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仙山線の作並駅は、作並温泉への最寄り駅ですので、列車が着く時刻になると温泉旅館からやって来た送迎車が駅前に並びます。私と妻は、いかにも温泉街ならでは、といった光景をながめながら駅のホームに上がりました。作並駅のホームでは、大きなこけしが、この地にやって来た人たちを出迎えています。そして、その横には「交流電化発祥地」の碑と「交流電化の由来」をしるした説明板が建っていました。昭和28(1953)年から昭和31(1956)年にかけて準備が進められた日本の交流電化は、この仙山線作並駅でスタートしたことを、この説明板を読んで初めて知りました。交流化に関係して、かつて構内には複数台の機関車が常時、待機していたといいます。今はごく一部を除いて線路もなくなっていますが、山あいの駅にしては現在も結構なスペースを保有しており、そのことが往時のにぎわいを想像させます。
2007/11/30
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人生の大半を西日本で過ごしているため、私も妻も東北地方の紅葉・黄葉をほとんど目にしたことがありません。そこで、この秋、初めて憧れの黄葉を楽しむため、杜の都へ出かけてきました。1日目は仙山線を利用して山寺へ、2日目は仙石線を中心として松島を巡るプランです。大阪・伊丹を朝一番の飛行機に乗ると、9時過ぎには仙台に到着してしまいます。早いものです。松尾芭蕉が詠んだ「閑けさや 岩にしみいる 蝉の声」で有名な山寺(立石寺)は、車を利用すると天童をまわるにせよ、蔵王をまわるにせよ、いずれにしてもかなり遠回りしなければならないことが分かりました。そこで、仙台空港から作並駅まで車で行き、作並~山寺間は電車を利用することにしました。当初、作並駅からすぐ電車に乗って山寺駅へ行く予定にしていたのですが、作並に到着したころは絶好の光線状態でしたので、先に黄葉の仙山線を撮影することにしました。仙山線といえば山の中を駆け抜けていく電車の写真が撮影情報のガイドブックなどに掲載されているのですが、黄葉のシーンもすばらしいに違いないと思いました。しかし、目標とする場所へは主要道から小道へ分け入り、デコボコの未舗装道を進まなければなりません。本当にこの道で合っているのだろうかと思いながら車のシートで飛び跳ねること15分ほど。黄葉の向こうに線路が見えているポイントにたどり着きました。想像どおり、いや、想像以上の錦秋です。「美まし国、日本」に生まれたことを感謝したくなりました。横位置の構図にするか、縦位置の構図にするか、かなり迷ったのですが、常緑樹と黄葉との混ざり具合に関しては横位置の方が勝っていると思い、とりあえず、横位置の構図を押さえることにしました。縦位置の写真も撮りたかったのですが、先を急ぐ旅ゆえ、次回の課題としました。
2007/11/29
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≪ガイド≫「カシオペア」「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「スーパー北斗」などの優等列車や貨物をバラエティ豊かに撮影でき、バックには噴火湾がきれいに入ります。≪レンズ≫120ミリ相当(35ミリ換算)≪アクセス≫県道779号線を稀府方面へ進むと下り坂に橋が架かっており、それを過ぎたあたりで右折し、海岸に続く砂利道を進みます。踏切のところから山側にある畑のあぜ道の一番奥が撮影ポイントです。≪撮影日≫2007(平成19)年4月22日この写真は、ネコパブリッシング発行の『Rail Magazine』287号(2007年8月号)の「お立ち台通信」に掲載されています。
2007/11/28
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≪ガイド≫千歳空港の近くで石勝線の列車を陸橋の上から撮影するポイントです。「スーパーおおぞら」や「スーパーとかち」など、北海道を代表する俊足特急がやってきます。牧場などが背景になり、空港近くとは思えない、のどかな写真を撮ることができます。午前中は下り列車、午後は上り列車が順光となります。≪レンズ≫170ミリ相当(35ミリ換算)≪アクセス≫南千歳駅から千歳駅の美々駅方面に国道36号線を進み、室蘭本線の早来駅方面の道に左折。石勝線の上を越え、右手にレンタカー会社の駐車場を見ながら進み、道がS字カーブを過ぎたところから700メートルほど進んで右折すると前方に陸橋が見えてきます。≪撮影日≫2007(平成19)年4月21日この写真は、ネコパブリッシング発行の『Rail Magazine』287号(2007年8月号)の「お立ち台通信」に掲載されています。
2007/11/27
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≪ガイド≫北海道を象徴する鉄道施設の1つである信号所のシェルターをバックに取り入れて、北海道らしい写真を撮影できる。この区間は普通列車も走っていますが、ほかに「スーパーおおぞら」や「スーパーとかち」などの特急も撮影できます。光線は午後が順光です。≪レンズ≫300ミリ相当(35ミリ換算)≪アクセス≫川端駅前の国道を滝ノ上方面に進み、道東高速道とクロスした先を右折し、目の前の踏切を渡ったらすぐに左折し、線路に沿った砂利道を600メートルほど進みます。シェルターは連続して2つありますが、奥にある滝ノ上寄りの方がめざすポイントです。≪撮影日≫2007(平成19)年4月21日この写真は、ネコパブリッシング発行の『Rail Magazine』287号(2007年8月号)の「お立ち台通信」に掲載されています。
2007/11/26
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≪ガイド≫有名な礼文の大カーブを国道から俯瞰するポイントで、光線状態は午前中の下り列車が順光になります。きれいなカーブを描くため、DD51が牽引する長大コンテナ貨物にはうってつけのお立ち台です。≪レンズ≫270mm相当(35ミリ換算)≪アクセス≫礼文駅から小幌駅方向に歩くと約2kmで線路をアンダーパスします。さらに600mほど進んで国道37号線に出たら右折し、坂道を登ると大カーブを俯瞰する場所に到着します。国道上はかなりの速度で車が通過し、撮影ポイントあたりはカーブで見通しも悪いため、ガードレール外側のスペースで構えるなど、安全には注意する必要があります。≪撮影日≫2007(平成19)年9月5日この写真は、ネコパブリッシング発行の『Rail Magazine』292号(2008年1月号)の「お立ち台通信」に掲載されています。
2007/11/25
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構内線の撮影ポイントは、工場と工場の間に走っている一般道を横切っていくところの、いわば踏切部分の歩道からだけ、と撮れる場所が限られています。この日は、私が立っている前を自転車で通り過ぎようとした金属工業の社員さんが話しかけてこられましたので、少しだけ構内機のことを聞かせてもらいました。社員さんによると、機関車は6輌あり、それ以外に予備機が数輌存在するそうです。工場は24時間フルタイムで稼動しており、製品が整うと運搬の指令が出されるのですが、その時間は決まっていないとのことです。つまり、構内機がいつ動くのかは、そのときにならないと分からないというわけです。ただ、構内をわりと頻繁に行き来していますので、全く撮影できないということはないようです。しかし、いつ来るのか分からないという点は、まるで中国の専用線みたいです(笑)。複数台の機関車が存在し、なかには新生機もあるそうですから、今後も元気に活動することは間違いないようです。踏切の歩道で待っていると、少し前に通過していったのとは異なるタイプの機関車がやって来ました。さっきはL型機でしたが、今度は前後にでっぱりのある凸型機です。また、機関車の前と後ろに長物貨車をつけており、その積載物がそれぞれ異なっている点が、いかにも構内鉄道らしい使われ方でしょう。
2007/11/24
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久しぶりに尼崎の住友金属工業の構内で走っている入換ディーゼル機を見に行ってきました。工場が道路をはさんで広がっていますので、道路を横切っていくシーンが繰り広げられます。また、金属工業の構内線ですので、運搬しているのは重量物ばかりです。何を乗せているのか分からないのですが、このときも長物貨物を押し出しながらL型ディーゼル機が工場から出てきました。こうした貨車は普段、コンテナ貨車で見慣れているのですが、上に乗せている貨物が全く異なりますので、新鮮な気がしました。
2007/11/22
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午後からは中央本線の恵那と「日本大正村」の玄関・明智を結ぶ明知鉄道の撮影を行いました。本日の「思い出の1枚」は、秋らしい花と明知鉄道のディーゼルカーをからめたカットです。明知鉄道は昭和60年(1985)11月16日に国鉄明知線を引き継いで開業した第3セクターの鉄道です。25.1kmのローカル線ですが、30パーミル以上の勾配が続く山間路線です。今は高校生らの通学輸送が主な使命となっていますが、岩村城址や日本大正村などの観光資源も多いため、観光客の誘致にも意欲的です。明智の町にはレトロな建物がいくつも残っており、鉄道写真を撮影したあとは、妻と一緒に町なかを散策してまわりました。
2007/11/21
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中津川に1泊した翌朝、最初に向かったのは落合川です。やって来たのは長野色の普通電車でした。朝の光線が強すぎて、前面の半分が白く飛んでしまいました。ここは線路に沿って桜の並木があり、春の情景を撮影するお立ち台となっています。春、桜の季節にもう一度訪れたいと思っています。昨年撮影したカットですが、少し角度を変えてダム湖を入れるとこんな感じになります(電車は後追いになります)。
2007/11/20
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鉄橋で「ワイドビューしなの」を撮影したあと、駅をはさんで鉄橋とは反対側(中津川寄り)にある贄川の関所へ行きました。この場所では昨年も同様に撮影していますが、今回は線路をまたいでいる跨線橋の上から撮影しました。こちらの方から撮ると、画面の中に関所が広く入るような構図になります。贄川の関所は、正しくは贄川口留番所というそうで、戦国時代の天文年間に初めて関が置かれ、江戸時代は山村氏が留番所を統治していたそうです。主に女改めと、檜などの木材ならびに加工品を取り締まっていたようです。関所を過ぎると中仙道33番目の宿場町である贄川宿が広がっています。
2007/11/19
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王滝村の次に向かったのは贄川の鉄橋です。この時期、この場所は午前中、日が当たらないため、午後から行くことにしたのです。しかし、鉄橋は谷間にあるため、夕方も早い時間帯から山かげとなります。つまるところ、時間限定の撮影ポイントなのです。この場所には去年も来ているのですが、バックの山は明るいのに、鉄橋付近が陰ってしまい、うまく撮れませんでした。今年はそのリベンジを果たすつもりだったのですが、この日は水平方向の透視度が悪く、何となくモヤったような感じです。鉄道情景写真は、自然を相手にするため仕方がないのですが、はるばるやって来ただけに、ちょっぴり残念でした。
2007/11/17
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車庫前の引き込み線は展示線となっており、きれいに整備された関電のモーターカーをはじめ、レストアが完了した車輌や、これから取りかかる車輌など、あわせて5、6輌が並べられていました。そして、その横を乗車体験会用にあつらえられた座席車(トロッコ)を牽いて立山砂防軌道の5t機が通り過ぎていきます。乗車体験会では順番待ちの列ができており、オープンエアーの座席車には、子どもだけでなく大人もいっぱい乗っていました。逆推進で座席車が前になって進んでいくときには、むしろ大人の方が子ども以上にうれしそうな顔をしていたようです。
2007/11/16
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中央本線とあわせて王滝村で開催されている森林鉄道フェスティバルにも行きました。場所は木曽福島の手前から御岳山の方へハンドルを切って10kmあまり走ったところにある松原スポーツ公園の一角です。そこに「りんてつ倶楽部」の方たちが車輌を保存しています。車庫は真新しく、保存運転線の長さは400mを超しているそうです。この日は立山砂防軌道の5t機が乗車体験会用にあつらえた座席車(トロッコ)を牽いて400mほどの保存運転線を何回も往復していました。寝覚ノ床あたりでは今ひとつだった黄葉も、標高が高い王滝村ではピークを迎えており、黄色や真紅の葉が快晴の青空に映えていました。
2007/11/15
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妻と2人で中央本線へ秋景色を探しに行ってきました。昨年も行っているのですが、そのときは私1人で行ったため、山全体が黄色に染まった景色を妻は見ていません。そうした情景を見せてやろうと同行を誘ったのですが、今年は去年に比べて1週間ほど早く行ったのと、例年より暖かい秋であるため、黄葉はまだピークを迎えていませんでした。非鉄の妻が一緒なので、鉄主体の撮影旅行というわけにはいかず、奈良井や馬籠など、中仙道の宿場も観光してまわりました。しかし、そういうことでもなければ、定番の観光スポットには行きませんから、それはそれでよかったかな、と。昨年の撮影経験から、午前中の光線状態が良いところへまず行こうというわけで、最初に寝覚ノ床へ向かいました。中津川あたりに比べると少しは色づいていましたが、全体的にはやはりまだ緑の葉が多く、この点が少し残念でした。本日の「思い出の1枚」は、景勝寝覚ノ床をながめながら通り過ぎていく特急「ワイドビューしなの」ですが、以前、この区間を「ワイドビューしなの」に乗って信州へ行った経験からすると、おそらく、この瞬間、車内では景勝寝覚ノ床に関するアナウンスが流れているところでしょう(昨年、寝覚ノ床で撮影したカットはこちら)。
2007/11/14
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平野町では月に1回、第4日曜日に町おこしの一環として「町ぐるみ博物館」というイベントが行われています。「町屋博物館」や「映像博物館」「自転車屋博物館」「コーヒー博物館」といった具合に、個人の家や商店をそれぞれ博物館とし、自慢の品々を展示しています。マスコミに取り上げられることもあって、今では大阪以外から見学に訪れる人も増えています。こうした住民主体の町づくり運動のきっかけになったのは、南海電鉄平野線の廃止に伴う平野駅の保存運動でした。平野駅舎は八角形の欧風木造建築物で、この駅舎保存を契機に「平野の町づくりを考える会」が結成され、現在の活動へとつながったそうです。結局、平野駅の保存は実現しませんでしたが、平野町商店街に接する全興寺というお寺のそばにある「おも路地」というイベントスペース(子ども達の遊び場)の一角には記念の説明板が設置されています。そこの2階には平野線を走っていた電車の運転席が再現され、運転席からの映像も見ることができるようになっています(「おも路地」は毎日開放されているわけではないようです)。平野駅舎の保存運動が、違う形で町おこしにつながったのはおもしろいことです。
2007/11/13
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関西本線では、201系が普通に、221系が快速に運用されて大阪と奈良を結んでいます。221系は「大和路快速」以外に「丹波路快速」などでも活躍中です(以前に撮影した関西本線の大和路快速の写真はこちら)。ちょうど奈良の国立博物館で秋恒例の正倉院展が開催されていますので(10月27日~11月12日)、奈良行きの「大和路快速」には「正倉院展」のヘッドマークがつけられていました。
2007/11/12
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過日、用事で大阪市の平野町を訪れることがあり、少しの間だけ関西本線の電車を撮影しました。東海道本線で使用されていた201系が大阪環状線その他の線区に転用された影響で、103系が急速に淘汰されています。関西本線でも以前はウグイス色の103系があたり前だったのですが、今回は103系をほとんど見ませんでした。ごく普通に走っているものを普段からこまめに撮影しておくことの大切さはよく認識しているのですが、久しぶりに関西本線を訪れ、改めてその意識を強くしました。
2007/11/11
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今回、遠路新潟まで門デフに着替えた180号機を撮影に行きましたので、折角ですから現役時代の門デフC57の写真もご覧いただこうと思います。昭和45(1970)年、初めて九州へ行き、熊本機関区で撮影したのが、本日の「思い出の1枚」であるC57 151号機です。朝の機関区で休憩する151号機の端正な門デフに感動した覚えがあります。同じ3桁ナンバーの機関車ですが、180号機に比べてナンバープレートが少し下寄りについており、個人的にはこれぐらいの方がバランス良いような気がします。
2007/11/10
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2日で1往復の「SLえちご日本海号」最終の撮影は長鳥と塚山の間で行いました。急行「きたぐに」に乗って大阪から東三条まで行く道すがら、車内からロケハンをしていたとき、何となく良い雰囲気に見えたのがこの区間でした。あいだに長いトンネルがあるということは、ここをサミットとして双方から上り勾配なのでは、とも想像されます。そうしたことをベテランのT島さん、品川530さん、鈴屋さんなどに話した結果、長鳥~塚山間で撮影することが衆議一決しました。現場は予想どおり長い直線の上り勾配です。パワーのあるC57のことですから、これぐらいの坂道など軽々と上ってしまうかもしれませんが、それでも平坦区間よりは煙が期待できます。刻一刻と通過時刻が迫り、こちらに近づいてくる列車の音が確実に大きくなってきました。山あいにこだまする汽笛が残響音を伴い、否が上にも緊張感が高まります。そして、見えました。カーブを立ち上がって直線に差しかかったC57は、それなりに煙を出しています。私たちの存在に気づいたのか、サービスのドレインも出始めました。いよいよ、クライマックスです。左右のバランスよし、煙の高さよし、ドレインよ~し! シャッターを押し込むと同時に、連写モードのミラーが軽快に跳ね上がります。感動と至福の時間が流れます。
2007/11/09
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回送「えちご日本海号」は高田駅で少しの間、運転停車をしましたので、高田駅の前後で撮影できました。昨日のカットは直江津-高田間で撮影したものですが、本日の「思い出の1枚」は、新井寄りの場所で撮ったものです。鉄橋を渡るC57は、回送のぶら下がり状態なので当然煙は出ませんが、そうなると逆に向きが分からないため、サイドからだと前に走っているようにも見えます。仔細に見ると、キャブやドレインからわずかに漏れ出ている蒸気で進行方向は分かるのですが……。
2007/11/08
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「SLえちご日本海号」は往路が長岡から直江津まで、復路は新井から長岡まで運転されました。そのため、復路となる2日目の朝には直江津から新井まで回送列車が運転され、EF64が牽引を担当しました。わたしにとってEF64は普段目にすることの少ない機関車です。さらに回送列車の牽引を担当するEF64 1031号機は塗装もピカピカで、新車と見まがうばかりの美しさですから、ある意味、C57同様に気合いの入る被写体となりました。天気は快晴。絶好の撮影日和です。直江津から新井までの区間は、のどかな田園地帯が広がっており、直線、曲線を含めて踏切近くから編成写真を撮影できるポイントもいくつかありました。本日の「思い出の1枚」は、EF64が牽く回送「えちご日本海号」です。
2007/11/07
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「SLえちご日本海号」の運転にあわせて頚城鉄道の保存車輌も展示されていました。「頚城」を「くびき」と読むことさえ、ごく最近まで知らなかったほどですから、どこに存在した鉄道なのかという知識も、ほとんど持ち合わせていませんでした。同行の品川530さん、T島さん、鈴屋さんにぶら下がる形で訪れた頚城鉄道でしたが、コッペル2号機をはじめとする保存車輌をひと目見たときの感想は「うん、これはいい!」というものでした。保存会の方々が精魂込めて修復した車輌は、西陽を受けて照り輝いていました。展示終了の時刻が迫り、車庫のなかに押し込む保存会のみなさんの後ろ姿からは、保存車輌に注ぐ愛情をひしひしと感じました。
2007/11/06
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普段立ち入ることのできない機関区へ特別に入ることができる幸せ。門デフに装いをあらためたC57 180号機を間近で撮影できる幸せ。豪雨の予報が、時折、晴れ間ものぞく日和に変わる幸せ。直江津にはいくつもの幸せがころがっていました。仕業を終え、直江津機関区に帰ってきたC57は、扇形庫に入るまでのしばしの間、ファンの前でポーズを取ってくれました。標準デフを門デフに取り替えたさまは、シックな装いを軽快なミニスカートに着替えたモデルさんと言えるかもしれません。人間のモデル撮影会なら、「すみません。目線をお願いしま~す」といった声も飛ぶのですが、いくら美人とはいえ機関車が相手ですから、ターンテーブルを少しずつ回しながら立ち位置を変えるという演出が行われました。というわけで、美人モデルの撮影会に詰めかけた大勢のファンの前でモデル役を務める180号機が本日の「思い出の1枚」です。
2007/11/05
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鯨波で日本海バックの写真を撮ったあと、直江津に向けて車を走らせました。午後から機関庫の開放があると言われていたからです。ところが、品川530さんが乗った車から、急げばもう1回撮影できるかも、という連絡が届きました。先行する品川530さんは、すでに線路際に到着しているとのこと。急遽スピードアップして追走することにしました。撮影ポイントに到着したのは列車通過する数分前のことでした。ぎりぎりで間に合ったわけですが、その分、ロケハンをする余裕もなく、仕方がないため、「下からあおり、空にデフを抜く」という門デフ撮影の心得を実践することにしました。こうやってみると、均整の取れたボイラーと、すっきりした門デフの組み合わせは、思った以上に好ましいものであることが分かります。煙がない……・。う~む、これは、致し方ありませんね。
2007/11/02
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本日の「思い出の1枚」は、S字カーブをきれいに抜けてくるC57 180号機です。実は、この写真が今回の「SLえちご日本海号」で最初に撮ったカットです。門デフですから、本来ならば7:3、もしくはサイド気味にデフレクターの形が分かるような位置で撮影すべきなのですが、そうしたお決まりをあえて崩したくなるほど、気持ちの良いカーブでした。それに門デフの形が強調できるサイドカットは、このあとにも撮る機会があるだろう、と思っていました。「折角の門デフを正面から撮影する私たちは、お馬鹿さんですかね?」「ええ、間違いなく、お馬鹿さんです(笑)」同じ位置で三脚を構えていた見知らぬ鉄ちゃんと自嘲気味の会話を交わして笑ったのですが、白煙を上げながら、こちらに近づいてくるC57を見ていると、「デフの形? そんなの関係ねえ!」と思えてくるのですから、我ながら何ともはや、という感じです。
2007/11/02
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この秋一番のサプライズは、東のC57が門鉄デフに変身したことです。180号機は九州に配属された経歴はありませんから、門鉄デフを身にまとうことは厳密に言うとありえないのですが、そんなかたいことは申しますまい。むしろ3週間限定のコスプレを存分に楽しませてもらいましょう、というわけで、行ってきました新潟へ。これまでわたしは、西のC57(1号機)には山口線で何度も会っていますが、東のC57(180号機)を撮影する機会は一度もありませんでした。「くまさんからのサプライズ、お待ちしています」と、品川530さんに同行を促されたこともあり、仕事帰りに家の近くにある旅行社へ寄って、急行「きたぐに」の寝台券(大阪~東三条)を確保したのは「SLえちご日本海号」が走る5日前のことでした。本日の「思い出の1枚」は、荒海の日本海をバックに走るC57 180号機です。鯨波~青海川は信越本線随一のお立ち台といわれるだけあって、少なく見積もっても100人以上の鉄道ファンが三脚を立てて待ち受ける激パぶりでしたが、それだけの人気を集める景観ではあります。冬の到来を予感させるような鉛色の日本海と門鉄デフのC57は、やはり似合いの組み合わせでした。
2007/11/01
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