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〇「作るという行為は自分探しなんでしょうか」子供の姿を通して昭和という時代を描いた石井美千子さん。人形作家はわが国に多々おられ、どの作家の作品も秀逸な出来栄えですが、共通して言えることは、やはり自分探しのようで、どの人形も、結局作者の風貌に似ているように思えます。42体もの人形が醸し出す「嫁ぐ日」の作品の一部をご覧下さい。 (上の作品は題意と別です)
2021.05.31
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〇昨年来のコロナ禍にあって、欧米等に比べたら数量的には、日本は新コロナウイルスの蔓延を抑えているかに見えますが、それは一に良識ある日本の国民の殆どが政府や自治体の自粛要請に健気に応じていることに起因しているものと思われます。 しかも昨年来、施政者は口を開けば、飲食店に短時間の営業や休業を要請して来ましたが、メディアの解説者など、誰ひとり、営業場の賃貸人に大して、賃料の割引等の協力を提言した者は居なかったよう思います。飲食店の固定費の一部を占める家賃。只その収入と国民年金だけで生計を立てている個人賃貸人は別として、大手の不動産業者は多くあるテナントへの賃貸料を30%程度、割引して賃借人の倒産予防の一役を担うように政府や自治体から公的に要請すべきだと思っています。
2021.05.30
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〇串田孫一という登山家、名随筆家、装丁・挿絵画家をご存知ですか。中学2年生から烏帽子岳、三俣蓮華岳、槍ヶ岳、穂高連峰、上高地へ下った人物。彼の目はカメラマンの如く、自然美の極至なものを見つめ、364冊の自家製の本を世に送り出しています。まだ若き頃、小さな印刷所に日毎通い、初見靖一の筆名で『乖離』、『萍』、『牧歌』の著作を印刷所入りびたりで作った人物。旅先では写真を撮る代わりに、心覚えとして上着のポケットに入る小さなスケッチを描き、後年、それよりも大きめのB5判の画帳を持ち歩くようにもなり90冊ほど蓄えたようです。兎にも角にも随想文にそれらをまとめて1冊の本に仕立てることを無上の喜びとして居られた由。 私には点字をプチプチ打ち込んで、綺麗な広告を表紙にして、製本した盲人用の本が記憶に残っています。
2021.05.29
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〇戦国大名が定めた独自の家法(分国法)には相良、大内、今川、伊達(塵芥集)、武田の甲州法度などが著名ですが、手柄をたてた家臣が討死した→男子に跡職を継がせ、女 子ならそれを主体とし婿養子を取り継がせる。千姫が破談後、10万石を持ち帰った実例もあり、武士が罪を犯しても妻子には及ばず、但し逃亡した折には、咎を受けますが、死罪にはなりませんでした。戦国時代は政略結婚が主流で、嫁した相手国の情報を実家に知らせたり、実家からの命令をそれとなく実施する、謂わばスパイの役も兼ねていました。 中世の女性の職業は、豆腐売り、綿売り、帯売り、酒売り、大原女、米売りなど多様でした。
2021.05.28
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〇誕生が5月16日だから10日以上経っていますが、大きさは然程変わらず、体重は増えているように感じます。嬰児ほど無防備で不安な立場の生き物は無いでしょう。母親や大人が世話をするので、命の危険から護られる訳です。それでも耳の発達は赤ちゃんの表情や顔の動かし方で理解できます。これは母親の声、これは父親の声、ばあば、じいじなど区別できているように感じます。一方、視力については非常に晩生、光線の強弱、色の識別、形状の識別には相当な日数が要るようで、白いモノを近づけると寄り目になります。また、泣き方にも微妙な違いがあって、母親は不眠不休の対応のもと、誰よりも赤ん坊の気持ちに精通できるようです。 (画像はすべて借り物です)
2021.05.27
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〇毎朝、新しい水と新しい水を満たした供花を仏壇に供え、家族の無事と健康、親戚、俳句の主宰一家、同人会長、副主宰その他、地域に分けて拝み、ご先祖に感謝を表します。病弱、怪我を負われた方や病人・介護中の方々の回復を逐一祈っています。生きている限り、病気や怪我はつきもの。そこで置き薬が必要です。正露丸や葛根湯そしてコレステロール予防薬は冷蔵庫で保管。その他は納戸の棚の救急箱に入れていますが、昔日ほどきちんと揃えていないのが現状です。
2021.05.26
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〇句会の会場へは逆引き辞典や類語辞典は嵩張り、重いので専ら電子辞書を携行します。それでは十分に用途には足らないので、在宅の間に厚手の辞書を参考にしています。 扨て、偶々開いた頁には「沈黙」という語彙。黙る、黙(だんまり)、黙り込む、押し黙る、黙らせる、黙りこくる、黙する、黙(もだ)す、沈黙、無言、黙止、暗黙、黙秘、緘黙(かんもく)、ノーコメント、噤(つぐ)む、緘口、箝口(令)、言わず語らず、不言<実行>、絶句以上が挙げられています。作句する場合、噤むは辞書を引いた恩恵の一つなのかも知れません。因みに続きは、この反対語の類語があげられていて、内容的には、その方が面白いんです。
2021.05.25
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〇天王山から北へと延びる西山、その近くの丘陵地に棲んでいますが、新緑の美しい今の季節には、いろんな野鳥がわが家の庭で一休み。或る日、聞き取れないほど高音の金属的な鳴き声がするので、四方八方見渡したところ、ポスト近くの西壁、芍薬の咲き終わった根本近くに5羽ほど、見たこともない小さな鳥。 野鳥では何と言っても5月の連休明けから7月下旬まで、名調子の鶯。ボリューム満点、こぶしを効かせるなど、感心します。俳句では老鶯と称しますが、それは余りにも可哀想。
2021.05.24
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〇酒宴の座興には<扇一本手にもつならば 舞をまおうか、踊りをおどろか 絵か歌かこうか、七輪あおごか 光秀討とうか、ながながの浪人で・・・>と最後は扇を開いて、その上にものを受けるポーズで止めて、拍手喝さい。 扇ひとつで舞、踊りができるし、七輪あおいだり、蕎麦を啜ったり、槍や刀にもなります。それが証拠に寄席・演芸場へ行けば、不慣れな前座の落語から最後のトリまで、扇片手に見事な話芸で観客を満足させて帰します。王朝時代には笏の内側に読み上げる文章を書いた紙片を隠し持っなど、カンニング用のものが扇に代用され、或いは、他人の所作の重要なポイントを書きとどめたりされたようです。何せ折りたためる至便性は世界一、抜群ですね。
2021.05.23
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〇昭和41年5月22日、10時18分発の阪急バスで父と出発、国鉄「神足」駅から京都駅へ向かい、駅から貸切バスにて比叡山ホテルへ。この日の「京鹿子500号記念大会」の壇上で、父は募集大作の選考経過報告をしています。 8時半会は無事終了。京都の家に寄ってから帰宅したことも解りました。 3回にわけて綴りましたが、やっぱり日記って後年顧みるときに便利ですね。記憶の反芻になりますね。尚、500号の表紙裏は野風呂先師の 語らひは雛雪洞の消ゆるまでの扇面句。大正14年3月号には、東都俳人大挙して来襲、第2商業校庭にて京都俳壇との野球戦有之候。野風呂翁もメンバーに加わられ、三振を相当喫せられし由に候。とあり、その折の写真や白川の丹鶴句集上梓記念祝賀会の写真にすばるも加わっていました。
2021.05.22
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〇毎年海外の本が多数翻訳され、出版されていますが、本邦最初に翻訳・出版された西洋文学書と言えば、それは誰もが知っている『エソボ物語』で、桃山時代文禄2年のこと。イエズス会天草学林の刊行。エソボ=イソップで発行部数は不明で、ただ1冊だけが現存しているようで、大英博物館が所蔵とか。 『イソップ物語』の「アリとキリギリス」の話は、実はもともと「アリとセミ」。和訳のエソボでも同じく「アリとセミ」。(参考・北嶋廣敏『雑学帝王500』)
2021.05.21
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〇裕福な暮らしではないのに中年以降、加齢と共に体重だけは着実に増えていたので、長岡京市の「のこちゃん体重日記」を活用して始めたのが体重測定のグラフ化。最初の頃は驚くほど体重が減り続け、こんな手軽な方法で痩せられるのなら・・・とほくそ笑んでいましたが、世の中はそんなに甘くはありませんでした。 或る一定の体重に至ると、それ以降はテコでも下がる気配がありませんでしたが、挫折せずじっと我慢の子。グラフの下欄や余白には、体重計で得た情報、BMI、体脂肪率、基礎代謝、骨格筋率、内臓脂肪率、体年齢などをメモ。カレーライス、揚げ物、ラーメンそれに宴席料理などを食したら鮮明に体重に表れますが、気長に続けています。
2021.05.20
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〇古くは内衣、明衣、湯帷子と書いてゆかたびらと称していましたが、後年にゆかたと言うようになりました。湯気を拭いとるのに用いた湯帷子が起源とされ、延喜式に「曝布湯帷二條、浴衣一領」などと載っていることから平安期には既に用いられていたと思われます。 伊勢貞丈の記に「天子御湯を召すとき、上臈一人、典侍一人御湯めさするに、裳の衣の上に白き生絹の衣を着て御湯をあびせ奉る也、その白き生絹の衣を湯巻ともいまきともいふ也、これは湯の滴の飛びて衣を濡らすを防ぐための衣なり」とあります。 初期は文字通り湯上りに用いられたものであり、江戸時代の末ごろまで、婦女は浴衣での外出は勿論、店先でさえ禁じられていました。やがて真岡木綿地の浴衣が染め上がりもよく、お洒落な浴衣が流行りだしました。 好きな人すきな浴衣で逢ふ夜店 獣庵 振り向いた訳は浴衣が同じ柄 正澄 豊満な肉そのままに見る浴衣 和樽
2021.05.19
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〇先日の某テレビ番組で、薄の生えた畑は養分が吸い尽くされているので、薄の生い茂った耕地は、改めて焼き畑、施肥などを講じなくてはいけないとの情報を耳にしました。 そこでわが家の菖蒲?イチハツに於いても同じことが言えるのだなと夫婦して気が付きました。家内がイチハツを庭の別の場所に分家させると、5月には、見事に群がって花が咲きます。隣家にお裾分けしたイチハツ然り、別の場所に移したものは、挙って綺麗な紫の花、まるで狩野派の絵の如し。桜の大木、何十本とある椿、メタセコイア、芙蓉、躑躅、夾竹桃、楓、柊、金木犀、山茶花、百日紅・・・庭の地面の地層を真横から眺めることが出来たとしたら、大きな樹木の根が密集して絡んでいることでしょう。
2021.05.18
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〇5月16日(日)午前2時過ぎから陣痛、間隔が、5,6分ほどに縮まってきたので、4時過ぎ、予め予約していたタクシーにて産院へ入院しました。コロナ禍の情勢下、外部の者は身内ですら入れない厳格なシステムを採用しているので、家内は同タクシーにて5時前帰宅。いつもより1時間半早めの朝食を摂り、平常通りしていたら、午後2時前、夫君より電話あり、12時13分男児出産。2760g、身体に異常無く、母子ともに健康との連絡を受けました。早速、姉2人、妹宛てにメール、娘から貰ったメール添付の映像2枚つけて送付しました。5日後の退院によって、この家にて初対面になります。
2021.05.17
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〇コロナ禍では異種株の脅威もあって、益々、家籠りを強いられるので、体脂肪が増えそうで怖い。体内の脂肪はほとんど電気を通さない。その性質に着眼したのが体脂肪測定器です。体内に微弱な電流を流し、身体の電気抵抗を数値で示すことによって、脂肪の割合を測定しています。 体脂肪が多いと電気抵抗値が高くなり、成人男子では25%、成人女性では30%を超えると、健康に害をもたらせるとか?ああ、怖い怖い。
2021.05.16
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〇在宅が多くなった今、楽しんでいるのは、韓国・中国時代劇の番組。最近は歌手の主題歌を流さない「如懿伝」ですが、画面に出る和訳の歌詞を中国語に翻訳したものとホームページ等から拾った実際に歌っている歌詞とが余りにもかけ離れていて、しかも簡体字と繁体字の両方が相乱れているので、パソコン入力する上で難点が多々あります。昭和38年から2年間、第二外国語として学んだ折に使っていた掲題の辞典がやっと見つかりました。歌っておられる発音と表記とを上手く適合させて、自分用の歌詞を作りたいと思っています。
2021.05.15
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〇糯米、うるち米や葛粉などを水で練ったものを、熊笹、菖蒲、茅(ち)などの葉や竹の皮でくるみ、その上を糸、藁、須賀などで巻いて、蒸したり、煮たてたものが粽。そこで茅巻という言葉もあります。包むものの種類によって、笹粽、葦粽、菰粽、菅粽などと称しています。地方によっては五月に限らず食し、山形・秋田地方では正月に食べる所もあります。 また産婆や名づけ親、母親の実家、親類などへ贈る習慣のある所も。三角の形のほかに、繭形の団子粽、錐粽、筒粽など。糯米を蒸して餅を作り、稲草に包み、稲草で縛ったものを甑の中で蒸し、稲草を除けば、飴色の飴粽も菓舗の店頭に並びます。
2021.05.14
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〇引越し数日後の9月3日には親友・新関一家の来訪がありました。 同月6日の日記には阪急古本大会の会場にて吉川一郎著『大山崎史叢考』(500円)を発見、大喜びで買うとあります。この名著は私達「大山崎ふるさとガイドの会」発足時のガイド・レジメを興す手本となったもので、古書としての現在価格は5千円以上もします。亡父は私がガイドになるとは予想だにして居ず、何だか運命的な、不思議な糸を感じました。 (注)今年の3月末日を以てガイドの会を辞めています。
2021.05.13
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〇農耕民族の日本人にとって旧暦の5月は田植えという大切な仕事をする月で、古代では早乙女といい、田植えは本来、女性の仕事。田植えをする前の夜は忌み籠りをする習わしがあって、それが5月最初の午の日(およそ5日)、つまり端午の節句となりました。5月5日をさして、「女の家」、「女の宿」、「女の屋根」、「女の夜」などと中部・四国の一部ではそのように呼んでいました。 では何故、男子の祭りになったのかといえば、武士が都市生活をする時代から。菖蒲=尚武、同じ音なので選ばれ、3月の雛の節句との対比で男の節句にしたものと思われます。(樋口清之著『雑学おもしろ歳時記』参照)
2021.05.12
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〇今月6日、市のワクチン接種予約の一番グループを目指しスマホ予約に満を期して居ましたが、いざ、蓋を開けたら予約画面が全然作動せず、電話は予想通り、ずっと話し中。息子がスマホ画面で一旦中止を押せば、作動する旨調べて呉れたので、予約作業に進むことができました。しかし生年月日の登録画面、まさか77年前まで指で遡らせるのかと思いきや、年号そのものをクリックすれば、西暦年号一覧に進めるとは表記、案内も無く、再び息子のアドバイスで前進。漸く予約が取れました。こんな不親切で、大変な思いをさせる行政は、机辺だけの知恵で全てをの段取りをするようです。私なら、接種券の封筒に、返信ハガキ2通を同封しておき、役所が割り当てた日時に臨場可能か否かの問い。養護施設に入院中、或いは病院に入院中などの特殊事情・理由で、出席が出来そうにない人物かチェックする。返事のなかった人、還されたハガキの回答に接種対応不可能な人々を除外した、残りの全老齢対象者に対して、役所から割り当て、再度当初同封した2つめのハガキでの再確認によって段取りをつければ良いと思うのですが。
2021.05.11
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〇言語心理研究家・永石彊男著『文字のパズル』から拾いました。観察力テストと称して、消えた部分は何かを考え、熟語を完成する遊びです。四文字からできている熟語の最初の一字だけが正しく、残りの三文字は、どこか一部が消えてしまっています。その部分を継ぎ足して、正しい言葉に直しましょう。 例題1)戸昔少木 → 戸籍抄本 例題2)学交合良 → 学校給食 さぁ では問題です。頑張って下さい。1)大子孝受 2)消方寸貝 3)西羊斗里 4)金虫幾門5)名斤日亦 6)実単身車 7)家才首目 8)有交其門9)至心雨幸 10)異吊休貝 11)受馬免弓 12)公血更戸 13)秘必敬祭 14)面妾式馬ものによっては難易度が異なりますね。
2021.05.10
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〇復活後の亡父の日記は昭和36年8月27日から翌年5月6日までを第1巻としています。小型の大学ノートに綴られた日記に依りますと、 大阪市住吉区帝塚山の社宅から長岡京への引っ越しは、日記書き出しの36年の8月27日。3軒斜め先に居を構えることになった同僚のMさん宅のトラックの到着が遅れたこと、我が家は当日10時就寝した模様。翌日は大雷雨があって庭には大きな水溜りが出来たとあります。またこの日には住民届。私のおぼろげな記憶では、引越し当初、この地は頻繁な断水騒ぎ。日記にもその旨は記されています。また引っ越し後数日かけて、門のブザーの設置や食卓・応接セットの注文など新居がなかなか落ち着いていません。
2021.05.09
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〇もう既に家内が図書館に返却したようですが、掲題の本は132例もの便利を網羅しています。衣類の知っ得→大事な革靴が雨で濡れてしまった、傘の撥水性が落ちてきたみたい・・・など。趣味の知っ得→花についたアブラムシ。簡単に撃退する方法は?2,3日留守にする時の水やりは?暮らしの知っ得→密封容器についた食べ物の臭い、電子レンジの中にこもった臭い、 冷蔵庫はどんな洗剤を使って掃除する?サッシレールの溝にたまったゴミが取れない。その他、畳やカーペット、押し入れ、流し台の下、ぬいぐるみなどのダニを根こそぎ退治する方法など。
2021.05.08
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〇信長公に限らず、戦国時代に京都へやって来る大名の殆どが寺院を定宿としていました。それは頑丈な塀で囲まれ、深い堀を巡らせてあったので防衛上、都合が良かったから。京都市中京区の寺町御池通に現在の本能寺がありますが、信長公が光秀公に討たれたのはここでないことはご周知の通り。 本能寺の発祥は1415年(応永22)、油小路高辻と御条坊門との間に日隆上人が建てた本応寺で、兄弟弟子にあたる月明との争いで壊されたましたが、一旦比叡山で再度修行を積んだのち、豪商小袖屋宗句の支援を得て大内裏跡地の内野に本応寺を再建。その後、如意王丸という信者から広大な敷地、東西150m、南北300m、つまり堀川蛸薬師、堀川高校の北側に移転したのが信長終焉地の本能寺なのでした。(参考図書・高野澄著『京都の謎』戦国編)
2021.05.07
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〇与えられた情報や画像に対して即興句を詠むことが好きですので、芸術的な句は無理なのかも知れません。花洛忌や逆引き辞書を傍らに 4月例会兼題の1つ、海道先師の忌日。俳句会を辞 た時期の師。辞書をふんだんに使われた由。春月や三味の遠音の二年坂山葵田に沢音絶えずひもすがら秀(ほ)つ枝なる桜花脳裡のネガとする花だより寡婦ながら買ふ恋みくじ 雅号をつけていると女性目線から詠むことも。初鰹それにつけても手頃な値呼び戻す昭和のひと日紙風船小手毬の夢ほつほつと実らせる 新緑や装束司の細格子4月は40句ほどは詠んだのですが・・・。
2021.05.06
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〇B5版大の小冊子「躍進長岡京町20年の歩み」1969年版を見ると、昭和24年10月1日、新神足(シンコウタリ)村、海印寺村、乙訓(オトクニ)村の3村が合併し長岡町の誕生です。初代町長は河村春三氏。人口10,700人。翌年にはジェーン台風が来ています。26年に授産所、27年に保育所が置かれ、阪急電鉄が花山・東台住宅の建設に着手し始めていました。28年の13号台風で犬川が決壊しています。30年には長岡中学開講、34年には町立公民館が出来、翌年の国勢調査では人口が15,050人へと増加。38年、名神高速道路が完成、翌年には乙訓高校ができ、消防本部が置かれ、40年の人口は27,522人、43年では40,836人と急増しています。竹薮だらけの町、舗装もままならず砂埃、ぬかるみに悩まされていた道路も現在ではほぼ100%舗装。 阪急の長岡天神駅から南へ5分もかからない場所には昔、長岡競馬場がありました。昭和10年の集中豪雨では村中水浸しになったようで、勝竜寺内の春日神社の鳥居が水没に近い状態で、悠々と舟を漕ぐ老人の姿も。
2021.05.05
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〇某年の4月、滋賀県は葛川沿い坊村の”明王院”、地主神社、雪折れ杉も見受けられる地域が吟行地でした。此処には先師丸山海道、佳子ご夫妻の比翼句碑が建立され、その除幕式に参じた折には、ぼたん鍋・熊鍋で著名な”比良山荘”にて鯉の洗いを食した懐かしい所。地主神社参拝の神鈴は九頭竜に因むのか、大小九つの鈴がありました。ごうごうと迅い水流の絶えない葛川、朱の橋も鮮やかな明王院への坂道、終始止まなかった雨が石楠花に降り注いでいました。
2021.05.04
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〇世の中がどんどん刹那的になって行き、表面的に優れたものが評価され、ちやほやされる風潮にあります。こういう状況が今後も長引けば、日本の深淵な文化的な宝物は生み出されず、世界と迎合した、非個性的なものばかりが犇めくようになってしまいそうで、不安の念に駆られます。「カラオケバトル」という番組もこういう風潮に拍車をかけているようです。ある人の歌っている歌唱の進行をコンピューターが機械的に適合性、強弱、修飾唱法をチェック、その点数を競う仕組み。歌は作詞者と作曲家と歌い手の三位一体が叶ってこそ、聴き手を魅了し、大衆受けするものだと思います。 カラオケやカラオケのできるスナックで、マイクを独占、がなり声で美しくない歌唱を押し付け、独り悦に入っている御仁には閉口。人さまの歌う声質や表現力から学び取ろうとする姿勢こそ、あるべき姿でしょうね。 最近、昭和時代の曲が人気を呼んでいるようで、あのアナログ的な優しさこそ、人の心を癒すのでしょう。
2021.05.03
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〇古くは魏志倭人伝に「朱丹をもって、その身体に塗る」とあるように、古墳の埴輪には男女ともに顔面には朱が塗りこめていました。 時代は下って、紫式部の作品に「若くきたなげなき女ども5、60人ばかりに、裳袴というもの白く着せて、白き笠ども着せて、歯ぐろめ黒らかに、紅赤こう化粧させて続けたり」とあって、平安時代の女性たちの化粧は、眉と歯がポイントだったように思われます。毛抜きでげじげじ眉の手入れを怠らず、平安末期から鎌倉時代には、額の生え際と目の間に、大きく眉を描くようになっていたようです。
2021.05.02
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〇江國滋著『にっちもさっちも 』の愚痴エッセイには、「名人だらけ」という章で、生まれてこの方、自動車運転に興味もなく、免許証を得もせず、車を持たず、専ら他人の車に乗せて貰う人生を選択された人で、主に5人の知人に助けて貰ったそうな。職業、年齢、地位、収入が違うように、車の種類、性能も違うのだけれど、5人が5人、「ほかのことはともかく、運転だけは誰にもヒケは取らない。タクシー運転手になってもトップクラス」と異口同音に唱えるから面白い。そして共通事項は警笛は鳴らさない。方向指示器は直前にオン。他の車が自分の前に走るのを許せない。車間距離をむやみに詰めたがる。だって。
2021.05.01
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