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特に何か、あるわけではない。人に会うかもしれない予定・・・約束、何だろう。いつも、着る服をその場で適当に着るように、いつも、どうするかなんてわからない。 普段、聞けない、CDを聴こう。だぶん・・・・・眠り過ぎないように。部屋の空気をきれいに。いい加減、少し、人間に戻ろう!うーーん。でも、やっぱり、怠け者でいよう。部屋を檻に見立てて、私、野獣、暴れてやろう。鎖はいらない。音楽と、本と、食べ物と、そうだ、今週末は部屋の中でピクニックをしよう。
Mar 31, 2006
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希望に満ちたメール。コーヒーでも飲みませんか?会話、会話、話すことで埋められたメール。悲しみ、恥ずかしさ、そのまま、書いて、うけいれてもらえたらいいでしょう。安心感があるし。 それは、彼、Eの体系かもしれない。決して、ハンサムではない。年の離れた私の新しい友人。フランス人。フランス人とつきあうのは、難しいな、正直。特に恋愛感は難しい。感情があるかと思うと、そこには、欲望しかない。ほしいものは、夜の中にはない、ということもざらなの。満たされていたようなそんなときもあるのだけれど、立ち止まると、渇きを覚える砂漠にではなくて、私、本当はオアシスにいきたいの。だから、打ち付ける頭、乱交の記憶を半分、なくして、痛みがずきずきと、だから、優しい微笑みのEに思い切ってメールをしました。 人間、直感というものが実は大事なのかもしれない。初めてあった人だけれど、うまく、説明できないけれど、もし、説明するなら、おいしいパンを作る人。私の好きなバンジャマン・ビオレイは知らないけれど。 恋愛とは別に、言葉で、会うことができたなら、いいな。と・・・。 どうして、破壊欲は体のなかに、無意識に・・・・・・ 夜の中、抵抗する。風があれくるって、外は真夜中、不安がいっぱい、満たされてメランコリック、だから、私は真夜中、外に、明かりばかりまばゆい真夜中に出かけて、誰か見つけたい。その欲望に・・・・・・けれど、外には出ないわ。私は家の中にいる。衝動に体が壊される。わなにはまることを衝動におされて、けれど、その誰かの私を捕まえる微笑がこわくなる。だから、家にいよう。 昼ごろ、バイトの中休み、お昼ご飯を食べて、メールをチェックする。Eから。友達。 そう、会話をしよう。ゆっくり、時間を流そう。
Mar 31, 2006
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ゆっくりとした足の運び、ほんのり疲れて。家にかえるというただ、それだけなのに、夜の中、どこにいったらいいのかがわからない。明日があるのに、自分はいったい、どこにいくのだろう、と。こんなとき、電話をかけたいとか、誰かにメッセージを送りたい、と。 久しぶりにドンジュアンに登場していただこう。きっと、前日、見た映画のせい。その中に、登場する金髪の兄さんがドンジュアンみたいだから。 離婚した、と、日本語、しかも、漢字入力でメールで。複雑な気分。忘れるために。そして、離れるためにあらゆる人とつきあったのに。でも、いいのよ、別に。反面。どこで、会うかはどっちみち、わからないじゃない。 部屋に入るとすぐ、ピアノ。今日には今日のメロディーがある。だから、何も考えないで。 そうは、けれど、胸がざわざわ、落ち着かない。人間って何て、俗っぽいのだろう。すなわち、そうよ、彼と・・・・・・ダーン、両手をピアノのキーに振り落としてしまえ、ダダーン、ねえ、ストップ、ねえ、友達でいてくださらない? ダダーン、ダダーン、けれど、結局、すぐに、ピアノはおしまい、集中できないじゃない。直に、眠りが訪れるでしょう。さようなら、ちょっとだけ、ドンジュアン、ただの友達で、だって、まあ、男にはうんざりなの。(意味深に。でも、秘密ね。)
Mar 30, 2006
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昨夜、眠れなかった。いや、眠ろうと思えば、眠れたはずなのに、借りてきたイタリアのホラーをすぐに、見たかった。プラス、ピアノが弾きたかった。眠れない。勉強できない。興奮しすぎて、楽しい夜。まるで、遠足みたい。翌朝の仕事は、いいや、寝不足で・・・・・・と、明日の私の気持ちになることはなく、うっちゃっている。結果、寝たのは朝の4時30分だった。 騒がしい我がアパート。イヤホンでピアノをひく。私のたたくその音だけが聞こえるのか、隣の男2人は話し声、軽く演奏を始める。ドラム、ギター。まかり間違えば、隣の演奏は騒音なのだけれど、今の私にはイヤホンをつけたピアノがあるのだもの!!気になるものか。 孤独なんて怖くない。ずっと、ひきつづけて。 映画について、いうならば、ダリオ・アルジぇントのスタンダールシンドロームを見ていた。その中に、出てくる、レイプ犯罪者が、ドンジュアンそっくりだった。動物的で、しかし、気品もただよっている。恐ろしいくも、美しく、たくましさをも備えた容貌というのだろうか。そのお兄さんがあまりにも、犯罪者の演技を生き生きとやっていたので、少しはばかばかしい気分にもなって・・・・・・だって、ある日、ドンジュアンになったら、度を越してサドみたいになっているというか・・・・・・・私はまさに想像してしまう。 ひとつひとつ、想像してしまうと・・・・・・どうも。そのドンジュアンにはメールをうっておいた。どう、説明していいかわからないことだけれど、その内容は。馬鹿をやって、また、こけちゃいました、そんなところかしら。でも、そんなふうに軽くいえることでもなく、ある種の精神的ショックをうけた先週のことについて。あれは、ねーーー説明、拒みつ、しかし、説明してみる。気持ちって、微妙なものだ。それに、男性と女性の違いもある。私が男だったら、いいのに、と、思う、よく、しばしば。いったい、どんな男になるというのだろう。・・・・・・。 ダリオ・アルジェントは、機会があったら、また、書きますね。ホラーなので、おそるおそる、見るのですが、一回見ると、はまってしまうのです。
Mar 29, 2006
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買ってはみたもののおそるおそる。北海道限定の栄養ドリンク。なかなか、北海道の独創性にとんだおみやげにも失敗が多い。(たくさん、ほしくなってしまうものはあるのだけれど。) 私は今日、朝からバイト。フランス文学科の先生も目撃したが、見なかったふりをしよう。 頭の中、何もうたない。 たぶん、昨日のピアノの影響が残っていて。広げた楽譜にとまらなくなった夜。今まで文章を書いてきたのに、何だか、そんなことがどうでもよくなってしまうくらいに、何も考えないことの、衝動的に刻むリズム、コードの動きに、特に、タンゴ、ジャズを使って、勝手に、編曲なるものをしてみる。まったく、勉強したことなどないのに、勢い込んでみると、さほど、むずかしくない。ピアノのために技術をもたず、あまりにも難しい曲にはいらいらさせられる・・・。(夜、二時まで12時からずっと、ひいていた。おかげで私は寝不足・・・。別にいいのよ。楽しければ) 離れてみれば、遠い場所。1万8000円ほど。引き返せなく感じる。 東京の日々は・・・・・・帰ってきた、という実感もないまま、流れていくのでしょう。ほんの少しの違和感だけ覚えて電車に乗り込む。自分自身が本当に、移住してここにいるような感覚。北海道にはあわなかった私のかけら、ここにある。 ピアノを引き続け、踊り続けようか。 精神的なショックも孤独感も簡単には消えないのだから、衝動を待っているのだから、私の体に傷をつけるのではなく、やけっぱちになるのではなく、部屋の中で、昇華していこうか。文章はリズムやメロディーの間に、添えられた花のように。 もう少ししたら、入学式だけれど、しばらく、何も考えないでいよう。
Mar 28, 2006
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外は寒そうな天気、雪と雨の中間かしら。ほんの少しの残雪。思ったほどには寒くはない。 ナナの顔を見て、確かに、ナナともう少しいたい、とも思うのだが、私の生活は向こうにあるのだし、そろそろ、帰ろうか、東京に。週末の予定もキャンセルをし、ちょうど、私自身が疲れてたから、こちらののんびりしたリズムもさほど、苦にならなかったのだが、しかし、長くいすぎるとイライラしてしまうため、そろそろ、帰ろう。
Mar 27, 2006
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かけあしで、ちょいと、北海道の日々を。あう、本当に不健康だわ。外に出ていないのだもの。しかも、一軒やの2階まであるのに、ほとんど、ナナの側ですごしたために、1階どまりだった、私の行動範囲。(泣) とはいえ、手術は無事に終わったのだし。ナナさんよ、お疲れ様でした。 バイトは、何日間か休み・・・・・ほとんど、働いてないぜよ。うーーー。まあ、いいや。知るもんか・・・・・・。半分は不安だーーー!!! とりあえず、ナナさんに拍手。そうして、無関係な人も一緒に乾杯。
Mar 26, 2006
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実は家に帰ってきてからほとんど、外に出ていない。ひたすら、料理をするのみ。祖母や母がいう。「まるで、料理をするために帰ってきたみたいだ。」と。よくわからないが、感謝されている。食事をつくる、ということは、双方、面倒になっているらしい。出来るだけ、ナナの近くに。小さい犬で手がかからないとはいえ、看病というものは疲れる。 朝、起きると、ナナは、2歳くらい、若返った顔をしている。昨日の夜は彼女はほとんど、眠らなかった。歩けることがうれしいのか、祖母が止めるのもきかず、歩いている。 朝、起きると、彼女の顔はいたずら小僧に戻っていた。そうだった、この顔だった。 昼、暇なので、蒸しパンをつくる。抹茶味をセレクト。緑色のパンを昼ねから起きた祖母が食べる。彼女が近づく。大きすぎる期待。蒸しパンが熱い視線を背負っている。 朝、ご飯を食べていても、ナナは近寄ってくる。 「食いたいーー」お嬢ちゃんは、かわいらしさを漂わせしかし、言葉遣いはそのようなところだろう。非常に強い食べ物への欲望を感じる。本当にこれが、あの病人だったのだろうか。というか、これが、犬であることが、私にとってなぞだったのだ。こいつは人なんだじゃないのか??しかし、蒸しパンも、ご飯もやらん。お前は絶対、安静だ、ケケケ。生意気なワンコめ。かわいいが、生意気な奴め。 「えらかったね。」と、また、なでる。しばらくは、続くだろう。 母につれられ、外出。午後。ご飯をたべに。 それから、しばらく、夕方の帰宅まで。北海道に来ているのに北海道を満喫していない・・・・・・。自分で料理をつくるからまったく、北海道じゃない。別にいいのだけれど。 夕食は魚づくし。ナナも元気だし。 それから、母のために、パソコンの調整をし・・・・・・(何でじゃーー!!!)別にいいけどさ。料理を毎日、毎食、つくるのも、掃除したのも、パソコンも別にいいのだけれどさあ。 少し、疲れた・・・・・・。 そろそろ、東京に帰ろう・・・。
Mar 26, 2006
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あわただしさ、緊張。集中力。失敗すれば命はなし。 やがて、結果は伝えられるだろう。手術中、猫をつれたおばあさんが来院する。手術台につく明かりがそこからも見える。そうして、先生たちが集中して、外のことにまったく気づかないことに、そうして、私たちの表情に彼女は気づいて、猫をつれて席につく。 やがて、獣医さんはやってくるだろう。 しばらくすれば、もう少しで終わるのだ、と、思われる。先生の奥さんの声が聞こえるから。終わりにさしかかると、声と声の間の固さがほぐれるから。難しい部分を終え、傷口を縫い合わせる。 成功をつげると、猫をつれたおばあさんも喜んでくれる。待っていた、ことを忘れてしまう。 手術台のナナは眠り続けている。 我々は、彼女を苦しめていた子宮の膿を見せてもらう。それは通常の大きさの10倍ほどに膨れ上がっている。グロテスクだ・・・・・。これに、くるしめられていたのか。 ナナは眠りつづける。「もう少ししたら、麻酔が覚めますよ」呼吸をしている小さな体の浮き沈み。1、6キログラムのヨークシャテリア。「そのうち、よたよたしながら、歩きますよ。」 ふと、彼女は頭をあげる。目はまだ、開かない。眠りながら頭をあげたり、足を動かしたりする。立とうとしても、まだ、眠っている。呼吸器をつけ、頭を前後に。 家へ帰って、彼女は歩こうと、する。赤ちゃんみたいだ、と、言う。あっちへふらふら。方角はわかっているはずなのに、足元がおぼつかない。傷口が痛々しくてびっくりする。縫い合わせた糸がはっきり、見えた。こんな小さな犬が子宮の摘出に耐えたのか。顔のあたりをなでてやると、気持ちよさそうだ。この小さな犬の側に。 夜は、眠りにつくまで、顔をなでてあげる。 小さなお祝いをする。私がびっくりしているのだ。 助かったナナ。耐えたナナ。何度もその体をなでる。歩こうとするナナを支える。相手が異常に小さいのだから、身をかがめていると、肩がこりそうだ。 幸せって、何だろう。手術をしても、幸せって・・・・・・まだ、わからないながら、ナナを見つめる。何だろうね。まあ、いっか。 それと、同時に、病気を切ってなおせるのが、何とも不思議だと。まるで、ぬいぐるみをなおすみたいだ、とも。 言えない気持ちを抱え、ノートを前に、眠りにつく。いつ、東京に帰ろうか、あまり、考えたくない。ここは、私の行動範囲ではないのに、何だか、考えるのが面倒くさい。この家にいつづけてもいけない、と。母は仕事がつらい、と、いう。ナナのことを考えながら、家のことも考える。頭がパニックになりそうになる。母はこの日、泊まり明けで、その母を祖母が怒らせてしまう。ささいなこと。しかし、想像力の欠如だろう。優しさの欠如だろう。一つ、だめになったら、壊れてしまいそうな人生だ、と。私は母の相談にはのることができない。いつも、私の力以上だ、私の範囲ではない。一人で生きることをずっと、覚えなければいけなかったのだろうか。ここには、詳しく書くことはできない。しかし、母は相手が私でも、仕事をやめたい、とか、いうのだ。私だからこそ、言うのかもしれない。祖母も母も、自分自身が一番、つらい、と、思っている。私はどうすればいいのだろう。 ともかくも、ナナに乾杯。ナナを助けたい、のは、みんな、一緒だった。とりあえず、ナナのこと。ナナはやっぱり、仲介大使なのだ。 その日は、空腹のまま、食事と水の禁止。私は傷口がぱっくり、あいたら、どうしよう、などと、不安になる。母にきけば、傷口は、そのうち、ふさがるのだと。少し、安心する。間違って糸が切れるようなことがあったら。とりあえず、眠りにつこう。ナナに乾杯。
Mar 25, 2006
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昨日より、幾分か熱のさがったナナ。顔は元気そうだが相変わらず、食欲はない。水をすこし。ミルクを少し。しかし、朝、お米をやると、口にする。本当はおなかがすいている。けれど、はいっていかない。もう、そんな状態になってしまってから、数日がたつ。 この日も、ご飯をつくる。昼食のために、台所にたっていると、獣医さんから帰ってきたナナ、祖母、母。母が言う。「午後に手術をすることになったから。」「え、うそ。」きょとん。嫌だな、グロテスク。嫌だな、痛いの。本当は私の方が恐い、と、思っているのかもしれない。 それでも、現実は信じられないもの。ナナを見ていると何だか、泣けてしまうような。死んでしまうかもしれない。 死んでしまったら、困ることも大有りなのだ。現実問題として。この家の精神的なものは、犬が支えている、あるのだ。それが、本当に。冗談ではなく。 ナナが死んだら、祖母がぼけてしまうかもしれない。母もそれを同時に思う。成り立たなくなってしまうのだ。このことは、何回か、思う。実家にいる間に。この地元という、私にとっては、境界線のような、を、越えて異邦人のような気持ちでたどり着く。ナナの顔を見て、それでも、ほっとする。犬との間には言葉はいらない。無意識のうちに、田舎だ、田舎だ、と、悪口を何度も言う。軽薄な唇。私は以前よりも自信をおびて、田舎の人々を見つめている。 とはあれ、手術だ。 思い思いに、方法がある。母は、買物の後に、寄り道をする。教会関係者。神様、と、そればかり。うんざりする。祖母は仏壇に。私はどっちでもいい。私は棄教者だ。もう、どちらでもいい。母は私にも彼女のやりかたを共有させようとする。私は友達にメールをうつ。祈り方はさまざま、それでいいのだ。たとえ、助からない、にしても、運命があるのだろう。 時間を少し、すぎ、電話がなる。再び、獣医さんのところへ。 その小さな顔を見て、三者三様、悲しい顔をするから、麻酔を打たれるナナはおびえている。いつか、すぐに、もう、眠ってしまうのだけれど、本人以上に周りが強くなければいけない、と。 やがて、グターと、力の抜けたナナは獣医さんに、手術台に運ばれていく。眠っている間に、すべてが終わればいいのに。早く、終わって欲しい。 頭をさげて、また、涙は流れたりする。決して、冷たいわけではないのだ。彼女が私をどういう人間であれ、好きでいることで、人間は、やさしくなれるのかもしれない。 長い時間の中で獣医さんのはさみの音が聞こえる。それは、何度も。かすかに見える手術台。今、切っているのかもしれない。今、縫っているのかもしれない。彼女は意識のかなた、きっと、暗い場所にいっている。私はそう、思う。そこで、不安なのかもしれない。私も出来れば一緒にいきたい、と、思う。そうして、痛みをほんの少し、わけてもらって。少し、笑ってしまう。最近は軽い怪我が多かったから。すごくいたいのは嫌、と、思うに、意気地なし、ほんの少しの痛み、引き受け候。目を閉じようか。選挙運動の雑音に気がまぎれる。こんな緊張した場面なのに、まだ、現実が信じられない。夢だろう、とか、冗談だろう、とか・・・・・緊張してようが、体は空腹を感じたりもするのだから、つい、静寂であるはずが、まぎれてしまうのだ。
Mar 25, 2006
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私には悲しみの感情、愛情のようなものが欠けている、と、本人は自覚している。なぜ、そのように思うのか、はっきりとした証拠はない。しかし、それなのに、私は思うのだ。それは、流れる血のような、その感情の冷たさかもしれない。ふとした瞬間に意識が薄れる、もしくは、持ち上がった感情が何もなくなってしまうとき、無というそのなかに、私は冷たさを感じるのかもしれない。しかし、この日あたりから、涙は少しづつ、流れることになるのだ。ともあれ、感情が不足している、と、感じている私は到着の日から、家の中で料理を作り続けることになるのだ。(電車で到着していたけんについて、その日、飛行機は止まっていたらしい。私がよく利用する飛行機会社はストライキがあって止まっていた。結果的に、電車を選んでよかったということになる。) 我が家の犬が死ぬかもしれない、と、何人かにメールを送った。どうしていいか、私自身がわからなかった、というのがある。感情的な問題もそうだし、どのような行動をとるべきなのか、というのもある。それから、死をどのように受け止めるべきか。出発前、私はナナの気持ち以前に、その手術に嫌悪感を抱いていた。麻酔が切れたらどうしようとか、おなかを切るということに恐怖を感じていた。何か、グロテスクなそういう思いで、そこまでして、生きなければいけないか、と。それから、果たして、ナナは幸福な犬だったのか、と。ずっと、同じ主人のもとにいつづけたわけではない。元の主人の奥さんは死んでしまい、それから、我が家にやってくることになる。そのとき、すでに、3歳。立派な大人だ。私が高校に入学のときだった。栄養失調。病気も多い。しつけ、トイレはしっかりしているものの玄関のチャイムがなると、ともかく、ほえる。犬をみるとほえる。子供をみるとほえる。私ははじめ、ナナを愛していなかった。果たして、愛していたのかが、疑問になった。しかし、ナナが人を愛していることには確信を抱いている。それも、ほぼ、無条件で。そう、思うと、何だか、人間というのがとても、小さく思えてきた。ずいぶんと、つまらない理由でけんかなどしてきたものだ、と。 この日、ナナの元主人のお嬢さんがナナの危機をうけて、お見舞いにやってくる。 ナナは私が到着して以来、ずっと、寝てばかりだった。食欲もない。私が到着したとき、目をうるませたものの。 お嬢さんの訪問により、立ち上がる。彼女は今は、ナナを飼うことができない。飼うことができたとしても、お留守番ばかりさせてしまう、と、言う。 視線をあわせる、二人。一緒に住んだことがある二人。話がわかるようなそんな顔をする。犬の言葉の解釈はさまざま。「もう少し、いてくれ。」とか、「行くな」とか。本当に様々。けれど、どのように解釈されようとこのような場面で、何とはなしに、気持ちがわかるような気がしてしまうのだ。すしをとって食べる。食事を一緒にして、そうして、長くいるために。 まだ、死ぬかもしれない、なんて、信じられない。涙が出そうなのに、同時にジョークにしてしまうたいようなそんな気分がある。きっと、ドッキリなのかもしれない、と。
Mar 24, 2006
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水曜日、結局、この週はこの一日しかバイトができないことになったのだが、その一つの原因は個人的なゴタゴタ。それから、後半は電話が実家の方からあったため。何と我が家の犬のナナの状態があぶないと、いうのだ。帰ろうか、帰るまいか迷う。子宮に膿ができて、それをとらないと、あぶない。が、手術を行うとするならば、それは、非常に危険な手術になるであろう、ということ。別に帰ってこなくてもいい、という母の言葉。「神様にお祈りすれば・・・・・・」なんて。・・・・・・誰?神様って。いい加減に。 フラメンコ教室や、バイト先の人に連絡をいれる。もし、死んだら。世間は一匹の犬の死のために、スケジュールを変更する私のことをどう、思うのだろうか?やはり、ただのペットなのだろうか。私のフランスのホストファミリーのところでは、犬も家畜みたいだった。ペットですらないような。ひたすら、人間の子供と同じような扱いというのは想像ができないらしい。しかし、我が家の犬、ナナは一家の中で個性を確立してきた。精神的な支柱としてなくてはならない存在にいつの間にかなっている。私がいなくても、私の代わりのような。どっちみち、私は北海道にはいないのだから。 後悔、死んでしまったときの後悔、たとえば、良心の呵責のようなものが恐くて、結局、早朝の電車で帰ることにする。気がすすまないままに、朝ごはんを購入。函館には盛岡での乗り換えを含み、約6時間で到着する。前半は、居眠り、後半も、変わりいく景色にぼおおーと、 空を見つめ、すごす。飛行機のほうが早いのに。確かに。しかし、なぜかわからぬまま、電車の切符を買い、のりこんでいた。どうして、電車のほうに、ひかれてしまうのだろう。うーーん。 着くと、カレーがなべのなか。また、カレーか、と、思いながら、ナナの顔を見ながら、昼食を。手術は延期になっている。なるべくなら、手術をしないで、薬で治したい、と、お医者さん。麻酔で死んでしまうかもしれない、とのこと。 そうか。
Mar 23, 2006
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人に傷つけられることは、自分へのやさしさに自分がかけてしまったことでもある、と、私は思う。傷ついた体が、いつも、無防備で、いつか、自分が泣くだろうことを私が考えてやらなかったのだ。 なかなか、幸せになれない人生は、人生への可能性を忘れさせる。どこかで、誰かが受け止めてくれたらいいのに、その期待、重すぎて、通り過ぎていく人々に、やっぱり、無理なんだ、と、心中、失望する。怒ることもある。どうして私だけ。 土曜日、踊りながら、私が流されていく気がした。言葉でやめて、と、Kに。暴力なんて実は、使いたくない。Kには、奥さんがいる。魅力的なフランス人?目を閉じると子供みたい。厚い胸板。男性的なほうかしら。けれど、彼のほかに何人かのフランス人が私を同じような視線で見ている。 その土曜日から、流されていくのを反抗した土曜日から、流されて、何もしたくない、考えたくない気持ちに流されて今日・・・・・・私はキーをたたくのだろう。楽器であるかのように。シェリーFMを聞きながら、ほとんど、考慮することなしに。 いつもの無責任さ。どうして、人は、自分を表すこと、自分の本性が現れることに恥ずかしい、と、思ったり。私は、人々との関係の間に、秘密なんてなくていいと、思う。もし、秘密にしなければならないのならば、壊れてしまって結構。 そんな考えに、苦笑いする。 つっこんでいく?いっちゃうか?? 挑戦的に生きてみますか? 臆病な私がいて、でも、そんなのいやだ、と、極端に潔癖症で、別にどっちでもいいわ、私、知らないもの。 かみついた。その人、誰か、わからないけれど、見えない影のようだった。 これから、家に帰る。ピアノがくるのだもの。パソコンにつないで、データを残すこともできるらしい。魅力的な一言。それなら、私、楽譜、かけないけれど、何か、作ってしまうかも。・・・ね。
Mar 22, 2006
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今日は少し、元気だ。頭は少し、いたい。それでも、朝から、バイト、自分の学校にこもっています。今日は、夜は、ピアノがくるので・・・・・・部屋はせまくなるが、心は、豊か(?)かな・・・
Mar 22, 2006
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この日、私、ほとんど、眠っている。記憶障害?起こしたのか、暗闇が暗闇とつながっている。おじさんに卒業式のお祝い、お礼のために電話をするのだが、そのラフな話し方に、相手が自分のおじであることを忘れ、実家のことなど、話す。何だか、疲れてくる。まだ、午前。そういえば、友人Kと会う約束が今日あった。どこかで、たぶん、自由が丘だろう、晩御飯を食べようか。私の卒業祝いも含め。 二人で、ほとんど、無口で。疲れが表情に・・・・・・けれど、無理に話す必要のない私たちの関係。それに、はっきり、ぐさっと、さされようが、傷つかない。実感がなければ駄目なんだ。要は・・・。 入ったのは「小樽食堂」という感じのいい店。夕方6時から朝の8時までの。ジャズが流れる中。私はウィスキー片手。三平汁を飲もうかと、思ったけれど、やっぱり、習慣には勝てない。結局、ウィスキー、何か、流してしまいたくて。 「オヤジ」と、言われる。こんな店で、たとえ、一人でもウィスキーを。夕方くらいに、居酒屋で酒を飲みたい、なんて言ったから。テンションをあげるためではなく、沈むために飲みたい、と、言ったから、「オヤジ」と、言われてしまう。いいよ、別にオヤジでも。いまさら。 (以前から、先生たちにもお前の酒の飲み方は学生じゃない!と、指摘を受けていた。が、L氏は、私、聞く。「あなた、ドラッグとかやってないでしょうね。」「やってません」って) 悲しみが胸に満ちる。疲れた体の沈むバスタブが懐かしくなる。近くにいる友人のぬくもりが、失われてしまうかのように時々、一人しかいないような気持ちになる。 頭が若干痛い。記憶の失われる暗闇の話。記憶障害、起きているかもしれない、とのこと。そうか。苦笑い。だからといって、日常生活はこまる、ということはない。 頭の痛みは、翌日も、ほんの少し、気にならない程度に・・・・・どこかに、頭をぶつけたかもしれない、と。 ウィスキーを飲み、その一口に、次第に忘れいこうと。 幾分か、寒い風に当たる。いつもいく本屋さんに。雑貨などで遊ぼうと、外に・・・・・・ 小樽食堂、久しぶりの北海道料理。お金があったらたくさん、魚料理、食べたことだろう。ちゃんちゃ焼き、カスベのにつけ、それに、魚じゃないけれど、ジンギスカンとか、いろいろ、試してみただろう。おいしそうなものがたくさん、あった。
Mar 21, 2006
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バイト先の理解があって、助かる。秘書さんと話をする。何だか、バイト先に昼食を食べにきたような。それから、話ができる人が私の周りにいるのだ、ということを、知るために。 今は、少し、落ち着いている。危機というのは、今までにいくらか。そのときの私の行動、理解できないこともいくつかある。私は被害を受けたのだ。闇の中から記憶がよみがえると、それらは、非常に悪質だったと、思われる。邪悪な欲望。そうして、向こうには予想できなかった私の行動。私だって、一人の人間なんだ。畜生、なめるな。ほしいものは、欲望ではないのだ。おまえら、いらない。私にだって、ほしいものがあるのだ。畜生、バカやろう。恐怖といらだちと・・・・・・ 一気にふりかえった。悪夢を見ているような感覚が・・・・・・ふとすると、以前にも・・・・・・記憶がなくなる、たぶん。けれど、この暗闇は前にしっているのだ。私には、いじめという事実は知っている。けれど、その詳細、わからない。 一気に振り返った。それから、相手をかんでた。かみついた。何度も、思い出そうと・・・・・・もしかしたら、暗闇は全部、はれるかもしれない。体の振るえ、それから、チャンスかもしれない、と。一気に、走ろうか・・・・・・落ち着いたら。 怖い、と、それから、いくつかの連絡がなされる。 動物のように生きている。けんかをして、ぼろぼろでも・・・・・・体が少し、痛いさ。それから、たぶん、また、立ち向かっていく。 そう、ある意味、チャンスかもしれない。私が私である。私にも自分があるのだ。消失と、それから一気にエネルギーをためよう。
Mar 20, 2006
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また、同じ地点に。気丈に朝まで冗談を飛ばし、それから、朝、家について、眠る。疲れた一日のあとだから。傷ついた私だから。Eにもらったストッキング。忘れ物ばかりしていて、みじめだ。朝、昨日の現場に立ち寄ると、私の上着が店の外の岩場に水色の上着・・・・・・雨にぬれている。抱きしめる。 朝、眠りについて、昼ごろ、目が覚める。心臓から血が出ているように感じる。再び、私は傷口だ。頭が痛い。バーの裏の暗闇。横を見た時にたってた、F。「ねえ、だめだよ。」「そんなことしたって・・・・・・。」今は、私の傷口が痛い。震えて、おびえて、子供のように、誰も信じられなくなってしまうよ。2人、3人、みんなのことを知っていた。だから、私は悲しむのだ。だから、私は叫ぶのだ。 悪い夢の中で、倉橋の歌が読んでいた。流されるな、そういうところかな。 彼女の歌には浄化作用がある。「ただいま」の中の「盾」を聞く。 「今は何にもできない、何にもできない、この背を恥じる空に向かって手を広げることしかできないの、ごめんね、ごめんね。」 ごめんね、私は私のためになく。傷ついてしまった。ごめんね。私を許してね。ごめんね。 また、暗闇の中。何度も聞くCD。「戻れるなら、もっと、もっと、賢く生きてただろう。戻れるならもっと、もっと、大事に愛しただろう。」 本当にそうだよ。本当にそうだよ。戻れるなら、確かに。でも、傷口の中。 そのまま、自分が起き上がれない気がした。友人に電話をかける。急遽、あうことに。 ピアノを買おう。何も考えたくないから。何かやっていないと、でも、何も考えたくない。家から出たくない。けれど、助けを呼ばなくては。シグナルを。だから、会おう。何もいえない。けれど、声が聞きたかった。あたたかさが・・・・・・そうしないと、切れてしまう。疲れて、もう、いやだ、この世と切れてしまう。 渋谷で友人にあって、それから、お茶の水でピアノを買う。その足で、タンゴカフェだ。一杯のビール。自分から感情がないような。けれど、感情がないのをやめてしまうと、くしゃくしゃだ。カフェを出て、一人、走馬灯が回った。何人もの顔が浮かぶ。心の中で、私は話しかけている。走馬灯が回り始め、やばいな。と、思った。今が、ピークだ。今という瞬間が一番、まずい。 誰か信頼できる人とすぐに、連絡をとるべし。 話せない言葉の中、危機だけは伝える。 そうしたら、大丈夫。 少し、パンを食べて、お風呂に入って、眠った。平和がやってくるのを、願っていた。
Mar 19, 2006
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外に出なれないと、それが、習慣でないと、外に出るということは、少し、難しくなってしまう。楽しみにしていたイベントがあって、夕方ごろ、雨の中かさをさして、でかけた。友達とのすれちがいがあって、雨が突然のように降り始めて、彼女とはあうことはできない。しかし、きっと、EとDとは久しぶりに会うことができるだろう。二人ともフランス人、アーティストのような雰囲気。誰かとけんかをして、自分がいて居心地いい場所とはどこだろう。どこに行くべきか・・・・・・とりあえず、そこにいってみようか、家をでる。雨がふる空を見つめる。 会場につくと、メールで連絡があったように、多くの人々。多くのフランス語圏の国について。 これから、書くことは、半分、ごめんね。 もちろん楽しんだ。けれど、悪いことがおきたから。今、現在の私はショックをうけているから。記憶が半分、黒くて、吐き出したいような、でも、食欲がないから、力がでない。 何か単語を使うとするならば、暴行事件のようなこと。けれど、それらが、悪い夢を見ていたようで、正確には思い出せない。 暗い場所に連れ込まれて、それから、頭が重たくて、何とか、体を動かそうとする。かみついた。 いつも流されていく私の、そんな生き方の繰り返しがいやで。 K、ほんの少しの恋人。彼と踊っていた。きっと、踊っている間にどうかした。でもね、K、君とはもう、友達でしかないのだよ。 欲望のあらわな姿。私の気持ちなんか、私が言葉で訴えたいのに、そんなの聞いてくれないから、だから、欲望のあらわで邪悪な・・・・・・ 暗闇、彼は私のストッキングを脱がせようとした。抵抗。夢の中で・・・・・・それから、私の半分、消えている記憶の、気がつくと、もう一人、男が立っていた。彼のことも知っている。「あ、、Fだ。」もしくは、「Fだよ。」と、Kがいったのかも知れない。彼らは笑っていたのかもしれない。「大丈夫、大丈夫、」と、Kがいう。大丈夫じゃない。 それから、別の暗闇。今度はKでも、Fでもない。誰かだ。頭の中の声ばかり、それから、一気に噛み付く。扉から一気に明るい場所に出る。バーカウンターの中にいる。もしかしたら、彼がその誰かが、そのバーカウンターの男だったのかもしれない。その場所に出た瞬間に「出るんだ」と、怒鳴られる。少し、びっくりしたような・・・私は、座る。「ウィスキーを一杯。」忘れたい。悪い夢。怖い。「ウィスキーを一杯。」私の目を見て彼は「ノン」という。繰り返して、彼はそれから、ノンと。あざけるように、それから、私は彼に「お前なんか大嫌いだ。」という。「お前なんか。」 Kがかけつける。私はなく。「私のことを何だと思っているの?どうして、彼は、ウィスキーの一杯もくれないの。怖いのよ。あの扉の裏、怖いところ。私は怖かったんだから。」間の抜けた「大丈夫」という声。まったく、大丈夫なんかじゃない。Eがかけつけ、私はEやその仲間たちとその場を脱出する。落ち着ける場所へ。安全な場所へ。Eは詳細を知らない。ほんの少しの、私が被害を、恐怖を味わったこと。けれど、それが、どういう種類のものか、わからない。私じゃないから。 本当は叫びが、本当は涙が、「殺してやる!」と、何度も。それから、暖かいショールがEの仲間が私の肩に・・・・・・その中にうずくまる・・・・・・朝を待ちながら、音楽が流れる。水を飲み、話をする。静かに。まったく、関係のないことを。なるべく、笑えるように。安心できる場所にきたのだと。
Mar 18, 2006
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卒業式に関しては、機会があったら、触れます。特に何か特別なことがあるわけでもなく、友達と一緒にいても、どこか、ふと、ぼっとしてしまうのですが・・・・・・・何とか、笑顔を浮かべたりできました。もしかしたら、自分は卒業式とか、苦手だったんじゃないかな、と・・・・・・なぜか知りませんが、悲しくなって、それでも、何とか、なりました。先生と連絡をとるために、これから、連絡先を聞こうか、迷っています。
Mar 17, 2006
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これから、卒業式なのです。何を隠そうか・・・しかし、歩く道、スーツ姿の私は、ふりそで、袴の多さに圧倒されて、「私って地味かも。」と、内心、思ったのでした。でも、スーツはこれからも、きれるし、生地が少し、テカテカしているから、明日の集まりにも着まわそうかな、と、思っています。
Mar 17, 2006
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というのも、これは、「今日も終わって」の続きです。というのも、昨日の夕方から腰やおなかが、とても、痛かったのです。一ヶ月に一回、必ずといっていいほど、痛くなるのですが、そこで、私が考えたのはこの痛みについてなのです。人は他人の痛みをわかってあげられるのではありませんが、種類は違うとはいえ痛みを与えられているのです、私は。 そう、思うと不思議なものでした。体を温めて、手をおなかにのせました。布団に入り、その晩、やろうと思っていたことをあきらめました。今日、痛いのだから明日は痛くないのだろう、と。 寒さが背中を丸めると、さらに、寒く感じるように、痛みを寒さを感じると更に痛いように。いつのまにか、体がこってしまったように、すべて、暖めて直してしまいたい、そんな気もしながら、そうすると、吐き気も感じ、血が引いていくような感じもして、普段だったらそこまで感じない寒さが、敏感に手や足を冷たく・・・・・・。 いつも、人が何かを考えていなければいけないわけでもありません。けれど、Aが歯が痛い、と、いったとき、どのように、返答していいか、わからず、歯がゆかったのです。ただ、それだけのようで、無視してしまいたい気分で。「大丈夫?」なんて、何かね。それも、形式でなされるものでしょうか。しばしば、人は言葉を失うはずでしょう。本当だったら。 秋の風に、葉が震え、冬に失われ、それでも、空は曇り、雨を降らせ、気まぐれをやめず、青一色であったり、だから、どこでも、どの季節でも、考えるその流れの中に私は私が変わらないように感じるのかしら?この日記に感情をぶつけ、時に、アルコール、抱えて、いつも、忘れていくように、小さなことを、それらを・・・・・そこに、木の葉があるのに、その色が変わっていくこと、その毎日は忘れてしまう、そのように、私は日々を忘れながら。 切実さがなければ、と。ふとしたことで不安になる。故に、痛みの中でも同じような考え事を。少し、うれしいような気もしたのです。その場で、Aの歯の痛みにどう対応していいかわからなかった私が、何か、ほんの少し、見つけた気がして。 言葉を失うのは、まだ、いいと、そんな気がしました。いけないのは、適当に話すことです。 そういうと、それらは、自分勝手で。 というのも、実在の人物がそういったことで、私の怒りを買っているのだから。 歩く夜の中。「ricecocoaは一人ではない」といったT氏に怒りを感じるのです。月はたいてい、そんな時、とても、きれいで・・・・・・「嘘つき。」と、チューインガム、かんだのを紙にいれてくしゃくしゃにしてしまうように、投げ捨てるように思うのです。何を誤解しているのだろう、と。 他の友人に対してもそうでした。どうして、こう、私の中に流れるものを感じようとせず、頭の中で考えたことだけで、私に意見しようとするのか?歩くたびに、いらいら、いらいら。 向き合ってほしい、と・・・・・・・ 「幸せなはずなのに。」と、思う気持ち。「少しのことでは見捨てない友人と先生がいるはずなのに。」 通り過ぎていく人々の中で、私には私を見捨てなかった人々がいるはずなのに。そういう意味で一人ではないはずなのに。 友達なんていらないよ。と、T氏へ。 そうして、通り過ぎた人々へ。 そんな人々はいらない。傷つけるだけの嘘つき。 失望を・・・・・・。 向き合うことが大切なのに。 自分が好きになる人、たいてい、弱かったり、感情的だったり、不器用だったり。完璧でなくて、それらがかわいい。そう、思うと、悲しいのか、笑えてくる。 夜に、これから、夜に、これから、その中を歩いて帰っていく。たまに、死にたい、とか、思う。電話をかけようか。思いとどまりながら、L氏の言うように勉強をしながら、それから、夜が一層、暗くかかってくる。 いつも、大丈夫とはいえない。つらかった。 つまらない喧嘩だ。また、傷ついた。 そんな夜に、頭ばかりとらわれて助けてくれないなら、友達なんていわないでよ。楽しむだけの人なんていらない。 ある晩、Aの肩にもたれた。支えた。人と話したいとき、人が怖くなるのに誰かにいてほしいとき、そこにいて・・・・・・何も要求せず。自分で何を言ったらいいか、どうしたらいいかわからない時があるから、待ってほしいと。待ってくれるのなら・・・。 Y先生は、別れ際、私のほほを軽くつねった。その意味はAと私とY先生にしかわからない。 今日は、うまく、書ききれない。時間も迫っているから。 本を読む。帰り道、晩御飯を考える。もう少しで、卒業式・・・・・・なんでもないことを考えながら、おうちに帰ろう。
Mar 15, 2006
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ほんの少し、バイトに退屈を感じ始めた。歩く道道、ひとつのことに集中していられない。バイトの午前中、朝、きいた倉橋ヨエコのアルバムがまわり、そうして、朝、学校までの道すがら呼んでいた室生犀星の小説の叙情が私の中に・・・・・・パソコンをたたき続ける私、現実的に、仕事モードになれない。ふとした間に、考え事をする。週末のこととか、明日のフラメンコとか、あさっての卒業式。 きったばかりの髪が少し、恥ずかしい。Kに会うと、少し、様子がさっぱりしたようで、元気そうだ。家の中ばかりの生活ではなくて、今は、少し、働いているのだから、ご飯をきちんと食べているのだから、誰かと会話しているのだから、だから、そのように感じられるのだろうか? きっと、桜はもう少しで咲くのだろうか?お使いの行き来に、木を通り道に見るたびに・・・・・・Hの横を通る。昔、働いていたところだ。昔の仲間が通る、通り過ぎるが、名前も思い出せないほどに。通り過ぎた場所にもう、戻らないのか。少し、さびしいような。昔、働いてたKも通りかかる。そうして、そのうち、前のバイトのことを思い出し・・・・・・本当に自分がそれらをやっていたことが信じられないのだ。ひたすら、われを忘れて、働いたことが、思い出せない。胸にぐっとこみあげる、洗い場の残飯のにおいが、思い出せない。私は洗い場ではないが、そうして、料理をまとめて、式場まではこぶ更に力仕事の人々でもないが60歳くらいのおばあさん、といおうか、おばさんが、そういった裏の力仕事を行っていた。人生も終わりの方になって生きていくことに保証のない人たちがいる。体が駄目になったらそこで終わってしまうような、そんな・・・・・・。あわただしく、そう、何も考えさせず、何が正しいかなんて、だから、やめたのだ、きっと。考えてしまいたいから。私の視界にそれらを客観的に残すため。現状に仕方がない、という言葉で対応したくないから。きっと、だからだ、と、理由をつける。 今日の風のなか、私は大学にいる。窓から見える六本木ヒルズ。夕方に輝き始め、私はディスクに向き直る。 先生には変に気に入られている。特に仕事ができるわけではなく。もしかしたら、私の見た目のせいかもしれない、と。 新しい髪形が、また、存在感をもたらす。ある場所で存在感で圧倒してしまうことは、可能なのだ。やってみたい気分、半分。けんかをしたら、相手の前に、何も言わず、登場するだけでいい。 反面、秘密をかかえていられないこと。 何かをかかえてディスクの前。まったく違う自分であるかのように。その文字は何の歴史でもない。けれど、手を動かしたら。ノン。それから、また、パタパタと軽快に。たたかれる文字の列に何も考えていない。もし、そのとき、ディスクの前で、超速のスピードで打ち出すとき、何かを考えているならばそれは、きっと、昼ごはんのことだろう。それから、体調。というのも・・・・・・。
Mar 15, 2006
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簡単な雑用を頼まれた。いらなくなった書類。プライバシーにかかわるため、そのまま、捨てることはできない。だから、シュレッターにかけてきて、と、頼まれた。 「ええ、わかったわ。」そんな気分で、半分はディスクから離れられるうれしさにエレベーターにのる。時間に余裕があれば、どんな小さいことでも考え事をしてしまう。考え事の材料はどこにでも、転がっている。 「シュレッターのところには、いつも、人がいるからね。」そうか。いわれた道順で。こうやって、自分の学校に詳しくなっていくのか。というのも、今まで、学校の中でやったバイト。図書館、教務課。健康保健室は私がひ弱なために、カウンセラールームも必要のため、留学センターなど、私はなかなか、この大学のことは、知っている。心理学科でバイトしたこともあった。気づかないでいる大学のルートというものもあるものだ。 そのまま、まっすぐ、歩いていく。確かに人はいる。シュレッターの横にはダンボール箱。その人は椅子に腰掛けていた。声をかける。返事はない。ためらったように下を向いている。言葉を話すことができないのだな。ひきつった顔の表情。それらは、笑いたいからでも悲しいからでもなくて、元からそうなのだ。世に言う身体障害者というのがわかりやすいのかもしれない。身体障害者なんて言い方、差別みたいで少し、いやだな、とも思う。できるだけ、ふつうの人に接するように。けれど、相手との言葉がないのは・・・・・・そして、私は生き生きと、すべて、早いペースで片付けてしまうのだ。何だか、自分の動きが恥ずかしいような気もしてしまう。 早く、全部、シュレッターにかけてしまおうか? 機械は、その歯形をつけて、飲み込んでいく。この機械と一日。 どんな労働が、と、考える。あらゆる労働があるものだけれど。たとえば、ティッシュを配り続けるとか、私の昔のバイトはお皿を運び続ける。反復の、何だか、疲れてしまう。彼はそこに、座り続ける。私がやってきて、紙をシュレッターに入れ続けたその時間以外。 人と話をするということは、慣れだろうか?けれど、返事が返ってこないことに。返ってこないからこそ、慣れなのだろう。 研究室に帰る。「シュレッターのところに人、いましたよ。」確かに。けれど、誰も、その人が障害のある人と気がつかない。きっと、誰も話しかけていないのだ。その顔をまともに見たことがないのだ。何だか、さびしいような気分が少し。しかし、誰かの前で障害ということが、変な気持ちを思わせる。優越感のような、馬鹿にしているような。小学生の気分だ。自分が当たり前なんだ、と、思っていた時の気分。だから、私は口をつぐむ。確かに風のように、別に仕事中、話をする必要はない、と、思うのだが、人々は風のようにその人の横を通り過ぎていった。 世の中に、シュレッターをかけ続ける仕事があることを初めて知った。へんな気分だった。不思議な気分だった。それも、仕事だった。孤独な仕事だった。
Mar 14, 2006
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少し、気分が落ち着きました。それも、それで、きっと、今日の風なのでしょうね。バイト、いってきます。
Mar 14, 2006
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そんなイライラを少し、人から離れて抑えたい、と、思う。今日、ママンから電話があった。昨日もあったのに。どうして、毎日のように・・・。他人事のように反応する人々。「心配なのよ。」と。けれど、ママンのとりとめない心配を抑えられる力が私にあるのかしら?だって、もしかしたら、見た夢のことかもしれないのに。 すぐに、不安になる。 また、一人になった気分だ。また、Aは私の危機を感じているのかもしれない。しかし、危機などというものは、私が知らない場合も多い。実は、あれが危機だったのか、と。どっちみち、日があけてくれるそのうちに、変わりやすい。 人生の繰り返しが大嫌いだ。 リモージュで会ったFも好きで、嫌いだ。人なんて・・・・・・と、思う。 夜中の発作なんて、大嫌いだ。おきたところで、相手にしてもらえない。おきても、信じてもらえず、つまらないけんかとか、意味不明なことをやらなければいけない。 AとKに感謝。見捨てないのだから。簡単には。 もとからの不安に浸っては生きてはいけない。少し、AとKがいることに安心を覚えなくては。彼女たちは簡単に人を捨てない。 別の誰かから危機感を含んだメールが届く。それが、真意かはわからない。どうしていいか、しかし、不快なのか、痛みなのか、ということだ。 人が常に誰かを失うことを恐れている、というのは果たして、正常なことなのだろうか? 「幸せなはずなのに!」というのは、その恐れをさしているのだ。 とりあえず、今、読んでいるテキストをい読み進めよう。 L氏の言葉を思いだして、勉強しようか・・・???
Mar 13, 2006
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もし、誰かとけんかしたら、その人を見にいくものだろうか?修羅場というものは、少し、なれるとちょっと、楽しくなってしまうかもしれない。私みたいに衝動を求めて生きていると、修羅場というものは、何だかストレス解消にもなってしまうかもしれない。しかも、相手が臆病だと、少し馬鹿にして高笑いをしたくなってしまうかもしれない。逃げられたら、追いかけて、追い詰めてしまうかもしれない。ただのストレス解消なのか??それも・・・ と、想像して、少し、恐ろしくなってしまう。 おそらく、修羅場はないのだが、おそらく、T氏に遭遇するだろう。遭遇するようなイベントがあって、私はEとDに会いにそこにいこうと、思うのだ。こう、書いている間に相手が恐れをなして、逃げてくれないかな、と、思ったり、理由がわからない、ことになっている。 しかし、そうならないために、友達を呼べるだけ、呼んでしまおう。その場なんてどうでもよくなってしまうくらいに、楽しくしてしまうのだ。 どうして、そして、こんなにスケールというものがほしいのだろう。みみっちい生き方はいやだ。正々堂々、前からがいい。賢いとか、冷静とか、そんなの、どうでもよくて、正面からドンと。それに、髪を切ったら、少し勇気がわいてきた。当日、面倒くさくなって、行かない場合もあるのだが、しかし、DとEには会いたいだろう。しかし、T氏が私を避けるのを見なくてはいけないいのか?過去の記憶とリンクするため、少し、怖い。やっぱり、笑っちゃうのだろうか?過去の例にならって。それは、私を避けてた女の子が私の前を歩いていて、避けているのだから私が近づくと逃げていく。だから、ずっと追いかけて(本当は待ってほしい、気持ちとともに)、自分がみじめで、かわいそうになってきながら、けれど、彼女の息がきれるのを、あらゆる気持ちが混ざり合う複雑な悲しさであざけわらった。だから、私は、今回のことというのではなくて、T氏を見てしまったら、それだけで、あざけわらってしまうのだろうか?その人の弱虫や臆病さがいやだ、というように。 友達がいても、本当の友達がいても、不安になる。その友達が悪くないのに、なぜか、イライラ、あたってしまいそうになる。頭が発火して、どこかに逃げ込みたい、時がある。電車の中で叫びが頂点に到達しそうに。 だから、いいでしょ。一人くらい。本当の友達は傷つけるわけにはいかない。でも、一人くらい、弱虫、傷つけても、繊細な人間ではないなら、私が泣いたとしても、泣く意味や重さや悲しさがわからないような人間だったら、イライラ、ぶつけて、壊してしまっても・・・ と、そんな気分になる。 そんなときの私の邪悪さをママンは恐れ、友人たちは痛いまなざしでみる。邪悪であろうと、それも、力で、私は優しさと、極端な邪悪さで、両方に引き裂かれそうになる。ぶしつけな質問をする、無神経な人がいたとき、友人は私の肩をささえ、Y先生は私の代わりに怒ってくれた。その言えない何かを。 私はTがいなくなったことを、いいことと悪いこと、どちらにしていいのか、わからない。今、ただ単に、イライラの、対象を持たないイライラののろい人形のような対象になってしまったのかもしれない。 たとえ、つまらない人間だったとしても、また、同じことが繰り返されたのだ、と。結局、弱さがわがままのようになる。そんな中で、人を失う、ということをまた、繰り返したのだ。少しの衝動で、去っていったのだから。 何をされても、人を許せるような私が、小さなことで、ワラ人形、ワラ人形、心の中に・・・つくってしまう。ワラ人形、うけるのは誰でもいい。ワラワラワラ・・・ワラワラワラ・・・・・・そうだ、L氏のワラワラにしてしまったらそれは、のろいではないわ。「voila,voila」そんな感じで。
Mar 13, 2006
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神経がいつも以上にイライラします。過敏なのでしょうか?何だか、だるいようで。母から電話がありました。昨日も電話があって、何なのでしょうか?つまらない用事の時も多いです。小さなことで、いらいら。朝は気分がよかったのに。不安に襲われます。
Mar 13, 2006
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前の晩から、翌日はどうしようか?を考え始める。美術館に行こうと計画しているものの、その日になると、どうでもよくなってしまうことが多いのだ。やっぱり、私が外に出るためには誰かと約束しなければいけないのだろうか?(電話はしなくても、メールは増えているようなつい最近) 案の条、翌日、とても、いい天気、けれど、気分はそがれる。何となく、洗濯機を回すだけ。どうしようか?時間がたつのに流そうか?もう、いいんだ、と、そんな気分になってくる。どうして、どうでもいい、と、思うことが存在するのだろう。それは、少しは暴力的な気分だ。そうして、怠け者な気分である。相対する、両方が一緒に・・・・・そんなことがありえている。 むかつくから、書いてしまおうか。ビリビリビリ。 前の日に名刺をみつける。こういった現実が実は小説とかだったらいいのにね。さーーて、そんなもの、捨ててしまおうか、と、パラパラ、やっていると、何だかつまらない。どうせだから、焼いてしまおうか。本人だと思って、まさか、本人を焼いたりなにだりするわけにはいかないのだから、と、パラパラ、目黒駅を闊歩する。どうしようか?そうすると、毎度のことながら、そういったイメージが浮かんでくる。おかしくて、「やめよう。」と、思う。それで、冗談のつもりののろいがあたってしまったら?そんなの知らないわ。知ったことではないわ。黒いコートを着た、そのときは少し茶色がかった長い髪の私。 きっと、突然、面倒くさくなったり、イライラするものなのね。忘れているようなことに、急に、また、イライラしてしまうのだから。 そんな前日のイメージも含め、私は部屋の中に閉じこもっている。時間というものにあきて、だらだらした体のこりにいらいらして、なべに、トマト、小松菜、にんじん、にんにく、コンソメ、入れて、一気に煮込む。そうすると、スープの熱気がなべから、部屋に充満する。 きっと、そのにおいなのだ。この部屋にはいられない。ともかく、外にでようか。夕方だってかまわないじゃない。大切なのは、部屋から出ることなのよ。 すると、忘れていた歯をみがき、顔を笑う。その時まで忘れていたなんて。 でも、大切なのは・・・・・・ともかく、外にでることだ。不安になってしまうから。現実がこの部屋でしかなくなってしまうから。 服を着て、準備をして、電車に乗り込むと、すぐ、目黒の駅にはつくのだ。そうだった。本当にそうしていいのかな?髪を切りたいんだ。でも、本当にそう、思っているのかな?そう、髪を切りたい、とは、明言できない。けれど、このままはいやなんだ。一気に信号を渡ろう。一気に、どんどん、歩いていけばいい。 動機なんて、ついてしまえば、たいしたことはない。いすにこしかけて。値段なんか気にするものか。部屋の中にいたって、鏡を見ながら、楽しそうに美容師さんとおしゃべりをして、それから、髪を任せて・・・・・一思いに・・・・・・きってしまった。ばさ。ばさ。 あっという間に、髪なんてないんだ。 ばさ。ばさ。 気がついたら美容師さんよりも、短く。ばさばさばさ。 なくなってた。でも、それは、私が切りたかっただけのこと。きり始めたら、妥協できないこと。思い切り、ばさばさ、いかなくちゃ。
Mar 12, 2006
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この日は待ち合わせ。友達からの誘いがあって、彼女の卒業式の衣装を探す、おともというか、もしかしたら、なかなか、一人では決められない、のかもね。 最近は、人に会うことが、日常の中ではないので、承諾。約束は下北沢にて。そこから、下北沢、原宿、表参道、渋谷、と、移動することになる。後半はほとんど、デパートの靴、しかし、見れば見るほど、わからなくなってくる。しかも、この日は気温が高くて、それに、原宿のあたりは人がおおい。ためしに竹下通りに入ってみて、すぐに、出たくなる。なぜ、人々がこのとおりに集まるのかがわからない。ぎんぎらぎんに太陽に照らされて、私は黒の厚手のコートをはおっている。それでは、暑いはずよ。表参道も、できたばかりのヒルズのせいで、ずっと、人が絶えないのだ。これでは、お店なんて落ち着いて見られるわけがない。最近、得意になった裏道散策で何とか、切り抜けるものの、失われた体力はなかなか、戻らない。 そこから、しばらく、渋谷。靴、靴、靴。ほしいものは世の中にたくさん、あるものだが、無理だわ。すべては・・・。ただ、単に色彩感覚をやしなう、つもりで。 帰りの電車の中、つかれきった私。不安になる。 この日、Aは歯が痛かった。私は家のことが気になっていた。大家さんから、電話があって、トイレの水がとまらないらしい。トイレの構造としては、非常に単純なのだけれど、大家さんはその構造を知らない、だから、お風呂のお湯を出したままで出かけた、とでも、思ったらしい。それは、トイレの水なんだ、と、わかっているものの、何だか、不安で。そう、出かけるときに、何だか、不安になってしまう。あんな気分だ。お互いに、「ごめん、歯が痛いのだ、今日は」というのと、「家のことが気になって」というの。それに、なれない原宿なんて歩いてしまったのだから。それプラス、私のいつも、抱えている不安で、電車の中、涙が流れた。「幸せなはずなのに。」と。どうしてか不安でしょうがない。人といるときに、確かめたくなる。本当に話を聞いているのか?理性ではわかっているのだ、その人が私の話を聞いていて、それに、友人でいることを。しかし、そこはかとなく、疲れとともに、不安になる。不安をおさえるために、文章をノートにうつしてみた。
Mar 11, 2006
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特に変化がない今日。相変わらず、私はパソコンうちが早くなって、テープおこしは脅威のスピードで進んでいく。 読書は安部公房の箱男。 朝の初めを思い出してみようとするのだが、うまくいかない。そうだ、もう少し、眠っていたかったのだ。何だか、毎日、あまり、眠れなくて、それで、こう、毎日、疲れているようなそんな気がして。 机を前にして、のろのろと、準備をする。特に服をきるときは、ひとつひとつの動作の合間に冬を感じてしまう。我が家はハロゲンヒーターしかないために、部分的にしか暖かくない。ゆえに、空気そのものはひんやりしている。 いつも、何かしなければいけないときに、きっかけがほしい、と、思う。「しなければいけない。」と、思わなければいけないのか、けれど、その気力さえ出てこない。朝、一番というときに、元気がほしい。 バイトをはじめて、生活がいっぺんしてしまった。変に気負うことはなく、少し遅れても気にすることはない。正確には時間なんて決まってないのだから。ただ、自分の仕事をする。ひたすら。雰囲気はいい。誰も無理したりしていないのだから・・・・・・。「おはようございます!」と大声で言う必要はなく、「おはよう」、ただ、それだけ。プラスな自分なんて心がけなくていい、ただ、仕事をまじめにやればいいだけだ。 疲れたときには、上を見る。目が疲れる。使わない体がこっていきそう。奇妙な体操。首を入念にまわす。誰も人目がないのなら、そこに・・・・きっと、私はフラメンコ教室で習った体操を一通り、やってしまうだろう。踊りだしてどこかにいってしまうかもしれない。 朝から仕事で、そうして、雨で、きっと、本来の陽気さはじめじめして、閉じこもっているのよ。 窓の外は見ない。昼食の時間に読書をすることを楽しみにしている。ああ、何か、変わったこと、ないかな。そのうち、そう、思うようになるのかも。 明日、もしくは、あさっては、美術館に行こう。それから、何よりもゆっくり寝よう。
Mar 10, 2006
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ええと、この日はバイトは休みで、つまり、遅くおきても大丈夫なのだよ、ということ。だから、今日の目覚まし時計は私に優しい。 木曜日の恒例、フラメンコ教室に行くと、先週休んだため、理由を聞かれた。「まさか、二日酔いですか?」ううーん、まあ・・・・ええ。先生「二日酔いでこないのは許しません。」と、笑いながら、ひいーーー。 この日は、エストレージャーという名の曲を引き続き間奏のところで、」手首をぐるぐるやるのだが、これが、フラメンコらしいのと同時に、非常に難しい。ひいーー。そして、新たに準備体操としてひざの屈伸が加わった。「せんせーーーい」 体の使わない場所がたくさん。 フラメンコ教室が終わると、一日をその後、どうするべきか毎回、考えてしまう。渋谷に行くか、学校に戻るか、飯田橋の方向に行こうか・・・・・・ほかの生徒さんたちは行く場所が決まっているらしい。私は駅のところまで、ほかの生徒さんと歩いてきて、それから、考えてしまう。どうしようかな・・・それから、昼ごはんのこと。学校で食べれば安いのだけれど、などなど。どうせだから、赤坂見附で食べられる場所を探してみようか、など、胃袋に考えさせつつ、その日を放浪することになる。 この日は、表参道で電車を降りて、何と表参道ヒルズにいってみた。とおりには尋常でない人の数。できたばかりとあって。特別にそれが気になっていたわけではない。ほんの少し、少し除いてみようかと、そんな気分で。昼食代を浮かすために、パンやでパンを購入。歩きながら食べる。 入ると大きなエレベータ。警備員が、ゆっくり前におすすみください、など・・・・・まあ、一時的なパニックに。平日なのに。 カフェにも人が並んでいて。私だったら、こういうところは落ち着かないのになあ、と。いったい、どういう人が買い物しかできないような、こういう場所を使うのだろう?と・・・・・・果たしてこの建物は面白いのか?何だか、買い物とそれだけ聞くと、それしか目的がない建物なんて、なんだか、俗っぽいと、思ってしまう。早足で、見学する。建築的には少し変わっているなあ、と、思う。 うう、何だか疲れてしまう建物だよ。渋谷駅の近くは人ばかりで、直線で、早歩きなぞで、進めないが、まさに、そんな感じなのだよ。人ばかりなのだよ。しかし、その人ごみを利用して、普段、のぞくつもりにならない高級ブティックなどは気軽に入れてしまう。店員さんが話しかけてくるのをいやだな、と、思う、あの気まずさがあまりなしに。 でもでも、とりわけて、特別なことなんて、ないわ。 T氏のこと、思い出したかな。パリ旅行の時に、「パリに行ったら何をするの?」と、私が聞いたら、「買い物とか。」という返事が入ってきたから。価値観の違いということはわかっていても、それでも、俗っぽいと感じてしまう。なんだかな。 表参道を後にして、それから、学校へ。 バイト自体、一人でずっと、パソコンを打ってたりするものだから、友達と話したい。 言葉のはじめはうまく、すべりだせるものではないけれど、話しているうちにほぐれてくる。 夜の中、一杯のバーボンで。 そんなお酒を飲んでいると、自分が不安にもなる。 たまには、「カシスソーダ、ください。」とか、「モスコミュール、ください」と、かわいらしく言ってみたいものだが、絶対、口にした途端に後悔することはわかっているのだ。だから、バーボンで・・・・・・。 あれこれ、適当に一日が終わってしまった。デパートの中で靴を見たり、服を見たり。歩きながら、話をした。言葉を交わしに交わした。念願だったチーズを買った。チーズが食べたいからといって、チーズの夢なんか見たくないから、いい加減、降参して買ってみた。
Mar 9, 2006
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少しづつ、夜型改善。昨日、久しぶりにウィスキーを飲んだ。久しぶり、一週間ぶり。でも、水でわろうかな、と、思い始めた。それに、のどがかわくし。極端に体質がかわっているのかもしれない。 今日も朝の10時から勤務。満員電車にて、通勤イコール、通学。ほんの少し、バイト仲間と話をする。世間には私のような現実離れしたやつがいて、そうして、そこにいるバイト仲間のように現実社会を支えている「人たちがいる。両方、世の中には必要なのだ、と、実感する最近。見慣れない用語を覚えていく。国際法とか、民法とか、どうして、私が裁判のこととか、覚えていくのだろう。なぞだ。法律学部の先生のテープおこしをやっているので、その先生の話し方の癖もだいぶ、つかめた。思えば、私の先生であるL氏の授業というのも、独特な話し方の特徴をつかむことからはじまったような気がする。だんだん、その話し方になれていって、そうして、板書がとれるようになった。ノートはとるにこしたことはない。ほとんど、すべて、写し取ることができたら、それは、しめたものである。それでも、相変わらず、L氏の言うことは難しいので、きっと、そのうち、L氏のテープおこしをすればいいんだ!なんて・・・・・・。フランス文学科よ!私をやとってくれ!でも、L氏のテープおこし、それも、日常の授業のなんて、需要が低いのだろうな。 一日中、パソコンをいじっていたので、手が疲れます。それから、目。めがねな私です、最近は。ブルーベリー、食べようか、迷っています。本当は・・・食べたいよ。暖かくなってきたので、それだけで、元気で!!(とても、動物的)、部屋の掃除、や、後は栄養面、生活環境が向上しているしだいであります。仕事後は腹ペコ虫、繁殖します。ごはん、ください。家に帰るまで、待てません。うう、ごはん。
Mar 8, 2006
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この日は大学入試になり、普通であれば、学校に入ることはできないのであるが、バイトがあるので、特別である。テープおこしにもなれてきた。タイプする早さも早くなってきて・・・・これ以上、早くなってどうするのだろう、パソコンがついてきてくれないよ。 一人でこもっている。自分で出勤時間を書く。一人の仕事が多いため、周りに変に気をつかわないのが、よい。それに、派遣のバイトよりも、スケジュールが自由である。しかも、自分の学校の中。便利だ。図書館もあるし、授業を受ける前でも、あとでも・・・・ご自由にとはいかなくても・・・・・・ 一日、大体、8時間、働いているのだが、帰りに先生たちに偶然、会ってしまった。フランス文学科の先生方がエレベーターのところに、わらわら、にぎやかである。仲がいいのだから、先生方は、今夜は飲みでもいくのかしら?と、軽く予想。飲んでいるといえば、先生方にもあてはまるもの。フランス文学科といえど、酒が飲めない人ももちろん、いる。しかし、先生方、面々、たいがい、非常に強い。そのなかで、私の担当の先生が・・・・・・L氏が姿を現した。満面の笑みで、お決まりの、顔中に広がる満面の笑み。それが、笑顔というものではなくて、おそらく、それが、元からの顔だろうというくらいに見慣れた。思わず、「逃げよう」と、小声で言ってしまう。逃げたが勝ちだーーー!!!!!みたいな。いや、勝ったことにはならない。しかし、今ままでの授業風景を思い出して私は、先生が怖い!!と、思う。先生の質問に答える人、反応する人がいない、そうすると、たいてい、先生と目があってしまうのだ。それなのに、どう、答えていいかわからないのは、しょっちゅう。私、困っている。助けを求めても、誰も、助けてくれないので、非常に孤独な気がする。板ばさみ、というのだろうか、要するに。うう・・・・・・1年後にはまた、その先生の指導をあおぐことになるのだけれど、どうしよう。「まあ、先のことは考えるな。」と、Y先生は言っていた。ええ、まあ、どうも・・・・・・どうしましょうね。どうしよう。・・・・・あたっても、壁にあたっても、壁はわたしを受け入れてくれないでしょう。逃げる穴はどこにも、ないでしょう。私の頭の中に、何か、先生の言う難しいことどもに対応するソフトがあったなら、いいのに。
Mar 7, 2006
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今日から、私のバイトは始まってしまった。ずっと、パソコンと・・・ご対面、講演会のテープおこしをやっている。もっと、早くパソコンが打てるようになった気がする。それに、聞いたことない用語がたくさん、出てくる。その先生の話し方の癖も厄介だ。学校の中なのか、雰囲気はゆるい。疲れたときは少し、休んで・・・・・・しかし、私は今日で、ほとんど、仕事を片付けてしまいそうだ。一本のテープが私によってタイプされていく。疲れると、また、タイプの速さはなぜか、あがる。指や手の力を抜くと、早くなるのだ。余計。ピアノを弾くように。とはいえ、タイプうちはピアノのようなものとも違う。明らかに。音はでないし、変調はないのだ。疲れると、私の頭の上に雲、浮かんでた。ぼおーーとして、それが、うれしかった。おいら、せかされるのは、嫌いだぜ。しかし、運の悪いことに、図書室は今日も明日もしまっていてしかも、食堂、生協、しまっている。そんなショックなことあるかい?ああ、大学にキッチンがほしい、と、いつも思ってしまう。そうしたら、そうしたら、絶対、私はスープを飲む。最近は野菜が安くなってきて、私が遠回りをしてよる八百屋さんには、葉っぱものが最近、多い。Y先生が「季節のものを食べなくてはね。」と、言っていた。春菊とか、菜の花とか、小松菜、トマト(安くなりつつあるのですよ。)を買い物籠に、先生、思い出す。赤いキャンディーが年甲斐にもなく、部屋のなかに・・・・・半分、冗談のつもりなのか、くださった・・・・・・なめてみると、やっぱり、甘い。 そんな中、しかし、大学の中では、機関が停止しているため、私は少し遠いコンビニまで行かなくてはならず、昼はお弁当。今日からの、ほんの少しの経済的余裕がうれしい。どんな寄り道、しようかな。というか、今日は、また、何か本を買っていこうかな??ブックオフで、たまに、物色する。ああ、さびしい。夜中に何かしたいのに。それとも、今日も愛人をフランス語で読むべきなのか。なかなか、その作業は疲れます。いつも、正座で勉強しているためにね・・・。
Mar 6, 2006
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今日からバイトである。しかし、何といおうか学校はほぼ、閉鎖状態。というのも、明日は入試なので、警備員の人々がいつもより、規制をかけているのだ。図書館もしまっている。生存の危機だ。はあーーー。うれしくない。本が借りられると、るんるんできたのに。まあ、その一方で卒業は確定したようだ。学校のメールボックスを久しぶりにあけたら、卒業式の案内のメールが入っていた。それはね、できなければこまるわい。大学院だって決まっているのに・・・バイトも大学の中なのに。大学院に受かっているのに、卒業できなかったらシャレにならないだろう。 夜型なのに、がんばって、朝、起きてみた。朝の3時4時までお決まりのように眠れなくて、ショパンの夜想曲をききながら寝た。朝、起きるとラジオをかける。若かりしころのマイケル・ジャクソンの声。まだ、眠りの体勢で朝のナンバーを。そのうち、目がさめるだろうと。DJが言っていた。「どうして、夜は後、5分、早く寝ようと思わないのに、どうして、朝は後、5分、寝てたいと思うのでしょうね。」確かに。眠り眼、うなずく。たしかに。それに、今は寒いでしょう。たった、何センチかの距離がストーブをつけるのさえ嫌がって、起き上がれないものなのよね。 とはいえ、久しぶりの朝、8時台に起きる。めったにこの時間、起きていることはなかった。朝の7時に眠りにつくことはあったけれど。というわけで、不自然な顔をして電車にのる。眠りを押し込んだような顔、けれど、それこそ、あくびは出てこないのだ、なぜか。 では、時間なのでいってこよう。
Mar 6, 2006
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以前、T氏について、長く、長く、書いてみたのだが、ふとして、家の中で転がって、本をあさって、拾い読みなどしていたら、前々から、思っていたのだけれど「痴人の愛」の河合譲二とT氏は何となく、似ている気がしてきた。状況によっては、流されるだろう、テレビの画面に流されながら、本を読む。決して一箇所にとどまることはなく、すべての行為の反復がいやだわ、というように・・・ お風呂の中で、研究内容にについて考える。ラマンを読み始める。日本語で何度か読んだために、フランス語を流すように・・・・・・性と死と欲望の三角関係、自分の体に反射させては、シャワーをあびる。疲れて、ぐったり、お風呂が棺のように私に納まる。ぐっと沈んで・・・浴槽、ぷかぷか、浮かんでいる。まるで、金魚がふぐになりました、というように、膨らんだおなか、つきだして、ぷかぷか、ああ、このようにみだらで、そうして、色気がないものが、存在するものか、と・・・・ ラマンと、痴人の愛に、ポール・ギャリコ・・・関連性なんてないのに、その間を歩き回っている。日曜日が私の脇を通り過ぎる。明日からは早起きなんだ。明日の来る実感がわかないままに・・・・・・ぷかぷか。そうだ、来週の日曜日はカリエール・ロダン展に行ってみようか?
Mar 5, 2006
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自分が部屋のなかで、もやしになってしまいそうだと感じたら、神様に頼るよりも、生身の、おりゃ、って殴ったら倒れてしまうかもしれないが・・・・・・生身の人間に頼るがいい。 おいおい、T氏はただの、理由かもしれないぜ。そりゃな、誰かに慰めてもらうための、ただの、理由かもしれないぜ。実は、今回の実に内面的な出来事が勃発した際、ずいぶんと人々に世話になったものだ。 そうして、外に出ると、青空の下、また、目的地が今日はあるのか、と、遅刻すれすれ、電車にのりこむ、定員ぎりぎりの週末の渋谷へむけて。 果たして、家のママンは心配していた。余計な、心配を妄想の世界に浸して、さらなる、心配をしていた。何を勘違いしたのだろう?? そういうこったろう、と、思いながら・・・ ぎくしゃくする気持ちを抱え、久しぶりにその友人に会う。話すことは最近の変化かな。実は毎日、毎日、発効しているのだ。部屋の中にじっとしているということは、実は、チーズになることでもある。毎日、毎日、日の光をあびず、腐っていくのだ。私はだから、半分、腐っている、内面にどっぷり、つかって・・・・・・それでも、チーズみたいに、美味ならいいじゃないか!!それに、そうしていると、リモージュでの生活を思い出すのだ。夢の現実の境界があいまいになって・・・・・あぶない世界かも、でも、大丈夫・・・・・・。 私の言葉はつっかえた。週末の人間はそれだけで、貴重なのだ。最近、週末にそれほど、話をしてないかもしれない。意味のあることを話してないかもしれない。週末・・・・・・。週末。 その人と、夕方にお別れして、熱帯魚のように、今度は新宿を泳いでいた。そうして、食べ物に対する飢えはデパートの地下を見ることで満足した。それでも、今度は、ライスコロッケを試してみようと・・・・いったい、いつになることだろう??さようなら、ライスコロッケ、また、新宿に来るよ、君を食べることがなくても。
Mar 4, 2006
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学内の研究室で働くことになった。先生は変わった人です、と、言われたものの、確かに仏文科にはこういうキャラクターはいない。3月まで自給800円、四月から1200円。1200円って、聞いてなかった。助かる。本が買える。前と同じだ。思わぬ高額バイトだった。時給なんて見てなかった私。テープおこしとか、雑用とか・・・だから、法学科のバイトなのだが、しかし、がんばろう。もやしは終了いたす所存である。
Mar 3, 2006
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家から出ないの、私。お外にどんな用事があるというのだ?現実逃避、ずっと、眠っている。夜より、昼間の方が眠れる。
Mar 1, 2006
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