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前の日記で書いたATOKの全国一斉!日本語テスト、何だかうちの職場でじわじわと流行っておりまして。あらま、意外と皆さんできないのねぇとびっくりしてみたり(しかし、大ボスに大差で勝ったのはちょっと気分がよかった。わはは)。それに関連して、仕事を始めてから覚えた言葉、なんてのが話題になっていたのですけども、それを聞いていて、あれれ? と思い、年を実感した私。だって、「行って来い」を知らなかったっていうし・・・(「言って来い」で差し引きゼロ って普通に使っていたような気がするんですけど、もしかして、今の人は使わない???)、「ゴマ」は、あまりいい意味に使わないよね? って話から、どんな言葉がある?って話になって、「ゴマのはい」って言ったら、「それ何ですか?」って言われた・・・がーん!! 時代劇とかで普通に使ってるよねえ?「エンコ事件」のときにも、うわぁ、私、年寄りなんだなぁ、と思ってショックだったんですが、やっぱり、年寄りみたいですぅ。くっすん。
2006/01/16
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ちょっとショック。いや、「ジャストシステム:日本語テストを実施」なんていうMainichi Interactiveの記事を見たものだから、つい、その気になって全国一斉!日本語テストなるものを受けてみたのです・・・そしたら、思ったより悪かった、9割はいくと思ったんだけどなぁ。ちょっとがっくり。漢字を間違ったのが、漢字フェチの私としては一番悔しいのですが。まぁ、ATOKには、まけても、MS-IMEに勝ててればまぁいいか(って、最近、MS-IME、アグレッシブに頑張っていて、Windowsのエラー報告みたいなもんで、変換の正答率(ってんじゃなくて、何て言うんだっけ? 語の変換精度が高いとか低いとかを表す語 ← ってなことを言ってるから、日本語テストで間違えるんじゃ、というのに)があまりに低いと、報告アプリが勝手に立ち上がって、ネットで報告するようになってるんですね。うーむ、悔しいから、ハイテク犯罪対策にFTCが作ったというクイズのサイトにでも行ってくるか(って、結局、この手のクイズものが好きなだけ?)
2006/01/12
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アメリカにいる間に、すっかり癖になってしまった独り言。やぱいです。癖になってしまったからして、日本に帰ったからって、簡単にぬけるものじゃありません。ところが、アメリカにいる間は、日本語でどんな独り言を言っていようと周りの人はそうそうはわかりゃしないからよかったんです。ところが、日本に帰ってからは、日本語で言っていたら当然ながら、何を言っているか分かってしまうわけで、こりゃ真剣にやばいぞ、と。あいかわらず、仕事してちゃぁ「もっと、がんばろー」とか、「じんせい、ちゅらいでしゅー」とか、ぶつぶつ言っているわけで、これ人に聞かれちゃったりしたら、思いっきり穴を掘って埋めてやりたくなります(自分を)。つうか、絶対聞こえてるよっ(恥)。しかし、ホント言葉って厄介ですねぇ・・・。ホント、考える手段としてだったら、他人が理解できる必要がないのに、なぜ、意思伝達の手段である言語を、考える手段として使ってしまうのか、考えれば考えるほど、不思議でなりません(って、人間の能力が、それほど色んな言語を覚えるほど大きなもんじゃないってだけ?)。と、今更、こんな根元的な疑問を考えていてもしょうがないので、とりあえず、独り言の声を小さくする努力をしようかと思います(って、その前に独り言を言わない努力をしろってば)。
2005/10/19
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アメリカに2年いたので、とてもスムースなコミュニケーションという満足レベルには到達しないものの、まぁ、必要な情報を入手して、こちらの要求を伝えることは何とかどうにかなるさ、という根拠のない自信はついたんですけど・・・。 南米の次がヨーロッパだからなぁ・・・、英語がねぇ、あんまり役に立たないっす。特に、今回、妹が前に行ってよかったというシチリアに「特攻」じゃなくて訪れたいという訳でシチリアに行ってたんで、英語がホント通じないぞ、と(その割には、Lonely PlanetのSicily版を持った人をかなり多く見かけたんですけど、しかも連れ同士では英語以外の言葉を話してたりしてますから母国語は英語じゃないと思われ・・・まぁ、Lonely PlanetはPeruでも持っている人を沢山見たし、やっぱ、ロンプラ、旅行ガイドとしては強いんだなぁ、と思ったり。ちなみに、妹夫婦御用達のRick Steveのガイドブックはシチリア編がまだ出ていないらしい)。 南米に行くつもりだったので、英語とスペイン語の入った電子辞書は用意してあったんですけど、イタリア語関係の参考書はあーんも持ってないっす。ただ、Philadelphiaの英語学校で会ったスペインの人が、「スペイン語とイタリア語はホントによく似ていて、イタリアの人と話をするとき、両方が頑張って英語を話そうとするよりは、お互いが自分の国の言葉で話した方がよく分かる」と言っていたので、困ったときはスペイン語の辞書に頼ってみることにしました。そしたら、ホントにこれが結構分かることが多かったりして結構おかしいっす。まぁ、数字なんかの数え方はほとんど同じだしなぁ・・・。 ちなみに、妹は、もっといろんな国の言葉の辞書がいっぱい入った電子辞書を持ってまして、料理に関するイタリア語も分かるという優れものだったんですけども、わりと単語数の少ない辞書だったりしたので、スペイン語の私の辞書の方が役に立ったりすることがあるのが何ともかんとも・・・。ラテン語ベースの言葉を母国語とする人達は他の言葉を覚えるという意味ではやっぱりメリットがあるよなぁと思ったりした次第・・・だけど、妹もフランス語をそこそこしゃべるんですけど、イタリアではフランス語もあんまり通じなかったから、そう簡単な話でもないのかもしれませんけど(つって、フランス語とイタリア語は、イタリア語とスペイン語よりは近くないですけど)。 しかし、フランス語はアフリカでは強いらしいので、妹に、「もっとフランス語勉強したら一緒にアフリカに行こうよ」と言ったら、「絶対やだっっ!!!」って言われちゃったっす。ちぇぇええ・・・って、一生分旅行した気がする、なんて言ってたのは誰なんだ?
2005/09/19
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日本語会話のボランティア(←始めるきっかけの過去日記)が終了したのですが、初心者の方が多かったので、結局結構よく英語を使うことになって、当初の目的も果たせたし、なかなか面白かったです。参加者はほんの少しだったんですけど、一人は日本のアニメが大好きで、いつか日本で声優になりたい、という台湾の学生さん(私より、よーぽっど日本の声優のこと知ってるんだもんな、びっくりしちゃった)、もう一人は、日本で働きたいというトルコの学生さん、もう一人は、主催場所のスタッフの方で、スペイン語を話してるのは聞いたから、この人も、トリリンガル、クワドリリンガルの口かなぁ(←ショックを受けた過去日記)。で、今回ちょっと思ったのですけども、日本語を外国語として学ぶことの難しさは、最初に学ぶ基本会話が丁寧語だということにもあるんじゃなかろうか、と。確かに、普通の会話では丁寧語を使うことが多いですから、会話を学ぶときに丁寧語から入るのは合理的だと思うんですけど、丁寧語から入ると動詞の基本形が分からなくなっちゃうなぁ、と思った次第。要するに、たとえば、"write" に当たる動詞の基本形は「書く」であるところ、丁寧語の会話から入るために、この動詞を「書きます」として覚えちゃうんですよね。そうすると、いわゆる五段活用の動詞にならず、動詞の活用をなかなか覚えられなくなっちゃうわけです。助動詞「ます」の活用は1種類しかないですから、「書く」という基本形の動詞の活用を覚えた後に、「書きます」がどう変化するかを覚えるのは割と簡単かもしれない、すなわち、最初は、丁寧語じゃなくて、常体の文体を覚えた方が楽かもしれないぞ、と思ったり。最初に習う会話の基本形が、ベーシックな文の構成と異なっている、特に、動詞の活用部分に現れてしまうというのはちょっとハンディですよね・・・。あ、でも、たとえば英語の場合でも、たとえば、「~すべきだった(のにしなかった)」という意味の "should have ..." などは、実際に発音するときは、"shudav" 又は "shuda" と短縮してしまうそうですから(こんなの、こっちで英会話の学校行くまで知らなかったもんなあ。こんなのがしょっちゅう起こってのであるからして、映画とかの会話文が全然聞き取れないのもむべなるかな)、英語の場合でも、会話を学んでも動詞の基本形が学べるわけじゃないかもしれませんけど・・・でも、うーん・・・やっぱり英語の場合は、native speakerの人は、実際には "shuda" と発音しているというだけで、そう「しなければならない」わけじゃなく、基本形は、"should have" なので、会話の初歩段階では、動詞の基本形は学べそうです。要するに、日本語って、ある意味、話し言葉の方が書き言葉よりフォーマルな訳で(常体の文体での会話は親しい人の間でしか行われないので)、これって、わりと珍しいんじゃないだろうかと思ったり。日本語を外国語として学ぶ人と話をすると、自分の母国語を別の観点から見ることが出来て面白いです。ところで、漢字を覚えるのと、スペイン語などで山のようにある動詞の活用形(一つの動詞に対して平気で10何個とかの活用形があるのは堪忍して欲しい)を覚えるのと、一体どっちがしんどいんだろう???
2005/08/15
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いきなり何を言ってるか、という感じですが。今だと、ワープロソフトの普及で手書きではあまりお目にかからないような漢字もがんがん目にするようになって、いわゆる「難しい漢字」も身近になりましたけど、ワープロ普及する前から、「薔薇」も「醤油」も「顰蹙」も手書きで書けたもん(と子どものように威張ってどうする)。何でいきなりこんなことを言い出したかというと、昨日の日記で書いた「言い回しが微妙に予想した方向とずれる」のがぞくぞくする、という部分、私が漢字にはまったきっかけと同じなんです。多分最初に「うわー、漢字ってなんつー色っぽい表現方法なんだ」と思ったのは、植物の名前の漢字だと思うんですけども、最初は「紫陽花(あじさい)」だったかな。字そのものが表している音と、実際の発音が大幅にずれてますけど、字面としては、これ以上ないというほどその物を表しているわけで、これで、うわお、と。で、続いて、「接骨木(にわとこ)」で完全にノックアウトされました。名前の由来は、枝があまりにまっすぐなことから添え木にも使えるんじゃないか、ってことらしいですけど。接骨木で「にわとこ」なんて、全く予想もしない読み方ですよ。もうあり得ないっす。「百日紅(さるすべり)」なんかも、見ただけでぞくぞくしちゃいます(って、アホみたいですけど、だからフェチなんですってば)(とか言ってるわりには、植物そのものの知識が少ないので、あまりこっち方面は詳しくなかったり)。で、三省堂にふらっと行ったら、当時500円で、手のひらに余裕に乗るくらいの「字引」が売ってたのをみつけたです。ホントに漢字だけ載ってるやつ(なくした時に備えて2冊買っておいたのに、結局2冊ともなくしちゃった・・・くっすん。今はもう売ってるの見かけないのになぁ。まぁ、電子辞書とかでそれなりに代用できるからいいっちゃいいですけど)。。これを常時持ち歩いて、知りたい漢字を見つけたらすぐ調べるなんてことをやってたらそれなりに漢字が読み書きできるようになって(でも、なんせ手のひらに並んで二つ載せても手のひらが余るというくらいの大きさだったから、画数が多い漢字はつらかったですけど)、漢字検定準一級はするっと通るくらいまでは行ったんですけど(つうか、私には、二級以下はとても無理っす。だって、単なる漢字の読み書きフェチなんで、書き順だの部首だのをこつこつ勉強する気にはなれないっす。部首は漢和辞典を引けるくらいに知ってりゃいいし、書き順は、右と左の書き順をきちんと知ってればいいよねってくらいの感覚なんですもん)、一級はねー、勉強するつもりで本買ったんだけど、それっきりになってもうた(このパターン、本当に多くないか?)。準一級と一級の間には、単なるフェチというだけでは越えられない深くて暗い川がありましたです。確か、「毟る」とか、旧字体とかを書けないといけないんじゃなかったかな(もう遙か大昔の話なので忘れてしまったい)。その上、ルビの存在がますます私にとって、漢字を魅力的なものにしておりまして、えーっと、たとえば、こんな用例しあわせ平凡 な生活 (これ、どこかのサイトさんで見たんすけど)その概念自体に賛成かどうかはともかくとして、ルビを使うことによって「平凡」というたった2文字で一定の価値観まで表現しちゃってるって、こんなすげー表現方法は他にないっすよ。少なくとも表音文字では不可能っす(だって、ルビが要らないもんね)。そういう訳でですね、漢字を持ってる日本語がすっげー好きなんです。もう、これだけで日本で育ってよかったなぁ、と思うくらい(でも、日本が好きな理由として、魚が美味しいからというのも極めて重要な位置をしめるんですけども)。かくして、近頃のお気に入りは、「言いまつがい」(←の本に関する過去日記)を生んだほぼ日刊イトイ新聞-声に出して読めない日本語」のコーナーですけど、漢字もたまに読めなくてむっちゃ悔しい思いしますけど、つくづく思った・・・・私、横文字弱いや(って、おまーは一体何年アメリカにいるのか、と思わず突っ込んでしまったり。くぅぅ)。
2005/07/12
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はー、まだこの「英語を楽しむ作戦」シリーズ(って、おい)続いてたのか、と呆れられてしまいそうですが。そんなに簡単に物になってたら、未だに英語の学校になんて通ってるわけないのだ。えっへん(いばれません)。いや、結局、英語の活字もの、ス○ッシュで多少面白いのがあるかなぁ、という程度にまでは何とか行きましたけど、いくらなんでも、そんなものはバスの中とかメトロの中で読めないよー、という程度の羞恥心は持ち合わせているわけです(こんなところで書いちゃうほどには羞恥心が欠如してるんだけど)。そもそもプリントアウトして持ち歩くのも面倒だしね(って、そういう問題でもないか、と)。じゃぁ、どうすんべ、と頭をひねったときに、ひらめいたのが昨日の日記で書いたレイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)だったんですよ。硬派な文体が売りだと言われているということは、オリジナルの英文も、わりとストレートで装飾もあまりなく読みやすい英文に違いないっ。そして、今度こそ、この予感は外れてなくて、Chandlerだけは、無事読了できてます(あー、ここまで長い道のりだった)。なんかですねぇ、こっちのペーパーパックって、なんか装丁がいまいちで好きになれないんですけど、Chandlerのシリーズはもう装丁からして妙にかっくいいですよ。紙質も他のペーパーバックに比べるといい感じだし。しかも、独特の言い回しがもうなんつうかぞくぞく来るというか、言い回しの展開が微妙に予想した方向とずれるんです。これは実は日本語の翻訳版読んでたときから感じてたことではあったんですけども、それが英語でも同じ感覚で感じられる。英語読んでて、「うわあーかっくえー」思ったの、もしかして初めてかも(あーかなり乏しい読書経験が自ずとあらわに)。もう、どうしても、実際の文章を書かないと表現できないから、書いちゃいますけど、たとえば、「Playback」の冒頭なんか、こう始まるんです。The voice on the telephone seemed to be sharp and peremptory, but I didn't hear too well what it said - partly because I was only half awake and partly because I was holding the receiver upside down. 電話の声は、シャープで明晰らしかったが、私には今ひとつよく聞こえなかった。一つには、私がまだ半分眠っていたためで、もう一つには、私が受話器を上下逆に持っていたためであった。(って、清水俊二訳ならもっとかっくいいんだと思いますけど、今手許にないんで、こんなんですみません)って、言い回しも好きずきがあるので、万人には受けないのかもしれないですけど、私のツボにはばっちりでした。こんな言い回しがいっぱい! というわけで、ようやく私にも楽しめる英語の本が見つかったですよ。万歳!(何を言ってるやら) でも、調子に乗ってたのか、気づいたら、「Farewell, My Lovely(さらば愛しき女よ)」が2冊手許にあるって、一体何をやってるんでしょうか。日本でやってた失敗と全く変わらない失敗をまたもや繰り返してます。それにしても、以前から、私の趣味は少し変らしいとは思ってたんですけど、Chandlerを読んでいてますますそう思いました。というのは、Raymond Chandler、アメリカでも女性で知ってる人は殆どいない(少なくとも私が話した範囲ではいなかった)のに、この本を持って歩いていると、男性(特に中高年以上)が「あー、それはいい本だ」と声をかけてくれることが多いんです。一度なんぞ、エレベータでめざとく私の手にしている本を見つけた男性が、「それはいい本だよね」と初対面の私に、話しかけた上、Chandlerを知らなかったっぽい同じエレベータ内の男性(知り合い同士のようではありましたが)に向かって、「こんな言い回しがあって、こんなこと言ってて、すごいんだよ」とどっかの言い回しをそらで語って、結構熱心にその男性に薦めるという展開になった場面に遭遇してしまったりしたことがあります。そいや、どっかに中年独身男性の文学とか書いてあったなぁ・・・。って、私の趣味って男性チックなんですかね。いや、いいんですけど、別に。そんでもって、昨日の日記で触れた第一人称に違和感を感じた「プードル・スプリングス物語」、ふと、英文で読んだら、どっちも「I」な訳だから、違和感を感じないですむじゃん、と気づいて、「さえてるじゃーん」と喜んで探してみたら、既に絶版だったというオチがついてました。くぅ、どこまでもついて回ってくる二文字です「絶版」。
2005/07/11
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今の滞在先のホストファミリーは、ご夫婦揃って専攻が建築なのだそうで、今日の夕食時に、建築家安藤忠雄(ホストマザーは、彼の作品が好きなのだそうで、妙なことよく知ってたなぁ。元ボクサーだとか。私なんか、今ウィキペディアで見て、初めて詳しいことを知りましたよ)と、Philadelphiaの不思議な関係についていろいろ話してくれました(Philadelphiaに深く関わっている彫刻家を安藤忠雄が尊敬していて、作品もそのラインなんだかとか)。で、そのPhiladelphiaに関わっている産業デザイナーの一人のPaul Cret(パウル・クレー)(←すんません。英語版のWikipediaにしか、解説がなかった)の話をしてくれて、「パウル・クレー知ってる?」って訊かれたので、「えぇ、画家ですよね?」と返事をしたら、「いや、違う違う。」といきなり笑われて、「LとRが難しいんだったよね?」と、画家のクレーと産業デザイナーのクレーの名前の両方を、紙に書いて説明してくれました。たははは、私には、「パウル・クレー」としか聞こえなかったので、てっきり画家の「パウル・クレー」Paul Kleeだと思っちゃいました。というか、そもそも、画家のパウル・クレーが「L」の発音だってことを認識してなかったっすよ(産業デザイナーのパウル・クレーは初めて聞いたしなぁ)。というわけで、発音的に最難関の一つのLとRは未だに苦労してまして、発音する方は気を付ければ何とかなるけど、聞くのはダメですねぇ。なーんつって、発音する方もかなり苦労してます。なんてったって、レストランでレモネード(Lemonade)を頼んだのに、グラン・マニエ(Grand Marnier)が出てきたことが2度あったっ!(しかも、全然別のレストランだよー)。 もう、これは、かなーりへこんだんですけど。だって、レモネードとグランマニエじゃ、全然ちゃうじゃんかよー。で、よくよく考えたら、これもLとRの問題なんじゃないか、と。Grand Marnierの最初のGは母音なしだから、ほとんど発音しないようなものだし、両方とも音節が3つの第一音節にストレスがあるので(って、グランマニエの方はあんまり自信がないんだけど、多分そうだと思う)、LとRの違いを除いたら、Native Speakerの人にはきっと殆ど同じように聞こえるんですね。一応、どっちのときも訊き返してくれたんだけど、そうでなくても、LとRの区別は難しいのに、こっちは、Lemonadeと言ったものだと思いこんでますから。一度目は、泣き泣き、そのままもらって(車だったので)飲まずにお金払いましたけど、二度目は、ウェイトレスさんがあんまり感じよくなかったから、「これは頼んでない」と言って返したら、「訊き返したのに、そうだと言ったじゃないか」と言われちゃいました(ごめんよー)。ちなみに、レストラン側への提案として、こういうのを防ぐ最もいい方法は、ドリンクもメニューに載せることだと思うよ。メニューあれば、こっちも気を付けて、メニュー指さしながら注文するんだからさー。(どっちのレストランもドリンクのメニューなくて、何があるのって訊いたら、口頭で滔々といろんな飲み物の名前を続けられたので、こっちも焦っちゃったというのがあるのでございます)。ホストマザーには、このレモネードvsグラン・マニエ事件を話したことがあったので、Klee vs Cretがなるほどーこういうことか、と思っておかしかったらしいです。いやいや、こりゃ先は長そうだよ・・・とほほ。
2005/07/08
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ときどき、世間の一般常識を知らないというのか、どうでもいいことで悩むというのか、とにかく、時間と労力を無駄に使っている私ですが。今日もホントにびっくりしたんだよー。だって、今まで私、漠然と、未婚・既婚って「状態」を表す概念だと思ってたんです。なのに、単に「過去の経歴」を表す概念なんて思わなかったっすよ。いきなり何を言ってるんだ、全然話が訳わからんぞ、とならないように順を追って説明しますと、今日、珍しくパソコン通信時代の友人がインスタントメッセンジャーにオンしているのを見かけたので、話をしたんですね(遡り過ぎだ、まーいーや)。で、私、個人的に、「ご主人」や「奥様」という言葉が好きじゃないものですから、なるべく、知人の配偶者についても名前で呼ぶようにしているんですけども、その知人の妻氏のお名前をど忘れしちゃってですね、で、まぁ、友人の配偶者の名前を覚えるか覚えないか、なーんて、わりとどーでもいい話をしていたんですが。まぁ、結論的に、その友人は、「人の妻氏に興味ないもーん」と(そりゃ、そーかも)言うものだから、「今どき、既婚か未婚かなんか、一見してわからんじゃん」つーたら、「だって、子どもの小学校の同級生のお母さんとかだよ」と。「ふむ、確かに、その場合、「未婚」の推定が働くほど、世の中進んでないよね」つうたら、「まぁ、そうでも、そうじゃない振りをしてる場合もあるかもしれないし、離婚したとか」って言われまして、「離婚したら、独身じゃん」と返したら、「でも、離婚者は既婚者じゃん」・・・・・え゛?? そうだっけ? と(前置きが長いっつーねん)、初めて、「既婚」「未婚」という概念について真剣に考えてみたわけなんですが。いや、だから、冒頭に言ったように、私の頭の中では、漠然と「既婚」「未婚」というのは、婚姻関係という「状態」を表す概念だと思っていたので、「未婚」=「独身」、「既婚」=「配偶者あり」だと思ってたんですよ~。だって、履歴書とかに、既婚、未婚を書く欄ありますよね? 婚姻という状態を表す概念は、履歴書において結構重要だと思うんですよ、税金の問題とか、手当の問題とかあるからさ、あと、配偶者あり、だったら、他の人と新たに婚姻関係を結んだら、重婚罪っつう犯罪になっちゃうしな、でも、「婚姻の経歴があるかどうか」なんて過去は、たいして意味ないと思うんですけど、だって、現在、独身だったら、税金も手当も重婚罪も関係ないしさ。で、「既婚」「未婚」というのがホントに、過去の経歴を表す概念なのかどうかがわからなくなっちゃったんで、片っ端から、辞書調べてみたです。そしたら、広辞苑とかでは、「すでに結婚していること」みたいな表現になっていて、「状態」なのか「経歴」なのか判然としなかったのですが、大辞泉の「未婚」で、「結婚の経験がないこと」となっていた上、対語が「既婚」となってる・・・ということはですよ、「既婚」って「結婚の経験があること」という過去を表すだけってことですよね? 極端な言い方をすれば、現在の状態には関係ないわけで、意味のない言葉だなぁ・・・。で、あまりに意味ねーと思えたものだから、英語で「未婚」に当たる言葉を調べてみたら、これがない・・・。通常、"unmarried"でいいみたいなんですけど、リーダーズで"unmarried"を調べたら、未婚、離婚、死別の全部の概念を含めた意味で、要するに「非婚・独身」って意味なんですよね・・・。で、逆が"married"で、配偶者がいる状態を示す言葉。要するに、「状態」を示しているわけです。で、じゃぁ、婚姻状態を表す単語は日本語でなんなんじゃ?と思って、配偶者がいない状態すなわち「独身」を国語辞書で調べてみたら、これに対する対語がないんですけど。何じゃ、そりは? 「有・配偶者」としか表現のしようがないみたいです。ちなみに、重婚について大辞林で調べてみたら、「配偶者のある者が重ねて婚姻すること」ってなってたもんね。やっぱり、婚姻「状態」にあることを表す単語ないらしいっす。あるいは、「既婚」という言葉がそう使われているのか・・・だったら、「未婚」の対語じゃないじゃん。ということを初めて知った日本人歴○○年目の夏・・・・。でも、どうしても分からないのは「未婚」「既婚」を履歴書に書かせることの意味。 戸籍を汚したことがあるかないかって、そんなに履歴書的に重要じゃないと思うんだけどなー・・・。へーんなの。
2005/06/10
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風邪ひいていまいちなので、夕方になると、さぼっちゃおかな、と思いながらも、とことこ出かけている英語のEvening Courseですが、宿題で書いたwritingへのコメントが返ってきて、「内容はともかく、一文が長くてwordyである。文を短くするか、もっと適切で意味の強い語を探すかするように」と言われちゃいまして・・・みゅ。っつうのはですね、これ、日本語の文章でも、ずーっと言われ続けてきてたことなんですよ~。「一文が長い」つうのと「冗長である」(wordyつうのはそういう意味だよな)というのは。って、それは、ここの日記読んだら顕か? いや、私もそう思います(と自分でぼけている場合ではない)。というわけで、一文が長いのと、冗長なのは、私の場合、「英語能力」の問題というよりは、私の性格の問題なのであった(と開き直っている場合でもない)。だいたい、性格が暑苦しいというか、自分の思っていることを何でも表現しないと気がすまないのでいろいろ詰め込みすぎて冗長になるわけで(私の日記で異常に自己つっこみが多いのも同じ理由である、←と気がついてるなら何とかしろっつー)、それを元々考えてた一文に無理無理詰め込むから一文が長くなるんだよな~・・・。まぁ、表現したい事柄にぴったりな単語を知っていれば、説明的な装飾部分も減るんだから、これは語彙力の問題でもあるのか(って、そしたら、英語能力の問題でもあるのか)。そいや、以前読んだ「名文に学ぶこころに響く手紙の書き方」に(←リンク先は過去日記ですけど)、文章には、最終的に人格が現れるから、名文ってのは真似ようと思って真似られるものじゃない、っていうようなことが書いてあったぞ、と。まぁ、文章に性格が現れるのは、当然のことかもしれませんが。と、今日は微妙に真面目なのは、classのinstructorの方と微妙に気が合わないところ、「そんな難しいテーマのessayじゃないよなぁ」と思っていたwritingで自分の欠点をずばりと指摘されたので、びみょーに悔しがっているなのでした・・・あーもー子どもじゃないんだから、もっと大人になりましょうというか、こんなことで、この年になって悔しがってられるってのは、全くもって平和というか暢気というか(←こうやって自分で突っ込まないと気がすまないところが、文章を冗長にする原因なんだってば。ってこれじゃエンドレス?)
2005/06/01
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もう、前から言ってるんですけど、英語、仕事などの必要があれば、読むのは苦じゃないんですけど、Entertainmentとして楽しめないみたいなんで前から困ってるんです。まず、Americaの真ん中(でしょー、おおざっぱに言えば)、Missouri州は、St.Louisにいたときは、Mark Twainの出身地に近いということで、"The Adventrues of Tom Sawyer"を買ってみたんですけど、何回読んでも5ページくらいで眠っちゃうので、いつまで経ってもトム・ソーヤが木から降りてきません。可哀想に、うちのトム・ソーヤは一生を木の上で過ごすに違いない。後で聞いたら「Mark Twainとかは、実は、現代物より難しい」というので、あっさり諦め。その後、アメリカの西の端っこSeattleで日本のマンガの英訳版にトライして日本語で読んだ方がいい、と悟ったり、「ゲームで英語を学ぼう」作戦も、アメリカのゲームの操作性の悪さとシナリオの肌の合わなさ加減にあっさり挫折したりと、一体、君はアメリカで何をやっとるんだ、ということばかりやってるわけですが。しかし、さすがに、これではいかんと、一計を案じることにしました。本能に訴えればいいんじゃないか? 三大欲を活かしたらどうなんだ? しかし、「食欲・色欲・睡眠欲」なわけですが、まず、睡眠欲は、昔流行った睡眠学習じゃないんだからさー、こりゃこれを利用して英語を楽しめるってことは出来そうもないというわけで、あっさりと没。で、次は食欲。人一倍食いしん坊ですから、これはうまく行けそうに思えました。とりあえず、新しい街に着くと、まず本屋で、その街版のZagat(ミシェランほどには信用できないレストランの格付け?)を買ってます。しかし、ここにも落とし穴がありました。アメリカ的な格付けが合わないのですよー。結局、St.Louis、Seattle、WashingtonD.C.版のZagatを買った結果、日本の人が開設している食情報サイトの方が、自分のニーズに合って信用できると悟るわけですが・・・それ、結局英語じゃないじゃん。そうすると残るは、色欲ですが、はて困った。そういえば、同じ職場でやはりInternをしている日本語のうまい中国出身の彼女に「なんで、今更英語の学校なんかに行ってるの?」と驚かれてしまいました。なので、「あーたみたいに、こっちの彼氏と一緒に住んでたら、英語も話す機会もあるかもしれないけど、そうじゃないから、話す機会を作らないといけないんだお」と言ったら、「だったら、そういう彼氏を作ってくださいよ」と(日本語で)思いっきり言われました、ので、「いや、英語の勉強するために、そういう相手を探すってのは何か間違ってるやろー」と言ったら、「そりゃそーだ」と思いっきり同意してもらったくらいです。そういう訳で、とりあえず読む方で何とかならんか、と思ったのですが、そういう系統の小説もなー、はーれくいーんみたいなのは、もう遙か昔に、日本語版を1冊か2冊読んでつまらんっと放り投げたくらいだしなー、日本語でつまらん思ったものが英語で面白いと思えるわけもなく。さて、いよいよ困った。どうするか。で、はた、と。あ、アメリカには、スラッシュなるあやしいサブカルチャーがあるじゃないか(って、いくらオタクだからって、いきなりそこに走るのはどうなんだ。ちなみに、この言葉に心当たりがない人は、決してどんな物か調べないでくださいねっ。調べたら、泣いちゃいますよ(ってだったら書くなっつーの)。)これだったら、英語でしか読めないものだから、否応なしじゃん(と、途中から目的が手段化してしまってますが)。で、ネットでサーチしたら、結構みつかったんですけどねえ、所詮パロディだから原作知らないと何が何やらさっぱり分からんのです。で、元ネタとして頻出だったStar Warsをとりあえず原作を読んでからtryしたらどうだろう?、と本屋に行ったら、ConstantineのHellblazerもそうだったんですけど、こっちは、同じ人がシリーズを全部書くんじゃないんですねぇ。どうも、シリーズ共通の設定を使って、何人かの人が、勝手に話を作るみたいなんですね。だものだから、作品の数は山のようだし、どういう順番で読むべきなんだかもさっぱっぱり分からないんです。で、こりゃダメだ、と(そもそも映画すらみてない状況で、複雑怪奇な構造の小説に手を出そうとするのが間違っている)。というわけで、まだ、この時点でスタート時点にすら立ててないわけですが、いい加減、長々と自分の恥を書き続けるのも今一つなので、もう今日は終わりにしちゃいます。いや、要するに、何が言いたいのかっていうと、英語ってこんな苦労をしないと楽しめないんだよー、という話なのでした(そんなに英語が嫌いなんかって感じです。でも、実際のところ、英語が嫌いなんじゃないんですよー、日本語の方がずーっと好きなだけなんですぅ)。・・・そして、Part 2に続くのだ。
2005/05/09
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アメリカにいて、なんでこんなに英語の学校を探すのに苦労してるんだろーという気がするんですけども、ホントに、D.C.エリアへ越してきてから、英語の勉強に困ってるんですよ。とにかく少しでも話す機会がないと始まらないから、と思って、結局、このときに行ったLanguage schoolに申しこんだのですが、やっぱり、微妙に私のニーズと合わなくてですね。"you and me"と"you and I"の違いを教えて欲しいという生徒からの要望で、主格と目的格の説明を一生懸命していただいても、うーん、それ、中学1年で習ったことだし・・・。そうでなくても、帰り道とかと関係ない路線に乗らなきゃいけないのがつらいしなー、とか。というわけで、最初に申込みした学校は4週間で1ユニットだったので、修了後他のところを探したら、Virginia州の地方公共団体が主催している移民のための英語schoolというのが見つかりまして、別に移民じゃなくても登録可能だというし、週4日という集中的なコースなのに費用も大変合理的なので、そちらに行ってみたんですよ。最初にレベル分けテストがあるのですけども、筆記は非常に簡単なもので、これじゃ殆ど差がつかないんじゃないの?という程度。で、その後、speaking testがあって、結果教えてもらったんですけど、スコアが550だか600だかくらいまであるところ、350って言われて、「そんなに悪いのかしら」とすげーショックを受けましてですね。他に350と言われてた人の英語を聞いていても(自惚れではなく)そこまで低くはないぞ、と思って、いろいろ考えた挙げ句、ここ行くのやーめたと思ってテストの結果表、ぽいってしちゃったんですよ(分かり易いやつ)。その後、同じおうちのルームメイトの人と話をしてたら、Virginia州の地方公共団体主催の英語学校は定評があるって教えてくれて、なかなか他の学校も見つからないので、「じゃぁ、やっぱり行こうかなぁ。自分で思っているほど、自分のレベル高くないのかもしれないし」(なんでも、他人の自分に対する評価は、自分が適当と思っているレベルのよくて8割、逆に言えば、自分は、2割甘く自分を評価してるってことですね)ということで、結局そこに行くことにして、昨日が初日だったんですけども・・・。やっぱりね、自惚れじゃなくて、ちょっとレベル分けテストの結果に異議があるなーと・・・。だいたいですね、訊かれたのが、「日本とアメリカにおける買い物の共通点を説明しなさい」とかですね、質問のポイントが見えなくて、もう何を答えたらいいのかわからんて。日本語で答えていいって言われても答えられないよーだ(って、後で思うに、そんな難しいことを訊いてたわけじゃなくて、多分、「お金を払って品物をもらう」「スーパーがある」みたいなことをいろいろ言えばよかったんだろうな、と気がついたんですけど、まぁ、あれで失敗したんだろうな・・・ふぅ。あと、「Virginia州のどこが好きか説明しなさい」って。この手の質問は日本語の場合でも得意じゃないしさ。実際のところ、同じレベルの他の生徒さん、わりとよく使う英単語ご存じないのですよ。英語の勉強始めて3ヶ月という方もいらっしゃる(でも、それであれだけ話せたらすごいな、と思っちゃいますが)くらいだし・・・。"spend"の過去形の"spent"とか"be"の過去分詞の"been"とか分からないのだそうで、質問受けたので、説明してたのですけども。曲がりなりにも、こっち来て一定の学位を修める程度には英語やったんだけどなー、私の英語はこのレベルとの評価を受けたのか、と思ったら、蚤の心臓ほどのプライドがさすがに痛かったぞ、と。というわけで、今日は、クラスの間中、周りの生徒さんから質問されて単語の意味を説明したり、単語のスペルを教えたりしてました。以上、鶏口の巻。ところで、職場ですが、前にも言ったとおり多言語能力者(ってこんな言葉あるんかね)の集まりですから、相変わらず英語以外の言語がとびかってまして。中でも、もう目が点になったのは、お二人で会話していて、一方がスペイン語で話して、他方が英語で答えているという。一体、頭の中どないになってるんでしょうか? あのレベルになったら、絶対、ある言語を話しているときは、頭の中もその言語で思考していると思うのですよ。スペイン語で思考しているときに、英語聞いてて頭の中こんがらがらないのですかね~・・・。しかも、各国のウェブサイトを見る必要があって、勿論、英語じゃない言語のHPも多かったりするんですけど、私の場合、英語と日本語以外のページ理解できないし(オンライン翻訳を使ってみたりしてみたけど、今どきのHPは、フレーム使ったりして、いろいろ凝ってるので、オンライン翻訳にあまり向かないみたいです)。もうその意味で、英語と日本語しか読めないのって、もしかして役立たず? そもそもかろうじて、日本語と英語がどーにかこーにか読み書きできるってところ、英語話す能力がこんなんじゃねー、と思っちゃったりなんかして。以上、牛後の巻。どっかに中庸が落ちてたら、喜んで拾います。
2005/03/30
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ホントに、こういう言葉の作り方でいいのかどうか自信ないんですけど。でも、4回転をクワドラプルっていうって、川原泉の「銀のロマンティック・・・わはは」(←この文庫版に収録されてるらしい。ちなみに、右に掲載されてる「この著者の他の本」の第5位の本は同じ名前の別人の著書だと思ふが・・・。自分が一度間違えたので知っているのだ)に出ていたし、それを前提に、かなり真剣に辞書とにらめっこしてみたので、そんなに大きく外してないと思うんですけども。今回、2つの組織でインターンさせてもらうことになっていて、本日はもう1件の方の初日だったのですね。政府系の組織だったんですけども、既にスタッフの方をご紹介いただいたときにびっくりしたことはびっくりしたんですよねぇ。見るからにインド系?とか名前からしてイタリア系?とかアクセントをよく聞くとスペイン系?とか国際色豊かで。で、中国から来た学生の方がやっぱりインターンをされていたんですけども、英語で話しかけたら、「日本語で大丈夫ですよ」と流暢に返されてびっくら。何でも日本に4年いたのだそうですが。それにしても4年であんなに流暢に話せるものなのかなぁ・・・。で、彼女は当然英語も話せるわけで、トリリンガル?で、私のパーティーションの裏側には、私のスーパーバイザーに当たる人の席なのですが、電話で話す言葉を聞いていたら、どうもスペイン語っぽい。なので、お昼のときに、「電話で英語じゃない言葉を話してたみたいですけど、他にどんな言葉を話すんですか?」って訊いてみたんです。そしたら、「フランス語とドイツ語とスペイン語」・・・・げっ。当然英語もだから、クワドリリンガル?(あ、今、検索したら、ホントにこれでいいらしい。←当たったのでちょっと喜んでいる。)さらに、その上司に当たる人は、プラスしてポルトガル語もいけるそうですから・・・・ペンタリンガル?(これは探したんだけど、確認できなかったや)それにしても、いくら、部門が国際部門だからって、すごすぎです。しかも、これは、その中国のインターンの方から聞いただけで、確認はしてないのですが、どうも、アメリカ国籍でなくても正式に雇用される可能性があるそうです(日本の場合は、こないだ「管理職は日本国民に限る」と規定することは法の下の平等に反しないという最高裁の判決が出たみたいですけども。って、こちらの組織の場合も管理職になれるのかどうかを確認したわけじゃないので、単純に比較しちゃいけないとは思いますが、ちょっと思い出したので、ついでだから検索してみちゃいました)。いやいや、それにしても、母国語以外にはそれしか知らない英語で四苦八苦している私としては、感心のあまり、思わず帽子を食べてしまう以外にないという(あ、この表現も、カーラ教授(川原泉の別称)の漫画で覚えたのですが、先日、妹からメール来て、フランスの本で、この表現を見たのだそう。ということは、フランス起源の表現だったのかあ。いやいや、言葉も奥が深い)。ところで、本日、Conversationの夕刻のクラスに出席したところ、午後8時45分に終了したのに電車の接続が悪かったりして帰ってきたら午後10時過ぎちゃってました。夕飯食べてなかったし、もうそれからなんか、作る気力も材料もなかったので、夜間もやっているrestaurantに出かけ、空腹のあまりHalf Roast Chikenなんて代物をうっかり頼んでしまいました。そしたら、店員さんが、「3サイズをチョイスできる」というので、迷わず、「the smallest」と言ったら怪訝な顔をされて、small saladかと訊き返され。????にゃ? なんのこっちゃらと思ったら、サイズはサイズでも、sizeではなくて、sides(sideorder)のことで、フレンチフライ、コーン、ブロッコリ等から3品をチョイスできるということだったのでしね。だったら、sideordersって言ってくれよー。Half Roast Chikenなんてすごい量が出てきそうなメニュー頼んじゃったなぁと我ながら思ってたから、サイズが選べるって訊いて安心したのにぃ(って、アメリカでThe smallestなんて選べてもあまり喜ぶ人はいないかもしれませんが)。わたくし、トリリンガルだの、ペンタリンガルなんて大それた野望は毛頭持ってはおりませぬが、せめて、レストランでのオーダーくらいは、トンチンカンなことにならずにスムーズに意思疎通ができるようになりたいものだ、と・・・えーん、こんなにささやかな願いなのにぃ(ぐしぐし)。
2005/02/22
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私が初めて今の職場に出勤した日、デスクの上には「Welcome」というカードをつけた可愛い鉢植えの花が置いてありました。ところで、日本にいたとき、直物の面倒は別の方が見ていたものだから、つい、うっかり、この花に水もやらずにいて、気づいたら、花が枯れ枯れになってました(当たり前だ)。「水やらなきゃダメよ」と言われ、その後、せっせと水をやっていたのですが、この花、いわゆる空気を通す素焼きの鉢ではなく、ビニール製のプランターに入っていて、さらに、プラスチック製のカバーに入ってました。それにもかかわらず、今度は、毎日せっせと水をやったものだから、多すぎた水分がカバー内にたまってしまい、今度は、うっすらとカビが生えちゃった。ひどい話だ。Seattle残酷物語かも。いや、もともと、植物の面倒(も)無茶苦茶苦手なんです(だいたい自分の面倒もよう見られないのに、植物の面倒が見られるもんか。←開き直ってどうする)。でも、私の父親は、栽培がわりと難しい部類とされている胡蝶蘭ですらうまく育てちゃうくらいで(それも変な風に凝り性だから、私がたまに実家に帰るたびに、だんだん鉢数が増えていたのはいいんですけど、ある日、突然庭に温室ができていてびっくらしましたよ)、植物育てるのはかなーりうまいです。私は、(妙な凝り性部分を除き)そういう父親の血はさっぱり抜け落ちてるらしい。植物を育てるのが上手な人を俗に「緑の手」とか「緑の指を持つ」というんですが、私みたいのを「火の指」とか「炎の指」とか言うらしいです。「手」と「指」とどちらが正しいのか調べてみようと思ったんだけど、国語辞書にも載ってないんだな、これが。だもんだから、困ったときのネット検索で、「火の手」で検索した・・・・ら、すごい量のヒットがあって、読んでも読んでも火災のニュースだった(よく考えたら当たり前だった)。でも、「火の指」「炎の指」は植物を枯らすという文脈でのヒットがままあるので、そこそこ使われてる言葉なんじゃないか、と思いますです。しかし、妙な凝り性な部分だけ父から受け継いでしまった私は、これでは満足できませんでして(したがって、こういう意味不明なことについムキになるのは私のせいじゃないんですよ、と人のせいにしてみる試み)、英語で、植物を上手に育てる人のことをやはりgreen fingerというのを聞いてたものだから、もしかして、これ語源は英語かもしんないよ、と思って、調べてみたら、green finger (thumb)の反対語は、black thumb (真っ黒けの親指←若干脚色あり)でした。でも、あれだよね、なんか、まだ「火の指」とか「炎の指」の方がかっくいいよね(って、植物枯らすのに、かっくいいとか悪いとか言ってる場合じゃないじゃろー)。ちなみに、私は、自他共に認めるall thumbs(ぶきっちょ)ですけど。#というわけで無理矢理タイトルにつなげるのだった。それにつけても、哀れは、机上の鉢植えなり。丁度私が去る頃、とことんダメになりそうです。Welcomeフラワーをそんな目に遭わせるから・・・・てんてんてん。
2005/01/24
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今期も夕刻のConversation Classに行ってるんですけど、何がびっくりしたって、今期のクラス生徒が日本の人ばっかり。秋学期は、12人中、日本は5名、他は、韓国、台湾、ドイツ、ロシア、バーレーン、イスラエルと出身国もバラエティに富んでたのですが、今回、13名(だったけかな)のうち、12名日本、1名がトルコです。みな、冗談半分に、日本の英会話スクールに行ってるのと変わらないねと言ってますが(笑)。Seattleって日本の人が多いとは思ったけど、ホントに多いんですねぇ・・・。しかも、今期は若い人が多い。前期は、まぁ私までは年食ってなくても、まぁ似たようなもんかなぁ、という日本の人が多かったんですが、今回、20歳そこそことかですね、若いうちに外国語学ぶのはいいよね。で、彼女達が昼の授業での話をしてくれたんですけど、たまたま他国語間の翻訳によるmis-communicationが話題だったようで、文字通り、Lost in Translation(←この公式HPは、ちょっと私の趣味ちゃうなー。うっかり私にDVDを衝動買いをさせたビル・マーレイの途方に暮れた表情のが好きだ)ってやつですか。沢山あったのに、あんまり覚えてなくて残念なんですけど、たとえば、右と左に、それぞれ使用前、使用後という説明と共に洗濯物の写真を表示していた洗剤の説明をアラビア語版とかですね。アラビア語って、右から左に書くじゃないですか。説明が逆になっちゃってて、洗えば洗うほど汚れてく洗剤になっちゃってた、とか、そんなエピソードが載ってるんだそうです。で、日本のとこに、「エンコ」というガソリン会社が日本に進出したんだけど、この言葉はガス欠を意味するので、結局、すぐにつぶれてしまった、というのが載ってたらしいんですけどね、なんと、そのクラスの日本の人、「エンコ」を誰もしらなかったんですって!! で、だれも、なんで、おかしいのか分からないものだから、先生が、「じゃぁ、教科書が違ってるのかもしれないね」と結論づけたらしい。いや、違ってないから。その言葉、私達の世代なら、みーんな知ってるからっ!! それ、エンジン故障の略だ(と思う)から。いやぁ、言葉は変わるものとは知ってましたし、つい最近も、「情けは人のためならず」の正しい意味の正答率が半分を切ったとかってニュースが報道されてましたけど、ま、まさか、自分にとって、ごく普通な言葉と思っていた言葉が全く「聞いたこともない」言葉になっちゃってるとは思いませんでした。がーん。ショック。なんか、こんな状況だと英語頑張るところか、日本に帰ったら自分の知らない新語だらけになってて、日本語も分からないって状況になりそうな気がしてきたぞ。こないだだって、「負け犬」という言葉の最近の使い方を知ったばかりだっつーのに。しかし、こう考えると、その「エンコ」という会社はつくづく進出時期が悪かったのね。今だったら、きっと問題なかったよね。
2005/01/22
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近頃しみじみ実感するのです。言葉には二つの機能があるなぁと。考える手段としての言語と意思伝達の手段としての言語と。というのはですね、私、一人暮らしが長いんで、前から独り言を言う癖があるにはあったんですけど、最近、その傾向がとみに顕著なことに気づきまして(って、ちょっとそれは人間としてどうなんだ)。だって、日本語で独り言言ったところで、周りの人に分からないから、相当変なこと言ってても全然平気なんですもん。こういう独り言の場合の言葉なんて、単に、思考の端々が音声としてこぼれちゃっただけだから、もうまーったく全然意思伝達の手段としてなんか使われていない、というか、意思伝達の機能を果たしてもらっちゃ困るわけです。だって、私の癖になってる独り言って、「じんせい、ちゅらいでしゅぅ」とか「もっとがんばりましょー」とかだから、もし、周囲の人が、私の言ってることを理解しちゃったら、むちゃむちゃ恥ずかしい(と言いながら、ここで書いてしまう自分の精神構造には疑いを覚えないわけではない)。いや、でも、言い訳をすればですね、私はあまり間がいい方じゃないんで、めちゃめちゃ急いでるときに限って、ペン立ての中身とか、インスタントコーヒーの中身とかを床に派手にぶちまけちゃったりするわけで、もうこんな目に遭ったら、つい、「じんせい、ちゅらいでしゅぅ」と呟きたくなりませんか? もう、自分が悪いのは明らかだから、誰にも当たれないんだけど、でも、慰めは欲しいぞ、仕方がないから、自分で自分を慰めるしかないじゃんかっていう感じと言いましょうか。しかも、更に言い訳をさせてもらえば、これ、私のオリジナルじゃなくて、妹の口癖が伝染ったんだもんね(って、全然言い訳になってません)。それにしても、口癖くらい、「濡れ手で粟」とか「一攫千金」とかの景気のいい言葉だったらいいものを、なんか私の口癖はいまいち辛気くさくていかんですね。と、つらつら考えているうちに、たとえ、それが母国語でなくても、片言の言葉しかしゃべらない人があまり賢そうに思えないのは、言葉が考える手段であるということを、皆分かってるからなんだなぁと気づいたりなんかして。たどたどしくしゃべっている人は、思考回路もたどたどしい、と無意識に思っちゃうんですよね。でもさ、ホントはさ、母国語じゃない言葉をしゃべってるときって、思考は母国語でしてるから、必ずしも、しゃべってるとおりの幼稚な言葉で考えるわけじゃないんだぞっと(ここでそんな自己主張をしてどうするんだ)。でも、外国語に堪能な人は、思考もその言語で考えてるから、こんなこと言ってもしょうがないですけど。しかも、考えてる中身が所詮「じんせい、ちゅらいでしゅぅ」や「もっとがんばりましょー」なんだもん、幼稚じゃないもんっと主張したところで、全然説得力がありまてん。ということで、やっぱり、「もっとがんばりましょー」はんこっ、と自らつぶやく今日このごろ。
2005/01/18
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昨日さんざん騒いでいて、もう解決したのって感じですけど。でも、こゆのは、自分で考えていても駄目だしなと思ってですね、なんせ、大乗仏教がわりと普及している日本の国の人ですから、「他力本願」はお手のものなんです(って、こんな使い方したら、真面目に、仏教に取り組んでる人に怒られるぞ・・・)(とか言って、リンク貼ったWikipedia見たら、大企業が広告で、「人任せ」って意味で「他力本願」を使って、各派から厳重抗議を受けたって書いてあるよ・・・。)えっと、ここで使ってるのは一般的な用法の方です、と注を入れておくのでそれでいいことにしてもらおう。と、仕切り直して。いや、そういう訳で、所詮、Nativeじゃない私が考えていても、らちが明くわけもないので、下手の考え休むに似たりという通りで、もう訊いちゃった方が早いって、と思ってですね。そいや、例のシェビチェ教えてくれたNativeの人が(←単なる過去日記でしから)、こっちいる1月の間、Conversation Partner(英語を学びたいInternational studentsのために、native speakerがボランティアで話相手をしてくれる制度。学校が斡旋してくれることが多いんで、St.Louisにいたときには、お願いしてた方がいたんですけど、こっちではそういう機会なかったんですよね)してくれてもいいって言ってくれてたんで、あ、そだ、と思って、訊いてみました。そしたら、あっさり、"both before and after Jan 1" だって。ということは、やっぱり、「明けましておめでとう」と「よいお年を」を一緒にした言葉でいいんじゃんかぁ。ちょっと調べただけじゃ、どこも皆「明けましておめでとう」としか説明してなかったもんなぁ。とはいえ、所詮、違う文化を背景としている言葉の単語が、それぞれ1対1対応になる筈がない訳ですけど。特に挨拶で一番それ感じます。たとえば、日常生活をしていて「いただきます」とか、「お疲れさま」とか、そんな感じの表現をしたくなる訳ですけど、これにしっくりと該当しそうな感じの英語って思いつかないんですよね。私のパコに入ってる英和辞書だって、挨拶としての「ただいま」のとこに、該当する英語はない、って思いっきり書いてあるしな~。でも、その一方で、たとえば、バスを降りるとかいうちょっとしたときでも、"Have a nice day!"と声をかけてくれるってのもいいよなぁ、とは思いますけど(「ご利用ありがとうございました」とか言われちゃうと、「いやいやそんなたいしたことしてないんで、そんな丁寧にお礼言われると困っちゃうんです」とか言いたくなっちゃわないですか?←ってそんなの私だけ?)そゆわけで、新年早々謎が一つ解決してほっとしてます。ところで、実は、「ミュージカル」と「オペラ」ってどう違うんだ?って気になってるんですが(いー加減にせー)、これって、ミュージカルはマイク使ってもいいけど、オペラは駄目って違いでいーんですよね? あ、こゆときこそ、ウィキペディアじゃん、とごそごそと「ミュージカル」をひいてみる。あ、やっぱり詠唱法の違いだって書いてあった。当たり当たり。と気分良くオチがついたところで、オーガニックスーパーで買ってきた、私でも一人で飲めるほどの小瓶のリンデマン・グース(微妙にラベル違うんだけど、これだよね?)飲んでねまーす。ふふ、今日はもうコルク抜きがあるから、大丈夫さっ。
2005/01/04
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って同じ意味と思っていいの?ということがここ数日の悩みごとなんで(またかい)。いや、きっかけは、昨年末、夜遅くなって、他のお店はあまり開いていなかったので例の「ラーメンに黒酢事件」(←前も使ったよな、これ)のお店に行ったことなんです(さすがに、学習したんで、こんだ、Soup Noodleは避けましたよ)。ここに日本語を流暢に話すアメリカ人の店員さんがいるんですが・・・って、なぜ、それが分かったというと、初めてそのお店に行ったときに、「地球の歩き方シアトル・ポートランド編」を読んでいたら(って、それもどーなんだ)、いきなり、「前、なんちゃらway(近くの賑やかな通りの名前)のネットカフェにいましたよね?」と日本語で話しかけられて、へ? いや、確かに、いましたよ、例のウルトラマンのネットカフェにノーパコ担いできて、長時間粘ってました・・・。で、はっと思い出したんですよね。そこで、日本語の勉強してた人がいて、目が合って笑った人いたの。その人でございました。あーホント、どこで誰に会うか分からないよなー。誰にも分からんと思って迂闊なことしちゃいかんなーと思いましたが(って、別に、特別なことはなーんもしてない筈ですが。)何でも日本に3ヶ月いたことあるとかで、ホント日本語お上手なんです。日本に3ヶ月いて、あれだけ上手くなるのに、アメリカに1年半いて、英語うまくなってない私はどうなんだ。まぁ、いいや(よくないけど)。そしたら、その人が、先週、日本の友人と会ったんで、別れ際に、「明けましておめでとうございます」と挨拶したら、すごく笑われた、という話をして、それで、「明けましておめでとうございます」は年末のうちに使っちゃいけないのか?と質問してきたんで、そのとき、とても、「よいお年をお迎えください」という日本風の挨拶を口にすることに飢えていた私は、喜んで説明したんですが・・・はて?"Happy New Year."は、もともと、"Have a Happy New Year." や "I wish you a Happy New Year." の一部を切り取ったもので(で、これだけ言う場合には、"A" はつけてはいけないと、昔、基礎英語かなんかのラジオ講座テキストに書いてあった気がする)。たとえば、金曜日の帰宅時などに、"Have a nice weekend!" って挨拶するわけですよね。そうすると、 "Have a Happy New Year." や "I wish you have a Happy New Year." ってどっちかというと、日本語でいう「よいお年を」に近いんじゃないんだろうか? ってことは、その一部を切り取った "Happy New Year!" って「よいお年を」の意味でも使えるんじゃないか??? この人が、「明けましておめでとうございます」を年末のうちでも使えると思ったのは、一般的に「明けましておめでとう」= "Happy New Year" と考えられているところ、 "Happy New Year" は年末でも使えるからじゃないのかしらん???と思って、調べてみたんだけど、"Happy New Year" は「よいお年を」の意味でも使えるなんてどこにも書いてなかった・・・(だいたい今までそんなこと聞いたことないなー)。つーか、そんなに気になるなら、そんとき、その人に訊けばよかったんですけど、鈍いからそんときは気づかなかったんだい。こゆのは後からじわじわ効いてくるんです(って、肩こり用の磁気絆創膏じゃないんだから)。あーむっちゃ気になるなーもぉ。でも、そいや、職場に行くときに降りるバス停の近くに、どうも "大人"限定の劇場じゃないかと思われるところがあって、その前を通って職場に行くんですが、年末、そのお店の前通っているときに、ふと、看板を見上げたら、 "Happy Nude Year"って書いてありました(ちなみに色遣いもこの通りで、私の趣味で色変えたわけじゃないですよ、と言い訳しておこうっと)。だから、やっぱり年末のうちに使ってもいーのかもしれないなー(って、それって根拠になるんかい)。
2005/01/03
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って大英博物館にあるロゼッタ・ストーンでは勿論ないです(当たり前だ。あんなでかいもんが届いたら大変だ。←そーゆー問題ではないと思ふ)。じゃ、何かというと、そーゆー名前の語学学習教材があるんです。以前、どっかの空港でデモやってるの見かけて、おっ、これ結構面白そーと思ってたんです。だいたい、権威に弱いので、「NASAでも採用」とか言われると、つい へへーっ とひれ伏してしまうし、新しい物好きだから、画期的な手法 とか言われると、「へーそーなんだー」と思っちゃうという単純さで、私の頭の中では、語学教材といえばRosetta Stoneという刷込ができあがってました。それがなぜいきなり届いていたかというと、そういえば、先日、クリスマスセールで大割引ってメールが届いてたんで、ビール飲んで気が大きくなっていた私は、つい、ふらふらと注文しちゃってたんでした(って、おい)。しかも、スペイン語(それもラテンアメリカ編)(おいっ×2)。だいたい、クリスマスセールで衝動買いするんなら、もっと洒落たものがあるだろーっっ! いや、だってそのぉ日本国内だと日本の代理店からしか買えなくて割引殆どないから、こっちいるうちじゃないと大幅割引の恩恵受けられないと思って・・・。。そもそも英語も流暢というレベルじゃないのに、なんでスペイン語なのっ! いや、だってあの、英語はさすがに今更Rosetta Stoneじゃないよなーと思ったし。それに、中米の国に一度行ったときに、市場でアメリカ人が、数を表す言葉すら分からない状態で買い物してるのを見て、数くらいは現地の言葉で言えるよう勉強した方がいーんじゃないかなーとかちょっと思って、スペイン語が気になってて、ラジオ講座聞いたりしたけど、すぐ挫折しちゃったから、えと・・・つーかどうせスペイン語の買うなら、スペイン編買った方がよかったんじゃないの??? いや、それがそのぉ、ラテンアメリカ編の方が割引率がうんと高かったんで、つい(ってそーゆー問題なのか? なんか、ラテンアメリカで車に当たる語が、スペインでは豚って単語だって噂聞いたよ)。それに、ラテンアメリカなら、アメリカから近いから、そっちなら行く可能性があるかもしれないなーと思って、えと・・・。あーあ、私、これ、一体いつ、やる気なんでしょうか。だいたい、怠け者なので勉強するの嫌いなんですけど、勉強しようと努力する気だけはそれなりにあるんです(・・・けど、人間、やる気だけじゃ何もできないものねー。って、それちょっと意味違うと思う)。なので、この手の教材物が未開封のまま積み上がってることがよくあるんですが・・・あーあ。とりあえず、いつでも目に入るように部屋の中に転がしとこうと思うんで、そのうち、日記に、「今日はRosetta Stoneで勉強した」なんつー記述が出てきたら、あー、たまには使うのね、とほめてやってください。あう。
2004/12/03
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「男はカブトの緒をしめて戦うけど、女は口紅をひいて戦う」とかいう言葉が、佐伯かよのの「口紅コンバット」というコミックにありまして、単純な私は、へー、これ洒落てていーなーとちょっと感心してたんですが。だったら、もっと気合い入れろってとこなんですけど、実際のところ、そんなに、戦闘支度に気合いを入れてるとは言えないんですけども。というわけで、戦闘準備にもっと気合いを入れてないのがいけないのかもしれませんが、昼間native speakerの人に囲まれてる状態で、会話の話題が「She」だったりすると、思わずどきどきしちゃいます。自分のことじゃないよねぇ?とかって。夏目漱石が、イギリスに留学している間に神経症になったという話があったんで、私も自意識過剰なんじゃないか、と、いちお考えてみたりしたんですが(というか、夏目漱石と比べたりするのが烏滸がましいじょ。でも、ほら、千円札から引退されたから・・・って、まだ新札見たことすらないんですが)、Seattleの日本語情報サイトで連載されていた、米国男性と結婚した日本女性のエッセイを読んでいたら、「夫の実家に遊びに行って、夫の家族の談話中に"She"という言葉が出てくると、自分のことを何か言われてるんじゃないかと思ってどきどきした」というような話が出てきまして、あー、なんだ、よくあることなんだ、と思って安心しました(というか、「自分だけじゃない」というのを知って、安心するってのが、根っから日本人でございますです)。それで、何で、Sheって言葉にそんなに反応してしまうんだろう、ということをつらつら考えてみたんですけど、どうやら、次のような理由じゃないか、と。1.聞き取り能力に不安があり、ちょっと離れたところの会話だと、内容を詳細に正確に把握しているとは言いがたいため、想像の働く余地が大きい。2.コミュニケーション能力等にもともと不安を抱えているので、想像があんまり明るくない方にいきがちである。3.日本では、あまり、「彼」「彼女」などの第三人称は使わず、もし、話題にするとしても、「○○さん」などの固有名詞を使うことが多い。4.固有名詞を使わず、「彼」「彼女」などの第三人称を用いて話をするときというのは、実は、マイナスの話題である可能性が高い。というわけで、つい、"She"が話題の対象になっていると、日本での「彼女」を用いた話題と同じで、よくない話をしてるんじゃないか、と思ってしまう上に、自分のことじゃないか、と思ってしまう、結論に達しました。とかっていちいちそんなこと考えてどうするんだって、ほら、カーラ教授も言ってるし、思考を惜しむと馬鹿になるって。(いや、もう遅いって)
2004/11/18
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最遊記で失敗した、英語では言葉遣いの差が分からない問題。 いろいろ考えているうちに、英語の小説とかは、どうやって人格を書き分けているのだろう、ということが気になってたまらなくなってもうた。 夜間の会話コースに、Nativeの学生さんがボランティアで参加してくれてんだけど、先日いらした方は、19歳で、日本語とスペイン語と、マンダリン(中国公用語)と広東語ができるとかいうとんでもない人だった。今、これを読んでるんだ、と見せてくれたのが、村上春樹の単行本。げげ。 自慢じゃないけど、村上春樹の作品は、ひとつも読んだことがない。村上 龍の作品なら「限りなく透明に近いブルー」とか「コインロッカー・ベイビーズ」とかなら読んだけど。(だって、映画化されたブルーは、必殺仕事人に秀さん役で出た三田村邦彦のデビュー作だって聞いたからさー。って映画は見てないあたり)。 ・・・・あれ? じゃなかった、そゆオタクな話じゃなくて。えーと元に戻れ。 で、その人に、たとえば、英語には「I」しかないけど、日本語の場合は、「俺」「僕」「私」とか色々あるし、言葉遣いも女性の言葉遣い、目上に対する言葉遣い、乱暴、丁寧といろいろあるけど、それって英語がNativeの人から見てどんなですか?逆に英語では、そういう書き分けってどうしてるんですか?って訊いてみた(でも、英語で訊いてるから、うまく伝わったかどうか、いまいち不明だい)。 そしたら、英語のときは普通に読んでるし、日本語を読むときも、「あーそんなだな」と思って普通に読んでるっていわれましたー。えーん、全然疑問が解けないんでしけど。えーん、普通ってなに?普通って? それが普通に思えないから悩んでるんだいっ。 ・・・それにしても、日本がいろいろ大変なときに、よくもまー、毎日こゆことばかり考えて暮らしていられるもんです、とちょっと反省(の振り?)して、終わる。ちゃんちゃんっ
2004/10/29
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私はせっかちなので、エスカレーターや動く歩道ではがんがん歩きます。エレベーターに乗ったら、当然、「閉」ボタンを即座に押します。初めて、降りるときに「閉」ボタンを押して降りる人を見たときは、「あ、そっか。こうすれば、降りてすぐにエレベーターが動き出すんだ。すげーかっくいー」と感動して、まねっこしました・・・ところが、これは、エレベーターの構造によって違いがあり、迂闊にマネッコすると自分が挟まれたりする羽目になるんですね・・・当然私はそうなりました。しかも、挟まるとエレベーターのドアは危険防止のために開きますから、却って時間がかかって中の人に迷惑です・・・かなーりかっく悪かったです。ぐしぐし って話がしたいんじゃなかった。えっとですね、いや、国によっては、そもそもエレベーターに「閉」ボタンがないところがある、という話は聞いていたのです。確かに、夏までいた、わりとのんびりした街のエレベータには、「閉」ボタンがなかったので、そのときは、それで過ごしてました。でも、9月に今のわりと都会の街に引っ越してきて、昼間は、59階だかまであるたかーいビルで過ごしてます。当然エレベーターじゃないと移動できません。「閉」ボタンもついてます。最初は人前なのでぷちっとしたいのを我慢してました・・・・が、もともとせっかちなのです。ボタンがあるのに押さないなんてっ。 とうとうわりと親しい人と一緒にエレベータに乗っているときに「ぷちっ」とやってしまいました。日本語が分かる人だったので、照れ隠しに、「いや、私せっかちなんで」と言ってみました。そしたら、その人は「せっかち」という言葉は知らなかったみたいで、「せっかちとはimpatientという意味か?」と訊かれました・・・。確かに全くその通りです。全然忍耐力はありません。ありませんが・・・日本語で「せっかち?」って訊いた場合、あんまり悪い意味(だけ)じゃないような気がしますが、もし、「impatient?」って訊いたら、喧嘩売ってるように聞こえるんじゃないか、と心配になるのは気のせいでしょうか? それはともかく、一人のときは、必ずぷちっとやっていたら、こないだ、とうとう知らない人と二人のときにも、うっかり、「ぷちっ」とやってしまいました。そしたら、その人に「Do as in Seattle」と言われちまいましただ。まぁ、郷に入っては郷にしたがえ、ちゅーことでしょーか。 でもさー、場所変わっても、心臓の鼓動の速さはかわらねーんだいっ。そーでなくてもわたしゃ、からだちーこいんだから、かの有名なゾウの時間ネズミの時間によるならば、からだがちーこい私は、当然ながら、鼓動も速く、その結果、時間の流れが人より速い、ということになるんだいっ。 だから、私が客観的にimpatientだとしても、主観的には多分、普通の体格の人と同じ時間くらいは待ってるんですよ、とか、無理矢理言い訳してみたりして。
2004/10/27
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