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朝からナルの散歩をし、今はボスの相手をしながら書いてる。 ところで手術が必要とされたボスの脱腸もどうにか自然治癒したらしく、手術を免れることになった。動物も人間も元気が何よりの財産ですね。 ここまで書いて、アイスコーヒーが入ったグラスに口をつけ、右側のトーストに手を伸ばすとあるはずのモノがない! あれっ? とばかり周囲を見渡しと、事務所の隅にうずくまるボスの口にトーストがあった。睨み付けるとそわそわしだし、ついには悪びれた目を投げかけてくる。 こらっ泥棒猫! 返すつもりは毛頭ない。ただ身体全体を丸め、どこか媚びを売るような仕草をするだけである。お前が口にしたモノなんか食えるか! それにしてもボスは少しイタズラがすぎるようだ。犬のナルがおとなかっただけに、よけいそう感じるのかもしれない。 ナルとボスもどうにか共棲には慣れてきたようだ。お互い顔を見合わせ、いがみ合うことも少なくなってきた。我関せずのナルに、やれやれのボスといった案配だ。 御旅所から祭り太鼓の音がしてきた。今日は本宮である。さあて、そろそろ祭りの準備でもするか。
2005年07月31日
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団塊世代にとって忘れられない小説がある。柴田翔「されどわれらが日々」である。左翼の挫折を描いたこの作品は第51回の芥川賞を受賞した。 古本屋で真新しいH全集を、東大の大学院生である大橋文夫が見つけることから物語がはじまる。全集の旧所有者に興味を持った文夫は二回月賦で全集を手に入れる。婚約者の節子が文夫の部屋に置いてあるその全集を手にし、そこにある蔵書印は駒場の歴史研究会部員だった佐野という男のものであることに気づく。 佐野は共産党員であった。4年前、電車で偶然節子と出くわした佐野は地下組織に潜ることを節子に告げ、消息を断っていた。節子は文夫に佐野の消息を調べて欲しいと頼む。文夫は佐野と同じ高校だった曽根から佐野の死を知らされることになり、遺書とも思える長い手紙を見せてもらうことになる。 日本共産党は全六協によってそれまでの武闘革命から平和革命への転換宣言をした。地下に潜って軍事活動をしてきた左翼学生にとってそれは体制側への理不尽な妥協であり屈服であった。この作品はハシゴをはずされた活動家の挫折と死への転落を描いたものであり、京大助教授だった作家高橋和己の「憂鬱なる党派」とも底辺でつながっている。いずれにしろ団塊の世代にとっては良しにつけ悪しきにつけ、今も青春のメモリアルである。
2005年07月29日
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トラックのエンジン音となにやら作業をする音で目が覚めた。確か深いまどろみの中にいたはずでその分不機嫌さの度合いも強い。腕時計を覗くと午前3時すぎ。夜間工事のようだ。回転灯の黄色い光がわが家の窓を舌なめずりするように横切っては意地悪く戻ってくる。 窓をガラリと開ける。歩道橋拡張に伴う電柱移設工事を行っている。そういえば先日から電気工事会社の社員が点検をしていたような気がするが・・・。 回覧まわっていた? 一瞬頭をよぎり、次に、いくら回覧まわしたからといって夜間の騒音は迷惑だ。夏の盛り。寝不足が一番堪えるし辛い。 いずれにしろ仕方ない。目が覚めたのでパソコンの前に座り、缶ビールを喉の奥に流し込みながら日記を書いている。 黙って座れば自然と書く文章が浮かんでくる。これが物書きの習性だ。小職の場合、書くことが仕事なので、どんなときであっても書けないということはない。 しかしながら安眠を妨害されたような時(不愉快な時)に書く日記は内容のないことが多い。気持ちが面白くないから、書く文章も面白くないものになるのかもしれない。いずれにしろ喧嘩をしたあとなどの腹立ち状態ではうまい文章など書けるはずもない。 もうすぐしたら外は白みはじめる。夏の朝日はその強烈な輝きの度合いからいっても最高で好きだ。幼少の頃の、野外キャンプの朝、昇る朝日を見た時のインパクトが今もって忘れられないでいる。そうそう、そういえば「朝焼けの空」を書いたアメリカの作家がいたが、名前をど忘れした。 朝日といえば、青春映画の決定版「アメリカングラフィティ」の主人公を扮したリチャードドレスフェスの顔が浮かぶ。画面の彼はいつもセーターを首に巻き付け、白い綿パンのポケットの両手を突っ込み、どこかはにかむような恥じらいの笑みをたたえていた。小職、そんな彼によく似ているとよく言われたものだ。 つまらないことを思い出したあたりで先ほど飲んだビールが効いてきたのか、ぼんやり眠くなってきた。 明日は金曜日、朝から郵便局で振り込みの確認をし、その足で法務局で一件、謄本をあげる。そのあとは事務所で溜まりに溜まった書類書きをするつもりだ。重ねて言うが、寝不足は労働意欲を殺ぐだけでなく、つまらんミスを誘発する。 おいおい、いきなり睡魔が襲ってきた。まずは朝まで? おやすみ、である。
2005年07月28日
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昔から「話し上手の聞き下手」という。自分ばかり話をし、人の言うことに耳を傾けない人のことを指すらしい。つまり話がうまい人というのは、相手の話を聞くのが下手なことが多いということのたとえ。 思い当たる節があるので、なるほどと感心していたら、なんと「話し上手の聞き上手」という諺もあることを知った。 本当に話のうまい人というのは、聞く側の立場に立って考えるから、人の話を聞くのもうまいという意味らしい。 二つの諺を重ねて考えてみた。鰻重でいえば並と上、会席料理でいえば竹と松のちがいぐらいの差はある。古人が遺したものはなんとも意味深くて面白い。 A3のジェットプリンターが直ってきた。早速ネットから新しいドライバーを取り込み、稼働させる。A3カラー印刷が出来るのでポスター等に利用できるのがありがたい。 もともとジャンク品(980円)だったので、用紙トレイの背もたれ部分が欠品している。ついてはボール紙とテープでにわかトレイをこしらえた。数枚程度なら受けられそうだ。
2005年07月28日
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台風一過。からりと晴れるとばかり思っていたらさにあらず。 大阪の朝は台風の残滓である雲が広く空を覆っている。新聞スポーツ欄をのぞくと近畿地方の高校野球もいよいよ準、準々決勝のようである。ところで昨今の高校球児の中には松井や松坂のような怪物君がみあたらない。みんな小さくまとまっているともいえるが、抜きん出るほどの実力者が出現しないのは何故だろう? 投手なら快刀乱麻、打者なら豪打連発、毎年同じ高校生かと思えるほどスゴい選手が出現しては甲子園を湧かし、茶の間のファンをテレビに釘付けさせたものだ。 高校野球に怪物君は要らないと言う人がいる。確かに。高校生の怪物君の多くは努力で怪物君になったのではなくて、生まれながらの素質がたまたま開花していることが多いような気がする。怪物君がプロで活躍するケースは少ないことからも言えると思う。 怪物君はちやほやされる分だけ天狗になったり、自分を見失ったりすることが多いようだ。自分の実力を過信するあまり、恩師の言うことにも耳を貸さず、チームの和を乱し、わがまま気ままな性格を有する危険性が多々あるようで、人格形成の面からもよくないだろうと思う。 教育の場からすれば、個人のパワーに頼ることなく、みんなで力を合わせ、お互い足らないところを補いながら、勝利を目指して奮闘努力するというのが教育的見地からすれば二重丸であり、これには全く異論はない。 しかし、だ。民衆の根底には大魔神のような怪物の出現を待望する意識が巣くっている。歴史を振り返るまでもなく、政治や社会に怪物がいる時といない時とでは、勢いとでもいうのか活力とでもいうのか、そうしたものにかなり温度差があるように思う。 怪物君がマンモスとするなら、マンモスをやっつけるために多くの人の知恵が求められる。この知恵の創造こそ、本来の教育には大事な要素なのではないだろうか。私が怪物君の出現を願ってやまない理由がそこにある。
2005年07月27日
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長年愛用してきたが、めがねを買い替えようか、と考えている。 度が強いこともあって超軽量のプラステックレンズを装填しているが、軽い分だけ表面が柔らかいのか、ユーザーが乱暴すぎるのか、表面には無数の擦り傷がある。光の加減や角度によってレンズ越しの風景が白く濁って見えたりするのだ。 ほかにも理由はある。経年とともに、近視と老眼のせめぎ合いというか、微妙に度のほうも食い違ってきているような気がする。 我慢しようと思えば我慢できるが、今風の小さなフレームが格好良かったりする。案外これが一番の理由かもしれない。 天神祭は終わったら台風。朝から小雨が降りしきる。風はない。 なにしろ大阪では二週間ほど雨らしい雨が降っていないとのこと。まさに慈雨である。 運河と巨大ドームの町「大阪ドーム」近くので業務を受任した。この夏何度か通うことになるだろうが、それにしても近鉄バッファローズという主人を失った銀色のドーム屋根は朽ちでもしたかのように鈍色に沈んでいる。 西宮球場や大阪球場のように、栄華盛衰を味わうことなく消え去ろうとしている大阪ドーム、絶対の自信を持って企画したのは、あの大阪市をはじめとした第三セクタだ。
2005年07月26日
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明日は台風の影響か大雨が降るらしい。祇園祭が終わったと思ったら今度は大阪の夏の風物詩天神祭がはじまる。昔から大阪ではこの祭りの時期が一番暑いと言われている。 さて今日は業務で天神橋筋6丁目に行く。普段から賑やかな商店街だが、さぞかしさらに賑やかになっていることだろう。 梅田のすぐそばにある町だが、気取ったハイセンスな高級ホテルが建ち並ぶ梅田とは全く様相が違う。大阪のおもろいおっちゃん、えげつないおばちゃんが我が物顔で跋扈する庶民の町なである。 ごちゃごちゃ、やたら店屋が多いのも特徴。売る側が「商い」なら、見る側買う側も「飽きない」 あと寿司屋が多いのも特徴か。しかも回転ではない。大阪人が「旨い店」として他人に紹介する場合「安くて旨い店」である。「高くて旨い店」なら得した気分がしない。それはそれで当たり前、だからだ。高くて旨いものを食べたかったらミナミの黒門市場と相場が決まっている。高いといっても程度があって、市井のそれより安いことに変わりはない。 明日香の感想 夏の明日香村はシーズンオフなのか、なぜか閑散としてました。 のどかで、どこまでも牧歌的な緑の広がり。高松塚古墳や石舞台に忍び込む草いきれ混じりの風を頬や身体に感じながら、この風と匂いはきっとあのいにしえの頃と同じであるに違いないと感じました。 どこへ行っても観光バスも団体客の姿も皆無。売店ではあまりの閑さについつい居眠りをする売り子があらわれるなど、ある意味観光地というのはこうあって欲しいな、と思いました。
2005年07月25日
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ただいまの時刻は朝7時30分、これから南阪奈道路で奈良入りする予定だ。 おさと沢一で有名な壺阪寺から飛鳥の岡寺を巡り、大和三山の前後左右に見あげながら、最後は清少納言や紫式部なども足繁く詣でた長谷寺の観世音菩薩を拝観、時間があればさらに足を伸ばして赤目四十八滝の清流に足を浸ける予定。 子どもたちがそれぞれ成長し、自分で自由に行動をするようになったのでわれわれ夫婦の時間が長くなる。ついては何かしないと時間がもったいないような気がするというのは実は表向きの理由で本当は多分にカミさん孝行もある。 出不精の私とちがい、カミさんが出好きだ。人が出ていくのをみると自分を後を追いかけたくなるという困った性分。四六時中ずっと事務所で電話番をしているので、休みの日ぐらいは思いっきり背筋を伸ばし、外の空気を吸う必要があるというわけである。 帰路は近くの銭湯の湯船に浸かって汗を流すつもり。ここの湯は地下水を汲み上げていてなぜかアルカリ泉、安くてゆったり、まさに安近短とくるからありがたい。 夕食は子どもたちとメールでやり取りしてから外食かどうかを決めることになる。 本来なら今週のはずだった祭りが一週間先に延びた。日曜日には甥や甥の子が来るというからさぞかしまた騒がしくなるだろう。
2005年07月24日
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ボスがとうとう盗みを働いた。弁当のおかずであるハンバーグ(末娘の大好物)をくわえてソファの影に逃げ去ったのである。 初犯だとはいえ以前から隙を狙っていたとの目撃情報が多数ある。よって計画的犯行だとの結論に達し、出頭命令を出したが全く無視。猫相手に何を大げさな、と嘲笑される御仁もおられるだろうが、先輩格の犬のナルの惨情(ボスがマズいと言って食べないキャットフードを食べている)を鑑みれば罪は深いはず。 ということで陪審員制度を採用する石井家の判決が下った。「極悪非道の猫、ボスにおいては市中引き回しの上、猫じゃらし1000回!」 ということでさっそく実行したまではよかったが、市中引き回すどころが逃亡の畏れが度々見受けられるということであえなく断念、頼みの猫じゃらしに至っては喜び勇んで飛び跳ね、ひっかき、飛び込み、円月殺法に天然理心流の真っ向勝負も有りという具合。つまりはありとあらゆる秘技殺法、悪態の限りを尽くしての独演場、猫じゃしを扱うこちらのほうが先に降参、疲れ切ってしまった。 それにしても元気になったものです。迷い込んできた時はピーピー消え入りそうな声で泣くばかり。マジで死にかけてましたから。
2005年07月23日
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人民元がようやく動き出した。 今回の程度の幅なら輸出と輸入でちょうど相殺みたいな気がする。堰を切った流れはあっという間に大きな流れになるもの。今後の動向がきになるところだ。当然行き着く先は一貫して同じ方向だろうが、成り行き次第では日本の製造業再生にも一役買ってくれそうな気がする。「失業よ、さらば!」といきたいものである。 ところで2007年問題も関心事である。 というのも何かにつけて日本の繁栄を見て気、支えてきた団塊の世代が本格的に企業からリタイアする、2007年はその始点であるからだ。 押しつけを嫌い、既成概念を打ち壊し、自由を標榜した最初の世代がその役目を終え、新たな自由を獲得する。彼らはどんなライフスタイルが思い描いているのであろうか。 ITの進展は距離と時間を取り払い、情報収集なども望めば容易くなった。おそらくは徐々にはじまっている田舎暮らしなどは今よりもっと一般的になるにちがいない。 バリケードを築き、火炎瓶を投げていた世代。ジーンズをファッションにし、長髪を認めさせた世代であり、大挙してエレキギターを握った世代でもある。ひょっとすると孤島や寒村にビートルズの名曲が四六時中響き渡るようになるかもしれない。まずはお手並み拝見とするか。
2005年07月22日
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本日は5時起床。 6時過ぎ、朝ごはん!の声に返事をすればボスのだった。 猫のボスは鰹とシラス混じりの食事。パクパク脇目もふらずに食べている。野良猫だっただけに食べることにかけては貪欲である。 食卓の私はというと、今朝はみそ汁がないために、「鰹の削り節」と「ちりめんじゃこ」と「茄子の浅漬け」でぶぶ漬け(お茶漬け) いつもなら脇に新聞を広げて食べるのだが、どういうわけか朝刊はまだ投函されていない。 茄子の浅漬けの漬かり具合についてカミさんが聞くので返答していたら、 抜き足差し足で忍び寄ってきたのであろう、ボスがいきなり私の膝に飛び乗ってきた。 いつもの焼き魚がないことに「?」という顔をし、「鰹の削り節」と「ちりめんじゃこ」を見渡すと自分と同じ食事に安心したのか、ある意味白けたようなそぶりをし、膝から飛び降りるとそそくさと去っていった。 猫にもバカにされた粗食だが、削り節とちりめんじゃを混ぜて醤油を垂らして箸で摘む。この組み合わせは最高に旨い。 なお、暑さ厳しいこの時期に注ぐお茶はなぜかほうじ茶が一番口に合う。
2005年07月21日
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朝の5時から机の前に座っている。猫のボスが膝の上に座りに来る。手で追い払いながらの仕事は一向にはかどらない。 朝イチで吹田市まで行く。帰路は大東市の依頼者事務所に立ちよる。実は午後2時からは高校生の娘の三者懇談会がある。だからその時間までには必ず八尾に戻っていなければならない。予定は未定、実に微妙である。 一字一字、文字を紙面に刻印するドットプリンターはいかにもプリンターという感じが好きで愛用している。またインクリボン式なので試し打ちや控え用ならかなりのインク代節約にもなる。 定款や契約書などの作成用にときどき使っているA3ドットプリンター(EPSON-VP1350)の速度があまりにも遅いので苛々していた。 ついてはパーツ取りのつもりでパソコン流通店で980円で買ったA3インクジェット(pixus6100i)を直してみようと思い立った。 ミドリ電気に問い合わせるとパソコン関係の修理は一律10500円が基本。それ以上なら実費扱い。上新電機のそれは7350円だとか。安い方が良いので上新電機に持ち込んだ。もし高額になるなら修理しませんので、とこちらの意向を述べると、まずは返金不可の見積料金だけでも頂きたいと言われ、金2100円也を支払った。 待つこと一週間。「修繕費ですが、5250円です」 とのことだったので、カミさんに3150円を手渡し、引取に行ってもらったら、5250円支払ったとのこと。一律7350円扱いである。 以前の上新なら一律とは言わず標準修理費用と称していた。だから追加料金は3150円で済んでいた。このシステムでは一体いくらの修理費用がかかったのか、利用者には不明のままである。利用者不在のシステムには大いに不満だ。 パソコン関連は壊れても部品さえ取り替えれば使えるモノがほとんど。HDが壊れたらHDを新調すればいいだけのこと。たいていは直る。逆説すれば直せるように作ってあるとも言える。
2005年07月20日
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外壁を補修したついでにナルの犬舎を移動することになった。2メートル後退するだけだが、自由に運動できるスペースを確保するためにはフェンスが必要になってくる。これまであった木製のフェンスはかなり老朽化したので新調することに。 朝からホームセンターであら材を数本買い込む。電動ノコで切り落とし、枠をこしらえ、金網ネットを貼っていくだけの作業だが、なにしろこの暑さ、500ミリのペットボトルが瞬く間に空になった。 ようやく型が完成したところで西宮に住む甥夫婦と子どもがやって来たので中断、部屋でビールを飲んで騒いでいたら夕方になった。 今日は残りの作業をするつもりでいるが、その前に明日提出する補正書類を片づけないといけない。手慣れた仕事だがうっかりすると計算まちがいをする仕事なので慎重さが必要。さてと、そろそろ始めるとするか。
2005年07月19日
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今年もまた自転車のペダルを漕いで久宝寺緑地内にある野球場へ行ってきた。 途中、八尾の商店街入り口で「お好み焼きと焼きそばと缶ビール」を調達、球場に着いたら二試合目の終盤だった。 富田林高VS柏原東高、得点は1:0、娘とは中学が同級だった子どもがいる関係上、柏原東を応援したが、せっかくの好機も相手のファインプレーに阻まれ、残念無念、負けてしまった。 地方球場の良さは選手たちの声が生に聞こえてくること。ゲームセットの瞬間、両サイドから歓声と落胆とが同時に聞こえてくる。 久宝寺球場の外輪は鬱蒼とした樹木が生い茂っていて、さすがにそれだけで涼を誘う。樹木の下では試合を終えた選手たちが車座、中央には監督が立ってねぎらいの言葉を述べている。目を真っ赤に腫らした選手たちはおそらく3年生なのだろう。すすり泣きを聞くにつけ、こちらまで胸が熱くなってくる。 高校野球というと甲子園をすぐに連想するが、球児たちみんなが甲子園を目指しているわけではない。誰に指摘されなくても自分たちが一番実力のほどを知っている。問題なのは甲子園に出ることなどではなく、どんなに自分がみんなと頑張ったか、悔いなく頑張ったかというとに尽きると思うのだ。 格好をつけているわけでも、気取っているわけでも、やらせでもない、3年間精一杯頑張ってきた若者たちのメイクドラマを見たいがために、私は毎年欠かさず久宝寺球場に通っている。
2005年07月18日
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夏はなんといっても干鱈が美味しい。 水で表面の潮を軽く洗い流し、拭き取らずにそのまま火にあぶって焦げ目を付ける。水に浸し、手で適当な大きさに千切ってガラス鉢に盛りつける。 相性としては塩昆布や梅干しと同様、ぶぶ漬け(お茶漬け)が一番だ。酒の肴にもいけるがかなり塩抜きをしないと辛くて多くは食べれない。 朝から事務所の掃除。ナルが寝そべっているところは特に入念に行う。芳香剤を撒き、観葉植物に水を差し、さいごに買い置きの香を焚く。 株分けをしたスパティフィラムの鉢が3本、北と東と南の隅にある。断っておくが配置そのものには意味はない。スペースと見た目から置いてあるだけだ。 スパティは水をよく吸い込む。逆に言えば水涸れさえ気をつければ年中青々としていて見た目が良い。この時期、ガラガラヘビの鎌首のような、水芭蕉のような花が数本、上に向かって伸びている。 贅沢を言えば、たわわな常緑の葉を四方に広げる分だけ縦には伸びないこと。このあたりが不満といえば不満だが、縦にはガジュマルやベンジャミンで補えばすむだけのこと。 園芸店では中ぐらいの鉢が千百円ほどで売られています。もっときれいな観葉植物もあるとは思いますが、手入れが悪いとすぐに枯れたりするような代物は何とも縁起が悪い。 もともとは一鉢だったんですが、いまではなんと8鉢にまで増えてます。どんなものでも元気に増えて、株分けができるってのは縁起いいですよね。 ということで今日のオチは、「殺風景な事務所を飾るにはスパティフィラム!」 ぜひ一鉢ご推薦します。
2005年07月17日
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飲食業などの壁にはよく「千客万来」などという額が掛かっていることがある。商売繁盛などと同様、商いを業とする者には欠かせないグッズである。 商家に生まれたせいか、「商い=飽きない」だと機会あれば教えられて育ってきた。「自営業=自衛業」であり、さきほどの「千客は万客を連れてきてくれる」と教わった。 恵まれたことに敷地が広いので、行政書士と不動産業と二つの事務所を構えている。兼任なのであえて壁で仕切らず、背高いパーティションで1:2の割合で仕切っている。狭い方が石井行政書士事務所で普段は私が待機、カミさんは不動産事務所の机にデンと腰を落とし、暇があればあくびばかりしている。晩ご飯のメニューや子どもの話などは専らパーティション越しで行う。 仕事の性質上、来客が多いのはカミさんのほうだ。ご近所でヒマをしている美代ちゃんや香奈ちゃんや佳枝ちゃんなどがダベリング目的にやってくる。 話が高じてくるとこれが結構うるさくて耳障り。しかし彼女たちはうちの動く広告塔でもある。日常の生活の中で知り得た情報やお客を連れてきてくれたりする、うちにとってはありがたい存在なのだ。 ファンを作ること。ファンはさらに周囲のファンを呼びこんでくれる。 「百姓百層倍」 農民の仕事というのは地味だが、いつしか蒔いた種が百倍もの収穫をもたらすものだという古人のたとえを信じている。信じる者こそ救われる、である。
2005年07月16日
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「失業したとたんにツキがまわってきた」 いろんな意味で興味を引く言葉ではじまるこの小説の題名は「永遠の1/2」、1985年に書かれた佐藤正午の作品だ。 主人公はまだうら若いので、中高年の失業という言葉とは比べようがないほど中身もなくダメージも軽い。失業の先にある、新たな職場(未知との遭遇)に対する期待や夢すら感じてくる。なんといっても、失業をダメージとして受けとめていない。若いということのすばらしさが散見する。 未来を見据えて今を生きるようになると、ちょっとした変化にも敏感となり、災いを招くのではと未来に対して過剰なまでの不安を抱くようになる。 失業を絶望の入り口と捉えて落ち込むか、失業を新たなチャンスとばかり勇猛果敢に捉えるかによってかなり未来が違ってくるはず。 スポーツの世界では「運やツキも実力のうち」という。決してラッキーとは捉えたりしない。飛び跳ねる楕円球の向きや方向は練習によって十分予測可能なのだとW大ラグビー部の元監督日比野氏は力説していた。 われわれ今の日本人は明治以来、未曾有の長い長い不景気時代を経験している。悲観論が大勢を占める中になっても、元気印の人はたくさんいる。ジーンズに両手を突っ込み、うつむき加減で前屈み、冴えない、いつも湿った顔をして歩いていては運やツキにまで見捨てられてしまう。 ガソリン高騰がせっかく持ち直しつつある景気に冷水を差す? などという暗い話が多い中、たとえ虚勢でもいいから、「失業したとたんにツキがまわってきた」と、反り返るぐらいに胸を張って歩きたいものです。
2005年07月15日
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日本対イタリアのバレーボールを観ていてそのまま寝てしまった。起きたのが夜中の十二時過ぎ。湯船に浸かり、パジャマ用に使っている夏物の作務衣に着替えて床に就くが頭が冴えて寝つけない。時間をまちがえてしまったばっかりに・・・、まずは困ったことである。 ついては居間のソファに腰をかけ、書架から俵万智の「サラダ記念日」を抜き取り、ページを繰る。 兵馬俑何百何十何体の思考直立したまま眠る やさしさをうまく表現できぬこと許されており父の世代 妻のこと「母さん」と呼ぶためらいのなきことなにかあたたかきこと ページを繰りながら缶ビールを一本空けた。 明日は風俗営業の現地検査。所轄署以外に市役所も消防署もやってくる。計測違いだけはいつも気になるところだ。 計測といえば、開業記念で買った舶来モノの腕時計、どういう故障かは知らないが、最近では平均して一日3分は狂うというとんでもない代物。ポカ連発のATOKといい、うちの所持品はろくなモノがない。 士業にとって時間は生命線。正確でないと困ることが多い。ついては帰路、難波あたりで電波腕時計を買う予定である。シチズンあたりが先発組だと聞いたが、最終的には値段が決め手となるあたり、貧乏事務所の辛さではある。
2005年07月13日
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世の中、クールビズとやらで喧しい。夏は暑いので当たり前。むしろ人工的な冷気で暑さをしのごうとするよりは、暑さをしのぎやすくする工夫をするのが真っ当だと思う。そういう観点からするとノーネクタイに上着無しは道理に適っている。 亡くなった母はクーラーが大嫌いだった。若い頃はそんな母を訝しく思ったりしたものだが、この歳になってみて、頷けるようになってきた。 人一倍汗かきだし、暑いのも苦手だが、手足が冷たくなるほどのクーラーを浴びるのはもっと苦手。首筋に多少の汗をかいても解放された窓から忍び込む夜風のほうが嬉しい。 事務所もたいていはドライモード。冷房モードにする時でも27度の設定。さすがに来客があるときは25度に下げたりもする。 冷を補うのは専ら首振り扇風機。薄青磁色の三菱電機「三枚羽根扇風機」はなんと昭和40年製である。ベアリングが摩耗しているせいか、向きや角度によってはたまにカタカタと変てこりんな音を出すこともあるが、普段はクルクル爽快、実によく回る。 レベルを強にすれば、机上の書面など跡形もなくすべて吹き払ってしまう。最近のホームセンターなどの売り出しでよく見かけるような、軽量簡便な扇風機とはひと味もふた味も違う重厚さと威厳さを兼ね備えている。 外から帰ってきた時など、首振りを止め、レベルを強にし、開襟の首筋で風を受ける。こんな芸当ができるのは扇風機ならでは。 大阪地方もようやく朝から晴れ模様。いよいよ梅雨明けも秒読み段階ということで、夏日をからだ一杯に浴び、夏バテしないよう元気に過ごしましょう。
2005年07月13日
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早朝から南河内の山中へ。現場の前には小川が流れていているが、降り続く雨のせいか、とても清流とは言い難いほど土砂が混り、茶色に濁っている。 関係書類を手に市役所各課と消防署を巡ってきた。地元自治会への挨拶も行うつもりだったが、書類に一部不備が見つかったので次回ということになった。 予定もしない早い帰宅にカミさんがビックリ。「昼ごはん? 食べてきたん?」「食べてない」「何か作ろうか?」「ああ、なんでもええわ」 遅い昼食を取り、事務所の机でウトウトしていると、いつしか一面覆っていた肉厚の白い雨雲が一瞬にして切り裂かれたかのようにめくりあがり、先ほどから一気に夏の陽光が差し込んできた。 午後からは書き仕事をするつもりでいたが、その前にこの好天を見逃す手はない。久しぶりにナルを洗ってやるとするか。「おーい、晴れてきたからナル洗うぞ!」 清掃好きの洗い好き。一方ナルも風呂好きだからこの間だけは息ピッタリだ。
2005年07月12日
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午後からいつ降り出すともしれない梅雨空を見あげながら小走りで図書館へ。アンソン・エリオットの「この森で天使はバスを降りた」を借り、図書館備え付けのデッキに差し込み、二時間あまり鑑賞した。 物語は5年の服役を終えたばかりのパーシーがバスでアメリカ北部の森に囲まれた田舎のバス停に降り立つところからはじまる。保安官の肝煎りで雇われることになった「スピットファイア」は腰の悪い老婆がひとりで営むレストランである。 オハイオ育ちだが山を知らないパーシーにとっては山に囲まれた生活は天国となるはずだったが・・・・・。 この映画は1996年サンダンス映画祭にて観客賞を受賞した。人は暗い過去を背負って前に向かって歩いている。いつでも振り返ることはできるが背中の重荷は振り落とすことはできない。荷物を重くするか軽くするかは向かおうとする目標目的によって異なってくる。 コンピュータグラフィックを駆使した超宇宙的で未来的な映画が蔓延る中、久しぶりに心洗われるような映画を観ました。この手の映画には欠かせないラストシーンもまとまっていて、とても感動モノでした。
2005年07月11日
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駅前の飲み屋が改装をし、激安ラーメン店をはじめた。 チラシをのぞくと自家製麺のラーメン一杯が189円とある。高級カップラーメン寄りやすい値段設定、さらに餃子にいたっては6個189円である。さすがに味噌ラーメンなどは289円である。 さていかがなものか? 安いのは嬉しいが、なんといっても食べものは味である。味が悪ければ安くても客は寄り付かない。 値段を倍にしても378円である。これでも安い。値段アップ分を懐に取り込まず、味に還元反映させることが可能なら客も大満足するだろうに。値段ばかりがすべてではないが、値段によっておおよそ味も定まってくるのは、社会福祉でないかぎりは、食べものの市場原理というか摂理だと思うのである。 カミさんは喜連瓜破の友人宅へ行った。子どもたちもそれぞれ出かけている。残っているのはナルとボスと私。さて昼ごはんだが、食卓の上には猫や犬の缶詰が積み上げられている。ホームセンターの売り出しとかで安かったらしく、その買いだめ分だ。焚いたご飯も朝みんなが食べたので無い。 まさかこれらの缶詰を開けて食べるわけにもいかないので先の店の暖簾を潜るつもりでいる。 チェーンの名称こそ違うが、すでに何件かの激安ラーメン店で食べた経験があるので、味そのものにはほとんど期待はしていない。ただ空腹を埋めるのと、お金を節約するためと、幾ばくかの物珍しさと興味本位が混ざっての行動にすぎない。 ラーメンにかぎらず、小さい頃からめん類は好きだった。今でもイヤしい性根というか、外に出ると駅そばだけは必ず食べている。昔は天ぷらそばしか食べなかったが、いつしか油揚げの載ったたぬきそばに変わり、最近では油分を控えたきざみそばが多い。 ネギが好きで山盛り掛けてくれたりすると嬉しくなってくる。そういう意味ではラーメン「横綱」のネギ盛り放題は好ましい店ではある。ただしその日の体調によっては味が少し濃厚すぎたりするので避けてしまいがち。「天下一品」のようにいろんな味を選んで注文できればありがたいのだが・・・。 それにしても、塀の補修が長雨のせいでなかなか前に進まない。晴れ間を選んでブロックを途中まで積んだが、それ以来お休みだ。雨は水曜日頃まで続くというからおそらく作業再開は木曜日以降となる。道路から居間の窓が丸見えである。そんなわけでここ数日間、やたら雨が恨めしい。
2005年07月10日
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土用の日こそウナギだが、関西圏はなんといってもウナギよりハモが主流。 どう猛な歯を持つハモは生命力が強い。なよなよぬめぬめするウナギが名優ウッディ・アレンとするなら、ハモはさぞかしアーノルド・シュワルツネッガーかシルベスタ・スタローンあたりに位置するはず。 ハモの産地としては淡路島の沼島がつとに有名。焼いてもよし、しゃぶしゃぶもよし、かんで含むと広がるあっさり味がなんともいえない涼感を呼ぶ。 ハモと並んで人気があるのが穴子、こちらは播州あたりで獲れたのが旨い。補足すると、広島の宮島口で食すことができる穴子めしはウナギの数倍は旨い。 関西はウナギよりハモと言いたいところだが、関西にはウナギの名店がないのかというとそう言い切るわけにはいかない。ちゃんとあるからだ。 織田作之助の「夫婦善哉」にも登場するウナギの名店が千日前の「いづもや」、最近でこそウナギの名称を掲げているが、少し前までこの店では「まむし」と呼称していた。毒蛇まむしのように精がつくという意味かと長年思っていたら、さにあらず、メシとウナギをまぶす(混ぜ合わせる)ことから付けられた名前とか。 いずれにしろ夏本番間近である。ぎらぎら照りつける太陽の暑さに負けないよう、こちらもより仕事に熱くならないといけない。頑張りましょうぞ、みなさん!
2005年07月09日
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大阪花博のときに家族みんなの顔写真と寄せ書きをタイムカプセルに入れた。時々、アレは今どうなっているんだろうと思っていたら、一枚の封書が届いた。 読んでみると、詫び状である。従業員が自宅に保管してあったものを、何者かによって盗まれた、というような意味合いの文章で、つまりはあのときの情報がずっぽり盗まれたというではないか。 つきましては今後このようなことがないよう十分注意致しますので何卒ご容赦下さい、とのことで締めくくってあったが、元のデータは大丈夫なのか? 文面から察するに大丈夫なのだろうとは思うが・・・。 個人情報といえば携帯電話を買い替えた。 申込時の暗証番号を変更したいので電話でその旨を申し入れると、本人確認だと称し、間髪入れずに一方的に、住所・氏名・生年月日・電話番号を聞いてくる。その言いようがなぜか強圧的で、しかもおそろしく無機質的事務的な感じがしたのでムカッときた。「住所・氏名・生年月日・電話番号をきいたからと言って、この程度の情報で本人確認なんかできるんですかね?」「はい」「この程度の情報なら、その気になれば誰でもすぐに探れますよね?」「そうでしょうか? まっ、当社はそういうシステムですから」「ところであなたが○○電話の△△さんだという確認のほうはまだできてませんが? 大丈夫なんでしょうか? なりすましじゃないでしょうね?」「まちがいありません」「ではお聞きしますが、先ほど答えた回答の中で一カ所だけ間違いがあります。本人確認ということですから、もちろんおわかりですよね?」「えっ? 間違いですか? ・・・どこもまちがいはないですよ」「まちがいないって、あなたの言うことをそのまま信じるほど、こちらもバカじゃないんで」「????」
2005年07月08日
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2012年のオリンピックはロンドンに決まったとのこと。わざわざ観戦に行くことはないと思うが、当事者たちにとってはまずは一件落着である。 予選でマドリードが優位だったのには理由はないが、なぜか意外な気がした。 小説の世界でマドリードといえば、ヘミングウェイ「日はまた昇る」である。第一次世界大戦後のロストジェネレーション時代を代表する作品だ。 物語は傷痍軍人であるジェイクと元恋人フレッドを主軸として進行する。パリやアメリカとちがい、南欧特有の気候と絡まって、実に開放的で陽気な人間たちの動きが読者の目をひく。カーニバルや闘牛の場面などは筆舌しがたいほどの臨場感が漂っている。 この時代の作家といえば、「長距離走者の孤独」「グスマン帰れ」「くず屋の娘」などを書いた生粋のロンドンっ子 アランシリトーを忘れてはならない。 誰の指図も助けも受けずに、サナギから成虫に変わろうとする若者の苦しみをマラソンを題材にして描いたシリトー、走りながら少年鑑別所という既成の殻を破って、自らの足で外界へと飛び出してしまう。この自らが昇華するという終末は読者としては納得させるものであり、拍手喝采モノである。 補足しますが、この作品にヒントを得たというか、単に真似をしたと言うべきか、青春小説の小説を書いた日本の若手作家は数多い。彼らの処女作を読むとすぐにわかりますよ。「あっ、これって、シリトーの真似!」 ところで大魚を逃したパリっ子さん、人生は「日はまた昇る」である。次回に期待しましょう。
2005年07月07日
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昨夜は自然薯を食べた。 自然薯の短冊切りに刻み海苔と卵黄を混ぜ、醤油を一滴落とすと絶妙の味になる。自然薯をすり鉢ですりつぶしてトロロにし、熱い麦ご飯の上からぶっかけて食べるのもまた美味しい。「自然薯」といえば三浦哲郎が同名の小説を書いている。幼い頃に離ればなれになった実親、その親がこしらえた自然薯を口に含みながら、遠い記憶の中にある、幼子が見た実親、自然薯のあの味と匂いが甦ってくるところで小説が終わる。実によくできた短編でした。 幼子が淡い記憶の底にじっと秘めていた母親の香りや匂いと言えば、宮本輝の「胸の香り」もなかなかの秀作である。 舞台は神戸、パン屋さんの店先、焼きたてのパンが並ぶ。主人公はそのパンが放つ匂いに母親の胸の香りを感じ入る。切っても切れない実親への狂おしいまでの思いが抑制のきいた文書で綴られている。こちらも親子を書かせば絶品の味を出す宮本輝ならではの作品に仕上がっている。 良い作品は人の心を突き動かす。
2005年07月06日
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七転び八起きなら元気が出るが、「七転八倒」のほうはやる気まで萎えてしまう。 言葉というのは薬にもなるし毒にもなる。言葉選びを間違えるととんだ恥を掻くだけでなく、相手を怒らせてしまうことにもなる。 先日の昼下がり、一本の電話が鳴った。出てみると中年のおやじさん。「亡くなった友人の四十九日に招待されているのですが、当日はどうしても都合がつかず、ついては欠席の知らせを出す予定なんですが、この場合の宛先はどう書いたらよいのでしょうか?」 というものだった。 喪主は奥さんだが、結婚している長男もいるとのこと。 突き詰めればこちらの気遣いが相手に伝われば良いだけのことで、お二人連名でどうでしょうか、と答えた。 作法的に間違っているかどうかは知らない。知らないが、作法などというものは受け継がれる部分と、時代時代で変化してゆく部分があってしかるべきだと思っている。ましてや神が作ったわけでも仏が残した言葉でもあるまい。所詮はその道の達人が自らの合理性合法性を権威という形で後世に遺さんがため、重々しくこしらえたものが多いと伝え聞く。 いずれにしろ「論語読みの論語知らず」や有識故実に陥ってしまう愚だけは避けたいものである。
2005年07月05日
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気がついたら身体が大きくなりすぎて岩屋から出られなくなっていた山椒魚。幽玄された身を嘆き悲しむが、ある時邪悪な心が頭をもたげ、一匹のカエルを同じ境遇に落としこむことに成功する。 ふたりは散々ののしりあい、いがみ合うが、いつしかそれもしなくなり、ため息ばかりつくようになる。そして最終的には和解をするというのが井伏鱒二の名作「山椒魚」である。 離婚の相談を受けたりすると、決まって「山椒魚」を思い浮かべてしまう。逃げ出せるつもりで必死になって相手のことをなじったりするが、結婚する時は二人で決めたこと。だれも強制などはしていないはず。子どもも生まれ、二人だけの問題ではなくなったにも関わらず、どうにかできないか、してもらいたいなどと言われても困ったものである。 離婚をすれば夫婦は他人に戻るが、子どもはそういうわけにはいかない。権利義務関係は墓場までキッチリついてくる。それが法律だという以前に、まずは親としての責務であり、人としての道理である。 いがみ合うのは夫婦間だけで終わるべきで、子どもにはまるで関係ない話だ。 ところで井伏鱒二は88歳の時、「山椒魚」に手を加えている。なんと最後の若い部分を削除してしまったのだ。昭和4年に生まれた作品を昭和60年になって改変した。この意図が誰にもわからず、今もって研究者泣かせとなっている。
2005年07月04日
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朝から事務所の掃除。製図などをよくするので消しゴムの削り滓などが結構床に落ちている。夏日にはナルが涼を求め、事務所の隅でうずくまっているのでその抜け毛なども多い。箒でかき集めるとふんわり毛玉ができたりする。 日曜日は交通量が少なく、とくに静かである。 今月中旬から事務所前の歩道の拡張工事が始まる。ついては事務所の前が広くなる。いいことだ。プラスチックの花壇でも買って花でも植えるとしよう。 末娘は期末テストの最中だ。月曜日は苦手な日本史、早朝から自室に籠もりきっている。 休日の朝は気だるい気分と安らいだ気分とが混じり合う。今朝は特にピアフが似合う感じだ。いずれにしろ時間は我々の思惑とは無関係に刻々と過ぎてゆく。午後からは火曜日に提出する予定の許可申請書類の点検をし、残りの時間は図書館で借りた小説でも読むつもりだ。
2005年07月03日
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雨が降らないと困るが、降りすぎるとこれも困ったことである。 今週末は雨模様とか。晴耕雨読には良い週末かもしれない。 近くに大きな図書館があるので足繁く通っている。さすがに話題の新刊書は予約で一杯だが、隠れた名書などを探すにはもってこいの場所だ。 図書館には本の他に、ビデオや音楽CD等も貸し出している。落語のライブなどもあって楽しい。中でも枝雀師匠の「代書」は面白い。同様の仕事をしているから、よけいにそう思うのかもしれないが、とにかく笑いすぎてあごが痛くなる。 久しぶりに心底から笑いたい方、傾聴の価値あり、ですよ。
2005年07月02日
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車両の移転登録ということで朝から寝屋川の陸運。午後からは谷町に戻ってまずは書士会。新調なった職務上請求書の交換交付申請をすませ、道路をはさんだ宅建業許可グループへなだれ込み。時間があれば建設業許可グループを迂回し、1号館別館で行われる新会社法によって新設されるLLP(有限責任事業組合)制度の説明会に出席する予定。 新法ができるたびにどこかで説明会や研修会等がある。我々の商売は情報を収集しておかないことには業務に活用ができない。知らないでは通用しない。 ところでこのLLPというのは実に面白い制度です。新たに創業をご計画の方は是非一度ご検討されたらいかがでしょうか?
2005年07月01日
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