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6月の後半、地中海に面した様々な港から15隻の支援船が医療品、文房具、あるいは建設資材を積んでガザを目指すという。こうした船には約100カ国からあつまった1500名程度が乗り込む予定だという。その中には約200名のカナダ人も含まれている。イスラエル側は阻止するとしているが、強硬手段に出ると立場は苦しくなる。 1年前の2010年5月31日、ガザへの支援物資を運んでいた船団が公海上で襲撃されるという出来事があった。船団の中心的な存在だった「マルマラ号」に乗り込んでいた9名が殺され、多くの負傷者が出ている。 襲ったのはイスラエル海軍の特殊部隊「シャエテット13」。襲撃の際にジャミングで通信を妨害して外部との連絡を絶ち、乗船していたジャーナリストらが撮影した映像を押収し、事件後に外部の調査に抵抗している。 その1年半ほど前の2008年12月にはガザをイスラエル空軍が突如、空爆。その後、白リン弾など「化学兵器」も使いながら軍事侵攻し、病院や国連の施設も破壊、1200名とも1400名とも言われるパレスチナ人を殺害している。そのうち約5分の4は一般市民であり、約350名の子供も犠牲になった。一方、イスラエル側は10名の兵士(そのうち4名は同士討ち)と3名の市民が殺されている。 イスラエル側はパレスチナ側の武装勢力が市民を「人間の盾」にしたと主張したが、事実に反していることが明らかになっている。国連の施設にしても、場所は正確に知っているはずで、意図的に攻撃した可能性が高い。 マルマラ号への襲撃やガザへの軍事侵攻はイスラエルの国際的な立場を悪化させた。そのイスラエルを擁護するアメリカも国際的に孤立している。イスラエルはアメリカと「無理心中」しようとしているかのようだ。支援グループの評判を落とすような出来事でも起こらない限り、強硬策はイスラエルやアメリカの立場をますます悪くする。
2011.05.31
現在、ドイツやオーストリアでは、ナチス時代に広く行われていた儀礼、つまり挨拶として右手を斜め上に差し出す所作は犯罪とみなされている。第2次世界大戦で敗北するまでの日本では、「国民儀礼」として宮城(皇居)遙拝、「御真影」への敬礼、そして君が代斉唱と日の丸掲揚が強要されていた。日本とドイツ、いずれのケースでも支配者/システムに服従させる心理的な仕組みとして実施されていた。 最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は5月30日に出した判決の中で、学校式典における君が代の起立斉唱は「慣例上の儀礼的な所作」だとしたうえで、そうした行為を強制する校長の職務命令は違法でないと主張したようだ。 かつて、日本の支配層はアジアを植民地化する過程で、君が代斉唱や日の丸掲揚は重要な儀礼だと認識していた。現在、日本国内でそうした「皇民化政策」が推進されつつあり、そうした政策を最高裁が認めたというように見える。 ちなみに、最高裁第2小法廷のメンバーは、竹崎博允(現最高裁判所長官)、古田佑紀(元最高検次長検事)、竹内行夫(元外務事務次官)、須藤正彦(元日弁連綱紀委員会委員長)、千葉勝美(元仙台高裁長官)の5名だ。 今年2月、同小法廷は納税をめぐる裁判で物議を醸している。サラ金の大手「武富士」の武井保雄会長と妻は1999年、長男の俊樹専務に外国法人株を贈与したのだが、その際に約1650億円の申告漏れがあったと指摘され、約1330億円の追徴課税処分を受けた。長男は処分の取り消しを求めて訴えていたのである。 問題の外国法人とは保雄会長が買収していたオランダの会社で、大量の武富士株を保有していた。この法人株を「香港に在住」していた俊樹専務に売却し、相続税を免れようとしたのである。当時、海外居住者への海外財産の贈与は非課税扱いだった。裁判ではこうした取り引きが「節税」なのか、「脱税」なのかが争点で、俊樹専務の拠点は日本なのか香港なのかが争われた。 2審までは処分を適法としていたのだが、第2小法廷は原判決を破棄、つまり処分は違法だとする。金持ちが行う「贈与税回避スキーム」(須藤裁判長の表現)は適法ということだ。その結果、納税分に還付加算金(利子)を加えた約2000億円が長男側に支払われることになった。 おそらく、こうしたスキームは富裕層の中で広く行われていた。武井親子のケースが違法ということになると、その影響は計り知れない。富裕層はパニックになっていたかもしれない。そうした意味で、最高裁第2小法廷の判決は富裕層に「安心安全」を与えるものだっただろう。 福島第1原発の事故で原子力をめぐる利権構造が注目されているのだが、一部の富裕層が庶民の富を吸い上げるという点で、武井親子の相続税問題も根は一緒だ。そうした支配構造を維持する上で、君が代斉唱や日の丸掲揚の強要は重要な意味を持つ。君が代の起立斉唱を命令しても「合憲」だと判決した裁判官が武井親子の相続税問題でも富裕層に有利な判決を出している事実は、現在の日本を象徴している。 もうひとつ、忘れてならないことがあった。最高裁を頂点とする日本の司法システムは原子力を推進する一翼を担ってきた。裁判所が専門家などの警告、あるいは人々の不安と真摯に向き合っていたなら、日本列島や太平洋、いや地球を汚染するような事故を引き起こさずにすんだかもしれない。
2011.05.31
北アフリカや中東でイギリスの動きが活発だ。言うまでもなく、民主化を支援しているわけでなく、利権の確保が目的だ。バーレーンでは民主化を要求する声を圧殺するためにサウジアラビアを中心とする1000名規模の部隊が送り込まれ、運動のリーダーだけでなく医療関係者も拘束されている。民主化の波が自国に波及することをサウジアラビアは恐れている。 そのサウジアラビアにイギリスは大規模な軍事顧問団を派遣し、軍事訓練を実施している。そうした訓練には抗議行動への対処法も含まれている。サウジアラビアも決して民主的な国ではなく、イギリスの行動は反民主主義的と言われても仕方がない。そのサウジアラビアがバーレーンで民主化運動を弾圧しているわけで、イギリスはバーレーンの民主化弾圧に手を貸していることになる。バーレーンの皇太子をイギリスのデイビッド・キャメロン首相が歓待したことも話題になっている。民主化を要求している勢力はアメリカと接触しているようだが、基本的に「西側」は中東の民主化を望んではいない。 そのイギリスは現在、フランスやアメリカと共同でリビアの内戦に軍事介入している。今のところ戦闘機による攻撃が中心だが、地上にいるイギリス人と見られる軍人をアルジャジーラは撮影することに成功した。 イギリスの特殊部隊や情報機関員がリビアに入り込んでいることは、軍事介入が本格化する前から露見している。6名のSAS(イギリスの特殊部隊)メンバーと2名のMI6(イギリスの対外情報機関)オフィサーが拘束されたのだ。秘密裏にイギリスが東部の反政府派と接触しようとしたとき、事情を知らない兵士に見つかって工作が露見したのかもしれない。 前にも書いたようにリビアの反政府派にはいくつかのグループが存在、イスラエルやアメリカに支援されたNFSL(リビア救済国民戦線)やアルカイダと連携しているLIFG(リビア・イスラム戦闘団)のほか、東部にはベンガジの分離独立派やサヌーシ教団などが活動している。東部の勢力はイギリスと関係が深いのだ。 それだけでなく、SASの隊員は政府軍の動向を米英仏軍の戦闘機に知らせる目的で活動し、イギリス政府は傭兵会社に雇われたという形でSASの隊員などを派兵するという噂も流れている。 内戦が膠着状態になっているリビアでは反政府派を支援するために攻撃ヘリを投入するというが、そうした作戦とイギリス軍の「派兵」との関係を疑う声もある。 攻撃ヘリを投入する理由は、言うまでもなく、戦闘機からの攻撃に満足していないからだ。そこで低空から確実に攻撃したいと考えたらしいのだが、低空を低速度で飛行するヘリコプターは撃墜されるリスクも戦闘機よりは高い。今後、米英仏軍とリビア軍との戦争という側面がますます強くなりそうだ。
2011.05.30
福島第一原発1号機で現在、「チャイナシンドローム」が起こっている可能性が高いと指摘されている。メルトダウンした燃料が原子炉圧力容器の底に落下、底を突き抜けて格納容器へ落ち、格納容器の底を溶かしてコンクリートの中へ入り込み、さらに地中深くへと沈んでいくというシナリオ。勿論、その溶融物は放射能を出し続けるわけで、深刻な事態だ。 小沢一郎氏はウォールストリート・ジャーナルのインタビューで次のように発言している。小沢氏に対しては様々な意見があるだろうが、それはともかく、福島第一原発事故の認識は決して大げさでない。 「汚染はどんどん広がるだろう。だから、不安・不満がどんどん高まってきている。もうそこには住めないのだから。ちょっと行って帰ってくる分には大丈夫だが。日本の領土はあの分減ってしまった。あれは黙っていたら、どんどん広がる。東京もアウトになる。ウラン燃料が膨大な量あるのだ。チェルノブイリどころではない。あれの何百倍ものウランがあるのだ。みんなノホホンとしているが、大変な事態なのだ。それは、政府が本当のことを言わないから、皆大丈夫だと思っているのだ。私はそう思っている。」(「ウォールストリート・ジャーナル」、2011年5月27日) 1号機ではチャイナシンドロームのシナリオにしたがって事態が進み、溶融物はコンクリートの中にあると推測する人が少なくない。1号機の原子炉建屋地下に深さ4mを超えるとみられる大量の水がたまっているのが見つかったと発表されている、つまり大量の水が漏れ出ている。このことを考えると、チャイナシンドロームが現実のものになっている可能性は高いだろう。 こうしたシナリオの始まりは燃料のメルトダウンである。この現象が起こったことは最近、東電も認めている。問題はその原因だが、元原発設計技師の田中三彦氏は早い段階から配管の破損/破断を懸念、東電が少しずつ出すデータの解析でそうした懸念が現実に起こった可能性があると判断している。破損/破断した部分から大量の冷却材が圧力容器から格納容器へ噴出、その結果、冷却材喪失事故になり、メルトダウンしたということである。(Part 1、Part 2、Part 3)原子炉水位の下降スピードから考え、「小口径配管」が破損/破断した可能性が高いと田中氏は推測している。(「科学」、2011年5月号) 冷却材喪失事故に至るもうひとつのシナリオは、「主蒸気逃がし安全弁」が開いて閉じなくなったというもの。田中氏によると、原子力安全・保安院はこのシナリオを主張していたようだが、問題の時点における原子炉の圧力は6.9メガパスカル(大気圧分を引いたゲージ圧)で、安全弁の開放設定圧力より低い、つまり通常なら開かない。(前掲書) ともかく、冷却材を喪失し、空焚き状態になって温度が上昇し、燃料棒のジルカロイ被覆管が周囲の水蒸気と反応して水素を発生、それが損傷箇所か、格納容器の蓋を持ち上げる形で外部に漏れて水素爆発に至ったということだ。 温度の上昇は燃料のメルトダウンを引き起こして圧力容器の底に落下した可能性が高いわけだが、そこには制御棒がある。制御棒は多くの穴から出し入れされる形になっているのだが、その部分は容器本体に比べて弱い。溶接部を溶かして冷却材が漏れたり、溶融物が落下したりしかねない。溶融物が落下した場合、格納容器の底に水があれば水蒸気爆発の恐れがあり、なければそのまま容器を溶かしてコンクリートの中へ入っていく。東電もこうしたことが起こっていることを否定していない。 原子炉建屋の地下に深さ4mを超えると大量の水があるというのだが、それだけ大量の水が流れ込むだけの大きな穴が開いていると推測できる。つまり、溶融物の相当量が格納容器の外部に出ている可能性が高く、人為的に冷却することは困難になっていることが懸念されている。2号機や3号機でもこうしたことが起こった、あるいは起こるならば、事故の深刻度は間違いなくチェルノブイリ原発のケースを超えることになる。
2011.05.29
言うまでもく、日本へ原子力を導入する突破口を開いたのは中曽根康弘である。ドワイト・アイゼンハワー米大統領が「原子力の平和利用」を宣言したのが1953年12月、その3カ月後に中曽根は原子力予算を国会に提出、修正を経て4月に可決されている。その中曽根について、考えてみた。 元内務官僚の中曽根が政界で「出世街道」を歩き始めるのは1950年。この年の6月、スイスで開かれたMRA(道徳再武装運動)の世界大会へ出席したことが切っ掛けだと言われている。この団体はアメリカの「疑似宗教団体」で、CIAと結びついている可能性が高い。ちなみに、岸信介や三井高維もMRAに所属している。 その3年後、つまり1953年に中曽根は「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加しているのだが、その責任者がヘンリー・キッシンジャー。スクールのスポンサーにはロックフェラーやCIA系団体が名を連ねていた。アイゼンハワーの演説はこの年の暮れだ。 岸信介内閣が安保改定を強行して間もない1961年、ふたりの子供がCISVという団体が主催するキャンプに参加した。この団体に参加するためには厳格な資格審査で合格する必要があり、必然的に金持ちの子供しか入会できない。要するに、ふたりの子供は金持ちの家に生まれていた。その後、ふたりはCISV日本協会に関わるようになり、親しくなる。 当時、協会の会長は中曽根康弘であり、副会長は鹿島建設の社長だった渥美健夫。ふたりの子供とは、中曽根の娘である美恵子と渥美の息子である直紀だった。直紀は慶応大学の大学院で法律を学び、美恵子はNHKアナウンサーになる。そして1974年、ふたりは結婚した。 渥美健夫の妻、伊都子は鹿島守之助の娘。伊都子の妹にあたる三枝子が結婚した相手は自民党宮沢派の平泉渉。鹿島建設の専務から政界へ飛び込んだ人物である。核武装を目指していた佐藤栄作内閣で科学技術庁長官を務めた。佐藤は鹿島守之助の親友だったという。ちなみに、平泉渉の父親は「皇国史観」で有名な平泉澄だ。 福島第一原発の事故で福島県はおろか、東日本、いや太平洋や大気を介して全世界が放射能に汚染されつつある。こうした事件の原因を作った中曽根の足跡をたどると、内務省、CIA、キッシンジャー、原子力、鹿島建設、皇国史観という不気味な名詞が並んでしまう。あ、それから中曽根のボスと言われていた人物は、「右翼」でCIAの協力者でもあった児玉誉士夫。この関係も忘れてはならない。原子力の奥に広がる闇は深い。
2011.05.25
リビアの内戦で「西側」が劣化ウラン弾を使用している疑いが出ている。すでに4月の段階で、アメリカのシンクタンク「FPIF」のコン・ハリナンが指摘しているほか、最近ではイギリスの反核活動家、ケイト・ハドソンも同じ趣旨の発言をしている。 リビアが内戦状態になった一因はムアンマル・アル・カダフィの独裁体制にあるが、その一方でアフリカにおける利権を米英仏の支配層が維持しようとしているという側面もある。カダフィはアフリカ中南部の自立を支援しているのだ。だからこそ、AU(アフリカ連合)は欧米の軍事介入に反対してきた。 福島第一原発の事故は日本のマスコミが支配者にとって都合の良い話を流すプロパガンダ機関にすぎないことを明確にした。原発以外の話でも同じことである。
2011.05.24
原子力発電が原子爆弾と深い関係にあることは言うまでもない。発電所の建設から放射性廃棄物の処理までに必要なコストや事故が起こったときの被害を考えると、経済的とは到底言えない原発に執着してきたベースには核武装したいという妄想があるはずだ。 1960年代の後半(佐藤栄作政権)に核武装プロジェクトが動いていたことは広く知られるようになったが、その後も核武装の夢を日本の支配層が捨てたとは思えない。 1977年、東海村の核燃料再処理工場が試運転に入り、プルトニウムの生産が具体化した。プルトニウムは核兵器に利用することができる。アメリカ政府はこうした行為を見逃さないだろうと1978年に山川暁夫氏は国会で指摘している。 この当時、アメリカ大統領だったジミー・カーターはこうした動きに敏感で、高速増殖炉で軍事用のプルトニウムを生産できないように細工させたという。 イランのイスラム革命を阻止できなかったことからカーターはアメリカの金融資本の不興を買い、「親パレスチナ」だとしてシオニストからも敵視されて再選されなかった。当選したのはキリスト教原理主義の熱心な信者で、好戦派のロナルド・レーガン。 そうしたこともあってか、日本でプルトニウムを分離/抽出するRETF(リサイクル機器試験施設)を建設するという話が浮上した際、アメリカ政府は「機微な核技術」と呼ばれる軍事技術がを提供したという。つまり、アメリカ政府の管理下で核兵器開発が進められた可能性もある。 しかし、現在、高速増殖炉は動いていない。動く見通しも立っていない。核武装の夢を実現させることは困難な状況のようだ。プルトニウムを処理するというポーズを見せるためプルサーマル計画をスタートさせているが、これも機能していない。 核兵器が議論される際、必ずといって良いほど出てくるのが「核の傘」や「抑止力」なのだが、これはアメリカの歴史を知らないから言える話。アメリカが「防衛的」だという前提は事実に反しているということだ。 1950年代から1960年代の前半にかけて、アメリカの軍や情報機関の内部にはソ連を核兵器で先制攻撃しようとする動きがあった。核弾頭の数だけでなく、運搬手段(爆撃機や大陸間弾道ミサイル)で圧倒していたアメリカは核戦争で圧勝できると信じていたのである。 ソ連にできる対抗手段としてすぐ頭に浮かぶのは、アメリカから近い場所への中距離ミサイル配備。格好の場所がキューバだ。アメリカが執拗にキューバの革命政権を潰そうとした理由は、おそらくここにある。 もっとも、こうした軍事作戦は大統領を抜きに実行することは難しい。大統領を納得させられる事件を起こすか、大統領を排除するしかない。 1960年代前半、アメリカの統合参謀本部では「ノースウッズ作戦」と名付けられた偽装テロ計画があったが、これは失敗する。計画の中心的な存在だった統合参謀本部議長は再任されず、西ヨーロッパへ追放された。CIAの好戦派幹部も排除された。その後、好戦派にとって目障りなジョン・F・ケネディ大統領は暗殺されるが、リンドン・ジョンソン大統領がJFK暗殺のソ連黒幕説を信じなかったため、やはり核戦争は実現できなかった。 少なくとも1960年代まで、アメリカの軍や情報機関には、先制核攻撃したいと願う勢力が存在していた。日本は「核の傘」に入っていたのではなく、「核の槍」に囲まれていたと言うべきだろう。アメリカ軍を「抑止力」と理解するべきではできない。原発にしろ原爆にしろ、日本人にとってろくなものではない。
2011.05.24
バラク・オバマ米大統領が5月19日に行った「中東和平」に関する演説は、早くも崩れ去った。そもそも具体性のない提案だったのだが、22日に行われたAIPAC(イスラエル・ロビー団体)での演説で軌道修正、1967年6月の第3次中東戦争をイスラエルが始める前とは違う国境線をイスラエルとパレスチナは交渉するのだと演説している。この演説ではイスラエルが主張する「安全保障」に同意、ガザへ軍事侵攻し、白リン弾などを使って多くの住民を虐殺した事件でもイスラエルを支持していることを再確認している。 そもそも、「1967年以前の境界線」も公正なものではない。本ブログでは何度も指摘しているので食傷気味だろうが、忘れてはならない事実だ。水源があって農耕が可能な地域は「ユダヤ人の国」に、砂漠地帯はアラブ人の国に割り当てられていた。 しかも1948年4月4日に始まった「ダーレット作戦」でアラブ系住民を虐殺、多くのアラブ系住民が追い出されて難民化している。こうした状況を改善しようとした国連調整官のフォルケ・ベルナドッテ伯はエルサレムの近くでシオニストに暗殺されてしまった。 19日の演説でオバマ大統領はイスラエルの変化を過小評価していたという見方がある。この変化はロシアの動向と無関係ではない。 ソ連が消滅する過程で「西側」の支援を受けたボリス・エリツィンが実権を握り、「私有化」と「規制緩和」で一部の人間が巨万の富を得ている。こうした富豪は経済だけでなく政治もコントロールすることになったのだが、1999年12月にウラジミール・プーチンが大統領代理に就任すると変化し始める。翌年5月には正式な大統領となり、エリツィン時代に出現した富豪はイギリスやイスラエルへ亡命した。中でも有名な人物がボリス・ベレゾフスキー(イギリスへ亡命した後、プラトン・エレーニンと改名)。こうしたグループは、亡命先で影響力を強めていく。 イギリスでベレゾフスキーは西側の大物と親交を結ぶが、中でも重要な人物がジェイコブ・ロスチャイルド卿と息子のナット・ロスチャイルドだろう。イスラエルへ亡命したベレゾフスキーの仲間もいる。彼らはその後、莫大な資金を背景にしてイスラエルに大きな影響を及ぼすようになった。 こうした流れの中、イスラエルで頭角を現したのがアビグドル・リーバーマン外相。狂信的なユダヤ至上主義者で、イスラエルから「非ユダヤ人」を排斥しようとしている。すでに「非ユダヤ系住民」に対して「ユダヤ人国家」への忠誠を誓わせる法律がイスラエルでは作られ、「イスラエルの主権を害する」と認定された人間から市民権を剥奪できるという「市民法」も承認されている。イスラエルでは「民族浄化」を推進しているのだ。 リーバーマン外相たちだけでなく、1970年代にアメリカのキリスト教原理主義者と手を組むことで実権を奪ったリクード(ウラジミール・ジャボチンスキーの「修正主義シオニスト世界連合」の流れをくむ)は第3次中東戦争で占領した地域でも満足していないと見られている。彼らは旧約聖書に書かれた「約束の地」を考えている可能性があるのだ。 旧約聖書の何カ所かでそうした土地について記述されている。例えば、創世記によるとナイル川から、ユーフラテス川までがイスラエルだということになっている。つまり、エジプトの一部、ガザ地区、ヨルダン川西岸、ヨルダン、レバノンの全て、さらにシリアやイラクの相当部分を含む地域だ。1967年の戦争で占領したエルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などでは足りない。目的を達成する前に停戦してしまったということだろう。 カルト色を強めているイスラエルは、オバマ大統領の中身のない発言も許せなくなっている。しかも、そのカルト国家は世界有数の核兵器保有国。ジミー・カーター元米大統領によると核弾頭の数は約150発、中には400発と推測している人もいる。 イスラエル・ロビー(カネ)だけでなく、核兵器もアメリカをコントロールする道具になっているはず。こうしたロビー団体や核兵器の脅しを押し返すだけの信念も度胸もオバマ大統領にはないということを、今回の一件によって再確認できた。
2011.05.23
アメリカは世界で孤立している。新自由主義経済、要するにマーケット教を各国に押しつけ、軍事力で殺戮と破壊を繰り返し、全世界で人間社会を破壊していることもあるのだが、パレスチナ問題に対する理不尽な言動に対する怒りも無視できない。国際ルールなど無視したイスラエルの政策を擁護し続けるアメリカに対する憎しみが中東/北アフリカで広がるのは当然。西ヨーロッパではイスラエル・ボイコットも起こっている。 そうした中、バラク・オバマ米大統領は、1967年の第3次中東戦争以前の境界線に沿ってパレスチナ国家を創設すると提案した。この提案にはEU、ロシア、そして国連も賛成しているようだが、イスラエルは激しく非難しているという。それほどの提案なのだろうか? イスラエルは建国の際、先住のアラブ系住民を虐殺し、追い出している。追われたパレスチナ人は今でも難民として苦難を強いられている。こうした状況をオバマ政権も容認してきた。今回の提案でも、イスラエルに入植活動の凍結を求めたわけでなく、具体性がない。つまり、口先だけ。イスラエルのオバマ非難も「八百長」ではないかと勘ぐりたくなる。 現在、イスラエルではロシア系の富豪が大きな影響力を持っている。ボリス・エリツィン時代に国の財産を「私有化」や「規制緩和」を利用して巨万富を手にし、ウラジミール・プーチンが大統領になってからイギリスのロンドンやイスラエルへ逃亡した人たちである。中でも有名な存在がボリス・ベレゾフスキー(プラトン・エレーニンに改名)。ロスチャイルド卿と息子のナサニエル(ナット)・ロスチャイルドとも親しい人物だ。つまり、現在のイスラエルはロスチャイルドの影響力が再び強まっている可能性が高い。 とはいえ、アメリカがその気になればイスラエルは逆らえない。かつてのアメリカはイスラエルに対し、ものを言っていた。例えば、ドワイト・アイゼンハワー大統領は外交的、そして経済的な圧力でイスラエルをガザ地区から撤退させ、ジョン・F・ケネディ大統領はイスラエルの核兵器開発にも厳しい姿勢で臨んだ。半年ごとの査察を要求、核兵器開発疑惑が解消されなければ、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告しているのだ。 こうした緊張関係が解消され、アメリカとイスラエルが急接近したのは第3次中東戦争の後だった。1970年代の半ば、ジェラルド・フォード政権のときに好戦派と手を組み、ホワイトハウスを乗っ取った。その台頭した親イスラエル派は「ネオコン」と呼ばれている。 ケネディ大統領が懸念したようにイスラエルは核兵器を手にした。今では世界有数の核兵器保有国である。もし、オバマ大統領が本当にパレスチナ人の権利を認めようとしたならば、イスラエルの核兵器が大きな問題になる。何しろ、イスラエルは過去に核兵器を使おうとしたことがある。例えば、第4次中東戦争のとき、そして最近ではイランが核開発を推進し始めたとき。オバマ大統領は口先だけなのか、具体的に動くのか、現段階では何とも言えないが、あまり期待はできないだろう。
2011.05.21
イスラエルとパレスチナとの国境は1967年、第三次中東戦争の前のラインを基本にするべきだとバラク・オバマ米大統領は演説したようだ。この程度のことは、国連で何度も決議されてきたこと。その決議にアメリカはイスラエルとともに反対し続けてきたのである。こうした行動がアメリカを世界で孤立させる大きな要因になっている。 最近のパレスチナ問題に関係した決議の投票内容を見ると、この2カ国に同調した国は圧倒的に少ない。マーシャル諸島、ミクロネシア、ナウル、パラオ、そして2004年以降のオーストラリアくらいだ。 本ブログでは何度か書いているが、1967年以前の境界線も公正なものではなかった。水源があって農耕が可能な地域は「ユダヤ人の国」に、砂漠地帯は「アラブ人の国」に割り当てられていたのだ。そして、1948年4月4日に始まった「ダーレット作戦」ではアラブ系住民を虐殺、恐怖の力で住民を追い出そうとしたのである。この作戦は成功したのだが、それでも当初の計画は達成できなかったようで、1967年の第3次中東戦争につながる。 この戦争は5月にイスラエルがシリアに軍事侵攻する構えを見せるところから始まった。そうした動きを受け、エジプトのガマル・ナセル大統領は軍をシナイ半島へ移動させてティラン海峡を封鎖すると宣言するのだが、実行には移されなかった。アメリカの情報機関はエジプトがイスラエルを攻撃することはないと判断していたこともわかっている。 そうしたなか、6月上旬にイスラエルは奇襲攻撃、6日間でエルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などを占領してしまった。その際、アメリカの電子情報機関NSA(国家安全保障庁)のリバティ号がイスラエル軍の攻撃を受け、アメリカ兵34名が殺され、171名が負傷している。 この戦争でイスラエル軍は捕虜にした約1000名のエジプト兵を処刑したと言われているのだが、この事実を隠したかったという説、あるいは予定していた占領が終わっていなかったので戦争の状況を外部に知られたくなかったという説などが流れているのだが、確かなことはイスラエル軍がアメリカの艦船を攻撃して沈没寸前の状態にして、多くの死傷者を出したということだ。 1957年にイスラエル軍はドワイト・アイゼンハワー米大統領の圧力でガザ地区から撤退させられ、ジョン・F・ケネディ大統領もイスラエルに厳しい姿勢で臨んでいたのだが、リバティ号の件でアメリカ政府は事件の真相を隠そうとしてきた。1970年代半ば、ジェラルド・フォード政権でネオコン(親イスラエル派)が台頭してくるのだが、第3次中東戦争のとき、すでにアメリカとイスラエルの好戦派は手を組んでいたということなのかもしれない。 この戦争で始まったアメリカとイスラエルの同盟関係を維持するため、イスラエルは核兵器を利用してきた。1973年の第4次中東戦争でイスラエル政府は核兵器の使用を閣議決定したという。2008年にはアメリカ政府に対し、イラン攻撃に同調しないと核兵器を使用すると脅したとも言われている。イスラエル・ロビーだけでなく、イスラエルの核兵器はオバマ政権にとっても頭の痛い問題であるに違いない。 しかし、全世界で湧き起こっているアメリカの中東政策に対する批判を無視することはできない。パレスチナ問題に対する姿勢だけでなく、アフガニスタンやイラクへの先制攻撃も問題になっている。ウソ八百を並べて始めた一連の戦争では、100万人以上とも推定される市民を殺害、社会基盤になる施設を破壊、劣化ウラン弾で地域を放射能まみれにしている。 これだけでも中東や北アフリカで反米感情が高まって当然なのだが、やはり、パレスチナの状況に対する怒りは大きい。イスラエルの理不尽な虐殺と破壊、そのイスラエルを守り続けてきたアメリカに対する憎しみは膨らみ、この地域をアメリカはコントロールできなくなりつつある。 リビアやシリアの反政府運動にアメリカ、イギリス、フランスなどの秘密工作が影響していることは事実だが、中東/北アフリカで民主化を求める声が高まっていることも間違いない。この地域の権力者がアメリカ流の新自由主義経済を導入しつつあることも庶民の怒りに火をつけることになった。独裁者たちと違い、アメリカに対して親近感を持つ庶民は多くない。リビアで米英仏がアルカイダと手を組んだ反動もありえるだろう。 そうした民主化の波はバーレーンやアラブ首長国連邦など湾岸の産油国にも波及、独裁体制は揺らぎ始めている。サウジアラビアも安泰ではない。アメリカやイスラエルと同盟関係にあったエジプトに続き、こうした親米独裁産油国が倒れるような事態になれば、アメリカの支配システムは致命的な打撃を受けることになる。1967年以前の境界線云々程度のことは言わないと、アメリカがもたない。
2011.05.20
UAE(アラブ首長国連邦)は石油資源に恵まれた国である。国全体として見れば豊かなのだが、経済を支える労働者はフィリピン、パキスタン、あるいはバングラデシュなどからの出稼ぎで、労働条件は劣悪である。その条件に抗議すれば、国外へ追放されてしまう。つまり、決して民主的とは言えない国である。 そのUAEの王室が外国人で編成される傭兵部隊を組織しようとしていることは本ブログでもすでに触れた。その部隊を組織するために雇われたのがエリック・プリンスの新会社、リフレックス・リスポンス。労働条件の改善や民主化を求める声を弾圧するために傭兵部隊が使われる可能性は高い。 なお、プリンスが創設したブラックウォーター(後にXeへ名称変更)はすでに多くの問題を抱えて動きづらいこともあり、USTCホールディングスへ売却している。 プリンスにとって会社は単なる「隠れ蓑」にすぎないという見方がある。彼は米海軍の特殊部隊SEALの出身なのだが、精神面を支配しているのは「キリスト教原理主義」。ブラックウォーターの少なからぬ幹部はプリンスと同じように、キリスト教原理主義の信者。何人かは「マルタ騎士団」のメンバーだと吹聴していた。 ちなみに、前政権時代、国防副次官としてイラクで「掃討作戦」を指揮していたウィリアム・ボイキン中将もプリンスと同じで,キリスト教原理主義を信じている。つまり、キリスト教系カルトの信者。ボイキンは米陸軍の特殊部隊デルタ・フォースの出身だが、ソマリアやイラクで「サタン」と戦っていると発言していた。プリンスも自分を「十字軍」と見なし、世界からイスラム教徒を抹殺しようとしているという話も流れている。 アメリカ軍の内部には、プリンスやボイキンのようなキリスト教系カルトの信者が少なくない。「軍の聖職者」や「将校キリスト協会」といった団体も存在する。イラン・コントラ事件に登場したオリバー・ノースは将校キリスト協会のメンバーだという。 アメリカの戦争には、戦争ビジネスやネオコン(親イスラエル派)だけでなく、カルトの影響も小さくない。こうした人々は、アメリカが衰退することなど気にせず、戦争を続けようとするのだろう。それぞれの目的、つまりカネ儲け、イスラエルの利益、異教徒の殲滅を達成しようとして。
2011.05.18
入学式や卒業式での君が代斉唱時に教育委員会などの指導に従わず起立しない教職員について「辞めさせるルールを考える」と大阪府の橋下徹知事は5月16日に発言したと伝えられている。「国旗国歌を否定するなら公務員を辞めればいい。身分保障に甘えるなんてふざけたことは絶対許さない」ということのようだ。 戦前戦中の日本を肯定的にとらえている人々、強うそうな人間に付き従う人々、あるいは歴史に学ぼうとしない人々は橋下知事の方針を支持するかもしれないが、戦前戦中の日本を批判的に見ている人々にとって「日の丸」と「君が代」はアジア侵略の象徴であり、反対するのは当然である。 戦前の出発点は明治維新と呼ばれる一種のクーデター。そのクーデターで中心的な役割を果たしたのが薩摩藩と長州藩。1867年12月の「王政復古の大号令」で新政府が樹立されたわけだが、その4年前、長州藩はジャーディン・マセソン商会を介し、5名をイギリスへ派遣している。そのメンバーは、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)。 新政府は1871年に「廃藩置県」実施するのだが、その翌年に「琉球藩」を新たに設置している。強制的に琉球王国を日本の領土としたわけだが、琉球の宗主権を主張する清国(中国)と対立することになった。1874年には台湾へ軍隊を送り込み、その翌年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島の近くに軍艦を派遣して挑発、日本のアジア侵略は始まり、1945年に破綻するまで続いた。その間、日本国内では自由民権運動を激しく弾圧、関東大震災の後は治安維持法などの法律を成立させ、思想検察、特高警察が国民の思想を取り締まっていく。 ここで歴史に深入りはしないが、こうしたアジア侵略や思想弾圧の象徴が「日の丸」であり、「君が代」だった。こうした象徴を強制することで自分たちに抵抗する者たちの意志をへし折ろうとしているのが橋下知事であり、東京都の石原慎太郎知事たち。そもそも「国旗国歌法」とはそういうものだ。 原発の推進は「国策」だというときの「国」は国民をさしているわけではなく、国民を支配している一部の「エリート集団」を指している。「国旗国歌法」はそうしたエリート集団に忠誠を誓わせるための「儀式書」だ。 似たようなことを中東のバーレーンでも行おうとしている。この国の有力大学で学生に対し、ハメド・イブン・イサ・カリファ国王の政権に忠誠を誓う文書に署名させ始めているのだという。権力者は似たことをしたがるようだ。
2011.05.18
ガザに接近していたマレーシアの「フィンチ号」に対し、イスラエル海軍は「警告」のために銃撃を加えてエジプトへ向かわせたという。16日に出来事だ。船には下水用のプラスチック製パイプが積まれていたという。世界中の人々から何と言われようと、イスラエルはガザに対する兵糧攻めを止めようとせず、アメリカもヨーロッパも事実上、黙認している。 15日にはイスラエルと接したガザ、シリア、レバノンの地区で抗議活動をしていたパレスチナ人にイスラエル軍が銃撃を加え、約20名が死亡、数百名が負傷したという。 この事件に関し、アメリカ政府はイスラエル側の「抑制」を称える一方、シリア政府を非難している。イスラエル軍がパレスチナ人を射殺した責任はシリアにあるというわけだ。射殺事件の後、イスラエル外務省は自国の外交官に対し、シリアを非難するように指示しているのだが、アメリカ国務省もその意向に添うコメントをしたことになる。ただ、シリア政府にどのような責任があるのかは不明だ。 この射殺事件は「イスラエル建国」と深く関係している。1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言されたのだが、それは先住のパレスチナ人が殺戮され、土地を追われた日でもある。 パレスチナに「ユダヤ人の国」を作ろうというアイデアが出てきたのは19世紀のイギリス。1838年、エルサレムに領事館を建設するという案が浮上している。イギリス政府がユダヤ人の復興を考えているとタイムズ紙が報じたのは1840年のことだ。セオドール・ヘルツルがイスラエルの建国を目指すシオニズム運動を始めるのはそれから半世紀以上を経た1896年である。 その21年後、イギリスの外相だったアーサー・バルフォアが「ユダヤ人の国」をパレスチナに作るとシオニストに約束する文書に署名、1947年に国際連合は「パレスチナ分割案」を出している。水源があって農耕が可能な地域は「ユダヤ人の国」に、砂漠地帯はアラブ人の国に割り当てられていた。明らかに不公正な決定だった。 しかし、シオニストにしてみると、アラブ系住民の存在自体が目障り。そこでアラブ系住民を暴力的に排除したのが1948年4月4日に発動した「ダーレット作戦」だった。8日にはデイル・ヤーシーン村で254名のアラブ系住民が虐殺されている。 こうした経緯があるため、多くのアラブ系住民が逃げ出すのだが、この問題を解決しようとしたのが国際連合調整官だったフォルケ・ベルナドッテ伯。パレスチナ難民を帰還させようとベルナドッテ伯は考えていたのだが、こうした案に対するシオニストの回答は9月17日に出された。ベルナドッテ伯と国際連合監視者のアンドレ・セロー大佐がエルサレムの近くでシオニストに暗殺されたのである。 現在、欧米のエリート層には親イスラエルのネットワークが張り巡らされている。日本の支配層が従属しているネオコンもそうしたネットワークの一部だ。このネットワークによって、イスラエルの残虐行為は不問に付されている。
2011.05.17
原子力に関しては専門的な知識がないのだが、あえて素人として福島第一原発の現状について考えてみた。 報道によると、圧力容器の底に穴が空き、そこから超高濃度の汚染水が漏れ出ているとされている。地震の直後に冷却剤を喪失、空焚き状態になり、5時間半後から燃料棒の溶融が始まったという。 バブコック日立で原子炉の圧力容器を設計していた元エンジニアの田中三彦氏が早い段階から指摘していたよう(Part 1、Part 2、Part 3)に、地震で配管が破断したか大きな損傷を受け、ECCS(緊急炉心冷却装置)も故障して冷却材を喪失、制御棒の脱落があったかもしれない。 地震の翌朝には燃料棒が完全に溶融して圧力容器の底に落ちたことを東京電力も認めている。つまり、メルトダウン。制御棒の脱落などで穴が空いていれば、そこから格納容器へ溶融物が流れ落ちていた可能性がある。また、溶融物が圧力容器の底を溶かして穴を開けたことも考えられる。圧力容器の底の温度が高温でないとするならば、大半の溶融物が下に落ちた可能性がある。 圧力容器を溶融物が突き破ったとするならば、格納容器の底はすぐに抜けてコンクリートの中へ入っていく。コンクリートを突き破って地中へ入り、地下水と接触して水蒸気爆発を起こして放射性物質を一気に撒き散らすというのが「チャイナ・シンドローム」のシナリオらしいが、そうならないとは言えない。 15日になって東電がメルトダウンを認めたのは、「チャイナ・シンドローム」の可能性が高まったことを意味しているのだろうか?国外では、福島第一原発の事故をチェルノブイリ原発の事故より状況が悪いと主張する専門家がいるのだが、大げさとは言えないようだ。
2011.05.16
中東の親米独裁産油国のひとつ、UAE(アラブ首長国連邦)は傭兵会社、Xe(ブラックウォーター)の創設者を雇ったと報道されている。800人規模の外国人部隊を編成するためだという。 名目は「テロ対策」なのだが、民主化を求める民衆の声を圧殺することが本当の目的だろう。昨年11月には数十名のコロンビア人兵が建設作業員を装ってUAEへ入国したと伝えられている。 こうした兵士はアメリカ、ドイツ、イギリス、フランスの特殊部隊や外人部隊の出身者から訓練を受けているようだ。Xeはイラクでも傭兵として活動、少なからぬイラク市民を殺害して問題になっている。アメリカ政府から拷問や暗殺を請け負っているという話も伝わっている。 リビアやシリアでは反政府派を資金面から支援するだけでなく、武器も提供しているアメリカ、イギリス、フランスなど「西側」だが、サウジアラビア、バーレーン、UAEなどでは民主化の動きを圧殺しようとしている。
2011.05.16
アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権と同じように、イギリスのトニー・ブレア政権はイラクへの先制攻撃を実現するため、偽情報を広めていた。 そうしたイギリス政府のプロパガンダを暴いたひとりがBBCのアンドリュー・ギリガン記者。そのギリガンの情報源だったとされているひとりが英国防省で生物兵器を担当していたデイビッド・ケリー博士なのだが、そのケリー博士は2003年7月、米英両軍を中心にする部隊がイラクを戦争攻撃した4カ月後に死んでいる。 ケリー博士は自殺したとされているのだが、今でも他殺説は消えていない。例えば、自殺に使ったとされるナイフからなぜケリー博士の指紋が見つからないのか、最初に発見されたときには木によりかかっていた死体が救急医が到着したときには仰向けになっていたのはなぜなのか、死体のそばで警備していた警官が正体不明の人間がいたことを隠したのはなぜなのか、古傷があってステーキを切れない右手で左手の手首をなぜカットできたのか、ケリー博士の死体を発見直後に見た同博士の友人が提供した証拠について調査委員会はなぜ触れていないのか、ケリー博士の死体に関する報告書や写真が70年間秘密にされるのはなぜなのか、死んだ場所が記載されていない死亡証明書で調査委員会は死亡原因をどのように特定したのか、博士が行方不明になった日に警察はなぜ博士の居間の壁紙を剥がしたのか、重要証人の何人かが調査委員会に出てこなかったのはなぜなのか等々。 今回、明らかになったのは、ケリー博士の死体が発見されて90分ほどしてトーマス・バレー警察が使っていたヘリコプターが近くに着陸、5分ほどで飛び去ったという事実だ。これまで明らかにされていなかった。このヘリコプターの飛行日誌は大幅に書き直されていて、誰が何のために乗っていたのかが不明だという。 偽情報に基づくイラク攻撃(イラク人虐殺)に対する日本政府の責任は未だに問われず、政府に同調していたマスコミも反省していないが、イギリスではイラク攻撃にいたる過程で何が行われていたのかについて、調査が続いている。
2011.05.15
2001年9月11日に航空機が世界貿易センターのツイン・タワーに突入、ペンタゴンが攻撃されことを利用し、アメリカの支配層はファシズム体制を強化した。その基盤になっている法律が「テロリズムの阻止と回避のために必要な適切な手段を提供することによりアメリカを統合し強化する2001年法(愛国者法)」である。令状なしの盗聴、家宅捜索、逮捕だけでなく、拷問も行われているようだ。 そうした中、インディアナ州では、警察による違法な家宅捜査に抵抗する権利を奪う決定を州最高裁が出している。根拠なく警官が家に乗り込むことを住人が阻止することは違法だというのである。 問題になった逮捕劇は、夫婦喧嘩が原因。アパートの部屋の外で夫婦が喧嘩、警官が駆けつけたのだが、途中で夫婦は部屋の中に入ってしまった。そこで警官が後に続いたのだが、これに夫が抵抗、警官はスタンガンを使って男を逮捕したのである。 この件に限ると仕方がないように思えるが、判決の内容には大きな問題がある。つまり警官は理由がなくても、誰の家でも、いつでも侵入でき、住人は抵抗する権利がないということになるからである。夫婦喧嘩を利用し、ファシズム化をさらに進めたと言えるだろう。
2011.05.15
学校の校舎や校庭を利用できる目安の放射線量として「年20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト)」という数字を文部科学省は設定、国内だけでなく世界中から非難されている。 「電離放射線障害防止規則」によると、「外部放射線による実効線量と空気中の放射性物質による実効線量との合計が3月間につき1.3ミリシーベルトを超えるおそれのある区域」は管理区域として標識によって明示しなければならないと決められている。つまり、毎時0.6ミリシーベルトで管理区域になる。 放射線の不必要な被曝を防ぐために法律で定めたのが管理区域。そうした場所の6倍以上に相当する放射線量を子供に浴びせても構わないと文科省は決めたわけである。 管理区域内で働く人の場合、実効線量が5年間で100ミリシーベルトを超えず、かつ1年間に50ミリシーベルトを超えてはならないとされている。5年間で100ミリシーベルトということは、年平均にすると20ミリシーベルト。今回、文科省が定めた基準と同じだ。 こうした放射線を子供が浴びることを許容していることを非難する声が全世界から聞こえてくるのは当然のことである。 勿論、文科省がこうした基準を設定できるのは、彼らが子供の健康など考えていないからにほかならない。戦後、文部省(現文科省)の教育方針を方向付けた人々の源流は「皇国史観」を子供たちに叩き込んでいた京都学派と東大朱光会にある。かの有名な平泉澄は朱光会を動かしていた人物だ。 東京大学の本郷和人准教授によると、皇国史観とは「天皇が至高の存在であることを学問の大前提」として、「天皇に忠義であったか否か、忠臣か逆臣かで人物を評価し、その人物の行動をあとづけることによって歴史物語を描写した」ものにすぎない。「天皇カルト」の教義とも言えるだろう。 こうした教育を受けた日本人は侵略戦争に突き進んでいく。国民の命を軽んじていた支配層が侵略先で暴虐の限りを尽くすのは必然。沖縄戦の際に「集団自決」、つまり集団自殺があったが、これも教育の力だろう。軍の強制があったとしても、唯々諾々と命令に従って自殺するというのは異様であり、自発的に行ったとするならば、カルト集団としか言いようがない。 少し前、「ゆとり教育」が話題になった。これは「考えない庶民」を作り出すと同時に一握りのエリートを育てるという方針に基づいている。こうした教育を推進した「教育改革国民会議」の江崎玲於奈議長は、「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ。」などと語っている。 また、「教育課程審議会」の三浦朱門会長は「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。・・・限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」と話している。 日本の文部省/文科省とは「国策」、要するに支配層にとって利益になる政策を実行するために好都合な庶民を作り上げることを仕事にしてきた。日の丸や君が代の問題と同じように、20ミリシーベルトの問題もこうした政策から出ている。
2011.05.13
バーレーン政府はサウジアラビア軍などの力を借りて、民主化を求める人々を激しく弾圧している。シーア派のモスクを次々と破壊しているだけでなく、医療関係者の逮捕も続いている。治安当局による暴力で負傷した人を治療したことが理由だという。また、軍は女子学生も襲撃しているいう話も伝わっている。こうした反民主的な人権を無視した弾圧をアメリカなど「西側」諸国は相変わらず、黙認している。
2011.05.12
北極圏では海氷が融け、船が航行できるような状態になっている。氷の消えた北極海では資源をめぐり、ロシアなど各国の争いも始まっているようだ。中でもグリーンランドが注目の国。 そうした争いの一端を垣間見せてくれるアメリカの外交文書をWikiLeaksは公表、メディアも報道している。石油や天然ガスのほか、ルビーも狙われているのだという。環境面から資源開発に批判的な人々もいるが、欲望に勝てるかどうか、何とも言えない。
2011.05.12
東京電力を救済し、金融機関や投資家を守るため、政府は巨額の税金を投入しようとしている。河野太郎議員が指摘しているように、財務内容をきちんと調べず、資産を保全していないなど枠組みを決める前段階の作業が実行されていない。 これまで原子力利権で甘い汁を吸ってきた人々に負担や責任が及ばない仕組みを早く作りたいようで、事故への対応や情報の開示に関しては腰の重かった政府とは思えないほど、東電救済の動きは迅速である。早くしないと国民に悪事がばれてしまうと恐れているのだろう。 地震国の日本に原子力発電所を乱立させた理由として、ふたつのことが考えられる。ひとつは核武装幻想であり、ひとつはカネ儲け願望である。 日本に原子力が導入する背景にはアメリカの核戦略があったわけだが、1960年代から70年代の半ばの時期には自力の核武装プランがあったようだ。リサイクル機器試験施設のプランが具体化してくる1980年代からはアメリカが管理する中での核武装を考えていたように思える。 現段階でも核武装の「願望」はあるだろうが、高速増殖炉の実用化が絶望的なことを考えると、現実的には破綻している可能性が高い。にもかかわらず、原子力行政に変化がない。その理由は「欲ボケ」しか考えられない。アメリカでは戦争ビジネスが国民の富を吸い上げる巨大なポンプとして機能しているように、日本では原子力がポンプ役を果たしている。 勿論、原子力以外にもポンプは存在する。自動車産業もそうだが、石油産業は戦後しばらくの間、日本における最大の利権システムだった。1980年代に「マーケット」を信仰する新自由主義が力を得てからは、投機が巨大な利権システムになっている。そうした利権集団を構成しているのは、巨大企業、官僚、政治家、学者、報道機関など。前の3者が核であり、後の2者は宣伝/洗脳担当と言うことになるだろう。 しかし、こうした利権構造に対する風当たりは世界的に厳しくなっている。西ヨーロッパで抗議活動が広がっているだけでなく、ラテン・アメリカでも新自由主義を拒否する動きが強まっている。チュニジアやエジプトで独裁体制が揺らいでいるのも、新自由主義経済に対する怒りがある。そうした波をリビアの現政権はアフリカの中南部へ広めようとしていた。 リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制に大きな問題があることは事実だが、中東だけを見ても、サウジアラビア、バーレーン、クウェートなど独裁体制の国は多い。そうした国々の特徴は親米の産油国だということだ。こうした独裁体制が倒れたなら、欧米の巨大石油企業を軸に築かれている石油利権の構造が崩壊してしまう。アメリカ政府としても石油企業の意向に背くことは難しい。 ただ、それでも財政赤字に苦しむアメリカ政府としては石油産業に対する税の優遇措置を見直そうという動きを見せている。それに対し、石油企業はガソリン価格が暴騰すると脅しをかけている。原発を止めると電力料金が跳ね上がるという宣伝と同じ理屈を使っている。どの国であろうと、利権集団の手口は同じようだ。 石油産業の中でも最近、有名になったのがコーク兄弟。米ウィスコンシン州では警察や消防を除く公務員の医療保険負担や年金負担を大幅に引き上げ、労働組合の団体交渉権を剥奪するという政策を推進している州だ。公立大学の教員は解雇しようという動きもある。 これらはスコット・ウォーカー知事の政策なのだが、その黒幕と言われているのがチャールズ・コークとデイビッド・コークだ。この兄弟は気候変動の研究を攻撃するキャンペーンのスポンサーとしても有名で、大気汚染にうるさい気象学者を排除し、あらゆる規制を撤廃させようとしている。 とにかく利権集団は強欲。カネ儲けのためなら何でもする。止まるところを知らない。2001年にノーベル経済学賞(アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)を受賞したジョセフ・スティグリッツが言うところの「1%の、1%による、1%のための」システムから離脱するためにも、安易な東電救済を許すことはできない。
2011.05.12
国際人権理事会の理事国を決める投票が5月20日に予定されている。現在、アジア地区の候補としてリストアップされているのは4カ国。つまり、インド、インドネシア、フィリピン、そしてシリアだ。このシリアをクウェートと入れ替えようと「西側」は画策している。 シリアを外すべきだとする理由は、現在の国内情勢にある。「民主化運動」を暴力的に弾圧している国は人権理事会の理事国にふさわしくないということである。確かに一理あるのだが、シリアの反政府派をアメリカ政府が支援してきたことは米国務省の外交文書でも明らかになっている。シリアの場合、民主化運動の弾圧と言うよりも、内戦に近い状態だと言える。 それでも現在のシリアが人権理事会の理事国として問題があることは否定できないのだが、その代わりがクウェートだというのはブラック・ジョークとした言いようがない。クウェートでは政党が禁止され、議会が機能しているとは言い難い。つまりサバーハ家による独裁国家なのであり、人権理事会の理事国としてふさわしいとは言えない。 クウェートといえば、1990年8月にイラクが軍事侵攻した国だと記憶している人も少なくないだろう。その遠因は石油相場の下落にあった。クウェートやアラブ首長国連邦は過剰生産しているとイラクは考え、不満を抱いていたのである。 この年の7月、エジプトとサウジアラビアの仲介により、イラクとクウェートは直接交渉を行うことになり、その間にイラクは軍事行動にでないことで合意していた。その頃、米大使はサダム・フセインに対し、アラブ諸国間の問題に口を出さないと発言している。 ところが、クウェートの代表団は突然、話し合いの席を立ってしまう。怒ったイラクはクェートへ軍事侵攻するのだが、その際にアメリカ政府はサウジアラビア政府に対し、クウェートにいるイラク軍がサウジアラビアを攻撃するという偽情報を信じ込ませ、アメリカ軍がサウジアラビアに展開することを許可させた。この決定が後の中東情勢に大きな影響を与えることになる。 イラク軍がクウェートへ侵攻した2カ月後、「ナイラ」と名乗る少女が米下院人権執行委員会に登場、クウェートに侵攻したイラク兵は病院の保育器に入れられていた赤ん坊数百人を連れ出して殺したと証言し、反イラク感情を煽ることに成功した。 ところが、この少女の証言はウソだった。アメリカ駐在クウェート大使サウド・ナシール・アルサバーの娘である彼女がイラク軍に侵攻されたクウェートの様子を目撃しているはずはなかったのである。 反イラク感情を広めた上で、1991年にアメリカ軍はイラクへ軍事侵攻し、多くの死傷者を出すが、その際にアメリカ軍は劣化ウラン弾を使用(公式な数字でも約300トン)、深刻な放射線障害を引き起こしていると言われている。
2011.05.11
福島第一原発3号機の使用済み燃料プールの水中映像を東京電力は10日に公開した。瓦礫や鉄骨が散乱し、使用済み燃料棒の様子は確認できないのだが、水からは1立方センチメートルあたり、セシウム134が14万ベクレル、セシウム136が1600ベクレル、セシウム137が15万ベクレル、ヨウ素131が1万1000ベクレル検出されている。 東電側は「爆発の際に原子炉内の燃料が損傷し、放射性物質が外部に出てプールの水に溶け込んだと考えられる。プールの使用済み燃料が損傷しているとは考えていない」(松本純一原子力立地本部本部長代理)としている。 しかし、3月14日に3号機で発生した爆発は、プール内で核反応(核暴走)が起こったのだという見方もある。最初に水素爆発が起こり、その爆発が使用済み燃料棒の状況に影響を与えて核分裂を誘発したのではないかというシナリオだ。原発から約3キロメートルの付近で使用済み燃料棒が見つかったという情報も伝えられている。 3月16日にNRCは在日アメリカ人に対し、福島第一原発から50マイル(約80キロメートル)圏外へ退避するように勧告している。後の説明では、2号機の核燃料が完全に損傷したとの想定に基づき、溶融した燃料棒の一部が圧力容器から格納容器へ漏れ出ているかもしれないと考えての判断だったとしているが、3号機の状況を懸念していた可能性は否定できない。 3号機で爆発があった直後、イギリスのクリストファー・バスビー教授はプール内で核暴走が起こった可能性に言及、その後も同じ趣旨の指摘をしている。同教授は放射線リスクを担当する欧州委員会科学部長で、核安全問題担当の英国政府顧問を務めたこともある人物だ。 その後、アメリカや日本の専門家も同じ見解を表明している。エネルギー関連のコンサルタント会社、フェアーウィンズ・アソシエイツ社で主任エンジニアを務めているアーニー・ガンダーソン氏がそうした専門家のひとり。さらに、最近では京都大学原子炉実験所の小出裕章助教も核暴走が起こった可能性はあると発言している。 4号機のプールは3号機と違い、大きな損傷は受けていないように見えるのだが、別の問題があると言われている。建屋が傾いているようなのだ。万一、原子炉本体やプールの損傷や崩壊につながるならば、重大な事態に発展する可能性もある。
2011.05.11
日本経団連の米倉弘昌会長は3月16日、福島第1原発の事故に関し、政府と東京電力を擁護する発言をしている。この発言を取り上げた記事が北海道新聞のサイトから消えたようなので、その内容を本ブログで紹介する。 北海道新聞によると、「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」としたうえで、事故は徐々に収束の方向に向かっていると米倉会長は主張、「原子力行政が曲がり角に来ているとは思っていない」とも語っている。 さらに、「政府は不安感を起こさないよう、正確な情報を提供してほしい」とも話しているのだが、官房長官も官僚もや東京電力も状況を明らかにせず、正しくない情報を流し続けてきたのが実態。こうした隠蔽体質は世界的に知られるようになり、今では各国政府や国際機関にさえ相手にされていない。(『原発「津波に耐え素晴らしい」 原子力行政「胸を張るべきだ」 経団連会長が発言』、北海道新聞、2010年3月17日)
2011.05.10
オサマ・ビン・ラディンが隠れていたというアボッタバードの邸宅。この建物をSEAL(米海軍の特殊部隊)チーム6はステルス・ヘリコプターで襲撃したというが、その際に地元の警察や軍と交戦になることを想定し、準備をしていたという話が流れている。 しかし、その一方、パルベス・ムシャラフ政権の時代にアメリカ軍がパキスタンでオサマ・ビン・ラディンを襲うことをパキスタン政府は認めていたとも伝えられている。 この報道をムシャラフ自身は否定しているようだが、国内の反米感情を考えれば事実に関係なく、こう言わざるを得ないだろう。パキスタンの現政権にしても、アメリカ軍が再びパキスタン領内へ軍事侵攻すれば反撃すると宣言しているが、こうした発言も背景は同じだ。 パキスタンの支配層はアメリカと事を構えたくないようだが、アメリカ軍による残虐行為に怒り心頭の庶民は別。パキスタンでも民主化運動が盛り上がる可能性もあるが、この場合は欧米にとって好ましくない方向へ進むだろう。アメリカが民主化を望んでいるなどという話は「神話」にすぎない。
2011.05.10
浜岡原発の全炉を中部電力は停止することを決めたという。菅直人総理大臣の要請に基づくものだ。アメリカの思惑はともかく、マグニチュード8クラスの地震が近い将来に起こると予想されている地域に建つ原発を止めるということは、とりあえず1歩前進だと言えるだろう。 ところが、こうした決定に対し、地元である御前崎市の石原茂雄市長は「地元には事前に説明が欲しかった」と国の対応に不満を述べ、「浜岡原発の運転再開について国が責任を取るという踏み込んだ発言をしてほしかった」と語ったという。 また、福島第一原発を破壊した東日本地震の影響で停止している東北電力の女川原発では再開を目指した動きが出ている。女川町の安住宣孝町長は「国が(東北電力の)防災対策を評価した上で、安全が確認されれば、基本的にはぜひ再開してもらいたい」と述べ、石巻市の亀山紘市長は記者会見で「想定外の地震、津波が来ても対応できるような方針が前提」とした上で「再開する方向で考えていくことが必要ではないか」と発言したという。 しかし、原発が構造的に大きなリスクを抱えていることは福島での事故でも再確認されている。事故が起これば国どころか、地球の生態系に破滅的なダメージを与えかねないわけで、「安全が確認されれば」という前提は成り立たず、「再開する方向で考えていく」ことはできない。 御前崎市長、女川町長、石巻市長は「全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)」のメンバーであり、原発を受け入れる代償として多額のカネを受け取ってきた。御前崎市長は海江田万里経産相が「交付金は従来通りだ」と約束したと明らかにしている。「この期に及んで・・・」という感は否めないが、同市長は、事故の惨状よりも交付金の方に関心があるのだろう。 全原協の姿勢は、福島第一原発の事故に関係なく一貫している。4月4日に同協会の河瀬一治会長(敦賀市長)、井戸川克隆副会長(双葉町長)、山口冶太郎副会長(美浜町長)らは、政府や与党の幹部に対して「緊急要望書」を手渡し、原子力政策については「ぶれないでほしい」と要求したという。 どのような安全策を講じようと、機械は必ず故障し、人はミスを犯す。原発の場合、故障やミスは社会の破壊どころか、人類、いや地上の生物の生存を脅かすことになりかねない。にもかかわらず、核兵器妄想や原発利権に取り憑かれた人々は「最善の安全策」すら講じようとしなかった。 日本経団連の米倉弘昌会長の欲ボケも止まるところを知らない。浜岡原発の全炉停止を「政治的パフォーマンス」だと非難したというのだ。この人物、3月16日には福島第1原発は「千年に1度の津波に耐えている」と主張、「素晴らしい」と絶賛し、「原子力行政が曲がり角に来ているとは思っていない」と発言している。4月11日には、今回の事故で国が東京電力を支援すべき、つまり国民に尻ぬぐいさせろと叫んでいた。 米倉会長も属している原子力利権集団はリスクを承知でカネ儲けに熱中してきたわけであり、その責任を免れることはできない。東京電力だけでなく、カネ儲けシステムを構成してきた巨大企業、原子力政策を推進してきた歴代政府、官僚、その手先として「安全神話」を作り上げた学者や報道機関にも責任はある。 学者は勿論、報道機関も「騙された」という言い訳はできない。例えば、朝日新聞では原発推進の科学部と批判的だった社会部が激しく対立していたことは有名であり、結局は批判論を朝日新聞は封印した。勿論、原発のリスクを承知でのことだ。 1970年代から原発の危険性は指摘されていた。すでに多くの人が語っているように、例えば、原子力発電の基本システムについては高木仁三郎氏、原子炉の構造問題では田中三彦氏、地震の問題に関しては石橋克彦教授などが危険性を指摘している。勿論、この3氏以外にも多くの人たちが原発の危うさを様々な立場から訴えてきた。 福島第一原発の事故でも原子力政策が「ぶれない」ならば、さらに破滅的な事態が待っている。アジア侵略からアメリカとの戦争を経て日本は焦土と化したが、それでも人間は住むことができた。それに対し、原発の場合、運が悪ければ日本列島全域が放射能汚染され、人が住めなくなる。いや、日本人が死滅することになりかねない。 こうした出来事を見ていると、ロマン・ポランスキーが監督したいくつかの映画を思い出す。「ローズマリーの赤ちゃん」(1968年)、「マクベス」(1971年)、「ナインス・ゲート」(1999年)だ。権力や資産をつかむため、悪魔に取り込まれていく人間。いわばファウスト伝説。現代はファウストの時代なのかもしれない。
2011.05.10
オサマ・ビン・ラディン殺害の背景で側近が裏切っていたとする説が流れている。その裏切った側近と言われている人物はアイマン・アル・ザワヒリ。ビン・ラディンがサウジアラビア出身なのに対し、ザワヒリはエジプト出身だ。 2001年9月以来、アメリカ政府が「テロリストの象徴」としてきたビン・ラディンを5月2日未明、米海軍の特殊部隊SEALチーム6が殺したというのだが、アメリカ政府の発表内容がクルクル変わり、状況が不明確で、しかも不自然な点があることから様々な話が流れ始めているのだ。 昨年秋、イランでアルカイダの幹部が軟禁状態になり、ザワヒリのエジプト人仲間であるサイフ・アリ・アデルがパキスタンに移動、そのころからビン・ラディン排除の策略が練られ始めたという。 ビン・ラディンとザワヒリが出会ったのは1980年代の半ば、アフガニスタンでアメリカの支援を受けたイスラム武装集団がソ連軍と戦っている頃のことだ。この武装集団をアメリカ(CIA)がパキスタン(ISI)の協力で編成、支援しはじめるのはソ連軍が侵攻してくる前のこと。この辺の事情は本ブログでも何度か書いている。 ビン・ラディンが隠れていたとされる邸宅でコンピュータや携帯電話などが発見されたという。もし内部抗争説が正しいなら、敵対グループに関する情報を残していた可能性もある。イラクに君臨していたサダム・フセインが持っていたアルカイダに関する詳細なファイルを当時のアメリカ政府は受け取ろうとしなかったと言われているが、今回はどうするのだろうか?リビアで米英仏軍がアルカイダと手を組んでいる事実と、ザワヒリの動きが関係しているかもしれない。
2011.05.08
文部科学省がアメリカのエネルギー省と共同で実施したという福島第一原発事故による土壌汚染地図が発表された。「民間」の研究者やジャーナリスト、あるいは国際的な機関による調査と大きな違いはなく、汚染の深刻さを再確認させるものである。汚染地域の広がりや避難の遅れを考えると、チェルノブイリ原発事故よりも福島の状況は悪いかもしれない。 しかし、それでも福島第一原発の事故は決して「最悪のシナリオ」ではなかった。少なくとも今のところ、原子炉が想定された中で最も悪い状態だとは言えず、しかも風が放射性物質の大半を太平洋に運んでくれたからである。もっとも、これは地球全体を汚染したことになるが。 空だけでなく海にも大量の放射性物質が排出された。地下に染みこんだ放射性物質の一部も地下水に入り込んで海に流れ出し、地中に残った物質はその場で放射線を出し続ける。そもそも、事故自体が終息したわけでもない。 放射線物質による汚染の影響が人体に現れるまでには長い時間を必要とする。甲状腺ガンのように比較的早く発症するものでも5年程度、多くのガンは20年から30年と言われている。枝野幸男官房長官が言うように、「直ちに健康被害はでない」かもしれないが、期間を経て影響は現れる。 その影響に関しては、立場によって言うことが全く違う。「チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクト」に参加し、最近は福島県の「放射線健康リスク管理アドバイザー」を務めている長崎大大学院の山下俊一教授は、放射線の健康被害を心配する必要はないと宣伝して歩いている。 山下教授と同じ長崎大学の長瀧重信名誉教授も放射線の影響は大したことがないと主張している。4月15日に官邸が公開した「チェルノブイリ事故との比較」を書いたのは、この長瀧名誉教授と日本アイソトープ協会の佐々木康人常務理事。 その文書によると、チェルノブイリでは「134名の急性放射線傷害が確認され、3週間以内に28名が亡くなっている。その後現在までに19名が亡くなっているが、放射線被ばくとの関係は認められない。」 そして、「チェルノブイリでは、高線量汚染地の27万人は50ミリシーベルト以上、低線量汚染地の500万人は10~20ミリシーベルトの被ばく線量と計算されているが、健康には影響は認められない。例外は小児の甲状腺がんで、汚染された牛乳を無制限に飲用した子供の中で6000人が手術を受け、現在までに15名が亡くなっている」にすぎないため、「福島の周辺住民の現在の被ばく線量は、20ミリシーベルト以下になっているので、放射線の影響は起こらない。」というのだ。 この文書は「チェルノブイリ・フォーラム」なるグループが出しているデータを根拠にしているとされているが、このフォーラムも、チェルノブイリ原発事故の「放射線被曝にともなう死者の数は、将来ガンで亡くなる人を含めて4000人である」としている。つまり、官邸が発表した文書の根拠にはなっていない。 こうした主張を真っ向から否定する報告も存在する。例えば、2009年にニューヨーク科学アカデミーから出版された『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する結果』によると、チェルノブイリ原発事故が原因で死んだ人の数は1986年から2004年の期間で98万5000人に達したという。 この報告書では英語だけでなく、現地の言語、つまりウクライナ語、ロシア語、ベラルーシ語で書かれた5000以上の論文も引用され、現地で地域の人々の症状を見てきた医師、獣医、保健師、科学者などの証言も反映されている。ちなみに、IAEAは350程度の英語で書かれた論文を使っているにすぎない。 放射性物質はガンの原因になるだけでなく、免疫機能、肺、心臓、脳、水晶体、皮膚など全ての機関に影響を及ぼし、知的能力の低下をもたらしているとも報告されている。言うまでもなく、幼い子供たちや胎児は成人に比べてより大きな影響を受けるわけで、妊婦が放射性物質を取り込んでしまうと胎児は大きなダメージを受け、奇形や死産率も高くなったという。 しかも、そうした影響は人間にとどまらず、あらゆる動植物に及んでいるとも報告されている。地球上からミツバチがいなくなると、生態系は崩壊するとよく言われる。受粉が困難になって植物が消滅していき、必然的に動物も生存できなくなるというわけだ。チェルノブイリ原発の周辺では、そのミツバチがいないという。また、今年、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)のドイツ支部が出した『チェルノブイリの健康被害』でも、深刻な被害状況が報告されている。 チェルノブイリ原発事故の影響が顕在化してきたのは最近。まして福島第一原発の影響は一世代後のことだ。日本に放射性物質を撒き散らした張本人たちはその前に「天寿」を全うし、家族は国外へ逃がすという腹づもりかもしれないが、逃げ場のない私たち庶民は日本を何とか救うするしかない。
2011.05.07
ウェブサイトを通じ、オサマ・ビン・ラディンの死をアルカイダが認めたと報道されているのだが、それでもアメリカ政府の発表に疑問を抱いている人は少なくない。 まず、アボッタバードの邸宅をSEAL(米海軍の特殊部隊)チーム6が襲撃したときのアメリカ政府による説明が訂正に次ぐ訂正、結局、銃撃戦はないに等しく、丸腰のビン・ラディンを処刑して、死体は空母カール・ビンソンから海に捨てたということになった。DNAの件も明確でない。 また、数カ月間、CIAのチームが監視していたというのだが、問題の邸宅は建設当時からISI(パキスタンの情報機関)の監視下にあり、2003年にはアブ・ライス・アルリビなる人物を捕まえるためにISIが強制捜査している。ただ、この急襲でアルリビは捕まっていない。 アメリカの情報機関がこの邸宅を監視下に置いたのは2005年だと信じられている。つまり、ビン・ラディン殺害の数カ月前から監視していたという話は信用されていない。 アルリビはビン・ラディンから信頼されていた人物で、メッセンジャーを務めていたと言われている。捕まったのは2005年だ。このアルリビと頻繁にあっていた人物の中にアブドル・ハディ・アルイラキという男がいる。2007年にグアンタナモ刑務所へ移されているのだが、実際に拘束されたのは2005年頃のようで、秘密刑務所で厳しい拷問を受けていたと言われている。 前にも書いたように、アボッタバードには多くの将軍が住み、士官学校もある。ビン・ラディンを罠にはめるためには良い環境だという見方もできる。アルカイダが創設された時期を1988年とか89年という話も流れているが、実際は1982年で、CIAから様々な支援を受けている。そして現在、リビアではムアンマル・アル・カダフィ政権を倒すため、米英仏軍はアルカイダと手を組んでいる。西側とアルカイダは浅からぬ関係があるのだ。 1月27日、パキスタン北東部でCIAエージェントのレイモンド・デイビスが拘束されているが、その際に押収された書類から、アメリカ側がアルカイダに「核分裂物質」と「生物兵器」を提供したという噂が流れた。信憑性には大きな問題のある話だが、気になることも事実だ。
2011.05.06
5月2日の未明に殺されたことになっているオサマ・ビン・ラディンだが、アメリカ政府が発表したストーリーに疑問が出ている。死体は海に流されてしまい、写真も公表されていないので、疑おうと思えばいくらでも疑える状況だ。死体が陵辱されたので写真を公にできないという説のほか、ビン・ラディンは射殺されていないという説も流れている。 ビン・ラディンが射殺された様子を語ったのは「パキスタンの情報将校」。「ビン・ラディンの娘」がそのように証言したというのだが、「娘」の話を聞いたという情報将校が何者かは不明。そもそも、「娘」が本当にそう証言したのかどうかもわからない。 米海軍の特殊部隊SEALチーム6は2機のヘリコプターを使って襲撃、その際にビン・ラディンたちは丸腰で、銃撃戦らしい銃撃戦はなかったという。当初は銃撃戦の末、ということだったのだが、訂正された。銃撃戦があったかどうかは周辺の住民がいるので隠せないと思ったのかもしれない。 本当にビン・ラディンたちがいたとするならば、本人だけでなく警備の人間も襲撃に気づかず、くつろいでいたということなのだろう。ただ、ビン・ラディンが隠れていたという邸宅があるアボッタバードには多くの将軍が住み、士官学校もある治安の良い美しい場所。たとえステルスであっても、ヘリコプターが近づけばすぐにわかるはずだという声も出ている。 2001年7月にビン・ラディンは腎臓病の治療をするため、アラブ首長国連邦ドバイの病院で入院、その際にCIAの人間と会ったとフランスのル・フィガロ紙は報道している。人工透析しなけらばならないような人間が過酷な山岳地帯でゲリラ戦を続けているという話に首を傾げる人は少なくなかった。快適な邸宅にいたということなら病気の件については納得する人も出てくるだろうが、そうなると別の疑惑が出てきてしまう。 ユーゴスラビアにしろ、アフガニスタンにしろ、イラクにしろ、アメリカ政府はウソで戦争を始めた前科がある。アメリカ政府を信じろという方が無理。これから、さまざまな話が出てきそうだ。
2011.05.05
バーレーン政府は民主化を要求する運動を激しく弾圧している。この弾圧にはサウジアラビアや湾岸の産油国が軍隊を派遣するなどして支援、「民主化」や「人権」という言葉が大好きな日米欧の国々も事実上、沈黙したままだ。 民主化を求める抗議活動に参加していた7名が先月、死刑判決を受けている。デモを鎮圧するさいに当局は少なくとも13名を殺害しているので、新たに7名を殺すくらい、どうということはないのだろう。その後、アルジャジーラのインタビューで政府を激しく批判した野党の政治家2名が逮捕され、デモで負傷した人を治療したとして約50名の医師や看護師を3日に逮捕している。
2011.05.04
オサマ・ビン・ラディン殺害に関するアメリカ政府の説明が早くも揺らいでいる。米海軍の特殊部隊、SEALチーム6は無抵抗で武装していないビン・ラディンの頭部に銃弾を撃ち込んだことが明らかにされたのである。つまり、処刑だった。 1998年8月にケニアの首都ナイロビ、そしてタンザニアの首都ダル・エス・サラームのアメリカ大使館を爆破したアルカイダの首領としてビン・ラディンは追われていたにもかかわらず、2001年7月にCIAの人間とアラブ首長国連邦ドバイの病院で会い、その2カ月後にニューヨークのツイン・タワーに航空機が激突、ペンタゴンも攻撃された。日本では「同時多発テロ」と呼ばれているが、この攻撃を指揮したとしてもビン・ラディンは追われることになる。 それに対し、アフガニスタンを支配していたタリバーン政権はジョージ・W・ブッシュ政権に対し、ビン・ラディンをOIC(イスラム諸国会議機構)の責任で拘束して裁判にかけると提案したのだが、アメリカ政府は拒否してしまう。交渉する意志のないアメリカ政府はアフガニスタンを先制攻撃し、「テロとの戦争」と称して多くの市民を殺害することになる。 現在、アメリカの議会ではパキスタンとの友好関係を見直すべきだとする意見が噴出しているようだが、アメリカがアフガニスタンで戦っている相手はパキスタンだと随分前から指摘されていた。それでもパキスタンとの「友好関係」を演出してきたのだ。 振り返ってみると、ソ連軍をアフガニスタンに引き入れる秘密工作を始めた(拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』で説明)ときからパキスタンの情報機関ISIはアメリカのパートナー。核兵器保有国でもあるパキスタンと敵対的な関係になると、南アジアにおけるアメリカの利権は損なわれると懸念する人もいるだろう。 当初、アメリカ政府はパキスタン政府から協力を受けたと主張していたのだが、実際は通告していなかったようで、パキスタン側は主権を侵害されたと批判している。パキスタンのライバル、インドにはイスラエルが深く食い込んでいるようなので、ネオコン(アメリカの親イスラエル派)にしてみるとパキスタンを敵に回しても問題はないのかもしれないが、アメリカでネオコンと対立している勢力にとっては頭の痛い問題だろう。南アジアの油田開発などに影響が出てくるかもしれない。また、ネオコンはリビアでアルカイダと手を組んでいる。 ところで、今回の襲撃でアメリカ側は最初からビン・ラディンの殺害を意図していた可能性が高いわけだが、ブッシュ政権も彼を裁判にかけて「9/11」の真相を明らかにするつもりはなかった。アフガニスタン攻撃だけでなく、早い段階から事件と無関係なことは明らかだったイラクを先制攻撃している。ビン・ラディンなど眼中になかったわけだが、その人物を今回、殺害した。殺さなければならない事情が出てきたのだろうか?
2011.05.04
パキスタンの首都イスラマバードから90キロメートルほど北上しすると、アボッタバードにたどり着く。多くの将軍が住み、士官学校もある治安の良い美しい都市だという。その士官学校の近くに建つ豪華な邸宅を25名で編成されたSeal(米海軍の特殊部隊)の「チーム6」が2機のヘリコプターを使って襲撃したのは5月2日未明のことだった。 そこにオサマ・ビン・ラディンと呼ばれる男がいるとCIAが結論したのは昨年9月のことだというが、状況から考えて、その邸宅にビン・ラディンがいることをパキスタンの軍や情報機関が知らなかったとは考えにくい。9月より前に知っている人物やグループがアメリカ側にいても不思議ではない。 ところで、チーム6に襲われた際、その男は頭に銃弾を受けて死亡したとされているのだが、遺体は海に流されたというので確認はできない。殺された人物がビン・ラディンかどうかという点に関しても、アメリカがDNAで確認したという説明を信じるしかないようだ。戦闘の際、ビン・ラディンの息子も殺されたと伝えられている。 昨年9月の頃といえば、CIAは約3000名で編成される極秘の「殺人部隊」をパキスタンとアフガニスタンの国境地帯で活動させていることが判明、無人機を使った攻撃を劇的に増加させて非武装の市民を多数、殺害して問題になっていた時期でもある。NATO軍もアフガニスタンからパキスタンへ侵入して攻撃を加え、パキスタン政府が抗議するということもあった。 イスラマバードから南へ約300キロメートル下った場所にあるラホーレで昨年1月、レイモンド・デイビスというCIAのエージェントがパキスタン人を射殺し、逮捕されるという出来事があった。このパキスタン人はISI(パキスタンの情報機関)のエージェントだという噂もある。 デイビスは無人機での攻撃に関係しているという見方もあったが、ビン・ラディン殺害作戦との関係もないとは言えないだろう。この事件によってパキスタンとアメリカとの関係は険悪化したのだが、今回のビン・ラディン暗殺作戦で両国の「協力」を強調し、関係を修復する方向へ動くかもしれない。 多くの人が指摘しているように、すでにオサマ・ビン・ラディンはアメリカの「敵役」として「賞味期限切れ」の存在。つまり、ビン・ラディンが生きていても、死んでも状況が大きく変化することはないだろう。だいたい、リビアでは、政府軍と戦うために米英仏軍はアルカイダ系の武装勢力と手を組んでいる。この共闘関係がどうなるかもビン・ラディン殺害の真相に迫る手がかりになるかもしれない。 アルカイダを危険だと考え、徹底した弾圧を行ったイラクのサダム・フセイン体制はアメリカ軍によって潰され、フセインやその側近たちは殺されている。そしてビン・ラディンも殺された。言わば敵対関係にあったフセインとビン・ラディンだが、その両者には共通点もある。CIAの協力者だったという過去である。 フセインがイラクの大統領に就任したのは1979年のことだが、1968年には実権を握っている。その5年前にCIAは「目障り」だということでアブデル・カリム・カシム将軍を暗殺していた。カシムは1958年に王制を倒した革命の中心人物。イラクのリーダーとして石油産業の国有化を進めるなど、欧米の利権システムを解体しようとしていた。 革命の翌年、1959年にCIAは暗殺チームを編成するが、その中にフセインも加わっている。この計画は失敗し、フセインはCIAの手引きでイラクから脱出し、ベイルートを経由してカイロへ逃げている。フセインはCIAの協力者だったわけである。ビン・ラディンとCIAとの関係は、前回に触れたのでここでは割愛する。 ビン・ラディンの死によって2001年9月11日の出来事、つまり世界貿易センターのツイン・タワーへ航空機が突入し、ペンタゴンが攻撃された事件の真相がわからなくなったかのようにいう人がいるのだが、これは奇妙な話。この「9/11」には疑問点が多々あるのだが、アメリカ政府は真剣に調べていないのである。ビン・ラディンのことを言う前に、アメリカ政府に実行させなけらばならないことは山ほどある。
2011.05.03
バラク・オバマ米大統領はオサマ・ビン・ラディンを殺害したと発表した。DNAを調べて確認、オバマ大統領は「正義は果たされた」と主張しているようだが、軍事力を使った大量殺戮だけでなく、拉致、監禁、拷問、殺害を繰り返して全世界の民主主義をアメリカの支配者たちは破壊してきた。斉藤和義氏の言葉を借りるならば、「アメリカの正義」などは「クソ」だ。 ところで、オサマ・ビン・ラディンもアメリカの情報機関と軍が1980年代、「正義」に基づいて作り上げたモンスターである。モンスターの「受胎」は1979年4月のこと。当時はジミー・カーターがアメリカ大統領だったが、その補佐官を務めていたズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンで武装グループを編成するというプログラムを始動させている。5月にはCIAのイスタンブール支局長がISI(パキスタンの情報機関)の仲介で武装勢力と会談、麻薬業者のグルブディン・ヘクマチアルが指導者として選ばれた。 この年の9月にはハフィズラ・アミンがクーデターを成功させるのだが、その新政権をソ連政府は警戒、KGB(ソ連国家安全保安委員会)はアミンとCIAとの関係を疑った。そして11月にKGBは特殊部隊をカブールに派遣、12月には対テロ部隊を投入してソ連軍機甲部隊の軍事侵攻につながった。 ソ連軍をアフガニスタンへ引き込むことがブレジンスキーの作戦だった。ソ連に「ベトナム戦争」を経験させようというわけだ。この目論見は成功する。アメリカのCIAや軍は武装集団を編成、資金や武器を提供するだけでなく、軍事訓練している。戦争は泥沼化してソ連は疲弊、アフガニスタンの治安を回復できないままソ連軍は1989年2月までに撤退している。アメリカが生み、育てたイスラム武装勢力の中にオサマ・ビン・ラディンのアルカイダも含まれていた。 オサマ・ビン・ラディンにはサレム・ビン・ラディンという兄弟がいる。このサレムは1970年代の後半にジェームズ・バスなる人物を雇っている。バスはテキサス州の州兵時代、つまり1960年代の後半にジョージ・W・ブッシュとラン・ベンツェンと親しくなっている。 言うまでもなく、ジョージ・W・ブッシュとは後に大統領としてアフガニスタンとイラクを先制攻撃した人物であり、ラン・ベンツェンはロイド・ベンツェン上院議員(ビル・クリントン政権の財務長官)の息子である。 サレムがバスを雇った頃、CIAの長官はジョージ・H・W・ブッシュ、つまりジョージ・Wの父親だった。このジョージ・H・WがバスをCIAに誘い、サウジアラビアの富豪を監視する任務が与えられたとも言われている。 ところで、ビン・ラディン家はサウジアラビアの王室とも親交のある富豪で、欧米への投資にも積極的。そうした資金運用の一環として、フランク・カールッチ元国防長官が会長を務めていたカーライル・グループのファンドにも資金を出していた。 ソ連撤退後、アフガニスタンではイスラム勢力同士の内戦が始まり、収拾のつかない状態になる。そうした中、1994年に組織されたのがタリバーン。1996年にタリバーンは首都カブールを制圧、アメリカの支配層はタリバーンが親米体制を築いてくれると期待したようだ。 しかし、このタリバーンは暴力的な集団。人権侵害が次々と明るみ出てイスラム世界における評判は急速に悪化するのだが、CFR(外交問題評議会)のバーネット・ルビンにしろ、ランド研究所のザルマイ・ハリルザドにしろ、アメリカのエリートたちはタリバーンを擁護し続けた。しかも、アメリカにおけるタリバーンのロビイストはリチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズ。そうした中、1996年にオサマ・ビン・ラディンがアフガニスタンに入っている。 ところが、1997年11月にアメリカのマデリーン・オルブライト国務長官はアフガニスタンの新政権を批判、その直後にタリバーンの指導者、モハマド・オマールはアメリカを批判し、オサマ・ビン・ラディンへの支援を公然と表明した。 そして、アルカイダは1998年8月にケニアの首都ナイロビ、そしてタンザニアの首都ダル・エス・サラームのアメリカ大使館を爆破、それに対してビル・クリントン政権はアルカイダの拠点を巡航ミサイルで攻撃する。さらに、アメリカ政府の意向を受けてパキスタンのナワーズ・シャリフ首相(当時)は1999年10月、イスラム原理主義者のキャンプを閉鎖するようにISIへ命令するのだが、シャリフ政権はクーデターで崩壊してしまう。 アメリカ政府と険悪な関係になっていたはずのオサマ・ビン・ラディンだが、2001年7月にアラブ首長国連邦ドバイの病院でCIAの人間と会ったとフランスのル・フィガロ紙は報道している。ビン・ラディンは腎臓病の治療で入院していたと言われている。(ゲリラ戦を戦える体だとは思えない。もしかして、今回の襲撃前に死んでいた?) そして2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターのツイン・タワーへ航空機が突入、ペンタゴンも攻撃されて多数の死傷者が出た。この攻撃を実行したのはアルカイダだとアメリカ政府は主張しているが、その真相は明らかになっていない。 この攻撃が実行される前、少なからぬ国の情報機関からアメリカに対する破壊工作が計画されているという警告をアメリカ政府に発しているのだが、そうした国の中にはイラクも含まれていた。イラクのサダム・フセイン体制はアルカイダを警戒し、民主的とは到底言えないような弾圧を行っていた。フセイン政権はアルカイダのネットワークに関する詳細な情報を持っていて、アメリカ政府に協力する意向を示していたのだが、アメリカ政府はそのイラク政権を倒し、フセインをはじめ主要な人物を抹殺してしまった。そして今回は、アメリカ側の発表によると、オサマ・ビン・ラディン。フセインと同様、知りすぎた男だ。
2011.05.02
福島第一原発の3号機で爆発があったのは3月14日のこと。12日には1号機でも爆発があったのだが、それとは破壊力に大きな差があることは映像を見ても明白だった。 3号機で爆発があった直後、核反応による爆発の可能性について言及した人物がいる。放射線リスクを担当する欧州委員会科学部長で、核安全問題担当の英国政府顧問を務めたことのあるクリストファー・バスビー教授だ。 それに対し、この日、IAEA(国際原子力機関)の天野之弥事務局長は核分裂反応が起こった可能性を否定、「化学現象」によるものだとする見解を表明している。 4月25日にバスビー教授はロシアのテレビ局RTに出演、核反応による爆発が起こったという見解を明らかにし、周辺の人口が多いということも含め、福島第一原発の事故はチェルノブイリ事故よりも深刻な事態だとも語っている。 バスビー教授と同じ推測をしている原子力の専門家がアメリカにいる。エネルギー関連のコンサルタント会社、フェアーウィンズ・アソシエイツ社で主任エンジニアを務めているアーニー・ガンダーソンだ。 1号機と3号機の爆発を比較し、1号機は水素爆発だが、3号機は大きな破壊力を持つ爆発で、核分裂反応が起こった可能性があるとしている。最初に水素爆発が起こり、その爆発が使用済み燃料棒の状況に影響を与えて核分裂を誘発したのではないかというシナリオのようだ。 経産省の原子力安全・保安院によると、3号機原子炉建屋の近くで毎時900ミリシーベルトというきわめて強い放射線を出す瓦礫が見つかっている。また、外国での報道などによると、ハワイ、アメリカ西海岸、さらにアメリカ北東部でもプルトニウムが検出されているようだ。プルトニウムの微粒子が上空に吹き上げられ、アメリカ大陸に達したということだろう。 つまり、「放射性物質が大量に飛び散っている可能性」は小さくない。海へ高濃度放射性物質が流れ込んでいるだけでなく、地中の汚染も深刻なようである。3号機原子炉建屋付近で、毎時900ミリシーベルトという強い放射線を出す瓦礫が見つかったくらいで驚いてはいけないということだろう。 日本にも原発の危険性を指摘してきた学者/専門家は少なくない。事故後、そうした人々は政府やマスコミの「安全デマ」を批判しているが、こうした人々の推測は決して「最悪のシナリオ」ではない。外国の専門家による分析を見聞きしていると、そう思わざるをえない。
2011.05.02
福島第一原発の事故は、言うまでもなく、日本の原子力政策に対する「警告」にすぎない。その警告を日本が無視するならば、次には「より破滅的な事態」になると覚悟すべきだ。次の事故が浜岡原発で起こるのか、伊方原発で起こるのか、あるいは別の原発で起こるのかはわからないが、今回と同じような「幸運」に恵まれるとは限らない。日本の破滅ではすまない可能性があるということだ。 政財官学報に張り巡らされた原子力利権のネットワークは強固で、現段階でも原発に執着している。こうしたネットワークと契約した市町村、つまり「全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)」のメンバーたちも原子力利権を手放そうとはしていない。 放射性物質の汚染で避難しなければならない地域には、自然との共生を目指していた飯舘村も含まれているのだが、避難先の確保は全原協の市町村が優先され、飯舘村の人々は後回しにされているとも聞く。原発に賛成した市町村を優遇、逆の生き方をしていた市町村を差別しているとするならば、許し難いことだ。 ところで、大量の放射性物質を抱え込んでいる原発は「人類破滅兵器」だとも言える。キリスト教的に言うならば、「最後の審判の日兵器」だ。スタンリー・キューブリックが監督した映画『博士の異常な愛情:または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying And Love The Bomb)』の中に、そんな兵器が登場する。 地震国日本では、巨大地震と原発事故が複合した「原発震災」が起こると神戸大学の石橋克彦名誉教授は警告し続けてきた。巨大地震は「人類破滅兵器」の引き金になりかねないということだが、いつの頃からか、多くの日本人は事故について心配するのをやめ、原発を愛するようになった。 日本における原発の歴史をさかのぼると、中曽根康弘と正力松太郎に行き着くことは有名な話。アメリカの戦略に基づき、日本へ原子力は持ち込まれたのである。アメリカの手先になったのが中曽根と正力、ということだ。その後、岸信介が核武装について語り、岸の実弟である佐藤栄作が首相のとき、実際に日本を核武装する計画が始動した。 こうした動きをリンドン・ジョンソン大統領は懸念してブレーキをかけたというが、リチャード・ニクソン政権(1970年前後)で補佐官を務めたヘンリー・キッシンジャーは中国と交渉する過程で、「日本の核武装」をカードとして使っている。 1977年に東海村の核燃料再処理工場が試運転に入り、プルトニウムの生産が具体化してくる。こうした日本の動きをアメリカは警戒していると1978年に指摘したのが山川暁夫氏だった。 つまり、「核兵器への転化の可能性」をアメリカ政府は見過ごさないと指摘したのである。実際、当時のジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、高速増殖炉で軍事用のプルトニウムを生産できないように細工させたという。 しかし、プルトニウムを分離/抽出する目的でRETF(リサイクル機器試験施設)を建設する計画がたてられた際、アメリカ政府は「機微な核技術」と呼ばれる軍事技術を提供したようで、アメリカ政府の管理下で核兵器開発が進められた可能性もある。 ただ、1990年代の後半になると、プルトニウムをMOX燃料として消費するプルサーマル計画がスタートしているので、現段階で日本が核武装に向かって動いていないかもしれない。それでも潜在的に核武装できる能力があることは間違いないわけだが。
2011.05.01
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