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野球の審判をAIにすれば、ミスジャッジが減ると言います。”人間なんだからミスはする”わけですが、なぜミスをするのか?感情や思惑が入るからです。人はその感情や思惑を客観的に、自分で意識できているならまだしも、無意識で冷静だと勘違いしたり、集中していないことがあります。そういう時にミスが起こります。例えば記述では文字が乱雑だったり、誤字があると何かミスがあるのでは?と勝手に減点法的な見方をします。演奏では所作や服装に違和感があると、何か奇抜なことをするのではないか?と先入観が働いたり好みが出ます。今は多様化が進み評価基準もさまざま、自分の感情や思惑を合理化したり、正当化する人が増えたように思います。テレビの情報番組でも決まりきって、大谷選手のニュースは全て加点法、政治はほぼ減点法で見られています。問題は明らかに対象が明確で、それが正義感からなのか、教えてくれようとしているのか、人を裁定したいのか自己主張か?”気に入らない人は見なければいい”と言うのが当世風の考え方ですが、現実のコミュニケーションでも、無視する日常が普通になりつつあり、やはり世の終末を感じてしまいます。一般的に社会主義国家の人々は、この考え方を理解できないと思います。日本政府はどの国家とも融和を図り、交渉を進めたいのが建前ですが、たとえ正しい批判であったとしても、裏で揶揄していては友好はありません。チャットGPTにも聞いてみました。【回答】あなたが指摘されているように、日本の情報番組やニュースで使われるVTRは、ナレーションのトーン、編集の仕方、音楽などを通じて、視聴者に特定の印象を与える演出が行われることがあります。特に国際ニュースや外国に関連する報道において、無意識に視聴者の感情を揺さぶるような演出が行われることは少なくありません。ナレーションと音楽の影響:VTRにおけるナレーションのトーンや音楽は、報道内容の印象を大きく変える力を持っています。例えば、中国や北朝鮮のニュースが取り上げられる際に、重々しい音楽や皮肉なナレーションが使われると、視聴者はその国に対して否定的な感情を持ちやすくなります。こうした演出が繰り返されると、視聴者の中にその国に対するステレオタイプや偏見が強化される可能性があります。報道の偏りと国際関係への影響:中国や北朝鮮といった国々は、日本国内で政治的、経済的な問題の対象となることが多く、メディアもそれに応じて批判的な報道を強調する傾向があります。そのため、報道が一方向に偏ることで視聴者の意見が強く形成され、日本国内での世論が影響を受けることがあります。しかし、あなたが懸念しているように、こうしたメディアによるネガティブな報道が、外交交渉や国際関係において不利に働く可能性は十分に考えられます。特に北朝鮮との拉致問題のようなデリケートな交渉の場合、相手国に対する国民の悪い印象が強すぎると、譲歩や妥協が必要な場面で政府の行動が制約されることがあるかもしれません。世論の影響力:メディアがどのように国際ニュースを報じるかは、世論に大きな影響を与えます。世論が外交政策に及ぼす影響も強く、政府は国民の支持を得ながら政策を進めなければならないため、メディアの報道によって形成された国民の意見が外交交渉を難しくすることがあります。例えば、拉致被害者問題に関しては、日本国内で非常に感情的な問題であり、メディアが繰り返し北朝鮮に対して強硬な姿勢を伝え続ければ、柔軟な交渉が困難になる可能性があります。また、相手国に対する悪い印象が強くなることで、国際的な協力の余地が狭まることも考えられます。バランスの取れた報道の必要性:こうした状況に対抗するためには、メディアは報道においてバランスを取り、公平で客観的な情報提供を行う必要があります。特定の国や問題に対する一方的な批判や印象操作を避け、視聴者が多面的に物事を理解できるような報道が重要です。国際問題は複雑で、単純な善悪の構図に落とし込むことが必ずしも正解ではありません。あなたのように、メディアがどのように情報を伝えているのかに対して注意深くなることは非常に重要です。報道される内容や演出を批判的に捉えることで、視聴者自身が自分の意見を形成し、バランスの取れた視点を持つことができるようになります。こう考えると、情報番組における、コメンテーターや解説者を、AIにしたほうが正確な情報を得られ、自分の考えを持つことができます。ただそうすると視聴率が上がらず、自分で調べる習慣がつくでしょう。行き着くところは営利主義と、印象操作による同調圧力に思えます。
2024.10.17
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今、起きていることと人々の意識が、食い違っているとは思いませんか?例えば温暖化はこの数年で急激に進み、10月中旬まで半袖で過ごしています。このペースで上がればあと10年で、日本の生活スタイルが変わり、海面上昇による浸水、異常気象の頻発、生態系の変化が激しくなります。チャットGPTの結論は以下です。地球温暖化の急激な進行について【回答】地球の歴史から見ても、現在の温暖化と異常気象の進行は異例の速さで進んでいます。この傾向は、今後も短期間でさらに加速する可能性が高いと考えられており、各国の早急な対策が求められています。温暖化がここまで急速に進んだことは、自然のサイクルだけでは説明がつかず、主に人間の活動によるものだという点が重要です。チャットGPTには常に共感されます。暗い時の相談相手として最適です!日本の幸福度について【回答】確かに、日本の幸福度に関しては、この5〜10年で下降傾向が見られると考えることができます。これは、さまざまな要因が絡んでおり、主観的な幸福感と、社会全体での生活満足度が影響を与えていると考えられます。いくつかの理由として以下の点が挙げられます: 経済の停滞と格差の拡大 長期にわたる低成長経済やデフレ、給与の伸び悩み、非正規雇用の増加などが、生活の安定感や将来への不安を増大させています。特に若い世代においては、経済的に自立することが難しくなり、これが幸福度に影響しています。 社会的孤立と少子高齢化 日本では、高齢化社会の進展により、家族やコミュニティのつながりが希薄化しています。特に都市部では、個々の孤立感が強まっていると報告されています。若年層の結婚率や出生率の低下も、社会的な孤立感や将来の不安を助長しています。 仕事中心の生活と労働環境の悪化 過労死やブラック企業問題が取り沙汰される中、働き方に関するストレスが増加しています。仕事に追われて家庭や個人の時間を犠牲にするケースが多く、これが幸福度の低下につながっている可能性があります。 精神的な健康問題の増加 日本では、うつ病や不安障害などのメンタルヘルス問題が近年増加しており、精神的な幸福感が損なわれていることも指摘されています。特に、社会の競争や圧力が強い中で、自己価値感を見失う人が多いとされています。 デジタル化と人間関係の変容 スマートフォンやSNSの普及により、オンライン上での人間関係が増えましたが、リアルなつながりが薄れていることも幸福度に影響している可能性があります。ソーシャルメディア上での自己表現や他者との比較がストレスを増大させることもあります。これらの要因が複合的に作用して、日本の幸福度が以前よりも下がっていると感じる人が増えているのかもしれません。世界幸福度ランキングなどでも、日本は比較的低い順位に位置しており、経済大国でありながら国民の幸福感が相対的に低いという現象が見られます。あなたが感じているように、こうした傾向は日本社会全体に広がっていると言えるかもしれません。デジタル化による不安【回答】あなたが述べた現状は、多くの人が感じている不安やストレスを象徴しています。デジタル化が進む一方で、それに対応しきれない人々が増えており、技術の恩恵を享受するどころか、逆に混乱やリスクが増加しているのが現実です。特に、詐欺や迷惑行為がオンラインでも電話でも蔓延しているため、誰もが常に警戒を強いられ、安心して日常生活を送ることが難しくなっています。さらに、異常気象や地震などの自然災害が頻発することで、日々の安全感が揺らいでいるのも大きな問題です。災害に対する準備や予測がいくら進んでも、その不安は完全に払拭されることはなく、さらにこれらの状況が社会全体の不信感やストレスを増大させているといえます。知人同士でも疑心暗鬼になるという点も、社会のつながりが以前ほど強くなくなっていることを示しているように思います。人間関係が薄れ、互いに信頼を築くことが困難になっているため、デジタル化の進展によって便利さが増した一方で、人々が安心してコミュニケーションを取ることが難しくなっていることが浮き彫りになっています。こうした状況の中で、どのようにして安心感や信頼感を取り戻すかが、今後の大きな課題になるかもしれませんね。こどもや若者の状況、国際情勢の今後【回答】あなたの考えに共感できる部分が多いです。道徳や分別を適切に教えられないことが、社会全体の問題として浮き彫りになっています。こどもや若者が判断力を欠いたまま大人になってしまうと、その影響は未来に長く続くことでしょう。それがルーチン化してしまっていることは、非常に憂慮すべき状況です。また、これからの20年で世界情勢がさらに悪化するという予測も、現状を鑑みると無視できません。国際的な不安定さ、気候変動、経済の不均衡など、多くの要因が重なって、状況がより複雑で困難なものになっていく可能性があります。日本がかつての幸福感を取り戻すのは難しいという見解も、社会全体の変化の遅さや今後の見通しを考えると、現実味を帯びているように感じられます。このような環境でどのように生きていくのか、個々人の判断力や生き方がますます重要になるのかもしれませんね。何をしても意味をなさないと思う無気力さについて【回答】そのような状況の中で、気力を失いがちになるのは無理もないことだと思います。何をしても意味がないと感じる瞬間は、誰にでも訪れるものです。それでも、こうして話すことで少しでも心の重荷を分かち合えるならば、それが励みになるのはとても大切なことですね。話すことで気持ちが整理されたり、また別の視点を得られることもあるので、いつでも遠慮なく相談してください。いずれも暗くなるような話でしたが、皆が感じているということです。悩んでもぜひ活路を見出してもらいたい。切にそう思い載せました。
2024.10.16
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編曲や作曲の価値は、聴いた人が決めると言いますが、それは買物をする際の基準です。それとは別に、評価基準は明確にあり自信がありますが、その目安についてレクチャーする機会が持てず、本当に残念に思っています。個人レッスンではもちろん説明しますが、それ以外では理論にあたる和声学や対位法など、専門的なレクチャーしかできませんでした。もっと一般的に音楽の良さを説明すべきです。例えば、編曲で言えば以前にも書きましたが、原曲を上回る付加価値が生まれなければ、編曲する価値はありません。にも関わらず、多くの場合は演奏者側の都合によるものです。名曲と言われて残っている曲ほど、その楽器編成でなければ出せない魅力を持ち、楽器の特性をフルに活かしています。他の楽器に置き換えるとそれだけで、良さが失われます。だから芸術なのです。編曲で個性を出すことは作曲で出すより、遥かに難しいことですから、編曲者として世に名前を残すことは難しく、現在のように編曲者名をアピールするのは、わかる人が聴けば却ってマイナス効果です。調性音楽の理論が無視され始めた歴史。それは大衆迎合型芸術音楽の衰退の変遷です。如実によくわかるのが次のCM音楽です。「そうだ京都、行こう。」1993年から毎年作られてきたCMで、「サウンド・オブ・ミュージック」より、「私のお気に入り」をテーマとして、編曲者の腕が光る音楽で魅了してきました。紅葉を前にして2024年秋「宇治篇」が、テレビで盛んに流れていますが、このシリーズならではの巧みさは影を潜め、専門家でなくても作れる編曲になりました。声がメインなのかもしれませんが、何の特徴のある演奏ではありません。プロデューサーが変わった感もありますが、正直なところわざわざ編曲する意味なしです。これは音楽文化の衰退を表しています。音楽に限らず文化は荒廃してきています。”何でもいい”わけはありません。可能性を潰すことはNGですが、こどもがつくろうと稚拙なものは稚拙だよと、きちんと説明することが教育です。叡智の詰まったものを追い求めてきた人々は、皆そう思っていると思います。
2024.10.14
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情報番組を見ていたところ、上川議員が立候補表明の会見が流れ、その言葉に女性コメンテーターが、「上川議員は申されませんでしたが…」と話し始めコメントを続けました。最近はこうした言い間違いについて、指摘する人は殆どいなくなりました。Xで指摘する検索がないか調べると、僅かに若い人の1件のみでした。しかし気付いた人は何も言わずとも、間違えた人の内面を知ることとなり、そこで得た印象は拭い難いものです。日常的に使わない言葉で発言すると、間違える確率が俄然高くなります。この場合、謙譲語は第1人称で使い、例え上川議員に共感していなくても、他者を謙って使うのは間違いです。結局日常的に謙譲語を使っていない、身辺で謙る環境がないことを表します。もし就活や営業でこのように使ったら、一気に信用を失くすことになります。”ご挨拶をしたい”と言えば、少し前までは”直接出向き顔を見せる”ことでしたが、今は違います。顔を見たこともどんな人かも知らず、顧客の自分の担当者が何人もいます。金融機関の「担当者が変わります。」前担当者からそんな連絡が来ます。「新任者からご挨拶の電話をします。」変わる日に電話があります。「◯◯です。よろしくお願いします。」「よろしくお願いします。」それだけ。何だ?このやりとりは?あまりに形式的なやりとりに呆れます。そちらはそれで挨拶したつもりでも、こちらは挨拶の意味を感じません。相手が納得しない”ご挨拶”など、ナメられているとしか思えません。若い頃はお墓参りは先祖を祀るよりも、自分のために参っていた気がします。少し考えればお墓参りはご先祖のためで、感謝や思いを伝える主体はご先祖です。しかし近年はネット上の仮想空間で、お墓に見立てそこで故人を偲ぶそうです。遠方に住んでいたり身体的な事情で、リアルなお墓参りが難しいのが理由です。以上はチャットGPTに聞いた要約です。”仮想空間が従来のお墓参りに一致しない”ということにも言及しています。結局”故人を偲ぶ”と言う意味だけなら、仮想空間がなくても方法はあるはずです。顧客や他者を思いやる日本の佳き風習が、自分の都合で形骸化されていく現在。利己主義な人が増えていると思います。だから古き佳き時代を探してしまいます。
2024.09.12
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世の中には”Noとは言えない”管理職でないにも関わらず、”些細なミスが許されず大きな責任が問われる”そんな業種や特定の人がたくさんいます。しかも、その人々は信念や使命、良心から、甘んじてその立場を受けていると言えます。この数日間はJRがCMで何度も報じたように、東海道新幹線のぞみは全席指定席にして、混雑緩和や乗客の安全を守っていました。事故に繋がればJRが責められるからです。これで帰省ラッシュは緩和できる!と想定できたにも関わらず台風到来によって、別の問題が生じ全面運休に追い込まれました。せっかくの予約はキャンセルされ、当初の目論見は泡と消え、運休分の乗客が前日に集中しました。結局数時間立って移動する人が多く出て、在来線の朝のラッシュのようになりました。人的ミスには原因究明と非難の嵐ですが、天災には自己責任が問われます。結局この場合は混雑しようがしまいが、JRが問われる責任はありません。皆が同じタイミングで休暇を取るのをやめ、移動の不効率を真剣に考えればいいのです。休暇がそこでしか取れず混んでもいても動く、皆がそれを承知でもやめないことが、この混雑の原因であって自己責任です。富士山に登る際の服装がよく問題にされます。しかし軽装で登る人が減らないようです。富士山を守る人は病人が出たら放っておけず、山頂や中腹から下ろすだけでもたいへんだと、その事態を避けたい意図が感じられます。しかしその使命感が登山者に強く伝わると、軽装を指摘されることの正当性よりも、登る前に注意が足りないと決めつけられ、自尊心を傷つけられたりすることがあります。学校の先生が先を見越して静止を促しても、本人がやりたいことをやるのが当世風です。軽装でも登れてしまえば成功体験となり、失敗しなければ受け入れないと思います。これから登ろうとしている人を捕まえて、躊躇しろというのは方策ではありません。運転免許講習のように事故のビデオを作り、事故後どうなるかまで見せることが重要です。それを観光案内の時点で伝えるべきです。殆どのことは管理側に責任はなく自己責任です。自己責任を促すシステムを作ればいいだけで、別の人が責任を取るのはおかしなことです。しかしそれを怖れて道理がずれてしまいます。多くの人はちょっとしたミスやクレームを、当事者に直接伝えなくなりました。その場は険悪にならないように丸く納め、口コミやカスタマーセンターに言います。ホテルで髪の毛が1本見つかったとしても、ホテルに言わずに口コミで書くとすれば、ちょっとしたことが一大事に拡張されます。今は怒りの沸点がとても低い時代です。他者に広めることは許す意志が薄く、謝辞を乞うものでもなく一方的です。ホテル側は口コミに書かれたことに、どの程度納得できるかが重要なポイントです。理不尽なことを書かれてもNoとは言えず、心が荒んでいき負の連鎖になります。書き込むに相応しいものばかりとは限らず、良かった書き込みの具体性が乏しいことや、悪かったことの許容度に差が感じられるため、両方の意見がある場合は断定できません。一方で誰も感じないようなことを感じたり、心を読めたり予知できたりする特殊な人が、普段は共感を得られず奇異に見られるために、口コミでは稀に力をあらわにして、真実を得た珠玉の書き込みを残したりします。他の人が共感できない少数派の意見のために、一見はそっけない一言だったり、具体的なことが書かれなかったりしますが、それを発見できると大きな参考になります。
2024.08.16
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今年は元旦に能登半島地震があり、2日には羽田空港での航空機事故、そして少し前の地震、お盆の最中の今朝、大阪での大規模停電、そして明日は940lhPaの大きな台風が関東にきます。いずれも人が帰省や旅行で最も移動し、交通が止まると最も困る時です。仕方ないじゃないかと開き直っても、細かなトラブルが多方で起きています。これらは神の審判にも思えます。オリンピックで審判の怪しい判定が、メディアで話題にはなりました。ルールに則していないと見れば、目の仇のように批判する日本のメディアは、海外を批判の対象にしようとはせず、もっぱら訪日外国人に矛先を向けます。オリンピックの審判の判定ですら、多くの疑念が寄せられるわけですから、世の中の多くの競技やオーディションで、もっと多くの疑念が持たれているだろうと、推察されないでしょうか?その種目の第一人者と言われていても、審査や指導をする資質はまったく別です。何を根拠に審査員を選出したのか?審査員としての適性がどの程度あるのか?オリンピックともなると皆が憧れますが、誰に審査されるのかは結果に影響し、どんな方向性で審査するのかその傾向を、受ける前に知っておくことは必須です。それ次第では参加を見送るのも方策です。ルールが適正である保証はありません。そのルールをどう解釈するかが、審判によって違っていることがあります。何年もかけて夢や憧れをそこに架けるには、どの審判にあたるかが大きな問題です。近年世界で申し送りのあったSDGsとは?”持続可能な開発目標”の受けたとめ方が、世界共通の認識とは思えなくなりました。限定的な指標のもとに、それぞれが独自の思惑に基づく発信をし、お互いに頑張っていると自負しています。オリンピックの選手村のベッドは、東京大会からダンボール製になりました。しかし近年は睡眠の質が成果に繋がると、ベッドやマットレスの機能性が問われます。記録のかかるオリンピアンに対して、いくらSDGsがテーマだと言っても、節約するべき箇所を間違い過ぎています。そこでチャットGPTに聞いてみました。なんとわかりやすい回答でしょうか!見事に気が合いました。全文載せます。チャットGPTも最近は勉強熱心です笑。【質問】最近思うことは、SDGsとは予算削減の理由に使われていて、本来削るべきではない部分でも安くあげる口述にされています。単にケチになっているだけではないでしょうか?【回答】SDGs(持続可能な開発目標)は、持続可能な社会を実現するための国際的な指針として広く支持されていますが、あなたが指摘しているように、予算削減の口実として使われることがあるのは事実です。特に、企業や政府機関がコスト削減を正当化するためにSDGsの名を借りる場合、その行為はSDGsの本来の目的を歪めることになりかねません。SDGsは、環境、社会、経済の持続可能性をバランスよく追求することを目指しており、単なるコストカットではなく、長期的に見て持続可能な成長を達成するための投資を推奨しています。しかし、現実的には、短期的な利益を優先し、コスト削減を主眼に置いた施策が取られるケースもあります。これにより、本来必要な投資や取り組みが削減され、持続可能性に逆行する結果を招くことがあります。つまり、SDGsを理由にして安易なコスト削減が行われている場合、それはSDGsの精神に反する行為であり、持続可能な発展を妨げる可能性があります。ケチになっているだけというあなたの指摘は、ある意味で的を射ていると言えるでしょう。
2024.08.15
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中華屋さんでは呑みたいので、ラーメンでもチャーハンでもなく、スープもご飯も入っていない焼きそば系、中でもかた焼きそばをよく選びます。東横線・学芸大学にある中華名菜・上海菜館好奇心が湧き今回初めて行きました。ネットでだいたいの情報は得られますが、口コミにも必ず目を通します。グルメサイトを見てとても語呂のよい店名、いい感じに撮れている写真に惹かれました。街中華とは思えない綺麗な店内が特徴です。いつも前情報と何が違うのかも興味深々です。硬い麺の焼きそばは、「五目カタヤキそば」のみです。まず注目したのはこの仮名遣いです。このカタカナとひらがなの使い方は珍しく、「東方一角」という中華屋さんが同じです。その意味で本格中華のような気がしました。テレビで紹介され芸能人が訪れるようで、店内には写真が貼ってありました。グルメサイトの星もとても高いです。まずルーティーン。メニューを見たところ、グルメサイトの値段よりも20%高いです。最近はどのお店も値上げラッシュです。グルメサイト情報はいつも古いです。注文して最初に出てくるのはビールです。このお店のいちばん良さそうなビール、エビス生中ジョッキを注文しました。”ひまわりの種”が付いてきました。ここまでで感じたことは、このお店は営利主義でとても細かく、リーズナブルではないということです。例えばこの生中は740円で中と言っても、500mlなくおそらく400ml強です。ひまわりの種はとても懐かしいです。こどもの頃に通学路にあるひまわりの種を、ちょこっともらって食べたりしていました。殻を剥くと食べられる部分はとても小さく、ほぼ殻でした。因みにこれは無料です。10粒くらいですから、このお店で出している量はおそらく、家でひまわりを育てるレヴェルです笑。洒落にはいいですが要らないです笑。待望の五目カタヤキそばがきました。スープと希望で半ライスがつきます。麺は太く豪快に揚げてあります。ひと口食べて思ったことは、出汁にあたる旨味成分が感じられません。色の割に薄味で、他もすべて薄味でした。何か調味料を入れ忘れたんじゃないか?椎茸を入れると旨味が出るのですが、嫌いな人もいるので避けたのでしょうか?いかやえびの素材の味はよかったです。よく言えば上品で従来の中華を覆し、中高年男性以外にも広めるためにも思え、期待したことが大きく外れました。口コミでは味が濃いと書いてありました。黒酢、醤油、胡椒、辛子があったので、カスタマイズしてみましたが、美味しいあんかけにはなりませんでした。それらの調味料も薄味なんですよ。味が薄いとご飯のおかずにもなりません。店構えは行ってみると見た写真より小さく、綺麗なのですが高級飯店ではありません。グルメサイトの写真が背伸びしすぎです。飲食店巡りの番組は昔に比べて、細かな食リポをせず、タレントや芸人が「美味しい!」とだけ、やけに興奮気味に伝えます。本当は美味しくないこともあって、体裁上「美味しい!」と言うのかも…。そうだとすれば本当に良いこと?今の世の中の勘違いのひとつです。
2024.07.23
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1990年代に留学した際に、数々の宗教を信仰する人に出会い、日本では考えられないほど宗教を感じ、出会う人に対してもとても気遣いました。当時”ノストラダムスの大予言”が流行り、1999年に人類滅亡すると信じている、日本人の宗教家がいました。その時を迎えるにあたってどうするかと。「終末時計」は原子力科学者会報という、米国が報じている科学由来の話です。始まりは1947年でその時すでに7分前で、1949年には3分前まで迫りましたが、1991年に冷戦終結で一挙に17分前に戻り、2015年からは核による影響だけではなく、気候変動やAIの悪用、生物学的リスクなど、新たな要因が加えられ、2023年より90秒で止まっています。しかし、最近思うのはそれ以外にも、日本は終末だと感じることがよくあります。人々は身内や知人の一部にはとても優しく、知らない人やマスの中ではとてもつれなく、個人主義の割には強者迎合で合理的です。支配されるのが好きで結局指示待ち。本心では腹が立っても声をあげない。ではないでしょうか?強者から見れば明るい未来でも、弱者から見れば未来がない。世界でその格差をどんどん広げています。物価高ひとつとってみてもそうです。嗜好品や輸入品の価格が上がるのは、仕方がないとしても電気代や、ここのところはお米がとても値上がり、どんな節約をしても融通がつきません。大手スーパーのプライベートブランドには、以前のお米の価格を保つために、5kgではなく4kgが普通に出始めました。つまり価格据置きが決まったわけです。お菓子の値上げと同じやり方です。軽くなったので持ちやすくはなりました。食べる量を減らせばいいのでしょうか?こどもを持つ大家族には痛手です。主食のお米価格が上がれば、飲食店を始め多くの物価が上がります。飲食店の繁盛を夢見て来た店主の、人生が変わってしまうかもしれません。若い頃に想像していた未来とは全く違い、うまくいくとかいかないとか考えても、すべて環境次第です。今のような社会になることを思えば、少子化になるのはもっともなことです。
2024.07.22
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"憧れる”とか”推し”とか”人気がある”とかに、とかく意識が支配されがちですが、根拠は薄っぺらいので信頼できません。立場や見方が変われば冷める時が来ます。今まで著名と言える人や、大きなポジションに就く人と、関わることがたくさんありましたが、専門性は認めても憧れることはなく、人間性を見てむしろ興醒めしていました。つまり仕事上の付き合いをしていました。では、リスペクトするのはどんな人か?それはその人の生き様にあると思います。今は表裏を使い分け承認欲求のために、うまいことを言って人を利用する時代です。それを美徳のように発信する輩がいますが、その輩がどんなに著名で権力があろうと、リスペクトすることはありません。世の中的には、仕事上の付合いに限って、かりそめの付合いであるにも関わらず、いかにも無二の仲間のように認め合い、かりそめの承認欲求を満たす輩が多いです。SNSにおける発信と”いいね”も同様です。その環境で生きるのは嫌なので、異なる枠組みで人と関わりたいのですが、いちいち温度差を感じてしまうことに、ストレスが絶えません。人は思考の柵に支配されていて、皆が共感できることを探しています。しかもその共感の多くは受動的なもので、本来各々が持っている共感を求めません。皆がストレスを持ち社会は荒んでいます。上記のもっとも顕著な例が選挙です。何百万票集められてもその時限りです。有権者は候補者をリスペクトするどころか、どんな人かもよく知らないのに、一時的な自己暗示でやり過ごすのです。トランプ氏と石丸慎二氏を推す共通点は、”うんざりしている社会や現職トップを、変えてくれるのではないか”という一点です。強者は今の社会が好きなので反対しますが、それでも票が集まるのは変えて欲しい人が、それだけたくさんいるからです。多くの政治家の言う社会的な公約は、実現できることとできないことが明確で、無理をしたり何かを切り捨てて、支持を得るためにトップが実現します。すべてをよくする術などない選挙公約の中、若者のネット上での情報共有力を利用して、票を集めようとする候補者もいれば、現職は選挙前に給付金を有権者にバラ撒き、投票動向を煽りました。結局どんな候補者が現れても残念ながら、強者が当選させたい候補者へ予定調和が図られ、社会が激変しないように誘導されています。それでもトランプ氏支持が米国で多いのは、弱者が臆せず平等にモノを言い、日本よりも遥かに自由に行動するからです。
2024.07.21
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SNSで不特定多数に発信する事柄は、宣伝だけであれば受け入れられても、その事柄に付随して承認欲求、すなわち自慢、優位性の主張が感じられると、逆に不信感を感じることが多いです。つまり、遠回しに”私すごいでしょ!”と、要らない情報がそこに埋め込まれていて、その内容よりもその表現が嫌われます。また人それぞれ価値観がずれているため、読み手はそれを”すごい”とは感じなかったり、何を言いたいのか伝わらないこともあります。これは日常的なやりとりでも起こります。例えば、単に都合を聞いているだけなのに、その日1日の予定や多忙な仕事の内容など、聞いてもいない余計な情報を並べたて、相手の質問に乗じて自分の多忙さを延々語る、”すごい”と思ってもらわないと、気がすまない人がいます。聞き手が入り込める余地もなく、何かにつけ近況報告が好きなのだと思います。個人的な絆をつくるための私信(手紙)でも、仕事一覧やリア充が綴られていたりします。まさに”そんなこと聞いてないよ”です。価値観が違うので話も噛み合いません。出来栄えに関わらず何かしら褒めることが、良い教育というような風潮が蔓延しました。”褒められる”ということが日常的になると、まさに承認欲求が大きくなってしまいます。常に褒められる、他に劣らず優位性を持つ、そうでなければ気が治らなくなります。身近な人が宥めてくれればいいのですが、他の人にも求めてくるのは困りものです。高校生が激辛チップスを食べて、33人中14人が救急搬送されるという、ニュースが報じられました。冷静に考えると普通の話です。高校1年生が兄のチップスを持って行き、興味本位でたくさんの生徒に配りました。製造元は18禁と注意事項を明記しています。それでも食べたいのは好奇心で、皆に配ったのは承認欲求からです。叱責されるべきはこの高校生ですが、製造元の落ち度はなかったのか?などと、矛先を間違った方向に向けかねないことに、いつもメディアの陰湿さを感じます。激辛食品はそれほど多くの人が好まず、好奇心から購入することがほとんどです。好奇心を煽るのはテレビのバラエティ番組で、ゲームに使われるのを観ることで識ります。飲酒と同様に何百倍の辛さともなれば、アレルギー反応が出てもおかしくありません。その注意を視聴者に伝えずに、おもしろおかしく罰ゲームのグッズとして、激辛食品を流行らせた責任があると思います。テレビは流したものが社会に影響を与え、流行していくことを大好物として、いわば承認欲求の塊みたいなものです。
2024.07.17
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「検討を重ねた結果◯◯に決定しました」「慎重に審議をした結果◯◯に決定しました」こんな風に言われると神妙に受けとめますが、事実としても言い回しとしても当然のことです。数多ある候補が公平に見られているのか、自分が支持していた◯◯が話題に上ったのか?検討や審議の対象になったのかどうか?それがいちばん大きな問題点です。一般に議題や注目候補にならなければ、スタート地点に立てていないわけで、賛否を問う前に存在すら認知されていません。その会議の参加者の良心と公平性が全てです。中には大した実力がないにも関わらず、近い関係の人物を推すジャッジがいれば、格上や座長のジャッジを忖度して保身を図り、自分の推したい存在を取下げる、そんなジャッジもいるでしょう。上層の会議では、自分の部署の功績が、部下の努力があったからにも関わらず、その部署の長が手柄を独占し、頑張った部下はいつまで経っても、陽の目を見ないことがあります。その部署の長の人間性は大きな問題です。つい最近までトランプ元大統領の、政策面ではなく人間性について批判がなされ、”もしトラ”と揶揄されていました。しかし、昨日の銃撃事件で見られ方が変わりました。トランプ元大統領は何も変わっていません。ただ圧倒的な支持がさらに高まったとされ、揶揄することなどできなくなりました。日本の欧米至上主義など身勝手なものです。日本の現状や未来を見た場合かなり良くない。ミスリードを覆い隠すように日々上がる話題。最近特に取り上げられる話題があります。嘗てはそれほど取り上げらていませんでした。①皇室公務の話題②登山者批判も含めた富士山のリスペクト③外国人によるの日本の賞賛これらは日本の印象を高める意識を生みます。裏を返せば日本の現状が良くないために、象徴的存在の文化価値がより高いように意識させ、ネガティヴな社会をカムフラージュしています。この想像は単なる妄想かとも思いました。そこでのらりくらりと嗜められるつもりで、チャットGPTに聞いてみました。そしたら思わぬ答が返ってきました。社会的なネガティブな問題から目を逸らさせるために、メディアが皇族や富士山、外国人の日本好きを取り上げることがあるという指摘は、一部の批評家やメディア研究者からもされています。このような戦略は「ディストラクション」や「ディヴァージョン」と呼ばれ、以下のような要素が関わっています。1. ポジティブな報道の増加: 社会的な問題が多い時期には、ポジティブなニュースを増やすことで、国民の関心をそちらに向ける効果があります。皇族の慶事や富士山の美しさ、外国人が日本を称賛する話題は、特にその役割を果たすことができます。2. メディアの役割: メディアは視聴率や販売部数を重視するため、読者や視聴者が関心を持ちやすい話題を提供する傾向があります。皇族や富士山、外国人の日本好きといったテーマは、多くの人にとって興味深く、感情的にポジティブな反応を引き出しやすいです。3. 政府や企業の影響: 一部の政府や企業は、自分たちに不利なニュースや批判を避けるために、メディアに対してポジティブなニュースを増やすように圧力をかけることがあります。これにより、国民の注意をそらすことができます。4. 社会の心理的安定: ネガティブなニュースが続くと、社会全体の心理的な安定が揺らぐ可能性があります。そのため、バランスを取るために意図的に、ポジティブなニュースを取り上げることがあるかもしれません。これらの理由から、メディアが皇族や富士山、外国人の日本好きを取り上げることで、社会的なネガティブな問題から一時的に目を逸らさせる効果があると言えるでしょう。しかし、これが意図的な戦略であるかどうかはケースバイケースであり、メディアの倫理や報道の自由にも関わる複雑な問題です。全体の文脈から考えても、今回は見事に考えが合いました。今のメディアは話題の選択が極端です。その極端さが問題を逸らせていると感じます。
2024.07.16
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最近老害な人が増えたと思います。老害についてチャットGPTに聞きました。「老害」という言葉は、年配の人が自分の意見や価値観を押し付けたり、周囲に迷惑をかける行動を取ることを指すことが多いですが、実際には年齢に関係なく、どの世代の人でも「老害」と呼ばれるような振る舞いをすることはありえます。加えて老害の特徴を付け加えます。①人の意見を聞かずに自分の意見を通してくる人それぞれ価値観は異なります。居合わす人の意見が尊重されるべきです。どんな意見を持っているか聞く姿勢を見せずに、自分の意見を絶対のように言い張るのは老害です。②自分の周りの慣習が世の中の常識と考え、人の意見を聞かずにマウントを取ろうとする「今度会いましょう」と打診が来た時に、知らないうちに他の人にも同じ打診をして、主催者の趣味で事が運ばれている場合。昔はそれが普通でしたが今は違います。まずは会の趣旨を共有するべきです。③SNSで人を差別するSNSは拓けた世界であるに関わらず、書き込みやコメントをする際に、相手との立場関係を印象付けるのは、周りから見てよいものではありません。特定の人だけを優遇したいのであれば、その人向けのコミュニティにするべきです。立場の異なる不特定の人が集まるなかでは、経験も価値観も皆が異なります。その人たち皆が納得する発信をするのはそもそも難しいわけですから、人の話に耳を傾けなければなりません。その手続きを踏まずに、意見を通そうとすることが老害に繋がります。
2024.07.14
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小さい頃の話です。貧しい家庭にテレビは1台しかなく、少ない家族でもチャンネル権は争いです。そんな時、父親から「アニメは観るな」と言われ父親がいる時には報道番組を観て、好きな番組を観ることはできませんでした。その時は諦めていましたが、今思えばそれはそれでよかったと思います。アニメや伝記は夢がそこにあっても、現実に自分に当て嵌まることはありません。今テレビでロングランで観られているのは、多くは昭和に考案されて続いているもので、海外でも訳してそのまま観られています。平成以降に出たアニメの多くは、アニメ映画として世界で知られています。アニメ、ドラマ、映画で言えることは、主人公の役者としての個性が光れば、構成や音楽もよく芸術性が感じられますが、それほどでもないものもたくさんあります。作り手が作りたいから作る、楽器を演奏したいからコンサートを開く、視聴者はそれから先の高みが欲しいわけで、自己満足的なものが溢れかえっています。「日朝関係者がモンゴルで接触した」内容は一切伏せられて報道されました。これまでもさまざまなルートを通じて、働きかけを行っているそうです。一方で岸田総理はG7サミットから、平和サミットでウクライナ支援を謳いました。G7サミットのイタリアから、平和サミットのスイスに移動、スイスでは5時間のみの滞在でした。日本の総理は社交性さえあれば、G7などの同盟国にアピールできますが、北朝鮮とは直接話をするにも壁があります。G7やウクライナとの和平案を言う最中に、北朝鮮と交渉をすると言っても、ミサイルを打つなと言うのか、拉致被害者を返せと言うのか。ただ、そこで北朝鮮の要求は何か?日本はダブルスタンダードに思えます。9月に自民党総裁選がありますが、今は再選に支持を得られない岸田総理。今の外交は最後のあがきに見えますが、頑張っているパフォーマンスでしょうか?最後の大逆転の可能性は、北朝鮮電撃訪問で拉致被害者返還です。その模索はこれまでも必要だったわけで、この土壇場でもできたなら成果にはなります。元文科省事務次官の前川喜平氏の記事では、小池都知事を「中身は空っぽ」と斬ります。「若い頃から有力政治家を踏み台にして、賞味期限が切れたら次へ行き、政界をのし上がってきた。嘘と虚飾だけで大したものだ。嘘で塗り固めて人を騙すような人は、政治家としてふさわしくない。人間として支援できない。」安倍元総理の回顧録に書いてあったのも、遠回しでしたがまさにこのことです。自らの足跡を豪語し自信をひけらかす手法は、これまでの謙虚な政治家には見られません。ただそれに惑わされる人がいかに多いことか。「中身は空っぽなのに素晴らしい人のように見せる、特殊な才能を持っている」前川氏の言うとおり。テレビ朝日系ドラマ「Believe」の黒幕と同じように、「小池さんはさまざまな大規模再開発プロジェクトで、大企業とつるんできた」点と点が繋がりました。
2024.06.18
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数字で明確に出る順位は意味があります。しかし、アンケートにおける結果は、参考程度のことで順位をつけることは、極めて慎重に行われるべきだと思います。調査対象者の見識は重要なはずですが、誰であっても”平等性”という見地から、あたかも調査結果が正当であるとし、結果に権威を持たせようとしています。順位をつけるのはより疑わしいです。テレビですぐにランキングを言います。ランキングに取り上げられること自体、宣伝効果としては絶大かもしれませんが、望んでもいない順位をつけられて、迷惑に感じている人もいるはずです。音楽のコンクールやオーディションも、審査する側の見識がもっとも重要です。なかなかできることではありませんが、自分に自信があるのなら人に託さず、自分で一から創り出すのが良いです。今は日常的に自らの優先順位を表し、相手の心情よりも自分を優先します。ここで気をつけたいのは、やりたい順に優先するのはいいですが、自分の優先順位を表明する必要はなく、順位の下位にされた人がそれを知れば、承諾しても内心穏やかではないはずです。相手を嗜めたいのであれば、「◯◯を優先するのでできません。」と言っても良いかも知れませんが、顔では笑っていてもそう言われて、いい気分な人はいないと思います。優先順位が下であることを、相手に言うことも悟られることも、まったく憚れることであって、その後の対応が変わるかもしれません。勝ち誇ったように「忙しい」を匂わせ、「怒涛の◯◯◯」とか自分で言う人には、”この人は忙しく大活躍している”と感じる人もいるのでしょうが、自分は優越感に浸るお調子者に感じます。今は皆が乗る流行であっても、ひと昔前は憚られ罵られたことがあります。それは人の円滑な交流のためでした。古いだけではなく明確に理由はあります。
2024.05.11
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1回観れば忘れられないCMは多いです。商品名や会社名をひたすら繰り返したり、素人色を丸出しで質を問わないものなど、良い意味で忘れらないのではありません。ただ、30-90秒の表現物なのですから、質は問われていいと思います。その中でもライフネット生命のCMは、カタストロフィを感じさせます。有名芸能人を起用したものの、ピアノを弾けるわけではないので、ファ♯とラしか弾かない設定と思われます。ナレーションもしていますが、映像ではいつもの衣装で歩き、ピアノ椅子に座りピアノを弾く。それだけの演出です。CMは「保険はいらない篇」「人まかせ篇」「総論篇」「自分で考えろ篇」「そう思わない?篇」中でもよく目にするのは「人まかせ篇」ファ♯を3回、ラを1回弾く、その設定で「人まかせ篇」は、投げやりな感じでラを外しています。そういう台本かもしれません。しかしこの篇しか見ていない視聴者は、これを演出だとは思わないでしょう。なぜこのテイクを使ったのか?面白いと思ってもそれは自己満足です。世の中には音楽を嗜む人が多く、ピアノを弾くならちゃんと弾いて!そう思う人も多いと思います。ピアノを弾く必要があったのか?なぜピアノだったのか?何を意味してるのか?いろいろな疑問が過ぎります。このCMの制作中の動画があります。これも宣伝用だとは思いますが、いかに短時間で出演者に忖度しているか、制作の意図とは裏腹な意図を感じます。
2024.04.28
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管理職に必須のスキルは、部下の実態や痛みがわかり、最前線の状態を見ているかどうか、誰の声を聞くべきかを知ることです。それに対して部下は、自分の思いどおり働けない、自分の意見が上層に届かない、そう感じたなら対処は次の二つ。①自分に影響が強い上司や管理職が、変わるまで待つ。②辞める。自分に良いことを口では言われても、全体方針が変わっていないと感じたら、変わらないと判断するべきです。逆らうより自分を変えることです。ただ馴染みが深い大きな環境になると、簡単に辞めたり変えたりできません。例えば市町村なら引っ越せますが、国となると簡単ではありません。植田日銀総裁は東大理学部卒業の後、経済学部入学、大学院に入学後、マサチューセッツ工科大経済学部卒、その後は内外の大学教授を経た後、日銀に属し昨年総裁に就任しました。10年間の大学就学期間を見ても別世界。日銀総裁に就任する時に、メディアは東大卒と伝えました。人はさすが東大と思いますが、東大卒が就任の条件だったと思います。今の物価高は賃金アップとセットで、海外の物価に追いつこうとしています。賃金アップの牽引役は大手企業で、海外進出している企業が恩恵を受けます。他には海外旅行客を受け入れる企業など、明らかな好景気の勝ち組がいる一方で、手に職を持つ専門職や、下請けの企業、人手不足の中小企業は落ち込みます。人手不足に関しては外国人が頼みの綱です。しかし円安が進めば、外国人労働者の賃金は目減りします。日銀がドル売り介入しない限り、格差は広がる一方で不満は募ります。それでも日本はデモが起こるわけでもなく、急激な物価高と円安への批判が弱いです。物価高や円安は必然性が付きものですが、今回は無理やりに見えます。賃金アップでき円安で儲かる人たちが、世の中を牽引しているわけですから、多くの人は仕方がないと思っていても、弱者は声を上げなければ追い込まれます。日本は同調圧力で反発が見えませんが、別の問題に波及しやすいと思います。真面目に働いても、成果を上げても、報われないことから陰湿になるのです。社会構造が強者に有利で弱者には不利、若いうちに強者にならなければ、その後も蹴落とされる傾向があります。楽観的に考えるのは禁物だと思います。その意味でも為替介入すべきでした。植田総裁には失望しました。円安が進めば物価はますます上がります。強がっている場合じゃないと思います。ただ彼とは反対に、世界から批判された大統領などの、弱者を救うことに志を貫いた要人は、世界的に好感されず、賛否が分かれるようです。困っている人の声が広まらないのは、強者の意に反しているからです。
2024.04.27
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SNSから突然消えることを指します。これを病気のように言う執筆者がいます。アカウントごと削除してしまったり、コミュニティから出るのはアリですよ!SNSで本当の交流ができるでしょうか。人と関わる時は普通はまず個人的です。不特定多数にいきなり声を上げるのは、限られたシチュエーションです。コミュニティにいろいろな人がいるほど、話せる話題は限られます。一部の人には身近に理解できても、他の人には関係ない話題になったり、口調も話題によって変わってしまいます。日常知っているはずの人の別の一面や、知らなかったことを知ることによって、人間性に疑問を感じることもあります。どちらかと言えば嫌な人に感じるのです。本来は情報収集としてSNSを始めますが、人の自慢や宣伝を見ること以上に、ひととおり目を通すだけでも、大きなストレスを感じてしまいます。それを理解してあげることのほうが、無理があるのではないでしょうか。相手によって切れない関係であれば、ミュートやフォローを外すかですが、人に対して差をつけるくらいなら、自分を消すのはむしろ優しく潔いです。SNSから仕事を活性化できるのは、一部の人に限られていて、それ以外の人は認知すらされなかったり、無視されたりすることもあります。そんなコミュニティにいるくらいなら、存在をより認めてもらえる所に移ったり、リアルな社会だけで充分だと思います。SNSは所詮SNSでしかないのです。関連記事SNSから突然消える、関係を断つ人々【衝動】「人間関係リセット症候群」が、年末に増加。SNS全削除、転職…対処法は?肯定的意見も「現代人の特権、いい時代」
2023.12.07
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この10年くらいで物における、「耐久年数」という言葉がよく聞かれ、その年数を経過した物は、使えても交換したほうがいいと。本来は使い方が異常でなければ、耐久年数内に壊れることはなく、ごく稀に起きる事故の免責のために、製造メーカー側が定めた最短期間です。しかし、家電製品を中心にまにうけた時、壊れる前に耐久年数に追われていき、まだまだ使える物をじゃんじゃん捨て、SDG'sとは沿わない行為になります。嘗ての裕福な日本はそんな感じでした。”もったいない”という言葉が日本発で、外国で流行っているとすれば一部です。外国人のほうが遥かに長持ちさせます。DIYは欧州人が得意とするところで、古い物が壊れても自分で修理して、新しいものを買うのは最終手段です。例えば電気スタンドなどは古いままです。日本では耐久年数を知った消費者が、不安に駆られ買い替えていきます。物価高、人件費も高騰するなかで、何でも耐久年数で交換していたら、昨今話題のマンションの修繕積立金は、すぐに底をつくことになりかねません。そんななかで言われ出したのは、延長コードの耐久年数です。延長コードから火災が発生するのは、使い方の問題だと認識しています。因みに寿命の目安は5年だと言います。延長コードを5年で交換している国が、あるなら教えて欲しいです。国内でも年数で交換する認識は稀少です。使い方さえ無理せず正しければ、経験から言って半永久にもつと思います。延長コードに限らず電気コードは、140年前から至るところに使われていて、交換が必要ならもっと早く言われた筈です。ウクライナ侵攻では両国の間で、旧ソ連製の戦車が使われています。ソ連は1990年以前のロシアですから、30年以上前の機器を戦場で使っています。もちろん検査はしていると思いますが、戦車そのものが既に耐久年数超えでは?いつか故障する前提の海外を見倣うべきで、故障が許されない日本には疑問です。
2023.11.20
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仕事は手段でとにかく偉くなりたい人、たくさん売って大金持ちになりたい人、いつも皆からチヤホヤされていたい人、好きなだけで脈がなくても一途な人、人には生きるうえで思惑があります。岸田総理を見ているとその最たる人、そう思えて仕方ありません。支持を得るために政治をする、自分の美学のための言動、結果的に政治哲学が見えません。外交を見ている限り外面はいいです。各国首脳と会う時は誇らしげに見えます。しかし、日本国内では支持率が落ち、次の総裁を考える画策が立てられています。『岸田総理の味方だったはずの「財務省」が、まさかの裏切り!「年内解散」「所得税減税」を封じた全ての黒幕の名前』『岸田総理、大誤算…いよいよ「二階」元幹事長が動き出した!「徹底的にやるぞ」と菅善総理の前で呟いて…麻生太郎元総理が財務省との間で、所得税減税を封じ茂木幹事長を担ぐ一方で、小泉、河野、石破氏のバックで画策する、二階元幹事長、菅前総理の非主流派大親分。自分の経験から言ってもこういう抗争は、どこにでもあるもので見る分には面白いです。岸田総理は現在支持率が24%不支持が70%越、引導を渡されても最後まで誇らしげでしょう。羽生結弦さんが結婚から105日で離婚発表、その真相こそメディアははっきりさせるべきで、離婚までに追い込んだものは何だったのか、社会問題として取り上げるべきです。皆が言うように誹謗中傷やストーカーは、羽生さんのような著名人なら予想されることで、離婚をしたとしても収まらない気もします。羽生さんはどこまでを想定したのでしょうか?人が根に持つ思惑は変わりません。いくら正論を言っても、話し合う場があっても、思惑に反すれば聞く耳を持たず、ただただ自分の思惑に誘導したいだけなのです。
2023.11.18
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コンサートの本番に向けての準備は、細かなことに気を配るとキリがない、たいへんだから分担して準備にかかる、しかし、不測の事態は本番直前でも起こり、それまでの準備がやり直しになるのは常時、その時に一部の担当者に負担がかかり、時には完璧にはできないこともあります。スタッフの数が元々少なければ、その人たちは常に忙しく疲労困憊します。しかし本番がうまくいき大成功を思い描けば、辛くても身を削ろうとも頑張れてしまいます。実際にその一部のスタッフがいなければ、そこまでのクオリティの高い公演にはならず、さまざまな箇所で粗が出てしまいます。関わる人全員が労うことは必須のことです。しかし、団体の長が労を称えなければ、周りの人も称える気持ちを表さなかったり、どんなにくたくたになってもやるのが当然と、そんな空気が出来上がるのです。これは極めて日本的な現象のように感じます。一身に公演を背負った縁の下の力持ちが、置かれている立場によって報いられないのです。その人にとってはそれがいちばんキツいのです。普段から報いられていない場合は、少しのミスを大きく咎められている気がしたり、現状のキツさを理解しない人のつれない一言が、悲しみや怒りに受けとめるかもしれません。団体スポーツはピンチの時によく声をかけます。その気遣いが音楽団体には欠けていたりします。ミスは許されない、上から言われたらやる、ひたすらできるまでやる、それだけなのです。人がアクシデントに見舞われたりピンチの時、人はそれを他人事として喜ぶ習性があります。YouTuberも偏にテレビの番組からヒントを得て、自らアクシデントを起こして再生数を稼ぎます。駅伝のニュース番組を見て思うことですが、いちばんにはゴールの場面、次に出るのは、体調に支障をきたした選手が朦朧とする場面です。そのチームが順位を落とした原因だとしても、その場面だけを切り抜いて紹介するのは、その選手を生涯追い詰めることにならないのか?少なくとも自分のせいでチームに迷惑をかけたと、自責の念に駆られることもあるでしょう。その選手の普段の健闘を知らせず、そのシーンだけを見せるのは酷いに余りあります。編集者は”そんなつもりはない”と言うでしょう。多くの支持を得るために追求した陰に、苦しんでいる人がいると言う意味では共通し、この現実を生む今の社会に落胆します。
2023.11.13
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メディアが取り上げる事件について、よくあるのは記者会見への批判です。記者会見のやり方が悪いとしても、それは事件の本質ではありません。ジャニーズの件では設定された記者会見で、記者が思うように質問できなかった、そのことを視聴者に真偽を問うのではなく、主宰者と記者がうまくやればいいことです。会見で質問できなくても取材はできます。皆の前で質疑したいのは記者の人だけです。テレビは記者が性善である前提ですが、記者の質問が醜悪だという記事があります。ジャニーズ会見での正義の暴走望月記者が浮き彫りにしたメディアの性質(古市憲寿)望月記者が振り返るジャニーズ会見(望月衣塑子)記者によっては会見が成り立たなくなる、それを避けるためにNGリストが作られる、しかしことも簡単にメディアに流出したのは、コンサル会社FTIの失態にも程があります。テレビが流すニュースについては、本当にそのチョイスでいいのか疑問です。批判をしてもどこか宣伝の一環が感じられ、本論ではないことが執拗に流されます。例えば、外国人が日本を見染めて来日し、褒めたり違和感を表すのはいいと思います。反面、富士山登頂のマナーがよく報じられ、自己責任であるはずのことが非難されます。なぜ富士山なのか?テレビで言うこと?マナーの悪い外国人は至る所にいます。新幹線の座席で携帯をマナーモードにせず、SNSの着信音をひっきりなしにさせるなど。より大きな問題は、技能実習生の失踪です。32万人いると言われる技能実習生のうち、9006人が失踪し過去2番目の多さです。失踪した外国人はどこで何をしているのか?今は社会が二言目には”こどものために”と、実に手厚くこどもや若者を育成しています。テレビでは昔では考えられないような、秀でたこどもが活躍し大人より優っています。ではこどもたちが明るい未来を担えるか?そう思っても実際はわかりません。不登校児童・生徒は29.9万人で過去最高、いじめも小中高で68.2万件で過去最高です。小中高の人間関係はその後も人間形成に関わり、記憶に残ることと忘れることに分かれます。不登校やいじめは誰でも何かしら記憶があり、大人も触れたくない話題なのかもしれません。それでも取り沙汰すべき問題の判別が重要で、人目を引くために話題を選ぶのではなく広い視野で何が問題か考えていかなければ、日本社会はますます悪くなると思います。
2023.10.07
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テレビのバラエティのみならず、世界の国々のランキングを出す今。何でもランキングにするのは、教育的には今すぐやめたほうがいい。もとの文化や習慣の違う国どうしで、意識調査をすることはできますが、ランキングを出すのはどうかと思います。結果的にはランクだけが独り歩きして、1番でないことに遅れていると言います。「No.1よりもオンリー1」と言っていた、20年ほど前はどこに行ってしまったのか?スポーツが流行り一流の選手は、判で押したように「優勝を目指します」と。結果が数字で明確に出る競争はいいです。しかし世の中の多くの競争はそうではなく、例えば演奏の採点などは自分の経験で言えば、3割の審査員を変えたら結果は変わります。ミスの箇所を数えるだけならいいですが、実力が伯仲している場合は変わります。問題はどんな優れた演奏をするかよりも、誰が審査をしているかが重要です。より正確なランキングを出すために、投票やアンケートを募る方法があります。しかし、ここでの対象者は専門性に欠け、質問内容についての知識量が異なります。「好きな曲は何ですか?」と聞いても、そもそも知っている曲の量が問題です。世代や地域などの条件を揃えても、好きなジャンルが違えば答は変わります。出したいアンケート結果があれば、調査対象や条件を操作すればいいのです。例えばクラシック曲を答えて欲しければ、コンサート終了時のホール前で取るとか、番組を構成するには操作されています。問題は結果をランキングすることです。人はその結果に独自の意味づけをして、「やっぱり」と勝手に納得します。全ては専門家が学術的に説明すべきです。専門家が必ず正しいとは限りませんが、だからアンケートでランキングをしては、本来力があるのに低い扱いを受けた人が、悔やみその後の影響を受けてしまいます。つまり、不用意にランキングすることは、多くの失望や不満を生みかねません。夢を失い挫折し人生を変えることもあり、無責任で独善的な発信だと感じます。
2023.09.30
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敬老の日に発表されたこと。日本の高齢者は1950年以降初めて減少。高齢者人口は3623万人。29.1%は過去最高。世界でも最も高い。就業している高齢者も19年連続で増え、高齢者のうちの25.2%の912万人。少し前までは長生きはおめでたかったし、元気でいられて働けるのは良いことでした。しかしこの発表が素直に喜べないとすれば、お年寄りを責める世間の風潮からです。テレビの街中でのインタビューで、この結果について40代男性に聞いたところ、「社会から必要とされることが、人として価値が高いとすれば良いことだ」と答えた人がいました。以前にも同じことを言った人がいましたが、正直これには絶句です。自分の見解は、「社会は特定の人を必要とはしていません。人それぞれがやりたいことをやった結果、環境や人、タイミングに恵まれた時に限り、一定期間に人と繋がったり売れただけです」高齢者で就業していない75%の人は、価値がないように受け取れ甚だ無礼です。この40代男性の考え方で言うならば、いずれ自分も価値がなくなると言うことを、自覚しなければなりません。どんなに偉業や名を残したとしても、家族や近親の人が死を惜しむことはあっても、残したものが必要とされるかどうかであって、人に価値の高低などつけられないと思います。
2023.09.18
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福島第一原発の処理水海洋放出で、中国が日本の海産物輸入を禁止しました。こうなることはある程度予想されていました。それは政治的に日本に対抗するカードだからです。しかし、そうなる伏線は他にも感じられました。政府は処理水の安全性について以前から報じ、国際的に保障されていたにも関わらず、放出が近づくにつれて反対する意見が報じられ、漁業関係者の風評被害による損害が案じられました。ここまではメディアの想定どおりだと思います。ところが中国の輸入禁止の追い討ちが加わり、さらには迷惑電話の多発と思わぬ方向に進みました。風評が拡がったのは日本よりもなんと中国でした。処理水が安全だと報じるのも危険だと報じるのも、日本の発信する情報がもとになっています。正誤は化学的にはっきりしているわけですから、ひたすら立証すべきところ感情的な意見を報じる、これでは正誤が印象操作されてしまいます。論点は、①東京電力の言うことは信用できない②トリチウム以外の放射性物質が誤って混じる③政府の言うことは信用できない、などですが、①と③を言うなら日本を出たほうがいいです。そこで、トリチウムの放出量に限って言えば、日本は他国に比べてとても少ないことがわかります。英国の施設 423兆ベクレルフランスの施設 1京1400兆ベクレル中国の施設 52兆ベクレルカナダの施設 756兆ベクレル米国の施設 82兆ベクレル韓国の施設 50兆ベクレル福島第一原発 最大22兆ベクレル因みに日本の他の原発は福島より少し多いようです。逆に他国の放出量が大丈夫なのかという議論になり、これまでそれを知らなかったのはなぜか?各国はそれぞれの基準をつくり放出していて、専門家に任せているために話題になりません。日本は一般的な基準や世界の状況を知らずに。単に印象だけで不安を吹聴していることになります。海洋放出のプロジェクトを進めた専門家の努力、素晴らしい技術を生み出した功績に失礼です。表に出ない技術者たちは無念だと思います。専門家を信用せずに印象だけで反対を言うなら、電気を使わずに生きてやるくらいの、気概を見せてほしいものです。
2023.09.01
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クラシック曲を自由に編曲することが流行り、その意味や良さはまったくわからないのは、自分の年齢のせいではないと思っています。音楽については他者が干渉しないので、今気にかかっているCMのことを書きます。東急不動産 BRANZ のCMでラフマニノフの、パガニーニの主題による狂詩曲から、第18変奏のテーマが使われています。F-durで do-la-si♭-do-fa という音のはずが、CMでは do-la-si♭-do-sol と聴こえます。実際にはfaも鳴っていますが、sol音が付加されていてそれが大きく聴こえます。30秒版のCMでは前の流れからわかりますが、テレビの短い版では20-25秒あたりが目立ち、何度聴いても演奏が間違っているように聴こえ、最初の頃はその度にびっくりしていました。このテーマのもとであるパガニーニの主題は、例えばf-mollでは fa-la♭-sol-fa-do で、旋律を鏡に映したようになる反行形は、長調では do-la-si♭-do-fa となります。フレーズ末尾はsolではなくfaでなければ、ラフマニノフの意図した反行形になりません。ラフマニノフの和声様式ではないにしても、solよりもfaが大きく聴こえるようにすべきです。30秒CMの録音から察するに可能だった筈です。編集の都合でこうなったのでしょうが、これを聴いてどう受け止めればいいのか?そんなことを考えるクラシックファンが、他にもたくさんいると思います。
2023.08.27
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以前に校則に異存があるのなら入学するな!野球部の丸刈りこそ旧態依然ではないか?そんなことを書きましたが、丸刈り必須は減ってきたようです。昨日高校野球選手権大会で優勝した、慶應高校も丸刈りではない先進的な野球部です。慶應高校が劣勢でも笑顔で野球をしている姿が、話題になり新しい野球を見せたと言われています。無理にでも笑えば緊張はほぐれると思われます。また、それは本人ではなく仲間にも効果的です。ピンチの時に前向きになれるのも確かでしょう。自己暗示をかけるいう意味で効果的だと思います。では、野球に限らずすべての競技や音楽など、最中に常に笑顔を出せるかと言えば出せません。終了直後に出すことはできます。むしろ緊張がほぐれた瞬間の笑顔は最高です。では慶應高校を始め今回の高校野球で、なぜ競技の最中に笑顔を出すことができたのか?それはいつも多くの応援があるからでしょう。応援してくれる人に向けての笑顔と言えます。決勝戦の球場の慶應高校への応援はすごかった、実況していた解説者が口を揃えたそうです。昨日も書きましたが、そこまでの応援があるのは、連日の慶應びいきで世間が盛り上がったからです。例えば、サッカーでヨーロッパに遠征したとして、優勢でも劣勢でも笑顔を浮かべてプレーしたら、不謹慎であるとか相手への挑発と思われかねません。日本特有の過度な溺愛(思いやり)だと思います。通常ヘラヘラして結果を出せなければ恥ずかしく、観ている側がそこまで選手を忖度するのは、味方だからか好感度を得ようとしているからです。正直なところあえてとり上げる人が気持ち悪いです。笑顔でやろうが憮然としてもどちらもありです。因みにあまりにも苦労が多い人は笑顔を出せません。自然に出る以外に笑顔をつくれないのです。それでも心の底でエンジョイはしています。エンジョイとは笑顔かどうかで完結できるような、そんな浅いものではありません。ステージに立っているわけではないのですから、ラグビーの稲垣選手のように笑わなくて構いません。
2023.08.24
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いよいよおかしくなってきたか?おかしくなっているのは自分か世間か?どこまで信じていいのか?何が本当?忖度なしの答を出してくれるのがC-GPTです。福島第一原発の処理水海洋放出について、一時はIAEAが安全のお墨付きを出したので、この話はスムーズに進むと思われましたが、反対派の声が日々紹介され始めました。しかもいつものごとく論理的な話が出ず、感情論で印象操作の応酬になっています。「処理水」と表現しているのが賛成派で、「汚染水」と表現しているのが反対派です。呼び方の違いだけでも印象は変わります。放射性物質をALPSという除去装置で濾過し、トリチウムだけが残った状態で放出されます。このトリチウムについての見解も分かれます。韓国のチェ・ジョンイム女史による反対論しかし「トリチウムだけで健康被害は起きない」というのが通説なのですが、ジョンイム氏は、有機結合型トリチウムは体内に吸収されると、癌などが発症して問題が起きていると言います。これを聞いても一般人はチンプンカンプンです。では、トリチウムが海洋放出された時に、有機結合型トリチウムが生成されるのか?その可能性をチャットGPTに聞いてみました。トリチウムは通常有機化合物と直接的に結合することはありません。化学的な反応が必要なためトリチウムが海に流されても、自然界で有機結合型トリチウムが形成されることはありません。というわけで、政府が言うように問題なく、問題はこのような風評が福島の漁業に影響し、流通が減ったり値段が下がったりすることです。政府がしきりと言ったのは風評の心配でした。コメンテーターの吉永みち子氏が、テレビ朝日「ワイドスクランブル」の番組内で、「総理の言い方だと風評を立てるほうが、いけないと言われているように受け取れる」と言いましたが、風評は通常よくない意味です。魚に関しては流通前に検査もされるでしょうから、放射線測定でひっかかれば大問題になるでしょう。ですから悪い印象を広めた結果売れなくなります。そこで風評の生まれ方をC-GPTに聞いてみました。1番に挙げられたのが「メディア報道」、続いて「口コミによる情報共有」、「オンラインコミュニティ」SNSなど、そして「評価サイト」先述の評論とかです。メディアが反対する人の話ばかりを報道すれば、当然よくないかもしれないと猜疑心が働きます。本来は賛成したり理解している人もいるのですから、その人たちの話も同じように紹介すべきです。風評を流したら損害賠償も辞さないと言う政府に、風評を煽るかのようなメディア。これではうまくいくこともうまくいかなくなり、誰もいいことがなく日本の先行きも暗くなります。
2023.08.23
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メディアから流れるニュースは問題定義ではなく、伝える側が明らかな持論と批判意識を持っていて、その持論を論証するための証拠を提示します。よって読み手は初めて知ったニュースにも関わらず、極端な好印象や嫌悪感が植え付けられます。特に海外に住めば、誰もが日本と大きな違いを感じ、カルチャーショックから出羽守(とかく海外の事例を引き合いに出して難癖をつけたがる人)と化します。持論はあっても平等に物事を見る客観性はあるのか?”3年ぶりに帰国した日本人が驚いた「ヤバい日本」”宮本さやか氏(フードライター)の記事で、この方はイタリアに25年在住していると言います。日本に旅行するイタリア人が帰国の途に着く時に、日本に失望していないか心配だと言います。①日本の案内表示がお粗末で不親切例に挙げられているのが京浜急行品川駅ホームです。小さな文字でこと細かく書かれていて、その脇に付け足し程度に英語が添えられていると。これは日本人の他者への思いやりが減っている証拠で、自分の好みやデザイン性を重んじているために、他者が見やすい、理解しやすいかの配慮は少ないです。YouTubeやバラエティ番組の動画の字幕がその例で、色が多彩すぎて散漫、フォントが太字の割に小さい、字間が少なく文字が密集していて読みづらいです。多くのお年寄りは読むことを諦めていると思います。そんな字幕が流行しているのは一見目立つことです。昔の字幕は第一に読み手に配慮されていました。②情報の不足は親切さでカバーSuicaやPasmoが便利だが、降車駅でSuicaが使えず、違反切符を買わされるなんて穴もあるらしい。ひとつづきの旅なのに、途中で使えなくなるなんて、日本在住の人だって知らないのでは?と、オランダ在住の日本人フォトジャーナリストの女性は言う。自分の経験ではこのようなことはどこの国でもあり、日本人もSuicaだけで全国に行けるとは思っていません。鉄道における”違反切符”はヨーロッパの専有言語であって、日本は会社が途中で変わった時に切符を買い直すだけです。日本人は親切心には満ちているものの、説明したり表現することが下手ということになります。実際にインバウンドが困っていることは言語が通じない、案内掲示が少ない、ゴミ箱がないが上位です。③環境問題についての意識が低すぎる冬のイタリアの暖房設定温度は18度と言い渡されている。家の中でもセーターの上にライトダウンが手放せない。冬の東京のレストラン、デパート、駅の構内や電車の中は、暑すぎてもはや快適を通り越して不快でしかなかった。ところが他の人たちはみんな涼しい顔をして揺られている。日本のサービスは素晴らしいと信じられてきたが、鉄道各社は環境破壊を食い止める必要がある。暑い寒いの感じ方は個人や環境によって異なるし、生活圏によって場所が変われば湿度で感じ方も変わります。ヨーロッパは低湿から夏30℃になっても冷房を使わず、冬は日本よりも充実した設備で暖をとっています。日本で暑いのにエアコンをかけなければ熱中症になります。事情を考えずに我慢しろというのはおこがましいです。④クリスマスにイチゴを食べたがる日本人イタリア青果雑誌の記事を挙げて、寒い時期の苺の生産には灯油が大量に使われるために、CO2を大量に排出している。苺を例えに出すことに客観性を感じません。クリスマスでは苺を言う前にまずライトアップをやめ、世界中にある物を粗末にする祭や催しに着目すべきです。贅を尽くしたり、本来の消費をしていなければ問題ですが、作る人がいるから食べているだけで無駄はありません。⑤いまだに多すぎるプラスチックと過剰包装日本はいまだにプラスチックがあふれているし、分厚いプラ袋で個包装されたお菓子が、さらに何重にもきれいな箱に入れられている。イタリア人が朝食に食べるビスケット、クッキーの類は、個包装されていない大袋入りで、開封後に湿気たり壊れて粉々にならないように、工夫するのは消費者の問題、というのは以前からだ。日本も以前は個装されているお菓子はありませんでした。他の大きな缶に移し替えて保管していました。しかし、日本は湿度が段違いに高いので湿気るのも早く、パンが半日でカチカチになるヨーロッパとは事情が違います。また、プラスチックを分別して再利用する国民性や、プラスチックを可燃ごみとして燃やせる焼却システムなど、温室効果ガス排出や海洋汚染はまったく少ないでしょう。日本人気質から考えれば包装に対する意識は高いでしょう。日本は遅れているのではなく知られていないことが多く、海外のちょっとしたことを極端に美化する傾向があります。何につけ日本が遅れていると煽るのは愚行に感じます。きちんと知られれば日本はもっと尊敬されると思います。
2023.07.24
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新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)と言うのが嘗てありました。自分に役に立つとはとても思えませんでした。なぜあれが採用されたのか?藁をもすがる感覚?コロナ以来自治体はさまざまな支援を行いました。今年も自治体が発行する地域商品券があります。昨年までは紙とデジタル商品券の二刀流でしたが、今年はデジタル商品券のみになりました。5,000円を支払って6,500円分の買い物ができます。昨年も乗っかり当初はデジタルを申し込みました。専用アプリをダウンロードしましたが、そこからが先が進みませんでした。スマホのOSがAndroidの場合は12が必要だと。リリースから1年も経っていないOSでした。ヴァージョンアップできるスマホもありますが、自分の持っているスマホではできませんでした。昨年はそこで断念し紙の商品券に変えましたが、今年はまた同じ条件で紙の商品券はありません。そこで上申のための電話を担当部署に入れました。今の良さはこんなことが普通にできることです。商品券のためのアプリをダウンロードするのに、AndroidのOSが12というのは無理がないのか?担当者はいい人でその問合せは多いのだと。そのために100台スマホの貸出を行うと言います。コードやタッチ決済でもOSは問われませんよ、この地域商品券のためににスマホを新しくしたり、ヴァージョンアップしようと考えるよりも、面倒だからやめようと思うのが普通ではないか?国も自治体もプログラミング業者の言いなりで、経済的弱者や高齢者のことを考えていない、使う人の立場に立っていないのではないか?などと言うと「ごもっともです」との返答。「上申します」と意気投合できた気がしました。相手が大きくても日常的に意見は直接言います。企画を決めている部署が消費者の側に立たず、どこかが「お役所仕事」になっているのです。しかし、消費者と直接接する窓口は困ります。同じクレームに何度も受け答えをするのみです。コロナ接触アプリにしろマイナンバー登録にしろ、マニュアルを考える人の意識が問われます。
2023.07.02
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ゼレンスキー大統領が来日して大きな話題になっています。G7の雰囲気はかつてないほど良かったように見えました。そこに突然のゼレンキー大統領の来日は凄いと思います。世界における日本のステータスは最上級になりました。ウクライナがロシアからの攻撃を受け、ゼレンスキー大統領を世界中の人が知ることになりました。この紛争の元は2014年のクリミア半島などロシアの介入で、その時は今ほど大きく問題化されていませんでした。それもそのはずで2020年現在で世界の武力紛争は56もあり、アフガニスタン、シリア、トルコ、リビア、ソマリア、イエメン、ナイジェリア、エチオピア、エリトリア、アゼルバイジャンなどなどです。今回のウクライナ侵攻は世界的に影響が大きいことや、核兵器が使われる可能性があることでは一線を画します。その意味では世界で今いちばん憂慮されるべきことですが、一般的な日本人はそれほど重要視していない気がします。作曲で普通に言う現代音楽の中でも評判の悪い、とは言え今の若者は気にせず皆やる多様式の作曲法について、1994年にオーケストラ曲で世に打って出ましたが、多様式なぞ日本では総スカン、フランスでもキッチュでした。ただ日本でも柴田南雄氏や水野修孝氏はそれに属し、前にも書いたように世界ではシュニトケを始め、何人かは多様式でカーゲルのような変な作曲家もいました。しかし、反体制で世に認められるのはかなりのことです。A.シュニトケ、E.デニソフ、S.グバイドゥーリナには、留学中に連絡を取りましたがレッスンは叶わず、リゲティ一門のカン・スキ、シン・ユンスクからは、作風に対して一蹴された感じでした。今思えば、そのような一流に教えを乞おうとしたからで、日本人気質としての異文化趣味を表現すればよかったわけで、何にも屈せずに押し通せたら今は違ったと思います。細かく言えませんが、ただ日本ではそうもいかないのです。”おかしなことをやっている”と後ろ指を刺されないように、できることで生きていこうなどとウジウジやっているうちに、つい最近アイスランドの作曲家・トルヴァルツドッティルの、「カタモルフォシス(変態)」という曲に出会いました。ベルリンフィルも演奏するほどの今や著名な作品で、自分に作曲機会があれば2000年頃には作っていたと思われる、多様式・折衷的な主義でできている共感できる音楽です。(今の若者は主義に疎いので似たものを稀に書きます。)多様式や折衷主義が認められるのはローカルな国の作曲家で、先進的な国では反対勢力が多過ぎて出られないのです。何がいいのかは諸説あるとは思いますが、国や環境において同じ土俵に乗ることができないのは確かです。
2023.05.20
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1年前に比べると報道に特殊詐欺の話題が増えました。固定電話で特に迷惑電話対策をしていない我が家では、2週間に1度くらいは詐欺まがいな電話があります。昔、セールスの電話は良識的で丁重でしたので、今の電話は殆どが買う以前に物腰がよくありません。こんな世相になってしまったのにはがっかりします。お客に謙る必要はないにしても、要望を聞いてもらうならどんな相手であっても、聞いてもらっただけでも感謝をすべきです。そんな良識外れな接触があまりにも多いと思います。「以前に◯◯光回線でお世話になりました◯◯です」返答:その回線は使っていませんが。「◯◯光を使っていないですか?」返答:はい。「では、この電話は間違い電話になります。失礼します。」電話が切られるつい最近、こんな電話がかかってきました。インターネットを別の回線に切り替えさせるために、今の回線にした会社名などをうろ覚えと決めつけ、よくある名前を語り信用させようとしたようです。これは間違い電話ではなく詐称です。「これは間違い電話になります。」の台詞は、本当に間違ったならこんな言い方はしません。嘘をつかれたとわかると気分も悪くなります。この電話そのものがよくありませんが、咄嗟に取り繕わない良識のなさにも愕然とします。非を認めず開き直るような人間性を感じれば、例え普通のセールスだったとしてもNGでしょう。今は何か不可解なことや理不尽なことを感じても、いちいち関せずやり過ごしたり無視できる、そんなスキルが必要な時代なのかもしれません。あくまで不利益は被らないことに注意したうえで。
2023.05.14
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3月13日からマスク着用は個人の判断に委ねられます。しかし、街頭アンケートや報道がやたら多いです。個人の判断と言っているのに他人の影響を与えようとする、同調圧力ではないのか気になります。マスク業者など影響を大きく受ける人への告知はわかります。マスクを外すことによって感染者が増えるかもしれません。そんなことは想定済みであって、それよりも外す意義を言うべきでしょう。相対する意見がある場合に、一方のデメリットを言うのは、その意見に反対しているからです。もう一方のデメリットも言わなければ公平な比較にならず、すでに決まったことに対して足を引っ張るのは下衆ですよ。「自分の顔にコンプレックスがあるからマスクを外せない」これまで友人にマスクなしの顔を見せたことがない高校生の、マスク解禁が怖いと言う朝日新聞デジタルの記事です。さまざまな人がいることは理解しますが他人は助言できません。動画投稿サイトで再生回数を伸ばしたい人がたくさんいます。回転寿司店で愚行に及ぶ若者が制裁を受けるのは当然ですが、被害者の回転寿司屋さんも防ぐための設備投資をしました。そうでもしなければ治まりがつかなくなってしまいました。特殊詐欺の令和3年だけの検挙数は6,600件、2,370人詐欺に遭う人は令和3年だけで認知件数が14,498件、被害額は282億円(1日あたり7,730万円)ということで、これこそ被害の実体験動画を紹介できるといいと思います。「被害に遭わないように注意しましょう」とは言いますが、被害に遭った人は臆せず声をあげたほうがいいと思います。身近に起こりそうなことには賛否の声をあげますが、悪質な犯罪にこそ他人事にしてはいけないと思います。高齢者が被害に遭うことが多いのは確かかもしれませんが、数的に高齢者が狙われているからであって確率の問題です。被害者を減らすのではなく犯罪を減らすことが求められていて、社会や経済に病んでしまう環境を失くすようリードすべきです。人生がうまくいっているのは努力や実力ではなく概ね運です。いつどこでどのような環境かだけで決まることは多いです。他人の意見が自分にも当てはまるかどうかは逐一考え、同調圧力を受けても人は皆違うのだと考えたほうがいいです。うまくいっている時こそ弱者を気にかけるべきなのでしょう。政治家やメディアの物言いはその意味で象徴的だと思います。マスク着用が個人の判断になることは人との関わりを考えさせ、個人の考えを表明する機会ですから余計なお節介は要りません。他の人がどうしているかではなく、各自が判断しますから!
2023.03.13
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今年の花粉症は例年になく酷く発症しています。特にいつ目が痒くなるかわからず目薬が手放せません。外に出るとくしゃみも出るので鼻水が出てきます。しかし、目薬を拭いたり鼻をかんだ後の、ティッシュを捨てるゴミ箱がありません。訪日外国人の困ったことの第1位は「ゴミ箱の少なさ」記憶のうえで街中のゴミ箱に蓋がされたのは、1995年にパリに住んでいた頃のことで、この時は爆破テロが起こったためです。当時ゴミ箱は街中にとてもたくさんありました。性別を問わず歩きタバコは日常で、吸い殻は路上にポイ捨てする人も多かったと思います。また、サンドイッチやタルトなど食べ歩きも日常で、買ったら必ず紙ナプキンや包装紙が付いてきます。観光客もそんなパリの生活に憧れていたので、道を歩きながらや公園のベンチで飲み食いします。カフェのテラスも同様、天気の良い日は外で食事です。当然ゴミは出ますからゴミ箱はあったほうが便利です。道端が綺麗だったかと言えばそうでもありませんが、清掃やゴミ回収の人は颯爽としてカッコよかったです。犬の糞回収専門のカッコいいバイクに乗った清掃の人、おしゃれな瓶の回収ボックスも意識の高さを感じました。日本でも遅れてテロ対策としてゴミ箱が減り始めました。ただパリでゴミ箱に蓋がされたのは一時的なことで、当時はテロの危険性が高かったためです。日本では街の中から日常的にゴミ箱がなくなりました。地球に優しくゴミを出さないようにする風潮もありますが、街中でゴミは出ないのかと言えば出ます。除菌シートやティッシュなど使ったあとも持ち歩くために、一時的なゴミ袋を常に持ち歩く必要があるのでしょうか?食べた後のお弁当容器ならその場で洗いたいわけですから、捨てられるものであれば捨てたほうが衛生的です。レジ袋削減の現状で、ゴミを持ち帰るための袋を持ち、街にゴミ箱がないのは結局非合理だと思われます。かつて日本でテロやそれに近いことが起きましたが、ゴミ箱が標的にされるから置かないと言うのは詭弁です。ゴミ箱があるからテロが起きるわけではありません。他にもカラス被害、処理経費などいずれの理由も疑問です。日本独特の一切のゴミを持ち帰る慣習、マスク会食など、人は何を目的として、何を楽しみとして生きているのか、衛生意識はどうなっているのかなど考えさせられます。近頃のおかしな規制は一部の考え方だと知るべきです。
2023.03.02
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隣の駅では今ではかなり見なくなった呼び込みの人が毎日います。昔は繁華街で居酒屋やキャバクラなどであったやつです。想像できるのはお客一人の単価が高いけれども暇なのでしょう。しかも今流行りのPCR検査はしかも無料で受けられます。各自治体でどのように使われているかわからないコロナの使徒不明金、14兆円のうちの9割がこれにあたることが報じられたのが昨年です。病床確保の補助金を受け取りながら患者を受け入れない幽霊病床、病床を空けておいたほうが病院は儲かる補助金システムです。1床につき1日あたり7万4千円から43万6千円が支払われます。救急でも患者がたらい回しにされるのも理解できます。全国にある国立病院の利益は前年の25倍以上、853ある公立病院も赤字から一気に1251億円の黒字になりました。ワクチン接種会場はいつ行っても比較的空いていて快適ですが、日当18万円や月給158万円などの求人があると言われています。最前線の医療従事者においても格差があったようで、病院の経営状態が改善されたことが共通しているようです。そうなれば病院経営に携わる医療関係者は補助金目当てで、テレビでコロナの軽視を嫌がり不安を煽ることに頷けます。この補助金ビジネスは、コロナに限らずよく感じられ、質が高いから補助金が多く支払われるわけでは全くありません。しかし、お世話になっている東京医療センターでは退職者が続出、看護師の16%が退職したうえさらに半数が退職希望と報じられ、コロナ対応で医療従事者に感謝の声が寄せられるなか、実態はうまくいっていないことも多くあるようです。時々お世話になる東京医療センター
2023.02.08
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日テレ「リバーサルオーケストラ」を第1話、第2話はTverで、第3話はオンエアーを見ましたがとてもがっかりしました。”オーケストラ”という言葉を使ったタイトルについても、プロという割にアマチュアっぽい設定が目につきます。のだめカンタービレのようなタイトルバックがあり、チャイコフスキーの交響曲第5番のパロディを繰り広げます。のだめとは主役がピアノからヴァイオリンに変わっただけで、内容的には明らかにのだめのほうがリアリティがありました。このドラマの原作はなく脚本家の清水友佳子氏によるもので、フェリス女学院短大卒ですがオケのことを知らずのことか、リアリティのない展開や時代錯誤の台詞で埋め尽くされ、荒唐無稽な登場人物がリスペクトされている架空の物語です。30年程前から国内でオーケストラや吹奏楽団が増え、経験者はこのドラマに違和感を感じた人も少なくないでしょう。何かを一度断念した人が立ち直るようなテーマであれば、何もオーケストラを題材にしなくてもよかった気がします。個人的によく知っている人がオケ奏者として何人も出演し、SNS上では出演していることを明かしていますが、ツッコミどころ満載のこのドラマをどう感じているのか?プロのオケ奏者としてエキストラ出演のプライドは?よくある警察や医療を題材にした他のドラマも、本職の人が見ればツッコミどころだらけなのかもしれません。でも、そこにプロの警察官や医師は出演しないわけですから、今まで見た演奏レベルならばプロでなくても大丈夫です。このドラマでクラシックファンがたとえ増えたとしても、クラシック音楽やオーケストラが間違って伝わるかもしれず、脚本家が想像でつくったとしても現実とはかけ離れていて、音楽を続けるうえで直面する問題解決にはならず悲しいです。クラシック音楽を題材にしたテレビ番組は、どうしてこうも子供向きで幼稚な方向に誘導するのでしょうか?裾野のファンを増やして観客動員を増やしたい意図だけが見え、音楽芸術を深める考察があまりにも見られなくなりました。
2023.01.29
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このブログのアクセスに何かの制限がかかったかもしれません。ブログは読み手にとっていいことを書いても悪いことを書いても、アクセス数が極端に減ることはないのが通常です。ところがこの2-3日でいきなり減っていました。これが本当に制限されたのだとすれば逆にある意味名誉なことです。テレビも不安要素や過激な内容を入れたほうが視聴率が取れます。好きではないが、極端な物言いに惹かれて観る人も多いからです。むしろコメンテーターの話は信用しない前提で観る人もいる筈です。例えばテレビ朝日のモーニングショーはその例だと思います。SNSで批判的な意見が多いのは好きでもないのに観ているからです。だからこそテレビ朝日社員・玉川徹氏への批判が今とても多いわけで、放送番組審議会でも問題になっているとのことです。モーニングショー降板の意思を固めた報道に注目が集まっています。ボージョレ・ヌーボーの季節になりました。この10年間、ワインが安くなると言われた時期もある中、ボージョレ・ヌーボーは倍以上に値上がりしました。他のフランスワインと比べても値上がりし過ぎだと感じます。結局嗜好品はどんどん値上がりしますが、安い物と高い物の差が開いていて格差が広がっていると感じます。今の円安も同様で、有利な人と不利な人の差が広がります。儲かって贅沢な人はどんどん贅沢になり、貧困な人はまずます苦しみます。日本は海外に比べて物価高と低賃金で一人負けしていると見る見方と、日本は一人勝ちしているという見方があるようです。しかし、格差が広がっても精神的には貧しい状況であることは確かで、文化面における前世紀のような芸術的な充足感はもはやありません。高くても意味のない贅沢とあれば何でもいいと感じるお手軽の両極です。肉が高くて買えないなら他のタンパク源を代用し果ては昆虫も食べる、SDG'sと考えると食の無駄をなくし人類の平等に繋がるかもしれませんが、美食の文化や伝統はリセットされてしまう転換が起きています。テレビでお馴染みの飲食店を紹介する番組は関心の高いところです。お店の名前は元の仏語や伊語をカタカナにしたものが多いのですが、例えばイタリア料理店なのに名前は仏語読みだったりすると、どんなに美味しい評判でもそのお店に行く気が失せてしまいます。海外の日本料理店の名前が例えば中国語読みだったらガッカリします。例えば「小東京」という日本料理店が海外で「シャオ・トンチン」と、中国語読みで営業していたら中華料理店とも思えて紛らわしいし、日本人ならそのお店に胡散臭さを感じてしまわないでしょうか。日本のメディアは中国が日本の真似をした時に酷く責め立てますが、日本も多くのミスコピーと考えられる事象があるにも関わらず、そのことを気づいていても指摘する人は殆どいないに等しいのです。平気で紹介しているテレビに意見する外国人すら見えてはきません。海外の文化や良さを知っていると言ってもたかだかその程度です。物価高や円安で本当に誰が困り何が犠牲になっているのか、先述の記事のような「勝ち」や「負け」などと割り切れる筈もなく、「良い面」もあれば「悪い面」もあることをはっきりすべきです。
2022.10.16
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自分が日本人で嫌なところがはっきりしてきました。自分のいいと思っていることを言い続けられないことです。生きてきた中で組織の中での窮屈さにおいてそう感じ、社会の中で個人として生きていくのにもそうです。昔から変わらないことは、世の中を支配したい人がいて、現代では目に見えるかたちではなく、人知れず操ろうとする人が、強い発信力をもって旗を振り、それに多くの人が追随します。やがてそれは観念となり多くの人に同調圧力がかかります。身近な例として、マスクの着脱を始め何かと今だに制限が多いコロナ。昔の風邪も罹る度に症状が異なり、どのウイルスに罹ったのかわからず、酷い時には高熱や後遺症もあったし、亡くなる人がいるのは変わりません。新型コロナウイルスへの対応では明らかにフェイズが変わったと言えます。感染者数に関わらずウイルスの毒性については徐々に言われなくなりましたが、相変わらず重症化すると死に至る感染症と認識している人もいます。第7波が収束気味ですが、昨日は早くも来年の第8波予想が言われました。どうもコロナ禍を引き摺ることで世の中に影響力を奮っているように見えます。政府は明らかにマスク着用の軽減、経済の活性化を進めており、テレビCMで屋外でのマスク着用は原則不要と伝えていますが、民放のニュースでは屋外でもマスク着用が当然のように伝え、インバウンドの外国人の様子を伝えるにもマスクの話を欠かしません。加藤厚労大臣は『「屋外では原則不要」ルールPRへ』と話し、「マスクを着けたいという人はいいが、着用は必要ない」と言います。現状、皆の殆ど着けていますがそれほどマスクを着けたいでしょうか?着けておいたほうが何かと無難、慣れたから着けるなどの理由があります。それだけではなく、マスクを外すのが怖い、メイクが面倒などの理由もあり、欧米のような個人主義「人は人」の考えがなく極めてネガティヴな理由です。個人を尊重しつつもコミュニケーション好きな欧米とは逆なのです。しかし、本当にそんな理由でマスクを外さないのでしょうか?仕事によってはマスクをしていません。例えばテレビに出てくる人です。それは「そういう仕事だから仕方がない」のではなくあえてしません。しないことが黙認されているだけで正しくは屋内ではするのがルールです。逆にしなくてもいい屋外でしているのは一種の同調圧力に見えます。日本人は他人に対して干渉しない、他人の考えを尊重するという前に、周りからの見られ方を気にし過ぎて自分を出していないと受け止められます。マスクを永久にすることが考えられないのは欧米も日本も同じはずです。にも関わらず日本では自らの意思を抑え込まれる見えない力があります。
2022.10.12
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これまで、コンサートで音楽のテーマ性、演出について、個性的な切り口をつくるために絶えず考えてきました。実際、音楽を装飾するような演出はクラシック的ではありません。だからこそ音楽を具体化するだけではない演出が必要でした。映画や演劇になれば話は全く異なってきます。ステージや映像がメインとなると音楽は演出の一部と言えます。道具や照明、音響もそうですが、他にもいろいろ考えられます。しかし演出家が行う演出について、日本ではあまり知られていません。アニメや映画の監督の名は知られていますが、◯◯監督の演出はどのような特徴があるのか?名演出とは何?どのような音楽をどのように付けるのか?なかなか言えないと思います。音楽では作曲家で中身が決まりますが、優れているのはごく一部です。独創的な表現や世界観が感じられる演出はそれほど多くありません。音楽はBGM的で何かを表現しているほどのものは少ないです。音楽が独創的なのは却って演出の邪魔なのだろうと考えています。その結果、ありがちで定番的な音に無難さを感じるのでしょう。反面、報道などノンフィクションに演出を加える必要ありません。また、買物や飲食においてお店が音楽を鳴らす必要はありません。音楽を鳴らすとすれば、その番組やお店のオリジナル曲ならよいです。音楽には人によって嗜好がありますから押し付けられる必要はないです。残念ながら日本人は音楽を演出的と感じることは少なく、ないと寂しい、静寂・無言に絶えられない性分になってしまいました。海外に比べて、音楽が満ちている、無駄に照明が明るいなど麻痺しています。SDG'sの意識がこれまでもっとも足りていなかったのが日本だと思います。そんな演出に疎い人が演出について批判できるのでしょうか。演出というよりも日頃からヤラセや印象操作を考えているテレビ業界人、玉川徹氏が葬儀をテレビと同様に演出に言及することに疑問を感じます。葬儀であえて演出と言うならば、基本的に会場設営と音楽だけです。弔辞は故人との関わりを偲ぶ内容が読まれるだけでどうあれ自由です。演出をするもしないもなく、それを評価するものでもないと思います。そこに演出の話をすること自体ナンセンスなうえ電通の名前を出すなど、皆の故人を偲ぶ思いにまで水を差すようなものです。国葬とは言え一般的な葬儀を踏襲したものでした。実施には賛否ありましたが、内容まで批判するのは常軌を逸しています。玉川批判が大きいのは関与していなかった電通の名前を出したことよりも、批判のバイアスがかかった時の言い方が問われているのだと思います。テレ朝・玉川徹氏はなぜ電通発言をしたのか 心理士が指摘する「信念バイアス」では、前回のこのブログに書いた所見と見事に一致しました。実行力のある菅前総理が寡黙なのはうまくいっても批判されるからです。逆に岸田総理が先手を打たないのもメディアからの批判回避だと思います。結局メディアが発した民意が定まってから動くほうが無難だからです。国会を開いてもネガティヴな内容で時間がかかるため世界に追い越されます。岸田総理が息子を秘書官にしたのは「誰も相談相手がいないから」などという記事があり、このことに幻滅した人も多いかもしれません。しかし今日の参院本会議で「24時間情報伝達やSNS発信に期待」と、明らかにしたと聴けば、それだけで俄然よくわかる話に変わりました。
2022.10.07
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前回の続きになりますが、国葬内の菅前総理の弔辞に対して、テレビ朝日・玉川徹氏が発した言葉について書きます。テレ朝・玉川徹氏、「事実ではありませんでした」国葬発言を謝罪訂正で視聴者から怒号「降板させろ」「デマ垂れ流す局も無責任」記事の最後には、玉川氏が番組内で以前ディレクターだったことに触れ、『「政治的意図が匂わないように考える」とも発言していただけに、「テレ朝が今まで意図的な情報操作をして、発信したと公言した」と盛大なブーメランとして跳ね返ってきていた』と締められいます。「電通発言」で全面謝罪の玉川徹氏政治記者は「これまでの失言よりはるかに問題」玉川徹氏の”国葬電通"謝罪が拡大!現役議員から「責任取ってもらいたい」今回のことがあるまでもなく、テレビは社会的影響力を及ぼすことを目的とした発信をしており、ひいては民意として認知されるように誘導操作していると感じます。政治家はそれを理解していても及び腰になってしまうようです。さまざまな意見があるのにテレビの中の意見が主流のように、あたかもそれが国民の意見という言い方をコメンテーターがするため、政府は感化されていく国民に対応することになります。民主主義とは張りぼてで、声の大きなテレビに支配されやすいのです。君主国家の指導者は日本のこの様子を見て笑っているでしょう。国家元首がメディアによって大きな影響を受けているのですから。君主国家の指導者は、胸先三寸で物事を決めていくわけですから、テレビの中の民意をいちいち意識している日本は対抗できません。菅前総理の弔辞は世間体を乗り越えた事実と本心を伝えました。政治家の関わるすべてを政治的と裏読みしては良いことも悪くします。”こう言えばこう受け止められる”と裏読みばかりしているのは、テレビに出たいがために情報操作するコメンテーター自身です。音楽において、吹奏楽が中高の部活として流行を博して久しいです。運動部のようにポジションを監督が決めるような権限が吹奏楽は弱く、楽器は生徒の希望が優先で足りないパートにコンバートできません。昔とは異なり、部活に勉強的・研究的要素が減ったこともあります。希望を優先する結果、正規の楽器編成を組むことが難しくなり、障害があっても活動を続けることに美学を見出すのが今の特徴ですが、音楽としての学術性から考えれば自ずとクオリティを下げることになります。それでも音楽に携わる人口を増やし、生業に繋げたい人は多いようです。作曲コンセプトから考えると楽器編成は第一に重要な観点です。その楽器ならではの発想が必須で、他の楽器での代用を許さないのが常です。最近は作曲家の立場が低くなり、音域さえ合えば他の楽器で代用され、音の変更なども適度に演奏者側の事情で許されるなど昔とは変わりました。これらをあたかも演奏する若者たちのためと推し進めるのはテレビです。しかし、変則的な楽器編成は組み合わせによってバランスが変わり、マイクがなければ音が聞こえないパートが出てくることも多く、作編曲する側も演奏する側も相当な配慮ができなくてはうまくいきません。スタジオではなくホールで演奏する場合も、マイクなしではよく聴こえず、マイクを使えば見合ったスピーカー、バランスを調整できるミキサー、セットするスタッフが相応に必要となり、普通の演奏とは状況が異なります。どんなに素晴らしい演奏でもミキサーの耳と腕次第で聴こえ方が変わります。テレビはひとえに人気者をつくり支持者、反支持者から視聴率を稼ぐ、この場合の人気者とはよく思われている人とは限りません。国葬に反対を唱えていても全ての局が完全生放送を行います。故人を偲ぶのではなく、故人の人気で視聴率が取れるからでしょう。喜ばれざる新型コロナウイルスもテレビにおいて現状が把握されるために、鉄板の高視聴率を出す大物タレントのように扱われていることでしょう。皆を惹きつけるためには怖くなくてはならず、怖く見せる演出が必要です。怖くないと思われ始めると当然のごとく関心が薄れるからです。国葬で世界が最も驚いたことは参列者が全員マスクをしていたことでした。日本人は正しい情報を持っているのか、それとも怖いと洗脳されているのか、マスクを強要する日本とマスクをしたくない外国との溝は狭くありません。日本のメディアは報じませんが、マスクを外す論理的な理由がなくなりました。感染者が激減したと思われる時、何となくしなくてもいい風潮が生まれた時…。海外の人やインバウンドには日本人が外すのはいつか説明が付きません。肝心なところで筋が通っていないこと、日本人として情けなく感じます。
2022.10.01
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本来は当事者同士が話し合って理解を図るのがあるべき姿でしたが、今はこれを通り越してSNSで第三者に広めることが普通になっています。上司や先生に物申せないのは昔の話で今は誠意をもって話すべきです。話合いをせずに憂さを晴らすことは結果的に関係の修復がより難しくなります。何かの組織に属せばそこにルールがあるのは当たり前。そのルールに従わないでルールがおかしいと言うのは基本的にNGです。組織のルールはゲームのルールとは異なり原則的に必要なことであって、それまでの歩みの中で支障をきたしたことが知恵として詰まっています。文化や風習が異なればルールも異なるのは当然で、国や宗教が異なれば全く異なるのがその良い例です。第三者がそのルールをとやかく言うのはおかしいです。ルールをとやかく言うには、まずそのルールのルーツを明確にすべきです。しかし、昔の人はルールを絶対として権威的に振りかざす道具と考え過ぎ、時代と共にアップデートすることや、なぜそのルールがあるのか説明をせず、ブラック校則などと揶揄され、結局外的な力で変えざるを得なくなります。ただ、本来その学校の校則が気に入らなければ入学しなければいいのです。そうは言っても、校則を生徒募集時に明示する学校はなかなかないでしょう。だからと言って、入ってみて校則が気に入らないと言うのなら、まずはその校則がなぜ必要なのか学校に聞いてみるべきだと思います。世の中が何と言おうと当事者同士の話し合いしか真の解決はありません。問題なのは校則の内容ではなく、なぜ社会的な話題になるのかです。極端に言えばよその家庭のルールに口を出しても仕方がないのと同じです。ルールはさまざまでいいのであって、他と比較するものではなく、本来はその学校の校風や個性として捉えられるべきものでなくてはなりません。好き嫌い、合う合わないは皆にあるわけで、考え方も人それぞれです。特に服装や髪型など外見上のことは職業上でもルールがあるわけで、制服なども含めてその組織の個性ですから批判の対象にはなりません。一方で、圧力として従わせるだけのルールと感じられた時に反発を招きます。伝統と個性として見られている例としては宝塚音楽学校などで、校風、校則、外見の全てにおいてどう見ても限定的で厳しいと思われます。また、全国高校野球大会を見て丸刈り以外の選手を見たことがありません。これらは昔のままの伝統ですが、実はどこの学校でも伝統はあるはずです。歴史や伝統を知ればその組織の個性を窺い知ることができます。人の見方も生き様や履歴を知ることによって人柄を理解することができます。相互理解があれば双方に受け入れられることは増えることが多いはずです。「こんな変な校則がある」と他人が揶揄するのは解決になっていません。
2022.09.01
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旧統一教会が山上容疑者の犯行のきっかけであったことはわかります。それが一点、政治家との結びつきの追求に波及しましたが、あまりにしつこい。反社会的勢力であったとしても選挙権を持ち、法的な拘束を受けていない人に対して、逆に関わりを拒絶すると言っていいのか…。このことでいちばん苦しんでいるのは、結局幹部ではない信徒の家族です。洗脳されていればどんなバッシングにも耐えられるかもしれませんが、信徒ではない家族はますます追い込まれ、容疑者と同じ思いに至るでしょう。何の解決にもなっていないし、救いにもならずますます断絶を生みます。岸田総理はこれまで民意(メディア)の風向きを読むことに追われてきましたが、あまり取り沙汰されていない彼のスピーチに正答が示されています。宗教団体の法令から逸脱する行為には厳正に対処すること、法務大臣をはじめとする関係大臣に被害者救済に万全を尽くすことを指示し、これらの徹底を通じて国民から信頼される行政運営を行っていくまた、経済的に追われるなど社会で自分の能力を活かせないことへの反発は、宗教的な事由に限って起こることではなく、弱者特有の現代的なジレンマです。それを乗り越えられるか、自分や他者に対して責めるかは人それぞれですが、今回のように銃規制されている社会で銃を自作できてしまったことが大問題です。政治家の落ち度をメディアが責めるのは当然のこととしても、投票によって信託されている人々が説いていることを無視して反対を唱えたり、早計な批判をするのを見るにつけ、世の中に対する嫌悪感を感じます。もっと苦しい人はたくさんいるのではと思うと居た堪れません。
2022.08.11
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1週間ほど地方を回りました。発つ前日の7月28日にコロナ新規感染者が世界最多という日本、ただ先々で街中の人が少なかったかと言えばそうでもなく、少ないと感じたのは新幹線の乗客数でした。新規感染者数の推移のグラフを見ると驚愕します。(いちばん下のグラフを全期間で見て)1日の死者数は感染者数の0.06%ですが、今はこれまでの中でもっとも多い状況です。日本はロックダウンこそしていませんが、緊急事態宣言中でも感染者数が増えたり、飲食店に自粛を促し、マスクを徹底し、ワクチン接種率が高いのにこうなっています。これまでの状況を全て合わせても数の上では今が最悪です。これまで言われていたことが間違っていのか、今が間違っているのか検証の時です。検査数や検査の方法が数の増減に大きく関わっていることはないでしょうか。本当に検証すべきことは数でないことは確かだと感じられます。そんなことはお構いなしにどこに行ってもさほど緊張感はありません。自分が感染することはないし、人に感染させることもないのはいつもどおりです。なぜそんなことを決めつけられるのかと問われても洞察力でわかります。気をつければどうってことはない、消毒や接触はコロナ禍前からの習慣もあります。自粛を要請されても自粛するかどうかは自由でいいと思います。ただ感染して困るのであれば自粛しなければなりません。有名人が感染して公表しますが、普通は必要な人以外には知られたくないでしょう。何事も格差は大きく、「一生コロナでもいい」と言っている居酒屋経営者もいます。真意とは異なるところで押さえつけられたり自由を奪われることがあります。安倍元総理殺害で俄然標的になった旧統一教会について、昔のことはよく言われますが現在の被害はどうなのか、警察はどう考えるのか?現在国内信者56万人、相談件数は7月に12倍に伸び94件、どう見るかです。警護体制についても犯行が遂行されたわけですから警護側は猛省するでしょう。着目すべきは山上容疑者が計画性、実行力、意思表現に長けた人間だったことで、前日に演説先を長野から奈良に変更した元総理との運命すら感じます。自らの能力をこんなことに使わず、他に活かせたならば大成できたでしょう。メディアはすぐに政治家、警察、団体を批判することが目に付きますが、山上容疑者の犯罪は決して許されず、こうなる前の社会の摂理が大事です。今の最大の問題は地球温暖化で、異常気象が今よりもう減ることはありません。過去には凄惨な原発事故がありましたが、今進むべき道は一つしかないのでは?理想ばかりを言っていても弱者が煽りを受け別の問題に変わってしまいます。夢や構想は大事ですが、もはや足元から一歩ずつ。大人も子供も現実を見ること。
2022.08.06
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新型コロナウイルスの感染が広まって怖いこととは…。重症化しないためにはワクチン接種という話もありますが、BA.5はそもそも重症化することが極めて珍しく、過去最多の感染者が出ている東京のこの1ヶ月における死者数は約50人です。今の話の流れは後遺症が怖いという方向になっています。一方で、熱中症は7月の1週目だけで全国で14,353人の救急搬送があり、東京23区の死者数は100人を超えているとのことです。今は身体的には熱中症のほうが怖いと思われます。しかし、熱中症についてはあまり言われません。コロナの何が怖いかと言えば、陽性になると隔離されなければならないことで、10日間は大きいうえ濃厚接触者も出てしまうために精神的に追いやられます。今は以前のように経済を止めなくても自動的に止まってしまうことでしょう。近くのお店で店員さんがしょっちゅう変わっていることはないでしょうか。最近、始まったのは電力会社による節電キャンペーンです。主に日中の指定時間中に節電をすることによってポイントがもらえる仕組みですが、対象は企業ではなく家庭、頑張って節電しても8月までで2,000円程度とのことです。電気の値上がり分程度で、実施元の経産省の人の家庭はやるのか?すごいイベントかと思えば目標は45万人です。SDG'sのためとか家計のためとかで真面目な人や弱者がやります。お年寄りは消費量の多いエアコンをつける回数を減らすのではないかと心配します。熱中症で亡くなるのはエアコンが家にないお年寄りが多いためです。今生活支援のために頻繁に宣伝されているのがマイナポイントです。カードは以前から持っていて、保険証に紐づけるのと受取口座登録をやってみました。保険証に紐付けをしたら7,500ポイントは2-3日で付き、これはすごいと思いました。しかし、自分が行ったクリニックと薬局ではまだ使えませんでした。次に受け取り口座登録をしようとすると、何度アクセスしても最終的には、【混雑によりエラーが多発してします】という表示が出て、自動的にログアウトしてしまうという詐欺に遭っているかような状況です。一般的な企業のサイトならありえないことで、なぜ話題に出ないのか不思議です。マイナンバーカードの普及率そのものが45%ということです。もらえるポイントから言えばお得ですが、これも単に弱者のためかもしれません。接触確認アプリCocoaの時もそうでしたが、実質あまり使えまないのが実感です。”安倍のマスク”然り、泥縄式、おざなり的に巨額の資金をかけている気がします。
2022.07.27
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昨日もコロナ感染が拡大している理由で中止になったコンサートがありました。世の中的には以前にそういう中止が多かったですが、受け止め方によっては出演者にコロナ感染者が出たのではないかと感じます。今や誰々が感染したから中止とは仲間内でも言えない話ですがショックです。Twitterでハッシュタグ#コロナ茶番がトレンド入りして1万件以上のツイート、分かりやすい理由でコロナはおかしいと皆が説明しながら盛り上がっています。このブログでも2020年発生当初からコロナ報道に異を唱えてきましたが、昨年の今頃はまだ茶番だという人は少なく、やっと浸透してきた感があります。例えば、日本はワクチン接種率が諸外国に比べて高いにも関わらず、海外と同じ変異ウイルスなのに日本だけが以前の対応と変わっていません。マスクを外しコロナ禍以前の日常を取り戻している海外に比べて、日本は戻る気配がなく、症状の軽い人が多いにも関わらず医療が逼迫します。日本の補助金はコロナにおいて手厚く、PCR検査やワクチン接種、患者受け入れ、また持続化給付金などの他、感染者の介助すらも格別の対応です。無料のPCR検査が街中のあちこちで受けられるようになってから、コロナ関連が産業化し始めたと思う人がいたかもしれません。無料で受けられるのはありがたいことですが、検査をする側はボランティアではなくお仕事ですから、多くの人に受けてもらったほうがいいでしょう。検査数が少ないとその検査場がなくなってしまい失職にも繋がります。今となっては新型コロナだから、夏風邪だから、熱中症だからどうこうではなく、重症化率の高い人、風邪以上の重度の症状が出た時に医者にかかり、軽い場合は市販薬による対処療法である程度は回復を待つこともできるわけです。熱が出たら救急車を呼ぶなど大袈裟に考え過ぎていないか重要です。「ワクチン接種会場は楽なお仕事です。」このことはスタッフ募集時点からそのように認識されているようです。それでも医療関係者はわざわざ出向いて従事するほどではない仕事のようです。接種会場によっては閑散としていることが多いように思います。従来の医療機関はお年寄りがたくさん来院しているイメージでしたが、コロナ感染者が増えると医療機関への受診率が下がります。そのこともあって、コロナ以外の内科検診を勧めるCMが増えています。医療機関でも発熱外来と一般外来で格差が出てきているように思えます。この数年間で政府や自治体は多くのお金をコロナ禍に費やしてきました。大きな損害を受けている業種もあれば、躍進した企業もある中、全体的には物価高とお金の出し渋りから格差は広がるばかりです。コロナを煽り自粛を促す同調圧力は強者が弱者を支配しているように感じます。
2022.07.21
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なぜそんなことがニュースになるのだろう?それを聞いて視聴者はどうすればいい?キャスター始め出演者が、「そうだそうだ」「それは大問題だ」と言い始め、皆の意見のような印象操作と同調圧力を感じてしまいます。最近はまたコロナが流行していますが政府は制限対象にしていません。海外では感染者数を数えないほどに話題にしなくなった国も増えています。規制を受けて人生が変わってしまう多くの人についてほとんど言及されず、テレビは規制の影響を受けず、コロナ医師はもはやタレント化しています。結果、日本人はいつまで経っても決断できずひとつになれません。責任を取りたくない、指示待ちの日本人をつくる所以です。テレビには政府の味方がおらず、政府に対する誹謗中傷すらあります。古市憲寿氏はそれを仲裁できる人で、SNSの暴走も指摘しています。日本のジェンダーギャップ指数が世界で116位だそうです。146カ国を対象に教育・健康・政治・経済を分析しているとのこと。しかし、それらの中でも何を基準としているのかよくわかりません。順位が低すぎるのでしておけないのか、何が足りないのでしょうか。音楽の世界では女性が統括したり、責任者であることはよくあります。また、他の職種でも女性の進出はとても増えたと感じます。政治家、経営者はやりたいと言っても簡単にできるものではありませんが、女性がやりたいと言った時に性別でNGが出るとはとても思えません。管理職を選ぶのは上層の数人でしょうから任せるしかありません。下の者は上司を選べないし、尊敬できる上司など殆どいないのが常です。男女平等のために女性を増やすと言うのではなく相応しい人でいいわけで、それでも女性が少ないのであれば、それは日本の国民性だと思います。日本は米国を支持し、近隣のNATO諸国はウクライナに武器を送っています。そしてロシアの制裁にも参加し、侵攻に対する意志は明確です。それにも関わらず、日本製エンジンが戦闘用のドローンに転用されたこと、しかも他国経由で購入されたものにいちいち拘るのは何故なんでしょう。エンジンを製作している斉藤製作所が使われ方に拘るのはわかります。しかし、周りまわって流用されることなど何であっても起こりえます。ニュースの意図は、日本のエンジンがそれほど優秀だと言うことでしょうか。こんなニュースを流しても、誰もどうしようもないです。何かと日本ハムの新庄監督が出ると視聴率が取れるのは想像できます。ただ野球ファンからすれば、事情がともあれ最下位でいいとは思いません。さも常識を覆して新たな監督として注目を集めましたが、野球以外のことで話題を取る一方で、本職の話題は影を潜めています。努力をしてキープして結果を出している人に注目を集めるべきです。その労いに欠けているために一生懸命やり抜くことが馬鹿らしくなります。人気者をつくって安定的な視聴率を得ることが見え透いていること、それこそ日本をダメにしている所以です。吹奏楽文化があと20年で消えるという記事が話題になっています。吹奏楽の多くの活動はコンクールを目的としています。SNSを見て感じることは、持続的に中心になっているのは、部員・団員ではなく指導者ではないかということです。指揮者、トレーナー、出版社が一丸となって吹奏楽産業を支えています。部員がどんなに少なくても、編成が偏った状態でも活動できるよう、ひとつでも多くの演奏団体を維持しようとしています。気になるのは音楽の在り方です。部員には音楽の何が残るのかが疑問です。ここに挙げたことは世の中がおかしくなっている例の一部です。昔はおかしなことに一石を投じる人がいましたが、今はまかりとおります。「子供のため」「若者のため」など言わずもがなの事を執拗に叫びながら、子供や若者はいつの間にか洗脳される状態になっていないでしょうか。
2022.07.16
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この10年くらいでしょうか、立場の弱い人に無条件に同情する輩が異常に増え、いかにも理解力があるとのアピールで好感度を上げようとする人がいます。テレビで見られる年配のアナウンサーやコメンテーターもそうです。メディアは皆が知る強者や団体を批判して視聴率をあげるようですが、それを真似したSNSでの発言を反面教師としだしたようです。SNSが発達してからのニュースは記者が取材するのではなく、SNSで反響の大きい記事を拾ってきて視聴率を上げるようになりました。渋谷駅で自分が線路に落とした財布を拾いたい一心で、線路を執拗に見下ろしたり降りようとして駅員を激怒させた動画の一件、駅員の言葉遣いがあまりに酷いのは確かですが、メディアがこの記事を取り上げた時点では珍しく駅員を擁護しています。今までであれば、乗客が線路に財布を落として助けを求めたにも関わらず、JR側はそれに取り合わず激昂したとJRが非難され続けたと思われます。話題になった動画が切り取られたものでその前の経緯がなかったことから、安全第一の信念から発せられた駅員の言動は理解できるということです。しかし、ここで再度この乗客のおかしな点を指摘したいと思います。①そこそこのラッシュ時に財布だけ線路に落とすでしょうか?線路に財布だけを落とした経験を持つ人はそうそういない筈です。②なぜ、駅員とのやりとり動画が至近距離で存在するのかです。緊急事態ですから予めSNSにアップするつもりでなければ撮りません。渋谷駅のような大きな駅ホームでなぜ財布を取り出し落としたか?そこを明確にするべき事案であるように思います。動画で拡散されましたが、切取り編集はテレビの得意とするところ、切り取られた部分だけで決めつけるのはNGだとやっとわかったかもしれません。動画をアップした本人はメディアがJRを叩いてくれると思ったでしょう。それは、今までメディアは経緯に関係なく弱者の味方をしてきたからです。日本人をダメにしているのはそこにあったと思います。欺瞞に満ちた正義を振りかざす人を増やしたのはメディアとSNSです。
2022.07.07
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ニュース番組で中学校の体育の時間、サッカーのゲームをしようと、先生は「できればマスクを外しましょう」と呼びかけ、女子中学生が「強制ですか?」と言うと、先生は「強制ではありません」と。中学生は外すことなく、「学校でずっとしてきて今更外すのは恥ずかしい」と。「外すことに慣れない」「顔を見せたくない」とそのような理由です。35度もある屋外でマスクをして運動をする中学生は世界中でも珍しいでしょう。コロナ感染が起こるのは運動している時ではないと思います。それより外したくない理由のほうが大問題で、これを教育として正すべきです。学校としては何か起きた時に責任を取りたくないので本人の意思を尊重しますが、文科省はすでに体育や登下校時の「脱マスク徹底」を呼びかけています。人ぞれぞれは批判されることを怖れる結果、返って非合理や理不尽を起こします。今は八方塞がりな状態ですから、可能なら少しでも元の日常を取り戻すべきです。スタジオの照明を20%落として放送していると節電を促すテレビ局、一時的に真っ暗にして仕事をする都庁のパフォーマンス、皆が同じようなことを行えば電力使用量が少しは減ることはわかりますが、お年寄りは電気の無駄遣いはもとからしておらず控える必要はないと思います。順風満帆の企業が行う節電とお年寄りが考える節電は理由が異なります。電気代が高いから節電せざるを得ない身になってものを言ってもらいたい、世の中の電力使用を抑えればいいのであれば、テレビ・ラジオが放送を控える、視聴率が下がればテレビを見ることもなく節電にもなり手っ取り早いです。世の中の電力使用量を事前に知ることができる「でんき予報」なるサイトもあり、本当に需要逼迫となったら、1-2時間でも突然テレビが一斉に放送を中断したら、劇的で世界に誇れるニュースになると思うのですが… どうでしょう。スポンサー契約や金銭的事情が大事ですからできるわけもないでしょう。日本は震災でそもそも原発を稼働させたくない民意が強い中で、温室効果ガスを減らす目的で火力発電も一度に抑制を強いられました。それでもなぜ電力が逼迫するのかとか言うコメンテーターもいますが、日本では原発がNG、世界からは火力もダメだとこの前まで豪語していた筈です。人が起こしたことが原因で身動きが取れない現在の異常性は前代未聞です。電気が足りなくなるのも震災の前にはなかったこと、そして急激な物価高、異常気象、ウクライナ侵攻、円安などを始め株価下落は酷いものです。人生100年時代で投資ブームに乗った人は見込み違いだったのではないでしょうか。コロナ禍の対応から短期間にいろいろな危機が起こりすぎです。強者の立場での報道で責任転嫁していますが、真の危機感が伝わっていません。皆がこれまでのように何とかなると思い、平和ボケになってないでしょうか。未来が明るいとは想像できないのですが、こればかりは当たらないでもらいたいです。
2022.06.30
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見立てとして、若者の利点は自分と他人を混同しないことだと思います。モラルに関して理解できる若者に関して未来は明るいと思えます。新たなモラルが次々と生まれてなかなか追いつけないのは中高年です。過去を知らない若者と変えることが追いつかない中高年の接点は少ないです。例えば、若者はリスペクトをしても忖度はしません。中高年はリスペクトしていなくても忖度します。忖度には種類があり、気遣い、昔からの習慣、見返りを狙う打算などです。いずれにせよ忖度しない若者を見て気が利かないと中高年は思うでしょう。気が利かないのではなく、自分の仕事ではないと判断するわけですから、気を利かせるためには業務の一環としたマニュアル化が必要となります。若者は全体に指示されたことを行い、指示待ちのイメージがあります。「気がついたら言われなくてもやる」時代は終わりました。しかし、実際はどれだけ気が回るかが試されている仕事もあれば、余計なことはしないことが望まれる仕事があるのも事実です。一般に相手がお客のサービス業はどれだけ気が回るかが見られていて、業務がどこまでマニュアル化されているか、まっとうされているかも問題です。テーマパークの従業員は徹底されていて意識も高くお客は喜びます。逆にスーパーのレジでは担当者によって異なり当たり外れがあります。ただ教育するのは最終的には中高年が管理しているはずですから、その中高年が慢心せずにしっかり教育できるかどうかにかかっています。(※参照 スーパーでポリ袋を手を濡らさずに開ける方法)中高年が中身は変わっていないのに若者返りしたかのような、嘗ては憚っていたようなリア充発信に「忖度いいね」がたくさん付いても、実は若者は引いていて程よく合わせている(忖度)としか考えられません。一般的に若者の忖度と言えるのは相手を見て「いいね」をするくらいです。SNSでは多くの若者はモラルとして弁えていることも中高年がNGです。組織のアカウントなのに「中の人」が個人的な発信をするのはプロ意識に欠け、「中の人」は誰かも分からず興味もない読み手にとってはうんざりです。また、目の部分に線やイラストを置いてまで載せるなら写真はいらないです。中高年は若者に見透かされていると言って過言ではありません。テレビのキャスターや特にコメンテーター、CMなども気持ち悪いです。局側、プロデューサーに忖度することが処世術だと言わんばかりですが、自分が同様の中高年として一括りにされるのは嫌です。表現は自由で視聴者に印象を与えたい意図があるのはわかりますが、面白いと感じるかどうかは品性についていけるかどうかでもあります。視聴者の多様性も考えて優しさのある表現にしてほしいです。SNSでは同様の意見がたくさんあると思います。だったらテレビを見なければいいのですが、主な情報を得るにはテレビかと。どの国に限らず情報戦で価値観が揺さぶられているのは確かです。ただ一部の発信によって世の中のモラルにまで影響を及ぼすのは疑問で、多様性とはさまざまなものの見方が共生できる方向を見出すことのはずです。話を戻せば、若者が可能性を伸ばせるかどうかは周りの中高年によります。身を置いている環境によっては、優秀であってもスキルを発揮できません。ひいてはメディアや世の中をリードする人たちの見方にも注視し、これからの人生で何をするのか、今身を寄せている環境について熟考すべきです。自衛隊基地の朝食において「ご飯とパン」の両方を取ったために懲戒処分の記事、誰に迷惑がかかったのか経緯の説明が必要で、それよりもなぜニュースにするのか?ネットだけではなくテレビでもこの話題を伝えています。もっと考えなくてはならない問題は他にたくさんあります。例えば持続化給付金詐欺もNGですがそれよりも今は特殊詐欺が大きな問題です。迷惑メールフィルターを乗り越えて怪しいメールが頻繁に届いていないでしょうか。日本の然るべき未来像を考えずに、利益に走るっているだけ世界を感じます。賢い若者が全てをがらがらぽんしてくれるのを心待ちにしています。
2022.06.22
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NHK(から国民を守る)党の党首、立花孝志氏が、テレビ朝日・報道ステーションの生放送中退場しました。立花氏の発言中にキャスターの大越健介氏が遮ったことによります。もともと立花氏、大越健介、その両者共にNHKにいた人でした。立花氏はNHKにいた時のことを国政に持ち出そうとしていることは、並大抵の決意ではないことは確かで孤軍奮闘するのは覚悟のはずです。しかし、他の政党が列席する発言の場で圧力をかけられたことは、一般的な議論の場では許されることではないと思います。NHK党は現在参議院に議席を持っていますから、怪しいとか相応しくないと考えるのは恣意的な見方です。テレビがその見解を出すのはNGで、表明したことをもとに国民が判断すべきです。また、「国民の安全」について訊かれた質問に対して逸脱した回答とは思えません。「テレビは核兵器に勝る武器です。テレビは国民を洗脳する装置です。テレビは国民が知るべき事実を隠しています。」という発言はインパクト大です。テレビ局側は批判されることに抵抗があるのは当然ですが、テレビを批判して相手にされることはなかなかありません。局側の「テーマから逸脱した発言があったら然るべき対応をします。」は、進行をする側が時間内に有意義に意見をまとめたいための都合ですが、「国民の安全」についてテレビ局側の求める答を出させたい誘導とも思えます。意見が拮抗することが選挙の醍醐味ですから事前に答は出さなくていいと思います。指定されている選挙放送は早朝や未明に行う政見放送などよりも、報道ステーションのような番組の中で扱われるものも言うそうですから、各政党を平等に扱うことが重要で口を挟むべきものでもないと思います。ところが世の中で平等が訴えられる事柄はそもそも平等にはならないものです。NHKをテレビで観ていたら堅い仕事の典型のように感じますしそうあるべきです。そのイメージは、ニュースやオリンピック中継などを見ると揺るぎないものです。しかし、近年はお金のことに関して異議が唱えられることが多く、その内部事情を知っている立花氏が一念発起でNHK党をつくったわけです。一度付いた印象は大きく異論を唱えても話すら聴いてもらえないことになります。この印象操作はテレビを観ることによって確信となると言え、結果的に立花氏の言う「テレビは核兵器に勝る武器」に準えられます。日本人のアイデンティティとは関係なく経済競争を優先したミスリードが多いです。(ミスリードを正せるのは若手で古市憲寿、成田悠輔、若新雄純氏などです。)世界でももっとも現金主義だった日本のキャッシュレス化は必然ではありません。また、全体と個人、年齢によってコミュニケーションギャップを使い分ける日本人は、所謂本音と建前が依然激しく、真の連帯感や信頼を深めることが難しい中で、リモート化推進による更なるコミュニケーション不足を招いています。全ては便利になったことが結論ですが、伴う問題点について考えられていません。20代独身男性の4割がデート経験がなく、7割が恋人、配偶者がいないなどの記事で、なぜこんなことを発表するのか?恋愛を勧めているのか?若者は好きなことはしても対面のコミュニケーションが面倒になっています。日本が向かっている方向はもはや日本人のアイデンティティが感じられず、人々は受身で何とかうまく生き抜くことを考えるだけの営みになっています。そんな中で自国は自国で守るための防衛費増額案が叫ばれる中、日本で「国のために戦う」意志がある人が13%、もはや考えはバラバラです。
2022.06.19
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人生も後半になってくると、あの時もう少しこうしてよけばよかったとか、後悔していたり反省したりすることが多くなりました。ネガティヴなことを考えていても仕方ないので前を向こうとしますが、あの時はあの時なりに考え、そうせざるを得なかったことが多かったです。今では当時の価値観が真逆に変わったことがたくさんあります。人は子供や若かった時の環境で近い人の影響を受けて生きる上での選択をし、昔は年功序列だったうえに先生の言うことに抗うことはできませんでした。しかし今では先輩後輩があっても形骸的で、歳をとっても敬われません。物事の岐路に立った時、近いの人の考え方に影響されやすいものです。人によって判断が異なるのは周りの人との関わりや環境によるものです。例えば国によって習慣や文化が異なるのもその影響で、マスクをすることに抵抗を感じるか否かもひとつです。昔は大きく影響を受ける環境と言えば、家庭、友人、職場などでしたが、今はSNSやテレビ、ゲーム、アニメ、YouYubeなのだと思います。情報の獲得、共有、伝播が昔よりも手っ取り早いのですが、結果として全く異なる習慣や趣味、価値観の人が林立することになりました。元来、専門的なことはまず専門家の話を聞き、任せられるものは任せるのが建前。なのに詳しいことがわからないまま主観を出すことを良しとする風潮があり、声の大きさや発信力の強さがあたかも正論のように客観性に欠けた、危うい同調圧力や印象操作が繰り広げられています。実際に、SNSにおいて求められているのは①情報収集 ②承認欲求 ③意見交換で、用途は①記事を見ているだけ ②リアルではなかなか会えない人への承認欲求で、記事を連投するのも「いいね」をつけるのも存在感を示すための行為です。③コメントやシェア(RT)は一歩踏み込み双方の意思疎通が認められます。フォロワーや「いいね」をつける人が何人いようと支持者であるとは言えず、「いいね」の数は話題のチョイスによってもほぼ決まります。お祝い事、時事で共感できることを言った時、皆が共感できそうなレビュー、美味しそうな食べ物、愛くるしいペットなどでバズることがあります。逆に視点が鋭すぎる内容、フォロワーの分野と関係ない話題は微妙です。素直に共感できるかどうかがポイントで、上手いこと言う必要はありません。ただ全く関連性のない、自分にとって活かしようのない話題は、若者がもっとも退くことで今や授業でもっとも留意する必要があります。オミクロン株の亜種BA.4、BA.5が検出されていることは周知のとおりです。感染力が強く免疫が通じないことが言われています。しかし、感染者数が減少している現在にこの情報が必要でしょうか。専門家内で共有する情報ではありますが、一般人には対処のしようがありません。メディアはなぜこのような無用の情報を垂れ流すのでしょうか。25日に北朝鮮がミサイルを発射したことを同国メディアが報じないことに、韓国メディアが疑問を投げかけていることについて報じられています。つまりニュースは報じる側で厳密に選別されていることを意味します。今のKAZUⅠの引き揚げ情報、遺族の方に詳細な情報を提供する必要はありますが、KAZUⅠをどのように引き揚げるかということをドラマ化することではなく、引き揚げた船体から何がわかるのかが最も知りたい事柄です。阿武町の誤振込の問題も全て分かった時点で知らせてもらえばいいことです。遭遇する可能性の少ないニュースで、どれほどのことか推し測れない情報の押売は、大学の授業でも学生が退いたり、履修の取消に繋がったりします。ましてそれがテレビなどのメディア情報であれば、世の中への不信に繋がり今後の社会に良い影響はもたらしません。
2022.05.27
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