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彼が詩人だとは知らなかった。『頽廃前』より抜粋若者よ、ぼくとは、なるなこの救われようのないいらだたしさはどこからくるのか私はまなこのやりばにこまる大きく哀しい息をはいて天にぼろぼろ涙をこぼすのだ-------------------------ああ、私の昔がなつかしいひからびた青年、詩(うた)えぬ詩人馬鹿者がひとりここにいる若者よ、ぼくとは、なるな前衛、ぼくをせめるなよ-------------------------私はげらげらわらいながらへどをはく頽廃なんぞおそるべきふそんなるかな私は下宿にかえろうともせずひとり、げらげらへどをはくへどよ、時には空中に鷲のごとく舞いあがれ、乱舞せよ、鷲のごとくああ、私は頽廃を謳歌するのか、たたえるのか私のからだはすでにへどとともに私の病まない片一方の肺だけがびく、びく、わずかによびかける プロレタリアート一色に染められている初期の詩はその単純さが却って力になっているが、「オルグよ、オルグよ」と繰り返し呼びかけられてもこちらとは距離がある。後半の詩は巧くこなれてきていて、そうするとまた逆に力が弱くなる。ここでいう力というのはただ「グッとくる感じ」という、そのようなもの。「若者よ、ぼくとは、なるな」に込められている真実らしい感情が胸に迫る。『関門海峡』中学校に行けぬ爪吉は夜間工業に入れてもらえるという約束で高等一年を終ると尼ヶ崎の書生になるために一人出発した 腐れかかった手みやげの生鰤よ尼ヶ崎まで生きかえればあちゃんが折角持たせてくれた生ぶりを汚れた波の段々につけながらつければ鰤が生きかえるものとつけながらちらちら下関の灯が海峡に揺れてぶりのうろこを冷たく映したばあちゃんよえらくなってきっとかえってくるぞ 散文詩的に書かれている、米兵と日本兵の対話からなる作品群は、どうも好きにはなれないが、それでも、概ね井上光晴の書く詩を私は大体気に入った。ギリシャの神々を登場させたり、人生を粘土に喩えるような、私の嫌いなことをこの人はしていない。「おれは岸壁派だ/おれは狼のような姿勢をした/鉄の漁船を愛す」と『岸壁派の小説書き』の冒頭で宣言していることをこの人は頑ななまでに守っている。だからと言って彼の小説作品を読んでいこうというまでには、まだ距離はあるのだけれど。「嵐のために、人の住まぬ浜辺に打流された旅人は、自分の発見した食物の名前を岩にきざみ込む。また死から身を守るのに用いた資源のありかを印しておく。それというのもいつ何時か同じ運命にあうかも知れぬ者たちの役に立つかと思ってである。人の世の偶然によって、革命のこの時代に投げ込まれたわれわれも、後の世の人びとに対して魂のある秘密や、あの予期していなかった慰めについて親しく知らせておく義務がある。そうした慰めの持つ、人をいたわる性質が日々の営みの中にわれわれを助けるのに役立ったからである」講演『私はなぜ小説を書くか』に引用されている、スタール夫人の言葉。平岡昇訳1975年 思潮社
2003/10/30
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筒井康隆『寝る方法』が選ばれてるのを見て、文字通りの笑いは期待していなかった。獅子文六『無頼の英雄』船橋聖一『華燭』正宗白鳥『狸の腹鼓』小沼丹『カンチク先生』開高健『ユーモレスク』堀田善衛『ルイス・カトウ・カトウ君』花田清輝『伊勢氏家訓』筒井康隆『寝る方法』北杜夫『箪笥とミカン』杉浦明平『海中の忘れもの』椎名誠『日本読書公社』 外国人の拙い日本語に笑うというのは安易な笑いで、それだけだと後味が悪い。『ルイス・ルイス・カトウ君』のルイス・カトウ・カトウ君は、日本人キューバ移民の息子。古き良き日本語を交えつつ、拙い日本語を話す。作者と話しているうちに現代風日本語が音声感染して古き良さが失われていく様をうまく活写しているからまだ良い。「そのころ、あなたは何をしてたの?」「革命が学校行けチウテ・・・・・・」 革命が学校へ行け、と言ったか。『ルイス・カトウ・カトウ君』 漫才にもなる。『寝る方法』に感心した覚えがないのは、短編集「エロチック街道」の収録作品のせいでもあった。『中隊長』『昔はよかったなあ』『日本地球ことば教える学部』『インタヴューイ』『寝る方法』『かくれんぼをした夜』『遍在』『早口ことば』『冷水シャワーを浴びる方法』『遠い座敷』『また何かそして別の聴くもの』『一について』『歩くとき』『傾斜』『われらの地図』『時代小説』『ジャズ大名』『エロチック街道』一目見て分かる通り、いくつかの夢物やノスタルジー物や時代小説をのぞけば、かなり作風が被っている。『寝る方法』『冷水シャワーを浴びる方法』などはまったくの同工異曲。大昔『偏在』の意味が分からなかった。作品を書いた意味が。それでも今回『寝る方法』だけを読めば、まあまあ面白い。 このベッドの端に生じた傾斜によって当人は床に落ちるのであるが、この時人体が受ける落下の際の衝撃の強さはベッドの高さに比例する。即ちベッドの高さが床上三十センチに満たなければ、個人差はあるものの臀部自身の弾力によって衝撃が緩和され、多くは人体の損傷を免れる。ベッドの高さが約五十センチであれば骨盤最下部にある左右の座骨に軽度の打撃を受け、一メートルの高さから落下した場合は尾底骨及び恥骨連合に受けた打撃が脊椎骨にまで達し、数分間は直立及び歩行が困難となる。二メートルであった場合骨盤の損傷は甚だしく、打撃が脊髄を通じて脳にまで及び、これは一時的な視力喪失、呼吸困難、言語能力不能、難聴などを招く。以下、高さに比例して人体の損傷はより大となり、ベッドの高さが十五メートル以上であった場合はほぼ確実に死ぬ。『寝る方法』より が、やっぱり途中で飽きる。最近文芸誌に載った筒井康隆のいくつかの中短篇を読んでも、もうあまり面白いとは思えない。時が経った。少し寂しい。 あとは『日本読書公社』くらい。2003年 講談社文芸文庫
2003/10/27
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四天王寺べんてんさん大古本市で見つけた、千代田区神田神保町より来た煙草臭い単行本。発行は1981年七月。同年10月に四刷とあるから、この地味な作家でどうして、と今では考えにくい数字。当時でさえ旧かな使いは旧時代の遺物であったと思われるのに。 昨年講談社文芸文庫から出た短篇選集「セザンヌの山・空の細道」はやや作品の傾向に偏りが見られ、素直に読めなかった。図書館で借りた「結城信一全集」全三巻は、重く大きく、読み辛かった。遺族による「関係者各位のみの限定として」というような文面が最初に載せてあった。もう少し書くと、結城信一(1916-1984)は「第三の新人」の一人として文壇にデビューしてどうたらこうたら。「戦後短篇小説再発見 5 生と死の光景」に収録されていた『落葉亭』を読んで気にいった。非常に寡作の作家。 この枝が鳴つてゐたのか、と見ると、ここには雪がない。茂みの下に、彼が立つてゐるのに気づくまで、しばらく間があつた。雪とともに運ばれてきたかのやうに、生気のある姿には見えない。彼が来たのではなく、彼の影が来たやうに見える。『炎のほとり』より『炎のほとり』『炎のなごり』『石榴抄』の三編収録。ここでは石榴はせきりゅうと読む。話の中に出てくる、会津八一の歌集『南京新唱』はの南京はなんきょうと読み、中国の都市ではなく奈良の都のことである。前二編は会津八一も絡めた青春群像話。良いのはやはり『石榴抄』。会津八一を師と仰ぐ結城信一が、師の思い出と、彼に献身的に仕えた女性・きい子のことを描いている。歌も多く引用されている。ものくはぬなぬかはすぎつひとなみのなげかふなかをねむりきにけりやみふしてひさしくなりぬまくらべのかきさへうみてながるるまでに 病み伏した後の歌なので暗いが、奈良の仏や風物を歌ったものも多く引かれている。だが私はその辺りにはあまり興味がない。自分の看護疲れからきい子が倒れ、彼女を疎う疎開先主人に家を出され、二人観音堂でこれから暮らしていくと決意する場面はとてもいい。 ・・・・・・八朔先生は上京のことを、脳裏から消した。 歌を売り、書を売ることも、この土地にゐて、出来ぬことはない。 ここの森では、郭公が鳴き、そして山鳩が鳴く。 世界は甘くない。きい子は死に、その後に山鳩の歌が読まれる。あひしれるひとなきさとにやみふしていくひきけむやまばとのこえひかりなきとこよののべのはてにしてなほかきくらむやまばとのこえひとのよにひとなきごとくたかぶれるまづしきわれをまもりこしかもいたづきのわれをまもるとかよわなるながうつせみをつくしたるらしわがためにひとよのちからつくしたるながたまのをになかざらめやも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ただ粗筋を追うばかりになったが、久し振りに話につり込まれて食い入るように読んだ一編だった。会津八一は1956年、亡くなった。話の大筋には関係ないが、小泉八雲の三男で、56歳にして画家としてデビューした小泉清について書いてある哀しい箇所も引用しておく。 晩年の小泉夫妻は、しかし悲惨だったようだ。二人ともが病みつづけ、夫人は昭和三十六年十一月に心臓麻痺で死んだ。小泉清はそれから、死の支度をはじめる。夫人のあとを追ふために、四月にひらく予定の個展の新作をまとめあげると、二月二十一日に自殺する。・・・・・・その日は、夫人の百ヶ日が目前、といふ日であった。1980年発行 新潮社 単行本
2003/10/23
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オコナーを読んだ後だとよく見えるが、埴谷雄高の小説にはアメリカの影がない。永久運動機関を持つ大時計が時を刻む場面から始まる『死霊』に描き出される仮想日本の風景は日本には似ていない。ドストエフスキーの書くロシアに似ている。サンクトペテルブルグの街に似ている。欧州紀行だからアメリカの話題がないのは当たり前なのに、そんなことを思う。文中に出てくる旅の同行者T君というのは辻邦生。野口冨士夫『なぎの葉考』に出てくる、主人公に紀州を案内する若手作家というのは中上健次のことらしいが、そういうことを始めから知っていたら楽しみ方も違ってくるのに、知らされるのはいつもあとがきか解説でだ。 一段落中文末が全て「~であった」などという、いささか文章に弛緩したところが見られる、ごく普通の紀行文。 ──彼と彼女はいま幸福そうに見えますね。 急に話しかけられた彼女は私を見て鮮やかに口紅を塗った唇を微かに開いて微笑んだが、私の言葉が「幸福な」という形容詞に達すると、より大きく微笑みかけながら、そのまま不意と困惑とも道場とも憐憫とも疑惑とも悲哀ともつかぬ奇怪なほど複雑な表情をしたのであった。恐らく「名状しがたい」という形容こそ複雑豊富な内容をともに混在せしめているこうした表情に対してのみ付せられるのだろう。同じ瞬間、振り向いて彼女の表情を正面から見たT君は、あとで私に、なんともいえない表情を彼女はしましたね、と何度も何度も繰り返していったが、それほど奇妙で複雑で印象的な表情をまだ美しさの残照がのこっているその中年すぎの彼女はしたのであった。彼女はすでに気楽な余暇を楽しんでいる身分とたが、しかし、彼女が経験したところの嘗ての結婚生活は彼女にそうした安穏を与えると同時にまた、これから結婚する若い二人に「幸福な」という形容をもって全的に祝福することのとうていできがたい或る種の災禍をひそかに、或いは、公然ともちつづけてきたに違いなかった。『三組の花嫁』より 同行者と別れた途端、不味い米料理を食わされ、ぼったくりキャバレーに連れ込まれて本は終わる。『死霊』からは想像し難いお茶目な埴谷雄高がそこにはいる。1972年 中公新書
2003/10/19
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最悪の気分の時に読むものではないと思ったものの、最悪の出来事の前から読み始めていたため、他に移ることを許さぬような作風に押し負けて読み進め、それなりに救われた。上巻よりややこちらの方が粒ぞろいか。 女の子は慎重に一歩さがり、目をしっかり老人に向けたまま、眼鏡をはずした。そして、さっきつかまれと言われた木の近くの岩の上に置いた。「そっちも眼鏡をとりな。」「俺に命令するな!」老人は高い声で叫ぶと、ぎこちない動作で、女の子のくるぶしめがけてベルトを振りおろした。 女の子の反撃は素早かった。がっちりした全身をぶつけてくるのと、足で蹴るのと、こぶしで胸になぐりかかるのと、どの打撃を最初に感じたかわからないほどだ。打つ場所もわからず、ねらう位置を見極められるように相手から身をはなそうとして、老人は鞭を振りまわした。「はなせ! はなすんだ!」しかし女の子はあらゆる所にいるように思えた。一度に四方から襲ってくる。一人の子供にではなく、頑丈な通学用の茶色の靴をはき、小さい岩のようなこぶしをふるう小悪魔たちの群れに襲われているような気がする。老人の眼鏡が横に飛んだ。「はずせって言っただろ。」女の子は攻撃をゆるめずに言った。『森の景色』より 老人と孫娘の殴り合いの喧嘩というのは生まれて初めて読んだ。 黒人の子供への一方的な善意(5セント恵む)をはねつけられ気が狂う母親(『すべて上昇するものは一点に集まる』)、自分が不治の病だと思い込み、いつまで経っても書き出せない作家志望者が死の淵でカトリック教会の神父を呼び、期待を裏切られ、自分が死ぬ病気などではないと知らされ、これから続く生へ絶望する若者(『長びく悪寒』)、母親のくだらぬ善意によって引き取られてきた色情狂の娘とのトラブルと不運から母親を撃ち殺してしまうことになる息子(『家庭のやすらぎ』)、見込みがあると思い家に引き取った少年院上がりの少年に家と気持ちをかき回され、実の息子を失うはめになるカウンセラー、救いのない人々の話ばかりだ。『パーカーの背中』だけは微笑ましくて楽しい。 オコナーが『賢い血』を書き始めたのは若干23歳。その後39歳の若さで死ぬまでに小説を書いた。アメリカでは少数派のカトリック教徒。 「希望を持たない人びとが、小説を書くことはない。それどころか、そういう人は小説を読みもしない。希望をもたない人は、なにかを長く見つづけるようなことはしない。その結城がないからだ。絶望に至る道とは、なんであれ経験を拒むことである。そして小説は、もちろん、経験する方法である。」訳者あとがきに引用されている『小説の本質と目的』から 背がテーブルの高さにまだ負けていて、かけ算のお気に入り「3の段」をいつまでも頭の中で繰り返していた昔、南北戦争というのは北アメリカ大陸と南アメリカ大陸が争っているスケールの大きい戦争だと思っていた。オコナーの書く、アメリカ南部を舞台とした話に出てくる白人たちのほとんどは、黒人を使役しつつ、憎みつつも、黒人とうまくやっていけていると思っている。都会に出てきた老人を面食らわせる「都会の黒人」をのぞけば、黒人たちも白人をただ白人であるというだけで憎んでいるような素振りはない。作品中はっきりと描かれる多くの黒人差別の中においても、だ。作家志望者の若者に叔母がこぼす愚痴「南部側の立場を主張しておくれ、それをやる作家がすくなくてね」という言葉にはやたらと真実味がある。南北戦争に負けた人たちもまたアメリカ人だったのだから。筑摩書房 単行本
2003/10/16
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『芽むしり仔撃ち』を読んだついでに、と、大江の長編を発表順に読み返していこうとしたら、『われらの時代』の初め10ページで延々と中年女との性交が描かれていて嫌になって止した。壊れた下水管を修理するところで主人公がこれまでに流された精液について思いをはせる。そこで女が「なにを考えてるの、わたしの天使」と呼びかける。印刷の不具合で文字の上辺が薄れ「わたしの大便」と読んだ。そう読んでもいいところだと思えた。もう一度大便と読んでみた。意味が通じる気がしてきた。「歌」お前は歌うなお前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うなすべてのひよわなものすべてのうそうそしたものすべての物憂げなものを撥き去れすべての風情を擯斥せよもつぱら正直のところを腹の足しになるところを胸先きを突き上げて来るぎりぎりのところを歌え恥辱の底から勇気をくみ来る歌をそれらの歌々を咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよそれらの歌々を行く行く人々の胸廓にたたきこめ 中野重治は1902年に生まれ、1979年に死んだ。生きている間詩を書いた。説明終わり。「豪傑」むかし豪傑というものがいた彼は書物をよみ嘘をつかずみなりを気にせずわざを磨くために飯を食わなかつた後指をさされると腹を切つた恥しい心が生じると腹を切つたかいしやくは友達にして貰つた彼は銭をためる代りに溜めなかつたつらいという代りに敵を殺した恩を感じると腹のなかにたたんで置いてあとでその人のために敵を殺したいくらでも殺したそれからおのれも死んだ生きのびたものはみな白髪になつた白髪はまつ白であつたしわが深く眉毛がながくそして声がまだ遠くまで聞えた彼は心を鍛えるために自分の心臓をふいごにしたそして種族の思いひき臼をしずかにまわした重いひき臼をしずかにまわしそしてやがて死んだそして人は 死んだ豪傑を 天の星から見分けることが出来なかつた 検索して見つけたパロディ詩。「どうしておれにはこんな事がいつもいつも悲しいんだろうかなあ/おれやひよつとしてどうかなつて了うんじやあるまいかなあ」『女西洋人』より。「誰が人の足を踏みたいか/だがおれ達はぎりぎりと踏んだ」『汽車 一』より。「それで お前らが 秋の来るのを止められると思うているのかよ/秋の来るのを 秋の来るのを」『夜刈りの思い出』より。 詩について語るとつまらなくなる。以下十行削除。旧版新潮文庫
2003/10/10
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翻訳ものに食傷したので日本人の書いた小説を読みたくなった。新しく何か読もうとしてその「何か」の幅広さに気が遠くなった。一度読んだ本を読みたくなった。大江健三郎に手が伸びた。あらすじはぶく。 人殺しの時代だった。永い洪水のように戦争が集団的な狂気を、人間の情念の襞ひだ、躰のあらゆる隅ずみ、森、街路、空に氾濫させていた。僕らの収容されていた古めかしい煉瓦造りの建物、その中庭をさえ、突然空から降りてきた兵隊、飛行機の半透明な胴体のなかで猥雑な形に尻をつき出した若い金髪の兵隊があわてふためいた機銃掃射をしたり、朝早く作業のために整列して門を出ようとすると、悪意にみちた有刺鉄線のからむ門の外側に餓死したばかりの女がよりかかっていて、たちまち引率の教官の鼻先へ倒れてきたりした。殆どの夜、時には真昼まで空爆による火災が町をおおう空を明るませあるいは黒っぽく煙で汚した。 今回(多分三回目)読んで気になったのは、山奥の村に疎開し、疫病の発生により村人達から隔離された15人の感化院の少年たちのほとんどに名前と個性がないことだ。主人公の「僕」、その弟、「南」と呼ばれる少年、朝鮮人部落の「李」、取り残された少女、そして脱走兵。「南」はとにかくどこか遠くへ、南へと行きたいと願う彼の口癖からついたあだ名であるから、名前を持つのは李一人である。12人の少年たちには名前どころか特別な行動を起こすことさえ許されていない。「僕」の弟の可愛がっていた犬を撲殺するのは「南」だ。終盤、村に戻って来た村長が少年たちに尋問する言葉の中でようやく、留守宅に置いてあった道具を壊した者、仏壇を荒らした者、と個別の悪さがかいま見える。が、やはりそこでも顔は見えない。 少年たちのリーダー格である「僕」は恫喝と時には暴力で仲間たちの結束を強め、大人たちに見捨てられた状態の中で生き抜こうとする。そしてしきりと連発される「僕ら」。 長い旅の終りに僕らを待っていた夕食、それがいかに貧しい食物と食器で僕らにあたえられたか。笊三杯の痩せた馬鈴薯と一握りの硬い山塩。僕らは失望しきり、腹をたてていた。しかし僕らには他にすることがなかったから、それをしんぼう強く食べつづけた。僕らは狭い土間と便所とを板戸で隔てている、白い壁と太い横木にかこまれた本堂の湿った畳の上に坐っていた。「僕」は、庇護すべき存在として自分の弟を、組織内で自分に対抗する力を持った者として「南」を、外部からの協力者として「李」を、そして愛するものとして少女を見ている。「僕ら」は「僕」の延長でしかない。「僕」の意思が「僕ら」の意思であり、彼らを自分はコントロール出来ていると思っている。だが、その誤った思い込みゆえに、弟の可愛がっていた犬が疫病の原因ではないかと言われ始めた時、それを殺そうという、「南」以下の「僕ら」の意思に「僕」は対抗出来ず、目の前で弟の犬を殺させてしまう。弟を庇うよりも全員の命を優先させた判断のようにも見えるが、「僕ら」の意思が「南」の元で統率された時、それまで「僕=僕ら」と傲慢にも思いこんでいた「僕」は突如「僕ら=僕」でもあることに抵抗なく屈してしまい、彼は統率者ではなく集団の中に埋没してしまう。だがそれでも主人公である彼は最後まで「僕」であり続けなければならない。その意思は「僕=僕ら」では既になくなった中では浮き足立ち、「僕」「僕ら」と離ればなれにならざるを得ない。 村長らの卑怯な恫喝の中、少年達は一時は大人たちへの憎しみをかき立てられ一群となる。だがそのエネルギーは「僕」が生み出したものではない。「腹が減ったな」僕は嗄れた声でいったが語尾があいまいに消えてしまって、幾たびもくりかえさなければ他の仲間たちに通じて行かなかった。「なあ、腹が減ったな」「あ?」と南が驚きに幼ない眼をして僕を覗きこんだ。「お前、腹が減ったのか?」「腹が減ったような感じなんだ」と僕はのろのろいい、その言葉が呪文のように僕の内蔵の感覚を誘いはじめるのを感じた。そしてそれは始めに南、そして急速に他の仲間たちへ感染して行った。「俺もひどく腹が減った」と南がうわずった声でいった。「こんちくしょう、鳥の肉が残っていたらな」 逆に自分の発した「腹が減ったな」という呪文により増幅された食欲に負け、仲間たちは温かい握り飯の誘惑に負け、大人たちの軍門に降ることになる。名前を持たされなかった者たちが「僕」を見捨てるのは自明のことだ。彼らは一人一人の人物ではなく、陽炎のようにおぼろげな者としか「僕」に見られていなかったのだから。今度は「僕」などいないように振る舞い、一人一人へと還ればいい。 おそらくは死んだ弟と、自分を置き去りにして行った仲間たちと、決して相容れることの出来ない大人たちと。竹槍で突かれ内蔵を飛び出させた脱走兵と同じ末路を迎えるであろう、山中に逃げる「僕」を最後に映して物語は終わる。「あいつ戦争が恐くて逃げて来たんだ」「僕は卑怯なやつを嫌いなんだ。傍にいると厭な臭いがするよ」と罵った相手と同じ死に様で死ぬ。あちらは憲兵隊に連れられて病院に行ったのでまだましだ。体力尽きた体で森の中を山狩りの手から逃げ延びることは出来ないだろう。以前読んだ時はもう少し明るい話と思えた。まだ死んでいない主人公に希望を見たんだろうか。「まだ死んでいない」と「これから死ぬ」は同じ意味なのに。新潮文庫
2003/10/06
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