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「最近の若い奴は...」という言葉を発するのは自分が歳を取った証拠であるというのは分かっちゃいる。この言葉は恐らく江戸時代や平安時代、いやもっと遡って紀元前から使われて来た言葉なのかもしれないがそれにしてもせめて坊さんや神主さんのような冠婚葬祭を司る人達には当てはまって欲しくないのである。まあ僕は海のような広い心の持ち主なのでそれらの人がいわゆる今どきの言動をしても腹は立たずむしろ微笑ましく思って受け止めているが今月号の雑誌「リバ」に載せたエッセイには彼らの失礼な言動をネタにさせていただいた。 ⇒ https://plaza.rakuten.co.jp/rx7saito/4190/
2020年07月31日
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今日はある写真展を観に行った。被写体のピントや写真の瞬間は良いとは思ったがそれはカメラの性能でカバーすることができる。残念ながら心に響いて来るものが何もなかった。以前もそういうことがあったな。ナントカ学会の会長、イケダなにがし氏が写真展を開きあれだけの有名人だから写真の方もさぞかし、と思い大混雑の会館フロアに飾られている多数の作品を見始めた。学会関係者は「先生のお写真を見るだけで自然と涙が」とガードレールや電線まで写ったピンボケの桜の木の写真を見てハンカチを目に当てて泣いていたのだが信者になるとこうも心眼が狂うものなのか、と写真の出来栄えや雰囲気に腹が立って半分も見ずに退館してきた。とにかく構図やら何やら全て、見るに堪えなかったのである。テレビドラマでいうならば主役も脇役も有名人を揃え大々的に宣伝していたので見てみたが面白くなく最初の15分でチャンネルを変えたって感じと同じである。今日はこのまま家に帰るのもなあ、ということで美術館でやっている一般の陶器展も覗いてみることにした。レベル的には大したことはなかったが作品から「作る楽しさ」が伝わってきた。展示の方法も雰囲気があって良かった。土を練りながらポンチで穴を開けていく作者の顔が浮かぶ。眼差しは真剣だが楽しそうな情景が浮かんできた。案内してくれた人の話によると月3回の陶芸教室で教室が終わった後のお茶タイムの方が長いんです、70歳前後の人が多くてボケ防止にもなりますしね、とのことだった。打算のない制作というのはこの世には存在しないかもしれない。歌でも絵でも書でも、基本は自分のやりたいことをやるのだが「この曲は売れるだろうか」とか「この色彩は綺麗に見えるか」とかやっぱり第三者からの評価が頭をかすめているはずである。僕が写真を撮る時だって同じだ。この陶器展はそういう打算よりも楽しさが感じられた。今朝のTVの日曜美術館では棟方志功をやっていたが彼も打算の少ない芸術家だったように思われた。
2020年07月26日
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実家の親父に網戸を取り付けてくれと頼まれたので数年前に開通した幹線道路を通って実家に行った。この幹線道路は我が家を出て100m程の場所にありとことん真っ直ぐ走ると実家のすぐ近くまで行けるのだ。あまりに一直線なので眠くなる。目の前の視界には遠くに碧南市の火力発電所が見える。醜いな、と思っていると道路脇に蓮畑を発見。脇道に入って車を停めて蓮を眺めた。どんよりとした空の下、蓮畑の周りを歩く。持って行ってしまう人がいるのだろう、「切らないで」の看板。実家で相続についての話をして遺言書の作成話をした。「オマエには1億円、他の娘達には5000万円ずつ譲渡する」てな話にはなるワケはなく、子供5人で均等に分けろとのことでたとえ1000万円の貯金があっても1人当たり200万円である。まあ親の遺産は全くあてにしていないのでどうでも良い。何たって母親の遺産は驚きの357円だったからな。(笑)資産は何も残さずに逝ってくれた方がいいのだ。その分、親には贅沢して生きて欲しいと思う。自分を犠牲にして子供に残してくれなくていい。むしろ残さない方が子供のためかもしれない。しかし、あの実家の築100年以上のボロ平屋、デカいだけが取り柄で間取り的にも場所的にもあんなもん売れないだろ、どうしよう。
2020年07月22日
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睡蓮は昼頃になると閉じて水中に沈んでしまうので今日は午前の早いうちに小呂池を再訪した。森の中にあって「岡崎の大正池」とも呼ばれているが知名度が全く無くて訪れる人はすごく少ない。睡蓮の咲く時期だけは人が押し寄せても良さそうなものだが車の擦れ違いが出来ない程の道幅しかないしこのまま静寂に包まれた場所の方がよい。睡蓮の他に金魚藻の小さな白い花も満開だ。対岸の睡蓮は極楽浄土の様相。この小呂池には白い睡蓮が多い。1割から2割ぐらいはピンク色の睡蓮。アジアに行くと紫色の睡蓮が圧倒的に多いのだがこの池も紫色とピンクの睡蓮が多かったら華やかだろうな。
2020年07月19日
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先日の水曜日、母の一周忌ということで実家に行った。その時に饅頭かケーキを買って行こうと思ったのだが「お母さんが好きだったウナギをお供えに買って行けば?」と妻が提案してくれたのでそうすることにした。碧南市には有名なウナギ屋があるが高いのである。ということで向かったのはお持ち帰り専門の寿司屋さん。寿司屋さんというとこれまた格調高い響きになるのでテイクアウト専門の寿司チェーン店と白状しておこう。「いらっしゃいませ~」「ウナギの寿司あります?」「すいません、土用の丑の時しか売ってないんです」そうか、今日は水曜日だもんな。そんで丑の時ってことは深夜2時か。土曜日の深夜2時にしか売らないタイムセールなワケね。じゃあ諦めよう。母、すまん。売り場の陳列を見るとアナゴの寿司があった。母へのお供えといっても結局は父が食べるのである。父ならウナギもアナゴも違いが分からんだろう。「じゃあアナゴ下さい」てな具合いでアナゴ寿司を買って実家に行ったのであった。ちなみに皆さんは土用の丑の意味を正確に知っているだろうか? ⇒【土用の丑とは】
2020年07月18日
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仕事帰りの西の空は今日も焼ける気配だった。だけど丘の上まで行くには間に合わないだろう。家に着いて急いで2階に上がって空を見る。妻も2階のベランダに来て2人で眺める。ベランダに置かれたプルメリアが甘い香りを放つ。
2020年07月16日
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コロナの影響でタワシを買うことになるとは思わなかった。中古車の在庫が溢れて社員の駐車場も商品車置き場に使われ別の駐車場への移動を余儀なくされたからであるがそこがまたドロドロの粘土質の場所だからタイヤが汚れる。というわけで100均で2個セットのタワシを買ったのだった。連夜10時前後まで残業続きだったが今日は6時半に終わった。今日も1日ずぶ濡れの中での仕事だった。こんな空模様だったが夕焼けになりそうだったので寄り道して岡崎中央総合公園に向かった。タイヤの泥を洗い流すために水溜まりを選んで走って仕上げに山道でブッ飛ばしてタイヤの側面も泥掃除。オモチャのようなPENTAX l-10という散歩用のカメラなのでズームを使うとボワ~ンとした写真しか撮れないが見晴らし台で1人でタバコを吸いながら西の空を眺めた。家に帰ると親子兄弟LINEが入っていてあ、兄弟じゃねえや、姉1人妹3人だから姉妹LINEか、まあもっと正直に言うとLINEじゃなくカカオトークだが「明日は何の日?」という親父からの質問に妹達は「お母さんの命日」と答えていた。うわ、オレ、母の命日覚えてないや。去年の7月に死んだことは覚えてるけど日にちは忘れている。人の命日を覚えているのはジョン・レノンだけだわ。おじいちゃんとおばあちゃんの命日も覚えてないし。大抵そうだよね、誕生日は覚えてるけど命日は忘れちゃう。しかし「オレ覚えてなかった」と返事なんかしてはイカン。「だから明日は実家に饅頭かケーキ持って行こうと思ってる」「さすが兄ちゃん」なんてやり取りになったが実は親不孝息子なんだよなあ。
2020年07月15日
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九州や信州で甚大な被害をもたらした梅雨前線だが我が岡崎市は被害もなくありがたいことである。25年前にふらりと立ち寄ったこの町内の風景がインドネシアのクサンバ村周辺の風景と似ていて田んぼばっかで雄大だったので引っ越して来たのだがまさにその場所に大型スーパー、大型書店、スポーツ店、焼き肉店、スーパー銭湯などがどんどん建って今や渋滞は当たり前の場所になってしまった。あの当時の風景はもはや跡形もない。とはいうものの我が家まではその喧騒は聞こえて来ず住宅街の一番隅の風通しの良い場所なので我が家の立地にはとても満足している。少し坂を下れば大雨で冠水するような場所があるが我が家は豪雨になっても全く安全な「やや高台」なのだ。しかし星空を見るには全く向いてない。さっきも2階で仕事をしていて外の色にふと気付き急いで南側の窓を開けたら夕焼けが終わろうとしていた。自宅前にある公園まで行って写真を撮ったが人工建造物やら電線でこの程度の空しか撮れない。
2020年07月09日
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早いもので去年の7月半ばに母が死んでから1年が過ぎた。ということで今日はお寺で1周忌を執り行った。あれ、待てよ? 1周忌と1回忌ってどう違うの?とここまで打ち込んでネットで検索したことは秘密である。無宗教、お墓不要という母の意思もあって葬儀の時に場当たり的に決めたお寺の坊さんが葬儀を受け持ちそのままの縁でその後の法要もやってもらっている。花屋で働いている僕の妻が献花を作ってくれた。3,000円のアレンジフラワーを助手席に積んで出発。父が独りで住む実家の居間から位牌と遺影を持って姉や妹達とはお寺で合流した。ここのお坊さんは理系大学卒のサーファーである。法要後の説法も宗教に関する有り難いお言葉ではなくウナギの話とか友人が6人離婚したとか先日すぐそこの川でトランク詰め死体遺棄事件があったとかたっぷり俗世間の話をしたのである。しかしこのお寺は由緒ある古いお寺で観光バスも来るし五木ひろしや具志堅用高などの有名人も参拝に来るしまあそのギャップがいい味を出しているのであった。法要後は家族全員で記念撮影。右から姉、僕、妹その1、妹その2、父、妹その3。
2020年07月04日
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晩ご飯を食べ終わった後に妻と旅の話をしていて現地で仲良くなった人とずっと一緒に行動するのは嫌だな、だって冒険できなくなっちゃってスリルが半減する、しかもそこで人間関係が完結しちゃって行く先々での新たな人との出会いが無くなっちゃう、とまあそんな内容から始まって、もしこの家に外国人が滞在することになったら多少は案内するけど後は放置の方がいいんじゃない?たとえば高山に行きたいと言ったら案内してあげたいけどそこはひとつ、自分で行ってみな、と突き放した方が相手にとって自由な旅が出来るんじゃないかな?などと「本当の旅とは」的な話をしたのだった。たとえば昔の話になるが、高校の同級生でこのブログ仲間のBerryくんとバンコクに行ったことがあるんだが迷路のようなチャイナタウンの真ん中で「ここから別れて行動しよう」ということになり僕は買い付け問屋巡り、彼はあてもなくバスに揺られてなんかとんでもない場所まで行って来たようで彼が夜になってもゲストハウスに戻って来ないのでやっぱ初めてのタイで別行動はイカンかったかな?とちょっと心配になって通りに出てみたら彼は現地の人達と道端に座ってギターを弾いて歌っていて「彼は彼の旅をしてるんだな」と愉快に思ったことがある。自由な行動、共有、これは相反するものかもしれない。それに加えて僕は旅先ではネットによる外部との情報をあえてシャットアウトしたいと思っている。「今どこどこにいるよ」と友人に教えるならまあ良いが旅先でスマホゲームやってる人とか見ると「それ旅先でやらんでもよくねえか?」と思う。なんかワケわからん内容になっちゃったが6月20日に発売された雑誌「リバ」のエッセイには一人旅しつつ、人との繋がりのことを載せた。 ⇒ 【人との繋がり】こういう景色を妻と共有したいと思うがハードな旅はしたくないって言うしなあ。かといって俺はマイルドな旅はしたくないし・・・。
2020年07月03日
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親父はよくもこんな紙クズを保管しておいたものだ。消印の押された使用済み切手が小箱にいっぱいなのである。呆れるやら感心するやら、何よ?五厘とか一銭って。五厘って何枚集めたら一円になるのかすら計算するの面倒だ。五厘x2で一銭か?一銭x100で一円か?こんな使用済み切手は「一銭の価値」すらないんじゃない?ところがネットを見るとこれがまたコレクターがいるらしく消印の場所ごとに集めてる古切手の収集家もいるようで出品してみたらことごとく全て完売してしまうのである。しかも隅の部分が破れていたり切れていたりするんで「難あり 破れあり 非常に状態が悪い」と明記しておまけに「当方素人ですので詳しいことは分かりません」と説明文を丸投げしているのである。しかも送料¥84は落札者さん側が負担するのだがそれでも売れてしまうのだから恐ろしい時代である。そんで僕も出品する時に「小樽消印」だとか「相模消印」だとか潰れて読みにくい消印をルーペなんぞでフムフムと覗いたりしてこちらまでコレクターのような感じになっちゃってるんだが先日「おお!これは!」なんて消印を見つけた。一銭五厘という中途半端な額面で、郵便局の消印の代わりに「ぜひ標札を掲げませう」なんて押されている。これは珍しい!売らずに取っておくべきなのか?いや、イカンイカン、俺は切手マニアではない。さっきまで「こんな紙クズ」と言っていたではないか。ミイラ取りがミイラになっちゃイカンのである。ということで泣く泣くじゃないけど出品したら早速入札がありました。いくらまで値上がるんだろ?こんな風に密封して発送します。
2020年07月02日
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今年もプルメリアの花が咲き始めた。花芽があちこちに出来ているのでたくさん咲きそうだ。この花は花びらが散るのではなく、花ごとポトリと落ちる。落ちた花は甘い匂いを残したままだし花びらもシルキーなままなので見つけたらいつも拾う。拾う時はいつも「儚さゆえの愛しさ」を強烈に感じる。そのまま棄てるわけにはいかない。キッチンに連れてきてガラスの小鉢に水を入れて浮かべる。これだけでキッチンが優雅な空間になる。
2020年07月01日
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