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やっぱり今年も30日すぎてから年賀状を書いているわたし。ここまで遅くなると,開き直って,ひとこと添えるメッセージにこころをこめてご挨拶したいなぁなどと,ゆっくりアドレス帳を眺めて。 小学校の頃からの文通相手のさちこさんとは10年前に一度だけお会いして,それからまたずっと年賀状のやりとりだけの仲。でも手紙はお互い100通近く出し合っているから,青春時代をいっしょに刻んできたともだち。ばあちゃんになっても年賀状だけは出し合いたいなあ。 恩師や部活の友達も,湯布院時代のあつい友達,エステ時代の気のおけない友達,保育園ママつながりや上ちゃん(パパ)と結婚したことで親戚になったおじさん,おばさんたち。結婚のお知らせパーティのとき,上家のメンバーになれてめちゃくちゃ感動して泣いてしまった恥ずかしい思い出。パパの親戚のひとたちはみんなユニークで人情に厚い。自分の人生のある時期にあつい思いを分かち合ったひとたちばかり。 来年はこのひとたちに年賀状だけでなく,手紙を出そう。どう考えても,「あなた」なしでは考えられない時を過ごしてきたし,その積み重ねで,いまのわたしがここにいるから。
2003.12.29
向田邦子の「夜中の薔薇」というエッセイの中の一遍。 高校生の頃から折りに触れ,ページをめくってきた。ちいさな人生に背中を押して欲しいときに読んできた気がする。いろんなエッセイの中でわたしのNo.1。 向田さんの22の冬の話。 気に入った手袋がみつからず,手袋なしでひと冬を過ごす。始めは何の気なしにやりすごしていたのだが,周りは彼女がいつまで手袋なしで過ごすのか賭けをする者まで出てきたり,何となく後に引けなくなってきたという。ある夜,残業を一緒にしていた上司から出前の蕎麦をごちそうされながらこんな一言を忠告される。 「君のやっていることは手袋だけの問題ではないかもしれないよ」独身の彼女の姿勢がやや頑なに映ったのだろう。この先何度でも訪れる人生の転機で,女の普通のしあわせも逃すのではないかとやんわりと指摘される。 その夜,彼女は会社(銀座あたりだったかな)から自宅(杉並あたりかな?ちょっとうろ覚え)までを歩いて帰った。帰り道,家々から伝わる家族の温度を感じながら,自分は一体何をしたいのか,湯船からもれる赤子の声,食卓の匂い,それらのひとなみの幸せと,自分の気持ちを推し量るように。凝り性で意地っ張りでええカッコしいな自分。本当は何をしたいのか,どこへいきたいのか。 そしてこんなことを思う。このままでいこう。自分のいやだと思うこの性格ととことんつきあおうと。いままでタブーにしてきたことをを全部やってみようと。それから彼女は雑誌の仕事をしながらラジオのシナリオを書き始め,睡眠時間4時間というような生活を始める。稼いだお金はスキーや旅行,映画や趣味にみんな消えていった。自己投資なんて言葉の無かった時代に。結局生涯をその生き方で通すことになる。強烈な孤独感もあったろうし,晩年は癌の再発に脅える彼女の背中も想像できる。エッセイはこんな言葉で終わる。 「気に入った手袋が見つからず,風邪をひくまでやせ我慢した22の冬以来,いまだになにかをさがしている」 わたしにも,さがしているものがある。家庭を持ち,普通の幸せもそうでない感情もいっしょくたになりながら。さがしものが何かも知っている。やりたいことは片手ではおさまらないほどにあるが,待てるようにもなった。だけどもう,待つ,待たないのレベルじゃない,さがしものを求める気持ち。ここひと月くらい,ずっと胸がじんじんと痛い。
2003.12.26
25日の朝,息子のプレゼントをつくっている。ひらがなの電車の路線図。よく乗る沿線を中心だけど,昨晩もいきなり「はいじまゆきってあるよねー」とか言って詳しい位置を知らなくていまチェックしたところ。最近は千葉方面の京成線も話題に出るようになったから,だんだん電車おたく化がヒートアップしている。井の頭線や世田谷線はほほえましくてとてもいいなぁと駅の名前を書きながら思う。さて,あともう少し。 というわけで,息子はとても喜び,保育園に行くぎりぎりまで眺め続け,帰ってくるとまた路線図を広げ,ご飯を食べ終えるとまた眺め,とよかったなーと胸をなでおろすパパとわたし。2月の6歳の誕生日はパパとわたしの共同製作の絵本。あらすじはほぼ決まっていて,息子(設定小学校1年生)が2歳半の美琉ちゃんを連れておばあちゃんの家まで二人旅する話。美琉ちゃん連れというのがポイント。これが乗る電車を間違えて,不思議な国の駅に迷い込むという感じ。あー,親ばかだなー。 パパへのプレゼントは,奥田民生のライブDVDと三谷幸喜の新作エッセイ。三谷ファンの彼はほとんどの作品を観てるので,うれしーを連呼してくれた。伊東四郎とか沢口靖子とか出ている「バットニュース・グットタイミング」はなーんにも考えなくて楽しめるよ。もうとにかく観てって!紅白の時間あたりに。これで年越しっていいかも。シアワセ感いっぱいで,腹を抱えながら。いいかも。 クリスマスは「素晴らしき哉,人生」を観ようねと約束したのが結婚当初。2年しか果たされず,息子も大きくなってきたから,日本語吹き替え版を探して,来年から復活したい。フランク・キャプラものはちょっと正々堂々しすぎるところもあるけど,わたしの基本リスペクト。パパは勿論ビリー・ワイルダー! 奥田民生のユニコーン時代の曲は大掃除のBGMに丁度よかった。このひと天才だよなーと思ったのは「すばらしい日々」を聴いてから。それからのファン。「息子」ラスト近くのたたみかけるような言葉の扱いが鳥肌もの。「さすらい」みたいなハナシをつくりたいー,って唸ってた頃もあった。谷川俊太郎と同じ匂いがするんだけど。 23日は笹塚でカップルクラス。なんせ初めてのことだったので,落ち着くことができず当日を迎え,渾沌としたまま終わってしまった。まとまりはなかった。だけど,帰りの電車で松田さんのお母さんの作ったクリスマスケーキを抱えながら,シアワセ感が確かにあった。終わったという感慨ではなく,まとまりはなかったけど,アミーゴという懐の深さと温かさをクラスで感じたからだ。ほんとに渾沌としてたけど,あの場にはちいさな思いやりやユーモアがたくさんあった。3さいのお姉ちゃんはしっかり妹を気遣っていたし,そのお子さんを他のパパが高い高いしてあげてたり,乳腺炎がやっと回復した人に対する思いやり,1月に産休明けで仕事復帰される人に,アミーゴのスタッフのsさんは不安が軽くなるような言葉をおくっていた。その方のご主人は入れ替わりに1カ月育児休暇をとるそうで,アミーゴでベビーマッサージに通うかもしれない。いきなり児童館といっても戸惑うばかりだろう。アミーゴって,松田さんのお人柄が大きいとおもうけど,そこに集まるスタッフの方たちもみんなオープンだし,敷居というものがなくかつ必要な情報とその手段が常にある。なかったらスタッフが楽しみながらつくる。この懐のふかさ。カンガルーのポケットみたいだなーと思っている。 それにしても,男のひとのからだの硬さには・・・。こんな硬くなれるのね,ひとは。今回はペアストレッチをやってもらった。産後はパートナーのからだをどんどん触って欲しいもの。ただ撫でてくれるだけでいい。一番わかりあいたいひとだから。いつも自分の感じた幸せをわかちあいたいひとだから。ただ撫であうだけでも,ゆるんでゆくよ。
2003.12.25
という糸井重里と鈴木慶一のうたがあって,息子が3歳の頃よくうたっていた。朝も夕も,井の頭公園を自転車でつっきりながら,息子もいたく気にいってのりのりでうたっていた。 下北沢の治療院にその鈴木さんがやってきて,たまたまわたしがマッサージすることになった。ニットキャップマンのうたの話をすると鈴木さんは,この話,HPで書いていい?と言った。3歳の子がそらで全部うたえるうたを創れる鈴木さんメロディラインも,糸井さんのおかしな世界観もステキなのだ。わたしは矢野アッコちゃんバージョンが好きだけど。 先日の日記に書いた俊太郎さんの詩を口遊んでいたら,一番ステキな部分が抜けていたので補足。 夜になれば星をみる 昼はいろんなひととはなしをする そしてきっといちばん好きなものを見つける 見つけたらたいせつにして 死ぬまでいきる だから遠くにいてもさみしくないよ うーん,いいうただなあ。ちょっとさみしさもまじってるけど,あこがれのうた。ちょっとさみしいかもしれないけど。
2003.12.22
谷川俊太郎の詩に「さようなら」というやるせない作品がある。ちょっとうろ覚えなんだけど,こんな感じ。 ぼくもういかなきゃなんない すぐにいかなきゃなんない どこへゆくのかわからないけど 桜並木の下を通って 大通りを信号で渡って いつも眺めてる川をめじるしに ひとりでいかなきゃなんない すぐいかなきゃなんない どうしてなのかしらないけれど おかあさん ごめんなさい おとうさんにやさしくしてあげて ぼく好き嫌いいわずなんでもたべる 本もいまよりたくさんよむとおもう 夜になれば星をみる 昼はいろんなひととはなしをする ひとりでいかなきゃなんない すぐにいかなきゃなんない だから遠くにいてもさみしくないよ と,こんな詩だったような(俊太郎さん,ごめんなさい)。 こんな世界をシナリオで描きたいなーと,いつも俊太郎さんに嫉妬している。どうしてなのかしらないけれど,生きていれば何かが背中を押して,自分をどこかへ誘う。それが何処かはわからないまま。あたたかい世界ではないかもしれない。でも,わたしはこの「ぼく」に羨望を抱いている。いくつになっても,いまのいろんな役割を担っている自分をこの瞬間全部捨て,自分を全く知らない世界へ,という衝動のようなものはある。いまの自分を客観的に見つめるためにも。(これは言い訳かも)ま,この詩は素敵さはもうちょっと違うところに感じるけど。 うーん,だけど家族を営んでいるオトナはほんとにどっかいってもらっては困るから,時々一週間くらい何処に行ったか聞かない,聞かれない秘密があってもいいなあと思う。ま,いまどっかに行っちゃうとおっぱいぱんぱんになるから一泊二日くらいか。
2003.12.19
二人目にして子育ての喜びのようなものを日々感じて,毎日がとんでもないびっくり箱を開けてる楽しさ。美琉ちゃんの天心爛漫さを長男とパパと分かち合えることがとてもいい。アイディアマンのパパゆずりで唯人もレゴブロックでかっこいいいオブジェをつくったり,ケーブルカーをつくったり。レゴ大賞があったら審査員特別賞ものだ。 アミーゴの松田さんのきらきらした赤ちゃんを見ているともうひとり家族が増えたらすてきだろうなーという欲望が。パパはふたりの子をじっくり育てていこうといってるんだけど,パパの子なら何人でも欲しいというのが本音。年齢や仕事のバランスもあるから,せめてあとひとり,わたしたちのもとにやってこないかなぁ。こどもたちにいのちというものを伝えたい思いもある。 美琉ちゃんは陶器製のおもちゃの靴に足を入れようと真剣にトライしたり,ノリノリでダンスしたりポーズもすごくいけている。お兄ちゃんのやることなすことをみーんな真似っコして,時にはお兄ちゃんを泣かしてそしらぬ振り。そんな妹をちょっと手荒いけどしっかり見守っている唯人も少年の風貌に変化して,こんな一瞬一瞬をパパと分かち合えることがたまらなくじんとくる。じーんと慈しみのような気持ちに溢れる。いまは正方形のこたつの天板四隅があればおさまる家族。充分だけど,もしできるならだ円や長方形のテーブルの家族をひそかに想像している。
2003.12.16
アーッという間に日々が流れてゆく。いろいろ感じることはあるけど,毎日更新してる人ってすごいなー。忙しいひとほどちゃんと発信してるから,いやもうハハーってひれ伏してつつ,さてわたしも。 明日は笹塚のクラス。現在参加されている方々は子育てしながらも育児サークルを立ち上げたりお手伝いされていたりと,頼もしい面々。可愛いけど大変,大変だけどでも・・・,そんな育児中の様々な心模様を吐露できる場を同じ赤ちゃんを抱えた女性が提供するって,じんとくる。 こんなのあるよーって,産後のクラスで覚えたセルフケアを集まったママたちに伝えて,からだもじんわりできるととてもいいと思う。基本的にお話を交歓しあうと思うけど,その場でできるカンタンなヨガとか操体法をどんどん覚えてシェアできると,わたしも嬉しい。 調布クラスの生徒さんが,クラスが終わって電車を待っている間,カラダがシャンとして久しく感じていなかった心地よさを味わいました,と。まだまだ自分の納得ゆくクラスには遠いけど,この感覚を取り戻してくれたらもうそれでわたしは充分だなぁ。これに尽きるかもしれない。 長男は来年1年生。夜の30分くらいひらがなを練習中。特定の字は書ける。たとえば「けいおうせん」「リフトのりばはこちらです」「東京行き」←このへんは字でなくて図形という感覚らしい。 いまは小学校にあがる前から字が書けるのは暗黙の了解らしい。わたしの頃は自分の字がやっとだったけど。そうそう,いまは中学で英語の筆記体も教えないらしい。(公立の場合)時間がないんだって。テストも中間テストが少なくて期末のみで範囲が広くて前日徹夜って子はひーひーいってるらしい。2学期制のところもある。自分の子どもの頃とはどんどん変ってきていて,なんだか浦島太郎な気分。もし長男がこのまま純粋に電車おたくの道に進み,井の頭線の運転手さんになったらそれはそれでしあわせなんだろうな。指さし確認して,電車好きな子どもに手を振って。こんなふうに想像できるいまがまあしあわせなんだけど。「運転手さん,今日も一日頑張ってください」とホームの最後尾から見送る彼は,最近結婚相手が誰もいないと嘆いている。暴君だから申し込むとその場でいやっていわれるらしい。ママか美琉ちゃん(妹)と結婚するしかないとがっかりしてほほえましい。
2003.12.15
大学を卒業後,大分の湯布院の特養老人ホームで働いていた。彼,シンカイさんとはそこの同期で同じ釜のメシの仲だった。 湯布院よりもう少し山奥の湯の平温泉というところにある小さな川に惚れた。空手部の合宿先の候補地で訪れたのだがあのゴウゴウ流れる川がおいでおいでしていたのだ。シンカイさんはそこの魚屋さんの息子さんでもあったから,わたしたちはすっかり意気投合してバカ騒ぎを始終やっていた。 彼のいるところ,いつも陽がさしている。それも相手によって,めちゃくちゃアツイ太陽だったり,ささやかなひだまりであったり,とても自然に。 東京の友人が湯布院を訪れると必ずシンカイさんに案内してもらい,バカ騒ぎし,友人たちはたちまち彼のファンになって帰っていった。彼に関しては上手い表現が出来ないのだが,世界中,みんなのまぶだち,とでもいえばいいか。 いまは湯の平で美しい奥様とペンションを経営している。リピーターが多くてありがたいと聞いたことがあるが,また会いたくなるひとなのだ。一見単細胞っぽいのだが,楽しさ満載の心配りができるひと。ラグビーでならしたフットワークのよさが溜息まじりのひとの背中を押してくれる。 あのひとがいると思うだけで,こころがあたたまる。男や女,その枠を越えてシンカイさんを愛している。あのまちのひとは,シンカイさんに出会ったひとはみんなそう思っているんじゃないかな。 もし物語をつくるなら,あんなひとを必ずどこかで登場させたいといつも思う。なんというか,ひとは信じられるものなのだっていうことと,やはりわたしのお守り的なひとなのだ,愛しているのだ,海と同じくらい深く。
2003.12.10
ふとふとamigoさんが主催?する明日からの連続講座第1回目は,amigoの1階にある「大きな木保育園」の藤井先生が登場。チラッと概要を聞いたのだが,大きな木でははいはいする子も原っぱや公園で土と戯れるんだって。勿論膝あてとか靴下とかでカバーするんだけど,何だか目からウロコで,想像したことがなかった,はいはいで土の上で遊ばせるって。想像力なかった。がー,うちの下の子はもうじき2歳だーって。 そういう子は体に変な力が入っていなくて,リラックスすることも集中することも上手くなる。そうだなー,うちの長男も力入りまくりな気が・・・。わたしもダンスとかヨガとかやるたびにいかに無駄な力に翻弄されているかって溜息がでるけど,親が力はいってれば子どもも力抜けないよなーって思う。 11日行こうって思ってたら,自分のクラスがあるんだって,すっかり忘れてた!どなたか行かれた方のお話を楽しみにしよう。 場所は明大前,amigoそばの松原地区会館。詳しくはふとふとamigoさんのトップページを!
2003.12.09
ライチさんのところの新しい講座,操体法が面白かった。 快方向にゆーっくりと筋肉に刺激をあたえてあげるのだけど,どんどんからだがやわらかく楽になってゆく。これは使える!ヨガの前にするとさらにいい。余計な筋肉の事故も起きなくなるね。講師の先生は百千錬磨って感じの茂貫先生。からだからチカラを抜くってことが意外に出来ない。快方向が判らないひとはからだの感性が鈍っている。ちょっと地味だけど奥は深いぞ。ひゃー,やわらかくなってる!笹塚クラスでも試してみよう。
2003.12.05
まりさんから手紙をいただく。最近はメール先行で手紙なんて3カ月に一度書くかという筆無精になってしまったわたしだから,とてもしあわせな気持ちで封をひらいた。そこには日々の丁寧な暮らしを過ごしている彼女の呼吸がおみやげのように存在していた。森のような公園を歩く,その奥にある図書館で大好きな本と出会う。お子さんとの時間・・・。静かだけど,森のような深い佇まいを想像させた。そう,まりさんは花よりも葉,森の,まだ知らない場所にひっそりと雨粒を宿らせる葉を想像させるひとだ。だから,ほーっとしてしまうのだ。彼女の前だと深呼吸がうんとできる。大切なともだち。
2003.12.04
火曜日は笹塚で産後のフィットネスクラス。先週は天候不良で風邪でお休みされるひとが多かったこともあり,クラスもお休みした。でも,これでいいのかなぁという甘さのような気持ちが喉元に引っかかっていた。 前日は東中野までヨガ。まゆみ先生の年内最後のヨガ。雨は結構な雨量,終日降り続いていた日。わたしはというと,美琉ちゃんをおんぶして,長男を保育園に送りとどけた後,ダッシュで電車に乗り,スタジオに着くまでにいろんなことを考えていた。 雨なんて全然気にならなかった。とても楽しみにしている自分がいた。 やっぱり先週のクラスをお休みした自分の判断は一方的だったかもしれないと思っていた。 スタジオに着いてまたまた驚いた。今までで一番参加者が多かった。雨の中,どんどんこんにちはー,ってやってくる。 もうがーん,とちょっとクラクラしていた。クラスが魅力的でそのひとにとって大切なものならば,雨でも風でも楽しみを共有したいという気持ちが背中を押して,ここまでやって来るのだ。勿論子どもが元気なら,だけど。参加者側の選択の余地を頭に入れておかなかったわたし。 ヨガのクラスはとてもよいムードで,筋肉のきしみを堪能し,ときに笑いも交えつつ終わった。あー,名残惜しい。来年のクラスがまた楽しみだー。みんなとてもしあわせな気持ちでいるように感じた。初対面の方やそんなにお互いのはなしをするわけじゃないけど,ちょっとしたコミュニティを共有できる充実感のようなもの。自分のカラダと面白いくらいアクセスできるまゆみ先生のヨガと,その場を提供してくれたライチさんがいて,いろんなところに住む知らないひとたちが集まってひとときを楽しむ。少しずつお互いを知ってゆく。その小さな幸福感。 帰り道も雨だった。でも雨にうたうような自分がいた。そうなのだ,自分のクラスもこの気持ちを生徒さんたちが感じてくれたらいいなっていうそんな気持ち。なんというか,今日,カラダで判ってしまった。 ライチさんからメッセージをもらって,またそうかー,と消化できたこと,講師の側にまわっても講師もクラスの参加者,クラスは生徒さんと講師両方のコラボレーションなのだなー。そうなのだ,そうなのだ! 火曜日当日の笹塚クラスは抜けるようなどこまでも青ーい空で,ちょっとした自分のなかの再スタートのような思いがあった。先月から参加されているIさんの姿勢がとてもきれいで表情が華やかになっていた。こういう変化を分かち合えることで気持ちも潤む。クラスも体系的に教えられるようになってきたから,これからも楽しみなのだ。 まだ終わらない(長いなー),午後,松田さんのおばあちゃんのケーキ屋さんでランチ。もうきのこのキッシュを頬張った瞬間,あたま溶けました。世界中のみんなと味わいたい,なんともしあわせなアフタヌーンセット!笹塚の甲州街道からちょっと横道に入った赤い看板の「紅」というケーキ屋さん。その日の夕食はこころを込めて作ってしまいました(いつもそうしろっ)。 アフタヌーンセットを頂いたシアワセ感とHIP HOPの後の爽快感がほとんどおんなじなことに気づいた,がー,シアワセに溢れてるじゃないか!
2003.12.02
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