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「公明党に対する嫌悪感」を選挙現場で実感…自民党と公明党の“仲違い”が起きた原因自民党と公明党は1999年から連立を組み、選挙協力をしてきました。その選挙協力は、特に小選挙区制を採用している衆議院議員選挙の候補者調整で威力を発揮しています。~東京28区を巡って自民党と公明党の意見が対立。最終的に、東京28区には自民党の候補者が擁立されることになりそうですが、それで腹の虫がおさまらないのが公明党です。公明党は、次の衆院選で東京都の小選挙区限定ながらも自民党の候補者に推薦を出さないと明言。この方針は選挙協力の解消を意味します。この決定は永田町を駆け巡り、自民党と公明党の関係に亀裂が入ったと囁かれています。自民党と公明党の間に何が起きたのでしょうか?~2012年~以降、自民党と公明党は連立政権を継続してきたわけですが、必ずしも自民党支持者が公明党の選挙協力を好ましく思っていたわけではありません。そうした自民党支持者の公明党に対する嫌悪感は、選挙現場に行くと実感できます。自民党は、2012年の衆院選から選挙戦のラスト街頭演説は必ず秋葉原駅前で実施してきました。~秋葉原駅前では連立関係にある公明党の国会議員や都議会議員なども駆けつけます。~しかし、集まった自民党支持者は冷ややかです。公明党の議員がマイクを握ると、自民党支持者からは「公明党はいらない!」「創価学会は帰れ!」といったネガティブな声が飛びます。~自民党支持者は嫌悪感を隠しきれないほど、公明党・創価学会に対して不信感・嫌悪感を抱いているのです。その嫌悪感は、第二次安倍政権以降からあからさまになっていきました。特に、2014年の衆院選ラスト演説は異様でした。安倍晋三総裁と盟友の麻生太郎財務大臣が登壇した選挙カーには、「比例代表も自民党」という垂れ幕がかかっていたのです。小選挙区で自民党に協力する見返りとして、公明党は自民党支持者から比例票を入れてもらっていたわけですが、この垂れ幕の文言はその協力関係を壊しかねないものでした。それでも自民党と公明党の選挙協力が威力を発揮しているうちは、そうした自民党支持者の声や垂れ幕の文言は不問にされていました。大きな転機になったのは、大阪での公明党の立ち位置が変化したことです。~公明党は「2020年の大阪市を廃止し特別区を設置することについての投票、いわゆる大阪都構想を推進する立場を取りました。大阪都構想は維新が一丁目一番地に掲げる政策ですが、公明党は推進する見返りとして「次の衆議院選では公明党候補が出馬する小選挙区に維新が対抗馬を立てない」という密約を交わしていました。(以下略)---三宅島の鳥写真は次回に回します。自民党も公明党も大っ嫌いな私としては、自公連立の破綻は大歓迎です。引用記事にあるように、自民党と公明党の間に、もはや修復困難なくらいのわだかまりがあることも事実のようです。が、少なくとも当面の間、この破綻は東京での選挙協力解消という以上の事態にまでは発展しそうにありません。対立と言えば、自民党内でも修復困難なくらいの内部対立はいっぱいあります。それでも自民党が分裂したりはしないわけです。引用記事はヤフーニュースなので、そのコメント欄にはネトウヨ系のコメントがたくさんの「いいね」をもらっています。そこには確かに、公明党への憎悪が満ち溢れていますが、一番笑えるのは、「公明党の力を借りなければ落選するような人は落選してもらって結構」とか「選挙協力なんて邪道だ、各党候補者調整などせずに戦うべき」といった趣旨の意見です。いや、私も自公に対してはそうしてほしいと願っていますよ、理由はもちろん自公が敗北してほしいからですが。当たり前の話ですけど、政治家、立候補者というのは、当選のために全力を尽くすものです。落選のために全力を尽くす候補者なんてものはいません、とりわけ自民党には。野党の場合、本人自身は落選前提という立候補はありますが、それもあくまでも所属党派の勝利のためという前提です。そうであれば、少しでも多くの票が欲しい、協力してくれる党派があるなら大歓迎、というのは、政治家としての生存本能みたいなものでしょう。そもそも、程度の差はあれど、政治の基本は選択と集中です。国民の意見というのは、本来は日本の総人口の分だけあるはずです。しかしその意見を代表して国会に議席を持つ政党は、十指に満ちません。主張の異なる政党同士の協力なんておかしいと言い出せば、高市早苗や杉田水脈と、岸田首相、河野太郎が一つの党にまとまっていること自体がおかしいのではないでしょうか。安倍政権時代、選挙最終日に秋葉原前に集結していた連中、あるいはヤフコメにいる連中もそうですが、彼らは自民党支持層の中でもとりわけ「保守層」(ネトウヨ層)に偏っており、自民党支持者や、まして自民党に投票する層の平均ではありません。彼らの意向のままに公明党と袂を分かって選挙に勝てる、と思うほどには、候補者たちは脳天気ではないでしょう。結局、すべての問題は小選挙区制の弊害に行き着くのです。小選挙区制においては、細かい主張の違いごとに袂を分かったら、当選などできません。「選択と集中」のインセンティブが、他の選挙制度より強く働く。遅ればせながら、野党側もそれに気づいたから、2015年以降野党共闘が成立したわけです。私も、小選挙区制は弊害ばかりの最悪の選挙制度だと思っています(そのことは、過去何度も当ブログで書いてきました)。その最悪の選挙制度の元で勝利するにはこれしかない、というやり方が自公連立であり野党共闘です。それに、小選挙区制のままで選挙協力なしの各党ガチンコ勝負をやった場合、民意の反映という意味で大きな問題が生じます。すでに先日の衆議院補選でいくつかの選挙区で起こっていますが、有力候補が3人以上で争うと、当選者の得票率は5割を切ります。千葉5区の当選者の得票率はわずか31%でした。ということは残り69%の票は死票になったわけです。この状態が日本全国大半の選挙区で起こる。そうなってしまったら、選挙はもはや、政治ショーの一種ではあっても、民意の反映でも民主主義の発露でもないものになってしまいます。繰り返しますが、諸悪の根元は小選挙区制であり、比例代表制か、せめて中選挙区制ならば、そんなおかしなことにはなりません。ただ、次善の策ではあれ、各党が選挙協力を行うことで、当選ラインが得票率5割かそれに近いところまで上がれば、「まだしも多少はマシ」ではあるのです(もちろん、得票率49%で負けたら投票者の声は無視でいい、とは思いませんが、それでも6割7割が無視されるよりはまだマシです)。自公連立は、私の主義主張の上ではまったく腹立たしい限りで一刻も早く下野してほしいとは思いますが、個人の政治的主張は措いて、選挙協力によって当選者の得票ラインが上がることで、より多くの票が議席に反映されるのは、例えそれが選択の余地なく嫌々投じた票であっても、死票が大幅に増えることに比べれば、民主主義の理念上は正しいことです。選挙制度を比例区のみ、あるいは中選挙区制にした上でなら、選挙共闘など邪道、というのは理解できます。しかし、小選挙区制のままなのに選挙共闘なんかするな、というのは、民意の反映、民主主義の理念を破綻させる上に、そんなことを言ったところで政治家が従う訳がないのです。それは自民党、公明党に対する好悪とは別次元の問題です。
2023.05.31
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前回の続きです。三宅島空港から望む御蔵島。そうこうしているうちに、東邦航空の愛らんどシャトルが大島からやってきました。ヘリコプターでも、滑走路に着陸して誘導路を駐機場に移動するんですね。駐機場に直接着陸はしないのは知りませんでした。(我が人生で、まだヘリコプターに乗った経験はありません)しかし、乗客の降機も搭乗も誰もおらず、ヘリはそのまま御蔵島へと飛び立ちました。その時は乗客は誰もいないのか、と思いましたが、後で写真を見たら、大島から御蔵島まで行くと思しき乗客が乗っているようでした。更に走っていくと、三宅島の東岸にて、噴火口がありました。1940年の噴火口だそうです。こうしてみると、三宅島は、1940年、62年、83年、2000年と、20年おきに噴火を繰り返しています。40年から83年までの3階の噴火は、いずれも溶岩が海まで流れ落ちており、道路の寸断や家屋の焼失が起こっています。むしろ2000年の噴火は溶岩の噴出はなかったものの、噴煙、火山弾、火山ガスの噴出が激しく、全島避難となったことは記憶に新しいところです。なかなか激しい火山活動の島です。そして三宅島の北端近くにある本日の宿「ペンション花海月」に到着。荷物を置き、一休みしたあと、カメラと双眼鏡だけ持って伊豆岬へ。この日2度目の伊豆岬。荷物が軽いと自転車もこんなに楽か、と思いました。元社会党委員長、「人間機関車」と称され、1960年安保闘争時に右翼少年に刺殺された浅沼稲次郎が三宅島出身であることは知っていましたが、銅像と生家が残っているようです。行ってみたのですが見つかりませんでした。後で調べると、すぐ近くまで行っていたようです。惜しいことをしました。ペンションでの夕食。魚中心で、すごくおいしかったです。翌朝朝食は8時というので、5時前に三度伊豆岬へ。戻って朝食をいただき(朝食は魚介類ではない洋食でした。自家製パンが美味しかったです)チェックアウト後、自転車で伊豆岬を経てまた大路池へ。その途中錆ヶ浜港を通過した時点で三宅島を自転車で一周したわけです。しかし、大路池付近は携帯が圏外なのです。本日の船の入港先がすぐに分からず※、しかし波は穏やかなので多分錆ヶ浜港だろうと思い、気楽に構えていたところ、11時15分頃なんとか携帯の電波が拾えるところまで行って調べたら、何とこの日の入港は伊ヶ谷港。さあ大変。自転車を必死に漕いで錆ヶ浜港に戻ります。途中のバス停で時刻表を見たら、バスの通過時間が10分後に迫っている!でも、何とかその10分の時間差を守りきって錆ヶ浜港に到着、大急ぎで自転車を観光協会に返却し、自宅へのお土産に鯵の開きを3尾購入してバス停に駆けつけたら、結局バスは5分以上遅れて来たので、かなり余裕がありました。※三宅島には客船が接岸できる港が3つあり、そのどこに入港するかは2時間前に決まります。ただ、メインの港は錆ヶ浜港で、客船ターミナルもいちばん立派です。伊豆諸島には入江がほとんどなく、港はいずれも外洋に面しています。このため、三宅島は3つ、八丈島は2つの港から波の穏やかな港を直前に選ぶことで、欠航率を下げているのです。三宅島はの欠航率は1割未満ですが、港が一つしかない御蔵島の欠航率は4割にもなります。御蔵島行きたいけど、 短い休みをやりくりして行くのはリスクがあります。伊ヶ谷港に到着。なにもないところで、飲食店もないことは事前に把握していました。錆ヶ浜港で昼を食べて乗船のつもりが、すべて予定が狂いました。ここで1時間以上船を待ちます。小さな小さな客船ターミナル。飲料の自販機があるだけで、しかもこのときは故障中でした。周囲を散策します。近くに墓地がありました。流刑地として八丈島が有名ですが三宅島も流刑地でした。江島事件の生島新五郎の墓がありました。で、流刑地で更に悪事を重ねると、ここで・・・・・・。冤罪や弾圧もいっぱいあったのでしょうけど。こんな離島の村ですが、言うまでもなく東京都であり、車はみんな品川ナンバーです。日本の原風景は照葉樹林と言われますが、実際には照葉樹林帯は人口密集地と重なるため、本土に大規模な照葉樹林は残っていません。しかし、伊豆諸島には照葉樹林が大規模に残っています。杉などの植林は見当たりません。そういう意味で、日本の原風景をもっとも良く維持しているのが伊豆諸島かもしれません。橘丸が入港してきました。乗客は、見たところ釣り客が多かったようです。船って、何度乗ってもワクワクします。飛行機もそうですが。さようなら三宅島。また来るでしょう。二等和室は10人部屋で、乗客は私だけ、一等より広いかも。往路は10人部屋に3人でしたが。本土です。房総半島の先端でしょうか。ビルが林立しているので、違うのかな?(野島岬とか、千葉の先端部に余りビル群が林立している印象はありませんが)4時半頃までは海鳥の撮影をしていましたが、さすがに体力の限界となり、船室に戻ると8時過ぎまで爆睡してしまいました。往路の夜行より復路の昼便の方がよく眠れる謎(笑)いや、単に疲労度の問題ですけど。来年か再来年、また三宅島行きたいです。鳥写真は別途後日にアップします。
2023.05.29
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三宅島に行ってきました。2021年以来2年ぶり。前回は夜行日帰りの強行軍でしたが、今回は島内に1泊しました。主目的は鳥撮影ですが、鳥の写真は後日にして、まずは鳥以外の写真から。木曜夜、竹芝桟橋にて。橘丸に乗船です。レインボーブリッジ下をくぐります。翌26日早朝、三宅島。三宅島に到着しました。錆が浜港に入港船の到着に合わせてバスが出るので、それに乗ってまず伊豆岬に行きました。2年ぶりの伊豆岬雄山を望みます。いったん錆が浜港に戻り、観光協会で自転車を借りました。大路池のバードサンクチュアリ、「アカコッコ館」。一昨年はコロナの影響で建物は休館でした。大路池大路池南に御蔵島を望みます。ここにも行ってみたいですが、港が1か所しかないので就航率が低く、限られた日程で行くのはなかなか怖いです。道は整備されていますが、アップダウンが多く、電動アシスト自転車と言ってもなかなかきついです。背中と腰に10kgくらいの荷物(カメラ本体と望遠レンズ、双眼鏡で合計2kg以上あります)を担いでいると、立ち漕ぎが難しいです。実は2輪免許を取って以来久しく自転車に乗っておらず、素手でハンドルを握るのにすごい違和感あり、バックミラーがない!(笑)、ブレーキが全然効かない(自転車のブレーキって、こんなに弱いものだったかな。スピードを出している下り坂とか、全然止まりません)、色々忘れてました。更に走っていくと、三宅島空港に着きました。このあたりですでにヘトヘト。しかし、空港ターミナルは超ミニスケール。東邦航空と新中央航空が就航しています。東邦航空は、登山好きなら知っているでしょう。山小屋への輸送を手掛けるヘリコプター会社です。そう、2社のうち1社はヘリ便です。もう一つの新中央航空もプロペラ機(ターボプロップ)による就航です。滑走路が1200mしかないのでジェット機は就航できませんし、そもそもジェット機が飛ぶほどの需要がありません。伊豆諸島では大島、新島、三宅島、八丈島に空港がありますが、ジェット機が飛んでいるのは八丈島だけです(大島空港もジェット機離着陸可で、過去にごく短期間ですがANAのB737が就航していた時期があったようですが、現在はプロペラ機のみ)。保安検査場、誰もいません。売店とか食堂は一切なく、唯一飲料の自販機が入り口にあるだけです。自転車でヘトヘトでのどがカラカラだったので飲み物を購入しました。ヘリと小型機で1日数便しかない超小型空港ですが、火災に備えて空港用の立派な化学消防車は待機しています。というか、三宅島の消防署は空港に隣接しているようです。先ほどの化学消防車は東京都ですが、こちらは三宅村消防本部となっています。以下次回に続きます。
2023.05.27
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「目はくりぬかれ、胸が切り取られていました……19歳だったのに」戦争をきっかけに「子どもが産めなくなった女性」も…史上最悪の戦争「独ソ戦」の過酷さ人類史上最悪の戦闘とも言われる「独ソ戦」(1941~1945年)とはどんな戦いだったのか?1941年6月22日、硬直した対英戦線の打開のため、ドイツ軍は国境を越えソ連へとなだれ込みました。人類史上最大、最悪の戦争といわれる独ソ戦の始まりです。ヒトラーとスターリン、冷酷な独裁者同士の殴り合いは情け容赦が一切なく、投下された火力と共に、蕩尽された人命も桁違い。戦争を通じて、ドイツは400万~600万人、ソ連は1500万人~3000万人の死者を出したといわれています。戦前、ソ連とドイツは不可侵条約を結んでいたため、ドイツの攻撃は完全な不意打ちとなりました。全戦線でソ連は敗退。「一つの世代が消えた」ほどの損失をおぎなうため、ソ連は戦争の初期から男の代わりに女性兵士を活用するようになります。その数は、80万人とも100万人ともいわれ、軍務も衛生指導員、狙撃兵、機関銃射手、航空兵、高射砲隊長、工兵など様々。その多くが志願してのもので、彼女たちは国のためというより、もっと魂に近い、かけがえのないもの、自分の生まれ育った土地を守るために、自ら戦場に赴きました。~奮戦する彼女たちの姿に、最初は反発していた男たちも次第に受け入れはじめます。戦闘に参加した女性たちは口をそろえて、男たちは立派で、敬意をもって接してくれたと語っています。男たちは砲弾が降ってくると、必ず女性をかばい、食料はまず女性に分け与えました。~男たちは戦争が終わると掌を返したように冷淡になりました。英雄となった男たちは、かつての戦友を結婚相手には選ばなかったのです。~戦争に行かなかった女たちはさらに辛辣でした。「で、戦地ではたくさんの男と寝たんでしょ? へええ!」「戦地のあばずれ、戦争の雌犬め」やっと帰った実家から母親の手でたたき出された女性もいます。そして、こうした仕打ちから男は女を守ってくれなかった。自分たちだけで勝ったような顔をして。(以下略)---独ソ戦といえば、「絶滅戦争」とも言われ、史上最悪の犠牲を生じた最悪の戦争です。引用記事にはソ連は1500万人~3000万人の死者を出したといわれるとありますが、かつてソ連の犠牲者は2000万人と言われていました。しかしソ連崩壊後に明らかになった資料によれば、これは過小評価の傾向があったようです。スターリンは第二次大戦後、米国との冷戦に際して自らの立場を強く見せるため、第二次大戦での被害の大きさをあまり大きく見せたくなかったと言われます。そのため、現在では旧ソ連の犠牲者数は約2600万人とされています。2000万にしても2600万にしても、主要都市が焼け野原になり2発の原爆が落ちた日本の第二次大戦の犠牲者数より1桁多いわけで、その凄惨さは想像を絶するものがあります。そのソ連で多くの女性が兵士、軍人として参戦したことは有名です。航空部隊では引用記事に女性エースパイロットであったリディア・リトヴァクの名がありますが、それ以上に「夜の魔女」と称された女性ばかりの夜間爆撃隊、第46親衛夜間爆撃航空連隊が有名です。その実績もさることながら、使用した爆撃機Po-2は、複葉布張り、最高速度150km/hという、第1次世界大戦レベルの超旧式機でした。日本で戦争末期に「赤とんぼ」九三式中間練習機(やはり複葉布張りの超旧式機)を使ったのに近い話です。夜間爆撃ということで、性能より飛行中の音量が小さく、発見され難いことを優先した選択だったようですが、ひとたび敵に捕捉されたらひとたまりもなかったでしょう。そこまでして多くの犠牲を払って戦争を生き残った女性たちに、戦後の社会は冷たかったようです。ただ、これは旧ソ連の女性に限った話ではないでしょう。日本でも、南方の玉砕の戦場から奇跡の生還を果たしても、戦後恵まれない生活を送った元兵士は多いです。米国でさえ、クリント・イーストウッドが監督した映画「父親たちの星条旗」によれば、すり鉢山の山頂に星条旗を立てる写真に収まったとされて一躍英雄となった6人の海兵隊員のうち、硫黄島からの生還者は3人だけ、そしてその3人のいずれも、戦後の人生はあまり恵まれなかったことが映画で描かれます。個人名を特定されて英雄として祭り上げられた3人ですらそうなのですから、ましてや悲惨な戦場から生還した無数の名も知られぬ兵士たちは察するに余りあります。戦勝国でもひときわ国力に余裕のあった米国ですらそうだったのですから、大量の犠牲を払い、国土を焦土としてやっと勝った旧ソ連における、元兵士の苦しみは容易に想像できます。その兵士の中でも、もっとも阻害されたのが女性兵士たち、というわけです。もちろん、これはドイツ側にも当てはまります。ドイツが攻め込んで始まった戦争ですから、ソ連としては応戦すること自体は選択の余地もない話でした(ただし、スターリンの粛清が軍の力を極度に弱め、人名軽視の拙劣な戦力によって犠牲が拡大したことは否定できません)。このような戦争がなければ失われずにすんだ命が、独ソだけでなく大平洋に至るすべての戦場をあわせれば、おそらく5000万人を優に越えるはずです。そして、この悲惨な戦争を糧として、戦後のドイツはファシズムと決別し(冷戦の間は重武装ではあったけれど)経済発展も成し遂げたのに対して、旧ソ連の方は、スターリンの最悪の粛清だけは繰り返すことはなかったけれど、ずっと独裁体制、半独裁体制が続き、経済力に見合わない重武装で、国民生活という意味でも恵まれない時代がずっと続いてきたわけです。ロシアのウクライナへの侵略の結末がどうなるか分かりませんが、この過去を振り返れば、ウクライナ側もロシア側も、戦った兵士たちの戦後に、幸多い未来は予想し難いのが現実です。一将功なりて万骨枯る、勝っても負けても戦争は多くの人の命を奪い、また心や体に癒しがたい傷を残します。悲惨としか言いようがありません。
2023.05.24
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LGBT法案、安倍元首相は「皇室の危機」に繋がることを懸念 伝統的な価値崩壊も 麗澤大学・八木秀次教授が振り返るLGBT法案について、自民、公明両党は2021年に与野党実務者がまとめた法案の修正案を国会に提出し、立憲民主党と共産党、社民党は修正前法案を共同提出した。安倍晋三元首相は2年前、同法案について「皇室の危機=皇位継承問題に関わる憂慮」をしていたという。麗澤大学の八木秀次教授に改めて聞いた。「安倍氏は、LGBT問題を重視・警戒していた。極めて深刻な問題といえる」きっかけは21年4月、八木氏は~安倍氏に「問題の所在」を説明したという。安倍氏は当時から、自らの性別を自身で決める「性自認」はじめ、多くの弊害に気づいていたという。八木氏は「当時の法案~に、安倍氏は『過激な法案だ』と認識していた。家族制度、婚姻制度への影響も憂慮していた。側近議員とともに、推進派に対抗する動きをつくった。反対する当事者団体を、自民党の特命委員会に呼んだ仕掛け人も安倍氏だった。議員会館の事務所に別件で尋ねてきた議員にも、LGBT法案への警告を伝えていた。~」中でも、安倍氏は「皇室の危機」にもつながる点を意識していたという。肉体は女性だが、性自認が男性の「トランス男性」を男性として扱うことになれば、皇位継承権者を「皇統に属する男系の男子」とする皇位継承の原理自体が崩れることを理解していたという。LGBT法案をめぐっては、自民党保守派だけでなく、女性団体やLGBT当事者の団体も、拙速な法制化に反対している。ラーム・エマニュエル駐日米国大使の「内政干渉」といえる言動も問題視されている。(以下略)---お決まりの内容なので、内容について詳細に論評はしません。ただ、LGBT法案が皇位継承権に影響を及ぼすという発想には仰天します。皇位継承権に影響があるから差別を温存すべきだ、というなら、皇室という制度は差別を温存しなければ維持できないものだと言っているに等しいのです。実際のところ、天皇制はその存在自体が差別的なものであり、国民一般の権利義務平等原則の枠外にあります。だから、すべての国民には職業選択の自由が保障されているのに、皇室の男性には職業選択の自由が認められていません。すべての国民に参政権があるはずなのに皇族には選挙権も被選挙権もありません。男女平等であるはずなのに、皇位継承権は男系男子にしか認められていません。したがって、LGBT法があろうがなかろうが、皇室典範が「肉体は女性だが、性自認が男性の「トランス男性」を男性として扱う」可能性はありません。LGBTの権利を保障することが皇位継承権に影響を与える、なんて言い出したら、「皇位継承権に影響を及ぼしかねないから女性の権利は制限すべきだ、男女差別はあるべきだ」「皇位継承権に影響を及ぼすから国民に職業選択の自由なんか認めるべきではない、身分制を復活させて職業は生まれで固定しなければならない」という理屈になってしまいます。内容のデタラメさにはもはや驚きませんが、私が驚くのは、この人たちが反LGBT法案にかけるエネルギーのすさまじさです。夕刊フジなんか、ひたすらこの問題を取り上げ続けています。そのゆがんだ情熱は一体どこから湧いてくるのでしょうかね。正直に告白しますと、私は、自分自身が異性愛者であるため、LGBT問題について特別に強い関心があるわけではありません。日本が抱える様々な諸問題の中で、最優先の課題である、と思っているわけでもありません(個人的には選択的夫婦別姓制の導入の方が優先度は高いと思っています)。ただ、最優先ではないにしてもいずれ解決されるべき問題ではあります。そして、選択的夫婦別姓制もそうですが、罰則のない法律を作るのにお金はほとんどかかりません。実際の差別をなくしていくにはなかなか地道な努力は必要にしても、法律を作ること自体はすぐにできることです。ならば、重要度は高くても敷居も高くてなかなか実現しない他の問題より先に、さっさと作ってしまえばいいではないですか。そうすることに何か問題でもあるのでしょうか。LGBT法案を成立させると他の問題の解決が遅れるわけじゃないのですから。それに、ネトウヨ連中が反LGBTをこじらせるのを見れば見るほど、この人たちの顔に思いっきり泥が塗りたくられるところを見てみたいと、そういう欲求に抗しきれないわけです。修正内容には極めて不満ではありますけどね。
2023.05.22
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維新・梅村議員の「ハンスト」発言 ウィシュマさん遺族が抗議日本維新の会の梅村みずほ参院議員が、名古屋出入国在留管理局で亡くなったスリランカ人女性について「ハンガーストライキによる体調不良で、亡くなったかもしれない」などと発言した。女性の遺族らは17日、記者会見を開き「発言は事実無根のデマ」として、梅村議員に発言の撤回と謝罪を求めた。梅村議員は参院本会議での入管法改正案の審議で2021年3月に亡くなったウィシュマ・サンダマリさんについて言及。「よかれと思った支援者のひと言が皮肉にもウィシュマさんに『病気になれば仮釈放してもらえる』という淡い期待を抱かせ、医師から詐病の可能性を指摘される状況につながった恐れも否定できない」などと主張した。遺族の弁護団は梅村議員に、この発言の根拠を尋ねる質問状を送付。質問に回答する形で梅村議員は16日、参院法務委員会で「事実はない。しかし可能性は否定できない」と繰り返した。また、ウィシュマさんの死因について「ハンガーストライキによる体調不良によって亡くなったかもしれない」との見方も示した。出入国在留管理庁が公表した調査報告書は、死因を特定できなかったとしている。ウィシュマさんの遺族らは17日、東京都内で記者会見を開いた。妹のワヨミさんは「姉が詐病ということは一切ない。強く抗議する」、ポールニマさんも「(亡くなる前のウィシュマさんの様子を映した)ビデオを見たら姉が苦しんでいたのは誰でも分かる。梅村議員はビデオを見たと言うが、目をつぶっていたのではないか」と批判した。弁護団の駒井知会弁護士は「ハンストや詐病の可能性があるとの主張は事実無根のデマだ。梅村議員の発言はウイシュマさんの尊厳を死してなお、踏みにじるものだ」と指摘した。---ハンガーストライキというのは、ネット上の一部で、というかようするに差別主義的なネトウヨの中で、根拠もなく「そうに違いない」と叫んでいた連中がいて、事実を何ら検証することなく、それに乗っかった、という話にすぎません。現に人が亡くなっているのに、その死因についてなんら根拠のない、ネット上の憶測を事実の可能性があるかのように言う、床屋政談ではなく国会の質疑ですから、それほど亡くなった方を侮辱する話はあません。そもそも、この事件に関して当の法務省はハンガーストライキの可能性を否定しています。またこの件については出入国管理庁に報告書がアップされています。報告書によると、死体検案書では直接死因は急性肝不全、死因の種類として不詳の死としているということです。内分泌内科医師の見解ではいくつかの可能性の一つとして「栄養状態が悪く貧血になっていた可能性」を指摘しています。ただ、報告書によれば、ウイシュマさんは飲食の量も減っていたようですが、嘔吐を繰り返していた事実が述べられています。いくらものを食べても、吐いてしまえば栄養にはなりません。なお、ウイシュマさんは身長158cmに対して体重は、入所時に84.9kg、4か月後の2月23日65.5kg、死後司法解剖時63.4kgだったとのことです。4か月で20kgと急激に体重は減っていますが、それでもなお、身長との対比で言えばかなり体重は重く(私は以前より少し太りましたが、それでもウイシュマさんの死亡時より身長は高く体重は少ないです)、一般的に言う「餓死」ではなかったと思われます。ただ、思うように食事がとれないことから、カロリー自体はともかく栄養の偏りはあったでしょうし、急激な体重減少自体もから蓼に負荷をかけた可能性がありますからそういったことも死因の一つになったのかもしれません。法務省にウィシュマさんが亡くなる2週間前からの映像を公開しています。そこにはウィシュマさんが食事をとろうとするものの食べられなかったり、食べた後吐いてしまう映像が記録それていると言います。食べること自体を拒もうとする様子はまったく写っていないということです。当然、この動画はすべての記録ではなく、法務省にとって都合が悪くない範囲だけが公開されているわけですが、もしウイシュマさんが意図的にハンガーストライキを行っていたのなら、それは入管の落ち度を否定する内容ですから、法務省が隠すわけがありません。この動画は、参院法務委員会に提出されて梅村議員も見ているはずですが、それにも関わらず「ハンガーストライキ」などと、明らかに間違ったことを言うのはどういうことなのでしょうか。ウイシュマさんが飲食できなくなったり食べても吐いたりするのは、経緯を見れば明らかに何らかの精神的不調に起因するものであり、端的に言えばいわゆる拒食症(摂食障害)の部類であろうことが推察できます。世の拒食症の人間を捕まえて「ハンガーストライキだ」というほど馬鹿げた話はありません。加えて、報告書の中には「別紙」として二人の支援者とウイシュマさんの面会記録がすべて記載されています。その中に、ハンガーストライキをしたらよいとか、そういう趣旨にくみ取れるような発言、やり取りは一切ありません。2月22日の記録にウィシュマさんが「飲食が困難である,ファンタ(清涼飲料水)と経口補水液を飲んだが,一日でペットボトル1本分は飲みきれず,半量よりやや多い程度である。」と訴えたことに対して「無理して飲食する必要はない。入管の外部の病院へ連れて行ってもらうように。」と言った記録はありますが、これを「ハンガーストライキの勧め」と解釈するのは、いかに悪意的に見ても不可能です。飲食が困難で、飲んでも吐いてしまう人に「吐いてもいいから飲食しろ」とは、普通の人はなかなか言えないものですよ。梅村氏なら言うのかもしれませんが。というわけで、ウィシュマさんがハンガーストライキによって死亡したというのも、そのハンガーストライキを支援者が指嗾したというのも、法務省が公表している報告書から見て、明らかに事実に反しており、根拠はありません。このようなデマによってウィシュマさんと支援者双方の名誉を傷つけた梅村みずほの責任は重いというしかありません。
2023.05.20
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昨年、小型二輪の免許を取って、先日やっと1年間の初心者運転期間が終わりました。実は昨年10月、都内某所で、何やら白っぽいバイクに乗った青い服の、さわやかな顔をした押し売りセールスマンが寄ってきて、6000円もするチケットを買えって言うんですよ。そんなもの要らない、買いたくないって思ったのですが、許してくれないので、泣く泣くお高いチケットを購入し、ありがたい点数を2点もいただいてしまったわけですよ。(涙)一時停止違反でした。流れのはやい国道に合流する側道で、右後ろを見ながら走っていたら標識を見落としました。36年無事故無違反が、もろくも消え去った瞬間でした(依然として無事故ではあるけど)。まあペーパードライバー歴36年だからゴールド免許だっただけですけどね。で、実は免許を取得して1年以内は初心者運転期間と言って、この期間内にもう1回違反をしてしまうと、初心者運転講習を受けなくてはならなくなります。受けないと実質的には免許剝奪に近い(試験場で実技試験を受けなおさないと免許が失効しますが、試験場での試験の難易度は教習所の卒検より圧倒的に高く、わたしはとても受からないでしょう)。そして、この初心者運転講習は日時指定で゜一日拘束されるらしいです。私の場合は、もちろん普通免許は初心者運転期間ではないので、小型二輪の免許の部分だけが失効、ということになりますが、四輪に関してはいまだペーパードライバー継続中で、とても運転できそうな気はしません。免許取得後約5か月で、いきなり土俵際に追い詰められてしまいました。それから7か月、再度違反をしない自信なんて、まったくありませんでしたが、幸いにしてそれ以降は白い二輪車に目を付けられることはなく、どうにか1年を生き延びました。いや、もし私の後ろに常時白バイがついて走っていたら、とっくの昔に免許取り消しだったかもしれませんけど(笑)この間、普通二輪の免許も取ろうかなと思わないではなかったのですが、また教習所に通うのは気が進まないのに加えて、この違反が心理的に響いて、教習受けている間にもう一度違反を食らったら全部無駄になりかねない、と思うと「初心者運転期間が終わるまではいいや」という気になってしまいました。ところで、ゴールド免許の場合、違反点数は3か月でリセットされます。しかし、私の場合、二輪免許の部分はゴールド扱いではないので、やっぱりリセットまで1年必要なようです。そうすると、リセットは今年10月、まだまだ先は長いです。まあ、だけどいずれにしても次の更新は青い免許になってしまいますけどね。なお、走行距離は現在合計3990kmです。年間でほぼ4000km走りました。
2023.05.18
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「優先エレベーター」を若者ら占有 満員で5回乗れなかった車いすの難病女性「譲ってもらえませんか?」…返ってきたのは舌打ちと心ない言葉車いすユーザーの女性が、健常者で混み合う優先エレベーターを譲ってもらうようお願いしたところ、「優先ってなんやねん」「みんな待っとるんじゃ」と心ない言葉で拒否されました。国指定難病を患い、電動車いすに乗るaya(@ponpon04ponpon)さんは、JR大阪駅直結のファッションビル「ルクア大阪」で優先エレベーターを待っていました。体が不自由な人が優先利用するエレベーターは、車いすやベビーカーのマークが大きく描かれ、「お身体の不自由な方におゆずりください」と書かれていましたが、若い客はお構いなしで優先エレベーターに乗り込みます。ayaさんは混み合う優先エレベーターを5回見送った後、勇気を振り絞って「歩ける方はエスカレーターを利用して譲ってもらえませんか?」と申し出ましたが、返ってきたのは舌打ちと心ない言葉でした。~「舌打ちをされた方は20代の男性の方で、お一人で乗られていました。『優先ってなんやねん』と言われた方は20代くらいの男性の方で、カップルで乗られていました。『みんな待っとるんじゃ』と言われた方は40代〜50代くらいの方で家族で乗られていました」「以前、似たようなツイートをした時に、『車いすの人が何回もエレベーターを見逃し、待っていることなんてわからない。自分から声に出して言えばいいじゃないか』というリプライが届きました。だから今回初めて声に出してみましたが、このような結果になりました。正直、怖いが1番の気持ちです。勇気を出して声にしたら、嫌味を言われる世の中に恐怖を感じました」(以下略)---ものすごく残念な話ですが、これが現実だというのは、私の体験でもなんとなくわかります。私は難病になったことも病院の外で車いすに乗ったこともありませんが、以前左足首を骨折した際に、似たようなことは痛感したことがあります。骨折して手術後退院して3週間余りは往復タクシー通勤していましたが、そのあとは松葉杖で電車通勤していました。電車通勤再開数日後の通院で「折った足を地面につけて歩いてよい」と主治医から許可が出たので、だいぶ楽になりましたが、最初の何日かは片足立ちの状態での松葉杖でしたから、混雑する電車での通勤は非常に辛いものがありました。最初の2日間は往路はタクシーのまま、帰宅時だけ電車通勤(帰宅時なら、どれだけ時間がかかっても遅刻がないから)をしました。初日は幸先良いことに勤務先の駅から座れ、確か乗り換え後の列車も席を譲ってもらえたように記憶しています。しかし、翌日はそうはいかず、優先席の前に立っても誰も席を譲ってくれませんでした。乗り換えも大変で、通勤所要時間が健常時の2倍近くかかりヘトヘトになった記憶があります。両松葉杖に左足はシーネ(添え木)に包帯ぐるぐる巻きの、ものすごく分かりやすい見た目でしたけど。それ以降、脚をついて歩けるようになってからはだいぶ楽にはなりましたが、それでもその後1ヶ月近く片松葉づえを使いました。その間、優先席の前に立っていても、席を譲ってもらえる確率は五分五分以下で、途中からは席の前に立たなくなりました。というのは、席の前に立って譲ってもらえずに吊革につかまって立っているよりは、戸袋のところで肩をもたれさせている方がまだ楽だからです。また、そもそも混雑して席の近くまで近寄れない、ということもありました。片松葉杖になると、さすがに電車で座れないのがそこまで辛いとは感じなくなりましたけどね。更にさかのぼって18~9年前、うちの子が乳児だった頃、私はかなり頻繁に子どもをつれて外出していましたが、だっこ紐で子どもを抱っこして電車に乗っていても、席を譲ってもらったことはほとんどありません。当時はまだ私も30代半ばで、子どもをおんぶして高尾山に登ったり、練習で子どもをおんぶしたまま2時間笛を吹き続けるとか、平気で出来たので、それが辛いと思ったことはほとんどありませんけど、「譲ってくれないものだな」と思った記憶はあります。私自身の経験でもそうですが、職場や音楽関係の知人とこの話題になると、骨折経験者は皆異口同音に「電車であまり席を譲ってくれない」と言っていました。で、私は東京の人間ですが、引用記事は大阪の話ですから、東京と大阪でも大体同じ、つまりおそらくは日本中どこでも同じなのでしょう。まあ、わたしは「譲ってください」と口に出して言ったことはないので、口に出して頼んで舌打ちまでされるかどうかは分かりませんけど。自分自身は、席を譲るという行動がやや苦手なので、通勤時は最初から席に座らないか、座っていて譲った方が良さそうな人が近くに来たら、さも下車駅が来た風を装って席を立つかのどちらかですが、とにかく席は空けます。もっとも、私も髪に白いものも増え、遠からず席を譲られても不思議ではなくなるかもしれませんが。いや、まだ50代半ばだからさすがに早いか。私は日本がダメな国だとか、民度が低いなどと言う気はないですが、こういう部分は残念だなと思う限りです。余談ですが、今は出勤時は職場に始業の40分くらい前に着くように出勤していますが、これはこの骨折がきっかけです。そもそもタクシー通勤の際に渋滞が怖いので、それまでより30分早く出勤したのですが、電車通勤に戻っても、始業ギリギリだと電車が激混みで、松葉杖の体ではとうていそんな電車には乗れなかったので、早出を継続して、治った後も今に至っています。
2023.05.16
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5月の鳥写真第1弾です。5月3日上高地~徳沢山の写真は公開済です。コガラ。上高地から歩き始めてすぐの撮影です。ヒガラ。同じく上高地近辺です。エゾムシクイ。初めての撮影です。カラ類の鳴き声だと思って撮影したら、ムシクイでした。でも何ムシクイかは分からず、帰宅後にネットで調べてエゾムシクイの鳴き声だったと判明。いや、名前から北海道でしか繁殖しない鳥かと思ってました。エゾムシクイ5月4日東京港野鳥公園コチドリキョウジョシギキョウジョシギ、十数羽の群れでいました。キアシシギ。シギ類の定番です。キョウジョシギチュウシャクシギキアシシギイワツバメ。高速で飛び回るため、望遠レンズのファインダーに収めるのがなかなか大変で、ピントまで合わせるのはほとんど不可能です。5月6日霞ケ浦・浮島湿原コジュリンを狙ったけどフラれました。ヒバリホオジロセッカ。この鳥も飛び回っている姿はよく見ますが、飛んでいるところの撮影はなかなか困難で、知地上に降りると葦原に潜ってしまうので、撮影はなかなか困難です。たまたま木の枝に止まったので撮影できました。遠いけど。セッカ。オオセッカも撮影したかったですが、ただのセッカしか遭遇できませんでした。5月14日葛西臨海公園チュウシャクシギ。天気が今一つのため(雨には降られませんでしたが)きれいな写真ではありませんが、観察窓から、ファインダーからはみ出すくらいの近距離で撮影できました。右から2羽目がアオアシシギ、そのほかはキアシシギ。アオアシシギは今シーズン初めての撮影でした。多分、としか言えませんが今月は鳥写真第2弾もあると思います。
2023.05.14
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「百害あって一利なし」島田洋一福井県立大名誉教授国際政治学者で福井県立大名誉教授の島田洋一氏は産経新聞の取材に応じ、LGBTなど性的少数者への理解増進を図る法案について「何が差別に当たるかが明示されていない」と指摘し、法案に否定的な考えを示した。19日に開幕するG7広島サミットを前に、理解増進法案の成立を目指す動きがある。米駐日大使も要求しているようだが、LGBT法を巡っては米国も分断されている。連邦レベルでは民主党が提出した包括的なLGBT差別禁止法案は成立していない。トランスジェンダー女性(生まれつきの性別は男性、性自認は女性)の権利が女性の権利の上位に置かれかねず、共和党が反対している。逆に、米下院ではトランスジェンダー女性が学校の女子スポーツへの参加を禁止する法案が可決された。日本に黒人差別禁止に特化した法律はない。黒人差別がないためだが、似たことがLGBTにも当てはまる。キリスト教は宗派で違いはあれど、同性愛を罪深い行為とみなす考えは根強い。日本とは立法する上での条件が違う。理解増進法が必要な理由に、性的少数者の子供がいじめられているためとの主張がある。どんないじめも許されない。そういう原則で周囲の大人や教師が指導すべき話で、何となくLGBT教育が足りないからというのは方向が違う。幼少期に特定のLGBTイデオロギーを教え込めば、性観念が不安定な子供たちを混乱させかねない。---例によって産経新聞の記事ですが、「正論」常連執筆者というネトウヨ界仲間内の言い分にすぎません。確かに米国ではLGBT差別禁止法案は成立していないものの、実際のところバイデン大統領が差別禁止の大統領令に署名しています。恒久法としては成立していないだけで「法令」としては存在しているわけです。それに、それ以外の先進国と言われる大多数の国で、LGBTに対する差別禁止要は存在します。まあ他にもいろいろありますが、一番おったまげたのは日本に黒人差別禁止に特化した法律はない。黒人差別がないためだが、似たことがLGBTにも当てはまる。この言い分です。いやいや。日本に黒人差別がない、LGBTも似たようなこと(差別がない)、そのいずれの認識も、およそ事実とはかけ離れているものです。確かに、日本で黒人差別は目立たない。それは日本に住む黒人が少ないから、大きな問題として表面化することが稀なだけであって、実際に日本に住む数少ない黒人は、少なからず差別を経験しています。その事実認識を持たず、「日本には黒人差別がない」などと本気で思っている人の語る差別論など、何の意味もないというしかありません。LGBTに関しても、「本来歴史的には、江戸時代までの日本にはLGBT差別はなかったはず」であることは事実です。言うまでもなく、江戸時代までの日本では「衆道」という男色が普通に行われており(戦国時代の戦場では男しかいなかった、江戸時代初期の江戸は圧倒的に男性の方が多い町だった、ということが背景にはあり、同性愛というよりは異性愛の代償措置の側面が多きかったようですが)同性愛に対する差別意識はなかった、はずです。でも、江戸時代は150年も前に終わりました。それ以降の日本が、欧米の価値観の影響をどれほど強く受けて来たかはいうまでもありません。そして、同性愛に対する差別意識もまた同じです。現に国会議員から地方議員までの少なからぬ政治家が同性愛に対して「道徳的に認められない」だの「同性愛は精神の障害か依存症」だの、「同性婚が気持ち悪いと言って何がいけない」だのと言って問題になっているわけです。これらの議員たちの発言は、社会の一定の層の意識の反映であることは言うまでもありません。そして、そういうことを口にする人たち、あるいはそれを代弁する島田洋一などは、それを差別だと認識すらしていない、ということです。差別というのは、基本的には受けた側の意識によって決まるものです。他人を踏みつけても、踏んだ側は痛くない、踏まれた側だけが痛い。踏んだ側の「この程度踏んだって痛くないはずだ」などという言い分に意味はありません。そのような認識による「日本には黒人差別もない、LGBT差別もない」などという言い分は、唾棄すべきものというしかありません。
2023.05.13
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銀座強盗「指示役」関与か…若者はSNSでの仕事探しに薄い抵抗感・決行しても使い捨ての現実回逮捕された男4人は高校生を含む16~19歳で、指示役の関与が疑われている。関東など各地で相次いだ一連の「闇バイト強盗」でも多くの若者が逮捕されており、犯罪の実行役として若者が「使い捨て」にされる実態が浮かぶ。警察庁によると、闇バイトに絡む強盗・窃盗事件は2021年夏以降、少なくとも14都府県で五十数件発生。60人以上が逮捕されたが、10~20歳代の若者が目立っている。このうち19歳の男3人は昨年12月以降、渋谷区神南の貴金属店で起きた窃盗など6都県の事件に関与したとみられ、逮捕後の調べに「インスタグラムを通じて闇バイトの募集に応じた」などと供述した。こうした事件の中でも、今回は銀座で多くの人が行き交う時間帯に店を襲い、通行人に見られたり撮影されたりしても動じる様子を見せず約10分にわたって強奪行為を続けるという極めて大胆な手口だった。(以下略)---引用記事は「極めて大胆な手口」と書いていますが、いくらお金に困っても、白昼堂々と衆人環視の下で強盗などやって、いくら仮面をかぶっていても、とうてい逃げ切れるはずもなく、あっという間につかまる、くらいのことは、マトモな判断力があれば高校生だって十分に分かるはずです。実際あっという間につかまったわけですし。というわけで、「大胆な手口」というのはそれで逃げ切れたら成り立つ言葉であり、どちらかというと「杜撰」「無謀」「自滅的」という方が正しいように思えます。一連の強盗事件はすべてそうですが、今回の事件はとりわけはっきりしています。なぜそうなのか。まだ、一連の逮捕者がどのような人物かは報じられていませんが、私の仮説としては、一連の犯人の中には、少なくはない割合で知的障害、あるいは知的ボーダー(知的障害と健常の境界線上の人たち)が含まれるのではないか、という気がします。療育手帳(東京では「愛の手帳」)が取れるレベルの知的障害者では難しいですが、知的ボーダーなら、運転免許を取得したり、全日制の普通科高校に合格できる人は珍しくはありません。もちろん、現時点で根拠となるソースは何もありません。ただ、同じ犯罪を犯すにしても、充分な知的能力があれば、もう少しは捕まらないための工夫はするものだと思えます。それに、世の中の犯罪の加害者にも被害者にも、知的障害、知的ボーダーはかなり多いのです。著名な例は、レッサーパンダ男による女子短大生殺人事件で、wikipediaの記述によればこの犯人は過去には障害者手帳の交付を受けていたということです。光市母子殺人事件の犯人も、Wikipediaに記述はありませんが、知的ボーダーないしは発達障害があると言われています。また、「累犯障害者」などという言葉があるくらいで、刑務所に出たり入ったりする前科何犯、何十犯の人の中には、かなりの割合で軽度の知的障害者が含まれていると言われます。そこから類推して考えれば、一連の強盗事件の犯人の、全員ということはないでしょうが、少なからぬ割合が知的障害か知的ボーダーである蓋然性は高いものと思われます。ちなみに、犯人が障害者(かも)というと、すぐに「障害を言い立てて心神耗弱で無罪や減刑なんて許せない」と叫ぶ人たちがいますが、現実には、障害を言い立てれば減刑されるようなら、「累犯障害者」が刑務所に出たり入ったりするはずがないのです。前述のレッサーパンダ男は無期懲役だし、光市母子殺人事件の犯人も1審2審は無期懲役でしたが最高裁で差し戻し後死刑判決になりました。万引きレベルの犯罪では、警察や検察が面倒くさがって知的障害者の犯行を起訴猶予にしてしまうことはあり得ますが、強盗、殺人レベルの犯罪では話はまったく違います。日本の刑事裁判においては、軽度の知的障害や発達障害系の精神疾患で心神耗弱を認めて減刑することは、まずありません。したがって、今回の犯人も、もし私の推測どおり知的障害あるいは知的ボーダーだったとしても、減刑されたり、まして無罪になることはないのです。私も、情状酌量の余地があるとは思いませんが、ただ累犯障害者には、そもそも親にも障害があったり、家庭が崩壊していたり、家庭環境が滅茶苦茶な人が多々いるのが現実です。環境がまともだったら、そんな悪事に手を染めることもなかったかもしれない、と考えると、何とも悲惨だ、という印象は抱きます。もちろん、現時点ではすべて仮説にすぎません。私の推測は外れ、かもしれないことはお断りしておきます。
2023.05.11
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立憲・石垣のりこ議員の「人民」投稿を問題視するトンチンカン 歴代首相も国会答弁で発言《日本のような民主主義国家では、馴染まない言葉である》立憲民主党の石垣のりこ参院議員に対し、ネット上でこんな声が上がっている。きっかけは、石垣氏が2日の自身のツイッターにこう投稿したことだ。《公文書を疎かにすることは民主主義を毀損するのと同じこと。主権者たる人民を蔑ろにする行為に対して、怒って然るべしです》この「人民」と言う言葉に一部の保守派が反応。~SNS上では、《学級会で訳の分からないことを自己主張する委員長》《この人の根底の価値観というか世界観というか思想というか。そんなものを感じさせて恐怖すら感じる》と“袋叩き”状態となっているのだが、この「人民」という言葉を使うことは果たして悪いことなのか。例えば、米国第16代大統領のエブラハム・リンカーンが1863年11月に行なった、有名なゲティズバーグ演説にはこうある。「人民の、人民による、人民のための政治」保守派は石垣発言について、《日本のような民主主義国家では、馴染まない言葉》としているが、リンカーンの言葉は、「民主主義の精神を表現した言葉」として、小学生でも知っている名言だろう。さらに言えば、故・中曽根康弘元首相は1987年4月28日の参院予算委で、こう答弁している。(以下略)---この報道があった時、私も真っ先にリンカーンの演説を思い浮かべました。現実には、もちろんリンカーンの演説は日本語ではありませんから"government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth. "という一節のpeopleという単語に人民という訳語を当てているだけです。ただし、この「人民の、人民による、人民のための政治」という翻訳は、おこならぬ米国の国家機関であるアメリカンセンターが使用しているものでもあります。立憲民主党(やその他左派系とされる野党)に対するありがちな批判として、「批判ばかり」「揚げ足取りばかり」というものがあります。しかし、野党という立場の基本的な仕事は政府与党の監視であるはずです。「建設的提案」などと言う人もいますが、勿論それも大事でしょうが、野党が与党の批判をしなくなったらおしまいです。それはもう、野党ではなく与党の衛星政党に過ぎません。実際のところ、立憲民主党が自公政権に何でも反対しているわけではありません。自衛隊は憲法違反だから解散せよ、とは言っていない。日米安保破棄とも言っていない。根本的には、自公政権とあまり変わらない安全保障政策しか提示していません。また、実際のところ国会での様々な法案にも、大半に賛成しています(共産党ですら、各種法案等の半分以上に賛成していたはずです)。そして、翻ってみれば、民主党政権時代の野党自民党の「揚げ足取り」ぶりも凄まじいものがありました。自衛隊を「暴力機関」と呼んだことへの反発、国会質問で大臣に歴代天皇の名を言えるかと質問した議員もいれば、首相の、議員にもなる前の遠い昔の政治姿勢を問うた議員もいました。そういうことをやっていた人たち、それに追随して「そうだ、民主党政権はけしからぬ」と叫んでいた人たちが、今は立憲民主党に対して「揚げ足取り」「粗探し」はけしからぬと非難した挙げ句、こうやって立憲民主党の議員に対しては一生懸命揚げ足取り、粗探しをやっている状態です。そして、立憲民主党が建設的な提案としてLGBTに対する立法を提起しても、やっぱりそれを非難するわけです。わたしも、立憲民主党には不満もあれば異論も多々ありますが、もはや箸を上げても非難する、下ろしても非難する、そんな人たちの作る空気に踊らされて、ネット空間での立憲民主党叩きが常態化していますが、その進む先に明るい将来が見えるかというと、なにも見えないようにしか、私には思えません。
2023.05.10
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昨年7月、スクーターを購入した2か月後に、初めて往復100km超の長距離ツーリング(一般的には長距離ではないかもしれませんが、私的には長距離)で霞が関湖畔の浮島湿原まで行ってきました。しかしその時には目指していたコジュリンもオオセッカも見ることができませんでした。そこで今年改めて浮島湿原アタックしてみました。5月6日のことです。事前にネットで検索して、すでに渡来していることは確認しました。ところが前に行ったときは、現地目前で迷ったりして、往路で3時間近くかかった記憶がありますが、今回は道も空いていたため、2時間で到着です。ところが、天気は晴れなのですが、すさまじい風でした。東京でもこの日は最大瞬間風速約20mを観測していますが、さえぎるものがない霞ケ浦周辺は台風並みの暴風。この写真を撮った直後、センタースタンドで立てていたスクーターが、横風を受けて、倒し・・・・・・そうになったのですが、幸いまだスクーターの脇に立っていたときだったので、とっさに支えて、かろうじて倒さずに済みました。スクーターの脇を離れる前でよかったです。こういう時はセンタースタンドは危険かも。結局、サイドスタンドをたて、かつ横風ではなく後ろから風が当たる向きに止めたので、その後2時間余り、スクーターは倒れることはありませんでした。妙岐ノ鼻。前述のとおり、晴れているけど滅茶苦茶風が強いです。ここにいろいろな鳥がいるはずなのですが霞ケ浦の湖畔キショウブが咲いていました。きれいですが移入種です。だだっ広い湿原が続きますが、すさまじい風です。風が強すぎて、鳥がほとんど出てきません。たまにセッカとホオジロが出てくるくらい。芦原が風に激しくなびきます。湿原の脇を700mほど歩いていくと、観察小屋があります。例によって笛一式を持って行きました。鳥もあまり出てこないし、誰もいないのをいいことに、観察小屋で笛練習をしていたら、いつの間にか他の方が入ってきていた、という超恥ずかしいことになってしまいました。いくら目を瞑って吹いていても、普段なら人が近くに来れば音と気配でわかるのですが、風が小屋にぶつかる音があまりにすさまじくて、全然気が付きませんでした。強風の屋外でも笛を吹く練習・・・・・・いや、半分は観察小屋のなかで練習し、あとの半分は風の少ない場所を探して練習したんですけど。袋を空にするとあっという間に笛が飛んで行ってしまいそうなので、頭隠して尻隠さずスタイルで笛は袋から出さずに撮影。この後、帰路がまた大変。すげー強風の中スクーターの運転は、怖かった。さえぎるもののない田んぼの中の道、川沿いの土手も上の道は、風が強すぎてまっすぐ走れない場面もあり。まあ幸い復路も倒さず事故にもあわず(というか、事故を起こさず)帰ってきましたけど。帰ってきたら、東京もなり風が強くなってきました。次に行くときは、天気の予報だけではなく風の予報も確認しなくちゃ。でも、次こそ撮るぞ、コジュリン(撮れるのか?)。というわけで、目指す鳥にはふられましたが、その他の(あまり珍しくない)鳥写真は、後日他の日の分とまとめてアップします。
2023.05.08
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5月3~5日に開催された「第4回ラテンアメリカへの道フェスティバル」のうち、最終日5月5日に演奏してきました。今回は日秘修好150周年ということで、ペルーに関係の深い音楽と踊りが中心のイベントになっています。「キラ・ウィルカ」は、いつもはボリビア濃度80%以上のグループですが、今回はそういう事情なので普段あまり演奏しないペルーの曲を中心に演奏しました。そのため、7曲演奏したうち初めての曲が4曲、昔演奏したけどかなり久しぶり(現在のメンバーになってからは初めて)の曲が1曲という新曲ラッシュとなりました。お台場は海の近くのため風が強く、5日はとりわけ強風だったため、ケーナは非常に苦労しました。録音も、レコーダーを置いた場所がよくなくて、風の音ばっかり拾ってしまいました。Tosod vuelven バルス・ペルアーノ(ペルーのワルツ)の名曲です。ワルツは、アンデス高地の先住民系の音楽ではなく、コスタ(海岸地方)の白人系(クリオージョ)の音楽で、ケーナやチャランゴなどいわゆるアンデス系の楽器で演奏されることは多くはありませんが、この曲はスイス出身のケーナ奏者レイモンド・テブノーがレパートリーにしていたこともあって、ケーナで演奏されることが比較的多い曲です。なお、本家ヨーロッパのワルツは、いわゆる「ズンチャッチャ」という3拍子ですが、ペルーをはじめラテンアメリカに広がったワルツは、聞けばわかるように、6/8拍子です。写真を撮っていただきました。実は、風が強くてもサンポーニャは音が出るのですが、ケーナはそうはいきません。吹き口に当たる息を風に持っていかれると、全然音が出ません。なので、何とか風を避けようと、横を向いて吹いてます。その他のグループです。下町ケーナ同好会バイラ・ペルー(日本マリネラ協会)、当然踊りはマリネーラ・ノルテーニャ自分たちの演奏が終わったらもちろん飲みます。ペルーのクリスタルビールと、料理の名前は忘れてしまいましたが、ペルー料理の牛肉煮込みスープこれだけじゃ足りないので・・・・・・コロナビールとチキン・タコスミユキ・イリチ・ネエナ・イ・ジロー。ペルーのクリオージャ音楽を中心に演奏していました。カポエイラ・テンポブラジルの黒人が音楽と踊りと格闘技を一体化させて作った伝統芸能。ブラジル先住民の伝承楽器であるビリンバウを使っています。ラス・パロミータス。メキシコの踊りラス・パロミータスユンサ。ペルーのお祭りで、枝にお菓子やおもちゃ等を吊った木を切り倒して、景品を取り合う、というイベントを再現しています。ユンサのお祭り。ペルー(一部ボリビアかな)各地の踊りの衣装。下町ケーナ同好会ラス・パキータス。ペルーにはかつて、多くの黒人が奴隷として連れてこられた歴史があります。現在は混血化などにより黒人の数は少ないですが、ペルー音楽には黒人系の要素が歴然として残っています。ペルー・アフロともいわれる黒人系の踊り「サンバ・ランド」ラス・パキータス。踊りと演奏が交互に繰り返し。ちなみに、メンバー全員知り合いです。ラカ・パキータスの踊り。アンデス先住民系。ちなみに、2人は演奏と踊りの掛け持ちだったので、結構苦しかったようです。最後はマリネーラ・ミ・アルマ。日が陰ってきて暗くなったため、写真のブレが酷いです。福田千文さんを中心とするマリネーラ・ノルテーニャの踊り。自分たちの演奏の後、他のグループを一番最後まで見たら、6時を過ヘトヘトになってしまいました。でも楽しかったです。
2023.05.06
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今シーズン最後の雪山登山で上高地に行ってきました。タイトルのとおり、徳本峠を目指したのですが、途中で引き返しました。5月3日早朝、河童橋手前から穂高連峰吊尾根を望む。雪が少ないです。12~3月上旬に冬山に登った際は(北アルプスは行っていないですが)雪は結構多かったように思いますが、4月の高温で相当解けてしまったようです。焼岳と梓川。焼岳なんか、全然雪がありません。カラマツが少し芽吹き始めています。明神から徳本峠方面に入りました。途中まで雪がまったくなかったのですが、雪が出てきたら登山道が埋もれてしまい、ルートがよくわからなくなりました。ルートではないのは承知で雪渓上を直登。その途中から西穂高岳と明神岳を撮影。<同じく西穂高岳と明神岳のアップ。登山道は沢の上を通ってはいなかったはずなので、絶対ここがルートではないのですが、せっかくなので雪の上を歩いちゃいました。引き返し地点付近。斜面的にはまだまだ全然問題なく登れるところだったのですが、気温が上がってきたら、右岸側から、落石というほどのものではありませんが、土砂が頻繁にざらざらと落ち始めて、「ここをこのまま登り続けるのはヤバいな」と思い、そこで撤退。ちなみに、ほとんど雪崩のデブリだらけでした。西穂高岳。一番左端の小さなピークが西穂独標。明神岳。明神まで下山しましたが、更に平地を徳沢まで行くことにしました。道の脇に泥の塊が落ちていると思ってよく見たらカエルでした。アズマヒキガエルのようです。ニホンザルもいっぱいいます。ニホンザル。子どものサルは特にかわいくてみんな写真を撮っていました。大天井岳。やっぱり雪がありません。徳沢到着。ここで昼食。例年だと、上高地から徳沢まで梓川沿いの登山道(遊歩道)にも、ゴールデンウィークには多少の雪が残っているのですが、今年はすでにまったく雪はありません。梓川沿いから見上げる明神岳。河童橋付近待まで戻ってきて穂高連峰吊尾根を撮影。バスターミナルより少し下流まで行って、梓川と穂高連峰吊尾根を撮影。そこで、もちろん笛の練習もしました。(徳本峠からの下山中も少し吹きました。)天気は快晴でした。ただ、もう1泊してもっと奥まで行けばよかった、と思いつつ、でも今年はもっと上まで行っても雪が少なかったので、これでいいろのでしょう。鳥写真も撮影していますが、これは後日アップします。
2023.05.04
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野党議員も称賛、地方出身のたたき上げ「森山裕」自民選対委員長の演説が示す「今の政治に欠けたもの」自民党の森山裕・選挙対策委員長が国会議員永年勤続の表彰で行った演説が与野党の議員らから称賛されている。ノーカット版のYouTubeも話題になっている。働きながら学び、地方議員を経て参院、衆院の国会議員となり、党の国会対策委員長として歴代最長の在任を記録。「国の基本は地方と第1次産業」「野党の意見に耳を傾ける」という訥々とした訴えは、今の政治が失ったものは何かを教えてくれる。~森山氏は1945年4月、鹿児島大空襲の日に鹿児島県鹿屋市内の防空壕で生まれた。実家は農業と新聞配達業を営んでいた。~自民党にはもともと、森山氏のような「苦労人」「たたき上げ」がたくさんいた。田中角栄、鈴木善幸、竹下登、渡辺美智雄各氏……。それが、自民党政権が長く続いて、世襲議員が増えるようになった。安倍晋三、石破茂、岸田文雄、林芳正、鈴木俊一、河野太郎、福田達夫、小泉進次郎各氏……。東京生活が長く、地方の実情にも疎い世襲議員が増える中で、「苦労人」の声が政治に届いていないのではないか。それが自民党の政策の行き詰まりにもつながっているのではないか――森山氏の訴えは、そんな現状を映し出している。(以下略)---森山議員の主張に賛同するところは特にありませんが、二世議員ではなく「苦労人」「たたき上げ」であること、そのような議員が近年非常に減っていることは確かでしょう。では、それはなぜかと言えば、明らかに小選挙区制のせいです。世襲議員の実証分析によれば、一見すると小選挙区制導入前後で世襲議員の割合にそう大きな変化はないように見えます。しかし、更によく見ると、世襲議員の多くは小選挙区からの当選であり、小選挙区と比例区の議席数の割合よりずっと多いということです。自民党内で、小選挙区での当選者は重んじられ、比例区での当選者は軽んじられる現状を鑑みれば、世襲議員の方が有力な地位を占めやすい、ということになります。これは、歴代の首相を見れば明らかです。小選挙区制が導入されて以降、菅前首相と民主党政権の3人の首相のうち2人(野田・菅直人)以外は軒並み二世議員の首相です(森は衆議院議員としては二世ではないが政治家として二世。)。選挙においては、「三バン」(地盤、鞄つまり資金、看板つまり知名度)を持っている候補者が圧倒的に有利であり、世襲議員は最初からそれを親から引き継いでいるわけですから。それでも、定数が複数の中選挙区制や、もっと多い比例区なら、その中に「三バン」を持たない非世襲候補が1人くらい新規参入することは困難な訳ではありませんが、定数1となったら絶望的に困難です。だから世襲議員が小選挙区に集まり、非世襲議員が比例区に集まるわけです。たまーに、郵政解散の時や民主党政権成立時、崩壊時のように風が吹くと、現職が一斉に落ちて新人に入れ替わったりします。小選挙区制の場合、それがまるでオセロのように鮮やかで分かりやすく見えますが、実際にはそのような事態はこの30年で3回しか起こっていません。もちろん、小選挙区制には死票の多さ、それに伴う投票結果と議席数の乖離が著しいことなど、それ以外にも問題は多々あります。ところが、それにもかかわらず日本人の多くは小選挙区制を支持しているようです。それは、死票が多かろうが、世襲議員が多かろうが問題ないと思っている人が多い、ということなのでしょう。はっきり言ってしまえば、小選挙区制を柱とする政治「改革」があ導入されて以降の30年近く、政治的にも経済的にも日本はほとんどうまく行っていません。バブル崩壊はまだ中選挙区制の時代ですが、その後長く続く不況、少子化、リーマンショック、コロナ対応・・・・、何一つうまく行っていない。それがすべて小選挙区制のせいではないかもしれませんが、かつての中選挙区制の時代と比べて、あまりにすべてが転落の方向に向かっているのは歴然としています。ついでに言えば、政治家の質自体も、中選挙区制の時代の方が高かったように思います。これは多分に感覚的なものもありますが。それでも日本人は小選挙区制を選ぶ、もっともっと衰退して破滅に近づくまで、そこを変える気はない、ということなのでしょうかね。
2023.05.02
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