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地元の雑誌に僕のエッセイコーナーができて20年弱。編集部や僕のメールアドレスに読者さんの感想が届いたりカミソリ入りの封筒が届いたりするのだが(ウソ)先日は岡崎市長から直々のメールを受け取ったのであった。この日のブログの出来事を「恐竜」と「有名人」というタイトルで2ヶ月続けてエッセイに掲載したのだが市長はそのことについての直メールを下さったのだった。早速返信メールを送った。 内田様 ご多忙の中、市長がわざわざメールを下さるとは恐縮であり大変嬉しく思ってありがたく読ませていただきました。相変わらず市長のブログを楽しみに読ませて貰ってます。 明日あたり「市長さんからメールもらっちゃった!」と岡崎市をアピールする内容でブログ書こうかな。 市長の秘書および運転手に欠員ができましたら真っ先に僕に声を掛けて下さいね。(笑)いやあ、岡崎市最高っスよ。徳川家康ゆかりの岡崎城や大樹寺、伊賀八幡宮などの歴史的なものをはじめ山あり川あり街あり田舎ありで住むのにホントお薦め。個人的には岡崎ICまで車で3分なんでどこかに行く時は便利だし。春は桜まつり、初夏は菖蒲まつりや岡崎公園の藤まつり、夏は街のド真ん中で打ち上げられる花火大会、秋は紅葉、冬は、冬は...、まあ岡崎市のHPでも見て皆さんぜひ岡崎市に遊びに来て下さい。
2015年04月28日
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ネパールで大地震があったことは皆さん知っていると思うが震源地から約80キロ離れたカトマンズ市内でも建物が壊れ甚大な被害が出ているそうで胸が痛む。ダルバール広場の寺院が倒壊しているぐらいだから僕が居候していた友人が住んでいるボロアパートは間違いなく壊滅的な被害が出ているだろう。そのアパートの屋上からすぐ近くに見えたビムセンタワーは跡形もなく倒壊したとテレビのニュースで見た。震源地からカトマンズを通り越して5キロほど東にあるパタンは中央広場の世界遺産寺院がこれまた跡形もなく瓦礫になっている。去年泊まったゲストハウスは倒れずに残っていたがその目の前の寺院はネットニュースで見たら無残極まりない。僕はこのパタンに特別な思い入れがあるのだ。地球の営みは時に無慈悲だ。
2015年04月25日
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中古車オークション会場内で懇意にしていただいている70歳前後のおじさんがオーストリッチのキーケースを持っていて「お、すげえじゃん」と何気に声を掛けたところ「これは自分の娘が作ってくれて...」から始まって「娘は岡崎シビコのメキシコって革細工の店で働いてるんで...」何と!僕は彼女を知っている。彼女も僕を知っている。何たって僕はその店のお向かいで店をやっていたんだから。しかも彼女はメッチャ可愛くって人気者なのだ。いやあ、世間は狭いなあ。まあ僕も彼女も世間からすれば有名人ではない。地元の人が「知る人ぞ知る」という程度だ。「知ってる人は知ってる」ということは「知らない人は知らない」ということだ。全然自慢にもなったもんじゃない。僕が今まで「俺って有名?」と思った時といえば2ちゃんねるに僕の話題が出た時である。店を2週間閉めて家族でバリ島に遊びに行ったことがあるが2ちゃんで「あそこ営業停止になったんじゃね?」「ああ、あの店長ヤバそうだったもんなあ」「いつも変な外人が店に出入りしてたもんな」「捕まったんじゃね?」などなど書かれたのだ。事実無根、人の憶測というのは恐ろしいもんだ。たとえば食べログの評価とか医者の口コミ評価とかたったそれだけで別の人までが右へならえをしてしまうのだ。今週の20日に発売された雑誌「リバ」に載せたエッセイは有名人というネタで書いてみたが、有名人って大変だよな。 ⇒【有名人】
2015年04月23日
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10年前の自分のブログを読み返してみると家を買っていた。そっか、この家に住んでもう10年経ったのか。住宅ローンもあと90年も残ってるワケね。(笑)10年前までは不法滞在外国人に囲まれた長屋で過ごしていた。(といっても僕が身元引受人として芋づる式に増えたんだけど)多国籍長屋は夕方にはカレーの匂いが漂いアジア感が強烈だった。あの集落は「日本」という感覚が全くなかったもんなあ。家の中でもたなびくカーテン、鍵を開けるのにコツがいる玄関引き戸、6畳全面に布団を敷き詰めて家族5人で寝てて、台所はたったの2畳、僕は欲がないからたったあれだけの借家でも幸せだったのだ。家族と肩を寄せ合って暖め合えればそれだけで満足なのだ。今でもそうなのだが、壁と屋根と布団があれば幸せなのだ。別に今の家が不満なのではない。充分過ぎる。しかし勿論、今の豪邸(?)からボロ長屋へは戻れない。一度贅沢な環境を知ってしまったらもう戻せない。手にしてしまったものを失うのは怖いものである。「便利」が「必要」に変わるともう手放せないのだ。これはケータイやスマホと同じだろう。なければないでいいが、持ってしまったらもう手放せない。もはやなければ「不便」な「絶対必要」なものになってしまう。車のパワステなどの装備も同じことだ。あれば便利なコンビニ。最近いっぱい開店している。なければないで済むものを、一体どこまで求めるのだ。水1杯のありがたさは、水のない環境に行けば思い知らされる。今の僕達は蛇口の水を出しっ放しの状態だ。僕にはホームレスや浮浪者の資質があるのかもしれない。
2015年04月22日
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昨夜は高校時代の女子会のお誘いを受けて参加してきた。男子が圧倒的に少ない商業科だったので男女比率が合わず普通科の男子3人を呼んで6対6の計12人が集まった。壁側席に女子、向かい合った椅子席に男子が各6人座りほら、昔テレビ番組であったじゃん、番号がついててさ、お互いに押した番号がつながるとカッポー成立ってやつ、あんな感じで宴は始まったのであった。高校卒業以来1度も会ってないメンバーもいたわけで実に約30年ぶりの再会という顔ぶれもあった。女子達はワタクシ放浪の達人が参加するということで(?)ドレスアップにアクセサリーなどをしてオサレである。まるで6輪の華麗な花が競い合い咲き誇っているような印象だ。(注:画像は本文とは関係ありません)アクセ販売業をしているワタクシとしては当然目がいくのでそのネックレスやブレスタイプの時計をめざとく見ては「きれいな石だね」とか「おまえに似合ってるよ」などと耳元で優しく甘く囁くのであった。(ホントはテーブル越しだけど)「俺は数学が0点5点0点0点でさ、絶体絶命だったわけよ。 追試のために毎晩数学教えてくれたよね。 それで俺95点とって進級できたのはお前のお陰だよ、ありがとう」「そのあと私の家まで送ってくれたよね、優しかったわ」「そうそう、そんで警察に自転車無灯火で止められたよね」「私、達人くんの家にお好み焼きパーティー行ったことあるわ」「そうそう、私も行ったよぉ」・・・すまん、俺は全然覚えてないのである・・・。先生の話題や同級生の近況など、学生時代の話で盛り上がりつつヒサシ氏が女子を連れてトイレにまた立て篭もる暴挙に出ないかと横目で彼の挙動を監視しつつ、話題は徐々に近況へと移っていく。血圧が高いとか、腰が痛くて朝起きる時は辛いとか、階段がキツいとか、趣味はテレビを観ること(正確にはテレビをつけたまま寝ること)とか、オムロンの体脂肪計で身体年齢測ったら50歳だった、機械って正確ね、とか何しろ出席メンバー12人の年齢を足すと600歳という集まりなので老眼とか健康とかの話題になるのは仕方あるまい。(笑)夜11時半頃解散となり、とりあえず女子を1人お持ち帰りである。ワタクシの家まで一緒にきて一緒に風呂に入り一緒に寝たのだがワタクシの妻も女子6人のメンバーのうちだったことは割愛する。
2015年04月19日
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高校時代の女子達が時々女子会を開いているようで今度の土曜日の夜の会に「達人くんもおいで」と誘われた。僕は高校が商業科だったのだが、男子は16人しかいなかった。男子は1クラス8人ずつに分けられ、あとは女子ばかりのクラス。まあほとんど女子高みたいなもんだったわ。さて、土曜の夜は女子6人が集まるのだがそこにワタクシ1人だけで行こうものならハーレムになりそうなので同級生のヒサシくんとツカサくん(あ、実名書いちゃった)に連絡し途中で2人をピックアップして一緒に行くことになった。ま、ツカサ氏は問題ないとして、問題はヒサシ氏である。彼は以前、少し目を離した隙にフアツク未遂事件を起こしている。詳しくは書けないがFカップのコンパニオンをトイレに連れ込み男仲間に居場所を突き止められ「ヒサシ、出て来い!」とガンガン扉を叩かれてソウニュウ直前で未遂に終わったという、そういう内容はココでは公表しないでおく。とにかく当日の女子会ではヒサシ氏の動向を監視しつつ30年ぶりぐらいに会う女子もいるので言葉にも注意しつつ過去の面影が微塵もなくても「オマエ誰?」と言わないようにそしてまあこちらもそう思われないように楽しまねば。もし当日、女子達がセーラー服を着て集合していようものなら「あれ、今日ってハロウィンパーティーだっけ?」とジャブを入れて来ようと思っている。
2015年04月16日
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庭にある椿の木の中でも人目に触れない陰にある蕾、それを手折ってまさに「最後に花を咲かせてやる」と尤もらしい優しさのようなエゴで連れ回して玄関先の備前焼の一輪挿しに赤い椿を活ける。赤い椿は備前が似合う。侘びが合う。似合い過ぎて陳腐にすら感じる。伊万里や信楽や天目では風情がない。やはり椿は絶対に備前でなければならない。釉薬を使った一輪挿しなど論外である。備前の土は鉄分を多く含むので活けた花は長く持つ。麦飯石を入れれば尚更花の寿命は延びる。八重咲きかと思っていたらこれは唐子(からこ)咲きだ。多少珍しい品種だが、野に咲くには似合わぬ椿だ。人の庭か、玄関先で命を落とすのが似合う花だろう。
2015年04月12日
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昔からこのブログを読んでくれている人は見覚えがあると思うが毎年この時期になると岡崎城の横を流れる伊賀川が桃色になる。この風景を見ようと出掛けてみた。まずは岡崎城の正門横に咲く枝垂れ桜。観光客は最初にこの枝垂れ桜の前で写真を撮る。さて、地元民しか通らないような小道を抜けて伊賀川に到着。しかし桃色の川は見ることができなかった。前夜に風が強くて桜の花が生きたまま散りそれらが川に流されている光景を見れるのは年に数日だけ。昨夜は雨が降ったので川の流れが滞っておらず今年はダメだった。⇒【こんなふうに川の桜が渦を巻く年もあるよ】雨に濡れて小道にへばり付いた桜の花びらの上を歩く。頭上からハラハラと最期の桜の花びらが散っている。あ、長渕剛の【ふるさと】みたいな文になっちゃった。この歌すげえ好きなんだよね。自分の家族とダブるんだ。同じなんだ。聴くと涙がこぼれそうになる曲なんだよなあ。
2015年04月08日
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昨夜はのっぴきならない理由で愛知県高浜市へ行きその帰りに高浜大山公園の夜桜を見に行った。千本桜が満開というだけあって大迫力だった。しかしここは宣伝不足のせいか人気がないのである。夜8時半だというのに公園内ほぼ貸し切り状態。大山公園の桜ライトアップは裸電球ではなく商店街のスポンサー名をピンクの提灯に書いて掲げる。ケータイを貸してもらって撮った写真がこちら。ハレーションも妖しくて良い味を出している。昭和の夜桜っていうか、ほら、千と千尋っぽくない?池に落ちた花びらとか、地面という地面は花びらずくめ。マイカメラを持って行かなかったことをすごく後悔した。十六夜の月も昇って来てて、湿った土の匂いがした。少し肌寒い、夜中の高速道路のパーキングエリアの匂いだ。ここの夜桜を見たのは人生で2度目。またいつか、3度目の訪問はあるんだろうか...。
2015年04月06日
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ヤマト運輸のメール便が3月末で廃止となったので数百点のネット出品物の配送方法を書き換えている。今までのメール便送料80円(厚さ1cm)と160円(厚さ2cm)を定形外郵便(送料120円)に換えているのだがこれがまた結構な手間なんである。毎日カメラマンの仕事から帰ってくるのは8時前後。この2日間は帰宅時間は9時を過ぎていた。ご飯を食べてすぐにパソコン業務を始めるのだが落札してくれた落札者さんへの連絡や発送完了メール、その対応が終わってからの配送説明文書き換えは眠気との闘いでもある。風呂から出た後にまたパソコン業務を再開し毎晩深夜までの書き換え作業を続けていた。本当はメール便配送の方が楽なのである。我が家は毎日ヤマトさんが夕方集配に来てくれているのでわざわざ定形外をポストまで出しに行く必要もないからだ。それに送料が少しでも高くなると売れにも響く。メール便から定形外郵便への書き換えが200点ほど終わった頃ヤマトさんから連絡があり、メール便廃止が半年延長とのこと。名前が「メール便」から「DM便」に変わるし送料は80円から100円に値上がりするものの、9月末まではオークション商品はDM便で出せるらしい。(注:僕は100円で発送できるが120円や160円契約の人もあり)もっと早く告知してくれよなあ。ということで200点程をメール便発送に書き戻している。同時に送料を100円に書き換える出品物も600点ほどある。しばらくはこの余計な作業のために寝る時間が激減だ...。
2015年04月05日
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伊賀天満宮周辺の土手に咲く桜並木を撮ろうと思ったが空模様は生憎の曇り空だったので行くのをやめた。天満宮の赤い橋越しの桜は青い空でなければ絵にならない。曇り空ならば死にゆく花が似合う。というわけで再び行福寺。南無阿弥陀仏の碑の建つ寺だ。経の漂う場所で散る椿は優雅、いや、厳かというのか、とりあえず深い野山で散る椿よりも幸せな死に方だ。参拝客が参道を歩きながら地に散らばった赤をハッと見つける。それだけでも咲いて散った甲斐があったのかもしれない。参道には幾万幾億の桜の花びらが蠢いている。桃色の道、春の終わりの道の色。おそらくこれは僧侶の意図である。本堂周りや清め手鉢や他の地面は掃いた跡がある。椿の周りと参道には掃いた跡がない。赤い椿を掃くのが惜しいのか、諸行無常の教えのためか、心憎い坊さんだな、と感心して帰ってきた。
2015年04月03日
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夏目漱石の門下生に寺田寅彦という科学者がいるのだが「椿の花に宇宙を見る」というタイトルの著書があるらしい。漱石の句に「落ちざまに 虻(あぶ)を伏せたる 椿かな」とあるがそれを科学的に検証するという項目があってそんなわけでそんなタイトルの著書にしたらしい。先日行った行福寺の境内に見事な椿の木があった。桃色のその椿は八重椿を通り越してバラの花のようだった。お寺には決まって椿の木が植えてある。山茶花ではいけない。椿でなければならない。山茶花のように花びらが1枚、また1枚と落ちるのでなく椿はポトリと落ちて散る。その瞬間から輪廻に組み込まれる。執着を捨てよ、という教えの花なのだろうか?その椿を見て曼荼羅を連想した。まあ宇宙も曼荼羅も同じようなものなのだが。
2015年04月01日
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