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我が「老子」に「得がたきの貨を・・・・」という行がある。この貨という文字が現れるのはかなり貨幣経済が行き渡って、その文字を必要としたからである。老子という人物は存在しなかったと確信する私であるが、老子という書物を書いた人ないし人たちが存在したのは、戦国以降のことである。さて、わが国において「子育て」なる言葉ができたのは何時のころからか。少なくとも私が「子育て」されていたころには現在のような使われ方が無かったのはもちろん、言葉を聞くことも見ることも無かったと思う。その言葉の誕生と共に、人を作り教育することが、無くなっていった。
2011年08月26日
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最近、またまた消費者金融という名の高利貸しが盛んに宣伝をしている。以前と違うのは、バックに大手銀行が控えている点。そして、「高利貸し」などと言うととたんに訴えるだけの理論武装も完璧に違いない。そして、消費拡大が日本の景気をよくして、日本を救うだの、言い出すのであろう。・・・そして、また犠牲者は出る。
2011年08月23日
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間違いない、最近PCのフォントが小さくなった。私のブラウザは、ルナスケイプというものだが、文字サイズが大・中・小だったものが、そこに最大と最小が加わり、五段階になった。これでは、10インチ前後の画面で見るのはつらい。デルのラインナップから、そのサイズが消えている。もちろん画面全体を拡大したりはどのブラウザでもできることなので、携帯性を重視するなら、今のうちに小さい画面のものを買っておくのも手かなと思う。
2011年08月18日
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集団訴訟にまで発展しそうな例の「石鹸」。小麦アレルギーの問題を見落としたのはなんともお粗末であるが、苦情がポツリポツリと寄せられた段階で、真摯に対応しておれば、ここまで問題は大きくならなかったはずだ。その「小麦」が単にあわ立ちのためだと知って、それを買わなかった私まで「消費者を馬鹿にするな」と言いたい気持ちになる。で、京都大学の例のカンニング騒動。その対応が大げさだとか、カンニングくらいで当の犯人の将来云々とか言われたが、私は京都大学を支持する。なぜなら、問題が発覚した当初はそれがあるいは犯罪組織の仕業やも知れず、それが大きな犯罪ビジネスであったかも知れない。それを取り逃がすことになっていたら、非難ごうごうの嵐だったはずだ。翌日の新聞を見て馬券を買っているような、コメン低たーの言うことなど、信用するにはたりない。
2011年08月15日
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アメリカの映画監督マイケル・ムーアによると、アメリカでは上位四百人の富裕層が下位の一億五千万人の富を上回る富を持っているんだとか。おそらく中国もこのモデルに近づくに違いない。そして、ここからが大事なことだが、貧富の差が少なく国民の八割が「自分は中流」と思っていた日本もそこを目指しているように見える。大切なことは、低額所得者の所得をアップさせることではなく、所得が低くても幸せに暮らしていける社会、他人をうらやまず、無用の争いをしない人々の集合体を作ることである。===ある東南アジアの国に行くと猿は神聖な動物で、寺院の近くにバナナを山盛りしている。この寺院の周辺の猿たちは食べきれないほどのバナナをめぐって争っている。同じ種類の猿でも、そのような幸運に預からない、少し離れたところのグループでは、限りある食物を譲り合って食べ、争いなどはない。これは意外という気がするが、考えてみれば、乏しい食物しかないものたちが争っていては、そのグループはたちどころに消滅してしまうだろう。遺伝子レベルでは彼らとそう違わない我々が、同じ運命にないと断言できるであろうか。
2011年08月05日
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「もし、俺が国民栄誉賞に決まっても、辞退するわ」「もらえる訳内野路」「いや、もしも決まったら、という話や」「決まるわけ内野路」「いや、だからな、もし、もしも決まったら、ということをユー照るわけや」「瀬谷から、お前みたいなやつに、くれるわけ内野路」「うーん、しぶといやっちゃ名あ」「どっちがしぶといんじゃ」「話がつうじんゆうのわ、悲しいこっちゃ」「通人でええわ絵、通じと尾ないわ」
2011年08月03日
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