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元長崎市長、本島等氏が亡くなられた。享年92。日本の真の愛国者の死に衷心より哀悼の意を捧げます。
Oct 31, 2014
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民生委員としての仕事。高齢者から相談された件について該当機関に尋ね調べ、その回答を持って訪問。不在。夕方、再び訪問。不在。---こんなことは、しょっちゅう。「ああ、お元気でおでかけだ」---そう思って、次の仕事に切り替える。この1年間の私の日常の一端である。
Oct 31, 2014
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メジャーリーグ、ワールドシリーズ最終試合は、4−3でジャイアンツがロイヤルズを制して優勝。ジャイアンツには祝意を述べ、ロイヤルズの青木宣親選手、まことに残念。3−2で迎えた9回裏、2死3、2塁、あるいは追いつき追い越すかと期待したが、相手のピッチャーが一枚上手、守備もすばらしかった。ロイヤルズの29年振りの夢は潰えた。---29年かー、長いよなー。---青木選手、来季も活躍してください。 青木選手は今季でフリーエージェントとなり、ロイヤルズも含めた全30球団との交渉が可能になる。
Oct 30, 2014
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アメリカ野球、メジャーリーグのワールドシリーズ優勝決定戦は、両者ワイルドカードから立ち上がってきたサンフランシスコ・ジャイアンツとカンザスシティ・ロイヤルズ。第5戦目までの勝敗は、3−2。ジャイアンツが優勝に王手をかけたところでの今日、ロイヤルズの本拠地コーフマンスタジアムでの第6戦。 ロイヤルズには青木宣親(あおきのりちか)選手がいる。青木は、ロイヤルズを29年振りのワールドシリーズにもってきた立役者だ。今日の勝負で片がついてしまうのか、それともタイで、明日の最終戦になだれ込むのか。 私はどうしても青木のいるロイヤルズを応援してしまうが、その青木、セカンド・イニングでロイヤルズ、ノーアウト満塁で打席に立った。カウントは危や三振かと追い込まれてのヒット!---そして、初回先制の1点に加えてなんと一気に7点をあげた。青木のヒットがロイヤルズにツキを呼び込んだかのようだ。 投手ヴェンチュラ選手の好投は言うまでもないが、守備も打者も彼をささえて火のような勢い。結果、10ー0という大差で勝ち、通算成績3−3で両者肩をならべた。明日の試合を見逃せない。 ところで、ロイヤルズのチームカラーであるブルーで埋め尽くされた応援席。歓喜の声とよめくなかに様々なプラカードが目につく。 こんなのがあった。 青木選手を応援する一枚---[ Aoki ー Dokie !] 「アオキ ドゥキィ」と読む。韻を踏んでいるのだが、じつは [ Okie-Dokie ; オキィドゥキィ ] のモジリ。俗語で、意味は「いいぞ、いいぞ!」という程か。つまり「青木、いいぞ、いいぞ!」と言うこと。(後註) また、こんな一枚も。 ロイヤルズのヒットメーカー、Cain(ケイン)選手を応援。---[ We cain do it !] これもオバマ大統領の [ We can do it !] のモジリ。can に Cain を掛けているのだ。 野茂英雄氏がドジャースで活躍されていたとき、球場には「ザ・ヒデオ・ノモ・ソング」が流れた。憶えていられるだろうか、あの歌詞を。往年のハリー・ベラフォンテの名曲(ジャマイカ民謡)「バナナ・ボート・ソング」のモジリ。そのメロディーで歌うあの野茂英雄応援歌を。 「ヒデーオ、ヒデーオ、ノモ・ピッチ・アンド・ノーボディ・カム・ホーム ワン・ストライク、トゥー・ストライク、スリー・ストライク、アウト! ノモ・ピッチ・アンド・ノーボディ・カム・ホーム トルネイド・イズ・カミング・ナウ! ノモ・ピッチ・アンド・ノーボディ・カム・ホーム」 作詞はたしかラテンバンドのディアマンテス。---それにしてもメジャーリーグでこんな個人応援歌が流れたのは後にも先きにも野茂英雄氏だけじゃないかしら。私はこの歌が流れるとなんとも嬉しくなり、くちずさんだものだ。「ワン・ストライク、トゥー・ストライク、スリー・ストライク、アウト! ノモ・ピッチ・アンド・ノーボディ・カム・ホーム」 ちなみにこの部分、ハリー・ベラフォンテは次のように歌っていた。「Six foot, seven foot, eight foot bunch/Daylight come and me wan' go home」---「ひと束に6房、7房、8房/朝日が昇る それから俺たちゃご帰還だ」---荷船にバナナを積み込む労働歌である。--------------------------------------【註】余計なことだが、ついでだから。ウィル・スミス主演の映画「バッド・ボーイズ」の中で、「 Okie-Dokie」に良く似た言葉が2シーンでそれぞれ1度ずつ2度言われる。早口なので分かりづらいし日本語字幕には反映されていないが、「doggie - doggie ; ドギィドギィ」と言っている。これは「ワンワンちゃん」と、犬を呼んでいるのだ。
Oct 29, 2014
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10月も今週末で終わり。11月のスケジュールを確認すると、多忙となりそうだ。庭木の剪定をやってしまわなければと、昨日のつづきをする。 後片付けまではできなかった。というのは我が市の方針で、庭木の伐り枝は葉を取って長さ50cm、一束の直径30cm、一回に二束までは可燃ごみ収集のときに無料で持って行ってくれる。その切り揃えるのが一仕事。それに二束では済みそうにない。---結局残りはまた後日にやることにした。伐った枝が葉付のまま片隅に山となっている。 庭木はまだ色づかない。今年は文字通りひとつも実がならなかった柿の葉がようやくところどころ色づきはじめた程度。例年だとたわわに成った柿の実が、花の無い我家の秋の小庭の唯一の彩り---賑やかな彩りになるのだが、ことしはそれがない。 一般家庭の庭の柿は、沢山成った翌年はあまり実をつけず、それを「隔年結実」というのだとは物の本で知った。だが、今年のように一個も成らないというのは初めてだ。驚きもし、一抹の淋しさを感じる。 散らばった葉を掃き集め、そのなかの色づいた柿の葉を手にとってみる。厚い、照りのある葉の鞣し革のような重厚な色合いが私は好きだ。むしろモミジの紅葉よりずっと好きだ。そのふてぶてしさが、だ。私は儚さが嫌いだから。 これから毎朝、落ち葉掃きが始まる。東京は、きのう、凩1号が吹いた。
Oct 28, 2014
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今日は庭木の剪定。ただし三分の一だけ。残りは、また後日。 先月8日に、猫のリコを病院に診察に連れて行った。15歳5ヶ月の老境に入り、レントゲン検査の結果は末端の脊椎骨に摩耗とクッションの減少、そのための炎症だった。その日から3週間、病院処方の消炎薬を与えた。加えて2週間目からはコラーゲンのサプリメント(犬猫用)、さらにカルシウムのサプリメントを与えて現在に至っている。コラーゲンは初めの1週間は朝夕2回、以後は夕食時に1回与えている。この効果は絶大で、当初は腰が抜けたように立つことができず、いざりながらよたよたと歩いていたが、今ではまったく普通に、二階へも兎のようにぴょんぴょん跳ねながら上がり降りしている。---と、書いた途端にやってきて私の膝に乗っかった。老猫が若返るわけではないが、ともかくも元気に歩き回る姿にほっとしている。---「ねっ、リコ、歩けるようになって良かったね」
Oct 27, 2014
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多忙のためここ数日ブログ日記を更新しなかった。 さて、25日、盛岡市で開催された第67回全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の高校部門、高校B(メンバー33人以上)で、私の母校、会津高等学校が最優秀団体として文部科学大臣賞を受賞した。後輩諸君おめでとう! 私の時代は男子校で、公立学校制度が男女共学制になるまではこの合唱コンクールにおいても男声合唱団として活躍していた。作曲家の新実徳英氏に新曲を依頼したこともあったと聞く。男声合唱の力強さも懐かしいが、混声になって新たな伝統を築いてきたのだろう。 私が60歳になって、中学時代の恩師を訪ねて40年振りに会津若松市に行った時、母校にも行ってみた。夏休みに入っていたのではないかと記憶するが、校門を入っていきなり水着姿の女生徒に遭遇したのでビックリした。男女共学になったとは聞いていた。それが「こういう事態」だとは想像できなかったし、よもや水着姿でキャンパスを闊歩しているなんてどうして予想できただろう。 同じ日のうちに、同様の逆バージョンを次々に経験した。現在は会津葵高校、かつての会津女子高等学校(通称、会女)の前を通るとなんと男子生徒の姿が。さらに会津学鳳高校、かつては若松女子高等学校(若女)と称していた学校からも男子生徒が---しかも女生徒とランデブーで出て来た。 40年前、会女だ若女だと言ってときめいた蛮カラ男子校の我らは、いったい何だったのだろう。まさか藩校日新館の教え「男女七歳にして席を同じうせず」を伝統としてはいなかったけれども---- ついつい「合唱コンクール」から脱線した。再び後輩諸君に祝意をのべよう。文部科学大臣賞おねでとう!
Oct 25, 2014
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ほぼ終日、資料作り。画像250点をDVDに収録。もう40〜50点は増えそう。自作のためではなく、美術講話の準備。
Oct 21, 2014
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アメリカのジャズコーラスグループ「マンハッタン・トランスファー」の創設者、ティム・ハウザー氏が亡くなったという(16日)。享年72。 私は、いかにもニューヨークっ子らしい「マンハッタン・トランスファー」の洗練されたステージングが好きだった。昔、ニューヨーク滞在中に、幸運にもリンカーン・センターのエイブリー・フィッシャー・ホールでのコンサートを聴けたことを懐かしく思い出す。最上席が取れたので、ドレスアップしてでかけたものだ。なんの飾りもないステージ、センスの良い衣装、ただただ素敵な歌を聴かせる、これぞ大人のコンサートと、私は酔いしれた。 ティム・ハウザー氏のご冥福を祈ります。R I P。
Oct 18, 2014
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パリ、ルーブル美術館につづく地下街カルーゼル・デュ・ルーブルで、現代アート・フェア、「第15回サロン・ショッピング・アート・オウ・カルーゼル・デュ・ルーブル(La 15ème édition du salon Art Shopping Les au Carrousel du Louvre)」が、いよいよ来週、10月24日(ベルニサージュ;オープニング)、25日、26日と三日間にわたって開催される。私の作品も展示される。 きょう、webチケット(招待チケット)がとどいた。このブログのお客様で来週パリに旅行される方は、是非ルーブル美術館へ行き、地下街に足をのばしてこの現代アート・フェアをご覧になってください。 webチケット(招待チケット)を以下に貼付しますので、会場入口でこの画像を携帯端末で見せていただくか、もしくはプリント画像でも入場できますのでご利用ください。参加資格のある選りすぐりの画廊が、それぞれ推奨作家の作品を展示します。招待チケットのプレゼントは終了しました。
Oct 17, 2014
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東京は日中の気温が15℃という肌寒い一日だった。16日の朝はさらに13℃まで下がりそうだという。 気温の変化に我家の猫達は敏感で、ここ数日、就寝中の私の身体のうえにずらりと並び、私は寝返りもせずに彼女達の暖房器になっている。今現在も、机に向かっている私の膝のうえにはマスクがいる。ゴロゴロ喉を鳴らしているのだ。膝にのれない他の猫、リコやサチやフクは、「早く寝ようよ!」と、寝室と仕事場とを行ったり来たりしながら鳴いて催促している。マスクが膝のうえで喉を鳴らすのは存在を誇示しているのである。 小林まこと氏の猫が主人公の「ホワッツマイケル」というマンガがあった。マンガやアニメーションがまったく不得手な私だが、昔、友人の事務所に立ち寄ったとき、「これは気に入るんじゃないか?」と見せてくれたのが「ホワッツマイケル」。たまたまその巻に、就寝中の飼い主の上にのうのうと寝そべって暖をとるマイケルが描かれていた。猫好きじゃなければ書けないマンガだと、好意を持った。 同様のシーンが、エリザベス・テーラー主演の映画、ジョン・オハラ原作、ダニエル・マン監督「バターフィールド 8」(1960)にもある。エリザベス・テーラーがコールガールの役で初のオスカーを受賞した作品。ベッドの上の猫のシーンなんて記憶している人はいないかな? 私にいつもシーズンズ・グリーティングとして「猫」をデザインしたアクセサリー・ピンを送ってくださる会社がある。株式会社デザインアンドデベロップメントという会社でPINS FACTORYというブランド商品を制作している。猫のイラストレーションの作者は吉沢深雪さん。 じつは会社とも吉沢さんともまったくおつきあいが無いのだが、律儀なご挨拶をいただく。私がたくさんの猫を飼っていることをご存知なのだろうか。失礼ながら返事をさしあげたことがない。その罪滅ぼしに、可愛らしい猫のピンであるとここにご紹介させていただく。そして、大久保社長、吉沢さん、いつもありがとうございます。ご無礼をお許し下さい。 猫達の催促がうるさい。明日のスケジュールのこともあるので、寝室に引き上げることにしよう。
Oct 15, 2014
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サッカー男子国際強化試合、日本 vs ブラジル戦が、シンガポール・ナショナル・スタジアムで行われた。アギーレ監督率いる日本A代表の第4試合である。前回のジャマイカ戦から4日、香川選手が脳しんとう後の大事をとって代表離脱し、アギーレ監督は先発メンバーを6人入れ替えて強豪ブラジルに臨んだ。ブラジルにはネイマールが居、ロビーニョが居、カカが居、ポルチーニョが居る。 キャプテン・GK;川島永嗣、FW岡崎慎司、小林悠、MF田中順也、森岡亮太、柴崎岳、田口泰士、森重真人、 DF大田宏介、塩谷司、酒井高徳。 交替;本田圭佑、武藤嘉紀、柿谷曜一郎、鈴木大輔。 結果は赤子日本の腕をねじりあげるように、ネイマールが一人で4点を叩き出しての4−0。 私は前回のジャマイカ戦での日本チームのプレーを戦術的に、あるいは選手同士の連繋の緊密さにおいてもすばらしかったと評した。その自分の評に赤面するような、無様な今日のプレー。一体このチームは一試合一試合、本当に学習しているのだろうか、と思ったのだ。全然サッカーなんていうものじゃない。つまり、頭と身体がバラバラ。何にも考えていないじゃないのか、見えていないのじゃないか、と溜め息ばかり出る。 ブラジルはボールを保持したら正確なパスでつなぎ、敵陣(すなわち日本ピッチ)に入ったらシュートチャンスが生まれるまでゆっくり丁寧にボール回しをする。しかもその間にもネイマールはあらゆる局面で関わろうと日本の隙あるスペースへ機敏に動き回る。そしてひとたびボールにタッチするや鮮やかな切り返し、あるいはステップで敵をかわして正確無比のシュートを放つ。そのゴールへの貪欲さ、徹底した喰らい付き、敏捷さ、瞬時の判断力、---敵ながら見事というしかない。チームの期待のみならず観客の期待、---ネイマールは必ず点を取るという期待を裏切らないのだ。期待に応える技術があり、試合を支配する技術と頭脳があるのだ。 しかし考えてみると、そのような個人の能力もさることながら、ブラジルがW杯に出場すること20回、優勝5回、一方で日本はW杯出場5回、最高順位が16強に進出ということ。どこの国の代表チームも、何年かするとメンバーは世代交替するのが宿命。それでもなお、ブラジルのように「サッカー王国」と敬意を込めた異称を奉られるのは何故だ、ということだ。強さを伝統としてゆけるメソッドがあるのかどうか。あるとしたら------。 観察課題、研究課題である。 とにかく今日は惨敗だ。が、格上の相手だから負けたなんて口が裂けても言うな!
Oct 14, 2014
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今日13日未明から降り始めた小糠雨は、夕方になって次第に雨音を激しくしている。台風19号はすでに九州のほぼ全域を暴風雨圏としたようだ。予報によると、今後、進路を東に向け、近畿、東海、関東を通過するという。 我家は先日の18号以来の防備をとかずにいたので、午前中に小止みになった隙をついて猫達の食糧だけを買いに行って来た。途中で同じ町内の老人2、3人に出会った。杖をつきながら買い物をしてきたようだ。 こうした出会い頭に、それが知った人であろうと知らない人であろうと、私は声をかける。地域に独居高齢者が多くなり、とじこもりがちの人も少なくない。姿を見かけると、「この方は大丈夫だ」と安心するのだ。民生委員としての視線が最近は習慣になっている。今朝もある高齢者から電話を頂戴したばかり。 実際、私の思いの中で、地域の地図が以前とは変わってきている。地形+年齢+生活形態(独居か家族がいるかなど)+健康状態---このような条件が具体的に実像として複合したかたちでの町の地図である。町がどのように構成されているかが明確にイメージできるようになったのだ。 私は今、70歳を来年に控えて、自分がこれから何を見ることになるのだろう、と思う。前頭葉のあたりに不思議な立体図が浮かんでいるのを意識しながら。
Oct 13, 2014
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きょうは招待を受けて近くの小学校の運動会に行く。来賓の方々と自分たちの子供時代のことを思い出しながら、あるいは「忘れてしまったなー」と言う声を聞きながら応援。 私の時代との大きな違いは賞品が出ないこと。それに、5、6年生の騎馬戦は女の子も出場していること。しかも女の子はなかなか頭脳的な作戦をたてている。つまり騎乗武者として坐位ではなく鐙(あぶみ)に立ち上がり、敵の武者より高い位置から帽子を狙っている。取っ組み合いも物ともしない。これにはまいった、まいった。 そして、徒競走(この言葉、古いのかな? でもランニングなんて言いたくない)で、転倒する子が一人もいない。私にはこれが意外。昔にくらべて脚が強くなったとは思われないのだが、走りに無意識のセーブがあるのかしら。私の時代は、普段でも膝小僧や肘に擦り傷の男の子はあちこちにいて、今は無い「赤チン」を勲章のようにひけらかしていたけれども。 1、2年生全員、あるいは3、4年生全員によるダンス。---なかに一人二人、格段にリズム感の良い子、また姿が見事にエンターテイメンとになっている子がいて、これにも驚いた。たぶん自ずと美しい形になるのだと見たけれど、たとえば方向を指し示すような振りのときの腕ののばしぐあい、挙げぐあい、指先のぐあい。そしてその振りを受け止めている伸ばした片足と膝をまげた片足の、何とも言えない気品と滲み出る楽しさ。あるいは脚を交叉させてターンする、リズムを確実にとらえての体幹のゆるぎなさ。---芸術になっているのだ。コマシャクレた卑しさがない。ほんとうの愛らしさにあふれている。この子の周囲の大人は、両親も教師も、誰もその天性に気づいていず、この子をその方面からイジクリ回していないにちがいない。 私も芸術家のはしくれ、どこかで子供にさへ容赦しない見方をしている。 ---さて、こんな子供にはどうしたら良いのだろう。 先日もこんなことがあった。 「きのこ観察会」に参加したとき、大人達、あるいは私のような老人ばかり60人ほどの中に、若いお父さんと一緒の小学3年生くらいの男の子がいた。見るともなく見ていると、「きのこ」に大層関心があるようで、あちらに走りこちらに走りキノコを探しては携帯のカメラで撮影している。よく名称も知っていて、「キッズ博士」と呼ぶ老婦人もいた。それに対して、「学校でそう言われることあるけど、まだまだなんだ」などと応えていた。 しかし観察会説明役は得意げに盛んに可食キノコか毒キノコをしゃべりつづけるだけで、男の子が「ここに♠♠♠があるよ!」と注意をうながしても、まともに相手をしない。彼はそんなことに気をとめる様子もなかったが、私はむしろ大人達のキノコ観察より子供の熱意に注意を向けるようになって行った。そして解散間近になって、とうとう私はその子に呼びかけた。「きみ、ちょっとこちらにいらっしゃい」 すでに私が見つけてあった、各種のキノコが生えている場所を見せた。エリマキツチグリ、ホコリタケ、オオキヌハダトマヤタケ、キウロコタケ、チャウロコタケ、カワラタケ、キコブタケ等等。そして、私は登って行かなかったが、10m先の薮下に見えている3本の傘の直径20cmもの名を同定できないキノコ。「ほら、見てごらん、あすこに大きなキノコがあるよ」 男の子はお父さんに抱き上げてもらい、薮のなかに踏込み、写真を撮った。それから、この後になってもまだ「可食」だ「毒」だとやっている大人の所に行き、彼らを大キノコの見える場所に引っぱって行き、自分はふたたび薮に入ってキノコを指し示した。「あれは何?!」 私は離れてその様子を見ていた。お父さんがやって来て、「自分が発見したかのように説明しています」と、バツの悪そうに言った。「いいんです、それで」と私は言った。---男の子が、今後、図鑑にあたることを願いながら。また、キノコから苔や地衣におよぶ菌類に関心が深まり、さらに写真は重要ではあるが名を同定したり種の細部を知るためには不十分で、そのためには細密画があるのだということに気付き、自らその技術を習得しようと思ってくれることを願ったのだ。いま彼に必要なのは、子供の図鑑ではない学術図鑑なのだが、それはこの子のお父さんが気がつくことだ。気がついて10数万円の投資をしてくれるかしら、と思っていたのだった。
Oct 11, 2014
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午後、民生委員の仕事で高齢者宅訪問。8件。帰宅して市役所福祉課への報告書作成。-------------------------- 夕食後、男子サッカー、キリン・チャレンジ・カップ、日本対ジャマイカ戦をTV観戦。 アギーレ監督率いる日本代表チームの第3戦である。前2試合は良いとこ無しの日本だったが、この第3戦は、はたしてどんな結果を出すか。 結果から言ってしまえば1−0で勝った。しかしこの1点、相手ジャマイカのオウンゴール。日本、前半だけでも5回ないし6回のシュートチャンス、あるいはシュートまでは行かないものの絶好のチャンスは何度もあった。実数は20本のシュートだった。が、いずれもネットを揺らすにはいたらない。点に結びつかなければ試合としては無意味。---厳しい言い方だが、勝負とは「all or nothing」の世界だ、と私は思っている。 とはいえ、実は今日の日本代表チームは、戦術的に、あるいは選手同士の連繋の緊密さ---たとえば相手カウンタープレーにグッと寄せるデフェンスにぴたりとカバーを付けて相手の動きを封じ,同時にこぼれ球へ先手をうつ等々、前2戦での間抜けたようなプレーとは格段の成長が窺えたのだ。そしてこれまで私がまったく納得できなかったシュートするまでの「溜め」が、ほとんど無くなったことは、私としては特筆に値する。その機敏さ、敏捷さが何を意味するかは言うまでもなかろう。相手がデフェンス・ラインをつくる時間を与えない、あるいは同じことだがスペースを埋める時間を与えないということだ。しかもその機敏なシューター(のみならずクロスキッカーやドリブラー)をフォローする---ということはこぼれ球やカウンターに対する布陣を味方がきっちりやっているのだ。これはすばらしい。日本代表は一人一人が個人技に優れたいわばスター・プレイヤーだ。チームの中でさえ突出する事を夢見て鎬を削っているはずだ。しかも各クラブからの寄せ集め。なかなか機微に通じたチームとはなりにくいのではないか、と私等は推測する。しかし、私のそんな想いを払拭してしまう、サッカーらしいサッカーを今日の日本チームはやってくれた。 先制の1点はオウンゴールだったが、しかしこれとて日本チームのみごとな連繋プレーに起因していた。それは、こうだ。 ジャマイカボールをセンター寄り左サイドで岡崎が奪い、本田へパス。本田素早く右スペースに入った柴崎にショートぎみのパス。柴崎、ゴール前に走り込んで来た岡崎にクロスぎみのリターンパス。ジャマイカのデフェンスがあわてて岡崎の前に突っ込む。そのデフェンスの膝にボールは当り、はねかえってゴールマウスに飛び込んだ。前半16分の出来事だった。 試合終了後のインタビューに応えてアギーレ監督が言った「(次の相手はブラジルだが)きょうのように5回6回とシュートチャンスが生まれるような相手ではない。確実に点を取らなければならない」 監督のこの言葉以外に何かほかに言うことがあるだろうか。 日本の先発メンバーは次のとおり。 キャプテン;本田、GK;西川、岡崎、武藤、香川、細貝、柴崎、長友、森重、塩谷、酒井(高)。 交替;小林悠、太田宏介、田口泰士。
Oct 10, 2014
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中国の南寧で開催中の体操世界選手権の男子個人総合で、内村航平選手が5連覇を達成した。 また、田中佑典選手が銅メダル。 両者共にすばらしい演技だった。 なお、内村選手が世界選手権で獲得した金メダルは7つ(全15個)となり、監物永三、中山彰規に並ぶ日本最多記録。さらに個人として31連勝の記録となる。難易度やその構成を競うDスコア制(点数に上限がない)の中で、内村航平選手がめざす「美しい体操」(Eスコアの対象。10点満点の減点法)が世界からリスペクトされているのを、会場から直に感じられるのが私は嬉しい。 内村航平 田中佑典床運動 15.766 15.200鞍 馬 15.133 14.200吊り輪 15.000 14.733跳 馬 15.633 14.933平行棒 15.200 15.883鉄 棒 15.233 15.500 91.965 90.449
Oct 9, 2014
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必要があって自作絵画についての解説を日本語、英語、フランス語で書く。一度書いてメールで送信したが、後から読んでみて、日本語のほうはともかくも、外国語のほうは何だかまわりくどくて、真意がスッと入ってこない。要するに一言で片付ければ「誤訳」。で、私自身の思想を表明する日本語の長いセンテンスを同じく長いセンテンスで翻訳するのではなく、考えが伝わることを第一にして短いセンテンスをつなげることにした。また、言葉もより明確になるような言葉に変えてみた。たとえば、「diminish」を「humble」にするなどだ。 翻訳専門家に依頼すれば簡単にすむことだが、やはり自分の言葉で伝えたい。じつはこのことは、昔若い頃、イギリスからバイヤーが訪ねて来るというので、現在は京都のさる大学の教授になられた方に一席をもうけて通訳をお願いしたところ、私の話を聞いて、「独自の思想ですので、是非ご自分の言葉で話したほうがよいと思います」と言われた。その通りかもしれないと私は納得した。で、私は単独でそのイギリスからの二人のバイヤーと帝国ホテルで会ったのだった。 以来、海外との事務的な手紙も契約書のたぐいも、書面によるインタビューも、みな拙いながら自分の言葉でやってきた。 書き直した自作解説文は、わびを入れて再びメールで送信した。
Oct 7, 2014
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台風18号は日本海へ抜けたようだが、各地に数々の爪痕を残した。みなさまは大事無かったでしょうか。我家は強い雨にはみまわれたものの、何等被害はなく、通常のごとくだ。市の防災課が午前9時30分に避難準備を勧告し、各小中学校が避難所として解放された。しかし実際に避難した人があったかどうか。12時30分には避難準備勧告は解除された。豪雨はぴたりと止み、日差しがもどった。我家の濡れそぼったベランダはたちまち乾き、猫達がひなたぼっこをしに出て行った。その間、街にけたたましいサイレンの音もなかったので、きっと何事も起らなかったのだろう。 いま夜の10時を過ぎたところ。遠く近く秋の草虫のすだきが聞えている。
Oct 6, 2014
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昨夜来の雨はやむことなく今日も終日降りつづいている。台風18号が明日には本州上陸、関東地方も暴風雨が予想されている。 我家では昨日のうちに一通りの備えをした。庭の植木鉢や二階ベランダに置いてある飛ばされそうな物を結索し、固定した。また物干竿を地上におろした。 こんな備えをするというのも、5、6年前になろうか暴風によって二階の私の寝室の雨戸が引きはがされ吹っ飛んだことがあった。幸いに、吹っ飛んだ雨戸はベランダの鉄柵にぶつかって折れ曲がり、そこで止まった。そのまま庭木の上を越えて隣家にでも飛んで行っていたなら大事になったかもしれない。以来、隣近所への影響を考えて、気象予報をたよりに予防策をほどこすこにしている。 市からのメールが、明月曜日は市内全幼稚園および小中学校を臨時休校・休園にしたと言ってきた。まことに結構。もし台風が逸れて、よしんば青空好天になったとしても、何事もなくて良かったと喜べばいいのだ。
Oct 5, 2014
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「獲らぬ狸の皮算用」という言葉がある。「日本国憲法第9条を保持する日本国民」がノーベル平和賞候補として急浮上してきたという。真偽の程はわからない。しかしながら、ここに来て私はそのウワサが真実であることを願い、そして、もしそうなら---と、獲らぬ狸の皮算用をする。 昔、50年ほども昔のさる文芸雑誌誌上の座談会ではなかっただろうか。詳細は忘れてしまったが、「火星待ち」と言った人がいた。地球の人間の際限もない衝突、戦争、を最早政治力で解決は不可能で、もし全人類が一致団結して事にあたるとしたら、きっと火星人が襲来したときだろう。人類は「火星待ち」なんだ、と。 私がノーベル平和賞を「日本国憲法第9条を保持する日本国民」の名において願うのは、まさに「火星待ち」と言う事だ。日本国民は、実のところ今や日本国憲法第9条を維持できなくなりつつある。「日本国憲法第9条を保持する日本国民」は、日本国民にとって空念仏になりつつある。現実のウソが、ノーベル賞委員会の「誤解」で平和賞へと導かれるなら、私たち日本人は、安倍晋三政権やエセ愛国者がなし崩しに無化しようと企んでいる平和憲法を、70年間営々と維持してきたこれまでのように失地回復できるのではないか。---まことにナサケナイ話だが、ノーベル平和賞候補急浮上のウワサにそのような算盤をはじいたのだ。
Oct 4, 2014
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今日一日ほとんどを、手持ちのDVDで映画を観ていた。ハワード・ホークス「マルタの鷹」、アナトール・リトヴァク「将軍たちの夜」、マーティン・スコセッシ「最後の誘惑」、そしてロン・ハワード「ダ・ヴィンチ・コード」。 「ダ・ヴィンチ・コード」を観たのは仕事の参考のため。映像(イメージ)と象徴(シンボル)の融合について。 それにしてもこの映画は、実際のルーブル美術館で撮影しているため、背景にある絵画作品がつくりだす画面の力強さには讃嘆するばかり。ついついデレク・ジャーマン監督作品「カラヴァッジオ」に登場する、時代錯誤の表現技術による映画用模写カラヴァッジオ絵画に、呆然となったことを思い出した(後註)。 というのも「ダ・ヴィンチ・コード」で、トム・ハンクスがジャン・レノと共にルーブルに入り、そのエレベーターの昇降口にカラヴァジオ展のポスターが掲出されていた。それでデレク・ジャーマン監督作品を思い出したというわけだ。ちなみにポスターのカラヴァッジオ作品は「ナルキッソス』。ほんの一瞬の暗がりの映像だが、伏線になっている。これも映画的な意味での象徴。【註】 デレク・ジャーマン監督作品「カラヴァッジオ」は、画面にタイプライターが出てきたり、衣装が現代のズボンを履いていたりで、いわばシェイクスピア劇を現代衣装でやる類いのあまり頭のいい演出とも思えないのだが、そのレベルにおいては、映画制作当時流行していたニューペインティング風の荒っぽい筆致のカラヴァッジオ絵画も、映画的に「統一された様式」とは言えるのだ。 しかしデレク・ジャーマン監督の解釈があまり上質とは思えないのは、実際のカラヴァッジオは、ホモセクシャルであり激情的でついには殺人者となって逃亡するが、レンブラントに先立つシアトリカルな光と陰の発明や、宗教的人物を生身の人間として描くリアリストとしての目、そしてその画技が精妙を極めていて、高位の聖職者が殺人者をかくまって作品を描かせるほどに、きわめて陰影の濃い、謎めいた画家なのだ。単なる乱暴者のホモセクシャルなどではない。デレク・ジャーマン監督はそこが描ききれなかった。描き切れていれば、ニューペインティング風なカラヴァッジオだって、私は「よし」としただろう。
Oct 3, 2014
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東海道新幹線「ひかり1号」が1964年10月1日午前6時に新大阪駅に向かって東京駅を出発してから今日でちょうど50年。その日と同時刻に東京駅では式典がおこなわれたようだ。 私はいわゆる「鉄ちゃん」ではないので、新幹線が日本経済に多大な効果をもたらし(建設費3000億円ー当時ーだったが、開業後1年間の収益が2500億円というから、その経済効果は推して知るべしだ)、日本国内がきわめて狭くなったという「実感」以外に特別の感慨はない。しかしながら、新幹線開業から9日後の10月10日には東京オリンピックが開催され、またこの年の4月に私は大学に入学した。東京都民となって50年というわけだ。 実は、この日記を書く前に、50年前、19歳になったばかりの私は、新幹線開業の当日何をしていたのだろうと、当時の日記を見てみた(資料箱に整理してある)。 それによると、1964年10月1日、東京オリンピックを記念して東京国立博物館で開催された「日本古美術展」を観に出かけていた。そしてオリンピック開催の翌日10月11日にも再び同展を観に行っていた。この時の図録も残ってい、その表紙裏扉に、たしかに2枚の入場チケットを貼付け、日付を記している。 以下に1964年10月1日と11日の日記の一部を書き写してみよう。【1964年10月1日】 ○ 午後三時より、国立博物館へ 日本古美術展を観る。 法輪寺虚空蔵菩薩立像は極めて印象深し。「酒買い観音」の異名があることは知っている。その異名の如く、気軽にふいと現れたような印象を受ける。側面から観る衣の具合は非常に美しい。 六波羅密寺空也上人立像はあまりにも有名であるが、実物を観ての印象は、悲壮。水晶を嵌めた眼は、あたかも涙を流すごとくである。そして痩せた、鎖骨が露に見える身躯。首からさげた鉦さえもいかにもあはれである。これこそ、この姿こそ、或いは欣求浄土、「南無阿弥陀仏」を唱える真の姿なのかも知れぬ。私が悲壮と見た程に、彼の精神は激しく炎上していたのかもしれない。今こうして、そのことを思う時、何か、自分にも分からぬが渾沌として胸の中にわき返ってくるものがある。 この展覧会へは、日を改めて再び行ってみようと思う。そして気に入った物をじっくり見てくるのは、いいだろう。【1964年10月11日】 午後より再度古美術展を観る。ついで五時より日本橋白木屋(註;1967年、東急百貨店日本橋店と改称)にて浮世絵展を観る。 埴輪ひざまづく男 茨城県西茨城郡岩瀬町出土 目といい、口といい、きりりと引きしまって、胸をそらし尊敬と畏怖とを持って緊張した様は、実に見事に表現されていて美しい。ドラマが在る。覚悟の表情を知る。 目録は次のように記している。「盛装男子で、角と耳のある偽装の帽子をつけたところが珍しく、すわって演技する姿を写実的に表現した稀有の遺例。」 埴輪農夫 群馬県佐波郡赤堀村出土 おおらかな、なんとおおらかな豊かな心の現れであるか。そして豊かな風土の現れであるか。僕は畑々の穀物の緑を見、そして黄色い宝石のような溢れる光と山々と、そして人達の笑声と集う歌声を聞く。或いは犬や鳥の鳴くを聞く。 この不思議なほど温かい表情がこの時代の、人々の、生活の自然を表しているのか。 僕は考える。現在の近代社会における農民の生活は? 僕は考えて困惑せざるを得ない。あの僕の知っている農家の奇妙な構造を見よ! -----以下、日記は現実の或る農家の現状をおりまぜての考察を書いているが、ここでは省略する。 50年前の日記はオリンピック開催当日のことは書いているが、東海道新幹線開通についてはどこにも記述がない。当時の私にはとんと関心外だったのだろう。しかし古美術展の上記の立像については、その展示の様子までありありと今目前に影像を憶い浮かべることができる。しかもそれは、「えっ、あれからもう50年も経ったのか?」と自問するほど鮮明に。
Oct 1, 2014
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