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日本を動かしている「エリート」が日本を「共同体」とは考えていないことが、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって再確認された。 大企業の経営者、そうした大企業と結びついた政治家、官僚、学者、そして報道機関にとって、庶民は富を搾り取る対象にすぎない。しかしエリートたちがここまで庶民の命を軽く考えているとは、多くの人が思っていなかっただろう。人間を魚雷やミサイルの「自動操縦装置」くらいにしか考えていなかった日本軍の作戦参謀と大差がないと言える。 長年の間、日本の政府、マスコミ、教育機関は原発を安全な発電方法だと宣伝、洗脳、教育してきた。そして原発の「安全神話」が作り上げられたわけだが、こうした神話が広がると神話を「エリート」も信じはじめる。そうなるとカルトの領域だ。福島第一原発で「過酷事故」が起こる前、日本は「原発カルト」の国になっていた。 当初、日本政府は嘘で神話の崩壊を誤魔化し、カルト体制を維持しようとしたのだが、フリーランスのジャーナリスト、内外の環境保護団体、事実に向き合う勇気を持った一部の科学者、そして庶民自身などの手で嘘は次々に暴かれていった。カルト体制を支えているマスコミは嘘の拡散に努めていたが、インターネットによって事実は暴かれつつある。エリートたちにしてみると、「秘密の保全」に失敗したわけだ。 ある体制で実際の主権者が誰なのかを知りたいなら、資金と情報の流れを見れば想像がつく。日本の場合、資金は一部の大企業に集中する仕組みで、その周辺には一握りの富裕層が取り巻いている。中曽根康弘政権で新自由主義経済に踏み出して以来、そうした傾向は強まった。そんな特権集団の外にいる庶民は急速に貧困化している。 情報に関しても、日本の庶民は主権者として扱われていない。主権者が知るべき情報を握っているのは一部の官僚、政治家、財界人だ。ところが、福島第一原発の事故でエリートが情報を隠し、嘘を発信していたことが後に露見してしまう。事実を隠すことは可能でも、事実を隠していることは隠せなかった。 政府や東電の嘘が次々と明るみに出ていた2011年8月、「有識者会議」が「秘密保全法案」に関する報告書をまとめた。官僚の書き上げた法案を「有識者」の名前で公表したということだろう。行政機関が決めた「秘密」を暴いたら、最高で懲役10年を科すのだという。今回、原発の事故で政府や東電の嘘を暴いた人たちは、当然、処罰の対象になりそうだ。 この法律が住民基本台帳ネットワークとつながるのは時間の問題だろう。個人情報の調査対象は、氏名、生年月日、住所歴、国籍、本籍、親族、学歴、職歴、犯罪歴、懲罰処分歴、渡航歴、通院歴などでは収まらないはず。 アメリカ国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)が進めたTIAなるプロジェクトでは、個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆる個人情報の収集と分析を目的にしていた。当然、日本政府も同じことを考えているはずだ。 そのアメリカでは現在、憲法の規定は機能を停止している状態にある。当局は令状なしに盗聴も逮捕も気ままにできる。12月に上院と下院で可決された「国防権限法」が発効すると、「テロ容疑者」と認定された市民を令状なしに無期限、軍の施設で拘束できる。軍事国家に移行するというだけでなく警察の重武装化も進んでいるのだが、それだけ体制が揺らいでいることを示している。 アメリカ政府は「テロ容疑者」を拘束するだけでなく、法律で定められた手続きを経ずにアメリカ市民を殺害するようになっている。その際、無関係な子どもを巻き添えにしても平気でいられるのがアメリカだ。こうした暗殺を公然と批判しているのが共和党の大統領候補、ロン・ポール。このところ、メディアから激しく攻撃されている人物である。 今から60年近く前、1952年に日本はアメリカの指示に基づいて一種の情報機関を設置した。内閣総理大臣官房調査室(内閣調査室)である。初代室長は国警本部の警備部警備第1課長だった村井順。後に綜合警備保障を創設した人物だ。 当時、内閣調査室で仕事をしていた人物によると、調査は全て下請けに回され、下請け団体は2通の報告書を作成していたという。1通は内閣調査室向け、もう1通はCIA向けなのだが、CIA向けの報告書は内閣調査室向けの10倍程度の厚さがあったという。内閣調査室を中心にする仕組みは、アメリカの情報ネットワークだったということだ。 1986年、内閣官房組織令の一部改正で内閣調査室は内閣情報調査室に組織替えになるのだが、WikiLeaksが公表したアメリカの外交文書によると、内閣情報調査室の下に新たな情報機関を設置する動きがあるのだという。 この問題に関し、2008年10月には内閣情報官の三谷秀史がランダル・フォート米国務省情報調査局長と会談し、HUMINT(人を使った情報活動)について話し合っている。福田康夫と麻生太郎両政権で新機関設置が決まり、この話し合いになったようだ。こうした動きと秘密保全法の成立を急ぐ動きは連動しているのだろう。 1985年に自民党の議員が「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」、いわゆる「スパイ防止法」を提出したのだが、その時に元特務機関員の知人は笑いながらこんなことを言っていた:「そんな法律があろうとなかろうと、情報をとるのが情報機関員の仕事だ。」 そうした法律で縛られるのは一般庶民だということ。アメリカの例を見ても、そうした法律が取り締まる対象はスパイや「テロリスト」ではなく、権力犯罪を追及したり戦争に反対する個人や団体である。「国家安全保障上の秘密」とは、ほとんどの場合、「権力者の不正行為」と同義語だ。
2011.12.31
2011年に起こった最も重大な出来事・・・日本の場合は間違いなく東電福島第一原発の事故だろうが、世界的には「アラブの春」らしい。チュニジアから始まり、エジプト、湾岸諸国、リビア、シリアなどに波及、アメリカでもウォール街を占拠しようという運動が起こっている。 リビアやシリアの場合、外国の介在が明確であり、単純に「民主化運動」と呼ぶことはできない。リビアの場合、アル・カイダ系の武装勢力が英仏米軍と手を組んでアンマル・アル・カダフィ体制を倒している。 この流れはアフガニスタンでの工作を思い起こさせるものだった。モハメド・ダウドが無血クーデターで王制を倒した1973年、アメリカ政府はアフガニスタンの反体制派に資金を供給し始めている。 1976年頃になるとダウドはアメリカに接近、アメリカとイラン(王制)の情報機関、つまりCIAとSAVAKの協力を得て軍の内部から左派の将校を排除、人民民主党を弾圧するだけでなく、「死の部隊」を使って大規模な左翼狩りを実行している。このダウド政権を1978年に倒したのがモハメド・タラキ。タラキ政権が成立すると、CIAは再び反体制運動の支援を始めたようだ。 1979年4月、ズビグネフ・ブレジンスキー米大統領補佐官は反体制ゲリラの支援工作を開始、5月にはCIAイスタンブール支局長がパキスタンの情報機関ISIの仲介でアフガニスタンの有力者と会っている。そこで反政府派の指導者に選ばれたのが麻薬業者でもあるグルブディン・ヘクマチアル。7月にはジミー・カーター米大統領が反政府武装勢力に対する秘密支援を承認、9月にタラキは暗殺された。そして実権を握ったのがハフィズラ・アミン。 このアミンを警戒し、ソ連政府は特殊部隊や対テロ特殊部隊を投入、12月には機甲部隊を侵攻させてアフガン戦争が始まる。CIAはイスラム武装勢力を編成し、爆弾製造や破壊工作の方法を伝授、都市ゲリラ戦訓練なども実施した。オサマ・ビン・ラディンや彼の部下もそうした訓練を受けた一部だとされている。このころ、ビン・ラディンたちは「自由の戦士」だ。そしてアフガニスタンはイスラム武装勢力を生み出す場所になる。 その後、ビン・ラディンは「テロリスト」の象徴になる。そして「テロとの戦争」を始め、国内を一気にファシズム化することに成功した。 ところが、2011年になると、アメリカ政府は再びイスラム武装勢力を「自由の戦士」として使わなければならない状況になる。そうした中、2011年5月2日未明にSeal(米海軍の特殊部隊)の「チーム6」がビン・ラディンを「暗殺する」という見世物が演出された。 当時、すでにビン・ラディンは活動を指揮できるような状態ではなかった可能性が高く、銃撃戦もほとんどなかったようで、死体の様子も明らかにされていない。 このところ、シリアではトルコ政府の保護を受けた「SFA(シリア自由軍)」(反乱兵と傭兵の混成軍と言われている)がシリアに越境攻撃を繰り返しているようだが、この武装勢力をアメリカ軍やNATO軍が訓練し始めたのは2011年の4月か5月と言われている。ビン・ラディンの「暗殺」と同じタイミングだ。リビアに英仏米軍が軍事介入したのは3月だった。 そして今、アメリカやイギリスは「自由の戦士」を使い、まつろわぬ体制を潰し始めている。そうした「戦士」の中にアル・カイダ系のグループが含まれている。 ところで、1982年7月、ローマのフィウミチーノ空港で「極秘文書」が発見された。スーツケースの底に作られた隠しスペースの中から発見されたのである。スーツケースの持ち主はマリア・ジェッリ。イタリアの非公然結社P2を動かしていたリチオ・ジェッリの娘だ。 その中に「安定作戦、情報 - 特別分野」という極秘文書のコピーが含まれていたという。日付は1970年3月18日で、文書作成の責任者はウィリアム・ウエストモーランドとなっていた。モーランドといえば、1968年3月までベトナムでMACV(南ベトナム援助軍司令部)の司令官を務めていた人物だ。 アメリカ側はこの文書を偽物だと主張しているようだが、その文書には次のようなことが書かれていたという。 友好国政府が共産主義者の脅威に対する警戒心をゆるめている場合、友好国の政府や国民を目覚めさせるために特殊作戦を実行しなければならない。 つまり、国民の間に寛容な雰囲気が広がって平和を望む人が増えてきたなら、何らかの行動を起こして人々に「恐怖」を思い出させなければならないとしている。この文書が本物のコピーなら、「テロリスト」はアメリカの友人ということになるだろう
2011.12.30
1999年3月のユーゴスラビア空爆にしろ、2001年10月に始められたアフガニスタン戦争にしろ、2011年3月に開始されたリビアに対する軍事介入にしろ、攻撃側としてNATO軍が表に出てきた。現在、バラク・オバマ政権はシリアやイランへの軍事介入も視野に入れているようだが、その時にはやはりNATO軍が出てくるのだろう。 シリアの場合、アメリカ国務省は以前から反政府派に資金を供給、今年の夏頃からはイギリスやフランスがシリアの亡命組織と接触している。それだけではなく、NATOのメンバーであるトルコは「SFA(シリア自由軍)」を使い、事実上、軍事介入を始めている。 アメリカ軍が隠れ蓑に使っているように見えるNATO軍。1949年4月、ソ連の軍事侵攻に備えるという名目で組織されたのだが、当時のソ連はドイツとの戦争で疲弊し、西ヨーロッパに攻め込む余力はなかった。こうした事情をアメリカやイギリスは熟知、だからこそソ連に対する先制/奇襲攻撃を計画している。 先ずイギリス。ウィンストン・チャーチル英首相はドイツが降伏した直後の5月、数十万人の米英両軍と再武装させたドイツ軍10万人でソ連を奇襲攻撃する「アンシンカブル作戦」を作成するように命じている。この作戦は軍部が反対、7月にチャーチルが退任したことで立ち消えになった。 一方、アメリカの場合。日本がポツダム宣言を通告した約1カ月後、統合参謀本部は「必要なら」ソ連に対して先制攻撃することを決め、1946年6月に発効している。その後、核兵器の使用が想定されるようになり、この流れは1963年にピークを迎えた。この流れに立ち向かったひとりがジョン・F・ケネディ大統領だ。この年の11月、ケネディ大統領は暗殺された。 NATOに「秘密部隊」が存在した(している)ことは1990年にイタリア政府が明らかにしている。イタリアではグラディオと呼ばれていたが、ほかのNATO加盟国にも同じような組織が存在していた。例えばデンマークはアブサロン、ノルウェーではROC、ベルギーではSDRA8といった具合だ。 こうした組織をNATO参加国が設置したのは、NATOへ入る条件だったからだという。つまり、加盟の際に秘密の反共議定書へ署名することが求められていた。その議定書では「右翼過激派を守る」ことが義務づけられているとも言われている。 こうした秘密部隊の歴史はNATOよりも古く、NATOが創設される前、つまり1948年まではCCWU(西側連合秘密委員会)という組織が統括、1951年からはCPC(秘密計画委員会)の下で活動することになる。(この話の続きは次に出す著作で、と言いたいところだが、出版のメドは立っていない(笑)) こうしたNATOのような組織を太平洋でも創設しようとしているのではという推測がある。日本はアメリカと安全保障条約を結んでいるが、2007年にはオーストラリアとの間で「安全保障協力に関する日豪共同宣言」を発表、2008年には「日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言」が署名されているのだが、こうした結びつきの延長線上に太平洋版のNATOがあるのではないかというわけだ。 1951年、日本とアメリカが安全保障条約に署名する1週間前に同じ場所でアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国はANZUS条約に調印している。日米安保とANZUSを統合し、イギリスの植民地だったインドを巻き込んで太平洋にもアメリカが手駒として使える軍事同盟を築き上げようとしているのかもしれない。そうなったとき、この同盟でも秘密部隊が創設され、アメリカの支配にとって都合の悪い組織、団体、人物を抹殺していくことになる可能性がある。 ところで、かつてフランスにはOAS(秘密軍事機構)という組織が存在した。NATOの秘密部隊につながり、アルジェリア政府の要人を暗殺したり、イスラム教徒を殺害するだけでなく、資金を調達するために銀行を襲撃することもあった。 1962年にOASは活動を休止するのだが、ジャン=マリー・バスチャン=チリー大佐に率いられた一派はこの決定に従わない。この年の8月にこの一派はシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺を試みて失敗、9月に逮捕されている。ケネディ米大統領が暗殺される前の年の出来事だ。ド・ゴール暗殺未遂事件から4年後、1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、その翌年にSHAPE(欧州連合軍最高司令部)はパリから追い出された。
2011.12.29
ある体制の状況に関する情報を「反体制派」に頼るべきでないことは、イラクへの軍事侵攻で明確になっているはずだが、リビアでもシリアでも、「西側」は政府もメディアも同じことを繰り返している。 イラクへの軍事侵攻ではアメリカのメディアが展開したプロパガンダに対抗していたアル・ジャジーラも今回は無惨。リビアやシリアに対する介入では米英両国が湾岸諸国と連携しているからだ。特にカタールの果たしている役割が大きく、この国を拠点とするテレビ局、アル・ジャジーラは完全にプロパガンダ機関化している。西側メディアなみに堕落したとも言えるだろう。 実際に報道された内容はともかく、リビアでNATO軍と手を組んだLIFG(リビア・イスラム戦闘団)がアル・カイダ系の武装集団だということは、よほど情報力がお粗末でないかぎり、どの国の政府もメディアも事前に知っていたはず。おそらくシリアの情報が正しくないことも知った上で「反アサド体制」の雰囲気を作り出そうとしている。 LIFGとアル・カイダとの関係は1990年代に始まる。ソ連軍がアフガニスタンから撤退した後、カブール近くの訓練施設には少なからぬリビア人が来ていたと言われているのだが、そうしたリビア人のひとりがLIFGを指揮しているアブデルハキム・ベルハジ。LIFGを組織したのもアフガニスタンにいたころで、タリバンと行動をともにするようになる。そうしたこともあり、アメリカ政府もLIFGを「テロリスト」だとしているわけである。 ロンドンなどヨーロッパを拠点にして活動しているシリアの反政府派は、アメリカ政府の支援を受けてきた。国務省が資金を提供してきたことはWikiLeaksが公表したアメリカの外交文書でも明らかになっている。 そうした団体の多くが結びついていると言われるNED(ナショナル民主主義基金)はアメリカの国務省が管理しているNPO(非営利活動法人)。ロナルド・レーガン政権が心理戦を展開するために始めた「プロジェクト・デモクラシー」に基づき、1983年に創設されている。 権力者を疑わない人びとは「民主主義」のためのプロジェクトだと信じていたが、実際はCIAが実行する秘密工作のため、まとまった資金を動かすパイプ。ユーゴスラビアに対する軍事介入で利用され、イラン・コントラ事件(イランへの武器密輸とニカラグアの反革命ゲリラ支援工作)でも名前が出てきた。 しかし、アメリカ政府だけがシリアの反政府派を支援しているわけではない。ロンドンを拠点とする「シリア人権観測所」の場合、イギリスの外相とも緊密な関係にある。要するに、シリア情勢に関する情報はアメリカ国務省とイギリス外務省が発信源である疑いが濃厚ということだ。ユーゴスラビアでもアフガニスタンでもイラクでもリビアでも嘘で戦争は始めた連中だ。 現在、シリア内乱で反政府軍の中心的な存在は「SFA(シリア自由軍)」。トルコ政府の保護を受けながらシリアに越境攻撃を繰り返している武装集団で、1万5000名程度の兵力を要すると言われている。SFAと政府軍が激しい戦闘を繰り広げているホムズの近くでパイプラインが爆破されたと伝えられているが、この爆破にSFAが関与している可能性は小さくない。
2011.12.28
アメリカ政府とパキスタン軍との関係が悪化する中、この地域における中国の存在感が再び強まっている。パキスタンのアーシフ・アリ・ザルダリ大統領は12月24日に中国の国務院国務委員である戴秉国と会談、経済交流の推進を印象づけた。 中国はパキスタンの隣国、アフガニスタンでも活発に動き始め、中国石油天然ガス集団公司(CNPC)はアム・ダリヤ盆地での探鉱開発権を取得した。この盆地はタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、そしてアフガニスタンにまたがり、その地下には石油などの資源が豊富に存在すると言われている。 1970年代からパキスタンとアメリカは協力関係にあった。特に、現在のアフガニスタンを築き上げる上でパキスタンの情報機関(ISI)が果たした役割は大きい。 1973年からアメリカはアフガニスタンの反体制派に資金を提供し始め、1978年になるとCIAやイラン(王制)の秘密警察SAVAKは多額の資金を持たせたエージェントをモハメド・ダウド政権に接触させ、「左翼狩り」をするように仕向けた。 このダウド政権を倒したのがモハメド・タラキだが、国内を安定させることに失敗、混乱の背景にCIAが暗躍していると考えて1979年2月、ソ連に出向いて軍隊の派遣を要請する。ところが、戦争の泥沼化を予想したアレクセイ・コスイギン首相から要請を拒否されてしまう。 その2カ月後、ジミー・カーター米大統領のズビグネフ・ブレジンスキー補佐官が主導する形でCIAは武装勢力への支援プログラムを開始、5月にはジョン・ジョセフ・リーガンCIAイスタンブール支局長がアフガニスタンのリーダーたちと会談するのだが、その段取りをつけたのはISIだった。そのISIが指導者として選んだのがグルブディン・ヘクマチアル。麻薬の密輸にも手を染めていた人物だ。 7月になるとカーター大統領はイスラム武装勢力に対する秘密支援を承認、9月にタラキは暗殺されてハフィズラ・アミンが実権を握る。このアミンとCIAとの関係を疑ったソ連政府は特殊部隊の投入を決断して11月にカブールへ派遣、12月には対テロ特殊部隊を投入し、続いてソ連軍の機甲部隊が侵攻した。アメリカの挑発にソ連はのったということである。 この軍事侵攻をカーター大統領は激しく非難し、「制裁」を始める。1980年夏にはモスクワでオリンピックが予定されていたが、アメリカ政府は「制裁」の一環として大会をボイコットするように同国のオリンピック委員会に伝え、日本政府もその方針に従った。 アフガニスタンへソ連軍を引きずり出すことに成功したアメリカは、イスラム武装勢力を「自由の戦士」と呼び、支援を続けた。1979年から10年間にCIAがイスラム武装勢力に提供した資金が50億から60億ドルに上り、CIAが建設した訓練用キャンプで訓練を受けた外国人は1985年から92年までの間に1万2500名に達する。その後も2500名がキャンプに来たという。オサマ・ビン・ラディンや彼の部下(アル・カイダ)もそうした訓練を受けた一部だとされている。そうしたキャンプでCIAは爆弾製造や破壊工作の方法だけでなくゲリラ戦の方法も伝授したという。 そのアル・カイダはソ連軍が撤退した後もアフガニスタンやパキスタンで活動、2001年9月以降、アメリカ政府から「テロリスト」と呼ばれるようになる。そのアル・カイダの幹部たちがここにきて姿を消しつつあるという。「掃討作戦」の結果というよりは、北アフリカへ移動しているようだ。 本ブログでは何度も書いているように、リビアで英仏米軍と手を組んでムアンマル・アル・カダフィ体制を倒したのはアル・カイダ系の武装集団、LIFG(リビア・イスラム戦闘団)である。
2011.12.27
ホルムズ海峡周辺の海域でイラン海軍は軍事演習「ベラヤト90」を12月24日から10日間の予定で始めた。イランに対する攻撃があったなら、湾岸の石油をタンカーで運び出すことはできなくなると「西側」に警告しているのだという見方がある。事前にロスタム・カセミ石油相が述べていたように、演習の一環で海峡を封鎖はしていないようだが、軍事的な緊張が高まったときに封鎖する能力があることは示している。 イランは自らが軍事演習を行うだけでなく、イラク軍との連携を図っている。アメリカ正規軍の撤退をハッサン・フィロウザバディ参謀長は祝福、イラクとイランの軍事的なつながりを強める意向も示している。 こうした連携を目指す動きはイラク側にも見られる。11月中旬にはイラク軍のババケル・ゼバーリ参謀長がイランを訪問、やはり両国の連携に言及している。アル・カイダなど国内に不安定要因が残っているため、イランの協力が必要だと語り、イラン側もこの提案を歓迎したのだという。湾岸の独裁産油国にとっては大きなプレッシャーだ。 現在、イラクの体制はイランと同じようにシーア派が主導権を握っている。破壊活動へ関与した疑いがるという理由で、12月に入ってからイラクではタレク・アル・ハシェミ副大統領に対する逮捕状が発行された。ハシェミはクルド人が支配する地域に逃げ込み、まだ逮捕されていないようだ。 ハシェミは容疑を否認、湾岸諸国が主導権を握っているアラブ連盟の介入を求めているが、ノウリ・マリキ首相はイラク国内の刑事事件だとして要求に応じていない。 現在のイラク体制で主導権を握っているのがイランと同じシーア派で、ハシェミ副大統領はスンニ派。イラクの北西部、シリアに近い地域はスンニ派が多く住んでいる。この地域でスンニ派の自治が認められる事態をマリキ首相は懸念しているとも言われている。 現在、NATOがシリアに軍事介入を始めていることは本ブログで何度も指摘してきたこと。その最前線にたっているのがトルコだ。「平和的抵抗運動」をシリア軍が弾圧しているという反政府派のストーリーを「西側」のマスコミは垂れ流しているが、トルコを拠点とする武装勢力の越境攻撃にシリア軍が反撃しているのが実態のようだ。 もし、NATOの作戦が成功してシリアの現体制が倒れ、スンニ派の政権が成立した場合、シリアとイラク北西部が一緒になることも考えられる。そこでイラク政府は警戒しているわけである。
2011.12.27
ムアンマル・アル・カダフィ体制が崩壊したことを受け、リビアでは42年ぶりに「独立記念日」が祝われたようだが、その一方でイギリスを中心とするNATO軍や地上の反カダフィ軍による戦争犯罪的な行為が問題にされている。 もっとも、アフガニスタンやイラクでも欧米の占領軍は非武装の住民を殺戮している。リビアだけ例外だとは考えにくいわけで、NATO軍の空爆で住民に被害が出ていても不思議ではない。 NATO軍による住民殺害の問題についてはアムネスティ・インターナショナルが夏頃に調査を要求、その前にヒューマン・ライツ・ウォッチは反カダフィ軍がカダフィ派とも見られる人びとを不適切な手段で拘束していると批判している。 カダフィ派をどのように扱っているかが問題になっているだけではない。サハラ以南から労働者として移民してきた人々を反カダフィ派は片っ端から拘束したようで、この点も非難されている。こうした移民が大半を占めていたタワルガではNATO軍/反カダフィ軍の攻撃を受けた後、住民が消えてしまった。「民族浄化」の一環だとも言われている。一部は処刑された疑いがある。 リビアへの軍事侵攻でNATO軍は基本的に空爆を担当、地上部隊はアル・カイダ系の武装集団、LIFG(リビア・イスラム戦闘団)が中心的な役割を果たした。この集団はアメリカ政府も「テロリスト」だとしている。つまり、自分たちがテロリストだと思っている集団と手を組んだということだ。内乱の当初、カダフィは反政府派とアル・カイダを結びつける発言をしていたが、本当だったのである。 リビアの内乱を「独裁者と民主化勢力の戦い」だとして描くことは根本的に間違っているということでもある。その背景にはリビア自体の資源だけでなく、カダフィ政権が推進していたアフリカの自立も絡んでいることは本ブログで何度も書いている。 こうしたリビアの状況を調査するべきだと国連で発言しているのがロシアのビタリー・チュルキン国連大使。そうした要求をするひとつの根拠とされているのがニューヨーク・タイムズ紙の記事だ。 これに対し、アメリカのスーザン・ライス大使は強く反発、NATOの成功に泥を塗ろうとするスタンド・プレーだと主張し、ロシアと激しく対立することになった。ライス大使に言わせると、アムネスティ・インターナショナルもヒューマン・ライツ・ウォッチも欧米のメディアもNATOの成功をねたんでいるということになるのだろう。 ところで、12月24日を独立記念日とするということは、1951年12月24日の「独立」を肯定するということである。この日、国連の決議に基づいて「王国」として独立、カルト色の濃いサヌーシ教団なる宗派を率いていたイドリス・ア・サヌーシがイドリス1世として国王の座についている。この人物を国王に選んだのは事実上、アメリカとイギリスである。
2011.12.25
イギリス政府が新たな「人道的軍事介入」を模索している。ターゲットは「アフリカの角」とも呼ばれるソマリアだ。リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制の転覆にもイギリスは積極的だったが、そのリビアでの作戦成功に味を占め、今度はソマリアを狙っているようだ。 その背景には、おそらく、経済的な問題がある。1970年代に「石油ショック」で原油相場が上昇、北海油田が利益を生み出すようになってマーガレット・サッチャー政権時代のイギリスは経済的に余裕ができたのだが、その北海油田の生産量が頭打ち状態で、経済的な見通しは暗い。 インド洋から紅海を経てスエズ運河を抜け、地中海へ入るための入り口にソマリアは面し、戦略的に重要な位置にあるのだが、それだけでなく、ウランや石油など未開発の鉱物資源が豊富にあることでも知られている。 この地域には日本政府も「海賊対策」を名目にして自衛隊を派遣している。まず海上自衛隊の護衛艦がソマリア沖に派遣され、ソマリアの隣国、ジブチには拠点基地を約47億円をかけて建設、2011年7月に「開所記念式」が開かれている。 また、12月20日には閣議で南スーダンに陸上自衛隊の部隊を「最大330名」、派遣することを決めた。最初の部隊として、陸上自衛隊・中央即応集団の隊員200人程度を来月から順次派遣するとしている。 ところで、ジブチはアメリカ軍の拠点で、JCTF(統合連合機動部隊)約1800名が駐留している。ソマリアでCIAが実行してきた秘密工作の資金は、このJCTFを経由して提供されてきたと言われている。その額は、少なくとも数年前、毎月10万から15万ドルに達したという。ジブチにはアメリカ軍が盛んに使うようになった無人機の基地もあり、偵察だけでなく攻撃も実行されている。 1993年にアメリカ政府は軍隊をソマリアに入れている。その際、首都モガディシュでの戦闘でヘリコプターが撃墜され、20名近い米兵が戦死、ソマリア側は数百名が殺された。映画「ブラックホーク・ダウン」はこのときの戦闘を描いたものだ。 この戦闘に参加していたウィリアム・ボイキン中将は帰国後、モガディシュで「奇妙な暗黒の印」を見つけたと主張、「邪悪な存在、暗黒のつかいルシフェルこそが倒すべき敵なのだと神は私に啓示されました」と教会で演説している。ジョージ・W・ブッシュ政権でボイキンは国防副次官に就任している。 こうしたカルト的な人間がアメリカの軍や議会には増えているのだが、軍事介入をする最大の理由は「略奪」にある。戦争によって軍需産業/戦争ビジネスへ国の資産が移動していくことは言うまでもないが、資源の支配や領土の拡大なども大きな利益をもたらす。イギリスの場合、特に資源利権の維持拡大に執心しているようだ。 しかし、成功したように見えるリビアでは内乱の兆候もあり、「人種浄化」の問題、アル・カイダの問題、NATO軍による市民殺戮の問題も解決されていない。反カダフィ派の戦争犯罪を裁くべきだという声も高まっている。アメリカよりもイギリスのおかれた状況は悪いと言えるかもしれない。
2011.12.24
共和党の大統領候補選びでロン・ポールが脚光を浴びている。12月中旬に実施された5種類の世論調査、つまりギャロップ、CNN/オピニオン・リサーチ、PPP、ABCニュース/ワシントン・ポスト、CBSニュースを平均した数字を見ると風向きが変化してきたことをうかがわせる結果が出ているのだ。 全体ではニュート・ギングリッチが28.0%でトップ、次いでミット・ロムニー24.2%、ロン・ポール12.4%、リック・ペリー6.4%、ミシェル・バックマン6.4%、リック・サントラム3.8%、ジョン・ハンツマン1.8%なのだが、1月3日に最初の党員集会が開かれるアイオワ州ではギングリッチの支持率が急落、ポールが23.8%で首位に立った。2位はロムニーの20.3%、ギングリッチは17.3%で3位、続いてペリー11.8%、バックマン8.3%、サントラム7.0%、ハンツマン3.0%だ。 これまでアメリカの有力メディアはポールを無視してきたのだが、ここにきて人気が高まったことで批判する論調が強まっているようだ。 おそらく、その理由は彼の政策にある。まず対外的には「内政不干渉」で、軍事介入には反対する。2002年10月、イラクに対する武力行使を承認するという下院の決議で共和党は賛成215、反対6、棄権2だったのだが、ポールは反対したひとり。当然、イランを攻撃するべきでないという立場だ。同時に、対外援助に賛成していない。これだけでもイスラエルに嫌われて当然だろう。 経済的には「自由貿易」を支持しているのだが、WTOやFTAには反対している。貿易の自由を害するという理由からだ。TPPも同じことだが、アメリカが築いた貿易の仕組みは一部の巨大企業/資本が容易にカネ儲けできるようにするためのものにすぎない。 元々、「ティー・パーティー」はロン・ポールが生み出した運動なのだが、今では巨大資本に乗っ取られた形になり、大企業/富裕層に有利な政策を推進するべきだと叫んでいる。このグループが肩入れしていた候補はアフリカ系のハーマン・ケインだったのだが、スキャンダルで候補者レースから離脱、多くはギングリッチ支持に回ったという。 このケインの異母兄弟にチャールズ・コークとデイビッド・コークの兄弟がいる。ふたりはティー・パーティーの有力スポンサーで、石油業界の大物。環境規制に反対しているだけでなく、富裕層への税率を徹底的に下げ、社会保障は最低限のとどめるべきだとしている。兄弟の財団は気候変動否定論を広めることにも熱心だ。公務員の医療保険負担や年金負担を大幅に引き上げ、労働組合の団体交渉権を剥奪しようとしたウィスコンシン州のスコット・ウォーカー知事もコーク兄弟をスポンサーにしている。 ロン・ポールの人気が高まれば高まるほど、有力メディアの攻撃は激しくなる可能性が高い。スキャンダル攻勢も始まるだろう。もしアイオワ州の党員集会でポールが勝利した場合、共和党はどのような態度に出るのか、興味深いところだ。
2011.12.23
香港市内の卸売市場で見つかった鶏の死骸から「高病原性鳥インフルエンザウイルス」(H5N1型)が検出され、市場の鶏、約1万7000羽の処分を開始、つまり殺し始めたという。このウイルスと同じH5N1型を変異させ、はるかに伝染力を強めることに成功したという話も伝わっている。今年の9月にマルタで開かれた会議で、オランダのロン・フォウチャーという学者たちが発表したのだ。DNAの5カ所に手を加えるだけだったと伝えられている。 この研究結果を公表する予定の雑誌に対し、アメリカ政府は作り方の詳細を論文から削除するように求めたという。「生物テロに利用される恐れがある」というのだが、そうした生物兵器を作り出し、使う可能性が最も高い組織はアメリカ政府にほかならない。 ところで、2009年から10年にかけて、世界的なインフルエンザ騒動があった。2009年4月、メキシコとアメリカの国境線地域で起こった「豚インフルエンザ騒動」が始まり。1000人以上の人が感染、100人を超す人が死亡したと報道され、WHOも「緊急事態」だと認定、日本では「タミフル騒動」につながる。 タミフルは副作用が問題になっていた「インフルエンザ治療薬」なのだが、特効薬ではなく、早い段階に服用すれば、少し早く直るという程度の代物。2005年12月4日のサンデー・タイムズ紙によると、数十名のインフルエンザ患者を治療したベトナムの医師は、タミフルが効かなかったと話している。そんな薬を日本は買い占めようとした。 このタミフルを開発したのはアメリカのギリアド・サイエンスという会社で、開発の翌年、つまり1997年から2001年までドナルド・ラムズフェルドが会長を務めていた。この薬に関するライセンスを供与され、製造販売していたのがスイスのロシュだ。 過去を振り返ってみると、アメリカで「新型」のインフルエンザが誕生したことがあると見られている。例えば、1918年から20年にかけて猛威をふるい、2000万人から1億人が死亡したと言われている「スペイン風邪」。名前だけで判断するとスペインで出現したようだが、実際はアメリカのカンザス州だった可能性が高いのだ。 このスペイン風邪と同じ型のインフルエンザが1977年に流行している。つまり「ソ連風邪」だが、このインフルエンザも出現した地名から名づけられたわけではない。これは中国の北西部で流行し始め、そこからシベリア、ソ連(当時)の西部、あるいは日本などへ広がったと言われているのである。 通常、インフルエンザは抵抗力の弱い幼児や高齢者が危険なのだが、ソ連風邪の場合は若者に大きな被害が出たという。そこで、研究室に保管されていたスペイン風邪のウイルスが何らかの理由で外部に漏れたとする説もある。 ところで、アメリカにおける生物兵器研究の中心地はフォート・デトリック(かつてはキャンプ・デトリック)という基地。ここの軍人/研究者は戦後、日本の細菌化学兵器の開発に関する情報を入手しようとする。戦争中、日本では医学界を中心に生物化学兵器を開発、中国で生体実験を担当していたのが「第731部隊」。この部隊の研究者をアメリカ側は尋問、そして保護する。そして日本側が提供した研究資料を持ち帰った。 第731部隊の責任者は言うまでもなく、石井四郎。1946年に帰国してからCIC(米陸軍対諜報部隊)の尋問を受けるが、厳しいものではなかった。間もなくGHQ/SCAPのG2(情報担当)部長、チャールズ・ウィロビー少将と親しくなる。1947年には、キャンプ・デトリックからノーバート・フェルという研究者がやって来た。この頃からアメリカ軍は第731部隊の幹部たちと協力関係に入っている。 ジョージ・W・ブッシュ政権の時代にもフォート・デトリックは話題になっている。政府が愛国者法を成立させようとしている頃のことだ。本ブログでは何度も書いているように、この法律は憲法を停止させる一種の戒厳令。当然、法案に反対する議員もいた。トム・ダシュル上院議員とパトリック・リーヒー上院議員だ。このふたりに炭疽菌で汚染された手紙が送られてきたのだが、その背後にフォート・デトリックが見え隠れしているのである。事件後、ふたりの議員は法案に賛成している。 フォウチャーらの研究結果を見てはならない人物,組織を挙げるとするならば、それはアメリカの情報機関や軍隊にほかならない。
2011.12.22
韓国では「金正日暗殺説」が飛び交っている。一般的に言って、情報の少ない状況では「推測」の範囲は広くなり、人びとが喜びそうな話を作り上げる余地は大きい。ただ、今回の場合は情報の発信元が韓国の情報機関、NIS(国家情報院)の元世勲院長。噂話で済ますことはできないだろう。 朝鮮の国営メディアが19日に伝えたところによると、金総書記は17日午前8時半、列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したという。心臓が原因で死亡する場合、多くは突然なので、その辺はありえる話なのだが、元院長によると、総書記が利用している列車はそのとき、平壌の竜城(ヨンソン)駅に停車中だったというのだ。 金総書記の動向をNISは15日まで確認しているが、その後は行方をつかめなくなったとも元院長は発言している。22日に総書記は何らかの予定が入っていて、韓国側もそのために追跡していたという。 今回、暗殺説が出てきた一因は、父親の金日成が死んだときの状況に似ているという点もある。死亡する直前、金日成はウラニウム濃縮プログラムを中止することに同意していたのだが、息子もこのプログラムを中断する意向だったと言われているのだ。 過去を振り返ってみると、2004年4月に金総書記は危うく龍川(リョンチョン)の大爆発に巻き込まれるところだったと噂されている。爆発の2週間前にインターネットのイスラエル系サイトで金正日総書記が北京を訪問した際、総書記暗殺が話題になっていた。総書記を乗せた列車が龍川を通過した数時間後に爆発が起こり、「話題になっていた」ことが話題になる。暗殺未遂の疑いがあるとされ、疑惑の目はイスラエル/ネオコンに向けられたのである。一応、貨車から漏れた硝酸アンモニウムに引火したことが原因で、事故だとされているようだが。 今回、暗殺説の発信源になった元世勲NIS院長には政治的な思惑があるとする推測も存在する。朝鮮との平和的な関係を築こうという金大中、盧武鉉両政権の「太陽政策」をやめ、労働社会運動に対する弾圧を強め、その一方でアメリカに従属する政策を推進してきた李明博大統領は来年の選挙を前に、迷走状態になっている。朝鮮半島の緊張を演出することで巻き返しを図ろうとしているという見方だ。 李大統領がアメリカの意向に添う政策を推進する背景には、ロッキード・マーチンという巨大軍需産業が存在している。大統領は1992年まで現代グループの一社、現代建設で社長を務めていた。その現代グループはロッキード・マーチンが設計したABM(弾道弾迎撃ミサイル)とレーダーシステムを搭載した駆逐艦を建造しているのだ。ヒラリー・クリントン米国務長官がロッキード・マーチンをスポンサーにしていることは有名な話であり、李大統領とクリントン長官は「同志」と言うことになるだろう。ちなみに、日本が次期戦闘機に決めたというF-35もロッキード・マーチン製。コスト的にも技術的にも大きな問題を抱えている戦闘機で、評判は良くないのだが。
2011.12.22
アメリカが宣伝する「民主化」や「人権」の虚構が中東/北アフリカで明らかになりつつある。NATOに加盟しているトルコを使って軍事介入を始めているシリアに対しては、反政府派の発表に基づいて激しく批判するのだが、「親米政権」に対しては寛容だ。 アメリカがデモ鎮圧用の武器を供給しているエジプトでは、警官隊が平和的なデモの参加者を集団で棍棒を使って殴りつけ、女性を引きずり回して蹴りつけている。こうした場面を撮影した映像がインターネットで流れている。 エジプトでは12月16日から抗議活動がはじまり、13名が殺されている。その大半は射殺されているのだという。兵士はデモ隊にを銃撃しているということである。一種の「恐怖政治」で人びとを押さえ込もうとしてるわけだが、エジプトの女性はひるまず、抗議活動を続けている。 中東においてサウジアラビアと並び、アメリカが最も強く結びついている国はイスラエルだろう。そのイスラエルでは政府がイランを攻撃すると公言、ここにきて新たな特殊部隊を創設するという話が出てきた。率いるのはシャニ・アビタイ少将。部隊の名前は「深奥兵団」なのだという。イランだけでなくシリアやレバノンもターゲットになると言われている。 このイスラエルでは違法な入植政策を推進中で、国連の安全保障理事会でイスラエルを非難するメッセージを出そうとしている。理事国のうち、イギリス、中国、フランス、ロシア、インド、ガボン、コロンビア、ドイツ、ナイジェリア、ブラジル、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ポルトガル、南アフリカ、レバノンは賛成しているのだが、アメリカが拒否権を使って阻止、イスラエル非難を実現できない。12月20日にもアメリカ以外の理事国はアメリカの姿勢に不満を示している。パレスチナ人が何人殺されようと、どのような目にあおうと、アメリカの政府や議会は意に介さない。 ところで、イギリス、フランス、アメリカが「人道」を理由にして軍事介入したリビアでは殺戮が今でも続いている。何しろNATO軍に協力していた地上軍の主力はアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)だ。まだ内乱が続くな能性があるのだが、欧米諸国はどのように対処するつもりだろうか。
2011.12.21
アメリカの貧困/低所得層は全人口の48%に達するとAPは伝えている。国勢調査の結果、判明した。国民の約半数が貧困/低所得層になった最大の理由は、ロナルド・レーガン政権から導入された富の独占政策にある。新自由主義経済の結果ということだ。アメリカで不公正な政治経済システムに抗議している「占拠運動」が広がっている原因もここにある。 新自由主義経済の理論的な支柱はフリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンといった学者。1930年代からハイエクは私的な投資を推進するべきだという立場で、政府の介入を重視していたジョン・メイナード・ケインズと衝突していた。 ケインズの理論に影響されていたフランクリン・ルーズベルト大統領が残した政策、企業活動の規制や労働者の権利拡大を潰していった理由のひとつは、当時の怨みも含まれているかもしれない。フリードマンはハイエクの弟子と言えるだろう。 ふたりの理論が実践された最初の例は軍事政権下のチリである。1973年9月11日、アメリカ政府の支援を受けたオーグスト・ピノチェトが軍事クーデターでサルバドール・アジェンデ政権を倒し、「左翼」と見なされた約2万人が殺害されたとも言われている。 その結果、政府の政策に反対する人はいなくなる。経済政策としては、国有企業を私有化したほか、労働者を保護する法律を廃止、労働組合を禁止、そして外国からの投資を促進した。そして庶民の生活は惨憺たることになった。 日本では中曽根康弘内閣が基本的にピノチェトと同じ政策を採用する。企業活動に関する規制の緩和、国有財産の私有化、国鉄民営化などによる労働組合の弱体化などを推進したことが思い出される。 その後、派遣労働の常態化、そしてTPPによって外国資本を引き入れようとしている。中曽根政権で導入、小泉純一郎政権で山場を迎え、菅直人政権や野田佳彦政権で日本に止めを刺そうとしている。 アメリカではレーガン政権は新自由主義経済に基づく経済政策を推進するが、ピノチェトが導入した当時の大統領、リチャード・ニクソンは自国でこの政策を実行することはなかった。経済の仕組みが崩壊し、社会不安が高まることが明らかだったからである。それに対し、レーガン政権は社会の不安定化を見通し、1982年にNSDD55を出してCOGプロジェクト、つまり戒厳令の準備を始めている。 このCOGプロジェクトは2001年9月11日に実戦段階に入り、対外的には軍事侵攻と略奪を始める。ソマリアなどのアフリカ諸国、そうした国々の自立問題と関係するリビア、ジョージ・W・ブッシュ政権が先制攻撃したアフガニスタンやイラク、そして現在はシリアやイランがターゲットになっている。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官が明らかにした攻撃リストにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、イランが名を連ねていたというが、その通りの展開になっている。 イギリス、フランス、アメリカはリビアを軍事侵攻する際、アル・カイダ系の武装集団LIFG(リビア・イスラム戦闘団)と手を組んでいたことは否定のできない事実。そして現在、シリアではトルコを使って軍事介入を始めている。 トルコにはアメリカ空軍のインシルリク基地があるのだが、ここでは今年の4月ないし5月頃から「SFA(シリア自由軍)」(反乱兵と傭兵の混成軍と言われている)を訓練しているとする情報もある。トルコのアフメット・ダーブトオール外相は、いつでもシリアに軍事侵攻する準備ができていると公言している。NATO諸国がゴーサインを出すのを待っているところだというわけだ。ヒラリー・クリントン米国務長官はすでにシリアの内戦に言及している。トルコはイラクでもアメリカの手先として動くとする見方もあるが、どの国を手先に使おうと、軍事力を使った略奪に失敗したなら、アメリカは崩壊する可能性が高くなるだろう。
2011.12.20
朝鮮の国営メディアは19日、金正日総書記が死亡したと報じた。17日に「現地指導」のために列車で移動中、急性心筋梗塞で死亡したという。後継者は金正恩になると見られている。 総書記死亡を伝える朝鮮中央テレビのアナウンサーは涙を流しながら伝えていたが、「市民」の泣き叫ぶ様子、慟哭というのだろうが、そんな映像も流れている。カルトの信者を思わせる。数十年前までの日本も似たようなものだが。 今でこそ「悪役」のイメージが強い朝鮮だが、第2次世界大戦が終わった直後は逆だった。朝鮮戦争が勃発する前は、朝鮮軍へ投降する韓国軍の兵士も少なくなかったのである。こうした流れを断ち切るため、アメリカの情報機関は秘密工作を行っていた。投降兵を装って朝鮮が支配する地域に入り込み、将校を殺害するという作戦を自分自身も実行していたと話す元特務機関員もいる。それが1950年の春先。 その年の6月25日に朝鮮戦争が勃発する。朝鮮軍が越境攻撃を仕掛けてきたとされているのだが、ダグラス・マッカーサーに同行していた歴史家のジョン・ガンサーによると、半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったという。また、元特務機関員によると、そのころすでに小規模の軍事衝突があちこちで始まっていたという。開戦の2日前には韓国空軍が北側を空爆、地上軍は海州を占領していたとも言われている。 朝鮮戦争勃発の3日前、韓国軍が空爆する前日、有名な「夕食会」が日本で開かれている。場所はニューズウィーク誌東京支局長だったコンプトン・パケナムの私邸。同席したのはニューズウィーク誌の外信部長だったハリー・カーン、19日に韓国の国会で演説、その足で日本を訪れていたジョン・フォスター・ダレス、国務省東北アジア課のジョン・アリソン課長、日本側からは大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三だ。 最近、日本のマスコミは「北朝鮮」と「挑発行為」を結びつけた報道を繰り返しているのだが、実態を見るとアメリカの挑発行為が深刻である。アメリカの好戦的な動きが明確になるのは1998年。この年、アメリカは朝鮮に対する先制攻撃、体制転覆、傀儡政権の樹立という作戦「OPLAN 5027-98」を作成している。この情報が明るみに出たのは同年11月のことだ。 朝鮮の体制が崩壊した場合を想定したCONPLAN 5029が作成された1999年には黄海で朝鮮と韓国の艦船が交戦、ジョージ・W・ブッシュ大統領が一般教書演説で朝鮮、イラク、イランを「悪の枢軸」と呼んだ2002年にも黄海で朝鮮と韓国は交戦している。アメリカ軍がイラクを先制攻撃した2003年には空母カール・ビンソンを中心とする艦隊が朝鮮半島に派遣されている。なお、5029はその後、概念計画であるCONPLANから実戦を想定したOPLANに格上げされているようだ。さらに、アメリカ軍は朝鮮への核攻撃を想定したCONPLAN 8022も作成している。 1990年代の後半からアメリカの好戦派は朝鮮に対する挑発、あるいは軍事侵攻の準備を始めている。イラクからサダム・フセインを排除し、パレスチナの和平路線を破壊するなどというネオコンの「提言」が出された頃と重なる。 この間、戦争の火種を消してきたのはアメリカと韓国のデタント派だったが、韓国では金大中が大統領を退き、後継者の盧武鉉はスキャンダル攻撃で倒され、今は軍需産業と結びついている李明博が大統領だ。 朝鮮で金正日から金正恩へスムーズにバトンタッチできずに混乱が起これば、それを口実にして攻撃、制圧してしまおうという考えを持つ勢力が今でもアメリカには存在している可能性がある。 1990年代にネオコンは東アジアを「潜在的ライバル」と位置づけて警戒、ライバルへ成長する前に潰すべきだとしていた。「第2次朝鮮戦争」は中国だけでなく、日本も破壊することがシナリオに含まれている。
2011.12.19
日本政府は妄想と現実の区別がつかなくなっている。 東京電力の福島第一原発が「過酷事故」を起こし、周辺地域を汚染しただけでなく、大気や海洋に大量の放射性物質を放出、その影響は全世界に広がりつつある。当然、各国の日本を見る目は厳しい。 そうした中、野田佳彦首相は「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と宣言、来年4月には警戒区域を解除し、年間20ミリシーベルト未満を「避難指示解除準備区域」として帰宅させる方向で動き出そうとしている。 野田首相が本心から事故の収束を信じているのかどうか不明だが、原子炉内部の状況が明らかになっていない現在、事故が収束したと考えている人は多くないだろう。記者会見で首相はあたかも内部の温度分布がわかっているかのように発言していたが、そうした情報はこれまで発表されていない。 昨年、東京電力はイスラエルのマグナBSPとセキュリティ・システムに関する契約を結んでいる。3月15日付けエルサレム・ポスト紙や3月18日付けハーレツ紙によると、原子炉の周辺にセットされたカメラは立体映像で、熱や放射性物質も感知できたようだが、事故の際に破壊されたと見られていた。このシステムが機能していたのならば、そのデータを速やかに公開する義務が東電や政府にはある。 政府が「安全デマ」を流す中、原発周辺の深刻な放射能汚染を明るみに出したのはフリーランスのカメラマンであり、原子炉内の破滅的状況に肉薄していったのは、かつて自身も原子炉の設計に携わったことのある元技術者であり、海洋汚染のひどさを明らかにしたのはヨーロッパを拠点とする民間の環境保護団体であり、街に出回っている食品汚染を明らかにしているのも民間の団体、というのが実態だ。つまり、政府や東電はいまだにデマを発信、大手メディアはそうした情報を垂れ流している。原発に対する批判的な報道もあるが、扱いは小さく、「アリバイ工作」的だ。 しかし、アメリカでは公的な機関である原子力(核)規制委員会(NRC)は福島第一原発の状況について厳しい見方をしている。遅くとも4月上旬の段階で溶融した燃料棒が圧力容器の底から格納容器に融け出ている可能性が高いと指摘して日本側の見解と対立していた。 また、4月の段階でNRCは使用済み燃料プールから吹き上げられた燃料棒の破片や粒子は上空1マイル(約1.6キロメートル)の地点にまで達し、原子炉建屋の間に落ちたとしていたのだが、7月28日に行われた会議で委員会のスタッフ、ジャック・グローブ(原子炉規制局副局長)とゲイリー・ホラハン(新炉局副局長)は、放射性物質の出所は圧力容器の中だとしている。 アメリカのコンサルタント会社、フェアウィンズの主任エンジニアを務めているアーニー・ガンダーセンが紹介(8月21日付け映像)しているので知っている人も多いだろうが、日本政府がこの件についてコメントしたという話は寡聞にして聞かない。 このNRCは現在、グレゴリー・ヤースコウが委員長を務めている。原発に批判的なエド・マーキー下院議員の下で働いていたことのある人物で、原子力産業からは疎まれている存在のようだ。3月12日に菅直人首相は20キロ圏内の住民に避難を指示したが、NRCは50マイル(約80キロ)の内側にいるアメリカ人に避難するように勧告した。この決定はヤースコウ委員長の意向が反映されたようだ。 このNRCの決定は間違っていなかったのだが、アメリカの原子力産業にとっては許し難かったようだ。こうしたことの積み重なりが今回の反ヤースコウ工作につながったと考えられている。委員長に反旗を翻した委員はクリスティン・スビニッキ、ジョージ・アポストラキス、ウィリアム・マグウッド、そしてウィリアム・オステンドルフ。その中心人物であるマグウッドは東京電力のコンサルタントを務めていると伝えられている。 1997年12月に京都で「温室効果ガス」に関する議定書が議決されて以来、日本政府はアメリカと歩調を合わせるように、この問題と真剣に向き合おうとしないで現在に至っている。エネルギー消費の削減には消極的である一方、エネルギーを大量に消費し、声明の死滅に結びつきかねない放射性物質を大量に作り出す原子力を推進、これを「温室効果ガス」対策だとしてきた。日本と同じように気候変動問題を考えようとしないイギリスやアメリカは石油利権で成り立ってきた国であり、核エネルギーに執着している国でもある。
2011.12.19
エジプトでは12月16日から大規模な抗議活動が展開され、治安当局が暴力的な鎮圧に乗り出す事態になった。鎮圧部隊は男女の区別なく棍棒でデモ参加者を激しく殴打、18日の時点で死者は10名、負傷者は数百名に達したと報道されている。「人権」に敏感らしい欧米政府がどのような対応をするのか、注目されている。 今年の1月下旬に始まった反政府行動は2月にムハンマド・ホスニー・ムバラク大統領を辞任させることに成功するが、その後は軍が支配する「ムバラクなきムバラク体制」に移行する。そうした状況に怒った10万人以上が4月にタハリール広場を埋め、その後も一部の人が広場を占拠した。 ムバラク辞任から選挙が行われるまでの半年間はエジプト軍最高評議会が実権を握るとされたのだが、半年を過ぎても非常事態法は続き、怒った数千人のエジプト市民が9月末にデモを行った。このデモにはアメリカの俳優、ショーン・ペンも参加していた。この頃、アメリカのレオン・パネッタ国防長官も非常事態法を止めるようにと発言しているのだが、「革命のエネルギー」が高まっていることを懸念していたのかもしれない。 アメリカが中東に対する軍事介入を本格化させたのは2003年。アメリカ軍はイギリス軍を引き連れてイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を破壊したのである。 ネオコンの中東支配戦略が始動したように見えるが、半永久的にアメリカ軍を駐留させるという目論見は実現していない。無人機をイラク領内に飛ばすことは認められ、傭兵を大幅に増強しているものの、占領軍はクウェートへ移動した。 アメリカは今後もイラクの石油を支配するつもりのようだが、ヌーリ・アル・マリキ政権はイランと協力してアメリカの影響力を弱めようとするという見方もある。アメリカでは共和党の大統領候補がイランを攻撃するべきだと叫んでいるが、それはアメリカにとって「自爆行為」。ナチス・ドイツ、あるいは大日本帝国と似た状況になっている。 今年になって、英仏米はアル・カイダ系の武装集団と手を組んでリビアに軍事介入、ムアンマル・アル・カダフィ体制を崩壊させた。カダフィはリンチの上で殺害、口封じにも成功している。この虐殺にアメリカが直接関係しているとする情報もあるが、可能性はあるだろう。その真偽はともかく、ICC(国際刑事裁判所)も反カダフィ軍に戦争犯罪の疑いがあると言わざるをえない状況だ。 そしてシリア。ここではアメリカがトルコを使って軍事介入、つまり武器を反政府派に供給しているだけでなく、武装集団「SFA(シリア自由軍)」(反乱兵と傭兵の混成軍と言われている)を越境攻撃させている。 アメリカ軍やNATO軍が今年の4月か5月から、その武装集団を米空軍インシルリク基地で訓練しているとする情報があることは本ブログですでに書いた通り。ヨルダン北西部の都市、マフラクにもシリア攻撃の拠点があるとされている。 金融資本を支えきれなくなっているアメリカ、頼みの北海油田の生産量が減少しているイギリス、このアングロサクソン系の2国は現在、危機的な状況にある。これまでと同じように、他国を侵略して略奪するしかないということなのだろうが、略奪に失敗すれば破滅するしかない。今、この2国は大きな賭に出ている。
2011.12.18
アメリカ政府はイラク攻撃を正当化するため、「大量破壊兵器」という嘘を宣伝、フセインが9/11の背後に存在しているかのような話を流していた。こうした偽情報を広めるうえで中心的な役割を果たしたのが国防総省に設置されたOSP(特別計画室)。ネオコン人脈で固められた機関で、室長はエイブラム・シュルスキーだ。そして今、アメリカの裁判所はイランが9/11の背後にいると主張している。 嘘で始めたイラクへの先制攻撃。イラク人の犠牲者数を「イラク・ボディー・カウント」なるNGOは11万人前後と推計しているようだが、カウント方法を考えるだけでも、これは氷山の一角に過ぎないことがわかる。 アメリカのジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、2003年の開戦から2006年7月までに約65万人のイラク人が殺されたという。また、イギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに94万6000名から112万人、NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたと推計している。 アメリカ軍は侵略軍であり、略奪と殺戮の限りを尽くした。この事実を強く印象づける映像を公表したのがWikiLeaksである。日本のメディアは無視していたが、世界的には大きな影響があったと言えるだろう。この映像のほかアメリカ政府の外交文書をWikiLeaksに渡したと言われているブラッドリー・マニングスの審理がようやく始まった。あらゆる手段を使ってWikiLeaksを痛めつけ、世間の関心が薄らぐのを待っていたのだろう。 それはともかく、アメリカ軍の撤退をイラク人が喜ぶのは当然なのだが、アメリカ軍の暴力がなくなるわけではない。撤兵後もトルコにある米空軍インシルリク基地(シリアへの軍事介入の拠点)から無人機を飛ばすことが認められているのだ。アメリカは石油利権も手放そうとしないだろう。 また、傭兵は増強されている。ファルージャで市民を虐殺する引き金になった事件の原因を作り、その後、17名のイラク市民を殺害して問題になったブラックウォーター(後のXe、今年12月にはアカデミーに名称変更)も傭兵ビジネスを展開する。現在、傭兵の法律的な保護、要するに殺人などの免責をアメリカはイラク側に求めているようだ。 米国務省の契約した傭兵会社8社の中にIDS(インターナショナル・デベロップメント・ソリューションズ)があるのだが、この会社はケイスマンと米国トレーニング・センターのジョイント・ベンチャー。米国トレーニング・センターは昨年までブラックウォーター・ロッジ・アンド・トレーニング・センターと呼ばれていた。つまり、ブラックウォーターはイラクでビジネスを再開している。 イラク戦争とはネオコンの戦略に基づいて始められた。その結果、イラクの建造物や自然が破壊され、多くの人びとが殺され、石油は外国企業に支配されている。これでイラク人が怒らないはずがない。バラク・オバマ米大統領がイラク戦争の終結を宣言したところで、イラク戦争は終わらない。 そして日本。アメリカの尻馬に乗ってイラク戦争に協力した日本政府は嘘で戦争を始めた責任について何も語っていない。説明責任を果たしていない。日本政府も侵略、破壊、殺戮、略奪に協力したことを忘れてはならない。
2011.12.17
12月14日にバラク・オバマ米大統領はイラク戦争の終結を宣言した。1990年代から公然とサダム・フセイン体制の打倒を叫んでいたアメリカの一部勢力、つまり親イスラエル派のネオコン(新保守)の戦略は実現されたのだが、その結果は破壊と殺戮、イラクは血で真っ赤に染まっている。 ネオコンの戦略をまとめた文書として1996年に公表された「決別」は特に有名。この文書はリチャード・パールを中心にしてまとめられたもので、トルコとヨルダンを同盟国と位置づけ、労働シオニズムを敵視、パレスチナとの和平を拒否、シリアやイランを危険視、イラクからサダム・フセインを排除し、アメリカとの新しい関係を築くために親イスラエル派を支援するとしている。親イスラエル派の政治家の象徴として名前が挙げられているのはニュート・ギングリッチだ。 こうした戦略が動き始めたのは2001年9月11日。世界貿易センターやペンタゴンへの攻撃があって5時間もしないうちに、ドナルド・ラムズフェルド国防長官は部下に対してイラク攻撃のプランを考えろと命令、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、その10日後にジョージ・W・ブッシュ政権は攻撃計画を作成、その数週間後にはイラクだけでなく、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが攻撃予定国に名を連ねていたという。 攻撃の直後にアメリカ政府はアル・カイダの犯行だと断定、「報復攻撃」を行う雰囲気作りに入った。この決定に至るまでに十分な捜査/調査時間があったとは思えない。 実は、アル・カイダが何らかの攻撃を計画していることは各国から警告されていた。例えば、1999年にはイギリスの対外情報機関から、2001年1月にはエジプトの情報機関から、攻撃の数週間前にはロシアの情報機関から、といった具合だ。 FBIで翻訳官を務め、機密情報に接する機会のあったシベル・エドモンズが2009年に行った宣誓供述によると、2001年4月にFBIはイランの情報機関員からオサマ・ビン・ラディンの攻撃計画を知らされていたという。 また、CIAの協力者だったスーザン・リンダウアーは、2001年4月の段階でアメリカの情報機関がカリフォルニアやニューヨークで「テロ活動」のあることを知っていたとしている。 7月になるとアフガニスタンでは「テロ」が差し迫っていると語られ、8月にはリンダウアー自身、ジョン・アシュクロフト司法長官のスタッフなどに対し、ハイジャックや航空機を使った爆破工作に注意するように伝えている。(こうした「テロ情報」では、爆弾を使った攻撃が想定され、航空機の突入ではなかったようだ。) イラクのフセイン政権もアル・カイダを危険視、人権を無視した弾圧を行っていたことが知られている。そうした調査に基づき、フセイン政権はアメリカに対して「テロ」を警告したとも言われている。
2011.12.17
アメリカやNATOのシリアに対する軍事介入の実態が少しずつ明らかになってきた。トルコ政府の保護を受けてシリア領内に越境攻撃を仕掛けている「SFA(シリア自由軍)」(反乱兵と傭兵の混成軍と言われている)をアメリカ軍やNATO軍が今年の4月か5月から米空軍インシルリク基地で訓練しているとする話が出てきた。しかも、ヨルダン北西部の都市、マフラクにもシリア攻撃の拠点があるというのである。米国務省がバシャール・アル・アサド体制と対立している勢力に資金を援助してきたことはWikiLeaksが明らかにした外交文書でも確認されているが、それだけではなかった。 アメリカやNATOの介入を明らかにしているのはシベル・エドモンズ。FBIの元翻訳官で、2001年9月11日の航空機による攻撃に関してアメリカの政府機関の対応に問題があると指摘、解雇された人物だ。2001年4月の段階でイラン情報機関の協力者から得た情報で、FBIはオサマ・ビン・ラディンが航空機で4~5都市を攻撃しようと計画していることを知っていたと主張している。 1997年から2000年まで欧州連合軍最高司令官を務めたアメリカの軍人、ウェズリー・クラーク大将によると、9/11から10日目の時点でアメリカ政府はイラク攻撃を決定、その数週間後にはイラクだけでなく、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが攻撃予定国に名を連ねていたという。 イラク、リビア、そしてシリアの「独裁者」はかつてアメリカと友好関係にあり、その手先として動いていた。状況の変化で、こうした国々の体制を転覆させているわけだが、体制転覆後に「独裁者」が生きていると困る人物が「西側」には少なくないだろう。
2011.12.16
野田佳彦首相は「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と記者会見で宣言したのだという。判断するのは勝手だが、事実が伴っていない。つまり、妄想を語っているにすぎない。 燃料棒が溶融していることは東京電力も認めている。溶融物は圧力容器(鋼鉄製で厚さは15センチ前後)を突き抜けて落下、コア・コンクリート反応によって水素と一酸化炭素などを出しながら床を侵食、下へ移動しているはずだが、現段階でどこにあるのかは不明である。東京電力は溶融物が格納容器に達しがは1号機だけだとしているが、ちょっと信じがたい。 その1号機の溶融物は床を65センチほど溶かしたところにあり、厚さ約3センチの鋼鉄で作られた格納容器まで37センチの余裕があると東電は主張している。勿論、この推測が正しいという保障はない。2号機と3号機も同じような状態になっていると考える方が自然だろう。 たとえ、溶融物が格納容器に達していないとしても、容器は穴だらけ、コンクリートはヒビだらけであり、地下水が入り、放射性物質は外へ出ている。環境を汚染し続けているということ。相当量の放射性物質が海に流れ出ているだろうが、施設内でも汚染水が増え続けている。政府や東電は溜まった汚染水も海へ流すつもりのようだが、これで事故が収束したと言えるはずがない。国外のメディアが呆れるのも当然だ。 事故の直後、4号機の使用済み燃料プールの倒壊が懸念されていたが、この問題も解決されていない。大きな余震がきて倒壊したなら、関東を含む東日本の住民はすぐに避難しなければならないような深刻な事態になると警告されている。 アメリカのNRC(原子力規制委員会)によると、建屋から約2キロあたりの場所で核燃料棒の破片が発見され、それは圧力容器の中にあったものだと推測している。3号機の使用済み燃料プールに保管されていた燃料棒の破片だとする見方もあるのだが、この件について日本政府は言及していない。 実は、このNRCが今、もめている。委員長のグレゴリー・ジャッコが委員会の信頼をなくすような行動をしていると4名の委員が告発したのである。このジャッコ委員長の信頼度を低めようとしているNRC委員のビル・マグウッドは東京電力のコンサルタントになっているという。 東京電力を擁護するネットワークはIAEAにも及んでいる。ロバート・ケリー元IAEA元主任査察官によると、天野之弥が率いるIAEAも日本政府と同様、放射性物質の拡散予測を発表しなかった。IAEAには、そうした予測をする能力があるのだという。技術的な機関として予報と分析をしっかりすべきだったのに、政治的に動いたと元主任査察官は批判している。
2011.12.16
アメリカ議会は国家のファシズム化を加速度的に進めている。アメリカのネットワーク局などは無視しているようだが、12月までに上院と下院で可決された「国防授権法」によって、「テロ容疑者」と認定された市民を令状なしに無期限、軍の施設で拘束できることになった。大統領は拒否権を発動しないと宣言している。バラク・オバマ大統領は選挙期間中、グアンタナモ刑務所を閉鎖すると発言していたが、今では市民をグアンタナモ刑務所へ送り込もうとしていると言えるだろう。 アメリカで憲法が機能停止の状態になったのは2001年9月11日のあと、愛国者法が成立してからだが、この法律は1980年代から準備されていた。ロナルド・レーガン大統領が1982年、大統領就任の翌年に出した「NSDD(国家安全保障決定指令)55」がはじまりである。 このプロジェクトも唐突に出てきたのではない。1950年代、核戦争に備えてドワイト・アイゼンハワーが「秘密政府」の仕組みを作り上げたのがはじまりだ。1979年に作られたFEMA(連邦緊急管理庁)は、この延長線上にある。そしてNSDD55だ。 この指令によって始まった「COG(緊急事態における地下政府)プロジェクト」は一種の戒厳令計画。このプロジェクトで重要な役割を果たした人物には、副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュ、イラン・コントラ事件で名前の出てきたNSC(国家安全保障会議)のオリバー・ノース中佐、戦争ビジネスと関係の深いリチャード・チェイニーやドナルド・ラムズフェルド、あるいはネオコンのジェームズ・ウールジーたちが含まれている。 このプロジェクトは極秘だったのだが、1987年に「イラン・コントラ事件」の公聴会で、ジャック・ブルックス下院議員がCOGプロジェクトについてオリバー・ノース中佐に質問している。ダニエル・イノウエ上院議員が「高度の秘密性」を理由にしてさえぎったため、詳しい内容は明らかにされなかったが。 その翌年に出された大統領令12656によってCOGは変質する。目的が核戦争から、あらゆる国家安全保障上の緊急事態に変わったのである。核戦争でなくても、政府が緊急事態だと判断すれば、憲法を停止できることになったということだ。 ブルックス議員が議会で質問してから4年後、アメリカのニュース専門テレビのCNNがCOGについて報道している。当時、テレビ朝日はCNNの番組を流していたのだが、COGについては「ガセネタ」であるかのように「解説」していた。善意に解釈すれば、朝日新聞の担当記者は無能だったということになる。 そして、2001年9月11日。このプロジェクトを始動させる「国家安全保障上の緊急事態」が起こった。この年からスタートしていたジョージ・W・ブッシュ政権の副大統領はチェイニー、国防長官はラムズフェルド、COGに深く関わってきたコンビである。
2011.12.15
現在、アフガニスタンでアメリカ/NATO軍が戦っている相手、タリバンはアメリカがパキスタンの助言に基づいて組織した集団。そのタリバンと戦わせるために新たな武装集団をアメリカは組織したのだが、殺人、レイプ、不正な拘束、誘拐、土地の略奪、違法な襲撃などの行為を繰り返していると批判されている。 タリバンを創設する際に協力を受けたパキスタンとアメリカは現在、関係が悪化してパキスタン領から物資を補給することが難しい状況になっているため、拷問など人権侵害で悪名高いウズベキスタン政権と手を組んで補給路を確保していると指摘されている。 アメリカのサダム・フセイン政権がアフガニスタンのタリバン政権を攻撃する理由としたのは、アル・カイダとの関係だ。この話自体、信憑性に欠けるのだが、アル・カイダと敵対関係にある体制もアメリカ軍は破壊していく。 アフガニスタンに続き、アメリカが先制攻撃を仕掛けたのはイラク。この国を支配していたサダム・フセインはアル・カイダを徹底的に弾圧、アメリカ政府にもこの武装集団に関する情報を提供していたことが知られている。また、リビアのアンマル・アル・カダフィ体制もアル・カイダを危険な存在だと認識、敵視していた。 フセイン体制が崩壊してからイラクの内部にアル・カイダ系の武装集団が侵入、リビアでは英仏米が軍事侵攻の際にアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)と手を組んでいる。アル・カイダとの関係をLIFGも認めている。日本では「左翼」を自称している人たちもリビアの反カダフィ派とアル・カイダとの関係から目をそらしているのは興味深い。 カダフィ体制が倒れた後、象徴的な出来事がリビアの都市、ベンガジで見られた。裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられたのである。リビアの体制転覆はフランスが発端を作り、イギリスが主導し、アル・カイダの手を借りて実現、アメリカも全面的に協力したということだ。 アル・カイダの象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンをバラク・オバマ米政権は5月2日、パキスタン側の了解を得ずに暗殺したことになっている。アメリカ海軍の特殊部隊SEALチーム6が2機のヘリコプターを使って襲撃、その際にビン・ラディンたちは丸腰で、銃撃戦らしい銃撃戦はなかったという。 アメリカが主張するストーリーを信じると、本人だけでなく警備の人間も襲撃に気づかず、くつろいでいたことになる。この地域はパキスタン軍の幹部が多く住み、士官学校も近くにある。警備は厳重だったはずだが、警戒網に引っ掛からなかったのは不思議だ。 2001年7月にビン・ラディンは腎臓病の治療をするため、アラブ首長国連邦ドバイの病院で入院、その際にCIAの人間と会ったとフランスのル・フィガロ紙は報道している。それだけの重病人が過酷な山岳地帯でゲリラ戦を続けているという話にリアリティを感じない人は少なくなかった。 5月2日まで生存していたとしても、すでにアル・カイダの内部で発言権はなくなっていた可能性が高い。オサマ・ビン・ラディンの死はアル・カイダにとって大きな意味はないということである。 1982年7月、イタリアの「黒幕」、リチオ・ジェッリの娘が持っていたスーツケースの底に隠されていた文書がローマの空港で発見された。そのうちのひとつ、1970年3月18日付けの文書「安定作戦、情報-----特別分野」には、「友好国政府が共産主義者の脅威に対する警戒心をゆるめている場合」の対処法が書かれていた。友好国の政府や国民を目覚めさせるために特殊作戦を実行しなければならず、より過激な共産主義グループの内部に特別行動グループを編成し、反乱を望む声を広めるように務めろというのだ。 つまり、国民の間に寛容な雰囲気が広がり、平和を望む人が増えてきたなら、何らかの行動を起こし、人々に『恐怖』を思い出させるべきだとしているのである。この文書を作成した責任者はウィリアム・ウエストモーランド将軍だとされている。
2011.12.14
米国ノースダコタ州で6月23日にあった出来事。牛の行方不明事件を調べていた保安官をライフルで追い払おうとした市民を逮捕するため、空軍の無人機、プレデターBが投入されたのである。プレデターの利用はこれだけでなく、地元警察は監視のため、6月から二十数回飛ばしていた。23日の出来事は一例にすぎないのだ。 第2次世界大戦後、アメリカの支配層は国民を監視しなければならないという強迫観念に取り憑かれたようで、FBIやCIAは市民を監視するプロジェクトを推進している。1950年代にFBIが始めたCOINTELPRO、1967年にCIAが始めたMHケイアスは悪名高い。いずれもターゲットは反戦/平和を訴える個人や団体だった。 2001年9月11日以降、国民監視のシステムは急速に強化され、国防総省のDARPA(国防高等研究計画局)も個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆるデータの収集と分析するプロジェクトを開始、プロジェクトが発覚すると、目眩ましのために次々と新しい名称のプロジェクトに切り替えている。 国防総省が行っていた(いる)CIFAというデータ収集活動では、TALONというデータベースに情報を記録、このデータを分析することで「将来の脅威」を予測しようとしていた(いる)。 こうした環境の中、「監視ビジネス」も急成長している。街中での監視カメラ、空港での監視システムは目につくが、ある会社はスーパー・コンピュータを使って膨大な量の情報を分析、「潜在的テロリスト」を見つけ出そうとしている。つまり、どのような傾向の本や読み、音楽を聞き、絵画を見るのか、どのようなドラマを好むのか、あるいは交友関係はどうなっているのかなどを調べ、分析して国民ひとりひとりの思想、性格、趣味などを推測、体制に批判的な傾向のある人物を捜し出そうというわけだ。 その一方、アメリカの支配層は軍事独裁者を支援、アル・カイダを含む武装集団を作り出し、こうした武装集団を敵視する体制を破壊してきた。ベトナム戦争では黄金の三角地帯でヘロインを生産、アフガン戦争ではパキスタンやアフガニスタンの山岳地帯でやはりヘロインを生産、中央アメリカでの反革命工作ではコカインというように、麻薬取引にも手を出している。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) ヘロインの密輸を仲介することで資金を調達していたのがコソボの反セルビア軍。欧米から支援を受けていた勢力だ。旧ユーゴスラビアの内戦では、アル・カイダも反セルビアの立場で戦闘に参加したと言われている。考えてみれば、アル・カイダはソ連と戦わせるためにアメリカの軍や情報機関が作り出した武装集団に含まれていた。
2011.12.14
アメリカには教育を受けられない子どもが少なくない。公的な教育は荒廃し、少しでもまともな教育を受けようとするならば、多額の資金が必要になる。日本でも公教育を破壊する政策を推進しているが、アメリカの真似なのだろう。 私立の学校に通えば勿論だが、公立でも教育を受けるために適した環境を求めるなら、「高級住宅街」に住む必要がある。その結果、ハーバード大学のエリザベス・ウォーレン教授も指摘しているが、アメリカでは医療費と同じように、教育も自己破産の大きな原因になっている。 アメリカでは事実上、貧しい家庭に生まれた子どもに学ぶ権利はなく、読み書き計算のできない状態で社会に放り出されている。仕事をする基盤ができていないわけで、犯罪へ走るのも不思議ではない。ところが、共和党の大統領候補で先頭を走っているというニュート・ギングリッチ元下院議長は貧困の原因を「怠惰」に求めた。そんな「神話」が信じられていたのは一昔も二昔も前の話だと思っていたが、そうでもないようだ。 1980年代、ロナルド・レーガン大統領の時代に導入された新自由主義経済で富が一部に集中、その富は投機に使われて経済のカジノ化が進み、庶民は貧困化していく。国外での略奪もままならなくなり、国内の矛盾は爆発寸前、いや、怒りは噴出し始めている。それがウォール街で始まった「占拠運動」だ。 運動の参加者は「格差」や「貧困」という現象を批判しているのではなく、格差や貧困を生み出す不公正な仕組みを問題にしているのである。その結果、アメリカは「1%」と「99%」に分かれた「階級社会」になったということだ。日本にしろアメリカにしろ、社会に階級が存在することを隠しきれなくなっている。システムを問題にせず、全ての責任を個人に押しつける「自己責任論」の通用する時代ではない。 一部の人間が富を搾り取ることで生じた矛盾を解消するため、かつては外国を侵略し、略奪してきた。そこで、ジョージ・W・ブッシュ政権の時代にギングリッチは「第3次世界大戦」が始まっていると宣言するべきだと主張していた。 ギングリッチはネオコンの広報係とも見られていたが、そのネオコンが描いていた攻撃リストにはイラクのほか、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っている。 ネオコンはロシアも狙っている。ボリス・エリツィン時代にロシアを乗っ取ったようにも見えたのだが、ウラジミール・プーチンがエリツィン体制を崩壊させてしまった。そこで、ネオコンはNATOを東へ拡大させて圧力を加え、ネオコンと一心同体にあるイスラエルはグルジアなどを使ってロシアを揺さぶってきた。ギングリッチは「第3次世界大戦」をレトリックとしてではなく、本当に戦争を始めているつもりなのだろう。 そのギングリッチがパレスチナ人は捏造された存在であり、テロリストだと主張、共和党のライバルからも批判されている。オスマン帝国の中に住んでいた人間にすぎず、どこに移動させても問題ないという「理屈」のようだ。彼の「理屈」によると、東はアゼルバイジャンから西はモロッコ、北はウクライナやハンガリー、南はイエメンや「アフリカの角」という広大な地域に住む全ての人に同じことが言える。その中にはエジプトもリビアもシリアもイラクもイランも、そしてイスラエルも含まれる。ネオコンの動きを見ていると、こうした地域を支配しようとしているようにも見える。
2011.12.12
10日に行われたロシアのデモは参加者が5万人ほどに膨れあがったようだ。勿論、選挙に不正があったと抗議することが目的。ただ、不正の内容が不明確で、現段階では何とも言えないのだが、ただ、ウラジミール・プーチン首相やドミートリー・メドベージェフに対する反発が強まっていることは確かなようだ。おそらく、反発の原因はふたつある。 ボリス・エリツィン時代に国民の財産を「規制緩和」や「私有化」という名目で一部の人間が略奪、大多数の国民が極度に貧困化したのだが、このエリツィン体制を壊したのがプーチンであり、当初のプーチン人気はここから出ていた。にもかかわらず、プーチンはクレムリンへの従属を誓った富裕層と手を組み、庶民の期待を裏切っているように見える。これが反発の一因。 もうひとつは、エリツィン時代に味わった甘い汁を忘れられない人びとの欲望。ロンドンに亡命した大富豪のひとり、チェチェン・マフィアと親密な関係にあると言われているボリス・ベレゾフスキー(後にプラトン・エレーニンと改名)はそうした勢力の象徴的な存在だ。 ロンドンで彼はジェイコブ・ロスチャイルド卿、その息子であるナット・ロスチャイルド、多くのメディアを所有しているルパート・マードック、ジョージ・W・ブッシュ前米大統領の弟でS&Lスキャンダルでも名前が出たニール・ブッシュ、「ジャンク・ボンド」で有名なマイケル・ミルケンらと親しくなっている。 要するに、西側の一部支配層とつながっているのだが、忘れてならないのはイスラエル人脈。エリツィン体制が崩壊した後、大金を懐に少なからぬ人がロシアを逃げ出しているのだが、ロンドンに並ぶ亡命先がイスラエル。ベレゾフスキーも、少なくとも一時期はイスラエルの市民権を持っていた。 ベレゾフスキーは亡命後もロシア支配をあきらめていない。ロシアは無視できない軍事力を持つだけでなく、エネルギー資源の豊富な国。西側の一部勢力が描いている世界戦略にとってもロシア支配は重要なファクターだ。 ロシアを再支配するため、ベレゾフスキーはウクライナやラトビアなど、ロシアの周辺国を揺さぶる。例えば、そうした国々の反ロシア派に2500万ドル程度を提供したと言われている。ベレゾフスキーの友人だったバドリ・パタルカツィシビリは、グルジアの「バラ革命」のスポンサーとして有名だ。 イギリスのガーディアン紙によると、バラ革命で黒幕的な役割を果たしたのはアメリカ人のリチャード・マイルズ。2003年にグルジアの首都トビリシに移動し、サーカシビリを勝たせるために同陣営をコーチしたという。当選したサーカシビリはパタルカツィシビリと仲違いしてしまうのだが、そのパタルカチシビリは2008年2月にロンドンで急死している。 その2カ月後、アメリカはブカレストで開かれたNATOの首脳会議でグルジアを加盟させるように圧力をかけ、軍事的な緊張が高まる。アメリカ政府はNATOを東へ拡大させないと約束していたことから、ロシアが強く反発したのである。 そして8月7日、グルジアのミヘイル・サーカシビリ大統領が分離独立派との対話を訴えるのだが、その対話提案から約8時間後、深夜近くになってグルジア軍は本格的なミサイル攻撃を開始、多数の市民が犠牲になっている。 それまでにグルジア政府は戦争の準備を着々と進めていた。2001年にイスラエルの「民間企業」がロシアとの戦争に備えて武器を提供、軍事訓練を始めているが、その翌年にはアメリカ政府がグルジアに特殊部隊員を含む約40名の軍事顧問団を派遣している。 また、ロシア軍のアナトリー・ノゴビチン将軍によると、2007年にイスラエルの軍事専門家がグルジアの特殊部隊を訓練し、重火器や電子機器、戦車などを提供したという。しかも、グルジアの国防大臣だったダビト・ケゼラシビリは元イスラエル人で、流暢なヘブライ語を話すことができる。ほかにもヘブライ語を自由に操る閣僚がいた。 この戦争はグルジアによる奇襲攻撃だったのだが、ロシア軍の反撃で失敗している。結果として、グルジア政府は自分たちの「戦闘能力」を過大評価していたわけだが、自分たちの軍事力を過信する理由はあったと言える。 アフガニスタンとイラクをアメリカやイギリスを中心とする勢力は先制攻撃、最近ではフランスも加わってリビアの体制を崩壊させ、シリアやイランを不安定化させようと工作を続けている。その勢力とロシアを揺さぶろうとしている勢力は重なる。
2011.12.11
ジョージ・W・ブッシュ政権の時代、ドナルド・ラムズフェルド国防長官たちがイラク攻撃を決定してから実際の攻撃まで約1年半を要したのは統合参謀本部の内部に反対意見が多かったからである。サダム・フセイン体制を崩壊させてもゲリラ戦が続き、戦費も膨らみ、中東全域を不安定化させることは明らかだった。 2008年に経済学者のジョセフ・スティグリッツらは、アフガニスタンやイラクでの戦費が3兆ドルをはるかに超えるとする分析しているが、陸軍のデビッド・ハックワース退役大佐は開戦前、同じような主張をしている。 つまり、イラクを安定させるために少なくとも30年間はイラクにアメリカ軍を駐留させておく必要があり、月に必要な戦費は60億ドル、合計すると2兆ドルを突破すると推定していたのである。バラク・オバマ政権はアメリカ軍を撤退させつつあるが、イラクは安定からほど遠く、しかも傭兵を増強しているのが実態で、泥沼から抜け出せそうにはない。 イラクへの軍事侵攻が事前の宣伝通りにならないことを懸念する声があがっても、AEIのダニエレ・プレッカは「うまく進んでいる」と主張していた。すぐに安定化すると本当に信じていたのか、実際は混乱を望んでいたのかは不明だが。 現在、アメリカはトルコを使ってシリアを攻撃する一方、パキスタン軍を攻撃、イラン領の内部に無人の偵察機を飛ばしている。今回、イランはCIAが飛ばしたRQ-170が墜落して回収されたのだが、勿論、故障してのことではない。察知されず、少なくとも4年間にわたり、何十回と偵察飛行を行ってきたと言われている。イランに対する敵対行為であることは間違いない。 11月26日にパキスタンの検問所を攻撃したのはアメリカの特殊部隊だとも言われているが、故意と言うだけでなく、事前に練り上げた計画に基づいているとパキスタン側は主張、パキスタン国内におけるCIAの活動を調査するともしている。 アメリカの特殊部隊は核戦争計画の中で成長し、カルト的な精神風土がある。アメリカをベトナム戦争に引きずり込む切っ掛けになったトンキン湾事件で主役を演じたのも特殊部隊であり、住民皆殺しを目的としたフェニックス・プログラムも彼らの仕業だ。 勿論、特殊部隊の人間全てがカルト的だと言うわけではない。例えば、イラクに先制攻撃した直後に特殊部隊を指揮していたチャールズ・ホーランドは、確かな情報に基づかない作戦を拒否していた。こうした人物を嫌ったのがブッシュ政権のネオコンたちで、2003年10月に退役させられている。替わって特殊部隊を指揮するようになったのがウィリアム・ボイキン。 この人物、筋金入りのカルト信者で、自分たちの敵はオサマ・ビン・ラディンでもサダム・フセインでもなく、宗教的な敵だと教会で演説している。彼はソマリアで戦った経験があるのだが、そこで撮影した写真に「奇妙な暗黒の印」があることに気づいたと主張、「これがあなた方の敵の正体です。あの町にある邪悪な存在、暗黒の遣いルシフェルこそが倒すべき敵なのだと神は私に啓示されました。」と発言している。 現在、アメリカの共和党は大統領選挙の候補者選びをしている。その有力候補者はボイキンやダニエレ・プレッカと同類の人間。バラク・オバマの再選が阻止されたとき、こうした人間がアメリカを率いるわけだ。背筋が凍る。
2011.12.09
ジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを先制攻撃したときと同じ役者が同じ主張を繰り返している。言うまでもなく、ターゲットはイランだ。イラク攻撃を主張する勢力の中心的な存在は親イスラエル派のネオコン(新保守)、その拠点になっていたのがシンクタンクのAEI(アメリカン・エンタープライズ研究所)。AEIで外交国防政策を担当しているダニエレ・プレッカは好戦派の代表的な存在だ。 世界有数の核兵器保有国であるイスラエルを放置したまま、ブレッカたちはイランの核開発を許せないと主張、徹底した「封じ込め政策」を採用するべきだとしている。イラクの時のような先制攻撃に対する反発は強く、イラクのようにはいかないという判断なのだろう。 ネオコンが中東地域を大改造するべきだと言い始めたのは1990年代に入ってからである。そうした主張を表明したいくつかの文書の中でも特に有名なものが「決別」だろう。 この提案書をまとめたのはエルサレムのシンクタンク「IASPS(先端政治戦略研究所)」。執筆したのはリチャード・パールをはじめ、JINSA(国家安全保障問題ユダヤ研究所)のジェームズ・コールバート、ジョンズ・ホプキンス大学のチャールズ・フェアバンクス、リバート・ローウェンバーグIASPS所長、中東政策ワシントン研究所のジョナサン・トロップ、そしてパールと同じようにネオコンの中心的存在であるダグラス・フェイス、デイビッド・ウームザー、メイラブ・ウームザーだ。 もっとも、1980年代からネオコンやイスラエルはイラクからサダム・フセインを排除するべきだと主張、イスラム革命から湾岸諸国を守る防波堤と位置づけていたアメリカの主流派と対立していた。この対立がイラン・コントラ事件やイラクゲート事件の発覚につながっている。(両事件については拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を参照していただきたい。) こうした提案をした勢力がジョージ・W・ブッシュ政権を支える柱のひとつになるのだが、主導権を握ったと言えるのは2001年9月11日以降。この日、ニューヨークの世界貿易センターにそびえ立っていた南北両タワーに航空機が激突、ペンタゴンも攻撃されるという出来事があった。ブッシュ政権はすぐにアル・カイダの犯行だと断定するのだが、その背後ではイラクを攻撃するというネオコンの戦略が始動していた。 アメリカ陸軍のウェズリー・クラーク大将によると、9/11から10日目の時点でアメリカ政府はイラク攻撃を決定、その数週間後にはイラクだけでなく、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが攻撃予定国に名を連ねていたという。ブレッカもイラクに続き、イランやシリアの体制転覆を想定している。 クラーク大将は1997年から2000年まで欧州連合軍最高司令官を務めた人物。NATOを指揮していたわけだが、その間、1999年には偽情報で下地を作った上でユーゴスラビアを空爆、大統領の自宅や中国大使館を破壊している。同じことをイラクでも行うとドナルド・ラムズフェルド国防長官やポール・ウォルフォウィッツ国防副長官に命令されたと言うわけだ。
2011.12.09
CIAが飛ばしていた無人ステルス機、RQ-170をイランが回収したことは間違いないようだ。アフガニスタンで活動中、コントロール不能になってイラン領空へ入ったとアメリカ側は弁明しているようだが、国境から200キロメートル以上離れた場所で発見されたと言われている。アメリカ側が回収や破壊を断念したのも、この距離にあったようだ。イラン攻撃の準備が目的だった可能性もあるだろう。
2011.12.08
ロシアで実施された下院選挙に不正があったと主張、抗議活動を続けている人びとがいる。そうした活動にアメリカ政府も同調しているのだが、ウラジミル・プーチン露首相はそうした言動を批判している。アメリカ政府がロシアの反政府活動を扇動しているというわけだ。 ジョージ・W・ブッシュ政権の時代、戦争を煽る「大本営発表」を続けたアメリカの有力メディアの中でも特に好戦的だったのがFOXニュース。この放送局はアメリカの不公正な政治経済システムに抗議する「占拠運動」を敵視していることでも知られている。運動を取り上げざるをえない状況になってから現場を訪れたキャスターが追い返されるということもあった。FOXニュースは嘘をつくというわけだ。 そのFOXニュースがまた話題になっている。ロシアでの反政府行動を伝える番組の中でギリシャでの激しい抗議活動の様子を挿入していたと指摘されているのだ。FOXニュースのサイトでその映像を確認することができなかったが、さまざまなサイトでアップロードされ、Tシャツ姿の若者、ヤシ、あるいはギリシャ語の看板が映っていると指摘されている。
2011.12.08
ロシアの下院選挙で不正があった疑いがあるとして、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官やウィリアム・ヘイグ外相は全面的な調査を実施するように要求している。毎度のことなのだが、今回もOSCE(欧州安全保障機構)は公正な選挙でなかったと批判する声明を出している。 選挙が公正でなければならないことは当然だが、残念ながら、現実は違う。日本でも誰が誰に投票したかを調べる仕組みがあった/あると指摘されている。2000年に行われたアメリカ大統領選挙の不正は日本よりも露骨だった。 この大統領選挙では選挙人登録や投票の妨害が報告されているが、それだけでなく、投票用紙の問題や集計でも不正が強く疑われている。最終的に裁判所の決定で勝者が決まった選挙だった。その後、コンピュータが導入されたのだが、ソフトに問題があり、不正は容易になったと信じられている。 2000年の選挙では共和党のジョージ・W・ブッシュと民主党のアル・ゴアが争う形になったが、実は、もうひとりの有力候補がいた。ジョン・F・ケネディ・ジュニア、1963年11月にテキサス州ダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の息子だ。 JFKジュニア自身は大統領選に出馬しないとしていたが、1999年前半に行われた世論調査ではブッシュとゴアを抑えてトップだった。2大政党の候補者を支持していたのはそれぞれ30%程度で拮抗していたのだが、JFKジュニアの支持率は約35%とリードしていたのである。 そうした中、1999年7月に事件は起こる。JFKジュニアを乗せ、マサチューセッツ州のマーサズ・ビンヤード島へ向かっていた単発のパイパー・サラトガが墜落、本人だけでなく、同乗していた妻のキャロラインとその姉、ローレン・ベッセッテも死亡したのだ。現地時間(米国東部夏時間)で午後9時41分、日没から約1時間半後、目的地へあと約12キロメートルの地点だった。 JFKジュニアが自家用操縦士免許を取得したのは1998年4月のことで、NTSB(運輸安全委員会)の報告書によると、基本的な飛行技術は優秀だった。しかも飛行位置から考えて、パイパー機は自動操縦で飛んでいた可能性が高く、操縦のミスで落ちたとは考えにくい。事故の3週間前、ケネディはパラグライダーで遊んでいる時に左足首をけがしていたので、副操縦士を乗せていたはずだとする話も伝えられていた。実際、事故直後の報道では教官が乗っていたとされていたのだが、途中から教官の話が消えてしまう。 旅客機が事故を起こした場合、必ずボイス・レコーダーとフライト・レコーダーの回収が問題になる。JFKジュニアが乗っていた飛行機にもDVR300iというボイス・レコーダーが搭載され、音声に反応して動く仕掛けになっていた。直前の五分間を記録する仕組みになっているのだが、JFKジュニアのケースでは何も記録されていなかった。緊急時に位置を通報するためにELTという装置も搭載されていたのだが、墜落から発見までに5日間を要している。墜落現場の特定に時間がかかりすぎだ。 JFKジュニアに限らず、アメリカでは支配層に批判的な意見を持つ人物が航空機事故で死ぬことがある。例えば、2000年に大統領選と同時に行われた上院議員選挙では、投票日の3週間前、ブッシュ陣営と正反対の立場にあり、憲法を軽視する法律家、ジョン・アシュクロフト(ジョージ・W・ブッシュ政権の司法長官)と争っていたメル・カーナハンが飛行機事故で死んでいる。ちなみに、選挙ではすでに死亡していたカーナハンがアシュクロフトに勝っている。 2002年の中間選挙では、ブッシュ大統領と対立する関係にあったミネソタ州選出の上院議員、ポール・ウェルストンが飛行機事故で死んでいる。天候上の問題はなく、しかも議員が乗っていたキング・エアーA-100には防氷装置がついていて、しかも氷の付着を避けるため、飛行高度を1万フィート(約3000メートル)から4000フィート(約1200メートル)に下降すると報告していた。その付近では5マイル(約8キロメートル)先まで見えたという。 こんな出来事がロシアや中国で起これば、間違いなく「政治的な暗殺」だと「西側」の政府やメディアは大キャンペーンを張ることだろう。いつものように、ロシア下院選でも「ダブル・スタンダード」が適用されたということだ。 ロシアでは一部の支配層が政策を決めているという批判がある。この批判を否定するつもりはないが、現在、アメリカをはじめとする「西側」の国々でも大きな問題になっていること。不公正な政治経済システムを批判している「占拠運動」もこの点を問題にしている。2大政党制による疑似民主国家の日本でもアメリカと同じように、庶民は自分の意志を政治に反映させる手段を奪われている。そのひとつの結果が「独裁者人気」だと言えるだろう。
2011.12.07
来年に行われるアメリカの大統領選挙までにアメリカ、イギリス、イスラエルはイランを攻撃すると噂され、こうした国々はテヘランに潜伏させている「スリーパー」に対し、核開発のキーパーソンを殺害する準備をするように暗号で指令を出し、すでに何件か実行されたとも言われている。真偽は不明だが、軍事的に緊迫していることは確かなようだ。 もっとも、秘密工作、破壊工作という次元の話ならば、すでに実行されている。スンニ派の武装組織「ジュンダラー(アラーの兵士)」だけでなく、アメリカのCIA(中央情報局)やJSOC(統合特殊作戦司令部)はMEK(ムジャヒディン・ハルク)やクルドの分離独立派を手先として使い、イラン政府に揺さぶりをかけている。 そうした中、イランの「学生」がイギリス大使館に乱入し、一部の書類を持ち出している。第2次世界大戦中の作戦に関する文書も含まれていたようだが、現在の作戦に関する書類が見つかる/見つかった可能性もないとは言えない。 また、イランの東部でアメリカ軍の無人ステルス機RQ-170が撃墜されたとイランで報道された。アフガニスタンで先週、行方不明になった無人機ではないかとアメリカ軍は示唆している。 この事件に関連して注目されているのが、ロシアが提供した「1L222」という電子戦用の装置。通信の傍受やジャミングが可能で、無人機に指示を出していた電波に影響を与えて墜落させたのではないかとも言われている。この推測が正しいとするならば、イランに対するミサイル攻撃は容易でない。 イランではすでに巡航ミサイルを配備、攻撃を受けた場合はトルコにあるNATOのミサイル防衛シールドを攻撃するとイラン側は警告している。イランを攻撃したならNATOの基地が反撃で破壊される可能性があり、ロシアを巻き込む核戦争に発展する可能性も否定できない。実際、ロシアはそうした事態に備え始めている。 最近の動きを見ていると、イギリス、アメリカ、フランスは軍事力を使った侵略と略奪で破綻した経済を建て直そうとしているようだ。この略奪計画に失敗したなら、欧米の支配は終焉を迎えるかもしれない。
2011.12.06
ロシアで下院選が行われ、ウラジミル・プーチン首相が率いる統一ロシアが第1党を維持したものの、77議席減らして238議席に後退したようだ。それに対し、共産党が35議席増の92議席、公正ロシアが26議席増の64議席、自由民主党が16議席増の56議席だ。社会主義的な色彩が濃くなったと言えるだろう。 プーチンがロシア国民から支持された最大の理由は、ボリス・エリツィン時代の新自由主義的な政治経済政策に対する憎悪にある。エリツィン政権時代、クレムリンと結びついた一部の勢力は「規制緩和」や「私有化」によって巨万の富を手にしたが、その一方で大多数の庶民は極度の貧困化に苦しんだことを国民はまだ忘れていないようだ。 オリガーク(寡占支配者)とも呼ばれているエリツィン時代に誕生した大富豪は単なるカネ儲け集団でなく、特殊部隊や情報機関の現/元メンバーを雇い、犯罪組織の様相を呈していた。中でも、チェチェン・マフィアとの関係が指摘されているボリス・ベレゾフスキー(後にプラトン・エレーニンと改名)は有名だ。 こうしたオリガークの背後には西側の巨大資本が存在、ロシア乗っ取りに成功したように見えたのだが、それをひっくり返したのがKGB(国家保安委員会)の幹部だったプーチンだ。抗争に敗れたオリガークたちはロンドンやイスラエルへ逃げ、その莫大な財産を元に様々な活動を開始する。 自らの権力を過信したオリガークのひとりで巨大石油企業のユーコスを支配していたミハイル・ホドルコフスキーは逮捕され、有罪の判決を受けている。西側の銀行や投資会社の「カーライル・グループ」から巨額の資金を得ていたユーコスの総帥が摘発されたことに西側の支配層は反発するが、そうした圧力を跳ね返す力がプーチンにはあった。ロシア国民がプーチンに期待した理由はそこにある。 ちなみに、カーライル・グループとは悪名高きファンドで、ジェームズ・ベイカー元米国務長官をはじめ、フランク・カールッチ元米国防長官、ジョン・メジャー元英首相、ジョージ・H・W・ブッシュ元米大統領などが幹部として名を連ねていた。 ホドルコフスキーの原動力は権力やカネに対する欲望。ソ連が消滅する前、彼はコムソモール(全ソ連邦レーニン共産主義青年同盟)の指導者だったのだが、その時代にKGBの人脈を使い、ロシアの若い女性を西側の金持ちに売り飛ばしていた疑いがあるという。その時に西側の金持ちとコネクションができたということだ。 ソ連消滅後にメナテプ銀行を設立するが、その腐敗ぶりは有名で、CIAから「世界で最も腐敗した銀行のひとつ」と表現されていた。その頃、ホドルコフスキーはユーコスを買収、中小の石油会社を呑み込んでいる。 勿論、メディア支配にも抜かりはない。モスクワ・タイムズやサンクトペテルブルグ・タイムズを出している会社の大株主になっている。2002年にはアメリカで「オープン・ロシア基金」を創設、ヘンリー・キッシンジャーやジェイコブ・ロスチャイルド卿を雇い入れている。 ホドルコフスキーとは違ってベレゾフスキーはロンドンに逃亡、そこから反プーチン・キャンペーンを展開した。亡命後、ベレゾフスキーはロスチャイルド卿、息子のナット・ロスチャイルド、多くのメディアを支配しているルパート・マードック、ジョージ・W・ブッシュ前米大統領の弟でS&Lスキャンダルでも名前が出たニール・ブッシュ、「ジャンク・ボンド」で有名なマイケル・ミルケンらと親しくなっている。 エリツィン時代からベレゾフスキーのボディー・ガードをしていた人物の中にアレクサンドル・リトビネンコなる人物がいた。ロシアの情報機関FSB(連邦保安局)に勤務しながら、ベレゾフスキーのボディー・ガードをしていたという。このリトビネンコが2006年にポロニウム210で毒殺されている。 通常、毒殺には検出が難しい物質が使われるのだが、この場合は痕跡が残る方法が採用された。要するに不自然な暗殺劇だった。リトビネンコのケースでは、痕跡を残すことに意味があったと考えるべきだろう。 リトビネンコは殺される数週間前、ユーコスの元幹部レオニド・ネフツーリンらとイスラエルで会っている。イスラエルには少なからぬオリガーク人脈が逃げ込んでいて、ベレゾフスキーもイスラエルの市民権を持っていた時期がある。 やはりイスラエルの市民権を持つオリガーク、アルカディ・ガイダマクはイスラエルで政治の世界にも進出した。2007年には「社会正義党」を結成し、リクードのベンジャミン・ネタニヤフと同盟関係にあり、ガザでの破壊と殺戮に加担していることになるだろう。 実は、ロシアで権力基盤を築いたプーチンはオリガークとも手を組むようになった。権力の論理からすると合理的なのかもしれないが、庶民にしてみると不愉快だろう。今回の下院選でプーチンの率いる政党が議席を減らしたのは当然ということである。
2011.12.06
米英仏に協力する形でトルコ政府はシリアに対して越境攻撃している武装集団を後押ししているが、その一方でパキスタンはアメリカに対して厳しい姿勢を見せ始め、中国に近づいているとも言われている。 そうした中、イランの東部でアメリカ軍の無人ステルス機RQ-170が撃墜されたとイランで報道されたが、アメリカ軍はこの報道を否定し、アフガニスタンで先週、行方不明になった無人機ではないかと示唆してる。 詳細は不明で何とも言えないのだが、アメリカ軍/NATO軍としてはイラン領空を侵犯したことを認めたくはなく、本当にステルス機が撃墜されたとしても、この事実は否定したいだろう。 シリアに対しては、より露骨に「西側」は軍事介入を始めている。内戦状態のシリアに「人権回廊」を作るというフランスの提案も、軍事要員や情報機関員を潜入しやすくするための手段にすぎないことは見透かされている。リビア攻撃におけるイギリスの暗躍は本ブログでも何度か指摘した通りだ。ユーゴスラビアへの軍事介入以来、「人道」の胡散臭さは国際的に広く認識されるようになってきた。 米英仏がリビアに軍事侵攻した理由のひとつは、リビア自体とリビアに支援されたサハラ以南のアフリカ諸国が欧米の植民地体制から自立し、BRICS、特にロシアや中国に接近していたことだと見られている。アフリカ大陸の資源利権を失ったなら、欧米の経済はさらに厳しい状況に陥る可能性が高く、どうしてもリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒す必要があった。そのため、米英仏はアル・カイダ系の武装集団と手を組んだわけだ。 考えてみると、イラクのサダム・フセイン体制もアル・カイダとは敵対関係にあった。フセイン体制が崩壊した後の混乱の中、アル・カイダが入り込んだのである。コソボ紛争でも「西側」はアル・カイダと手を組んでいた。もっとも、アル・カイダを含むイスラム武装勢力を組織し、訓練し、支援してきたのはアメリカの軍や情報機関だが。アル・カイダとアメリカが敵対関係にあるという先入観が捨て去る必要がありそうだ。
2011.12.05
イランの国営テレビ、アル・アラムによると、アメリカ軍の無人偵察機のRK-170(恐らくステルスのRQ-170)をイラン軍がイラン東部で撃墜したと伝えている。11月29日にはテヘランにあるイギリス大使館に数十名の「学生」が突入しているが、イラン政府は米英やイスラエルの揺さぶりに対し、強い姿勢で臨むと腹を据えたようだ。 WikiLeaksが公表した文書によってアメリカ政府に忠誠を誓っていることが明らかにされた天野之弥が事務局長を務めるIAEAは不確かな情報に基づき、推測に推測を重ねた報告書でイランの核兵器開発疑惑を宣伝、イラン革命防衛隊のミサイル基地やイスファハンでの爆発はイスラエルの破壊工作だという話も伝えられていた。 しかし、ここにきて風向きに変化が見られる。ミサイル基地での爆発に大喜びだったイスラエルのエーウド・バラク国防相は、イランで戦争が始まったという見方を否定した。アメリカ政府内部で風向きが変化している可能性がある。 ネオコンに近いと言われているデイビッド・ペトレイアスCIA長官が主導する形で怪しげな「イランの駐米サウジアラビア大使暗殺計画」が宣伝されたが、ここにきてレオン・パネッタ米国防長官はイラン攻撃に慎重な姿勢を見せている。イランに対する戦争を始めたなら、ひび割れ状態の欧米経済が崩壊してしまうと懸念しているようだ。こうした状況を考えた上で、イランは強硬姿勢に出ているのかもしれない。
2011.12.04
70年前の12月7日(現地時間)、ハワイの真珠湾を日本軍が奇襲攻撃、これを切っ掛けにしてアメリカは第2次世界大戦に参戦した。その年の半年前、バルバロッサ作戦を発動してソ連に攻め込んでいたドイツにとっては最悪の知らせだったことだろう。その奇襲攻撃の3日前、アメリカ海軍の情報機関がフランクリン・ルーズベルト大統領に対し、日本軍がアメリカの西海岸、パナマ運河、あるいはハワイを攻撃する可能性があると警告していたとする本が出版された。 第2次世界大戦の前、アメリカの巨大資本がナチスを資金面から支援していたことが明らかになっているが、そうした支配層のグループと対立していたルーズベルトが1932年の大統領選で当選、翌年2月の銃撃事件を生き抜いて大統領に就任している。柳条湖事件(1931年9月)の後、アメリカの権力構造が大きく変化したのだ。これは日本に支配層にとって大きな誤算だったことだろう。 ルーズベルト政権が始まった直後からモルガンを中心とするグループが反ルーズベルトのクーデターを計画している。この計画はスメドリー・バトラー海兵隊少将の議会での告発で未遂に終わるが、ウォール街と大統領の対立はその後も続くことになる。対立が解消されるのは、おそらくルーズベルトが急死した1945年4月のことである。 モルガンはクーデターでアメリカをファシズム国家にするつもりだったのだが、ルーズベルトは反ファシズム。中国に対する侵略戦争を始めた日本としては戦略を変更する必要が生じたのだが、適切に対応したとは思えない。そして東アジアでの侵略戦争は泥沼化、そうした苦境が日本を真珠湾攻撃に追い込んでくことになった。アメリカから見ると「後の先」だったのかもしれない。
2011.12.02
不公正な政治経済システムに抗議する運動がニューヨークのウォール街で始まったが、その運動を暴力的に弾圧しているのがマイケル・ブルームバーグ市長。11月29日にはマサチューセッツ工科大学でニューヨーク市警察を自分の私兵だと語っている。多分、市も自分のものだと思っているのだろう。 ウォール街で象徴されるアメリカの巨大企業は国家を私物化している。規制緩和、私有化の推進が進むアメリカでは教育や医療などで庶民は債務奴隷化、一部の富裕層は「余った資金」を投機に回し、行き詰まると庶民に付けを回している。 1933年にモルガンを中心とするウォール街の大物たちは反フランクリン・ルーズベルト大統領のクーデターを計画したとスメドリー・バトラー海兵隊少将は議会で告発している。ファシズム体制を確立するべきだとクーデター派は主張していた。庶民の怒りを抑え込むにはファシズムが効果的だと考えたのだろう。 ルーズベルト政権のときに成立した銀行の業務を規制するグラス・スティーガル法の投機規制が無効化された1980年の頃から憲法を無力化する仕組みが計画され始め、それが形になったのが愛国者法。 その愛国者法によってアメリカの憲法はすでに機能停止状態になっているが、それでは満足できないジョン・マケイン上院議員のような人たちは「S. 1867」という法律案を作り出した。これによって、アメリカ市民をグアンタナモ収容所に送り込むことも可能になるとされている。 1980年代からアメリカでは国民監視システムの開発が進み、2001年9月11日以降は急速に実用化が進んだ。日常生活にも監視の目は存在、最近ではアンドロイドに搭載されたソフトのスパイ機能に対する警告もある。アメリカのファシズム化はとまりそうにない。 通信傍受、あるいは国民監視システムの問題は1970年代からイギリスのジャーナリスト、ダンカン・キャンベルが明らかにしてきたが、ここにきてWikiLeaksも取り組み始めている。
2011.12.01
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