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〇アルコールには強くない癖に、夜の町が好きで知らないスナックでも躊躇せずに入っていました。そういう雰囲気の中、スナック嬢と冗談など交わしながら、彼女らの生き様や性格など。それが曲や歌詞になったのだと思います。 他方、父は十分な小遣いをグッズを貯めることにしていましたので、捨てがたい書物が沢山遺っています。 竹久夢二の本は数えきれない程あって、龍星閣の豪華なシリーズは昭和42年の小冊子に在庫ぎれと書かれています。『歌の絵草紙』は昭和41年5月の発刊。3,800円。表紙は三味線を弾く有名な画。便りを書きながら両手を覆い哭く画「春の宵」 行燈の影に文かけば 身につませれて燈心の 涙ぐみたる灯ゆらぐ 心からにはあらねども 「わすれてたも」とついかいて われと泣かるる春の宵 詩・竹久夢二 樹木に寄り添い思案顔「影ふめば」 影ふめば影もおぼろ月あかり みぎらい煙り花のしずく 深く寂しく影ふかき夜の 静あゆみ心いつしか人恋いぬ 詩・永田龍雄など画と本文366ページ。
2021.02.28
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〇昭和37年7月と言えば大学に入る前の年ですが、当時の祇園の芸妓舞妓の人数は有楽町 →京屋の照子、藤原のかつ美など 40名八坂 →沢村の真理勇、大きぬの益千代ら 37名花見町 →古沢の富子、渡辺の子夏など 26名花町 →高木の秀子、藤松のまめ晃など 25名祇園町 →山本のその子、渕田の小れんら 12名富永町 →松家の花千代、日野の豆喜代など 21名末吉・北詰→奥野の小ゆき、赤田の小春など 23名末吉・南 →松井の千代丸、三宅の豆寿など 40名清本町 →杉本の富右、北川のすみ子など 28名橋本町 →北村の須美枝、勝きぬの朝子など 20名本吉町 →中村の登志恵、的場の加津次など 31名常盤町 →中西の富菊、広島の小久など 12名総勢で315名おいやしたんどすね。
2021.02.27
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〇いつぞやFACEBOOKにて父が遺している伏見人形の画像など載せましたが、今月末の吟行は京都テルサ東館ですから、東寺つまり教王護国寺の景色を詠むことになりそうで、東寺さんのすぐ近くに骨董店があって、伏見人形がわんさと飾ってあります。昭和15年6月発刊の「上方」は郷土玩具号で、3頁には、上方110回行事として同月23日、午前9時天満橋発の京阪電車にて、稲荷神社参拝後、窯元の丹嘉の見学会→東福寺→市電にて竹屋町下車。木戸邸・達磨堂の見学の催事が載せられています。 本文欄は川崎巨泉、中井浩水、木戸忠太郎、岸本彩星、大沢鯛六その他、この道の大家の玉章ばかり。
2021.02.26
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〇母方の祖父は福井県の貧しい家庭に生まれ苦学の末、大阪市の官吏に推挙され、若くして助役になりました。関市長の女房役として御堂筋や地下鉄など水都大阪の近代化に一身を捧げた一生でした。母がよく言っていました。来客が多くいろんな土産物を持って来られるけれど、一切受け取らない主義を貫いた人だったと。人は地位と名誉と権力を手にすると人格が変ってしまいます。また接待や賄賂を贈ろうする側についても厳しく罰すべきと思います。中には当初から動機が不純で地位、名誉、権力そして金銭に照準を合わせて政治界に飛び込んで来る輩もあるややも知れません。 私的な話で恐縮ですが、私は俳誌の編集者の立場にあり、中元・歳暮的なものが家に届きますが、時期をずらせてお返しを励行しています。公僕というのは一種のボランティアに似た、奉仕の世界であるということを政治に携わる人々は肝に命じておいていただきたいものです。
2021.02.25
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〇私は王様ではないので、美女を枕辺に侍らせ、夜毎おもしろい話を聞きながら寝入ることができないので、専ら、落語や漫才の録音カセットを聞いて寝ています。しかしながら、子供の頃に童話・絵本で見たり、読んだりした記憶は極薄で、独身時代に読んだ岩波文庫の『千夜一夜物語』の方が鮮明です。 起承転結がうまく構成されているから、ついつい一話を丸ごと読んでしまうことになります。旅の友には阿刀田高さんの『アラビアンナイトを楽しむために』(新潮文庫)を鞄に入れておかれると宜しいのでは?
2021.02.24
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〇凡そ一年間にも達する新コロナ禍に於いて時間はたっぷりある筈なのに、一月拙句の控えを忘れていました。 風呂の窓凍てつく朝の下弦月 父祖来の七種粥をひた守る 男神千木めがみ千木とて初詣 男神さんは千木が上に向かって尖り、女神なら水平 に削ってあります 風荒ぶ島や母似の水仙花 稽古場の黒艶の床足袋をどる 舞踊の稽古場は住込みの弟子が当番で床拭きを欠か さないの黒光り、真っ白な足袋を上げ下げする都度 床にも足袋が離れて移ったり、生えたように映りま す 枯蓮やさも弁慶の立ち往生 一雨ありまた一雨あり春隣 洛西の山々低く朝霧らふ
2021.02.23
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〇昭和51年5月18日から始まった「乙訓の伝説」シリーズの新聞切抜きは85回まで。3号サイズの極東ノートに貼って保存してありましたが、物置小屋の中で日焼け、褪せています。 今は探しあぐねる、推古天皇来の弁天嬢明星宮(大正末期中傷する記事で衰退)から始まり、大山崎宝積寺の打出の小槌、道真公が突き刺された榊、約6センチの自らの木像を中小路らに渡されたご神霊の話題や桓武平氏の祖・葛原親王、一文橋、小倉神社境内の雨乞い龍王神社、落馬で国盗りの馬ノ池、円明寺投石信仰の石倉神社、加藤清正の霊験に因む忠兵衛(現森口家)、八条ケ池密漁の男が金縛りなった話など伝承は人を惹きつけますね。
2021.02.22
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〇父の転勤で幼年期を京都の桂から佐賀市で過ごした2年間は今では味わえない貴重な思い出ばかり。大手保険会社の佐賀支社は県庁近くあったように思いますし、子供の足で歩いて往けそうな距離でした。思い出は断片的で、自転車に跨る父を後ろから押していたことや近所の子供会での幻燈、わが家の2階の部屋で大槻先生による姉二人たちの舞踊の稽古。小城の滝での大人の桜見、唐津の浜で大砲に跨った姿をカメラに収めて貰ったことや潮干狩り、地引網・・・鍋島藩の佐賀城、その濠など。父が遺した貝殻の中に多くある桜貝、きっと唐津の浜の潮の香を残しているに違いありません。
2021.02.21
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〇初めてのお見合いは銀行の重役・不動産部長のJ氏の御宅でした。その後、ふたりで服部緑地公園で少し話をしてから別れました。随分経ってから二度目の逢瀬の連絡を受け、選んだ場所が柳生の里でした。その頃はミニスカートの時代でチェック柄のスカートに赤いニット、白いブラウスの出で立ちが眩しく感じました。一体、どの辺りでランチを広げたのでしょう。家内持参のサンドウィッチと魔法瓶に入れた紅茶。国鉄の便は本数も少なく、乗り換えの駅で明るいうちに家まで送り届けることに懸命でした。父の遺したカラーブックス、邦光史郎・入江泰吉による『柳生の里』のページを繰っても、さてどの辺だったのか、夢まぼろしの如き思い出です。
2021.02.20
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〇お茶漬けを全然食べない方が居られるようですが、大半はあっさりしたお茶漬けがお好きなようで、海外に行った途端、茶漬け恋しいお方も。いんげん豆は隠元禅師が中国から伝えたことに由来し、それならたくあんは沢庵和尚が最初に作ったからと思いがちですが、そうではなくて大根の糠漬けの丸い重石が沢庵和尚のお墓の石にそっくりだったことに由来しているようです。しかも沢庵の歴史は驚くなかれ、沢庵和尚がお生れになる7百年も前の平安時代から食されて来ました。
2021.02.19
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〇見た目だけでは判って貰えないのですが、いわゆる認知症のような、今したことなどが直に思い出せないような錯覚に陥りやすく、一日中探し物をしているような状態で、時折、大学ノートに記録などして対処。編集の仕事も次代へ譲るべく、準備中です。そんなわけで、今手にした本は、先日、きっと物置小屋から出して来たのでしょう。滋賀銀行業務推進部企画、しがぎん健康友の会発行、編集・有)温友社「滋賀の祭りと伝統行事」100選というB5版の雑誌。両開きの横書き目次は大津・湖西、エッセイ、湖南、湖東、湖北に分類してあり、次頁も縦2頁を使って観光スポットの地図。 山王祭、花火大会、大津曳山、古式な和邇祭、大溝祭、七川祭、草津宿場まつり、渋川の花踊り、守山のすし切りまつり、長寿寺の鬼ばしり、信楽陶器まつり、八日市大凧まつり、曳山の日野祭、永源寺奉賛茶会、小江戸彦根の城まつりなど。滋賀県には総じて火祭りが各地で行われていて、しっかり伝統が守られていることに敬意を覚えます。
2021.02.18
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〇亡くなったのが1968年1月だからこの人物の顔は微かに覚えています。本名・伊東亀太郎、明治34年、材木職人の家生れの初代柳家三亀松。おさな馴染みの浪曲作家・室町京太郎によると、彼は子どもの時から女風呂を覗いていた好きもの。 深川の幇間・太鼓持ちになったのは桜川梅平に弟子入りした18歳のときで、桜川木場平、寿五六、揚羽家二三平などと称しました。幇間が芸者に手をつけるのは厳禁とされていたのに彼はどこでもその掟を破り、追放されました。柳家金五楼と並ぶ人気者で、初代柳家三語楼の門下となり、晴れて柳家三亀松と名のりました。浪華で名を挙げ、宝塚歌劇の髙根喜代子と結婚、その式場から逃げ出し、行方不明。もと付き合った女性の許へ別れの挨拶、何と1週間後に新妻の許に戻った由。吉本興行に入り、坂東妻三郎や大河内傅次郎の形態模写を取り入れた映画漫談は好評、一方お色気の音曲漫談は発禁されるほどきわどいものだったようです。
2021.02.17
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〇未だに人気のある掲題の本から適宜選びました。問1)鉛筆1本と10円玉5個があります。これを使っ てなるべく小さな円を描くには?問2)山、山、口の漢字3つを使って意味のある熟語を 示して下さい。問3)或る種のセミは17年ごとに大量発生すると言い ます。これには大きなメリットがあるのですが、 どういうことでしょう。
2021.02.16
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〇古都の町、京都の山には東山、北山、西山の三山があり、今、CMでも再々登場する「めちゃあけぼの感」は無論、清少納言の『枕草子』の書き出し部分。 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは、すこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。ここに書かれた「山ぎは」は北山でもなく、まして西山でもなく、東山。京都は盆地だから平坦な地域と比べたら、やや遅めの夜明け。東山の上空が明るみ始め、稜線があざやかに見える光景を巧みに表現しています。 高い山比叡から次第にずんぐり低くなる東山三十六峰を詠んだ服部嵐雪の句 布団着て寝たる姿や東山(『玄峰集』三十六峰は比叡、御生、赤、修学院・・・と続き、さらに月待、如意が岳、吉田、善気、華頂、円、霊などの山を経て稲荷山に至ります。その中心は奈良の僧・賢心が夢のお告げに従い、新京をめざし東山に至り、観音像を作った行叡(実は観音)に出合い、さらに坂上田村麻呂にも遇って、観音様を安置して京が始まったのでした。
2021.02.15
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〇ギターよりも小ぶりで、ワン・ルーム住まいの人にも心の慰みになる楽器の一つがウクレレ。お値段も手ごろだし、初心者が入って行き易い楽器とも言えそうです。北嶋廣敏著『雑学帝王500』を繰っていると、このウクレレに。<ノミと深い関係のある楽器がある?>という見出しを読み始めました。 19世紀後半、ポルトガル人によってマチューテという四弦楽器がハワイにもたらされ、宮殿の副侍従だったエドワード・バーヴィスという英国人がおどけた仕草で、飛んだり跳ねたり、そんな風に演奏したことから、ハワイ語のウク=ノミ、レレ=飛び跳ねる→バーヴィスのあだ名がウクレレとなり、それが楽器名となったとさ。
2021.02.14
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〇物置小屋からひょこっと出て来た掌サイズの小冊子、『俳諧京』は洛中の各名所を詠んだ吟行句集です。父すばるが可愛がっていただいた中田余瓶氏が纏められたもので、巻頭には「飛騨桃十君離京記念撮影」と題して、昭和二十八年七月二十五日。余瓶、桃十と夫人、いはほ、雨城、橙重、雄月氏らは立姿、鹿子、無庵、桐一と君子夫人、白羊、雨石氏ら。題簽も序も高浜虚子(鎌倉草庵)で先に出版された『京都句録』への謝意と今回の「七野句会」メンバーの句集発刊に対する敬意を記している。中田余瓶氏の序に続いて、「名刺はがりに」(年順)に雨城、いはほ、あはみ、雨石、橙重、雄月、大夢、桃十ら全員の文も載せられています。京鹿子図書館に贈呈しようと髙木さんの許へ参じたら、即答「これは既にあります」。図書なら一万数千冊保管されていますが、髙木さんがほぼ全図書を把握しておられるご様子に感服しました。
2021.02.13
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〇俳優でも無い私が演技論を唱えるなど、誠におこがましい話ですが、小学4年生来、歌舞伎を通して舞台芸術に接して来たこと、父が子供劇団を作ったり、住友生命に奉職していた若き日から演劇を続けて来たそのDNAが少し継いでいるのやも知れません。そう言えば、学生時代、宝塚歌劇46期生(甲にしきら)の某生徒さん宛、劇団気付で舞台論や舞踊論を便箋に5、6枚書いて送ったこともありました。 連続朝ドラマや大河ドラマを含め、主役はそれを支える助演者や脇役の方の尽力で何とか務めることができます。人気度と実力は必ずしも一致しません。こういう言い方は、物議を醸しだしそうですが、人生経験の浅い若い人達の評価の是非ですね。食べものの評価に於いても、親から指折りの料亭、一流の板前の手間暇かけた料理にどれほど接して来たかの尺度も軽視できません。演技論の一部もそれに尽きる部分があって、大物俳優、女優の演技は、落着きがあって深いのです。演技をしていないかのような自然さが凄いのです。
2021.02.12
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〇物置小屋から日の目を見た古書が4冊。掲題の團伊玖磨『好きな歌嫌いな歌』これは古書として11,210円?一方、川端康成絶筆という『たんぽぽ』は1,000円に満たず、 多湖 輝『頭の体操』第20集は4,930円。また良書と思われる高野澄著『文学でめぐる京都』は二束三文。康成の著に関する父の切抜きでは、「まつわりつく死のイメージ」という見出しで、<昭和39年から43年まで、断続的に雑誌に掲載され、その後未完のまま作者の死を迎えてしまった小説>等と書かれています。 多湖輝の頭の体操シリーズは段ボール箱に数10冊詰めてあったものはとうの昔に処分済みだから、今回発見したのは物置の片隅にあったもの。
2021.02.11
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〇「京鹿子」創刊500号の記念すべき時に間に合うよう野風呂先師は努められていましたが、その折は止むを得ず各人の句集に付された「序」を集めた『野風呂序文集』を昭和44年11月に急遽出版されました。 翌年の11月漸く『俳句歳時記』がご子息丸山海道師の編集にて発刊されました。昔懐かしい先輩の作品が満載されていますが、既に休会状態だった私の作品も9句掲載して戴いていました。 花一輪侘助なれば然るべし 星 子 遊び居る児の柔髪に東風伝ふ 恋猫の声のやりとり長びける 暑きこと生き抜くことに似たるかな 葉の緑浸み透るほどかたつむり 蛍火の移るところの闇動く 秋天下男ばかりの大合唱 虫売りの五本の指の太かりき 笹鳴けば五百羅漢は思惟の体(てい)父すばるは頻繁に出てきます。やはり表現や目の付け所が秀でています。(お願い)楽天ブログと同じ内容の記事を吉田陸治の名にてフェイスブックにて、写真5枚程度で日々更新しています。お陰さまでこちらは平均600アクセスですが、あちらは15件程度の「いいね」です。また作曲したものも動画風に載せています。
2021.02.10
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〇百人一首のお坊さんの一首、 さびしさに宿を立出て詠むれば いづくもおなじ秋の夕暮れ 良暹法師 西暦1065年頃67歳で没。その母親が実方朝臣の家の女童白菊との説もあります。 天台宗祇園別当、大納言師房歌合ほか何度か登場し、『袋草紙』などに逸話が散見されています。大原山荘の話題、まくり手の話、郭公(ほととぎす)長鳴くと詠んだ歌話、関の石門の話など。<この法師の生まれたる所は山城国愛宕郡の大原なり。これは都の北三里のほかにありて、八瀬村の北に当れり。乙訓の大原にはあらざるなり。>
2021.02.09
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〇季語と暮らす365日~俳句をつくりたくなる日めくりカレンダーの2月13日は 春潮の際まで寄りぬ七尾線 中川 雅雪の句が載せてあり、七十二候は魚上氷(うおこおりをいずる)。そして旧暦の一月二日。どうも旧暦と現代の暦とはしっくり来ないし、大安、先勝、友引、先負、仏滅のサイクルも一定の法則に従っていないところが不思議。先日、妙満寺から大きな白封筒は届き、開封すると同寺だより「妙塔」第六十八号が数枚と福井県小浜市の塗り箸ひと組が同封されていました。以前妙満寺さんでの句会に参加、別途数句投句箱に投函していたものが掲載された由。 なにを捨てなにを拾はむ冬隣 村田あを衣 風呂敷を衣裳に子らの聖夜劇 北村 峰月 山肌に小春日の愛たっぷりと 吉田 星子など、七句が掲載されていました。ありがとう御座いました。第二回貞徳忌俳句大会の受賞作品12句も掲載されていました。
2021.02.08
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〇わが家の垣根の巽の方角に遠慮がちに咲くのは、この地に越して来て、2,3年目の正月を迎えるとき、父が正月用の鉢植えを買いました。その松竹梅がそれぞれ大人になって来ているのです。10年ひとむかし、随分前に長岡天満宮の境内の一角、錦水亭の裏山にあたる場所を開拓して梅林が造られて以来、見応えのあるいろんな梅の樹が荒みがちな二月の私らのこころを癒してくれています。それより半月以上遅れて漸く咲くのがこの家の垣根の梅です。父が没して寂しく暮らした母の食膳の箸置きに、紅梅の小枝を添えましたら、母の表情が明るくなっていました。 梅匂ふ山とこだまを分ち合ふ 星 子俳句を始めて、3年経った頃の拙句だと思います。
2021.02.07
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〇大むかし、NHK大河大河ドラマ「功名が辻」山内和豊の妻。くるりんとした大きな目の仲間由紀恵さんが愛らしい新妻を演じました。戦国時代の女性は男の犠牲になったと思われがちですが、信長の妹お市の方のように、政略結婚であろうと、嫁いだ先との均衡を保つ上で、極めて重要な立場を務めたのだから賢さも要求されたものと思われます。現に名を残していますね。識者たちは現在の風潮を警告し、古来のしきたりや古人の知恵の大切さを力説して居られます。現在の女性は都会暮らしの延長で結婚し、里の母親の援護もなく乳飲み子を独り抱えて居られるケースが多く、大変労苦の多いものだと思っています。不透明な新コロナ禍のもとでは猶更ですね。
2021.02.06
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〇俳句を楽しむ者にとって、空白時間があっても作句すれば良いので、それほど苦にはなりませんが、ポシェットや旅鞄に入れておくのに都合の良いサイズの講談社文庫本、中でも掲題の『お噺の卵』武井武雄童話集もその一つです。例えば、「ブウ太郎鍛冶屋」では、蹄鉄で繁盛するブウ太郎作を履いた馬のヒン助。まるでタップダンスを踊るかのようなその調べに他の動物たちも憧れます。地上で生活する動物ならそれでいいのですが、空飛ぶ鳥の場合はそうは行きません。鍛冶屋のブウ太郎が諫めるのを振り切って鶏のコケ吉が是非作ってくれと頼みこみました。これを見たアヒルのガア太郎や白鳥の四郎兵衛も必死で注文。出来上がった蹄鉄を履いた鶏、アヒル、白鳥たちは余りにも重い蹄鉄の為、空を飛翔することができなくなりました。こういう発想が全編に溢れているのです。
2021.02.05
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〇2003年の1月から、それ以前のライコスというサイトから一部写したもの楽天に載せ始め、同年8月からはほぼ毎日ブログを更新、1月30日現在6385回更新しているブログの名が「しぐれ茶屋おりくの日記」です。この名前の出どころは第一回直木三十五賞受賞者川口松太郎の「しぐれ茶屋おりく」。隅田川ぞいの芦の湿原の中に建つ「しぐれ茶屋」。蛤の茶漬けを求めて、伊藤博文を初め、実業家、政治家、芸人たちと女将との恋一夜を綴った読み物から採りました。 ところで彼の作品集、桃源社刊『古都憂愁』には、名妓万榮、円山しだれ、洛北再会、包丁姉妹、嵯峨野悲雨、祇園祭や霧の中の比叡、清水寺少女、金色の臍、大根焚きの味、鹿ケ谷遁世、金閣寺の白蛇という十二話が掲載されています。京をこよなく愛された松太郎氏、久保田万太郎の弟子ゆえ、情緒ゆたかではんなりした気分になりますえ。
2021.02.04
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〇15年前の宝寺の節分会(追儺式)を記した日記です。いつも柔和なお顔のお坊様の説明を聴きながら、鉦の鳴るのを合図に山門をお坊様、山伏、鬼たちが揃って登って来ました。読経などに続いて散華がありました。お坊様たちは彩り美しい円形の散華を投げたり、近くの人々には手渡しで下さいます。散華は尖った円形つまり目の形をした金地或いは銀地に、飛翔する天女の絵やこの宝寺のシンボルである三重塔や蓮の花、尾の長い鳳凰、雅楽に使用する太鼓などの絵がカラフルに描かれた7cmほどの紙切れです。観音経、般若心経などの読経の中、鬼加祈(鬼役の人にもお祓い)があり、やがて鬼たちに豆を撒く追儺もありました。そして袴姿の年男・年女(主にガイドの会の先輩たち)や公募した七福神たちが参詣者に豆を撒きました。1300回に近づいた伝統行事を目の前で見ることができましたので満足感でいっぱいです。千年を悠に越える歴史は、その鬼の面を見ても納得が行きました。能登の鬼面にも似た古い年代を感じました。
2021.02.03
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〇到頭見つけました!物置小屋からノートルダム女学院中学高等学校にて教鞭を執らせていただいていた父の文法ソング。 〇助動詞 活用型の歌(まりと殿様)四つの段に む・けむ・らむ下二は つ・る・らる・す・さす・しむむず のサ変に ぬのナ変たり・り・なり・かり・めり ラ変べし・たし・ごとし・まほし・まじ ク・シク活き・ず・まし・じ・らし 特殊活 特殊活注 断定の「なり」・「たり」は形動型だから、 (ラ変型)プラス(連用形に「に」又は「と」) 完了の「たり」は純ラ変 〇助動詞 接続の歌(かもめの水兵さん)る・らる・す・さすしむ・むず・む・す(連用形に接続)じ・まし・まほし・(サ変に)り (連用形に接続)つ・ぬ・たり・けり・けむ・たし・き (連用形に接続)らむ・めり・らし・べし・まじ(ス)なり(々) 等等。
2021.02.02
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〇銀行同期の越智氏の万葉逍遥『万葉 五十一夜』なる力作を昨夏いただきました。職場仲間との飲み会の座興に一枚紙の万葉集の解説を披露していたものを推されて著作にされた由。第二夜には 穂積皇子に思いを寄せた和歌 秋の田の穂向きの寄れる片寄りに 君に寄りなな言痛(こちた)くありとも 但馬皇女など四首を挙げ、コメント欄には当時は異母兄妹の結婚は許されていた社会背景など記述。「閑話休題」として 観覧車回れよ回れ想い出は 君にはひと日我には一生(ひとよ)という栗木京子の歌や俵万智のサラダ記念日の歌など。
2021.02.01
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