2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全4件 (4件中 1-4件目)
1
ボロボロになった手袋越しに指に寒さが手に伝わってきた。小雨が降り出したと思ったら小さな雪だった。急な寒気に枯らされたのか、巨大な雪かと見紛うくらいに、雪と一緒に茶色い葉が舞い落ちてきた。どこかで選ぶのも面倒だと、コンビニで無難な安い手袋を買い、去年も似たようなことをしたと思い出した。 父も母も、とても気をつかって、じぶんたちの計画をうちあけようとした。でも、ぼくたち子どもというものは、おとながかんがえているよりは、はるかに気のつくものなのだ。ないしょで話をしていても、ちゃんとほんとうのことがわかってしまう。だから、父が、出発がまぢかにせまってから、はじめて、計画をうちあけにきたときには、ぼくたちは、もうちゃんと知っていたのだ。けれども、いやなことがほんとうにおこってしまうよりは、もしかしたらと、びくびくしているほうが、まだ、ましだ。 児童が審査員となって作品を選ぶ、フランスのサロン・ドンランファンス児童文学大賞1962年度受賞作。両親が仕事の都合でアメリカへ行く夏休みの間、田舎町にある祖父の家に預けられた兄と妹が、慣れぬ土地でわくわくするようなことに出会う、児童文学。国境際にある為、昔から密輸が「まるでスポーツのように」行なわれているその町では、税関の家の子供が嫌われている。同じく余所者として馴染めないでいるきょうだいが彼らと仲良くなり、山の洞窟の秘密を教えてもらい、その後は町の人と税関の家の子供がうまく解け合えるように画策したり・・・という話。 生まれてはじめて、ぼくは、前世紀の動物の遺骨をまえにしているのだ。しかも、自然科学博物館にいるのではない。まだ知られていないほら穴の中で、だいたんな少年が発見したまま、どこの学者もまだ調査していないほねなのだ。 税関の息子たちが発見していた、洞窟にある古代人の暮らしていた跡を見た主人公の少年の感想は素直だ。綺麗に陳列されていては、知的好奇心もしぼむ。生のままの姿に出会えることが、知的好奇心を膨らませる一番のいい道だ。つまり、だから、おとぎ話だ。その洞窟を利用して、昔から密輸人たちは税関の目をくらまして・・・という展開を予想したが、物語の重点はそこにはなく、美しい友情と輝かしい発見が描かれる。生臭い話にしてもあまり面白くはならなかっただろうから、これでいい。だけどこの手の話は、何もかもがうまくまるまっていく後半より、わくわくしながら読める前半の方が、好きだ。
2003/12/28
コメント(0)
発売日(11月26日)に買い、その日のうちに読んだのに、なぜこんなに遅く、と思っている。途中まで書いていた感想↓------------ 発売日に買い、発売日に読み終えた。わーい。読売新聞日曜版に連載されていたもの。(主に)「子供たちへ向けて」書かれた「ファンタジー」なのであるから、連載時と同じように登場人物紹介も欲しかった。トントンと登場人物が出てきて混乱するのは最初だけだけれど。「森の家」で暮らす一週間がたって、タクシーで松山の空港に出発する朝、真木はおばあちゃんに、心をこめてこうあいさつしたそうだ。 ──元気をだして死んでください! 母は、おばあちゃんが、口癖のように、死ぬまで元気をだしていたい、といわれるものだから、それが頭にあったんでしょう、といった。 しかし、その愉快そうな言い方に、朔が反撥した。 ──ぼくはあいさつとして正しくないと思う。 それでもおばあちゃんは、これは私の好きな言葉だ、といわれていたそうだ。 設定としては『静かな生活』に似た、メランコリックに陥り妻と共に外国の大学へ一時避難的に行っている小説家の子供ら──障害を持つ長男、優しい長女、利発的な次男──の繰り広げる小さな冒険の話。ただし今回小説家の父親は最後まで登場しない。 四国の森の中、祖母の建てた「森の家」で一夏を過ごすことになったきょうだいは、「千年スジダイ」と呼ばれる木のうろで一晩眠れば、自分の行きたい時代、場所に行けるという伝説に惹かれ、「ベーコン」という犬と共に・・・粗筋はどうでもいい。分かりやすくいえば、指命も便利な道具も持たない版藤子・F・不二雄『T・Pぼん』のようなもの。------------------------ 見知らぬ子供に「おっちゃん」呼ばわりされて少し傷ついた今日この頃。夏暑くなる前に産まれた可愛かった猫たちがゴミ捨て場のゴミ袋に夜中頭を突っ込んでいた。いつ見かけても触ることも出来ないでいる。 主人公たちが『芽むしり仔撃ち』の作品世界の時代にタイムスリップするのが楽しい。ちょうど最近読み返したところであったし。面白いけれど、とても本当にあったこととは思えない『芽むしり仔撃ち』の事件を、こちらの作品内では、ひっそりとだけと語り継がれている、村の暗い歴史として、事実として、語っている。かつて自分の書いた物語を、新しく書く物語の中に生きる過去の事実として取り込むことが出来れば、現実の出来事に飽き、辟易していても、物語の奥行きを自由に拡げることが出来る。使い過ぎても冷めてしまうが。しかし今回、『芽むしり仔撃ち』の子供たちが、疫病の潜む村に、村人から取り残されても元気に生きている姿をまた見ることが出来て、嬉しかった。 しかし最後のタイムスリップ、80年後の日本の姿はやはりどうも、安易な未来像で、現在ある某社会主義国を想像させ、素直に読めなかった。
2003/12/27
コメント(0)
これまで読んだ忍法帖とは違い、明るい雰囲気で、そもそも主人公一行は忍者ではない。陽気で女好きの七人の香具師で、忍者ではない。忍者ではないのにやはり尋常のものではない。 日本で香具師という職業が、いつ、どのように発生したか、よくわからない。蒼空を天井とし、大道を店とする巷の商人、みずからの足に乗るキャラバン、漂白する野の放浪者ともいうべき彼らに、信頼すべき文献などあるわけがない。 事典によると、「贋買を主要商品として市に売る生業者。売薬、香具、モグサなどを効能以上の能弁を以て売り、かたがた雑芸を余興とし、サクラを使用して贋物を売る大道商人」などとある。 ようするに寅さん。そっちの香具師。他にあるか知らんが。いろいろ役に立ちそうな知識も読みながら自然と覚える。 この連中が箱根の山中で奥方連をしとめたのが「エンコヅケル」という奴、岩槻の旅籠で宿の娘をいただいたのが「ヨツにカマる」という奴、売卜者に化けて女の過去未来あることないことでたらめを吹きたてて不安におとし、ついに自由にしてしまう「ロクマ」、女だけいる家に行商にいって誘惑する「ヤサバイ」、ばくちにひきずりこみ、のぼせあがった女にはたから金を貸してやって、あとで貞操とひきかえにする「モミ」 時は戦国、秀吉の天下獲りいよいよ大詰め北条小田原攻めの頃、香具師らがたまたま出逢った北条方の小大名の姫とその取り巻きの風魔忍者に、打ちのめされ、一人は姫に顔を踏まれ、「あの姫を絶対ヨツにかまってやる」と、それだけが動機で七人結束し、風魔の屋敷で忍者修行をしたり、風魔の棟梁小太郎に見込まれたり、風魔の女七人をたらしこんだり、姫を守って風魔と戦ったり、そういう、舞台・実在の人物ともによく知られているので馴染みやすいお話。物語の大半が男女がくんずほぐれつ(しかし書き方はとてもサラっとしたもの)しあってる話なのに、あまりの巨根の為に女と交われない、一人の香具師の死に様が、一つも救いがなくて、笑えるので哀しい。水で責められ、階下にいる仲間を助けるために、巨大な臼で穴を塞ぎ、臼の穴を自らの男根で塞ぎ溺死する。一人の末期を知ったとてあまり大筋に意味はない。他に見所は多くある。ただ、全体的に陽気で、主人公達の背負うものが軽いこの忍法帖は、硬派なファンの人にとっては、違和感のある一冊かもしれない。 ただ、そんな雰囲気でも当然のごとく、登場人物たちはほとんど死ぬ。
2003/12/12
コメント(0)
もう随分昔のことと思える、去年ではなかったが、今年ではあったが、今年のいつ頃だったろうと思い出そうとすれば、最近よりはやや離れた月を思い出しそうな、ここ数年事件の風化が早くなったと感じる頭で思うなら、それくらい前にあった事件に似た、若い恋人たちが、自分たちを理解しない男側の両親を殺す表題作。殺すのはやはり男の手だ。女は、女は男を、男の過去の記憶をも振り回すが、殺しはしない。嫌な、いやあな話だ。 収録作『蛇淫』『荒くれ』『水の家』『路地』『雲山』『荒神』は『岬』前後に書かれたもの。つまりこの時期のものは、私はあまり好きではない。『岬』の秋幸が登場する以前の主人公たちの暴力的衝動やその結果には、強い嫌悪感を起こさせる。読んでから随分と経つこの本を今パラパラとめくってみても、目を背けたくなる。思い出した話の内容は、読んだ時より数段グロテスクなものとして甦る。 時に不可解なくらい幼い文章にも出くわす。 現場にもどった。土方と一緒に、基礎を打つ準備をした。日が暮れた。ダンプカーを組の駐車場に置いた。明日の仕事の割り振りを、社長からきいた。十三の車に乗せてもらって、家へむかった。山から、海に向けて、朱色の雲があった。一日が終ると、彼は思う。『路地』より まるで小学生の日記だ。ここほどではなくても、あまりに工夫のない、無防備な描写は散見される。『岬』『枯木灘』他紀州サーガに連なる物語が組み込まれていなかったなら、我慢出来なかったかもしれない。 義母は、生きているように思えなかった。半分、死んでいるのだ。いや、死んだ人間のことばかり頭の中にあるように、昔を思い出し、昔に浸ろうとして涙を流した。この路地の、天地の辻で、毎日毎日年寄りたちとばかり話しているせいだった。『路地』より 憑かれた時期は過ぎ、中上健次を読み進めることが少し苦しくなってきた。自然と感想も滞る。しかし少しは本を読む。他の本の世界にも邪魔をされ、読んでから一週間も開けば、読後の爽快感も興奮も薄れ、態度も冷たくなる。こちらが悪い。
2003/12/09
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1