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〇結社の募集大作を初め、川端康成、かみかた通信句会、或いは光秀のまち亀岡、妙満寺貞徳忌などに応募投句しながらの九月でした。人魚姫陸(おか)にのぼるや青き夜 この「青き夜、青夜」は先師丸山海道が発案した結社だけの、夏の終わり頃の青い夜空の雰囲気を示す季語。熟田津(にぎたつ)の青夜の潮に船出せむ 額田王の万葉歌の本歌取り<熟田津に船乗りせむと月待 てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな>青き夜机上に開く福音書業平の武人すがたや藤袴耽美派の谷崎を読む秋袷 ここで言う読むは朗読、粋な秋袷の読み手。秋うららパン屋を巡る小半日黒葡萄ベートーベンの四重奏萩の雨斯くして茶事の末客に紅萩や染井の宮の杓づかひ紅萩の此処だけ残り榾火めく等などでした。
2021.09.30
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〇江戸時代は経営のピークに達した頃に次代へと経営権を早々に譲っていたようです。しかし主が早逝しその息子が跡を継ぐような場合、往々にして都合の悪い放蕩者だったりします。そんなケースには手代たちが親戚に改善代案を出したりしていました。井原西鶴の「万の文反古(ふみほうぐ)」には、 <何とぞ二、三年は鎌倉へご隠棲なされ、そのお心構えもまじめになられましたなら、若旦那様をお店に呼び戻そうと存じます。・・・(中略)・・・さて若旦那様鎌倉へ三年間ご隠居下されて、私どもの希望が入れますならば、次のとおりにいたしますので、ご不自由はおかけいたしません。(栄花の引込所の段、現代文化) 放蕩の若旦那は困りもんですが、大阪落語の「たちぎれ線香」の小糸への純愛物語は、涙を誘います。その語りを引き立てる大阪地唄の「雪」も哀しみを誘って素晴らしい。
2021.09.29
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〇匂い、香りについて綴るなら生キャベツを咬んだとき、不意に襲うあの匂いキャベツ畑から一部頂戴して飼い、それが紋白蝶に生まれ変わるまでの独特の臭さ早春の庭から摘んだ蕗の薹父から食べて御覧と口に含んだときのあの強烈な生草の臭いもう今は味わえない昭和二十年代のトマトは半分真っ赤枝元に近い部分は緑いろ、その生臭さ西瓜の匂い、通り過ぎた頃に気づく木犀の香り煮込んでも薄れない菊菜の個性五月に神から賜った初孫よ、これからいろんな匂いにキミは出遭うだろう
2021.09.28
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〇大阪「さかい」に京「どすえ」、兵庫神戸は「何ぞいな」という関西地区の特徴をあらわした言葉がありますね。 わたしは俳句仲間やガイド仲間としゃべる時、冗談で「どっしゃろ」とか「どすえ」、「ほな おおきに」といった京の花街ことばを意識的に使います。 これは数人居る座に和やかな雰囲気をかもし出すには都合のいい<やわらかい言葉づかい>だと信じて自然に口から出ているのが現状です。この花街言葉を一般の関西おんなが使ったら少々嫌味たらしい雰囲気になりますが、男児たる者が冗談まじりに使うと案外効果的なのです。
2021.09.27
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〇子供の時から再々父に言われたことは、クラスの優秀な人と付き合って置く様に、その方が人生を誤らないだろうから。それを忠実に守り、中高生時代はクラスの上位者と付き合ってきました。しかし裏を返せば、常に優秀な人の”取り巻き連中”の一人として他人には写ってきたのかも知れません。附驥尾の譬えの馬偏に北と異の字からなるこの難しい字は一日に千里を駈ける駿馬のこと。そしてその尻尾に止まる蝿は、しがみつくだけの努力で千里を進むことになります。総裁選、衆議院選挙へと続く現在の若手議員の心の在り方に問題提起する評論家も多々ありますね。
2021.09.26
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〇某年某日の京都新聞紙上には「京の町看板」という見出しで街角にある木製やホーロー製の細長縦看板に触れています。中でも有名なものが仁丹提供のものですが、明治四十三年に郵便配達員が困らないように設置したのが起りだったようです。町名で思い起こすのは、「大阪俳人クラブ」という、ほぼ俳句全結社で構成された連盟の運営を4年担当した折、小冊子に、 「かんさいの変った町名」と銘打って、第百三十号の淳和院町を皮切りに、弁慶石町、俊成町、道修町(大阪)、京の紹巴町、本塩竃町、二畳半町、黒谷町、垂水町(大阪)、蛸薬師町、兎我野町(大阪)、天使突抜町、夕顔町などを連載しました。
2021.09.25
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〇梶本きくよ氏の句集『北浦和』から菊の句を拾ってみました。 夕日もろとも大輪の菊剪りにけり 豪快豪放な句ではないか。黄菊か白菊か大輪の菊の切り時を数日前から見計らっていた。明日にしようかなと思いつつ庭に出て、橙色の夕日を背にした大輪の菊を見、この瞬間だと迷わず切った。今が潮時と思ったのだ。夕日もろともが良く、剪りにけりの”剪り”の語法が適切。鋭敏な鋏でないと、この大輪の菊の茎の太さを切り落すことができない。
2021.09.23
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〇この駄文を毎日綴る上で「本」に目を通さない日はありませんが、本と言えば必ずページを繰ります。字数の加減でカタカナの「ページ」よりも漢字の「頁」で表わすことが多いのですが、いろいろ調べてみると、漢字の旁・おおがい「頁」は、頭、額、顔、頸、顎など人間の頭部に関り、象形的には跪いた姿を現しています。 頁の音読みは「けつ」「よう」で、同じ韻の「葉」を軽いものや薄いものを数える助数詞もここから来ているようです。
2021.09.22
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〇少年期、大阪帝塚山の社宅に7年ほど住んでいた折、お月見の行事だけは欠かすことの無かった母の想い出が蘇りました。おはぎの鉢。蒸かし小芋の鉢。そして庭に生えていた薄を鶴首の花瓶に挿してお供えをしていた母。たまに着る割烹着の白さが眩しかった。母は美しかった。きっと娘時代から欠かすこともなく、母にとって実家の愉しい時を反復させていたのだろうと思います。優しいけれど我侭な父に嫁し、子を産み育て、財布とにらめっこばかりしていた母の拠り所となる月見のリフレッシュな時間だったのかな?と思うのです。今夜は、そんな母を偲び、家内と二人で月見を楽しみたいと思っています。
2021.09.21
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〇20日の月曜から彼岸の入り。ご先祖様を偲ぶ法会として継がれ来ていますが、何を隠そう、平安京をお造りになった桓武帝が、弟君・早良親王を藤原種継事件の黒幕に仕立て、乙訓寺に幽閉、流刑とされたことに起因し、断食までして抗議された早良親王の無念さ故の怨霊の凄まじさに怖れられた余り、延暦19(800)年、親王に「祟道天皇」を追号され、お墓も山陵(天皇陵と同格)とされたのみならず、種継事件で流罪とした大伴家持らの官位を復することや祟道天皇の怨霊を慰めるために、諸国の国分寺僧に、春と秋の2回、7日間にわたって金剛般若経読ませるよう指示されました。彼岸という言葉は仏教用語からできたもので、梵語・波羅密多の訳だと言われています。正しくは到彼岸、つまり生死を繰り返す迷いの世界・生死輪廻である此岸(この世)を離れて苦しみの無い安楽(涅槃常楽)な彼岸・あの世へ至るという意味です。その内容にも仏教の影響が多く見られますが、この思想は他の仏教国には無い日本固有の信仰といわれています。 (参考文献・竹田恒泰著『怨霊になった天皇』ほか)
2021.09.20
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〇京都新聞のラジオ番組案内ページの片隅にある運勢欄は毎朝必ず目を通します。良い運勢なら、逆に慢心せぬよう自戒して、悪い場合はこれで安心、上を目指そうとします。家内の運勢:良い事たくさん。気持ちも弾み人気も上昇 吉数2、緑、方位東長女の運勢:先頭に立たず2番手が安全策。ピタリ追走 吉数10、紫、方位北西小生の運勢:人との交流に運気アップのカギが。会合吉 吉数1、青、方位東北初孫の運勢:独り合点で無駄骨。人の話をよく聞くこと 吉数5、金、方位西北出かける時は、ハンカチその他のどれかに吉色を持参。初孫は未だ4か月なのに、異性運が悪い日もあって可笑しくて笑います。
2021.09.19
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〇高浜虚子に師事したの後、「駒草」を創刊させた女流俳人阿部みどり女さんの代表句に 咲き満ちて天の簪百日紅 みどり女があります。初めてこの句に接した時の感動は忘れません。ところが大正七年生まれだった父すばるは、このみどり女さんと親交があって、「駒草」に数回、エッセイを書かせて貰っていました。
2021.09.18
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〇父が遺した新聞記事の切り抜きファイルの中で、高橋治氏の俳句エッセイが美文でカラーだったので印象的。今、手元にあるのは朝日または京都新聞のいずれかに連載されたと思われる「きれ」シリーズ。記事は62回に跨っていて、これもカラー刷りだから目を奪われてしまいます。秋田黄八丈、有松絞り、上田紬、絵がすり、江戸どき、大島、お召、甲斐絹、加賀友禅、かすり、葛布(かっぷ)紙子、唐織、間道、黄八丈、きょうけち、錦紗、金襴、御所解き、小紋、紺織木綿、佐賀錦、更紗、ささ織り、絞り、紗、しゅちん、上布、すり箔、仙台平、緞通、縮、まだまだあるのだから、日本の技や匠は世界に誇れるのですね。
2021.09.17
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〇嫡流ではないものの、冷泉家の祖・藤原定家の明月記は歴史的な事や当時の風俗・風習等を記してありますので時代考証には欠かせない日記と言えます。 旧暦での正月十三日は頼朝の命日に当り、その事を建久十(一一九九)年の定家の日記に一週間ほど遅れの十八、二十日の記事としていると新聞は報じています。私の蔵書には『京都冷泉家の八百年』(為人著)がありましたが、後日『明月記』上・下巻もネットで購入しました。 宗祇から古今伝授を受けた三条西実隆(関戸明神や宗鑑碑のガイドに絡みます)の日記を初め、嵯峨天皇の河陽宮跡の離宮八幡宮の古文書三百余点(殆どが重要文化財指定)は時折、京の大学教授陣が鑑賞されています。 また江戸末期から明治維新にかけて、当時を偲ぶ日記として、通称「山崎聖天」で知られる観音寺の日記も一度は拝読したい文書の一つです。
2021.09.16
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〇北斎と言えば半円を成す高波の中に白富士の見える図が一番印象に残るのですが、「冨嶽三十六景」の図は記憶にあっても、「富嶽百景」の富士の捉え方の多様性には驚いてしまいます。”霧中の不二”に於ける急坂の構図、洞穴から見た構図の”洞中の不二”、”田づらの不二”は水面に写る逆さ富士、”村雨の不二”は透かし絵になっています。”見切の不二”は障子張替作業中のもの、 ”不斗見不二”、”梭穴の不二”、”風呂の不二”などの意外性に驚かされます。”井戸浚の不二”、”七橋一覧の不二”は江戸時代の風景を余す所なく描いています。 先ほどWikipediaで調べましたら、相当な奇人で、名前を30回も変えていたり、転居に至っては93回。食事の用意は自分では一切せず店屋物ばかり。客の接待も他人任せ。版元からの給金は中身を確かめることなく、支払いには貰った時の袋のまま渡していて、余った分は請求者の余禄、不足はきっちり追加請求されていたようです。人に接することが苦手で、会っても礼をせず、こんにちはと嫌と二つの使い分けだけ。主に縞柄の木綿の服を着たっきり雀だったようです。彼の生き様の是非は兎も角、東欧の画家にも影響を与えた偉業は賞賛に値するし、彼から多くを学ぶべきでしょうね。
2021.09.15
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〇梶本きくよ氏の句集『北浦和』から一句。 脇役の視線に主役菊人形 歌舞伎の演出はいろいろ工夫が施されている。その一つが脇役の重要性なのである。主役を引き立たせる為、脇役を上手に使っている。悪役もその一つであるが、悪役だけでなく、舞台を彩る登場人物すべてが、主役に観客の目が行くように演じさせている。歌舞伎に限らず、舞台芸術・ドラマなどもそうである。不幸なのはテレビドラマで脇役に大物俳優を揃えた場合、主役一人が浮き出てしまい、ちぐはぐなドラマになってしまうことである。経験の浅い人が主役に抜擢され、本人は一生懸命努力する。しかし努力のポイントがズレている為、そして付け焼刃の状態で演技するから、こういう結果になる。初主役でも、脇役と呼吸を揃えたり、場を見て演技する力があれば、その人は将来的にも大物役者になれること請け合いである。演技とはこうしたもの。前置きが長くなって仕舞ったが、この句の言わんとするところ、菊活け職人の演出も、其処にあると思うのだ。
2021.09.13
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〇藤原定家の姉妹のひとりが、景勝光院の梅の花を見に出かけ歌を詠じた話が「本朝古今閨媛略伝」に載っていて、何とその出で立ちは仮装姿だったそうな。だから文書に見る仮装の始まりは彼女の活躍した平安末期と見てもよろしかろ。しかし何と言ってもかぶき者大将の信長公の仮装癖もさることながら、その後を継いだ豊臣秀吉公の発案による文禄3(1594)年6月28日の仮装大会こそ我が国最初のものと言えそうです。瓜畑に瓜屋と旅籠屋とを設え、秀吉自らは瓜商人の恰好、家康は畚(モッコ)売り、豊臣秀次は漬物売り、織田信雄は遍参僧、前田利家は高野聖、蒲生氏郷は荷い茶売り、前田玄以は比丘尼という具合。柿帷子を着て藁の腰蓑をまとい、黒い頭巾をかぶり、菅笠を肩にした秀吉は、「味よしの瓜めされ候へ、味よしの瓜めされ候へ」と売り歩いたが、その声色と容姿が抜群だったそうな。氏郷は極上の茶をたてて秀吉にすすめ、うんと高い茶代をねだって一同を笑わせたとか。
2021.09.12
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〇子供の頃、野原で遊んでいて、頬を撫で髪を梳く風の変化には敏感だったような・・・。漢字として並べてみると、追風、逆風、風光、風景、風雅、風流、風聞、風刺、風化、風紀、風采、風貌、風情、風格・・・など、実に細やかな世界が広がります。雨や雪は目に見えますが、風は透明人間のよう・・・。枝が揺れ、葉がそよぎ、髪がなびき、紙がぱらぱらめくれたりする時に、その存在がはっきりしてきます。秋は正に、この風を感じる季節で、それが空の澄んだ色と、暮れ行く黄昏と、光の陰影などと相俟って、人の心にいろんな影響を与えます。頑張って、泣いて、笑って、怒って、打ちひしがれて、落ち込んで・・・・いろんな行い・経験を重ねていくことによって、人の風貌も風格も作られていきます。言葉は一文字違いでいろんなニュアンスの差を生み出しますが、秋の風のように、人の心の隙間から慰めていくような言葉を選んでいきたいものです。
2021.09.11
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〇 真っ白な大きな画布に 先ず最初に僕が一本の樹木を描いた それは大好きなイチョウの古木 黄緑色に陽が射し込んで 金粉を散りばめているような 若葉が天使を呼び寄せているような そんな樹木を描いたんだ それが二本になり三本になり 何時の間にか ハイネの詩に出てくるような 写実的な西洋絵画のような 森を形づくっていた 或る日突然 一匹の白兎の絵が描き加えられていた きっと君が描いたんだね 僕は嬉しくなって 画布の左に白樺の樹を植えた すると君が青く澄み渡った 楕円形の湖を描き入れた 僕の手で右上方に太陽を輝かせると 湖畔には優しい小花をいっぱい 赤、黄、紫、黄色、ピンクの彩りを 君が描き入れた 僕はすかさず湖面に つの字の首をした白鳥を浮かばせた すると画布の左方から右へと 七色の虹の架け橋を君が描き足した こうして僕たちの風景画が 誕生した
2021.09.10
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〇先日図書館から借出した毎日新聞社編「タカラヅカ」の初めの方に、劇画のルーツはタカラヅカと明記してありました。 実はこうなんです。大正末期生まれの漫画家・手塚治虫は宝塚育ち。しかも隣人はと言えば、宝塚の象徴とも言える天津乙女その人で、「オサムちゃん」と呼ばれ可愛がられていたそうな。昭和一桁の「パリゼット」「花詩集」のレビュー全盛時代にオサム少年は宝塚風の美意識を育まれたのでしょう。日本敗戦時、彼の纏めた原稿は十五編、三千枚にも及んでいたようです。治虫は歌劇編集部にも籍を置いた時期もあり、「リボンの騎士」の主人公、男装の麗人・サファイア王女のモデルは淡島千景と言われています。 後年、池田理代子作の「ベルサイユの薔薇」の舞台化によって、宝塚が再び脚光を浴びる契機になったことは不思議な縁と言えましょう。
2021.09.09
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〇種から育てた朝顔が毎朝十以上も咲き、絞りもあれば花火のように見事な大輪が現在も続いています。日除けが狙いで古い簾を這わせていますが、食べ終わった南京も同時に大輪を咲かせ、待望の雌花を人口受粉させた所、日増しに膨らみが顕著になっています。ふと初孫の成長と思いが重なりました。そう言えば、昔口から吹き飛ばした西瓜の種から一茎育ち、ビー玉、ピンポン玉へと成長。それがね、ちゃんと一人前に黒っぽい縞模様が付いていたんです。生まれて間もない孫も同様で、五本の手指、五本の足指がきちんと揃っていて、愛らしさが堪らなく、専ら好々爺の日々なんです。 (星子)
2021.09.08
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〇京の南の方除、城南宮から発刊されている『源氏物語の庭』は理学博士の廣江美之助が著わされ雅な書。表紙は曲水の宴、春夏秋冬の4部に分かれていて、秋の部には七草の藤袴から拾いますと、 <蘭の花の面白く咲いているのを持っていらっしゃいましたのを、御簾の端から挿し入れて(中略) おなじ野のつゆにやつる〳藤袴 あはれはかけよかごとばかりも藤袴は和名で、漢名は蘭・蘭草・香草・香水蘭であり、乾燥すると良い香りがする。>例会で詠んだ拙句 業平の武人すがたや藤袴小倉百人一首絵札の業平は箙(矢筒)を背負った姿です。
2021.09.07
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〇今から15年ほど前に綴ったものですが、力士として、横綱として問題多々あった朝青龍関。されど朝青龍関の仕切りは天下一品と称しても良いでしょう。取り口も横綱として真正面から受け止め、厳しい攻めでスピード感溢れる相撲を取り、技の切れも抜群に素晴らしいものを連日披露してくれています。一方、近年、相撲の世界でも合理主義的な気風、つまり勝てば官軍的な風潮があって、仕切りの時、相手と呼吸を合わせないで、自分の都合で行う力士の何と多いことでしょう。勝つことは無論大切ですが、土俵を立派に務め、その結果として勝ちを拾うという、さばさばした力士を応援したいものです。相撲協会の幹部は、行司さんにもっと権威を与え、まずい仕切り、自分勝手な仕切りをする力士には警告を与え、観衆と力士が一旦、息を止める瞬間を演出して貰いたいなぁと切に願っています。今回(2005年9月)優勝決定戦で勝ちを得た横綱が、初めて深々と土俵に礼をしていた姿が印象的でした。極力サポータを嵌めないことなど力士の美形にもご尽力願い、心技一体の美しい国技:相撲を見せて貰いたいと願う次第です。
2021.09.06
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〇くじ引きと言えば子供の頃、正月はわが家の伝統行事部屋の隅に沿って並べたお菓子を呪文?「山伏の法螺の買い」で止まったものを貰うイベントや友人とチャレンジするあみだくじ。これらはその場で直ぐ強運・薄運の決着がつきますが、社会人になってからは通勤途上時折買うで買う宝くじ。大金持ちになりたい、そんな大それた欲はなく、発表される一週間後までの希望、その間の苦労を乗り越える為の一法でもありました。その場で決まるくじ。それはコインでこするくじですが、図柄が出るまでの淡い期待感に値打ちがあったようで、拠出した元金が回収できれば「オン」の字。近年はジャンボ宝くじの当選金が数億に及び、これに命を掛ける輩があって、江戸時代の富くじの悲劇が起こらないとも限りません。小市民であるわたしの場合、最近は5枚計千五百円の小投資です。
2021.09.05
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〇中世から戦国期の女性の名前についてひとこと触れますと、太閤秀吉の正妻・北政所の幼名は”ねね”、ライバルの淀君のそれは”ちゃちゃ”。足利義政時代に流行ったをさな名が”ちゃちゃ”で、当時を記した『大上臈御名之事』に拠れば、貴族層のをさな名として人気のあった名が、あちゃ、かか、よよ、ちゃちゃなどが挙げてあります。やがてそれらが武家にも広がったようです。”ねね”も割りと流行った幼名で、秀吉の”ねね”宛の手紙には”おね””ね文字””おねね”等があります。北政所として出す公的な文書には貴人の正妻らしく”吉子”と記していたようですが、ねね自身が近親者に与えた手紙に”ね”と一字だけ記されたものがありますが、これは遠慮の要らない相手への用法だったとか。
2021.09.04
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〇著名な俳句雑誌に一句掲載して貰えそうで、選ぶとなると佳句の少なさに啞然としました。頼もしや四肢を踏ん張る茄子の馬大ぶりの茄子の馬なり父母迎ふ爪楊枝女もすなる酸漿を金魚無き金魚藻朝な夕な見る新涼を小壜に詰めし化粧水心太まこともうそもつるつるり嫁業の集約みっか盆供養初秋や文楽お七伏し目がちさらさらの青砂どけい夏果てぬ朝涼や嵯峨の竹径踏み入れば秋霖やオルゴール館に憂さ晴らす暮れ泥む嵯峨の細みち法師蟬
2021.09.03
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〇白百合が綺麗に咲く季節になりました。世界中におよそ80種類。日本には15種程度。『古事記』や『日本書紀』にその名が記され、『万葉集』にも10首詠まれています。茎が細いのに大きな花をつけるので、風に揺れ易く、その「揺れる」から「ユリ」と称されたのでしょう。 中国語ではユリを「百合」と表記し、それは根の部分が幾つもの鱗茎の球根になっているから。多くの鱗片が重なり合っている形態から百合の漢字を割り当てたようです。
2021.09.02
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〇2007年に刊行された『米朝よもやま噺』の第3節では、昔の寄席を彩った色物(落語以外の芸)での変った芸人さんに触れておられます。奇行の多かった松葉家奴さんの魚釣りの踊りの妙、立花家扇遊さんは「蝿とり」というトリモチが顔に着く踊り、表情、左右の目が別々に動かせる芸、東京大空襲の時、ご夫婦手を繋いで亡くなっていたとか。三亀坊さんの立体紙芝居はでは、道ゆく立体の馬(実際には糸でぶら提げる)がだんだん小さくなり、最後は米つぶ程に小さくなるなど。小松まことさんの「後ろ面」の舞踊、この人かどうか不詳ですが、私もひょっとこおかめの踊りは見たことがあります。5代目松鶴師匠さんは「上方はなし」という雑誌を足掛け4年、49巻出され、その復刊本は上・下巻で今や15万もする高値のようです。その編集を手伝ったのが、米朝さんの師匠4代目米団治さんで、編集や落語では儲からないので別途、代書屋もしておられ、その経験から新作落語「代書」が出来たのだそうです。<儲かった日も代書屋の同じ顔>
2021.09.01
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