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所用で中野へ行った。中野駅周辺は、今からちょうど50年前に私が大学入学のため会津若松から上京して初めて住んだ町だ。東京オリンピックが開催された1964年のことである。2年間住んでいた。 その後ずっと東京に住みつづけているが、実は、中野を訪れるのは1966年3月に転居して以来初めて。つまり49年ぶりだった。 予定時間より早く到着したので、昔の面影をたずねて散策してみた。 当時、中野ブロードウェイは完成したばかり。中野サンプラザが開業するのは10年後のことで、その場所は中野刑務所の高い塀がめぐらされてい、中を窺い知ることはできなかった。 さて、中野ブロードウェイの最も奥まった左側に間口3間ほどの古本屋があった。ここはゾッキ本も山と積まれていたが、探書家にとっては穴場のような店で、岩波文庫の絶版巻数本が全巻欠けることなくセット売りになっていた。さほど深くない店の奥の帳場に店主の親父さんが、寡黙に坐っていた。まるで本の山に埋もれているようで、背中の後ろには「本物」の古書が並んでいた。貧乏学生の私にはとても手が出る品ではなかった。 私がフィンランド叙事詩「カレワラ」上下巻を見つけて購入したのは、たしかこの書店だ。のちに国立大分病院院長で医真菌研究の第一人者だった故松崎統博士の知己を得、先生は「カレワラ」をこよなく愛されておられた。一夕、赤坂で御馳走になりながら伺った「カレワラ」のお話に、私がチンプンカンプンにならずに面目をほどこしたという思い出がある。 この古本屋についてはそれだけでない思い出がある。私が早川書房の「SFマガジン」で、石川喬司氏「夢書房」の挿画を描いたとき、イメージの参考にしたのが、この古本屋の親父さんだった。 きょう中野ブロードウェイを訪れて、残念ながらというより、初めから期待はしていなかったが、古本屋は影も形もなかった。たぶん現在のAOKIの辺りではなかったかと思う。 貧乏学生だったのにしょっちゅう通っていたレストラン・サカイもなかった。そして、ブロードウェイ入口の右側にマムシ酒を売っている店もあったのだが・・・。 めまぐるしく変化する東京の町だけれども、中野駅周辺に限れば、少なくとも町筋はまったく50年前がほぼそのまま残っている。丸井本店の向いのアーケードもそのままだ。丸井の右から入るごく狭い坂道は、昔はコンクリートの道だったが今は煉瓦道になってはいた。両側に隙間なく建て込む間口の狭い各種の店舗は、業種は変っていても佇まいは昔のままだ。 この坂道を上ると桃園町なのだが、その町名はなくなっていた。私は決して懐旧で言うのではなく、古来の町名は「財産」だ「文化財」だと思うのだが、なぜか頓着することなく各地で町名変更がなされている。新しい町名を全国から集めて並べてご覧なさいな、おそらく似たり寄ったりの「痴呆的名称」の壮観を呈するのではと推測される。 その昔の桃園町台地の丸井の裏通りに、たしか栄喜堂といったと記憶するベーカリがあった。ここで売られていた掌のくぼめた内側におさまるほどの小型のフランスパン、これが、私が後年パリに行って知ったのだが、間違いなく本場さながらのフランスパンだった。現在日本でノーテンキのようにもてはやされる「モチモチ」なんていう食感など足蹴にするようなガチガチのパン皮。よほど歯が丈夫でないと噛み切れないような固さ。これはバターやミルクや砂糖、卵、そうしたものを一切使用しないで、小麦と塩と酵母だけで作っているからで、フランスパンとはそういうもの。オニオンスープがフランスパンで蓋をするかのように作るのは、固いパンを食べる一つの工夫なのであろう。それはともかく、日本では、たぶんドンクがまだバゲットのブームを創出しない時代だったと思う。当時、栄喜堂ベーカリで私は初めてフランスパンなるものに出逢ったのだった。 そのベーカリもなかった。もし50年後の現在も存在して,当時のままのフランスパンを作っていたなら、是非買って帰ろうと思ったのだが。 最後に私は,住んでいた学生アパートのあった所を訪ねた。そのアパートは、外見は普通の住宅で、大家さんの住居だったが、内部は10室のアパートになっていた。学生用の玄関は別にあり、各室に通じるドア・ベルが各人の表札の上部にしつらえてあった。私のところには時々女性が訪ねて来ていたが、どうやら大家さんは気付いていたらしく、あるとき学校から帰宅すると「このあいだ来ていた娘さんが、お留守のあいだに来ていたわよ」と言われた。 このアパート、大家さんの姓が冠せられたネーミングで瀟洒な建物に変っていたが、たぶん当時の大家さんのお子さんが経営しているにちがいなかった。さすがに訪問はしなかったが、どっと、昔のことが思い出された。 実はここに住んでいた2年間は、私の最も苦しい時代だった。強度の不眠症とノイローゼで、昼間外出することもできなくなり、終日雨戸を閉ざした真っ暗な部屋で固まっていた。幻覚を見るようになり、自殺衝動に駆られ、路上ですれちがう犬たちが逆毛を立てて私に牙を剥いた。たぶん私は身体中から殺気立った気配を発していたのだろう。そしてまた、私が絵を描くようになるきっかけも、そういうどん底に落ち込んだ心身から、自ら立ち直ろうとした過程に存在した。 というわけで、所用があってでかけた中野再訪だったが、その後2時間半仕事して、帰宅した時にはいささか疲れていた。家人が夕食に鰻丼を用意してくれ、舌鼓をうちながらようやく活気を取り戻したのだった。
Feb 26, 2014
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東京都民生委員の担当地区部会で、チャリティーの催しなどに出演する合唱隊に入ることになりそうで、びっくり。私はいまや老年となって、声は一段と低くなり、高音はとてもじゃないが出ない。ボーイソプラノだった時代は、はるか彼方に過ぎてしまった。呟くように口ずさんでいるのとステージで合唱するのとでは、雲泥の差。しかも混声合唱団だって! いくらなんでも無茶というもの。そうしたら、ボイストレーニングをするので、声は出るようになるだって。 そうかなー、と思いながら、この今の私の鴉の濁声、鵞鳥の雄叫びのような声が、もしも本当に自在に歌えるようになるならと、一瞬、魔が差した。 (でも、実を言うと、私は趣味的な素人芸が好きではない。音楽であれ美術であれ、その他の芸能一般であれ。私はかつて一度も、そういう素人芸の発表会に出かけたことがない。招待状や案内状を送られることは少なくないのだが、行かない。なんと言えばよいだろう、・・・ほら、質屋の小僧を鍛えるためには本物だけを見せなければいけないと言うでしょう。つまり、それなんです。私は質屋の小僧なんですよ。) まあ、たぶん、ステージに上がる以前に呆れられてお払い箱になるでしょう。なんだか近頃、私の人生、ヘンな具合に転がり出した。
Feb 25, 2014
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ソチ五輪、男子カーリング決勝、カナダ対イギリスの戦いを第6エンドまで見ていた。最後まで見られなかったのは、仕事がまっていたから。残念であったが、この時点でカナダが圧勝してい、イギリスの逆転の可能性はまだ残されていたものの、私は「勝負あった」と思った。 カナダが優勢とは言え、イギリスが劣ると言うわけではない。私は第1エンドの各チームのファースト・ショット(第1投)から、その見事なテクニックに讃嘆のしっぱなし。このおもしろさを言葉で表現できない情けなさ。カーリングを、たとえワン・エンドだけでも文章化するにはどうしたら可能だろう?・・・そんなことを考えてしまうほど、繊細で、かつ力強いスポーツであることを改めて知った次第。(スポーツ・ライターは、カーリングのエクリチュールを確立しているのだろうか?) そんなわけで、俄然関心がわいてきたカーリングだが、カナダ対イギリスの戦いについて、ここに書き表す能力が私には無い。 思いつくポイントは、まず物理学だ。慣性の法則。ビリヤードが思い出される。そして氷とストーンとの摩擦の問題。ストーンに与える回転、あるいは無回転の要素がそこに加わる。それからチェスのようなストーン配置の妙。盤面構成の先見性。相手を誘導したりトラップを仕掛ける心理ゲーム。後攻が有利なため、負けて勝つという競技の特異性。すなわちエンドを勝ったチームが、次のエンドで先攻するというルールだ。 ・・・まあ、そのようなことを要素とする、きわめて完成されたゲームと言えそうだ。・・・いつの日か、私はこの競技のプロセスを語ることができるだろうか? おもしろい、意気詰まるようなシーンを内包するスポーツではある。
Feb 22, 2014
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浅田真央選手はすばらしかった。 メダルにこそとどかなかったが、前日のまさかのSP16位から巻き返して6位入賞。しかも評価はフリー自己ベストの142.71をマーク。 そればかりではない、果敢に挑戦して、世界で初めての最高難度6種類8回のトリプル(3回転)をすべて成功させた。しかも、高難易のトリプル・アクセルを試みたのは、今競技では彼女一人だったはず。 トリプル・アクセルというのは、進行方向に身体前面を向けたまま、左足のエッジを使って滑りながら踏み切り、跳躍、3回転半して着氷する技術。簡単に言うと、全速力で走っているまま左踏込み足で飛び上がって3回転半するのだ。他のトリプルは進行方向に対して一旦背を向け、顔を振向き矯め見ながらジャンプする。着氷も進行方向に対して背を向けた状態となる。これが容易な技というのでは決してないが、どうやらアクセルよりは成功率が高いようだ。トリプル・アクセルが一般的に「3回転半ジャンプ」と言われるのは、着氷時に他のジャンプと同様に背を向けた状態になるからで、つまり3回転プラス半回転になるためである。 ちなみに6種類のジャンプとは、アクセル、サルコウ、ループ、トゥループ、フリッ、ルッツ。(それぞれの違いの説明は省略) そんなわけで、ショート/フリーを合せた浅田選手の点数は198.22。後続滑走の有力選手に、おそらく相当のプレッシャーを与えたことと推測した。 マラソンなどで「ゴボウ抜き」と表現されることがある。浅田真央選手のフリーは、まさにそれだった。私たち素朴な観客は、「真央ちゃん、楽しんで!」などと言うけれど、選手は楽しんでばかりもいられまい。激しく競争しているのだから。浅田選手はSPの失敗から巻き返すためには、難易度がより高く、目の覚めるような大技の構成にしなければ上位にはとても食い込めないと考えたに違いない。そして、安全策をとる理由など何も無いと。 私は浅田真央選手の精神力と挑戦心を讃えずにはいない。私は感動した。森喜朗元首相よ、恥を知るがよい。
Feb 21, 2014
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日本中に衝撃が走った。浅田真央選手がフギュアスケート個人SPで、まさかの16位。最初のジャンプ、トリプル・アクセルで転倒して後、他のすべてのジャンプを失敗してしまった。 実は私はライヴ中継を見なかった。失敗の予感があったからではない。今朝は昼前まで、社会福祉の仕事の重要な会議があり、夜更かししてテレヴィを見ているわけにゆかなかったのだ。見なくてよかったような気もする。今季の国際試合を、中継されたものはすべて見て来たので、ソチに出場する6人の日本フィギュアスケート選手に期待しないはずはなかった。メダル、メダルと言いはしないが、さりとて選手たちの悲しい顔は見たくない。 今夜これから間もなく、フリーの競技が始まる。SP8位の鈴木昭子選手、15位の村上佳菜子選手、そして真央ちゃんには、是非,追い上げを期待しよう。 2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相が、今日福岡の講演で、浅田真央選手について、「あの子、大事な時には必ず転ぶんですよね。何でなんだろうなあ」と述べたと報道されている。なんて,イヤな男だ! こんな奴に組織委員会会長なんかやらせておいていいのか?
Feb 20, 2014
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大雪後の街路も、少なくとも私の市街地周辺は除雪もほぼ終わったようで、新聞配達の遅延や塵芥回収の遅滞も解消した。 それにしてもご近所の高齢者宅周辺を見回りついでに、2,3のスーパーマーケットに行って見て驚いた。生鮮食料品やパン・乾麺のたぐいの棚が完全に空っぽなのだ。店内放送が物流のストップにより商品が入荷しないことを謝っていた。かつての全国的なトイレットペーパー不足事件や米無し事件を思いだした。しかし、私の印象では、今回のように店内のあらゆる棚が空っぽ、まったく商品が無い、という状態を目撃したのは初めてだ。 大雪予報が出たときにこのブログに書いたが、我家では、そんなに気張ったものではないが一応災害用備蓄をしている。普段もそれらを消費しつつ、無くならないうちに補充するという具合だ。そのため、4,5日間ぐらい雪に閉じ込められても耐えられる。最悪1週間はなんとかやって行けるだろう。だから、実は、今回のように物流がストップしたときに商店の棚がどのような光景を呈するか、見たことがなかった。たまたま町内パトロール中にスーパーマーケットに立ち寄らなければ、目撃することがなかったのだ。 我が市や町内自治会が、災害用個人備蓄を呼びかける運動をしている。我家でも、もう少し本腰を入れようか、と考えている。
Feb 18, 2014
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あの大雪が嘘だったかのように良く晴れた日曜日。山の上の我家から遠方の街を望むと、降り積もった雪のせいで普段にない鮮やかさで輝いていた。ビル群が雪の反射を受けて、洗いたてたように白いのだ。「幸福の街」という想いと重なる。 どこかの中学生らしい少女が、私に、「こんにちわ!」と明るく挨拶して通り過ぎた。「こんにちわ!」私もまた、自分でも思いのほかの大きな声で応じた。なんとなく愉快になって。 とはいえ、午後は、昨日中止になった会議。辛気くさいとは、このことだろう。少々疲労して帰宅し、14日にプレゼントされたベルギー・チョコレートを、一瞬カロリーのことが頭をよぎったが、それを打ち払うように、一つ二つ、いや、五つもたてつづけに食べた。その美味いこと! 止められなくなりそうなになって、あわてて仕事場に入った。
Feb 16, 2014
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昨日から今日未明にかけて降りつづいた雪は、我家近辺では前回を上回る量で、50cmを超えた。近所には駐車場の屋根が傾いてしまった家もある。私は会議の予定があったのだが、電話で中止の連絡が来た。とても出かける状態ではない。交通機関もいたるところで寸断したり、遅延がでている。我家の車は、すっかり雪に埋もれていて、出せる状態ではない。 閑話休題。 羽生結弦選手が金メダル! 2度転倒したので、あるいはと心配した。今季見なかった羽生選手の転倒だ。金メダルは、つづいて滑走するパトリック・チャン選手の手に渡ってしまうか、と。しかし、ドラマが待っていた。チャン選手にもまさかの失敗が出た。ここに羽生選手のショートプログラムでの世界最高得点101.45が利いた。金メダルはチャン選手の手から滑り落ち、弾かれ、空中を舞って羽生結弦選手の手にガッチリ受け止められた。オリンピックにおける日本の男子フィギュアスケート史上初めての金メダル。快挙であった。 町田樹選手も大健闘だ。ショートプログラムで11位と出遅れたが、5位入賞と追い上げた。ストラヴィンスキーの「火の鳥」は町田選手によって幻想から現実の鶏へ体現された。 高橋大輔選手の健闘にも、もちろん拍手である。結果は6位であったが、現役最後といわれる演技は、誰の目にも焼き付いたにちがいない。
Feb 15, 2014
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オリンピック、フィギュアスケート男子個人ショートプログラムで、羽生結弦選手が歴代最高の101.45点を出し、日本中が沸き立っている。今夜はこれから(午前0時から)フリーの演技が始まる。金メダルの期待は高まるばかり。 私は明日も忙しいが、土曜日だし、ライヴ中継を楽しむことにする。見ない訳にゆかないでしょう。 さて東京は、またもや大雪だ。暮れて18時過ぎに一度雪掻きをしたが、たちまち積もってしまった。 昼頃、徒歩で山の下に降り、買い物をしてきた。帰り道で見知らぬ老婦人に呼び止められた。「買い物をしてらっしゃったのですね。おえらいわー」 「おえらいわー」と言ったのは、婦人はこれから買い物に行くところで、たぶん彼女の夫は「私が行こう」とは言ってくれなかったのだ。 そうかと思うと、こんどは見知った男性が傘をさして雪道を走って来た。私は、「たいへんですねー、買い物ですか?」と声をかけた。その人は足を止め、笑いながら「いやいや、ジョギングですよ」「あっ、そうですか、ジョギング・・・」「がんばって」と、傘を上下にしながら走り去った。「ほんと、がんばっていますねー」と思いながら、笑いがこみあげてきた。 これだから人間はおもしろい!
Feb 14, 2014
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フィギュア男子個人SPが始まった。7番滑走第2グループトップのエフゲニー・プルシェンコ選手が、なんと6分間練習後、審判長に棄権を申し込んだ。腰を痛めたようだ。金メダル候補の一人だっただけに、驚きだ。試合は波乱含みの様相を呈して来た。 羽生結弦選手は19番滑走。高橋大輔選手は29番目。町田樹選手は30番目で一番最後。3選手共に練習時の調子は非常に良い仕上がりとのこと。プルシェンコ選手棄権に動揺せず、素晴らしい結果を期待しよう。
Feb 13, 2014
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今夜から明日にかけて、西日本および関東地方に再び大雪の予報がでている。みなさんくれぐれもご注意を。 英語の俳句を4句つくった。It's snowing in the springI'm listening its secretly sound of lying The night's getting far advanced 春の雪降り積む音を聴きにけりSpring snowfall My kitten is flinched at the sighton the door way, ---lovely! 猫の足竦むもおかし春の雪Exchanging greetings with same wordspedestrians coming and go on the streetIt's the sudden snowing day 同じ言繰り返し交ふ雪の道Sudden spring snowfall!Why don't think about an old manwho's preparing for pass away 春の雪老いの身になれ旅仕度-------------------------------------© Tadami Yamada
Feb 13, 2014
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ソチ・オリンピック。スノーボード男子ハーフパイプ、平野歩夢選手が銀メダル、平岡卓選手が銅メダル。そして、男子ノルディック複合個人ノーマルヒルで渡部暁斗選手が銀メダルと、ここに来て期待の星たちがメダルを獲得しはじめた。メダル獲得がすべてではないと思うが、選手達自身がメダリストたらんと励んでいるのだから、メダルを獲った満面の笑みを見ると、応援する私もやはり嬉しい。 ライヴ放送がおおむね深夜なので、昼間仕事に追われる身には、なかなかその時間に起きて見ることはできない。今日も午後いっぱい事務仕事だったので、いささかげんなり。夕食後は仕事場に戻る気にもならず、女子カーリングの第3戦、地元ロシアとの一戦を見た。結果は日本の勝利。 カーリング観戦は私にとっては不思議な感覚で、爆発的にエキサイトするというわけではないが、まるで選手たちと共に競技をしているかのような、ゲーム構成に対する頭脳的なおもしろさ、じっくり見つめる静けさが身内にある。たぶん、かつてまったく不案内だった競技が、バンクーバー・オリンピック以後あたりから、次第にそのゲームの妙味を覚えだしたからだろう。 ソチの場合も、NHKの中継放送を見ながら思うのは、カーリングに関しては、解説(敦賀信人;まこと氏)が大変巧いということ。アナウンサー(新夕悦男氏)も同様、解説者に対する質問も的確で、ルールを初めゲームのメンタリティーやゲーム構成のクレバーな点などを巧みに解説者から引出し、場合によっては誰にでも分かるように補助補足を嫌みなくしている。私はカーリングのルールブックを見たこともないし、あえてこの競技について調べたこともない。しかし、いまやテレヴィを見ながら競技の妙味を充分味わえるようになった。それはひとえに、この解説者とアナウンサーのコンビのおかげだ。 ついでに言えば、種々の競技のエキスパートである解説者が、みな巧いというわけでは全然ない。スノーボードなど経験がない視聴者には、そのテクニックばかりでなく採点方法も、ルールも、まったく理解できないだろう。解説者とアナウンサーは、ひとりで納得しながら、「はい、ナインですね。テンですね。ダブルコークです。グラブです」と言っている。これでは解説とは言えまい。視聴者は必ずしもスノーボード競技を知っている人ばかりではないし、むしろ知っていると言うのは少数者だろう。 フィギュアスケートの解説もあまり親切とは言えない。私はこの競技については、テクニックの種類についてだけだが、少しばかり調べた。しかし、審判が何を採点しているのか、素人目には同じような出来栄えに思えるそれぞれの演技のどこに差異を見て、大きな点数の差となるのか。そういうことまでは分からない。そんなことを分からずとも、ただ真央ちゃんや結弦君に拍手していろ、と言うことだろうか。 たしかにカーリングとちがって、スノーボードもフィギュアスケートも演技のスピードが高速だ。そのスピードに合せて誰にでも分かるように初歩的な解説は困難だろう。それを承知したうえで、しかし、もう少し親切な解説はできないものだろうか、と思う。いかがだろう。
Feb 12, 2014
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子と犬が喜ぶ雪や季(とき)知らず 青穹猫の足竦(すくむ)むもおかし春の雪同じ言(こと)繰り返し交(か)ふ雪の道どか雪に驚く面(おも)の雪明り春の雪降り積む音を聴きにけり春の雪老いの身になれ旅仕度
Feb 11, 2014
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午前中に、私の部屋の電話が鳴った。出ると、女性の声で、55年以上も昔、福島県の八総鉱山で一緒だった方の姓を名のった。私はすぐに、それが弟の同級生だと気付き、その名を言うと「そうです」と応えた。たぶん私と弟とを取り違えているのだと思い、電話を弟へとつないだ。 じつは、彼女のお兄さんと私は会津若松で一時、部屋をシェアしていたことがあった。私より2歳年長で、私は、彼によって、親元を離れて会津若松の中学に入学する決心をするきっかけを得たのだ。 私が八総鉱山小学校の6年生だったある日のこと、一軒中に置いて隣近所だった彼が、一足先に会津若松の学校に行っており、休暇で帰省し、私と顔をあわせると「来るんでしょう、若松に?」と言った。その一言が、俄然私の心に火を付けたのだった。 そして数ヶ月後、私は追いかけるように会津若松第三中学校に入学した。彼と部屋をシェアし、私は数学を教えてもらったこともある。学校の教師よりも良く理解できる説明で、私は何事も鵜呑みにできず原理を求める質(たち)だったが、その私の質にぴったりな説明だったのだと思う。 高校も同じ会津高校の先輩後輩なのだが、彼が大学に入り東京に行くと、互いの消息は途絶えた。 そして私も東京の大学に入った。それ以前から両親は札幌に移転してい、私は長期休暇に会津若松と札幌、あるいは東京と札幌を往復していた。高校3年の夏休みだったろうか。帰省列車が青森に近づき、連絡船の乗船名簿を記入する前後だったと思うが、車内放送で何か拾い物をして車掌が預かっているからと、或る姓を告げた。「おや?」と私は思った。それは消息が途絶えた彼の姓と同じだったからだ。 連絡船に乗り込んで、私は指定席だったのでその席に着いて驚いた、なんと隣席に坐ったのは彼だった! このことを思い出すと不思議な気持ちがする。あの年頃って、ヘンなものだな、と。 というのも、私と彼とは、連絡船の長い旅の間、ほとんど話らしい話をしなかったのだ。たぶん、そうなのだろう。記憶がそこから曖昧になっているからだ。どこでどのように別れたのかさへ憶えていない。 数年振りに遇って、お互いに照れくさかったのだろうか。あるいは、お互いに少年時代とはまったく異なるそれぞれの世界、それぞれの境遇に身をおいていて、容易には乗り越えられない垣を敏感に感じ取っていたのだろうか。たぶんそれらすべてであって、それもゆらめくような青春の感性なのだろう。 妹さんは、彼は元気だと言っていた。
Feb 10, 2014
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今朝はどこの家でも雪掻きにおおわらわ。道路は、午前10時前には、舗装面を普段通りに現した。東京の住人になってちょうど50年、かつてこんな大雪を経験したことがあったかどうか。各報道は45年ぶりと言っている。 私は高齢者宅の周辺を見回り、と或るお婆さんに代わって雪掻きをする。 山の方で子供たちの声がするので、見上げると、かなりの急斜面でソリ遊びをしていた。樹木がなく、ゲレンデのようになった一画。それにしても、武蔵野丘陵地帯とはいへ、都内でソリ遊びに興じる子供達を初めて見た。多摩川土手で草ソリをする子供達はいるのだけれど。
Feb 9, 2014
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夜間に降った雪は午前8時半の時点で6cm程度。門から玄関までのアプローチや駐車場近辺の雪掻きをして、後ろを振向くとすでに今掻いたばかりの所が雪でおおわれていた。降っては降っては、ずんずん積もる、だ。これでは切りがなさそうだと観念し、止むのを待つことにした。 元気なのは子供達と犬達。車が通らないので路上で雪遊びしているのであろう、にぎやかな歓声と嬉しそうな吠え声が聞えている。小学校から配信されるメールによると、下校児童には手荷物を持たせず、教師たちを通学路に配置して見守っている、とあった。路上の遊び声は、無事に帰宅した証拠だ。 雪は終日降りつづき、一向に止む気配はない。午後4時半に計測すると、35cmに積もっていた。
Feb 8, 2014
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明日早朝から東京を含む関東地方は大雪に見舞われそうだ。16年ぶりの積雪量が予想されている。 我家は山の上にあるので、路面凍結を虞れる。ご近所の奇特な方が、早手回しに融雪剤の塩化カルシウムを市役所から取り寄せ、町内役員である我家にも運び入れてくれた。早朝、私は隣近所の路上にそれを散布することになろう。 これは毎年のことながら地植えのシンビジュームに雪囲いを施し、桜や楓の盆栽を屋内に入れた。テレヴィで水道凍結の可能性を言っていたので、水の汲み置きも準備した。食料品は普段から何やかにや10日分くらいの買い置きはしてある。野菜や果物も充分だ。医療用の液体完全栄養食品も2ダース用意してある。 そんなこんなで、大雪対策はすんだ。 さてソチ・オリンピックの開会式を楽しもうと思ったが、なんだかもう眠くなった。テレヴィの録画をセットして、家人を残して私は寝室に引き上げて来た。 フィギュア・スケートの国別団体戦で男子ショート・プログラムの羽生結弦選手が1位となった。2種目終わって日本は4位。3位中国との差は2ポイント。女子ショート・プログラムの浅田真央選手がトップになれば、団体のメダル獲得も夢ではなそうだ。 モーグルの上村愛子選手も7位で予選通過。ミスのない、衝撃を良く吸収した美しい滑りをしていた。あとは、何だろう、30秒40を上回るタイムだろうか。期待をしよう。
Feb 7, 2014
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このところ連夜のように、遠火事の消防車のサイレンが風にのって聞えてくる。昨夜など、かなり近かったのであろうか、消防車が通れず群衆を排除しているような声さへ聞えた。多方面から次々にやって来るサイレンの音は、重なり合い、こだまして、遠くで耳を澄ませている私を、なんとなく不安にさせる。 少年時代、私の記憶に、けたたましいサイレンの音の記憶があった。おそらく、生まれたての赤ん坊のころの空襲警報の記憶が残っていたのではないか、と推測している。亡母が話してくれたことによると、私をおぶって防空壕に避難すると、私は暗い所を嫌って泣くのだという。母は仕方なく壕から出て、私をあやしながらグラマンの機影を見ていたのだ、と。あるいは機銃掃射が始まると、私を厚い綿蒲団にくるんで、二階へ上がる階段の裏側に押し込めて、母は泣く思いで防空壕に逃げ込んだのだ、と。 赤ん坊とはいへ、その時の強烈な不安感を、空襲警報のサイレンの音とともに、記憶しないはずはなかろう。 かつて私は、母の話を次のように歌った。 壕厭う吾を背負いてグラマンの 機影かぞえおりあの夏の母 乳飲み子の吾をくるみし綿蒲団 機銃掃射の弾貫通せざれよと 少年の頃のサイレンの音に対する過敏な反応は、年齢を重ねるごとに次第に弱くなっていたが、それでもやはり、私の感覚の根源にあるのかもしれない。連夜の遠い火事の物音に、祈るような気持ちで耳をそばだてている。
Feb 6, 2014
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The first day of spring But it's only being on the calendar Today it is snowing (立春は名のみとなりて今日の雪)It is the spring snowfallSteps are decently on the virgin white A maiden's! (春の雪荒らさで歩く乙女かな)It is the spring snowfallCommit my affairs to the care ofa short lived flake snow (春の雪ひとひらに寄す想い哉)----------------------------------©Tadami Yamada
Feb 5, 2014
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今朝、自民党安倍政権を支える教育改革研究会を名乗り、私の名を直接指名して電話をしてきた。「子供のいじめ対策など、緊急な問題を解決するために研究している」と切り出した。私はこのあたりで、電話の声と口調、その、過去に何度も経験している或る特徴から、ハハンと思ったが、案の定、「わたくしどもで、教育改革について本を出版いたしまして、限定出版で、先生のような方々にご理解いただこうと、1冊3万円で・・・」 そこで私は言った。「安倍政権のやろうとしている教育改革は大変危険で、私はそういう悪質な安倍政権を支える意思はありません」と、電話を切った。 この「自民党安倍政権を支える教育改革研究会」なるものが、自民党の外郭団体かどうか、そしてまた実在するかどうかさへ私は知らない。愚にもつかない物を書籍と称して、タカリのように売りつけようとする輩がいるのだ。ご注意、ご注意。
Feb 5, 2014
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朝からの小雨が、午後になって小雪に変リ、16時を回るころには激しさをました。このまま積もるのかどうか。庭のプランターの表面は、もう土が見えない。 立春は名のみとなりて今日の雪 青穹 柚の実をひとつ残して春の雪 春の雪荒らさで歩く乙女かな 春の雪ひとひらに寄す想い哉
Feb 4, 2014
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ここ10日ほどの間に3度ほど、おやつが福豆(炒り大豆)だった。もうすぐ節分だなと思ったり、タンパク質の補給かなとも思ったりしたが、あまり気にもせずに掌のくぼみに載るくらいの量を、大豆の美味さを味わいながら、ポリポリ食べていた。 今日はその節分である。福豆を買っていないようなので、「今日は節分でしょ? 豆はどうしたの?」と家人に聞くと、「もう、さんざん食べて来たので、買うのを止めにしたの。豆は、撒くものじゃなくて、食べるものだから」 なるほど、そういう考えもあるかと、妙な納得をした。 そういえば、今年はご近所からも豆撒きの声が聞えない。どうしたことだろう。まさか、みな我が家人と同じ考えでもあるまいけれど。 三寒四温というにはもう季を過ぎたが、まさにそんな感じの今日この頃。一昨日はおだやかな温かさ。今日も昼間は温かく、ダウンジャケットを着て外出したら、肌着の下は汗ばんだ。しかし、夜更けるほどに、寒さがつのっている。ひどく寒いというわけではないが、足許に冷えを感じる。 春隣火を賀する文を草しけり 森鴎外
Feb 3, 2014
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若い時には、どんなに忙しくとも(20代後半から30代半ばの或る時期、ぶっつづけに36時間休み無しに仕事して,その場にぶっ倒れて2時間眠り、また36時間仕事という日々だった)、決して忙しいなどと言ったことがなかった。しかし、68歳にもなると、あんまり忙しくて、口にはださないがこんな日記でついついボヤキが出る。 あっ、書いていて思い出した。今日中に投函しなければならない書類を忘れていた!! えっ、もうすぐ23時だ!! 日記の読者諸兄姉よ、ごめん!
Feb 2, 2014
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所用があり、昼から弟の運転で4時間ばかり遠出をした。 春隣だなと感じた。枯木の山々がいくらか薄紅を帯びたようで、これは枝に小さな芽が出ているからに違いない。まだ固い殻につつまれているけれど、その殻の色だ。一つ一つはごく小さな芽だが、山肌を埋める雑木林は冬枯れの白っぽい色から薄紅を帯びた靄のような色合いに変ってきているのである。まもなく梅が咲き始めるだろう。 弟が、「イタリアに行きたい?」と不意に言った。 「そうだね、フィレンツェにしばらく滞在して、ウフィッツをじっくり観てもいいね。観光に関心がないので、観光ツアーは御免だけれど」 「見るところを見ると、すぐに帰る人だから・・・」 「ははは」 「徒然草に、或る所を見に出かけ、もう見るべきものは見たと帰ってきてから、実はその先に本当に見るべきものがあったことに気がついた、と書いてある」 「まあね、旅行者には到達できない、その土地の真相というのがあるわけだ。それじゃあ、気がついて、もう一度その奥地に行ったからといって、真相に近づけたかというと、おそらく真相はさらに奥地なんだよ。所詮、旅行者というものはそういうものさ。大事なのは直感さ。真相の手前で真相を見抜く洞察力が肝心なのさ」 私はそんなことを言いながら、車窓に遠く富士山の姿をさがした。しかし春靄のようにかすんだ先に富士は見えなかった。
Feb 1, 2014
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