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ワロ太!(ネタばれでワロ太訳ではありません)予告編見たのは、二度目だが、和露太!この映画は見に行きます。しかし、ここまでネタばれさせて、この上どんなどんでん返しがあるのか。自殺に見せかせ、衆目を集めている隙に大仕事をなしてしまおうという魂胆。その裏の裏にさらに陰謀があるのか。と見せて劇場に行かせたら、それで勝ち。というわけか。
2012年07月30日
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近くのコンビニで、泡のハイターを売っている。これをゴキブリに向けて噴射すると泡のなかでゴキブリは死滅する。はずであるが、動かないからといって油断は禁物。仮死状態やも知れず、直ちに紙に包んだ上、袋に入れて捨てるのがよい。このマンションに来て二匹目のゴキブリだが、やはり「バポナ」は欠かせない。もう二三年も見ていなかったんだがなー。
2012年07月28日
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自分くらいの年になると、人の死は、葬式の煩わしさである。今の仏教は葬式仏教と言ってもよい。しかし、ブッダが人の道として求めたそれは、葬式をどのように執り行うかという事にどれほどの注意を払っていたのであろうか。現在日本にある仏教は儒教的ダイナミクスの範囲で、個人がどれほど社会の序列に忠実かということを示す舞台である。昔の仏像などを見ると、座禅の像は一方の手のひらに他方の手の甲を重ねているだけである。法界定印に作るというのは、何時に定まったかは知らないが、元々にあったはずは無い。人の道が、何時の間にやら儀式に代わり、儀式を以ってその人を判断する、なにやら中世ヨーロッパの宗教裁判・魔女狩りにも通ずる気がする。
2012年07月09日
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タバコをやめない人に、禁煙を勧めてみたとき、自分がタバコを吸うのは政府が悪いからとか、タバコ農家のためとか、税収に貢献しているとか、全く正当な理由を言える人は重症である。このような人は、助からない。自分の行為行動が他人のせいである、と堂々と言える人というのは人生を放棄したも同様である。「政府がタバコを売るのを止めたら、自分はタバコをやめる」と言うのは、ありえない可能性を言うことで、硬い決意表明をしているのである。タバコの勝ちである。
2012年07月04日
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自分がかつて親しくしていた人に、アルコール依存の人がいた。いくら説得しても酒は抜けなかったのはもちろんだが、その人と話していると、何と彼自身が酒を飲むことの正当性が実に強固な信念の下に語られるのである。そもそも、その人に初めて会ったのは、アルコールのため、胃を切除した後の病み上がりの時だった。それから二十年くらいの付き合いだった。そしてとうとう人生を棒に振るほどに酒におぼれてしまった。酒を飲む、その正当性を語るとき、論理はめちゃめちゃで既に脳まで侵されていた。===最近、タバコを止めませんかと、私はある人に勧めた。その人の言い分がかつての親友とダブって見えた。静かなる殺人者。タバコ。
2012年07月01日
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