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〇いわさきちひろさんの絵を好まない人は居ないでしょう。 あのふんわりとしたこどもの世界、を見事に表現するには幾つかの秘法がありました。1)一気に描く →書道から画家に変ったちひろさんは、 書道の一気に引く線に冴えを見せる。2)渇筆 →書道のカスレ手法3)「にじみ」と「ぼかし」 先ず画用紙をまんべんなく濡らし、その上に水分を多く含ませた水彩絵の具を何色かおく。髪を乾かすドライヤーを使って判乾きにする。この時、絵の具は好きな方向へと飛ばせる。そして半乾きの絵の具の上に水を垂らす。これでにじみの上に、さらににじみが生まれる。同時にドライヤーの風で絵の具を好きな場所まで移動させながら、絵に仕立てる。 ちひろさんの絵には、こういう技法が使われていた訳ですね。(参考図書:『迷宮美術館 第5集』NHK編)
2021.06.30
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〇生花に、あの小野妹子が登場するなんてご存じでしたか?花の小枝を手折って瓶に挿し、室内に飾り自然の美を取り入れた風習は既に平安期の文献にあるようですが、この瓶生花は元来、仏への供華から始まっており、仏教の伝来とセットで小野妹子が関わっていた模様。 武家社会の鎌倉期になると、人を殺める無常観から野辺の草花にまで心を寄せるようになりました。室町時代、銀閣寺で著名な足利義政の頃、相阿弥真相が華道に秀で、村田珠光の茶道と時を同じくして元服の花、出陣の花、祈祷の花、三具足の花などという形式を固めて行き、(文献としては谷川流が古いものの)その伝を受けた六角堂の執行・池坊専応が池坊流派を興すに至りました。秀吉の時代には茶人として名を成した千利休は、茶道と一体化した華道家として注目するに値する人物でした。
2021.06.29
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〇大正時代、電気事業社と定額灯の契約を選んでいた一般家庭では、夕刻から送電が始まり、夜明けに切られたので、日中は電気とは無縁の暮しだったようです。夜間は使い放題とは言うものの、総使用量枠があり、使用できる電球も電力会社指定の製品しか使えませんでした。当時の子供や乙女にとって、半畳足らずの狭いトイレには、五燭といわれた薄暗い電球がねじ込められていたので、こわい小説を読んだ後や恐い夢を見た後に家の一番奥にある便所は、ぽっかり穴の空いた便器の下から青白い手が伸びてくるような錯覚がして恐かったようです。 西院にある春日神社の皇太子(のちの昭和天皇)ご生誕祝賀記念の鳥居は西院電燈使用組合によって建てられたものです。
2021.06.28
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〇古来より水も滴る好い女などと美人の喩えに使う麗句がありますが、 人体には体重の半分から3分の2を占める水分があるとか。その大半は細胞内にあり、また細胞周囲に8リットル、血液中に4リットルの水分があるようです。体が正常に機能するには、これら水分が一定レベルに保たれる必要があります。その役目を負うのが腎臓で、1日に150リットルもの血液をろ過し、99%を血液に戻して再利用させ、余分を体外に排出しています。 ここで注意すべきことは、運動などで大量の発汗による水分の不足は、運動後に必死で飲んだ水の量だけではかなり不足するという事にご注意下さい。
2021.06.27
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〇亡母の従妹が富士市に旅館を営業して居られた。武者小路実篤も好んだというユニークな旅館で、敷地内に何ヶ所も離れ家が散在していて、泊り客同士のプライバシイーが尚更保てることや母屋から自分達の離れ家に下駄履きで移動するところに趣きがありました。現に、長女が5年生、長男が3年生の頃、父母と兄弟4人の5世帯が一緒に伊豆半島や富士辺りに旅した折、この旅館を使わせて貰いました。 父母の離れ家、長姉家族の離れ、次姉の家族、わが家族、そして妹家族のお離れなど5つの離れ家に分かれて泊ったのでした。
2021.06.26
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〇或る本に、明るく朗らかに人生を送るための秘訣は、「一十百千万」と書かれていました。<一日一回・・・自分を褒める。毎晩寝るときに、おのれを反省しては、最後に、けれどお前さんはよう頑張っていると褒める。><一日十回・・・腹の底から笑う。周りを笑わせようと気配りする。皆が笑えば、それは平和の証。><一日百回・・・深呼吸する。一日百回・・・深呼吸する。苛立ちや腹立ちを抑え、ゆったりとした気長な性格に変えてしまう。渡ろうする信号が赤の時は、深呼吸。エレベーターの”閉”ボタンをせっかちに押すことはしないで、深呼吸で間にあわせる。><一日千字・・・字(文章)を書く。電車に座れたら友人、知人にハガキをせっせと書く。ボケ防止。><一日一万・・・歩く。健康維持のため、メタボ防止の為、脳の活性化の為、効果がありそう。>それほど難しいことでも無さそうですね。
2021.06.25
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〇初孫は漸く丸ひと月を経ました。泣き声のボリュウームとその強弱、微妙な曲想があって感心させられます。卓上でも小型浴槽では嫌がっていた入浴でしたが、最近は直接風呂でママに洗って貰い、赤い肌して上がってきます。わたし達の時代と言えば、夏の風物詩、天瓜(花)粉の真っ白気の赤ちゃんや幼児。金太郎の腹掛けに、顔、おでこ、首、肩、腕、腹。全身これ天瓜粉まみれの童たち。 時代が変わって天瓜粉は今はご法度。白いクリームを塗りつけて貰っています。 天瓜粉しんじつ吾子は無一物 鷹羽 狩行
2021.06.24
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〇私にとって僅か二年間の佐賀市での暮らしは何ものにも変え難き大切な思い出の倉庫。校内に土俵のあった一度目の小学校、家には大きな枇杷の樹があって、夥しい収穫がありました。三学期には別の社宅に住み、赤松小学校に転校。学校の正門は「佐賀の乱」の砲弾痕のある佐賀城の砦門。御濠が校庭の先にあって、冬場には蓮根を掘る夫婦が無言で働いていました。 長姉は劇が上手く、「湖上の美人」?という演目の狂女役をシビアにこなし、学校中の評判。お前の姉さん、気違い?と同級から聞かれるほどでした。その姉が佐賀から大阪に転校するにつけ、担任の御厨先生に書いて貰った台本で、二つのお芝居をレコードに吹き込んで貰っていました。佐賀市内の玉屋デパートにエレベーターが出来る話題で佐賀弁ばかり。今もSP蓄音機で聴くことが出来ます。 その玉屋デパートの正面に飾られたのが花氷。これも忘れ得ない画像でした。 歌舞伎座のロビーの隅の花氷 北河 翠
2021.06.23
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〇出産の時、母体から出る「えな(胎盤)」を地面に置き、親がそれを踏んづけたら、子は一生親を畏れるという迷信。親が踏む前に蛇がちょろちょろと通ったから蛇を怖がり、饅頭がコロコロと転がったから「饅頭こわい(落語)」この出し物の枕で必ず引き合いに出されるのが「蛇」。左右に裂けた舌がチラチラする様には好感が持てませんから、蛇は気の毒。 子供の頃、父に連れられ今宮神社の夜店のテントを潜り、大きな錦蛇を見せられました。あの縞模様と湿気を伴ったねっとり感は今も覚えています。それに長い身体の一部が膨れていたのも不気味でした。 昔からの迷信で箪笥に「蛇の抜け殻」を入れておけば金銭的に恵まれ、衣装持ちになれるというので、蛇の皮が入れてあったのを覚えています。俳句は風雅な人々の縁るところ。「蛇の衣」と称します。 御仏の膝の上なり蛇の衣 一茶
2021.06.22
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〇街頭でいきなりテレビカメラとマイクを向けられても臆することなく、一般の人が対応しておられます。関西人なら、オチまであって玄人はだしとなる次第。しかし丸谷才一氏がその著『さくらもさよならも日本語』に書いておられるように、明治時代なら人々は黙りこくっていたようです。極端な例として夏目漱石の『虞美人草』の藤尾や『三四郎』の美禰子のように、華麗な台詞を口にしたのではなく、口籠りながら話していただろうし、殆ど沈黙していた筈で、イギリスの小説家ジョージ・メレディスのウイット溢れる心理喜劇風なタッチの文章を参考にした、ヴィクトリア朝後期におけるロンドン社交界の女性の風俗を文学的に美化された筆致を模倣したものでした。柳田国男氏が昭和十六年ごろの人々が多弁になったと評したにせよ、それは明治後期の黙ンまり時代との比較に過ぎないのでした。
2021.06.21
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〇寿岳文章氏の勧めで始められた町田誠之氏の随筆『和紙散歩』は面白い本です。 目次を見ても、紙と税、照々法師、樹下美人の図、出雲の漉き模様紙、和紙の風合い、小野小町と和紙、藍染めの紙、薄墨紙、おはらいの紙、秋燈の和紙、歌かるた、紙の笠、紙屋川などこころ惹かれる題が並んでいます。芭蕉「奥の細道」最後の地の会館では、紙子(紙衣)の着物が2種類展示してありました。歌舞伎の世界では落ちぶれて貧乏になった人の衣裳になっていますが、なかなかどうして、風流味のある召し物です。父もいろんな和紙を遺してくれています。早く、立派な句を詠んで、これと思った作品をそういう和紙に書き残しておきたいなと思ったのでした。
2021.06.20
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〇物置小屋から取り出したものか、記憶がはっきりしませんが、井上芳州画『美術応用 職工画譜 全』という和綴じ本が手元にあります。明治24年風祥堂蔵版、木村重三郎刊、銅版画刷。何と現在の価格は3,730円。本の真裏には日種孝三郎品と筆書き、〇印まで捺印された古書で、父が手に入れた経緯は不詳です。蛭子、大黒、源為朝、梶原景季、佐々木高綱、鍾馗、新田義貞、鐘を担いだ弁慶、信長、平重盛、楠正成・正行、西王母、桃太郎、群盲古器を評する図、酒呑童子、大きな象に乗っておられる普賢菩薩、中世の風俗絵、田植え、舌切雀、懸想文売、伊勢神楽獅子、春駒、越後獅子、十六羅漢図、天狗、乙姫その他動物など。
2021.06.19
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〇長引く新コロナ禍にあってストレス解消の妙薬は兼題の『全国味の宿100選』を繰りながら、待ち焦がれた旅行解禁となれば早々に旅支度して出かけましょう。一番手は三重の「魚重楼」の蛤、或いは鰻の「川八」。奈良なら「四季亭」や「菊水楼」。今は車が無いので行きにくいけれど丹後ちりめんの里、囲炉裏端料理。大悲山峰定寺近くの深山荘なら若菜摘みの天ぷら料理の「美山荘」など海辺m鄙びた山村の風土を味わえば、リフレッシュできますね♪
2021.06.18
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〇亡母は信心深い人でした。彼岸(あの世)と此岸(現世)とをはっきり区分していて、仏様用の物には細心の敬意を払っていました。毎朝水ではなくて専用の土瓶に淹れた茶を供えていました。手ぬぐいは台所用、洗面所用、トイレ用とを色分け区分し、家内もその意思を継いでいます。洗濯物は南向きに干すとか、洗った食器・皿なども南向き(これらは私が継いでいます)。自分なりのルールを守ることによって、母は全然苦しむことなく、あの世に旅立っていきました。
2021.06.17
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〇備前・美作五十七万石を領する中納言にまで出世した宇喜多秀家は関ケ原で戦った武将の中で一番長生きした人物でもあります。 関ケ原敗戦後、彼は伊吹山中に逃れ、変装して薩摩島津家を頼ってしばし潜伏。しかし、島津家が幕府に安堵されるや、その介添えの下、出頭。やがて八丈島流人第一号として流され、半世紀後八十四才でこの世を去りました。昔から流人たちは水汲み女と言って、島の女性を妻にすることが許されていました。しかし秀家は水汲み女ではなく、妻(前田利家の娘・豪姫)との間にできた次男(小平次)の乳母として付いてきた女性を、八丈島での妻としていました。いろいろこころ配りのできる優しい人物だったようです。
2021.06.16
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〇食事に於ける箸の使い方の例として、口に対して直角から押し込むという、当世の若い人が好む食べ方が主流になっています。では、箸の使い方として宜しくない振る舞いは幾つあるのでしょうか? 1)込み箸(箸で食べものを押し込む食べ方)2)噛み箸(箸の先を噛む仕草)3)ねぶり箸(箸の先を舐める仕草)4)咥(クワ)え箸(箸の先をくわえる仕草)5)せせり箸(箸の先を楊枝代わりに使う)6)かき込み箸(器に口をつけたまま、かき込む、お茶 漬け)7)寄せ箸(器を手で寄せないで、箸で寄せる)8)探り箸(底の方までオカズを掻き回して具を探す)9)迷い箸(何から食べようかと迷い、箸をあちこち動 かす)10)移り箸(一旦箸をつけた料理を食べずに、他のも のを食べる)11)刺し箸(食べものを箸で突き刺す)12)指し箸(箸で人や方角を指し示す仕草)13)涙箸(料理の汁気を滴らせ、卓を汚す)14)渡し箸(器の上に箸を渡す、ヘリの部分でも良く ない)15)叩き箸(器や卓を箸で叩く仕草)16)仏箸(てんこ盛の御飯に箸を突き刺す)17)拾い箸(箸から箸へとバトンタッチする仕草、こ れは火葬場での骨拾いを連想させます)
2021.06.15
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〇江戸時代の財布と言えば当然硬貨を入れるのだから筒状のもの。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の山崎街道のシーンで与市兵衛の懐からお軽の身売り金を盗み出す定九郎でご覧になっただろうか。あの縞模様の巾着は、ガイドの会の先輩K氏が素人歌舞伎のメンバーで、実際のものを見せて貰いました。 時代は下って現在はキャッシュレスとは言いながら、万円札千円札などの紙幣のほかに、クレジットカード、キャッシュカード、ポイントカードなど多種多様のカードを容れる財布に変わってきています。これが実は不便で、ズボンの尻ポケットから出すのに手間取るので、紙幣挟み形式の札入れと定期入れ、カード入れがセットになったものを愛用しています。
2021.06.14
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〇昔、木津川の流れ橋のことを書きましたが、実はこの四条大橋は、明治6年ごろまでの近世は浮橋(仮橋)だったとは今まで知りませんでした。明田鉄男著の「京都を救った豪腕知事 植村正直と町衆たち」によれば、四条大橋は平安時代からある古橋でしたが、<明治7月4月、祇園町の負担で京都初の鉄桁構造の橋となった。鉄材はすべて府立伏水製作所の提供である。この「自給自足」体制が、府庁・府民にとって大きな誇りだった。>とあります。祇園祭も町衆の力を見せる晴の舞台。京都の人間はケチではなく、お金の値打ちを熟知する商人の町でもあるのですね。
2021.06.13
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〇学生時代から家族ぐるみで宝塚歌劇を愛して来た父の影響で、長姉は高校生の折に「宝塚ふぁんコンテスト」というラジオ番組に出ました。風邪をひいていたのに歌は上々、初めて使われた狂言劇も上手く対応できて、黄金賞を貰いました。 父は生命保険会社を定年で退社、折よく昔の劇団人の紹介で京のノートルダム女学院中高等学校の教鞭をとらせて戴きました。その教え子3人同時に宝塚音楽学校に入学、74期生として晴れの初舞台に立たれました。成績1番の加茂うららさん(雪組)、月組の花園ゆかりさん、そして花組の嵯峨野ゆりさん。3人とも娘役。父はノートルダム女学院のお母さんPTAに俳句の指導をしていました。2度目の発癌で病床に居た父に、加茂うららさんには、遥々アメリカから実家経由で見舞いに来て戴きました。オーラー輝く御姿でした。
2021.06.12
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〇夫婦に授かった赤ん坊の育児については、知識も乏しく、必死に対処していただけで、今となっては記憶も薄れています。ところが初孫となると、可愛いさだけが先走り、寝ても覚めても様子見をしたり、あやしたり・・・。 最近気が付いたことですが、赤ん坊に対しては、声つきもソフトに、目や表情も柔らかく、大きな愛で包み込むように接します。それは相手が無垢の生き物だから?こちらに危害を加えるものではないと判っているから?父母その他、人は息を引き取ってから丸一日経た頃から現世のしがらみから解放されて、「仏」の顔に、穏やかな顔になって行きます。出来うることなら、向後、何人(なにびと)に対しても赤ん坊に接するような無垢の心で、表情で接したいなと、ふと、思ったのでした。
2021.06.11
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〇少年時代、レコード盤と併行して磁気を使ったテープレコーダーが生まれ、母の実家から父がお古を頂戴したものが印象に残っていますが、性能が落ち、ビリビリっと手に感じる漏電があったので父は自分のものを買い、爾来大活躍。自ら内緒で撮影した8ミリ映画(当初は音無し)と小型の録音機による音とを組み合わせて、例えば寿美花代が女装した「華麗なる千拍子」の舞台録画を我ら家族に見せていました。ウォークマンが大ヒットするや私もカセットテープに録音した音楽などを通勤途上で聴いたりしていました。今が更に小型の録音機がありますが、テープ起こし作業には、昔ながらのカセットの方が至便性に富んでいます。結社の大祭で講演された主宰の内容を俳誌「京鹿子」に載せるにつけ、何度も早送り、巻き戻しのできるカセットは私の良き相棒でした。現在も睡眠剤として落語など聴きながら寝入っています。先日中古の小型カセットデッキを2台買いましたが、何のことはない、家電ショップに新品が売っていました。
2021.06.10
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〇世の中変われば変わるもの。その一つに、小・中学校の先生の地位は現在とは雲泥の差があります。そこそこ大きな出席簿で頭を叩かれるのは当たり前、PTAと先生の懇談会、親睦会などでも先生は偉かった。戦後復興期から成熟期になると、国民の殆どがサラリーマンで住宅もアパート、団地が当たり前。そうなると、子供の家庭内での教育は母親が中心で、一流大学、大企業への就職目指して学校への注文が加速化し、教育熱心な夫婦はペアーで学校に乗り込んで来ては苦情を言うように変わってしまい、学校は校長中心=教育委員会中心の「新しいことはご法度、従来通りにせよ」思想に近く、やたら報告物や会議が増えるばかり。 昭和三十年代、子供の常備品であった二つ折にできるナイフ、竹ひごを削ったり、蒲鉾の板を細工するのに重宝したナイフ・肥後守は今や忘れられていますね。
2021.06.09
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〇多趣味だった亡父のお陰でわが家には「お宝」と言えそうなものが少々あります。三つのジャンルに分けると、俳句に関するもの、宝塚歌劇団に関するもの、そして美術工芸+私の作曲グッズ。俳句は野風呂翁初め京鹿子の俳人に関する書物、短冊、色紙等。ヅカグッズではまだまだ残るカセットテープ(劇場でこっそり父が録音したものやラジオ番組)、往年ポスターやカレンダー、加茂さくらさんから頂いた100周年グッズ、父がその都度買い求めた主題歌集、いにしえのレコードその他もろもろ。美術工芸では東北こけし及び作家の色紙その他、戦前戦後の歌舞伎写真、貴重な書物等。最期に私が平成4年晩秋から平成12年頃までデスクトップにて作曲した100数曲のカセット・MD、ディスケットなど。
2021.06.08
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〇天地湧き上がる五月、新緑に目が癒される五月でしたが、佳句に恵まれませんでした。深山路の奇しくも余花の泪いろ 或る歳時記に、残花は春の季語、余花は夏の季語とし、 新緑の山奥にひそと咲く余花の哀しさを説いてありま した。 そういう意味では余花残花と併せて詠むのには疑問符 がつきそう。駄句ながら下手すれば長寿は余花の身を晒す などとチャレンジ。紡錘の黒潮軍団初かつを 紡錘に無理があったようです。飛行機、新幹線など速 いものは空気抵抗を避けるため紡錘形をしています。夏はじめ古文書展ぐ長々と万緑の天地に応ふ大揮毫鶯の蟄居蟄居とかまびすし梅雨きざす花見小路のじゅらく壁初夏や装束司の細格子滔滔と碧き疎水や首夏の京など50句ほど詠みました。
2021.06.07
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〇某作家が散髪嫌いで、ついつい長髪に甘んじていれば、若者諸君から憫笑されそうだが、冗談じゃないと綴っておられました。世界の覇権を一手に握らんとする隣国・中国は漢字文化圏の大本ですが、その漢字に加えて日本独自の漢字つまり国字のほか、片仮名、ひらがな、ローマ字など語彙だけでなく表記法も多々ある日本語は実に奥行きのある、優れた文化を持つ国であると世界から注目されています。俳句を詠んだり、800字程度の雑文(これは俳句誌の編集に於いて空欄を埋めるのに至便)を綴る上で、電子辞書などは欠かせません。一つの語彙を調べたら、ついでにほかの言葉も調べる習慣を身につけることは大切だなと愚考しています。
2021.06.06
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〇類語辞典の「沈黙」の続きに逆の意味の「喋る」から順次、お喋り、喋り立てる、喋り捲る、言い捲る、捲し立てる、畳み掛ける、舌が回る、口を叩く、口に任せる、口を極める、口が酸っぱくなる、四の五の言う、管を巻く、捻くる、御託を並べる、言い過ぎる、過言、多言、贅言(無駄な言葉を述べる)、寡言、一言、呟く、囁く、ささめく、私語、耳打ち、耳語、口籠る、淀む、吃(ども)る、失語と続き、進言や談話、相談へと類語は際限なく・・・。
2021.06.05
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〇古今集の序に<小野小町は古への衣通姫の流なり、あはれなるようにて強からず、いはばよき女の悩める所あるに似たり、強からぬは女の歌なればなるべし>と書かれています。つまり衣通姫の御歌の筋にて、あはれとは愛する心なり。強からぬとは艶なる体なり。またよき女の悩める所とは、すなはち強からぬ心なり。この衣通姫と申すは允恭天皇の御后にて弟姫と申し奉れり。後の世に玉津島明神といはひ奉るこれなり。この衣通姫と姉ぎみの皇后との心の葛藤は、それだけで一冊の小説になりそうな程、哀れな人間模様がありました。
2021.06.04
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〇黄みどり色の薄そうな葉っぱから、厚みを加え濃い緑色ばかりの庭木に変わっていきます。椿の花やアイリス系の花はすっかり無くなって、三つ葉や無数の単子葉の草むら。射干(著莪)に代わって蛍袋の白提灯、紫ちょうちんがあっちこっちに。紫蘭が終わる頃には、庭石菖が芝生・小雑草の間につ~んと背伸び。やがて百合の花が数か所で咲き、暫くはおとなしい庭になりそうです。
2021.06.03
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〇この人誰ぁ~れ?古今の有名人を日本の名にかえてみました。いったい誰の名前でしょう。貴方のしゃれたセンスとトンチで当てて下さい。でも、男性でも女名前の人もいますからご注意。1)愛染波和(アイゾメナミカズ) 2)星 臨(ホシノゾム) 3)蓮戸 元(ハスドハジメ) 4)米戸 勉(ヨネドツトム)5) 間 渡 (ハザマ ワタル) 6)有崎愛子(アリザキアイコ)7)荒木三太(アラキサンタ) 8)橋戸張道(ハシドハリミチ) 9)安打 等(ヤスウチヒトシ) 10)安出 泉(ヤスイデイズミ)11)名保人絹(ナホ ヒトギヌ) 12)綿出素存(ワタイデモトアリ)13)江寺 尊(エデラタカシ) 14)四井雨音(ヨツイ ウオン) あて字って面白い。
2021.06.02
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〇今月16日に初孫誕生、20日に産院からこの家にやって来て以来、40年ほど忘れていた赤ちゃんを囲む生活。娘は夜な夜な泣く子の応対で疲労したまま朝方を迎え、落ち着く頃、5時半頃に私が起床。静かに雨戸を開け、洗顔等を済ませ朝食の準備。仏壇の水や供花の準備、大きな薬缶2個を沸かし、ポットに入れたり、茶を沸かせたり、食パン、珈琲・紅茶の準備、パンに挟むキウイやミニトマト等。オムツのやり替えやミルク遣り、それらの繰り替えしながら、家内も幸せそうな表情。赤ちゃんの瞳は市松人形の黒い瞳そっくり、まるで初恋の人に心奪われる如く。1時半頃には入浴。赤ちゃんはまた泣きじゃくりますが、あとは機嫌よろしい。この赤ん坊の母親が赤ん坊の折は強烈に喧しかったけれど、この赤ちゃんは優しいボリュウームで、四六時中泣きますが、何度も、顔をのぞき込んだり、話しかけたり、歌ったり。
2021.06.01
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