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昨日の続きです。生憎の天気の為、大深岳登山は中止し、秋田の田沢湖と「桜と武家屋敷の町・角館」観光に充てることになりました。岩手県から秋田県へ戻る山の中ではアチコチに白い煙がが上がる小さな露天の温泉が沢山有りました。国道にあった、このふけの湯の看板の下の谷を見ますと・・・この様に谷全体に白い煙が上がっており・・・これは確か玉川温泉です。がんの治療では有名らしいです。そして一周20kmの田沢湖を一周したのですが・・・ウィキペディアに依りますと・・・最大深度は423.4mで日本第1位で、湖面標高は249mであるため、最深部の湖底は海面下174.4mということになる。 この深さゆえに、真冬でも湖面が凍り付くことはない。そして、深い湖水に差し込んだ太陽光は水深に応じて湖水を明るい翡翠色から濃い藍色にまで彩るといわれており、そのためか日本のバイカル湖と呼ばれている。・・・・と言うことですが、確かに水はこんなに綺麗な色で何の魚か分かりませんがこんなに群れていました。そして黄金に輝くこの像は・・・詳細は割愛しますがこの湖に伝わる辰子という少女伝説の像らしいです。 次に行ったのが黒塀の武家屋敷と桜で有名な角館です。 前々から弘前の桜とここの桜を見たい見たいと思っていたのですが、弘前同様桜のシーズン外の訪問となりました。グーグルでお借りした画像では桜季節にはこう言う風景になるのですが・・・・今はこんな緑一色でした。びっくりしたのは枝垂れ桜の大きさ、高さでした。 木を良く見ますと・・・枝垂れ桜であるのに、この様にちょっと桜の葉ではないような形なのです。この様に天然記念物であるので特殊な種類なのでしょう。桜の季節は勿論素晴らしいですが、緑一色の町もまた格別でした。これだけの町並みを保存は凄いとつくづく思いました。沢山ある武家屋敷も非公開、有料公開、無料公開に分かれており・・・数軒あった無料公開の武家屋敷の庭及び庭から家の中を見学しました。雨で登山中止のお蔭で長年行きたいと思っていた角館に行くことが出来た後・・・次に向かったのが、今夜の宿 乳頭温泉卿の鶴の湯です。乳頭温泉卿には7つの温泉があって、計画を組んで貰った段階では地の利の良い、別の温泉に泊まる計画を組んで貰っていのですが、少し移動距離が長くなったのですが私が長年行きたかった鶴の湯に変更してもらったのでした。その念願の秘湯鶴の湯に向かったのですが・・・明日に続けます。
2015.07.26
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今年の登山は今迄好天続きで雨には一度も遭わなかったのですが、今回遂に帳尻合わせの様な天候で、『登山と温泉』目的の旅が『ちょっと登山と温泉三昧と観光』の旅になりました。今回の登山隊は計6人でした。 和歌山の2人、大阪の2人がJALで秋田空港に着きレンタカーでJR秋田駅で千葉と浜松からの2人と合流し、秋田から岩手県へ向かいました。岩手に入り主峰の岩手山を時計の逆回りに巻く形で今夜の宿松川温泉に向かったのですが。途中でここに寄りました。南部富士とも呼ばれる岩手山は標高2038mの噴火警戒レベル1の活火山です。 左稜線下の山腹の白いものは雲ではなく、噴火の煙と思います。 因みに私は2007年にこの山を登り噴火口の周りを歩いたのですがその時も煙が出ていました。焼走り溶岩流は・・・下に記されている様に1732年の噴火の溶岩流らしいです。広大な面積を埋め尽すこの溶岩流の体積たるや如何ばかりなのでしょう??上の写真の様に溶岩流の中を歩ける場所から車ですぐの少し高い位置に櫓の展望台があってそこからの眺めはこんな景色です。その傍に、地元宮沢賢治の長い長い詩の石碑がありました。そして今夜の宿・松川温泉に向かい山の中に入っていきますと・・・長く続く無粋なこんなものが・・・。 地熱発電所が有るのですが、この景色を見ただけでも温泉の湯量の豊かさが分かる様です。目的の松川温泉は・・・客室が多い大きな温泉宿だったのですが・・・なんと何と他の客は無く我々6人の貸切でした。そして温泉は室内にかけ流しの大きな浴槽と・・・こんな露天風呂があり・・・どっと流れ出る温泉は少し乳白色で・・・泉温が高いので横にはフロントで買った卵を温泉卵を作るこんなものがありました。移動が主の当日は晴れていた天気も翌日の予報は間違いなく雨、登山は中止、観光に切り替えのため、気分的にリラックスし・・・・噴火の煙と山端に出た月を愛でながら貸切の露天風呂でを楽しむことが出来ました。そして翌日は近く岩手・秋田県境の大深岳(1541m)に登る予定でしたが予報通りの雨、観光に切り替えました。その大深岳はもともとその次の日に登る秋田駒ヶ岳・乳頭山の近くの山と言うことで決まった山でしたので諦めも早いものでした。・・・と言うことで宿泊は岩手県でしたが、翌日には秋田県に移動し観光をしたのですが明日に続けます。
2015.07.25
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昨日の続きですが昨日の記事に訂正があります。登頂断念したカミホロカメットクをタイトル始めカミホロカメックと書いた部分がありました。 正式にはカミホロカメットクです。 富良野岳は花の百名山に名を連ねるだけあって登山道は沢山の花で満ち溢れていました。歩きながら全ては撮れませんでしたが撮れた花だけでも・・・(名前の大半は花博士に教えて貰ったので間違いないと思いますが頼りない記憶力ですので間違っているかも知れません)イソツツジ エゾコザクラハクサンイチゲミツバオウレンエゾツガザクラチングルマハクサンチドリハクサンチドリとチングルマの絵画調共演他にも色々咲いていたのですが・・・中でも高山植物の女王『コマクサ』なのですが、蕾のものがそこそこあったのですが、咲いているものを撮ろうと思っているうちに通り過ごしてしまいました。・・・と言うことでグーグル画像からお借りしました。 当日スタートを早めたのとカミホロカメツトクを断念したこともあり時間的に少し余裕が出来たので美瑛に寄りました。時間的にここしか寄れなかったのですが・・・とにかくびっくりです。大型バスでドッと来る中国人(韓国、台湾も??)観光客で満ち溢れていて、日本人いるの???と言う状況でした。写っている人は多分みんなそうだと思います。とにかく凄かったです。・・・ここから道央自動車で千歳まで帰り、レンタカーを返し、翌日関空へ向けて帰りました。今回は往復ともピーチ便てした。
2015.07.16
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昨日の続きです。 今日は酷暑の中のゴルフでしたので常なら更新を休むところですが長い行程の記事の途中ですので書かねば・・・です。 富良野岳から下って、今度は前に見える縦走路を登り・・・・三峯山を通過・・・(後ろに見えているの一番高いピークが今下りて来た富良野岳です)そして高度を上げ上富良野岳に近づきますと富良野岳もくっきり見えはしているのですが・・・ここからは前方の景色がコロッと変わります。 十勝岳のピークと左の方に白く見えるのは噴煙です。そして上富良野岳のピークに立ち・・・こんな景色を楽しんで・・・ 正面に見えるこのカミホロカメットクに登る予定だったのです。アップしますとこのピークなのですが・・・・ ここへは往復30分のピストンで登れるのですが・・・このカミホロカメットクから下りて来た人が『十勝岳の火山ガスがカミホロカメットク頂上方向へ流れて来ているので、登るなら濡れタオルで口を覆って言った方が良い』と話してくれたのです。このガスが流れているというのです。我々はそんな危険を冒してまで登る気はさらさらなくピーク登頂は断念し下山にかかりました。、(私個人的にはもう体力的にいっぱいだったので渡りに舟??でもあったのですが)富良野岳への登りは緑の中が多かったのですが、ここの下りは一転、こんな景色ばかりでした。雲海が無くなった上富良野の町を眺めながら・・・登りにあったのより長い雪渓を下り無事下山出来ました。北海道の朝は早くて、午前3時過ぎから明るくなって来ます。 今回の山は縦走ラインも長いし、下山後千歳まで帰って、レンタカーを返さねばならない為(千歳のホテルに泊まるのですが) 少しでも早い方が良いと登山開始の予定の5:30を早め4:35に登山開始しました。そして登山口到着が12:32でした。途中で昼食とコーヒータイムをとったとは言え、カミホロカメットクをカットしたのに、それでも約8時間の山行でした。昨日書きましたが富良野岳は花の百名山で沢山の花に出会ってきましたので。その花のこととと帰りに寄った美瑛の景色について書かして貰いますのでも明日もう1回だけお付き合い下さい。
2015.07.15
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昨日続きです。士幌町から狩勝峠を越え富良野に入りますと、夕張より観光客が多いからなのでしょう、 やたらメロン販売の店があって夕張より遥かに多いのです。長いドライブを癒すためみんなでメロンを食べたのですが、もう少し早く写真を撮っておけばと言う写真になってしまいました。沢山買って宅配依頼をしているメンバーもいました。富良野平野から北東方面の眺めなのですが・・・アップして、赤矢印が明日登る花の百名山・富良野岳、黒矢印が日本百名山の十勝岳です。そして左遠方に大雪山です。因みに明日登る富良野岳には2010年に、十勝岳には2005年に、大雪山・旭岳には2006年に、大雪山・黒岳には2013年に登っています。そしてこの夜の宿は富良野の町を見下ろす標高1200mにあるここです。詳しくはここ翌朝には富良野の町は雲海の下です。富良野岳は花の百名山で緑の山ですが、隣の十勝岳は今も煙を吐く活火山です.と言うことで登山口には噴火監視のテレビが設置されています。左安政火口、右富良野岳を右に進みますと・・・富良野岳は緑の山になるのですが、やはり雪渓を登る個所がありました(下りにももう一ヶ所ありました)これが目指す富良野岳頂上です。出発からかなり時間が経過していたのですが、まだ雲海が残っていました。後方を振り返ると右が十勝岳、左後方が大雪山です。そしていよいよ頂上です。花の百名山の名の通りのお花畑です。そしてついに頂上、360度の大パノラマです。 ちょっと分かり難いですが旭川の町まで見えました。前回この山を登った時はピストンで下山したのですが、今回は三峰山、上富良野岳、上ホロカメットク山へ縦走して登山口に下りるという長いルートのため、早々に下山開始して次の三峰山に向かいました。下の稜線を進み右端の山の方向です。明日に続きます。
2015.07.14
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昨日の続きです。登山初日は然別湖(しかりべつこ)を抱く様に聳える北海道百名山の白雲山と天望山にチャレンジでした。初日は足ならしと聞いていたのですが結構登り堪えのある山で下山後然別湖畔を歩いてスタート地点に戻るのに1時間かかり、なかなかの山でした。頂上付近では・・・どこも晴れているのにここだけは白い雲が湧いたり消えたりで正に『白雲山』でした。 眼下にブルーの湖面と白いホテル・・・見下ろせば今登って来た然別湖が見え・・・そして・・・ちょっと分かり難いですが遠く山越しに雪を被った大雪山が望める素晴らしい眺めでした。そして白雲山を下山して鞍部から今度は天望山への登りです。天望山からの眺めも白雲山からのものと良く似ていて・・・大雪山はこの山からの方が良く見えました。ゴゼンタチバナはどこの高山でも良く見るのですが、 こんなに群生しているのは見たことがありません。こんな群生が沢山あったので秋には赤い実が沢山見られるのでしょう。そしてこれは花博士に教えて貰ったツマトリソウです。 そして上から眺めていた然別湖畔まで下りたのですが・・・湖岸の約1時間の歩きは疲れた足にはなかなかのものでした。下山後こんな風に雪の残った大雪山の景色を見ながら次の目的地の富良野に向かいました。明日に続きます。
2015.07.13
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昨日の続きです。夕張から日高山脈を越え、振り返り日高山脈のこんな景色を見ながら・・・上士幌町・糠平温泉のこのユースホステルに到着です。ここは3度目の宿泊で1度目に泊まった時背負われていた子供が小学生になっており、そんなことでも年の過ぎる早さを痛感しました。夕食の時の観光地などの説明でダム湖の糠平湖が20年来の水の少なさで『タウシュベッ橋』始め旧JRの廃線の橋梁が橋脚の下まで見えていると聞き、翌朝食事前に車で一走り見に行きました。 ダム建設で出来た大きな糠平湖に沈んだ旧国鉄士幌線のコンクリート製の数本のアーチダムが湖の水位が下がると顔を出し、眼鏡橋になり、もっと水位が下がると全体が現れます。この橋について詳しいことはブロ友のあすかのそらさんが昨年見に行かれて詳しく書いておられるので見てください。ということで詳細は割愛します。 ここです。 ダムの堰堤近くから遠くを見ると・・・その一つが見えますがこの辺りにはまだたっぷり水があるのですが・・・上流側に車を走らせ・・・駐車場に車を駐め、この廃線跡を通り・・・少し林の中を進みますと・・・目的のタウシュベツ橋が見えて来ました(数年前にブログに書いたことと同じですが)上に『新しい線路に敷き替えられた・・・』と書かれている新しい線路が廃線となったのが上の廃線跡の写真です。因みに水が多い時はこう言う光景で、もっと水が増えると完全に水没するらしいです。この後、朝食を済ませ、向かったのが然別(しかりべつ)湖畔の二つの山なのですが・・・ 明日に続けます。
2015.07.12
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次に行ったのがこの高崎山でした。高崎山の猿と言えば過日生まれた赤ちゃんの名前にシャーロットの名前をつける、つけないでひと悶着あった結果、結局名前はシャーロットに決まりましたが大変話題になりました。そのシャーロットはいるのか?? 結論はいませんでした。海側には水族館がある向かいの山が高崎山です。高速道路などから見ると独立峰のようにはっきり見える高崎山もこの方向ではどれが高崎山か分かり難いです。陸橋を渡り・・・入場券を買い、5分足らず小さな2両連結のモノレールに乗り・・・降りますと・・・そこは『猿の世界』です。子育中の猿が多いのにはびっくりしました。間もなく、おやつの時間? か 小さく刻んださつま芋をリヤカーに載せて撒きながら走るのに猿が群れ、取り合いをする姿は弱肉強食そのもので圧巻でした。所で先日ここで生まれた赤ちゃんにシャーロットの名をつけるか否か話題になり、結局は当初の通りシャーロットと名付けされたことが報道されていましたが・・・そのシャーロットはどれ??と訊くと・・・・午前中にはいたが今はいないというのです。その理由は??? 下の案内で分かることなのですが・・・ シャーロットはC群の猿の子で午前中はC群がいたので勿論シャーロットもいたのですが、午後にはB群に入れ替わったのでシャーロットはいないと言うのです。 因みにA群は消滅して今はBとCだけらしいです。 ところで高崎山の猿と言えば・・・古い話で恐縮ですが、関口宏のお父さんの佐野周二が主演の『ただいま零匹』と言う映画がありました。子供のころ見た映画なのですが良く憶えているのです。観光客を誘致する為に高崎山の猿を餌付けしょうとして苦労した市長を佐野周二が演じていたのです。別府や阿蘇には行く機会が何度かありましたが、高崎山に行ったのは初めてでしたのでふと、その映画のことを思い出しました。その映画を検索してみると・・・1957年の映画でした。 その映画についてはここを。 そして頃も良し、別府へ向かい、別府港からフェリーで帰路につき、無事4泊5日の九州登山旅行を無事終えることが出来ました。長く引きずった紀行にお付き合い頂きありがとうございました。
2015.05.27
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フォト蔵はまだ調子が悪いですが何とか手間かけてアップロード出来ましたので更新させて貰いました。 3日目の登山は宮崎から大分に入り佐伯市と津久見市の間の彦岳でした。前日の厳しい登山の後なので軽く登り、後は帰りのフェリーの時間まで観光という、疲れが残る身にとっては『ありがたい』行程を組んで貰っていました。彦岳と言えば・・・福岡県の英彦山(ひこさん)と間違うような名前ですが全然別の山で、標高693m、登り1時間40分、下り1時間20分の山でした。この山も信仰の山で登山口は鳥居をくぐり・・・ 登って行くと・・・別府方面に左が由布岳、右に鶴見岳が見え・・・津久見市が見え・・・上の写真の右の切れている先がこの様になっています。国東半島かと思いましたが違っていました。四国もうっすら見えていたのですが写真には納まりませんでした。途中にもある鳥居をくぐって行くますと・・・頂上です。上の津久見市方面の逆方向の佐伯市方面です。信仰の山はこんな立派な祠があり、支那事変戦勝記念と彫った石碑もありました。頂上で昼食とコーヒータイムをとって、下山し次に向かったのが・・・ここです。石仏は昔は露出していたものが今は保護の為、全てこう言う風な屋根付きででした。この大日如来は・・・この様に首の所に接ぎ目があります。昔の写真ではこんな無残な姿だった様です。以下順不同ですが・・・・・・ここを見学して別府方面に向かい、もう一ヶ所最近話題になった観光地に寄ったのですが明日に続けます。
2015.05.26
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登山2日目は延岡市の西北、車で約1時間の大崩山(おおくえ 1644m)でした。この山は一昨年、昨年と連続挑戦しようとしたのですが登れなかった野です。一昨年は下の地図の渡渉点まで約1時間登りながら、天気は良いのに橋が流されている上に水嵩が多くどうしても渡渉出来ずに引き返したのです。そして、昨年も天気は良かったのですが、前日に雨が降った為岩場が多く危険な山のため又々断念して、今回3度目でやっと登れって来ました。 一昨年の記録はここ(但し画像制限で画像は削除されています) そして昨年の記録はここ 登りは地図の渡渉点から上のルートで、岩場が少ないコースだったのですが距離は長くて大変でした。登山口を8:25に出発して、行程が長いの出途中で昼食したとは言え、山頂到着が13:50、5時間余の登りでした。下山は地図の下のルートだったのですがスリリングなハシゴ、ロープの連続の3時間35分を要し登山口に到着が17:30分でした。上に書きました渡渉点 から上を見ますと目指す山はこんな岩山です。一昨年のブログにも書いていますが、2年も経っているのにまだ橋は流れたままで固定金具だけが岩に残っている状態で・・・・渡渉ルートを探しながら岩の上を飛んだり跳ねたりして・・・やっと全員無事渡渉出来ました。岩場が多いのは下りに使うルートなのですが、登りのルートにも岩があり・・・ロープを掴みながらでないと進めない個所もありましたがこんなのは下山ルートに比べると大したことないものでした。普通は頂上で昼食なのですが、余りに長い登りですので途中の眺めの良い所で昼食をとりました。遠く見えるのが多分数年前の登った日本百名山の祖母山のはず・・・そして、こちらは数年前に登った傾山だと思うのですが・・・自信はなく、逆かも知れません。やっとの思いで山頂に到着したのですが、長い下りが待っていて時間的余裕がないので・・・下界の眺めを楽しむと直ぐ下山開始です。 下山ルートは殆どが岩場で・・・ロープや・・・ハシゴの連続で・・・ここではロープと・・・・ハシゴの両方を使うなど・・・ 久しぶりのロッククライミングを楽しめました。・・・・と言うことで上にも書きましたが、下山時間が17:25分と言う長~い登山を無事終えることが出来たのですが、長い行程のため、さすがに疲れました。そして車で1時間、連泊のホテルに帰って明日に備えました。明日に続けます。
2015.05.24
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昨日の続きです。間もなく霧が晴れて来たので登山開始です。 暫く樹林帯を進みますと山一面のキリシマツツジが見えてきました。火山特有のこの地質、まるで砂丘を歩く様で足をとられ2歩前進、1歩後退でなかなか進めません。それでも汗を拭き拭き登って行くと・・・ミヤマキリシマが段々近くなり・・・頂上手前の火口に到着です。 火口の周りを半周進み、一旦下って又登らねばならない頂上が見えています。繰り返されて来た噴火を証明する地層を見ながら最後の力を振り絞り・・・頂上に到着ですが山頂は薄っすらと霧が・・・・。約1時間40分の登りでした。(下りは約1時間でした)コーヒータイムのあと下山開始です。手前の白い所が昨日の写真の天孫降臨神籬斎場(「 てんそんこうりんひもろぎさいじょう」と読むらしいです)、向こう側の大きい白い所が駐車場とビジターセンターです。この写真の右の方が・・・昨日の写真の新燃岳方向です。下山して天孫降臨神籬斎場から少し足を延ばすと・・・平坦なミヤマキリシマのお花畑です。今登って来た高千穂の峰頂上は手前の山の向こう雲の中です。一面ミヤマキリシマの山でしたが、樹林帯にはこの花が沢山咲いていました。名前は???です。無事登山を終えて、次は宮崎県北部の延岡まで移動、ホテルで翌日の久しぶりのきつい登山に備えました。翌日の山は素晴らしい山だったのですが本当にきつい山でした。明日に続けます。
2015.05.23
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百名山を目指していた時、百名山の一つ霧島山の韓国岳に登り新燃岳から高千穂河原へ縦走した時に新燃岳から見た高千穂の峰の素晴らしい姿を見て、是非登りたいと思ったのでした。今回登山から帰ってその時の写真を探すと、もう少し最近のことかと思っていたのですがなんと10年前の2005年3月のことでした。10前のその時の写真がこれなのですが・・・中央がその高千穂の峰の山頂で右少し白い煙がみえているところが火口のお釜です。その後、この写真撮影の場所の新燃岳が噴火して登山禁止(現在も登山禁止)、そして隣の高千穂の峰も併せて登山禁止となって居たのです。その後高千穂の峰は登山Okとなり登りたい登りたいと思っていてついに昨年九州登山計画に組んで貰いチャレンジしたのですが生憎の雨で登山口の高千穂河原で登頂を断念したのでした。 そのことは昨年のブログのここを見て下さい。そしていよいよ今年そのリベンジ登山へ・・・。今回も5人の登山隊だったのですが他の方は全員この山へは登頂済で私へのお付き合い登山でした。南港からこのフェリーで鹿児島の志布志港まで・・・志布志へは台風7号の余波で30分到着が遅れ、登山口の高千穂河原に着いたのが11時過ぎ、 所が霧島の名の通り霧が立ち込めているのです。尻上がりに天気は良くなる筈なので霧待ちに早めの昼食をしているとだんだん霧が晴れて来て登山を開始・・・♪♪ 雲にそびゅる高千穂の 高根おろしに草も木も・・・・・仰ぐ今日こそたのしけれ ♪♪と歌われたこの素晴らしい山は折しも霧島ツツジの見頃でした。今回の登山は後で触れますが2日目にハードな登山もあった為疲れて帰って来ましたので今日のところはこの辺で・・・・。
2015.05.22
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気温が低い上に、風が強いので昼食とコーヒータイムもそこそこに山頂のアップダウンのある周遊コースから下山なかかりました。向こうに見える様にアチコチに残雪があり・・・鹿が樹皮を食べた跡なのか、真っ白な気持ちの悪い倒木もあり・・・また、鍾乳洞と同じ原理で侵食された岩があり、骨の様でこれも気持ちが悪いものでした。登山道とは別の下山道を進み標高が低くなると、視界が良くなり厚い雲の下、山並の向こうに琵琶湖が見えて来ました。南方向、遠くに見えますのが近江八幡市長命寺沖の『沖の島』で・・・こちら北方向の長浜方面に竹生島も薄っすら見えたのですが写真には納まりませんでした。そして下山すると今度は落合の集落跡です。登山口にあった今畑集落よりは道路沿いで便利な場所でもあり今堀集落よりは放棄されたのがまだ新しい様で住めそうな家もありましたがみんな雨戸が閉まっていたりトタンが打ち付けてありました。この道を今畑集落の下流の車を駐車した場所まで下り。無事登山を終えることが出来ました。
2015.04.22
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雨が上がるのを待って滋賀県多賀町の霊仙山(1098m)に登ってきました。この山は3度目の登山です。名神高速で彦根へ、JR彦根駅で浜松からのメンバーと合流し5人の登山隊(?)を結成して多賀町の山奥、廃村の今畑集落・登山口から登山開始です。道路脇のこの登山口で登山届を出して(右端に少し写っているのが提出箱です)急傾斜の登山道を5分程登りますと・・・・こんな所に人が住んでいたのかと思う場所に神社まである集落跡があり・・・この辺りで見たのがこの花『ヒトリシズカ』と言うらしいです。そして高度を上げて行くと森林がなくなり、登山道に今度は石灰石が現れます。 この辺りは以前住友セメントの工場があった近くで、向かいの伊吹山には今も大阪住友セメントの工場がある様に石灰石の山です(登山口の近くに河内の風穴という鍾乳洞があります)厳しい急傾斜を一気に高度を上げ、頂上が近付くと全面石灰石となり、ガスで視界がなくなって行きました。そして『ネコノメソウ』と言うらしい花の次についに・・・・福寿草の群生です。こんな岩場にも・・・そしてついに最高点に到達したのですが・・・・視界が50m程しかないので山頂(1083m)はパスしました。山頂はこの最高点から直ぐの場所にあってこの最高点より低いのです)広い山頂をぐるっと回り・・・・下山にかかり、高度を下げると琵琶湖まで望める視界が回復したのですが明日に続きます。
2015.04.21
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今年も恒例の和歌山の紀の川市の雨山(477m)にワラビとイタドリ採り登山に行って来ました。 毎年のことなので去年のブログに書いたことばかりですが・・・京阪電車~JR環状線~JR紀勢線で和歌山に、そしてネコ駅長で有名な和歌山電鉄で今や一大観光地になった終点の貴志駅へ・・・。たま駅長で大変な乗客数アップをしたこの会社、今回は社内いっぱいに絵手紙の展示で集客です。終点の喜志駅のネコの顔の駅舎の中に・・・・社長代理の「たま」スーパー駅長がいるのですが、今回も眠ったまま、今まで起きている姿を見たことがありません。いつも眠っていても・・・世界的と言えばオーバーですが、少なくとも韓国、中国、台湾などまでその名を馳せており・・・上の写真で写真を撮っている人達も「外国人」で、帰りには観光バスで団体の外国人が来ていました。この貴志駅でピックアップしてもらい4人で目指したのがこの山です。登り始めはシュロ林(この辺りはシュロの箒やタワシの産地だったのですが、外国の安価なものに太刀打ち出来ず衰退し、シュロの林は放置され荒れ放題になっています)シュロ林の上は今度は何かの木の畑なのですが(柿と思っていたのですが芽吹いた葉を見ると柿の葉ではありませんでした) ここも放置されたままで・・・ここでワラビを採るのです。ワラビ採りが終わり、まだまだ登りますと・・・林道に出てそこにこんな立派なモミジがあったのですが、樹齢400年とか。今京都で騒いでいます琳派が起こった頃からここに生えていたと言うことになります。そしてその横には山椒畑があり・・・ミツバチの巣が有りで・・・険しい山を登って来たのに別世界がありました。ここからまだまだ登り頂上で昼食とコーヒータイムをとり、道沿いにイタドリがある林道で下山でした。・・・と言うことで今回の登山ではこれだけの収穫でした。ワラビは私が一人で採ったものですが、イタドリはみんなが採ったものを全てもらいました。
2015.04.16
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昨日の続きの御朱印の件は後日にとさせて頂き・・・。昨3/30に奈良・三重県境の関西100名山・学能山(1022m)に登って来ました。今回も和歌山からのお二人の乗った車に、近鉄榛原(はいばら)駅で大阪からの二人がピックアップしてもらい、奈良県の東の外れ御杖村へ・・・この辺りは大阪からお伊勢さんにお参りする旧伊勢街道沿いの町です。国道沿いの御杖・道の駅に車を駐めて2km程歩いて登山口へ・・・。途中で三重県へ入り・・・登り初めて後ろを振り返ると・・・関西100名山の大洞山(おおほらやま)が・・・この山は2012年4月に登っていました。そして登山を開始すると殆どがこの様な植林で頂上までほゞ眺望のない険しい道が続きましたが・・・汗を頂拭き拭き頂上に着くと・・・一転360度の大パノラマです。 右に先程見た大洞山・・・ こちらは昨年5月に登った局ケ岳・・・ 反対側には霧氷・樹氷で有名な近畿のマッターホルン・高見山も遠く望めました。この山は今までに2回登っています。 今回はピストンでは無く、周回コースだったため下りは比較的眺望も良く・・・後ろに今登って来た学能堂山が・・・麓まで下りると今度は旧伊勢街道を含む長い里道歩きです。(写真右の案内は伊勢本街道ウオークのためのものです)峠にはこんな地蔵さんがありましたが・・・なんと、恐ろしい名前のお地蔵さんでした。この辺りは鹿が多い様で、長い里道歩きの殆どがこのように網の中でしたが・・・道沿いに、少し遅いのですがフキノトウと土筆が沢山生えていたのです。それをみんなに遅れない様に摘みながら歩いての収穫が今日の『お土産??』です 帰ってもフキノトウのまだ若いものを天ぷら用に少し残しフキ味噌に・・・土筆はいつもの様に佃煮風に・・・。この春最後の最後の『香り』を楽しむことが出来ました。今回は急峻な登山と長い里道で約16kmを歩いた為バタンキューの眠りと目覚めた後も足腰の筋肉痛で完全休養を余儀なくされています。
2015.03.30
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昨日の続きです。明治天皇陵から桓武天皇陵へ向かい・・・・桓武天皇陵の手前を右に折れると伏見城です。近鉄が経営していたキャッスルランドが閉園になってからは周辺が運動施設に使われていますが天守閣には入れません。門をくぐり・・・ 天守閣の横を通っていて思ったことは桜の季節は素晴らしいとだろうと言うことでした。伏見城から深草へ向かいますと、タケノコの本場、竹藪が続きますが・・・手入れがされず、放置された竹藪は竹が密集、背丈も枝も伸び放題で薄暗い無残な状態ですが・・・ 手入れの行き届いた竹藪はこの通り、本数も少なく、上部は切ってあるので地面まで日差しが入って、何か絵画の世界の様です。更に登りながら振り返りますと・・・遠くに歴史的な伏見城、手前には現在の象徴・太陽光発電施設があるという対照的な景色が見下ろせました。このあと「大岩展望台」と言う市内を見渡せる絶好の場所があったのですが、写真を撮り忘れました。そして山を下り、少し街中を通り再び稲荷山を登り、稲荷山中腹で元からあったトレイルと(追加されたコースと)合流です。稲荷山は前にも書きましたが外人観光客人気ナンバーワン、本当に外人さんが多いです。この4人も外人さんですし・・・サングラスとグリーンのシャツ、、一番右でタバコを吸っている3人も外人さんです。この山腹の俳優西村和彦さんの実家の茶店の・・・ このポスターが貼ってあった・・・この席で・・・稲荷山の長い急斜面を登って乾いた喉をビールで潤し『いなり』寿司で腹ごしらえをしました。ここからはいつものウオーキングコースの泉涌寺を抜け・・・桃山御陵で宮内庁事務所の朱印は撮りながら、建物の写真を撮り忘れましたので・・・今熊野観音前のこの事務所の写真を撮って来ました。勿論この事務所にも管轄する御陵の朱印は置いてあります。ここからまだ数キロ歩いたのですが、いつも報告している光景ですのでこれで終ります。
2015.03.04
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京都の東山・北山・西山を連ねて京都を一周するトレイルコースは、今までは伏見稲荷がスタート地点でしたが・・・昨年11月に桃山~伏見稲荷の9.5kmが追加されました。詳しくはここを見てください。このウオーキングコースはこれから案内することも有ろうかとこの地図を買っていたのですが・・・昨日さる閑人さんと下見ウオークに行って来ました。 ちょっと見難いですが、標識ナンバーのF1~F35までが今回追加されたコースです。 コース全体について詳しくはここを見て下さい。 昨日歩いたのは新コース終点の伏見稲荷までにプラスして、既存のルートを歩き京阪五条駅まで27,000歩で約16kmでかなりの強行軍となりました。 待ち合わせ場所は近鉄のこの駅だったのですが、外人観光客の多いことの御多聞にもれずこの3人も外人さんで待ち合わせしていました。 ここがスタート地点で向こうに見える赤い鳥居は御香宮の鳥居で今から向かう方向です。約束の時間より、少し早かったので直ぐ近く、この伏見街道にある・・・・ 前にも書いたことがありますが・・・ここを撮って来ました。 この案内板ですが・・・ 反射して1枚に上手く撮れませんので2枚に分割して撮りましたが・・・その傷痕がこれです。向かいは羊羹の駿河屋発祥の地です。脇道に逸れましたが・・・駅前をスタートして・・・直ぐの名水で有名な御香神社の前を通り・・・乃木神社と明治天皇陵の直ぐ傍を通るのですが、両方ともコースから少しだけ外れているのですが、明治天皇陵だけ寄り道してきました。上の写真の反対側はこうなっていまして、長い下りの階段があり、向こうは宇治方面です。 そして、また横道にそれますが・・・・机の引き出しに並ぶ沢山の大きな印鑑、これが2段あります。明治天皇陵の前にある宮内庁桃山陵墓監区事務所入口の机の引き出しに備えてある印鑑です。 当事務所管轄している29ケ所の天皇陵の朱印で朱印の欲しいものはここで自分で捺すことになっています。 因みにこれまで何回も書きましたが我が家が3代に亘って集めている朱印帖がこれなのですが昭和7年製のものです。(3代に亘ってなんて偉そうなこと書きましたが、数年前にこの朱印帖が出てきて中を見るとかなりの数がまだ残っていたので私が回っているだけなのですが)天皇がまだ神様だった昭和初期に歴代天皇陵を参拝するのが流行った様です。今流行の四国八十八ケ所のようなものだったのでしょう。数年前ここで私も朱印を頂いたのですが、まだ多摩の大正天皇、昭和天皇陵他かなり御陵の朱印が残っており、回らねば回らねばと思いつつ、そのまま放置しているのですが、これをきっかけに再度チャレンジしようと『決意???』しました。朱印のことで横道に逸れましたが、この後伏見城内を通るルートを進んだのですが明日に続けます。
2015.03.03
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竜野・赤穂紀行を長々と書きました関係で、ピンボケのような遅れましたが、2/25の額井(ぬかい)岳登山について書きます。額井岳は奈良県榛原市(今は合併で宇陀市)にある標高816mの関西100名山に含まれる山で、別名大和富士と言われる山です。2/20に登った竜門岳と同じく、初めて登る山です。竜門岳は近鉄吉野線沿線でしたが、この山は名古屋に繋がる近鉄・大阪線の榛原駅に近いので、榛原駅でピックアップしてもらいました。コースは額井岳と戒場山と言う二つの山を周遊いますので・・・登って・・・・・・・下って・・・また登るというアップダウンがあったのですが、途中眺望も余りなく頂上もこんな状態でした。それでも、頂上からの下りにこんな景色を見ることが出来ました。真ん中の青い所がダム湖と架かっている橋です。額井岳、戒場山から下りると・・・立派なイチョウの木がある戒長寺というお寺がありました。登山ルートが分かれているのでややこしい案内板ですが・・・上の板に書かれているところは全て回ったことになり、続いて下の板に書かれている山部赤人の墓に向かいました。 山部赤人の墓が奈良県も三重に近いこんな山の中にあるのはちょっと不思議です。ここで気づいたのですが、同じ場所にある案内板で一方は山部赤人となっており、片方は山辺赤人となって居るのです。山部の方が正しい気がするのですが私には分かりません。赤人の墓から車を置いている場所に向かうだらだらの下り坂から額井岳(右側)が見えたのですが・・・とてもとても富士の名前を冠する形ではありません。他から借りた写真ではこのような形に見えるらしいのですが・・・。私等は南から登り、多分東へ下りたのですが、この山の雄姿を見る為には、この山に登らず、西の方にある他の山に登った方が『大和富士』を楽しめるのかも知れません。
2015.03.01
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閑人には忙中閑ありのことわざは無縁ですが、閑中忙ありは時々あります。今回も3日程忙しかったものですから(但し遊びでですが) 更新も訪問も休ませて頂いておりました。・・・と言うことでちょっと日が経った記事が続きます。2/20、登山仲間3人で今年初めての登山で奈良県吉野の日本300名山の竜門岳に登って来ました。ピックアップしてもらう近鉄電車吉野線の『六田』駅までは京阪、JR、近鉄と乗継ぎ、約2時間半を要するため、まだ暗い内からの出発でした。ピックアップしてもらった六田駅から約30分で登山口に到着し・・・登山開始です。さすが吉野杉の本場です。手入れの行き届いた杉林を登り始め・・・高度を上げて行くと、段々白い景色に変わり・・・イノシシか鹿の足跡を辿るように進んで・・・1時間40分程で頂上に着いたのですが・・・途中では少しあった眺望が頂上では全くなく・・・温度計を持っていなかったので正しい温度は分かりませんでしたが、体感では氷点下以下、指がかじかむ寒さのため食事もコーヒーも摂らず直ぐ退散し、かなり下山して少し気温が高い所での昼食&コーヒーとなりました。腹ごしらえをして、登山口まで下山し、今度は車移動で近くの津風呂湖へ・・・。 頂上からは見えなかった津風呂湖ですが・・・津風呂湖からは今登って来た竜門岳が正面に見えるのです。そこに居たダム管理の人の話では、前は頂上からの眺望が良かったが、周りの木が大きくなって見えなくなったとのことでした。大和平野に水を送るという大きなダム湖で・・・氷の上からでは無いですが、沢山の人がワカサギ釣りをしていました。そして、その奥の方を眺めますと雪をかぶった高い山が見えていたのですが・・・・多分大台ケ原の山並みだと思うのですが・・・??そして、冷え切った体を温めに行ったのが・・・ここです。冷泉を沸かしている鄙びた温泉でしたが、予想に反してかなりの利用者の数でした。
2015.02.22
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昨日の恐山の写真の残りです。 広い石と砂だけで生きた草も木もない場所 を少し離れるとナナカマドが色づいたこんな光景もありました。 恐山から下北半島を一路青森空港へ・・・・途中有名な浅虫温泉で昼食を取り休憩したのですが、前には陸奥湾 のこんな光景が広がっていました。 上の写真の右をアップしますと・・・こんな奇岩があり・・・ 左のこの丸い島には・・・ 安芸の宮島や琵琶湖の白髭神社のように・・・水面に鳥居が建っていました。 このあと、青森空港でレンタカーを返し・・・無事JALで伊丹空港に帰ることが出来ました。 東北の登山&観光の旅、長らくお付き合いありがとうございました。
2014.10.09
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昨日の続きです。 変な小屋は・・・・温泉でした。昨日載せた写真は正面左側の女湯の小屋だったのですが ・・正面右側にこの男湯がありまして・・・ 中を覗きますと・・・『自由にお入り下さい』 と書いてある、こんな素晴らしい温泉でした。朝早かったので入っている人はいませんでした。 私等も温泉があるなんて知らず、タオルを持って行かなかったため入れませんでしたのですがもう少し後にはどれだけの人が入るのか知りたいところです。 ちょっと横道に逸れましたが・・・アチコチに煙の上がる本尊安置地蔵院横から始まる地獄、極楽巡りです。 テレビで見たことがある風でくるくる回る風車があちこちにあるのですが無風で回ってはいませんでした。風車は金額は忘れましたが(確か500円??)入口 で売っていました。先祖供養なのでしょう。 温泉が流れ出るこんな場所もありました。 そして賽の河原の向こうが・・・ こんな素晴らしい景色で・・・・ 天国とされる光景でした。 この後、もうあと少しなのですが画像制限のため明日に続けます。長くなって済みません。
2014.10.08
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八甲田山から酸ヶ湯温泉に下りて次に下北半島の先端の恐山へ向かいました。そして前泊は恐山の直ぐ近くのこの温泉でした。 建物は大したことなく、日帰り客が多い温泉でしたが源泉53度で湯船も43度は有ろうかと思える熱い熱い茶色系透明の塩分の効いた温泉でした。そして、もちろんここもかけ流しでした 翌日は高野山、比叡山と併せ日本三大霊場の一つで「この世」にいながら「あの世」に近づける場所とされる恐山へ・・・ 車を走らせているとまず出てきたのがこの景色です。 山並みに囲まれ、低い雲がたなびく幻想的な宇曽利湖から流れ出ている川に赤い橋と二つの石像があります。 まず二つの石像の間にある石碑をアップしますと・・・ そしてこの赤い橋が・・・ 橋の下を湖から流れ出る川の色は完全に温泉の様でした。 そして、直ぐ近くに霊場恐山の総門があり・・・ 門の左に並ぶ六地蔵も他と違い何か神秘的に見えました。 総門をくぐりますと今度は立派な山門があり・・・(赤いのは風車です) 今くぐって来た総門を振り返りますと・・・こんな景色です。 そして前を見ますと・・・。正面に本尊安置地蔵殿があり、遥か左奥に火山ガスが噴出しているのが見えますが、その一帯は地獄とされ、極楽はその奥にあるのですが、画像制限でこれ以上画像を張りつけられません。 地獄と極楽については明日に続くと言うことでお願いします。 追伸 左側に小屋が二つ建っていますが、これが何か??? お寺の中にこんなものがあるの???? とびっくりするするものでした。 さてそれは何だったか?? それもも明日に・・・・。
2014.10.06
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昨日の続きです。 八甲田山へは酸ヶ湯温泉からバスで送って貰いここからロープウエイで一気に高度を上げます。 駅構内には 『山頂 見頃』 の表示が・・・・。前回来た時は偶々紅葉が遅れた年で紅葉度60% 程度だったことを思えば、ラッキーの一言です。 ロープエウエイからの眺めは紅葉と言うより黄葉で大したことなかったのですが・・・右後方の青森市内と陸奥湾が・・・ ・・・・ 左後方には前日登った岩木山が望めました。 (望遠で撮っています) 山頂駅からは前方に見える山を登ったり下ったりのアップダウンが待ち受けています。 遠くに岩木山が・・・ こんな火口跡の断崖の真横を登り・・・(白い点々は人です) 今度はジグザグに下って遠く見える避難小屋で休憩後、後ろの山へ登りますと・・・ 八甲田山は有名ですが、八甲田山と言う山はなく、その山系の総称で、大体この大岳が八甲田山と言われているようです。 この大岳からの下りには・・・山一面の紅葉・黄葉と草紅葉の錦秋の景色が待ち受けていました。 もっとアップしたいのですが・・・画像制限のためこの辺で・・・・・。 このあと宿泊地の酸ヶ湯温泉に下山して・・・・下北半島の先端の恐山に向かいました。明日に続けます。
2014.10.06
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昨日の続きです。 どこまでも続くリンゴ畑 の中を走り、着いたのが岩木山の麓のこの温泉です。 源泉かけ流し、乳白色の湯は最高でした。誰もいない夜中に入りに行きますと先に入った時より色が薄く透明に近くなっているのです。 あれれ?? と思いながら湯船に入りますと底に白い湯の花が 沈んでいて、それが舞い上がりますと元の乳白色に戻るという自然豊かな温泉でした。写真は入る前の色が薄い状態です。 手前が一層色が薄いのは温度を下げる為加水している為のようです。 翌日は旅館の横のこの登山口から登山開始です。 御嶽山の事故で登山届制度がマスコミを賑わしていますが・・・赤い矢印の箱がその提出箱です。(我々は登るときその存在に気づかず未提出で登り、下山した時にこの箱の存在に気付いたのですが・・・後の祭りでした) 登山開始し雑木林からブナ林に替わり、背の低い灌木林にかわり・・・ 八合目に到着です。 この八合目まではバスでも上がれ、この先もリフトで頂上近くまで行けるのですが・・・我々は勿論全行程歩いて の登山で・・・登り3時間40分、休憩を入れて往復7時間20分を要しました。 そして、 遠く見えるのが日本海です。 八合目からこんな火口の横を通り・・・・ こんな岩の登山道を登り・・・ 頂上へ到着です。 頂上横に岩木神社の祠があって・・・・その方向が津軽平野・・・・弘前方面です。 下山後移動中、車を停めて今登って来た岩木山の雄姿を暫し眺め・・・・ 次の宿泊地・酸ヶ湯 に到着です。ここも平成7年以来2度目です。 ここは、かけ流しの豊かな温泉もさることながら・・・有名なのはこの男女混浴の千人風呂です。 入口は別々ですが板で囲った女性専用のスペースもありますが・・・・大きな湯船を矢印で男女のスペースに分けているだけのものです。(勿論男女別々の風呂場もあります) 前回行ったときは混浴の湯船がもっと大きかったと思うのですが、少し小さくなったような気がしました。 翌日はいよいよ紅葉の八甲田山なのですが・・・・明日に続けます。
2014.10.05
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登山仲間の毎年恒例の秋の東北登山は全日好天に恵まれ温泉三昧と紅葉三昧の登山が出来ました。先に全行程記しますと次の通りでした。1日目 伊丹~青森空港~弘前市内観光~嶽温泉泊 2日目 嶽温泉~岩木山登山~酸ヶ湯温泉泊3日目 酸ヶ湯温泉~八甲田山系周遊~下北半島・矢立温泉泊4日目 矢立温泉~恐山~浅虫温泉~青森空港~伊丹 一日目は青森空港について宿泊地の岩木山麓の嶽温泉へ移動する途中、弘前市内の観光です。弘前市立観光館で・・・・ ねぶたや大太鼓などを見学したのち・・・ 向かいの弘前城へ。弘前城は百名山を目指していた時、2007年に 今回と同じ岩木山と八甲田山に登った時、前を通りながら城内に入らなかったので初めての『入場』でした。 桜で有名なだけあってお濠端も城内も桜・桜・桜でその数や??? 如何にというところなのですが・・・数だけでなく・・・・ みんなこの様な巨木なのです。 しかも樹齢約70年い言われているソメイヨシノなのになぜ??? と疑問を持ったのですが・・・・・ その答えがちゃんと書かれていました。 弘前城は思ったより大変広く城内を歩くのにも大変時間がかかったのですが、城内の桜の多さに改めてびっくりでした。 そして城を出て、最初の写真の観光館の裏へ回りますと・・・このような明治時代の建物が数棟移築保存されると同時に、縮尺再現した建物が沢山並んでいて、まるでガリバー気分でした。 このあと、岩木山麓の嶽温泉に向かったのですが・・・・さすがリンゴの本場『津軽』、左も右もリンゴ畑が続く道でした。 道端で売っていた美味しかったリンゴが4ケ200円、さすが本場でした。 続いて、宿泊地まで書こうと思ったのですが画像制限のため、あと1枚しか画像が貼り付けられませんので、いよいよと言うところなのですが明日に続けます。
2014.10.04
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二つのルートに分かれましたが、峰を縫う厳しいコースを進む仲間も下の迂回コースを行く我々にこのように時々見えるのでした。 上の写真では分かり難いですが右端にあるのは鐘と・・・万歳する仲間です。 昨日載せましたこの図の通り別のルートを進んだ仲間もここ月の池で 下に下りて来て合流し・・・。 昼食とコーヒータイムを とったのですが・・・ ガスが出てきたこともあり、疲れた体ではこれ以上進むのは危険と言う判断でここから引き返すことにしました。まだ前へ進むつもりの仲間もいたのですが同調してもらいました。 と言うことで全員で撤退開始です。 この小屋が見えるところまで引き返すと、後は距離は長いですが左程危険な場所もなくロープウエイ駅に到着することが出来ました。 途中岩峰ではない場所でこんな花をみました。 紫色がギボウシで白いのがヤマブキショウマ こちらはエゾシオガマです。 ロープウエイ頂上駅をスタートしたのが8:30で・・・・到着が14:20。 5時間50分の登山行を無事終えることが出来ました。 お断り八海山の名前の由来について昨日は残雪が八海山の文字に見えるからと断言しましたが、由来には八つの戒めの八戒山から変化した等 諸説あって定まっていないようです。
2014.07.26
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昨日の続きです。 翌日の目指す八海山(1778m)は 古くから信仰の 山として崇められてきた霊峰ですが、その名前はお酒の名前の方が有名かも??? 貼ってあった写真に依りますと・・・魚沼三山(越後三山とも)はこんな形で中の岳は登ったことがありませんが巻機山は日本百名山ですので7年程前に登りました。 さて、清酒でも有名な『八海山』の名前の由来がこんなこととは知りませんでした。 白馬岳の名の由来も残雪で馬の形が浮かび上がるためなのですが、ここも同様のようです。 さて、スタートは標高376mからロ-プウエイで、一気に約1147mまで上がるのですが・・・これから先が長いのです。 ゴンドラの窓から見えるこの山を目指すことになります。 ロープウェイ を降り鳥居をくぐり、いよいよ登山開始です。 まず最初に遥か彼方に見えた女人堂が段々近付き・・・ 到着して休憩し向こうの山を目指します。昔はこれから先は女人禁制だったとか。 そしていくつかの峰を通過し・・・・ 前方に千本檜小屋が見えて・・・・後ろが・・・いよいよ難関の八ツ峰です。 ここで八ツ峰を望みますと・・・・昨日今日と消耗した体力と疲れた足では次から次へと続く岩峰は無理と判断した私を含む3人は断念し・・・赤矢印の迂回コースを行くことにし、お二人が青矢印を進むことになりました。 迂回コースはここからこの山に登らず右へ進むのですが・・・ それでもこのように・・・・梯子あり、鎖場ありの険しいコースが続いたのですが・・・ 画像制限の為、明日に続けます。
2014.07.25
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新潟の魚沼三山と呼ばれる越後駒ケ岳、中ノ岳と八海山の内の2座に登ってきました。越後駒ケ岳は魚沼駒ヶ岳とも言われ、私は9年前に登っており2度目ですが八海山は初めてでした。今回は和歌山、大阪、浜松、千葉からの5人の登山隊で、関西からの3人は東海道新幹線、上越新幹線で長岡まで行き長岡駅で全員集合し、レンタカ-で只見湖近くの銀山平へ・・・・1日目は移動だけで宿泊は温泉の湧くここでした。 翌日目指した駒ヶ岳(2003m)は往復9時間余を要する体力勝負の山で完登出来るか本当に心配しながらの参加だったのですが無事頂上を踏むことが出来ました。(駒ヶ岳は体力、脚力勝負ですが、八海山はプラス技量がいる険しい山です)さて翌日は行程が長いため朝4時起床、4時半に旅館を出て、尾瀬にも近いこの峠がのスタートが5時でした。 しおれ峠と読みます。 長い行程をスタートして、目指す駒ケ岳は見えて来たのですが・・・頂上は雲の中です。 近くの荒沢岳はこの様に見えていたのに・・・。 この下に見える雲海が・・・ 宿泊していた銀山平や奥只見を覆い隠しているのです。 下山の時には雲海も晴れこのように全貌を見せたくれました。画像中央見難いですが薄っすらと只見湖 も見えまする さて段々頂上に近付きますと雪渓が顔を出し・・・・ 標高1880mの駒の小屋まで到達し、雲が晴れるのを待つため長いコーヒータイムをとったのですが・・・頂上は見えそうで見えず・・・・ ついにあと120m程の登頂を開始、頂上手前の雪渓を登り・・・ 頂上2003mに到着です。 回りの山並みはある程度見えていましたが写真になるような場面はなく下山開始し・・・・ 駒の小屋まで下り、頂上が良く見えるのを待ちながら、昼食と長いコーヒータイムをとったのですが一部が見えたり、隠れたり・・・・他の山は見えるのですが・・・・・ 諦めて下山中に振り返りますと・・・やっと駒ヶ岳がかなりはっきり顔をだてくれました。 途中で見た花は・・・ハクサンコザクラ キヌガサソウ ヒメシャガ ニッコウキスゲなどなどでした。 今回は教えて貰った名前をその場で記録しましたので間違いは無い筈です。 駒ヶ岳が顔出すのを待ってかなり時間を潰しはしましたか゛朝5時に登山開始し、スタート地点の枝折峠に着いたのが14:40 と9時間40分の長~い行程で体力的に目いっぱいでした。 下山後直ちにレンタカーで次の目的地八海山に向かったのですが・・・・明日に続けます。
2014.07.24
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昨日の続きです。駒ヶ岳の馬の背でのコーヒータイムを終わり、丁度大沼へ向かうように下山です。 頂上付近では(正しく教えて貰ったのですが、私の記憶が不確かなので間違っているかも知れませんが・・) タルマエサソウ(樽前草)や・・・・ 少し下って・・・ヤナギランや ヒメシャクナゲが見られました。 下山後昨日のブログに載せました大沼公園へ移動しで昼食をとり いよいよ最後の行程千歳空港に向かいましたが、渡島半島を時計周りに湾を180度回る事になりますので高速道路走行中に・・・ 駒ヶ岳が・・・・始めこのように見え・・・・ 続いて・・・・このように見え・・・ 休憩した虻田洞爺湖PAからは・・・湾の遥か向こうにこんなに形を変えて見えました。 因みに右に目を向けますと・・・・真ん中の高い山が初日に洞爺湖越しの写真を載せました有珠山、右端の尖った山が昭和新山です。 この景色を最後に千歳空港に向かい北海道登山を無事終了することが出来ました。 さて今日6/16は祇園祭の前祭りの宵山で、明日6/17は鉾の巡行です。今年は49年ぶりに前祭り、後祭りに分けて行われることになりどのように変わるのか、この目で確かめたかったのですが・・・今日から四国お遍路のツアーに参加の為行けません。 ということで祇園祭につきましては、今まで毎年当ブログで報告してきましたしてが、今年は報告を休ませて頂きます。 因みに、今回の四国88ケ所お遍路は、高知市内の31番・竹林寺~足摺岬手前の窪川町の37番・岩本寺です。
2014.07.16
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昨日の続きです。昨年と全く同じ元町のこの景色を見て・・・・(正面遠く見えるのが元青函連絡船を 岸壁に係留した記念館です) そして、函館山へ(レンタカーで) 登ったのですが、頂上は霧の中、『下界』は全く見えず・・・ 七合目まで下りて来ると・・・・・ ガスの下になりも曲がりなりにも一応この景色が見られました。 昨年10月に訪れた時のブログではこんな景色を載せたのですが・・・ そして3泊目の宿は昨年と同じ湯の川温泉で 昨年は啄木荘でしたが今回は『国家公務員共済組合連合会(KKR)』のここでした。 さて、翌日は駒ヶ岳に登ってそのあと大沼公園に行ったのですが、まず駒ヶ岳の全体像が分かり易い様に大沼公園からの駒ヶ岳の写真を先に・・・・ この山は千歳空港着陸前に飛行機から見える山なので皆さんもご存知だと思いますが私も飛行機からの素晴らしい眺めに前々から登ってみたいと思っていた山なのです。 槍ヶ岳の様な尖った部分の右の平たい部分まで登ることになります。ここでも中国人観光客が多く順番に写真を撮っているのでこちらの撮影には苦労しました。 話を元に戻し・・・湯の川温泉から約1時間で 駒ヶ岳登山口に到着です。視界を遮る雲もなく登山口からはこんな景色が見えまして・・・ しばらく登って、振り返りますと・・・・下山後行く大沼が・・・・ 頂上が近付きますと・・・初めの写真でお分かりの様に広い平坦な部分が始まり・・・ この山は活火山であり『馬の背』と言われるこの部分より上には進めませんのでここで下界のパノラマを楽しみながらコーヒーをタイムをとり・・・下山を始めたのですが・・・・。 またまた画像制限でこれ以上写真添付できませんので、もう少しなのですがもう1日明日に続けます。
2014.07.15
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昨日の続きです。雪渓を過ぎ、お花畑の次は・・・南狩場山山頂ですが・・・周りは木ばかりで眺望はなく・・・ 登山口から、確か2時間半弱で狩場山頂上に到達したのでが、今度はガスで眺望がありませんでした。時間的かも知れませんが南狩場より下では余りガスが無かったのでこの高度辺りから上が 『雲の中』と言うことなのでしよう。 下山後近くに日本の滝百選のひとつ『賀老の滝』があると言うので見に行ったのですが・・・ルートの選択を間違い滝の上に行ってしまいこんな景色しか見られませんでした。 実はこの狩場山は、私が自転車事故での骨折で 不参加だった一昨年の北海道登山に含まれていたのですが、当日が雨で登頂を断念され、この滝だけ観光されたリベンジ登山だったのです。ということで、その時の写真を借用しますと・・・・こんなに立派な滝だったのです。 この後函館まで移動、2泊目はビジネスホテルだったのですが、翌日は曇りと雨の予報のだったので前日の内から翌日の登山は中止し函館観光に変更となりました。因みに予定では頂上まで3時間50分を要する『大千軒岳』だったのです。 以下翌日の函館観光につきましたは、私は昨年同窓会旅行で函館を訪れ、ブログにもアップしましたので昨年から当ブログを訪問して頂いている方には昨年とほぼ同じ内容になりますが・・・函館で連泊の予定でしたので移動なしで丸一日函館観光となり、時間がたっぷりありましたので50kmほど走り山と岬の『恵山』 へ・・・・。ここは低い山なので天気が悪くても行けるところまで行こうとドライブウェイで登って行ったのですが・・・登れば登るほどガスが濃くなり頂上が近付くと自動車も超低速走行しかできない視界10mも無いほどで・・・車から降りもせず退散しました。そして灯台まで下りますと・・・頂上は霧の中なのに、ほんの200m程下では・・・こんな景色でした。 この後、函館に帰って・・・・函館と言えば五稜郭です。 五稜郭はやはり上から見ないと意味がありません。この五稜郭タワーに上りますと・・・ 星の形を1枚の写真に収められませんでしたが・・・こんな感じで・・・・ 一望の函館の街の向こうにこの後、行こうとする函館山が・・・・しかしあの状態では頂上からの景色は駄目かと心配しながら・・・ 上から全体を把握して五稜郭の中の見学です。 榎本武揚の写真の向こうに見えるのが・・・・ 数年前に復元された箱館奉行所です。 このあと元町、函館山に向かったのですが、またまた画像制限いっぱいになりましたのだ明日に続けます。
2014.07.14
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台風接近のニュースが流れる中にも拘わらず、翌7/9は晴れ間のある薄曇りの中を出発。5km程離れたコンビニで昼食類を調達して30分余りで登山口に到着です。 この看板の中に『山菜採るな』 と『熊に注意』 の二つの言葉が含まれているようです。 登山開始してしばらく行きますと、雪渓があったのですが横断したのは3ケ所程でした。雪渓はアイゼンを使わなくても靴の踵やつま先で削りながら通過できたのですが、縁の辺りは融けた雪が凍っていてアイゼンなしでは通過できず迂回したりしました。 雪渓を過ぎ山頂に近づきますと広いお花畑があって色々の花が咲いていて・・・これは多分カラマツソウ と分かるのですが・・・・ これは名前を教えて貰ったのですが・・・・忘れてしまいました。 ここでなぜか画像容量制限で写真を張り付けられなくなってしまいましたので途中ですが明日に続けます。 最近文章の中で勝手に文字の大きさが変わってしまいます。原因、解決方法等をご存じの方おられましたら解決方法を教示をお願いします。
2014.07.13
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登山仲間 (今回は和歌山2人大阪2人浜松1人の5人) の毎年恒例の北海島登山は台風8号に追いかけられ、どうなるのか、雨で全て観光旅行になるのでは??と暗い気持ちで出発してのですが・・・・・・結果は3日目(7/8)だけが前日に雨の予報の為(結果的にはほとんど雨は降らなかったのですが) 登山を中止して函館観光に切り替えただけで他の日は全て好天に恵まれて予定のの3座のうち2座を登ることが出来ました。その紀行少し長くなるかも知れませんがお付き合い下さい。 台風に追いかけられながらも飛行機からは雪の残った山の向こうに・・・ ひとつ目の(??)富士山が・・・ そして、千歳空港で浜松からの仲間と合流して、レンタカーで本日の宿泊地、渡島半島の日本海側の村 『島牧村』 へ向かいますと・・・ここにもふたつ目の富士が・・・・というよりこの景色を見るために敢えてこのルートを通ったのですが。蝦夷富士(羊蹄山)1898mです。因みにこの山は百名山ですので私は2003年に登っています。 そして洞爺湖畔の道に差し掛かりますと・・・遠く、洞爺湖温泉の街と・・・右端に見えるのが・・・昭和19年に有珠山の横が盛り上がり新たに出来た山『昭和新山』で・・・・ 少し位置を替え、アップしますと・・・・こんな威容です。 そして麦畑の中を走り・・・ ジャガイモ畑の中を走り・・・・(このジャガイモは男爵でした) 上の写真を撮っている横がバス停だったのですが・・・なんとなんと、1日1本とは!!!!! 北海道の雄大な景色を楽しみながら着いた今夜の宿がここ『ネイチャーイン島牧 島牧ユースホステル』です。 裏が夕日がきれいな日本海で・・・・ 窓から見えるこの高い山の向こうが明日目指す狩場山です。 雪の深いところでまだ雪渓が数か所残っているのでアイゼンと、熊が出るので鈴が必携の山です。・・・・ということで・・・・幸いにも翌日の天気予報は晴れでしたので心安らかに英気を養い明日に備えました。 続きます。
2014.07.12
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昨日の続きです。目指す伊吹山の全貌の写真を撮り忘れましたのでグーグルから借用です。 少し前まではこの登山口から5号目までロープウエイがありましたが、数年前に廃止となり、ひたすら歩いて登るしかありません。(別に反対側からはドライブウエイで頂上まで行けます) 伊吹山と言えばひと昔前まではスキーのメッカでしたが、客が減り、ロープウエイもリフトも無くなり、ゲレンデも1軒を残し廃墟の様なの建物ばかりになっています。スキーが駄目ならばと・・・ハングライダー場となっているようでした。徐々に高度を上げて行きますと、今は昔、スキー場の向うに下界が・・・・左の方の高い山が福寿草で有名な霊仙(りょうぜん)山です。元はこの五合目までロープウエイで登れたのですが・・・汗を拭き拭きやっと到達し、いよいよここからこんな景色の中をジグザグと・・・・そしていよいよ頂上が見えてきて・・・ 振り返りますと・・・下界はこの様で・・・いよいよ頂上に到着です。さすがアクセスの良い百名山です。他の山では老人ばかり目につくのですが・・・この山ではやたら若者が多かったです。そして昼食とコーヒータイムを終わりいよいよ下山です。このジグザグ道をひたすらくだり無事全行程を終えることが出来ました。ところで伊吹山と言えば花の山で有名なのですが、まだ少し早かった為か名も知らないこんな花程度しか見られませんでした。他に黄色い花も咲いていたのですが・・・・その代りではないですがさすが『せんねん灸』の会社があるだけモグサの材料のヨモギがやたら目につく山ではありました。
2014.06.27
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関東では集中豪雨で大変な被害が出たようでお見舞い申し上げます。私たち登山隊(?)は幸いにも2日間好天なの中、登山が出来ました。 琵琶湖の北東の関西百名山のひとつ七七頭ケ岳(ななずがだけ)と日本百名山の雄峰・伊吹山に登って来ました。余呉町(現在は長浜市)の七七頭ケ岳は富士山に形が似ているところから地元(丹生にう)では丹生富士と呼ばれ、693mの山ながらこんなに形の良い山でした。『ななずがだけ』と言う変った名前の由来は『頂に7つの 尾根が集まっているから』とか諸説あるようですが定かではない様です。今回のメンバーは4人、いつもの通り和歌山からの車に名神高速の深草バス停でピックアップしてもらい・・・・北陸自動車道の木の元インターで降り北へ・・・・信仰の山でもある様で・・・・登山口には杖が沢山置いてありました。駐車場には2台の先客の車が駐めて有り、途中で遭ったので訊きますと奈良からのご夫婦と岐阜からのご夫婦でしたが、、遭ったのはこの二組だけでした。ガイドブックでは登って行くと大きなブナの木が現れると間もなく頂上とか・・・やっとの思いでそのブナの木に到着しました。この辺りからはこの様な琵琶湖まで一望できる眺めがところどころにあったのですが・・・・登るのに1時間20分を要した頂上はこんなに木が茂り・・・・眺望もなく・・・この祠の前で・・・・昼食とコーヒータイムの後、下山し・・・・浅井長政が信長に滅ぼされた山城の小谷(おだに)城に立ち寄りました。先日のブログでお江様の墓を載せましたがそのお江様3姉妹が落城の時逃げ出した城跡ですが、今はその雄姿は影も形も有りません。駐車場から直ぐそこかと歩いて登りだしたのですが・・・・1.4km山道を登ったのにやっと着いたのが下の案内の『現在地』で本丸跡までもまだ400mあり、別に何も無さそうなので断念して引き返しました。この現在地までは車で行けたのですがまさか、そんなに遠いとは思わず歩いたのが間違いでした。それでも赤矢印のこの看板の場所から・・・・東を見ますと・・・・明日登る伊吹山の雄姿が・・・。南の方からは独立峰に見えるこの山も、北の方からこんな形で見えていました。そして西には琵琶湖に正に『浮かぶ』竹生島が奇麗に見ることが出来ました。こんなに山の上に有った城、戦う為には良いが、日常は大変不便だったのでしょう。そして宿泊は長浜市ま琵琶湖湖畔のこの国民宿舎・・・長浜と言えば秀吉が初めて大名になった所(当時は今浜) 国民宿舎の名前も秀吉に因んでいました。明日に続きます。
2014.06.26
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登山3日目は連泊していた延岡のホテルを早朝に出発し大分のの別府・湯布院など温泉地を経由して 万年山(ハネヤマ)に向いました。(九州はこの万年山と言い、可愛岳と言い、とてもとても読めない珍名の山が多い所です)さて、別府を過ぎると・・・・・双耳峰のこの山・・・一時は当日の登山目標に浮上していた由布岳です。今回はこの横を通過して玖珠町に入り・・・この頂上部が平らな万年山(ハネヤマ)に挑戦です。 と言いましてもかなり上まで車で行けたのですが・・・・車を駐めて・・・・広い牧場の道を歩き・・・・途中のミヤマキリシマを眺めながら進みますと・・・(遠景右の富士山の様形の山が昨年リベンジ登山した涌蓋山(わいたさん)、左の凸凹した山並みがここもミヤマキリシマで有名な九重連山です)頂上に到着です。ここで昼食とコーヒーで一服して来た道の反対側の周遊コースへ進みますと・・・。山一面がミヤマキリシマに包まれたお花畑に到着です。九重山や阿蘇山のミヤマキリシマも見ましたがここが一番素晴らしいのでは???と思える感動の景色が広がっていました。正に山全てがツツジと言うところです。同じミヤマキリシマでも微妙に色の違うのが混在していて、一層鮮やかさがひき立っていました。昨日は私以外の仲間の方に登場願いましたので、今日は恥ずかしながら、私が・・・・盛りのツツジを堪能して・・・下山です。当初予定に無かったこの山に登って本当に良かったと満足の登山を終え、別府港発のフェリーで大阪南港に着き、九州登山の旅を無事終了致しました。長らくお付き合い頂きありがとうございました。
2014.05.26
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昨日の続きです。登山を開始し、『下界』を振り返りますと・・・赤矢印が西郷隆盛記念館の駐車場で一番左が我々の乗ってている仲間の車です。さらに高度を上げますと・・・・蛇行した川に迫った山、川の先には日向灘、散在する民家・・・西郷隆盛はこんな袋小路の様な所に押し込まれ、後ろの山を越えざるを得なかった事が良く分かる光景です。そして手前のこの山を越え・・・・頂上に到着です。約2時間半の行程でした。頂上では昼食と・・・・360度の素晴らしいパノラマとコーヒーでの至福のひと時を過ごし・・・・下山しました。下山した所にあったこの民家は・・・・桐野利秋の宿営の地でした。登山中、こんな花が咲いていたのですが、名前は???です。こちらはドウダンツツジのようです。翌日の登山3日目に登る予定でしたこの可愛岳に登ってしまいましたので・・・・3日目に何処に登るか・・・由布岳という案も有ったのですが・・・・湯布院近くのミヤマキリシマで有名な万年山(ハネヤマ)に決定しました。結果はミヤマキリシマの凄い群生を見ることが出来た素晴らしい登山になったのですが明日に続きます。
2014.05.25
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昨日の続きです。3日目は昨日の雨もすっかり上がり快晴でした。・・・・・・が!!!!。 登山2日目は延岡市近くの大崩(おおくえ)7山に登る予定でしたが変更して登山3日目に登る予定だった可愛(えの)岳に登ることになりました。そもそも大崩山は昨年登ろうとして登山開始し1時間後に断念した山だったのです。 詳しくは昨年6/5のブログ参照 (写真は容量制限で削除しています) そのリベンジ登山が・・・歴史は繰り返す・・・・前日の雨で渡渉が出来ないかも知れないのと険しい岩場登山なので濡れていると危険なため、昨年同様、登山を中止し、昨日登れなかった高千穂の峰と一緒にまたまた来年再々度のリベンジ登山することになりました。 さて、1日繰り上げて登る事になった可愛(えの)岳は728 mと標高は大した山ではないのですが、ほぼ海抜0mからの登山ですので登り応えのある山であり歴史的な山なのです。と言いますのは・・・タイトルの通り、司馬遼太郎の『 翔ぶが如く 』の全十巻の・・・・・最後の十巻目に登場する山で・・・・西南戦争で西郷隆盛が熊本北部の田原(たばる)坂の戦いで敗れ戦いながら敗走して、ここで軍の解散布告をして夜陰に紛れてこの険しい可愛岳を越えて逃げた山なのです。詳しくは・・・・登山口横のこの記念館横は、登山開始の時は朝早く、開館されていなかったので、見学したのは下山後なのですが山の歴史的な背景を説明する為に先にこの記念館について書きます。記念館の全景がこの様で・・・。ここで解散布告を出した『最後の軍議』が人形によって再現されていました。 中央が西郷隆盛、立っているのが桐野利秋です。 『敬天愛人』の書も・・・。上の全景左の建物が資料館となっていました。さて、目指す西郷さんが登った可愛岳は・・・・ここで・・・ブルー矢印の周遊コースで登ったのですが・・・明日に続きます。
2014.05.24
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毎年恒例の九州登山の今年の予定は次の3座だったのですが・・・1.高千穂の峰 天孫降臨の山と言われ、先年百名山で霧島山に登った時目の前に雄姿を見てその時から登りたかった山。2.大崩(おおくえ)山 昨年途中まで登りがら河川の増水で渡渉出来ず断念したのでリベンジ登山3.可愛(えの)岳 西郷隆盛が西南戦争で敗走して越えた歴史的に有名な山結果は現地の天候により大幅な変更となりました。 南港からフェリーで宮崎港に着くと予報通り・・・・『雨』 翌日からは『晴れ』・・・雨の中の登山は選択肢にない為一日目は登山を止め、観光に切り替えたのですが取り敢えず登山口まで行きました。登山口はここ高千穂河原です。前に霧島山に登った時もここへ下山して来たところです。目指す高千穂の峰に登るにはここを通り・・・・本来ならここから登山開始すると・・・目指す高千穂の峰が見える筈なのですが…・ガスの彼方何も見えません。登山口に貼ってあったポスターで説明しますと・・・赤矢印が登ろうとした高千穂の峰、手前が百名山の霧島山(韓国岳)、その間に小さく見えている火口が数年前爆発して未だに登山禁止(のはず)の新燃岳です。ここからの登山は断念し来年リベンジ登山の目標に成りました。今回メンバー5人の内、この山に登っていないのは私だけなので申し訳ないのですが・・・。 と言う事で・・・ここからは観光です。少し走って・・・霧島神宮に参拝し・・・・日本の滝100選の滝・関之尾の滝へ・・・・上の案内の『〇穴群』は『おうけつぐん」と読むらしいのですが・・・この滝の上がこの様になっていまして(向うが滝) 長年の水流や流砂で穴が開いたり、すり減って変形した岩が上流に向った続いていました。おう穴群について詳しくはここ。そして宮崎に帰り・・・ウン十年前の新婚旅行のメッカ青島へ形だけ立ち寄り・・・宿泊予定の延岡へ入り『登山』ならぬ、『観光』の一日を終わりました。明日に続きます。
2014.05.23
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昨日の続きです。 分岐から眺望を楽しみながら奥駈を・・・・ 行者還岳(赤矢印)を見ながら進んで行きますと・・・・(右に見える最高峰の山は大普賢岳(1780mで以前に登っています)その右が小普賢岳だと思います) 角度が変わり、分かり易くなりました。左が目指す行者還だけです。 いよいよ近付きますと・・・・ 直下に行者還避難小屋です。無人ですが毛布も置いてあり20~30人は泊まれそうな綺麗な小屋でした。ここでカップめん等の昼食とコーヒーで英気を養い・・・いよいよ頂上に挑戦です。 こんなハシゴが続き、少し行きますと大普賢岳・ 山上ケ岳への奥駈け道から左へ折れると間もなく頂上です。 期待に反し頂上の眺望は殆どなく、その代わりシャクナゲが密集していたのですが・・・麓では膨らんでいた蕾も、ここでは小さな固い蕾でした。 下山にかかりますと、小屋までは要注意の岩場です。 来た道を麓近くまで下りますと・・・・シャクナゲ越しで行きには分からなかった行者還岳が見えていました。 と言うことで無事登山を終わり来たルートで帰ったのですが自宅に着いたのが20:50でした。そしていつもの事なのですが・・・翌日はノックアウトの一日を過ごしました。
2014.05.10
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関西百名山のひとつ、行者還岳(ギョウジャカエリダケ) へは京阪電車から丹波橋で近鉄に乗り換え、橿原御陵前でまた乗り換え約2時間半の下市口駅でピックアップしてもらい車で1時間強かかる遠隔地ですので朝6時に家を出発しました。(前回の三重県の局ケ岳登山でピックアップしてもらった六田駅の少し手前の駅ですが前は東へ向かいましたが今度は南へ・・・・)下市の町から天川村に入り・・・・途中『みたらい渓谷』のこんな景色を見ながら・・・・現地のここ行者還トンネル西口(通称トンネル西口)に着いたのが10:15でした。 さすが人気のある弥山(ミセン)や日本百名山の八経ケ岳への登山口でもあり駐車場には平日でもあるのに既に20台以上の車が止まっていました。驚いたことにこんな山の中で駐車料が千円とは・・・さすが『観光地』です。 トンネルの反対側のこんな景色の所から登山開始です。 登山口から直ぐのこんな橋を渡りますと、急登が始まります。 シャクナゲの山としても有名なだけあって、緑の木がシャクナゲなのですが・・・・ 花はまだ蕾で一番良く咲いている花を探してもこんな程度でした。(頂上付近ではもっともっと固い蕾でした) その代わり、数は少なかったのですがヤマツツジはこの様に満開でした。 悪戦苦闘約50分の急登でこの分岐に到着です。 左から右へが奥駆の道で、今来た登山口から登って来た人の殆どは右の弥山へ向かいますが我々は左へ進みます弥山へき2時間と書かれていますが、目指す行者還岳へは約1時間50分の距離です。20年程前にこの奥駆を山上ケ岳から弥山。八経ケ岳を越え遥か先の前鬼まで歩いた事が有るのですが今はとてもとてもそんな元気はありません トンネル西口からの急登で尾根に出たため、ここからは眺望を楽しみながらの小さなアップダウンを進みます。シャクナゲも多かったのですが尾根にはこの様にあちこちに白い花のバイケイソウが生えていたのですがまだ蕾すら付いていませんでした。 赤矢印の辺りが目指す行者還岳です。 そして後ろ見えるのが・・・右が弥山、左が百名山の八経ケ岳です。 明日に続きます。
2014.05.09
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今から吉野奥駆けルートにあるこの山・行者還岳(1546m)に行ってきます。多分この角度からは見られませんが・・・・。
2014.05.08
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昨日(5/1)に登山仲間4人で三重県松阪市近くの局ケ岳(1028m)に登って来ました。自宅の最寄り駅から京阪・近鉄京都線と乗り継ぎ橿原神宮駅からは近鉄吉野線で六田駅まで2時間30分余の『読書時間』の後、駅前でピックアップしてもらい、車で約1時間半の旅で登山口に到着です。目指すのはこの頂上です。登山口から直ぐ新道、旧道の分岐があったので、旧道から登り、新道に下りる周遊コースを行くことにしました。標高差が700mほどの為楽勝の積もりで臨んだのですが、思いの他の急登で、汗をふきふき、やっとの思いで頂上に到着です。その苦労への褒美に山頂ではこんなにきれいなツツジと360度の素晴らしいパノラマが迎えてくれました。登山、下山の途中にはツツジ以外にもカタクリの花や・・・そして先日名前を教えてもらったのにもう忘れてしまったこんな花?も・・・ それから1枚目の写真の登山口でまたまたワラビの収穫までありました。(左の小さいのはタラの芽です) 帰りの道の駅に寄りますと・・・なんと・・・いくら好きでも買う気にはなれないイタドリを売っていました。 帰りに六田駅から乗った電車はこんなラッピングカーでした。そうなんですこの沿線は吉野山や大台ケ原の入口なのです。
2014.05.02
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昨日は予告通り和歌山県紀の川市の雨山(477m)までワラビ採りに行って来ました。毎年同じ場所へ案内してもらっていますので勝手知っての成果は・・こんなに沢山ありました。そして調理が終わったワラビは・・・イタドリはまだ皮を剝いた状態で冷蔵庫です。 ここへは毎年行っていますのでこれからの内容は去年までの記事とほぼ同じになりますが・・・・JR和歌山駅から紀の川市への和歌山電鉄は猫のタマ駅長が観光客を集客しています。 そんなことで電車は猫一色です。中吊りも・・・座席の模様も・・・勿論タマ駅長が勤務している終点の貴志駅も・・・・猫の顔です。駅長室のタマ駅長は・・・今まで見た時はいつも眠っていたのですが今回も・・・・。 ちょっと画像が切れていますが右下に・・・いつの間にか社長代理に出世したようです。さて和歌山のこの地区は昔はシュロ箒の産地だったとか。シュロの林の中を登って行くのですが・・・・今は放置され荒れ放題です。そしてもう少し登ると・・・今度は…初めて気付いたのですが・・・・山椒畑がありました。我が家の実のならない山椒の木と違い、多分沢山実がとれるのでしょう。ワラビを取りながら477mの頂上まで登り昼食とコーヒータイムで至福のひと時を過ごしました。
2014.04.26
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昨日の続きです。頂上付近にこんな案内板がありました。アップしますと・・・なに???!!! 小辺路??? こんな所に???熊野古道の大辺路、中辺路、伊勢路は歩いたこと有りますが高野山から熊野に向う小辺路は歩いたことが無かったのですがこんなところを通っていたと言う事の発見でした。そして下山にかかったのですが・・・・頂上直下で20分余進んだ後様子がおかしいのです。振り返ると登る時には見られなかった伯母子岳の雄姿がこんなにきれいに見えるのです。 これは間違ったと、またまた登り20分余を引き返し往復40分程の時間と体力のロスをしてしまいました。私たちの登った登山道はマイナーだったのですが、メイン下山道の方へ進んでしまったのでした。 しかし怪我の功名、間違ったお陰で見ることが無かった筈の今下りて来た山の形を良く確認できました。登りながら大して変化の無い山なのになぜ関西100名山?? とも思ったのですが・・・この形と熊野古道近くの山で有ることで納得でした。 そんなロスもあって車で護摩壇山の登山口のここに着いたのがも16時を回っていたのです。頂上までほんの10分余で行けるのですが、ここまで来ていると頂上からの景色とそう変わらないと時間も遅かったので登頂を断念して引き返しました。そして九度山駅で降ろしてもらい、18:23発の電車に乗ったのですが・・・高野山から来た電車の中にやたら白色系外国人が乗っているのです。そう言えば高野山を通過する時、バックパッカーの白色系外国人が余りに多いのでなぜ???なんて思ったのですが正にそんなことを証明する車内の光景だったのです。その謎(?)が昨日テレビを見ていて解けました。四国八十八ケ所の遍路道に韓国人の方を排除するはり紙がアチコチに貼られていると言う報道で白色系外人が大変多いと言うことも画像共々報道されていました。なるほどそう言う事だったのかと謎が解けたのでした。高野山は八十八ケ所を回ってのち89ケ所目に結願報告の場所なのです。と言う事でこの登山でふたつの事を勉強出来たのでした。 それから、難波から大阪地下鉄で淀屋橋まで乗るのですが、その運賃がびっくりの180円なのです。この区間は現役時代からずっとずっと200円だったのです。 このご時世に値下げ???これも確か報道されていましたが橋下市長公約のひとつに有った地下鉄民営化と値下げ効果なのでした。しかも駅の売店が何??? ファミリーマートに???? これも行革関連の成果で、確かJR西日本がキオスクを全てセブンイレブンに変更すると言う報道が有りましたが、大阪地下鉄は一足早く行っていました。これで愛想もよくなるでしよう。
2014.04.12
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昨日は高野山から30km程向こう、龍神温泉手前の関西100名山の伯母子岳と護摩壇山登山に行って来ました。 今年初めての登山は何分にも遠い山ですので朝は6:30に家を出て、帰宅が20:30の長〜い山行でした。南海電車高野線のこの九度山駅でピックアップしてもらいました。こんなレトロな駅ですが・・・横のトイレの赤矢印なのですが・・・六文銭の紋が・・・・九度山と言えば関ヶ原の戦いで敗れた真田雪村が閉門されていた地・・・その誇りなのでしょう。九度山駅からは高野山を通りますが・・・標高800m超の金剛峯寺の枝垂れ桜はまだ蕾固しでした。高野山の奥の院を過ぎ、龍神温泉に向い・・・・護摩壇山の手前から林道にそれ伯母子岳登山口へ。 案内標識には伯母子岳まで5.6kmの表示、山道のこの距離の往復はそこそこハードです。さすが標高1300m超の山、まだアチコチに雪る中を進み・・・標高1344mの頂上は・・・360度の紀伊半島の山並みのパノラマが・・・・。西の方を望むと・・・・赤矢印の塔の辺りが自動車で移動後、次に上る護摩壇山です。腰痛で毎日整骨院に通いながらこんなことして・・・・今日は朝一番に整骨院に駆け込みました。明日に続きます。
2014.04.11
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23日に和歌山(紀州)~大阪(泉南)にまたがる紀泉アルプスへ山歩きに行って来ました。JR阪和線紀伊駅でメンバー3人が集合し、登山開始と言いましても低い山並みのアップダウンなのですが・・・メインの目標はこの山・・・・ 大福山でした。山は低いのですが、あちこちの尾根から和歌山市を一望できる眺めの連続でした。 見える川が紀の川で川の向こうが和歌山市の中心部です。 アップしますと・・・河口はこの様で・・・その右側に・・・ 住友金属(現新日鉄住金)の高炉が見えます。さてタイトル「ムベ」なのですが・・・この辺りには沢山生る地域なのですがもう時期的には遅いので諦めいたのですが・・・まだ残っているところがありました。アケビと良く似たこんな実です。木登り名人の仲間が高い所まで登ってゲットしてくれました。私にはとてもとても登れない高いところでした。アケビと同様この種の周辺を食べるのですが甘い甘い『おやつ』です。眺望とムベを楽しんで下山はJRの紀伊駅よりひとつ和歌山寄りの六十谷(むそた)駅でした。紀伊駅スタートが9:15、 六十谷駅到着が14:55 5時間半強の山歩きで・・・歩数は・・・約13kmでした。
2013.11.25
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昨日の続きです。月山を下山後移動して泊まったのは将棋駒の町・天童市のビジネスホテルでした。 と言う事でホテルにはこんな置物が・・・ さて翌日登った船形山(1500m)は山形県(天童市)と宮城県(仙台市)の県境の山で、両県から登れるのですが我々は所要時間の長い山形県から登山を開始しました。 まだ緑緑の樹林帯を進み・・・・ トチやブナの樹林帯に続いて、この様にダケカンバの樹林に差し掛かったのは良いのですが・・・ 高度を上げて行きますと・・・またまたガスが濃くなって・・・頂上が近付くとこんな状態で・・・頂上は眺望も全くなく風も強いため、座ることもなく下山開始しました。風も、ガスも無くなった場所まで下山し昼食をとったのですが周辺で拾ったおみやげ(?)がこれです。 大きいのがトチの実で小さいのがブナの実ですが巨木になるブナの実が極めて小さいのは何か不思議な気がします。 下山後高速道路でJR仙台駅まで行き、二人の仲間と別れ、仙台空港に行きレンタカーを返し、復路はANAで伊丹まで飛び今回の東北登山を無事終了しました。長らく引っ張ってすみませんでした。 明日から帰って3日後に行った北海道について書かして頂きます。
2013.10.10
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北海道旅行は函館・積丹半島の旅だったのですが、それは後回しとさせて頂き、東北登山の続きです。登山2座目は出羽三山のひとつ月山(他に羽黒山と湯殿山)で2度目の登山でした。前泊の月山麓の志津温泉からこの様に見えていたのですが・・・いざ登山を開始しますと・・・・ガスに覆われてきまして・・・・折角の紅葉・黄葉も近くは奇麗に見えるのですが・・・遠くが霧の彼方と言う感じでした。 まず最初の峰のここを通り・・・・こんな感じの紅葉を眺めながら・・・・頂上の月山神社に到着しました。(頂上はこの神社の裏です)下山は周遊で別ルートでしたが・・・・こちらは主に草もみじの平坦な道が多く尾瀬の様な木道が続きました。 前日登った神室山の標高は1365mでしたがここ月山は1984m。 緯度では神室山の方が高いのですが 紅葉は緯度より標高がポイントで標高差600mの紅葉の進み具合の違いを実感しました。 前回登山の折りは月山からこの湯殿神社に下山したのですが・・・・・ 今回はレンタカーを置いている同じ場所に下りなければならないので、下山後車で足を延ばしここに寄り、次の目的地天童市に向かいました。もう一回、明日に続けます。
2013.10.09
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