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きょうは昨夜のつうづきのように武満徹さんの曲を聴きつづけた。ただいまも、その死の2年前に創られた「Spirit Garden」 (1994)を聴いている。
Jul 31, 2014
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きょうも仕事場にこもって終日執筆。夜10時、額のあたりに疲れがでてきて集中力が低下。執筆をやめる。 武満徹さんの曲を聴きながら、民生委員としての7月の活動記録を整理。明日提出。 作品が数日中に完成するだろうが、すでに心の一部で次の作品の構想を模索していることに気づく。 ちょっと言葉で表現しにくいのだが、心の中にぼんやり浮かんだほの白い空間に、人物モデルをさまざまに動かし形をさぐっている。そして、その形の意味することが何なのか、と考えている。人物像と言っても、男とも女とも知れないボーッとした幻影である。その幻影が、何日か、あるいは何ヶ月か、---場合によっては何年か経つうちに、やがて私はその意味を知ることになる。突然、雷にうたれたように。そして、作品にすべく制作がはじまるのだ。 私の絵は、描写がリアルでほとんど曖昧なところがない。しかし、いわゆる写生画ではない。私自身より先きに対象物がまず存在してい、その前にキャンヴァスとともに陣取って絵具筆を執っているのでは全然ない。私の描くものは、いつのまにか私の心に住み着いて、あるときその姿や光景をボーッと現して来るのだ。まさに「ボーッと」としか言いようがない。 いま、一つの作品が完成を迎えようとして、その「ボーッと」が現れはじめたのである。
Jul 30, 2014
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1週間つづいた日中35℃にもなった猛暑が今日はやや落ち着いた。それでも30℃は越している。 午前10時から制作開始。ただいま午後5時30分ジャスト。今日の執筆を終了。 最も気が抜けないと、当初から心していた、最終部の山場を2/3がとこまでやる。うまく行っているのじゃないかな(と、独り言)。 たぶん8月5日までに、擱筆(かくひつ)できるだろう。それから中旬まで寝かせ、乾燥が確認できたところで文字通り最後の化粧をする。8月末に画商に引渡し。---残念ながら、このブログに掲載してご覧に入れることはできない。
Jul 29, 2014
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午前中に、ご高齢の方の御家を何軒かお見舞いし、熱中症対策のパンフレットなどをお渡ししながら、私自身が汗だくになる始末。帰宅して、市役所への報告書をしたため、ふたたび投函しに。 この猛暑日、もう何日つづいている? 6日かな? 午後、遠雷が聞えた。一雨来るか、来るといいな。 さて、仕事場に入り、一部分を修正することにした。その部分を紙ヤスリで磨ぎ、オイルで洗い、ファンデーションを塗る。もう少しで完成だ、もう少しだ、と思いながら、まだこんなことをやっている。しょうがない。頭に描いていることも、実際に色を塗って行くうちに、色価の力学によって微妙にバランスが崩れることが起きて来る。絵肌の問題があるので、修正によって必ずしも「美的」に着地しない難しい場合もあるが、修正が可能ならいままで時間をかけてやってきたところを削り落すに何の臆することがあろう。---と、今回はそのように判断した。 で、きょう執筆しいようとしていたことを止め、修正した部分を先に完成したほうがよいので、ファンデーションが乾燥するまで休筆することにした。---がまん、がまん。自分に言い聞かせる。 制作の集中から醒めた途端、蜩(ひぐらし)の鳴き声が聞えて来た。今年、私が初めて蝉の声を聞いたのは、24日の日だった。 蜩や遠き夢路を帰り来ぬ 青穹
Jul 27, 2014
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一昨日、シェーンベルクやアントン・ウェバーンのCDをプレゼントしてくださったS氏に、そのとき私は、自作の絵に合わせる音楽としてエリック・サティを挙げたのだった。じつは前日、サティのピアノ曲集を仕事場に流していた。流しながら昔を思い出していた。いや、昔を思い出したのでそれを聴く気になったのかもしれない。 1976年1月5日から14日まで、私は「ギャラリー銀座三番街」の企画による最初の個展「卵神庭園」を開催した。会場にかすかな音量で流したのがエリック・サティだった。若かったせいもあり、エリック・サティの選択は衒学的でもあった。彼は薔薇十字騎士団であり、おそらくグノーシス派の影響を受けていたと思われる。たとえばピアノ曲連作「グノシエンヌ」は、表題に端的にそれを表している。北野武監督第一作「『その男、凶暴につき』(1989年)の冒頭に使用されているのが「グノシエンヌ No.1」だ。 私は当時、グノーシスを研究しはじめていたこともあったが、ほとんど直感的にというか、セレンディピティーというか、レコード店のラックから指差すようにたちまち2枚のディスクを抜き取ったのだった。(明日、倉庫のキャビネットからそのレコードを出してこよう) ところで「グノシエンヌ No.1」を、今夜も耳にすることになった。土曜の夜ということもあって、仕事は夕方までで切り上げ、9時からテレヴィでマーティン・スコセッシ監督の「ヒューゴの不思議な発明」(2011)を観ていた。日本語の題名はあいかわらずトンチンカンだが、ジョルジュ・メリエスへのオマージュと芸術愛にあふれた映画は私の好むところ。そして、---おやおや、エリック・サティ「グノシエンヌ No.1」が聴こえてきたではないか! なんという符合だろう! と、この日記、ここで終わってもよかったが、「ヒューゴの不思議な発明」に「グノシエンヌ No.1」を使用したマーティン・スコセッシ監督の考証の確かさを述べておくのも無駄ではあるまい。映画史の最も早いページを飾るジョルジュ・メリエス(1861-1938)とエリック・サティ(1866-1925)はまさに同時代人、二人は出逢っていた可能性が十分考えられる。しかもメリエスは手品師、魔術師にして自動機械人形(オートマッタ)の制作者だったのだから、実際にグノーシス説を信奉していたかどうかは兎も角、後のシュルレアリスムにおけるように、魔術的なることとグノーシス主義は精神的な臍帯でつながっていると言える。つまり、メリエスとサティは単に同時代人であるというだけではなく、「観る夢」は非常に似ていたと言えるのだ。 「ヒューゴの不思議な発明」の時代設定は、第一次世界大戦(1914-1918)後しばらく経って、となっている。メリエスもサティも、まだ存命だった。 映画音楽として北野武監督とマーティン・スコセッシ監督とは、同じ曲を使った。しかしスコセッシ監督の考証による物語とのあらゆる符合性は、北野作品ではまったく閑却されている。いや、私は北野作品での「グノシエンヌ No.1」は、この映画を決定的に観客の脳裏に焼き付けるに大きな効果があったと、舌を巻く。他の人はもう「グノシエンヌ No.1」を使えないだろう。「タラランラン・ラーララン・タラランラ・ランララン」と、北野自身が扮する刑事が坂状になった橋の下から姿を現す冒頭【後註】。そして最尾にも「タラランラン・ラーララン・タラランラ・ランララン」と、冒頭とまったく同一のイメージで、しかしすでにして汚れてしまった若い刑事が姿を見せる。これは一種のフレーム・プレー(額縁演出)だが、このスタイリッシュな作品を北野映画の最高傑作として、私は愛する【後註】。---だが、スコセッシ監督の衒学的符合の魔術性にも、今夜、私は陶酔したのだった。エリック・サティでつないだ私自身のここ三日間の符合にも驚きながら。【註】ついでだから書いておく。このシーンは、もしかするとこの作品より6年前につくられた川島透監督『竜二』からの引用、あるいはヒントを得ているかもしれない。ヤクザ者の竜二(金子正次)とその舎弟・直(桜金造)と弘(北公次)との冒頭の関係紹介シークエンス後に、三人そろって登場するシーンである。中央線のオレンジ色の電車が横切る下に、三人の姿が陸橋からせりあがってくる。この三人のヤクザ者を、北野武監督は刑事に替えたのではないか?【註】『その男、凶暴につき』と同様に、北野作品『OUTRAGE; アウトレイジ』(2010)も、中程のシーンとエンディング・シーンは同じである。北野武監督は、社会悪を、底流に存在するかのようであるが表の社会に纏綿し、表社会からも自らの利のために裏社会に纏綿する撚り合わさった縄のようなイメージでとらえ、その時間的連続を成すコア(核)は同じパターンであると見据え、断ち切ることができないもの、と考えているかもしれない。 ついでに述べれば、『OUTRAGE』にも私が『竜二』を想起したシーンがある。椎名桔平演じる大友組若頭水野が逃走前に情婦とセックスするシーン。水野の背に彫られた刺青が大写しになり、すぐに引きになって交合中の絵になる。『竜二』も、背にどす黒い大きな鯉の刺青がうねる交合シーンがある。私は『竜二』のこのシーンの絵を映画的にすばらしいと思っている。しかし、水野の背中の刺青は、安っぽすぎた。ヤクザの若頭はこの程度の刺青と考えたのかどうか。せっかくシーンがいきなりの刺青の大写しから始まっても、いかにもチャチな絵だ。暴力シーンが圧倒的に重いのだから、チャチな刺青には笑ってしまう。 さらについでだ。 北野監督『座頭市』のエンディング・シーンの農民たちの下駄タップダンス。これは歌舞伎舞踊『高杯』の下駄タップダンスからヒントを得ているかもしれない。さらには黒澤明監督の『七人の侍』のエンディング・シーンとのミックスで。『高杯』は17世中村勘三郎さんのみごとな下駄タップが私の記憶にある。
Jul 26, 2014
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猛暑日がつづく。朝から制作。ただいま夜の8時、夕食後ちょっとテレヴィ・ニュースを見ていたら、いつのまにか居眠り。はっと気がついて、ふたたび仕事場にもどった。これから少し執筆しようと思う。 それにしても世界各国の政治的・宗教的トップが同時多発的に強権志向の愚か者ばかりで、いまや地球はワヤクチャだ。
Jul 25, 2014
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きょうは昼から4時までの会議、さらに6時から7時までの合唱練習のため、絵画制作はやむおえず休筆。 二回目の合唱練習は、私自身にとって驚くべきことに、どんどん声がでるようになっている。先生の指導がよほど良いのだろう。女声のアルトの最高音まで楽に出るとは予想もしなかった。---正しい発声で歌うことで、声は若返るそうだから(先生の言)、せいぜい頑張ることにしましょう。 民生委員同僚のS氏から思わぬ音楽CDをプレゼントされた。S氏は、ヨーロッパ中世音楽から、ロマン派は言わずもがな、近・現代音楽まで、あるいはジャズやロックも守備範囲らしい音楽愛好家。私の絵画作品を観ながら心に浮かんだ音楽だとおっしゃって、シェーンベルクの「Verkärte Nacht op.4(浄められた夜 作品4 弦楽合奏版)」と「Pelleas und Melisannde op.5(交響詩ペレアスとメリザンド 作品5)」とのカップリングCD、そしてシェーンベルクの弟子だったアントン・ウェバーンの「Passacaglia for Orchestra op.1(オーケストラのためのパッサカリア 作品1)」「Five Movements op5(五つの楽章 作品5)」「Six Piece for Orchestra op.6(オーケストラのための六つの断片)」「Symphony op.21(交響曲 作品21)」をカラヤン指揮のベルリンフィルが演奏した一枚、さらに私がアダムとイヴをシリーズで描いているので参考までにと、アーサー・ブリッスの「Adam Zero(一幕のバレーのためのアダム・ゼロ)」と四つの色---紫・赤・青・緑---を表題にした交響曲「A Colour Symphony(色彩交響曲)」をカップリングした一枚。 いま私はそれらの曲をつぎつぎに聞きながらこの日記を書いている。 私はこれらの曲を私の作品群に対するS氏の感想と受け取るのだが、そういう応えを寄せて下さったことを大変おもしろく思った。というのは、おそらく私ばかりではないのではないかと思うのだが、画家は完成した自作について何か具体的な音楽をイメージすることはない。絵画と音楽とは全然別ものだという意識がどこかにある。制作過程でBGMとして仕事場に音楽を流すことは稀ではない。そしてその音楽がその日そのときの筆運びに善くも悪しくも作用していると感じることはある。いや、むしろBGMにはかなり神経質に気をつかう。たとえば私はバッハのヴァイオリン独奏曲が好きだが、これを流すとイライラすることがある。モーツァルトもだめ、ベートーベンはうるさい。---現代のポピュラーな作曲家のポップス調の作品は頭の悪さにイライラする。そのくせ昭和歌謡曲などがぴたりとはまることもある。私の作品の主題ともムードとも全然関係ないのに、だ。 私の友人の小澤一雄君はクラシック音楽ひとこま漫画を独創して活躍している。私は彼に訊いたことはないが、おそらく彼は音楽をイラストレートしてはいないはずだ。クラッシック音楽に対する彼の造詣の深さと豊かな感性は、少なくとも具体的な曲名を挙げて彼の音楽漫画とリンクはさせていないのではないか。 つまりS氏のプレゼントに私が驚き,かつ大変おもしろく思ったのは、私の作品群を観て感じたことを「言葉」ではなく、こういう音楽が聴こえてきたと、漠然としたものではない具体的な曲で私に伝えてきたことだ。 拙作に対するそのような「感想」は初めてのこと。いま私は贈られたCDを聴きながら、今度は逆にS氏の心におこったことを曲を解釈することによってイメージしようとしている。
Jul 24, 2014
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猛烈な暑さ。夜の9時を過ぎてもまだ温度計は29℃を指している。 きょうも一日中制作。 新作は女性を描いているのだが、いよいよ終楽章に入り、ここに来ていままでの私の女性像には無かった事をやることにした。きょうの仕事を終了してから、いつものように暫く眺めていた。そして、やにわに再び筆をとりあげ、ちょっと色を差してみた。---指にマニキュアをしたのだ。1センチ四方ほどの赤い色が白い肌に散らばった。 色を置いただけで、まだ爪を描写していない。このまま一晩寝かせて、明日眺めてみよう。決定は先延ばしだ。
Jul 23, 2014
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昨夜午前2時まで執筆しひとくぎりつけておいたので、今日は午前中にすぐさま新たな局面から仕事を開始。午後2時まで描いたところで、このまま指触乾燥(表面が指で触れてもベトつかない程度の乾燥)を待つことにする。明日の昼前には仕事に取りかかれるだろう。いよいよ終楽章に向かってなだれ込んで行く。 さて、予定より早く今日の制作を終了したので、猫の本格的シャンプーをしてやる。これがひと騒動。いくら「おりこう、おりこう。がまんだ、がまんだ」なんて言っても、我家の猫達、雨降りを眺めるのは大好きでも、シャワーで全身ずぶ濡れ、猫用シャンプーで泡まみれにされるのだからたまったものじゃない。「イヤだって言ってるでしょ、ニャニャニャー、ニャニャニャニャー」「ニャニャーニャじゃないでしょ、綺麗になったら気持ちいいでしょう」「ギャオー、アバレテヤルー!!」 実は、猫はこのような全身ずぶ濡れのシャンプーはあまりやらないほうがよい。毛の油分を取ってしまうので風邪をひきやすくなる。普段は洗わなくともよい猫用シャンプー剤があるので、せいぜいそれだけですます。夏に1回だけ、今日のような洗いをする。タオルをたくさん用意しておき、充分水気を取ってやることだ。ドライヤーは、犬とちがって、少なくとも我家の猫たちはだめだ。音に恐怖して5、60cmも跳び上がって、こちらに爪でも立てられたら大変。 というわけで、猫と大騒動の巻でした。
Jul 22, 2014
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ただいま22日の午前0時12分。まだ仕事場でキャンヴァスに向かって筆を執っている。ここまでやっておくと明日の(日にち的にはもう今日だが)仕事のとっかかりが良いというところまで達していないのだ。もう1時間くらいやればそこまでゆくだろう。ブログを読みに来て下さった方には申し訳ないが、もう少し描きますので---ぐっど ないと。きょうも暑かったですね。
Jul 21, 2014
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落雷で電車がストップしたようだが、小雨がここ数日間つづいた30℃を超す暑さをしずめた。 私はあいかわらず一日中制作。 さすがに午後5時頃になるとエネルギーがダウンしてきた。画面に対する関心はあっても、筆さばきが鈍い。心身が分裂してゆくのだ。それ以上やっても仕方がないので、今日の仕事を終了。 画面に対する関心は批評精神に変え、隅から隅まで視線を縦横に走らせ、何度も何度も繰り返して点検。この作品で自分がやりたいこと(それはたくさんある)が、充分に実現できているか、あるいは、今後まだ何日間か描きつづけることによって実現されてゆくか、などと思い巡らしながら。 仕事場のドアを閉めて、お茶を飲みに行ったりしますでしょう? で、また戻って来て、ドアを開ける。その途端に、立てかけてある絵に目をやる。そのとき、ドキドキするかどうか----これで、いま描いている絵の善し悪しが分かるんです。ハハハ、子供みたいでしょう? しかしですね、ごくわずかな時間、絵から離れるだけで、戻ったときは実はもう「他人」の目になってしまっているのです。ですから、いま言ったドキドキ感は自作に酔っているのではなく、まるで反対、他人の作品に対する感興と言ってもいいかもしれません。 じゃあ、自作に酔う事はないのか。ウーン、そうですねー、無いと言ったら嘘になる。それがなければ長い長い制作日数を乗り切れない。ここで私の秘密を告白すれば、描いている作品がうまくいっているときは、頭はものすごく冷静、そして非常にセクシャルな気分になって来るんです。肉体的に昂揚して来るんですね。血がかけめぐる。絵のなかで自分が生きているのを実感する。絵だか自分だかわからない、「一体感」につつまれる。言葉にするといささかエキセントリックですが、まあ、そんなような状態です。
Jul 20, 2014
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CNNが昨日18日に伝えた「世界一黒い物質」という記事に、私は画家として大変興味をもった。 英国のサリー・ナノシステムズ社が開発し「VANTABLACK;べンタブラック」と名付けられた物質は、光の99.96%を吸収するため、その物質に覆われると、覆われたほうの物体の表面の凹凸が識別できなくなる(見えなくなる)という。あたかもまるでブラックホール効果のように。 このVANTABLACKで塗料を創ったら---なんだかとてつもなく面白い造形作品ができはしまいか。私の夢想がうごめくのである。 VANTABLACKの「VAN」は、「VANISH;消滅する。見えなくなる」の「VAN」と同義なのだろう。すなわち語源はラテン語の「VANUS;空っぽな」か。 それとも新物質発見には付き物の兵器への応用が、VANTABLACKに対しても考えられているようだから、それを見越して軍隊や艦隊の「前衛・先鋒」を意味する「VAN」か。【関連記事】CNN.co.jp : 「世界一黒い物質」、英企業が開発 2014.07.18 Fri posted at 18:48 JST
Jul 19, 2014
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午後、民生・児童委員の夏期研修会。この7月10日に施行されたばかりの「東京都いじめ防止対策推進基本方針」および「東京都教育委員会いじめ総合対策」について。 「大人社会の縮図としての子供のいじめ。」---2011年(平成23年)10月11日に滋賀県大津市内の市立中学校の当時2年生の男子生徒が、いじめを苦に自宅で自殺するに至ったいわゆる「大津いじめ事件」をきっかけに制定された「東京都いじめ防止対策推進条例」のいわば前文に相当する制定の主意に書かれていることだ。少し要約したが、公文書に明記された言葉として特別注意しなければないだろう。(今日の研修で私は初めて知らされた。) この言葉、それでは大人社会とは何かと問えば、つまりは、日本社会そのものだということだ。これを聞いて、そこまで事を広げるのかと眉を逆立てる人がいるかもしれない。 私の手元に「やくざ」を研究した書物がある(妙な書物を読むと思われるかもしれないが、私の日本研究の視野の内だと思ってください)。「やくざ」の親分子分の組織構造が、そしてそれを維持するさまざまな「掟」や「儀式」は、じつは日本の大根本にある「文化」の完全な模倣であり、凝縮・要約されたものである。やくざ社会の常態的暴力も、したがって日本の社会そのものを逆照射している、と指摘できる。 今日の研修会で私たち民生・児童委員は、東京都が制作した小中学校で教材として使われることになるDVDを観た。そこにドラマ仕立てで示された「いじめ」の様子は、子供の世界だけで起っていることでは全然ない。 かつての日本軍の内状を稗史的見地(つまり公文書として記録された以外の一般人の証言記録)から研究したことのある人なら、軍隊内暴力が日常的におこなわれ(現代の世界各国の軍隊と比較してきわめて異常なことと思われるが)、それは正にヤクザ社会の理不尽な有無を言わせぬ暴力と何等変わることないと指摘できよう。 この軍隊内暴力の様相は、そっくり大学から高校中学にまでおよぶ運動クラブ内あるいは記憶に新しい事件として相撲界に、「暴力の伝統」として受け継がれている。構造的「縦型」暴力による被害者の精神的外傷は、歪んだ陰湿な「横型」暴力によって解消しようとされる。縦型横型一体化した暴力装置のもっともわかりやすい最近の事例は、尼崎事件(「尼崎連続変死事件」あるいは 「家族乗っ取り事件」などと報道されている)であろう。 ここで私が注意しておきたいのは、散発的な純然たる個と個との関係性における「いじめ」ではなく---場合によっては外見的にそのように見えたとしても、根っこの部分に暴力を誘発しやすいもっと大きな会社などの組織があるということである。 各職場におけるパワーハラスメント、上司による日常化したセクシャルハラスメント、さらにブラック企業と言われる企業の労働搾取、さらに、1千万円以上の年収がある人とイクスキューズされているが時間外労働(残業)の無給(ただ働き)を制度化する現政府の思想までをふくめ、それらは子供のいじめの実体のなかに指摘できることなのだ。まさに「大人社会の縮図としての子供のいじめ」である。 東京都が、日本の社会を私が指摘したような歴史的構造的いじめ助長社会と読み取っているとは思えないが、薄々は感づいているのかもしれない。条例制定主意文に「大人社会の縮図としての子供のいじめ」と要約されるようなことを明確な言葉で宣言したこと、そしてそのような社会を「未成熟」と表現したこととともに、私はとにもかくにも大いなる意識改革と理解した。 今日の研修会は、実のあるものだった。時間的進行も、予定より30分早く終了。それも、私には何より。 上記の翌19日の「朝日デジタル」の以下の記事を参考として掲げておく。朝日新聞デジタル 働く障害者393人が「虐待」被害 最低賃金未満は8割 2014年7月19日17時00分
Jul 18, 2014
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昨日時間を無駄にした分をとりかえそうと、終日制作。 まだ人物の顔をやっている。だんだん良くなってきているように思うのだが---。 実際は描き込んでいるのだが、描き込んでいるようにはみせたくない。しかも色調の淡さ薄さに深みを与えたい。具体的に言えば、「白」に深みを与えたい。現象的には相反することを実現したいのだ。この作品は、それが実現して初めて作品と言えるような絵になるだろう。それが人物の顔に集約している。 だんだん良くなってきているので、もっと良くなるだろう。 毎日の猛暑。しかしそのおかげで絵具の乾きが早い。連日制作が可能なだけ、暑さもありがたい。梅干を入れた水を飲みながら精を出している。
Jul 17, 2014
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午後から会議。猛暑をついて自転車ででかける。 いつも思うことだが、日本人はどうしてこうも会議がへたなのか。何が必要で、そのために何をすれば最も効果があがるのか、---そういう核心にぐいぐい迫ってゆく運営ができない。くだらないことに時間を費やし、人生経験も豊かなはずの者達が、まるで小学生のように「お勉強会」と来る。「学び」から現実に苦悩をかかえているであろう人達に具体的によりそうべく「進化」が、会議によってはほとんど生まれてこない。現実の苦悩の周辺でワサワサと騒いでいるだけ。あげくの果てがまたもや「お勉強」。あるいはお勉強のための「親睦会」だ。 私は、サラリーマンだったことがないので、お勉強で「仕事」が成り立ったことがない。のみならず、短時間でいかに効率よく最高の仕事をするかが、私のギャランティーの根拠だった。私はそうやって口に糊してきた。そういう精神は、69歳になったからといって変わりはしない。むしろ人生を死の方向から逆算したほうが早くなったので、若い頃より一層、時間の使い方に気難しくなった。 クソのような会議や研修会に当たると、実際不機嫌になる。福祉の仕事にそう頑張らなくてもよい、とアドヴァイスしてくれる人がいる。私とて、他人の人生に深入りするつもりはない。いや、むしろ、他人の人生にからめとられない確固とした私自身の人生があればこそ、偏見無しに他者に向き合うことができる。他者を理解はするが、他人の人生にまったく関心がない。社会福祉とは、同情ではない。それが私の考え。日本国憲法が「人間が人間らしく生きること」を理想として掲げている限り、私はもし自分にできることがあればその理想に見合う事をしたい。 やってもやらなくてもよい受け身の仕事など、私が人生の暮れっ方にすることではない。 てなわけで、1時半から4時まで、憮然として、小学生なみの会議につきあった。
Jul 16, 2014
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東京のホテル・オークラが来年8月をもって閉館し、新たに建替えるのだという。 私は、宿泊客としてではないが、30代のひとつの大きな仕事とともに思い出のあるホテルだ。 1979年、当時はまだドイツが東西に分断してい、その西ドイツのバイエル薬品社から作品の制作を以来された。それは西ドイツやフランスやアメリカなど各国から一人ずつ選出されたアーチストの競作による「真菌芸術展」と銘打ったもので、アートディレクターは世界のデザイン界のリーダー的存在であり1972年ミュンヘン・オリンピックのアート総合ディレクターだったオトル・アイヒャー氏だった。オトル・アイヒャー氏が日本のアーチストとして指名したのが、私だった。 「真菌」とは、いわゆる黴(かび)のこと。なかでも人間に病気をもたらすカビを、医学的見地から「医真菌」という。バイエル薬品はその「医真菌」をめぐって世界規模の啓蒙活動の展開にのりだしてい、「真菌芸術展」もその一環だった。 いま記録を調べると、私は1979年7月3日から25日までF10号の油彩「E.A.ポーの肖像のある静物」(小説家の花輪莞爾夫妻蔵)を描いてい、その間に並行して講談社「ウーマン」誌のイラストレーションを描いている。そして7月30日に「真菌芸術展」のための作品「肉体の荒野」に取りかかり、8月15日に完成。サイズは60×60cm。これはたしかオトル・アイヒャー氏から指示されたサイズだ。 作品は一旦西ドイツに送られたが、2ヶ月後の10月。私は日本で他のアーチストの作品と共に自作「肉体の荒野」と対面した。 その場所がホテル・オークラだった。医学薬学関係者の会議、「第9回産科婦人科国際医学会議」が数日にわたってホテル・オークラを舞台に開催され、その会場ロビーに私たちの競作作品が展示されたのである。この展覧会はその後、バイエル薬品社の啓蒙活動にともない、世界各地を巡回した。 ホテル・オークラの展覧会からピックアップした作品が、当時、「毎日グラフ」に掲載され私の作品も誌面を飾った。じつは私はそのことを知らなかった。しばらく後に、舞踊家の田中泯さんがおしえてくれた。なんでも飛行機のなで見たとおっしゃっていたと記憶する。 そんなわけで、ホテル・オークラは展覧会会場として、私の思い出の場所なのだ。そしてまた、当時国立大分病院の医学博士松崎統先生夫妻の知己を得たのもこの展覧会。その後先生からは御著書を贈られ、御写真も頂戴したが、残念なことに数年後に亡くなられた。夫人は趣味で絵を描かれ、先生の著書に可愛いキノコのイラストレーションを描いてもいられたが、夫人とは現在も年賀状のやりとりはつづいている。 私の視覚的記憶力によって、ホテル・オークラのロビーは先生ご夫妻やバイエル薬品の関係者のお顔とともに、35年後も鮮やかに浮かんでくるが、その建物が壊されてしまうとは、いかにも残念。せめてもの自分の記録として、こうして留めておく事にした。
Jul 15, 2014
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【集団的自衛権に関する注目報道】毎日新聞 集団的自衛権:集中審議の国会 周辺で市民ら反対集会 2014年07月14日 11時32分日経BPネット 田原総一郎「集団的自衛権、閣議決定の曖昧さと安倍首相の意図」 2014年7月9日毎日新聞 集団的自衛権:「危険切迫」で行使可能 武力事態法改正へ 2014年07月12日 07時15分
Jul 14, 2014
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今日もほぼ終日制作。今週も来週も幾つかの福祉会議が入っているので、作品を約束の期日までに完成させるために、休んでいるわけに行かない。ただただ描くだけ。
Jul 13, 2014
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暑い暑い、今日も真夏日だ。水分補給をこまめにしながら仕事をしている。 新作の制作がいよいよ山場にさしかかってきた。慎重に慎重にと自ら言い聞かせながら筆を運ぶ。 「画龍点睛(がりょうてんせい)」という中国の故事にちなんだ言葉がある。張僧繇(ちょうそうよう)という画家が白龍を描き、最後に目を描き入れると、画龍は天に昇っていったという。そこから転じて、物事の最後の仕上げをすることを意味する。ちなみに「睛(せい)」とは「瞳」のこと。 ところで、私は、最後に描き入れるはずの(制作の流れとしては、そう考えていた)人物の「目」を、先に描いてしまった。 実は、直前までその目は白目のまま塗りのこし、顔の描写にとりかかりはじめていた。この描写だけですでに3日をついやしていた。人間の顔の実寸より大きいので、1週間くらいはかかるだろうとは思っていた。だが今日になって、筆を入れながら、なんだか取り留めもないことを繰り返すばかりで、描写が一向に核心に達しないことに気がついた。 しばらくキャンヴァスを離れた。音楽を聴きながら考え、ハタと「目」のせいだ、と思った。 この人物が、何を思い、何を見つめ、何を訴えているのか、・・・つまり私がこの絵を描こうという原初の動機が「目」によっていまだ表現されていない以上、いくら顔の他の部分を描いても、何というか、そう、描写に意味を生じないのだ。 私は再びキャンヴァスに向かい、「目」を描いた。時間をかけて描いた。人物の肌合いが違って見えはじめた。 「画龍点睛」の故事は、この際、ちょいと引っ込んでもらうことになったというお話。
Jul 12, 2014
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各地に深い爪痕を残した台風8号は、しかし私の所は何事もなく過ぎた。大雨の予想も、幸いにも大はずれ。朝からカーッと照りつける日差し。気温はぐんぐん上昇し昼には猛暑となった。 その強い日差しのなか、近くの小学校を訪問。民生・児童委員として校長先生と懇談し、学校給食を給食費282円を支払ってご相伴させてもらった。 私にとってはほぼ60年ぶりの学校給食である。もちろん戦後間もなくの頃の私の時代とは雲泥の差。私の時代はたった一個のアルマイトの小さなボールで、一杯の脱脂粉乳が出れば、その美味しさがうれしかったこと。 きょう訪問した小学校は、公立として特に変っているわけではない。が、給食の美味しさは全国的にも有数と言われている。仕出し屋から配達される給食の学校がとみに増加しているなかで、この小学校はガラス張りの清潔な調理室で栄養士・栄養管理士さんのもとで自前でつくっている。しかも食材は有機栽培の地場産を主体に東京産の物である。すごいのは、収穫量はごく少ないけれど、米を学校で生産していることだ。 この米について少し説明しておく。じつは私が現在居住している地に、その昔、陸稲を開発した偉人がいた。この開発によって大いに崇敬され、その顕彰碑は我家にほど近いさる禅寺の境内に今も残っている。その陸稲が、その後、次第に周辺地域の水稲栽培の趨勢に押され、やがてこの地からも完全に姿を消してしまった。それから長い年月が経ち、今から30年程前のこの小学校の校長先生が、この地にあった陸稲の歴史を掘り起こし、全国的に探しまわってとうとうその陸稲の種籾を発見したのである。以来、その種籾は小学校で栽培されつづけている。 さて、今日の給食のメニューを紹介しよう。栄養士・栄養管理士のKさんによると、今日の食材は東京都八丈島産だそうだ。毎日の献立がきまると、食材は栄養士・栄養管理士さんが発注し取り寄せている。 御飯 ふりかけ(おかか、ちりめんじゃこ、昆布、胡麻) 竹輪のアシタバ揚げ(竹輪1/2にアシタバのジュースで溶いた天麩羅粉をからめて揚げた。爽やかな薄緑色) あえもの(コーン、もやし、青菜をアーモンドパウダーのソースであえた) 鯵のつみれ汁(鯵のつみれ3個、大根、人参、牛蒡、小松菜/鯵の骨から取った出汁に薄口醤油) 牛乳 噂にたがわぬ美味しさ。自称グルマンの私もおおいに感心した。全員が完食。 ところで、私はこの土地のいわば新参者だが、ご一緒した民生・児童委員のなかにはこの土地で生まれ育った旧家の方々もいる。その方々から土地の歴史的な、私の知らない、そして郷土史書でも読んだことがない事実を聞き知った。 たとえば、最寄り駅の線路わきに「出口公園」というごく小さな公園がある。私はいままで、その名称を駅の出口にあるからだと思っていた。今日も,学校へ行く途中にそこを通り、「なんと気楽な名付け方だ」と思ったばかりだった。ところが、実は、鎌倉時代、そこにはある武将の館があり、その出入り口が「出口」「小出口」という地名となっていた、というのである。いまではその地名はなくなってしまったが、某氏の子供時代にはあったのだ、と。 これには私はいささか驚いた。城館の遺構のようなものは全くなく、城館があったことさへ伝説に近くなっていることなので、あるいは昔の地名さへ伝説のうえに築かれたものかもしれない。だが、それだとしてもなお、土地の歴史にとってその地名が存在したことは重要な意義があろう。 また、もう一人の方は、幕末(文久から慶應年間)の書き付けや大正時代の書物を持参して学校に寄贈された。書き付けは金銭の借用書らしかったが、それらはこの土地の古人がどんな暮しをしていたかを窺える貴重な生の資料だ。 寄贈された校長先生は、思いがけない突然の事態に少し当惑し、「こんな大事なものを---」と言っておられたが、きっと良い活用方法を企画されるだろう。 そんなわけで、今日の小学校訪問はことのほかおもしろかった。校長先生、お疲れ様でした。
Jul 11, 2014
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安倍政権によって、日本が70年間営々として育んで来た世界に冠たる憲法の平和主義は崩壊され、戦争可能な国へと進み行く準備がなされている。傲慢なヤクザ者たちが「閣議決定」と称して、「集団的自衛権」とは如何にももっともらしいが、その実は、彼らが空虚ととらえる「平和主義」より尚一層空虚で危険な方向付けのように思える。 現在、世界の軍事的紛争(戦争)をリストアップしておくのは、この際、無駄ではあるまい。そこでは現実に銃弾が飛び交い、爆撃がおこなわれ、毎日のように死者が出ている。酸鼻をきわめる戦場が、そこにあることを私たちは「自分のこと」として知っておく必要がある。 •2001年~(継続) - アメリカのアフガニスタン侵攻(対テロ戦争) •2001年~(継続) - パキスタン紛争 •2003年~(継続) - ダルフール(スーダン西部)紛争 •2004年~(継続) - ナイジェリア紛争 •2004年~(継続) - タイ紛争(軍事クーデタにより政権掌握中) •2004年~(継続) - ワジリスタン紛争(パキスタン政府・アメリカ合衆国有志連合諸国vsワジリスタンに潜伏するターリバーンやアル・カーイダ及び現地部族パキスタン・ターリバーン運動) •2011年~(継続) - シリア内戦 •2014年~(継続) - ウクライナ内戦(ウクライナ東部の親ヨーロッパ派と親ロシア派間の民族的対立) •2014年~(継続) - イスラエルvsイラク、ガザ地区をめぐる紛争 •2014年~(継続) - イスラエル・パレスチナ紛争(ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスvsイスラエル政府) •2014年~(継続) - ウガンダ内紛 自衛のための戦争介入と言うが、はたして自衛が可能だろうか? 単純に疑問がわいてくる。 軍事評論家・岡部いさく氏によれば、 「原子力空母の建造費1500億円以上、それに載せる戦闘機が1機50億円として50機で2500億円、早期警戒機や電子戦機、ヘリコプターなどその他の搭載機を平均で25億円、30機積むとして750億円。計5000億円近くになる。米海軍によれば、1隻の運用経費1年当たり平均200億円。空母は1隻では役に立たない。整備や訓練のローテーションのため、常に動ける状態にするには、最低3隻必要。艦船の耐用年数は約50年。さらに、乗組員が空母1隻で飛行部隊も含め1000人~1500人とすると、海上自衛隊に今それだけの人数を確保できるかという問題がある。」(週刊ダイヤモンド6月21日号より抜粋) これは海上自衛隊(海軍)だけの問題。陸上自衛隊(陸軍)はどうだ? そして航空自衛隊(空軍)は? 今、日本国民の多くが潜在的な生活困窮に四苦八苦している。政府は、この軍事力増強とその永続的維持のために、国民に耐乏生活を強制しなければならないだろう。 戦争状態における食糧は確保できるだろうか? 答えはノーだ。現在、日本の食糧自給率は、農林水産省の示す数字は、平成24年度のカロリーベースは39%、生産額ベースは68%となっている。しかし、実際の生産率はもっと低いだろう。農林水産省のプレゼンテーションには一種のマヤカシがある。「生産額」となっている点に留意しなければならない。つまりTPP問題の対応策として様々な物品生産者が採っていることは、安い輸入品に対して高品質のブランド化であって、勢いそれは高額となり、すなわち生産額を押し上げる結果となる。戦時態勢になり、輸入路が断たれて、毎日の食糧がブランド品でもあるまい。要するに、日本はたちまち飢えに直面することになる。現在富裕国のように見える日本の状況は、いざ戦争に巻き込まれると、少なくとも食糧その他の物的資源状況はかつての太平洋戦争時と変ってはいない。「もはや戦後ではない」と言いつつ「頭脳」を売り物にしてきた日本は、食糧自給率の低下が端的に示すように、国内生産はガタガタに崩壊している。隣国の状況は、未来の鏡に映った私たち自身だ。 「集団的自衛」の政府PRイメージは、紛争地への「助っ人」としての「海外出兵」である。 しかし想ってもみよ、不戦主義の憲法を棄て、武器を取ることを宣言したとなれば、いわゆる「敵」にとって心理的な負担はまったくなくなったわけである。相手にとって私たちは純然たる「敵」であり、攻撃するとなったら躊躇はいらない。つまり、私たちは安倍政権によって自ら危険を手に入れたのだ。戦場は海外(他国)にあるのではなく、此処となるやもしれない。ミサイルの目標は明確に「此処」に定められるだろう。 そのとき、我が政府---原発災害から3年経っても実質的には何一つ解決することもできず、ただ周辺でうおうさおうするだけの政府が、戦時下での原発に対処できるのか? できるはずがない。 要するに、戦争になったら日本は、にっちもさっちも行かないということ。平和主義と民主主義を日本の生きてゆくべきバックボーンにしようという主張は、何も寝ぼけて言っているわけではないのだ。戦争に巻き込まれて、本当に生き残ってゆけるのか?と言っているのだ。 戦争商人のお先棒を、私は担がない。彼らの金儲けのために、日本の若者や子供達を血祭りには断じてしない。マンガやゲーム世代の若者が、ゲーム感覚の幻想によって戦争を志向し、安倍政権を「勇ましい」と勘違いして支持しているとしても。-----君たちが戦争に行きたくても、私は行かせないように頑張るよ。18歳から選挙権が与えられることになったが、これで徴兵制も布きやすくなった。今は今だが、後々それが直結することになるかもしれない。直結させる手続きが容易だということ。 戦後民主主義と平和主義憲法とともに69年を生きてきて、自分の精神まで崩壊しないように、私は必死だ。
Jul 8, 2014
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Jul 6, 2014
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戦場の実体を体験していない安倍晋三首相に対し、イラク支援のNGO谷山博史氏の話は、日本国憲法を破壊してまで行おうとする「集団的自衛権」に関するきわめて重大な報告である。朝日新聞の古城博隆記者が伝えている。【関連記事】朝日新聞デジタル 武力保持「失うもの大きい」 解釈改憲、紛争地知る人は 古城博隆2014年7月6日22時36分
Jul 6, 2014
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Jul 5, 2014
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Jul 2, 2014
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日本国憲法を破壊した人達戦争が大好きな内閣総理大臣 安倍晋三さん戦争が大好きな副総理・財務大臣 麻生太郎さん戦争が大好きな総務大臣 新藤義孝さん 戦争が大好きな法務大臣 谷垣禎一さん戦争が大好きな外務大臣 岸田文雄さん戦争が大好きな文部科学大臣 下村博文さん戦争が大好きな厚生労働大臣 田村憲久さん戦争が大好きな農林水産大臣 林 芳正さん戦争が大好きな経済産業大臣 茂木敏充さん戦争が大好きな国土交通大臣 太田昭宏さん戦争が大好きな環境大臣 石原伸晃さん戦争が大好きな防衛大臣 小野寺五典さん戦争が大好きな内閣官房長官 菅 義偉さん戦争が大好きな復興大臣 根本 匠さん戦争が大好きな内閣府特命担当大臣古屋圭司さん戦争が大好きな内閣府特命担当大臣山本一太さん戦争が大好きな内閣府特命担当大臣森まさこさん戦争が大好きな内閣府特命担当大臣甘利 明さん戦争が大好きな内閣府特命担当大臣稲田朋美さん戦争が大好きな内閣官房副長官 加藤勝信さん戦争が大好きな内閣官房副長官 世耕弘成さん戦争が大好きな内閣官房副長官 山本庸幸さん戦争が大好きな内閣法制局長官 横畠裕介さん戦争が大好きな自由民主党戦争が大好きな公明党
Jul 1, 2014
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