんオススメ映画。面白かったよかとぅさん。ありがとうありがとう。犯罪や暴力が横行するこの時代、天国と地獄の有様も地上界と同様に変化してきた。天国はやって来る魂の数が激減し過疎化が進んでいる。逆に地獄は飽和状態。このままだと天国は地獄に取って代わられてしまう。そのために、地上にある二流ボクサー・マニの魂が必要となる。そんな天国の動向に気づいた地獄も何とか手を打とうとする。天国・地獄両方の作戦部長は自分たちの運命を決めるマニの魂を得るため、それぞれ工作員を地上に派遣する。天国から派遣されたのは人気歌手・ロラ。地獄から派遣されたのは荒くれたレストランでウェイトレスをしているカルメン。二人はそれぞれ、妻や従姉妹と称してマニに近づく。そして奇妙な3人の生活が始まる…。この映画には天国・地獄・地上の3つの世界が存在する。しかしこの映画で描かれる天国と地獄は今まで私がイメージとして抱いていたものとは異なり、地上世界とさほど変わらない。それぞれを取り仕切る中枢組織は地上の役所のようだ。天国が過疎化が進みゴーストタウンのようになっていて、逆に地獄が過密状態に陥っているというアイデアが面白い。映画の中で天国は上品なモノクロームの映像で、50年代あたりのパリのイメージで描かれている。天国で用いられている言語はフランス語。逆に地獄は下卑な監獄をモチーフにしていて、用いられている言語は英語である。そんな言語の使い分けに監督のメタファーが隠されているのかはわからないが、ひねりが効いていて興味深い。なぜ、天国と地獄両方にとってしがないボクサーの魂が必要なのかは明かされていない。「クレオパトラの鼻がもう少し高かったら、世界は変わっていた」という言葉があるように、平凡に見えるようなことが重要だったりするということらしい。説明不足のように見えるが、妙に納得させられてしまう。それがリアルってものかもしれない。地獄の使者・カルメンと天国からの使者・ロラは最初は対立関係にある。どちらがマニの魂を奪うか競っているからだ。しかし物語中盤で緊急事態が起こり、2人は協力関係を結ぶ。天使と悪魔の奇妙な友情と信頼関係が生まれ、女同士のバディ・ムービーになる。それがとても痛快である。アクションあり、ミュージカルシーンありでコミカルのようでシリアスなようでもある。様々な要素を含んだ映画であるが、決して詰め込みすぎて散漫な印象は無く、1本芯が通った映画である。しかし芯が通っていながらもストーリーは愛情や裏切りによって二転三転し、一筋縄ではいかない展開を見せる。思ったよりも先が見えない、ワクワクさせられる映画である。地獄からの使者・カルメンを演じるのはペネロペ・クルス。ハリウッドで注目を集めて、本国スペインでの凱旋出演である。とにかく彼女のぶっ飛んだキャラクターが魅力的。パンクルックに身を包み、奔放で身勝手な発言で事態を引っ掻き回す狂言回し的な役柄を熱演。今までのどこか影のある役柄とは180度異なり、スパーンと竹を割ったようなキャラクターが実に似合っている。彼女はこの映画で新しい魅力を開花させた。なぜここまでカルメンがファンキーなのかは、ラストで彼女がずっと心に秘めていた真実で明らかにされる。皮肉が効いていて、驚かされつつも妙に納得。その辺も一筋縄ではいかないストーリーである。脇を固める役者も実に豪華。ロラ役を演じるのはスペインのベテラン女優であるビクトリア・アブリル。地上界の二流ボクサー・マニを演じるのはデミアン・ビチル。天国の作戦部長を演じるのはフランスの大女優、ファニー・アルダン。地獄の作戦部長を演じるのは、メキシコ映画『アモーレス・ぺロス』で一躍注目を集めた若手、ガエル・ガルシア・ベルナル。ペネロペ・クルスの気風の良い破天荒さ。ビクトリア・アブリルの繊細だけど芯が強いキャラクター。デミアン・ビチルの荒くれ者だが根は優しい部分。ファニー・アルダンのセクシーな婀娜っぽさ。ガエル・ガルシア・ベルナルの飄々としていて落ち着きのないキャラクター。どの人物も個性に満ちていて愛すべきキャラクターである。『ウェルカム!ヘヴン』は天国と地獄をモチーフにするという荒唐無稽な方法で、人間の愚かさや愛すべき部分を浮き彫りにした痛快娯楽映画である。思いっきりファンタジーな設定でありながらも全く違和感を感じずに観られる。予定調和に終わらないストーリーを満喫した。★★★★☆
2004.01.29
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先日、身体が異様に糖分を欲していたので「森永ハイチュウ 青りんご味」を購入。この手の合成的な甘さは妙にクセになり、1個食べたらすぐにもう1個食べたくなってしまう。しかもアメやガムとは異なり、ものの数秒噛んだら消えてしまう儚さがなんだか愛い。というわけで、1時間で1本まるまる完食。さすがに少し具合が悪くなった。舌と歯と胃が気持ち悪い。今後、ハイチュウの一気食いは控えようと心に誓った。森永ハイソフトといいハイチュウといい、森永製品は柔らかさが丁度いい。明治のキャラメルなどはかなり硬めでしばらくは口の中でゴロゴロしているが、森永ハイソフトは噛み応えがニチャニチャしていてキャラメルらしい。しかしふと、森永だったかどこだったか忘れたが「ヨーグルト100」なるニチャニチャ系のキャンディを食べていたら銀歯が取れたという過去がよぎった。私の口内環境を守ってくれている銀歯たちの為にも、ニチャニチャ系キャンディは控えようと思ったのでR。あーる。念押してみた。私は常々、「のど飴なら『龍角散のど飴』だ!」と確固たるブランド意識を持っている。「まずい」「薬臭い」との評判を集めている龍角散のど飴であるが、腐っても龍角散である。ゴホンと来たら龍角散である。イメージで効きそうな気がするし、あの味も慣れればクセになる中毒性を秘めている。UHA味覚党もよくぞ業務提携してくれた。と思っていたら「ノーベル はちみつきんかんのど飴」を舐めてパアアと開眼。酸味と甘味が絶妙のバランスでベストマッチング。舌の上で繰り広げられる蜂蜜と金柑のシンフォニー。舐め終わることを惜しんでいると、中から現れるトロリとした物体にサプライズ。私の中で天下分け目の第一次のど飴戦争が勃発している。「龍角散のど飴」VS「はちみつきんかんのど飴」。どっちが好きなの~、と思わず松浦亜弥の気分である。 舐めたらアカンそうなので舐めたことがないVC-3000のど飴。右の子供の表情に女の業を感じる。
2004.01.28
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初めて『サイゾー』という雑誌を買ってみた。暇つぶしに読んでいたのだが、これがなかなかオモロい。割と堅めのビジネス雑誌かと思いきや、下世話なネタが多くて興味深い。そんな『サイゾー』で、興味を惹かれる記事があった。「憧れのあのスターに聞いてみたい!」というコーナーで、「セックスレスのぜい弱男に一言!」と銘打って、力也(元・安岡力也)にインタビューしている。力也兄さんは○彼女はいっぱいいる。上は42から、下は18まで。○何千人もの女性を愛してきた。○女優・ホステス・OLなんでもござれ。○1日に5~6人ってこともあった。○7~8Pってこともあった。○淋病を移されて、自分でペニシリンを尻に注射したことがある。凄すぎます。火野正平よりも凄そうである。力也兄さんに言わせれば「3Pは当たり前」だそうだ。たとえ3Pであろうと、2人の女性に同じだけの愛情を注いでいるそうだ。強引過ぎる誘いはNG。ホテルのバーで飲んでいたとしたら、夜景の綺麗な部屋をとっておいて「最高のイルミネーションをプレゼントするよ」と誘う。そして部屋でシャンパンを酌み交わしながら、メイクラブに至るそうな。うーん、正真正銘のジゴロだ。バブルの時代を少なからず経験している婦女子は十中八九メロメロになるだろう。絵に描いたようなシチュエーションに隔世感。しかも記事によれば「2人の女性を7人で愛したこともあった」とのこと。「愛してあげた」という言葉はつまり性交渉を交わしたという意味である。しかも高校時代。あくまで和姦。婦女暴行には当らないそうだ。某スーパーフリーとはワケが違う。獄中の和田サンも力也兄さんからテクニックを学んでいればあんなことにはならなかったかもしれない。「プレイボーイ」という言葉を聞かなくなって久しいが、力也兄さんは正にプレイボーイである。ボーイと呼んでいいかはわからないが。「今の若い男たちは女性の扱いを知らない」と力也兄さんは言う。確かにそれは一理あるかもしれない。スマートに女性を悦ばせるテクニックを知らない男が多い故に、今「セックスレス時代」が叫ばれているのかもしれない。力也兄さんと杉本彩を絡ませたら、それはもう性の極致であろう。参考にはならないが、学ぶところは多い力也兄さんの言葉であった。
2004.01.27
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映画にはキャッチコピーがある。広告媒体でその映画がどんな映画であるかを端的に表す言葉である。チラシなどに1行もしくは2行くらいで表記されるアレである。このキャッチコピーで「観たい!」と思わせられることも少なくない。短い言葉で心をグッと掴まれる、まさに「キャッチ」コピーである。私が気に入ったキャッチコピーをいくつかご紹介。○『生き残るのは 死んでも無理』これは2003年公開のアメリカ映画『デッドコースター』のキャッチコピーである。『ファイナルデスティネーション』の続編。不思議な予知夢のおかげで飛行機事故の惨事を免れた高校生たちが、「死ぬはずだった運命」から逃げられないまま次々と無残に死んでいくショッカー映画である。私はオカルト映画は好きだがスプラッタ系は苦手なので未見だが、このキャッチコピーはトンチが効いてて気に入った。○『あんたなんか5分でつぶす』こちらは2003年に日本公開された、スペイン・フランス・イタリアの合作映画『ウェルカム!ヘブン』のキャッチコピー。地上界のあるボクサーの魂を巡って、天国の使者と地獄の使者が対立する話である。このDVDのジャケットは、地獄の使者であるペネロペ・クルスと天国の使者であるビクトリア・アブリルがメンチを切っている。そこにこのキャッチコピーがドンと表記される。このコピーは劇中でペネロペ・クルスによって発されるセリフである。こんな強気な発言を繰り返すペネロペ・クルスが非常にカッコいい映画である。○『わたしのあたまはどうかしている』これはディビッド・リンチ監督作品『マルホランド・ドライブ』のコピーである。現実と妄想が錯綜し、どこが境界線なのか誰の妄想なのかもわからないこの映画は誰が観ても混乱する。しかしそれでもグイグイと惹きつけられてしまう不思議な映画である。ディビッド・リンチの独特の美学が炸裂したこの映画にふさわしいキャッチコピーだと思う。全部平仮名で表記されているのもインパクト大である。○『女は自らを地獄に堕とした』1994年公開の日本映画『夜がまた来る』のキャッチコピー。石井隆監督、夏川結衣主演のこの映画は、殺されてしまった麻薬Gメンだった夫の無念を晴らすために辛酸を舐める女の話である。レイプ・シャブ中・軟禁と、清楚なイメージの夏川結衣が文字通り「体当たりの演技」を見せる。そこに繰り広げられるシーンの数々は陵辱に満ちた、まさに地獄である。そんな地獄を経て、ラストシーンで夏川結衣は女神のような存在に昇華する。エロスとバイオレンスを独特の世界観で描ききる石井隆監督の最高傑作であると私は思う。夫の無念を晴らすために復讐の女神となった主人公が自ら飛び込む地獄の世界。卑俗でありながらも高尚である。そんな映画にピッタリのキャッチコピーだ。もちろん映画のキャッチコピーだけを信用したら痛い目に遭うかもしれない。しかし映画を選ぶ際の取っ掛かりにはなるだろう。面白い映画が出来ることと同時に、ウィットに富んだキャッチコピーが現れることを期待する。
2004.01.26
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せっかく映画の感想をセコセコ書いていたのに間違って全部消してしまった。ワンクリックで全て水の泡。覆水盆に返らず。そんな私を嘲笑うかのように、部屋のコンポから流れていたのは中谷美紀の『砂の果実』。「生まれーてこーなければー本当ーは良ーかったのー」大事に育てた日記は死産でした。残念でした。死産と言えば、向井亜紀&高田延彦夫婦の代理母問題である。向井亜紀&高田延彦夫妻の子供は死産ではないが、つい連想してしまったもので。縁起の悪い導入で申し訳ない。法律のことはよく分からないが、これはやはり様々な問題を孕んでいるようだ。国籍やらなんやら複雑な問題が。「子供を産みたい」という気持ちは痛いほどよく分かるし、その気持ちに決して罪はない。しかし生まれてくる子供が成長して、母親が2人いるという事実をすんなり受け入れられるのかどうか。それはかなり大きな壁であると思える。まあこんなこと私がどうこう言うべきではないが、この世界には子供を産みたくても産めない人たちは沢山いる。そして金銭面の問題で代理母という方法を採ることができない人たちも沢山いる。そんな人たちはグッと歯を食いしばって耐えてきたのである。その人たちの気持ちを考えると、手放しで「良かった良かった」とは言えない気分になる。人生はままならないものである。ままならない事態に耐えている人たちも沢山いるということを向井&高田夫妻にも肝に銘じて欲しいとは思う。人生経験未熟な私の浅はかな心配も杞憂に終わればいいが。
2004.01.25
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『SmaSTATION-3』に山本寛斎が出演していた。以前に比べたらおとなしくなった印象ではあるが、相変わらず情熱的だ。原始、山本寛斎は太陽だったのかもしれない。彼のトークは常にターボがかかっている。マシンガントークという言葉は彼のためにあるのかもしれない。番組中で『ラストサムライ』で渡辺謙がアメリカで多大なる評価を得ていることに触れていた。それを観た香取慎吾は山本寛斎に向かって「渡辺謙さん、すごいことになってますね~」と話を振るが、「私も最近、助演男優賞取ったんだよ。『青の炎』で。審査委員長はビートたけしさん。この話は~」といきなり自分の話。聞かれてもいないのに我田引水。香取慎吾の視線も心なしか冷たい。よく喋る時の擬音である「ペラペラ」がとてもリアルに感じられる。その後、香取慎吾が「寛斎さんの服とかが海外で評価された時はどんな気持ちでした?」と質問するも「それは今言うことじゃない。また今度出た時に」だって。直後CMに行ったが、CMに入る直前に香取慎吾が「今言ってもいいんじゃないですか?」と言ったのを私は見逃さなかった。なに勝手に先延ばしにしているのだろう。次回「山本寛斎特集」を組めってことなのか。確かに山本寛斎は凄いデザイナーなのであろう。彼が作った服は観たことがないしどのような活動をしているのか知らないから偉そうなことは言えないが、そんな私でも知っているくらいだから海外などでも著名なのであろう。しかし、テレビなどで山本寛斎を観るたびに「アイタタタ」と思ってしまうのは何故なのか。それはきっと、彼の「空気が読めていない存在感」であるからに違いない。彼はとにかく情熱的で派手である。テレビ番組の製作者はそこを面白がって起用しているのだろうが、彼がテレビなどに出演することでどことなくチグハグな雰囲気になってしまうことが多い。デザイナー界の志垣太郎である。またはデザイナー界のDr.コパ。なんというか彼のトークや立ち振る舞いは無駄に派手で、しかるべく所に着地していない気がする。オチが落ちきっていない。まさに半落ちである。彼から発される言葉や行動は空中をグルグルと回り、そして結局彼自身によって揉み消されているかのようだ。そんなマッチポンプ的な山本寛斎は、とにかく燃費が悪い。ガソリン満タンフルスロットルで発進するも、何メートルか進んでガス欠を起こしている。しかし場の雰囲気を読めない彼は、ガス欠を起こした車を自分でえっちらおっちら押している。後続車はいい迷惑である。ここでの後続車とは、今日の香取慎吾に当る。場違いなパッションは周りの人を困惑させるだけでなく、時として空虚な印象を与える。今日の『SmaSTATION-3』を観てそう思った。しかしテレビなどに出演しているファッション業界の人々は、一様にキャラが強烈である。キャッツアイよりも風間三姉妹よりもインパクトが強い、コシノ三姉妹。彼女たちが画面に現れただけでそこは百鬼夜行。はたまたブレアウィッチプロジェクトか。林真理子を加入させても違和感なさそうだな思っているのは私だけかもしれない。また、ファッションチェックを見て100人中90人が「アンタにはチェックされたくない」と思っているであろうドン小西。ドン小西のドンはどういう意味なのか。ドレミファドン的なアクセントとしてのドンなのか。それともやっぱり首領という意味でのドンなのか。ギンギラギンでさりげなくない彼の風貌から察するに、後者の可能性が強そうだ。妻子持ちのおネエ様、きよ彦もインパクト大だ。きものデザイナーの割に、着物との接点を見出せなくなっている今日この頃。みなさん、本業を忘れていませんか?
2004.01.24
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今クールのドラマはなんだか訴求性に欠ける。二番煎じ的なものが目立つし、シリーズ続編も多い。『サラ金』なんて4シリーズ目だ。誰が観てるんだ『サラ金』。その中で私が一番期待していたのは、日本テレビ月曜10時『乱歩R』である。日本テレビ月曜10時という枠は、裏番組に視聴率の鬼『SMAP×SMAP』がデーンと構えているために、視聴率的には不毛地帯である。そのためか意欲作・異色作が目立つような気がする。今回の『乱歩R』もコンセプトは意欲的かつ異色である。主人公はかつての名探偵・明智小五郎の3代目。祖父と同じく探偵業に勤しんでいる。初代・明智小五郎がスマートかつクールに事件を解決したのに対し、3代目は弱気でどこか頼りない。そんな3代目・明智小五郎の成長物語でもあるこのドラマは、1話完結型を採っており毎回ゲスト犯人を迎えての構成となっている。ストーリーは江戸川乱歩の名作小説をベースとし現代風にアレンジしている。1話目は武田鉄矢・乙葉で『人間椅子』。これ、正直言うと途中で観るのを止めてしまった。説明的すぎるセリフと、あまりに駆け足な展開がせっかくのストーリーを台無しにしてしまっている。役者の芝居や演出にもさほど目新しさは無いし、テンポが速い割には緩慢な印象だった。そして今週は菅野美穂を迎えての『吸血鬼』。これまた「なんだかなあ」と思わずにはいられない内容である。江戸川乱歩の小説というのは猟奇的でありながらも、どこか美しく官能的な文体が魅力的である。それは時代背景にも因るところが大きいと思う。江戸川乱歩がこれらの小説を書いたときは、かなりショッキングな内容であったに違いない。しかし今の時代は現実があまりに猟奇的すぎて、それほどの衝撃度は無い。江戸川乱歩が描いた世界は、現代風に描いてしまえばそんなに斬新なものではなくなってしまう。しかも1時間という制約があるために、物語はかなり強引に進む。江戸川乱歩の世界に浸るヒマを与えていない。ま、元々江戸川乱歩の幻想妖美な世界は殆ど無視されてしまっているのだが。今回の『吸血鬼』も説明的なセリフとともに、物語は急ピッチで進む。菅野美穂と菊池麻衣子による女優同士の確執も描かれているのだが、その描写も中途半端にステレオタイプ的で面白みに欠ける。なんだか斬新なドラマを目指している割には、セリフや演出が古臭くてヌルいのだ。最後、被害者だと思われていた菅野美穂は実は確信犯であるということを問い詰めるシーン。詰め寄ってくる藤井隆を横目に菅野美穂は「オーホッホッホッホ」と高笑いしながら立ち去る。古い。そして安い。楽しみにしていただけに、江戸川乱歩の原作の持ち味が全く生かされていなくて落胆した。でも1話完結型である。もしかしたら来週は面白いかもしれない。そういう期待を抱けるから1話完結型ドラマは得である。来週は仲間由紀恵で『暗黒星』。これは私も大好きな小説である。かつて陣内孝則が出演した『名探偵・明智小五郎シリーズ』でもドラマ化されている。こちらは時代設定は原作どおりだったし、陣内孝則の大仰かつ大根な芝居が意外と明智小五郎役にハマっていて面白く観た記憶がある。ま、仕上がりをごろうじろ。
2004.01.23
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ちょっと前の話になるが、TBSでハプニング大賞が放送されていた。かつては民放各局で「NG大賞」やら「ハプニング大賞」やら、この手の番組を放送していた。フジテレビがなぜ「NG大賞」から手を引いたのかは知る由も無いが、今現在残っているのはTBSの「ハプニング大賞」のみである。私もこの手の番組は決して嫌いではなかった。昔はけっこう楽しみにしていたものだ。ドラマの収録で、誰かがNGを出して素に戻るところなどが興味深かった。こういう番組はいわば、番組制作の過程で意識せずに生まれた副産物としてのハプニングで成り立っているわけである。豆腐を作る過程で生まれるオカラのようなものである。オカラだってそうそうバカにできない。栄養価はかなりのものである。でもやっぱりオカラはオカラ。豆腐に比べたらインパクトに欠けるわけである。しかし最近の「ハプニング大賞」を観ていると、このオカラをメインディッシュにしようと躍起になっているように思えてならない。要は「ハプニング」が「ハプニング」らしくないのである。それが顕著だったのが、ドラマ『Good Luck!』における堤真一・木村拓哉・竹中直人の3人が絡むNGである。あるセリフを堤真一がどうしても言えずに、それを木村拓哉と竹中直人がおちゃらけて、結局6テイクだか7テイクだか撮り直したのだ。しかしこのNGは純粋なNG(そんなもんあるのか)ではなく、どうしてもセリフが言えない堤真一を木村拓哉と竹中直人が面白がってからかっているのである。給食で牛乳飲んでるヤツを笑わせて吹かせている子供のようだ。テレビという媒体を通じて「おもしろアピール」を送っているわけだ。どこかあざとさを感じる。このNGは新ネタとして放送されたものではない。かつて放送されたもののウケが良かったのか、今回また放送したわけである。しかも同じネタを3回もしつこいっつーの。挙句の果てには「奇跡のハプニング!」と謳ってしまっている。ハプニングに奇跡もクソもあるかいな。これは木村拓哉人気(最近そうでもないが)に便乗しようとしている局側の意図が見え見えである。他にも、ドラマの収録などで誰かがNGを出すとスタッフなどが「○○さ~ん、ハプニング大賞に出しますよー」と言ったりする。NGを出した張本人は「それだけはやめて~」などと言うがけっこう嬉しそうである。NGを出すということは「意外とお茶目な自分」をアピールする絶好のチャンスである。プロならNGなど出してはいけないものである。しかしプロでありながら失敗する姿を公共の電波で晒すことで親近感をアピールして視聴者のイメージアップを図っているように思える。この手の番組において「NGを出さない人」=「つまらない人」である。本来なら「NGを出さない」=「プロフェッショナル」として見られるべきであって、「つまらない人」という烙印を押される筋合いはさらさら無いはずなのだが。スタジオでNGについてどうたらこうたら述べるのもなんだか寒い。NGなんだよ、NG。普通なら恥ずかしいものじゃないのかよ。最近とみにNGというものに過剰な装飾が施されて、「負」のイメージが消え始めている。「これからも楽しいNGをよろしくお願いしま~す」などと言うナレーションを含め、この番組はかなり本末転倒な様相を見せている。類似性を見出せる番組としては『プロ野球珍プレー好プレー』があるが、こちらはあくまで純粋なハプニングが多い。プロ野球はさまざまな利害関係が絡むわけであって、ハプニングはあくまで偶発的でなければならない。わざと失敗なんかしたら後で関係者から袋叩きであろう。その点、『ハプニング大賞』などで紹介されるNGは、それほどの危険性はない。つまり私が言いたいのは、NGで自分のお茶目さをアピールするよりも「プロならNGを出さない努力をしろよ」ということ。
2004.01.22
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今日も1日、ひきこもりDay。太陽の光を浴びてプリンセス・テンコーのように光合成しなきゃとは思っているが、気づいたら日も翳っていた。誰も遊んでくれないので淋しく家でボケーッと呆けていた。ものぐさ太郎のような生活である。夜になって姉が帰宅。帰宅して開口一番に「仲間由紀恵って元東京パフォーマンスドールだったって知ってた?」と仰る。いや知らなかったけどさ。今日1日のホットニュースがそれかいな。下らない、実に下らない。テレビを観ている私の横で、母が爆睡。突然「お父さん、お父さん!早く来てー」と寝言で絶叫。後から聞いたら、何者かが家に侵入する夢でうなされていたらしい。母の精神状態が心配である。ウチの家族は、しょっちゅうコタツで寝ている。昨日も私が風呂から出たら、居間で父親・姉・母親・祖母が熟睡していた。一見したら、まるで一家心中のようである。これが日常風景だなんて情けない。実に情けない。『ベストヒットTV』を観た後、チャンネルを変えたら『ドールハウス』の再放送が。このドラマはかなり珍品の予感。ダンスmeetsガンアクション。アバンギャルドである。実にアバンギャルドである。このドラマに出演している安達祐実は不良娘という設定。メイクや髪型に往年の大映ドラマの匂いを感じる。そんな紋切り型な描写に思わず苦笑。高部知子か?はたまたいとうまいこか?ダンスシーン以外にさほど見所も無いドラマではあるが、劇中での小池栄子と安達祐実のタイマン勝負に心が躍る。「やんのかテメー!」「あんだとオラー!」ってな感じで。片や巨乳番長、片やちびっこ番長のタイマン勝負はなかなか感慨深いものである。もうガンガンやっちゃってください。もう観ないだろうけど。明日こそ充実した1日を。「あーしーた、明日わたーしは何しーよーう」(by森高千里)
2004.01.21
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今日は午前中に就職活動をしてきて、午後がぽっかり空いてしまったので渋谷で『ヴァイブレータ』を観てきた。今年初めての映画館である。しかし渋谷という街はいつ行っても迷う。宮益坂だの道玄坂だの、東京ネイティブでもさっぱりわかりましぇん。迷いに迷って到着したイメージフォーラムは、平日午後ということもあってか空いていた。『ヴァイブレータ』という映画の内容からしても、客層は若い女性が多いのかとタカをくくっていたら、シニア層がかなり多いことに驚いた。1人で観に来ているおじいちゃんや友人と観に来ているマダムなど、意表を突く客層であった。やはり、寺島しのぶという玄人受けする女優が主演している故か。フリーのルポライターである早川玲は、頭の中で響く声に悩まされている。そのせいで情緒不安定になってしまった彼女は、食べては吐くことを繰り返しアルコールにも依存してしまっている。そんな彼女は深夜のコンビニで、長靴を履いたフリーの長距離トラック運転手・岡部希寿と出会う。彼を見かけた玲は咄嗟に「あれ、食べたい」と思い、彼が運転するトラックに乗り込む。トラックの後部座席でセックスをする2人。玲は1度はトラックを降りるが、再びトラックに戻る。「道連れにして」という彼女を乗せて、トラックは新潟へと向かう。これ以降はネタバレを含む。『ヴァイブレータ』は東京と新潟を往復するだけのロードムービーである。そんなに長い距離じゃない。しかしそこに流れている時間はとてつもなく濃厚である。行きずりの相手と肌を合わせるということは軽薄な行為とみなされるだろう。しかし一時でも「誰かと肌を合わせる」ということでお互いの体温を感じることがちょっと羨ましくも思える。寺島しのぶ演じる早川玲は様々なコンプレックスから精神のバランスが崩れてしまう。冒頭でコンビニに現れた彼女は攻撃性に満ちていて、しかしどことなく怯えているような表情をしている。そのコンビニで出会った、大森南朋演じる岡部と行動を友にし、再び同じコンビニに帰ってきた玲の表情はうって変わって清々しいものになっていた。孤独であることには変わりはない。でも誰かと触れ合えたことが少なからず自信に変わり、どん底から再生できた彼女の微笑がとても美しい。あちこちで取りざたされているのが、この映画におけるラブシーンである。確かにかなり過激な描写を含んでいる。しかし描き方が巧みなために、エロい中にも複雑な心理が描きこまれている。セックスという行為の間抜けさや照れがとてもリアルに描かれている。そんなリアルさに「人間は卑小だけど、でもいとおしい存在」と感じさせられる。寺島しのぶも大森南朋も評価に違わぬ好演である。というか、私は「寺島しのぶと大森南朋の芝居を観た」というよりは「早川玲と岡部希寿のドキュメンタリーを観た」という錯覚に陥ってしまった。寺島も大森も、とても自然で確かな肉体性を持ってスクリーン上に存在していた。この映画はこの2人でなければ成り立たないと思えるような確固たる存在感を持っていた。この映画の見所の1つであるのが、ラブホテルでのラブシーンである。声にならない声が頭の中で響いて爆発しそうになってしまう玲を、岡部が優しく包み込む重要なシーンである。人間の弱さと優しさを同時に描ききった、出色の出来である。ラブホテルという空間は卑俗的ではあるが、逆にそんな空間であるからこそ2人の営みがいとおしく感じられる。ただ「脱いだ」という話題で片付けられるべきではない、素晴らしいラブシーンであった。この物語の大半は、トラックの車内という密室で展開される。このシチュエーションも秀逸である。本筋とは関係ないが、私は高速道路を走る車に乗るのが好きである。風景が後ろに流れる疾走感や、真っ暗な中で煌々と光る深夜のサービスエリアのハレの感じが大好きなのである。そして何よりも車に乗っているときの心地よい振動がたまらなく好きである。この映画を観ていて、そんなハレの感じやタイトル通りのヴァイブレーションを体感できて心地よかった。結局、玲は東京に帰ってきて岡部と別れる。「彼を食べて、彼に食べられた。それだけのこと」というセリフに続く「ただあたしは、自分がいいものになった気がした」という最後の言葉がこの映画の全てを物語っている。淋しいけれど、それでも何かを吹っ切れたような爽快感がここにはあった。寺島しのぶと大森南朋の演技力が光る、シニカルでありながらも優しい、エロいけどポップな映画が誕生した。良い映画を観た後は、何とも言えない高揚感に包まれる。映画の余韻を引きずったハイなようなローなような不思議な感覚である。久しぶりにそんな感覚を味わえた映画である。これは女性のみならず男性も観るべきである。この映画の大森南朋のような男性になりたいものである。でもあんなに優しい男はいないと思う。そこはかなりファンタジーである。★★★★☆
2004.01.20
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バイトが終わって、新宿駅の地下通路の人ごみの中を歩いていたら、向こうから女子高生(風)とそれをビデオカメラで写している中年男が。道行く人々は「何してんだコイツら?」と怪訝な目つき。女子高生の目はどことなく怯えているような雰囲気。「人が見てるじゃない。なんでこんなトコで…」とでも言っているかのよう。これはもしやAVの撮影?それとも女子高生を金で買った中年男の陵辱プレイ?ボーっと歩いていた私は、うかつにもカメラの前を横切ってしまった。これがもしAVの撮影だったとしたら、私はAV男優ならぬAVエキストラ出演を果たしてしまったことになる。ギャランティー高いっすよ、俺。至急、口座に全額振り込んでください。エロVシネマやAVのロケは基本的にゲリラで行われることが多いらしい。「痴漢電車」モノであれば、必然的にラッシュ時の電車内で撮影が行われる。そのために何人かバイトを雇い、1つのドアの前にスタッフ・キャスト・エキストラを並ばせて、電車が来たら車内の1ゾーンを雇ったエキストラで固めてその中で撮影を行うという話を聞いたことがある。一歩間違ったらお縄であるために、撮影は慎重に行わなければならない。大変ですね。ご苦労様です。今日見てしまった2人組も、あのまま歩いていったら交番の前を通ることになるが、どうなったんだろう。尾行してみようかと思ったが、バイトで疲れていたのでそんな気力も無し。今日は地元の駅で明らかに男性であろう女性を見たし、何だかちょっと得した気分である。
2004.01.19
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テレビ朝日45周年記念番組と称して『エースをねらえ!』がスタートした。テレビ朝日もどえらいもんに社運を賭けたものである。どこが記念番組なんだか。かつての月曜8時「月曜ドラマイン」を彷彿とさせる作風である。これぞテレ朝という気がしないでもない。別に原作に思い入れもないしビデオ録画してまで観たいドラマでもないので、『とんねるずのみなさんのおかげでした』を観ながらパチパチとザッピングしながらこのドラマをちょろっと覗いてみた。主演は上戸彩。どう見ても性悪な匂いがする彼女はいじめられ役には向いてないと思う。そこのところ、これから彼女の演技力でカバーできるかどうか。たまたま見たシーンは、岡ひろみのラケットのガットがズタズタに切られているシーンだった。他にも「靴に画鋲」などという、非常にプリミティブな苛めの数々が展開されている。なんかいいな、靴に画鋲。わかりやすくて逆に心が和む。このドラマの見所は岡ひろみ役の上戸彩よりも、「お蝶夫人」こと竜崎麗香を誰が演じるかというところであった。結局、「お蝶夫人」を演じるのは松本莉緒だった。『ガラスの仮面』の姫川亜弓役に引き続き、少女漫画における縦ロールを三次元の世界に体現することに成功していると思う。違和感なし。すげえ。松本莉緒は元々松本恵という名前でドラマなどで活躍していた。ちなみに高校のクラスメイトの友達の妹であるらしい。東京郊外出身ということで妙に親近感。私が抱く彼女のイメージは『サイコメトラーEIJI』における、目がクリクリした妹キャラであった。しかし『サイコメトラーEIJI』も既に7年前のドラマである。可愛らしかった彼女ももう22歳だ。月日が経つのは早いもので。そんな松本莉緒を『エースをねらえ!』でチラリと観たとき、「顔が変わった」と思った。やっぱり大人の顔つきになったのか。松本莉緒はどことなく武田久美子に似てきた気がする。武田久美子というと、かつてのスポ根ドラマ『スワンの涙』で主演の宮沢りえを苛める役柄が思い起こされる。演じる役柄に差こそあれ、何となく通ずるものがある。高校生でありながら夫人。松本莉緒はそんな竜崎麗香に説得力を与えているように思える。平成のご時世だからこそ縦ロールが逆に新鮮である。あくまで原作に忠実であろうとする製作者の姿勢は好印象。この際上戸彩はどうでもいい。このドラマは松本莉緒のためのドラマである。そしてまた、「縦ロール」のイメージが定着しつつある彼女はこれからどのような路線を歩むのか。よくってよ、よくってよ。 お蝶夫人ホタテ夫人
2004.01.18
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私には霊感というものが殆どというか全く無いのだが、最近たまに金縛りに遭うようになった。金縛りというものは疲れから来るのだと医学的にも証明されているようだが、私の場合常に枕元に人の気配を感じる。枕元からじっと見下ろされているような気がするのだ。金縛りに遭っていると動悸が早くなり冷や汗が出てくる。そんな時は何かの本に書いてあった金縛りを解く呪文「ホンボラサモビル フルフルフル!」と心の中で唱えると、小指がピクリと動くようになり、次第に全身の緊張が取れていく。そしてストーンと眠りに落ちることができるのである。金縛りは心因性のものであると医学的に証明されているとはいえ、やはり怖い。私の周りには霊感が強い霊男くんが何人かいた。私にとっては霊よりもこの霊男くんのほうが怖かったりする。高校時代にクラスメイトだった霊男くんは同じ場所で自殺が相次ぐと言う呪われた団地に住んでおり、霊とともに暮らすというスピリチュアルライフを送っていたらしい。聞いた話によれば、団地内なので本来は飼ってはいけない犬が誰もいない部屋に向かって吼えたりするらしい。また、彼が部屋で寝ていると白い手だけが布団を持ち上げたりするとのこと。それも彼にとっては「ああ、またか」と日常茶飯事のことであるらしい。翌朝彼が母親にそのことを話すと、「あら、アンタはまだいいわよ。私は布団と身体の間に顔があったわよ」と軽く往なされたらしい。一家揃っての心霊ライフ。常に肉体を伴わない存在に見守られているなんて、全くもって羨ましくない。大学の先輩である霊男くんは、高校の時の霊男くんとは違い憑依体質であった。彼には霊を呼ぶ力があるらしい。部活の合宿に行って彼と肝試しをすると墓石が倒れるし、霊を家に連れて帰ってしまうことも一度や二度では無いようだ。相当な霊パワーである。霊男くん霊子ちゃんはやたらと怖い話をしたがるのが常である。普段は存在感が薄い彼らが、ここぞとばかりに生き生きする瞬間である。この大学の先輩も合宿の度に怖い話を披露してくれた。彼の話は内容が怖いというよりも、話している彼自身が一番怖い。話しているうちに目は泳いでくるわ小刻みに震え始めるわ、しまいにゃ嘔吐する始末。聞いている我々もどうしていいかわからなくなり、無言で目を見合わせるのみ。その瞬間が怖い。私は霊感が強い人の冷静さが怖い。私みたいに普段から霊に慣れ親しんでない者であれば、霊に遭遇した場合パニックに陥りギャアギャア言ってしまうのがオチであるが、彼らにとって霊はそれほど特別な存在ではない。「あ、今振り向いちゃダメだよ」とか「昨日見えちゃってさあ」などと、あくまで冷静である。なんでそんなに冷静でいられるのか。羨ましいような羨ましくないような。故・宜保愛子も言っていたが、霊が見えすぎてしまうというのも困りものらしい。そりゃそうだ。四六時中霊が見えるなんてうざったいにも程がある。霊が見える人ほど、徐々に霊のようになっていくような気がするのは私だけであろうか。 aikoちゃん
2004.01.17
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ひょんなところからオレンジ色の小汚いノートが出てきた。表紙を見ると、これは私が中学1年から2年にかけて書いた作文ノートのようだ。懐かしい。ドブのような記憶に沈殿しているヘドロをさらう気分で読んでみた。まずは『多摩テックへの遠足』というタイトルの作文。これは中1の時の春の遠足で、多摩市の中学校に通っていた私の学年は徒歩で多摩テックという遊園地に遠足に行ったのだ。「5月28日、多摩テックへ遠足に行った。とても良い天気で遠足びよりだった。が、僕は曇り気味で気温が低い日を望んでいたので、少し行くのが嫌だった」といきなり憂鬱な発言。天気が良いから行くのが嫌だなんて相当に天邪鬼な子供である。我ながらその消極的な態度に腹が立つ。そんな良い天気の中、徒歩で丘陵地帯を歩く様が脈々と綴られている。その描写の中に「汗がダラダラ出てきた上にノドがカラカラだった」とある。さりげなく韻を踏んでいるのが笑える。ポエトリー魔境に迷い込んでいたのだろうか。そして我々一行は多摩テックに到着し、飯盒炊爨でカレーを作り乗り物を堪能したようだ。帰る時間になり、「ここまで来るのにあれだけ苦労したのだから、帰りは当然バスだろう」と思っていたらしい私は、帰りもまた徒歩であることに愕然としたようだ。「こうしてまた、しりとりをしながら地獄のはるか底を味わった4班だった。もうすでに水木しげるの世界は過ぎ去った感じだった」と述べられている。しりとりをする余裕がある地獄のはるか底なんてたかが知れている。しかも「地獄」の表現で「水木しげるの世界」と書くところに私の安直さが窺える。別に水木しげるが描いている世界は必ずしも地獄ではないような気がする。そこはむしろ「八甲田山死の彷徨の世界は過ぎ去った」と書くべきだったと10年越しの後悔。他にも運動会や文化祭について綴った作文が残っているが、要所要所で「つまらない」「くだらない」「早く帰りたい」と毒を吐いている幼い頃の私に少なからず驚いた。こんな消極的でやさぐれた子供だったのだろうか自分は。文化祭で下らない展示物を見てしまったらしい私は「一発ぶちかましてやろうかと思った」とも書いている。デストロイ。幼い私の破壊的な発言に悲しいやら情けないやら。最後に載っていたのは『二年生になって』という作文。これは一年生から二年生になった意気込みを語った作文である。どうやらこの時にクラス替えがあったらしく、私は仲が良かった友達と離れ離れになったようだ。そんな状況で私は「特別仲の良い人を作るのではなく、全体の人と仲良くしたい」と語っている。「狭く深く」の付き合いではなく「広く浅く」の付き合いがしたいということを堂々と語っている。中学校というのは、一番友達付き合いが面倒臭い時期である。多感な時期を迎えたボーイズ&ガールズは自分が他人にどう見られているかを過剰に意識してしまい、あちこちのグループに顔を出している人はやっかまれてしまうのがオチである。そんな中で「広く浅く」の付き合いをしようだなんてどだい無理な話である。実際、私はそんなに沢山の人とは仲良くなれず、割とこじんまりしたグループでたむろっていた。それは今も大して変わらない。「友達付き合いも欲張っちゃダメだ」と当時の私に語って聞かせてあげたい。中学二年生という年は生徒会会長をやったり、専門委員(図書委員とか保健委員とか)の委員長をやったりと、何かと忙しい時期でもある。それについて私は「今まで僕は大きい仕事というのはやりたくなかった。でもこれからは少しずつ大きい仕事もやっていけたらいいなと思う」と綴っている。これまた見切り発車的で聞こえのいい発言をしたものである。実際のところ私は生徒会にも立候補しなかったし、専門委員の委員長に関しても何とかうまくやらずに済むようにヒラリヒラリとかわしてきた。面倒臭いことは大嫌い、しかし大見得は切ってみるという羊頭を掲げて苦肉を売ろうとしている姿勢が相当あざとい。今も面倒臭いことは大嫌いだが、大見得は切らなくなった。後に引けなくなると困るから。成長したと言うかよりあざとくなったと言うか、忸怩たる気分である。また、下級生ができるということで「気軽に声をかけ合える関係を築けたらいいなと思う」と書いている。そんなことさらさら思ってもいないくせに、よくもまあ上っ面だけの言葉を並べたものである。きっと本音は「年下は扱い方がわからないから、できるだけ声なんてかけないでくれ」だったと思う。今でも就職の面接などの際に、聞こえのいい言葉や綺麗事をつらつらと語る自分に、自分自身で驚くことがある。「とりあえず良いこと言っとけ、食いっぱぐれない」という人生のスタンスは変わっていないようだ。人間万事塞翁が馬。今の私は負け組ではあるが。ここらでもう一度、人生を見つめなおしたほうがいいかもと思い始めた午前2時。
2004.01.16
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深夜番組を観ていると、別に見たくもないのに目にしてしまうタレントがいる。ハウス「ピュアイン」の瀬戸カトリーヌもその1人である。「ピュアイン」のCMは以前加藤晴彦がやっていたが、それを彼女が引き継いだのであろう。やっつけ仕事としか思えないCMは、見ていてちょっと辛い。そして水曜の深夜、油断していると襲い掛かってくるのがマッハ文朱&吉村明宏の「ハッピーショッピング」である。非常にオーソドックスな通販番組であるのだが、このご時世にそのオーソドックスさが相当胡散臭い。しかし見始めてしまったら何故かチャンネルを変えられないという不思議な番組である。テレビ東京の『レディス4』のようなセンスが昭和のセットに、売っている商品もコードレス掃除機だったりチタンコーティングの包丁だったり、はたまた野菜ジュースが簡単に作れるミキサーだったり羽毛布団だったりと「今さら?」と思わずにはいられないラインナップである。しかも毎回同じVTR。そのため次に誰が何を言うかも解っている。それでもチャンネルを変えられないのだから、水曜深夜に逢魔が刻である。通販番組は常にナビゲーターのタレントたちのリアクションが大きい。そんな中でも、この番組のマッハ&吉村のリアクションのアベレージは他の番組と比べて頭1つ抜きん出ている気がする。2人も卒倒せんばかりのリアクションである。彼らは大仰なアクションで視聴者の購買意欲をそそろうと躍起になっているようだ。そんなに欲しいか?モーター音がうるさそうなコードレス掃除機とか、押入れの肥やしになりがちなミキサーとか。この手の番組で「これ欲し~い☆」と言うタレントはまだ許せるが、この番組におけるマッハ&吉村のように「これ買います!」と断言するタレントに嫌悪感を覚えてしまう。別にアンタが買おうが買うまいが関係ないし、実際買わねえだろと心の中で突っ込みを入れてしまう。上っ面だけの言葉はまったく心に響いてこない。そしてこの番組は商品を紹介する人のテンションも若干高い。彼らはスキのない笑顔を満面に湛え、舞台役者のように非常に通る声で迫ってくる。実際安いのかどうかもわからない商品でも「驚かないでくださいね」などと巧みな文句で、ついつい「安い、のかな?」と思わせる勢いがある。余談だが、昨日この番組で天然ダイヤを散りばめたという時計を紹介していた人は一瞬笑福亭鶴光に見えた。瓜二つ。そして通販番組に欠かせないのが、よく調教されたリアクションをしてくれるギャラリーの人々である。「うそ~」とか「安~い」などと決まりきった言葉を口にして番組をうすら寒い雰囲気に持っていく彼らはいったいどこから湧いてきているのだろうか。この番組にはどういう意図かはわからないが、観客席の目立つ位置に国籍不明の外国人がいる。しかもそこそこの人数で。彼らの存在意義ばかりが気になって、商品のことなんてどうでもようなってしまうのも事実。日本人のオバさんギャラリーに比べても思ったより覇気がないので、番組を盛り上げることに貢献しているとは言えない。ロシア人風の男性ギャラリーなんて目が据わりきっている。その目が「ニホンニ来テ何デコンナトコニイルンダ俺」と語っている。きっと彼らは稲川素子事務所に違いない。まーちがいない!(長井秀和風に)昨日の放送では、そんなギャラリーに混じってどうも挙動不審な社会不適合者風のオッサンがいた。風貌からしても怪しげな彼は、曲者揃いのギャラリーの中でも明らかに異端だった。ギョロギョロした目でうすら笑いを浮かべている彼はまるで妖怪ぬらりひょんのようだった。番組制作者の意図を問いただしたい。この番組は「これぞ通販番組」という要素を忠実に踏襲している。そんなマッチポンプ的なこの番組はある意味で完璧なので、それが逆に胡散臭さに転じてしまっている。そんな胡散臭さを繰り返し観ていると、そのうち受話器片手に「ぜろいちにいぜろ、これいいしな」と呟きだしそうである。心に隙間が開いている人はこの番組を見ないことをオススメする。
2004.01.15
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先ほどネットニュースを見たら、NHK文化放送局が調査した「好きなタレントランキング」が発表されていた。<男性>(1)明石家さんま(1)(2)ビートたけし(2)(3)所ジョージ (3)(4)福山雅治 (7)(5)織田裕二 (34)(6)タモリ (5)(7)SMAP (8)(8)島田紳助 (32)(9)妻夫木聡 (13)(10)木村拓哉 (10)(10)西田敏行 (16) <女性>(1)久本雅美 (1)(2)松嶋菜々子(2)(3)黒木瞳 (21)(4)矢田亜希子(14)(5)和田アキ子(8)(6)吉永小百合(5)(7)上沼恵美子(3)(8)磯野貴理子(42)(9)竹下景子 (24)(10)山田花子 (46) という結果。後ろのカッコは前年度の順位である。ほほおー。NHK調査ということだから幅広い世代を満遍なく調査したのであろう。なんだか混沌としたランキングになっている。しかしこういう「好きなタレント」とか「抱かれたくない男ランキング」とかを見ると、だいたい顔ぶれが定まっている。「抱かれたくない男ランキング」で常に上位を保っている出川哲朗なんて、ついつい調査対象者が手癖で書いてしまうのではないかと思う。「抱かれたくない男って言ったら出川でしょ」みたいな感じで。世間一般に「抱かれたくない男=出川哲朗」という図式が出来上がっているように思えて仕方ない。もっといるだろ出川よりも抱かれたくない人が。別に出川哲朗の弁護をしているわけではないが。この「好きなタレント」という言葉には2つの意味合いがあると思う。まあつまりLikeとLoveの違いである。Likeの「好きなタレント」というのは「あの人面白いよな~」という意味合い。Loveの「好きなタレント」というのは「あの人可愛い(カッコいい)な~」という意味合い。現実はもっと複雑かもしれないが、乱暴に整理するとこういうことであろう。今回のランキングで、ほぼ大多数の割合でLikeの意味合いを持つと思われるのが明石家さんま・所ジョージ・タモリ・島田紳助・久本雅美・和田アキ子・上沼恵美子・磯野貴理子・山田花子あたり。Loveの意味合いを持つと思われるのが福山雅治・織田裕二・妻夫木聡・木村拓哉・松嶋菜々子・黒木瞳・矢田亜希子・吉永小百合あたりであろう。このジャンル分けで言うとSMAPは難しいところである。SMAPは「笑いの取れるアイドル」の草分け的存在でもある。またメンバーによって求められているキャラクターが異なっている。よってSMAPという名称ではどちらにも括れないと思われる。そしてまた西田敏行と竹下景子というのは、私にとってはなかなか不思議なランクインである。西田敏行は確かに面白いし芝居も巧みである。しかしやはり活動は映画が主であって、幅広い層の人々が目に触れる機会はそう多くないと思われる。闘病生活の末に復帰した同情票か、はたまた関西圏における『探偵ナイトスクープ』効果か。上沼恵美子がランクインしているということもあるし、関西圏の票が集中したことは大いに考えられる。そしてまた竹下景子って。50歳以上の男性票を多く集めたのだろうか。最近は竹下景子をドラマや映画で見かけることは少なくなったが、冬恒例の「パブロン」のCMは毎年彼女を起用しているということは、ある世代にとっては需要と訴求力が高い人であることがわかる。Loveの意味合いで括られるメンツは割りと変動しやすいが、Likeで括られるメンツは固定した人気を誇っているようである。親近感が持てるタレントは食いっぱぐれないということか。このランキングで言えばビートたけしという人も曖昧な位置にいるように思える。一応「ビートたけし」という名前でランキングに入っているが、この票の中には「世界の映画監督・北野武」を評価した票も多いと思う。というかそっちのほうが多いのではないか。少なくとも私は、最近のビートたけしの発言で「面白い」とか「笑える」と思ったことはほとんど無い。彼は最近お笑いとしては薹が立ってきて、CMなどでも「渋さ」をアピールしてきたように思える。よって彼は「お笑い・ビートたけし」を「世界の映画監督・北野武」に昇華し、それをまた「マルチな才能・ビートたけし」に再結晶したという印象を受ける。そして私は島田紳助を好きだという人がいるということに私は少なからず驚いている。大して面白いことを言うわけでもなく、また『クイズ・ヘキサゴン!』では司会者のくせにしゃしゃり出てきて人をバカ呼ばわりする。報道番組をやっていたからなのか、近年の彼はやけに知性をアピールするようになった。そんな人間のどこを好きになるのかよくわからない。そしてLoveの意味合いを持つ面々であるが、主に俳優たちである。そして揃いも揃って大根役者である。私が思うに、役者における「カリスマ」的な存在感を持っている人たちはほとんどが大根だと思う。高倉健しかり吉永小百合しかり窪塚洋介しかりキムタクしかり、役名なんか関係ない。キムタクはどのドラマを見てもキムタクだし、吉永小百合はどんな汚れ役を演じようが吉永小百合にしか見えない。それでこそ「カリスマ」なのであろうが、私は彼らのような役者は嫌いである。私は役によってキャラクターを変えることができ、脇役にも回れる人こそ役者として認めたいと思う。やばい、論点がずれて収拾がつかなくなった。強引だがここで締めの一言。この「好きなタレントランキング」の中に私が好きなタレントはいない。
2004.01.14
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今日は美容院に行ってきた。いい加減髪の毛がワサワサしてきて鬱陶しくなったので。私はいつも決まった人にシャンプーをしてもらっている。同い年のほんのり内山理名に似ている女の子なのだが、発言がちょっと電波系である。今日は早々に「昨日私、魔法が使えるような気がしたんですよね」と妙な発言。「は?」と聞き返すと、「なんか右手にパワーが漲っているような気がしたんですよ」と言う。なんだか彼女が非常に遠く見えた。ちなみに毎回私が美容院に行くたびに「稲川淳二のこわい話」を用意してくれるのも彼女である。謎が多い、ミステリアス・ガールである。髪を切った後は図書館へ。図書館は暇つぶしにもってこいの場所である。私がよく行く図書館は映画関連の書籍がけっこう揃っている。芸能人の本もけっこう揃っている。常々杉田かおるの『すれっからし』を借りようか迷っているのだが、図書館のシステムが変わり書籍の名前が明記されるようになってしまったので恥ずかしくて借りられなくなった。友人のさわでさんとこの図書館に行ったとき、石田純一のエッセイの隣に松原千明のエッセイを並べたりしたなあとちょっと遠い目。本日は松島利行著『日活ロマンポルノ全史』を借りた。日活ロマンポルノの歴史がわかる、けっこう分厚い本である。今では巨匠となった映画監督たちが、ロマンポルノにどれだけの情熱を注いでいたかがわかる熱い本である。ポルノ女優たちの波乱に満ちた人生も興味をそそった。この本も借りるのにちょっと勇気が必要だったが、誘惑に負けた。私は図書館で借り込んだ本を喫茶店に持ち込んで、煙草を吸いコーヒーを飲みながら読みふけるのが大好きなのであるが、さすがに『日活ロマンポルノ全史』は表紙が周囲の人に見えないように腐心した。一応講談社から出版されている、日本映画史を語る上では重要な役割を果たす本なのであろうが、なにせ表紙で全裸の2人の女性がまぐわっている。これはさすがに人に見られたくない。「昼間っから何読んでんだアイツ」と思われることうけあいである。その喫茶店で近くに座っていた男女が何やら痴話喧嘩をしている模様。耳をダンボにして(死語)聞いてやろうと思ったが、声のトーンが低くリスニング不可能。惜しい。今日は独りでブラブラして日が暮れた。こうして私のありふれた日常が繰り返されていくのである。うーむメビウス。
2004.01.13
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韓国のホラー映画『ボイス』を観た。この映画にまつわるエピソードとして、何かファミリー向けの映画の前にこの映画の予告編が流れ、子供たちが恐怖に怯え苦情が殺到したという話を聞いた。これは明らかに考慮が足りなかったわけであるが、ホラー映画としてはある意味名誉なことかもしれない。どれだけ怖いのかと、意気込んで観てみた。この映画の題材は携帯電話。ありふれた携帯電話の着信音が恐怖のモチーフとなっている。「018-9998-6644」という番号にかかってきた電話が次々と人々を狂わせていく。この映画の主人公は女性ジャーナリスト・ジウォン。彼女が手に入れた「018-9998-6644」という番号に不審な電話が相次いでかかってくる。それを偶然聞いてしまった親友ホジュンの幼い娘・ヨンジュは情緒不安定になり奇怪な言動や行動を繰り返すようになる。その携帯番号にまつわる謎を究明しようとしたジウォンは、その番号が何人かの手に渡ってきたものであり、しかもその持ち主たちは不審な死を遂げていることを知る…。最近日本でも流行している、身近なツールをモチーフに描いたホラー映画である。日本でも間もなく『着信アリ』という携帯電話をモチーフにしたホラー映画が公開されるが、この『ボイス』が少なからず影響を与えているのではないかと思われる。最近のホラー映画における「呪い」は無差別的なものが多かった。『リング』の貞子にしろ『回路』のインターネットを介して人々の生活に侵食してくる幽霊にしろ、相手を選ばずに襲い掛かってくるわけである。しかしこの『ボイス』の「呪い」はある携帯電話の番号所有者にのみ襲い掛かってくるという、どこかピンポイントなものである。『リング』『回路』『呪怨』などで描かれた「呪い」は、物語が進むにつれて終末的な世界に向かうという、スケール感が伴うものであった。そしてまたその「呪い」の正体はどこかはっきりしないものであった。そんな理不尽かつ正体がはっきりしない「呪い」がこの不透明な現代社会に迎合し受け入れられてきたのだと思う。しかし『ボイス』における「呪い」はあくまで予定調和的である。ラストで「呪い」の実体も詳しく明かされ、因果応報的なストーリーが浮き彫りになる。そこは古典的な怪談映画に系譜を連ねるものである。まあその携帯電話の持ち主を誰彼構わず襲うという点においては無差別的とも言えるが、物語の核はあくまで因果応報を重視している。私は『回路』という映画の感想で、ホラー映画のスケールは「小さければ小さいほどいい」ということを書いたが、この映画を見て必ずしもそうではないと考え直した。この『ボイス』の恐怖は、冒頭で大きな脅威として描かれているが後半に向かうにつれて尻すぼみ的にスケールダウンしている。しかもそこに男女の愛憎や親子の絆が大きく絡んでくる。そのためまるでラストの結末は火曜サスペンス劇場のような様相を見せる。巨大な恐怖の正体が、実は男女の痴話話の結果だったと気づくと肩透かしを食らったような気分になる。男女の愛憎に基づくホラー映画ということで言えば『東海道四谷怪談』などに近いかもしれない。しかしそれならば携帯電話をモチーフとして用いていることが無駄に思えてしまう。昨今のホラー映画が評価されたのは、そこで描かれている「呪い」が身近なツールを介して忍び寄ってくる無差別的なものであり、かつ一度呪われてしまったらどうあがいても元の生活に戻ることができないというものであるが故であった。『ボイス』はその点がかなり希薄である。「呪い」を描いているにしてはラストがすっきりし過ぎていて恐怖の余韻がほとんど無い。恐怖というものは得体が知れないから恐怖なのであって、この映画はあまりにも訳がわかりすぎてしまった。これはホラー映画としては致命的である。映画のテイストとしては『リング』と『エクソシスト』をミックスしたような雰囲気である。主人公の女性が母性に近いものを盾に恐怖を解明していくという点は『リング』に似ているし、その呪いを体現するのが幼い子供であるという点はまるで『エクソシスト』である。しかしそれが成功しているかと言えば、首を縦に振ることはできない。『リング』における母性の表現はあくまで物語のスパイス程度に留められていたが、『ボイス』は母性を強調しすぎた。最近「ただ怖いだけじゃないホラー映画」という謳い文句があちこちで聞かれ、この映画にもそんな言葉が付与されている。しかしホラー映画に感動や共感はいらないと私は思う。感動できなくて共感もできない、それこそ本当の恐怖なのではないかと思う。『エクソシスト』のリンダ・ブレアのような悪霊に憑かれた子供が本作の目玉にもなっている。白目を剥いて奇声を上げる子供は、確かに彼女そのものがCGで作られたものじゃないかと思えるくらいである。しかしそれが少々作為的すぎて、怖いというよりは笑える。『エクソシスト』も怖いというよりは笑える映画であったが、描き方がかなり破天荒である種のスペクタクルを感じた。しかし『ボイス』の少女の描き方は『エクソシスト』のそれと比べるとパンチに欠ける。この映画は全てにおいて中途半端な印象で終わってしまっている。ストーリー展開はスピーディーで退屈することはないが、やはりこれはホラー映画ではない。「ホラー映画嫌いの人がリハビリで観る映画」としては丁度いいくらいかもしれない。★★☆☆☆
2004.01.12
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最近、私はトイレに携帯電話を持ち込むのが癖になった。別にメールがひっきりなしにくる人気者でもないし、片時も手放したくないほど携帯電話に依存しているわけでもない。ただ「トイレで用を足す」という時間を持て余しているだけである。トイレに新聞を持ち込むオヤジさんと同じ心境である。先日、携帯電話をいじりながら便座に腰掛けようとしたら、便器の中ぶたが起きていることに気づかず、危うく便器に落ちるところだった。思わず「うあああ」と妙な声を上げてしまった。いい年して便壺にハマりそうになるなんて不覚。皆さん、便座の中ぶたには気をつけてください。デパートなどのトイレでよくあるのが、暖房便座だと思って腰掛けたらスイッチが入っていないこと。暖かいと思って勢いよく座ったら冷え切っていたとなるとショックも大きい。夏場ならまだしも冬場の冷たい便座はそうとう応える。これもついつい「ひぇっ」と短い悲鳴を上げてしまいそうになる。我が家のトイレにはウォシュレットが付いていて、家族のほとんどが愛用している。しかし人によってその水勢の好みは異なる。私は割とユルい刺激が好きなのであるが、家族のうちの誰かはハイパワーで肛門を洗浄しているようである。水勢が変わっていることに気づかずスイッチを入れると、痔になりそうな勢いで水が出てきてかなりビビる。朝っぱらから肛門にキツい刺激を与えると、痛いが目は覚める。でもやっぱり優しいほうが好きです。ところで、世間の人々は独りで家にいてトイレに行く際、ドアは閉めているのだろうか。私は家に誰もいないとわかっているならば、トイレのドアは閉めないことが多い。別に誰に見られているわけでないのにきっちりドアを閉めていると、なんとなくバカバカしい気分になる。たまには開放感溢れるトイレタイムを味わうのも良いものである。そこのところ世論調査で調べて欲しいものである。トイレの話とはちょっと異なるが、日本のレバー式の蛇口は水を出すときに上げるのか下げるのか統一して欲しいと常々思っている。我が家の蛇口は水を出すとき下げるタイプなのだが、逆のパターンの蛇口も意外と多い。逆のパターンだと、水を出すときは「あ、ここのは上げるタイプか」と分かるからいいのだが、水を止めるときついついいつもの癖でレバーを上げてしまいビシャーともの凄い勢いで水を放出してしまうことも少なくない。そんなプチ悲劇の瞬間に頭に浮かぶのがヘレン・ケラーの「ウォーター!」という言葉であるが、現実はそうも感動的ではない。人の家に言ったときなど、洗面台の周りをビショビショにしまうのでとても困る。なんとかしてくれINAX、TOTO。私と共に「レバー式の蛇口の統一を!」とデモ行進をしてくれる方募集中。
2004.01.11
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乙葉のCMで御馴染みのアートネーチャーであるが、このCMで増毛モデルになっている男性の憂いを帯びた表情があまりに切ない。口元はしっかり微笑んでいるのだが、目はドブのように暗く濁っている。髪が増えて喜んでいるというよりも、「何で俺、こんなことしてるんだろ」とでも言っているかのような苦笑いを湛えている。よく雑誌の巻末に載っているダイエット広告、はたまたは開運グッズ広告のモデルは「オイラの人生絶好調~」とばかりにガハハと強欲丸出しでバカ笑いしている。しかしアートネーチャーのモデルはあたかも氷の微笑。これが私の心を捉えて離さない。やっぱりカツラや増毛というものはどこか後ろめたいものであるのだろうか。人工の髪を増やしてもハゲはハゲ、そんな切実さがビンビン伝わってくる。アートネーチャーのCMというのは怪しい宗教団体が個室で見せる勧誘ビデオのようだ。どこか不穏な空気を感じる。例えば乙葉が増毛バンドをバックにキッチュな衣装で「あな~たに~」と歌うCM。予定調和な雰囲気がわかりやすくも禍々しい。今はまだ一応髪が2323している私も、何となく頭皮の将来に一抹の不安を覚えてしまう。アートネーチャーのCMはそんな不安を世の男性に植えつけることに成功しているような気がする。最近アートネーチャーは女性向けの増毛にも意慾的である。そんな女性向けアートネーチャーのCMタレントは前田美波里と大内順子。前田美波里という人はとにかくビジュアルインパクトが強い。顔の全てのパーツが大きい彼女から発される情報量はかなりの容量を擁している。あの「今まで一人か二人は食っているんじゃないか」と思わせるジャンボな口がカパッと開いた瞬間、視聴者の意識はそのブラックホールに飲み込まれてしまう。「今日はお友達を誘ってアートネーチャーのサロンに来てみました」と前田美波里から感じられる圧倒的な優越感。お友達という関係よりはカリスマと信者という構図にしか見えないこのCMを見て、「アートネーチャーのサロンに行ってみようかしら」というよりは「行かざるを得ない」状況に追い込まれてしまう気の弱い奥様方が後を絶たないのではないかと私は勝手に推測する。もしもこの前田美波里のお友達がアートネーチャーのサロンに行くのを断ったら、あの笑顔で毎日のようにパンフレットを持って「さあ、アートーネーチャーに行きましょ」と押しかけられそうだ。そしてもう1人のCMタレント大内順子であるが、この人から漂うのはひたすら「謎」のオーラである。おきゃんな小娘のような外はねカールに巨大なサングラス。「その人となりは目を見ればわかる」とはよく言うが、逆に言えば目が見えないということはその人がどういう人物か全くわからないということでもある。決してサングラスを外さないタモリや大内順子が圧倒的な神秘感を擁しているのはそんな所以である。大内順子がCMで「レディースアートネーチャーとのお付き合いも古いんですよ」と語っていてもそこには生身の人間としての温度が感じられず、まるでアブダクションの被害にあった体験談を語っているかのような、はたまたこれから人間を誘拐しようとしている宇宙人のような、そんな不穏な空気に包まれている。とにかく前田美波里にしろ大内順子にしろ、画面に現れた瞬間に私の目を釘付けにさせる恐ろしい魔力を秘めている。アートネーチャーのCMは強い磁場を持っている。それに惑わされないように日々自分を律していなければ正気を保っていられないかもしれない。 ワレワレハ宇宙人ダ
2004.01.10
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私の地元の駅付近の看板に「おとなとこどもの歯医者」というのがある。まあ要は普通の歯医者なのだろうが、わざわざ「おとなとこどもの~」と書くところが解せない。実際には、看板を見ているだけで足を運んだことはないのだが、どうにも妄想が膨らむネーミングである。果たして「おとなコース」と「こどもコース」が用意されているのだろうか。そしてその「おとなコース」はどんなコース内容なのかとか。女医さんが「ほら、どこが痛いのか言ってごらん」とか「さっさと口を大きく開けて奥歯をお見せ」とか「あ~あ、虫歯がこんなにグチャグチャじゃないか」などと言葉で攻めてくれるのだろうか。などと貧困な発想力で妄想を膨らませている次第である。私はアホです。わかってます。あと、京王線の千歳烏山駅(だったと思う)のプラットホームにある「女医生々堂」という看板もすごく気になる。「じょいなまなまどう」で良いのでしょうか。
2004.01.09
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今日は清水ミチコのトークライブに行ってきた。ウチは姉弟揃って清水ミチコが好きで、姉が予約したところ、たまたまチケットが取れたのでワクワクしながら姉弟で出かけた。会場は青山の草月ホール。草月会館というビルの中に組み込まれている演芸場だ。草月会館というビルは瀟洒で巨大な割に、ホールは収容人数400人弱と小さめ。贅沢な造りである。しかも本来は升席なのか桟敷席なのか、私たちが座ったイスはパイプ椅子だった。でも小さいホールであるがために、舞台と観客席の距離が非常に近い。2階席ということで双眼鏡を持って行ったのだが、全く必要なしだった。嬉しい誤算である。客層は割とバラバラ。男女比も半々くらい。年齢層も若者からシルバーグレーの方までと幅広い。独りで来ている人もいればカップルで来ている人も、はたまた男同士・女同士で来ている人もいた。7時過ぎて、北朝鮮のニュースのなりでスクリーンに清水ミチコが現れ、携帯電話の電源を切るように呼びかける。そして「リーブ21」のCMソングに乗せて清水ミチコ登場。観客のボルテージもギュンギュン上がる。今回のライブは飛び入りゲストが来るわけでもバンドを引き連れているわけでもない、正真正銘の単独ライブである。彼女にとっても4年ぶりのライブらしく、しかも今日が初日であるために若干緊張している様子。初めて清水ミチコを生で見たが、衣装もカジュアルな雰囲気で若々しい。しかもけっこうスタイルが良い。思ったよりメリハリのあるボディに年齢を忘れさせられ、ちょっとクラッ。ライブの内容はひたすらお得意のモノマネとピアノ漫談。爆笑に次ぐ爆笑。あまりにもネタが多すぎて、全てを覚えられない。「アグネス・チャン講演会」「田中真紀子講演会」というネタで笑わせた後は、多重人格患者の治療のていで大竹しのぶ・桃井かおり・高畑淳子(『白い巨塔』で石坂浩二の奥さんを演じている女優)・菊川怜・山口もえ・浜崎あゆみ・松任谷由実などなど、めくるめくモノマネオンパレード。他にも「ブルボンのお菓子に思いを馳せたピアノ漫談」や「綾戸智絵のテネシーワルツ」「岸田今日子で大きな古時計」など、彼女の巧みなピアノ演奏の数々。1部から2部に移るお色直しの間はスライド上映。観客に休憩する暇を与えない、彼女の旺盛なサービス精神が窺える。スライド上映は彼女の著書『これ誰っ!?』にも収録されている「一般人に溶け込み写真」を披露。渋谷のコギャルに溶け込んだり、原宿もゴスロリ集団に溶け込んだり。はたまた巣鴨とげぬき地蔵の爺婆に溶け込んだりとかなりツボ。そして2部は松任谷由実の「シャングリラ」ならぬ「ションボリラ」で幕開け。その後もひたすらモノマネが続く。えなりかずき・叶恭子・中村玉緒・北林谷栄・デヴィ夫人・瀬川瑛子・哀川翔・三原じゅん子・細木数子などなど。他にもいっぱい披露していたのだが、いかんせんレパートリーが多すぎて把握しきれない。今回は映像も多用し、彼女自身が制作した打ち込みの音源も使用しているために、奥行きのあるショーだった。私が一番楽しかったのは、彼女のピアノによる「アーティストの作曲法」である。今回は谷村新司・森山良子&直太郎&ムッシュかまやつの森山ファミリー・さだまさしなどを披露。要は彼らの作り出す歌のクセをピアノで表現しているのだ。清水ミチコの的確な表現に笑わせられつつも感動。アンコールは歌姫メドレー。一青窈・元ちとせ・中島みゆき・鬼束ちひろのモノマネをメドレーで披露。バックのスクリーンにテロップが映し出され、その内容にも爆笑。あっという間の2時間だった。椅子にゆったり深く腰掛けるヒマもなく、ずっと前のめりでガブリついて観ていた。彼女は本当に天才である。日本を代表するコメディエンヌ&エンターテイナーである。これは見といて損はない。次回があればまた行きたい。いや、絶対行く。
2004.01.08
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ちょっと前の話だが、友人のさわでさんがドラマ『ビギナー』のラテ欄が「カタカナが多くて面白い」と言っていた。タイトルも『ビギナー』とカタカナだし、メインキャストもミムラ・オダギリジョーとカタカナである。なるほど。ラテ欄のビジュアルというのも意外と重要かも。ならば「名前が2文字の俳優ばかりが出演するドラマ」ってのもラテ欄のビジュアル的に面白いかも。乙葉とか要潤とか谷啓とか鳳蘭とか。小雪とか優香とか照英とか三瓶とか。
2004.01.07
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清水ミチコが言っていたのだが、別荘地でおなじみの伊豆高原には「ジュディ・オング資料館」があるらしい。伊豆には「加山雄三記念館」もあるし、なかなか見所が多いようだ。ちなみに私はこの「加山雄三記念館」の前を通ったことがあるが、巨大な垂れ幕で「若大将カレー販売中」と書いてあった。若大将カレー…どんなカレーなのかと思いを馳せずにいられない。ヨットに乗ってプレミアムな気分になれそうだ。「ジュディ・オング資料館」には、かの名曲『魅せられて』の衣装やら彼女の歴史などが展示されているようだ。これはファンならずとも足を運びたくなることうけあいである。伊豆にいながらにしてエーゲ海の風を感じられるであろう。私は何年か前に「ジュディ・オング版画展」を見に行ったことがある。しかも独りで。なぜ行ったのかと尋ねられれば理由は1つ、「無料だったから」。平日のゆったりした午後にジュディ・オングの版画を眺めているのは案の定有閑マダムばかり。しかもジュディ・オングの版画はかなりの腕前。片岡鶴太郎の絵を見たときのような、はたまた田中健のケーナを聞いたときのような何とも言えないやるせない気分に襲われた。その版画の数々は即売されており、値段もウン十万とそこそこのお値段。版画ってよく知らないけど大量生産できるものなのでは?1つにつきウン十万取っていたのならば、そりゃ伊豆に資料館も建つなと今さら納得。そんなジュディ・オングの公式HPを拝見。本当にインターネットは便利である。コンコルドに乗ってパリからNYへ華麗に移動するスーパーモデルのような気分で飛躍した世界を覗くことができるわけだ。ビバIT革命。彼女のHPを見て思ったのは、ジュディ・オングという人はつかみ所が無い。というか活動の幅が広すぎる。歌手かと思えば女優でもあり、版画をやったかと思えば料理の本を出版し、アジア音楽親善大使をやっているかと思えば東京都私立中学高等学校テニス連盟の副会長である。ワールドワイドかつマルチな活動を意欲的に行っているようだ。脈絡が無いとも言えるが。ヤマトナデシコ七変化みたい。ジュディ・オングはヤマトナデシコじゃないか。驚いたのは、食品会社のニチレイとタイアップして「ジュディバランス」なるレトルト食品のようなものをインターネットで販売しているようだ。これにはさすがに「アンタ何がしたいの?」と思わずにいられない。すげーぜジュディ・オング。HP上の彼女の言葉にも含蓄がある。さすが才女と思わせられる。ひたすら優等生ぶっているアグネス・チャンとは一味違う。彼女が大切にしている言葉は「悦己悦人」。「自分が喜び、人が喜ぶ」という意味らしい。この言葉の例えとしてテレビゲームを持ち出し「敵を倒したときよりも、味方を救ったとこに得点を高くできないものでしょうか」と言っている。素晴らしくピースフルなお方である。また、彼女の言葉の中に「メールのやりとりはマスカレード(仮面舞踏会)」という言葉があった。このキレキレの言い回しにかなりグッときた。ということは私も毎日のようにいっそエクスタシー俺とエクスタシーとばかりに電磁波に乗せて仮面舞踏会を繰り広げているわけだ。非常に深い。また彼女は母親から「あなたが歩いてきた道より、わたしが渡ってきた橋をつなげたほうが長い」という台湾の言葉を言い聞かせられてきたそうだ。要は年長者の話は聞け、ということなのだがこのわかるようなわからないような回りくどい言い回しがたまらない。とても勉強になる。ジュディ・オングという人は「ヒラヒラした衣装で『魅せられて』を歌っている人」という印象では片付けられない、奥行きのある人だと言うことがわかる。私もジュディ・オングの中で眠りたい。ういんどういずぶろういんふろむじえいじあ~。って私も『魅せられて』で片付けようとしているじゃないか。
2004.01.06
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1月3日に放送された、『ブラックジャックによろしく~涙のがん病棟編~』をビデオ録画して観た。この『ブラックジャックによろしく』は週刊モーニングに掲載されていた人気コミックが原作である。2003年に連続ドラマとして放送されたもののスペシャル版として今回2時間ドラマとして復活したわけである。私はこの『ブラックジャックによろしく』はコミックを読んでいた。かなり売れていたようで、これはきっとドラマ化されるだろうなと思っていた。そしたら案の定TBSでドラマ化。先見の明ってやつかしらフフフ。しかし連続ドラマの時は、最初のうちは毎週観ていたが、妻夫木聡演じる斉藤の熱血っぷりにちょっと飽きてきて最後のほうはリタイアしてしまった。この斉藤が言っていることは確かに正論であるが、毎週毎週熱血っぷりを見せ付けられると少々キツい。自分の抱える状況に精一杯で周りの言うことにも耳を貸さず、果てには周囲の人間に当り散らす斉藤というキャラクターにイマイチ感情移入できなかった。医療モノドラマだったら、夏に放送された『Dr.コトー診療所』のほうが素直に感動できた。それはきっと沖縄の小島というロケーションの勝利であるかもしれないが。持っていた『ブラックジャックによろしく』のコミックも大掃除の際に全部ブックオフに売ってきた。確かに面白いし考えさせられるコミックなのだが、何度も読み返したくなるようなコミックではない。あっても読まないのなら邪魔なだけ。けっこう高く売れた。ウシシ。というわけで『ブラックジャックによろしく』が正月早々スペシャルとして帰ってきたわけだが、なんとなくビデオで観てみようかなと思っていただけなのでさほど期待してはいなかった。でも観終わった後の印象はなかなか良かった。今回も相変わらず正論を述べ続ける妻夫木聡の熱血っぷりも2時間だとそんなに気にならない。今回、斉藤が向かった研修先は第4外科。通称がん病棟である。そこで彼の指導医に当ったのは抗がん剤の研究に熱心な庄司(阿部寛)であった。斉藤と庄司は辻本良江(薬師丸ひろ子)という主婦を担当することになる。庄司は彼女の症状を「すい臓がんである」と告知。即座に手術に踏み切る。同じく研修として第4外科に在籍している出久根(加藤浩次)は抗がん剤に対して反感を抱いている宇佐美(石橋貴明)につき、胃がん患者である内海(伊東美咲)を担当することになる。そして斉藤は良江の肝臓にがんが再発していることを知る。とまあこんな感じの粗筋である。今回も「生と死」について真っ向から取り組んだ内容になっている。そして今回、死に直面する2人の女性役に薬師丸ひろ子と伊東美咲。薬師丸ひろ子演じる良江は平凡でありながらも幸せな主婦であった。かたや伊東美咲演じる内海まどかは、どういう境遇かは語られていないが、孤独でどこか捨て鉢になっている儚げな女性である。薬師丸ひろ子はだいぶ老けたな、という印象。でもその分病魔に冒される主婦という役どころにリアリティを感じることができた。老けてても、衣装が地味でもこの人にはやっぱり華がある。原作の良江はもっとオバサン臭いキャラクターだったが、薬師丸ひろ子というのはスペシャルに相応しいキャスティングだったのではないか。一方伊東美咲は、加藤浩次演じる出久根とひと時の恋愛感情を匂わせる役柄で登場。病室に飾ってある花を見て「ただ枯れるのを待つ花は嫌い。まるで私のようだ」と言う彼女を元気付けるために、出久根は病院の中庭にチューリップを植える。死の床に花をモチーフとして持ち出すところがやや古典的である。でも彼女の死を寓話的に描いているわけでもないのでそんなに嫌らしくない。美人が荼毘に付すシーンはやはり絵になる。その辺りが若干リアリティに欠け、テレビ局の作為を感じないでもないが。ここで死ぬのが伊東美咲でなく森三中の大島とかだったら意味合いが変わってくるかもしれない。そして今回のスペシャルのもう1つの軸が、阿部寛演じる庄司と石橋貴明演じる宇佐美の対立である。もともと2人は親友であったが、1人のがん患者をめぐって意見が対立して以来、ずっと対立関係となってしまったわけである。役のイメージとしては阿部寛が抗がん剤に意欲的な「動」、石橋貴明は延命治療よりも終末医療に重きを置く「静」である。石橋貴明のこの役柄がちょっと意外である。普段バラエティでみせる貴さんのイメージとは異なり、あまり多くを語らない寡黙な医師を演じていた。彼の芝居は決して上手くはないが、普段のイメージとは180度異なるために重みが出ていたと思う。一方の阿部寛も、実は心の中で葛藤を繰り返している医師役を好演。阿部寛も気づけば個性派役者である。昔はただの2枚目役者だったのに、上手く自分の個性を引き出した。この2人の対立というのも、なかなか見ごたえがあった。その分、他の役者たちの出演している価値が薄まってしまっていた。連ドラ時代から出演していた鈴木京香は斉藤に昔話を提供するだけの役柄。斉藤といい感じになる看護婦役の国仲涼子も単なる友情出演にとどまっている。はたまた第4外科の教授役の古谷一行も、出演する場面が少なく中途半端なキャラクターに終わってしまっていた。2時間という枠に全てを収めるのはどだい無理な話ではあるが、どうも釈然としない部分が残ってしまったのも事実。しかもラストのクレジットに「藤谷美紀」とあったが、どこに出ていたかわからなかった。HP見て納得。しかしやはり「生と死」については考えさせられるものがある。自分がもし「余命○年」と言われたらどういう感情を持つのか。絶望なのか、それとも残された人生を精一杯生きてやろうという希望なのか。それは実際その時になってみないとわからない。今回の放送の中で、薬師丸ひろ子が言う「絶望って、もっと全てが暗く見えるものだと思ってた」というセリフが印象的。生きているということは、逆に言えば「余命○年」という死へのカウントダウンを生きているということでもある。そんなことを思ったりした。死の床で、「最期に顔が見たい」と思える人がいればいいなと思った今日この頃。
2004.01.05
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今年の初バイトは2日から。「トラトラトラ、ニイタカヤマノボレ」とばかりに特攻してきた。その代わり、急遽3日と4日が休みになった。というわけで3日から4日にかけて、埼玉県入間市にお住まいの友人宅へ泊まりに行った。本来の目的はスーファミ祭と凧揚げだったが、肝心のスーファミは配線の仕方がわからず断念。気がついたら日が暮れていたので凧揚げもなし崩し的に断念。結果、黒ヒゲ危機一髪&プレステでいただきストリート祭と相成った次第。さんざん遊んだ後は腹が減ったので、スーパーへ買出し。この友人宅の付近には養鶏場があるらしく、夜になると鶏糞の芳しい香りが一帯を覆う。友人に気を遣ってハッキリとは言えなかったが、メチャメチャ臭いぞ。けっこう凄い環境で暮らしているんだなと同情のような尊敬のような念を抱く。夕飯は鍋に決定。鍋に出汁張って具材をブチ込めば良いだけなので手間がかからなくて良い。大根・豚肉・水菜・舞茸・魚介類各種・長ネギなどの具材の他に酒・菓子・果物缶・ジュース・アイスなどを買いこんでも1人頭1500円弱。安上がりで非常に嬉しい。鍋のベースは何にしようと協議した結果、「豆乳鍋」に決定。豆乳鍋の素が袋詰めで売られているのだ。ヘルシー志向の方々には重宝されている豆乳で鍋をしようという画期的なアイデアが素晴らしい。この豆乳鍋であるが、私が想像していたよりもサラッとしていてサッパリしていた。もっとミルキーでクリーミーなものを想像していたが、味もダシの味が強くそんなに豆乳感は強くない。なかなかの美味でござった。散々食って飲んだあとはゲーム大会。UNOをした後は、「面雀」大会。この面雀というのは、松本人志が『一人ごっつ』でやっていたもので、脈絡のない言葉が書かれた麻雀牌で面白い言葉を作るというもの。これを我々でもやってみようということになり、100枚くらいの小さな紙に次々と脈絡のない言葉を書きなぐる。それをグチャグチャとシャッフルして、思い思いの言葉を作る。「エロ笛吹き」とか「ロンリー桐島ローランド」とか大して意味も無いシュールな言葉を作った。私が一番ツボだったのは「元彼がチャゲ&飛鳥」。大爆笑。良い初笑いだった。こうして夜も更け、次の日は西武園ゆうえんちに行ってきた。西武園ゆうえんちには「アイドル共和国」なるものが存在するという話を聞いたので行ってみようということになったのだ。私にとっては初めての西武園ゆうえんちだったのだが、程よく枯れていて寒々しい雰囲気に心が和む。たまたま仮面ライダーショーが開催されていたのだが、集まっているギャラリーは30人もいないくらい。心なしか仮面ライダーたちにも覇気が感じられない。遠目で見ていると、仮面ライダー3人と司会のお姉さんでカルテット漫談をやっているようにも見えなくない。子供たちのリアクションもかなり薄く、なんだか切なくなってしまう仮面ライダーショーだった。さて、お目当ての「アイドル共和国」であるが既に国家としては滅亡したようで、何人かのアイドルの手形が残っているだけだった。男闘呼組・西村知美・相川恵里・光GENJIなど80年代後半から90年代にかけて活躍したアイドルたちの手形の数々が寒々しい屋外に展示してあった。近くにいた小学生と思しき少年たちは「誰コレ?知らね~」と言っていた。そりゃ平成生まれは知らんわな。80年代は遠くになりにけり。せっかく遊園地に来たのだから乗り物にも乗りたい。というわけで観覧車・魔法のじゅうたん・ジェットコースターに乗ってきた。富士急ハイランドほどの勢いもなく、かといって浅草花やしきのようなローファイな感じもなく、程よく楽しめた。途中でミシミシ鳴ったり、手すりが微妙にユルかったりと、ある意味で絶叫マシーンな数々を堪能した。これが私の今年の遊び初めである。正月早々埼玉県で遊ぶというのも滅多にないことである。なかなか楽しかった。数々のスポットを案内してくれたPちゃんに感謝感謝。 「アイドル共和国」の残骸・長山洋子の手形つはものどもが夢のあとってか。
2004.01.04
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正月はホントにテレビがつまらない。しかも1つの番組につき2~3時間もしくはそれ以上の放送になるので、つまらなきゃずーっとつまらないわけである。仮装大賞もかくし芸大会もマンネリを超越したマンネリ。というわけで、今年の元日は何となくTBS系列で放送されていた『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』を観た。元日からマッチョな兄貴祭である。この番組は初めて見たのだが、どうやら今回はケイン・コスギにとっては雪辱戦になるらしい。しょっぱなからケインの目が違う。にこやかなバーモンド先生の表情ではなく、獲物を狙う猛禽類のような目である。怖い。まさにマッスルヒートである。この番組は、様々なアスリートたちが一同に会して大運動会を行うといった非常にシンプルな番組であるが、そこに和気藹々としたアハハウフフなムードはほとんど無く、みな至って真剣である。真剣と書いてマジである。行われる競技はバカみたいにデカい跳び箱だったり、綱でトラックを引っ張ったり、大玉転がしだったりと様々である。最初は何となく観ていただけの私も、次第に力が入ってしまった。誰かが失敗したりすると「ああ~」と悲痛な声を上げてしまったりしていた。東京フレンドパークといいこの番組といい、この手の番組は視聴者を強引に巻き込む力を持っている。ラグビーやアメフトの選手たちは、割と和やかなムードで競技をこなしていたが、ケイン・コスギと池谷直樹は至ってマジであった。特にケイン・コスギは笑顔いっさい無しである。きっとこの人は頭にバカがつくくらい真面目な人なのだろう。誰か他の人が競技に成功したとき、アメフトやラグビーの選手は笑顔で「すげーなアイツ」みたいな表情であるのに対し、ケインは軽く一瞥そしておざなりな拍手。ケイン・コスギのファンだと言っていた我が姉も「ここまで真剣だとちょっと引く」と言っていた。ケイン・コスギのファイティング・スピリットを垣間見たような気がした。東尾理子も大変であろう。そして池谷直樹であるが、この人の肩書きはいったい何になるのか気になった。一応この番組は「スポーツマン」ということで出場制限がかけられていたのだと思われるが、池谷直樹はスポーツ選手というよりはタレントに近い。それはケイン・コスギにも言えることではあるが、ケインはもはや別格として扱っても差し支えないと思われる。しかし池谷直樹はタレントと言っても微妙なラインである。この手の番組以外に出演している番組を私は知らない。池谷直樹から感じ取れるしょっぱさはそんな曖昧な立ち位置に由来しているのかもしれない。他の出演者たちはその世界では一流のアスリートたちである。だからどこか風格が漂っている。しかし池谷直樹には風格が無く、どこか畑違いのような曖昧な雰囲気が漂う。兄の幸雄のようにオリンピックでメダルを取ったわけでも、私生活での女ぐせの悪さも無い。やたらと自己主張して、別に求められてもいないのに上半身裸になって肉体を誇示しても彼の微妙なポジションが露呈するだけであった。池谷直樹の事情はなんだかちょっと切実。しかしマッチョな彼らのストイックな姿勢は見ていて怖くなる時がある。いったい彼らは何のためにそこまで己を追い込んでいるのだろうか。小中学校時代、「勉強ができる」というのと「スポーツができる」というのはヒーローになるための2大要素であった。私も親からよく「勉強しなさい」と口うるさく言われたものである。そこにはきっと「勉強すればきっと将来食いっぱぐれることがない」という意味があったのだと思う。しかし「スポーツができる」という人の行きつく先はあまりにも不明瞭である。もちろん松井秀喜やイチロー、中田英寿のようにスポーツでトップクラスの地位を築いている人もいる。でもやはりそれは氷山の一角であり、スポーツで飯が食えるという人はほんの一握りであろう。そこでこの『スポーツマンNo.1決定戦』であるが、やはり彼らがどこに行き着くのかが見えにくい。決して見返りを求めることなく、己の肉体を酷使しているのである。トラックを綱で引っ張ったところで何の役に立つというのか。きっと一生役に立つことはないだろう。それがスポーツマンシップというヤツかもしれない。そんな風に、決して見返りを求めていないというところが凄いと思いつつもちょっと怖い。彼らは鍛え続けてどうなってしまうのか。それは「その先が見えない」という点でちょっと「死」や「セックス」に似ているかもしれない。己の肉体に秘められた相当なポテンシャルを引き出そうとしている彼らに複雑な感情を抱いてしまった。しかし元横綱の曙の脚の細さにびっくりした。あれほどの巨体をあの細い足で支えているのか。そりゃボブ・サップにあっさり負けるのも無理はない。
2004.01.03
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というわけで昨日の続き。○森山直太朗(初)『さくら(独唱)』 後半戦は彼のアカペラからスタート。直太朗節満載である。彼の目はなんとなく暗い。オダギリジョーの目と共通する暗さである。何が彼をそうさせるのか。そしてやっぱり独唱だった。当たり前か。○浜崎あゆみ(5)『No way to say』 浜崎あゆみは年末になると出ずっぱりである。だから浜崎を観るというよりは、むしろ後ろのヨッちゃんこと野村義男を目で追ってしまう。今回ははっきり映らなかったけど、貴方ヨッちゃんですよね?○ゆず(初)『夏色など…』 ゆずは二元中継で横浜伊勢佐木町の松坂屋前から。二元中継だと紅白というよりもザ・ベストテンみたいだ。ギャラリーが凄い人数。しかもほとんど女。ゆずの支持層を垣間見ることができた。歌う曲が夏色なのにとても寒そう。○一青窈(初)『もらい泣き』 一青は葬式帰りのようなアミアミベールを頭に装着。縁起が悪い。後ろでパーカッションを叩いていたのは私もライブを観に行ったことがあるUooMooというバンドの裕子さんであるらしい。相変わらずエモーショナルな叩きっぷりである。○TOKIO(10)『AMBITIOUS JAPAN!』 この曲は最初嫌いだったのだが、聴けば聴くほど好きになってきたような気がする。これも筒美京平マジックか?気がついたら口ずさんでいる。あぶねえあぶねえ。ハマる寸前。○aiko(2)『えりあし』 TOKIOの後にaikoとは意味深な曲順である。NHKのワイドショー的作為を感じる。しかしaikoは可愛い。顔の造作というよりも全体的な風貌が愛らしい。げっ歯類のようだ。なぜかバックに巨大なアンモナイト。○はなわ(初)・テツandトモ(初)『佐賀県なんでだろう~スペシャル合体バージョン~』 お笑い2組がいっしょくたにされて登場である。はなわは吉野ヶ里遺跡を意識してなのか、はたまた「はなわ」という名前をかけてか埴輪姿で登場。はに丸を思い出しちょっとメランコリックな気分に。最初で最後であろう紅白の舞台ということで、暴れ放題。バックのダンサーに囲まれて歌っている本人が見えなくなるというアクシデントもご愛嬌。○Every Little Thing(7)『またあした』 相変わらずで特に印象深くもない。ただ持田香織は歌い方に変な癖がついてきたように思える。○CHEMISTRY(3)『YOUR NAME NEVER GONE』 おケミももはやベテランのような貫禄である。今回の紅白は全体的に見てストリングスを多用している。「年末だからゴージャスに行こうぜ」ということであろうか。堂珍は歌うときに首が小刻みにカクカク動くのが気になる。この2人は声質が酷似しているので、どっちが主旋律でどっちがハモリなのかわからない。わかったところでどうにもならないが。○島谷ひとみ(2)『元気を出して』 人の褌で相撲を取り続けている島谷が、またもやカヴァー曲で登場。ギターは押尾コータロー。島谷の衣装であるグレーのふわふわしたドレスが綿ボコリに見えてしょうがない。大掃除を終えた後なので雑巾でふき取りたくなった。○美川憲一(20)『さそり座の女2003』 御馴染みの衣装対決で、先攻は美川憲一。今までに比べたら地味な印象。むしろダンサーの流石組さそり隊が気になる。ラストにボブ・サップがどうのこうの言っていた。NHKが民放を意識するなんて、大晦日の王者・紅白歌合戦の地位失墜を感じた。○小林幸子(25)『孔雀』 歌の内容は貧しい感じなのに、あの衣装で歌われても信憑性がない。孔雀ということで後ろに万華鏡みたいなのがグルグル回っていたが、そんなもんじゃもう視聴者は驚かないだろう。実は衣装(というかセット)が正しく作動していなかったらしい。美川憲一がコンセントを抜いていたのか?○平井堅(3)『見上げてごらん夜の星を』 黄泉の国の坂本九をこの世に召還してデュエットするという恐山のイタコのような荒業を成し遂げた平井堅。しかし彼の顔は濃い。例えて言うなら中濃ソース顔か。これを見た国民年金支給者は鬼畜米英を思い出したかもしれない。○藤あや子(12)『曼珠沙華』 藤あや子は山口百恵のカヴァー曲で登場。やさぐれた巫女のような衣装でヤンキー感バリバリ。木村一八の影響かと勘繰ってみたら破局騒動が。どうでもいいっちゃどうでもいい。尺八は藤原道山、期せずしてお顔拝見だった。○中島美嘉(2)『雪の華』 中島美嘉はなぜあんなに辛そうに歌うのか。この『雪の華』はハッピーな曲のはずなのに、彼女が歌うことで寒々しいオーラで背筋が凍る。「祝・紅白出場」というよりは「呪・紅白出場」という雰囲気。○ゴスペラーズ(3)『新大阪』 黒装束集団・ゴスペラーズの勘違いっぷりを誰か指摘してあげたほうがいいと思う。デビューしたときはカジュアルな初々しい雰囲気だったのに、気づいたら八王子あたりのホストみたいだ。「俺らカッコいいっしょ?」とでも言いたげな風貌が癪に障る。特にメインボーカル。○坂本冬美(15)『あばれ太鼓』 休養期間を経て復帰した坂本冬美はマッチョな兄貴を従えて登場。それにつられて冬美兄貴の歌にも熱がこもる。首に青筋立てて歌う姿に男らしさを感じてしまった。感極まったのか兄貴に囲まれて涙。「これは涙じゃねえ、汗だ!」とでも言いそうな冬美兄貴だった。○細川たかし(29)『浪花節だよ人生は』 坂本冬美の涙をムダにするかのような能天気な歌で登場したのは細川たかし。故・三波春夫の亡霊でも乗り移ったかのような能天気っぷりに心が和む。しかし目が笑っていないのが三波や細川の特徴。今回の紅白では、往年のヒット曲を歌う人が目立つ。守りに入っているのか。そんな懐古主義的な様相で「明るい未来を見据えて」とか言われてもなあとため息。○森山良子(8)・BEGIN(2)・夏川りみ(2)『涙そうそう』 今回、素直に一番聴きたかったのはこの曲。だっていい曲じゃないすか。久々に老若男女問わず「いい曲だ」と思える曲が出たと思う。そしてまたBEGINの歌声が滋養たっぷりで疲れた心をほぐしてくれそうだ。○倉木麻衣(初)『Stay by my side』 初出場となる倉木麻衣は京都の東寺から中継。多数の仏像の前でStay by my side。瀬戸内寂聴もびっくりだろう。そして常に倉木麻衣の後ろには変な黒人が。○長渕剛(2)『しあわせになろうよ』 今回の目玉の1つである長渕剛。ギターをかき鳴らしてメチャメチャやらかしてくれるのかと思ったら、実に真っ当な歌だった。しかもけっこういい曲。私にとってはニュー長渕を垣間見た気分である。筋金入りの長渕ファンに怒られそうだが。○和田アキ子(27)『古い日記2003 KOUHAKU Remix』 若い世代に媚びているのか、『古い日記』をダンスとラップを交えて披露。でもやはりオリジナルを超えられない。和田アキ子の歌声もかつての張りが失せたように思える。ラップもDJもお粗末。○五木ひろし(33)『逢えて…横浜』 五木ひろしといえば横浜である。ということでこの選曲らしい。私はこの人の魅力がイマイチわからない。歌唱力で言ったら森進一のほうが上だと思うし、キャラ的な魅力でいったら吉幾三のほうが立っている。わからん。○石川さゆり(26)『能登半島』 この歌も往年の曲らしい。ド演歌であるために、私にはどうにもピンとこない。ただただ「石川さゆりのホクロってこんなにデカかったか?」と思っていた。○北島三郎(40)『風雪ながれ旅』 満を持してサブちゃんの登場である。40回目の出場というから凄い。宇宙に渦巻くブラックホールのような2つの鼻孔が彼のキャリアを物語っているような気がする。そこには数多の人間の愛憎がとぐろを巻いているに違いない。○川中美幸(16)『おんなの一生~汗の花~』 ウチの祖母が今回の川中美幸の衣装を見て「振袖かいな」と言っていた。いい歳して振袖はタブーだが、歌手はそんなの構わずに着ている。むしろ振袖着てなんぼの世界である。頑張ってください。○天童よしみ(8)『美しい昔』 紅組のトリは天童よしみである。そしてまた歌のタイトルが『美しい昔』とは懐古的甚だしい。だが歌は上手い。田村亮子に柔道があったように、天童よしみには歌があったわけだ。これも神の思し召しか。○SMAP(12)『世界に一つだけの花』 今回の大トリはSMAPである。確かにこれに異論を唱える人はいないだろう。個性がバラバラなSMAPは歌もバラバラである。キム様こと木村拓哉が一人でオカズたっぷりに歌い上げていて暴走気味だったのが印象的。紅白大トリに関してはSMAPの勝利というよりは楽曲の勝利であろう。ああ、全曲書いてしまった。これを読んでいる方、いかに私がヒマかということをどうぞ笑ってください。今回の紅白で一番印象深かったこと、それはラストの『蛍の光』を指揮している宮川泰先生のタクトが年々デカくなっているということ。それに尽きる。
2004.01.02
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あけましておめでとうございます2004年です。年末はどう過ごされましたか?私はみっちり紅白歌合戦である。最初から最後まで一瞬たりとも逃さずに観たのは今年が初めてかもしれない。そんなわけで年始もヒマな私は紅白歌合戦の感想でも。○BoA(2)『DOUBLE』 韓国の歌姫・BoAが今回のトップバッターである。ホントにこの娘は度胸が据わっている。出場歌手としては唯一日本国籍を持たない人。貫禄たっぷりにアニョハセヨー。○w-inds.(2)『Long Road』 白組トップバッターは中高生女子のアイドル・w-inds.である。バックの2人は空中からワイヤーに吊るされ登場。首吊り死体のようで縁起が悪い。ボーカルの彼(名前知らない)は声変わりしてから声の通りが悪くなった気がする。○後藤真希(初)『オリビアを聴きながら』 ソロとしては初出場となる後藤真希は杏里の『オリビアを聴きながら』をカヴァー。なぜ紅白の舞台でこの曲を?しかも短パンへそ出しという露出過多な衣装で。お茶の間の青少年たちは目のやり場に困ったであろう。バックにモーニング娘。のメンバーを従えての歌ということで、ハロプロのバックアップあってこそのごっつぁんであることを実感。○175R(初)『空に唄えば』 恥ずかしながら175Rの歌は初めてちゃんと聴いた。変な声である。この『空に唄えば』という曲はどこかで聴いたことのあるような懐かしい感じがしないでもない。とりあえずお茶の間の国民年金支給者の皆さんはポカーンとしたであろうことが推測される。○愛内里菜(初)『FULL JUMP』 愛内里菜が紅白出場とは、今年の音楽シーンがいかに大飢饉だったかが窺える。彼女はいきなり小林幸子ばりのスケールで登場し度肝を抜かれた。初出場であそこまでやるとは。裏で美川や小林に小突かれていたのではないだろうか。○EXILE(初)『Choo Choo TRAIN』 EXILEは相変わらずダークな雰囲気で登場するもワンサカした子供たちを従えるといったハートフルな雰囲気を狙ったのか何なのかわからない演出で熱唱。しかしこのクソガキどもの表情が癪に障る。北朝鮮の子供の笑顔のほうがまだ可愛い。○長山洋子(10)『じょんがら女節』 気づけば長山洋子も演歌界のベテランである。なんだか趣味の悪い着物で水商売のようである。しかし三味線の腕前はなかなかのよう。着物で三味線かき鳴らし熱唱というのもなかなかソウルフルである。○山本譲二(12)『みちのくひとり旅』 サブちゃんファミリーの側近・譲二兄さんはこんなに早い順番で登場である。白組だから仕方ないといえば仕方ないが、白いスーツというのはまるでヤ○ザのようだ。白いスーツが似合うのは白竜で十分である。○水森かおり(初)『鳥取砂丘』 この人は名前すら知らなかった。情報によるとまだと言うべきかもうと言うべきか30歳である。老けてらっしゃる。演歌界では遅咲き?それとも早咲き?鳥取砂丘という必然性があまり感じられない歌である。ま、ご当地ソングなんてそんなもんかも。○山川豊(10)『函館本線』 太った。小林旭のような太り方である。いいもん食ってんだろうな。それだけ。○香西かおり(12)『無言坂』 この曲は玉置浩二作曲らしい。聴けばド演歌である。玉置浩二という人は引き出しが多い人である。香西かおりという人は、なんというか突っ込むところが少ない、ソツがない人であるという印象。○前川清(13)『東京砂漠』 私はなんか前川清が好きである。演歌歌手というとオカズたっぷりに歌う人が多いが、この人はひたすら朗々と歌う。そこに歌手としてのストイックさを感じる。都会の無機質さに女心を交えながらの『東京砂漠』。名曲である。○モーニング娘。(6)『Go Girl~恋のヴィクトリー~』 モーニング娘。もマイナーチェンジを図りつつも6度目の出場である。ここまで保つとは思わなかった。紅白だからと意気込む様子も無く、常にプロフェッショナルな歌とダンス。スキが無い。○Gackt(3)『Last Song』 Gacktは中央ステージではなく、客席内に設置された特設ステージで熱唱。髪の色か目の色か、いつもとどことなく違う印象。でも相変わらず耽美系。○松浦亜弥(3)『ね~え?』 彼女もホントにスキが無い。あれほどまでにブリブリしててもイヤミじゃないのは天賦の才能かもしれない。バックに登場したBSのキャラクター「どーもくん」が曲に合わせて踊っているのが可愛かった。あややよりも可愛かった。○布施明(19)『君は薔薇より美しい』 布施明は往年のヒット曲で登場。ラッキィ池田振り付けによるレビュー風。さながら独りミュージカルの様相。これはもう布施明の独壇場である。○鳥羽一郎(16)『兄弟船』 兄弟ともに太った。しこたま儲けてんだろな。バックにTOKIOが参加。やらされてる感たっぷりに旗を振っていた。これこそ紅白の醍醐味。○神野美伽(2)『浮雲ふたり』 彼女のブラウン管を通しても立体的な髪型がウチの母親曰く「サザエさんみたい」。そう言われたらサザエさんにしか見えなくなってきた。○堀内孝雄(15)『河』 なぜか藤田まことが登場。「はぐれ刑事」のサブリミナルか。おでんの屋台をセットに置いた、人情芝居風味。そこでの川中美幸の割烹着が似合いすぎ。笑えた。○石原詢子(2)『ふたり傘』 この人も初めて聞いた名前である。外見からするとまだ若そうだ。紅白といえば花柳糸之先生の振り付けである。モーニング娘。の面々が踊るその舞台はさながら和風レビュー。○伊藤多喜雄(2)『TAKIOのソーラン節』 この人もいったい誰だ。2回目らしいが見たことが無い。アイメイク&ドーランばっちりのその姿に生理的嫌悪感。舞台栄えしない短身で激しく唄い踊る姿にカメラが追いついておらず、見てるこちら側も落ち着かない。ソーラン節でありながらもドラムやらストリングスや金髪ねえちゃんのコーラスを含んだアバンギャルドを装った造り。ドラムは村上“ポンタ”秀一に見えたが気のせいか。○綾戸智絵(初)『テネシーワルツ』 この人の歌声も生理的に苦手である。『テネシーワルツ』は名曲中の名曲であるが、彼女が歌うとその良さを全部殺している。それをオリジナリティというのかどうかは判断がつきかねるところである。○華原朋美w/コロッケ(5)『ありがとね!』 今回の私の中での1つの目玉であった、華原朋美である。日本中の何万人かが「どうしてオマエが?」と思ったであろう。とりあえずNHKに売り込んだその功績であろう。かつて森口博子が、ヒット曲が無いにも関わらず紅白に出続けたのと同じ要領である。しかも華原にはコロッケのおまけつき。こう書くとまるで定食屋みたいだ。コロッケは歌う前のモノマネは面白いが、歌はかなり本気モードだったので減点。○谷村新司(16)『いい日旅立ち・西へ』 『いい日旅立ち・西へ』は山口百恵に提供した曲をリアレンジし鬼束ちひろに提供。そしてまた伝書鳩のように谷村新司の元に帰ってきた。でもやっぱり『いい日旅立ち』は北に向かってくれないと雰囲気が出ない。西ってなんか陽気な感じだから。○ZONE(3)『secret base~君がくれたもの~』 ZONEは2度目の登場だが、メンバーが1人脱退するということでこの曲を。どうでもいいが、脱退する女の子は一青窈に似ている。○さだまさし(15)『たいせつなひと』 さだまさしは最近『精霊流し』『解夏』と自身が執筆した小説の映画化が相次いでいる。もしマイクという武器を失ってもペンという武器がある安定感が漂っている。さだまさしの歌声は辛気臭いのであまり好きではない。○女子十二楽坊(初)・錦織健(2)『自由そして荒城の月』 BoAが唯一の日本以外の国籍だと書いたが、女子十二楽坊を忘れていた。十二人もいるのにどこか存在感が薄い。凝固した笑顔を振りまく彼女達は北朝鮮の美女軍団を彷彿とさせる。そしてオペラ歌手の錦織健である。舞台中央のスッポンからせり上がって登場。変な髪形。そしてなぜ『荒城の月』?もっと面白みのある歌を歌えばいいのに。○安室奈美恵(9)『SO CRAZY』 安室姐さんはお得意のブラック路線で。『SO CRAZY』。乱暴に訳すと「とってもキチガイ」。ギリギリである。○森進一(36)『狼たちの遠吠え』 長渕剛が提供した歌を、バックに長渕本人を従えて登場。長渕曰く「森進一の声には野性味を感じる」とのこと。確かにそれは感じる。前川清と同様、派手な装飾を嫌いとことん無駄なものを削ぎ落としたステージにストイックさを感じた。ここで紅白は前半戦終了。私の紅白日記もいったんここで前半戦終了。初の2部構成である。単に疲れただけであるが。続きはまた明日。
2004.01.01
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