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8/17に仙台空港に降り立った一行6人は K氏の車で被災地を回っています。 陸前高田在住のK氏には、2日目もドライバー兼ガイド役で お世話になりました。 ホテルを午前8時30分にスタートし、R45を太平洋岸沿いに北上し、 南三陸方面に向かいます。 北上川が延々と続きます。 しばらく走ると、3階建ての鉄骨がぽつんと立っているのがみえてきました。 防災センターです。 学生たちが、バスで見学に来ています。 町役場の防災担当だった遠藤未希さん24歳は、 防災無線で最後の最後まで「高台に逃げて下さい」と 避難を呼びかけ、津波に飲まれてしまいました。 津波の高さは3階建ての屋上を2メートルも上回ったといいます。 ぎりぎりまで持ち場を離れなかった未希さんの命の呼びかけは 多くの命を救いましたが、当時、お母さまが 「でも、助かってほしかった」と搾り出すようにいっていたのが 忘れられません。 公共施設などが集まる、町の中心部ですが、 まわりはまだ荒地です。 この建物も、震災遺構として保存,それとも解体、 さまざまな意見がでているようですが、どうなるのでしょう。 復興商店街を訪ねました。 仮設のお店がずらっと並んでいます。 最小限のスペースにご当地の産物を並べて 皆さん、元気にお店に立っています。 あちこちのお店をのぞいて、両手いっぱいに買い物をしました。 同行の仲間、Ruriさんが、「お店が入り組んで迷路のよう、 まるでべネツィアだわ」といいながらも、 せっせとお買い物。 お父さん、お母さんは仕事にいっているから、と 小学校5年生のお姉ちゃんが3歳の妹としっかりお店番をしていました。 ここはかなり内陸部にあるのですが、津波はさらに ここから更に1キロ奥まで到達したそうです。 震災後1年足らずでオープンさせた、仮設の商店街、 いつかまた、もとの立派な商店街を復活させたとしても、 住民が非難してしまて閑散とした場所に 元の賑わいが戻ってくるのか。 仮設商店街の今後の課題です、とK氏の話。 商店街の広場で、名古屋からやって来た安城学園高校の 合唱部25人の皆さんが、美しいハーモニーで歌を聞かせてくださいました。 次の目的地は気仙沼です。 海沿いの線路が流失したあとを埋め立てて、 バス専用の道路ができていました。
2014.08.31
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女川のコミュニティエフエムは、震災の約1ヵ月後の 2011年4月21日に、24時間体制の臨時災害放送局として 開局しました。 町のおよそ3分の2が壊滅した女川は、ライフラインや防災無線も寸断、 町民への伝達手段がなくなりました。 そこでいち早く立ち上がったのは、若者たちを中心とするボランティアチームです。 あまりに小さなプレハブの建物で、 うっかり見過ごしてしまうところでした。 現在は4人のチームで放送を続けていますが、 3人は避難所生活から仮設住宅に、 1人は住宅避難者として、被災者自身が それぞれ仕事の傍ら、 ボランティアで活動しています。 『がんばっぺ!女川』を合言葉に。 運営は、日本財団の助成金を活用し、 多くの善意で成り立っていると話してくれました。 個人のポケットマネー、募金、企業の善意など。 開局記念番組では渡辺謙さんがきてくれました、とのこと。 ボランティアスタッフも大いに励まされ、力を得たことでしょう。 中村雅俊さん、倉木麻衣さん、石川さゆりさん、オレンジレンジなどが 女川出身だとききました。 震災後、被災者を励まし続けた女川さいがいえふえむは 何度もTV局でも取り上げられています。 NHKのTVドラマ『ラジオ』は、女川さいがいFMと 女子高生アナウンサーをモデルとして作られ、 数々の賞も獲得しています。 我がみのおエフエムは、阪神淡路大震災の年に開局しました。 今年で19年目を迎えますが、 4人のスタッフでがんばっている姿を目の当たりにし、 コミュニティ放送局の原点を見た思いでした。 やらなければ、!!という熱い思いは、 どんな困難も乗り越えられるいちばんの原動力だ、ということ。 東北人は、熱い! 1日目は予想した以上のたくさんの被災現場を見、 色んな話も聞きましたが、頭と体が遊離したような 軽い疲れを感じました。 ではまた明日、ということで、その日の宿、 <ホテル・ルートイン石巻>にひとまず落ち着きました。 ベッドはゆったり、清潔、スタッフの気配り、 充実したバイキングの朝食に大浴場まであるなんて。 しかも午前2時まで。 宿泊料は、な、なんと、おくさん、5800円ぽっきり! もちろん朝食は無料よ。 一同感激の一夜でした。 夕食はホテルのすぐ近くの居酒屋「えびす家」にて 海の幸を堪能いたしました。 翌日は南三陸に向かいます。
2014.08.29
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K氏の車は、石巻の大川小学校に向かいました。 あまりにも悲しい記憶として、私たちにも忘れることができない場所です。 茫洋とした風景の向こうに、大川小学校が見えてきました。 広大な敷地にゆったりと建てられた、2階建ての、とてもモダンな校舎。 校舎に近づき、愕然としました。 校庭を横切って猛スピードで押し寄せた巨大津波は 校舎の2階の高さにまで達し、屋根をも越えたのです。 猛烈な水の力がコンクリートを捻じ曲げ、倒してしまっています。 校舎のうしろがわ。 校庭からは、5分で裏山に避難できたはず、といいます。 児童の親ならずとも、どうして、どうして、と問いかけずにはおれません。 校庭に整列した児童たちは、先生の引率のもと、 はるか向こうに見える、北上川にかかる橋のたもとに避難を始めました。 裏山よりも200メートルも西の場所に。 児童たちは北上川を5キロもさかのぼってきた津波にのみこまれました。 地形的に、これまで石巻市は大川小学校への津波到達を 想定していなかったと聞きました。 むしろ、小学校の校庭は近隣の避難場所に指定されていたそうです。 正面には、全校生徒108人の7割、74人の児童の 霊を弔う慰霊碑が建てられ、碑の前は供花で溢れていました。 その横には、校舎に向かって 『エンジェル オブ ホープ』の像が両手を広げています。 児童たちの「私たち,ぼくたちを忘れないで」という声が 聞こえてくるような、つらい切ない時間でした。
2014.08.27
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古都奈良の,世界文化遺産に登録されている古刹 『元興寺』の地蔵会万灯供養に出かけました。 先週土曜日のことです。 遅れて到着したので、極楽坊ではすでに法要が始まり、 大勢の僧侶の読経が堂内に響いていました。 家族連れ、カップルなど大勢の人たちが板の間に座って 手を合わせて神妙に耳を傾けています。 世界遺産の格式のあるお寺さんですのに、 ここ元興寺は、 ささ、おはいりおはいり、といった、 居心地の良さを感じ、温かい空気が流れています。 香炉が回ってきたので私もお焼香をしました。 境内にはおよそ千五百体のお地蔵さまが安置され、 灯明を灯して、万灯供養が行われます。 お皿には菜種油が注がれ、イグサの芯に点火すると いつまでも焔をゆらして燃え続けています。 私も毛筆で 「家内安全」と書いて、 火をともし、手を合わせました。 あたりが暗くなると、何百という灯明が闇に浮かび上がって 幽玄の世界です。 極楽堂には、毎年、各界の名士が奉納した行燈絵が ぐるりにかけられて、ぼんやりと明かりが透けて見えて 絵や文字を浮かび上がらせています。 一つ一つ、個性ある文字や絵など見て歩くのも この日の楽しみの一つ。 川瀬直美さんの行灯はいつもすてきです。 飛鳥時代の古瓦も使われている、さながら芸術作品のような 屋根がうつくしい 極楽坊や禅室。 ことしは この禅室で、お斎(とき)を振舞っていただきました。 味付けの極意がそれぞれのお料理から にじみでる、さすがのお味でした。 特筆すべきことがふたつ。 ひとつは、この部屋 禅室(国宝)に、 魂の叫びのような,今にも飛び出しそうな大胆な絵や文字が 古材を使った大ついたて6脚に描かれ、置かれていること。 須田剋太さんの作品です。 それも人が座って食事をしているすぐそばに、無造作に置かれているのは、 須田ファンにとっては、まぶしい光景でした。 6脚の大衝立は後日、ご紹介します。 もうひとつは、元興寺が修復した、全国的に珍しい紙製の地蔵 (18世紀初頭)が初公開されたこと。 衆生を救おうと前のめりになっています。 以下、毎日新聞より転載。 像の内部からは東大寺の大仏殿・大仏復興に尽力した公慶上人の勧進札▽「享保三」(1718年)とある女性の戒名を書いた紙片▽「観音経」「血盆経(けつぼんきょう)」などの経典▽役行者の印刷物など約170点の紙類が見つかった。X線撮影で、彩色された小型の木製地蔵菩薩像(千体地蔵)が、左右の袖や腰付近に計16体埋め込まれていることも判明した。 元興寺の辻村泰善住職は「江戸の大仏復興を契機に、庶民の地蔵信仰も高まっていた証し。紙製の仏像は、奈良では中宮寺など尼寺に伝わっており、女性の願いとの関係が深いのでは」と話している。 次回訪れたときには、じっくりと拝見しましょう。
2014.08.25
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被災地訪問から帰った翌日の夕食に、 気仙沼で買ったオイスターソースをさっそく使ってみました。 気仙沼湾の入り組んだリアス式海岸の複雑な海流が おいしくて安全な牡蠣を育てます。 3月~4月の産卵を控え、栄養をたっぷり蓄えた牡蠣だけを 原料に使って、濃厚な、完熟牡蠣が作られるとか。 震災後、未だに仮設住宅で生活しているお母さんたちが結束して、 『大好きな気仙沼の味や食材をもっと全国に広めたい』と、 <気仙沼マザーフード研究会>を発足させて、 開発段階から協力した 記念すべき最初の商品が この完熟牡蠣のオイスターソースです。 気仙沼を訪れたとき、復興市場で買いました。 まずはビールのあてに、ごぼてんと丸茄子の揚げびたし。 パスタは、長茄子とエビのぺペロンチーノ。 オリーブオイルでニンニクと唐辛子をいためて、 茄子、エビの順に投入、 茹で上がったパスタを加えます。 最後に大さじ1の完熟牡蠣のオイスターソースで 味をつけました。 バジルをたっぷり混ぜ込みました。 今まで使っていたものとの違いが歴然!! まろやかな口当たりと、あとを引く奥深い味わい。 さっそくネット検索して追加注文しました。 農林水産大臣賞受賞、 無添加ってのもうれしい限りです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 箕面市も今日は午後から急に激しい雨が降り出し、 TVの音も聞こえないほど。 先ほど箕面のFMラジオを聞いていると、緊急災害情報が・・。 娘の住む地域に避難指示が出て、地元の中学校に避難を、と 呼びかけていたので、ブログを中断し電話をすると、 外出中でまもなく箕面駅に着くとのこと、 急いで迎えに行ってきました。 娘の住むマンションはすぐ後ろが箕面山。 近くでは1階まで浸水したマンションもあり、 今後がけ崩れなどの心配もあります。 広島の土砂災害の映像を見るにつけ、 日本列島はいまや災害列島となったような 気さえします。 こういうときに何もできないことにむなしさを感じるばかりです。 皆さんの地域はだいじょうぶですか?
2014.08.24
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宮城県名取市からスタートした被災地訪問は、 陸前高田在住のK氏の運転で、太平洋岸沿いに 北上します。 一行は40代から70代までの大学同窓仲間。 「若い人たちが立ち上げたNPO法人<GRA>と 山元町の地元農家が組んで、 夢のプロジェクトがスタートしています」と、 K氏が案内して下さったイチゴ栽培ハウスです。 山元町の主要産業であるイチゴ栽培も、壊滅的な被害を受け、 129軒あったイチゴ農園のほとんどが津波で流されました。 GRAの若者たちは、東北を世界的な先端園芸の集積基地に育て、 山元町のイチゴをナショナルブランドに、とがんばっています。 若者とタッグを組んだ、地元農家の人たちの取り組みは 被災した多くの人たちの希望となるでしょう。 GRAのパンフレットより ↓ 山元町の産業全体が活気づいて、 いつか、東北を世界に誇れる日がきっと来ると確信した、 心が弾むうれしいひと時でした。 雨がしょぼ降るなか、日本三景「松島」に向かいます。 松島海岸が見えてきました。 ここは他の地区に比べると被害が小さく、犠牲者が一人だったのは、 松島湾内や海中に浮かぶ島々が防潮堤となったから、と 聞きました。 よかった! とはいえ、やはり津波の威力がものすごかった証が ランチに入ったお店の、2階に上がる階段に記されていました。 今回の被災地訪問では、現地でがんばっている女性とお話をすること、 震災遺構物を視察すること、復興商店街や飲食店など、 復興の状況の分かる場所にいくこと、 おいしいものをたくさん食べて、お土産をたくさん買って帰る、 ということを事前に話し合っていました。 さて、現地入りして初めての食事タイムです。 たっぷりのイクラとうにが乗った丼。 ぷりぷりのいくら、とろけそうなウニ、 ホッコリと炊けているご飯。 おいしくて泣けそうでした。 今回のプランは2泊3日で、岩手県釜石まで移動する予定です。 長距離を効率よく移動ができるのも、K氏のおかげです。 車は太平洋のリアス式海岸沿いに北上、 石巻市女川に入ります。 どこに移動しても、夥しいいお墓群が目に入ります。 4階建ての江島共済会館は 無残な姿で横倒しになったままでした。 鉄骨造4階建て。基礎の杭が抜けて、鉄骨がむき出しです。 土台ごと持ち上げられ、横倒しです。 町内にあった七十七銀行女川支店の行員は 支店の屋上に避難しましたが、屋上を超える20メートル近くの 巨大津波が襲い、12名が死亡・行方不明となりました。 3・11から3年5ヶ月経ってなお、 当時のままにその場所にある、悲劇の現場を ご遺族の方たちはどのように見ているのでしょう。
2014.08.21
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空港からすこし走ると、松の防潮林があった海岸線から すこし内陸に入ったところに、なだらかな丘が見えました。 「千年希望の丘」と名づけられ、数々の教訓を 千年後の子供たちに残そうと作られたものです。 まわりには森の防潮堤となるように、 たくさんの樹木の苗が植えられていました。 『震災遺構』 。 この地区は仙台空港からも近く、太平洋を望む自然と都市が共存した 恵まれた環境の町と聞きました。 津波の襲来を受けた閖上地区は壊滅し、 見渡す限り雑草の茂る平地ばかり。 まだまだ復興には程遠いという印象です。 1日も早く以前のような活気のある町になりますように。
2014.08.20
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東日本大震災から早や3年5ヶ月が過ぎました。 その間、いつも体のどこかに澱のようなものがたまっていました。 今回、やっとチャンスがめぐってきたので このタイミングを逃すときっとこの先ずっと行くことはないだろう、 と、おもい切って現地を訪問してきました。 2014・8・17 伊丹発仙台空港行き 7:30発JAL2201便に搭乗。 仙台空港に到着。 空港ターミナルに飾られている、とりどりの七夕飾りは この日が最終日でした。 あの日、海岸から凡そ1キロしか離れていない仙台空港にも 津波が押し寄せ、滑走路が水没、周囲には無数の自動車や 瓦礫、小型飛行機などが浮かび、空港ビルは陸の孤島となりました。 空港から車で出発してまもなく、なんとも心細い気持ちに襲われました。 すぐ目に入ったのはまばらな松林と凪いだ海の、モノクロの光景です。 今回の2泊3日の旅程は、陸前高田在住のK氏のお世話で、 大変密度の濃い、実りある被災地訪問となったと思っています。 今日のLAL2208便でもどりましたが、 あすからすこしずつレポートします。 『風化させない』 『できることをする』ために出かけ、 私の目で見たり聞いたりしたことの報告です。
2014.08.19
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なぜかまた写真が取り込めましたので続きを。 糺の森から下鴨本通りに出て、遅めのお昼ごはんは、 通りに面した鯖寿司のお店『花折』でいただきました。 100年続く老舗、『花折』の解説を読むと、 京都と鯖寿司との関係が分かります。 海から遠い京都は、古来、朝廷の食の一端を担っていたのが、若狭、小浜。 若狭、小浜の海の幸を宿場から宿場へと昼夜を分かたず京の都に運んだのでしょう。 この若狭街道が、鯖街道と呼ばれるようになったのは、 江戸中期。 ハレの日のご馳走として鯖寿司をたべる食文化が生まれ、 いつしか「若狭街道」が「鯖街道」と呼ばれたといいます。 花折のメニューはふたつだけ。 私は鯖寿し膳、オットは炙り鯖寿し膳。 龍飛昆布に包まれて、ぼってりと肉厚の真サバです。 しっかりとお酢味が効いて、 もっちりとしたごはんとのバランスもよく、 3切れでじゅうぶん満足。 オットの炙りとひとつ取り替えっこしましたが、 こちらも香ばしいかおりが口中に広がって、甲乙つけがたし。 小さな器には、上品なデンブが盛られています。 とてもおいしいので、正体は何かたずねましたら、 お茶っ葉と、鯖の骨についている身をほぐして佃煮風にしたとのこと。 出がらしのお茶っ葉を細かく細かく刻み、 鯖のほぐし身とあわせると、こんな上品な一品が。 絶品のカキ氷と、あとを引く鯖寿司にもめぐり合えた ミニ旅でした。
2014.08.15
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オットの診察日で京都に出かけ、 午後からはぶらり下鴨神社を散策することに。 ちょうど古本まつりも開催中だし。 京都駅から市バスに乗りこみます。 車窓から、賀茂川で水遊びする家族連れの たのしそうな様子を見下ろしながら 下鴨神社に到着。 紀元前3世紀ごろの原生林とおなじ植生が今に伝わる 『糺(ただす)の森』を擁する下鴨神社は 世界文化遺産に登録されています。 たくさんのお社がある境内をめぐります。 「お白石」は本殿の御垣内に敷き詰められている白く清らかな石。 漬け物石ではありませぬ。 遷宮ごとに新しく敷き詰め直すのが伝統だとか。 境内にある、あの有名なカキ氷やさん『さるや』に直行。 純白の氷です。黒蜜白玉をお願いしました。700円。 練乳がたっぷりかかっている、アルプスの処女雪のような山に、 添えられた黒蜜をタラ~リとかけていただきます。 ひとくち口に含むと、ハ~~~ はかなく消える淡雪のよう。 これがカキ氷?って思うほど品のいい、布で言うなら絹のような氷です。 こめかみがキ~ンと痛くなるような、そこらへんのカキ氷とはわけが違います。 下鴨神社のご神紋 双葉葵の湯のみでお茶をいただき、 一息ついたところで糺の森のほうに歩いていきます。 何しろ、縄文時代から生き続ける3万6千坪の森なんです。 都市の中にこんな森林があるなんて。 先日訪れた札幌の円山公園も感動しましたが、こんな身近なところで、 天然のオゾンに満ちた原生林の中を今歩いている、という感動を オットに熱く訴えると、「ワシのむかしの散歩道や」。 ドタッ 京都育ちのオットは、子供のころから自転車で 京都じゅうをくまなく走り回っていたそうです。 お~やってるやってる このテントの数とお客さんの多さにびっくり。 27回目を迎える《下鴨納涼古本祭り》は 京都府内の古書店で作る『古書研究会』のみなさんや 他府県からやって来た古書店などが出店。 その数約80万冊。絵本、漫画から学術書、文学、専門書、趣味の本など、 国会図書館並みのラインナップに興奮です。 買いたい本、数々あれど、ぐっと我慢してみるだけでした。 古本まつりは16日までですよ。 糺の森には小川が流れていて、季節の神事なども行われます。 きのこハカセが見つけたキノコ。 森を蛇行する小川のほとりを歩くと、暑さを忘れます。 お昼ごはんを食べそびれ、遅めの食事は、 下鴨本通りに面した、鯖寿司の店 『花折』。 ここで、本日の写真の容量はいっぱいとなってしまいました つづきはまたあした。ごきげんよう・・さようなら
2014.08.15
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ポストに葉書きや手紙が入っていると、 ワクワクして、すぐ読むのがもったいないような 乙女チックなきぶんになります。 80才、90才になってもそんな気持ちになるのかしら? 生きていたら・・の話ですけれど。 今日は京都に住む友人から、こんなステキな葉書きが届きました。 銅版画です。 ステキ!! 彼女の作品はいつもすがすがしく、あたたかく、やさしさに溢れています。 下に「海の音」と書いてありました。 目を閉じると潮騒がきこえます。 ありがとう!靖子さん 先日は、むかしの職場の先輩から手作りの葉書きのプレゼントが 届きました。 自然をテーマにしたフォト日記がすてきな、andante-desseさんです。 http://fresco1939.exblog.jp/ 私も手紙や葉書きを書くのが好き。 今日もこの葉書きを使って3枚書きました。 念を入れてポストに投函します。 タラヨウという木があります。 ハッパの裏に文字がかけます。 ちょっとロマンチック。 何か書いてさりげなく渡したりして・・ 実際この葉を葉書き代わりにして、切手を貼って 届くかどうか、自分宛にポストに投函した人がいるんですって。 届いたそうですよ。 ほんとかなぁ・・
2014.08.12
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昨日の台風11号の風雨、皆さまのところはだいじょうぶでしたか? 箕面でも雨、風が激しく、ほとんど外の景色がみえないぐらい、 かたまりのような雨が、風と共に右に左にと動いていました リビングルームからベランダを見ると、 南の風が強く、 ガラス戸に雨が叩きつけられて、観葉植物の大きな鉢が3つ 横倒しになっていました。 今朝は台風一過、さわやかな青空が広がりましたが、 被害が大きかった四国中国地方の皆さんは 復旧作業が大変なことでしょう。 今、オットが「ちょっと来てごらん」と呼ぶので 見ると、ベランダの網戸に、セミがとまっていました。 台風で羽が傷ついたのか、少し弱っているようでした。 これから畑の視察に行ってきます。
2014.08.11
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整理収納の達人 ミキさんから、私もこれまで 大いに刺激を受けてきました。 『 整理の苦手なかたのお宅にうかがって 具体的なアドバイスをしながら、部屋をすっきりさせていく』 ミキさんの感性がさまざまなシーンで発揮されることでしょう。 リビングルームの観葉植物、大きな火鉢に入っています。 実は小さな鉢植えが4つ入っています。 年とともに、大きな植木鉢を移動させる体力がなくなるので な~るほど、と納得です。 ひとつずつ取り出して、ベランダで水遣りもらくらくできます。 洗面所などの水まわりは、ともすれば大雑把になり 物置化するものです。 必要最小限のものを置き、タオル類をきっちりたたむだけで 気分もさわやか。 オットの寝室 妻の寝室 カーテンボックスも、インテリアスペースとなります。 キャンドルのアレンジはミキさんの作品です。 古いキャビネットや物入れのボックスも、 上部に白いタイルを何枚か敷き詰めたらアンティークなコーナーに。 リビングルームにも、ピアノ、TV,楽器以外 モノはありません。 4段ひきだしには、ハンカチのほか、日常使うこまごましたものが 仕切り別にきちんと収まっていました。 台所の流し台の下のボウルもこれだけあればじゅうぶん。 ミキさんの整理術を見ていると、ただモノを捨てるだけでなく 思い出として大切にとって置きたいものも 上手に生かしていることが分かります。 ミキさんのお知恵、拝借しませんか?
2014.08.10
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整理収納のセンス抜群の友人がいます。 私たち仲間は彼女のことをカリスマ、とあがめています。 住まいは池田市の郊外。 部屋のどこを切り取っても、使い込まれたような懐かしさを感じます。 ミキさんの天性のセンスゆえでしょう。 テラスからは眼下に街並みが見下ろせ、 とりどりの屋根の下で営まれている家庭のことなどに 思いを馳せると、さまざまなことがあたまをよぎります。 私とほぼ同年代の、年季の入った専業主婦ですが、 このたび、ミキさん、目覚めました! 『整理、収納の苦手な人のために、何かしたい!』 彼女はPCを扱えませんので、<私がお手伝いをするわ!>と 申し出ました。 このブログを見てくださった方が興味を持ってくださったら 嬉しいです。 ・部屋をすっきりとセンスよく片付けたいんだけど、 どうしたらいいかわからない。 ・物を、使い勝手がいいように収納するコツ ・片付いた部屋を持続させるには・・ などなど、整理、収納が苦手、と悩んでいる方、 気持ちよく秋を迎えるために 一歩踏み出してみませんか。 整理・収納は単なる技術ではなく、 何十年と重ねてきた人生が整理収納術に反映されるものです。 その方のライフスタイルを生かしながら、 整理、収納のアドバイスができれば・・と ミキさんは張り切っています まずミキさんの家の中を少しご紹介しましょう。 訪れるたびに思うこと。 ・ モノが少ない 基本は使い回しです。 <キッチン> 流しまわり 鍋類はこれだけ。 黄色い琺瑯ナベは 揚げ物も兼用。 流し台の下の引き出し ふきん 器 箸置きのコレクション テレビを見るための座椅子にかかっていたのは、 タオルのエプロン2枚。 これなら洗うのも簡単ね。 背もたれの部分は、腰から下のサロンエプロンが かけられています。 前には胸当てのついたエプロンをうまく取り付けています。 押入れに眠っていたエプロンが、表舞台に登場したのです。 エプロンのポケットが、リモコン入れになります。 20年ほど前に娘が誕生祝にくれたお針箱が色あせてきたので、 お得意のレース編みをかぶせてみたら レトロっぽいお針箱によみがえったとのこと。 古いものでも、オシャレに変身させて、とことん使い切るのが彼女の流儀。 モノを増やさない極意でしょうね。 女物のTシャツ 夫婦のパジャマ・下着類です。 我が家の下着入れの引き出しを思い出してみると・・ 数が多い割りに、いつも使うのは手前に入れている数枚のみ。 もう一度見直してみましょう。 写真の枚数の上限を超えましたので、 残りの写真のご紹介は明日のパート2で。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ミキ石田 住所: 池田市伏尾台2-1-8 : 072-753-5114(FAXも) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2014.08.09
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夏野菜もピークを過ぎました。 唯一、ミニトマトだけはまだ毎日たくさん取れます。 お肌がはちきれそうなかわいいトマト う、うらやまし~~~
2014.08.07
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久しぶりのごはんネタです。 友人が立ち寄ってくれたので、一緒にランチをすることに。 最近は、友人たちと我が家でランチするときは、 ”もれなくダンナがついてくる”ということをみんな了解済みです。 人好きのオットにとっては、友人たちはすばらしいおしゃべり相手です。 前の晩作って冷蔵庫で冷やしていたあんず紅茶です。 一晩つけたあとのあんずと浸ける前のと。 3倍ぐらいに膨れています。 従妹が白馬で作ってくれたクリームチーズを再現しました。 フィラデルフィアクリームチーズとパインアップルだけでできる 超簡単なトッピングです。 甘さほんのり、パイナップルのつぶつぶが決め手です。 先日クール便で届いた、吉松ファームの 「究極の黒豚」(トンカツ用)がおいしかったので、 メニューは食堂ランチメニュー風に、トンカツ定食と決めました。 ついでになすびもパン粉で揚げました。 トンカツは大根おろしと大葉、ポン酢でさっぱりといただきます。 なすびとズッキーニの煮びたし。おだしに干しエビも加えています。 茗荷の千切りをトッピング。 新れんこんの梅肉合え。しゃきしゃきです。 お吸い物、わさびの葉のしょうゆ漬けを添えて、 友人も完食してくれました。 暑い季節、たまにこんなミニイベントをするのも、 掃除に気合が入り、自分にもハッパをかけられるので 夏ばて解消のアイデアとしていかがですか?
2014.08.05
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JR大糸線の白馬駅の前に『おじさんの店』があります。 おじさんは山岳ガイドもしているので、 おみやげ物のほかに、レンタサイクルや登山用品のレンタルも 扱っている、何でも屋さんです。 おじさんが山に入っているときは奥さんひとりでお店番です。 この日は奥さんと仲良く店番をしていました。 ここでトピックス! これを買いました。 従妹に教えてもらいました。 以前買ってとってもおいしかったので 今年もぜひ!とおじさんの店にゴー! あったあった! 人気商品なので、品切れすることも。 このあんずは信州産です。 《 ももあんずと呼ばれて、とても大粒で肉厚な品種。 そのまま食べるよりも冷たいウーロン茶か紅茶を たっぷり容器に入れて、一晩冷蔵庫で漬け込んでいただくと とても柔らかくフルーティな味が楽しめる》 と書いてありました。 さっそく紅茶を作り(500ccほど)冷やしたあと、 あんずを6コ投入して冷蔵庫で一晩冷やし、 翌朝いただきました。 あんずの甘さがほんのり紅茶に溶け込んで、 さわやかなドリンクです そして絶品だったのは、漬け込んでたっぷり膨れたあんずの実。 まるで桃を食べているよう。 食感もよく、もも杏の香りがお口の中に広がります。 急いで追加を買いに走りましたよ。 お店の奥には、梱包済みのクール便が積みあがっています。 毎年、県外からのリピーターも多く、大人気のあんずちゃんでした。 今晩も紅茶にあんずを入れて、冷蔵庫で寝かせておこう! あしたのおたのしみ 台風の影響か、今日は少し凌ぎやすい1日でした。 四国の記録的な豪雨の映像を見ると、被害の大きさが想像できますね。 自然の猛威はいつ牙を剥くか分かりません。 不安な夜を過ごしている皆さんには一日も早く 平安な日が戻りますように。
2014.08.04
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2日目の夕食は、川魚料理の店「こいや」さんで。 旅館街を通り抜け、名木山ゲレンデの終着地点にある ゴンドラ乗り場のふもとにあります。 学生時代、スキーを1日楽しんだあと、よく『こいや』に通ったわ。 スキーをつけたまま店の前に横付けして、どたどたと店に入って。 当時は店先に生簀があり鯉が勢いよく泳いでいました。 あれから50年、店の仕様は少し変わったけれど、 ずっとお店が続いているってすごい! 白馬の歴史です。 コイのあらい。辛子酢味噌でいただきます。 塩焼きの下に敷いてあるキャベツの千切りに やや厚めに切ってあるので歯ごたえ充分。 鯉の旨みがしっかり移ってこれまたおいしい。 鯉のサイズ、30cmはあります。 川魚は泥くさいというイメージがありますが、こいやの鯉は全くクセがなく上品な味です。 北アルプスの清流に放たれているからでしょうね。 メニューの<こいやコース>は、鯉こく、鯉のあらい、鯉の塩焼き、うな重に肝吸い。 自家製の、茄子の浅漬け。 ここのコイ料理を食べた人は目からうろこよ。☆☆☆☆ おいしいタレのかかった鰻重もふんわり柔らかく絶品。 ただし水槽に泳いでいる鰻を料理するので、テーブルに運ばれるまでに 30分は待たなければなりません。ゆとりを持って出かけるべし。 家に戻って夜のお楽しみ、一杯のみながらのおつまみは ささ身の燻製、水茄子に chariが作ってくれたディップ。 準備するのはフィラデルフィアクリームチーズとパイン缶。 クリームチーズに、パイン缶のジュースを少しずつ混ぜながら とろりとした柔らかさに仕上げ、パイナップルを細かく刻んで 一緒に混ぜ込んで完成です。あってる? ソーダクラッカーにトッピングしてお口にぽいっ! なんてまぁおいしいの?パイナプルのつぶつぶがいい感じ。 翌朝早く、食事前の散歩は、稲の香りに誘われて、どこまでも続く田んぼのあぜ道を テクテク 空気がおいし~~~! 朝食後、そうだ、穂高の大王わさび農場に、わさびの葉を買いにいこう!と 車をスタート! わさび作りを始めてまもなく100年になるという、 日本最大のわさび農場です。 黒い覆いの下には、みずみずしいわさびの葉が茂り、 畑の中から湧き出ている透き通った湧き水が常に流れていて、 いつきても、すがすがしい景色にみとれます。 買って帰った葉わさびをさっそく料理してしょうゆ漬けに 仕上げたのは、料理好きの息子。 大瓶5本に詰めました。
2014.08.03
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なが~~~~いごぶさたでした。 いえ、別に海外逃亡を図って失踪・・・なんてことじゃなくて パソコンは いつもそこにあったのですけれどね。 白馬で1週間過ごし、大阪に戻って襲ってきた猛暑。 昼間にエネルギーを使い果たし、夜は抜け殻でした。 1週間ほど、ひたすら寝ました やっと現実にもどりつつあります 東京からやって来た息子、従妹のchari, itchi夫婦も加わって 6人で過ごした白馬日記を頭の中で反芻しながら いつの間にか8月に突入していました。 さ!職場復帰!! 名神吹田→中央道→長野道・安曇野インター→大町経由で白馬まで 430キロのロングドライブで、なつかしのキャプテン’sキャビン到着。 いつものように、まず、けものみち状態に伸び放題になっていた 草刈から。 電気草刈機でガリガリ刈り取って道をつけたあと、 のこぎりでギーコギーコと余分な枝を切っていきます。 ホタルブクロがあちこちに咲いていました。 ひと汗かいたら、まずは駅前の温泉で汗流し。 430キロ運転したので肩も凝ったわ~~ 洗い場のガラス戸にカエル君がぴったりくっついて のぞきの現行犯 逮捕 息子はさっそくテラスでなにやらごそごそと・・ 桜のチップで鶏のささみ、帆立貝柱、シシャモの燻製を作るらしい。 下味をつけて、いぶし焼き。 いいにおいに胃袋うごめく~ お味? 絶品でした! 一夜明けて、従妹達と白馬岳の登山口、猿倉荘までドライブ。 巨岩をぬって流れる翡翠色の水! こここそ、私のパワースポットなのです。 向こうに見える、ワイヤーだけのつり橋に足をかけると 冷気と恐怖で足がつりそうになりますが、それでも 毎年やってこずにはおれない、取っておきの場所。 白馬岳登山口の村営「猿倉荘」は標高1250メートル。 気温15℃のきりっとした冷気がきもちいいです。 北アルプスを縦走した人たちも次々と下山してきます。 な 毎年遭難者が絶えない峻険な山岳地帯ですが、登山者にとっては 魅力一杯の山です。 マップの赤丸は2013年に遭難死した地点です。 私もその昔オットにだまされて 誘われて、白馬岳から唐松岳まで 3日かけて縦走しました。 死ぬかと思いました それではまたあした。ごきげんようさようなら
2014.08.01
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