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朝。 娘のクラスの読み聞かせへ。 新しい先生のお顔も見て、他の先生とも少し話をすることができた。 ひとは変化できると思う日々にある。 学校や地域というものに普通に無関心だったのに。 いまや地域の防災訓練まで毎年出席している。 (これはクライアントさんが消防団をしていた影響大) そのままお母さんたち数人で家庭内ドリンク&おやつバーな場でさまざまなことを語り合う。 縁の不思議さを思う。 数ヶ月前まで、ほとんど挨拶程度だったひとたちと、こんなにも蜜に話をしているのだから。 ここ最近、そんな場がおおい。 時間が少しでもあれば、誰かと話している。 いま、わたしたちは祈るように日々生きている。 深く自分を掘り下げるように、胸をオープンにして、なんとか勇気をしぼりだして、ひととの関わりのなかで生きている。 いろんな価値観と思いがあって、それを話し聞き、認めたり違うなと思ったりしながら、ひとつのテーマに沿ってなんとかつながろうとしている。 つながりなんて、なんてベタな! このわたしがね。 そんなもの、どこかで牽制してたのにね。 生きるってすごいと改めて思う。 縁あってこどもを授かり、親にさせてもらったけど、こうして人見知りな自分が誰かと常に話しているのだものね。 家族や数少ない友人や、仕事で巡りあうひとたちや、こどもを通じて知り合うひとたち、目には見えないだけど実は支えてもらっているひとたち。 ひとはひとで生かされている。 それから電車に飛び乗り、バッチフラワーセラピストクラスへ。 途中、主人からメールが入り、息子の高校合格の知らせを受け取る。 隣りで寝ているおじいさんに報告しようかと思ったほど、なんだか胸の真ん中からうれしく明るく、ちからが抜けた。 まりさんのクラスは本当にすばらしい。 今日は28番目のレメディ、スクレランサス。 バランス感覚がキーワードのレメディ。 実は1週間ほど飲んでいた。 まりさんの言葉ひとつひとつに納得しきり。 こちらはまた別でいつかアップするからお楽しみに。 スクレランサスがまた遠くに住む大切なともだちのように感じられた。 そこからたくさんメールを返しながら帰宅。 息子は回転寿し希望だったので、家族ですし銚子丸へ。 あぁ、このしあわせなひととき。 息子は春から鉄道高校へ。 それはそれは楽しいだろう。 でこぼこした中学をなんとか越えて、ぞんぶんに楽しんで欲しいな。 受験当日、雪が少なかったのは、産後クラスの生徒さんが写メで送ってくれたてるてる坊主のおかげだと心から信じている。 ねぇ、息子。 会ったこともない誰かに、あなたもうんと支えられているんだよ。 それはもう涙がでそうなほどにね。 おめでとう。 夜はまたたくさんメールし、電話する。 明日は産後クラス。 久々のバランスボール。 娘にオイルケアをする。 ストーブのような娘の温かさに、足をすべらせて眠った。 目には見えないけれど、今日も誰かに支えられ、明日も誰かとつながれる希望を持ちながら、眠った。
2013.01.24
今朝メールを開いたら、たくさん愛のメッセージをいただいていた。 ひとりのクラニオのクライアントさんは、「スーパーマンはわたしの中にあるんですね」と。 二週続けてまぶだちマキさんのヨガに行った。 言葉はなくても、彼女がわたしを勇気づけてくれていることがアーサナを通して、説明する言葉を通して、震える心を抱えたからだに浴びるように感じて、ときに泣きそうだった。 愛を受け取る素直さを忘れないように。 そして、また今週も、出会うたくさんのひとたちを、愛していこうと。
2013.01.21
どれだけ誰かに支えられて前を向くことができているかと思う。 産後クラスであぁすっきりしたと言われ、ミニトリートメントの後であぁ気持ちいいと言われ、お顔がすっきりして目が輝いてた生徒さん。 ワークショップの感想で、自分が人生で大切にしているものに気づき、だからこそ今の不満の原因が見えてきて腑に落とせました、というメッセージをいただいた。 その合間合間に、メールでいろんな思いを分かち合え、つながったと感じられるメッセージが届き、帰宅すれば願書提出してやれやれな息子が寝ている。 受験当日の22日、雪のマークなんだよね、と言ったら、「じゃ、うちでもてるてる坊主つるしますよ〜」と言ってくれた生徒さん。 今日はパパが夜勤だからママと一緒に寝てあげる、という娘。 愛がいつもそそがれている、星のように。 触れるとひとつひとつが、じんとする。
2013.01.19
思うところあり、娘の学年のお母さんたちとヨガをしながらお話を。 会議室だったから、イスヨガ。 胸に思いを抱えていたひとが多いと感じたので、胸や脇をひらき、伸ばし。 骨盤を動かし、ペアになってからだのタッチケアを。 息子の学年のお母さんたちもプチ更年期ヨガの会をしているけれど、この学年でもやってみようかな。 ヨガを終えて、お茶をしながらいまそれぞれが思うことを交わし合った。 卒業まであと1年、こどもたちが、小学校は楽しい思い出がたくさんあった、そう笑顔で卒業していけるように。 この1年、安心がいつも胸にあり、安定した学校生活を送れるように、親ができることはたくさんある。 仕事をしていてもしていなくても、こどもたちにできることはたくさんあるのだ。 顔もわからないお母さんがいるのは、わたしの無関心でもある。 知らなければ、こちらから挨拶すればいい。 たったそれだけのことを、おかしな遠慮や勇気のなさで、スルーしてしまってきた。 何か問題があったとき、親同士、顔が見えていたら、「しばらく見守ってみましょう」は、同じ意識を共有しながら、まさに見守れる。 だけど、親同志のつながりがなければ、問題のある子や親がただ孤立するだけなのだ。 わたしたちはつながらずにやってきてしまった。 だからこの1年は、思いきってつながってみようと思ったし、いやもうそんな悠長なレベルではなく、「助けてください」と絶叫したいくらいなのだ。 あなたの声が聴きたいのだ。 つながるための、今日はちいさな勇気をふりしぼった一歩。 (あ〜〜〜〜〜緊張した〜〜〜〜〜〜)
2013.01.17
生来食いしん坊なわたしは、今日から断食するぞ、というモードで断食はできないのだけど、なぜか年明け早々になると、朝起きるとふっと、からだが断食モードに入る。 お腹は鳴るけど空いているわけでなく、お白湯とかドライいちじくとかちょっとかじりながら、一日を過ごす。 とっても食べ過ぎだったから、からだの針が振れきったのかもしれない。 今日は終日クラニオセッションだったのだけど、わたしのからだが断食モードだったからか、いつもよりもさらにいろんな発見を、クライアントさんと確認することができた。 たまたまだったのかもしれないけれど、「これがクラニオ」という感覚を、わたしも彼女もすっかりと味わうことができ、そのときにちょうと日が窓から射してきて、本当にすばらしいひとときだった。 バッチ+クラニオの凄さをやっと感じることができた、という方も。 まさに劇的に。 わたしたちは、案外自分の内側に、厳しく自分を監視しているもう一人の自分がいたりする。 幸福になっちゃだめよって。 伸びやかで、素直であろうとする希求を、禁止してしまう自分。 厳しい自分がいなくなったのだ。 これはバッチフラワー27番目のレメディ、ロックウォーター。 もちろん、これまでのセッションの積み重ねで、少しづつ作用していたと思うけれど、からだと心の準備が整うと、あるとき一気に変化するのだ。 ひとって、なんてちからを内包しているのだろう。 なんだかね、感謝の気持ちしかわかなかった。 さて、断食。 3日目に回復していく予定。 でも4日目はヨガのインストラクタークラスがあるから、うわ〜そこまでやってみる?と思ったけど、ヨガの宿題と前日のワークショップの準備があるから、脳がブドウ糖を欲するかもしれない。 いやぁ、これも思い込みだけどね〜!
2013.01.16
受験本番まで1週間。 親のできることは、あったかい滋養あるご飯を作り、アロマケアやクラニオをし、バッチをのませ、がみがみせず、マスクをして、当日無事に送り出せること。 やはり緊張感が少しずつ高まってきました。 未来の夢への最初の切符。 親のほうが深呼吸したほうがいいんだな、というのが実感です。
2013.01.15
If egg is broken by outside force, life ends. If broken by inside force, life begins. Great things always begin from inside. 卵は外側の力で殻を破る時、命は終わり、 内側の力で殻を破る時、命は始まる。 全ては内側から産み出ずるものなり。 友人であり、ヨガを学び伝えているマキさんから教えてもらった言葉。 マキさんの師が、マキさんに伝えた言葉。 わたしはいま、朝起きるとこの言葉に勇気づけられ、仕事の合間に確認し、夜眠る前、心で唱える。 この一年を越えられるだろうかという不安。 怖じけづきそうな心に、何度も震えながら覚悟を決めて、誰かとつながっていけるだろうかという、祈りとおそれの中にいて。 それでも、わたしの中にはちゃんと力があり、どんな状況であろうとこの世界とつながってみようという、これまで生きてきて得た不思議な素直さもある。 誰かにも支えられている。 いのちが続くいうことは、目には見えない、顔も名前も知らない誰かと誰かの、不断の努力の積み重ねで、ある意味奇跡の連続なのだと、感じることがあった。 これからのわたしの仕事は、ひとがどれほど思い込みで判断し、別の道を思わず、生きているだろうかということ、 それを、伝えていくのだろうなと思う。 だけど、いまもなおある自分の中にある臆病さ。 それをずきずきと感じながら、もうひとつの道を、歩いてみようと思っている。 確かに、わたしの中に、まだ出会ったことのない世界を、うっすらとだけど、感じることはできるのだ。 わたしの臆病さは、思い込みでもあり、そこから外れてみようという震えでもあり、ひととつながって生きてみようという、内側からのちからなのだ。
2013.01.13
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