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君が云っていたことは本当だったんですね,ホラ台風の夜の猫の集会のことです。 あの日の夜,君はずぶ濡れになりながらぼくの家にやってきて「ねえ,かけおちちしよう」 東京行き23時47分発の最終電車に乗り込んで,君はだんだんと迫ってくる台風を楽しむかのようにきゃっきゃしながら。 結局電車は途中駅でストップ,僕はへんな緊張感やら責任感から逃れられ,正直ホッとしてシートで眠ってたら,明け方前,君はもう,なんともいえない表情をして僕を起こしたんだ。 「ねぇ,さっき駅のちょっとむこうのへんの貨物置き場の裏で猫の集会をやってたの,暇だったから外に出てたら,猫たちがね,一斉におんなじ方向に走ってゆくの,あたしもついてこいって一匹のシロクロが鼻をフンとさせるから案内してらっちゃった!」 「ふーん,猫とテレパシーできるんだ」って眠さでいい加減に応えたら, 「ほんとだって,雨がやんで月がでて,それは厳粛なものだったわ」 結局,僕たちのかけおちは失敗。 親にこっぴどく叱られても,君は随分嬉しそうにして。 今日届いた,君が初めてつくったぶどうを食べてます。 「ぶどう農家なんて」とぼやいてた跡取り娘がどうして,美味いです。 先日の台風が去った夜,僕の町の猫たちが一斉におなじ方向に駈けてゆくのを見たのです。あっとして,僕はあの夜の,いま思えば吹けば飛ぶような責任感に押しつぶされそうな自分を思い出し,笑ってしまった。 君だってほんとうは,震えていたんじゃないのですか? 冗談。だけど,もし君が台風の夜,かけおちしたくなったら,今度は僕の町の猫を一斉に集め,君が乗り込むあの23時47分発の中央本線をホームで待つことにします。君の背が震えないように。 君の住む町から33こ目の駅が僕の住む町です。 それでは,また,いつか。 あ,誕生日おめでとう。 また3カ月,君の方がお姉サンだね *************************************** じつは私も昔,台風の後に猫が一斉に同じ方角へ駈けてゆくのを見て,それでこの小さな吹けば飛ぶようなハナシを友達にしました。わたしも集会に案内してもらえなかったけど。 中央線て,ずっとそのまま乗ってると東京に着ける,私にとってとても魅力的な距離の線で,いま京浜急行が沿線の町を舞台にしたシナリオを募集していて,ふとちっぽけなハナシを思い出したわけです。うーん,京急で魅力的な町ってあるかなあ,距離的にもうちょっとあるといいんだけど。 なぜ京急のシナリオかきたいかというと,必ず電車が入るから。そう,電車好きな長男が喜んでくれるようなハナシがかけないかと,ハハ,ただそれだけ。
2003.11.29
という一応難病指定されている病気になって半年,かなり快方に向かっている(ような気がする)。例えば,激しいスポーツはダメ。それからちょっとした打撲なども危ない。階段2,3段転げても打ちどころが悪いと非常に危ない。なんせ普通に暮らしていても数値が低すぎると自然に脳内出血することもあるらしい。風邪はひいたら一カ月以上治らないし,本宮先生に治療してもらい数値が上がっても風邪であらよあらよと血小板は激減する。もうあざだらけ。けっこうあざを見るとへこむ。 血小板をつくる過程で巨核球前駆細胞がインフルエンザのCウイルスにやられている,と診断してそこにアクセスできる調合アロマオイルをつくって,ただ香りを嗅いでいるだけ。 今月に入ってあきらかに手応えがあった。生理の出血が病気前の量に戻ったのだ。くらくらするほどの出血量で,自分の血を見て,まざまざとやっぱ病気なんだなってどーんとへこんでいたから,自分の血を見てまたしみじみと病気を手放せるときがきたかなぁと感じいっている。 本宮先生の調合法の基本は,たとえばエッセンシャルオイルをカラダのつらい場所に近づける。そのオイルを欲しているとボトルを持つ手が軽く感じたり,なんとなく気持良い感じがしたりする。必要のないボトルはボトルが重く感じる(わたしは)。オイルだけでなくハーブティや漢方,ホメオパシーやバッチも感覚を磨けば自分に合うエッセンスを択ぶことができる(でもバッチもホメオパシーもその意味を味わうことが大切)。基本はとても単純なのだ。でも,これでアトピーや喘息の方たちが回復している。治療法がこれだけ,というのは傍から見たらどうかと思うかもしれないが,へこんだりよろこんだりしながらのこの半年は自分のカラダといつもアクセスしていて,面白くもあったのだ。後から振り返れば大切な,必要な時間になるのかもしれない。
2003.11.28
産後のボディケア&フィットネスのクラスを春から始めて,いまだ試行錯誤している。やっぱマコさんは(師匠ね)すごかったんだーとしみじみ。でもマコさんと同じことはできない。(能力的にも個性的にも)基本は同じだけれど,リードするひとが違うと全然違うクラスに映ると思う。子育て支援グループのアミーゴ主催の笹塚クラスは自分で内容に最高50点位しかつけられない。(参加者はもっと辛いかも)あのマコさんのクラスの充実感が頭にこびりついている。春の頃はまるっきる真似をしていた。それから病気をしてから,肩のチカラはやや抜け,アロマやまゆみ先生のヨガも取り入れたり,模索中。例えば,先日の笹塚のクラスは雨と寒さでお休みにした。風邪が流行っていて,今月はお休みの方が多かったから。この冷えの中,赤ちゃん連れでは負担大かなあ,と朝の7時くらいから悩む。終日雨って天気予報ではいってるし・・・。松田さんに迷惑承知で連絡。「台風でも来る人は来るよ」そう,来る人は来るのだ。密室育児から逃れたいひととか,とにかく気晴らししたいひととか,まあ,そのためのサロンやフィットネスクラスでもあるのだけど。あー,まだまだ甘いなあと思いつつ,休むことに決め,早速参加される方たちに連絡。幸い「お休みしようか迷っていました」という声が多かったので,少し安堵。でもこれってわたしに雨でも風でも会いたいというカリスマ性のなさの表れでもあるかな。しかしわたしはマコさんと全然違い,まだまだひよっこ,いいのだいいのだと勝手に納得。カリスマっていうのもひとが勝手につけるものだし,カリスマ的なものが欲しいわけでも全然ない。ただ,カラダを風を通す楽しさを感じてほしいだけなのだ。そして,これが普通の子ども連れではないクラスなら休むこともない,と思っている。 水曜は,通常の調布クラスを終え,午後は産後のクラスを卒業したかた対象のアロマとヨガのクラスを開く。ヨガは勿論プロではない,まだ勉強中で,自分が面白いなあと思ったものを流れを見ながら紹介してゆく。あくまで産後のカラダにどうぞといったやさしい(筋肉はきつい)簡単なヨガ。アロマは風邪予防スプレー。みんなすてきなブレンドを手作りして和み,寝てばかりいた赤ちゃんがすっかりあんよしている成長の速さを目の当たりにしちょっとした感動。 じつは,調布クラスを始めてから今まで,ずっとお互いに見守っているようなスタンスを感じる生徒さんが何人かいる。依存ではなく,時々顔が見たいなぁと思うと,クラスにやってきてくれたり,連絡してくれたり,ちょっと縁を感じるひとたち。久しぶりにそのひとたちにも会え,ひそかに和んでいた午後だった。 こうして見守ってくれているひとや,反応がいまひとつの時,赤ちゃんがひたすら泣いていたり,お母さんも終始頑なだったり,とにかく様々な場から学んで,自分らしいクラスに流れ収まる。縁あってこれからクラスを共有するみなさん,どうぞよろしく。 ちょっと甘いかな・・・,ほんと試行錯誤で自分はどこにいきたいか,目指したいかをいつも感じている日々なのでした。
2003.11.27
ほんとに久々,土曜のHIP HOPクラスにいく。ここのところ保育園行事なんかが重なってまるっきり参加できなかったからちょっと緊張して。 TAE先生はキャップで半分顔を隠して登場。今日はスッピンで恥ずかしいからって,もうその姿だけでもキュート。ダンス姿はもっとキュート!デートしたいくらいキュート! と先生の姿に見とれつつ,今日は胸のラインだけを前後左右に滑らかに動かす,というのと,首だけを動かす,というのを教えてもらう。これが動かない。勿論肩を動かしちゃうのだ。肩じゃないのよ,胸なのよ!と何度も脳へ発信するけど,いうこと聞かない。あの先生の動きのしなやかさと色っぽさ。同じ人間なのに,違う。いやいまのところ半分以上違う種かもしれない。筋肉と脳が結びついてくれない。でもでも,何度も何度も発信する。せめて感覚を掴みたい。相変わらずなんだけど,ちょっと掴めてきた。いやすごくおかしい動きだけど,1%くらいエッセンスを掴めた。腰の動きと連動させると(ほんとは)かっこいい。この動きをステップにからめて音楽に合わせるとまた(ほんとは)きもちいい。そう,終わった後の幸福感といったらもう何にもかえがたいくらい。ヨガは筋肉のきしみを堪能した充実感があるけど,こちらは脳と筋肉のアンバランスをこれでもかとつきつけられ,ひたすら動かしてるうちにきもちはすっかりTAE先生。いやー,このクラスの後の自分というのは,世界で一番シアワセモノだー!って思っちゃってるのだ。好きなこと下手でも出来る場があるし,先生はこんなやつでも丁寧にユニークに教えてくれるし,いろいろ要素はあるのだが,何だろう,ダンスって宗教儀式とか文化の中から発生してるけど,たったひとつの自分のカラダを通して世界にそれこそ無数にある喜びのようなものにアクセスできるから,だからこんなに感動的になれるんじゃないかと。まだ美しく胸は動かないけど(いずれなるさ)。楽しいよー!またホームでステップ踏んでしまった。あんまりひとの目は気にならない,多分それくらい土曜の3時はハッピーなのだ。
2003.11.22
平日週3日以上は仕事しないと決めているのだが,気づいてみればカレンダーは書き込みいっぱいというここ一月。血小板少ないから睡眠不足だと血液造られないし,とにかく疲れやすい。アロマをメインにしていたときは,一日100分コースを3人こなしてやっと仕事したー!って充実感が得られるくらい体力はある方なのだが,月曜ヨガにゆき火,水とフィットネスクラスを終えると緊張感がゆるんで,どっと疲れが押し寄せる。木曜は機能していないことが多い。 アロマの仕事,産後のクラス,家事育児,パパとの時間,バランスよくいきたいのだが,体力がついてゆかない。 木曜はのーんびり掃除も食事もいい加減にして,ごろごろ美琉ちゃんと遊んでいたので,体力も回復,金曜はお天気になって,お掃除もお洗濯もお布団干しも午前中にこなす。お花もユーカリとアスターの赤い新鮮な花を手にいれ飾る。うちの猫の額ほどの前庭にはユーカリとティートリーの木を植えたいけど,風当たりが強いから,どうかなあ。床は二度拭きしたから,ぴかぴか。トイレやシンク,お風呂もお掃除,万能除菌スプレーをがんがんまく。ヒノキとシダーウッド,グレープフルーツをメインにしているから,香りもいい。料理もバルサミコとハーブをふんだんに使った鳥肉とお野菜のオーブン焼き(簡単で超美味かった!),子どもたちは黒米としょうがとねぎの炊込みごはんでつくったみそ焼きおにぎり(要するに風邪気味なのだ,味はいまひとつだったけど,みそをつけておにぎりにかたちを変えると美味しくなるのよネー),パパもわたしも子どもたちも満足の食卓。午後は美琉ちゃんにマッサージしたり,一緒にお散歩,このお散歩が家に帰るまで紆余曲折,いろんなひとに愛想を振りまいたり,お花や葉っぱに触れたり,彼女のゆきたいところを後からのんびりついてゆくのが余裕がないと楽しめない。今日はもう神経がゆるんでるので,お好きにどうぞって感じ。昼ドラの「ピュア・ラブ」も感動の最終回だったし。自分のセルフマッサージもできた。 お掃除した後の空間は家が喜んでるって感じるし,パパも居心地がよいらしい。シンプルだけどちゃんとお料理するとみんな美味しいって顔がほころぶ。ハウスキーピングはもともと好きだけど,毎日こうとはいかない。床を丁寧に拭く,お料理の下ごしらえをする,そういう手間をかけることで,自分のきもちも丁寧さを取り戻す。それでまたよい仕事ができる。今日は満点ママだった・・・と思ってたら,やっぱり適度に疲れて,夜パパといちゃいちゃせずに寝てしまった。んー,85点というところか。
2003.11.21
スペインのイザベル・コヘット監督による映画「死ぬまでにしたい10のこと」について,ジャーナリストの長野智子さんが記事にとりあげていた。23歳,失業中の夫との間に2女を持つごく普通の女性・アンが進行性の癌で余命2カ月と宣告される。アンは自分の死期を誰にも告げず,ノートに書いた「死ぬまでにしたい10のこと」を叶えていく。「娘たちの気に入る新しいママを見つける」「夫以外の男性とつきあってみる」「思っていることを話す」など。 この映画の原題は「マイライフ・ウイズアウト・ミー」つまり「わたしのいないわたしの人生」。ここにどきりとした。心臓をつかまれたような感覚。 思えばいつも自分がよりよく生きられるにはとか,自分が,自分がと主人公はいつもわたし。子どもが生まれても自分らしく生きていないと気持ち悪かった。(おいおい自分らしくって何だー!?)ついつい最近まで自分の欲望優先で生きていたわたしにとって,この原題のメッセージはこたえた。子どもたちやパートナー,自分の大切なひとたちが輝くことによって,自分の中に慈しみのような気持ちが宿る,こういう生かしかたもあるのだ。 映画の中で,アンは日常のエゴから解放され10のことを叶えることではじめて自分の人生を振り返る。夫や母も愛人も皆それぞれの人生を懸命に生きていることに気づいていく。 「自分のいる人生の中で脇役でしかなかったひとたちが自分と同じ重みになり,やがて自分のいない人生を彩り続けてくれることを知ったアンは,死ぬことを`寂しくないよ’と乾いた声で表現する」(長野さんの記事より) 病気がわたしの中にもやってきてその経過中に読んだ記事だったことでなおさら心に届いたのだろうけど,二人の子と主人の寝顔を傍らに,このひとたちが歩んでゆく人生に愛しさと尊さを感じた。そして自分も今,何かの巡り合わせでこのひとたちと日々を共有する幸福を,あらためてありがとう,ありがとう,ありがとう,という,ただもうそれだけ。それだけ。 と,ここまではわたしの産後のクラスの先月分のニューズレターに書いたことだったのだけれど,最近になってまたこのテーマを思い出すことがあったので再び。 母が胸を患って手術したのだ。結果は良好で入院も一週間,術後にわたしは母の病気を知る。母はわたしにこう言った。「ちょっとグアムまで行ってくる」 一応病気のわたしに気を使ってのことだったろうが,寂しい気持ちも否めなかった。母がとても疲れていたのも知っていたから,ああほんとに息抜きできてよかったなって,ばかなわたし。元気になったらほんとにグアムに行ってほしいなぁ。 母の死というのを初めて考えたとき,自分の中に流れる,母から受け継いだものを感じずにはいられなかった。わたしから子どもにも受け継がれるいのちというか息吹,たましい,なんとも表現できない生の永遠性に,身を正した。自分の生の中にも母の,この世界からなくなっても母の人生は生き続ける。正直,子どもを産みおとしたときよりもはるかに厳粛な気持ちを抱いている。
2003.11.14
ひたすらヨガで筋肉を伸ばした。月曜のヨガはもうそれ以外何も考えられないくらい筋肉とアクセスする。ほんと頭の中は筋繊維の映像で溢れていて,自分の歪みがとても愉快なのだ。みんなも笑ってる(半分以上苦痛と裏腹な)。 まゆみ先生のヨガはひとの体に起こりがちな歪みを矯正するヨガ。同じポーズを左右両方やることはあまりない。だいたいのひとは左の股関節が開き気味で,右はつまり気味だそう。添い乳するときは左下で寝るとか,横座りしたいときは膝を右に倒すとか,そんな日常の動作の積み重ねが歪みにも矯正にもつながるのだ。これを考えた整体の先生が試しに逆方向の動作をずっとやり続けたら,あっという間に白髪としわだらけになってからだやこころの気運も下がったらしい。いやー,しわは説得力大。みんな顔が真剣になってた。(わたしも) 自分の歪んだ体でポーズをこなしてゆくから,先生の説明に筋肉レベルで納得する。といってもすんなりポーズはできないんだけど。でもひたすら筋肉にアクセスしてゆくと,いろんなからだにまとわりついているコリを通過して(このコリは気持ちの歪みだな)シンプルなこころのような場所に辿り着く。例えばこどもの頃海やプールで泳いだあとのちょっとだるくて,でも仰げば圧倒的に広がってる空と自分との一体感。高校の時の部活の休憩時間とか。余計なもののはいる隙間のない時間。すごーくしあわせなのだー。ヨガの時間はこどもみたいな気持ちになっている。だから待ち遠しいし,続けているのだなーと思っている。終わったあと,ポーズを覚えていないのがまたこどもっぽいし。(覚えが悪いだけ?)
2003.11.10
夜,知人のセラピストのOさんから電話。彼はクラニオセイクラルというボディワークのプロで,彼のセッションを受けたひとたちが自然発生的に「わたしもやってみたい」と集まって,それじゃ勉強会をやりましょうと,不定期に半年ほどかけてクラニオを伝えている。 12月から始めますとのことでお誘いの電話だった。是非身につけたいワークのひとつだったので,次回,次回といいつつ,妊娠したり,時間帯が合わなかったり流れていた。今回も日曜ということで,またいつの日かとお断りした。 いつもだったらなんとかならないかとパパに無理いったり奔走したり思いあぐねたり,クラニオに関しては未練たらたらだったんだけど,今回はすんなり保留することができた。「またいつか」というと,彼は「いつになるか分かりませんよ」こういうふうに言われると,あーやっぱり今しかないー!なんとかせねばー!だったわたし。うーん,まあほんとにやりたいと思うことなら,またその時期は巡ってくる(何となくだけど)から楽しみにして今を過ごそうと感じるようになっていた。時を待てるようになったのだ。セラピストとして今持っている自分のこころと手をもう少し信じて,縁あってわたしを必要としているひとのささやかな力になれたらいい。今までは自分のところに(例えばクライアントを)いかに引き留めておけるかなんてことをどこか考えてたけど,わたしの関わるアロマセラピーや産後のフィットネスのクラス,どちらも通過するものなのだ。ずーっと通い続ける,なんて不健康だ,不調が緩和されてエネルギーが循環するようになったら,あとはセルフケア,時々はじっくりとカラダの声を聴く時間をとるためのトリートメント,これでいい。このスタンスが気持ちいいのだ。
2003.11.09
という,細胞分裂して血小板がつくられる段階でできる細胞においてインフルエンザのC型ウイルスが入っているらしい。だからわたしの出来上がった血小板ちゃんをからだの情報が異物として捉え,血小板を破壊する。→どんどん減る。インフルエンザ付きの血小板だから。 というのが本宮先生の今日の診断。(これが原因らしい。しかし,この辺で最後の診断になるといいなーなんて思ったりする。診断は当初よりどんどん体系化され進化してきているけど,もう大丈夫だと思ってると,実はウイルスが胸腺の中まで入っていたり,まあ一筋縄にいかない)自分のからだの変化をいろいろ感じたかったのでステロイドは入れなかったけど,ウイルスちゃんを持って年越ししたくないなーと先生と話す。最近は比較的調子がいいのか,あざが出ない。勿論ぶつければ出る。血小板3万以下になると特に何もしてなくても大きなあざが出る。これが結構恐怖なのだ。5センチ大のあざがボンボン出来てきて,それがきっかけで病気に気づいたのだ。からだはちゃんと発信しているから,受け手もあんまり無視しちゃうとあとで大変ね。コミュニケーションがうまくいってなかった。その頃はパパに当たってけんかもあった。何だか疲れやすいからもうひとのこと考えられない。とにかく私は先へ先へといきたかったのだと思う。全く一体どこへ? 病気になってから,欲望というものがとても希釈された。別に健康一番!それだけでいい,というものではない。まあ何をそんなに急いでどちらへおでかけ?って客観視できるようになったのだろう。もちろんやりたいことはあるが,いまは時期を待てるようになった。こどもに対してもそう。学生時代,わたしはひとを待つ時間が好きだった。最近,会いたいひとにもうすぐ会えるような,それに似た感覚で一日を迎えられる。ま,空振りすることもあるけどね。またあした。
2003.11.06
昨日,今日と産後のフィットネスのクラス11月コースの初日。特に笹塚クラスでは頭に重心がきて,緊張気味。初回はいつもそう。毎月あたらしい女性とその赤ちゃんに出会えるどきどき感と,できるだけママがしっかり体動かせるといいなぁ進行を調整したり,でもその私が頭に重心があっちゃいけないなーと思いつつ,なかなか下におりてくれない私のバランスちゃん。 正直いうと,調布クラスのほうが私がのびのびしている。部屋の解放感や明るさもあるのだけど,前日に笹塚でほぼ同じことをした後のクラスなので,いい意味チカラが抜けているのだ。胴体力でお腹に重心落としてから次回はスタートしよう。 アミーゴのスタッフ,市川さんがいいお産の日の会場でニュースリングを発見。生地がストレッチ素材でこれならおんぶもできそう。とても重宝しそうなスリングで,アミーゴで取り扱えるよう市川さんも奔走中!乞うご期待なのだ。
2003.11.05
今日は家族で母校の学園祭に行った。今年いっぱいで校舎が取り壊され改築される。6年ぶりの江古田はやっぱり汚かった。とくにこの学校はあまりきれいなひとはいない。みんなよくすれば個性的,ただの変なひととかおたくとか,テレビ局のバイトもよくまわってきたからCXでバイトしてるだけですっかり業界気取りなやつとか,田村正和の「ニューヨーク恋物語」ばりに朝からウィスキー呑みだすやつとか,とにかく変なひとはたくさんいた。 パパとは空手部で知り合った。 空手部=大学生活だった。バブル絶頂期で夕方合コンにいく同級生を横目に部員は薄暗い地下室のある道場にゆく。いきたくないけど,いかないとまた大変なことになる。当時の空手部は昔の根性稽古の名残を残す硬派200%の,ひどい部だった。稽古は毎日あるがことに学園祭などの行事のときはさらに一週間朝練があった。まだオリオン座が煌々とまたたく中,いったい自分はなにをしているんだろうとよく思った。勿論部員全員思っていた。辞めればいいのに,と思うだろうが,当時空手部を辞めるときは退学するときというくらいおかしな部のおきて?があり,同期も何人か退学している。だめだ,空手部のことになると,あまりに強烈な日々の連続で冷静でいられなくなる,すごいなぁ,ほんと。 部員はほとんど学科のことなんかしていなかった。みんなそれなりに夢を持って頑張って入った大学だったけど,いわゆる楽しい日々とは無縁だった。でも,毎日恐怖(これは稽古とその後のOB先輩との飲み会,ら致といっていた)と隣り合わせのおかしさみたいなものもあった。基本的にユニークなひとたちの集まりだったから,厳しい稽古やつきあいのなかで自己表現するのも忘れなかったし,まじめにやってるからハズしたときも最高におかしい。いまだにパパと大笑いすることもあるくらい。 学園祭は芸祭と呼ばれていて,空手部は演武会を行うのだけど,OBもたくさんやってくる。やくざよりもこわいひとたくさん。幹部は部員たちがそそう!?しないよう気をひきしめる。ぴりぴりムード200%なのだ。先輩への挨拶は「押忍」がすべて。女子は「はい」だけど。「押忍」にも種類があって,疑問の「押忍」とか躊躇するときの「押忍」とか,否定の「押忍」とか。ニュアンスで違いをだすのだ。で,OBがタバコを取り出したら脇からすかさずマッチを摺り火を差し出す・・・ばかじゃないのといわれたらそれまでのことを,1年生はひたすら練習する。あ,マッチ摺る練習ね。で,1年が失敗すると瞬時に脇にいた先輩が何事もないように火を差し出してる。うーん,こう書くとやはりおかしい。私たち部員はいつも恐怖におののいていた。それもばかみたいな恐怖に。 演武会はとてもみんな上手かった。いまは稽古も週2,茶髪もOKなのだ。そうしないと部が存続できないのだ。でも,私たちが持っていた恐怖というものがない分,普通に師範から技術を吸収し上達している。そう,空手って結構面白くて奥が深いのだ。みんなその楽しさが判ってくるころに卒業するのだ。 わたしたちは唯一の空手部カップルだった。勿論恋愛ご法度だったから,ずーっと片思い,正直だから続けられたところもある。OBとの飲み会が終わって終電もなくなって,ときどき道にすわって最近どう?みたいな話をする瞬間がほんと幸せだった。 大学4年の稽古納めのあとは卒業製作でまた休みなしなのだが,わたしはシナリオ,パパは短編映画を撮っていた。その頃わたしのほうから飲みに誘った。最近どう?とどうでもいいことを話しながら。彼は映画の世界でやっていくことに対して悩んでいた気がする。監督志望の彼は,映画学科の同期で一緒に暮らしている Fくんが自主映画のコンクールでグランプリを取りデビュー間近なことにショックを受けていた。自分とFくんとの決定的な違い,監督として妥協せずにスタッフや役者を引っぱってゆくある種の強引さ。スタッフが呆れるほどの自分の世界を創りあげようとする思いの強さ。それ故みんなFくんに惚れていた。彼も惚れていた。多分いまも。彼は優しすぎるところがあった。自分の考えた作品で他のスタッフの評価も決まることに対して申し訳ないような気持ち。Fくんのようにしつこいほど自分のめざす映画を追いかけスタッフを振り回すことに最後まで躊躇していた。卒業時期の感傷もあっただろうけど,環七の歩道橋の上,一人分距離をおいて私たちはずっと行き交う車の波を見ていた。彼の映画よりもFくんの映画にマイっていたけど,彼の映画の最後の観客でいたいと思った。あの夜は何度も何度も彼に心を奪われていた。 同期の仲間や先輩たちに会うことができて感慨もあったし,江古田校舎のひとつひとつにいろんな出来事を思い出した。お芝居をつくることに夢中で空手ばっかりしてたけど,あれもセイシュン。胸がつーんと痛む,けっこうリアルに。
2003.11.02
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