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ひるむことも、びびることも、怖がることも、パニックになることもなく、敵に向かっていく映画の中のヒーローの行動がいかにうそ臭いかにきづかされたのが、どの映画を見た時なのか、どうしても思い出せないのだけれど。 実際にもしも自分がその立場になったら、怖くて怖くて、勇敢に立ち向かうというよりは、敵前逃亡で逃げ出しちゃうだろうと思う。先日、『エヴァンゲリヲン/序』がテレビのゴールデンタイムで放送されたりするものだから、普段ぜったいみないような人たちが、見ていた。簡単にチャンネルさえあわせられれば見られるという状況で、みている人が多かったのではないだろうか。 そんな状況で、ただの娯楽ヒーロー映画のつもりでみている立場であれば、主人公のシンジが切れたり怒り出したり逃げ出したりするのは、ただのヒーロー失格の勇気のないうじうじした人間にしか見えないかもしれない。 けれど、もし自分が、本当に戦場に立たされた時のことを想像すれば、その怖さは、相当なものだ。しかも、自分の一人の行動が、地球上の全人類の存亡にかかっているとすればなおさらだと、思う。ほんの一瞬の判断が、あやまるだけで、負けるし、死ぬかもしれないし、人類滅亡になるかもしれない。(たかが、14歳の子どもに人類の命運がまかされるとい設定はどうよ、というようなことは、また、とりあえずひとまず、おいといてですが。) プロの兵士でもなければ、軍隊のような特殊な訓練もまだまだ受けていない状況で、いきなり、自分にしかできないといわれて、戦闘を強要されるとしたら、その精神的なプレッシャーたるや、相当なものなのではと、思う。 私ならたぶん、絶対エヴァンゲリヲンに乗らないだろうし、乗ってもそのまま逃げ出すかもしれない。 ぐずぐずしている間に、死んでるかもしれない。 いくつものヒーロー映画を見ている中で、ヒーローなら戦って当たり前と、思い込んでいた。でも、そんなことのできる人間なんて、本当にいるのだろうか。だから、最近、アメリカのヒーロー映画でも、人間的にとまどい悩み、あるいは、酒におぼれたりするヒーローたちが描かれ始めている。 あの状況でいきなり、勇敢に戦えるほうがよっぽど特別で、おかしいのだと、思う。 そんな中で映画でも、碇シンジがエヴァンゲリヲンを拒否して、逃げ出す場面がある。ものすごく当然な行動だと思うし、自分の中でエウ゛ァンゲリオンに乗ること、戦うことを受け入れるためには、一度徹底的に拒否して、自分の中の本当の本音に向かい合わなければならなかったのだろうと、思う。全てをとりさった中でも、それでも、乗りたいと思うのか。必要だと思うのか。自分の中に少しでも、戦うことに向かう気持ちがあるのだろうか。 この手の物語を見るといつも思い出すのが漫画の『エースをねらえ!』なんだけど。主人公の岡ひろみもまた、自分にかかるプレッシャーのきつさのなかで、一度はテニスを捨てる。けれど、離れてみてなお、やはり自分がテニスを好きでテニスやりたいことにきずいた時、彼女はもう一度テニスに戻ってくる。 シンジの前にすでに、エヴゥンゲリヲン0号機にのっている綾波レイもまた、一度は、エヴァンゲリオンに乗ることを拒否したのではないだろうか。物語では、描かれていないけれど、シンジが登場するずっと前、まだ、エヴァンゲリヲンにのるパイロットがレイ一人だけだった時にも、乗る乗らないの葛藤があったりしたのだと、思う。その時の数々の闘争を経験しているからこそ、ネルフのスタッフは、みんな、シンジの戸惑いや苛立ちに対しても、搭乗拒否にしても、冷静でいられたのだろうと思う。 レイは、もしかすると、一度戦闘中に死んでいるのかもしれない。物語の後半で「私はたぶん三人目なんだと思う。」という言葉が出てくる。テレビ放送本編では、物語の中で一度死んでいて、クローン再生されているのだ。それが三人目の体なのだとしたら、シンジの登場以前に一度死んでいるのかもしれない。それはやはり、シンジ以上にエヴァンゲリオンに乗って戦うことへの拒否や、戦死や、闘争、パニック、があって、かつてのネルフスタッフたちは、彼女の精神的なバランスをとることにそうとう苦労しているのかもしれない。 だからこそ、棟方仁が岡ひろみの精神的なフォローをしていたように、碇指令は、時々レイと食事をしたり、優しい言葉をかけて、レイをフォローしているのだと、思う。けれど、後からやってきたシンジには、そのことはわからない。なぜレイが、自分が悩んでいることを平然とこなせるのか、なぜ傷だらけになりながらもエヴァンゲリオンに乗り続けるのか、なぜシンジの父親である碇指令がレイに対しては、あんなにも優しいのか。 けれど、碇指令もシンジに対しては、レイに対するような優しさは、見せない。男の子は、女の子とは違うからだ。女の子は精神的にフォローしてあげたり、優しくしてあげる必要があるけれど、男の子の場合は、ある程度突き放して、厳しくし、自分自身の内側の葛藤をのりこえていかなければ、成長していけない。女の子に対するような優しい接し方では、成長を逆にはばんでしまうからだと、思う。 一見冷たいようにみえるけれど、碇指令は父親として、ちゃんとシンジをみていると、思う。 激烈な戦場で戦っていくのは、テレビのこちら側でスイカを食べながらのんびり観ている側には、想像しにくいのかもしれない。 だからいま、よりリアルなヒーー物語として、『エヴァンゲリヲン』は、多くの男性たちの評価をえているのだと、思う。 真希波・マリ・イラストリアス 自我の覚醒と獲得の物語『新世紀エヴァンゲリオン』の感想はこちら
2009年07月13日
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『 外国映画用投票フォーマット 』【作品賞】(5本以上10本まで) 「 ブラッドダイヤモンド 」 4 点ディカプリオ主演が理由でたいした作品じゃないだろうとおもい、見るのを控えていたのだけれど、いざ見てみたら、予定外の力作でした。アフリカの現実を、このような娯楽大作という形で普段社会派の映画をみないような一般の人たちにも伝えることが出来たことに意義深さを感じました。 「 ミス・ポター 」 4 点ピーター・ラビットで有名な人ですが、実はナショナルトラストの先駆者だったことのわかる有意義な作品でした。 「 マリー・アントワネット 」 4 点『ベルサイユのばら』とは、全く違う現代的な視点で、マリー・アントワネットという人物を見直させてくれた作品です。マリーの立場を現代の女の子が生きたら、ものすごくしんどいんじゃないかということを実感させてくれました。 「 パフューム 」 4 点今年最大の話題作ですね。いままでにありえなかった「臭覚」を画像でみごとに表現してくれました。 「 世界最速のインディアン 」 5 点予定外に面白くて感動的でした。好きなことを追求する生き方が素敵でした。 「 不都合な真実 」 4 点やはり、地球温暖化は年々切実になっていきますね。政治的などうこうなんてこのさいすっ飛ばして、真剣に対策してほしいです。この映画はぜひ、みんなみてね。 「 麦の穂をゆらす風 」 5 点アイルランドの歴史は、世界史でもあまりやらないし、日本ではほとんど知らない人のほうが多いでしょう。けれど、アイルランドとイギリスの壮絶な対立。力づくで他人を動かしちゃいけないと思います。 【コメント】 わたしの評価は上記の通りだけれど、実際のところ今年の話題作はなんといっても、「パイレーチオブカリビアン」と「パフューム」だろうと思います。たぶん、この二つのどちらかが今年の受賞作となるだろうと思います。昨年2007年は2006年ほど映画を見ていないので、いい作品を選びきれなかったと思います。すみません。-----------------------------------------------------------------【監督賞】 作品名 [ ソフィア・コッポラ ] (「 マリー・アントワネット 」)【コメント】マリーアントワネットを女性らしい視点で描き出してくれました。おしゃれでポップなファッションやオカシや音楽も素敵でした。【主演男優賞】 [ レオナルド・ディカプリオ ] (「 ブラッド・ダイヤモンド 」)【コメント】アフリカのいろんな言葉や風習まで独自に自力で吸収しての熱演だったと、思います。【主演女優賞】 [ ] (「 」)【コメント】【助演男優賞】 [ ] (「 」)【コメント】【助演女優賞】 [ ] (「 」)【コメント】【新人賞】 [ ] (「 」)【コメント】【音楽賞】 「 」【コメント】このあたりはまったくわかりませんので、投票なしです。すみません。-----------------------------------------------------------------【勝手に○×賞】 [ 墨攻 ] (「 」) 「 」【コメント】原作は日本の小説と漫画。それを外国の監督が映画化。俳優もアジア各国からの出演。インターナショナルでグローバルな映画です。意義深い。----------------------------------------------------------------- この内容(以下の投票を含む)をWEBに転載することに同意する。-----------------------------------------------------------------
2008年01月09日
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日本インターネット映画大賞さんからのお誘いがありましたので、素直にありがたくおもしろく、私も投票させていただくことにしました。でもそんなに映画には詳しくないし、監督とか、俳優さんとかは全然わかりません。だから、よかったなと思う映画を選ぶのが精一杯であります。 [作品賞投票ルール] ・選出作品は5本以上10本まで ・持ち点合計は30点 ・1作品に投票できる最大は10点まで-----------------------------------------------------------------『 外国映画用投票フォーマット 』【作品賞】(5本以上10本まで) 「イルマーレ 」 3 点 「トリスタンとイゾルデ 」 3 点 「シン・レッド・ライン 」 4 点 「ニュー・ワールド 」 3 点 「バタフライ・エフェクト 」 4 点 「マザー・テレサ 」 3 点 「父親たちの星条旗 」 3 点 「ナイト・オブ・ザ・スカイ 」 3 点 「ロード・オブ・ウォー 」 4 点【コメント】「イルマーレ」アジア映画のリメイクが多い中で、珍しく成功していた。タイム系のネタによって現在の行動が未来にどう影響していくかを考えさせてくれる作品だと思う。今を大切にしようね。「ロード・オブ・ウォー」戦争が誰の都合によって起こるのかその真実を考え直すきっかけとなっている作品。本来悪役であるはずの職業を持つ主人公によって見せる展開になっていたのが秀逸。「ナイト・オブ・ザ・スカイ」珍しく実写映像を堪能できた作品。明らかにフランス空軍の宣伝映画であるが、久しぶりにフランス映画を楽しめました。「バタフライ・エフェクト」流行のタイム系。過去を修正することで未来が改善されていく様子を見せることで現在の若者への訓話となっているにもかかわらず、それ故の説教くささををきづかせないシナリオがうまい。「ニューワールド」今年のアメリカ映画は全体に今までのアメリカのイメージを覆し、今のアメリカのあり方を考え直そうとする作品が多かったように思えます。その中でも、そのさきがけとなった作品。そもそも、アメリカ大陸侵略の発端から考え直すのもいいかもしれません。それは、主人公のイギリス人とヒロインのインディアンの娘が損得なしに愛し合ったように、アメリカの国内のあり方も人としての原点に帰るべきなのかもしれません。「シン・レッド・ライン」かっこいいものでも英雄物語でもない戦争の現実を語った作品。戦争映画を娯楽として作る姿勢にテレンスマリックは疑問を投げかけているように思う。「マザー・テレサ」名前は知っていても、彼女が実際に何をしたのか知らない人は多いはず。彼女の人生と基本の姿勢、考え方などとてもよくわかり、ぜひいろんな人に見てほしい作品です。「父親たちの星条旗」アメリカの階級社会の現実を如実に語っていて、日本人の知らないアメリカの影の部分をとてもよく見せてくれた。硫黄島の戦いを多くの人に知らせた功績は大きいと思う。「トリスタンとイゾルデ」古代イギリスを舞台にした歴史と恋の物語。中世ヨーロッパは好きです。現在のアイルランド闘争の原点を知るうえでもいいのじゃないのかな。かわいそうでした。当時の雰囲気をよく表現してあり、美しく、手の込んだセットがとてもよかった。作品の質的な是非は別として、個人的には、これが一番好みの映画だった。★特に一番て決められないものですね。今年の話題作硫黄島二部作はきっと選ばれることでしょう。でも、いい作品が多くて絞り込むのが大変でした。本当はどれも10点つけたかったんですよ。そのあたりがつらかったんですが、悩むほどいい作品が多いって言うのはすごくいいことですよね。今年はアメリカ映画の中で今までのアメリカのあり方を考え直すような作品が多く出たことに気がつきました。世界的にも批判され始めたおごれるアメリカが本来の良さを取り戻して、よりすばらしい国になっていくうえで、映画のもつ意義は大きいかもしれません。また、「太陽」「硫黄島からの手紙」など、外国が作った日本を舞台にした映画。良作として評価されていましたが、一見真実を描いているように見えるので、今の若い人たちはそのまま日本の真実だと捉えがちですが、実際には違う。あくまで外国から見た日本なのだということにきずかないまま、素直に信じてしまう怖さを感じました。出来れば、日本で、このテーマをさらに製作してほしいなと思います。-----------------------------------------------------------------【監督賞】 作品名 [テレンス・マリック ] (「 シン・レッド・ライン」「 ニュー・ワールド」)【コメント】普通の人とは一線を画した価値観の表現に彼の人生の戸惑いを感じる。今の時代に彼のような価値観が再認識されてもいいのではないかと思う。でも、たぶん、今年の監督賞はクリント・イーストウッドでしょうね。【主演男優賞】 [ ニコラス・ケイジ ] (「 ロード・オブ・ウォー 」)【コメント】個人的に好き。嫌悪感も違和感も感じさせなかったのがすごい。油がのってますね。【主演女優賞】 [ ソフィア・マイルズ ] (「トリスタントイゾルデ」)【コメント】きれいな人でした。【助演男優賞】 [ ] (「 」)【コメント】【助演女優賞】 [ ] (「 」)【コメント】【新人賞】 [ ] (「 」)【コメント】もう、このあたり↑は私の能力ではむりなので、パス。ではでは、よい作品が賞に選ばれるといいですねー。----------------------------------------------------------------- この内容(以下の投票を含む)をWEBに転載することに同意する。☆ところで今週の日曜は「華麗なる一族」が始まる。たのしみ♪フッキーも出るしね。忘れないようにしないと!
2007年01月10日
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三谷幸喜の『ラヂオの時間』を見たばかりの時はたいした感想もかけず、ただ、おもしろかった、質のいい笑いが増えていくのはいい事だとだけ書いた。しかし、その後、いろいろと考えていくうちに「なるほどな」と思い始めた。三谷幸喜がなぜ自分で映画を作り始めたのか、ということだ。本来は喜劇作家、シナリオライターである。そのまま、シナリオだけ書いてるほうが、たくさんの喜劇作品を世に送り出せるはずだ。にもかかわらず、なぜ自分でメガホンを取るようになったのかといえば、せっかく書いたシナリオが他人の手に渡った途端、全く自分が意図したものとは別のものになってしまうから、なのだろう。せっかくのセンスのいい微妙な笑い。今までの日本の下品な笑いとは違うもの。彼が書きたいのはそういう微妙に品のいい笑いだ。しかし、他の監督にその作品を渡した時、彼が表現しようとした笑いや作品のテーマが映画制作の過程で明らかに違うものに変わってしまう事に、歯がゆさと、いらだたしさ、腹立たしさを覚えたから、なのではないのだろうか。だから、あえて、彼は映画監督という仕事を始めたのではないかと思う。 原作があってそれが映画化なり、ドラマ化なり、舞台ナリになれば、演出上どうしても、原作とは、微妙に設定や、セリフをかえたり、エピソードを新たに入れなければならないものだ。しかし、最近の日本映画界の映画化の状況はひどいなあと思う。とにかく、最近見る映画はどれもこれも、原作からかけ離れていくばかりである。 『デスノート』しかり、『ブレイブストーリー』しかり。そして、『ゲド戦記』しかり、である。 そして数々の映画評ブログを読んでいると、大体不評である理由の大半が「原作とちがっている。」というところにある。 なぜか、最近は原作どおりでないものが多い。監督なりのオリジナリティを表現したいらしい。しかし、それなら、なぜ、原作つきの映画ではなく、自分で一から、ストーリーや、キャラクター設定を考えて映画を作らないのだろう。その方がよっぽど、自分のオリジナリティを表現できるのではありませんか。 はっきりいって、観客は原作どおりに作られた映画をこそ熱望しているのである。原作のオリジナリティと独特の世界にほれ込んで、その世界が実写やアニメとなって、ほれこんだキャラクターや、登場人物たちが、映画のなかで、動くそれこそが見たくて観賞しに来るのである。実際、原作つきの映画の場合、特に売れ筋のマンガや小説の場合、原作者が作り出した世界をいかに忠実に映画化しているか。そこがファンの望むところであって、はっきりいって監督がだれかとかも、知らない、気にしていない場合も多い。映画化において、監督のオリジナリティなんか見たくもないし、どうでもいいのである。 それなのに、昨今なぜこうも、原作を無視して、原作の設定と一部のストーリー、一部の世界観だけを借用して、自分の勝手に作った話を製作するのだろう。 原作者が、その物語を作りだすために、キャラクターや、世界観や、細かいエピソード作りにどれほど、心血を注いだか、わからないのだろうか。著作権料や、版権のための使用料さえ払えばもう自分のものなのだから、どうしようと、勝手だと思っているのだろうか。そこには。原作者に対しての敬意も思いやりも感じられない。 観客は、いかに、原作の世界観をスクリーンの上に正確に忠実に再現してこそ、その監督の技量をすばらしいと思うものなのだ。 それはつまり、受験における、国語の読解問題に似ている。国語の問題において、問題製作者は、回答者本人の感想や意見を聞いているのではない。回答者が出題文のなかで、その文章を書いた作者が何をいいたいのか、それを回答するものがきちんと読み取れて、理解できたかどうかを聞いているのである。 そういう意味で、原作を無視して、まるで違う話にしてしまうイマドキの映画監督達というのは、中学生、高校生レベルの国語の問題も解けない、学校では、国語の成績はとても、わるかったノータリンなんじゃないかと思う。いや、ちょっと言いすぎですかね。 だから、今回めちゃくちゃ不評の『ゲド戦記』だって、とにかく、三巻あたりをひたすら、原作に忠実に、原作どおりにアニメ化していれば、大体「ゲド戦記の世界を見事に再現したすばらしい作品」、「ゲド戦記に対しての監督の愛情と敬意を感じる秀作」くらいの評価がついたはずだと思う。そうであれば、少しくらい絵が失敗してても、俳優の声がおかしくても、ほとんどそのあたりはまあいいんじゃないですかという事ですんでしまったと思うのだ。 原作を映画にすることの意味をもう一度映画界は考えて欲しい。そして、観客が何を求めているのかも、きちんと理解してほしい。 『ハリー・ポッター』や『ロード・オブ・ザ・リング』が好評価をえているのも、原作にかなり忠実な映像化ゆえなのである。 だから、『ラヂオの時間』の中で、俳優や、スポンサーや、ディレクターの都合やわがままによって、シナリオがどんどん変えられていくストーリーは喜劇として描かれてはいるけれど、そういう今のメディア界への三谷幸樹の痛烈な批判なのだろう。三谷幸喜は次回作も自分でメガホンを取らざるを得ない。 そして、ルヴィンのすばらしい小説がすばらしい映像になる日は遠い。 だからね、吾朗ちゃん。世界的に有名な小説家が作った話と、昨日今日監督になったポッとでの新人が作った話と、どっちの方が面白くていい作品かくらいわかってもいいはずだと思うよ。 、 映画批評
2006年08月08日
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昨日『テルーの唄』がすごいって言う記事を書いたけど、そのあとよくよく調べたら、この詩は実は荻原朔太郎の詩がもとネタだと知った。がっくーーーーーん。ショック です。なるほど。いいなと思える表現の部分は朔太郎のもの、そのまんま。うーん。こうなると、宮崎吾朗の才能は果たしていかほどのものか。しかし、ジブリでは、別にこの事実を伏せてはいない。『ゲド戦記』製作過程をつづったブログの文書の中にも書いてあるし、楽天の広告のレビューにも書いてある。 こうなると、これははたして、なんなのか。盗作とはちがうものなのか。ある意味模倣に近いのか。すばらしい作品に出会うとどんな有名な芸術家でも、いくらかの模倣を自分の作品の中にとりいれてしまうものだ。と、なると、著作権や、独創性をどこまでで、ラインをひいたものだろう。うむむむむむむむ。というわけで、実際の詩を見てみましょうね。 荻原朔太郎 『 こころ 』 こころをば なにに たとへん こころはあじさゐの花 ももいろに咲く日はあれど うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。 こころは夕闇の園生(そのう)のふきあげ 音なき音のあゆむひびきに こころはひとつによりて悲しめども かなしめどもあるかひなしや ああこのこころをば なにに たとへん。こころは二人の旅びと されど道づれのたえて物言ふことなければ わがこころはいつもかくさびしきなり。 そして、『テルーの唄』の歌詞です。 夕闇迫る雲の上いつも一羽で飛んでいる鷹はきっと悲しかろう音も途絶えた風の中空を掴んだその翼休めることはできなくて心を何にたとえよう鷹のようなこの心心を何にたとえよう空を舞うよな悲しさを雨のそぼ降る岩陰にいつも小さく咲いている花はきっと切なかろう色も霞んだ雨の中薄桃色の花びらを愛でてくれる手もなくて心を何にたとえよう花のようなこの心心を何にたとえよう雨に打たれる切なさを人影絶えた野の道を私とともに歩んでるあなたもきっと寂しかろう虫の囁く草原をともに道行く人だけど絶えて物言うこともなく心を何にたとえよう一人道行くこの心心を何にたとえよう一人ぼっちの寂しさを(JASRAC許諾第J050912808号) かなり、フレーズをそのまま使っている部分がある。 特にこの歌で一番の売りの部分は「心を何にたとえよう」の部分。私もこの部分が一番すごいなと思ったので、それがそのままもとネタからの引用と知っちゃうとなんだかちょっと感動が薄れます。朔太郎はやはり、詩人として有名を馳せただけのことはありますね。プロの詩人としての言葉の使い方、表現はすごい。宮崎吾朗はこの詩との出会いがなかったとしたら、はたして、どんな詩を書いたんだろうか。 ただ、『テルーの唄』は歌詞だけじゃなくて、谷山浩子の曲と手嶌葵の声の三拍子そろってはじめて成立しうる感動なので。そして、朔太郎の詩だけ読んでも、涙が出るような感動はうけないし、人生の孤独まではこの詩に表現されているかどうか私にはわからない。そういう意味で朔太郎の詩から、多くの人がこの曲を聞くだけで感動するような歌にまで作り上げているその力量はすごいのかもしれない。彼一人の仕事なのか、ジブリスタッフの仕事なのか。ジブリの中でこれから、彼が、どうジブリらしさと自分らしさを上手く融合させて表現していくのか。そして、今まで以上のものを生み出しうるものなのか。 ところで、この二つの詩の関係は、映画とその原作の関係に似ている。映画監督は原作の設定とエピソードの中から、自分の気に入ったものだけ拾い上げて原作とは全く違う自分なりの作品を作ってしまう。人気のある原作や、すばらしい原作の場合は、大概不評を浴びる事になる。しかし、一読しても何が書いてあるのかさっぱりわからない原作や、なんだかつまらない原作がものすごく面白い映画に変身させられたら、その監督の技量はすごいと思うのだけど、そういう監督いますかね。そういうところに小説を映画にする醍醐味があると思うんだけどね。私はそういう映画を期待したいし、そういう監督を期待したい。 さてっと、劇場が混んでませんように。 ジブリ最新作『ゲド戦記』
2006年08月01日
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なにやら巷では、映画検定なるものがあったらしくて、しかも、その結果が出たらしいです。三級に受かったとか、二級に受かったとか、いろいろおめでとうございます。 私は映画通なわけじゃないので、恐れ多くて未参加ではありますが。でもでも、それってどんなやつと思ってキネマのサイトみにいったら、四級レベルの模擬試験があったのでやってみました。私はたいして、映画通ではありませんが、90点でした。四級はかなりやさしいみたい。そして、まぐれとか、感とか、運もあるのかな。次回は一級もあるらしいですね。これはすごくむずかしいんだろうな。 好きの嫌いのといいつつ、皆様映画は好きですよねー。 というわけで、ここだ。
2006年07月30日
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『ニューワールド』のジョンスミス。『シンレッドライン』のスタロフ大佐。 私の目にはこの二人は似ている。どちらもやさしい。そして、やさしすぎる。 このやさしすぎるということがどんな意味をもつのか。目の前のかわいそうを断ち切れないのだ。男の人というのはその先の結果を考えて、目の前のかわいそうを断ち切らなければならないような、そんな決断をしなければならない場面にしばしば出会うものだ。けれど、スタロフ大佐は、太平洋戦争の全体の流れよりも、今目の前にいる部下の命の方を優先しててしまう。今部下を行かせれば死んでしまう。そのことを踏み切れない。 ジョンスミスもまた、自分のために故郷を追われてしまったポカホンタスへの罪悪感が大きい。たとえ人質扱いであろうと彼のために故郷を追われてきたボカホンタスを、自身の感情をのりこえ、ボカホンタスを受け入れることが、どうしても出来なかったのだろうか。彼がポカホンタスを置いて、イギリス本国の命令に従ってアメリカを離れる時、自分を待ち続けてしまうかもしれないことを思って死んだことにしたのか。あるいは、ポカホンタスを危ない冒険の旅に連れ出すことが忍びなかったのか。イギリスからの命令を断ることが出来なかったのか。それとも、断ることはできたかもしれないのか。ちょっとわからないけれど。 このやさし過ぎる男というのは、テレンスマリックその人なのだろうか。彼は自分の映画の中に優しすぎる男を描いてみせる。 それはテレンスマリック自身そのものの姿なのだろうか。 目の前のかわいそうを断ち切れないそのやさしさは、しばしば男性社会の中で、彼に生きにくさを味あわせてきただろう。彼は人生の中で自身の優しさをどう扱えばいいのか悩み続けてきたのだろうか。この手の優しさは男社会の中では、かなりしんどいものなのではないかと思う。 目の前のやさしさをたちきることのできる普通の男性であれば、この手の悩みにであうことはない。だから、この手の悩みをその映画に映し出すことも出来ない。 男が優しすぎるということがどんな意味を持つのか。そのやさしさは否定されるものなのか、肯定できるものなのか。テレススマリックは自らの映画の中で問う。 男が目の前のかわいそうを断ち切れないやさしさは捨てなければいけないものなのか。持ち続けてもいいものなのか。必要以上にやさしすぎる自分は間違っているのだろうか。 彼の映画『シンレッドライン』の中で、ウィットという非常にビビットな感性を持つ青年が登場する。たぶん、主役。彼は戦闘から逃れるために、戦争という苦痛からのがれるために、しばしば脱走する。けれど、脱走して訪れる島民の村の中で、辛いのは戦場だけではないこと、平和な世界であろうとも、争いや病気やそのほかいろいろのことがあって、生きるというそのこと自体が辛いのだということに思いいたる。彼はただの歩兵だから、スタロフのように上官として部下の生死にかかわるような決断を迫られることはない。それでも、そのやさしさや感性はスタロフと同じように戦場における疑問と苦痛を伴いうるものだ。けれどそののち、同僚のために自らの命を犠牲にして、日本兵に殺されてしまう。ウイットは逃げるのをやめたのだろうか。 『ニューワールド』の中でも、ジョンスミスは自身の罪悪感とやさしさからポカホンタスの愛を受け止めることを止めた。けれどその事が間違いだったことに、後年イギリスでポカホンタスと再会することで、ジョンスミスは気づくことになる。目の前のかわいそうという感情を振り切ってその先のことを考えて行動を決めることが必要とされることに、気づくことになったのだろうと思う。 自身のやさしさに人生の中で迷ったテレンスマリックが出した一つの答えなのだろうか。 先のことを考えて今目の前にある感情を切れ捨てなければならないという男性得意の感情とは別に、まず、先のことより何より目の前にあるものをかわいそうだとして最優先させる女性得意の感情もまた決して悪いものではないだろうと思う。どちらが悪いということではなく、どちらもまた必要なモノなのだろうと思う。 しかし、この男女それぞれ独特の感情への対し方というものは、お互いになかなか理解しにくいものがあって、それがしばしば、男女の、恋人同士の、夫婦の、意識のずれを生み、、あるいはケンカとなり、別れを、いさかいを導いてしまうものだ。 最近話題になる熟年離婚もまた、そのあたりのことで、今病気で辛いしんどい状態の自分を置いて、仕事に行ってしまう夫に対しては冷たい、家族のことはどうでもいいのかと思うけれど、男にすれば妻は病気で辛そうではあるけれども、病気はいつか治るものだし、それよりも今仕事を投げ出せば、仕事を失いこの後の家族の食い扶持を稼ぐことができなくなり、家族を路頭に迷わせることになるかもしれないことの方が優先されることになるのだろう。男性は目の前の妻のかわいそうな状況よりもその先のことを考えて仕事に出てしまうのだろうけれど、妻にすれば会社の状況など想像できるものでもないし、たかだか一日休むくらいで、仕事がなくなるとも思えないのだから、それで、仕事を優先させる夫というのはただ家族や妻のことも考えずに仕事ばかりする冷たい男にしか見えないだろう。 男性的感覚と女性的感覚は相容れないというか、一つの人間が両方の要素をもつのは不可能だからこそ、男女に振り分けられているのだろうと思う。そして、それはどちらが良い悪いということではなくて、どちらも必要な感情なのだと、思う。 先のことを考えればふりきったほうがいいように思えるものでも、今現在のかわいそうだという感情を優先させた方が結果的によい場合もまた、ありうることがあるもので、今だんだんに会社でも、家族や家庭の事情を考慮して、男性社員を全て仕事優先の生活に追い込まないような仕事のあり方を模索しはじめてもいる。 テレンスマリックはたぶん、やさしすぎる男であろうと思うのだけれど、彼は答えをだせたのだろうか。 ところで『シンレッドライン』の中にでてくる、指揮官のトール中尉。この人はまさに男らしい男なのだけど、戦場では兵士の命より、戦闘の結果や、名誉や勲章が優先されてはいるのだけれど、(まさに男)、戦闘中自分の命令に逆らったスタロフに対して除隊を促し、その際に勲章や名誉を考慮し、除隊にされるスタロフの立場も慮って、気を配ってあげる当り、結構やさしいじゃないかと私は思ったのだけれど、なんか間違ってるかなあ。確かに戦争最優先だけれど、タバコをすいながら物思いにふけるトール中尉を見ていると、結構いい男じゃないかと思ってしまった。彼もまた戦争のために目の前のものを切り捨てながら、決して何も感じていないわけではなく、本当はやはり、心に痛みを感じているのだろうと思う。決して冷たい男なわけでも、自分勝手なわけでもないのだろうと思う。その痛みを心の奥にしまいこみながら、自身の役目をこなそうとしているのだろうか。いかにも男らしい男の中の男ってやつですかねえ。
2006年06月05日
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もう、いまさらなんですけどね。 『アドルフの画集』と『ヒトラー最期の12日間』を見て、結局どちらの映画も映画を製作した監督が言いたかったことは同じなんだな、と。 同じことを外国の監督が、そして、ドイツ本国の国内の監督がドイツ国内から、作ったんだ。 ドイツでは、今でもヒトラーは禁句。ヒトラーを人間として描くことは長く禁止されていたらしい。というのを他のブログで読んできたんだけどさ。他のブログでも大体骨のある記事を読んでいると感想は同じ。 今まで、第二次世界大戦は全てヒトラーが原因とされてきた。ヒトラーは悪魔のような人間で、ドイツはヒトラーに先導されていただけだ、と。 けれど、悪いのはユダヤ人で、悪いのはヒトラーで、と、全てを他に転嫁するような姿勢でいても、事態はかわらない。 大戦の原因がドイツ国内の国民の全体の意識にあったことを、二人の監督がほぼ同じ時期に映画にしている。 『アドルフの画集』では、反ユダヤ主義でも思想家でもなかったただの普通の画家志望の青年だったアドルフが、周りからの声で、ヒトラーへと変貌していく様が描かれている。 『ヒトラー最後の十二日間』では、ヒトラーが本来の自分とは違う「総統」という役柄を演じていることを、ただ、恋人だけが知っている。そして、追い詰められた状況でヒトラーは言う。「これ(戦争)はかれら(ドイツ国民)が望んだことだ。私にどうしろというんだ。」と。ぎりぎりまで、総統ヒトラーを演じたけれど、もう限界だと。そして、部下達より先に自害してしまう。 大戦を起こしたのは、本当にたった一人の人間か。いや、ヒトラーという人間を、ヒトラーという偶像を作り上げたのは自分達ドイツ人ではないのか。と、監督は問う。 二つの映画が時期をほぼ一つにして、同じ問いを外側から、内側から、ドイツ国民に、そして、世界の全ての人々に問う。 たった一人の人間だけが出来ることではなかったはずで、そこには、それをたすけ、賛同し、応援したほかの人間達がいたはずだと。 たった一人の人間のちょっとした意志と意識と行動が折り重なるように集まって、一つの偶像を作り上げる。 一人一人の意識が知らない間に集まり、よどみ、流れて、大きな流れを作る。悪いほうへと流れていくのか。あるいはよい流れとなっていってくれるのか。 流される渦中に入りこんでしまえば、もうわからないのか。流れを変えることはできないのか。でも、ほんとうに? ところで、ドイツにはいいものもいっぱいありますね。ベンツもワーゲンもいい車ですね。アメリカも日本もどうしてもかなわない。そして、環境対策やゴミ対策も見事なものです。おいしいビールや、ワインもあるしね。 それで、あんまり追い詰めすぎてはいけないのは、人も国も同じなのかな。 数々の独裁者が近年非業の死を遂げているけれど、もうそんな結末は止めといて欲しい。
2006年05月04日
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うれしいです。『ゲド戦記』の予告がテレビで流れ始めました。そしてウェブでも、見られる。これだ。そんでもって、ジブリのホームページ、そして『ゲド戦記』製作ブログあとは、監督日誌もあります。予告編もよかったあ。本編早く見たいです。それにしても宮崎駿監督。もうお年で手が使えなくなり始めている。もう宮崎駿監督作品は見ることが出来ないのでしょうか。こんなすばらしい監督がもっと早いうちからジブリの作品をどんどん世に出せていたら、もっともっとすばらしい作品が見られたかもしれないと思うと悔しいのです。ジブリ作品はいろいろあるけれど、やはり宮崎駿監督が作られたものは別格です。さて、宮崎吾郎監督がどんな作品を見せてくれるのか。とても楽しみです。ただ、ものすごーく大物の人物の子供というのはやはり親を超えられないパターンが多い。これはもう仕方のないことで、歴史上に残るような人物がそうぽんぽん生まれるわけもなく、大物の親の血を引くというだけで、子供も大物であるはずもない。長島一茂しかり、ですね。(こんなことを書くとファンから苦情がきそうだなぁ)ウォルト・ディズニー亡き後のディズニーもまた、最近の作品作りの悲惨さ、プライドのまるでないものまねや、テクニックだけに走るつまらなさ、それはもう、ウォルトほどの逸材がそんなに簡単に出てくるわけもないからで、『南極物語』にしろ、『ライオンキング』にしろ、最近の駄作、『ナルニア物語』(ファンの人ごめんね)にしろもう、スタッフの息も絶え絶えな苦しさが垣間見えるようで、見るも無残ですね。宮崎駿監督がジブリから抜けた後、ジブリはどうなるのかなあと心配。ジブリの中で維持し続けるというよりも新しい逸材はもっと違うところから全く別の個性をもって生まれてくるもの。それはつまり手塚治虫亡き後の虫プロではなく、新しい存在としてのジブリという集団が出現してきて、アニメ界に新しい流れを作ったように。ところで私がポストジブリとして、その作品のすばらしさとジブリとはまるで違う映像美に感動したのが、新海誠作品です。ショート作品『ほしのこえ』そして、長編『雲の向こう 約束の場所』今の所この二作品くらいしか見かけませんが、いま新海さんはどうしてるのでしょうか。ただ、これらの作品はSFで、結構内容的に難しく、ジブリのように一般大衆や子供達には受けない部分が多いなあと思うのですね。それでも、この作品の中で、今私達の日常の中で当たり前になっている、コンビニや雨の後の歩道のにおい、携帯やメールでこそかわされるやりとり、それからそのほかいろいろの、まさに現代社会ならではの景色が、登場人物たちにとっては懐かしいシーンとして登場してきたのを見たとき、本当に感動してしまいました。まさに今に生きる私達の感性にリンクしている感じなのでした。さあて、宮崎駿監督のあと、アニメ界はどうなるのでしょうね。というところで宮崎吾郎監督の力量を拝見できる『ゲド戦記』楽しみですねー。
2006年04月17日
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映画の感想をブログで時々書いているけど、それほど映画ファンなわけでもない。レディースデーに安いから、そして子育てが一段落してひまだから、映画館に行ってる。でも、きらいでもないから程ほどに楽しんできて、てきとーにブログのネタにする。 それで、ビデオなんかも借りてきて見てる。 それはいいんだけど、家で見てると寝ちゃうんんだよね。それでも、面白い映画はいいんだけど、たまにつまらない映画があって、30分みてても、面白くならない。せっかく借りてきたんだから、ぐぐっと我慢してみてるんだけど、どうにもつまらなくて余所見なんかしてると知らないうちに話が進んで益々わけわかんなくなってきて、ますますつまらなくなってくる。しかも、それが世間では評判の高い名作映画だったりするわけで、つまらないのを我慢して見ながら、どうしてこれが評判いいのだろうかと頭の中はぐるぐるしてくる。 さらに途中で寝ちゃうものだから、目が覚めたら、撒き戻してまた、途中から見始めたはいいけど、さらにまた、寝てしまって、もう一度見直し。途中で電話とか来客とかで切断されたりもして、こうなるとコマギレに見てるからますます話は分からないし、面白いと思ってないから、一番最初から見直す気にもなれない。 それで、なんとか見終わってさてどんな話でと思っても駒切れで見てるからよくわからないし、感動どころでもない。へんだなあ名作だしいい映画だっていうから借りてきたのにああレンタル代もったいないと思いながら返却。 こんなことも結構ある。 映画が悪いと言うより、その時のタイミングとか、私の体調とか、スケジュールとか、あとは感性の波長が合わないのが原因なんだから、しかたないっちゃしかたない。 それで、一応ネット検索でいろいろみた映画の感想やネタバレを読みに行く。ネットって言うのはネタバレ禁止とかネタバレいかんとかあるけど、私なんかはネタバレとか映画みてわかんなかったところの謎の解明のために読みに行くんだから、ネタバレしてないと困るというか、ネタバレしてくださいっというか、全問正解でもいいからテストの解答が欲しい時みたいなもの。だからネタバレよろしくおねがいしたいです。 それで、今回は『ビッグフィッシュ』みたはいいけど、上記のごとくわけ分かんなくて、よそのブログを読みに行ったりして解決してみる。でも、この映画いつもいくブログにはないんだよね。やっぱり面白くないのだろうか。とにかく検索かけて読んできました。 今度借りたのは『アドルフの画集』だ。 期待したい。
2006年04月08日
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昨日ジブリの新作の話を書いたけど、サイトをよく見ると監督は宮崎駿さんじゃないのだ。宮崎吾朗さん。どんな人かな。情報不足である。 実はジブリアニメは教訓がないというコメントをもらって私はえええええっと言う感じでした。でも、確かに『もののけ姫』を始めて見た時は私も、このアニメのテーマは何?という感じてぜんぜーんわからなかった。あまりにも作品の質が高すぎて、深すぎてストーリーがよくできすぎていて一回見ただけじゃ作者のいわんとするところが読めない。私も読解力ないんだなぁ。『もののけ姫』の中では完全懲悪のストーリー展開はされていない。こいつが悪者っていう明確な役わけはされていない。しいて言えば森の主の頭を盗もうとしたやつ。かな。それぞれがそれぞれに自分にとって必要な行動をとっているので、それが結果的に悪いことであっても、必ずしも悪いやつだとは言い切れない感じの展開なのですね。 あの話の中では「たたら」がでてくるでしょう。ようするに「製鉄」ですね。鉄を作るわけですからすでに森や自然に悪影響がでるわけです。もうこんな昔の時代から環境破壊は始まっていたんだな。と認識を新たにしてしまいましたが。たたらが出てくるのだからストーリーの舞台は中国地方あたりかな。でも、あの話はヤクという動物とか出てくるので、舞台は日本のようで日本じゃないのでしょうね。 森を破壊しようとする人間に対して、森の怒りはいろんな形で表現されていますね。森と自然の象徴であるサンと人間社会を象徴する主人公はラストで話をしますね。なんとかそれぞれの思いを組んで折り合いをつけてやって行こうじゃないかと。自然と、人間の作り出す産業とはあいいれないもの。にもかかわらず人間というのは、自然を破壊することになる産業が必要で、にもかかわらず自分たちが破壊してしまう自然がなくても困るという、見事なばかりの自己矛盾を持って生きていかなきゃならない、不思議な生き物であるのですね。 『千と千尋の神隠し』の中でもやはり環境破壊が描かれていますね。この作品が宮崎監督の最高傑作だと私は思っております。この話の場合は環境破壊がすべてじゃなくてほかにもいろんな要素が含まれていますが。おくされ神がやってきて、油屋の風呂の中で浄化される。神を汚していたのはたくさんのごみ。自転車なんかも出てきて、人間が川にすてたたくさんの粗大ゴミやふつうのゴミがいかに自然を破壊しているのか見事に見せてくれますが。 さて、ジブリアニメの中で『紅の豚』はどーも、面白くなかった。それと『となりの山田くん』これもいまいちだったみたい。で、宮崎監督にすればこの二作品が一番思いいれがあるらしいのです。でも、評価はいまいち。アニメは女子供が多く見ているので男のロマンなんか語られてもうっとうしいからね。ジブリアニメは徹底的にかきこんだ画面の美しさが人気だから原作が四こま漫画の作品てのもなんだか料金ごまかされたような気がするしね。というわけで、作者の書きたいことと読者の読みたいものが必ずしも一致しないのはよくある話。 でも、ジブリはいいよーと個人的に宣伝したい。ところで調べ直したところ『となりの山田君』は高畑監督作品のようでした。失礼しました。製作者は一生懸命作ってるんだけどね。
2006年01月28日
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なんと次のジブリの新作はあのファンタジーの傑作『ゲド戦記』なのだそうです。 びっくりです。そしてうれしいです。ファンタジーでなにが好きと言えば私はこの『ゲド戦記』が一番好き。『ロード・オブ・ザ・リング』もいいし、『ナルニア国物語』もいいけど、私は『ゲド戦記』が好きなのです。そしてスタジオジブリがこの作品を次回作として選んだというのは驚きです。私は『ハリーポッター』は世間で騒ぐほど面白いとは思えないんだけど、ハリーポッターのおかげでファンタジーの名作がつぎつぎと映画化されてうれしい。 でも『ゲド戦記』の映画化はハリーポッターの力に関係なくジブリのアニメ力。 今年の夏が楽しみ。 ゲド戦記を書いたアーシェラ・K・ルヴィンも好き。彼女の作品のきりきりっとしたピーんとはった糸のような透明感と文章の美しさ。 ゲド戦記は人の中にある善と悪の融合を描いたおはなし。ファンタジーはほとんどが光と闇の戦いがテーマなんだけど、ゲド戦記はその光と闇を人の心の中にあるものとして描き出したファンタジーなのです。人間は善の部分だけではなりたたない。必ず悪のこころ、闇のこころ、を持つもの。そしてそれは決して消し去ることはできない。自らのうちにある影の部分もまた自分自身の一部として認め、自覚し、制御していくものとして、ファンタジーの姿で描かれた物語なのです。 ハリーポッターのように主人公のゲドもまた、魔法使いとなるべく魔法学校に入学します。そしてやがてアースシーの歴史に残る偉大な魔法使いになりますが、ゲド戦記では彼の華々しい活躍の場面を描く部分はほとんどなくてわりと地味な部分のお話が多い。ゲド自身が自分と戦う内面の世界を描いた話が多い。 人間は弱い。ちょっとした時にふらっと闇の世界に傾いてしまうもの。そのぎりぎりの一線を越えるか踏みとどまるかどうか。その時、人を踏みとどまらせるものはなんなのだろう。それは人のもつ心のつよさ。あるいはこころの中にある愛する人の温かい影なのだろうか。光をもった影があるのだろうか。私は親として、私の子供たちが心の闇の境界線に立った時、踏みとどまらせるほどの力を持つ光とぬくもりのある残影を彼らの中に残すことができるのだろうか。 どこまで人は自分と向かい合っていけるのだろう。主人公ゲドは『ゲド戦記』第一巻「影との戦い」の中で、自身の心の影と向かい合い自分の一部として認め、わが身のうちに受け入れることをひきうける。 というわけで宮崎先生もブログを書いてます。必ずしも原作どおりのストーリーではないらしいので、『宮崎版ゲド戦記』がどんな物語となって私たちを感動させてくれるのか、とーっても楽しみです。↑『ゲド戦記』全六巻セットですでに発売が始まってますね。
2006年01月27日
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チャン・ツィイー主演で日本の芸者の話を描いた『SAYURI』がロードショーされていますね。 私は日本人なので、外国で作った日本を舞台にした映画をみていると、どうしてもおかしいというところがあるものだから、そういうところが気になってしょうがないのです。細かいことにこだわるこの悪癖には困ったものです。 『ラスト・サムライ』を見た時も設定のめちゃくちゃさばかりが目に付いて、いい映画とは思えなかった。周りの人たちがみんないい映画だったというんだけど、(うちの長男も横で見ていてなかなか良かったといいました)私の頭の中はハテナの嵐。 そういえば昔、『SHOGUN』という映画もあったことを思い出しました。あの時はそれほど不快ではなかった。なぜだろう。私がまだ、若かったから。少なくともヒロインは日本人だった。たしか島田洋子さんだったかな。それから、撮影が日本。言葉も日本語だったような気がする。なにしろ昔なので細かいことはうろ覚えです、すいません。時代考証もあまり無理がなかった。ような気がする。 『ラストサムライ』は、時代考証むちゃくちゃに見えました。ファンタジーと言ってしまえばそれまでですが。 さらに思い出してみると、『ベルサイユのばら』も映画では、ヒロインは白人。このヒロインがフランス人だったか覚えてないよー。撮影場所もパリ、ベルサイユだった。本物の場所。で、英語だったんですよー。若かったから特に何も感じなかったけど。フランス語でも日本語でもなかった。インターナショナルな映画は英語で作るのが常識なのかな。うーん。 日本の漫画は結構外国が舞台の話多いですよね。でも、漫画くらいだと、それほど外国の目に触れないので、国内で「面白いね」と言って終わるんだけど、映画だと国際的に配信されちゃうからね。 じゃ 外国の人たちが読んだらどんな感じがするんだろう。読んでみて感想言って貰わないとわかんないですね。私の知り合いに外人いないしなー。『荒野の少年イサム』とかアメリカ人が見たらどうなのでしょう。日本でウェスタンの映画作ろうって話はさすがにまだないですねー。 外人の監督が日本語の映画作るのは大変と言われてみるとなるほど、確かにーとも思いました。日本の監督や通訳も雇って徹底的にこだわることもできないこともありませんが。 あくまで外国の人間の視点で見た日本であれば、やはりこういう出来になるのでしょう。 日本人が外国の話作ろうとしたら、ご当地の人が100パーセント納得できるものを作るのはやはり無理だろうし、だから作るなといわれるのは困るかもしれない。 日本で日本の芸者の裏側を描く映画はなかったことを思うと(もしかしてあったかも)、この視点で作った映画があってもいいのかもしれません。 外国の話を作ろうとすれば、どこかの国がどこかよそのの国の映画を作るうえで設定のズレはある程度容認するしかないし、そうしなければ作れないだろうし。 やっぱり細かいことをうるさく言ってもしょうがないのかーとつくづく考えちゃいました。 とにかく『SAYURI』を見てこないことにはこれ以上書くのは無理ですね。うほほ。
2005年12月16日
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年末です。映画いっぱいやってますね。しかももうじき1日です。映画デーです。安いです。混むけど。千円ですからね。さいわい平日。いけるかな。雨降らないといいな。『ハリー・ポッター と炎のゴブレット』最近子供が親と一緒に映画行かなくなってきちゃって。こないだテレビでやったでしょ。ビデオもあるでしょ。だから待つって。今の子って気が長いねー。信じられないでしょ。短気な私には。まあ、日本の漫画の方がもっと面白い作品いっぱいあるもんねー。でもこのハリーポッターに私の甥っ子がそっくりなの。めがねまで。映画見てるとすごい不思議なのよね。背も高いし。↑たまには本じゃない奴。クリスマスプレゼントによさそう。でもうちはその手のことやってません。『大停電の夜に』原田知世のファンなので。でもいまいち大女優になりませんね。演技そんなにうまくないからかな。ニューヨーク大停電を東京でやるとどうなるかがコンセプトだそうですが。『イン・ハー・シューズ』また自分探しかあ。もうそのテーマ古くないですか。『親切なクムジャさん』韓国映画ですね。他の方のブログ読んでちょっと見たくなりました。『エリザべスタウン』主演があの「指輪物語」とか「トロイ」とか出てたオーランド・ブルームなのが気になる映画。『ALWAYS 三丁目の夕日』これをアニメで作ったら、途端に子供向け扱いされちゃうだろうな。やっぱ小雪とか使って作らないと、大人の人が見に来てくれないよね。最近「東京タワー」が何かと話題ですね。なぜだろう。映画の「東京タワー」にでてくる東京タワーはすごくきれいだった。本物はあんなに美しくないけどな。プロはさすがだナーと思った一作でした。黒木瞳の演じてたヒロイン。いい年してくだらないことやってないで、さっさと子供生んで子育てすればいいのにとか思っちゃったわよ。現実の黒木瞳さんは一児の母だしね。『ティム・バートンのコープスブライト』ビフォアクリスマスとおんなじつくりの映画ですね。『ブラザーズ・グリム』結構えぐい作品らしい。見たかったんだけど、どうも上映時間が遅くっていけないまま。子供向けではないらしい。『私の頭の中の消しゴム』もとは何年か前に放映された、日本のドラマのリメイクだそうです。リメイクダロウトナンダロウト面白そうならみんな見に行く。はず。『フォー・ブラザーズ 狼たちの誓い』どんな映画?なんかなーこの手のスプラッター クラッシュ スピードが売り物の映画そろそろ飽きてきたかも。『同じ月を見ている』どうでもいい。『チャーリーとチョコレート工場』未だに上映してる。すごい。かなりロングランしてる。冬休みまで行くのかな。ジョニーデップって不思議な役者さんだよねー。手がはさみの役とか、幽霊の海賊とか、田舎にすむ変人とか。面白いかな。『TAKESHIS`』こないだ「座頭市」テレビでやったのビデオにとったんだけど、未だに見終わらない。どうしても途中で飽きちゃうんだよね。私には映画の芸術性は理解できないらしい。そういえば「第三の男」も見たけど何がどういいんだかわからなかった。『春の雪』妻夫木聡売れてますねー。今年何本の映画に出たんだろう。最近は明治大正の文豪作品の映画化、ドラマ化が多い。『ダーク・ウォーター』これもリメイクだって。でもこっちの方が面白そうに見える。なぜだろう。『まだまだあぶない刑事』もう年なんだしとしか思えない。こういう映画は若さが命なんじゃ。ないの。↑三島由紀夫なんて読むのいまさらめんどくさい。でも今時のドラマよりよっぽど良くできてるみたい。あらあ、結構いろんな映画やってるじゃないの。
2005年11月28日
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