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地域で暮らすって、そんな言葉は有る。自分への依頼は、ガイドヘルパーとしてであれ、施設の職員としてであれ、電車とかバスに乗ってできるだけ「遠くへ行け」ということになっている。そしてたいていの場合、利用者は、乗り物が好き、なのだとか。此れなら、郊外の環境のいいところに住んで寝食をし、土日に出かけていく生活の方がよっぽどマシと思うが、福祉を担う人たちには、それでは自分たちの「やってますよ」「私達こそ障害者の社会参加を担ってます」感は達成できないようだ。地域で暮らすというのは、地域にあるものを利用して生活するということでは無い。という福祉業界の常識は、自分には単に税金の無駄遣いしか見えない。
2015年02月19日
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日本には、敬遠という言葉がある。これは野球の用語として使われたために、勝負を避けるとか、一般に相手を遠ざける、避けるぐらいの意味に使用されている。だが本来は、敬し、尊重しつつ相手と近づき過ぎない距離を保つという意味である。それは時として、神とか仏とか、自然とかに向けられてきたはずだ。また、特定の人物にも向けられていたであろう。このような思想を持っていれば、無用な摩擦や衝突を避ける事ができ、理解の難しい相手ともうまくやっていける可能性がある。最近、曽野綾子氏が人種差別の文章を書いたとかでとやかく言われているが、私は氏が差別主義であるとは思わない。長年言葉狩りに勤しんで来られた方々の格好の餌食にされてしまったと、同情を禁じ得ない。意の有るところを汲む努力をしない者にはあらゆる表現者は敵となる。そして真の味方が誰であるか不明のうちに、傷を舐め合うだけの仲良しグループと成り果てる。そのグループは決して成長しない上部だけの仲良し、である。ただし、曽野氏のコラムに問題が無いかといえば、そうではない。コラムでは、一事を以って全体を論ずという名人に有るまじき誤りを犯している。そんな誤りは誤りではあったが、氏が人種差別主義者とは自分には到底思えないのである。自分の居る大阪市生野区にはコリアタウン、神戸には南京街、氏のイメージはこの程度だったのではないか、今回の事の発端は同じ術語をそれぞれのイメージで定義していることから起こる悲劇、なのではないか。アパルトヘイト、人種隔離、それらが実際に南アフリカ、アメリカ南部でどういうものであったかについて、その現場に居た人たちにその言葉が、どのような意味に用いられているかについての配慮が欲しかった、ということである。
2015年02月17日
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現在の通信はWiMAX(プロバイダーはnifty)なのだが、ルーターの電源を落とすと次の回復が大変で、今回は足掛け3日かかった。何しろ、電波は強力で、パソコンや、プリンターと繋がっているのに「インターネットアクセスなし」もうお手上げです。春には一年契約の縛りも取れるので、もう止める。
2015年02月11日
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すべて制限があるというのは良いことだ。何でも野放図にやって良いというのは、真の自由とは言いがたい。どうやっても良い、何をしても良い、というのは聖人君子か名人達人の行為を律する時に言えるのであって、我々凡人以下には当てはめられない。ネットゲームのやり過ぎで、死んだ人も何人か居るのはそのためだ。制限をして身を慎み激情が起こったならば、とにもかくにもその場は逃れ、罪を犯さぬように工夫しなければならない。牢屋でじっくり考えてももう遅い。現代人は、実はその時代時代にいつも居たのだが、その現代人には逃げ場が無い。逃げ場を工夫して作っていくのが生活の知恵というものである。
2015年02月05日
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国際的テロや、国家間の紛争にあって、日本はほとんど無力であることは、ずーと前から分かっていたはず。やれることと言ったら、他国にやってもらうこと、情報を集めること、ぐらい。それを可能にするのは普段から金をばらまいているということである。今更どうしろというだ。共産党。しかしねー、実際、言うとは思わなんだよ。まさかねー。もう、追及も見え見え、答えも答え。一体国会の役割って何なん。なあ
2015年02月04日
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