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〇清水さとし著『京都 なるほど事典』は両開きに収まる範囲内で、京に関する豆知識を盛り沢山綴って下さっている便利帳で、電車内で読むのにぴったり。 第1章「古寺・名刹・神社仏閣を歩く」 ”どうして東寺があって、西寺がないのか”から始まって、”大原野の十輪寺にある塩釜に秘められた恋とは”まで43話。 第2章「京都の歴史を知る街歩き」”山城国に平安京が造営されたのはなぜ?”に始まり、”鹿ケ谷の陰謀事件と真夏のかぼちゃ供養”に至る30話は、「京都通」になる裏ワザとも言えましょう。第3章「京都の味を食べ尽くす」(25話)例えば”南禅寺と嵐山に湯豆腐の店が多いのはなぜ?”この項を読めば、時の流れが歴史・景観を変えてしまう恐ろしさに気がつきます。このほか「怨霊・魔界・百鬼夜行を歩く」(15話)や「京都通になるための知恵袋」(21話)等々。
2021.08.31
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〇某年の7月は懸賞当選が皆無の月でした。家内の懸賞生活有史以来の出来事でしたが、それは京都新聞占い欄の占いの通りだったのです。で、9月からぼちぼち上昇気流に入る運勢でした。それでね、今週、亡母の名前で出していたものが當り、これは北海道の新鮮野菜(日本ハムご提供)。大きなかぼちゃ1個、ビニール袋に密封されたトウモロコシ2本、玉葱どっさり、じゃがいも之またどっさりこん! これだけだとニュース性が無いのですが、当時住んでいた向日町の自宅には時を同じくして、京野菜の詰め合わせ、加茂茄子2個、丹波栗15個、鹿ケ谷かぼちゃ1個、玉葱やジャガイモ多数。価格的にはこちらが高額なんでしょう。
2021.08.30
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〇新コロナ禍では最大イベントの「京鹿子祭」は開催中止を余儀なくされましたが、双滴集の募集には計20句応募、その多くは7月に詠んだものが大半(ここでは伏せます)。海開き祝詞のあとのフラダンス喉元はまるで滝行生ビール一夜鮨重石は何と古書五冊風鈴の呉音律音寺古りぬ百合咲けばいずみホールのアベマリア白蓮のやうなをみなと文交はすサルビアの焔を咲かせ卒寿女史さんふらわ二隻停まり波止南風緑蔭や水琴窟のファルセット
2021.08.29
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〇十数年前の5月に編集者の拙宅へ届いた先輩女史(今は故人)の手製の封筒。カレンダーの写真部分を再利用され、丸いへこみが縦に6個並びその間隔を別の文様でつないだ柄の、深緑の硝子容器で、重厚な蓋も付いています。青葉の季節にふさわしい、瑞々しい図柄の封筒に、狩野派の切手、宛名書きと差出人は別途白い紙にペン習字が施されています。封緘シールは如何にも女史のイメージと合う豪華な紺地に百合と数色の小花のデザイン、縁取りに金色の小数珠つなぎ。<お変わりなくお元気でお忙しくお過しのことと存じます。天災人災が毎日のようにニュースになりますが、地球も病人でいるのでしょうか?とは言え、新緑は美しく風もさわやかです。どうぞお体お大切に、>と一筆箋に認めてありました。
2021.08.28
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〇12年前の某日、京の家に古本屋さんが来て下さいました。普通乗用車で来られたのには驚きましたが、結果的には問題はありませんでした。昨年12月中旬以来、亡父の遺した書物類の良否を選別し、古書に値しないものはゴミとして袋詰めしてきました。K書房のご主人は、一列に並べた書物の中から、適宜選んでいかれます。不要なものは古本屋さんに或る程度持ち帰って貰わないと、困ります。しかし私達が他の用事で目を離している間に、ごっそり荷造りを済まされました。美術書や宗教にからむ書物、初版や再版ものの小説本など。残りの書籍については別の古本屋さんが全て引き取るように手配して下さるので、ゴミとなる本がそれほど残らないというメリットはありました。予想を遙かに超える蔵書量、かつそれほど汚れていないこと、亡父の多岐にわたる蒐集は、ゆっくり吟味する値打ちがあるという感想を述べて居られました。
2021.08.27
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〇忘れじの行末まではかたければ けふをかぎりの命ともがな関白・道隆の妻、高階貴子の歌。儀同三司母とあるのは、太政大臣・左大臣・右大臣が三司、それに儀を同じくする准大臣伊周(コレチカ)の母のことで、一条天皇の中宮となった定子(清少納言が仕えた)の母でもあります。伊周は21歳の若さで、8つ上の叔父:道長を超えて内大臣まで昇進しましたが、父の道隆の死後、権勢・家運は衰え、道真の時がそうであったように、大宰権帥に格下げされ、筑紫に配所されました。 『栄花物語』栄花物語」ではこの時の模様を、伊周が筵張りの車に乗り込むと、愛しい息子にとりすがったまま車に乗り込んでしまい、検非違使も「山崎」まで貴子の同車を認めたとあります。 ”大山崎ふるさとガイドの会”の皆さん、この件はそれ、摂津と山城の境界にある”関戸明神”のガイドに使えますね?伊周は翌年許されて都に戻りましたが、貴子は伊周が流された年(長徳2、996年)の秋、悲しみのうちに没したそうです。
2021.08.26
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〇細川藤孝(後の幽斎)は幼い頃、大学寮の明経博士・清原宜賢の許で勉学していた。戦国武士にとっては弓矢の道が本道ゆえ、歌学をなおざりにしていましたが、一念発起、包丁は大草流、太鼓は観世流、刀の目利き、和歌のみならず、連歌、俳諧、狂歌にも秀で、有職故実として一流の人物となりました。後年、三条西内府實澄へ献上した誓状が残されています。<古今集伝授之事(二条家正嫡流)御門弟と為り、御説を請るのは親子の如く・・・中略・・・仍って誓状件の伝(ごと)し。 元亀三年壬申十二月六日 細川兵部大輔藤孝 判三条殿後年、内大臣三条西實澄卿より奥書(免許状)が届けられました。 因みに、藤原定家ー美濃国東下野守平常縁ー紀伊国種玉庵飯尾宗祇法師ー三条西實隆ー三条西公保ー三条西實澄(實枝)ー三条西公国ー細川藤孝(幽斎)と戦国時代であってもかように伝授されていました。
2021.08.25
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〇私の叔父(20年前に他界)は神風特攻隊の一人でした。寸前のところで、あの玉音放送という終戦を迎えたので生きて本土に帰還することができました。 戦争でなくても大勢が犠牲になっている中、奇跡的に助かった人々が死者に対して同朋意識から来る”申し訳ない”という気持ちは、あのJR尼崎の脱線事故から辛うじて助かった人々の胸によぎった思いと同じなのかも知れません。 『元空戦の集い』(海軍第十四期飛行専修予備学生・元山海軍航空隊)というA4版186頁の本。 男が男であることを誇りにしていた時代、国を護る決意に満ちた一人一人の顔付きは誠に美しかった。あの特攻出撃の日の朝、真新しい飛行服を着て、見送る同期生の顔を覗き込むようにして敬礼をしていった「日本の男たち」のあの眼の色の深さ、美しさを、何と言い表わしたらいいだろうか。大之木英雄さんの名文はまだまだ続きますが、某年某日、高槻の映画館にて「風立ちぬ」を見たばかりで、国を護るため、当時の人々が真剣に生きていたことを再認識しました。
2021.08.24
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〇地球上の恐竜が小惑星の衝突による天候異変の為に絶滅したのだろうという知識をわたし達は持っています。直径1キロメートル級の小惑星が地球に衝突したと仮定したら、超高速による障害で地球には直径20キロ、深さ数キロのクレーターが出来ます。これは広島に落とされた原子爆弾500発分のエネルギーに相当します。月の表面にある”あばた”そっくりのクレーター分の土砂が細かい粒子になって舞い上がり、 太陽光は地球に届かず、地球は寒冷化して世界の平均気温はセ氏マイナス20度まで急降下します。つまり赤道であってもシベリア並みの寒さになり、数年それが続くので植物が枯れ、動物も餓死します。 この寒冷化の次には、大気中にまき散らされた二酸化炭素の層ができる為、逆に世界気温が平均セ氏60~80度になってしまいます。賢い人間の知恵で乗り切ることが出来るのかな?
2021.08.23
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〇誰でも知っている唱歌『月の砂漠』、作詞・加藤まさを、作曲・佐々木すぐる。実にロマンチックな歌詞で、メロディと見事に融合した名曲の一つですね。 広島県三次市の元音楽教師・河本正治氏が同好の仲間15人と結成された「赤とんぼの会」が発行した全8集、594曲も掲載された、絵本のような童謡集を8冊とも父が遺していました。カットの絵が明治・大正・昭和への郷愁を呼び起こさせる図柄で、1冊1,200円。直接河本さんから取り寄せていました。 1.月の砂漠を はるばると 旅の駱駝が 行きました 金と銀との 鞍おいて 二つ仲良く 行きました 2. 金の鞍には 銀の甕 銀の鞍には 金の甕 二つの甕は それぞれに 紐で結んで ありました 3.前の鞍には 王子さま あとの鞍には お姫さま 乗った二人は お揃いの 白い上着を 着てました 4.広い砂漠を ひとすじに 二人はどこへ ゆくのでしょう 朧にけぶる 月の夜を 対の駱駝は とぼとぼと 砂丘をこえて ゆきました 黙ってこえて ゆきました日本で言う駆け落ち、道行。哀切が漂いますね。
2021.08.22
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〇庭の各所にこぼれ育ちしていた赤紫蘇、その種を集めてプランターに播いていたものが生育し、可憐な小花を並べて咲いています。今もうお亡くなりになったと思われますが、句会の場所取りに貢献された桐壺さん。その方から2、3度紫蘇ジュースを頂いたことがあります。子供の頃に憧れていたお客様用ワイン色のシロップジュースにそっくり。豪華な色合いと清涼な味は大好きな飲み物の1つ。そこで詠んだ句は 紫蘇ジュースクレオパトラに招かれて 星子話題を紫蘇の花に戻せば、その可憐な花茎は、料亭のさしみの盛り合わせに見かける、ちょっと乙なもの。今日の夕餉の鉢に添えられ、家族の目を楽しませてくれることでしょう。
2021.08.21
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〇佐々木正孝著・篠崎晃一監修の「アレ何?大事典」(小学館、税抜き1300円)は雑学の書として面白いです。 わたし達が普段目にする物体・道具などの名称を探るという本です。本書では幾つかのジャンルに分類されて居て、街編、からだ・ファッション編、暮らし編、スポーツ・文化編の4つ。では今回は街で見かけるもの、1)道路工事の人のV字に光るチョッキの名は?2)同じく工事現場でチカチカしているロープ状のものの名は?3)葬式の会場までを案内する指のマークは?4)タクシーの背中・てっぺんにある目印は?5)線路に落ちたものを拾うマジックハンドの名は?6)自動改札機のハの字の扉の名は?7)コンビニのレジでバーコードを読む機械名は?8)つり銭を入れてくれる皿状のものは?9)コンサートで観客が振る蛍光色の棒の名は?<回答編>1)夜光チョッキ 2)チューブライト 3)指差し 4)社名表示灯 5)安全取得器 6)バーコードリーダー 8)カルトン 9)ケミカルライト 答の欄には、それぞれ凡そ300字程度の解説が附してあります。
2021.08.20
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〇摂津国難波の里に住む夫婦には子供が出来ず、住吉大明神に祈願。翌年、四十一歳で身もごった妻は美しい男児を産みました。ところが十二、三歳まで一寸法師なので、この子は化け物かと訝しく思うようになりました。口惜しく思った一寸法師は刀代わりに針、麦藁で鞘を、椀の舟と箸の櫂で淀川を遡りました。伏見鳥羽の津で乗り捨て、都の三条の宰相邸を訪れ、小さい彼を宰相は気に入り、召し抱えました。十六歳になると、宰相の娘を妻にしようと一計を凝らし、娘が寝入っている隙に、米菓子を口元に塗りたくってから大声で泣き、物を盗む娘を勘当。伏見鳥羽で再び乗船、見知らぬ風変わりな島では、二匹の鬼が姫を盗ろうとしましたが、鬼の口で一寸法師が暴れたので、鬼は打出の小槌、杖、鞭を捨てて逃げ去りました。背丈の伸びた一寸法師の噂が内裏にも聞こえ、ご先祖をお尋ねになると、父は讒言で流刑になった堀河中納言の子、母は伏見少納言の娘と言上、父母共に呼び寄せて貰ったという話。 大山崎の宝積寺には、鬼を退治した小男が大黒天からご褒美に貰った、太刀と打出と小槌が残されている由。
2021.08.19
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〇アサヒグラフ1985年10月30日付の緊急増刊号の内容は何だったかご存知でしょうか?表紙の上段には左からバース、掛布そして岡田選手の写真が、中段は胴上げされる掛布、下段は吉田監督、リリーフエースの中西選手、そして真弓選手の写真が並んでいます。 ちょうどこの年、私は吹田支店の外交をして居ました。姉婿が阪神電鉄に勤務して居りましたので、義兄から対巨人戦の内野席の切符を数枚頂戴していましたので、営業の足しに利用させていただきました。 対ヤクルト戦の戦況を言えば、4回真弓がスタンドへ233号本塁打、6回バースは荒木の2球目を叩いて右中間52号。 9回表、掛布は流し打ちの39号で1点差に詰め寄る。岡田の2塁打、代打佐野の犠打にて同点に追いつき、9、10回を中西が抑えました。この年、優勝までの成績は真弓0.322、バース.346掛布.306 岡田.345 弘田.296でした。
2021.08.18
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〇十一世紀後半成立の『玉造小町壮衰書』には楊貴妃のような美女が富貴な境遇から財産をなくし老衰にて痩身餓鬼に苦しむ話を載せていますが、これが小野小町と混同されます。 また十二世紀『江家次第』に小町髑髏説が現れ、『古事記』では在原業平とを奥州で会わせます。御伽草子『小町草紙』では「業を平らげむと書くので悪業も消滅する」と業平が髑髏の小町に呼びかけると、小町は如意輪観音に変化。京都府には山科隋心院、深草の欣浄寺、洛北・市原野の補陀落寺(小野寺)、丹後・大宮町の小町伝承など。救われるのは、西洞院四条角に「小町化粧水」跡があり、閻魔大王の使いが恋文を届けましたが、それを拒んだ小町は百歳を越えても死ぬに死ねない身となっているという話もあります。
2021.08.17
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〇一旦、疑い出したら限りなく深みに嵌ってしまいます。「疑心暗鬼を生ず」これによく似た中国の慣用句が掲題の「盃中蛇影」。 普の楽広は河南の長官で、或る日、客を招いて酒宴を催しました。その日からぷっつり来なくなったので、彼の家を訪すとどうやら病気のようである。詳しく聞くと、以前に楽広の酒宴に呼ばれた時、盃の中に蛇の影が映って居て、気味悪かったが、無理に飲んだところ、どうやら病気になったしまった。というので、楽広は変なことを言うと不審がり、自分の客間を調べてみると、角でできた弓が壁に掛けてあって、それが角度によっては一見、蛇のように見えることが判明したので、再び彼を招き、正体を明かしたところ、彼も納得、病気はけろりを治ったという話。
2021.08.16
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〇某年某日、本日で四度目、京都の家での書物チェック。四京町屋の三和土に御影石を置き、その上にどしんと両横開きの書庫。奥行き1m、横幅3mの大きさ。四十年前に近所の大工さんに拵えて貰った立派な本棚ですが、一番下の段の「ホトトギス」等は白蟻に食われて居て、まるで書物の骸骨を見る様な・・・無残な状態でした。しかし、その上の段からは、私がが小学校一年生の学芸会で演じた劇の脚本も出て来ました。本日はこの場所にて新築する従姉妹夫婦も加わり、彼女らは茶碗等の食器類を片付けていました。全部処分する意向の様です。俳句、短歌、宗教、小説の初版本・・・これらを分類しながら不要なものはゴミ袋に。今月中にこれら書物を処分しなければなりませんので、暇があればこの家に来て、片付けながら古書として売る段取りをしなければなりません。
2021.08.15
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〇15年程前の正月下旬、高校時代の友人から電話を貰っていて、同期の小酒宴をしようという運びになっていたのでした。場所は大阪天王寺公園近くの天王殿という料亭で、案内された部屋は床の間も、掛け軸、置物などが極上の部屋でした。阪南高校の1期生(3組計150人)として卒業以来、何かと世話役をしてくれていたK君が、恩師の集まりに病気欠席、心配した仲間が彼を励まそうと今回の一席を設けた次第でした。K君は歯科医師で、同期の中でかなりの人数が彼の治療で歯の不具合から開放されているようです。彼の口に上る同窓生の逸話は面白可笑しく、あくせくしないくせに存在感のある彼は我々にはなくてはならない人物で、 情報通の彼から、一期生の中では幾つかのグループで適宜懇親会などが行われている現況も教えて貰いました。今回は男5人、女性3人の丁度良い人数で、時間を気にしないで心行くまで楽しく語り合った4時間は今後も思い出のひとコマとして脳裏に残ることでしょう。利害を抜きにした友垣はお互い、大切にして参りたいものですね。
2021.08.14
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〇月刊誌「京都」通巻110号の特集は<通りを歩いてみたい>で、物語のある通り、川のある通り、商いの通りなどから紹介しています。物語の通りとして写真では六角通りの六角堂の赤提灯を載せています。正式名は紫雲山頂法寺。本堂の右手には京の中心といわれる「へそ石」があります。寺町通りは平安京の東の端つまり東京極通りでしたが、後年、秀吉公によってこの通りの東側に市中の寺院を寄せ集められました。写真は革堂。賀茂川~堀川間の御池通りは並木の映える広い通りです。それは戦時中の立ち退きと家屋取り壊しがその背景にありました。御池通りを堀川通りより西に行くと職司町など古い町並みがあって、北側には古き池、神泉苑があります。祇園祭の発祥にも関わってきます。商いの通りとして薬屋の多い二条通り、家具の街である夷川通りは古来の冷泉小路。江戸末期は古道具・建具の街だったようです。武具・具足そして錦を商う通りだった錦小路通りは、高倉~寺町間、鮮魚・川魚・乾物・野菜・菓子・漬物など食の宝庫として人気を博しています。表千家、裏千家などの由緒ある通りが小川通り。幕末の志士が闊歩したであろう木屋町通り、お茶屋にからむ新橋通り界隈も京の魅力の一端ですね。
2021.08.13
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〇大昔から日本人の暮しの中には籠がありました。子供の頃、母に代わって市場への買い物には買物籠を提げて行った記憶があります。山仕事に携わる人々には背負い籠が無くては生活が成り立たないでしょう。蔦などの植物の蔓で編んだ籠は雨に濡れても重くはならないし、乾きも早い。その上、籠に弾力があるので身体に馴染み易く、入れたものも傷みません。或る写真集にはアケビの実が詰めてあるものや蕨などが入った籠が写っています。海浜に於いては魚を、畑にあってはピーマンや南瓜など・・・。整然と並んだ編み目の美しさ。ぎっしり編まれた籠にはいろんな模様さえ組み込まれています。子供の頃には、竹を編んだ大きな籠に鶏を入れて育てていた光景もありました。そう言えば、祇園祭鶏鉾の浴衣の柄は竹籠の模様でしたね。
2021.08.12
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〇1616年1月、鷹狩に出かけた折に食した鯛の天ぷらに当たって食中毒を起こし、4月17日に逝去したのが徳川家康公。死の2日前、愛刀「三池典太」の切れ味を再確認、病床にありながら、名刀を素振りされ、「我が剣をもって、ながく子孫を鎮護すべし」と言い遺こされた由。また前日には「九能山のわが廟所に、神像(なきがら)を西に向けて安置せよ」と西国の大名に睨みを効かせられた由。一周忌には江戸城の真北にある日光、東照宮に改葬され今日に至っています。
2021.08.11
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〇玉手箱、物置から「禅道場生活手帖」冊子が出て来ました。銀行入行後新人教育期間最期の行事でした。宇治黄檗山万福寺の道場に2泊3日。早朝から掃除と座禅、それから無言の朝食、粥と漬物。 この冊子には行事、入門、参禅、座禅の基本、経典、日課、合図、用語、役位、其他の目次。仏→覚者と訳し、完成された人格者即ち仏性の徹見者。禅→心の静けさを保ち、安心立命、智慧と慈悲を生む。経→生活する心の在り方を釈尊が教示されたもの。合掌→自己を慎み、他を敬う姿つまり問訊。兎に角、懐かしい青春の一齣なのでした。
2021.08.10
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〇毎日続く猛暑の中で、わたし達の目を癒しこころを和ませてくれる植物に”百日紅(さるすべり)”がありますね。たまにどっち着かずの薄色のものがありますが、ほど良いピンクは優しさを、濃い目の紅は強さを象徴しているかに見えます。あの桃色の花は、生物界の輪廻に似ていて、新しい花が生まれては落下していきますが、あのあどけない塊を、”空の簪(かんざし)”と詠んだ句もあります。初夏から晩秋近くまで咲く忍耐強い花で、恰も大和撫子、日本女性そっくりの”しなやかさ”です。
2021.08.09
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〇8月の声を聞くとあちらこちらで花火大会が開かれます。小学校4年生の時、クラスの友と大阪富田林のPL花火大会に行った記憶があります。それまで佐賀県などで観てきたものとはスケールが違っていて驚きました。嵐山や宝塚の花火は頭上に花火が広がるものだから火の粉、燃え残りなどがぱらぱら落ちてくるのがリアルな感じでした。琵琶湖は大津の浜辺で繰り広げられる花火大会も玉数が豊富で、海岸べりのビル街では爆発音がビルの壁面に反射し、その風圧が下腹に響き、花火の威容さを思うのでした。フィーナーレのナイアガラの滝や二尺・三尺玉の連発に、琵琶湖の湖面は昼間のような明るさになっていました。
2021.08.08
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〇日本の季節は急に移ろうものではなく、次の季の風情を少し感じさせながら、変わって行きますね。<夜の秋>夏の終わりに近づく夜、ふと、秋を感じることがありますね。あの微妙な冷んやり感。 夜の秋厨に妻の起てる音 星 子<今朝の秋>立秋は暦の上での秋を指しますが、感覚的に秋を感じる朝の清涼感。 病み細るすねをいだきぬ今朝の秋 年 尾<秋の夜>仲秋から晩秋にかけての、夜分の静かな感じを心象的に捉えたもの。 秋の夜や旅の男の針仕事 一 茶
2021.08.07
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〇青い目をしたお人形、アメリカ生まれのセルロイド童謡から覚えたキューピー人形。リフォームする前の洋間には母方の祖父から新築祝いに貰った大食卓にいろんなグッズに紛れて、大小、幾体ものキューピーさんがいました。 日本興行銀行のワリコーを購入した折にこれらのキューピー人形を貰っていたようです。他には箕面の叔母さんから長女誕生祝いに貰った大き目のキューピー、ネズミ年のネズミキューピー、太陽光で充電して動くキューピーさんが今残っています。
2021.08.06
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〇私たち昭和の生まれには、赤ちゃんをあやす吊り下げと言えば、カラフルなセルロイド製のそれを思い浮かべますが、現在はプラスティック製でいろんなバージョンを愉しめる「小熊のぷーさん」の優れものです。 プーさんの他、虎さん、耳の大きな豚さん、蝶々や蜂などが順繰りに回ってきます。孫はプーさんに大はしゃぎ、手足をびゅんびゅん動かします。やはり目鼻のはっきりしたものが好きなようです。プーさんテーマ曲の他、大きな栗の木の下で、蝶々、カエルの歌、蜂の歌、或る日森の中、熊さんに出会ったの曲、手を叩きましょABCの歌など、一緒に歌ってあげると大喜びでしゅ。
2021.08.05
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〇父方の祖父は私達孫のいる家に来られた回数は多かったけれど、また帰られるのも早かった。祖母はその反対で、なかなか来て呉れなかったけれど、一旦来られるやひと月以上滞在して貰いました。勤務中の父を除いて、わが家族5人は、これ幸いと海水浴へ出かけました。上町線の浜寺行。浜寺には当時米国進駐軍の屯所があった記憶があります。へとへとに疲れて帰って来ましたが、私どもが昼寝をする前に、祖母はうつらうつらの舟を漕いで居られた姿を時折、想い出すのです。
2021.08.04
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〇かぐや姫に興味を持たない日本人は皆無と言っても過言でないほど、わたし達が幼い時から聞かされてきた日本最古の物語。 繁田信一著の『かぐや姫の結婚』を手にした時、実在の女性である藤原千古を「かぐや姫」として紹介なさっているのは素晴らしいと感じました。「枕草紙」や「紫式部日記」のほか、「栄花物語」などを通じて知る藤原彰子や藤原定子らの人間像は、彼女たちが一条天皇の妃となって以降のことに限られますが、当時かぐや姫とも称された藤原千古は裕福な父・藤原実資の「小右記」という日記によって、その幼い時から綴られているから凄いと思うのです。彼女は約千年前の長和2年の生まれ。それは一条天皇のご退位・崩御のあった年だから、彼女にとって、清少納言や紫式部ら才媛の活躍の時代は昔語りとなってしまっていたのは残念なことと思われます。この書物の魅力は、主な王朝貴族の誕生年表や系図、藤原実資家の荘園所在地図、小野宮と称された邸の推定復元図、また所在地図、千古に縁のある寺院の地図、兄弟姉妹との関係、その他幾通りもの人脈図など資料が豊富で、千年前の王朝生活や婚姻に関わる風習を赤裸々に、懇切丁寧に解明しておられる名著と言えるのです。
2021.08.03
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〇夏と言えば何杯もの麦茶を喉に通しますね。私の酷暑バージョンの必須グッズは予めペットボトルに3分の1ほど麦茶を入れ、凍らせた中に冷やした麦茶を足したもの。それに厚手のタオルハンカチに水道水をじゅくじゅくにしたものをビニール袋に包んでかんかちに凍らせたものを、別のタオルハンカチに包んで持ち歩きます。 ところで昭和40年代には確実にあった麦を炒った麦茶は何処へ行ったのでしょう。煎じているとあの香しい匂いが厨中に充満。それを冷やした麦茶は心の飢えを癒すものでした。もうひとつ、青臭いトマトは昭和40年代には、ほぼ無くなっていました。現在は種類も豊富で極暑を乗り切る手頃な野菜。でも、あの青臭いトマトへの郷愁は断ち切れないのです。
2021.08.02
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〇昭和24年の父の日記によれば、8月9日は”新涼の気 天地に漲ってゐ”たそうな。前夜の3時頃から母の陣痛が始まっていて、9日の午前10時20分に妹を出産しています。戦時中に生まれた私なんぞは早朝に生まれたとしか聞いていないので、このように日記にはっきり記されているのを羨ましく思います。名前は”新涼”の2字から賛成の多い”涼”に決めたとあります。早々に出生届も済ませています。なお、この日記帳は市販のもので、各頁の欄外に歴史的なことが書かれています。昭和3年8月8日→第9回万国オリンピック大会にて、鶴田義行選手が200メートル平泳ぎに世界新記録、2分48秒8を樹立。明治4年8月9日→散髪廃刀令が発布。いわゆるざんぎり頭ですね。大正14年8月12日→富士山上でラジオの受信実験。等々。 掲題を更に展げますと、父の名、母の名が続き、家族の名が出揃う一文になります。
2021.08.01
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