全30件 (30件中 1-30件目)
1
1日フリー切符を利用したため、どこで何回乗り降りしても問題ないため、ミニ旅行とはいえ、さて、次はどこへ行こうと考えるのは楽しいものです。町なかを走る路面電車ゆえ、速度はそれほど上がらないのですが、雨降りの土曜の午後、車内は乗客で混み合っていました。運転席の後ろは「鉄人間」にとって憧れの特等席なのですが、このときはちびっこに占領されてしまいました。特に、背伸びをしながら前をながめている右端の子の様子は、カメラのファインダーをのぞきながらも微笑ましく思いました。
2007/03/31
コメント(2)
太秦(うずまさ)といえば映画村と広隆寺で有名です。東映太秦映画村にはテレビの画面で観たことのある名所があちこちにあり、時代劇やヒーロー物などの撮影を見学できるうえ、プロのメイクさんや衣装さんの腕によって憧れの時代劇スターに変身することも可能です。テーマパークのはしりといえる東映太秦映画村、みなさんもぜひ訪ねてみてください、と何だかCMみたいになってしまいました(笑)。もう1つの広隆寺は、帰化人系の氏族である秦(はた)氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した京都最古の寺院です。国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られ、聖徳太子建立七大寺の1つです。「本日の思い出の1枚」は、広隆寺の楼門前を通過する嵐電です。このあたりは併用軌道となっていますので、京都らしい雰囲気のなかを走る路面電車として撮影することができます。あいにく雨足が強くなってきたため、駅構内からお手軽に撮影したのですが、次回はもう少し楼門がきれいに入る位置でリベンジしたいと思います。
2007/03/30
コメント(3)
京福電鉄御室駅から仁和寺までは歩いて数分。世界遺産となっている仁和寺は、そうなるだけの価値があるお寺だと思いました。今までは、近くて遠い京都でしたが、これからは京都散策がちょっぴりクセになりそうな予感がしています。世界遺産のお寺だけあって、境内では外国人を数多く見かけました。嵐電の御室駅は駅名板が右書きですが、世界遺産の最寄り駅ということもあって、不思議と周囲の景観とマッチしています。さらには電車を待つ外国人の姿が似つかわしい駅でもありました。
2007/03/29
コメント(3)
3月下旬の花といえば、早いところでは桜ですが、ユキヤナギの白い色も捨てがたいものがあります。偶然かもしれませんが、わたしの場合、線路際で見かけることが多いので、余計のこと、今の季節の花と思ってしまうのかもしれません。京福電鉄の御室駅に下りて左右を見回すと、切り通しの上の方にユキヤナギが今を盛りと咲いているのを見つけました。妻と一緒に仁和寺境内を散策したあと、ユキヤナギの咲いている場所をめざしました。ユキヤナギの固まりがちょうど良い間隔で2株咲いており、その間にさしかかった嵐電を写しとめたのが、本日の「思い出の1枚」です。
2007/03/28
コメント(4)
大阪に住んでいながら、お隣りの京都を観光で訪れることがほとんどなく、ある意味、大変もったいないことをしていたのですが、昨年秋、叡山鉄道へ紅葉を撮影しに行ったのをきっかけとして、「鉄」がらみで京都観光をするのも悪くはない、と思うようになりました(このときは帰りに祇園をぶらつき、建仁寺を訪ねてきました)。桜にはまだ少し早いのですが、ふと思いつき、妻に「京都観光と京福電鉄(嵐電)撮影の二股をかけて土曜の午後、散策に行かないか」と声をかけました。「観光」ということばに妻も同意。午前中、家の片付けものをしてから出かけました。気負わずに、お散歩感覚で出かけられるところが近場の良いところです。阪急で嵐山まで行き、渡月橋を渡って嵐山の観光ゾーンへ。あいにくの雨模様ということもあり、観光客の姿は思ったほどではありませんが、あと10日もすれば花見客でごったがえすことでしょう。開花している桜もちらほらと見かけました。観光で来た以上、みやげもの店をひやかすのはお約束です。女性に人気の「嵐山ちりめん細工館」では子どもへのみやげを買ってしまいました。雰囲気の良い喫茶店で軽くお茶をしたあと、嵐山駅で1日フリーチケットを買い、とりあえず御室の仁和寺へ行くことにしました。嵐山駅のホームに入ると、四条大宮行きと北野白梅町行きの電車が停まっています。構内には「足湯」のコーナーもあり(有料)、観光客がユッタリ、マッタリとなごんでいました。その横にはレトロタイプの電車が停まっています(この電車、外観はレトロですが、中身はあくまでも現代的なようです)。「鉄人間」のわたしとしては、こちらのレトロ車両になごまされました。
2007/03/27
コメント(2)
地方では、地元の物産を販売している施設をしばしば見かけるのですが、三木鉄道のそばにもそれがあり、白壁の土蔵風の建物が三木鉄道の単行ディーゼルカーと似合っている気がしました。この日は午後2時に父親のところへ行かなければならなかったので、午後1時過ぎの列車が最期の撮影となりました。
2007/03/26
コメント(0)
第3セクターの三木鉄道は、現在、存亡の危機に立たされています。三木市から神戸へ向かう旅客は神戸電鉄粟生線を利用しますし、加古川線に接続している三木線は旅客の動きに合っていないことから、第三セクター転換後も乗客の減少が続き、慢性的な赤字に陥っています。経営支援を行っている三木市では市長選挙の争点となり、市の財政再建のため「三木鉄道の廃止」を公約の1つに掲げて当選した新市長が社長に就任したことや、その後に行われた市民アンケートで「廃止賛成」が70パーセント、「存続」が11パーセントといった結果が出たことなどから、今年3月の市議会は三木鉄道の全線廃止を正式に決定、早ければ2007年度中に廃止されてしまいます。今回、三木鉄道を訪ねたのは、1つには近い将来廃止されるかも、と思ったからです。本日の「思い出の1枚」は、三木駅の改札口を撮影したものです。昔はここに駅員さんが立ち、切符を切ってくれたものです。しかし、そうした光景を思い出すことすら、かなわぬことになりそうです。
2007/03/24
コメント(2)
春の陽気に誘われて、先日、神戸の西にある三木鉄道へ行ってきました。三木鉄道は、JR加古川線の厄神駅から三木駅までを結ぶ7kmほどの短い鉄道です。当然、電化などされていませんから、気動車で運行されています。旅客を運ぶレールバスを2両見かけましたので、交互に運用されているのでしょう。朝夕は別として、休日の昼下がり、列車の運行は1時間に1本です。三木駅を出たレールバスは、厄神駅に着くと、ほどなくして折り返し、三木駅に帰ってきて、次の発車までしばらくの間、駅構内で待機ということを繰り返しています。今年は例年にない気温の上がり方で、桜の開花予想がかなり早まっていますが、このところ大陸から寒気がやって来ているため、この日、顔に当たる風も少し冷たく感じました。でも、天気が良く、レールバスを待っている間も上空でヒバリがさえずっていました。太陽の光を浴びて菜の花が黄色く輝き、線路の傍に咲くユキヤナギとあわせて春の彩りを楽しむことができました。
2007/03/23
コメント(2)
神戸電鉄の鈴蘭台という町は、すり鉢の底に位置するような町で、三田・有馬の方に向かっても、粟生の方に向かっても、駅を出た列車は上り坂にかかります。特に粟生方面へはかなりの勾配となっています。「本日の思い出の1枚」は、鈴蘭台駅の1つ粟生寄りの駅である西鈴蘭台駅から鈴蘭台駅に向かって坂を駆け下りてくる新開地行きの普通電車です。
2007/03/22
コメント(0)
一昨日、神戸電鉄の電気機関車をご覧いただきましたが、「本日の思い出の1枚」は、その後ろにつながっていた工事用車両の方から撮影したカットです。これらの車両は、鈴蘭台駅から三田方面に100メートルほど進んだあたりにある留置線に停められていました。これだけだと、留置線の中に入り込んで撮影したように見えますが、実はここ、踏切の内部なのです。つまり、三田線、粟生線、さらには留置線をまたいだ形で長い踏切があり、そこを渡っていくときに、ちょっと立ち止まって撮影したものです。もちろん、踏切の歩道からはみ出ることは厳禁ですし、安全に十分配慮する必要があるのは言うまでもないことですが、列車を間近で撮影できるお手軽ポイントと言えるでしょう。
2007/03/21
コメント(2)
神戸電鉄のダイヤには普通、準急、急行、快速の種別がありますが、急行と快速の本数はかなり少なく、基本的には普通と準急で構成されています。かなり以前、新車(デ3000系)が誕生したころは、急行などの上級列車用車両として使われていましたが、現在は普通・準急の区別なく運用されているようです。本日の「思い出の1枚」は、鈴蘭台駅を発車していく三田行きの普通(5000系)です。
2007/03/20
コメント(2)
神戸電鉄という私鉄があります。神戸市内にある新開地と三田・有馬・粟生などの町とを結んでいる鉄道です。神戸電鉄には珍しく電気機関車が存在しています。いくつかの私鉄には電気機関車が存在していますが、神戸電鉄は貨物輸送を取り扱う会社ではありませんので、もっぱら保線用に利用されているものと思われます。かなり以前、神戸に住んでいたときにも撮影したことがあるのですが、先日、実家に帰ったとき、ふと思いついて鈴蘭台駅へ行ってみました(鈴蘭台は三田・有馬方面と粟生方面の分岐駅であり、電車基地もあります)。駅から少し離れた留置線に懐かしい茶色の電気機関車が停まっていました。手前に線路があるため車輪配置が確認できませんが、4軸(JRでいえばED)で、前後にデッキがあります。後ろにはホッパ車とアームのついた制御貨物車もついています。やはり、基本的には保線用に使用されているようです。作業が行われるのは夜間でしょうから、昼間はまず稼動することはないのでしょうが、一度、走行シーンを撮影してみたいものです。
2007/03/19
コメント(2)
数年前に転宅した結果、新大阪駅へ行くのは少し不便になりましたが、逆に伊丹空港へのアクセスが格段に向上しました。東京や九州などへ出かける場合も、ついつい飛行機で、と「鉄人間」にあるまじき発想・行動をしてしまいます(笑)。しかし、そういうときでも、鉄道に関連するものにカメラを向けるあたりが、やっぱり「鉄人間」なのですね(笑)。というわけで、本日の「思い出の1枚」は、伊丹空港へ行く途中で撮影した大阪モノレールです。
2007/03/18
コメント(6)
運行本数は限られますが、吹田付近では、京都から紀勢本線へ向かう特急オーシャンアローも撮影できます。オーシャンアローは、南紀沖に生息するイルカをイメージしてデザインされており、つんと尖った先頭部のフォルムは、なかなかに印象的で、流し撮りにはぴったりのスタイルです。車体のライトブルーも太陽光線があふれる南の海を連想させて、思わず海を見にいきたい(わたしの場合、潜りにいきたい)と思わせる旅ごころをくすぐる車両です。都会からリゾートへ向かうイルカフォルムのオーシャンアローの流し撮りが本日の「思い出の1枚」です。
2007/03/17
コメント(4)
東海道線で電気機関車や電車を流し撮りしたあと、午後2本目に走るDD51貨物を撮影するため、城東貨物線の淀川鉄橋へ移動しました。淀川鉄橋には人道橋(赤川仮橋)が併設されおり、DD51貨物と橋を渡る人物を同じ場所で撮影できるため、人気の高いポイントですが、この日は流し撮りに徹しましたので、橋のサイドでカメラを構えました。淀川鉄橋はトラス橋のため、サイドからねらうと橋げたが邪魔になります。そのため、橋げたがキャブにかからないよう心がけましたが、これだけは運頼みです。真横から後追い気味に撮影したカットの中で、比較的キャブの隠れていない写真が本日の「思い出の1枚」です。
2007/03/16
コメント(0)
城東貨物線のDD51を撮影したあと、東海道本線のそばへ移動しました。吹田と東淀川の間は上り・下り複数の線路に加え、貨物線などが複雑にからみあっていますので、気を抜いていると、思わぬ方向から列車がやってきて、慌てることになります。この日は流し撮りの練習に徹しました。ちょうどEF66が牽引するコンテナ貨物がやってきましたので、これもサイドから機関車の車体半分を切り取って流してみました。
2007/03/15
コメント(0)
わたしのホームグラウンドの1つに城東貨物線があります。大阪を南北に縦断する形で走っている貨物線で、DD51牽引のコンテナ貨物が1日に数往復走っており、このブログでも何度か写真をアップしています。先日、久しぶりに城東貨物線へ行ってきました。いつものように吹田と淀川との間で撮影することにしましたが、同じ写真ばかりではおもしろくないので、今回は流し撮りをしてみることにしました。淀川の少し北側にある神崎川の鉄橋を渡るDD51をサイドから流したのが、本日の「思い出の1枚」です。
2007/03/14
コメント(4)
≪ガイド≫江戸時代、オランダとの窓口となった「出島」と路面電車をからめて撮影できます。現在は陸地となっていますが、当時は海に張り出した扇形の島であった「出島」の特徴である岸壁のカーブを取り入れるのが画面構成のポイントです。「出島」には入場料500円が必要ですが、観光を兼ねて撮影するのも楽しいものです。≪レンズ≫105mm相当(35ミリ換算)≪アクセス≫史跡として復元された「出島」の中が撮影ポイントです。長崎電気軌道の「出島」電停が最寄り駅です。≪撮影日≫2007(平成19)年2月25日
2007/03/13
コメント(0)
今回、長崎市内の移動にはもっぱら長崎電気軌道(路面電車)を利用しました。1回の乗車賃は100円。いくつかある路線で乗りかえる場合も乗換券を発行してもらえるので、少し離れた目的地でも100円で行くことができます。乗り放題の1日乗車券は500円ですが、市内の観光地は電停の近くにあることが多いため、1日乗車券の売れ行きも良好なようです。わたしも1日乗車券を購入しました。長崎電軌では、架線がレールをはさんだ形で設置されたセンターポール化が進んでいますので、すっきりした形で写真を撮ることができます。本日の「思い出の1枚」は、長崎駅前電停の陸橋から撮影したものですが、センターポールが画面を区切る枠の役目を果たしてくれました。
2007/03/12
コメント(6)
「あかつき」が到着したホームの隣には博多行きの白い「かもめ」が停まっていましたが、よく見るとフロントガラスまわりがブルー、つまりソニック編成の「かもめ」です。このことについては、以前、1月25日付のブログにおいて、里信号所で撮影した「かもめ」の交換をアップしたとき、HYPER SALOON 783さんから次のようなご教示をいただきました。「白いかもめ」って言いながら、写真の車両は実は「ソニック」編成なんですよ。2編成とも。JR九州は博多に行けば分かりますが、結構逆転現象が頻繁に起こっているんですよ。理由としては、予備編成が少ないことなんです。特に、783系「みどり」「ハウステンボス」、883系5連編成、885系「ソニック」編成は予備が無いんです。だったら、なお更何故に「白いソニック」編成がかもめ運用に?って思われると思いますが、噂じゃ走行距離を合わせる為だとか。そのときは、へえ~と思いましたが、長崎駅で再びソニック編成の「かもめ」を見たとき、この話を思い出しました。
2007/03/11
コメント(4)
「あかつき」が到着すると、しばらくして構内の端に停まっていたDE10が近づいてきました。長崎駅は行き止まり式の構造になっていますので、DE10が先頭のED76をつけたまま、一旦編成ごと引き出し、先頭のED76が切り離されて機関車用の待避線に引きあげたのち、客車の編成を別の待避線に押し込むというのが機回しの手順のようです。毎日のことですので、編成の移動作業は手際よく進められます。あっという間に機関車も客車も別の場所に納められ、長旅の疲れを癒すとともに、次の出発に備えて準備が行われます。DE10がブルートレインの先頭に立つのは、構内でしか見られない光景ですが、大昔、C11が特急「さくら」の先頭に立ったように、また、昨年、DD53が「ばんえつ物語」号の先頭に立ったように、DE10が本線を牽引したらどうだろうかと、ルーティンワークを黙々とこなすバイプレーヤーを見て夢物語を思い描きました。
2007/03/10
コメント(2)
長崎駅のコインロッカーに荷物を預けていると、20分ほど遅れて運行されていた寝台特急「あかつき」がまもなく到着するというアナウンスが流れました。もともと「あかつき」を駅撮りできたら、とは思っていたのですが、ホテルをチェックアウトするのが微妙な時間になったため、間に合わないだろうとあきらめていました。予想外の僥倖です。すぐに入場券を買って構内に入り、到着ホームの端へと急ぎました。カメラを構えると同時にED76の姿が見えました。この朝は69号機が牽引しています。向こうの方に停まっているDE10のそばを通過して進入してきました。大阪に住んでいるとEF66牽引の「なは・あかつき」が当たり前ですので、赤い交流電機が牽引するのは、新鮮な気持ちで見ることができました。
2007/03/09
コメント(2)
「ランタンフェスティバル」を楽しんだ翌朝、とりあえず手荷物を長崎駅のコインロッカーに預けるため、市民病院前から路面電車に乗ることにしました。長崎は史跡の多い町ですから、いたるところで歴史上のことがらに関する記念碑や説明板を見かけます。「ああ、ここがあの事件の起こった場所か」などと、驚いたり感心したりすることが多いのですが、ホテルから停留所へ向かう途中で「我が国 鉄道発祥の地」という石碑が建っているのを見つけました。ほかの記念碑ならいざしらず、鉄道ファンとしてはこの石碑の前を黙って通り過ぎるわけにはまいりません(笑)。解説文は次のようになっていました。「慶応元年(1865)英国貿易商トーマス・グラバーは、日本で初めて英国製の蒸気機関車アイアン・デューク(鉄の公爵)号をここから松ヶ枝橋の方向にレールを敷いて走らせた。集まった人々は驚きの歓声を上げて見物した。この試走は日本近代化の牽引車になった。」なるほど。さすがは国際都市・長崎らしいエピソードです。
2007/03/08
コメント(3)
長崎を訪ねた理由の1つに、ちょうど「長崎ランタンフェスティバル」が開催されていることがありました。「ランタンフェスティバル」というのは、長崎在住の華僑の人々が、中国の旧正月(春節)を祝うための行事として始めたもので、もとは「春節祭」として長崎新地中華街を中心に行われていました。それが、平成6年から規模を拡大し、長崎全体のお祭りとして、冬を彩る一大風物詩となったのだそうです。期間中は、長崎新地中華街はもとより、浜市・観光通りアーケードなどの市内中心部に約1万5千個にも及ぶランタン(中国提灯)が飾られ、湊公園をはじめ各会場には、大型オブジェが所狭しと飾られます。極彩色のランタンが美しく輝き、夜のイベントにふさわしく、華やかさに満ちあふれていました市内を移動するために利用した路面電車(長崎電気軌道)の停留所にもランタンが飾られていました。
2007/03/07
コメント(2)
鳥栖から約1時間30分、長崎本線を快調に駆け抜けた特急「かもめ」27号は夕方5時前に無事、長崎駅へ到着しました。長崎駅に下り立つのは初めてのことなので、ホームや駅構内を観察してみました。すると改札口近くに大きな船の模型が展示してあります。船の解説文は次のようになっていました。「昔、長崎を出船した荒木宗太郎のご朱印船が遠くベトナム、マカオ方面にまで往来した故事に因んで360余年の伝統を誇る『長崎くんち』の奉納踊りとして本石灰町が製作し継承している。今日の船形に至るまでには20年の歳月を要したといわれる。(後略)」1571年に開港され、外国との交流によって発展してきた長崎ならでは、の展示物です。
2007/03/06
コメント(0)
時間に余裕を持って行動したため、特急「かもめ」に乗るためには鳥栖駅で40分以上待つことになりました。しかし、博多~鳥栖間は鹿児島本線、長崎本線、久大本線の列車が通過する区間ですので、それこそ特急が次々とやってきて、さらにはED76が牽引する貨物列車も到着したりしたため、少しも飽きることがありませんでした。今から30年以上前、九州へ現役蒸機を追いかけてきたとき、確か鳥栖駅でも撮影をしたよなあ、と過去の記憶がよみがえったりしたのですが、すでに構内の景色は一変し、往時を偲ぶよすがは、ほとんど残っていませんでした。ふと線路の向こうを見ると、蒸気機関車が1両保存されているのに気づきました。「268号機」。230型蒸気機関車です。このときは、なぜこんな古典機が、こんな場所に保存されているのだろうと不思議に思いましたが、今回、このブログを書くにあたって少し調べてみると次のようなことが分かりました。230形蒸機は、国鉄の前身である逓信省鉄道作業局(官設鉄道)が発注したタンク式蒸機で、本格的に量産が行われた初の国産蒸気機関車であり、日本で2番目の民間機関車メーカーである汽車製造会社が初めて官設鉄道に納入した機関車だそうです。明治35年から明治42年にかけて計41両が製造され、官設鉄道に38両が納入されたほか、北越鉄道に1両、北海道鉄道に2両が納入されました。大正12年3月末時点で230形蒸機は39両が在籍しましたが、昭和5年から廃車が始まり、戦後は急速に廃車が進んで、昭和28年の時点では稲沢と鳥栖にそれぞれ1両(233号機、268号機)を残すのみとなっていました。しかし、これらも昭和35年ごろには姿を消しました。230形で最後に残った2両は現在、大阪の交通科学館(233号機)と鳥栖駅そば(268号機)で静態保存されています(以上、「ウィキペディア」ほかを参考)。ほとんど見かけることのない古典機が保存されていたのには、こうした歴史があったからです。彼らが、わずか数量の貨物を牽引するのに奮闘していたころから時は流れ、今や高性能機関車が数十両のコンテナを高速で牽引する時代となりました。新旧の機関車が、わずかの距離を置いてすれ違うこの光景には、感慨深いものを感じます。
2007/03/05
コメント(2)
この前、福岡にある九州国立博物館と長崎のランタンフェスティバルなどを見るため、九州へ行ってきました。今日からしばらく九州シリーズを続けたいと思います。九州国立博物館は太宰府天満宮の一角にあります。展示品の内容もさることながら、建物の規模の大きさと最新の技術を駆使した展示方法は、さすが国立博物館といえます。ゆっくりまわるのなら1日かけても展示品すべてを観ることは難しいかもしれません。わたしも再度、日を改めて来たいと思いました。太宰府天満宮といえば学問の神様ですが、「東風吹かば におい起こせよ梅の花~」のうたでも知られるように、梅の名所でもあります。折りしも梅の花が見ごろで、本殿の裏にある梅園では、観梅に興じる人をたくさん見かけました。午後から長崎へ移動する予定でしたので、天満宮参拝後、九州国立博物館を見学し、西鉄太宰府駅から二日市駅へ移動、そこからJR二日市駅まで歩きました。長崎行きの特急「かもめ」は博多から指定席を予約していたのですが、少し先に進んで鳥栖から乗車することにしたのです。二日市駅で快速を待っていると、ホームに梅の木があり、きれいに咲いているのに気がつきました。やってきた電車と梅の花をからめて撮影したのが、本日の「思い出の1枚」です。太宰府参拝記念となりました。
2007/03/04
コメント(2)
≪ガイド≫海沿いを走る伊予鉄道高浜線の電車を撮影できます。線路際からだと2両編成の列車をオーソドックスに、また、梅津寺へと続く坂道の中段から梅津寺駅方向を向くと伊予灘を取り入れて撮影することができます。≪レンズ≫80mm相当(35ミリ換算)≪アクセス≫梅津寺駅から線路に沿って200mほど港山駅の方に進んだ駐車場の横が撮影ポイントです。≪撮影日≫2007(平成19)年2月18日
2007/03/03
コメント(2)
≪ガイド≫線路がカーブしているので、線路際の小道から編成写真をねらうことができます。線路と道との間には柵がないため、安全なポジションを確保したうえで撮影してください。付近はみかん畑が広がっており、多彩なアングルが楽しめます。≪レンズ≫115mm相当(35ミリ換算)≪アクセス≫大浦駅から国道196号線に進み、浅海方向へ10分ほど歩くと「大浦ドライブイン」の手前に線路をくぐる道があります。国道を右折して線路をくぐり、すぐ大浦方に線路沿いの小道を行けば撮影ポイントに到着します。≪撮影日≫2007(平成19)年2月18日
2007/03/02
コメント(0)
伊予鉄道高浜線に沿って松山市内をめざしました。当初、三津駅を通り過ぎたところで左折し、市内を抜けて空港へ行こうと思っていたのですが、右折すると空港へのショートカットとなることが分かり、そうすると、かえって中途半端に時間が余ることになるため、先ほど見かけた三津駅へ行ってみることにしました。この駅も一昨日ご覧いただいた高浜駅同様、古びた感じが何ともいえず良い雰囲気を漂わせています。駅舎正面の明かり取り(窓)は上部が緩やかにカーブし、その上に、さらに大きく半円形に縁取った壁が設けられています。壁の外は板張りで、上方にある観音開きの窓が大きなアクセントになっています。使用する材料を変えながら意匠を凝らしているのがおもしろいところです。思いもかけず、古きよき時代のデザインを楽しむことができました。
2007/03/01
コメント(3)
全30件 (30件中 1-30件目)
1