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岡崎大橋を渡っている時にバックミラーを見たら大きな太陽が沈もうとしていた。こりゃ岡崎中央総合公園で夕焼けを見よう、と帰路を変えて山道をぶん回して走る。うわあ、タイヤ焦げくせえ。丘の上に着いた時には太陽は既に沈んでいたが西の雲が赤く染まりつつあった。東の空も赤い。不気味な空だ。今夜は通り雨が来るな。林の中でツクツクボウシとヒグラシが鳴く。そうか、夏はもう終わるんだ。「一葉落ちて天下の秋を知る」なんて大袈裟ではないが(そもそもこの句は季節ではなく栄枯盛衰の喩え)確実に季節は移ろっている。
2020年08月31日
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先日仏壇の性抜きをする時に掃除をしたのだがその引き出しから子供時代の通知表が出てきた。通知表の評価点よりも先生からのコメントがヤバかった。まず姉は「男の子に食って掛かっています」うん、分かる分かる。アイツは不良だったからな。「人のことよりも自分を磨いて下さい」とも書かれていた。ぎゃはは、その通りじゃねえか。俺は姉ちゃんにこき使われてたからなあ。姉ちゃんが打ったバドミントンの羽根が隣りの石川さんちの庭に入っちゃった時も「達ちゃん、取りに行っといで」と年上目線で俺は犬のように使われてたからなあ。妹その1、その2、その3はまあまあ無難な成績だし先生からのコメントも大して面白くなく無難だった。まあ俗に言うオール3の平均的な奴らだ。妹その1は夫婦で苦労して会社を作り今では裕福な生活だ。妹その2はオール3というか、1の混じった2が多くまあ平均的というよりバカである。「ネパールってインドネシア?」などとわけ分からんことを言ってくるぐらいだし先日親父とのLINEで「お前は巧い考えをするなあ」と言われた時「私のどこが汚い考えなの!?」と怒ってて巧いと汚いの区別も出来ないレベルというかとにかく漢字が読めないアホだが陽気で前向きである。こいつも今では社長夫人となっているが社員と一緒に働くのですこぶる評判が良い。こいつが会社を動かしていると言っても過言ではない。妹その3はクールで目立たないが頭が切れる。家族で音楽好きで、親子でフルートをやっているが「車が買えるぐらいの値段」のフルートらしい。親子で介護施設に慰問演奏会に行ったりする良いやつだ。さて、最後に僕の子供時代の通知表の点数だが妻に見せたら「3段階評価だったの?」と言われた・・・。ちょっと自分でも驚きの賞状が出てきたのだが小学生時代に3年間、書道コンクールで優秀賞を獲っていた。僕は習字を習った事がないので字は上手くないのだがなぜ表彰されていたのか疑問である。教室で書いて提出するモノなので母が代筆するのは無理だし。ちなみに高校時代の書道の時間は永田ツカサ氏が代筆してくれて通知表は5だった。(なぜかその永田氏は4だった)では僕の中学1年の時の通知表の先生のコメントを公開しよう。妹が言うには「生活態度で×がついてるの初めて見た」だそうで。でも今だったら多分全部〇もらえるだろうなあ。
2020年08月28日
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実家の座敷を整理していたら額に入った母の作品が出てきた。母は僕が1歳の時に実家で書道塾を開いたのだが多い時は200人程度の生徒さんが来ていた。一部二部と分けて16畳x2部屋の広間を教室にして夜間は大人の部で10人ぐらいが習いに来ていた。子供の頃に母と近くの商店街に買い物に行くと「先生~!」と呼ばれることが茶飯事で小学生の僕は恥ずかしさと誇らしさの混じった気分だった。母は習字の書き方を教えることよりも子供達の生活態度を教えることの方が多いように思われた。礼儀、姿勢、協調性などを体罰も加えて教えていたが当時は体罰で苦情を言ってくる親などいるどころか「うちの子を叱ってくれてありがとうございます」と頭を下げに来る親御さんがかなり多かった。遠足も毎年企画して70人ぐらい連れて電車で動物園に行ったり七夕イベントもやったりで地元でもまあ評判は良かった。僕が高校生になった頃からは自宅で子供達に習字を教えると共に市内のカルチャースクールで大人を指導したり精神的に問題のある子供達をマンツーマンで教えたり商売というよりも人間育成に重点を置きはじめた。そんな母も60歳過ぎてリウマチになって塾を閉めたがその前には色んな作品展にも出品していた。僕が見たこともない作品が先日出てきたのである。う~ん、特に好きな書体でもないし、そんなに上手いと思わん。それに明らかに他の母の作品とはイメージが違う。母の書はもっと墨をドバッとつけて大胆に書く作品が多いがこれは何だ、インパクトも迫力もない。正直いって一般に人が普通に書けるレベルである。それに縦30cm、横1mほどの横長の額に入れた作品は過去の母には1つもなかった方法である。異色の作品だ。祖父の「色即是空」、叔母の「無上道」は持っているが筆遣い的に僕の趣味ではない母の作品を僕は持っていない。でもまあこの機会にこれは貰っておいた。考えてみると僕は宗教的意味の書が好きなのだろう。「徳」、晩年の母の生き方にピッタリの文字だな。僕もこの書を見るたびに襟を正して徳を積むように生きよう。そういうことなんだよな、親の遺産というものは。
2020年08月27日
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実家にある仏壇には誰も入っていない。というのも本家が新しい仏壇に買い替える時に僕の実家である新家に古い仏壇を移動したからだ。だから誰の位牌もなければ拝んだこともない。いわば「お飾り的」な仏壇だったのだ。死んだ母もこの仏壇に入るのは嫌で墓も不要と言ったし父も同じ考えなので、父が存命中に処分しようということになった。誰も入っていない仏壇といってもすぐ処分というのは気分が悪い。念のために性抜き(精抜き)することにした。供養とか慰霊とかは所詮気分の問題である。それほどまでに我が家は親子共々無宗教なのだ。断っておくが無宗教だからといって生命を粗末にするわけではないし先祖も敬うし、いわゆる神のような人間の根源にある畏怖、まあ何と文章にすればよいのか表現できないが手も合わせるし宗教を蔑むという気持ちもない。宇宙の中で何かの力によって生かされている感謝の念も強いが昨今のビジネス化しつつある宗教観に違和感を感じるだけだ。日本は宗教の話をタブー視する傾向にあるが東南アジアの様々な宗教観に触れて来て興味もあるしむしろ積極的に仏教やヒンドゥー教、チベット仏教、ラマ教など様々なお寺を巡って彼らの土着的宗教に触れる旅をしてきた。無宗教だから信仰心が無いというのは上手く説明できないが違う。色々な宗教にどっぷりハマっている国を見て来たからこそ全ての宗教の根源は同じ、それは1つしかないと思うからこそ浄土宗、浄土真宗、天台宗などなど、ただその家系に生まれたからその家の宗派を信仰するってのはむしろ盲目的ではないか、と何か我ながら意味不明の言い訳じみたウンチクを並べているのであって矛盾も甚だしいのである。さて、坊さんが来てくれるまでに汚い仏壇の掃除をした。仏花を活けて水を捧げロウソクに火を灯す。性抜きの読経は30分程度で終了。参考までに御布施は3万円。(お車代とお膳料込)状況によって違うだろうが我が家はそうした。後日、仏壇屋が作業者3人で引き取り処分をしてくれるがそちらの代金は6万円ということだ。仏壇や墓、ストゥーパとは故人のためにあるのではなく残された者の心の拠り所の物体であるというのは僕の浅はかな思い上がりの考えかも知れない。僕が死んだらただただ遺灰を風に流して欲しいだけである。
2020年08月25日
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1年前に母が死んでからは親父も急激に弱って来て「庭のフジの枝を切ってくれ」だとか「網戸の開閉が悪いから直してくれ」とか「蛍光灯の電気を交換してくれ」とか今まで自分で出来ていた些細なことを言うようになった。その度に車で1時間近くかかる実家に行ってほんの数分で終わる作業をやってすぐ帰るのもなあと後は親父の話し相手になるのだがこれがまた厄介で前に何度も聞いたことに相槌を打ったりしてこれも老いた親への恩返しの時間というか自分も親の介護、支援と向き合う年齢になったんだなとしみじみ人生の秋の気配を感じているのである。とにかく残り少ない親との時間を大切にしよう、実は僕は親父への愛情というのはそんなに無いのだが親と離れて暮らしている負い目、というほどでもないがやっぱり親を捨てて自分の道を歩かせてもらったので別に親から愛されたいとかそんなことはどうでもいいが残りの親父の時間を幸せに過ごして欲しいのである。そんなある日、毎日の父との連絡がいきなり途絶えた。この続きは ⇒【予行演習】雑誌「リバ」に載せた今月号のエッセイネタである。
2020年08月23日
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インドネシアのバリ島は宗教深い場所である。毎朝毎夕、各家庭の祠や玄関先、道端などにお米や線香や花を捧げる習慣が今も続いている。善と悪が入り交じった二元論の宗教観で島民は未だにブラックマジックを信じている。長く滞在していると1週間に1度は正装をさせられお寺でのご祈祷に参列させられるのだが日本の法事と違って異国情緒を感じながらそして彼らと同じ正装をして同じ場所に座っていると「受け入れられたんだな」という感慨も起こるのである。全員耳の上に花を挟んでいる。それがプルメリアの花なのである。フルーティな線香の匂いとプルメリアの甘い香りが混じる。祈祷師がチリリンと鈴を鳴らし、歌のようなお経を皆で合唱し左右の隅に並んだガムラン部隊が演奏を始めると参列者達は耳に挟んでいたプルメリアの花を手に取って合掌した指に挟んで頭より高く掲げる。次にそのプルメリアを地面に放り棄てる。遺骨を海に還す時もプルメリアの花を一緒に流す。もちろんすぐに波打ち際に寄せ返って来るのだが。この世の全てのものは無常なんだと強烈に感じる。我が家のプルメリアは今まさに満開で朝に蕾だった花が夕方にはもう開き切っていたりあんなに元気だった花が風に吹かれて地面に落ちていたり風向きによって甘い匂いが運ばれたり途切れたり寝る前に窓を閉める時にさっきまで見えなかった木星が見えたり刻々と移ろって行く季節、いや時間を感じるのである。そうこうしているうちにすぐに人生終わるんだろうなあ。昨日実家の親父に会いに行ったら恐ろしく弱々しくなっていた。いずれ自分も同じ道を辿るのである。急がねば。生き急がねば。
2020年08月20日
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いつもはスリランカ製のビディーというタバコを吸っている。コロナ騒動でスリランカへ戻る人も来日する人もなくその度にお土産としてビディーを貰っていたのだがそれもこの春頃には手持ちの在庫がなくなった。それ以来、インドネシア製のガラムシリーズを吸っていたがそれもコロナ騒動で輸入が止まって入手出来なくなった。てわけで最近僕が吸っているタバコを紹介しよう。CAMEL(キャメル)というタバコである。コンビニなどで簡単に入手可能。しかもタバコ税率だか葉巻税率だかの違いにより1箱¥360という値段である。(通常のは¥480ぐらい)僕はメンソールが好きなのでキャメルのメンソールを買うがコンビニでタバコを買う時って今じゃ番号で買うのだ。昔なら「セブンスター下さい」で済んだものが今では「128番下さい」みたいに言わなきゃならん。先日もキャメル・メンソールを買う時に「227番」と指定したら「新しいヤツも出てますよ」と言われた。ええい、どう違うんじゃい。そんなに種類増やすなよ。「じゃあ227、228、229番を各5箱」まあ1日に吸う本数は10本ぐらいだけどね。コレ、安くてお薦め。メンソールじゃないのもあるよ。ファミリーマートで買ったんだけどこんなTシャツで行きました。
2020年08月15日
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スリランカ人達がクリケットの試合をやるというのでルールは知らないが誘われるままに観戦しに行った。場所は故郷の隣りの市、西尾市の河川敷の公園だ。今日は親父の誕生日なのでフルーツポンチを2個買って母へのお供えだ、と言って実家に持って行った。その帰りにクリケットの試合を観に行ったのだった。県内に住むスリランカ人ばかりが60人ほど集まっており4チームで勝者を争うということだった。彼らがニューイヤーパーティーや仏陀誕生祭をやる際はいつもスリランカの国旗と日本の国旗を掲げる。とにかく日本を敬って大切にしてくれている。10人程度は顔見知りのスリランカ人がいて一緒に観戦したが観ていてもルールはさっぱり分からない。いつの間にかチェンジ、いつの間にか試合終了、え~、どうなると得点が入るの?って感じである。試合が終わった後はその場で宴会開始。河川敷らしく風が心地良くて夕焼けがきれいだった。
2020年08月14日
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7月は長雨が続いたが8月に入ってからは酷暑続きだ。そんなおかしな天候に左右されたのか知らないが普通は冬に咲くシクラメンの花が満開である。シクラメンとハイビスカスが同時に咲くなんて変だなあ。2階のベランダもプルメリアが満開。きゅうりも次から次へと大きくなっている。あと4日間仕事に行けば10日から16日まで7連休だ。愛犬ルークさんが我が家に泊まりに来るようなので今年の盆は犬と添い寝して終わっちゃうかもな。
2020年08月05日
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2日前の夕方、ついに北西の空に晴れ間が見えた。やっとネオワイズ彗星を見られるチャンスが来た。ビクセンの口径5cm、7倍率の双眼鏡を三脚にセットし岡崎総合公園の駐車場に行ってみた。北斗七星の西側を目安に双眼鏡を覗く。うひゃ~、豊田市と名古屋市の街明かりで全然見えねえ...。というかその街明かりで北斗七星すらやっと見える程度だ。ここ岡崎市から北西の空の彗星を探すなんて無理だあ。とりあえずデジカメ(NIKON COOLPIX P610)の設定をISO6400まで上げてみるがここで思わぬ落とし穴が。ISO100に設定すればシャッタースピードが最長15秒に出来るがISO6400や3200まで上げるとシャッタースピードの最長はたった1/2秒までしか延ばすことが出来ないのだ。マニュアルモードにしてもダメだった。なんだ、このオモチャのような設定範囲は...。そんなんじゃ彗星は写ってくれないぞ。とりあえず適当な北西の空を写してみる。で、写ったのがコレ。絶望的である。彗星なのかレンズの埃なのかすら分かんないレベルだ。で、翌日からは相変わらず北西の空は曇り空。セントレアに降りる飛行機が残す飛行機雲が幾筋にも重なって広がって人工的な雲を作っていく。この飛行機雲ぐらいの明るさで彗星見たかったな。
2020年08月03日
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