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コロナで控えていた山歩きでしたが。緊急事態宣言解除に伴い半年ぶりに開始しました。今回は本能寺への道・唐櫃越えです。明智光秀が亀岡城を発って、本能寺に宿泊していた織田信長を討つために3つのルートに分散して京へ向かったと言われています。一つは一番北のルートで愛宕山の山麓を行く、いわゆる「明智越え」です。明智光秀はこのルートを進み途中、愛宕神社で戦勝祈願をしたと言われています。二つ目は、今回歩いて来た「唐櫃越え」で・・・もう一つは一番南のルートの「老ノ坂峠」のルートで今の国道9号線です。ここは国道なので多分歩く人はないと思います。さて前置きはこれ位にしまして・・・JRの亀岡駅のひとつ手前・京都寄りの馬堀駅が唐櫃越えのスタート地点です。9時ジャストにスタートして間もなく、正面に「トロッコ亀岡駅」を見て右折・・・川を渡って程なく、登山道が始まります。なるほど「歴史の道・百選」に入っているのか・・・と知って、ここからは急な長い登りを進みます。汗を拭き拭き登りきると、平坦な道となり、左側に(写真正面) に愛宕山が・・・そして、振り返ると亀岡の町が・・・・田園風景と思っていたのに何と広大な住宅地が広がっているのにはびっくり。確かに京都へはJRで便利なのでベッドタウンになっているのでしょう。ここからは多少のアップダウンが有りますが山道、林道、舗装された林道など歩き易い道が続きました。途中では保津峡を行くJRが見えたり・・・サルがいたり・・・案内板に京都市の表示も現れて・・・このルートの最高峰・沓掛山(くつかけやま) ですが眺望は余りよろしくなく・・・確かこの辺りで弁当とコーヒータイムをとりました。そして、いよいよ京都側の眺望が始まりました。中央左寄りの高い山が比叡山で、右に見えるのが桂川です。そして、右(南) に転じますと・・・京都市の南部です。更に下って行きますと、竹藪が始まり・・・苔寺へん分岐もありましたが真っすぐ阪急上桂駅へ向かいました。・・・すると、京都タワーも見えてきました。墓地を通り、住宅街を抜けると間もなく上桂駅。ここで阪急電車に乗り、唐櫃越えの歩きを終わりました。記録は・・・この歩数は家を出てから帰り着くまでの歩数です。
2021.10.09
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一昨日のブログでタイトルを安達太良山の写真に替えましたところ・・・高村光太郎の智恵子抄の「あどけない話」の有名な部分に安達太良山が次の様に詠われているいることを教えて貰いました。 智恵子は東京に空が無いといふほんとの空が見たいといふ。・・・・智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山(あだたらやま)の山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だといふ。あどけない空の話である。(一部略)私は「智恵子は東京に空が無いといふ ほんとの空が見たいといふ」と言うさわりの部分は知っていましたが、それから先は知らなかったのです。知っていたら登った時にまた別の感動が有ったものを・・・・残念です。ところで・・・今、智恵子抄=高村光太郎ということから、私の世界に入り込んでしまいました。・・・と言いますのは・・話が逸れたことから始まりますが・・・一見関係がないところに因果関係がある事を示す言葉に「風が吹くと桶屋が儲かる」と言うことわざがあります。その訳はご存じの通り・・・1. 風が吹けば砂が舞い上がり、砂が目に入り,2. 目が悪くなる人が増え,3. そのため三味線弾きで生計を立てる人が増え,三味線が売れる。4. 三味線には猫の皮が必要だから猫が捕られ,5. それによってネズミが増え,桶がかじられる・・。6. したがって,風が吹けば桶屋がもうかる。と言うことなのですが・・・私には詩の「智恵子抄」から「京大の戦前の入学制度」に繋がる思い出があります。(何度もブログに書いていることで恐縮ですが・・・)桶屋が儲かる話と同様に順序立てて書きますと・・・1. 「智恵子抄」の作者は高村光太郎。2. 高村光太郎の詩「道程」は私の好きな詩です。3. 「道程」を習ったのは高校1年の国語の時間でした。4. 先生は国語の先生でもあり、クラス担当でもあった女の先生でした。5. その先生は京大の初めての女の卒業生でした。6. なぜなら、戦前は京大(東大も) は女子は入学出来ない制度だったのです。 今何故こんなことを書くかと言いますと、今までに道程について何回も当ブログに書いて来たのは思い入れのある詩だからです。何回も書いたテーマですが、ざっと遡りますとこんなこと書いていましたので見てください。道程について・・・・・・2018.9.13京大の学制について・・・2018.2.14その先生はここに写っている先生です。2016.3.24ところでタイトルの写真は頂上を仰ぎ見ていますが・・・頂上からの眺めはこうなります。
2021.09.20
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昨日の続きです。小塩山へはこの金蔵寺(こんぞうじ) の・・・・この階段を登ります。桜もありましたが、見て頂いた通り、紅葉の頃はなかなかのものでは・・・と言うお寺でした。さて、登山道を進み、頂上に至りますと、そこは淳和(じゅんな) 天皇陵がありました。こんな山の上に天皇陵があるとは??!! いつ頃の天皇だったのかと気にかかりました。話が横道にそれますが、帰って調べると53代天皇である事が分かりました。こんな山の上の御陵迄、祖父か父親が参拝に行ったのかも気になりましたので、この皇陵参拝記念をめくって見ると・・・間違いなく、ちゃんと朱印を頂いていました。このご朱印帳のことは、前にも何回か書いていますが、何しろ昭和7年製のものですので、この頂いた朱印はその頃のものだと思います。付け加えますと・・・まだ朱印を頂いていなかった御陵へは私が回った事をずっと前に何回か書き、最終が多摩の昭和、大正天皇陵だったのです。ここにその事を書いていますので、再度見て頂ければ幸甚です。本論に戻って・・・・頂上付近はNTTやNHK のアンテナが乱立、 京都市内からよくそのアンテナ乱立を山を見ていますので、あの見ていた山が小塩山だったのか・・・と納得したのでした。さて、その頂上で弁当とコーヒータイムなのですが、眺望の良い所がなく、アンテナの建物の下で済ましたのち、カタクリ園へ・・・途中にもそこそこ咲いていましたが、大したことなく、少し下って行くと・・・入口はこんな状態でした。ボランテイァの方に「マスクをして下さい」と言われ、パンフレットを貰い、ネットで囲った中へ・・・園内は一方通行の周遊コースでした。カタクリの花の写真は、道を間違って見た場所で沢山載せましたので、ここでは、1枚だけ。このような群生地は3ヶ所あるのですが・・・先に見た場所と併せ、この1ケ所だけで堪能でした。こんなカタクリの群生地もボランティアの力で維持されているのですねぇ。頂上ではカタクリの花には満足ながら、眺望がなかったのが残念だったのですが・・・・下山を始め高度を下げていくと・・・・見えて来ました。京都市内の全貌が・・・左の山は比叡山です。南へ移動させますと・・・正面奥の方に見える緑の丘陵は桃山の丘陵なのでしょう。そして、前回のポンポン山からも見えた、滋賀県の三上山(近江富士) 赤矢印が見えたのはさることながら・・・京都女子大の校舎と思えるものまで見えました(黄矢印)そして眼下には手前の高層ビルが、今回登山のスタート地点・JR向日町駅の日本電産本社ビル、そしてその向こうの高層ビルが京セラの本社ビルです。ここには写っていませんが、右方向には村田製作所のビルもあります。・・・・という事で、今回も変化に富んだ、大満足の登山が出来ました。以上が小塩山の登山行だったのですが・・・・上に京都女子大の校舎が見えたと書きました。その検証の為に、昨日女子大の上、太閤坦(たいこうだいら) へ行ってみました。これがそこからの眺めなのですが、手前が女子大校舎、赤矢印が小塩山です。アップしますと・・・更にアップしますと・・・アンテナ乱立の頂上だったことが分かります。
2021.04.11
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今日中学同窓の女性から、ラインでメールを貰いました。内容は「4/8の京都新聞の「凡語」欄に小塩山のカタクリの花の事を書いていますよ」という事でした。4/8と言えば私が小塩山に登った日、何と偶然かと驚き、4/8の京都新聞を開きました。京都新聞の「凡語」と言うのは、丁度、朝日新聞の天声人語と同じ様に一面最下段の「言葉」です。これなのですが・・・なるほど、確かに現地では登山者も多かったのですが、仕切っているボランティアの方も多かったのです。今日は、金蔵寺から小塩山(私は「こしお」と思っていたのですが、「おしお」である事をこの記事で知りました) へ登る所から書かして貰う積りでした。・・・が、体力無き為、今日はこの事だけ書かして貰って、続きと昨日の記事に頂いたコメントへの返事は明日にさせて頂きます。書こうとする記事も溜まっているのですが・・・・。
2021.04.10
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昨日載せましたこの素晴らしいカタクリの群生は・・・実はカタクリを見るために行った小塩山のものでないのです。小塩山の手前で道を間違って70~80m 程、進むべき道から逸れた道で見つけたものだったのです。・・・と前置きはここまでとしまして・・・・。今回の登山は・・・京都の西山で、前回善峰寺に登った時と同じ場所からのスタートでした。まず、全体の行程は・・・下の通りで青〇がスタート地点、赤〇がゴールです。拡大しますと・・・更に拡大しますと・・・こんな位置です。青⇒は御所、黄⇒は二条城、赤⇒が京都駅です。さて、前回同様JR向日町から善峰寺行きの阪急バスに乗るのですが、乗り場の柱の竹製カバーが目につきました。この辺りはタケノコの本場、竹でデコレーションしているのでしょう。先日貰った竹で色々細工するのに参考になると思い、写真に納めたのでした。駅からのバスで20分余りで終点の善峰寺です。何しろ1時間に1本しかないバスですので、バスに合わせるしかなく、前回ポンポン山に登ったのと同じ時間に登山開始です。バス停から急坂を少し登り。ここから左へ行くとポンポン山、今日は右へ向かいます。ところで、ちょっと横道にそれますが・・・ポンポン山の名前のことを、皆さん奇異に感じられたので、前回正式な名前も書きましたが・・・その正式な名前を知っている人は先ずいない筈とも書きました。地図でもこの様に書いてあるので、ポンポン山が正式な山扱いなのでしょう。話を元に戻しまして・・・善峰寺からつづら折れの極めて細い急坂の車道を汗をかきかき進みますと・・・杉谷の集落です。ポツンと一軒家と言えば失礼に当たりますが・・・・なんとまあ、こんなところに集落があるのか? と思える高地の山の中です。戸数は10軒程かと思います。さきに載せた写真と言い、今の時点で満開の桜が、その位置の高さを表しています。一枚目の写真では、最初の急登を登り切った辺り標高460~470m をさしています。この集落からは少し下りで、ほゞ平地に近い道を進み、細い車道に出たので、車道方向へ右折したのですが、それは間違いで正しくは真っ直ぐ山道に進むべきだったのです。しかし、その車道を間違って70~80m程進んだ所に、車道に面して昨日、今日と冒頭に載せた、カタクリの群生地があったのです。女性がひとり写真を撮っていましたが、直ぐ行ってしまわれたので、正に貸し切りの光景で、道を間違った事が、正に怪我の功名でした。そのカタクリの群生地は広い面積にカタクリが満開、それはそれは素晴らしい眺めでした。この群生場所はネットで囲われているので、全てネット越しに撮りました。山に登らなくても、車でこんな良い所へ来れるなら、誰にでも教えられると・・・調べますと・・・次の記述がありました。と出ていましたので、グーグルマップで調べると・・・この道(車道)が分かりました。もし、見に行ってみようと思われる方がおられたら、ナビで「金蔵寺有縁無縁塚供養塔」をセットされ、逢坂峠を過ぎて直ぐ進行方向左、金蔵寺有縁無縁塚供養塔の車道手前にネットが張ってあるので直ぐ分かります。運転に自信がある方はどうぞ。さて、私達の進むべき道は右へ曲がらず真っ直ぐその金蔵寺有縁無縁塚供養塔へ向かう山道だったのです。カタクリの群生地から引き返し、進みますと・・・正に「お墓のお墓」おびただしいお墓が種類ごとにきっちり整頓して並べありました。こんな光景見るのは初めての事でした。無縁墓になってもこの様に祀られているとは・・・。そして厳しい下り道を進むと、その金蔵寺(こんぞうじ) の山門に出ました。新緑がこれですので、紅葉の時は素晴らしいのでしょう。小塩山へはこの金蔵寺の中を進みますが、明日に続きます。
2021.04.09
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今日は、カタクリの花を見に、京都市は西京区大原野の奥の小塩山(642m) へ登って来ました。山の中でカタクリの花は見る事はありますが・・・・こんなに群生しているのは見た事ないと言う光景、まるでカタクリ畑の様でした。・・・・いつもの通り、登山の夜は体力消耗していて根気が続きませんので、今日はここまでとして、詳しくは明日書かせて頂きます。昨日の記事に頂いたコメントへの返事 及び訪問も明日させて頂きます。
2021.04.08
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昨日の続きです。 山頂でのコーヒータイムのあと、下山にかかりました。 先日の被害の多かった天王山・ポンポン山と違い、この辺りは台風の被害は全く見られませんでした。 里に近くなり、北西方向に生駒山をうっすらと眺めながら・・・ 程なく、長岳寺です。 山から下りて来たので裏から入る感じです。 桜に混ざって、この貧弱な散り椿を見て・・・ 京都の椿寺(地蔵院) の散り椿は如何ならん?? ・・・と思いを馳せながら写真に収めたのですが・・・・ 偶然にも・・・昨日(即ちこの写真を撮った翌日) ラインでその椿寺の様子を送ってもらいました。 今、椿寺の散り椿は見頃のようです。 さて、長岳寺へは裏から入って境内を通り、山門から出ると言う形になりましたが、出た辺りは山の辺の道の(天理と桜井の)ほゞ中間地点でトレイルセンターやベンチ等の休憩施設がいっぱい、沢山のグループが弁当を食べていました。 我々は休憩もなく更に進み、後を振り返りますと・・・一番高い辺りが今下りて来た竜王山です。 行きに通った崇仁天皇陵の逆側を通り、そろそろ駅も近く、民家の密集地まで来ますと往きに(青矢印) に左手に堀と桜を見ながら進んだ黒塚古墳に到着。 赤矢印の方向へ進みましたが、見て頂いた通り、前方後円墳の「後円」から入り、「前方」から出たという形で古墳に登りました。 こんな事が出来るのは、宮内庁が管理している天皇陵と違い、豪族の墓なのでしようか?? 桜越しに見えるのが後円の部分で・・・ この道から堀を越えて、且つ階段を登り・・・ 頂上に立ちますと、またまた竜王山が見えました。 古墳の上から堀を見下ろし・・・ 前方部から出て振り返りますと・・・ 往きに見たこの景色『桜と古墳と竜王山』が一望で今日の登山の全てを表す1枚の写真となりました。 ここから程なくのJR柳本駅から、1時間に一本程度の電車なのに14時07分発に10分足らずの待ち時間で乗車しましたが、時間の配分迄ピッタリ、見どころも漏れる事ない登山をさせて貰いました。
2021.03.28
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昨日は奈良県は天理市の山野辺の道近くの竜王山(585m) に登って来ました。桜と大和平野の眺望が目的でしたが、生憎の春霞で眺望の方は今一つでしたが、御陵見物のおまけがあり、しかも御陵上を歩くと言う今までした事のないことを経験して来ました。さて、近鉄電車で天理まで行き、JRに乗り換えるのですが・・・天理と言うのは山の辺の道歩きの時訪れる程度で、余り縁のない町です。近鉄の駅の上がJRの駅になっていて、折からの選抜高校野出場の横断幕に・・・この法被姿がアチコチで見られるのは・・・やはり天理教の街です。近鉄からJR桜井線に乗り換え確か2駅目だったと思いますが、無人の柳本駅が本日のスタート地点です。結果を先に書きますと・・・歩いたルートは・・・拡大しますと・・・赤矢印の部分については帰りの部分で詳しく書きますが、行きには横を通りますとこんな景色でした。そして、程なく前方後円墳の崇神天皇陵へ・・・正面の階段を上がりますと・・・堀の向こうに方形の部分が・・・階段を下りて、左周りに御陵の土手下を進みますと・・・土筆が沢山生っていたのですが・・・勿論パスです。御陵の側面では、望遠レンズで撮影している人を横目で見ながら進みますと・・・天理と桜井を結ぶ山の辺の道を横断する形で竜王山に向かいます。間もなく登山道に入り、比較的緩やかな登りを進んでいくと・・・帰りに通る長岳寺の奥の院の立て札があり、50m程寄り道をしますと・・・谷の中に、この不動明王の石仏だけがあり、建物等はありませんでした。さて、竜王山とは南と北の二つの頂上に山城があった山との事ですが、その面影は有りません。頂上からは大和平野を見渡せる筈なのですが、生憎の春霞?? ぼやけて上手く写真に撮れません。正面に薄っすら見える二上山の右には・・・案内板に依りますと・・・信貴山、生駒山まで見えて・・・明石海峡大橋も見える事もあるとか。左(南)に転じますと・・・・大和三山がうっすらと、そして後方に金剛山、葛城山が更に薄っすらと見えるのですが、写真ではこれで精一杯です。(金剛山・葛城山分かりますか?)これも案内板ではこの様にはっきり見えるのですが (笑)・・・・と、一応の眺望を楽しみながら、ランチとコーヒーを淹れての休息ののち、下山開始。帰れには御陵の上に立ったり、桜を楽しめたのですが・・・・明日に続けます。
2021.03.27
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一昨日の続きです。ポンポン山からの下山道は、また一層台風被害の倒木が多く、ついつい写真に収めることが多くなりました。根っこからの倒木が多かったです。登山道を通れるようにする為に、かなりの労力が投入されたのでしょうそして立派なご神木が現れ・・・裏側に小さい祠があって、天狗杉とかこの天狗杉は台風に持ち堪えたようですが、風上となったと思われる南側の枝はかなりの被害でした。後は、ダラダラの登山道を下りて行くと・・・山中の「本山寺」です。山から下りて来たので、お寺の紹介が逆になりますが・・・この階段を下りて来ました。ここで小休止ののち、更に下山していくと・・・この辺りの木は途中で切り倒されているものが多く、また変わった異様な光景が続きました。そして更に下山していくと・・・登山口とも言える神峰山寺(かぶさんじ) に出て・・・程なくの「神峰山口」バス停からバスで約20分のJR高槻駅へ。途中の本山寺、神峰山寺は桜と紅葉が綺麗だろうなぁと思いつつ、3/12に書きました通り、ここで4時間49分 10.7kmのポンポン山登山を終わりました。
2021.03.16
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3/11の登山は・・・JR向日町駅で集合(と言っても参加2人ですが) 。1時間に1本の路線バスで約20分の善峰寺バス停からスタートの11km余りのコースです。緑丸がスタート地点、赤丸が高槻側のゴール地点で、数字はキロ数です。赤下線の楊谷寺は先日参拝した「柳谷観音」です。それから珍しい読みなので同じく赤下線を引いた「出灰」は「いずるは」と言います。実は私は「でばい」思っていたのです。バス停横の案内板を見て・・・・急な階段を上がり振り返り増すと・・・・今降りたバス停です。そして、階段を登りきると西国33ヶ所の20番札所の善峰寺です。このお寺は遊龍の松で有名です。今回は拝観をパスしましたので、netで借りた画像を載せます。遊龍の松(国の天然記念物) - 横に伸びた枝の全長が37mあります。.京都市南部の眺めです。お寺をかすめて登山道に入り、振り返りますと、今通って来た善峰寺の全貌が・・・・釈迦岳・ポンポン山へ向かいます。途中までは先日訪れた柳谷観音への道と同じです。そして、この分岐で釈迦岳の方向へ進みます。程なく釈迦岳(630m) の頂上です。立派なベンチが有るのですが、眺望は良くありませんでした。ここからポンポ山へ向かうのですが、先日の天王山同様、一昨年の台風の被害がものすごく・・・至る所で倒木が有りました。そして、歩けばポンポンと音がすると言われるポンポン山 (678m) 頂上です。正しくは「加茂勢山」と言うらしいのですが、そんな名前誰も知りません。地図にも、勿論? ポンポン山と書かれています。頂上からの眺めはと言いますと・・・南東には左にうっすら見えているのが生駒山で、少し右奥は多分葛城山から金剛山への山並みだと思います。そして東北東の方向、京都市内の向こうにポコッと薄っすら見えているのを・・・アップしますと・・・何と滋賀県の近江富士(三上山) ま望めました。そして北に転じますと・・・・右のコブが愛宕山です。京都市内から見る愛宕さんはポコッとコブが一つ見えて分かり易い山ですが、この方向から見ると、まるで別の山です。こんな眺望を楽しみながらランチ&コーヒータイムをとり、登って来た逆方向の高槻方面へ下山しましたが、続きは明日に・・・。
2021.03.14
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復路は途中までは、来た道を引き返し、往路の3km地点から右へ逸れました。間もなく、十方山を通り・・・一右にポンポン山を遠望しながら進みましたが、昨年の台風の被害だと思いますが根っこからの倒木、幹が折れた木など無数、残酷な光景が広がっていました。(・・・が本来鬱蒼とした茂みの中の登山道だと思うのですが、明るい快適な道を進むことが出来ました)因みに上の写真二つのピーク、どちらがポンポン山か分からないのですが・・・次回登る予定の山です。十方山から程なく、視界が広がり、京阪電車・くずは駅の高層マンションや河川敷のゴルフ場が見下ろせました。下の写真は遠望なので分かり易いように絵画調で撮っていますが・・・赤い線を引いた辺りが、私のセイヨウカラシナ畑です((笑)。いつも、ここからこちらを見ている事になります。生駒山も・・・そして・・・手入れの行き届いた竹藪と・・・荒れ放題の竹藪が有るのはどこも同じ光景で・・・竹藪を抜けると・・・またまた視界が広がり・・・今度は島本町と高槻市の方向が見えました。・・・方向を変えると・・・正面の山は八幡の男山八幡宮で、直下は名神高速道路の天王山トンネルの大阪側なのですが・・・.反対側を見ますと・・・この景色、感動ものでした。・・・と言いますのは、話が逸れますが・・・旧東海道53次の静岡県由比宿と興津宿の間に薩埵峠(さった峠)と言う、富士山も見える最高の眺めの峠が有るのですが・・・その薩埵峠を思い出すような眺めだったのです。その薩埵峠には2006年に旧東海道53次歩きで、そして、2013年には「富士山を眺める登山」の一環で通っているのですが、その2013年のブログにはこの写真を載せていました。2013年のブログはここを見て下さい。今回の名神高速道路の眺めは・・・海も富士山も無いですが良く似ていると思いませんか??話が逸れましたが、元に戻して・・・更に下山して、名神高速道路の傍まで下りますと・・・滝が有りました。この水はサントリーウイスキーと同じという事になるのでは??そして間もなくサントリーの前を通り・・・京都府・大山崎町からスタートして、大阪府に入っていたので、また府境を越え京都府へ・・・ここから直ぐのJR山崎駅でゴールしました。
2021.03.06
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昨日の続きです。集合はJR山崎駅でした。JRの駅は「山崎」 直ぐ近くの阪急の駅は「大山崎」とややこしいです。しかも、ここは京都府の南西の端、大山崎町で、駅前から直ぐ大阪府島本町です 因みに、サントリーりの山崎蒸留所はその島本町に有ります。さて、駅から直ぐ登山口です。登りだして直ぐの智積院が本山の真言宗智山派の宝積寺を通り・・・程なく山崎合戦之地の石碑の辺りからの眺望は・・・京都市の南部でした。赤矢印が京セラ本社ビル、橙色の矢印が名神高速道路、そして青矢印こんもりした丘が秀吉が城を築いた桃山丘陵(のはず)です。天下分け目の山崎の合戦の時から、秀吉は天下をとったら大阪からの入口の京都南部を見下ろせる、この桃山に城を建てようと思っていたのを裏付けるような眺望です。更に進んでいくと・・・まるで歴史の勉強ができる程の案内板が次々と・・・例えば、これは合戦の布陣図です。(残念ながら、印刷が薄くなっていて上手く撮れませんでした)あとは、この様な当時の歴史の絵付き解説板が次々と・・・とても、詳しく読むことは出来ず、斜め読みで通過しました。そして間もなく頂上に到達です。標高270mく 稲荷山の標高が233mですので余り変わりません。アクセスも良く、容易に登れ、眺望も良いので登山者は多く、案内板もベンチなども完備されており、その中で木になったのが、このベンチです。これなら材木さえあれば・・・と思いは馳せたのですが・・・。そして大半が平坦な道を進み、最後の登りで柳谷観音(浄土宗・楊谷寺ようこくじ)に到着です。山の中のお寺なのに、広大な駐車場があり、参拝者の多さが分かりました。なるほど、眼疾にご利益が・・・と調べると「眼の観音」さんとか。ここの駐車場で弁当とコーヒータイムを取り、途中までは来た道を引き返し、途中から別の道で下山しました。その下山道は往路の登山道以上に素晴らしい眺望だったのですが・・・が明日に続けます。
2021.03.05
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盆地の京都を囲む周りの山は大体登った筈なのですが、ひとつだけ登っていない山が有りました。 京都へいく電車の中から、車で行くとき車から、そして淀川の堤防を歩く時、いつも目に入る天王山です。 これはセイヨウカラシナ採りに行った時の写真ですが、正面、右の方がその天王山です。 ・・・・と言う事で、過日の矢田山丘陵から法隆寺への歩き同様に又々ベテランの登山師匠の案内で行って来ました。 行程は・・・ JR山崎駅をスタート&ゴールで5時間13分 11.2km の歩きでした。 家をスタートして、帰り着いた時の歩数は31500歩でした。 体力消耗につき、今日はここまで書いて、続き及び、昨日のブログに頂いたコメントへの返事は明日書かせて頂きます。 また、今日だけコメント欄を閉鎖させて頂きます。
2021.03.04
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昨日は久しぶりの長歩きで、家を出てから家に帰り着くまでの35800歩の歩数でしたので、すっかり疲れて、昨夜はPCも開かずでした。さて、今回歩きはと言いますと、私は初めてのコースでしたが、このコースを良くご存知の山の師匠のガイド付きで迷うことなく完歩出来ました。スターとは近鉄奈良線・東生駒駅、ここで待ち合わせののち、長い矢田山丘陵を縦走してゴールが法隆寺でした。法隆寺で全ての記録をストップののち、法隆寺を参拝して、JR法隆寺駅で解散しました。東生駒駅から法隆寺までの歩行記録とアップダウンは次の通りでした。依って11.7kmに法隆寺~JR法隆寺間の約1km強及び広い法隆寺参拝で1km、そして自宅~最寄り駅への往復約2kmを合わせますと・・・1日で、優に16kmは歩いた事になりました。さて、矢田山丘陵は生駒の山並みの東に並行している丘陵です。殆どが林の中の道で眺望がきく所は少ないのですが・・・・西を向くとどこまでも生駒の山並みが追いかけて来ました。途中、榁の木峠付近からの生駒山の眺めは・・・アップしますと・・・上の2枚は絵画調で撮り頂上もはっきり見えますが・・・普通の撮り方ではこんな調子です。画面右に見えるのが第二阪奈道路ですので、丁度この下がその道路の「榁の木トンネル」が走っている事になります。古い話しで恐縮ですが・・・現役の時、そのトンネルの工事にも関係して、数度現場へ行った事があるのですが、まさか30余年のちにそのトンネルの上を歩くとは・・・感慨無量でした。そして、直ぐにその「榁の木峠」長い道中で民家が有ったのはここだけでした。左の「東生駒」方面から来て・・・右の「矢田寺・松尾寺」方面へ進みました。程なく「矢田山」の頂上ですが、鬱蒼と茂った木立の中、何も標識がなく・・・赤矢印の地面に・・・こんな板が・・・そして、こんどは東方面の展望台があり、ここでで昼食とコーヒータイムをとったのですが・・・左の方に若草山・・・・そして、ずっと南の桜井方面に転じますと・・・双耳峰のように見える山は、多分左が音羽山、右が竜門岳だと思いますが、定かではありません。コーヒーのあとは・・・松尾寺方面へ進みます。そして、小高いピークにNHKの電波施設が有ったのですが、その横のあった、この石碑が松尾山頂上の印で、他に案内板も何もありませんでした。この矢田山丘陵のハイキングコースは方向を示す案内標識は、それはそれは完備しているので歩き易いのですが、こと山頂を示す案内板はどの山にもありません。ベテランの案内で今回は分かったのですが、これは何とかして欲しい所です。そして、間もなく松尾寺へ・・・調べますと。真言宗・醍醐派のお寺で厄除けのご利益があるとか・山からはこの三重塔の横に出て、石段を下りるのですが・・・階段右のこの岩は「磐座(いわくら)」と言うらしいです。そして、厄除けの事ですが、単に厄を除けてくれるのではなくて、ここでは厄を盗んでくれるとか。それはそれは凄いご利益だと思いますが・・・・厄がない齢になった身としましては・・・・言葉がございません。そしてゴルフ場の中を通り程なく法隆寺へ何十年ぶりかも、はっきりしない昔に訪れたままなので、新たに訪れたも同様です。ブロともさんが私が矢田山丘陵へ行くことを察知して頂き、2枚の拝観カードをお借りしたので無料で拝観出来ました。奈良のお寺は本当に広いです。境内だけでもかなり歩いた事になりました。このあと、JR法隆寺駅まで1km強だと思いますが、歩き終えて、矢田山丘陵歩きを終え解散して帰りはJR天王寺経由で帰りました。
2021.02.21
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2日間自宅籠りでしたので歩かないと・・・と今日の京都行きは・・・今なら、お稲荷さんも「蜜を避けて」歩けるはずと、京阪電車・伏見稲荷で途中下車して稲荷山経由でした。駅からの参道も人影は少なく、閉めている店が多いのは何処も同じ・・・写真撮影スポットのこの鳥居でこんな写真が撮れるのですから・・・ここも豆まきは中止です。ここまで進んで疎らな人影でも、見ればホッとするのですから不思議です。土曜日だと云うのに、千本鳥居もこんな状態でした。振り返っても・・・いつも人だかりが絶えない「おもかる石」もこんな状態で・・・歩を早めて行くと、そこそこの人影も・・・四ツ辻まで登ると・・・さすが、眺めの良い休憩場所、外人さんも、若い人も・・・そこそこの人。ひと昔??前なら、なかなか座る場所も確保できなかったのですが・・・今はどこにでも座れて・・・一口魔法瓶に入れて行ったホットコーヒーを飲みながら一休み。その後、泉涌寺に向かう途中、ここからまだ更に山の上に、この学校があります。昨日発表された選抜高校野球で、京都から選ばれた学校です。ここからホンの2分程歩くと・・・泉涌寺。 雲龍院の案内板に貼ってある紙には、ご丁寧な文言が・・・『恐れ入りますが・・・そして、どうぞご自愛ください』 なんて! !それでなくても、常にひっそりしている泉涌寺は・・・・勿論こんな状態でした。そして、西国33番札所15番の今熊野観音への入口に・・・『現世安穏・・・・』 コロナ禍の今、ほんと祈りたい言葉です。長くなりましたが・・・・以上の行程は・・・・この記録の通りです。緑〇がスタートした京阪電車・伏見稲荷駅。赤矢印が休憩した四ツ辻。白〇京都国際学園。3kmを表す黒〇が泉涌寺。青〇が今熊野観音。そして記録を止めた赤〇は今は廃校になった今熊野小学校です。・・・・と言うことで、4km余り『お山登り』のウオーキングでした。
2021.01.30
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昨日の続きです。もう一つの目標は「くろんど池」でした。この池へ来たのは・・・さて多分30年以上前のこと。しかし、景色は昔と変わっていないようにおもいました。こんな山の上の湖と言っても良いほどの大きな池は奈良県側の生駒市にあって、江戸時代に作られた農業用の溜池のはずですが、今では完全に憩いの場所。奈良県側からは自動車道で結ばれています。歩人さん(ビッグジョンさん) のブログ、何でこんな山の中にあるの?? と思った浅香山部屋の大阪場所の道場は今も池の前に有りました。浅香山親方と言うのは、元大関・魁皇なのでかね。ガラス越しに中を覗くと・・・確かに地面が土で相撲の練習場で、こんな新聞も貼ってありました。何故こんなところに?? と云う事の答えは・・・・この横にあるこの料理旅館が・・・駐車していたマイクロバに書かれている社名からして、タクシーや観光バス、運輸倉庫と同じグループ会社なのか・・・朝香山部屋の大阪場所のスポンサーになっているらしく、場所中はここが宿泊所になっているでは?? と思いましたが?? (あくまで私の推測です)そう言えばまだ貴乃花部屋が存在していた時、宇治にある宗教団体の神社が宿泊所になっていたので、遠くてもよくある事なのでしょう。この景色の良いくろんど池の畔で、ひとりコーヒーを楽しむ目論見でコーヒー道具一式リュックに詰めていたのですが、池の周辺でバーナー等火気厳禁の看板があり、断念。有料の飯盒炊爨場はあったのですが・・・という事で、往きは終点のひとつ手前の河内森駅からスタートしましたが、復路は、急峻な往路の登りと違いダラダラした下りのハイキングコースで、途中で月の輪の滝の横を通り・・・京阪電車の私市駅へ出て帰路につきました。久しぶりの山歩きで有りましたが、天気も良く、温かい日でしたので良いトレーニングの一日になりました。
2021.01.20
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天気も良し、と久しぶりの山歩きに私市(きさいち)へ行って来ました。きさいちには色々のコースがあるのですが・・・その中で、ブログ友達の「歩人」さんのブログで獅子窟寺を通るルートを見て、前々から行こうと思っていたのですがコロナ禍の今、ひとり山歩きで実現しました。「歩人」さんの足跡を行く「閑人」というところです。(スタート地点はひと駅違います)歩いたのは京阪電車・河内森(緑〇印) ~獅子窟寺~くろんど池~京阪電車・私市駅までのコースでした。4kmのマークがくろんど池です。ハイキングコースと言いましても、この様に標高差250m程ある一応は登山(?) です。最初から話が横道に逸れますが・・・・登山道へ向かう豪邸の立派な門に見とれて、更に中を除くと・・・・なんと言うのでしょうかこの衝立風の飾り枠・・・別に「結界」でもないし・・・木の枝を抱え込んだ移動式の枠・・・なんと風流なしつらえと感心しながら通り過ぎました。住宅地を過ぎると、獅子窟寺へは上の標高グラフの通り、260m程の急登ののちに獅子窟寺に到着。真言宗・高野山派のお寺とか。お寺の佇まいや雰囲気が、昨年秋の紅葉の季節に訪れた、宇治田原の鷲峰山・金胎寺と良く似た感じがするので帰って調べると金胎寺は真言宗醍醐派でした。寺内有ったこの岩は・・・折角ですのでこの岩を両手で抱いてコロナ禍ん゛一日でも早く収束することを3回唱えました。この辺りの山は前に訪れた巨大な岩が頂上の交野山がある様に山の中は大きな岩だらけでその岩一つ一つに名前が書かれていました。更に進んで、展望台からの眺めは最高で京都方面は・・・一番高い山が愛宕山、右の小さな山が八幡の男山、そして向いが天王山で、手前が枚方の町です。因みに私は京都囲む山は京都一周トレイル等ででみんな登ったのですが、この天王山は登った事がないのです。次に南方向は大阪の高層ビルが蜃気楼の様に浮び上がり・・・勿論アベノハルカスも見えました。東南には生駒山も・・・ここからは「くろんど池」へ向かいましたが続きます。
2021.01.19
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昨日のつづきです。里の道では柿屋に茶畑、そしてこんな紅葉も見られたのですが・・・登山道に入ると、植樹林などが多く、ほゞ眺望も無い、しかし、丁度登り易い単調な傾斜の道が続きました。気候が良かったことも有りますが、そう疲れも無く、金胎寺に到着しました。もみじがみんな巨木なので、紅葉が高く、折からの青空をバックに素晴らしい彩の世界でした。ここで入山料を300円払い・・・住職さんにご苦労様ですと声をかけられ・・・少し坂道を上がると本堂と多宝塔があったのですが・・・本堂は江戸時代の創建と書かれていましたが、檜皮葺きが朽ちた上に葺かれているトタンも錆びていました。歴史的には奈良時代、聖武天皇の勅願寺として堂が建立されたと伝えられ、吉野の大峰山に対して「北大峰」と呼ばれた程栄えたと云う由緒あるお寺なのにこの荒れ様は何とかならないのかなぁと思いました。そして、ガイドブックでは頂上からは「北東に比叡、比良、三上の三山、南に木津川一帯から奈良、西に大阪、京都が眺めて大パノラマが楽しめる」と書かれていたので、天気も良し、さぞかし遠くまで見えるだろうと勇んで登ったのですが・・・・何?? 頂上は芝生の広場があるのですが、東西南北木が茂って眺望はほゞ無し、何と言うこと?? 木が成長して眺望を遮断してしまったのでしょう。しかも頂上を表す表示板もなく、重要文化財という石塔が建っていましたが絵にもならないので写真も撮らず、弁当とコーヒーを淹れて休憩ののち、次の行場へ向かいました。ところが杉木立の単調な道が続き、社務所で貰った案内図では一周4km 、約2時間と書かれているので・・・、途中で「修行」は諦め引き返しました。そして下山道では頂上では見られなかった生駒山が見えていました。しそして宇治田原の町、木津川市らしきものが垣間見えたのですが、どこかとも分からず、絵にもならないのでそのまま下山しました。・・・と言うことで約5時間半の行程を終わり、帰りは往路とは違い京阪電車宇治駅行きのバスで帰りました。全行程33,000歩の登山行でした。
2020.11.16
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7年前にブロ友さんが登られたブログを見て、登りたいと思いながら実現しなかった宇治田原の鷲峰山(じゅうぶざん) 682m に登って来ました。7年間登山目標に入れ続けて来たのが、登山友達に計画してもらって、ついに実現したのでした。鷲峰山は宇治茶と古老柿の産地の宇治田原町と、これもお茶の和束町との境に位置するこのような名峰です。アプローチは近鉄・新田辺駅(赤矢印) で待ち合わせして、バスで約30分の宇治田原からスタートしました。(S字印)緑の山のマークが山頂です。下山後スタート地点に戻った時、YAMAPの記録をストップするのを忘れた為。帰路乗った京阪電車の宇治駅までのバスでの軌跡も記録されて、ゴールになってしまいました。さて、バス停からスタートすると・・・宇治茶の本場ですから、直ぐお茶畑が見えます。勿論、製茶工場も・・・そして、平治の乱の時の信西の供養等があり・・・信長が明智光秀に討たれた時、少数の手勢で堺にいた徳川家康が慌てて逃げて帰る時通った有名な「伊賀越え」の標識もあり、歴史にも縁のある町でした。そして鷲峰山に向かって歩いていると・・・稲を刈った田んぼのあちこちにこんなものが建っていました。遠く見える山が、目指す鷲峰山です(多分 ?)調べると「柿屋」と言って、古老柿を作るのに柿を干す為のものでした。この柿屋にはスノコに載せた柿が有ったので望遠で撮ったのですが・・・ピンボケでしたnet で借りた古老柿の写真です。この家では、柿屋で干す前段階なのか、それともここで最後まで干すのか???手前は剥いた皮のようで・・・別のところでは畑にも捨てて有りました。また別の家ではこんな光景も・・・正に、古老柿の町です。また、アチコチに・・小さくて見難いですが沢山の柿です。このあと、登山道に入り、鷲峰山・金胎寺の素晴らしい紅葉を見る事が出来たのですが、明日に続けます。
2020.11.15
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球磨川が氾濫し、筑後川が氾濫し、江の川も氾濫して恐ろしい時代になったものです。 この3つの大河の氾濫の中で、私が特に身近に感じるのが球磨川なのです。 と言いますのは、2011.5月の九州登山の中で熊本県と宮崎県の県境の国見岳に登ったのですが、 国見岳を下山して人吉市へ車で移動する時、途中に五木の子守唄の里・五木村を通った時、建設中のダムの付け替え道路を通ったのです。 当然付け替え道路は高い位置にあり、向かいにはダム完成の後にはダム湖の中の橋脚となる凄く高い建設中の橋脚が有ったのです。 ところが、訊いてみると建設中止になったダムだったのです。 ここまで工事して中止とは・・・とびっくりしたことを記憶しているのですが、それが球磨川の支流の川辺川ダムでした。(勿論人吉市より上流) 何でも民主党政権の時、後に工事再開されたが、中止になった八ッ場ダムとその川辺川ダムが「コンクリートより人へ」の方針の象徴として中止になったダムでした。 球磨川とこの川辺川が合流して人吉市へ流れるのですから、もし片方の川のこのダムが完成していたら、今回の人吉市の氾濫も無かったかも、或いは氾濫はしても水量が少なかったのでは・・・・なんてついつい考えてしまうのですが・・・・。 実はこの事を2011.5.17のブログに書いているのですが、当時は画像制限が有ったのでブログの文章は残っているのですが画像が載っていないのです。 そこでUSBメモリーに残していた画像を取り出して張り付けたものです。 画像のない2011.5.17のブログはここですので参照下さい。 上に張り付けた写真以外のブログに載っていない写真は以下のものです。
2020.07.15
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昨日の続きです。床尾山を下山後、福知山へ・・・ビジネスホテルに泊まって翌日は・・・『大江山 生野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立』の大江山に登りました。詠われている『生野』は福知山の地名ですので、この歌では踏みも(文も)しなかった大江山と生野の両方に踏み入れたことになります。 大江山と言えば鬼と酒呑童子(しゅてんどうじ)・・・登山口から鬼のお迎えです。アップしますと・・・鬼のモニュメントは他にももっと有ったのですが、みんな恐いと云うよりユーモアな顔ばかりでした。そして超特大の鬼瓦までも・・・車で登りきると、ここが登山道です。位置的にはこうなります。現在地から鳩ヶ峰~鍋塚まで行って引き返す予定で出発しました。登山口はこの大江山鬼嶽稲荷神社(おにたけいなりじんじゃ)の横です。登山口からはいきなり長い階段の急登でした。大江山は14年前に登っており今回2度目ですが、前回は逆コースでした。360度のパノラマではあるのですが、全方向山並みばかり、眺望の良いはずの鳩が峰に向かいました。鳩が峰に到達しますと・・・眼下に加悦町(かやちょう) (今は周辺の町と合併して与謝野町)この辺りは丹後ちりめんの産地で昔は街中機織りの音がした街です。そして方向を少し北に転ずると・・・天橋立が見えると思ったのですが山に遮られて見えず。多分青矢印の辺りではないかと思いますが・・・ここで天橋立が見えないなら、右方向の鍋塚まで行っても余計に見えないはずと予定変更して引き返すことにしました。引き返そうとする千丈ヶ嶽はこの谷をくだり、登り返して頂上のくびれたところです。大江山鬼嶽稲荷神社まで引き返しますと、鬼の洞窟の案内板が有ったのですが・・・急傾斜の谷の下300mは2日間の登山の後の体には厳しいのでパスしました。その代わり比較的平坦な70m という距離に魅かれて行った滝はなかなかのものでした。・・・・と言うことで予定変更して鍋塚まで行かなかったのでランチ、コーヒータイム入れて4時間の山行でした。
2020.06.24
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6/20のブログに、新型コロナウイルスの感染拡大防止のための都道府県境をまたぐ移動が全面解除されたのち、京都に賑わいが戻って来たことを書きましたが・・・同じ趣旨で自粛していた他府県の登山仲間との他府県への登山に行って来ました。振り返ると昨年10月の東北登山以来8ヶ月ぶりの事でした。(途中12月に入院もあり)兵庫県等、西の方への登山では通常、和歌山から来られる仲間の車に中国道の西宮・名塩パーキングエリアでピックアップしてもらうのですが、今は中国道リニューアル工事で通行止めの為。茨木インターでピックアップしてもらい、高槻から開通した新名神経由で目的地に向かいました。新名神の開通した部分は初めて通ったのですが山また山の中に良くもこんな道路作ったなぁとびっくりする程山が掘削されたり、トンネルの連続でした。さて、今回の目的の山は蕎麦の出石町(今は豊岡市) と朝来市、和田山町境の西床尾(とこのお)山・東床尾山と鬼の大江山で、一泊二日の登山でした。東床尾山と大江山は関西百名山に含まれています。大江山は2度目の登山でした。さて、床尾山は・・・★印のらかん口から青矢印のルートで登りました。登山口から登山開始・・・間もなくこんな案内が・・・金山だったのですね。写真がピンボケになりましたが、坑道跡も・・・登山道は渓流沿いだったので、良く降った雨の後で水量も多く、苔生した岩等滑り易く、難渋の行進を強いられました。やっとの思いで到達した西床尾山は、眺望も良くなく、早々に東床尾山へ向かいました。向うに見えるのがその東床尾山です。そして、ついに東床尾山頂上が・・・・東床尾山は西床尾山より標高が4m程低いのですが、関西百名山にはこの東床尾山が名を連ねているのに納得。眺望と言い、山頂の様子と言い、西床尾山より格が違う山でした。眼下に流れるのが日本海へ流れる円山川です。遠くに見えるのが豊岡市(旧の日高町か?)です。そしてこちらも豊岡市(旧出石町か?)360度のパノラマを可能にしている灌木は・・・この花の咲く、一面のお花畑・・・まだ、ほんのチラホラ咲きでしたが、もう1週間ほど経ったら、一面黄色に覆われて360度の眺望と併せ圧巻の光景になるのでしょう。(今回のメンバーに花博士がいなかったので、花の名前をエバーグリーンに問い合わせ中です)そして下山道もジクザクではない一直線の急傾斜で滑るに注意しながらの下山、労力が倍かかりました。登山道から視界が開けると・・・糸井の大カツラ。程なく車を駐車した登山道に帰り、宿泊地の福知山に向かいました。11時に登山開始し下山が15時48分 4時間48分の行程でした。鬼の大江山は明日に続きます。
2020.06.23
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昨日の続きです。飯盛山からは一旦下って又登った先の室池公園に向かいました。飯盛山から室池に向かう下りは、手入れの行き届いた植林、絵画調で撮りますと・・・下った沢に有ったこの清水、冷たくって美味しかったことこの上なし、乾いた喉を潤す為に何倍飲みましたやら。 コーヒーを淹れる為に持っていたヘットボトルの水も全部入れ替えました。水も美味しかったのですがその後・・・この野イチゴも味わえました。室池は標高300m程の高地にあるダム湖です。大体ぐるっと回ったのですが、特に写真に収める光景も無く、湖畔でランチとコーヒータイムをとり、野崎観音へ向かって左から右へ下山しました。一番高かった飯盛山では霞んで眺望が良くなかったのですが・・・野崎観音近くまで下りると・・・またまたアベノハルカスが方向を教えてくれました。正に「ランドマーク」てす。程なくついた野崎観音は・・・・♫ 野崎参りは・・・屋形船でまいろ どこを向いても菜の花ざかり 粋な日傘にゃ 蝶々もとまる呼んでみようか土手のひと・・・野崎参りは・・・屋形船でjまいろお染久松 切ない恋に・・・・・・・・♫ の歌で歌われたお染久松の心中事件で余りも有名。お参りを済ませたあと、案内に従い・・・2人の塚まで足を延ばしました。その後はJR野崎駅まではほんの10分足らずの下り坂・・・振り返りますと・・・こんな景色でした。・・・という事で昨日書きました通り、全行程10.5km、5時間10分の歩きを無事完歩出来ました。
2020.06.05
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昨日は誘って頂き、飯盛山(314m)・室池・野崎観音 に行って来ました。当然ながら帰っての体力は無く、ブログ更新、ご返事は休ませて頂きました。今回登山候補は他にもあったのですが、それを後回しにしてこのコースを希望したのには理由が有りました。それは四条畷神社と楠木正行(まさつら)像を見に行ける事に有りました。何故なら新太平記を読み終え、今、南北朝を読んでいるのですが、楠正成 (正行親子) が主役的立場にあるからです。待ち合わせ・スタートはJR・学研都市線の四条畷駅(緑〇)で、ゴールがJR野崎駅(赤〇)で青線の全行程10.5km、5時間10分の歩きでした。(因みに自宅出てから帰るまでの歩数は32400歩でした)四条畷駅から住宅地を抜けると、直ぐ四条畷神社の参道です。祭神は楠木正成の長男正行(まさつら)創建は明治時代。正行の父正成を祀るのは神戸の湊川神社で両方とも戦死した場所に祀られています。京都の豊臣秀吉が祭神の豊国神社も創建は明治時代です。徳川幕府を倒した明治政権が、民心を脱徳川に向ける為、徳川に倒された豊臣家や、南北朝時代不利を覚悟で南朝に与(くみ)した楠木親子を神様にしたのですから、それもおかしい話ではあります。(尤も徳川家康も、徳川家によって東照大権現と言う神様になっていますが)・・・・という事で、神戸湊川での戦いに赴く父正成が、父亡きあと天皇家につくすことを正行に命じての桜井の別れの銅像が有りました。因みに、楠木正成・正行親子が忠誠を誓ったのは南朝側、現天皇家は確か北朝側のはずなのですが・・・お参りを済ませると神社からは長い階段の急登・・・頂上には正行の大きな像が・・・・この正成・正行親子の桜井の別れは唱歌にもなっており、聞けばご存知と思いますが、上の親子の分かれの像も、皇居前広場にある父・正成の乗馬姿の像も出て来ますので、是非見て、聴いて下さい。 ここ です。因みにその皇居前ひろばにある正成像は我が隠れ家にも有りまして・・・・戦前の忠君思想華やかなりし時流行ったのでしょう、多分!!このあと室池公園。野崎観音に向かうのです、明日に続きます。それから、この日帰りますと・・・これが配達されていました。忙しく??? なりそうです。
2020.06.04
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17日に1人で登った交野山に昨日また登って来ました。昨日は山友達のSさんから交野山だけでなく、同じ山並みの国見山に登るけど一緒に登りませんかと誘われての縦走する形の登山でした。ひとりで行った時は何しろ幾筋も登山道が交差しているところなので、ガイドブック見ながらヒヤヒヤしながらの登山でしたが、登山はベテランSさんは、この周辺も知り尽されているので、後をくっ付いていくだけで良い気持ちの上では楽々登山でした。待ち合わせの京阪電車・私市(きさいち)駅から月の輪の滝を過ぎて暫くは前回と同じルートでしたが、前回休憩してハンカチを忘れた休憩所からは別のルートを案内してもらいました。前回は左へ進んだのですが、今回は右へ・・・程なく、巨大キノコ? が二つ出現、火山でもあるまいし待避所とは?? と思ったのですが、落雷豪雨の待避所でした。そして展墓台に登ると・・・前回は大阪、京都に眺望が開いていましたが、ここからは奈良方面が良く見え・・・右側が生駒山、左奥が葛城山で・・・もう少し左へ振ると・・・多分矢田丘陵でその向こうが法隆寺のはずです。そして、更に左へ振ると・・・・若草山が見えました。更に交野山に向かうと、峠の様な所に熊野古道の石碑が・・・熊野詣では京都から大阪天満の八軒屋までは淀川の船旅だったはずなので、まだその前の事なのか・・・河内から大和へ抜ける峠道だったのでしょうか・・・・。そこからの河内方面の眺めです。そして分岐を交野山へ・・・この辺りは前回通った道です。前回プレイ中の写真を載せました、交野カントリーですが。見下ろすとこんな感じです。そして、交野山の頂上ですが、前回は若者が沢山いて、コーヒー淹れるのも憚ったのですが今回は人影はまばら、前回削除してしまった比叡山と愛宕山が写った写真を撮ろうとしたのですが、今回は少し霞んでハッキリしませんでした。赤矢印が比叡山、青矢印が愛宕山です。前回はこの眺望の頂上・観音石で弁当とコーヒータイムだったのですが・・・今回は通過です。振り返り観音石を下から見るとこんな感じです。そして、分岐の休憩所で弁当とコーヒー。 前回は頂の若者の多さにびっくりしましたが・・・こういう風景ならいつもの通りで、何か癒されます。そして分岐を国見山へ・・・・交野山の標高341mに対し、ここは284m・・・。 交野山より京都寄りで、その名が示す通りの眺望です。西を見ると・・・赤矢印が小松製作所の枚方工場の建物、その向こうの方が我が自宅なのですが・・・(笑)北を見ると・・・交野山以上に京都が良く見え・・・・左の方に京都タワーが・・・アップしますと・・・・そして手前を見ると・・・・なんとなんと、いつも行く枚方国際カントリーのコースが丸見え・・・いつもゴルフしながら眺めていた? 山が国見山だったことに初めて気付いたのでした。そして下山すると登山道横の工業団地に仁丹の工場があるのです。この工業団地の反対側に面してゴルフ場が有って、いつも工場群の建物を見ているのですが、反対側に仁丹の工場があるのは知りませんでした。そしてJR津田駅へ向かう途中振り返ると・・・右側が今下りて来た国見山です。正にその名にふさわしい眺望の山でした。・・・という事で疲れから、昨日はブログ更新を休みましたが、今朝はと言うと前回程の酷い筋肉痛。倦怠感もなく、ほゞ通常に近い身のこなしが出来る状態でした。やはり、時々は山に登らないと体が鈍る事の証明でした。
2020.05.22
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昨日、ブロともさんのブログに触発(眺望の良さに) されて交野市(かたのし) の交野(こうの)山にひとりで登って来ました。場所は下の航空写真の数字の打ってある所なのですが・・・・(赤矢印は京都御所、黄矢印は桂川・鴨川木津川の三川合流地点)歩いたルートを拡大しますと・・・京阪電車・私市(きさいち)駅(緑丸)をスタートして、京阪電車河内森駅までの12.98km の歩きでコーヒータイム、ランチタイムなど含め、丁度5時間の歩きでした。数字の丸はkmを表しているのですが2kmと3kmの間が極端に狭くなっています。何故かと言いますと・・・・その部分を更に拡大しますと・・・進んで、引き返し、又進んだことを表すように3本の歩いた線が記されています。記録は正直です。休憩した場所にタオルハンカチを忘れたのに気付き取りに引き返したのでした。駅から分岐までは特に人気の「くろんど池」へのピクニックコースです。途中で分岐して・・・八つ橋を通過・・・アチコチ左右にツツジが咲いていましたが・・・ここはトンネルでした。三宝荒神の鳥居が現れると、巨岩の頂上は直ぐです。観音岩と言うらしいのですが、上に立つのも怖い程の巨岩です。京都から大阪まで一望のもとでした。通常はシニアが目立つ山頂ですが、日曜日であったためか、どこも休みの為か、はるかに若者の方が多かったのにはびっくりでした。北を向くと・・・中央少し右に薄く見えるのが愛宕山でその手前緑の島の様なのが男山八幡宮、その左が天王山で、手前は第二京阪国道です。ここでもう少し右へへ振って比叡山と愛宕山が一枚の写真に納まる写真を撮ったのですが・・・間違って削除してしまいました。そして、南を向くと・・・大阪方面です。更に左へ振ると・・・赤白の鉄塔の向こう右側にアベノハルカスが・・・・いっぱい拡大しますと・・・因みにアベノハルカスの高さは300m、 交野山の標高は341mです。さて、来た方向と反対に下山道をとると・・・ゴルフ場の真横を通りました。駐車場の車の数からして盛況に見えましたが果たして???長い下山道を下り切ると・・・大きなぶどう園が現れ・・・その向こうに今その上に立って来た、観音石が・・・・いっぱい拡大しますと・・・頂上にうっすらと人影も・・・・・・・・そして町歩きの後、往路で降りた京阪電車私市駅のひとつ手前の河内森駅へ・・・自宅から最寄りの駅までの往復歩数も合わせ、26,500歩の歩きと、久しぶりの登山で帰った後は、何もする余力無くPCの前に座る事もありませんでした。
2020.05.18
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今回の登山の目的のひとつは昨年火山活動の磐梯吾妻スカイラインの通行止めで登れなかった東吾妻山へのリベンジ登山だったのですが・・・・台風19号の被害で磐梯吾妻スカイラインがまたまた通行止めで東吾妻山登山は断念し、西吾妻山に登る事になりました。東吾妻山からは帰りの福島空港へは比較的近いのですが、西吾妻山からは遠いので時間的に頂上に立つことは諦めての登山でした。と言いますのは、西吾妻山は百名山に含まれているため2005/10に登っているのです。但し、今回と同じ10月だったのに、登山当日は凄い降雪の中、眺望無し、真っ白の雪景色の中の登山だったので、その時は山の様子も分からず、眺望全くなし、ただ登って頂上を極めただけだったので、今回はそのリベンジ登山という位置づけでした。さて、東吾妻山と西吾妻さんは連峰なのですが、登山口は遥かかけ離れていて、西吾妻山へは裏磐梯から山形県に入り、米沢市に登山口があります。その為に去年同様レンタカーでまたまた磐梯山を眺めながら・・・檜原湖を過ぎ・・・高度を上げていくと、眼下に今横を通った檜原湖が・・・・。左は勿論磐梯山です。そして山形県側に下った登山口からは・・・約5分のロープウエイと、3本乗り換えで約40分のリフトで途中まで登るのですが、そのロープウエイが台風被害で運行出来ず、ロープウエイ区間だけマイクロバスで登る(下りも)ことになりました。そのマイクロバスを下りると・・・・前に見えるリフトに乗ります。2回乗り換えて登って行き・・・乗り換え場所で振り返ると・・・向こうの方一部が雲海に覆われた米沢の町が見下ろせました。40分のロープウエイが終わると、いよいよ登山開始です。かなり登ってピークを過ぎると・・・・今まで見えていなかった西吾妻山の頂上が見えるのですが・・・ここからは下りです。木道の向こうが西吾妻山です。前を行く仲間二人が見えていますが丁度あの辺りで昼食&コーヒータイムを取って、そこから引き返すことにしたのですが・・・正面に、今回断念した東吾妻山(多分) が見えたのでした。そしていよいよ下山開始すると・・・正面にこれも百名山の飯豊(いいで)山(2105m)を望むことに・・・・この山は2006/8に登った山です。そして再びリフト、マイクロバスを乗り継ぎ・・・・登山口に下り、そこから福島空港へ走り。無事今回の登山旅行を終える事が出来ました。今回の登山はロープウエイやリフトを駆使した、丁度今の私には適した登山となりました。
2019.10.19
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今回の東北リベンジ登山は、結果としては全行程好天、眺望に恵まれた最高の登山が出来たのですが・・・リベンジはなりませんでした(笑)日露戦争でのバルチック艦隊との海戦における有名な秋山真之のこの電報が頭を過ぎりました。「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」差し詰め、「天気晴朗なれど通行止め多し」で全面的に計画変更となりました。伊丹から昨年は仙台空港でしたが、今回は福島空港へ、そして当日は遠く栃木県の奥日光の平家の里・湯西川温泉のこの源泉かけ流し温泉のペンション・ハミングバードに泊り・・・翌日は尾瀬近くの田代山と帝釈山に登る予定だったのですが・・・湯西川からの登山口までの道が台風19号の被害で通行止めだったのです。止む無く、約100km走って反対側の桧枝岐(ひのえまた)村の登山道から登るべく行って見ると、そこからも登山道への道が通行止めで断念、代わりに百名山の那須岳を目指すも、ここも通行止めで登山口までも行けず断念し、最高の天気、正に「天気晴朗なれど・・・」 台風被害は甚大でした。そこで目指したのが、これも百名山の安達太良(あだたら)山でした。諦めた那須岳は全員登った事あり、安達太良山は私は2回目でしたが他のメンバーは3回目の登山でしたが名山の為何度登っても値打ちのある山です。観光地でもあるため、駐車場には車がいっぱい、途中まではロープウエイで一気に・・・ロープウエイで高度を上げると紅葉・黄葉も進んでいました。右上のちょぼが頂上です。そして、遠くおっぱいの様に見えていたのがこの頂上です。上の写真の沢山人の立っている位置まで登ると・・・頂上へは一気のロッククライミングです。頂上まで登ると前方に火口が・・・日ロ戦争の「天気晴朗なれど・・・」引用しましたが、ここには何故か太平洋戦争時の「八紘一宇」の石碑が立っていました。そして、岩稜を下りて火口へ向かいますと・・・東には市街地が見え・・・火口の向こうには裏磐梯の秋元湖か? (翌日この近くを通るのですが)登山を始めるまでに走り回り、この山は午後からの登山で2時間56分でロープウエイの頂上駅まで下山しました。振り返ると・・・そして、ロープウエイで下山し・・・・宿泊地の岳温泉のこのペンションへ・・・昨年も泊った所で今年もここに書いています通りの行動で町の源泉かけ流しの銭湯に行きました。明日に続きます。
2019.10.18
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奥之院のある山頂は広く、360度のパノラマを見る為には山頂を歩き回らなけばなりません。我々が登山道を登り着いた山頂はどちらか言うと裏口みたいなこの入口です。ロープウエイで登った方がこの正面らしき入口から入る事になります。親を思うという意味の思親閣という立派な建物が有りました。先ず、元に戻ってこの立て札のある七面山を眺望。 ・・・と云うのは七面山は先日テレビの「ポツンと一軒家」で詳しく取り上げられたのを見て身延山とセットで登りたいと思ったのですが・・・七面山は標高1982m、この身延山の1153mより遥かに高く厳しい事が分かり諦めた山なのです。そして、北側展望台からは・・・八ヶ岳から3000mクラスの南アルプスの百名山に名を連ねる山々が見え・・・手前には甲府盆地まで望めました。そして東側展望台からはまたまた富士山が・・・ちょっと前に見た時は無かった雲が流れて来て、真っ黒の姿だけでなく少しは絵になる富士を望めました。眺望を楽しんだ後は・・・・このロープウェイウエイで下山です。(元々の予定の行動です(笑))ロープウェイで下りても、登りに苦労した菩提梯の287段の階段か、登山道を下りないといけません。階段を下りようとしたのですが、余りに急なので登山道を下りる事にしました。ところが階段を後50段程残すところで階段と登山道が接することになりましたので、あと少しなら階段を下りたのですが・・・段差30cmの階段を下りると、ドンドンと膝に衝撃があり大変な苦労でした。もし上から階段を下りていたら・・・・とゾッとしました。・・・・という事で好天の下、素晴らしい眺望も楽しんだ身延山登山を無事終え、この門前町ではこんなポスターも見かけ・・・路線バスでJRの身延駅へ出て帰路につきました。
2019.10.13
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昨日の続きです。 翌日は静岡県の富士宮市からJR身延線で富士川を遡り、山梨県の身延駅へ。 身延駅から路線バスで日蓮宗の総本山・久遠寺の門前町へ着くと目の前に目指す身延山が・・・。 立派な三門をくぐりますと・・・ 正面に287段の菩提梯と云われる階段が待ち構えています。 急な石段が苦手な人には登山道もあるのですが、豊臣秀吉の豊国廟の530余段に比べれば・・・と勿論石段を登る事にしたのですが・・・ 段差が30cmはあろうかという急な階段で手摺を手繰りながらやっとの思いで登りました。と云うより手摺を持たないととても登れないし、危険でもある急な階段でした。 登り終えて振り返ると・・・ 登り終えた場所には本堂や五重の塔などがある久遠寺です。 そして見上げるとロープウェイの駅が見える山頂です。 奥の院のある山頂は、ここからロープウェイで7分なのですが、歩いて登ると2時間余、勿論本堂横の登山道へ進みました。 曲がりくねった登山道を進んでいても、途中で遇った人はただの1人、ロープウエイがあるのに物好きに登る人は・・・・。 頂上に近づくと褒美の様に富士山が顔を出し始め、標高1153mの頂上に着くと眼下には曲がりくねった富士川の流れと身延の町が望めました。 パンフレットによりますと・・・ 「関東の冨士見百景」にも選定されている山頂展望台からは世界遺産の富士山・駿河湾・南アルプス・八ヶ岳連峰・法華経信仰の霊山七面山など、自然が織りなす360度絶景の大パノラマを満喫できます。 ・・・と書かれているのですが、その通りのパノラマを楽しんだのですが・・・・明日に続けます。
2019.10.12
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私は日蓮宗の信徒ではありませんが、ずっと以前から日蓮宗の本山・久遠寺のある身延山(山梨県)に登りたいと思っていたのですが、ついに実現することが出来ました。(既に登られたことのある) 登山仲間が案内を買って出てくださり、計画から案内まで全てお任せの登山でした。初日は新幹線で静岡まで、在来線に乗り換え、富士駅まで、そして身延線に乗り換え富士宮までの旅でした。前泊の富士宮では白糸の滝と浅間神社の観光をしました。富士山の伏流水の白糸の滝は余りにも有名な観光地なので、皆様も行かれたことと思いますが、私も確か3回目でした。しかし、かなり以前の事なので新鮮な気持ちで観光出来ました。高さ20m、馬蹄形に広がる巾150mの滝は圧巻、流れて来た川の水が落ちるのでなく、地下から湧いた水が落ちる滝は他にはないのでは??今まで行った時はこの滝を見て引き返したのですが・・・今回は遊歩道に誘われ、急な坂道を登り滝の上に行きますとこの様に滝を見下ろす光景は予想通りだったのですが・・・源頼朝の名前の書かれたこんな案内に誘われて小径を入ると・・・それはそれは綺麗な水が湧き出ているところがありました。そのあと路線バスで富士宮の町へ引き返し、富士山信仰の本家・浅間神社にお参りしました。ここでも富士山の恵みの飲みたくなるような綺麗な水の流れと池は素晴らしく、多分年中、一定の温度の冷たい水なのでしょう。そして肝心の富士山ですが、その名も『富士宮市』ながら、近くには見えるのですが、ちょっと形が良くなくこのようでした。一日目は駅前のビジネスホテル泊りだったのですが、さすが富士山の地元大きなリュックを担いだ白色系外人さんが大変多かったです。タイトルは身延山と書きながら、今日のところはここまでとして明日に続けます。身延山から見える富士山は恰好良かったです。
2019.10.11
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昨日の続きです。9年前の前回、馬越峠を下りて、熊野へ向かって尾鷲から眺めた八鬼山ですが、今回は逆方向の熊野から伊勢に向かう方向へ歩きました。下のランタスティックの記録の通り、宿泊した熊野からJRで30分弱だったと思いますが、尾鷲に向かって走り・・・、緑丸印の・・・三木里駅で下車して八鬼山へ向かいました。(勿論無人駅です)集落から外れて、さあ、今から山道と言う所に・・・自由にお使い下さいの杖が・・・私を含め、二人は杖をもっていましたが、お一人はこの杖を借用(下山口で返却)そして山道に入り、敷石道が始まるのですが・・・・ここはほゞ全行程苔むした敷石道で、見た目も写真も本当に綺麗なのですが・・・歩くのは大変です(特に下りは・・・)出来るだけ石に乗らずに石の継ぎ目へ足を着地しないと、すってんころりの危険と背中合わせなのです。その歩き難さは別にして、これほど全行程ほぼ敷石が続く熊野古道は他になかったのではと思いました。しかも苔の緑が綺麗で・・・。道中こんなペンキ書きが有りました。想像するに、世界遺産に認められたので、勝手に伐採等が出来ない規制が敷かれているのでは???・・・かと、思いますと・・・途中に分岐があり、左は明治道、右が江戸道とか。江戸時代までの道は急峻だったので、明治になって緩やかな道ができたのだと思います。世界遺産に認められた江戸道は補助金?で整備がなされているが、指定外れの明治道は整備されず放置されているのでしょう多分 ! 。勿論我々は江戸道へ・・・すると間もなく、広場になり素晴らしい熊野灘の展望が開けました。全体を納められませんが、三陸と同様のリアス式海岸です。熊野の町で海抜表示、避難ルート表示が整備されていたのも、さもありなんです。そして標高647mの八鬼山(やきやま)山頂です。何しろほゞ海抜0メーターから登って来ていますので正味これだけの高さを登ってきたことになり、最難関と言われるのも当然です。そして、下りに転じてもまだまだ苔むした敷石道は続きます。2本の杖を使っていたのに・・・・恥ずかしながら2度転びました。下山口を過ぎると、尾鷲の街、火力発電所の横を通り、車道を歩き・・・熊野古道センターがあるのですが、何しろ1時間半~2時間に一本の列車に乗らねばならず、ここはパスして・・・勿論無人駅のこの駅に到着、ここからは普通列車しかなく、距離は短いのに松阪まで確か2時間余の列車の旅でした。この日の歩行は5時間余、約31800歩の歩きでした。(下山後の歩数も含むので正味は約3万歩か?)そうそう、列車の時間が無かったので、途中での昼食はとれず(乗った列車のなかでとりました)歩行時間は正味です。・・・・という事で今回の熊野古道伊勢路歩きを無事完歩出来ました。
2019.09.22
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色々のルートのある熊野古道のうちの伊勢路の最難関・八鬼山(やきやま) 越えに行って来ました。振り返ると2019.4.19に同ルートの伊勢側の馬越峠を歩き、尾鷲の街に下りると真向かいにそびえる山が見え、熊野古道はその山八鬼山を越えて熊野へ向かっているが、最難所だと教えて貰って以来、いつかは行きたいと思っていたのですが、やっと実現したのでした。(当日のブログを見ると画像制限で画像がありませんでした)三重県の熊野とは下の地図での測定では直線では枚方から112kmの距離しかありません。ところが、丹波橋から近鉄特急、松阪でJR特急に乗り継いで自宅からの所要時間は・・・5時間弱を要し、時間的には東京より遥かに遠い地だした。しかも、同行者で京都・大阪の仲間は紀伊半島を松阪から時計回りでこの熊野市駅へ着いたのですが、和歌山からの仲間は勝浦方面から反時計回りで到着。何か日付変更線へ西から東から行った気分でした。世界遺産に認定された熊野古道、さすが街中も、山の中も案内板の整備はバッチリです。それから津波対策の海抜メーター数の立て札もアチコチに。今回は尾鷲近くの八鬼山越えを目指しているのですが、前泊を熊野市として観光地巡りでした。この松本峠は市内から直ぐ、熊野古道の雰囲気と鬼ケ城へのアプローチとして登りました。展望台からは「七里御浜」や山並みの眺めが楽しめました。松本峠、鬼ケ城から海辺へ下りてくると・・・観光地の鬼ヶ城です。浸食された岩肌が続く壮大なスケールの観光地です。ここへは約50年前に行っているのですが、記憶に残るより遥かに規模の大きい素晴らしい観光地でした。そしてここから七里御浜に沿って、2km弱歩いたところにあるのがこの獅子厳です。50年前と変わらぬ姿という事は、崩れそうで崩れないなかなか強い岩?です。初日の観光はこの程度で、明日の八鬼山越えに備えました。ところが天気予報が昼頃から小雨に変わったので当初の計画より出発を早める事にしました。熊野市駅から28分各駅停車に乗って八鬼山越え入口の三木里駅へ向かうのですが、当初の8:24発を早めようとすると何と1台前が6:46発なので、約1時間40分電車が無い、という事に愕然でした。これには余談が有って、食事を早めて貰ったのに旅館の女将さんが寝過ごして用意が出来ず、一人当たり600円返して、コンビニででも食べて下さいとこちらが恐縮する程の平身低頭気の毒になるほどでした。明日の八鬼山越えに続きます。
2019.09.21
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豊臣秀吉の辞世の句は・・・ 「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」 ですが、この句が頭をよぎった話です。 過日、京都新聞にこんな記事が有りました。 滋賀県を一周するトレイルで全長440km、(総高低差31,473m) と云う気の遠くなる程のトレイルコースが出来るとか。 京都市一周トレイルは以前は京阪伏見稲荷駅がスタート地点でしたが、今は伏見桃山駅がスタート地点となっても、高々80km・・・。 旧東海道歩きでもお江戸日本橋から京の三条大橋まで500km、それに比べたら、その長さだけでなく高低差を加味すると・・・・そこで浮かんだのが・・・ 『・・・・夢のまた夢』 滋賀県では地図に書かれている個々の山は踏破し、旧東海道も東海道だけでなく西国街道も合わせ日本橋から明石市まで歩いていますが、それも今思えば『若さ???』故出来た事で、60才を過ぎてその時は年取ったと嘆いていたのですが、今思うと、まだまだ若かった証でした。 そんなことで、このトレイルを踏破するなんてことは・・・『夢のまた夢』と思わざる得ません。 ところで話は変わりますが・・・若い時(60才過ぎです(笑)の登山シーズンと言えば夏、登山の為に夏を待ちかねていたのですが、今は夏は登山のシーズンオフになっています。 3000m級の山に登ると気温は地上に比べ18度程低く、涼を楽しむことが出来たのですが、今はそこまで到達する体力もなく、低い山では暑さとの戦いとなるので、年とって夏の山はお休みとなったのでした。 『ついに老いて 夢は穂高を駆け巡り』 元句 : 『芭蕉の『旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 』
2019.09.13
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北海道登山紀行と石見神楽の記事を続けましたので、少し間が空きましたが折角撮って来た北海道の山で咲いていた花々を載せます。 先ず最初は・・・「高山植物の女王」1.コマクサ砂礫の中の、他の植物が生育できないような厳しい環境に生育することから「高山植物の女王」と呼ばれている2. ゼンタチバナそして先日載せました3.ワタスゲこの花と言うか植物には思い入れが有りまして・・・咲いているのを見ると昔の事を思い出すのです。現役の神戸勤務の時、月に1度は鳥取へ出張していたのですが、鳥取市の繁華街に「ワタスゲ」というスナックが有りました。当時は仕事一筋?? で山に登るにしても奈良等近郊の山にしか登っていなかったので「ワタスゲ」を知らなかったのです。それでママさんに店の名前の「ワタスゲ」って何??? と訊ねると店に飾ってあった額に入ったワタスゲの写真を指さして、この花がワタスゲと教えて貰い初めて「ワタスゲ」を知ったという経緯があってのことでした。次は多分4.イワブクロだと思うのですが・・・花の知識が有りませんので爾後間違いがある可能性大です。これは調べると・・・5.キオン(黄苑) だと思うのですが・・・これも調べると・・・6.チシマフウロ(千島風露) orエゾグンナイフウロ (蝦夷郡内風露) ???・・・そしてこれも調べて・・・7.シロバナニガナ(白花花苦菜)だと思うのですが・・・ 同じく 8.ウツボグサ(靫草)あとは不明です。9.10.11. カトウハコベ(加藤繁縷)(エバーグリーン植物図鑑に問い合わせ判明)12.頼り無い事ですが、全ての花に番号に付けましたので、もし名前ご存知の方得られましたら番号で教えて下さい。お願いします。
2019.07.22
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今日(7/17)は前祭(さきまつり) 山鉾巡行の日です。 昨日は宵山でした。 宵山も山鉾巡行も今年はパスするつもりだったのですが、いつもコメント頂く東の料理人さんから宵山の日(7/16)の八坂神社での島根県は石見地方の『 石見神楽 』奉納の見物に誘って頂き、行って来ました。 神楽は午後6時30分開始で終わったのが9時30分過ぎで、家に帰ったのが11時前だったので昨日の更新は休みました。 山のことの続きを書きたいので、神楽の事は明日に回さして頂きます。 昨日の続きです。 前日の下見で摩周湖も、カムイヌプリも見たし、もう見えなくても諦めがつくと言いながら摩周湖の展望台まで行くと・・・・やはり・・・霧で何も見えません。 摩周湖側がこんな様子で・・・ 反対側の屈斜路湖方向はこんな状態でした。 霧も上がるかもと思いながらこの霧の方向・カムイヌプリへ向かい歩き出しました。 全長7km余りのこの地点まで歩いても・・・近くはこの様にはっきり見えるのですが・・・ 少し離れるとこんな調子で、摩周湖もカムイヌプリ等は全く見えない中の行進していると・・・ 下りて来た人があり、眺望は駄目でしようね??? と声かけると、何と「良く見えましたよ」との嬉しい返事が返ってきたのでした。 俄然元気が出て・・・頂上までの距離を縮めると・・・雲海の上まで登ったのか、確かにこの様に頂上が見えてきました。 そして、頂上に立つと・・・ 手前に摩周湖、その上、雲海の向こうに百名山の斜里岳が・・・ 因みに斜里岳は2007/6に登っているのですが、もう登れる体力はありません(はずです) 頂上での眺望を楽しみ、下山にかかり、振り返ると・・・登りの時より一層眺望が良くなり・・・右の眺望を最大にアップしますと・・・ こんな眺めでした。 更に高度を下げると・・・山全体が見えて来ました(右端が頂上です) そして更に進むと・・・登りには見えなかった摩周湖も追いかけてくるように見下ろせました。 そして、登山口でもある展望台に到着すると・・・朝は霧の彼方、何も見えなかった眼下の摩周湖に、今登って来たカムイヌプリも・・・ ・・・という事で大満足の登山を終えて・・・・昨夜の宿に連泊して・・・・ 翌日帰路につき、次の目的地に向かっていると・・・・素晴らしいおまけの景色を見る事が出来ました。 それは・・・・下の写真の小さい白い米粒の様に見えるものです。 なにしろ動いている車で発見した野生の丹頂鶴、とっさのことで上手く撮れませんでしたが・・・ こんな光景も撮れました。 このあと、この展望台で・・・ 地平線が見える程広大な湿原の中の(極一部の)木道を歩き・・・ 空港へ向かって更に移動して・・・・この展望台に寄ったのですが、もう湿原の眺めも満腹と休憩だけしてパスして空港へ向かいました。 因みに23年程前に仕事で釧路に出張した時、釧路湿原を眺める展望台へ連れてもらった事が有ったので、今回次から次へ寄った展望台が、ここも違う、ここも違うの連続だったのですが、最後の最後に寄ったこの展望台がその展望台であった事が分かりスッとしました。 これで北海道の登山&観光の記事を終わります。 長くなりましたので沢山撮った花の写真は後日載せさせて頂きます。 長らくお付き合い頂き有り難うございました。
2019.07.17
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昨日の続きです。雌阿寒岳麓のオンネトーをあとにして、行ったのが、弟子屈町と美幌町の境の屈斜路湖を見下ろす美幌峠でした。眼下の屈斜路湖の向こう、かすかに見えるカムイヌプリ(摩周岳とも) が明日登る山です。因みに、カムイヌプリのカムイはアイヌ語で神、ヌプリは山で、神の山という意味です。同じ名前の山が登別にもあります。アップしますと・・・正面がカムイヌプリのようです。さて、美幌峠と言えば、遠い昔の「君の名は」のロケ地、さすが遠い遠い昔の事がら、ちゃんとポスターが貼ってありました。ところで「君の名は」は現在はアニメの「君の名は」を思い浮かべられる方が圧倒的に多いと思いますが、私は、佐田啓二、岸恵子の『君の名は」を思い浮べる世代です。リバイバルで映画を観た時、美幌峠を見ながら、まさか行けるとは思わなかったのですが、今回のコースに組み込んで貰って行くことが出来ました。リバイバル映画を観て、美幌峠の事を書いているブログはここです。余談ながら、同じく「君の名は」のロケ地・雲仙も登山旅行の途中で立ち寄ったのでここに書いています。展望台にはこんな歌碑も有りました。 君の名はの事しか知らなかった美幌峠ですが・・・・美空ひばりも歌っていたのですね。さてこの日の予定は、ここから宿泊場所に行くことになっていたのですが、翌日行く摩周湖は何と言っても「霧の摩周湖」です。明日行って霧の中で見られなかったらと・・・今日のうちに一度行って見ようという事になりました。そして摩周湖展望台の駐車場へ行くと・・・幸運にもばっちり摩周湖が見えました。我々がここに着いたのが3時半頃だったのですが、駐車場の人の話では2時過ぎまでは霧で見えなかったとのことで幸運でした。案内板によると・・・私たちが明日登るカムイヌプリは現在地からこのようなルートを歩くことになります。そのカムイヌプリと言えば・・・はじめ見えなかったのですが・・・暫くするとこの様に頭を出してくれました。この尖った頂上を目指すことになります。・・・この日のうちに一応摩周湖は見られたので、明日見られなかっても、諦めがつくなぁなんて言いながら、この宿泊地「屈斜路原野ユースゲストハウス」に向かいました。さて、翌日は・・・・明日に続けます。
2019.07.15
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丹頂鶴公園、釧路湿原の観光を終えて着いたのが登山を目指す雌阿寒岳の麓のこの温泉です。ここは昨日書きました通り2007/7に一回目に雌阿寒岳に登った時来て、その良さが忘れられなかった温泉です。何しろ煙を吐く火山の真下ですから、湯量豊かなかけ流しで・・・5月に行った九州の法華院温泉同様、川がこんな状態です。温泉はというと・・・このような色で・・・夜の露天風呂もなんと風流な・・・温泉を堪能した翌日は、朝5時出発の為、朝食を旅館で食べる事が出来ず、おにぎりを握って貰って登山途中に朝食を摂りました。向こうに見えているのが、目指す雌阿寒岳(1499m) です。さて、登山口で登山届を出し、いざ出発です。熊注意の立て札は何処にでもありますが・・・具体的に出没日が書かれていると説得力があり・・・先に火山活動で登山禁止の時期が有ったと書きましたが、こんな立て札を見ると、やはり緊張します。さて、森林限界を過ぎると・・・景色が変わり・・・振り返ると、下山するオンネトーが見下ろせました。更に進み・・・頂上が近づくと・・・火口が見え出し、湯気か煙(赤矢印)がモクモクと・・・左後方に阿寒富士の頭も見えます。アップしますと・・・そしていよいよ頂上へ・・・右が火口です。雲海の彼方に・・・雄阿寒岳も見えました。頂上からの真向い煙の彼方には形の良い阿寒富士が・・・そして、登って来た道の反対側、阿寒富士の方へ向かって下山開始です。正面に阿寒富士を見ながら、雌阿寒岳との間を下山です。下山開始して振り返ると、煙モクモクのこんな景色です。更に下山すると・・・阿寒富士のジグザグの登山道まではっきり見えましたが・・・ここは登らずに・・・更に下山すると、オンネトーが見えて来ました。そのオンネトーに下山してしての絶景の眺めです。左が今登って来た雌阿寒岳、右が阿寒富士です。雌阿寒岳の左から登り、阿寒富士との間のVゾーンを下山したことになります。オンネトーからは少しの登りで、スタートした野中温泉に向かい・・・野中温泉手前で、ワタスゲを発見。登山途中色々の花を撮ったのですが・・・後で纏めて載せさせて頂きます(何しろ名前の分からない花ばかりなもので・・・)・・・という事でランタスティクの軌跡では赤丸印がスタートとゴールの野中温泉で、歩いたのはブルーの線です。そして、朝食とコーヒータイムを含んで6時間33分の歩きでした。このあと、屈斜路湖方向へ移動ですが、続きは明日に。
2019.07.14
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去年は雨に祟られた北海道登山でしたが、今年は全行程晴で仲間5人予定の観光&登山の全てを踏破出来ました。 今年は関空から たんちょう釧路空港へ、以後レンタカーを駆っての狙いは概ね次のテーマでした。 丹頂鶴、釧路湿原、湯量豊かなかけ流し温泉、煙吐く火山、君の名はのロケ地、霧の摩周湖 に2座(雌阿寒岳、カムイヌプリ)の登山。 初日、まず最初に行ったのが空港近くのここ 丹頂鶴自然公園です。 丹頂鶴は天井が解放された囲われた広いケージの中に番(つがい)で、さて10羽位いたと思います。 多分兵庫県豊岡市のコウノトリ公園と同じように羽根の一部を切って飛べない様にしているのでは?? こんな仕掛けが有りました。鶴の頭が回転して写真を撮る時に・・・ この様にして、常には閉まる構造です。 こんなクイズもありました。この板をめくると・・・ めくると2枚目に答えが・・・・ さて、鶴のあとは釧路湿原です。 なにしろ広い湿原なので周囲に何ケ所も展望所があるのですが、最初に行ったのがここです。(今回の旅で3ヶ所の展望所に行きました) 余り広いので切り取った写真では全体像が分かりませんが・・・・ 遠く霞んで見えませんが・・・明日登る百名山の雌阿寒岳、そして雄阿寒岳も見えるようでした。 (百名山を目指している時、2006/7には百名山の雌阿寒岳が火山活動で登山禁止だったので、代わりの山として雄阿寒岳に登ったのですが、その後雌阿寒岳の登山禁止が解除され2007/7に雌阿寒岳に登ったという経緯がありましたので雌阿寒岳は2度目となります) さて、駐車場近くのこの立て札を見て、青春18きっぷのポスターの様な客もいない鄙びた無人駅を想像して行って見ると・・・ 無人駅では有るのでしようが、異様に多くの「旅人」が・・・ 本数がこれだけしかないダイヤの丁度15時10分の列車を待っている客だったのです。 間もなく15時10分の列車が到着する時間だったので私達も待っていると・・ 入って来た列車は綺麗な観光列車で・・・ この駅に着いた時の列車の客はこんなものでしたが・・・この駅でドッと客が増えました。 この列車表示されている様に「ノロッコ」列車といって調べてみると歴史ある観光列車でした。 4両編成くらいだったと思いますが、一番後ろには・・・自由席の普通の列車も連結されていました。 このあとまたまたレンタカーを駆って行ったのがこの展望台でした。 その走行距離で・・釧路湿原の広さを実感しました。 ここでも先の展望台と同じような景色が展開していましたが、ここは観光客も少なく、居たのは外国人夫婦と、自転車で観光中の人だけでした。 このあと、雌阿寒岳麓の野中温泉に向かったのですが。明日に続けます。
2019.07.13
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昨日の続きです。蘇武岳の翌日は鉢伏山 1221m に登りました。鉢伏山はハチ高原スキー場の最高峰で麓にはスキーヤーのホテルや旅館、民宿が沢山あり、雪の季節にはさぞかし賑わうのでしよう。その旅館街を過ぎて、スキーリフトが沢山ある位置から登山開始しました。通常の登山と違い、スキー場の道を行く感じです。この道を真っすぐ登り、途中で右へ曲がり、見えている稜線を右へ進み・・・写真の右端が・・・下の写真に続きます。遠く見える高い所が頂上ですので、ぐるっと回りこむ形に登る事になります。・・・という事でひたすら進み右前方から山に入ります。案内板を見て、一瞬 6kmもあるのかとびっくりしたのですが、良く見ると・・・目指す鉢伏山とは違い向かいの氷ノ山への距離と分かり「助かった・・・」でした。稜線まで登ると・・・一旦下って又登る登山道の全貌が現れ・・・折角稼いだ標高を吐き出すように、下り道を進み・・・登りに転じると・・・間もなく頂上です。頂上と言っても、そこはリフトの終点でもあり、普通の山と少し趣の違う光景でした。頂上で小休止の後、下りに転じると・・・眼下にまるで絵の様なスキー場が見えました。右向こうは氷ノ山です。下の方はスキー場で丸裸の山でしたが、頂上直下は灌木の樹林帯で・・・何とかウツキとでもいうのでしようか・・・この花が沢山咲いていました。 (調べると「タニウツギ」の様なのですが定かではありません)下山後登山口でランチ&コーヒータイムを取り・・・・一泊二日、2座登山を無事終えて帰路につきました。
2019.06.16
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6/13~6/14の 1泊2日で兵庫県は但馬地方の蘓武岳(そぶがだけ) 1074mと 鉢伏山 1221mに登って来ました。いずれも関西100名山に含まれています。さて、一日目はJR福知山線で西宮名塩駅まで、駅で2人が合流して駅前からタクシーで中国道西宮名塩SAまで行き、和歌山から3人乗車のマイカーにピックアップしてもらい一路、養父市へ・・・今は町村合併で養父市になっているが、少しまでは村岡町であった道の駅『村岡ファームガーデン』横の登山口から登山開始しました。樹林帯で眺望のない登山が続きましたが、樹間から垣間見られたこの山が目指す蘇武岳だろうと、更に進むと・・・今度は進行方向逆側の展望が開け、これは間違いない氷ノ山が遠望出来ました。氷ノ山 (1510m) は日本200名山に名を連ね、2008.5月に登った山であり、明日この向かいの鉢伏山に登ることになっています。途中少しだけ杉の植樹帯が有りましたが、殆どが雑木林の登山道でしたが・・・高度を上げると、まるで根曲がり竹の様に雪の重みで傾いた木が多くなりました。この辺り、神鍋やハチ高原などスキーのメッカであり雪の多さの証明です。さて頂上に着くと・・・・今までの眺望の無さを帳消しにする様な360度のパノラマが待っていました。ただ、回り全てが山また山で、氷ノ山以外に特定出来たのがこの方向の・・・豊岡市の町と・・・手前の一の字の様に見えるのが但馬空港です。ガイド本に依ると・・・この山は旧村岡町(現養父市) と旧日高町(現豊岡市)にまたがる山で、今は亡き冒険家の植村直己が少年時代に登った山とか。元の会社の上司でその日高町出身の方からこの辺りに出張した折り、嫌と言う程植村直己のことを聞かされたのですが、神鍋のスキーの事は聞いたけれど 蘇武岳の事は聞かなかったなぁ・・・と思ったのですが、そうか登山には縁のなかった方だったからだと結論づけました(笑)・・・・そして下山後の宿は日帰り温泉でもあるここでした。アルカリ系の肌のすべすべする美肌に湯に入り・・・夜の食事は・・・但馬牛の本場、堪能までは程遠かったですが、一応但馬牛を堪能して明日に備えました。明日に続きます。
2019.06.15
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昨日の続きです。 青の洞門から福岡県に入り英彦山の麓、英彦山温泉に泊り、翌日英彦山を目指しました。 英彦山(ひこさん)はウィキペディアに依りますと・・・ 『福岡県田川郡添田町と大分県中津市山国町にまたがる標高1,199mの山である。耶馬日田英彦山国定公園の一部をなす。日本百景・日本二百名山の一つ。また、弥彦山(新潟県)・雪彦山(兵庫県)とともに日本三彦山に数えられる。 英彦山は羽黒山(山形県)・熊野大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験山」に数えられ、山伏の坊舎跡など往時をしのぶ史跡が残る。 ・・・・という事で三彦山の一つなのですが、私は弥彦山は息子が新潟に在住中に登っており、雪彦山は2011年に登っているので、三彦山踏破したことになります。 (雪彦山登山はブログに書いているはずと探すと、2011.04.17 に書いているのですが、当時の画像制限で画像は削除していました) さて、英彦山はこの銅(かね)鳥居からスタートして石段の多い参道を登る予定だったのですが・・・・ 一昨日、昨日の登山で疲れた身であるため、希望して、登りだけこの銅鳥居の横のスロープカーに乗る事なりました。 ワイヤーで引っ張るケーブルカーと違い、みかん畑等で使われているギャーで進む形式でした。 途中の花駅で乗り換えるまでは単線ですが・・・ 花駅から上は複線になります。しかも2両編成は写真の様に段違いになっています。 こんな複線はまるでケーブルカーの様に釣瓶方式で動くように思えますが、各々の線を独立した車両が走る様です。 花駅で乗り換え、終点(神駅)に着き、石段を上がると・・・ 英彦山神宮下宮(奉幣殿)で・・・ ここから頂上の上宮へはひたすら石段に続く山道の登山です。 やっとの思いで到達した上宮で扉を開きお参りし・・・ 祠の後ろの山頂の標識前でランチ&コーヒータイムをとりました。 実はこの山頂(中岳)は地図では標高1188mで、最高峰は往復10分程だったと思いますが南岳の1199.6mが最高峰です。 その南岳からの上宮の眺めです。 頂上を極めたあとは・・・スロープカーに乗らずに参道を歩いて・・・ ほぼ銅鳥居まで下り、振り返るとこんな眺めでした。 全所要時間5時間6分の山行のあと、泊まった英彦山温泉・しゃくなげ荘で汗を流し・・・・別府まで出て、夕方のフェリーで帰路につき、無事全行程を終える事が出来ました。
2019.06.02
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昨日の続きです。前日は曇り、一次雨でミヤマキリシマの咲く大船山、平治岳の頂上付近はガスが出ていたため、登頂を断念、翌日に出発を早めて平治(ひいじ)岳に登る事になりました。正面の高い山が目指す平治岳です。汗をかきかき高度を上げると・・・ミヤマキリシマの中を歩くがごとくの光景です。花は下から見上げるより、上から見下ろす方が・・・・頂上からの眺めです。右前方が多分久住山、緑の平地が坊がつる、その奥に小さく法華院温泉が見えます。目いっぱい拡大しますと・・・本来前日に登る予定だったのを翌日にずらしたため、あとを急がないといけません。坊がつるへ下り、長者原からマイカーで耶馬渓へ向かいました。目的の青の洞門へ至る道はさすが耶馬渓、渓谷続きでした。そして青の洞門に到着。ここは大学の卒業旅行で九州を回った時、観光しているのですが、殆ど記憶がなく始めて見るようなものでした。青の洞門と言えば菊池寛の「恩讐の彼方に」、史実とは違う菊池寛の創作部分もありますが・・・ほとんどを僧が手掘りで掘った隧道である事には間違いありません。なにしろ予定より、遅れた行程になっていたので、洞門をくぐり往復して、次の目的地・英彦山温泉に向かいました。明日に続けます。
2019.06.01
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今年の九州登山&観光旅行は・・・1. 九重・坊がつる散策、ミヤマキリシマ観光、法華院温泉(2006年以来2度目の登山です)2. 菊池寛の小説・「恩讐の彼方に」の青の同門の観光3. 日本三彦山 の一つ英彦山(ひこさん) の修験道場登山の3つでした。今年もまた、(往復とも)大阪南港よりサンフラワーに乗り・・・別府港に到着。午前中小雨が残ると言う予報ながら、早朝下船時は降っていなかったのでもう降らないかと思ったのですが、やまなみハイウエイを走っていると小雨が降ったり止んだり。そして、目的地の長者原(ちょうじゃばる)のパーキングに到着。長者原パーキング場の周りは広大な草原で・・・遠く見えるのが多分百名山の久住山だと思います。その草原の真ん中の木道を進む姿はまるで尾瀬のようです。(後述の坊がつる も)芹洋子が歌ったNHKみんなの歌の「坊がつる賛歌】の大きな歌碑も有りました。さて、雨ケ池経由で坊がつる へ向けて出発です。この辺りが確か標高1000 m余. 坊がつるの 標高が1200 m余です。坊がつるとは変な名称ですがウイキィペディアに依りますと・・・こう言うことです。坊ガツル(ぼうがつる)は、大分県竹田市にある標高約1,200mの高さに広がる盆地・湿原。九重連山の主峰久住山と大船山等に囲まれており、阿蘇くじゅう国立公園に含まれる。坊がつる、坊ヶつる、坊ガツル、坊がツル、坊ヶツルなどとも表記する。名称の「坊」とは寺院(久住山信仰の中核である法華院。現在の法華院温泉)、「ツル」は「水流」で川のある平らな土地の意で、つまり法華院近辺の湿地帯といった意味の地名である。 雨ケ池を過ぎ・・・・今まで登って来た道が下りとなり、坊がつるの到着です。周囲を山に囲まれた草原、湿地帯は正に小型の尾瀬です。左が翌日登った平治(ひいじ。ひじ)岳1642mです。目当てのミヤマキリシマに迎えられて・・・坊がつるの端っこの法華院温泉に到着。この頃にはガスが発生したり、パラパラと雨が降ったり・・・この川のを見て頂くと、豊かな湯量のかけながし温泉がお分かり頂けると思います。温泉からの坊がつるの眺めと左が平治山、右方向写っていませんが大船山です。当初の予定ではこのあと直ぐ大船(だいせん) 山 1786m に登りミヤマキリシマを楽しむことになっていたのですが、見える山頂は雲の中だったため、当日の登山を諦め、翌日少し低い平治山に登る事にして温泉でゆっくりしました。(上の写真は翌日の写真です)ただ、ミヤマキリシマと温泉の組み合わせ、百名山・久住山の基地でもある最高の人気スポットなので温泉の建物は大変な混雑でした。大船山の代わりに翌日登った平治岳については・・・・明日に続けます。
2019.05.31
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昨日は天気も良かったし、そろそろ登山シーズンが近いため過日書きましたこのダブルストックのテストを兼ねて裏から稲荷山に登る事にしました。ウオーキングに行ったのに、結果的には昔習った漢文を思い出に飛躍したのでした。さて、ランタスティックの計測を始めたのが、例のドンドン橋(正式には圓通寺橋)でした。あの綺麗だった枝垂れ桜もこんなには葉桜になっていました。ドンドン橋から5分も歩けば西国33ヶ所の15番札所・今熊野観音ですが、ここはパス・・・・ただ、この幟が・・・・この齢になると・・・厄除けには縁が無くなり久しいですが、ちゃんと別のご利益の用意があります。一番手前の登りに書かれているご利益です。今熊野観音脇から泉涌寺に出て、稲荷山へ向かうべきところ、いつもの習性で無意識に東福寺への道に進んでしまって少し遠回りになりましたが、日吉ヶ丘高校を過ぎたところで軌道修正(最後に載せています地図の赤線の部分)軌道修正後住宅地を抜けるといよいよ稲荷山への登りです。長い急傾斜道をひたすら登るのですが・・・ダブルストックの威力で比較的楽に登れました(笑)程なく四辻に到着、ドンドン橋から33分要していました。表参道からここまでは登りは長いので学生と白色系外人さんが目立ちます。勿論東洋系外人さんも多いですが・・・ここでスマホのチェックやプロ野球の経過を見たりして10分足らず休憩。階段を下りて・・・下に行けば行くほど、こんな姿が俄然多くなります。さすが外人さんに一番人気の観光地、この前載せました、シックな着物姿はまず見られませんる千本鳥居の混雑を避ける為誘導された道に、いつの間に出来たのか、真新しい建物のこんな店が・・・『啼鳥』・・・久しぶりに聞く言葉・・・・春 眠 不 覚 暁 (春眠暁を覚えず )処 処 聞 啼 鳥 (処処啼鳥を聞く )夜 来 風 雨 声 (夜来風雨の声 )花 落 知 多 少 (花落つること知る多少) こんな五言絶句を教えて貰ったのは高校一年の漢文の時間でした。漢文の授業は学外から その授業の為だけに、筧 文生 と言う若い先生が講師として来ての授業でした。その漢文の授業が面白かったので教えて貰った先生の風貌も名前も未だに憶えていたので、念の為にnet検索して見ると・・・・何と何と凄い学者になっておらる事が分かりびっくり。ついでながら・・・あの童謡の元のこの熟語「守株待兎」(しゅしゅたいと)も・・・・「株を守りて兎を待つ」木の切り株を見守って兎を待つことから、偶然の出来事をあてにする愚かさのたとえです。そうして、このたとえから、古い習慣やしきたりにとらわれて進歩の無いことの揶揄を表している。なんて書かれていますが、こんな言葉を習ったのも漢文の時間だったと思います。横道に逸れましたが・・・・昨日歩いたルートは下図の通りで・・・緑の丸がスタートのドンドン橋、赤い線が京都一周トレイルの正規のルートで、赤丸がゴールの京阪電車・伏見稲荷駅です。これだけ歩いて3.71km 休憩時間も合わせて1時間9分の体育と漢文の時間でした。
2019.05.12
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登山を始めたのが平成元年でしたので平成が終わる今年でまる30年になります。思えば30年良く登れて来たと思うのですが、ここ数年、体力中でも脚力の減退を痛感せざるを得ません。それで、この度4代目のストックを買ったのですが、今まで買ったストックの状況を振り返って見ると、自分の脚力・体力の減退は表すバロメーターである事が分かります。それはこう言うことです。。1. 若い頃はストックなんて全く使わずでした。2. ある時点で始めてストックを買い、厳しい山等で時々使うようになりました。 この1代目ストックは昔の500円札の裏側に使われた富士山の写真を撮ったという富士山が綺麗に見 える山梨県の雁ヶ腹摺山(がんがはらすりやま)で富士に見とれて山頂に忘れたのでした。 忘れるという事はまだ脚力があり、ストックが無くてもと云う事だったのです。3. そのストックを 無くしたので止む無く2代目ストックを買しましたが、段々ストックを使う事が増 え、ほゞ常用になり、使い過ぎたのか使い方が悪かったのか伸縮の機能が壊れたのです。4. 仕方なく3代目ストックを買ったのですがその事は2016.5.19のブログに書きました。 従来はI型のストックだったのですが、 段々ストックに頼る歩き方になって来たので、3代目で初め てT型にしました。正に杖として使うためです。 下の写真の白い方がその3代目なのです。 これは今も全く問題なく使えるのですが・・・・・5. 更に齢とって益々脚力が減退したのでこの度初めて2本セットの4代目を買いました。(ブ ルーのストック)体力脚力の減退をカバーするには道具に頼らざるを得ない厳しい現実?? です(笑)(2本セットは使い方からしてI型となります)
2019.04.26
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秩父の武甲山登山の翌日は奥多摩の御岳山の奥、大岳山に登りました。宿泊地の福生からJR青梅線で無人駅のこの駅へ・・・ここから約10分だったと思いますが、バスで御岳山ケーブル乗り場へ・・・終点で降りると前方にケーブル駅が見え・・・このケーブルの乗り場から、当初は登りだけ乗る計画だったケーブルでしたが、前日の疲れを引きずっているので往復ともケーブルに乗る事に変更、私としては『助かった! ! !』と云う変更でした。ホンの数分で登った上からの景色です。写真を撮り忘れましたが、JRの御嶽駅からこのケーブル山頂駅が見えていました。ケーブルを降りると宿坊街が続き、丁度生駒山の宝持寺の門前町のような雰囲気だと思いました。登りの道を少し行くと・・・御岳山神社に到着です。ここでお参りして・・・・祠の後ろの御岳山の山頂、標高929メートルへ・・・ケーブルに乗ってここまで来るのは『観光コース??』ですが、我々はここから往復4時間余をかけて大岳山へ向かました。前日の登山で疲れた身体をだましだまし、やっとの思いで到達した大岳山(標高1266m) の眺望は素晴らしい上に・・・何と言っても富士山が目の前に見えることによって、それまでの疲れを吹っ飛ばす感激の眺望でした。この大岳山、標高はそう高くないですが日本200名山に数えられているのも至極当然と思いました。そうそう、それからこの山は花の100名山にも数えられているだけ有ってカタクリやスミレなど花も沢山見られたのですが、疲れた身体を動かすだけで精いっぱい、カタクリの花だけは撮ったのですが・・・・なんとピンボケ写真で載せる訳に行かず花の写真は無しの紀行となりました。・・・・という事で、素晴らしい眺めに満足して復路もこのケーブルに乗り・・・全行程9.37km 4時間55分の山行を何とか無事終え、青梅線から中央線で東京へ出て新幹線で無事全行程を終えました。
2019.04.22
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2日目に日本200名山の武甲山(1304m)に登りました。西武秩父駅からタクシー2台に分乗、この生川(うぶかわ)登山口まで確か2600円程の距離でした。下の白い案内は昨年7月にクマが出たので注意してくださいと書かれています。登山口からはずっと植樹林帯が続き、ほぼ頂上まで眺望がなく、ただひたすらの登りが続きました。頂上ちょっと下に御嶽(みたけ)神社の祠があり・・・その裏、もう少し登ると頂上1304mなのですが、フェンスの下は石灰石採取の為に切り立った崖でした。元の標高は1336mだったとか。その分眺望は最高で秩父市街を見下ろせて・・・アップしますと・・・昨日散策してこの武甲山を仰ぎ見た芝桜の羊山公園が真下に・・・眺望を楽しんだ後、三つ葉ツツジ等を楽しみながら下山、長い長い林道を歩き・・・凄い崖の下にお堂があり調べると『秩父観音札所34カ所』の28番札所の橋立堂というらしいのですが、その横に『橋立鍾乳洞』があったのですが疲れた身体なのでパスしました。それにしても一枚の写真に納まらない程の断崖絶壁でした。ここからはアスファルト道を少し歩くと秩父鉄道の浦山口駅です。この駅、時間帯にもよるのですが、我々が到着したら列車が出た直ぐあと、次の列車は???と云うと何と1時間に1本!!! それでも待つしか仕方なくほぼ1時間待って次の列車に乗り・・・同じ秩父鉄道で途中乗り換えてホンの数分の乗車で御花畑駅に到着。秩父鉄道御花畑駅から西武電鉄秩父駅はすぐそこでした。秩父駅から振り返ると・・・左の山裾から登り・・・右へ下山したことになります。西武秩父駅から東飯能駅まで行き、JRに乗り換え福生まで。福生で2泊目をして明日に備えました。明日に続きます。
2019.04.20
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埼玉県秩父市の武甲山と東京都奥多摩の御岳山、大岳山に登って来ました。メンバーは和歌山から2人、京都・大阪から各1人、千葉からの1人の計5人でした。歳とっての最近の泊まりがけの登山は殆どが、全行程仲間のマイカーに便乗させてもらうか、飛行機やフェリーで移動したのちレンタカーで登山口まで行き、登山口の車の中に荷物を置き、軽いリュックでの登山がほとんどなのです。ところが、今回の登山はレンタカーなしで公共交通機関とタクシーを駆使しての登山なので宿泊用具や着替え等全荷物を担いでの登山で負荷が大きく、武甲山はピストン登山でなく、登山口から反対側の登山口に下りる為途中断念は出来ず、何がなんでも頂上を極めないといけないので気分を引き締めての登山となりました。さて、初日往路は新幹線で新横浜まで、そして横浜線で八王子、八高線で東飯能まで行き、西武電鉄秩父線で横瀬駅までの長旅でした。今回の登山期間の天気予報も良く、新幹線からも富士山がバッチリでした。そして西武電鉄のこの駅で千葉からの仲間と合流して歩いて行ったのは・・・芝桜の丘 羊山公園です。後に見えているのが今回2日目に登る武甲山です見ての通り段々に切り取られているのはこの山がセメントの材料の石灰石の山で長年切り取られて来たため形を変えて来ているのです。この山へ登りたいと思ったのは・・・2005年5月に日本百名山の雲取山と両神山に登った時、西武秩父駅からの移動中に無残な姿のこの山を眺めたのがきっかけでした。さて。歩く事暫し、入口で300円の入園料を払い中に入ると・・・それはそれは素晴らしい別世界がそこに有りました。まだ満開では無いようですが、一面の芝桜は何処からでも『絵』になる光景で・・・・私らの様に翌日武甲山登ろうとする者には、尚更の最高のロケーションでした。場所柄少し遅い桜もほゞ見頃で、前泊地の旅としては最高のものとなりました。この公園、我々が入ったのは裏口のようで、公園を横断する形で表口から出て、歩く事10分程で、西武・秩父駅に到着。駅前のホテルに投宿、明日の登山に備えました。その登山については・・・・明日に。
2019.04.19
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昨4/11に毎年恒例の和歌山・紀の川市の雨山中腹のワラビ採りに行って来ました。JR和歌山駅から乗り換えの和歌山電鉄、昨日は初めて乗る『うめぼし号』でした。乗ってびっくり・・・ネコ駅長効果で(外人さん)観光客も多いからだろうと思いますが車内に和歌山の特産品の展示までされていていました。座席、内装は木製の豪華版でした。木材は勿論和歌山産なのでしょう。そして今までに何回も載せていますが、行違う電車を順に撮ったのですが・・・キョロキョロしているとあっという間に終点の貴志駅へ。この日は確か『にたま』と云った2代目駅長は非番?? なのか空席?でした。この駅前でピックアップしてもらい総勢5人でのワラビ採り部隊結成です。毎回載せていますシュロ林の写真を今年も又撮って来たのは・・・うめぼし号にこれが展示されていたからです。梅干し、ミカン、桃、柿、桃などと同様、和歌山の名産シュロのホウキやタワシは外国の安いものに苦戦しているためシュロ畑(?)も今や放置林で荒れ放題です。・・・という事で昨日はこれだけ収穫しました(貰ったものも含んでいます)そうそう収穫は・・・・ワラビ、イタドリだけでなく・・・手作りの豆腐とおからも有りました。わざわざ朝早くから作ってもらった豆腐です。さすが手作りの豆腐、豆の香りぷんぷんの逸品でした。
2019.04.12
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