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家から徒歩10分程度の場所に河津桜並木がある。川沿いの堤防に約1キロ近く延々と続く名所だ。毎年この時期には外国人の見物人が多く訪れる。過去ブログを読んでみると毎年3月中旬が満開でほぼ毎年画像をアップしているのだが今日行ってみたら今年は早くも満開間近だった。岡崎市は徳川家康を輩出した町なのだがその宣伝が今ひとつインパクトが足りないようでそれを知らない人が多いと思う。この河津桜も徳川家に因んで「葵桜」と呼ばれている。ピンク色が濃いのが特徴で、満開前の方が色が濃い。今日は薄曇りだったがちょうど良いタイミングで見れた。これから1週間ぐらいは見頃だろう。
2020年02月26日
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現在乗っている車の走行距離は19万キロである。最近シフトダウンの際に3速と2速に入りづらくミッションのシンクロが原因と分かっていたのだが修理代が20万円近くかかるので車を買い替えることにした。【7年半乗ってた車はコレ】で、本日納車されたのがコレ。何じゃ、乗ってた車と全く同じじゃん。色も同じ。2006年モデルでkei worksの最終モデルである。走行距離は12万8千キロ。車検が1年7ヶ月残っていて車体価格23万6千円。諸経費を合わせると33万円。今度の日曜日に今まで乗ってた車の足回りとかスポーツクリーナーとかマフラーとかを移植する。
2020年02月24日
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日展作家の叔母の書を戴いた。半年ほど前にこのブログでも紹介したが「無上道」と書かれた素晴らしい作品だ。これは家宝として額縁に入れて玄関に飾らねば、と岡崎市内の画材屋さん【彩雲堂】に行った。ここの2階は額縁工房になっているのだ。「75cmx75cm、これは特注サイズの額縁になります」特注か、きっとかなり高くなるんだろうなあ。でも叔母の作品なのだ、金額に糸目はつけないのである。だけど出来れば30万円、いや20万円で済むといいなあ...。書に合う色の額縁を選ぶ。黒色は合わないな、ましてやアルミの銀色は論外。あまりゴテゴテした装飾も書に合わないし。茶色、しかも焦げ茶色が合うだろう。焦げ茶色の木目調を選ぶ。しかし木製ではなく樹脂製で安っぽいな。アルミ製だが焦げ茶色をややザラザラに加工してあって内側に細く金色を施してある額縁に決定。この金色が書を引き立ててくれるだろう。あまりゴージャスにならずに引き締まる。ここまで値段は一切聞いてない。決めてから最後に納期と金額を聞いたら税込¥29,500弱ということだった。お~、思ってたより安くて安堵。今まで玄関のこの場所に飾ってあったのはBALI島ウブドゥで買ったGusti ketut ngrahs氏のバリスタイルの絵だったがそれは階段の壁に移転。この無上道の書が玄関正面に飾られただけでなんか家自体が引き締まったというかまるでお金持ちの作家の家になった気分である。僕自身が焦げ茶色の和服を着て黒縁の眼鏡をかけ訪問客に対して「ささ、あがって。どうぞ奥へ」と言いモフモフのスリッパを履いて「では先生、お邪魔します」と和室の書斎へと歩いて行くようなそんな情景が似合いそうな玄関になったのであった。
2020年02月16日
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スリランカから昆明→昭通を経由した飛行機は今度は上海の浦東(プードン)空港に向かって飛ぶ。機体が雲海に映っている。上海の街が見えて来た。そして着陸。普通の航空会社ならば飛行機を降りてそのまま飛行機を乗り換えるだけである。表示されたゲートまで行けば済むことだ。しかし中国東方航空は預けた荷物を各空港でピックアップしてまたカウンターに並んで次の便の券を貰わねばならない。そして出国のための通関とX線検査をしなければならない。この時、既に僕の乗るべき上海→名古屋の飛行機はとっくに離陸をしてしまっていた。大抵の人はここで諦めてカウンターに行って次の便以降のチケットを自腹で買うことになるだろう。当然今夜のホテルも自分で探し自腹で払うことになる。僕は東方航空のカウンターに行ってeチケットを見せて「35分での乗り換えは無理じゃないでしょうか?」と言ってみた。するとカウンターの職員は「そうですね」と納得してくれて「振り替え便を手配してみます」と言ってくれたのだ。しかし悪名高き中国東方航空のことである、「振り替え便取れました、4万円です」とか言うに違いない。パソコンをカチャカチャやっていた職員と僕の会話は次の通り。職「やっぱダメです、明日の便になります」僕「じゃあ今夜は上海で年末のカウントダウンを楽しみます」職「もう1度トライしてみます。・・・あ!次の便乗れます!」僕「じゃあ今日中に日本に着けるわけですか」職「はい、振り替えなので当然無料です」僕「(心の中で)なんと!中国にサービスという言葉があったとは!」職「急いで下さい、職員専用通路からどうぞ。ご案内します」僕「こんな感動的なサービス、本当にありがとうございます!」それから僕は上海のただっ広い空港内を走った。階下に行ってターミナルを結ぶ電車に乗りそれを降りてからもまた走った。エスカレーターも全力で走った。まさに走れメロス状態である。(笑)振り替え便にギリギリ間に合い、僕が座る前に飛行機は動き出した。いやあ、諦めていた帰国便に乗れたのである。中国東方航空最高だわ!てか、僕がイケメンだったからあの女性職員はがんばってくれたのか?当初の便から2時間遅れで僕はセントレアに着いた。ロハンとピアちゃんが迎えに来てくれると言ってたがもしかしたら上海で足止めになるかも、と連絡しておいたのでもう帰っちゃっただろうなあ。出迎えゲートにやっぱり彼らはいなかった。片道1時間かけて迎えに来てくれたのにそしてしばらく待っててくれただろうに...。まずはロハンに電話して謝らなくっちゃ。そして振り替え便で今セントレアに着いたから、と。バスはもうない。帰るには最終電車しかない。僕はとりあえず駅に向かって歩き出す。「サイトーさん!」何と!ロハンとピアちゃんは待っていてくれた!2時間以上もこんな寒い大晦日の空港で待っていてくれた。そうして僕はロハンの車で自宅に帰ることが出来た。2020年が始まる約10分前に僕の旅は完結したのだった。何もかもに恵まれた過去最高の旅を味わえた。皆さん、中国東方航空で行くスリランカの旅、お薦めです!オマケ:チケット代=7万5千円。入国VISAは無料キャンペーン中。旅で使ったお金=2万5千円。(宿泊費、食費、移動費、お土産、ジャングルサファリ5400円含む)9泊10日の年末スリランカ旅行は豪遊して10万円でした。
2020年02月13日
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昆明を飛び立った飛行機は山間部の上空を飛び1時間ちょい経った頃には高度を落とし始めた。あれれ?昆明→上海ってこんなに近かったかな?しかも眼下にはまだ茶色い山々が連なったままだ。上海周辺ってこんなに山あったっけ?小さな町が見えてきた。そしてタッチダウン。え?ココ上海じゃねえだろ?窓の外を見ると小さな空港の建物に昭通の文字。ええ~?オレ、飛行機乗り間違えたの?タラップで飛行機の外に出る。さ、寒ぃ! 昭通ってどこ?そういえば4回のフライト・スケジュールの変更は時間だけじゃなくフライト・ナンバーも変更されてたな。しかも機内アナウンスも何もない。何が何だか分からず空港の建物に入る。これはヤバい。変なトコ来ちゃった。でもまあこれも旅の醍醐味である。今夜はこの山間部の小さな町に泊まるか。と思ってたら、どうやら全員一旦飛行機を降りてまた同じ飛行機で上海に飛ぶみたいだ。理由は分からない。アナウンスないから。空港内の昭通特産品コーナーをつらつらと見てみる。商品の品揃えは少ないし欲しい物も全くない。何の購買意欲もそそられないお土産品ばかりだ。それよりもオレ、人民元持ってねえし。さっき空港職員から渡されたカードを見る。何だろ?コレ。多分これは乗り換え客ですっていうカードだな。30分ぐらいしたら座っている乗客がザワザワし出した。お、さっきの飛行機にまた乗るんだな?機体トラブルだったのかな?それとも前もって決まってた経由地なのかな?まあいいや、上海に飛ぶんだ。しかしコレで決定的になったことがある。上海→名古屋の飛行機にはこれで確実に乗れない!
2020年02月11日
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帰国便に乗るためピアちゃんの家から空港に向かう。混むので早めに行きたいという僕の意見をいやいや大丈夫、出発の2時間前に着けばいい、とピアちゃんのお父さんは言うのだが今回はなぜか嫌な予感が頭をよぎっていたのだった。先回スリランカから帰国する時は出発時間が随分遅れてコロンボ空港で長い待ち時間を過ごしたのだが今回の中国東方航空はピタリと定刻通りに離陸していた。これは奇跡的なことかも知れないがコロンボ→昆明のフライトも定刻で離陸するのでは?その場合、あの中国人団体の列の割り込み地獄に対応して少し早めに着いておきたいと思ったのであった。お父さんの運転する車でコロンボ空港に到着する直前、空港敷地内に入った時から大渋滞になった。車の下まで調べるわ、運転手のIDカードチェックやら搭乗者のパスポートやeチケットチェックなど検問が長過ぎてこのままでは入り口まで辿り着けない。僕は車から降りて見送りに来てくれたみんなに挨拶をした。それから空港に入るまでの長蛇の列の最後尾に並ぶ。あちこちで割り込みしようとする中国人が注意されている。中国人のマナーの悪さは世界中で酷いものだ。僕がチェックインカウンターに辿り着いた時にはもう誰も並んでいなかった。ヤバい、乗り遅れる。それから出国手続きをしてゲートからバスに乗って機内へ。僕を含めた最後の数人が乗ったところですぐに離陸。ピアちゃんの家をあと少し遅く出てたらアウトだったな。僕の中国東方航空のフライトはコロンボ→昆明→上海→名古屋と格安航空券ならではの数度の乗り換えがある。今回のネックは上海での乗り換え時間が変更されたことだ。最初に予約したスケジュールでは上海で2時間半の時間があった。しかし4度のフライトスケジュール変更を経て(笑)上海での乗り換え時間はなんとたったの35分しかないのだった。これは99%、いや100%不可能なのである。心配していても仕方ない。きっと名古屋行きの出発は遅延するだろう。こんな無理なスケジュールを航空会社が提示するわけがない。コロンボを出発した飛行機は問題なく昆明に着陸。例の如く昆明で荷物を受け取るためだけに入国審査をしターンテーブルで荷物を拾って東方航空のカウンターに並ぶ。その時に「上海での乗り換え時間が35分しかないが?」と言うと「次の便に振り替え可能かやってみます」と言ってくれるものの結局ダメだったのでそのままチケット受け取りをしてまた荷物を預けて今度は出国審査に並ぶ。昆明の空港の外にはタバコを1本吸いに出ただけなのに中国入国と出国のスタンプが押されたのだった。さて昆明を離陸した飛行機は上海へと向かう。昆明上空では驚愕の風景を見た。昆明は山間部の都市なので山を開拓して街を作るのだが山を削っている面積が半端なく広大なのである。おそらく東京都とか埼玉県の面積ぐらいの土地が開拓中。しかも山を削った箇所、或いはコンクリを張った土地が緑色に塗装されているのだ。こ、これが噂に聞く「中国緑化運動」か!そんな中に高層ビルがところどころ林立している。あ~、この驚愕の緑化運動の写真を撮れればよかったのに。
2020年02月09日
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スリランカ最終日の朝はビーチに面した宿で迎えた。早朝に砂浜を散歩して近所の漁師と話をしたり路地を通って安食堂にパンを食べに行ったりハンモックに寝そべってのんびりした。ここで仲良くなった猫はいつも僕にまとわりついて来て砂浜を歩く時も庭で寛ぐ時もいつも一緒だった。10時になったらピアちゃんのお父さんが迎えに来てくれた。今度スリランカに来る時もここに泊まるのは決まりだな。お父さんと一緒にピアちゃんの実家に行った。着いた時に着ていた長袖とかは置かせてもらってある。ブーゲンビリアが咲き乱れる家の入り口。ピアちゃんが日本から毎月仕送りして作っている豪邸。こりゃまるでホテルですな。この家が完成したらピアちゃんはスリランカに帰るのかな?そうしたらここに泊めてもらうのもいいな。そういえばネパールのポカラから日本に働きに来たロクは日本滞在時にお世話をちょっとしたので恩を感じてくれて「ぜひポカラに行ったら泊まって下さい」って言葉に甘え彼の家に泊りに行ったらが部屋数12室か13室の超豪邸が完成してて僕はマチャプチャレが正面に見える3階の大きな部屋でキングサイズのベッドで5日間過ごしたなあ。メイドさんもいて凄まじく豪勢だったなあ。結局その家は余りにも広過ぎるということで「部屋が6つしかない小さめの家を新しく建てました」とそっちに引っ越して豪邸は貸しアパートにしたらしい。さて、ピアちゃんの家族と買い物に行ったり親戚の子供達とブランコとかで遊んだりして半日が過ぎやっぱり今回も「日本にいる娘にお土産を」ってことで今回も23kgの段ボールにスパイスとかがギッチリだったりもう1つの荷物にも一杯の荷物を託されたのであった。一番手前の小さなリュックが僕自身の荷物の全て。夜になって帰国のために空港に向かうのだが完璧だったスリランカ旅行の最後にはやはり中国東方航空の過酷な試練が待っていたのだった。
2020年02月05日
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ネゴンボに戻って来てピアちゃんの実家に立ち寄り、親戚の家族がビーチのゲストハウスまで送ってくれた。中央部のクルネガラに住む彼らの娘ジャイニーは初めて来た海に大喜びでビーチに走り出して行く。「Saito, come!」とジャイニーが叫ぶ。僕は靴を脱いで空に放り投げ走って行く。それからはお約束の砂山作りだ。ブルドーザーのように砂をかき集め、トンネルを掘り寄せて来る波にキャーキャー言いながら遊ぶ。明日の朝迎えに来るから、と彼らは帰って行って僕は独りで夕暮れの波打ち際を歩く。海が黄金色に光っている。太陽が沈んで行く彼方にはインドがあるが見えない。このまま暗くなっていくかと思っていたら空はだんだんオレンジ色に染まって来た。そして遂には過去に見たこともないような夕焼けになった。なんじゃこりゃあ!こ、これが南の島の夕焼けか。空には三日月、聞こえるのは波の音だけ。今回のスリランカはこれでもか!というぐらいに自然の美しさを惜しげもなく僕に見せてくれた。雨季だというのに夜中に1度雨が降っただけで僕のリュックの中身の1/3を占める雨具と傘は全く出すこともなくただのお荷物になっていた。ちなみにこのゲストハウス「Winston sea front villa」はbooking.comで予約した金額は年末価格で23ドルだったが今日のように直接ゲストハウスに行けば2000スリランカルピー、日本円で1200円と約半額になった。booking.comは掲載料として宿泊金額の17%を徴収するそうだ。それを惜しむホテルは客が泊まりに来ず(というか存在すら知られず)掲載登録するホテルは掲載時にドーンと料金上乗せをする。それでも世界中から「存在しているホテル」として客が泊まりに来る。ついでに暴露するならば「残りわずか!」「残りあと1部屋」とbooking.comに表記されているのもウソが多い。僕も「残りあと1部屋」に慌てて予約した宿もあるが実際は他の宿泊者は誰もいなくて貸し切りだったことも数度ある。シーギリヤで宿経営者と立ち入った話もしたのだがそこでこれらの暴露話を色々教えてくれたのだった。ここWinston sea front villaには24時間体制の警備員がいる。ビーチからの泥棒の侵入を防ぐためらしい。この辺りは貧しい集落が多いのでそういう心配もあるそうだが警備員といってもタミル族のおじいさんが座っているだけだ。3つある部屋はおじいさんが座っている場所から結構近いのでカッポーでアツい夜を過ごそうと考える人はココでの宿泊はプライバシーないので止めた方がいいな。日が暮れてオレンジ色の夕焼けも終わって紫色の世界になった。僕は暗い路地を通って雑貨屋までジュースとパンを買いに行き警備員のおじいさんの横に座って食べた。もちろんおじいさんの分も買って来た。一緒に暗い海の方を眺めながら、全く言葉が通じずそれでも妙に心地良い感覚があった。足元の砂からカニが姿を出し、それを猫が追い、僕とおじいさんは全く通じない言葉で会話が成立していた。僕はふと思い付いてipadのyoutubeでインド音楽を流した。「ラタ・マンゲシュカール!」とおじいさんは喜びipadのバッテリーが無くなるまでずっと一緒に音楽を聴いた。夜中に目が覚めたので部屋から出るとおじいさんは食堂の床で古い布にくるまって丸まって寝ていた。20代の時にインドのパトナーで野宿した時のことを思い出す。あの夜も僕は薄汚れたおじいさんと一緒に夜を過ごしたなあ。あの夜、僕の所持金はたったの15円、毛布もなかった。さっき買って来たパンは偶然にも15円だった。まさに今回の旅は当初考えていた通りに20代のような旅をしたい、その通りになった。僕はそっとビーチに出て行って浜辺に座ってタバコを吸った。20代の野宿の夜吸っていたのも「ベガーズ・シガー」と呼ばれるこの乞食のタバコ「ビディー」だった。ところでじいさん、警備になってねえぜ。
2020年02月02日
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