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沖縄で撮影した鳥の写真第2弾です。喜瀬ビーチの宿のすぐ近くにてシロハラ。東京でもよく見かける、ツグミの仲間の冬鳥です。沖縄にも渡来するのですね。2日目の夕方撮影です。3日目の朝、同じく喜瀬ビーチにてシロガシラ。「道の駅かでな」にて、またまたイソヒヨドリ。名前のとおり海沿いに住む鳥で、東京では文字どおり海岸でしか見たことがありません(葛西臨海公園と京浜島つばさ公園)。しかし、「道の駅かでな」は海からは4km以上離れていました。やはり道の駅にて、イソヒヨドリ。そして、那覇に到着後、前回紹介した漫湖にて。橋の上からミサゴを確認。クロツラヘラサギが飛んできた!コサギと混ざって採食中。時間は5時頃、晴れていればまだまだ明るいのですが、曇っていてちょっと暗いので、写真はなかなか厳しいものがあります。クロツラヘラサギ。今回沖縄で撮影した中で圧倒的に珍しい鳥です。全世界で3000羽、日本への渡来が300~400羽という希少種。ただ、この鳥は東京の葛西臨海公園にも渡来しており、もっと近距離で撮影したこともあります。調べたところ、日本への渡来は大半が九州で、特に熊本県には200羽近く飛来、沖縄には20羽くらい、山口県にも数十羽渡来するものの、それより東には、おそらく前述の葛西臨海公園の個体1羽だけしか渡来していないようです。最初は遠かったのですが、採食しながらどんどん橋に寄ってきた、けど、ここまででした。続いて、アカアシシギも登場。全部で3羽いました。(写真には2羽)アカアシシギ。1羽は橋のほとんど真下まで寄ってきて、真上から見下ろすアングルながら、比較的近距離で写真が撮れました。アカアシシギ。昨年秋、前日まで東京港野鳥公園で観察記録があったので出会えると思ったのに、わたしが見に行った日からいなくなったという、いわくつきの鳥でしたが、ついに撮影できました。アカアシシギ。東京の干潟では比較的珍しい鳥です。そして最終日の那覇市外にて。朝散歩中、モノレールの美栄橋駅近くにて。イソヒヨドリのメスが路上をうろついていました。朝散歩で行った若狭公園にてシロガシラ。沖縄には、本家のヒヨドリ(東京にも普通にいる鳥、亜種リュウキュウヒヨドリで本土とは別亜種ですが、あまり差はない)のほかに、同じヒヨドリ科のシロガシラ、そしてイソヒヨドリ(ヒヨドリと名がつきますが、実はヒヨドリ科ではなくヒタキ科。でも確かに、特にメスはヒヨドリとちょっと似ている)、3種類のヒヨドリがいるわけです。那覇市の福州園にて、メジロ(亜種リュウキュウメジロ)対馬丸記念館にてイソヒヨドリ。那覇市の都心とも言える県庁前にもイソヒヨドリはいました。至近距離で、この写真はトリミングありません。結局、今回の沖縄旅行で初めて撮影した鳥は、サシバ、シロガシラ、クロサギ、リュウキュウツバメ、アカアシシギの5種類、3月に始めて撮影した鳥は、これに石神井公園で撮影したアオゲラとシメの7種類となりました。
2019.03.31
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「道の駅かでな」にて嘉手納基地を見学したあと、帰りは徒歩で嘉手納のバス停まで戻りました。(歩いても30分かからないくらい)そこから再び那覇行きのバスになります。フェンスの向こうにE3警戒管制機のお盆、もといレーダードームが見えます。さきほどの道の駅かでなの屋上からは、方向的にビルの陰になって見えなかったようです。延々と嘉手納基地のフェンスが続きます。後日地図を確認したら、ここが嘉手納基地の第1ゲートのようです。ここで、嘉手納基地が終わったと思うと・・・・・・今度は海兵隊のキャンプ・レスター(キャンプ桑江)のゲートそれを過ぎたら・・・・・・やはり海兵隊のキャンプ・フォスター(キャンプ瑞慶覧)写真は軍用トラックにようです。民生用のバスなども含めて、大量の車両群が並んでいました。これで終わりかと思いきや、更に・・・・・・道の反対側に浦添市の海軍基地。那覇からここへの軍港機能移設は、翁長前知事、玉城現知事とも容認しているようですが・・・・・・。なお、普天間基地は通らなかったけれど、キャンプ・フォスターと浦添の海軍基地のあいだで、国道58号線からほんの100mほどの住宅街の向こう側が普天間基地だったことが、後で地図を確認してわかりました。まさしく、米軍基地の中に沖縄がある状態です。基地内立入禁止の警告板。「日本国法律により罰せられる」にも関わらず、その警告が上に大きく英語、下に小さく日本語という状態が、すべてを表していると言うしかありません。そして、バスは那覇に到着。県庁前で下車して国際通りに戻ってきました。街路樹が椰子であるあたり、やはり南国です。いったん宿にチェックインして、そのあと、私と相棒は別行動。わたしはゆいレールに乗って、首里に向かったのですが、時間の都合などから途中で気が変わり、首里駅で折り返して奥武山公園駅へと引き返します。(これで相当時間を無駄にしましたが)そこに何があるかと言うと正直、この地名を声に出して読むのは、標準語圏の男性としてはやや憚られるものがあります(笑)。インカ帝国最後の皇帝と同じ読み方の地名が日本にもあることは、この旅行のための下調べをするまで知りませんでした。沖縄の地名は読み方が標準語からは想像できないものが少なくないのですが、これに限って標準語どおりの発音だし。で、それはともかく、何故ここに来たか、もちろん鳥を見るためです。ところが・・・・・・前述の案内板にあった漫湖水鳥・湿地センターからは野鳥・自然観察のための木道が伸びています。沖縄本島にこんなにマングローブ林があることも、私は知りませんでした。本格的なマングローブ林は八重山諸島まで行かないと見られないものだと思っていました。メヒルギのようです。初めて見ます。しかし、なんとこの木道、わずか100mほど進むと、補修のためその先が立ち入り禁止でした(涙)行き止まり地点の目の前は、マングローブ林が開けて湿地が見えます。絶好の観察ポイントではあります。が、最大干潮時間帯を少し過ぎた頃にもかかわらず、水鳥は1羽もいませんでした。ヒヨドリがピヨピヨ鳴いているだけ。マングローブ林を中から見られるのは興味深いけど、水鳥が1羽もいないのではねえ。そこで、水鳥・湿地センターの木道はあきらめて、写真に見える橋の上から鳥を探すことにしました。干潟は関東にもありますけど、干潟に根を張るマングローブは、本土にはありません。ヒルギの根の下ろし方は、非常に独特のものがあります。もちろん、塩分の多い干潟で生きていくための仕組みなのでしょう。ただし、この場所は海沿いではなく、河口から2km近く内陸に入った場所です。水は汽水なので、海よりは塩分濃度はかなり低いはずです。干潟の真っ只中に森、本土では見られない景色です。稚樹も結構あります。実は、この干潟には土砂の流入が著しく、そのためマングローブが繁茂しすぎて、干潟が陸地化している、というも課題も生じているようです。結局、夕方5時半近くまでここで粘って、6時過ぎに宿に帰りました。その間、相棒と子どもは国際通りをぶらついて、買い物をしていたようです。撮影した鳥の写真他続きは、また次回。
2019.03.30
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沖縄旅行中も、当然鳥の写真は撮りました。と言うわけで、3月の鳥写真第2段、沖縄編です。喜瀬の宿の近くで、ふと空を見上げたら猛禽が飛んでいました。後で写真を検討したのですが、高倍率ズームの300mmで、若干ピントがあっていないのではっきりと分かりません。最初、翼下面が単色のように見えて、アカハラダカかなと思ったのですが、大きく拡大してみると、どうも単色ではなく鷹斑がある。そこから考えて、サシバという結論に至りました。サシバサシバ。子どものころ、明治神宮の探鳥会で見た記憶があります。写真に収めたのは初めてです。いったん去ったサシバが戻ってきた、と思ったら、別の鷹でした。これは、葛西臨海公園でおなじみのオスプレイ、いや、ミサゴです。イソヒヨドリ。宿の近く笛練習していたら現れたので思わず撮影。東京でも葛西臨海公園や京浜島つばさ公園で見かけることがありますが、珍鳥ではないけれど数は多くない鳥です。だから、このときは珍しさで写真を撮りました。2日目の朝散歩にてシジュウカラ。東京でも普通にいる鳥です。コゲラ(リュウキュウコゲラ)。東京のちょっとした公園にもいるコゲラの沖縄亜種です。メジロ(亜種リュウキュウメジロ)。亜種が異なりますが、東京にもいっぱいいます。シロガシラ。初めて見る鳥です。ヒヨドリ科。八重山諸島には自然分布、沖縄本島のものは台湾から移入されたかもしれない、と言われているようです。ヒヨドリの仲間ですが、声はかなりきれいです。これも、最初は珍しかったけど、実はいっぱいいた鳥です。クロサギ!初めての撮影です。クロサギ。この白鷺、前日にもいて、コサギだろうと気にも留めていなかったのですが、先ほどのクロサギを見てハッとしました。コサギじゃない。クロサギの白色型でした。白いのにクロサギとは不思議ですが、クロサギには名前どおりの黒色型と、名前に偽りありの白色型がいるのです。何の変哲もないツバメに見えますが、沖縄にいるツバメは本土のツバメとは別種のリュウキュウツバメです。(本土のツバメも、渡りの途中に短期間立ち寄ることはあるそうですが)リュウキュウツバメリュウキュウツバメ宿の前での撮影です。燕尾の両端が、本土のツバメほどには細く尖っておらず、イワツバメ程度のM字型です。シロガシラ、海洋博記念公園にて。もちろん、スズメもいました。イソヒヨドリ(メス)海洋博記念公園にて。この辺りで、沖縄にはイソヒヨドリがすごく多いようだと気付きました。次回に続きます。
2019.03.29
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前回の続きです。引き続き海洋博記念公園内を散策します。花じんべえ花の階段。子どもと階段駆け上がり競争をしたら、途中まで負けましたが、最後に子どもが疲れて足が止まったので、結局は私の勝ち(笑)そして、3日目、喜瀬ビーチの最終日です。この日も朝散歩と練習。砂浜も素晴らしいですが、その奥の畑や森を歩くのも楽しいものです。この美しい砂浜ともお別れです。そして、那覇行のバスに乗りましたが、車中相棒と色々喧嘩もとい議論の末、嘉手納でバスを降りて、向かった先は・・・・・・道の駅かでな。この道の駅に何があるかというと・・・・・・笛を売ってました!(思わず買ってしまったのです)が、笛を買うために道の駅に来たわけではなく・・・・・・嘉手納基地を見るためです。この道の駅かでなは、4階が展望台になっていて、嘉手納基地が一望の下に見渡せます。写真左手に階段が見えますが、この上が通称「安保の丘」、かつてはこちらが嘉手納基地観察スポットだったようですが、すぐ近くにもっと高い道の駅ができたため、現在はあまり人がいないようです。とにかくでかい。嘉手納基地の面積は、那覇空港よりはるかに大きく、それどころか羽田空港や成田空港より広いのです。この日は土曜日。米軍も土日は訓練等はないようで、この日は飛行機がほとんど飛んでいませんでした。だから静かでしたが、平日はとてつもなくうるさいことは容易に想像できます。P3C対潜哨戒機。初日に那覇空港でも海上自衛隊所属のP3Cを見ましたが、こちらはもちろん米軍機。C-17グローブマスター輸送機。遠方の掩体壕にF15戦闘機が並んでいます。やはりF-15戦闘機。かまぼこ型の掩体壕もあります。中は暗いですが、戦闘機の機首と思われるものが見えました。私の撮影中に離陸した唯一の飛行機がこれです。オムニ・エア・インターナショナル、調べるとチャーター専門の航空会社のようです。米軍にチャーターされて飛来したのでしょう。道の駅の3階が学習資料館となっています。戦前の嘉手納。村々や畑を潰して、銃剣とブルドーザーで作られたのでしょう。2階がレストランになっていて、ここで昼食にしました。更に次回に続きます。
2019.03.27
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前回の続きです。沖縄旅行2日目。宿で目覚めると曇空でした。東京よりかなり西に位置するので、夜明け時間も東京よりかなり遅い感じです。その代わり、日没も東京より遅いですが。6時50分頃、まだ「早朝」という感じでしたが、宿を出て散歩に行ってみました。何とかと煙は高いところが好き、と言うじゃないですか。沖縄でも本性は変わらず、です。ここを登ってみることにしました。コンクリートの階段の上は、土の階段。祠に出ましたが、そこで行き止まりです。近くのホテルの7~8階と同じ高さなので、海抜20~25mというところでしょうか。ここで笛を吹くことを考えましたが、何となくやめにして、引き返します。続いて、別のホテルの脇から川沿いの道を歩いて行ったらそこそこの高台に出ました。ここで笛を吹きました。3泊4日ですから、笛は当然に持っていきました。ケーナ2本ケナーチョ1本、サンポーニャ2組(マルタとサンカ)でも、時間がなくて、ここでは3曲しか吹きませんでしたが。それでも、相棒と「8時までに戻ってくる」と約束したのに10分ほど遅れて、「お腹がすいた」と怒られました。で、朝食後は本日の、というかこの旅行のメインイベントである、美ら海水族館へ。しかし、これがまた遠いのです。ホテルをとおるリムジンバスで所要1時間。空港からだとたっぷり3時間はかかるわけです。しかも、この日はバスが30分近く遅れて到着。美ら海水族館への途中、相棒が教えてくれました。辺野古の埋立水域に投入されている土砂を運び出す、琉球セメントの埠頭です。確かに、ゲート前に警備員が並んで極度に物々しい雰囲気でした。(バスが通過してから気が付いたのでゲートの写真は撮っていません)その先もずっと素晴らしい景色でした。美ら海水族館到着。この案内板を見て、美ら海水族館はかつての沖縄海洋博の会場にあるのだ、ということを初めて知った、というくらい、何も知らずにやってきました。さすがに美ら海と言うだけあって、海岸はきれいでした。美ら海水族館、ものすごい混雑でした。葛西臨海水族園とか、サンシャイン水族館、しながわ水族館、東京の数々の水族館に匹敵する、いや、上回るお客さんの入りでした。多分最大の目玉は、このジンベエザメなのでしょう。イトマキエイ(マンタ)も。しかし、個人的には、こういう水槽で小さくてもきれいな魚が泳いでいるのが好きだったりします。ジンベエザメの水槽を下から見上げる。バスの到着が遅く、水族館に入ったのが11時半過ぎ、3人別行動でしたが、結局私と子どもはほぼ一緒に行動し、水族館の見学が終わったのは1時過ぎ。そのあと相棒と合流しました。水族館の前の海も、すごくきれいです。天気が曇なのが少し残念ですが、そんなに悪い天気でもありません。干潮の時間帯。もっと早い時間に到着して、もっとゆっくりしたかったかな。ヘリが飛んできました。そのときは所属等が明確には分かりませんでしたが(でも、米軍機だろうとは思った)、あとで写真を等倍に拡大してみたら、薄い字でNAVYとありました。米海軍機です。ステルス戦闘機には、低視認性のために、薄い塗料で見えにくい国籍マークや所属記号が描かれるそうですが、ヘリもそうなっているのでしょうか?国籍マークは、写真を等倍に拡大しても、どれがそうなのか判断がつきませんでした。更に次回に続きます。
2019.03.26
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これまで、当ブログで沖縄に関する記事を何度となく書いてきましたが、実のところ、私自身は沖縄に行ったことがありませんでした。が、とうとう沖縄に行って来ました、相棒と子どもと3人で。相棒は沖縄5回目ですが、私と子どもは初めてです。那覇空港直前に、オーバーブッキングで3人中1人だけ乗れなくなりそうに。私の分だけ席が確保できていない、と。搭乗口前で、後の便に振り替えていただける方に1万円を出しますという案内板。海外ではあるけど、国内線でそんなのが起こるとは思いませんでした。結局、何とか乗れたけど、席は家族3人バラバラでした。いきなりヒヤヒヤの旅行の始まりになってしまいました。那覇空港には(平時には)米軍機はいませんが、自衛隊との共用空港なので自衛隊機は沢山います。海上自衛隊P3C対潜哨戒機。航空自衛隊E2C早期警戒機12時過ぎに那覇空港に着いたのですが、昼食を食べ、飛行機の写真を撮り、バスで目的地に向かったのは2時。行き先は名護市でしたが、これがまた遠かった。2時間以上かかりました。沖縄本島は小さな島ではないことを実感しました。バスは国際通りを抜け(ここが、交通量が多いのに片道2斜線でノロノロ運転でした)て名護へ。そして夕方4時過ぎに到着したのが、名護市の喜瀬ビーチ。直前まで仕事とでいろいろあって、旅行どころではない、とか思っていたのですが、色々な悩みが吹っ飛びました!海の青さが本土とは違う、と感じました。天国にやってきた、という感じです。砂浜ですが、私の知っている本州の砂浜のように白い砂ではなく、少し茶色かかっています。その理由は砂浜に立って分かりました。この砂は、岩が砕けた砂ではなく、サンゴが砕けた砂なんですね。子どもがヤドカリを発見。これもサンゴでしょうね。夕暮れ。夕飯は、ホテル内の居酒屋で。オリオンビールの中生。わたしは蒸留酒が苦手なので泡盛は飲めません。オリオンビール一本やり。ラフテー豆腐チャンプルー以下次回に続きます。
2019.03.24
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うちの子は、中学に入っても、ずっとスマホもガラケーももたせていなかったのですが、高校に入り、電車通学になるので、さすがに連絡手段がないのはいかがなものかと思い、とうとう子どもにスマホを買ってしまいました。最初はiPhoneがいいと言っていたのですが、iPhoneは高いので、どうしても欲しいなら中古ねと言ったら、ならばアンドロイドでよい、ということになりまして、購入したのがこちらです。AsusのZenfone Max Pro M1わたしがAsusのタブレットを使っていて、割合に使いやすいなと思ったのがひとつと、端末代金100円(税込108円)というキャンペーンをやっていたのがもうひとつの理由で、これにしました。(実際には、月々の500円が12ヶ月間上乗せされてるので、総額は税抜6100円になるのですが、それでもとんでもなく安い)。実は、最初はスマホの安売り某店でパッと見てこれが気に入って、そのお店で買おうと思ったのですが(2万円台後半の値段がついていました)、そのお店では格安スマホの即時開通ができなかったので、すぐに開通できるビックカメラに行ったのです。そうしたら、同じ機種でこのキャンペーンをやっていたのです。最初のお店で買わなくてよかった、と。保護シートを貼る前。ビックカメラで買ったので、前述のキャンペーンもあって、BIC SIMにしました。中身はIIJ mioの格安SIMです。わたしはデータ専用SIMを6年くらい使っていて、おおむね気に入っています。痛を機能付きを使うのは初めてですけど。通信料を考えると、最初からドコモでの契約という選択肢は考えませんでした。保護シートを貼りました。電源を入れて見ました。子どもは、さっそく使いこなしています。バッテリーの保ちが、私のタブレットよりずっとよいようです。そして、子どもはパソコンも欲しいと。そろそろ相棒のパソコンを強要するのも限界だろうと思い、仕方がないのでこれも購入しました。スマホは実質タダに近い値段でしたが、パソコンは高かった。パソコンは、できれば中古にすれば安く上がるなと思ったのですが、子どもは新品がいいと。しかも、ゲームがしたいと言い出したのですが、ノートパソコンで3Dゲーム可能なパソコンは12~13万以上するし、あまりゲームにはまってほしくはないのが本音なので、それは却下。ただ、このパソコンも結局は税込の総額で10万円に少しかける値段になりました。多分、マイクロソフト・オフィスが付属するのが高い原因です。わたしが使っている、古いオフィス2000を流用すれば安く上がるなと、思わないこともなかったのですが・・・・・。春は、色々とお金が飛んで行きます。
2019.03.21
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「本当の賛成派なんて…」沖縄・辺野古、地元に暮らす20代の葛藤反対票が7割を超えた、沖縄・辺野古での米軍基地建設をめぐる県民投票。~ただ、一言に反対と言っても、そこには様々な感情がある。一時は反対運動に身を投じたが、その後距離を取るようになったという若者も、いる。~ある日、反対運動の男性たちが地元住民と揉める様子を目撃した。参加者の路上駐車がその原因だったが、住民に対し、声を荒げる男性の姿があった。「この人たちは、本当に名護や辺野古のために基地建設に反対をしているのかー」。そんな思いが心をよぎった。「地元の人に寄り添うことができてこそ、本当の反対運動だと思うんです。それなのに……」だんだんと、反対運動の現場から足が遠のくようになった。~2018年の名護市長選では辺野古に反対する候補ではなく自民系候補の応援に奔走するようになった。もともと仲良くしていた反対運動側の知人には、SNS上で「裏切り者」「あの頃の自分を忘れたのか」などと言われたこともある。しかし思いは変わらなかった。知事選でも、応援したのは「辺野古反対」の玉城デニー知事ではなく、自民系候補だった。~そして、今回の県民投票。1週間毎日のように、考え抜いた。~「本当の賛成派なんて誰もいないんじゃないですか。喜んで地元の海を埋め立ててください、なんて人いますか? みんなあくまで、『容認』なんです。あそこの本当の綺麗さを知っているのは、僕ら名護市民ですから」~そうして新垣さんが投じたのは「反対」の票だった。「本音では反対なんだ、という意思だけは示したかったから」特に感じるのは、同世代の変化だ。署名を集め、県民投票の実現にこぎつけた大学院生・元山仁士郎さんのハンガーストライキがひとつのきっかけだったという。「同世代への衝撃は大きかったと思いますよ。僕の彼女も、彼のハンストをきっかけに基地問題に興味を持つようになったんです。一緒に辺野古に行ってみて、テント村の人たちに、改めて話を聞きました。賛否関わらず、考えることって大切だなって」「声高に反対を訴えるだけじゃなくて。反対派を敵のように扱うんじゃなくて。対立とか分断、揚げ足取りじゃ、何も進まないですから。徹底的に議論したあと、笑いながらお酒を飲めばいい。僕らの世代なら、それができるはず」---「本当の賛成派なんて誰もいないんじゃないですか。喜んで地元の海を埋め立ててください、なんて人いますか? みんなあくまで、『容認』なんです。」私は、まだその辺野古の海の美しさを見たことがない人間ではありますが、この言葉は重要だなと感じます。要するに、必ずしも「反対」対「賛成」の対立ではなく、「絶対反対」対「仕方がない」の対決ということです。それでも、沖縄において辺野古基地建設には「絶対反対」の声の方が大きいことは、各種選挙や先日の県民投票でも示されているとおりです。ただ、その絶対反対の声にしても、元々は自民党の政治家であった翁長前知事が、保守層から引き剥がしてきた結果として多数派になったこともまた事実なのです。例えば、もし基地に対する賛否を「日米安保破棄、全米軍基地即時返還」への賛否で分けたら、おそらく沖縄といえども現在では反対多数にはならないでしょう。翁長前知事も、日米安保には反対しなかったし、米軍最大の基地である嘉手納基地についても、返還要求は掲げませんでした。辺野古基地移設反対(普天間基地の無条件返還)に要求を絞り、そこに基地反対の声を結集することに成功したから、今の反対運動の盛り上がりがあります。もし、旧来の左派が「日米安保容認で嘉手納基地の返還も要求しない返還運動なんて、偽りの返還運動に過ぎない」などと言っていたら、今日のオール沖縄勢力の隆盛もなかったに違いないのです。いろいろな事情や考え方の相違から、「仕方がない」に転じた人を「裏切り者」と言っているようだと、反対への支持を広げていく、という方向にはつながらないように思います。敵は少ないほどよく、味方は多いほど良いのは自明のことです。この運動が、将来更に大きな支持をえていくためには、こういう人を味方に付ける、少なくとも敵に回さないための知恵と自制が必要なのではないかと思います。もうひとつ、引用記事でも言及されている元山仁士郎氏の存在が、大きかったのだなと思いました。私は、昨年5月に、憲法9条改憲反対を訴える集会で演奏したことがあるのですが、その集会で元山さんがスピーチを聞きました。実は、お名前もそのとき初めて知ったのですが。そのときの話が、実はこの引用記事の青年の話と、結構重なるのです。元山さんは、普天間基地のすぐ近くで生まれ育ち、高校も基地のすぐ脇の高校に通っていたそうです。だから、幼い頃から米軍基地には絶対反対・・・・では、まったくなかったのだそうです。生まれたときから、基地はずっとそこにあって、基地があるのが当たり前という感覚だったそうです。むしろ、高校の通学途中に、定期的に基地ゲート前に集まる反対派の人たちを見て、「そんなことをしたって、明日もヘリやジェット機は飛ぶじゃないか」、つまり無駄なことじゃないかと、否定的に捉えていたそうです。その元山さんが「目覚めた」のは、大学に合格して東京にきてからだと言います。生まれて初めて、基地のない東京に住んで、それまで当たり前だと思っていた基地のある生活が、いかに異常だったかに気がついたそうです。生まれたときからの強固な活動家など、いるわけがありません。多くの人は心の中に相反する思いを抱き、迷い、右往左往しているのです。私だってそうです。それをどれだけ味方に付けられるか、それこそがとても重要なのだろうと思います。元山さんのハンストは、ネトウヨ層には散々叩かれましたが、それはそれだけ彼らにとっては脅威だった、言い換えれば目障りだったということでしょう。その影響力は、実際に大きかったのだな、ということが、引用記事からも見て取れます。あのハンストがなければ、県民投票三択で、絶対市町村で投票が実施できたかどうかも、危ういところだったでしょうから。
2019.03.19
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3月も、ここまであまり鳥の撮影には行っていません。石神井公園と葛西臨海公園の2回だけです。ただ、幸運にも初めて撮影する鳥2種類(どちらも、珍しい鳥ではありませんが)に遭遇しました。まず3月2日石神井公園コガモ。珍しくはありませんが、石神井公園では私は初めて見ました。葛西臨海公園にはよくいます。アオゲラ。見て分かるように、キツツキの仲間です。近年は都市の公園などに進出しているようで、新宿御苑や明治神宮でも目撃されています。ただ、わたしはこれまで撮影したことがありませんでした。アオゲラ。日本固有種です。ただ、ユーラシア大陸に広く分布し、日本では北海道に分布するヤマゲラとは、かなり近縁と思われます。ヤマゲラ。この日のベストショットでした。長い舌を繰り出しているのが分かります。シメ。アトリ科(カナリアの仲間)。これも珍しい鳥ではなく、冬場は大きな公園で時々見かけるのですが、何故かわたしはこれまで撮影できませんでした。今回初めての撮影です。シメ。本当は、このときルリビタキがいたのですが、そちらは動きが早くてファインダーに捕らえられず、シメだけが撮影できました。もっとも、ルリビタキは何回か撮影したことがありますけど。ヒヨドリ。ごくありふれた鳥ですが、なんだかとてもユーモラスな格好だったので。キクイタダキ。葛西臨海公園では何回か撮影してもあまりまともには写せませんでしたが、今回は比較的きれいに撮影できました。キクイタダキどこに行っても人気者、カワセミジョウビタキ(メス)ジョウビタキ(メス)。ジョウビタキも結構人気があり、よくカメラマンが集まっています。そして今日3月17日葛西臨海公園ジョウビタキのオスがいました。ジョウビタキ(オス)。何故か、オスは葛西臨海公園でしか撮影できたことがありません。ハジロカイツブリ。冬の間は点々と数羽ずつで暮らしていますが、今日は群れていました。そういえば去年も、一昨年も3月頃にはこんな感じで群れていました。そろそろ北に帰る準備、というところでしょうか。冬羽と夏羽が入り混じっています。頭が黒くて頬が白いのが冬羽、全体に黒っぽいけど顔の後ろに金色(光の加減によっては赤っぽくも見える)の飾り羽がついているのが夏羽。ハジロカイツブリ。夏羽と冬羽が半々くらいでしょうか。ハクセキレイ。珍しくもない鳥ですが、今日はきれいな声でさえずっていました。普段は、「チチ」とか「ピピ」と聞こえる鳴き声ですが、さえずりは全然違う、いったいどんな鳥が鳴いているのかとびっくりするような声です。ただ、あまり音量はありません。3月のその2があるかどうかはわかりませんが、多分あるんじゃないかな・・・・・・。
2019.03.17
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日本も737 MAX運航停止 国交省、FAA決定受け国土交通省航空局(JCAB)は3月14日、墜落事故が相次いだボーイング737 MAXについて、日本国内での運航停止を航空会社に指示した。期間は当面の間としている。FAA(米国連邦航空局)が737 MAX 8と737 MAX 9に対し、米国での飛行停止を13日に命じたことを受けた措置。しかし、すでに米国以外の多くの国では航空当局が737 MAXの飛行停止を航空会社などへ命じており、14日時点で737 MAXを日本へ運航している航空会社はない。日本の航空会社では、全日空が737 MAX 8を2021年度から最大30機導入するが、現時点で運航している航空会社はまだない。737 MAXの墜落は、10日に起きたエチオピア航空ET302便(737 MAX 8)の事故で2件目。2018年10月29日に起きたインドネシアのLCC大手、ライオン・エアJT610便(737 MAX 8)が最初で、現時点で原因は判明していない。10日のET302便墜落を受け、CAAC(中国民用航空局)は翌11日に中国国内の航空会社に737 MAXの飛行停止を指示。中国を皮切りに、各国の航空当局が737 MAXの飛行停止を命じ、12日には、EASA(欧州航空安全局)も飛行停止措置を取った。米国では、トランプ大統領が13日に737 MAXの運航停止を指示。これを受け、FAAが米国内での飛行停止を命じている。ーーー先日、エアバスが、フラッグシップであるA380の生産中止を決めた件が報じられましたが、今度は米ボーイングのB737MAXの連続事故です。事故原因は現時点では不明ですが、2件の事故の経過が非常に似通っており、両方の事故が共通の原因によって起こった可能性が示唆されています。同一機種が同じ原因で墜落、となれば、それはその機種に共通の、何らかの欠陥があることが疑われます。目下のところは、オートパイロット(自動操縦装置)に疑いの目が向けられている状況です。物理的な欠陥か、ソフトウェア上の欠陥かは分かりませんが。A380の生産中止はエアバスにとって大打撃ではありますが、事故を起こしたわけではありません。また、元々超巨人機は、飛行機メーカーにとって「売れ筋」商品ではありません。エアバスとボーイングという二大メーカーにとって、もっとも売れ筋なのは、エアバスのA320とボーイングのB737という小型機です。その、飛行機メーカーの屋台骨を支える小型機で、構造的欠陥を伺わせる事故を連発してしまったことは、ボーイングにとっては深刻な打撃でしょう。当然ボーイングとしては、欠陥はないと主張するよりほかにない訳ですが、それが客観的に見て説得力があるかどうかは別の問題です。実際のところは事故原因調査を待たなければ分からないものの、状況証拠としては、割と黒に近いグレーです。にもかかわらず、FAAは、ボーイングの弁解を鵜呑みにしたのか、巨大飛行機メーカーの経営を慮ったのか、直ちにB737MAXの飛行禁止措置を取ろうとはしませんでした。しかし、この間にB737MAXに真っ先に飛行禁止措置を取ったのは、なんと中国の民用航空局です。その背景には、エチオピア航空の事故には中国人の乗客が少なからず含まれていたことがあるのでしょう。この決定に、同じくB737MAXの事故があったインドネシアなどが追随、更にEUも飛行禁止措置を取ったことから、遅まきながら米国FAAも飛行禁止措置を取り、更にそれをみた日本の国交省航空局も飛行禁止措置をとったわけです。一連の流れをみると、中国の動きがB737MAX飛行禁止の流れを作ったことが分かります。もちろん、中国が動かなくても、EUが飛行禁止にしたでしょうけど。かつて、事実上世界の民間旅客機の生殺与奪の権を握っていたFAAは、今回の件では、主体的な判断で航空機の安全性について世界をリードする姿勢はありませんでした。中国の動きを見て、EUの動きを見て、仕方なくその後追いをしただけです。航空機産業という、第二次大戦後米国が圧倒的な支配力を見せてきた分野においてさえ、米国は先導する力を失った、ということなのでしょう。ところが、そのFAAより更にB737MAXの飛行禁止措置が遅れたのが、我等が日本です。明らかに遅きに失したFAAの動きに、更に遅れて追随しただけ。その決定は実質的には無意味なものでした。何故なら、日本の航空会社はまだB737MAXを導入しておらず(引用記事にあるとおり、全日空が2021年導入予定)、日本に乗り入れている外国の航空会社も、既にB737MAXの飛行を取りやめていたからです。事実を追認しただけです。要するに、FAAの判断によらずに自己の判断で米国の旅客機に不利益な飛行禁止命令を出す勇気が、日本にはない、なぜなら米国の属国だから-ということなのではないかと疑りたくなります。
2019.03.15
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というフォルクローレコンサートが、日曜日に開かれました。何とか春を呼びたいなという事情があって、賛同した人たちが集まったコンサートです。私もできれば出たかったのですが、70年代80年代から日本のフォルクローレの歴史を背負っているような、超超超ベテランの演奏者が大勢出るので、思わず遠慮してしまいました。(実際、途中休憩なしで3時間以上ぶっ通しだったので、これ以上出演グループを増やすのは無理だったでしょう。)最初はYMSサクセション・トリオ。ケーナ奏者の菅沼さんと奥さん、それにチャランゴの石野くんのトリオです。グルーポ・マニャーナ。秩父で活動するグループ。Los hijos del sol naciente y Grupo Kazoku(「太陽の子どもたち」と「グループ・家族」の混成)ルセリート。昨年、彼らと一緒に演奏したことがあります。Hihos del sol naciente y Marinera mi alma(「太陽の子どもたち」と「魂のマリネーラ」の混成)ロス・ボラーチョス。Tシャツが生ビールイラストです。グループ名も「よっぱらい」の意味。東海混成旅団Chasqui、今回のコンサートのために結成されたグループだそうで(ただし、個々のメンバーは超ベテラン)、名古屋から来たています。Radical Andes Conection 今回出演者中もっとも過激なグループ。ケーナのYoshioさんのパフォーマンスは、なかなか凄いものがあります。リオ・アンディーノロス・ヤマタイコス。実は、私inti-solは、彼らの助っ人として数回演奏に参加したことがあります。80年代から活動しているグループです。URKウクス。先日の八王子のコンサートで初めてご一緒させていただいたグループです。「美女と野獣とジェントルマン」だそうです。アコ・イ・チミ。歌が素晴らしかったです。本当は、ここにケーナも加わると更に素晴らしいのですが。キントスーヨグルーポ・ミスティ。「フォルクローレ」「アンデス」といった場合、日本の世間一般的にはペルーを思い浮かべる人が多いと思いますが、実際には日本で演奏されるフォルクローレは、圧倒的にボリビア・スタイルのものです。その中で、数少ない正統的ペルースタイルの音楽を演奏するグループが、このミスティです。「みゆくま」さんの歌は圧倒的です。彼らの結成25周年コンサートが2014年に開催され、当時記事を書いた記憶があります。したがって、今年は結成30周年ということになります。ただ、25周年コンサートの後はは活動休止状態で、今回このコンサートのために、笛は抜きながら再開とのことです。私の隣の席にいたペルー人の家族連れが、正確な表現は忘れましたが、大要「本物のペルー人みたいだ」と感嘆していました。ロス・アビオネス。これまた超ベテラングループ。チャランゴを弾く富谷さんは、北ポトシの鉄弦チャランゴの、日本における第一人者です。キントスーヨ。ペルー人の舞踊グループ。彼らとは、2015年に東大和市でのコンサートで共演したことがあります。キントスーヨ超超ベテラン勢が目白押しの中、トリは、ルシア塩満さんのパラグアイ・アルパ。伴奏陣はギター菅沼さんの奥さんと小黒さん(3人とも70年代から演奏している、日本フォルクローレ界の生ける歴史)、笛が「グルーポ・カンタティ」の武田さん(彼だけ大幅に若い)、普段は絶対に見られない組み合わせの編成での演奏でした。福田千文さんのマリネーラ。今回のコンサートの音響全般を取り仕切ったのは、ペルー出身のケーナ奏者、イリチさんでした。ほんと、春が来るといいなあ、いや、きっとくるに違いない。
2019.03.13
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報じられない安倍発言「わたしが国家」/政界地獄耳首相・安倍晋三の批判がネットにあふれようと、過去の選挙での勝利、最近の支持率の上昇を見れば首相への期待が高いことは国民が認めることとなる。その理由に野党が弱いからだとか、ポスト安倍が周りに見当たらないなどの分析が説明されるがそうだろうか。不安定な経済の中、政治の混乱が生じてはガラスの経済が崩壊してしまうという奇妙なバランスを国民が維持しようとしているからではないか。その意味では安定している安倍政権は不安定を恐れて安定しているだけなのかも知れない。ところがこの政権はその安定を維持することに注力すべきところを人気の政権と勘違いして妙なことを口走ることがある。防衛相は沖縄の県民投票で「辺野古反対」の民意が示されたことに関し、「沖縄には沖縄の民主主義があり、しかし国には国の民主主義がある。それぞれに、民意に対して責任を負っている」と発言した。~今度は衆院予算委員会で立憲民主党・長妻昭が「統計問題を甘くみない方がいい。扱いによっては国家の危機になりかねない、という認識はあるのか」の問いに首相は「今、長妻委員は国家の危機かどうか聞いたが、わたしが国家です。総理大臣ですよ」と言い出した。発言は「『朕は国家なり』のルイ14世張りの絶対君主の発言」(野党幹部)だが、この発言を新聞は取り上げない。だから首相は頑張っているというニュースだけが支持者の心に届くのだ。知りたくない情報や興味のない情報だけを選んで求めれば、首相の支持は高止まりになるはずだ。本当に国民は首相の行状を見て判断しているのだろうか。---最高権力者を国家そのものと同一視するのは、専制国家の発想であって民主主義国家の発想ではありません。などということはいちいち説明の必要もないと思うのですが、もはや「私が国家」などという異常な発言が、当たり前のように首相や政権中枢の口から飛び出し続けている、にもかかわらず、国民がたいして反応を示さない、というのは異常な状況であるとしか思えません。引用記事自体が危惧を示すように、このような暴言をほとんどの新聞は取り上げていません。髪の紙面は分かりませんが、ネット上のニュース記事では、引用記事の日刊スポーツしか、この発言を報じていません。他の新聞はどうしてしまったのでしょうか。読売や産経は安倍政権のポチなので、このような発言を批判的に報じるはずがないとしても、それ以外の、安倍政権に批判的な新聞すら取り上げていない。思うに、安倍政権にはこの種の異常な発言が多すぎて、もはやいちいち取り上げるニュースバリューがない、言い換えればマスコミが不感症になってしまっている、ということなのではないでしょうか。でも、それでは国会中継など見ない(見ても、編集されたニュース番組程度)多くの国民には、安倍の国会での異常な言動を知らない、たいしたことではない、程度にしか思わない、ということになってしまいます。少し前に桜田五輪担当相が女子競泳の池江選手の白血病について「がっかり」などと発言したことについて批判が上がると、早速、安倍御用メディアからは発言の全文が紹介されて、「一部だけを切り取って批判するな」というような反論が行われています。「一部だけを切り取って批判するな」という主張自体は一利あると思いますが、それを叫んでいるメディアは、民主党政権時代にはどうだったのか。「暴力装置」発言、「放射能つけちゃうぞ」発言、「法務大臣は二つの言葉だけ覚えておけばいい」発言・・・・・・・。みんな、「発言の一部を切り取って」マスコミの猛攻撃を受けた。それどころか、鉢呂経産相の「放射能つけちゃうぞ」発言に至っては、発言自体がなされておらず、捏造だったようです。にもかかわらず、同じ文脈中に発言した「死の街」ともども批判されて、辞任に追い込まれています。私も、民主党政権には、一瞬期待を抱いただけに、その後大いに失望を味わいました。とりわけ野田政権には絶望しかありませんでした。その評価自体は今も変わりませんが、同時に「それでも安倍よりはマシだった」とも思っています。それはともかく、民主党政権時代は発言を切り取りまくって批判していたのに、安倍政権では「切り取って批判するな」などと言っているメディアは、いったい何なのか。語るに落ちた、としか言いようがありません。「私が国家」などというトンデモ発言をを報じようともしない御用マスコミに守られながら、安倍政権は自由と民主的制度を破壊して、日本を奈落の底に突き落としていくのでしょうか。まったく絶望的な気分になります。
2019.03.11
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陣馬山から高尾山まで縦走してきました。実は直前まで遠方の雪山に行こうと思っていたのですが、今月、色々と大きな出費があったことから、前夜、不意に計画変更。もっとも、このルートは以前からずっと歩きたいと思っていました。最初は高尾駅から陣馬高原下バス停までバスで行くつもりだったのです。しかし、バスの待ち時間が30分くらいあった。そして、高尾駅で大月方面行きの列車の横をとおって改札に向かうあいだに、不意に気が変わって、その列車に乗ってしまったのです。なので、藤野駅から歩きはじめることになりました。藤野駅から陣馬山登山口までバスもありますが、1時間に1本で前のバスが出た直後だったので、駅から歩きました。歩き出してすぐ、いきなりトンネルを通過。藤野駅を歩き出したのが8時10分頃、登山口のバス停は8時40分頃に通過しました。登山口のバス停からかなり登ったところまで、民家があります。陣馬山の山頂。10時着。陣馬山は、遠い昔、高校生のとき生物の先生と一緒にナイトハイクで登ったことがあります。そのときは、何しろ夜だし遠い昔なので、登り口やルートの記憶がまったくないのですが(おそらく小仏峠から景信山経由と思います)、最後に陣馬山で夜明けを迎えたことは覚えています。それ以来三十数年ぶり。このモニュメントは、高校生のときに登った三十数年前、既にあったのだと思います。何となく記憶にあります。富士山。丹沢が雪をかぶっている!!写真では光の加減で若干分かりにくいですが、肉眼では丹沢に雪が積もっていることがはっきり分かります。先月塔ノ岳に登ったときは雪はまったくありませんでしたが。多分、先週東京で雨が続いたとき、山では雪だったのでしょう。ちょっとだけ、先月塔ノ岳に登ったときに陣馬山~高尾山に登って、今日は塔ノ岳にすればよかった、という思いが脳裏をかすめました。そんなことを言っても仕方がないけど。そして10時20分頃陣馬山を出発。景信山に11時40分頃到着しました。陣馬山の山頂から景信山にかけて、登山道はぬかるみが多く、ドロドロです。景信山は2016年の秋に来たことがあります。ここで昼食。かなり人がいました。陣馬山の山頂より人は多かったです。(時間帯の差もあるでしょうが)眼下に首都圏の市街地が広がっています。案内板。陣馬山から景信山まで5.9km、高尾山までは4.2km。藤野駅から登山口までが2kmくらい、登山口から陣馬山頂まで5km、高尾山頂から高尾山口まで4km、しめて21kmあります。ただし、後述しますがわたしは一丁平からルートを間違えて大回りしてしまったので、多分それより1km近く余計に歩いていると思います。一丁平からの展望。そしてここで・・・・・・一丁平で、例によって例のごとく笛を吹きました。今日は雪山ではないので装備も少なく、ザックの容量に余裕があるので、ケーナ2本とケナーチョ、サンポーニャのマルタ(小さいほう)とサンカ(大きいほう)、普段の演奏に使う笛を、マルタの半音管以外は全部もってきました。ただ、疲労のせいか、最初はよかったのですが、だんだんケーナの音がかすれて、若干欲求不満。そして、このあと、ルートを間違えて大垂水峠のほうに向かってしまいました。途中で高尾山方面への登山道と合流するので、事なきを得ましたが、これで多分1kmくらい余計に歩いたのではないかと。笛の練習に30分以上、ルート間違いで15分か20分余計な時間がかかってしまいましたが、2時46分頃高尾山に到着。事前に思ったほどには、人は多くなかったです。景信山の3割増くらい。最初はこの縦走、高尾山→陣馬山にするか、陣馬山→高尾山にするか、ちょっと迷ったのです。結果的に、今日は陣馬山→高尾山で正解でした。というのは、ドロドロのぬかるみ道が、比較的登り斜面に多い印象だったからです(あくまでも印象です)。逆コースだったら、下りにドロドロ道が多くなっていたはずです。高尾山からの下山は自然研究路4号路高尾山口に3時50分頃到着。ソフトクリームが美味しかった!!最後はだいぶペースが落ちました。さすがに距離21kmは遠かったです。ただし!帰宅後に最大の疲労原因が発覚。登山靴に中敷を入れ忘れて歩いていました。景信山辺りから、足の裏が痛いな、とは思っていたのですが。疲労と足の痛みの原因の半分は、これだったかも。鳥の写真も撮ろうと18-300mmのレンズを持っていったのですが、歩行距離が長くてゆっくり歩いていられないので、鳥の写真はほとんど撮れませんでした。
2019.03.09
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5日に市ヶ谷のセルバンテス文化センター(スペイン語、スペイン語圏の文化を海外に紹介するためにスペイン政府が世界中に設置している文化センター。その中でも東京が最大の規模だそうです)に映画の試写会を見に行ってきました。見たのは、アルゼンチン現代史の暗部「汚い戦争」を取材したドキュメンタリー「天から落ちてきた男」です。1975年のある日アルゼンチン北西部のトゥクマン州の山の中で、上空を飛ぶヘリコプターから、人間が落とされました。どこの誰とも分からないその遺体はその場に埋められたものの、やがて村人たちの間で「奇跡をもたらす聖人」として崇められるようになります。しかし彼らは、その遺体の身元は知らなくても、なぜ落とされたのか、その本当の理由には気付いていたのです。ただ、それを公然と口にすることは、怖くてできなかったてだけで。やがて時代は変わり、2010年にこの遺体は掘り出され、DNA鑑定によって、身元が特定されます。貧しい林業労働者から、やがて労働組合活動のリーダー格となった彼は、クーデターの前後に軍に捕らえられて、ヘリコプターから突き落とされて殺されたのです。彼には、奥さんと6人の子どもがいたことが明らかになります。彼の生前は、貧しくとも、明るく仲の良い家庭だったようです。しかし、残された妻と6人の子どもたちのその後の運命は、涙なしには見られません。アルゼンチン軍政時代、通称「汚い戦争」については、かなり以前に記事を書いたことがあります。汚い戦争軍部による反政府的か人物の拉致、暗殺の犠牲者は3万人と言われ、しかもその多くは闇から闇に消されたため、行方不明のままとなりました。この、アルゼンチン現代史の闇を正面から取材し、しかも決して暗い内容でも糾弾調でもない、素晴らしい映画でした。最後のテーマ曲が、アルゼンチン・フォルクローレ界のスーパースター、ペテコ・カラバハルが歌っていて、びっくりしました。考えてみれば、年代的に彼もまだ若き日に恐怖の軍政時代を経験しているのです。それにしても、私のスペイン語力では、字幕がないと2割も分かりません。(でも、この人は地元の人だな、この人はブエノスアイレスの訛りだな、というのはわかったりするのですが)というわけで、字幕制作は八木啓代さん、その費用を、私も少しばかり寄附したので、この日の試写会に参加させていただいたのでした。八木さん、素晴らしい映画をありがとうございます。映画終了後、モデスト・ロペス監督のトークと、質疑応答がありました。通訳は八木さん。映画撮影中のエピソードとして、事前にカメラの前で話をする了承を得ていた証言者の中にも、いざとなったら家族に「もしまた軍政になったら、軍に目を付けられて殺されるかもしれないからやめてくれ」と反対されて、急に出演を尻込みした出演予定者もいた、という話が印象に残っています。既に軍政が倒壊してから36年も経過していますが、それでも軍政が残した恐怖の痕跡は、それほど深刻ということです。その後、更に参加者の懇談会。ワインが振舞われました。(すぐになくなってしまいましたけど)知人が何人か来ていました。監督と八木さんのツーショット。モデスト・ロペス監督は1945年スペイン生まれ、幼少時に両親とともにアルゼンチンに移住、1981年には更にメキシコに移住していますが、その経過は事実上の亡命だったそうです。つまり、ロペス監督自身も、アルゼンチン軍政の弾圧から、辛くも逃れた体験の持ち主、ということです。上映予定などはこちらに。
2019.03.07
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24時間のコンビニが「ブラック化」する構図大阪のとあるセブンイレブンの店舗が、本部の指示に反して24時間営業を中止したことがメディアで大きな話題を呼んでいる。午前1時から6時までは店を閉め1日19時間営業に変更した理由を、オーナーは「人が足らず(店が)回らない。時給を上げるのも限界がある。このまま24時間営業を続ければ、私が倒れるしかない状態だった」と語っている(朝日新聞 セブンイレブン「24時間営業限界」 FC店と本部対立)。消費者からしてみれば、24時間365日いつ行っても確実に空いているほうが便利だと感じる。しかし、まさにその24時間営業が、オーナー、店長、アルバイト全員に対するブラックな働き方を強要しているのである。ーーー今を去ること四半世紀前、私はあるスーパーマーッケットのチェーンで働いていました。最初は店舗で、それから東京本社にもいて、4年で退職して転職しました。その頃は大規模店舗法の縛りで、スーパーの設置や営業については、地元の商店街との合意が求められていたため、各スーパーの営業時間は比較的短いものでした。私がいたお店は、確か10時開店7時閉店、夏冬の繁忙期に限って30分延長だったと記憶しています。店休日も、12月など繁忙期をのぞけば月に2日あったように記憶しています。時代は変わり、今は私のいたスーパーの営業時間はなんと夜中の1時です。(同じ会社でもほかの店舗は10時まで営業が多いようですが)。当時だってスーパー業界は、今でいうブラック労働(という言葉は四半世紀前はまだなかったけど)の巣窟でしたが、あの会社に勤めていたのが今の時代じゃなくて、まだよかったと思います。それでも、多くのスーパーには開店時間と閉店時間がありますが、しかし24時間営業のコンビニには、それすらありません。確かに、24時間いつでも営業しているコンビニの存在は、生活を便利にしてくれます。しかし、その便利さが、どれほどの負担の上に成り立っているのかも、考える必要はあるでしょう。働くものにのしかかる、長時間労働という大きな負担、一晩中つけっぱなしの照明。その一方で、お客さんと売上はどうでしょう。私は夜中にコンビニに行くことは基本的にありませんが、近くを通過することはあります。それから、山登りに行くときなどは、早朝(朝5時頃)にコンビニに行くことはあります。そういうときは、まずガラガラです。私以外のお客さんがいるのを見ることは、ほとんどありません。一部繁華街などを除けば、深夜の時間帯の営業で、採算がとれているようには、とても見えません。24時間営業は便利と言っても、実際に真夜中に買い物にいく人は、繁華街など一部例外をのぞけばそう多くはありません。あれば便利、ではあっても、なければ困る、というほどではありません。どうとでもなることです。しかも、都市部なら、コンビニはあちこちに林立しているので、そのうち5店に1店くらい営業していれば、ちょっとした不便すらないのが現実です。その程度の「ちょっとした便利さ」のために24時間営業を維持するのは、私にはサービス過剰としか思えません。しかし、引用記事の先の方を読み進むと、それでも、セブンイレブン本部が24時間営業を強要する理由が分かります。粗利のうちの半分を本部がロイヤリティとして持って行く仕組みなのだそうです。売上から仕入れ原価を引いただけの粗利の半分を本部が持って行き、残りの半分からお店が人件費や光熱費等の経費を払う、つまりよほど大量の廃棄ロス(売れ残り)を出して粗利の時点でマイナスになるようなことがない限り、1時間に売上が100円にすぎなかったとしても、営業している方が本部の儲けが多くなるわけです。それにしても、このような仕組みで24時間営業の負担はすべてフランチャイズ店に押しつけ、利益だけを本部が得る仕組みで、それをいやだと思っても、契約を盾にして1700万円もの違約金で脅して、24時間営業を強いるのは異常なこととしか言いようがありません。これ、本当に24時間営業をしないことを理由に契約解除して、違約金1700万円を請求したら、裁判で公序良俗違反で契約無効になるのでは、と思います。今までそんな裁判は行われたことがないから、法的妥当性が問われなかっただけじゃないか、と。素人なので、間違いかもしれませんが。いずれにしても、セブンイレブンに限らず、各コンビニとも、営業時間について、各フランチャイズ店オーナーの裁量に任せ、24時間営業を強制しないようにすべきです。そうでなければ、将来的にコンビニを開業しようというオーナーはいなくなってしまうでしょう。
2019.03.05
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維新・足立氏が野党共闘巡り「破防法」言及 議場は騒然日本維新の会の足立康史氏が2日未明の衆院本会議で「破防法の監視対象と連携する政党がまっとうな政党を標榜するのはおかしいと考えているし、そう思う国民は少なくない」と発言した。共産党と立憲民主党など野党の共闘を批判する文脈の中での発言で、一時、場内が騒然となった。足立氏は政府提出の地方税法改正案などに対する討論の中で破防法に言及した。安倍内閣は2016年3月22日、国会議員の質問主意書に対し、共産党を「現在においても、破防法に基づく調査対象団体である」と指摘する答弁書を閣議決定し、共産党が猛反発した経緯がある。維新の馬場幹事長は2日、足立氏の発言について「事実であり何ら間違ったことは言っていない」と記者団に述べた。一方、共産党の小池晃書記局長は「(政府が)破防法に基づいて(共産党を)調査してきたことは事実だが、暴力破壊活動の恐れは一度も認めることはできなかった。時代錯誤の攻撃だ」と反論。さらに「国会の場を利用して公党に対し事実無根の攻撃、野党共闘に対する誹謗中傷を行うのは政党としての立場が問われる」と述べた。---わたしは共産党の党員でも熱烈な支持者でもないけれど(選挙において2回に1回程度の割合で投票している、という限りでは、「半分支持者」と言えるかもしれません)、足立のこの言い分は酷いというしかないでしょう。自民党政権が共産党を敵視して、それに基づいて公安調査庁が共産党を調査対象としてきたこと自体は、共産党の小池自身が認めているように、事実です。しかし、だからなんだというのでしょうか?調査対象にすること自体は、当局の胸先三寸でどうとでもすることができます。それは、自民党政権にとって、共産党がもっとも警戒すべき敵と看做されている、ということは意味しても、共産党が何か「破壊活動」を行っている、ことを意味するわけではありません。何か破壊活動を行っているなら、そのような調査結果が出ているはずですし、具体的な犯罪捜査が行われるはずですが、そのような事実はまったくありません。確かに、共産党が今から60年以上前に、「武力闘争」方針を掲げた時期はあります。でも、それは党が分裂して混乱状態にあった時期のことで、共産党自身が1955年に誤りだったと自己批判しています。武力闘争放棄を潔しとしない党員は、それを機に自ら党を離れるか除名されるかしたわけで。それ以降の64年間、共産党が武力闘争を志したことはありません。つまり、公安調査庁の「調査対象」というのは、実際には特段の危険がないにもかかわらず、大昔の蹉跌を理由に、未だに危険視を続けている、ということに過ぎません。むしろ、それは歴代の自民党政権から見て、共産党がもっとも「都合の悪い」政党だということを意味しているように思えます。危険、といえば危険かもしれません。その意味は「違法活動の可能性」ということではなく、自民党やその亜流政党がよしとする政策とはもっとも異なった政策、自民党らの進めようとする方向に対して、もっとも障害になりそうな存在、ということです。そういう意味で「危険視」されることは、むしろ誇るべきことかもしれません。「敵」として高く評価されているわけですから。一方で、こんなことで政府の尻馬に乗って安倍政権に媚を売るような国会質問をしている足立と維新の党。これは自民党の亜流、実質的には自民党内の一派閥のようなものです。現政権にとっては、ある意味人畜無害、まったく危険性のない存在、ということになるでしょう。もっとも、政権に対して批判的な視点を持たない野党という存在は、民主主義の健全性という意味では危険な存在としか私には思えません。
2019.03.03
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報告が延び延びになってしまいましたが、先週土曜日、演奏してきました。この日の演奏は30分の予定でしたが、実際には9曲演奏し、更にアンコールが2回かかってしまったため、ほとんど1時間近く演奏しました。その中から、Viento del sur (南からの風)です。ボリビアの曲です。日本では(スペインでも米国でも)南風とは温かい風ですが、ボリビアは南半球なので、南風は寒い風になります。そういうイメージの曲です。イベント自体は・・・・・・会場は、前回出たときは、JR山手線大塚駅近くの貸しスペースでしたが、その後閉店になったらしく、目黒のCafe y libros(「カフェ・イ・リブロス」コーヒーと本、という意味)に会場が変わりました。以前、別のグループでこのイベントに出たときもこの会場だったので、また戻ってきたわけです。会場はボリビア一色。ボリビアの国旗をあちこちに飾っています。我々が演奏したステージはこちら。「キラ・ウィルカ」は最近は生音の場所でしか演奏していなかったので、PA付は久しぶりでした。最初は、ボリビアの踊りのワークショップ。このときの踊りのテーマは「ティンク」でした。演奏者も一緒に踊る(踊らされる(?)ので、演奏前に既にヘトヘトに)ちなみに、ティンクというのはこんな踊りです。本来は、これはお祭りです。喧嘩まつりなどと言われることもありますが、殴り合い(時には女性同士でも)という、かなりの奇祭で、死者が出ることも稀ではありません(もっとも、死者が出る奇祭と言えば、日本でもだんじりとか御柱祭とか、結構ありますし、本質的にはまつりと喧嘩は紙一重、とも言えます)。このお祭りの様子を模して踊りにしたのが(あるいは、元々お祭りの中で踊られていたのかもしれませんが、その辺りは判然としません)、踊りとしてのティンクです。祭りはともかく、踊りとしての歴史はそう古いものではないようです。ワークショップの後は、ディスコタイム。ディスコといってもボリビア・フォルクローレの踊りばかりですけどね。このあと演奏があるので、さすがに、ところどころは踊りをサボりました。これは、チャカレーラの踊りです。アルゼンチンの国民的舞踊ともいえる踊りですが、ボリビア南部のタリーハでも人気があります。先ほどのティンクのように単純な2拍子系(実際には1拍子)の踊りは、私でもまあまあステップが踏めなくはない(踊れる、とはいいません、ステップが踏めるだけ)ですが、チャカレーラやサンバ、クエッカなど6/8拍子系の踊りは、私には手も足も出ません。伴奏しかできません。何しろ、かつて「inti-solくんってでくの棒みたい!演奏ができても踊れるってわけじゃないのね!」と言われたことがあるくらいの人間ですから(笑)そして、この後、アンコールを含めて11曲演奏し、さらに・・・・・・何故か椅子取りゲーム。もちろん、ボリビア・フォルクローレを踊りながらの椅子取りゲームです。景品は、写真を撮りそびれましたが、ボリビアの蒸留酒シンガニでした。でも、結局参加者みんなで飲んだので、勝っても負けても同じだったような・・・・・・。私は、早々に負けました。終了が夜10時頃。それで帰宅して翌日谷川岳に登ったわけです。前夜にこんなことをしていなければ、あと30分くらい早いペースで登れたかな?
2019.03.02
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