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最近は寝不足が溜まっていたのか右の頭が痛くおまけに耳の中に心臓があるように鼓動がドクドク聞こえカメラマンの仕事をしていても身体が重かった。毎週水曜日と日曜日は休みである。休みの前夜はネット販売の出品作業を深夜遅くまでやるのだが昨夜はどうにも眠くて0時には寝てしまった。そんなに早い時間に寝ることは滅多にない。今朝は7時に愛犬ルークさんが寝室をノックしてきた。お散歩に連れて行けとの合図である。毎朝、僕は時間がないので妻が散歩をさせているのだが今朝は「じゃあ俺も行くわ」と一緒に行った。散歩から帰って来て居間で横になっていたら「寝室に行けば?」と言われたので(邪魔だったのだろう...)寝室で寝ていたらまたウトウトしてしまった。で、起きたら昼の12時半。7時間+5時間も寝てしまった。おかげで頭痛もなくなり非常に爽快になった。昼は長男とMR2でドライブ。長男はカプチーノに乗っているのだが最近MR2を買い足し自家用車2台持ちという贅沢な車生活を送っている。「宝くじで1億円当たったら...」と息子が言う。「中古のホイールを買うぞ」ああ、その発想。さすが我が息子である。「宝くじかあ、外れたことを考えると300円が惜しくて買えん」夢があるうちは幸せである。「夢のない富豪」と「夢のある乞食」、僕なら乞食を選ぶのだ。もちろん「夢のある富豪」が最高だけどね。
2015年05月31日
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先日スーパーでカップヌードルのトムヤムクン味を見つけた。以前からあったのかも知れないが買い物はそんなにしないので「おお、これは一度食ってみよう」と買ったのである。そもそもこういう食べ物類はノーマル味が最高である。カッポヌードーもシーフード味や塩味などあるが僕はノーマル味が最も好きなのだ。すごく独断的な考えであるが、山でバーナーでお湯を沸かしカッポヌードーを食べている中年から初老の人を見ることがある。その人がカッポヌードーのノーマル味を食しているのを見ると「う!この人は物事の道理を悟っている人なのではないか?」と畏敬の念がフツフツと湧き上がってくるのである。逆にそれ以外のカップ麺、たとえばカッポヌードー塩味とかラ王とか一平ちゃんとか金ちゃんヌードルとかを食べている人を「この人はごく普通の登山者だな」と勝手に判断しいや、それどころか多少の偏見すら感じてしまうのである。それほど僕は日清カップヌードルのノーマル味に対して王道ヌードルとしての尊敬を感じているのである。僕が初めてカップヌードルを食べたのは小学4年の時だ。当時は宇宙食と同類なほどカップ麺は庶民に普及してなくすごくありがたがって食べた記憶がある。話が逸れた。トムヤムクン味に戻ろう。その前にこの画像を見ていただきたい。カッポヌードーのファンなら「む!こ、これは!」と思うだろう。そう、CUP NOODLEではなくCUP NOODLESなのだ。まあその辺の経緯はトムヤムクン味のフタの内側に書いてあるがまあどうでもいいことなので割愛させてもらう。さて、お味は...。うむ、忠実にタイ本場の味だ。お湯の量をやや少なめにして作ると辛くて尚よろしい。これはこれで美味い。しかし僕はやはりノーマル味が一番と思っている。
2015年05月28日
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冬の間に葉が落ちて枝だけになっていたプルメリアが初夏のベランダに出した途端に元気に再活動してきた。植物の生命力にはただ驚くばかりである。先日の夕方、2階の仕事部屋でパソコンを入力していたら北の空がピンク色に染まり始めたのが見えた。きれいな夕焼けになる前兆である。デジカメを持って2階南側のベランダに出てみた。プルメリア、バナナ、パイナップルを育てている場所だ。夕焼けはほんの一瞬だった。しかし見事に燃えた。本当ならもっと広角で空全体を撮りたかったのだがTOYOTAディーラーの大きな看板があるので広角じゃなくてズームにしてプルメリアを入れてみた。プルメリアの葉があまりに近くだったので白く飛ぶのを抑えるためにフラッシュの半分を指で隠した。それでも明る過ぎたので更に指で露光を絞ろうとしていたらそんな暇もなく赤い夕焼けは見る見る灰色に変わっていった。儚い程のまさに一瞬の燃え上がり。
2015年05月27日
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ちゃんと計画通りに行動して事なきを得て満足し出発時刻も到着時刻もほぼキッチリの合格範囲。途中下車も寄り道も「また今度」と思いながら結局それはいつしか忘却の彼方となる。ああ、予定通りの旅行、楽しかったなあ。僕はそんな旅行は絶対にしたくない。地図やガイドブックを見る時点で「確認の旅」となる。今何時?そんなことどうでもいいのだ。朝、昼、夕方、夜、夜中、明け方。それぐらいの分類でいいんじゃないの?Y字路があったら木の枝を放り投げて倒れた道を行く。それぐらい自由に山の迷宮を歩きたい。今月20日に発売された雑誌「リバ」に載せたエッセイはこちら。 ⇒【山の迷宮】夜中に散歩を思い立って避難小屋から山頂まで。山頂近くの岩場に寝転んで見た、満月に照らし出された御嶽山。ほんの少し怖いけど、それはオバケ的な怖さじゃなくって宇宙の中に放り出されてる落下的な怖さ。自分が精神的に堕ちて行く怖さじゃなく、孤独感でもない。自然への畏怖なんてものよりもっとゾクゾクする感覚。生きている、生かされている、というんじゃなく一生命体として宇宙に生きちゃってるという怖さ。深夜の遊園地の観覧車に乗るみたいな冒険的な怖さ。ラビリンスへの扉を開ける時のドキドキする怖さ。怖いんだけど楽しくてしょうがない、宇宙的な幸福感。これが独りで山の夜を過ごす楽しさなのかなあ。
2015年05月22日
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毎週水曜日は若い女の相手をしている。そして昼下がりには大体その女のパンツを脱がせる。抵抗するその女を無理矢理押さえ込むのだ。若い女といっても高校生やOLではない。来週で2歳になる孫のことだ。(笑)大抵は中庭に放し飼いにして遊ばせているのだがほぼ9割の確率でオムツの中でクソをするのである。今日は気分を変えて家の近くの岡崎東公園に連れて行った。3月に完成した恐竜の実物大オブジェの周りは人でいっぱい。ティラノサウルスをアップで。 そういやあ昔ってサウルスじゃなくザウルスだったよねえ。更に歯のアップ。すごく精巧だ。菖蒲園はまだ菖蒲はチラホラとしか開花していなかった。こちらは人もいなくて静かな新緑に包まれている。孫と遊ぶのって面白い。もう一度子供を育ててるみたいだ。ブランコや滑り台で遊ばせて坂道をさんざん歩かせて車で5分もかからないのに帰りは車の中で寝ておった。よしよし、今日はオムツを替えなくて済んだわ。
2015年05月20日
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今日は仕事上、ポルシェ996カレラが邪魔だったので移動させた。まあ「996カレラが邪魔」という言葉自体が非日常的だ。一般人からしたら「ポルシェが邪魔ってどんな仕事?」と思われるがまあその辺りはご想像にお任せしよう。とにかく「よっこいしょ」と乗り込むのが面倒な車だ。乗り込む時に更に厄介なのがフェラーリ328や348である。フェラーリなんぞは運転席(左ハンドルね)とドアの間にパーキングブレーキレバーがあって邪魔なのだ。それからリンカーン・ナビゲーターもけしからん。こやつはドアを開けると自動的にサイドステップが飛び出てきてスネの辺りを何度打ってしゃがみ込んだことか。さて、こういった輸入車になるべくスマートに乗り込んでいざ発進、左に曲がりますよ~、とウインカーを出せばあれれ、ワイパーが動いちゃった。かっこ悪ぃ~。誰も見てなかっただろうな?と周りをキョロキョロ見回すのであった。(輸入車はワイパーとウインカーのレバーが逆についてる)レクサスやBMWやメルセデスなどを発進させようとしてスタートプッシュボタンをON、シフトレンジをD(ドライブ)に入れさあ発進、その前にドアミラー起こすスイッチどこよ?あ、ここか。よし、今度こそ発進だ、あれ?パーキングブレーキの解除レバーは?室内を見回すがそれらしきレバーがない...。あ、オートね、Dレンジに入れたら勝手に解除されるのね...。むぅ、何たる邪道、余計な装備ばっかつけるんじゃねえと思う。ま、結論からして「似合わねえぞ」ってことですな。 これは今日の画像じゃないけどフェラーリとポルシェ。そもそもこうやって写真撮っちゃうのが小市民なのかしら...。
2015年05月18日
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先日、HONDA S660の内装撮影をする機会があった。まあ内装は別に大したことはないのだが外観がすごい。エンジンが後ろに載っている2人乗りオープンカーだ。リアタイヤに195履いてるじゃん!しかも純正でネオバとは。ミッションは6速だ。ということはかなりのクロスレシオだな。まあホンダの軽なら6速は必要だろう。我が家では以前HONDA TodayのPGM-FIエンジン搭載モデルに乗っていてこいつは44馬力のノンターボだったのだが中速の伸びが凄かった。剛性がイマイチでグリップタイヤを履いていたらボディがねじれてドアが閉まりにくくなったり雨漏りがするようになってしまったが山道では普通車のそこそこの走り屋車をカモれる楽しさがあった。ただ、ギア比が高く140キロで走っている時の回転数が7000。時速100キロでのんびり走っていてもタコメーターは5000を指していた。結局Todayはそのギア比がアダとなりエンジンブローで死んだ。あの車に6速ミッションが載っていれば寿命はもっと延びたはずである。おっと話が逸れた。ということで今回のS660の6速ミッションは絶対不可欠。足回りは出来ればダブルウィッシュボーンを採用して欲しかったがま、とにかくS660は走って楽しい車なのは間違いない。ただ、軽自動車なのに車体価格198万円より、というのが問題だなあ。諸経費やオーディオなどをつけると240万を超えるんじゃないかな。今の軽自動車って高いよねえ。普通車の方が安いのあるもんなあ。 メーカーHP ⇒【HONDA S660】お金があれば乗りたい車ではあるが、軽自動車で200万は払いたくない。せめて中古で120万以下になったら、というのが正直な感想だ。現実問題として中古の軽なら予算は諸経費込みで50万円以内が理想だな。ということで僕が現在乗っているkei worksが壊れたら次に何を買うか?多分こいつになるかもしれない。SUZUKIのマイティボーイ。よほど車のことを知ってる人でないと知らんだろうなあ。ただ、こいつはエンジンもボディも弱いので改造が必要だ。下記の画像のマイティはセルボのF6Aターボエンジンに載せ換えてある。ということはkei worksのK6Aエンジンも搭載可能ってことか。足回りはリーフスプリングなので当然チューンが必要。問題は純正の4速ミッションやクラッチの移植をどうするかだ。K6A搭載車のミッションやクラッチ一式が移植できるのかなあ?まぁ、まだまだ買い替える予定はないけどね。kei works、まだ14万キロしか走ってないし。 これがマイティボーイね。軽トラみたいに荷台があるよ。かわい~。
2015年05月16日
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春の山に行くと季節の逆行を味わえる。麓の方ではアカヤシオの花が満開である。中腹付近まで登っても樹林帯の中にパッと桃色が浮んでいる。 そこからほんの1時間程度登っただけで残雪の世界。アイゼンの必要もないので爪先でステップを切って歩く。広々とした雪原に出ると山頂の避難小屋が見えた。陽が沈むまでに避難小屋に着けばいいんだからここでしばらくのんびりしよう。時々雪に埋もれていた樹がバネのように起き上がる音。谷間ではウグイスがしきりに鳴いている。
2015年05月14日
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伊勢山上の修行岩場を登る前に住職の説明を聞く。「本堂横の岩場は登れないことはないですが迂回路があります」おいおい、そんな風に言われたら逆に登らずにはいられない。登ってみようじゃないか、と心に火がつくのである。 ⇒【5月10日のブログ参照】下の画像は伊勢山上のHPより無断拝借。本堂の右側の茶色い岩場を登って、その上のドームを登る。本堂横の岩場は見た目は砂岩のようだが案外硬くて丈夫だった。岩場のトラバースの最中はさすがにデジカメ撮影できず。まだまだ修行が足りないのである。下のブログは知らない人のやつを無断転載。文章読まなくていいから画像だけツラツラッと見ていただきたい。いかにすげえ岩場かが分かるだろう。 ⇒【岩場の写真が詳しく載ってる見知らぬ人のブログ】この修行岩場の他に「裏修行の岩場」ってのがありそっちも行ったが前述のいわゆる「表修行の岩場」のインパクトが強すぎて裏岩場はただの食後のデザート、もしくは本番の後のパンツ履き、もはや10mの鎖場ごときには恐怖を感じなかった。修行麻痺だ。それよりも気になったのは樹林の中に立っていたこの看板である。「☆☆☆☆につき絶対に★★★★で下さい」誰か読める人いませんか?
2015年05月12日
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伊勢山上(いせさんじょう)という修行岩場に行ってきた。三重県の山奥にある神道の修行の山のようである。この霊場が開かれたのは約1300年前であるらしい。修行者というのはどうやらマゾヒストと同義語のようだ。というわけでいきなりこんな垂直に近い岩場を鎖で登る。本堂の横の岩場を登る。まるでボルダリングだ。なぜこんな危険な目をして修行したのだろうか?恐怖心の克服こそ仏への道、ということだろうか?本堂の上部分のドーム状の岩を登攀。まあ余裕のサワヤカ笑顔です。霊場の山をぐるりと一周して山頂に近い岩場で休憩。コウベ氏が海で採ってきたアサリを使った味噌汁。普通こんな危険な修行岩場の上で昼ごはん食べないよな。右下がコウベ氏、鎖にぶら下がってるのがモリタ氏、グレーの座ってるのが新聞記者の卵サカイ氏(20代前半)赤いTシャツがワタクシ。もちろん恒例の10秒セルフタイマーダッシュである。いやあ、楽しかったわ。みっちり修行させていただきました。
2015年05月10日
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昨日のブログの続き。真夜中の山小屋の中には満月を過ぎた月の明かりが射し込み神秘的な雰囲気の中でキャンドルの灯りが揺れていた。それを吹き消して夜明けの散歩をした。噴煙を上げる御嶽山の横が明るくなってきた。空には月が浮かんでいる。八ヶ岳の向こうから太陽が昇る。見下ろせばざわめく雲海。超巨大な水彩画が動いている感じ。息を飲む光景だ。幾重にも重なった山々。日本の山って繊細だな、と思う。西の地平線の手前には白山。朝陽を浴びてややピンク色。避難小屋の向こう側も雲海と地平線。完璧な山を堪能して下山した。実は稜線に出たあたりの樹林帯はルートを見つけるのが難しくかなりの数の登山者がここで道が分からず敗退していた。登りよりも下山時の方が更に難しかった。地図やコンパス、そんなものは無用の長物である。いかに野生の勘を呼び起こすかが大事なのだ。(こう書くと本物の登山家や机上評論家なんぞから非難されるけど)いくつもの足跡が樹林帯の中を右往左往した痕跡がありそれを信じた者達もまた同じ目に遭い迷う。下手に歩けば抜け落ちるスノーブリッジ、雪に滑る斜面、木の枝につけられた赤リボンを見つけながら歩くのだがリボンの数が少なくそれすら見つけるのは難しかった。だから「野生の勘」と書いた。それがない者は潔く諦めて下山した方が身のためである。或いは無理に突き進んで遭難一歩手前の徘徊をするかだ。僕はこのルート・ファインディングが大好きだ。信じるのは自分。わくわくゾクゾクする。ルートを見失ったと思った時は元の場所まで戻ってみる。そして樹林帯の中のリボンを探し出す。これはかなり示唆深かった。たとえば日常で困難な場面に出くわした時、一歩戻って状況解析する。或いは腹が立った時に一旦気を静めて冷静になって自分を見つめる。間違っていたのは僕の方かもしれない。今回の樹林帯の難解な迷路はそういう精神面の訓練をさせてくれた。
2015年05月09日
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5月5日、6日で岐阜長野県境の小秀山を再訪してきた。先回は去年の9月の御嶽噴火の4日前に登ったのだった。 ⇒【その時のブログ】今回は現在の御嶽噴火状況を見てみたいのと避難小屋でのんびり過ごしたいということでここに決めた。乙女渓谷を滝沿いに歩いて行く。山ツツジやアカヤシオの花が満開だ。所々で花が散って登山道が桃色に染まっていた。こんな橋を歩いたりする。途中の垂直岩場などの登山道写真は上記リンク先に載ってるので省略。なんだかんだで稜線に出ると御嶽山が見えた。ここでしばし黙祷。今日の目的地の小屋は赤い矢印の場所。稜線は残雪。この程度と予想していたのでアイゼンは携行していない。雪に写った自分をパシャリ。広い雪原で随分のんびりした。こんな感じの雪の上を歩く。小秀山の山頂に到着。山頂裏手の岩場より御嶽山を眺める。御嶽山の南斜面のアップ。噴火場所がよく見える。あそこで大勢の登山者が亡くなり、まだ発見されない人達もいるのだ。(画像をクリックするとフォト蔵へ飛び更に拡大して見れます)避難小屋内部。GWなのに貸し切り。独りぼっちだ。みんな日帰り下山したのだろう。これは大変嬉しい!今回はのっぴきならない理由で文庫本を持って来た。シェイクスピアの「ハムレット」である。戯曲には全然興味ないんだが、これはなかなかよろしい。さすがシェイクスピア、文句が秀逸だ。すばらしい。西の空の果てに沈む夕陽。遠い異国にいる気分。まるで世紀末の感すら漂う夕陽だ。100均で買ったキャンドル。静寂の中で炎を見つめる。下界の音は一切聞こえない山奥の夜。 (つづく)
2015年05月08日
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久し振りに両親に会いに実家へ行った。車で50分程度の距離だが大晦日以来行ってなかった。正直言うと実家に行っても別に楽しくもないのである。居間で話をするだけなのだが、老いた親の話といえば去年何度も聞いた話と同じ内容を話すのだ。「それもう何度も聞いたわ」と言いたいのだがまるで初めて聞いたふりをして話を合わせる。まあ、それも親孝行のうちだと思っている。実家の庭には藤棚があるが、藤はもう終わっていた。茶色く変色した房がぶら下がっているだけだ。藤棚越しに白い土壁の蔵が見える。蔵の中にはもう何十年も入ったことがない。母が嫁入りの際に持って来た着物だとか器だとか価値のないような工芸品、民芸品、日用品が置かれている。2階に行けばブリキの玩具も残っているかもしれない。あと10年もしないうちに両親は他界するだろう。恐らくこの屋敷は更地にして売り払うだろう。この築100年以上の日本式家屋を壊すのに約500万円、更地を売って子供5人でお金を分けてそれで終わり。そうなったらもうこの場所に来ることはないだろう。その時には庭石を一つ、思い出として貰おう。そう思って池の周りを歩いていたら40cmほどの溶岩があった。「これは富士の溶岩だね?」と親父に訊くと「お前が幼稚園の頃に富士山の五合目まで行ったことがある」「ああ、覚えてるよ。スバルのバンに乗って行った」「そう、その時に拾ってきたんだ」「お馬ちゃんの馬車がいてさ、俺乗りたかったんだよ」翌日、親父からメールが来た。「庭の和同開珎の水鉢とタヌキの置き物要るか?」ちっ、分かってねえなあ。「不要」と返信してメールを削除した。
2015年05月03日
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ネパール大地震の新しい映像が配信される度にやるせないような喪失感が襲ってくる。去年行ったカトマンズ、バクタプル、パタンなど見覚えのある寺院の崩壊映像が映し出されるわけだがバクタプル滞在中のブログなんぞを読み返してみるとなんてのんびりした旅だったのだろう、と胸の奥がキュンとなる。あれは15世紀か16世紀頃へタイムスリップした旅だったのだ。ナガルコットへのバス停を案内してくれた女の子の家は大丈夫だったか、手袋を買った店は潰れなかっただろうか、などと心配になる。カトマンズのラトナパークでは合同火葬が行なわれている。人間共が栄華のために積み重ねたレンガの寺院が一瞬で壊される。人の夢と書いて儚いと読む。倒壊した寺院を見て「賽の河原」を思い浮かべた。カトマンズ ダルバール広場の寺院 バクタプルの中心
2015年05月02日
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