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小雨の中の朝市9月29日の朝市は、地元の多摩市と小田原からの産物でした。多摩市の永山団地で、朝市は午前9時から始めました。あいにく小雨が降り出して、お店はアーケードの下に、内向きに設営されました。地元の多摩市の農家もなかなかのものです。当地の地名(川の名)に、「大栗川」がありますが、りっぱな栗が出されていました。ほかにも、ピーマン、オクラ、ジャガイモ、空真菜、などとなどがならびました。当方はというと、昨日に搬送してきた品々です。1.アケビ、2.スダチ、3.ミョウガ、4.栗、この4品でした。アケビは、これを懐かしむ人がでてきて、「昔は田舎でよく食べた」とか、色いろ話が弾みました。栗は、商品からはずした3級品ですが、あらかじめ茹でておいたので、それを試食してもらいました。お菓子でしか栗を知らない人もいますから、「へぇー、これが栗なのか」などの感想もありました。ミョウガですが、今回も大量に並べたんですが、これもまずまずの売れ行きでした。当方は、午前11時には、後の販売を地元の人たちに託して、引き上げて仮眠しました。何しろ、ミョウガの支度で、昨夜は大変だったものですから。ということで、今回も快調な朝市でした。
2018年09月29日
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9月28日のみかん作業です午前5時、東京・多摩市を出発して、真鶴と早川のみかん園へ向かいました。今日の快晴は珍しいんです。このところ金曜日は、毎回、4回連続も雨の天気が続いてきでしたから。ようやく今日は、今季に初めてのことですが、秋晴れ天気でした。午前6時14分、小田原厚木道路の小田原PAから見えた富士山です。いつものことですが、みかん園に着くと、諸々の作業に追われて写真どころではなくなります。次は、午前7時30分の小田原、相模湾の景色です。左側に三浦半島が見えます。そのさらにずっと右側の方は房総半島です。これが、小田原のみかん園の、作業を開始する前の景色です。タイムスリップして、源頼朝についてですが、彼は石橋山の合戦に敗れて、追討のなか山中を逃げに逃げて、土肥実平の案内で、真鶴町岩から房総半島の見方の陣営に逃れました。こんな晴れた景色ではなかったはずですが、この景色には、そんな歴史ドラマがあります。今日のみかん作業をしているところの写真はありません。イノシシ柵をした後にも侵入した痕がありますから、今日は柵をさらに補強しました。それと、みかんの収穫前の最後の草刈りです。草刈りは、本日、全体の四分の一を終了しました。次の写真は、作業を終えた後ですが、入り口を戸締りする所です。今日の作業の痕跡は、この一枚でした。作業にかかると写真どころではなくなります。イノシシの動きですが、ビニール柵のすそを破って、みかん園に侵入している痕跡があります。そのために、今回も柵の補強の仕事をしてきたんですが。今回分かったことは、柵の外ですが、2メートルくらいの大きなネグラがみつかりました。そこから、日常的に動いている、しっかりしたけもの道が出来ていました。それによると、当方のみかん園に侵入しているイノシシは、全体の一部分のようで、本体は、けもの道から見ると、当方のみかん園を迂回するようにして、隣接する放任されたみかん園の側を通路にして、移動しているということでした。これまでの措置が、一定の効果が見てとれるということです。それでも、みかん園内には、今回もイノシシがみかんを食べた痕が、新たに2,3個あります。侵入を防止するためのビニール柵は、多分に弱さをもっているということです。綱引きが行われているということです。これから、みかんの収穫期に入っていきますが、その前に、イノシシの動きを読みながら、侵入防止柵を完成させなければなりません。イノシシの方も生活がかかっていますから、必死になって柵の抜け道をつくろうとしています。お互いに、ここは妥協できないところでして、当方としては、柵をさらに強化しなければならないということです。
2018年09月28日
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自分史4 小田原の高校時代あと9日後ですが、小田原で高校の同期会があります。高校は1966年の入学ですから、それから50年もの歳月が過ぎてます。これを機会に、自分史の一時期としてふり返ってみました。何しろ50年前のことですから、大勢の人が集まって来るでしょうが、名前も顔もつながりません。その上、有数の受験校でもあって、当時田舎から出てきた私などは、モヤモヤした大きな壁と感じていました。もちろん個々には仲間の思い出はあるんですが、学園全体と向き合うことは難しかったんですね。いろいろ模索していた頃でした。社会もまだよく見えてません。ぶつかっている壁が何なのかもよくわからずに、ふとどきにも大胆な挑戦もしました。かなり生意気だったろうと当時をふり返りますが、そうでもなければ乗り切れない状況でもあったんですね。それは自分個人の問題かとおもってましたが、だけど今にして思えば、多かれ少なかれ、それは多くの人たちに共通だったと思うんですよ。多くの苦さのなかのわずかな光りというのが高校生活でした。しかし、それから50年も過ぎて、それでもなおかつ引きつけてくれるものはなにか。それは私などが思うのに、全体としての学友がもっていた、青春の、青春らしい力だとおもう。それは帰らざる河なんですけど、どこかで今につながっている、私などを突き動かしてくれているパワーだと思っています。そうした青春のなれのはて、その今のことですが。私の場合ですが、小田原を出てから、その後の50年を東京生活してきました。2000年からですが、縁あって、真鶴と小田原のみかん園に係わるようになりました。休日をみかん農夫として通うようになったんです。休日にみかん農夫でかよってきたことで、最近感じていることですが。それは小田原を離れてみて、あらためて感じていることなんですが、東京と小田原を結びつけることが大切だ、ということです。だいたい東京人というのは、全国の田舎から集まってきた人たちなんですね。多摩ニュータウンの団地で見ると、そこは今、年金暮らしの高齢者たちがつつましい暮らしをしています。かつての故郷とのつながりが、今薄れつつある人たちなんです。身近なところにある自然といこいを求めているんです。小田原は、近郊2時間の距離に、大自然あり、歴史あり、周囲には温泉があります。他方では、当地のみかん農家は大変なんですね。何とかみかん園を維持しようと頑張ってきたんですが、高齢化しているでしょう。後を継ぐ人がいないでしょう。みかんは全国流通で、南国産の甘い大量のみかんが市場を席捲しているでしょう。TPPで輸入の自由化がすすめられているでしょう。なお大変です。個人的な努力ですが、私などの余生の仕事と思っているんですが、素人のつくった当地の酸っぱいみかんですが、ニュータウンの一つの団地ですが、暮らしの楽しみになるようつなぎます。こんな個人的な道楽仕事では、けっして農家も都会人も救うことはできません。根本的には、国の政治が変わらなければ解決しません。しかし、みすみす現状をほったらかしにて、荒廃と放棄をさせるわけにはいきません。私などの余生の仕事ですが、いま、出来ることですが、国の政治がその価値を見直しす時まで、私などの体力が続く限りですが、真鶴・石垣山のみかんと、東京・多摩の団地とを結びつけていきます。都市との近郊農業との、暮らしと営業の共存・共栄をさぐっていきます。これが、小田原の高校を出てから、いろいろ探ってきましたが、今の生きざまの結論ですね。
2018年09月27日
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モーガンの『古代社会』を読んでますモーガンの『古代社会』(1877年刊 岩波文庫)を読んでいます。人間の歴史を学ぶ上で、これは大著ではありますが、古典的な労作です。これまでに、第一篇時代区分、第三篇家族の発展、第四篇財産の発展、とすすんで来ました。あと残っているのは、第二編政治形態の発展です。モーガン自身もアドバイスしてますが、「血族家族は複雑で困惑を感じさせるものであり精通するのは容易ではない。読者がこの問題を十分検討しそれが包含する証拠の価値と重要さを吟味しうるには多くの忍耐が課せられるだろう」(下P156)と。どの様にこの『古代社会』に挑戦しているかというと、1、最初にエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(新日本文庫)で要点をつかむようにしています。2、その上で『古代社会』(岩波文庫)の対応する篇・章を、とにかく読み通すようにしています。3、さらにマルクスの『古代社会』摘要(全集補巻4)とモーガンとを突き合わせして中身を確認するようにしています。三作とも訳者が違いますから、岩波のモーガンの原本は青山道夫氏、マルクスの摘要は村田陽一氏、エンゲルスは土屋保男氏ですから、その翻訳がそれぞれ個性的で、もとは同じでも表現がかなりちがいます。それがかえって、私などには原文に近づけるようになるかと受け取っているんですが。今回の箇所から、二か所だけ紹介します。それはモーガンという人が、自分の専門研究の分野で、マルクスたちとは別に、独自に唯物論的歴史観を理解していたことを証明しているところでもあるんですが。1、エンゲルス 第2章「家族」P48『「家族は」-モーガンは言う-「能動的な要素である。それは決して停滞せず、社会が低い段階から高い段階に発展するにつれて、低い形態から高い形態にすすむ。〔・・・〕これに反して、血族呼称制度は受動的であって、時のたつうちに家族が成し遂げた進歩を、長い時期をへだてて記録するだけであり、家族が根本的に変化した場合にだけ、根本的に変化する」。マルクスは〔「摘要」の中で、P280〕つけくわえて言う。「政治的・法律的・宗教的・哲学的な諸制度一般についても同じことが言える」と。これは、モーガンがとらえた家族と呼称制度の関係を、マルクスはそれを肯定しつつ、さらにもっと一般的・社会的な意義をもつものとして指摘しているわけです。2、今回、『古代社会』第4篇・第2章ですが、岩波の下巻P389-390ですが、モーガンということは、先史から文明時代までを専門に研究してきた人ですが、注目すべき将来に対する見通しを述べているんですね。「文明時代の開始以来過ぎ去った時は、人類存在の過去における継続期間の一断片にすぎない。そしてまた来るべき時代の一断片にすぎないのである。社会の解体は、財産がその究極目的である道程を終結せしむべきことを命ずる見込みが十分にある。というのは、かかる道程は自滅の諸要素を包含しているからである。政治における民主主義、社会における友愛、権利と特権における平等、そしてまた普通教育は、経験、知性及び知識が着々とその方向をとっている次代のより高い社会を予示している。それは古代の氏族の自由、平等、友愛のより高度の形態におけ復活であろう」と。マルクスもこの箇所を注目して、「摘要」に書き抜いています。エンゲルスはこの箇所を『家族・私有財産・国家の起源』の、最後の結びに使っていました。やはり、同時代者だったとはいえ、大西洋のへだたりにもかかわらず、直接的な交歓などなかったモーガンが、自身の専門研究から得た結論ですが、それが唯物論的歴史観に重なっていたわけですから驚きですね。このことは、真理というものは、それぞれの道での努力をとおして、客観的に接近し合っていくということを示したものじゃないでしょうか。さて、これから残りの『古代社会』の第2篇「政治形態観念の発展」にすすんでいきます。アメリカのインディアンとギリシア・ローマとの関係、人類史の謎解きの問題です。
2018年09月25日
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イノシシとの攻防の続きです小田原・石垣山のみかん園ですが、イノシシとの攻防が続いています。4日前の9月21日には、はっていたビニール柵を補強しました。柵のすそをくぐり抜けて、再び園内に侵入しだしたからですが。これがその補強した柵の様子ですが。くぐりぬけれないように、団地で出た廃材の板を、裾に当てるようにしたんです。自然豊かな石垣山ですが、かつてみかん畑だったところが、荒廃して森のようになっているんですね。そこにイノシシが住み着いて、みかん畑を荒らしまわるようになっています。鉄塔の後ろの方から、下りてくるんですね。前回に板で補強したのは50メートルのうちの40メートルくらいでした。主要な通路は塞ぐことは出来たので、ヤレヤレだったんです。しかし、板が少し足りなかったので、そこは竹で裾を補強しておいたんですが。板で補強した個所は、大丈夫だったんです。しかし、下の写真で茶色の杭がある個所でしたが、2本の固定するためのピンが引き抜かれて、裾から入りこめるようになっていました。ここがイノシシの新たな通路になったんですね。板が足りなくて、補強の手薄な10メートルの部分だったんです。イノシシもたいしたものです。補強の手薄な箇所をちゃんと見つけ出して、新たな通路をつくりだしていたわけです。とりあえず、そこにあった材料で、応急措置をしておきましたが。今回の結果ですが、板で補強した個所は、これまでのところ、イノシシの侵入をとめていました。そのかぎりで、効果の弱いビニール柵でも、板の補強で何とか防ぎとめれそうだということです。しかし、その補強のされてない個所は、狙われて突破されるということです。あと、少しの補強ですが、みかん園を守るために、もうひと踏ん張りです。もう一つ感じるんですが、イノシシの場合ですが、被害は被害ですが、この場合は自然の関係で、やりとりは素直なんです。イノシシも必死ですが、努力すれば効果が期待されるということです。ところが、人間界の場合は違います。TPP、関税の自由化が、日本の農業にどのような結果をもたらすか。推進者は「世界に日本のリンゴを、メロンを輸出すればよい」などと馬鹿なことをいってます。そりゃぁ、数軒の農家はそれでウファウファでしょうが、後の多数の農家は無茶苦茶です。人間世界は、屁理屈をつけて、政策の実際を黒色で隠して、誤魔かしを押し付けるんですね。1970年代のオレンジの自由化で、すでに体験済みの政策です。それがもっと農業全体にかけられているんです。この方は、イノシシよりももっと悪質ですね。ウソと、誤魔かし、真実を隠して、それをきれいなバラ色に描いて、死への毒薬を無理やりに飲まそうというんですから。こうした人間界にくらべたら、イノシシの方がはるかに素直であり、正直な態度です。これまでの農政こそが、これまでも今でも、減反や荒廃園をつくらせつつあるんですから。まともな農業政策が、近年では検討も実行もされてないということです。これは悪質ですね。こうした視点から、今の全体的関係を、現実の国民生活を、総点検する必要があります。そして、一刻もはやくまともな農業政策、経済政策に変えなければ、国民生活も農家もたまったものじゃないということです。現状を変える政策と力が、いつにもまして必要だということです。
2018年09月24日
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キイロスズメバチの首がしめすものは9月23日(日)、神奈川県真鶴町にあるみかん園を見に行ってきました。天気予報では晴れだったんですが、実際の朝は曇りの天気でした。今日晴れれば、スズメバチの動きをとらえれるかと思ってのことでしたが。午前7時16分、小田原サービスエリアかに見えた富士山です。これは、曇りのち晴れの天気を富士山が示してくれてます。夕べ雨を降らせた雲が移動しつつあるということです。途中、厚木の中津川の温度は、6時38分に22度でした。稲刈りも始まりだしている平塚あたりの水田でした。真鶴園に出かけた目的は、オオスズメバチをとらえることでしたが、曇りの天気でもあり、オオスズメバチとは出会いませんでした。その代り、キイロスズメバチとミツバチとの闘いの痕跡跡が巣箱の前にありました。網の外側にキイロスズメバチの首がある。そして金網の内側にはキイロスズメバチの死骸が2匹はありました。この間に、私などの知らないところで、巣を守るミツバチとの死闘が展開されたんですね。きっと、網の中に入ったキイロスズメバチは、ミツバチたちによって熱殺されたんですよ。一対一ではキイロスズメバチのが強いんですが、結果はご覧の通りです。もう一つの巣箱なんですが、この巣箱の入り口は、ミツバチたちの警備態勢が、さらに強く取られていました。巣箱の門前に、金網を張った箱を置いたのは正解でした。私などの想像ですが、攻撃してくるスズメバチの動きは、金網があるために一呼吸間が開くんですね。そのわずかな間に、ミツバチたちの対処する間合いが出来るわけです。ミツバチたちの集団的防衛の態勢を敷く時間がとれるわけです。自然界というのは厳しいですね、私などの知らないうちに、巣箱の中の蜜を狙って、攻防の死闘が繰り返されているわけです。これが今、真鶴のみかん園で展開されているわけです。そのみかん園の今ですが、早生みかんが、この秋の日和の中で、少しずつ色づき始めています。これは、早生みかんの一種の、宮川早生の木です。なぜこの木が宮川早生だとわかるかと言えば、私が、2005年2月27日に苗木を植え付けしたから、それだから木の種類がわかるんです。もともとは、この場所に大きな成木があったんですが、カミキリムシの加害によって、その木が枯らされちゃったんですね。その場所に、宮川早生の苗木を植え付けしたんです。みかんの木というのは、一度枯らされてしまうと、植え替えしてから13年がたちましたが、ようやく以前の1割くらいの果実が着くようになりました。ということは、みかん農家というのは、今から15年先のみかん畑を想定しながら、みかん業をすすめていかなければならないということです。それがみかん農家の営農だということです。水田のお米作りについても、私は知りませんが、きっときほんは同じだと思うんですよ。要するに何が言いたいかというと、農林議員族の政治家、官僚というのは、そしてまた、それを合理化する御用学者たちですが、彼らは、その場しのぎの口八丁でしかないということ。おおよそ儲けることしか農業についても考えていないから、やれ「農産物の輸入の自由化だ」とか、「外米の輸入だ」とか、「減反のおしつけ」だとか、如何に農家の犠牲を強いる具体的事柄を、甘い言葉でオブラートにくるんでいかに飲ませるか、それしか頭にないということです。私などが生まれた頃、1950年頃というのは、もちろん知る由もありませんでしたが、転換期だったんですね。敗戦後から1960年ころまでは、農地解放もあり、まがりなりにも国民の食糧を自力で賄うために国民も政治家も、真剣に努力していたと思うんですよ。それが、今はどうなっているか。いつの間にこういったことになってしまったのか。この政治がもたらすものは、輸出で儲けた金で、農産物を買えばよい、ということですが。この道が国民に何をもたらすか、世界の諸国が努力している道に照らして、どんな関係にあるか。今の政治家に任せておいたら、とんでもないことになる、これは間違いないことです。私などの、みかんの新米農夫であっても、肌で感じ考えさせられる、これが今の日本農業の大問題です。
2018年09月23日
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9.22朝市は完売でした昨日、9月21日(金)に小田原・早川から運んできたミョウガと栗でしたが。22日(土)の朝9時から、多摩の団地の朝市をしました。ミョウガは、1パック150円で、49パックを用意しました。栗は、1袋(500g)が250円で、21袋用意しました。写真は店開きして最初に撮るようにしています。渦中に入ると、写真どころではなくなっちゃうんですね。今回は、栗の最初の販売でした。選果で出てきた栗の3級品を、昨夜のうちに茹でておいて、それをドンドン試食してもらいました。午前9時から始まった朝市ですが、今回は単独での朝市だったんですが、午前10時50分には、すべて完売しました。中には、ミョウガ食べ方や保存の仕方を教えてくれる人がいて、それを試そうとして1パック確保しておいたんですが、とうとう、それも吐き出す羽目になりました。朝市をしている場所のすぐ向かいでしたが、そこに何やら看板が出されていました。北海道・三陸を支援するため、「さんまの秋まつり」を予定しているそうなんです。去年のサンマも好評でして、用意された1000匹でしたが、私などが食べようとして、ならぼうとしたときには、すべて売り切れていました。数日前、その準備に当たっている方から要望がありました。『10月13日には、スダチをたくさん持ってきてほしい』と。スダチは、真鶴のみかん園にありますから、それはお安い御用なんですが。どうもスダチというのは、やはりサンマの添え物ですから、あってもなくてもよいけれど、あれば秋刀魚の味が引き立つといったものですから、ようするに「サービスとして、スダチ提供してくれたら、たすかる」といったことのようなんですね。まあ、お金がすべての世の中にあって、一つくらいは、その鉄則を破るものがあってもいいかと思います。その分と言っちゃあなんですが、要望された方には、みかん園の草取り作業のボランティアに、半日の勤労奉仕ですが、汗を流してもらうことにしました。どっちが高いかわかりませんが。鉄則が形をかえて働いているという次第です。
2018年09月22日
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イノシシ柵を補強してきました小田原・早川のみかん園ですが、9月21日は、小雨が降る中でしたが、イノシシ防止柵を補強してきました。これは東園ですが、8月28日に草刈りしていた時の様子です。東園は、一応はビニールの柵で8月20日に囲いを済ませたんです。囲いを終えてやれやれと、遅れていた草刈りをすすめていました。ところが、しばらくはおとなしかったイノシシですが、9月17日に見回ったところ、イノシシの掘った穴跡が、ボコボコと幾つもつくられていたんです。それで、今回は、小雨も降る中でしたが、作用には反作用です。これまでのビニール柵ですが、イノシシがその気になれば、簡単にくぐり抜けれるということがわかりました。それで今回とった反作用措置ですが、1、まず、イノシシがどこから侵入してきたか、その箇所を調査しました。そもそもみかん畑の四辺のうち、イノシシの侵入してくる一辺についての全体調査をしました。右側がイノシシが自由に動いている領域で、そこから侵入してきます。いちおうは、ビニール柵で仕切ってあるんですが、そのどこかしらを、くぐり抜けてきているんですね。次のみかんの枯れ木のある個所が、みかん畑の一番奥まったところです。このあたりの柵のをくぐり抜けてきているんですね。2、今回、この箇所が重要地になっているとみなして、ここについては、鉄柵を使うことにして、鉄柵を4枚を設置しました。前回、このビニール柵をはっていて、一つの発見がありました。完全につる草に覆われていたんで、気づかなかったんですが、みかんの小木が、つる草の下にあることを、柵をはっていた中で見つけたんですね。ビニール柵の外側のつる草を切っていて、気が着いたんです。草を刈って、みかんの木の存在をはっきりさせて、ビニール柵をはってあた個所を、そのみかんの木の外側にずらせました。写真にはないんですが、3、今回、ビニール柵を半分で折り返して、二重にしたんです。4、加えて、ビニール柵の間には、くぐり抜けられないように板を置くようにしました。高さ30センチ位の板ですが、団地の住人が引越した時に出てきた廃材の利用です。さぁ、これで、ア.イノシシがみかん畑を闊歩するのに対して、a.私たち人は、ビニール柵をはって防ごうとしたこと。それに対してイノシシは、自由にビニール先を突破しだしてきました。b.この新たな動きに対しては、はってあったビニール柵を二重にしたこと。c.さらに、そのビニール柵の間に、板をおいて突破されないようにしたこと。雨が強く降りだす前の、午前7時から9時までの2時間の作業でしたが、この効果のほどはどうか、それは次回みかん園に行った時にわかります。みかんの収穫時が近くなってきて、イノシシとの攻防が、いよいよ重要になってきている早川のみかん園です。
2018年09月21日
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震災にたいする備えを開始します日本列島は、どこで地震がおきても不思議じゃありません。これまで、どちらかといえば他人ごとだった震災への認識ですが、関東に住む当方としても、認識を新たにして、とにかく気づいたことから、備えを一歩でもすすめることにしました。今回は、最初の四点です。1、まずは、水です。「水道の水をためておけは・・」と思ってましたが、断水してからではおそいですから、常備することにしました。2、次いで、室内の安全確保で、転倒防止のため家具の補強です。せめて、一部屋だけでも安全地帯を確保しておく必要があるかと思って。たまたまホームセンターによったら、「突っ張りポール」が販売されていました。3、第三は情報です。ラジオをそなえることにしました。家庭用の交流電源とともに、乾電池の電源を使えるものを。考えてみれは、出先でのこともありうるので、携帯ラジオのが良かったかもしれませんが。とにかく、電源が切れれば、情報から遮断されますから、これは大事なんですね。4、第四は、カセットコンロです。もともと、家の片隅にあったものですが、もしもガスや電気が遮断されたとしたら、火が消えます。生きていく力を維持するためには、暖かいものが欲しくなると思うんですね。まぁ、これはほんの第一歩でして、まだ食べ物をどうするかとか、通信をどうするかとか、いろいろとこの他にも必要事項があるとは思いますが。とにかく、私なりに出来るところから、遅ればせながらも、第一歩を開始したということです。
2018年09月19日
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イノシシがみかん園を掘ってました昨日、9月17日のことですが、小田原のみかん園に着いて、最初にまずはイノシシの動きのチェックをしました。すると8月17日にビニールの柵をはった部分の畑ですが、この1カ月くらいは特段の動きはなく、足止めが出来たかと思っていたんですが、とんでもない。園内にけもの道が出来ていて、掘り返した穴がいくつもあけられていました。ビニール柵なんて、なんのそのだったんですね。この箇所ですが、柵を固定したピンが抜かれていて、下をくぐり抜けているんですね。他の大方の部分は、鉄柵で仕切りましたから、そこは大丈夫なんです。イノシシの方も、どこの柵が弱いのか、よく知っているんですね。くぐったあたりから、けもの道が続いています。5センチ位の足跡の続いています。イノシシはみかん園の地面のあちこち掘り返していて、今は、ミミズだったり、ヤブカラシの根だったり、地中の好物を食べているんですね。ところが、11月ともなると、みかんを狙うようになります。ようやく色づき出してきたみかんを、地面から1メートルくらいをことごとく食べていきます。この間、園主さんが手入れをあきらめるほどに、イノシシの加害は深刻をなんですね。みかん園のまわりには、かつてのみかん園が放任園になっています。この鉄塔のあたりから、その下の方にあるみかん園に出没してくるんですね。今年の炎天下の夏に、柵張りを優先したのは、イノシシの足を止める為だったんですが、その柵張りを終えて、遅れていた草刈りを、いそいで進めていたところだったんですが、今回の事態は、みかん園のこの箇所こそが、イノシシとの攻防の焦点となっていることが分かりました。これから、ビニール柵を二重にしたり、仕切りを板で強化するなどして、柵の補強をはかります。他の箇所は鉄柵を設置したことで、イノシシの侵入を防げていますから、この畑の部分、40m×40mこそが、焦点になってきています。
2018年09月18日
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みかん園の草刈りは大詰めです9月17日(月)、小田原・早川の石垣山に行ってきました。みかん園の草刈りに行ってきたわけですが、ここらあたりが、今年の草刈り作業もいよいよ大詰め段階に来ています。これは、今回草刈りしている時の情景です。私などは、もう汗びっしょりでヘトヘトに、水入り休憩のために移動しました。その休憩で一服できたために、この草刈り作業の様子を、対象として客観的に写せたわけです。一緒に作業をしている相棒のIさんですが、草刈り機のエンジン音を、谷間に響かせていました。休憩所は山の上にありますから、前の写真は上の方から撮ったんですが、これは逆に下の方から、同じ場所を撮ったものです。この畑の8割方の草刈りが終わったと思います。後は、草刈り機では出来ない、樹冠の下の草刈りが残っているんですが。ところで、前回に草刈りした後、まだつる草が巻き付いている木が目についたんですが、今回は、イの一番にそのつる草の剥ぎ取りを課題にしていたんです。これが前回の、みかんの木が、つる草に巻き付かりている様子です。どうですか、今回の草刈作業の取りですが、この木に対しても、1、木の周辺の草刈り、2、樹冠の下の草取り、3、そして巻き付いていたつる草の剥ぎ取り、この木だけでも、ここまでからみつかれてしまうと、それを普通の状態に戻すの葉、大仕事になるんですが、なんとか片付けることが出来ました。こうした木が、あちこちにあったんで、おそらく10本くらいはつる草をはぎ取ったと思います。その巻きつかれたままにしておくと、みかんの木に日が当たらなくなり、そのため葉が生育できなくて、結局みかんの木自体が弱ってしまうんですね。もっと早めに下草を刈るようにして、つる草が木に巻き付くなんて状態を許さないのが、みかん農家の一般的な姿であり、努力なんです。当方は遅ればせながら、ようやく今回、そうした状況までたどり着いたということなんですが。これではまったく遅いんですね。これが遅くなれば、それだけ雑草の根が張り、太くなり、木にからみつくようになって、草刈り作業が大変になるんですね。とにかく、今回で、汗びっしょりのヘトヘトになりながらも、つる草の剥ぎ取りと、一応の草刈りを、みかん園全体について、これでひと回りしたことになります。「やれやれ」といったところです。
2018年09月17日
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モーガンの『古代社会』に挑戦します岩波文庫にモーガンの『古代社会』(1877年刊 青山道夫訳)があります。この著作は、人類の先史から今日まで歴史を理解する基礎を与えてくれています。文庫の上・下の全体で750ページにもなる大著なんです。他方、この本に対するマルクスの『摘要』が全集の補巻4に残されています。これも200ページを越える書き抜きと批評なんですが。マルクスは1883年3月に亡くなっていますから、1880年末から1881年3月初めに書かれたこの『摘要』は、彼の晩年の探究だったんですね。モーガンという人ですが、青山氏の解説によると「1818年11月21日アメリカのニューヨーク州オーロラに近いカユガに生まれた。そして1881年12月17日に没するまで、その64年の生涯は、学研としてばかりでなく、法律家、実業家としてまた政治家として多彩な生涯だったのである。」アメリカという国の中からは、面白い人が、研究者が出て来るものですね。私はこの本を1997年1月に、ですから20年前になりますが、一度通読したことになっているんです。しかし、その時の中身については、ほとんど記憶に残っていません。やはり第三編「家族観念の発達」のところで苦労したようです。今回は、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』が案内役を果たしてくれます。もちろん、マルクスのつくった『摘要』もつき合わせすることが出来ます。今、第三編「家族観念の発達」の第二章「血族家族」を終えたところですが。まだ、ごくごくとば口でしかないんですが。この篇の初めの箇所でモーガンがアドバイスしてくれてます。「しかし、血族家族は、複雑でしかも困惑を感じさせるものであり精通するには容易でない。読者がこの問題を十分検討しそれが包含する証拠の価値と重要さを吟味しうるには多くの忍耐を課されるだろう。」(下 P156)一読しての難しさには、根拠とそれなりの問題があるんですね。だいたいモーガンという人が40年をかけた研究の結果をこの本にまとめているわけですから、私などが読んですらすらと理解できるようであれば、研究者の苦労というものは無いわけです。実際はまさにその逆で、それなりの苦労と忍耐の努力をしなければ、たとえその道の研究者であっても、理解することは難しいということなんですね。まして、私などが、前回は、問題をかみ砕けず、氷の上をすべっていたわけですが、さもありなんです。今から見れば、それはそれで一つの努力賞であり、(この大著に挑戦し、理解はともかく一応はそれ読み通したんですから)、今回は、マルクスの『摘要』と、全体像を示してくれるエンゲルスの『起源』とを、この二つをアドバイスにして、再挑戦するというわけです。この中からなにが引き出されるか、注目ですね。おそらく、ここには、人類の歴史を、先史-有史-現在-未来の発展過程をひも解くヒントがしめされていると思うんですよ。現在がもっている未来への発展の示唆、これも含まれていると思うんです。レーニンという人も、エンゲルスの『起源』を大切にしていた人ですが、彼は国家論の視点から、ここから本質的示唆を引き出して、直面していたロシアの現実に生かそうとした人ですが、(『国家と革命』、講演「国家について」など)、この国家論の問題もここに含まれている問題の一つですね。しかし、問題はそれにとどまらないとおもいます。少なくとも、人類の歴史に関心を持つ人は、唯物論的歴史観というものに関心を持つ人は、いずれかの機会に、この課題に挑戦しなければならないと思います。ここには社会科学の一つの良心的な成果が、すでにしっかりと一定の成果としてあるわけですから。現代に生きるものにとっては、怠けものにならないためには、これは必要な作業なんですね。もちろん簡単なことではないとおもいますが、不可能なことではないと思っています。ということで、これから、この『古代社会』と『摘要』の大きな山に、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』をアドバイスにしながら挑戦していきます。
2018年09月16日
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果物の秋と芸術の秋の朝市9月15日(土)は、多摩の団地の定例朝市の日でした。あいにく小雨が降って、人の通行は少なかったんですが。金曜日の収穫日が、すでに2週にわたって雨が降ったので収穫作業が出来ず、通常なら朝市を開く土曜日が収穫日となって、土曜の朝市をすっぽかしちゃってたんですね。今回は、雨が降ろうと槍が降ろうと、朝市への出品をしました。こちらの事情もよく伝わらずに、すっぽかしへの苦情も寄せられていましたから。今回は、月に二回の定例朝市の日で、早川の当方の産物だけでなく、地元の多摩や群馬の農産物もならびました。当方の出品は、1.ミョウガ50パック、2.レモン10袋、3.スダチ9袋でした。いずれも商品の質からしても、値段からしても、太鼓判の品々でした。売れ行きも、まずまずといったところでした。今回は、私の農作業の相棒の、Iさんなんですが、この方は芸術家でもあるんです。自然素材の木片から、みかんの剪定で出た枝や、放置された枯れ枝から、それを使って、その中から仏像を彫り出す力をもっているんです。たまたま、今日はその作品も、朝市の品々の端に並べるようにして、批評をうけていました。まもなく、この作品群については、多摩市の公民館に展示されることになっているんです。この作品は、Iさんの初期の作品とのことですが、作品群を見ていた人の中から、観想が寄せられました。「どうも作品とその作者とが、なんとなく似ているんじゃない」という声があって、「そうだ、そうだ、確かに似ている」ということになったんですね。そこで、『それなら、二つをいっしょに写真に撮ってみたらどうか』とのリクエストとなって、その結果が、この一枚の写真なんですね。どうでしょうか、似ているでしょうか。世の中は、草刈りでドタバタしているうちに、いつしかトンボも飛び交う、芸術の秋になって来ているんですね。みかんも最終段階で、収穫の時が、いよいよ近づいてきたということです。
2018年09月15日
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小雨の中の草刈り9月14日(金)、小田原・早川のみかん園へ草刈りに行ってきました。このところ関東は、金曜日には3回も連続の雨降りとなりました。秋雨前線の時期ですから、これは別におかしいということはないのですが。毎週土曜日を朝市している身としては、みかん園の産物が収穫できなくなるんですね。「毎週土曜日に産物を届ける」と公約している身としては、すでに2週の2回も、団地の消費者の朝市をすっぽかしてきているんですね。だから今日は、雨が降っても槍が降っても、なんとしても、この時期の収穫物を届けなければならなかったんですね。そうしたことで、やじきた道中の二人して、午前5時発で出かけてきました。これは、午前7時50分、小雨の中の小田原城で、みかん園から見た様子てす。背後にある曽我梅林の山々ですが、それも雨にかすんで、かなり近いにもかかわらず見えません。その南側の、小田原・早川港ですが、これも相模湾がかすんでしまい、よくは見えません。さて、今日の本題の一つですが、遅れているみかん園の草刈りです。6月末から13回にわたって、イノシシの侵入防止の鉄柵はりをしてきたんですね。この間に、炎天下に設置作業をして、この鉄柵を全部で140枚くらいを張ってきました。そのために、この時期に済ませておくべき草刈りが、ほとんどできていなかったんですね。これは、このみかん園の東園への入り口なんですが、みかんの木の手前に、木のすそ野を隠すくらいに雑草が繁茂しだしていました。次の写真は、同じ場所ですが、本日の草刈り作業を終了した後の時のものです。今日の草刈り作業を終えて、相棒がイノシシ除けの作をしめている時のものです。柵の後ろですが、草刈りがされて、みかんの木が以前よりは、少しは目立つようになりました。9月の秋雨の降る今は、梅雨の時期とは違って、あの時は上昇する気温のもとでの雨でしたが、この雨は気温が下がっていくもとでの雨ですから、雑草が繁茂するのは同じですが、その勢いが違うんです。この時期の草刈りというのは、この間に何度となく草刈りを重ねてきましたが、みかんの収穫を前にしての、これが最後の草刈りとなりとなるんです。「ようやく、ここまできたか」といったところなんですが。しかし、現実はまだまだ草刈り課題が山積しています。これは、今日の作業を終えて帰途に着こうとしたときですが、駐車場の、すぐ脇にある木で、初期に草刈りしておいた木なんですが。ご覧の通り、つる草がみかんの木に覆いかぶさってしまっています。前回草刈りしてからわずかな時間なんですが、ほとんどみかんの木を覆いつくしてしまっています。こうなるとみかんの葉に光が当たりませんから、みかんの木は衰弱してしまいます。さて、この最後の収穫前の草刈りですが、草はがしですが、秋雨前線の通過する前後に、これがみかんの収穫前の大仕事となっています。これが最後の草刈りです。もうひと踏ん張りです、ここを過ぎればいよいよみかんの収穫時になりますから、なんとしても頑張って、このひと汗を流さなければなりません。しかし、絡みついている雑草は元気ですね。富士登山でいえば9合目といったところ、秋晴れをむかえるためにも、もう一頑張りです。
2018年09月14日
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雨にも負けず、です当方は、金曜日の収穫と土曜日の団地朝市を恒例にしてきたんですが。今年の夏は日照りがことのほかきつかった金曜日だったんですが。ようやくここへきて秋の気配が出てきました。しかし、このところは、三週連続して金曜が雨降りの日がつづきます。普通なら、雨が降っては表仕事は、畑仕事はいっさい出来ないのですが。そうそう「雨天のため、朝市は取りやめ」というわけにはいきません。明日こそは、雨にも負けず、で収穫にあたります。先週の小田原・早川の様子です。金曜が雨でしたから、土曜日に行ったんですが。午前7時、さいわい雨は降ってませんでしたが、微妙な天気でした。小田原城も見るくらいに、朝は気持ちの余裕があったんですが。一歩草刈り作業に入ると、もう汗びっしょりになりました。午前9時半には、草刈り作業を終了したんですが、すでに雨雲が下りだしてきていて、陽射しもあるけど、あやしい天気となってきたこともあり、作業は終了しました。これは、園主さんのみかん小屋の一つです。見覚えのある方もあるかもしれません。金曜の夜10時、NHKのドラマ「透明なゆりかご」で、バス停のロケに使われた小屋です。番組制作者もなかなか目が高いですね、この地の自然豊かな景観をドラマにつかうなんて。撮影の後に「いいものが撮れましたよ、楽しみにしていてください」といってましたが。たしかに、みかん畑の景色とバス停となった小屋は、素晴らしい舞台となっていました。あらためて、放映されたドラマの編ですが、この場所で見させてもらいました。さて、明日は、予報では雨降りなんですが、土曜の朝市はありますから、雨にも負けずで、草刈りをして、スダチとレモンの収穫です。
2018年09月13日
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『家族・私有財産・国家の起源』を通読して(その3)エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(新日本文庫)を通読しました。この著作については、1、8月14日のブログでこれから読むことを宣言してから、2、9月2日に第2章を読んでの中間の感想を紹介しました。だいぶ以前ですが、これまでもこの著作は、1,2度は挑戦したことがあったんですが、その時は家族史などの理解に四苦八苦でしたから、断続的に納得する部分をひろい読みしたくらいで、全体としての感想などは残っていなかったんですね。今回は、個々の細かな部分の理解は怪しいのですが、この著作が全体として何を云わんとしているか、その点を眼目にして、とにかく終わりまで通して読ことが目標でした。最近、古代ギリシアのアイスキュロスの作品を読んだことなども、この著作を読みすすむ上で、一つの刺激になりました。この著作を通読して、いくつかの宿題が出てきました。1、何で今ごろ、この著作を読むことにこだわったのか、との点ですが。この著作は、大きく人類史というものを唯物論的歴史観の観点からみたスケッチを与えてくれます。その時点(1891年時点)で果たしうる大きな総括的な姿を示してくれていると思うんです。その中身は、もちろん、その後の調査や発掘、研究によって、より豊かにされていくべき性格のものではありますが、その見方・方法というのは明確にされたんですね、この著作によって。注目すべき点ですが、マルクスたちの努力とはまったく独自の研究をしていたアメリカ人のモーガンですが、その大筋において、考え方・方法を同じくしていたんですね。彼はアメリカ・インディアンの氏族について丹念な研究をしていたんですが、唯物史観の見方に独自の研究成果をもたらした。これって、すごいことじゃないですか。唯物史観を学習する材料を与えてくれているんです。従って、エンゲルスのこの著作ですが、その基礎を理解するには、モーガンの『古代社会』(岩波文庫)を理解することと、それに対するマルクスの「摘要」(全集の補巻4)を、これはモーガンの著作からの書き抜きと評言なんですが、この二つの理解が基礎になっているわけです。材料としては、この3点は、ちょっと努力すれば、今では誰しも入手しうるんですが。この著作の背景をなしている二つの著作ですが、それは今日誰しもちょっと努力すれば入手できますし、これに通じることが、提起されている問題に通じる上で、大事な課題になっているんですね。2、さらに問題があります。この著作に注目した人にレーニンがいます。レーニンは、『国家と革命』や講演『国家について』などで、この著作の意義を強調しています。それは国家論の視点ですが、ロシアが当時直面していた社会変革をすすめる上で、国家の本質をつかむことが欠かせなかったんですね。当面するロシア革命にたいして、変革者としてレーニンはこの著作から行動の指針を引き出しているんですね。それが、かならずしも世界の全体に妥当するものではなかったかもしれないけれど、当時のロシアの状況打開する理論としては、それは貴重な貢献だったと思います。レーニンはこの二著作で『家族・私有財産・国家の起源』での成果を、国家論としての本質的内容から重視して、学習することを強調しています。レーニンも時代の子なんですね。この点での理解の問題があります。3、もう一つ、エンゲルスは、モーガンが過去の分析から引き出した未来への示唆についてですが、そのモーガンの見地をさらに徹底して推し進めることの大切さを強調しています。その過去の歩みを知ることは、今の社会問題を一つの歴史過程としてとらえれるようになるし、今日の課題の一般的な解決方向を知る手掛かりにもなることを示唆しているようですが。この三点ですが、これらは今後の課題ですね。
2018年09月12日
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蜜蜂をスズメバチから守れ9月10日(月)は、早川のイノシシ対策のあと、真鶴のみかん園に行ってきました。というのは、ここへきて、スズメバチがミツバチの巣箱のまわりにまとわりつきだしています。帰って来るミツバチを捕まえては、それを餌にしようとしているんですね。このため、巣箱の入り口に箱をつけて、金網で仕切るようにしました。入口に金網付きの箱を設置するようにしたんです。こうしておけば、突然のスズメバチの襲来にたいして、ある程度ですが抑えれるからです。この設置をしている間にも、キイロスズメバチがやってきて、ミツバチを捕まえようとしていました。当方も手網をつかってキイロスズメバチを、数分間で2匹駆除したんですが。ミツバチ自身もすごいんですよ。もちろん1対1ではキイロスズメバチにはかなわないんですが、左下の巣箱の土台の方に、キイロスズメバチが死んでいます。これは、ミツバチが多数でキイロスズメバチを取り囲んで、羽ばたいて熱殺したものです。もっと早く気がつけばよかったんですが、このところ、巣箱の門前には、たくさんのミツバチが入口を守っていたんです。これは、8月25日ですが、箱を設置する以前の時の様子です。当方がここに来るのは、早朝の場合が多かったので、スズメバチの動きに気づかなかったんですね。日中の暖かくなるころは、スズメバチの脅威にさらされていたんですね。体をはって、そうした襲来してくる外敵に対して、巣箱を守って威嚇していたんですね。金網を張った箱を設置してから数分後の様子です。突然の出来事ですから、戸惑いや混乱もあるかと思いますが、かなり落ち着いてきていました。箱の中と、箱の外の二段構えでの防衛態勢にかわってきていました。こうなれば、キイロスズメバチの突然の襲来ですが、巣門に対しては、金網で一度は静止せざるを得ません。第一撃はあっても、巣箱の入り口までは瞬間的には近づけません。スズメバチは金網をくぐろうとするでしょうが、それには、わずかではあっても、くぐり抜ける為には時間がかかるわけです。そのわずかな時間が、ミツバチの側に防衛態勢をとるための時間となるわけです。それにより、より集団の力をスズメバチに対して集中できるようになるんじゃないかと思います。キイロスズメバチの後には、オオスズメバチがやってきます。夏から秋にかけては、この自然の生存競争が激しくなるんですね。これまで何度となく養蜂に失敗してきたんですが、それは、いずれも、これからの時期に、内からはスムシ、外からはスズメバチの襲来に、ミツバチがさらされたからなんです。ある程度はミツバチは巣を守って奮闘しているんですが、限界があって、相手が大きくなると、まもりきれなくなって大混乱に陥ってしまい、ついには、「もう、こんなところでは、やってられない」と、この巣箱を放棄して、群ごとどこかへ逃げていっちゃうんですね。こうした失敗を、当初から3回くらいは経験させられていますから、これから時期は、ミツバチたちにとって、重要な関門になっているわけです。この箱の設置が、スズメバチをかわす上で、有効なものとなってほしいのですが。
2018年09月11日
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イノシシの侵入口を塞ぎました小田原・早川のみかん園ですが。イノシシの侵入防止の鉄柵をはった後にも、園内にイノシシの痕跡がありました。前回、農道沿いにつくられたイノシシのけもの道に鉄柵を張ったんですが。後でよくよく見ると、かなりの段差がありますから、上るのは難しい。もしかして、そこは出口だったんじゃないかと思うようになりました。そうしてみると、それとは別に、他に入り口に当たる個所があるんじゃないかと思うようになりました。前回は草刈りでヘトヘトだったため、それほど気持ちとして重視してなかったんですが、確かにそれらしき箇所が一つあったんです。この箇所は前回見つけて、針金の固定する箇所を下の方に移したんですが、鉄柵の下の方をイノシシがねじ曲げてすき間をつくっていました。鉄柵を曲げるなんて、すごい力なんですね。今回は、この箇所の外側になんですが、さらに板をあてて侵入できないようにしました。ここは、その奥に50センチ位の段差があるんですが、その上段には、やはりけもの道が出来ていました。鉄柵を設置しただけで安心していてはダメなんですね。イノシシはこれまでの行動経路を続けれるようにと、鉄柵すら曲げてしまう執念の持ち主です。外側の草刈りもして柵をしっかり守るようにしないと、こじ開けられちゃうんですね。みかん園に張りめぐらして鉄柵ですが、引き続き、その後の状態をよく見ていく必要があるということです。
2018年09月10日
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日曜に特別の昼市を開催このところ南関東は、金曜日に雨が降っています。「百姓殺すにゃ、雨の三日も降ればよい」ではないのですが、土曜日の朝市に収穫物を出すには、金曜日に雨が降ってしまっては致命傷です。自然の中での農業ですから、雨が降っては作業が出来ません。そうしたことで、今回も一日繰り延べです。本来は朝市の日のはずの土曜日に、収穫・搬送です。土曜日に預かり、搬送してきた農産物を、やむなく、閑散とした日曜日の団地で販売することになりました。なにしろ日曜日の昼すぎの団地商店街には人の気配がほとんど無いんです。しかし、野菜は生鮮食品ですから、寝かしておくわけにはいきません。いろいろと言いたいことはありますが、ブツブツ言っていても始まりませんから。今回、早川から預かってきたのは、ミョウガとジャガイモです。それぞれ、一袋100円の単位にして袋詰めしました。しかし、たいしたものです。たまたまの通りすがりの人なんですが、私などの人も売っている品物も、海のものとも山のものとも知らないはずですが、道行く人の中には、目ざとくも、足を止めてくれる人がいるんですね。しかも、事物に即して瞬間的に品定めしてくれるんですから。これって、すごいと思いませんか。買い物の範囲ですが、事物に即して瞬間的に的確な判断を下す。これは、日常生活によって鍛えられている庶民の力なんですね。もちろん、多くの品物は売切れはしません。後日の、明日の販売にゆだねられるところになるんですが、そうであっても、この事物に即した判断、評価する人に対しては、今回はミョウガだったんですが、世界全体のごく一部分なんですが、それでもやはり敬意を感じさせられました。
2018年09月09日
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イノシシの新しい通路を塞ぎました神奈川県小田原の石垣山のみかん園ですが。この7月-8月には、みかん園へのイノシシの荒らしまわりが激しいので、みかん園の周辺に、侵入を防止するための鉄柵を張りめぐらしました。「これで、ヤレヤレ」。これまでイノシシが侵入していた道は、すべて塞いだはずだったんですが、しかし、その後、最近ですが、みかん園内に新たなイノシシの痕跡が見つかりました。それで、「どうなっているのか?」「どこかにイノシシは侵入してきているのか?」再度、園主さんが鉄柵の状況と、みかん園の周辺を調べてみてくれたんですね。するとありました。新たな侵入してくるけもの道が出来ているのを見つけたんですね。これがその個所です。石垣が終わったところですが、その部分に新たなけもの道が出来ていました。ここは石垣にかなりの段差がありますから、道路からの高低差が大きかったので、よもやこの高さなら登れまいと、これまでは柵を設置していなかったんですね。ところが、みかん園を囲んだ柵をすべて調べてみたんですが、ここ以外には、抜け道らしい箇所はありませんでした。ここがイノシシの新たな出入り口となっていたんです。この箇所が、全体としてどのような場所にあるのか。周辺はどうなっているのか。カーブミラーの左側の土手に園主さんがいますが、この位置なんですね。ここは人の肩ほどの高低差がありますから、この石垣と土手で、侵入は防げるはずと思っていたんですが。「まさか」ということでした。ここに出入りするための、新たなけもの道がつくられたんです。イノシシの執念と力はすごいものでしょう。それで、本日の作業ですが、優先の作業として、上の段の植え込みそって、新たに鉄柵を設置したんです。イノシシは、人のいない時に、この農道を動き回っているんですね。そして、みかん園に入るために、どこかにすきが無いか、入れるところがないか探しているんですね。鉄柵を設置した「作用」には、新たなけもの道をつくるという「反作用」がありました。これに対して、さにら新たな補強柵が設置されたわけです。さて、この結果はどうなりますか。さらに今後もしばらくは、人とイノシシの攻防戦が続きます。イノシシは、また別のところで侵入口を工夫すると思いますが、こちらとしては、イノシシが完全にあきらめるまで、対処を続けていきます。
2018年09月08日
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山の暮らしと信仰-小菅山 飯山の旅4(最終回)当方は9月4日から6日に、法政の同窓会で長野県飯山に行ってきました。その飯山の旅を、1.収穫目前の稲田、2.説教と銀杏、3.野沢菜と源泉・麻釜と見てきましたが、今回は最終回です。最終日の6日(木)には、霊場・小菅山を訪ねました。(この日の早朝、5時ころに、北海道で大きな地震が発生したことを知ったのですが)この旅は、学生時代の同期生が、持ち回りで、その土地と歴史を紹介してくれてきました。すでに多くは職場を退職していますから、そして案内は一まわりはしているんですが。今回は、飯山の富倉に住む人の案内で、長野県飯山でのディスカバー・ジャパンをしてきました。最終日は、小菅山です。ここは7世紀の前半に、役小角(えんのおづぬ 役行者)によって開かれたと山岳信仰の霊場で、戸隠、飯綱とならんで北信濃の三大修験道の霊場とされているそうです。他方、中世には小菅山元隆寺として37の僧坊や10の末院などが立ち並んでいたそうです。(散策ガイドパンフレットより)日本の歴史は、明治の廃仏毀釈(きしゃく)までは、ず~っと神仏混淆(こんこう)だったんですね。これは、小菅神社の里宮本殿を参拝している時のものです。(今回は、一日の写真枚数の制限で、2枚しか紹介できないのですが)里宮から続く参道ですが、次の三の鳥居から1時間ほど歩いてのぼると、小菅神社の奥社本殿があるんだそうです。地元の方が紹介してくれました。「あのこんもりした頂の中ほどにある」と。「落ちている小枝を杖がわりにしたらいい」ともアドバイスしてくれたんですが、私たちには、その体力も時間もなかったので、参道の脇にあったお茶屋さんで休憩してきました。縦の写真が横になっていて、チョット見にくいんですが、このうっそうとした木々の間を登っていくんですね。山岳信仰、霊山に登って心身を清めたくなる気持ちが、少しですが分かるような気がしてきました。このすぐ脇にあったお茶屋さんですが、その娘さんがアドバイスしてくれました。『オオスズメバチが出るのでこの先は危険ですよ。さっき刺されて、救急車で運ばれていった人もいますから』と。「まぁ、私たちは、これ以上は登れませんから、大丈夫です」と休憩です。途中では、藁ぶき屋根をふき替えている人もいました。「私は屋根ふきは素人なんだけれど」と、長い脚立を立てて登っていきました。また、腰の曲がったおばあさんでしたが、大きなトタン板を丸めて運んでいました。「昨日の風でとばされてきたもんで、もとのところへ戻そうと思ってね」と。地元の小学校六年生の3人と先生の二組が、屋外授業でやってきました。いろいろ話をする中で、小学校の校歌の1番を歌ってくれました。ここの小学校の六年生は、全員で8人だそうです。ここで、その内の6人と会っちゃったんですね。「小菅の里散策ガイド」というチラシをもらったんですが、その中の「生活と生業」のところですが、『オテンマ』という言葉が出てきます。「集落内の石垣や水路、里山の管理や伝統的な祭りは、住民の自治組織やオテンマによって維持されています。オテンマは住民同士を結び付け、小菅の景観の維持や祭りなど伝統行事の継承の原動力になっています」と。私などは、神奈川県西部の真鶴町岩の生まれですが、この『オテンマ』という言葉は、遠い昔に聞きおぼえがあります。その地を出てから忘れていた言葉だし、その意味も定かではないんですが、聞き覚えがあるんですね。300キロ以上も離れたこの飯山の小菅の里で、懐かしの言葉を見聞きするなんて、不思議ですね。今度、真鶴に行く機会があったら、『オテンマ』という言葉が今でも使われているか、どんな内容なのか、確かめてみたいと思っています。さて、今回の長野県飯山の旅、その報告でしたが、昨日から北海道は大変な事態です。二日目の暗闇になっています。しかし、これはこれで紹介する必要があると思ってたんですね。おかげで、写真の一日枠の限界までしかって、5回のレポートに集中しました。これで、今回の旅ですが、一段落とします。
2018年09月07日
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野沢菜と野沢温泉の源泉(飯山の旅3)同窓会の長野県飯山への旅ですが、棚田、飯山城についで3回目です。9月5日(水)は、野沢温泉の源泉の一つ、麻釜(おがま)を見てきました。野沢温泉は、飯山駅から車で15分か20分くらいで、すぐ近くなんです。温泉の源泉がわき出しているのを見れる、というので楽しみにしていたんですが。そこでは、信州の各地で親しまれている漬物の野沢菜ですが、今回、その発祥が、この野沢温泉にあることを知りました。これがその野沢温泉・麻釜の全景です。これが幾つかある源泉の一つなんだそうです。そこにあった案内板をみて知ったんですが、この源泉・麻釜は、5つの源泉(1.大釜、2.ゆで釜、3.丸釜、4.竹のし釜、5.下釜)があること。弱アルカリ性の硫黄温泉で、温度は90度から72度、毎分500リットルの温泉がわき出しているとのことです。それぞれの5つの釜の源泉温度が違っていて、それぞれの釜の温度によって、それに適した用途をもっているんだそうです。「野沢温泉村の人たちの台所」でもあるそうです。これは大釜です。しばらくすると、鎖のはられた立ち入り禁止区域の中で、婦人がなにやら仕事をはじめだしました。「何を茹でているんですか?」聞いてみたんですが。『野沢菜を茹でてます』との返事がありました。なるほど、この大釜は85度で、「野沢菜や山菜を茹でる」とかかれていました。観光用の見世物、アトラクションなどではなくて、住民は日常生活で釜を使っているんですね。野沢菜というのは、この信州ではどこでも出されます。昨夜の宿の夕食にも、お茶うけの漬物として、美味しい野沢菜が出されていました。その野沢菜ですが、初めて知ったんですが、この野沢温泉が発祥の地だそうです。この野沢菜ですが、その袋の裏側に解説が書いてありました。当地・麻釜のすぐ近くに健命寺があるそうですが、「その八代住職が宝暦6年(1756年)に京都に修業に行ったそうです。その時に天王寺カブ(小カブ)の種を持ち帰って、この地でもつくろうとしたんだそうです。ところが、実の方はちっとも出来ずに、茎と葉ばかりが育ってしまった。やむなくそれを工夫してみたところ、野沢菜が出来たということなんです」。小カブづくりには失敗したけれど、野沢菜という新たな食材が誕生したというわけです。災いを転じて福となしたわけですが、失敗作を捨てずに活用方法を考えたというのがすごいじゃないですか。野沢菜発祥の健命寺ですが、この麻釜のすぐ近くにあるそうです。予定では、ここへ来る途中に、そこ寄るはずだったんですが、その前の住職代理の説教が長びいてしまたんで、まぁこれはこれで貴重なことだったんですが、予定していた時間が無くなってしまい、今回はカットして、源泉見学のみとなりました。さて、それと野沢温泉では、もう一つ貴重な体験がありました。ここには「おぼろ月夜の館」記念館があって、それを見学しました。知りませんでしたが、唱歌の「うさぎ追いしかの山・・・」の『ふるさと』や『おぼろ月夜』ですが、これを作詞したのは高野辰之という人だそうです。その人の記念館が野沢温泉の中央にありました。それを見学を終えて、記念館を出て、後から来る人たちを待っていた時でしたが。外の方が、サイレンなども鳴って、何やら騒がしかったんです。『騒がしくて済みません』と、記念館の方が、そのわけを説明してくれました。ある家の車庫にしまってあった除雪機から出火し、火災となり、自主消防団にも緊急招集が出された。すぐ向かい側がその集合場所になっているから、まもなくにぎやかになりますよ、と。しかし、幸いなことに直ぐに消し止めたとの防災無線の放送がありました。「車庫の除雪機から出火したけれど、機械は燃えたけれど火は消し止められました」と。ほどなく、自主消防団員が、それぞれの仕事場からかけつけてきたり、火事の現場から帰ってきた人たちも合流して、状況を交歓していました。これは現場から帰ってきた人たちで、「ヤレヤレ」といったところです。次は、使った用具のあと片付けをしているところです。これが、火災などの事故から街を守ろうとする野沢温泉村の自主防災組織なんですね。ここは、村の中央あたりに位置していますから、いざという時の集合場所にもなるんですね。今回は防災訓練などではなくて、実際に本物の火災出動をしてきた事件なんです。大事なくてさいわいと、それぞれ各自の元の仕事に帰っていきました。なにしろ今年の暑さは異常ですから、今回のように、車庫にしまってあった除雪機ですが、どうしたわけか、それから出火するなんてことも、実際におきているんですね。野沢温泉の源泉を使っての野沢菜づくり、いざという時の自主防災組織の活動、偶然でしたが、野沢温泉村の、今の暮らしの一端を見させてもらいました。
2018年09月07日
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庵での説教とぎん杏(飯山の旅2)長野県飯山の旅、その2回目です。9月5日(水)には正受庵や飯山城址を訪ねました。いわば飯山の歴史編です。私などは知らなかったんですが、飯山は城下町であったんですね。地名しか知らなかったんですが、飯山は地域の中心地だったんです。今回の旅を案内してくれたKさんですが、阪神大震災で兵庫の住まいが倒壊してしまい、すべてを失いました。その時に、まったく知り合いもいなかった飯山の山里に単身で移住した人なんです。それから25年、さまざまな苦労があったでしょうが、今回、飯山・富倉の人として、この第二の故郷を一行の13名に案内してくれたわけです。この日の案内の一つは、正受庵という小さな庵でした。私などは仏教は疎いし、「なに? この庵は」といったことでしたが。ここには臨済宗(鎌倉時代からの禅宗)の中興の上人・正受老人という方がいたんだそうです。その人は松代藩主真田信之の子ども(庶子のため仏門に)だそうで、今から330年前のことです。ここに正受庵に禅室をつくって修行していたのだそうです。ここの庵が本堂だそうです。その正受老人(恵端禅師)の歌です 指し当たる事のみばかり思えただ かえらぬ昔 知らぬ行く末 真田家の大名の子どもでもあり、周りには寺の建立と寺領の寄進をもう出でた人があったそうですが、「出家というものは三衣一鉢さえあれば良い。それ以上のものを求め、民の富を奪って何の利益がある」と言ってことわったそうです。そのかわりに、水石と栂(つが 松の木の一種)の木を受け取ったというんです。これがこの寺の本堂でもある正受庵です。いたって質素なんですね。そうしたことは、すべてこのチラシに書いてあったことでして、私などはすべて初耳だったんすが。この上人も修行し出た若いころはたいへん生意気だったたようで、その時の住職に鼻をつままれて、「出直して来い」と、この坂道を下の方に蹴飛ばされたんだそうです。そんなエピソードを、一行の一人が、説明してくれていたんです。その時、道を掃除している人がいました。昨夜の台風の風で、あちこちに小枝が散乱していたんですね。後から知ったんですが、それは住職の代わりに寺を守っている人だったんですが。そのひとが、小言もふくめて、いろいろ説教やエピソードを紹介してくれました。「この石段は、近くの古民家が壊された時に寄せられたもので、それを階段にしたもの。この石段の前は、地元の小学生たちが川から玉石を運んで階段のように敷いてあった。蹴飛ばされたころは、おそらく土の坂道だったろう、そうでないとケガしちゃう」と。「臨済宗は禅宗で、禅問答が大事な一部になっている」と、その蹴飛ばされた時の問答や様子、そのことの意味を紹介してくれました。「団体客は、とかくマナーが悪い。本堂は拝まないし、敷石を歩かずにその外を歩く」と、マナーの問題を含めて、この宗派の大事にしている点をコンコンと説教してくれました。その説教を聞いている時の様子です。得難い貴重な話を聞かせてもらったんですが。次は、正受庵の庭です。その説教によると、臨済宗では「座禅と、サム(お勤め)と、お経(学習)、この三つを大事にしている」そうです。庭をきれいに維持するのもサムの一つだそうです。本堂の庵も、その庭も、いたって質素なんですね。日本庭園らして、自然を生かした独特の文化の趣がありました。そうしたことで、ガツンと、しかもコンコンと説教を聞くはめになった正受庵でした。ついで、午後からは飯山城址を散策しました。それは飯山城は飯山の中心にありました。もともと飯山は城下町だったんですね。市街地の中心にあるわけですが、よく城跡が保全されていました。次の写真は、飯山城の二の丸から本丸へ上がる道です。天気も良くて、見晴らしも最高だったんですが、坂道を上るため、年寄りたちには少々きついんですね。本丸までのぼると、その正面には神社がたてられていました。この広場が本丸跡です。正面の葵の家紋ですが、ここでは木の入った葵なんですね。飯山藩は、幕末の戊申戦争では、政府軍の側についたんだそうです。それぞれの藩で、様々な対応がありますから、きっとその時代にどう対応したらよいか、大きな議論が交わされていたんですね。私などは知らないので、想像でしか分かりませんが。本丸よりさらに一段高いところは、天守閣があった所でしょうか。何しろ、台風21号が駆け抜けた後で、台風一過の強い日差しです。日陰を好む一行と、正確な解説をしようとする幹事とでは、動き方が違います。幹事は案内プレートを読み込んで、解説してくれました。足元を見てやってください。台風が吹き荒れた後でしたから、それこそ沢山の銀杏です。銀杏があたり一面に散らばっていいて、踏みしめて歩かざるを得なかったんですね。まだ落ちたばかりでしたから、別に支障はないんですが。この飯山城ですが、お城の内堀は埋められいて、今は駐車場や広い通り道になっていました。そこを近くの高校生たちが、学年行事でしょうか、男女の大ぜいが次々に駆けてきました。この暑さの中を、一方は駆け足するの若者たち、他方は日陰を探そうとする年寄たちだったんですが。年寄り組の中には、かつての教師時代の血がさわぎだす人もいたりして、すれ違う生徒に、「ファイト! 一、二、一、二」と大きな声をかけ、気合をおくったりして。確かに、それにより、生徒の足がピシっとなり、にこやかに力強くなっていくんです。何人もの生徒が、これに対して、挨拶とエールをかえしながら走っていきました。へぇ~と、金八先生を連想させられるような一コマでした。この「説教と銀杏」は、今回の飯山の旅で印象深いものがありました。すこしたてば、細かいことは、自然にほとんどは忘れてしまうでしょうが、だけど、前回の稲穂の黄色く垂れさがった棚田とともに、この二つについては、きっといつまでも頭皮に刻みこまれることでしょうね。次回は、野沢菜の野沢温泉を紹介します。
2018年09月07日
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棚田はまもなく稲刈りです(その1)9月4日-6日、長野県の飯山を、学生時代の旧友たちと旅してきました。その地に住む旧友が、その土地柄をいろいろ案内してくれたんですね。私などは、「旅」などと言うことは、めったになく、ほとんどこの時だけなんですが。その地元の人が案内してくれたおかげで、じつに楽しくも有意義な旅となりました。最初に案内してくれたところは、棚田でした。熊も出るそうです、柵には注意書がはられていました。台風21号が接近していて、空模様が怪しくなってきていましたが、稲穂は黄色く色づき、首を垂れだしてきていました。稲刈りの時は、もうすぐです。次の写真は、台風が去った翌朝です。朝は霧が立ち込めていましたが、時間とともに遠方の景色が見えてきました。飯山というのは城下町なんですね。その中央には千曲川が流れていて、水田と棚田が広がっていたんです。「これこそ日本の原風景だ」と、それがあんないポイントの第一番目でした。とまった宿は、北竜湖の隣の建物でした。もちろん、温泉でした。朝立ち込めていた霧が、少しずつ引いていくと湖が見えてきました。その水面には、周りの木々が映し出されていました。昨夜の交流会では、知人がこの度にと提供してくれたお酒でしたが、みんなで、それらを飲みかわして、それぞれの近況となり、夜遅くまで交歓しました。しかし、それぞれよる年並みです、疲れてもいて自然には勝てません。明日の予定もあり、ほどほどのところでバタンキューだったんですが。北竜湖の景色ですが、その翌朝の、台風21号が去った後の、宿舎の建物のすぐ前ですが、早朝の景色でした。
2018年09月06日
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長野県の飯山に行ってきます年に一度だけですが、八王子-真鶴・早川間の日常の生活を離れ旅してきます。学生時代の仲間が、それぞれの人が主宰してくれて、その土地柄を散歩してきます。今回は、長野県の飯山です〔9月4日(火)-6日(木)〕。台風21号の通過と重なる問題がありますが、年配者は、だいたい無理はしないことになっています。それと、私などが、みかん仕事の日常性を離れるのは、この時くらいなんですね。去年は福島県の会津若松、一昨年は山形県鶴岡でした。時にこうした旅が出来るというのは幸いなんです。おかげで藤沢周平だとか、その機会に私などの知らなかった世界が開けますから。さて、今回は、どの様な収穫があるでしょうか。〔次のブログは、2013年9月にあった伊豆の旅です。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201309090000/当方が案内者となった時のものですが、もし伊豆方面に関心のある方は、開いてやってみてください。〕
2018年09月04日
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みかん園の様子を見ただけでした9月3日(月)、今日は3人で草刈りに出かけたんですが、遠くにある台風21号ですが、その渦の影響で、あいにくなことになりました。午前6時45分に、小田原のみかん園に着いたんですが、途中は曇りでしたが、到着したとたんに、パラパラと小雨が降り出したんです。 (これは8月28日のものですが)みかんの木に雨滴がのっては、作業になりません。チョットさわると、雨滴が落ちてきてずぶ濡れになっちゃうんですね。従って、今日は草刈りが残っている区域の様子を確認しただけで、帰ってきました。やはり、何本かのみかんの木に、つる草(ママコノシリヌグイ)が絡みついていました。早く取り除かないと、みかんの木の葉が隠されちゃって、木が弱っちゃうんですね。しかし、今回の様に雨が降ってしまってはお手上げです。せっかく応援者も加わって出かけてきたんですが、しかたありません。この草刈りとつる草の剥ぎ取りは、次回の作業に延期です。なにしろ自然を相手とした作業のことですから、たまにはこんな日もあるということです。帰京して、ひと休みしていたところ、現地から、園主さんよりの連絡が入っていました。「イノシシが、柵で囲ったはずの畑の中に入ってきている。次回に、どこから入ってきているのか、柵の状況を再度確認してほしい」と。作用にたいする反作用ですね。次回ですが、草刈りとともに、柵の状況確認の作業が出てきました。イノシシとの攻防戦が、新たな段階で始まりだしたということです。
2018年09月03日
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『家族・私有財産・国家の起源』を読んでます8月14日のブログにて、エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』(1884年)への挑戦することを紹介しました。今、第3章「イロクォイ族の氏族」を進行中です。今回は、まだ途中ですが、これまで読んだところでの感じた点です。私は、これまでは、このエンゲルスの著作をひろい読みしたくらいで、正面からは読めていないことが分かりました。この手の本は、今の状況では、一人で読むしかないのですが。第二章の「家族」のところですが、これまではそこが「やぶの中」だったんですね。そこでつまずいていたことがわかりました。この本は、アメリカのモーガンの『古代社会』(1877年)を、晩年のマルクスが注目して1880年末から1881年初めにかけて、全集補巻4に200ページの『摘要』をのこした。その死後、遺稿の中からそれを見つけて、エンゲルスが1884年に刊行したわけです。面白いと思いませんか。マルクス・エンゲルスが発見した唯物論的歴史観ですが、遠く離れたアメリカの地でモーガンが、独自に自分の専門の歴史研究の中で、同じ見地に立つようになっていたなんて。しかもそれによって、古代ギリシャの社会の発展や、文字で書かれた以前の人間社会の発展史が、分かるようになったなんて。しかも現代社会の発展する姿も、それによって独特のするどい解明がされるなんて。しかしそれは、さしあたっては、あくまで予告的なことであって、私などにとってこれまでは「藪の中」だったんですが。今回は、その輪郭が見えてきました。第二章「家族」は、それを理解するのは、誰にとっても簡単なものではなかったんですね。1、だからこそ、第4版序文(1891年)には、バッハオーフェンからモーガンにいたる家族の歴史について、エンゲルスは概観する紹介をしています。これは第二章の理解を助ける為でもあるんですね。2、いかにエンゲルスが、この2章「家族」を、人類史の探究上、学術的にもしっかりしたものにすえようと努力したかですが。この第二章の中には、私なりに数えてみると、少なくとも42人の見解、著作が検討されています。すごいものでしょう。その中には、自分たちの1846年の未刊の草稿『ドイツ・イデオロギー』での分業論、すなわち「最初の分業としての男女の分業」との指摘でしたが、ここではそれに加えて「歴史に登場する最初の階級対立は、個別婚のもとでの男女の敵対の発展と一致し、また最初の階級抑圧は、男性による女性の抑圧と一致する。個別婚は一大歴史的進歩であったが、それは同時に奴隷制と私有の富とともに、今日までつづいている時期を、一方の幸福の発展が他方の不幸の押し戻し、相対的な退歩とおして達成させる時代をきりひらいている。個別婚は文明社会の細胞形態である」(P107)とその後の見地を加えています。なんのことだか、これだけでは分らないと思いますが。本文を読んでいただくしかないんですが、自他ともの検討むが、この時点でのかなりの努力がここでなされているということです。3、1884年の第一版に対して、1891年の第四版では、その後の7年間の学術の発展も含めて、かなりの増補が加えられています。その主なところを上げてみると、 ア、P94から98の 4ページ(新日本文庫 土屋保男訳でですが) イ、P101から105の5ページ ウ、P108の 1ページ エ、P116の 半ページ オ、P118から134の17ページ第二章はP45から135の91ページもあるんですが、長いんですが、その内の27ページ分は1891年に増補した部分なんですね。エンゲルスは自身の探究の成果、7年間の人類史学の前進を、丹念に集めて批判的な検討をまとめているんですね。ましてや今日では、それから127年が経過しているわけですから、たくさんの発見もあるでしょうし、それをまとめるなんてことは、軽々に出来るものではありません。個人では不可能かともおもいます。もちろん課題としてはあるんですが。問題なのはその中身なんですが。4、本質論は、それとして探る必要があると思うんです。レーニンなども『国家と革命』でこの著作を国家論の本質として取り上げていますが、〇労働者と資本家との階級関係を隠して法的には同権だとする見せかけの問題。〇民主的共和政というのは、二つの階級の対立を廃棄するものではなくて、この対立がたたかいぬかれる地盤をはじめて提供する。などの見解をふくんでいます。ようするに、この著作は、古典として今日でも大事な指摘をふくんでいるとおもいます。たしかに、それを読みこむのは一筋縄ではないんだけれど、それに挑戦するだけの中身がある。これを生かさない手はない。それが、まだ途中ですが、私などがこの著作を読みすすむ中で感じていることです。
2018年09月02日
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多摩の団地の定期朝市9月1日(土)は、多摩の団地で定期朝市が開かれました。当方も、昨日小田原かに運んできた産物を並べました。当方が出したのは、ミョウガ、レモン、スイカ、スダチ、それと梅酒の梅です。となりには、地元多摩と群馬からの野菜が並ぶはずだったんですが、品数が少ない。どうやら、昨夜搬送してきて荷下ろしをしいてる時点で、お客さんが、いち早く買い求めに来ちゃったようです。当方は、スイカを味見してもらいながら、梅酒の梅は、それでつくった梅ジャムを試食してもらいながら、その味を納得してもらっての販売でした。午前9時から始まった朝市でしたが、午前10時15分には、ほとんどの品が売切れてしまいました。「やれやれ」といったところです。
2018年09月01日
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