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〇3年前5月23日のニュースでは、既に大正年代の漱石全集に掲載済みの漱石の絵入りハガキ3通が、ずっと行方不明になっていたものが福井の古書店で発見され、こども歴史文化館が入手し、県が発表しました。異国生活での漱石の不安感や寂しい心情、友人との交流を知る貴重な資料。福井出身の国文学者・芳賀矢一、ドイツ文学者の藤禎輔輔への2通。彼らは1900年に同じ汽船にて出国した間柄。さすがは漱石、欧風の建物などを描いた見事な作品と言えるハガキです。
2021.04.30
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〇新コロナウイルスワクチン接種について、各市町村で実施日や予約について具体化して来ました。もう喜寿になっていますので、このワクチンを受けて安心したいのが本音です。電話予約には混雑が予想され、スマホを使う場合は市役所とlineで仲間になる必要がありました。ガラケーは老人には使い易く、スマホは指使いや不便な便利サイトが矢鱈多く、まして知人との間に失礼があってはまずいと従来避けてきたlineは大の苦手。やっとこさ市役所のワクチン予約に辿れそうになりましたが、携帯上のいろんな知人に、「いきなり繋がり」大慌て!面食らいました。事情説明や詫びの言葉を入れるのに大変でした。しかし、慣れれば便利なんだなと予感しています。
2021.04.29
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〇宝永5年(1708)の大火災によって洛中の一部が焼失した折、松平紀伊守、安藤駿河守、中根摂津守連名にて道幅を広げるお達しがありましたが、椹木町と錦小路の魚屋がそれでは商売がしにくくなると拒んだので現在も錦小路は道幅が狭いですね。伊藤若冲は錦市場の青物問屋「枡屋(枡源)」の長男でしたが、40歳になり弟に家督を譲り、隠居して絵画の道に進み、野菜や鶏の絵を多く残しました。また錦市場の危機にも奔走したようです。伏見稲荷大社近くの石峰寺には彼の手になる五百羅漢その他が残されいます。
2021.04.28
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〇カラーブックス、春木一夫著『神戸歴史散歩』の本文を見ると、源平大合戦の見出しに始まり、小見出し「清盛は天皇の子か」→祇園女御の妹が院の子を懐妊、刑部卿忠に賜う。「清盛は貧乏?」→祖父正盛は但馬守ゆえ、但馬の税金を徴収する任務。よって貯えがあった。「貿易と兵庫築港」→忠盛・清盛共に宋との交易に注目し、沈香・白檀などの香料や薬品・染料、絹織物を得た。「福原遷都」→藤原氏・奈良寺院らの反感、後白河法皇との軋轢、宇治の戦敗戦など。このほか、生田の森・箙の梅、一の谷の逆落とし、忠度と与一、敦盛と青葉の笛という見出しと説明があります。
2021.04.27
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〇父の転勤で2年間居た佐賀市から大阪市住吉小学校に移り、4年生から苦手なローマ字を習いました。簡略字は別として中国で使われる漢字は5万以上、その1割を日本で通常使うなら5千字。小学校では2千字余りを教える程度ですが、2千字にもそれぞれ音があり、訓読みがあり、音の中にも漢音や呉音があるばかりでなく、日本風な使い方や読み方が夥しいので、大変難しく、その欠点を補う為に考えられたのが仮名ですが、漢字と組み合わせて読むとまるでクイズのようになります。 そこで新たに考えられたのがローマ字で、明治初頭から勢力があって、更に「ローマ字日本語運動」も繰り広げられました。世界共通の自国語の表現ですから、日本語もローマ字表記で世界に知られることになりました。しかし、今では余り使われていませんね。
2021.04.26
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〇今から14年も昔、「京鹿子」誌通巻千号達成を記念して「野風呂・草城と大正・昭和の俳人達」という企画展が9月下旬、野風呂記念館で開催されました。京鹿子の創刊に携わった鈴鹿野風呂・日野草城の著作や肉筆その他。京鹿子以前の作家、例えば高浜虚子、内藤鳴雪、飯田蛇笏ら14名の短冊等。京鹿子初期同人、紫雲郎、王城、播水、誓子、泊月、白川、雨城、素逝、いはほら10名及び11名。京大俳句の白文地ほか7名、秋桜子ら4名、ホトトギスから鬼城、風生、素十、青畝、義生ら22名。女流では久女、ふみ子、立子ら8名。芸術家では画家の緋佐子、柳生、吉右衛門ら7名。その他珍しい寄書などが展示されました。去年同様、今年もコロナ禍にて中止となりました。
2021.04.25
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〇北陸と言えば加賀百万石の前田家、そして同盟国の朝倉家を挙げられます。越前の守護に任命された朝倉敏景が一乗谷に入ったのは1470年代のことで、応仁の乱最中でした。それ以来天正元年(1573)織田信長に滅ぼされるまで、ちょうど5代100年の間、一乗谷は越前一国の軍事・文化の中心地として小京都と呼ばれる華やかさがあったようです。 1930年には庭園が名勝の指定を受け、37年後の昭和42年から発掘作業が開始され、当時の各戸が再構築され、往時の生活ぶりが見事に白日の下に晒されています。
2021.04.24
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〇昭和45年9月、夢二会・毎日新聞社の「竹久夢二展」なる記念本が物置から出ました。第1回は昭和13年銀座の画廊、その後15年上野松坂屋、掲題のものは1980年銀座松屋開催のもの。亡父の親友新関一杜氏の手紙、チケット半券、川端康成、河北倫明、吉屋信子のメッセージ付の新聞広告(東京)。 展示品目録を見ると、絵画<屛風>~14,<軸>~137、<巻物>138、<額>~188,<挿絵>~192,<素描>~212、グラフィックデザイン <版画>~220,<ポスター他>~280,<雑誌の表紙>~284,<本ほか>~294,<セノオ楽譜>~296,<メニュー>298,<看板>299, <図案>~308,<工芸>~319,<舞台装飾>~321,<遺品>~329,<書簡>~344,そして<写真>345以上345品が展示されました。
2021.04.23
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〇日曜日の朝、パン食の用意を始めた折、不意に出て来た「じゃがいもの歌」。お母さんと一緒の番組で歌っている曲ではなく、じゃがいもさん、じゃがいもさんから始まる曲。でもそんな曲、あれこれ手を使って探しましたが、見つかりません。妹が生まれた後、佐賀市へ引っ越すまでの間、勿論テレビの無い時代だから、子供会でもあって、そこで歌って下さったのでしょう。紺地に白い花柄のワンピース。その歌手とよく似た衣装の婦人が踏切で列車に轢かれていてほんの一部分が見えただけのこと。一瞬、怖くなり、わが母親の無事を確かめに家まで駆けて行った記憶が蘇りました。
2021.04.22
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〇七不思議と言えば知恩院を想い起しますが、祇園社の鈴木宮司によれば、石段上の楼門には荷負棒のような太い楼材が左右ともに突き出ているので「駕篭門」とも呼ばれ、この門の屋根裏には、経文五巻が納められていて、何故か蜘蛛の巣が張らないという話。 本殿の床下には底知れぬ深い井戸があり、「竜穴」と呼ばれ、その水が龍宮まで繋がるだの、神泉苑の御池にもつながるとも言われています。三番目は、拝殿の東詰めの太柱の元で、西に向かって柏手を打てば、「竜吼」が聞こえるとか。忠盛燈籠の真裏の花崗岩石碑には天保十年大飢饉での施米の碑文。その両側に「尋ね方、教え方」の彫刻があり、当時の再会の喜悲。何故ここに? 本殿下の井戸から汲み上げた水は御香水として授与され「吉兆水」と呼ばれ、今は円山公園入口の筧水となっている由。〇夜泣石は吉水神社の椋の根本にあります。七番目は応挙の「双鶏図」の鶏が絵から抜け出して餌をついばむので、金網を張って防禦しているようです。(参考図書・「山町鉾町」第九号、放昌山・渡辺伊一)
2021.04.21
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〇一度facebookの記事として出したようには思いますが、広島県三次工業高等学校の河本正治さんの手になる童謡唱歌集6冊。黄色地に若葉模様をこらし「一寸法師」と題した第1巻。緑地の「茶つみ」、うす青「浜千鳥」、紺地の「我は海の子」、赤地の「花かげ」等6冊。ほかに思い出の歌シリーズうす茶の「ああ草枕」、黄緑の「汽笛一声」。どれも大正・昭和ロマンの図柄に歌詞を綴った愛すべき本です。
2021.04.20
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〇掲題の朝日新聞社刊の日記帳を父は戦後、昭和24年の2月初頭から数年ぶりに復活させています。前の付録部分には皇室、皇族が克明に記されていて、第124代今上天皇(昭和)、皇后、皇太后、大正天皇の内親王、4皇男子。秩父宮2方、高松宮、伏見宮6方、山階宮3方、賀陽宮6方、久邇宮12方、梨本宮2方、朝香宮6方、東久邇宮4方、北白川宮6方、竹田宮3方、閑院宮4方、東伏見宮、総勢61方居られました。現在は皇室5方、秋篠宮5方、常陸宮2方、三笠宮4方、高円宮2方、総勢18方となっています。
2021.04.19
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〇いろんな語句がありますが、掲題の「春眠不覚曉」は高校を卒業された方なら殆どご存知。 春 曉春眠不覚曉→春眠、暁を覚えず處處聞啼鳥→処々、啼鳥を聞く夜来風雨聲→夜来、風雨の声花落知多少→花落つること、知りぬ多少ぞ今、漢字を入力しているのですが、つい、漢音で読む癖があって、ちゅんみえんぶーじゅえしあおという具合。教養課程の第二外国語、発音を正確に会得する努力をしたほうなので、全体の1%ほどの知っている漢字の漢音はね、半世紀経ってもね。
2021.04.18
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〇京都市寺町二条下「カワイ書店」のラベルが貼ってある掲題の古書には、中島美加子そして美加子の小判型印、横に川上やすこという名も記されています。 本書は検索したところ、最安値でも1万千円、高値なら3万3千円もする良書で、版画、抒情詩、民謡、小曲が織りなされている交蘭社による大正13年9月8日発刊、壱圓参拾錢という代物。少し気になる落書 お 七本郷駒込の八百屋お七が しのばれて来るしのばれて来る八百屋お七は胸の火で焼いた 思やしをらし娘だった娘だった 野口雨情さびれはてても鈴ケ森の藪で 今もチンチロリンと虫が鳴く虫が鳴く大詩人野口雨情の作品を大雑把に調べても、この作品は見当たりません。思いの送り仮名を省いていることやしをらし、或いは藪という旧漢字を使っていると所から察するに、大正年間から昭和初期にこの書を手にされた女性だと思われます。
2021.04.17
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〇私たちが目にする物の内、直方体や流線形の物の美はそれなりに素晴らしいのですが、丸味のある物には警戒心なく接することができ、優しい気分になりますね。風船もそのひとつ。水素を入れた大きなゴム風船。佐賀に居た時分、祖父から貰った幼い妹が喜んでいました。夜店や街角で人気を集めるひょろ長く伸びるゴム風船もいろんな形に拵えることができますね。見世物には大きな風船の中に人が入り込んで芸を披露することもあります。むかし懐かしいのは4色の紙風船。銀色の輪の穴へ口先を尖がらせて、勢いよく膨らませ、手のひらでぽんぽん突いて浮かせます。
2021.04.16
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〇つい先だって、家内に着いて地元産野菜等の買い付けに電動自転車で出かけました。8か所ほどのルートを無駄なく家内がこなして行きました。帰って来ると、その足で10個千円の玉子その他の買物に再度家内は独りで行きました。留守の間に濯ぎ、乾燥済みの洗濯ものを干すことにしました。沢山あって、タコ足にかけるもの、ハンガーで干すもの、靴下等の小物、大きなタオル等々。40分ほどかかりました。昔、末期癌の祖父宅に留守番役で3泊逗留、受験勉強の合間に食事の準備、洗い物、洗濯、買物などいわゆる主婦が日常こなしている家事を経験しましたが、その頃を思い出しました。家電が進化を遂げようと、主婦業は雑多なことが多く、旅行に連れ出し、開放してあげなくちゃと思ったことでした。
2021.04.15
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〇楽天サイトで日記を披露するコーナー。朝食後早々に出掛けることもあるので、用事の少ない日の午前中に3、4編書き貯めるようにしています。日記と言いながら表向き日記形式ではなく、内容は既刊の書物の一部分を要約して載せたり、歴史的な話題や俳句の話、ガイドの話。出来るだけいろんなジャンルから話題を拾い集めるようにしています。楽天日記では4月13日現在通算6,458件の話題、ご覧いただいた件数は1,479,600件に及んでいます。1日当たり10数件の時代から4百~8百件、多い時は千件を超える場合も・・・。コメント数の少ないのことが応対せずに済ませ、長続きのコツなのかも知れません。
2021.04.14
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〇先日、世界的に有名なNiziuの歌とダンスをテレビを通して見ました。タカラヅカや歌舞伎の舞台を少年期から観て来ましたので、ダンスにはちょっと五月蠅い、辛口の私ですが、いやはや非の打ちどころのない演技には感服仕りました。1万人から時間を掛けて選び出された9人。ダンスの始点から瞬間的な静止画面へのスピードと残像の出来栄えは実に見事です。4冠を取り、復活を果たされた池江璃花子さん同様、あらゆるジャンルのレジェンドは、過酷な練習を踏んで来られ、それに甘んじることなく貪欲に努力して居られる証だと確信しました。
2021.04.13
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〇京都の南端に終の住処を父が遺してくれたお陰で出窓から四季折々の天王山を見ることができるほか、敷地にはいろんな野鳥がやって来て、美しい声を聴かせて呉れたり、仲の良い番ぶりを披露してくれます。人気のイの1番は鶯。早春は覚束ない鳴き方ですが、5月から真夏には島津亜矢さんに引けを取らない名調子。鴬と同じくすばしこいのはメジロで、黄緑いろの身体に麗しい二重まなこ。ヤマガラの占いは子供の頃によく父に買って貰いました。人懐っこくて賢く愛らしい野鳥。いろんな鳴き方をしてくれます。メタセコイアの天辺に巣を作り、子育てを見せてくれる鵯。他に鳩、烏、ジョウビタキなど鳥籠は要りません。
2021.04.12
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〇若い頃の私は専ら熱視線を送る側だったと思いますが、クラスの男子生徒から集中的に注目されるマドンナだった女性なら熱視線には慣れっこになって居られたことでしょう。 もし犯罪者から熱視線を投げられていたとしたら大変、早々にその場からさり気なく立ち去らなくてはなりません。幸せなことに相思相愛の立場になれば、以心伝心という密接な間柄になれますね。もうこの齢になってしまってはトキメキなんぞ遥か彼方に置き忘れていますが、見るものや素晴らしい作品に出合えることに関しては、若い頃よりも敏感になって居たいと念じています。
2021.04.11
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〇正月の睨み鯛、或いは七ぐさ粥の前夜に俎板の上に若菜・火箸・包丁を乗せ、「とんとの鳥が日本の土地へ渡らぬ先に七草なずな、 七草なずな」とすりこ木で俎板を叩き乍ら呪文を唱える習慣は私の代で終わっています。昭和11年の「上方」新年号を繰れば、大和万歳、鳥追い女、正月2日の夜に枕の下に敷いて寝ると良い夢が見られるまじないの宝船売、多賀神社に残りますが懸想文(味気のない印刷もの)、子供が股に挟む春駒、珍しいちょろけんなどはもう見られませんね。
2021.04.10
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〇最澄の天台宗、空海の真言宗、法然の浄土宗、一遍の時宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗を凌駕する勢力となった真宗(一向宗)は親鸞上人が広めたとされていますが、まるでニ次三次成長期の蚕が桑を食むような勢いの宗教運動に天才信長も手を焼いたと伝えられていますね。 ところが親鸞上人は教団を作って新たな一派を開こうとはなさっていなかったようで、「私は弟子を一人も持っていない。何故なら私の力で人に念仏をとなえさせたのではなく、阿弥陀如来の偉大な功徳によって、人々がおのずから念仏を口にするようになった。そんな人たちをどうして弟子と呼べようか。」と言われたように、自分の口添えで阿弥陀如来を信じた人々を”御同朋”とか”御同行”と称され、「阿弥陀如来のもとに人はすべて平等である」と明言されていたようです。皮肉にも親鸞上人亡きあと弟子たちは、いろんな拠点をつくり、自分こそ彼の後継者であると言い争いました。
2021.04.09
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〇一般的に文章は便宜上、「情緒文」(小説・随筆などの芸術的文章)と「知的説得文」(論文・論説などの理論的文章、そして「伝達文」(新聞記事・文書・通信など、具体的な出来事、事実などを対象に主観を入れずに報じる文章)の三種に分けられます。日記は主観を省き、淡々と綴る場合もあれば、出来るだけ心の内面まで文脈から伝えようとする場合もあります。つまり先述の伝達文、情緒文双方を綴り分けているのかも知れません。伝達文での悪文に類するものを例にとりますと、1)そのうちの1つの例は、〇〇の戦いのあとで帰還軍人の帰住が行われた際の、△△近郊の□□□□の故郷の土地の没収のケースである・・・ <これだけの中に接続助詞の”の”が12個も使われ、リズム感を失っています>2)外国人は在学中はさほど勉強しないが、その勉強は一生続けるといわれるが、日本人は、在学中はこれに反して比較的よく勉強するが、卒業すると捨ててしまうということが、しばしば言われる。 <これも接続助詞の”が”の頻度が多いことや、”は”が5つも使用されています>心して綴らなければなりませんね。
2021.04.08
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〇敗戦国となってしまった日本はアメリカ文化を採り入れざるを得ませんでした。だから洋装が主流となり、パーマをかける女性が増えました。亡父は大阪・帝塚山の社宅暮らしの40代の頃は、勤務から解放されたのを実感したかったのか、セルや浴衣、丹前に着かえて寛いでいました。正式に着物を着る場合には襦袢が欠かせませんが、古いイタリア語gibbone、音としてポルトガル語gibaoが由来となっているようです。お茶屋遊びに長けたお大尽は襦袢にも贅を尽くしたものを包み隠し、上方落語「百年目」に登場する番頭さんのように、時折チラッと見せるのが通だったとか。
2021.04.07
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〇大黒天へ福を祈らんと参詣して、七日通夜しけるに、満願の夜、大黒現れ給い、袋を広げて、底の方から金百両を出し、与え給う。ありがたく頂戴して 「さて、只今、紫檀に想唐草の高蒔絵、銀かな物打った小槌が袋の中に見えました。誠に結構なお小槌」と申し上げれば、「あれは、俺が遊びにでも行く時に持って出る余所行の小槌だ」「では、その手にお持ちなされているのは?」「ムム、これは、内での小槌」余所行きと、「内での」小槌を持たれるとは豪華。 余談ながら大山崎宝積寺・小槌の宮でのガイドでは、「打ち出」という宗教的な道具と「小鎚」とのニつに区分してガイドしていました。 (参考・安永8年刊『気のくすり』)
2021.04.06
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〇亡父が昭和32年から43年にかけて詠んだ句を適宜抄出して編んだ手作り句集「花小紋」 君と来てさびしきことも夕桜 鉾囃子おさめの笛を長くひく 節分やお染お三輪と打連れし 水警の一艇速き祭川 大文字消えし気落ちに月一つ 金魚玉大きな鼻の顔映る 新涼や靴下をはく足尖る 鹿の影へ鹿圧し付けて角を伐る 角伐りや奈良に慈悲仏忿怒仏など。これまで手本にしていませんでしたが、今後は参考にして、一からやり直そうかな。
2021.04.05
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〇そう言えば、私自身が辞書を買ったのは学生時代の第2外国語に必要な中日辞典だけかも知れません。その他は父が愛用してきた漢和辞典類3冊、古語辞典2冊、類語辞典に逆引き辞典、そして反対語辞典。逆引き辞典なら、雨では長雨、涙雨、小糠雨・・・と雨の付いた言葉が並び、類語辞典にも使えそう。反対語辞典なら、寡黙・強欲、巨利・薄利、起床・就床、徐歩・速歩、古参・新前など中七のリズムにも利用出来そう。道具が揃えば、あとは心の据え方次第。きょろきょろと浮つくのではなく、じっくり心眼で言葉を呼び寄せるのが賢明なのかも?
2021.04.04
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〇つい最近、散髪屋に行きました。変異種のあるコロナ禍だから、話しかけて来られるとちょっと躊躇します。ところが本店・支店の三か所ある当理髪店は、この一年間、誰一人としてコロナに罹ったことがないと彼女の言葉を聞き、会話の方向へ。先ずは後で寄るパン屋の話題で、情報交換。次第に猿の話へと移り、嵐山は岩田山の猿のこと。餌付けされているので安全と彼女は言われますが、幼児や女性はか弱いと知ってか、食べ物を襲うニュースも耳にしていたので、その話や桂の西方、金剛院への山道では、家内と二人襲われかかった記憶が戻ってきて、そんな話も・・・。
2021.04.03
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〇京に住み、底冷えの辛苦に耐え、陽射しも明るい春を迎えることができました。 消えてゆく船場ことばや春しぐれ でぼちんへ春雨ぽつり割れしのぶ 春雨やいろ番傘の妓の手首 好日のまるでマシュマロ春の雲 諸子炊く大釜あふみ風物詩 焦げいろの諸子に条件反射とは 諸子釣りけふ好天を賜りぬ 陽炎や猫が居座るボンネット 秀(ほ)つ枝なる桜花脳裡のネガとする 序の舞と言ふべし京の花の雨 生あるは滅する道理利休の忌 花馬酔木上から目線致さるる
2021.04.02
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〇もう随分前のことになりますが、家内と海津大崎の桜を見に行きました。遊覧船に乗り、碧い小山の麓に色づく桜並木を遠見して陸(おか)に戻ると、「冬のソナタ」で有名なメタセコイア並木や片栗の花のを見たり、広い通りを避け、細めの田舎道をのんびり散歩。あるお百姓さんの囲いのない庭には、信じられない程生える土筆に遭遇。とある一日の思い出です。
2021.04.01
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