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僕らの世代はもうお中元とかお歳暮なんてやってないが母は自宅で書道塾をやってたのでお歳暮はいっぱい来た。それに対して書道用具とかをお返しにしていたりダブった品物を他に回すって感じでまさに師走だった。せっかく貰ったカルピス3本セットやゼリー詰め合わせやメロンが返礼として行っちゃうと寂しいものがあった。で、先日の蔵の片付けで膨大なお歳暮の残り品が出てきた。ここには約20種類の石鹸を並べて写真に撮ってあるが各種類×10個とか20個あるのでこの何倍もある。牛乳石鹸だけでも10個セットが20箱はあったし絹石鹸も色違いで各30個とか、とにかく石鹸だらけだ。蔵の2階から持って下りるのも重くて大変だった。それにしても色んな種類の石鹸があるものだ。ルビアン、ミツワ、ペリカン、牛乳石鹸初期パッケージ、マンダム、オリーブ、バスボン、フロリダ、パーマンなど「そんな名前の石鹸知らんぞ」ってモノもある。子供5人で分けても「一生かけても使いきれないほど」ある。今の世代は石鹸ではなくボディーソープの泡タイプなので「石鹸?使わないなあ。要らない」なのである。我が家は固形石鹸を使ってるので貰って来た。妹2人は工場経営してるので仕事場で使うとか社員さん達のトイレや手洗い場で使うと貰って行ったがつまり我が家の資産分配は石鹸ということであった。(笑)
2020年12月30日
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実家売却にあたり妹達と片付けをしている。台所や隠し部屋を含めると部屋数11の古民家である。各部屋は生活雑貨、衣類、家具などが置いてあったが妹3人の奮闘によりすっかりと片付いた。僕はアルバムを見つけたら座り込んで眺める役割であった。問題は2階建ての白壁の蔵の片付けだった。電気も通っていない薄暗い蔵は僕達のホラースポットだった。親に叱られた時には蔵に閉じ込められることがあったので蔵=怖い場所という意識が刷り込まれているのだ。しかし今回は片付けをせねばならない。僕達はもう大人なのだ。ということでランタンを持ってまずは1階から片付け開始。お兄ちゃんの僕が1人で入って蔵の入り口まで処分品を出す。入り口で妹達が分別して庭に運び出した。妹夫婦がやっている会社の1.5トントラックに積み込んで自分達で処分場に持って行くのである。1階の奥には謎の黒い棺のようなものが2つ。意を決して開けてみたら祖父母のミイラ発見!ぎゃあ~!と叫び腰を抜かした。ということはなく、祖母の布団だった。ちょっと残念。(笑)1階は2日かけて片付け完了。黒い棺を含むタンス類は解体業者がそのまま潰すということで解体費用に含まれているので中身だけ処分した。2階の片付け前。こちらも2日かかった。片付け後の写真。子供の頃に居間で使っていた練炭火鉢。(ちなみに僕は昭和40年生まれな)重かったので解体業者に任せようと思っていたら妹達がトラックに積み込んでいた。昭和初期に料亭だった屋敷を買い取ったのだが当時のこんなものも出てきた。会席膳拾人前。その他、膨大な瀬戸物食器。ああ、1枚でも魯山人の器があったなら...。段ボール数十個分、全て処分。蔵の階段は狭い歩幅で大変だった。天井を走る太い梁。ブリキ製の大正箱衣装ケース。(僕達はガンガンと呼んでいた)懐かしいものは出てきたが、お宝は皆無だった。最後に親父を蔵の2階に呼んで片付け具合を見せてあげた。しまった!親父を蔵に閉じ込めて鍵かけときゃよかったっ!この階段を使うのはこれで最後だ。しまった!親父を突き落して不慮の事故に見せかけりゃよかったっ!僕が最後に蔵の扉を閉める。もう永遠に入ることはないどころかあと半月後にはショベルカーで解体されるのだ。さよなら、僕の暮らした家。金持ちの家に育った末っ子の親父が譲り受けた屋敷でそれに胡坐をかいて甘ったれた生活をして転職を繰り返し子供5人を抱えてどんどん貧乏になって塩やマヨネーズをごはんにかけて食べただとか親父の実家から冷麦もらって毎週毎週食べたとかそのせいで僕は冷麦やうどんが嫌いになったとか貧乏だったがそれはそれで今となっては懐かしい。親を責める気はもう無い。逆に反骨精神を与えてもらったのだ。誰にも頼るな、一人で行け。教えてもらわずとも僕はそれを体得させてもらえた。立派な製麺会社の跡取りだった親父が堕ちていく、自らのわがままで友達もいなくなっていく、母を叩き姉を竹刀で叩き僕に怒鳴り妹は怯える、茶碗を投げつけ荒れ狂う親父を毎週見ていた子供時代。自分が蒔いた種を全て他人のせいにする悪癖の親父。その舞台となったこの屋敷を僕は太宰治の小説とダブらせる。さよなら、俺の斜陽館。
2020年12月29日
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タイヤの溝がなくなってきたので購入を考えていたところヤフオクでタイヤ・ホイールセットを見つけて即購入した。お値段は3万円+送料7800円。まあ重いから送料は仕方ない。それでもホイールが付いて1本当たり1万円弱ならOKだ。タイヤだけの値段でも1本1万円近くするからね。買ったのはクロススピードって名前のホイールにブリジストンのネクストリーってタイヤが付いてるやつ。ホイールサイズは5Jのオフセット(インセット)+45。keiワークスの純正ホイールサイズは4.5J、+50。今まで履いてたホイールは5J、+43だった。(ま、この数字は僕自身の覚え書きだからスルーで)左が今まで履いてたホイール、右が買ったホイール。重さは新しく買ったホイールの方が軽い。車の性能アップにはバネ下重量という用語もあり一言でいえばホイールは軽い方がいいですよってことだ。左が今まで履いていたタイヤ。おお、ワイヤーまで出ちゃってるぜ。破裂寸前まで使ってたな。ご苦労様でした。取り付けをしてる時にガレージ内の次男の車を見たらうおっ!同じホイールぢゃねえか!似たようなやつだとは思っていたが全く同じホイールだとは。
2020年12月23日
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夕方の南西の空に木星と土星が重なりそうに輝いている。明るい方が木星で、すぐ上に見えるのが土星だ。なんでも400年振りの大接近らしい。NIKON COOLPIX P610で撮影してみたが上の画像のように上手く撮れない。露出を変えて撮影したものの中で最も良く撮れた土星。おお、土星の輪が撮れてるじゃん。まあブレブレなのでかろうじて土星と判る程度だ。僕の腕ではこれが限界。
2020年12月21日
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1ヶ月ほど前に急に親父からメールがあって「家を売却した」と事後報告があった。何の相談もなく寝耳に水である。大阪に住む長女(僕の姉)の家に行くとのことだ。姉本人も「え~っ!?」と驚いていた。不動産とは既に契約済みで、家屋引き渡しは約1ヶ月後。しかも売却先の不動産を相見積もりもせず不動産の言い値で「はい、そうですか」と契約。僕が知った時には跡地に3軒の建売住宅が立つ予定でそれに付随する道路も作るらしい。それほどの広さなのに売却値段は2600万円、そして不動産指定の家屋解体業者とする、だとか庭の整地業者なども既に指定されていてこちらで相見積もりして安い業者を探すことは不可とのこと。2600万円から諸費用を差し引くと約1800万円程度らしい。高齢者一人で不動産屋と相見積もりナシの商談である。最初の商談後の土地の測量をしたところ(測量士が3人来て1日で土地面積を測量して費用55万円)当初より30坪広かったらしいが、側溝だということで「じゃあ100万円上乗せします」と言われたそうだが30坪が100万円とは山奥の雑木林ほどの坪単価である。それを親父は100万円上乗せになったと喜んでおった。情けないが親父がここまで世間知らずだとは思わなかった。今どき引っ越し業者ですら相見積もりはするのに。実際、愛知から大阪までの親父の僅かな引っ越し荷物もA業者は13万円だったがB社と相見積もりしたら5万5千円になった。クーリングオフ制度も過ぎていたし不動産屋に掛け合ってみたが僕達子供達はもはや売却額や契約内容を変えることは出来なかった。カモにされた値段で実家は売られた。不動産屋が悪いのではなく、親父の無知が悪いのである。それから僕達子供は家の片付けのために毎週通った。昔は料亭だった築100年以上の古民家は料亭時代だった茶碗やらお膳やら徳利やらの器が蔵の中に山ほどありその器だけで段ボール50個ぐらいはあったがまだ出てくる。どれもお宝とは言えない昔の普通の瀬戸物ばかりだ。蔵の2階にも荷物がいっぱいだがまだ手付かずだ。亡き母の衣類を妹がリサイクルショップに大きな袋3つ分持って「数千円になるかも」と言っていたら何とたったの40円。あの膨大な衣類や身の回り品をヤフオクに出す手間などない。家屋売却で得たお金は大阪の姉が全額受け取ることになった。1800万円を子供5人で分けても1人400万円弱。これから姉が親父の面倒を見てくれるのだからそのお金は姉が貰うべき、と全員一致で決定。母が貯めていたお金は介護施設の支払いで全て消え、残金は353円だったという笑い話があったのは去年のこと。母も父も生命保険に加入していないのでこの先親父が死んでも遺産が残ることはない。まあお金のことは当てにもしてなかったのでどうでも良いのだが。さて、今日は家屋解体前のお祓いをした。これからが大変である。庭には池が数個、大きな庭石が30個ほど、大きな松やらの庭木、鉄骨のガレージ、藤棚、太い梁の通った平屋、離れ座敷、蔵、それらは業者がやるからいいが、家の中の整理がいっぱいある。不動産屋の指定した業者に頼むと1.5トントラック1台で8万円とぼったくりのような値段設定がしてあるので自分達でやらねば。とにかく親父の勝手に決めた売却のためにこの年末年始は大忙しだ。
2020年12月17日
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自宅から車で5分の小呂池の紅葉を見に行った。道中は森の中の舗装道路を走って行くのだが対向車が来たとしたら擦れ違いは困難である。本当ならここへは歩いて行った方が良い。両側から木の枝が張り出して木のトンネル状態で静かな散歩が出来るし「小呂池に辿り着く感」を味わえる。夜は北側の豊田市方面を除き綺麗な星空が眺められるだろう。しかしここを夜に訪問するのは怖すぎる。いくら満天の星空が見えるだろうとはいえ僕は独りではとても行けそうにない。参考: 【睡蓮が咲き乱れる時期の小呂池はこんな感じ】
2020年12月09日
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先日の休みの昼下がりに行福寺の四季桜を見に行った。この写真だけ見るとまるで春のようだが12月である。今年の冬はまだ始まったばかりだが随分暖かい日が多い。と思ってたら今朝は車のフロントガラスが凍ってた。でも昼間はポカポカ陽気続きでまだまだ遅い紅葉が楽しめる。
2020年12月07日
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20代の中頃にインドのパトナーという町で野宿をした。インドといえど12月末の中央部は寒かった。モスクの近くの露店でショールを1枚買った。本当は赤茶けた渋い色の方がヒッピーっぽかったのだが帰国後の母へのお土産になることを考えていかにも女性用の綺麗な刺繍が入った青いものを買ったのだった。警察に追い出される形で50円程度の安宿を出て手持ちのお金も15円しかなくて野宿することにした。2日後にならなければ銀行は開かないしあんな田舎にはヤミ両替商もないだろうしあったとしてもそんな情報は何も得られていなかった。そしてどうせ明日の朝はネパール行きの長距離バスに乗る。インドルピーなんて持っていても仕方がないのだ。先日、母の遺品を処分している際にそのショールが出てきた。衣類の山の中から30年振りに見つけたのである。インド中央部のイスラムとヒンドゥーがせめぎ合う文化のラジャスタン風で鮮やかな色彩を見てあの過酷な旅を思い出した。持ち帰って仕事場の膝掛けとして使っている。
2020年12月04日
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