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おじちゃんの若かりし頃のロマンス・・「あんな辛い思いはもうしたくないから・・」その言葉は私に対しての、そして彼自身に対しての予防線・・そう受け止めた筈なのに、皮肉な事にその線が罠となって私を絡め捕る・・“これ以上好きになったら辛くなる”いつの頃からかそう思っていた・・まだ大丈夫・・?私の視線は日中のオフィスを彷徨って彼の不在を哀しんでいる・・私はただの愚かな女に堕ちていく・・・それでも いい雪が解けて 早く夏が来ればいい・・
2003年01月31日
私ももう少し。「旅」という言葉、旅自体は今も存在していると思う。“二泊三日の旅”“旅の英会話”、ちょっと冗談っぽいニュアンスにはなるけど旅をしてきました、とちょくちょく使う(ちょくちょく出かけるからだ)ただ、旅をしても旅人ではない・・気がする。「~人」というからには、ある程度長い期間それ(旅)に従事している必要がある・・ような気がする。世界は端々まで瞬時に結ばれ、人を旅人たらしめるには狭くなりすぎてしまったのかもしれない。例えば旅行作家なんかで年がら年中旅をしている人は旅人なんだろうか。それもまたちょっと違う気がするけど、そこらへんはまた気が向いた時に思いをめぐらせてみよう。「旅人」は、実物にお目にかかることは滅多にないけれど、言葉を聞いても違和感があまりない。蓑や笠と一緒にすたれてしまった産物という感はしない。それは「心の旅人」など比喩として独立して使われる事が多いからではないだろうか。「熱病」「走馬灯」とともに“比喩一人歩き語”に加えようかと、勝手に思っている。ところで妹・・は、今、かなり旅人に近いような気がする。空間的にも、比喩的にも。燈台下暗し。今度ゆっくりコーヒーでも!いや、コーヒーじゃなくて、紅茶。この間保育園のバザーで2つ紅茶を買ったら、1つはティーパック(バッグ)じゃなくてリーフだった。木箱入りのセカンドフラッシュ・シルバーティップスと高級そうだけど、賞味期限が半年後に迫っている。でも家にはティーポットがない。家には100円ショップの品が溢れているけれど、ティーポットは私にとってお茶を淹れる道具ではなくて優雅なひと時を過ごす道具なので、これは100円ので済まさずお気に入りのを見つけたときに買いたいと思っていた。でも早く買わないと、紅茶の期限が切れてしまう。そして今私の頭に浮かんでいるのが、オリエンタル・エクスプレスのティーセット。多分私はそれを、10年程前からほしいと思いつづけている。見かけることはないけど、きっと今でも売っている。確信めいた気持ち。買おうかどうしようか思い惑って、一旦やめて売り場を離れたらそれに対する思いが膨らんで、ああ絶対買おう、と売り場に戻って見てみたらあれ、こんなだっけ?とイメージが美化されていてがっかりする事がある。今回もそうなんだろうか。もしそうだとしても、10年も想い続けてきたんだもの、きっと大事なお気に入りになる。アガサ・クリスティの小説にも出てくるその急行列車の名前もまた、旅を連想させて素敵。きっと私は紅茶を飲みながら、旅に出る。こんな嵐の夜には、どこに行こう・・
2003年01月27日
念願のソリを買った。何だかよく分からない形をしていたので、一応お店の人にこれはソリですか、と聞いてから買った。近くの公園で、しーちゃんと交代で滑った。とても楽しかった。
2003年01月26日
・・が、入っている。なぜか。紺色の小さなボタン。制服の袖のが取れたのかと思ったけど、私の制服の袖にはボタンはひとつもついていなかった。しーちゃんには届かない高さの段に入っているから、私が入れたに違いない。全く理解に苦しむ。そして帰る場所のないボタンは冷蔵庫に棲みつづける・・
2003年01月23日
先日の鍋祭りでスタンプラリーをやっていた。パンフレットの会場地図に、どこにどのスタンプが置いてあるのかちゃんと書いてある。「な」はどこ?次は「べ」・・あっちだ!子供たちはそんなシンプルなゲームを楽しむ。そして最後にスタンプの揃った応募用紙を応募箱に入れて、はいおしまい。1週間後はラーメン祭り。でもしーちゃんは風邪を引きかけていて食欲がなく、あんまり食べられなかった。残念。そしてその夜、夕食におかゆを作っていると宅急便屋さんから連絡が入り、なんとカニが届いた。おしまいのはずだったスタンプラリーの抽選で当たったのだ。商品が何かなんて見てもなかった。・・当たる時ってそんなものかもしれない。かくして翌日、鍋祭りに一緒に行ったメンバーを呼んでカニパーティとなった。カニと、すき焼き(だってカニが当たるなんて思ってないから半額のお肉を買ってあったんだもの)、友達の持って来てくれたワイン、チーズフォンデュ、それからクリスマス・ケーキ!(そのアイスクリームケーキも半額だったそうだ)ねぇ今日は何の日?と言いながら、思いっきり月曜日から宴会を楽しんだ。日付の変わる前に、友達たちは帰っていった。私はワインとチューハイでフラフラになって、パジャマに着替える能力は失せていたけど、奇跡的にエアコンのタイマーだけは入れる事ができたらしく、次の日その音で目が覚めた。そして隣りで寝ていたしーちゃんが発熱していた・・久しぶりに会った彼女たちとも、きっとまた当分音信不通状態に戻るんだろう。ひょっとしたら楽しかったのは私だけだったのかも・・そんな風に、今淋しくて気の滅入るような感じなのは、多分久しぶりにテンションを上げすぎたから・・・それだけ。きっとまたすぐ元気になる。幸いしーちゃんも、2日保育園をお休みしただけで熱も下がった。明日からまた楽しく頑張ろーね。作品展、楽しみにしてるよ!
2003年01月22日
私は考える。台湾に居た間、私は旅人だっただろうか。違う気がする。私の“言葉に対する感覚”だけが根拠なので絶対とは言えないけど。仮に自己紹介する機会があったとしても、私は旅人です、とは言わなかっただろう。台湾に行った時でさえ違うのだから(断言はできないけど)ディズニーランドに行った時だってどの観光地に行った時だって違うだろう。観光だからだろうか。観光と旅は違うんだろうか。じゃあ旅って一体なんだろう。どこからどこへ行けばいいんだろう。旅人・・それは読んで字の如くだから、誰も疑問は持たない。北風と太陽に出てくるから、子どもだって旅人の事は知っている。でも、もしかしたらそれは絶滅しているのではないか、とふと思う。旅人に会って、コーヒーでも飲みながらゆっくり話を聞いてみたいな。
2003年01月21日
ひと月ほど前、時計のない私の部屋に、と友達が置時計をプレゼントしてくれた。私はその時計に電池を入れていない。なぜだろう。そのかわいいプーさんの時計が私の部屋で時を刻む事に、抵抗を感じるのはなぜだろう。理由を探す代わりに、電池を入れてしまえばそれでいいのに・・・置物や縫いぐるみたちは、ただそこにいればそれでいい。でもプーさんは、お腹に時計を抱えているばっかりに、その針が正しく動いていなければ存在の意味を否定される。その虚ろな姿が、何だかいとおしい。あなたはその不完全な姿のままでそこにいて・・・私の部屋で すました顔で時を刻んで 私を置いていかないで・・・それが理由?私の気持ち?そうかもしれないし、そうではないかもしれない
2003年01月11日
●宿泊ホテル●12/29長虹大飯店http://www.appleworld.com/hotelinfo/servlet/fbn?boxno=3006188&noorder=true 12/30花蓮中信大飯店http://www.appleworld.com/hotelinfo/servlet/fbnservices?boxno=270301 12/31高雄漢王洲際飯店http://swanlake.zive.net/jp/ 1/1YMCAhttp://www.shineyou.com.tw/htdocs/hotel/ymca/english.htm 花蓮中信大飯店と漢王飯店は旅行会社(友遊トラベル)に振込、クーポン券をメールに添付して送ってもらい、アクロバットで開いてプリント・アウト、現地ホテルでそのプリント(ホテル用)を提出。長虹大飯店は旅行会社で手配、現地で直接支払い、YMCAは直接自分で国際電話をかけて手配。今年はエアメールで年賀状を出そうと思っていたんだけど、なかなか良さそうな絵葉書を売ってるのを見かけなくて、最終日、ホテル(YMCA)でI want to postcards,where..と言いかけたら、ああ、ありますよ、どうぞと無料で下さった。初日のホテルで聞いてみれば良かった・・。YMCAは、その響きほど他より安いわけではなかったけど、台北駅から徒歩3分で場所もわかりやすく、日本語で書かれた周辺マップや、迷った時用のホテルの地図入りカードも用意してあり、すごくよかった。●街並み●タクシー、スクーター、犬が非常に多い。台湾の交通は歩行者優先ではない、とガイドブックにあったが実際その通りで運転はかなり荒っぽく、街のあちこちで割り込み、Uターンは当たり前、衝突事故が起こらないのが不思議なくらいだった。ある意味運転が上手と言えるのだろう。タクシーやバスに乗っているときはその強引なテクニックに感心したが、交差点を渡る時には大変緊張した。スクーターは、車に交じって走行している数もかなりだったけど停めてある数もものすごく、歩道は殆ど歩く所がないほどスクーターでびっしりだった。しかも歩道は(これもガイドブックどおり)でこぼこ、ほとんど路地ごとに15センチ程度の段差があってとても歩きづらかった。コンビニは、ファミリーマート(全家)とセブン・イレブンが多かったと思う(台北・西門・高雄に関して)。コンビニにはハム太郎のお菓子屋おもちゃがたくさん売っていて、しーちゃんとコンビニ巡りをしてしまった。●お天気・服装・持ち物●天気は、旅行中を通して曇り。日によって小雨が交じったり薄日が差したりはしたけど総じてどんよりしていた。気温はもっと暑いのを期待していたんだけど、どちらかというと“寒くはない”といった感じ。いや私が期待しすぎて、キャミソールと薄手のカーディガンしか持っていかなかったからそう感じただけで、実際のところあったかかったと思う。富山とは比べものにならない過ごしやすさだった。しーちゃんは半袖シャツに長袖Tシャツ、場所、時間によってGジャンをはおった。私は、日本にいる間だけ着ているつもりだった合皮のジャケットを、結局向こうでも着ている事が多かった。荷物を増やしたくなくて厚手のコートは着ずに家を出たのだけど、カイロのおかげでそう寒い思いもせずに済んだ。カイロって結構長持ちで、行きに使ったのを袋に入れておいて、帰りにまた使ったのだけど十分あったかかった。持っていかなくて大失敗だったのが私のパジャマ。日本のホテルと違ってどこにも浴衣がない(笑)下着だけでもなんとか眠れたけど・・・持っていってちょっと失敗だったのが、意外や絵本。ホテルでの時間や移動時間がかなりあるから、と4・5冊持っていったけど、名古屋空港でも買い、飛行機でも貰え(お稽古帳のような物)、向こうの本屋でも買ってしまって結構荷物だった。持って来て(行って、ではない)成功だったのが、使い捨てスリッパ。もしかしたら備えてないホテルがあるかも、と最初か2つ目のホテルのを持ってきたんだけど、緩撃材のようなものでできた薄手のこれが案外あったかい。アパートの寒さしのぎに重宝している(今も・・)●言葉●私がガイドブックの巻末の基本会話を基に話すカタカナ読みの中国語は、はっきり言って殆ど通じてないようだった。むしろ日本語の方がまだ通じるくらいだった。例えば「ナーリ・ツォースォー(トイレはどこですか?)」「ツォースォー?Oh、トイレね」「はい、トイレトイレ」って感じ。結局向こうでのコミュニケーションは、中国語2、日本語3、英語2、筆談(またはガイドブック指差し)2、ゼスチュア1、というところだろうか。中国語は“外国人観光客のご愛嬌”、あいさつ程度。日本でよく使う“よろしくお願いします”(チントートーグァンシャオ)は、言うたび「?」って顔をされるので、少し仲良くなった東洋のハワイのお土産屋さんのおばちゃんに聞いてみたら、ああ、この言葉はあんまり使わない方がいいよ、と言われた。このおばちゃんや、タクシーの運転手さんなどでもある程度年配の方は小さい頃日本語の教育を受けておれれて、日本語が通じる。ただし日本語も英語も通じない運転手さんもいて(それなら観光地で外国人拾わなきゃいいのに、とちょっと思ったけど)危うく違う所に行きそうになってしまった。空港のカウンターでの会話は英語で、私は早口の英語はまずほとんど聞き取れないので、隣りのお客さんに助けられつつチケットを買ったりした。行き帰りの飛行機内でも、名古屋発着なのに日本人乗務員は少なく、会話は英語を要求された。(一度私の顔を見て中国語?で話しかけはじめたスチュワーデスさんが、あ・・と途中で英語に切り替えた。日本人には英語、らしい)
2003年01月10日
1/1本日の予定は“のんびり”。この日はあんまり予定を決めてなかった。小琉球でグラスボートもいいけれど、島内の見ものはお寺と奇岩、しーちゃんにはいまいちかもしれない。フェリーで旗津に渡って人力車で街並み観光も楽しそうだけど、どうしようかな。とりあえず朝食の後、ホテル近くの愛河(アイフー)まで散歩した。実は前日夜、チェックインの後、夕食をかねて散歩しようとフロントに下りた時、夜景が綺麗ですよと愛河への道を教えてもらったのだけど(と言っても1本路)、その時は思いっきり90゜違う方向に直進してしまって辿り着かなかった。(いくら道を訊いても、一歩外に出るともう方角がわからなくなってしまうのだ)そして地図で確かめて、出掛けにフロントで、愛河はあっちですよね、と確認したら、それとは180゜違う方向だった・・。ともあれ無事愛河に着いた。夜景が見れなかったのは残念だったけれど、朝の愛河も清浄な感じでよかった。思い思いに朝の散歩をする人々。静かで、穏やかで、暖かな、愛河のほとり・・・川面の小舟で犬が寝そべっていた。「あの犬、死んどるかもしれん」としーちゃん。「・・は?なんで?」「さっきあのおじちゃん、棒でがん、がん、って犬の事叩いとった。 だからもう、死んどるかもしれん」「・・・ふーん」他に言葉が見つからなかった。事情も真偽の程もよく分からないけれど、世の中って哀しい。川岸の公園で少し遊んでホテルに引き返す。来た時とは違う道で帰りたくて、当てずっぽうに歩いたら案の定、道に迷った。自慢じゃないけど迷うのなんて日常茶飯事、私の十八番だ。不安げなしーちゃんとは裏腹に私は妙に元気になって、道で目が合った人々に道を訊き訊き、当然ながらちゃんとホテルに戻ってこれた。道はつながっているのだ。道行く人々とのコミュニケーションもまた愉し。そのあと動物園に行った。動物園でも迷ってしまい、園内を1周する代わりに、(多分)7割方来た道をなぜかUターンしてしまって、このときはげんなりした。その後、お寺も一つくらいは見ておこうと蓮池潭へ。湖に浮かぶツインの七重塔の、入り口がそれぞれ龍と虎の顔になっている。龍の口から入って、通路を通って虎の口から出てくると善人になれるそうだ。塔に続くジグザグの橋にもちゃんと意味があるのだが、しーちゃんにとってはディズニーランドの“ミニーの家”のシンプル版みたいなものなのだろう。「もう1回行ってくるね!」と龍の口に駆けて行き、あちこちから顔を出しては「ママー!」と叫んでいた。そして空港へ。予約していたものより早い時間の台北行きにまだ間に合いますけどどうします?と訊かれて、この日は早い時刻のチケットを買う事ができた。さすがにだんだん旅慣れてきたなあ。のんびりの予定のこの日が、結局一番充実して旅らしかった。そして再び、台北。
2003年01月09日
12/31この日の予定は、1日“東洋のハワイ”で遊んで、夕方の飛行機で高雄へ。東方夏夷威遊楽園は見ごたえのあるフラダンス・ショーや椰子の茂る園内の池をボートで巡ったり、となかなか楽しそう。10:30からのダンス・ショーに間に合えばいいな、と思いつつ、ホテルを出たのは10時過ぎだった。ホテルの玄関を出た所でうーん。と思っていると、ホテルの方がタクシーですか、と声をかけてくださった。そしてタクシーを待っている間の雑談に、遊楽園に行こうと思っている、と言うと、ホテルの名刺に何かはんこを押してあるのを下さった。これで、タクシー代だけ払えば遊楽園には無料で入れます、と言う(通常料金300元)。そういえば、航空券とホテルの予約をした旅行会社の人も、私も去年ここのホテルに泊まったけどすごく良かったですよ、と言っていた。花連は“台湾の富山”といった感じで(少し失礼だろうか)自然が多く辺りに何もない分、ホテルは低料金で高品質なのだろう。しーちゃんと二人で泊まった部屋には、ベッドも備品も全て4つずつ揃っていたし、何といってもプール付きの写真に惹かれてこのホテルに決めたのだ。(さすがに真冬のプールは寒々としていたけれど)さて、ハワイに着いた時には10時半を少し過ぎていた。何だかひとっ子一人いない感じだけど、ほんとにここなんだろうか。とりあえず中に入ると、ダンス・ショーを見たいのならあっちですよ、と教えらた。ほんとだ何か賑やかな音楽が聞こえる。あっステージ発見。でも誰もいない。客席にも誰もいない。ここで待ってればいいのかな?そして100人くらいは座れそうな(だったような)客席の一番前に腰を下ろすと、突然ショーが始まった。フラダンスの衣装を着けたお姉さんたちがステージに出てきたかと思うと、そのまま一気に客席まで走ってきて目の前50センチの至近距離でフラダンスを踊り始めた。観客はしーちゃんと私、2人。はっきり言って、ちょっと怖い。客席で踊るサービスは最初の一曲だけで、ダンサー達がステージに引き上げていったので少しホッとした。でも相変わらず客席には私たちだけ。もし私たちが席を立ってしまったらこのショーどうなるんだろう、とちょっと思った(そんなことはしないけど)やがて一組の家族がやってきて私たちの隣りに腰を下ろしたので私はまたまたホッとした。最終的に観客は3組になった。ダンス・ショーの後、ぶらぶら歩いてボート乗り場に行くと、他の2組の家族がボートに乗って出発を待っていた。ボートで園内を一周した後も、3組は運命共同体よろしく、一緒に園内バスに乗り込んだ。園内バスが私たちを下ろした場所は、小さい子供用の遊戯場らしかった。私たちはまたまた一緒にゴーカートに乗った。(ずっと一緒なのかと思ったけど、ここからは、それぞれ思い思いの場所に散る事になった)このゴーカートが妙にスピードが出て、他の車や囲いにがっつんがっつんぶつかる。次に乗った小型ボートも速い。しかもハンドル下で振動しているエンジンが何だかガソリン臭い。しーちゃんはおびえて早く降りたがったけど、辺りに係の人はいない。小さく仕切られた池の中を何周かしたあとボートを岸に寄せて勝手に降りたら、しばらくしてエンジンが止まった。しーちゃんはもう乗りたくない!って言ってたけど、私は日本の安全で小奇麗なおもちゃよりこっちの方が好きだな。そしてそこを出ると、あとは小さなお土産屋さんのほかは何もなかった。人もほとんどいなかった。さだめし動物のいないファミリーパーク、といったところだ。今日は1日ここで遊ぶつもりだったけど、どうする?しーちゃん。昨日の電車が超ギリギリだった反省を踏まえて、私達は少し早いけど、もう空港に行く事にした。そして空港。予約しておいた航空券を手に入れ、お昼ご飯を食べた。飛行機の時間まで約3時間。・・・とても暇だった。花連は空港も小じんまりしていて、たいして見るところもない。3時間はあまりにも長い。こんなことならわざわざ高いお金を出して飛行機に乗らなくても鉄道を使えばよかった、でなければ早い時間のチケットに代えてもらえばよかった、と、後になって気がついた。。ふん。まあいいや。なんたって私はまだまだ海外旅行ビギナー。少しずつ経験をつんでいけばいいや。それに私としーちゃんの気ままな2人旅、完璧である必要なんてない。そんなこんなで、2002年は幕を閉じようとしていた。
2003年01月08日
ホテルの人にお菓子と手紙をもらってとても嬉しかった。その返事を書くのにかかり切りになってしまって下調べとかあんまりできなかったな、と思っていたけど、その手紙のおかげで六福村行きのバスツアーの情報を教えてもらえた。ところが結局そのバスに乗れなくて、六福村行きは水に流れてしまった、というお話。程よい頃合にホテルのフロントに戻ると、フロントの女性はOh,no!というような仕草をした。どういうことなのかよく分からなかったんだけど、ここにはバスは来ないから台北の六福客棧(というホテル)までタクシーで行って、そこから出ているバスに乗るように、と言われた。考えられるのは、バスがもう行ってしまった、という事だろうか。とりあえず言われるままに、タクシーで六福客棧まで行った。六福客棧の人に六福村行きバスの事を尋ねると、向こうのバス停で待っていればバスが来るよ、と教えてくれた。そして大通りのまん中にあるバス停で、次々に止まるバスをこれか?これか?と見逃さないようにしばらく見ていたが、やがて腹に六福村と書かれたバスがノンストップで通り過ぎていった。・・・なぜ・・・???しばらく呆然としていたけど、電車とバスを乗り継いで片道1時間半の六福村に、私は行くのを諦めた。台北駅で非常に手間取りながら切符売り場を探し、非常に手間取りながら切符を買い、本屋を覗いて時間をつぶし、お昼ご飯を食べ、1時半の電車で花連へ向かった。改札を探すのも非常に手間取った。十分余裕を持って臨んだ筈なのに、改札口を通ったのは殆ど出発の3分前(いや2分前かも)、そこから階段を昇って降りてホームに出てみると出発しそうな電車は隣りのホーム(月台)にいて、大慌てでまた階段を駆け昇り駆け下り、奇跡的に発車に間に合った。台湾の長距離列車は全て指定席なので、もし乗り遅れていたら、また苦労して切符の払い戻しと買い直し(もしくは、どういう対処をしなくちゃいけないかを調べる事を)する羽目になるところだった。列車は田園風景を縫い海岸線を走り、約4時間で花連に着いた。この日の夕食は、ホテルのバイキングをとる事にした(ホテルの周辺にはなにもなさそうだった)このバイキングの料理が品数も多くとてもおいしくて、私は本腹・別腹ともにたっぷり普段の4倍位の量を詰め込んでしまい、あまりの苦しさに、部屋に戻ってすぐ何もしないでベッドに潜って寝てしまった。しーちゃんの言葉に相槌を打つ事さえできなかった。ああ失敗。私の人生は失敗するためにあるんだろうか。だとしたら私は日々目的達成していることになる。・・・なんだかよくわからない事を考えながら、眠りに落ちる。おやすみなさい。
2003年01月07日
12/30本日の予定は、六福村でお昼過ぎまで遊んで、その後海岸沿いを走る電車で花連へ。8時過ぎ、チェック・アウトしようとフロントへ行き、昨夜書いた手紙を渡した。フロントの女性は昨夜とは別の人だったけど、彼女は私の手紙を見て、六福村に行くのならバスツアーがありますよ、と教えてくれた。私は電車とバスを乗り継いで行くつもりだったけど、直接バスで行けるのならもちろんその方が嬉しい。彼女はどこかに電話をかけた後、バスの時間まで少し待たなくてはいけません、バスは45分後に来ます、と言った。じゃあその間に朝ご飯を食べて、また戻ってきます、そう言って私はホテルを出た。台湾には朝ご飯のお店が沢山出ている。私としーちゃんは、とりあえず小さなお店の前の4,5人の行列に加わった。ところが。自分の番になっても、私には、天井近くに並んでいる漢字のメニューが読めなかった。しーちゃんが横であれ!あれ!と言ってるけど、あれと言われてもわからない。私たちはしばらくモジモジした後、諦めて列から外れた。残念だったねえ、と言いながらまたしばらく歩き、今度はメニューのないお店で、軒先でおばちゃんが焼いている物を指差してそれを2個下さい、と言った。そうして何とか朝食を手に入れてホテルに引き返し、ホテル前の歩道のベンチに並んで食べた。(焼いたご飯で目玉焼きとふさふさした具を包んだその食べ物は、結局何という食べ物だったのか分からないけれど、おいしかった)ああ眠くてもうダメ・・・
2003年01月06日
12/29名古屋から、キャセイ・パシフィックのCX531というので台北へ。しーちゃんは飛行機が初めてだからさぞ感動するかと思いきや、そうでもなかった。お友達からピカチューの飛行機の噂を聞いていたらしいしーちゃんは、自分の乗る飛行機がピカチューじゃなくて少しがっかりしているみたいだった。そしてあたりはもう真っ暗、しかも座席は内側、一旦飛んでしまえば電車と何の変わりもない。ただ、情報収集の過程で誰かの旅行記にあった通り、キャセイは子どもにおもちゃがもらえるので、しーちゃんは配られたそれですっかりご機嫌だった。約3時間で台北。時差は1時間。夕食を食べたりするせいもあってか、結構あっという間という感じ。(実際高岡-名古屋間より短い筈)中正国際空港からバスに乗る。3番で降りてそこからタクシーに乗るように、と言われてバスに乗り込んだが、3番って、3番目に停まるバス停って事でいいんだろうか。心配になって、ふたつめのバス停を過ぎた時に一応聞いてみた。すると、違う、と言う。そんな所には行かない。次で降りてそこからタクシーに乗りなさい。・・と、言われた気がして、次で降りようとするとNo,No,Next!ここじゃなくてこの次。そしてその次のバス停でタクシーを呼び止めて私たちを乗せて下さった。やがてタクシーは止まった。ここ?いや、ここじゃないけど、この先は車じゃ行けない。ほら前に見えるでしょう?ああ、はい。ありがとう。(註:会話はほとんどジェスチュア・・)私はこの手の説明(ほらあそこに見えるでしょう?)が一番苦手だ。100パーセント見えてないけど、ついハイ、と言ってしまう。でも幸いこの時は、まっすぐ行くとじきにホテルを発見した。うう眠い。けどあと1つこの日のエピソードを。台湾は暖かい国なので、殆どのホテルに冷房は備わっているけど暖房はない。そのガイドブックの言葉どおり、部屋のカードキーを差し込むとごうと冷風が吹き出すようになっていた。だんだん寒くなってきたんだけどその止め方が分からず、フロントに電話した。その時に見に来てくれたホテルの女の子が、思いがけず日本語の手紙を添えてしーちゃんにお菓子をプレゼントしてくださったのだ。私は嬉しくて、返事を書くことにした。と言っても、参照できるのは持ってきた2冊のガイドブックの、巻末の“基本会話”のみ。2冊を交互にひっくり返しながら、夜中2時ごろようやく中国語・日本語・英語まじりの短い手紙が書きあがった。
2003年01月05日
今日は友達に会った後、エアコン代を節約しようと7時過ぎまでサティでぶらぶらと買い物をして、家に帰ってみたらなんとエアコンが付けっぱなしだった(あったかくはなかったけど音で分かった)・・・がっかり。さて。普通は行き先を決めてから宿を決めるものだけど、今回は時間がなくて宿を先に決めてしまったので、宿周辺の見どころを探すというプランの進め方となった。初日は台北、次が花蓮、高雄、そして台北。しーちゃんと行くならやっぱ“台湾遊園地巡り”かなあ。台湾の大きなテーマパークには・小人国(ミニチュアワールド)・・台北近郊・六福村(サファリパーク)・・・・ 〃・東方夏威夷遊楽園(東洋のハワイ)・・花蓮・九族文化村(原住民テーマパーク)・・台湾西部旅行は4泊5日だけど実質的には中3日、テーマパーク2つとあと1日はのんびりコース、でいこう。 ◇◇計画◇◇ 12/29名古屋→台北 台北泊 12/30六福村→花蓮 花蓮泊 12/31東方夏威夷→高雄 高雄泊 1/1 のんびり→台北 台北泊 1/2 台北→名古屋では、いよいよ出発!
2003年01月04日
パスポートの次はビザ。「ビザなしで滞在できる期間というのがあって、これは国によってまちまち ですが、確かオーストラリアは必ず(短い滞在でも)ビザがいる筈です。 ほら・・(とパンフレットを見せてくれる)ビザはパスポートの発券後の 申請で、また1週間ほどかかります」 ・・ということで、お正月にオーストラリア、は無理な事がわかった。パンフレットを眺めながら、ビザ無しで行けるあったかそうな所を探した。フィジーとか、いいかも。あっ現地ツアーでクルージング3泊とか楽しそう。家でインターネットを検索しながら、気分はすっかり南の島へ飛んでいた。で、次の日、駅前の旅行会社で年末にフィジーに行く航空券はあるか聞いてみた。「もうないです。もうキャンセル待ちもできません」「・・じゃあフィジーじゃなくてもいいんで、どこか空いてる航空券は ありますか?」「ないと思います。どこでもいいというのでは問い合わせようがないので わかりません」って、なんて役立たずな。あんたが探せないなら自分で探すからいいよっ!(とは言わなかったけど)旅行会社の営業時間はたいてい6時か7時まで。残業の後検索しながら問い合わせるのはなかなかはかどらなかったけど、5社目ぐらいで見つけたところがたまたま夜10時まで営業してて、どこでもいいから、というと台北行きと香港行きがまだ空きがある、という。「どっちがあったかいですか?」「・・ええと・・・(後ろの人と相談)台北の方が、どちらかというと 暖かいです」「じゃあ台北・・・でもやっぱりちょっと考えてから、あと30分ほどで 決めてまたかけ直します」そしてあわてて情報収集。台北ってそもそもどこだろう。国の名前?ブランド漁りやガイドブックに載ってるグルメ巡りなんて興味ないけどしーちゃんと一緒に行って楽しめる所はあるだろうか。検索下手な私は30分では殆ど何も分からなかったけど、とりあえずあたたかそうな台北に決めて、電話をかけた。航空券の次は宿の決定。これもじっくり決めてる時間はない。優柔不断な私には却ってその方がよかったと思う。4泊するうちの1つは自分で現地に電話して予約を取った。航空券代の振込み。ホテル代の振込み。すべてが慌しく、実感のないまま旅行の日が近づいた。
2003年01月03日
ホテルやデパートやお店のショーウインドウは大小のクリスマス・ツリーで飾られ、今朝散歩した228公園でも人々はいつも通り、といった感じで太極拳をやっていた。たった一度、大晦日の晩御飯を食べに入ったビアバーで外国人らしいお客さんが帰り際に笑顔で握手しながら口にしたのが、私の聞いた唯一のhappy new yearだった。(彼は陽気なおじさんで、いろいろ話し掛けてくれたけど、悲しいかな私の貧困な語学力では彼がエンジニア(・・技術者?)であること、彼の娘さんが22歳である事以外は殆ど解らなかった)1月1日には各地で獅子舞が見られる、とガイドブックには書いてあったけど特に誰かが舞ってる様子はなかった。私が皆の交わす新年の挨拶や各地に居たはずの獅子に気付かなかっただけなのか(その可能性は十分ある)、それともやっぱりこちらのメインは旧正月だからなんだろうか。同じくクリスマスの残骸の残るこの部屋に戻ってきて、しーちゃん宛の年賀状を眺めて、なんとなく新年を迎えそびれたような気がしている。まあたまにはこういうのもいっか。それにしてもここは寒い。帰りの駅からの道すがら、何度か氷で滑って転びそうになった。(しーちゃんは2回尻もちをついていた)手足や鼻の頭のピリピリするこの寒気の中にいると、なぜ台湾に行ったのかを嫌でも思い出す。そして今戻ってきたばかりのその国にまた引き返したくなる。つづく
2003年01月02日
妹がオーストラリアにいる間に、せっかくの機会だから遊びに行きたいと思っていた。でも職場では慌てんぼうの師が11月からもう走り回り、残業やらお天気が悪いやら思い出さなかったりやらで、思いはしばらく放ったらかされていた。そしてある日、ようやく旅券センターに寄ってみた。「あの・・パスポートって今から申請してももうお正月のお休みに 間に合わないでしょうか・・?」「明日の4時半までに申請すれば今年の営業日中に発券できます。 それ以降ですと来年になります」えっ!?明日の4時半?明日その時間までに仕事が終われるかも分からないし、それまでに写真と書類を揃えるのも難しい。・・でももう迷っている暇はない。諦める前にやるだけはやってみよう。こうして“明日まで”にチャレンジ精神が火をつけられて、私は海外に行く事になった。その日の夜、証明写真でしーちゃんの写真を撮った。しーちゃんが寝た後申請書類の注意事項を見ていたら、写真の顔の大きさは何センチから何センチまで、と決められていて、しーちゃんの写真の顔がその規定サイズに満ちていない事が判った。でも撮り直してる時間はない。知らん顔してそのまま出そう。そして翌日、お昼休みに市役所で戸籍抄本と住民票を取り、郵便局でハガキを買い、写真屋さんで私の写真を撮った。4時20分に無理やり仕事を終わらせ、猛スピードで自転車を漕いだけど着いたのは35分だった。でも何とか受け付けてもらえた。しーちゃんの写真もやっぱり見咎められたけど、これも「子どもですし・・」と何とか許してもらえた。こうして申請は無事に済み、後は27日以降(28から休業となるので事実上27日のみ。5時半まで)に2人一緒に受け取りに行けばパスポートは貰える事になった。まずは一安心。(安心したのはいいけれど、27日は私の仕事納めで全然時間までに 仕事の終わる気配はなく、結局翌28日も出社する事になった。 しかも当日はかなりの積雪で、暗い雪道をしーちゃんを乗せて 自転車で急ぐのは非常に恐ろしかった。・・辛うじて、間に合った)
2003年01月01日
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