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大晦日にみかんの大売り出し12月31日(木)の大みそか、多摩市の永山団地で、4日目のみかんの大売り出しをしてきました。今回は、これまでより2時間前倒しして、午前10時半から午後2時まででした。コロナのニュースもあってか、人通りがいつになく少ないんですね。それでも、お正月にはみかんがかかせませんから、寒い中でしたが、みかんの販売をしてきました。
2020年12月31日
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第三日目のみかんの大売り出し12月30日(水)、今日はみかんの歳末大売り出しも三日目で、いよいよ大詰めです。台の上に「はかり」があるのが分かるでしょうか。その左隣に山と積まれたみかんは、真鶴産の在来系の普通温州みかんです。その在来系のみかんについても、その味を味見をしてもらって、「よし」としていただけた方には、1キロを300円で量り売りをしました。在来系の「昔ながらのみかん」も、捨てたものじゃないんです。完熟してくるとコクがでてきて、酸味の中の甘さという美味しくて刺激的な味になるんです。もちろん、「大津」の方が美味しいという方もいますが、『在来系の方が私は好きだ』という方もかなりおられて、ゴツゴツとした在来系みかんですが、山に積まれたうちの4分の3が売れました。いよいよ明日は、歳末大売り出しの最終日です。今年の商いもあと一日、いよいよ大詰めになりました。
2020年12月30日
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『スクープはこうして生まれた-「桜見る会疑惑」』この忙しい時に、『桜を見る会疑惑』は今だに片付いてないんですね。12月25日の衆議員と参議院の議院運営委員会の2時間半につき合わされました。https://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.phpしかし、それでもしゃぁしゃぁとして『秘書が問題』だったとごまかし、自らの反省を一向にしようとしない。本人はしているつもりでしょうが、これでは社会的にとおりません。したがって問題は、まだ今もって生きているということです。それじゃあ仕方ありません。問題の何たるかを、再再確認するために一冊を取り寄せました。『赤旗スクープはこうして生まれた-「桜を見る会」疑惑』2020年9月15日刊行 しんぶん赤旗日曜版編集部著 1300円こんなことに、貴重な時間とお金はついやしたくなかったんですが、仕方ありません。まだ取り寄せただけで、そのものを読んでないんですが、これから読むんですが。問題が片付くまで、机の横において、何度でも読んでやるつもりです。こんなことに時間をとられたくないんですが、未解決である以上、仕方ありません。これが、今の日本の政治の本質のあらわれですから。これを正す力が、すべての主要な問題解決に必要だということですから。
2020年12月30日
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みかんの大売り出し―二日目-12月29日(火)は、東京・多摩市の永山団地で、みかんの大売り出しの二日目でした。静かな永山団地でも、年末はそれなりに人通りがあるかと思ったんですが、人通りが少ないんですね。「不要な外出は、なるべく控えるように」とのコロナの影響でしょうか。しかし、こんな時だからこそ、真鶴・小田原から運んできたみかんを山のように積み上げました。売れたのは、5キロ箱が4箱と、この山に積んだみかん袋の三分の一くらいでしょうか。人通りは少なかったにしても、そこそこの袋の数が売れていきます。当方としては、どれだけの人に試食してもらえるかが、問題なんですが。試食してくれた人のみかんの評価ですが、「自然の味で、おいしい」と、お客さんがお客さんにすすめてくれるといった場面もありました。また、中には6袋も買っていってくれる人もいました。また、5キロ箱を二箱も買っていってくれる人もいました。人通りは少ないにしても、それなりにハイライト・シーンもありました。さて、歳末大売り出しは、あと残り二日間です。30日(水)、31日(木)の午後0時30分から4時までですが、引き続き、真鶴・小田原みかんの味を、なるべく多くの人に体験してもらいます。
2020年12月29日
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哲学学習28 ヘーゲル『哲学史序論』ノート812月は、当方はみかんの収穫でてんてこ舞いです。しかし農作業にのみ埋没しているわけにはいきません。したがって要点のみであったとしても、とにかく発信です。哲学の学習、今回は『哲学史序論』のA「哲学史の概念」、その3「哲学史の概念に関する結論」、そのa「多様な哲学の時間的発展」の部分です。岩波文庫の『哲学史序論』では、P84から90、第45節から51節です。今回は、この箇所で3つの点に注目しました。一、ヘーゲルの客観的観念論の考え方について二、ヘーゲルがいわゆる形而上学的思考と弁証法的思考を対比して述べていること。三、ヘーゲルは弁証法的発展を「運命」とか「摂理」とか、様々な形で表現していること。以上の3点です。ヘーゲルは「哲学が歴史をもつのはどうしてか」、この当たり前のような問いかけから考察していきます。一、ヘーゲルは、ここで客観的観念論というものの内容を示しています。主観的観念論というのは、世界を自己中心的にとらえるというか、世界というのは自分の主観的認識で成り立っているという考え方です。それに対してヘーゲルは観念論者ではありますが、これとは別な客観的な考え方を提起しています。P85 第46節「意識は本質的に、私そのものが私にとって対象であるという意味を含んでいる。この絶対的判断〔原始分割〕によって、私の私自身からの区別によって、精神は自分を定有する。自分を自分自身から外的なものとして定立する。精神は自分を、まさに自然存在の一般的な区別の様式〔在り方〕である。しかし、外面性の様式の一つは時間である」。第47節「それ自身における区別として、したがって発展として、理念はそれ自身の中にありながら、外面性のなかにあらわれる」P86「精神は、単に個別的な有限的な意識としてあるのではなく、それ自身において普遍的な、具体的な精神である。すなわち、この具体的な普遍性は、あらゆる発展した様相と側面とを内含しているのであるが、この全様相と側面との中で精神は理念に従って自分自身の対象となるのである。その意味で、精神の思惟的な自己把捉は同時に発展した全現実性によって充たされた進展なのである。だから、この進展は単なる個人の思惟の行程ではなく、単に個別的な意識のなかにあらわれるものではない。それは個別的意識の形成の沃野を足場にして世界史の中で自分を演出する普遍的精神として現われる」。ヘーゲルがここで言っていることを私なりに解釈してみると、その人なりの個々人の考えを絶対視するような、主観を絶対視するような世界像ではなくて、誰にとっても外的な対象として、客観的なことがらとしてとらえれる側面をとらえています。そこにはヘーゲルの問題点もあるんですが、すべては「精神が外化した」ものでしかないとか、個人を超える精神があり、それがすべてを主導するかのようなとらえ方をする問題があるんです。いわゆる逆立ちした考え方が問題としてあるんですが。がしかし、そうではあっても自分中心の世界観ではなくて、個人的な恣意的な事柄を絶対視するのではなくて、個々の思惟の客観的な側面を指摘しているわけです。観念論ではあっても、自分勝手な、ひとりよがりな自己主張をする、独善的な主観主義的な立場ではないということなんです。二、この中で、ヘーゲルは形而上学的思考の考え方と弁証法的な思考を対比しています。P85 第47節「この定有と時間における存在とは、それ自身も本質的に有限的である個別的意識一般の契機であるのみならず、また思惟のエレメントにおける哲学的理念の発展の契機でもある。というのは、静止の相において考えられた理念は、結局無時間だからである。理念を静止の相において考えることは、理念を直接性の形態に固定することであり、理念の内的な直観と同義である。ところが、理念は前述のように、具体的なものとして、区別されたものの統一として、本当は静止ではない。また、理念は本質的には直観ではない」P86 第48節では「我々がこうして、具体者と発展との規定をはっきりつかむとすれば、歴史上の哲学が多様だということは全くちがった意義をもってくる。従って多様なものを不動なもの、固定したもののように考え、互いに独立に併存しているものででもあるかのように考える哲学の相違についてのおしゃべりは、いっぺんに打ち砕かれ、訂正されることになる」P87「多様性を絶対的に固定した規定と考えるものは、その本性と、それの弁証法とを知らないのである。多様性は流動の状態にある。それは本当は発展のなかにあるものとして、即ち過程的契機として把捉されなければならない。」これらの部分を読んでいると、エンゲルスの『空想から科学へ』がうかんできます。その第2章で述べている「形而上学的思考と弁証法的思考」とを比較している説明と、かさなりあうように見えてきます。ただし、エンゲルスはことがらをわかりやすく、正確にして、大きな世界史的な視野で述べているとの違いはあるんですが。それでも、中身の点では基本に重なっていると思います。三、ここでヘーゲルは思惟における発展を考察しています。「規定の運命が現れる」とといっています。ヘーゲルは近代において意識的に弁証法を語った最初の人ですが、様々な表現で語っています。ここでもまたそのひとつの表現とみてとれます。P87 第48節ですが。「第一に、理念の中にある諸区別が思想として定立される。第二に、これらの区別が、あるものはここに、他のものはそこにと、それぞれの位置が全体の中にあたえられる。ただ具体者のみが諸々の区別を担うところの現実的なものである。ここに現れる区別は、諸規定の多様性は偶然的なものではなくて、必然的である。その諸形式は全体の不可欠な部分をなしている。それらは相合して全体をなしている。けれども、諸々の区別が互いに相対立しているということは永続するものではない。これらの規定の運命が現れなければならない。運命とは、これらの規定が総合され、契機に引き下げられるということ。独立的なものとして立てる態度はふたたび止揚されて、それらの出発点にあった統一が現れる。」ヘーゲルはこの発展を、「規定の運命のあらわれ」といい、「世界の行程の理性的なもの」ともいい、「摂理に対する信仰」だともいっていますが、この表明は、言い換えは、なにを意味しているのか。これはヘーゲルが一般的なものごとの弁証法的な発展ということを、洞察してはいるんですが、大きな問題をかかえての洞察だったんだとおもいます。即ち、終わりの部分でいっていますが、P90「特殊的ないろいろの見解が今なお実現されえないこと、これやあれやがまだ実在するに至っていないことを我々は焦ってはならない。世界史においては進歩は悠長におこなわれる」と。進歩が貫かれることに、洞察と大きな確信を語っています。なぜ、どうしてこの一般的な発展があるのか。ヘーゲルにとっては理念がそうしたはたらきをするものだと、いわゆる概念の弁証法が主導的な働きをすることを語っているんですね。ところが、人間の主観を超えた精神のはたらきだとみなすヘーゲルにとって、なぜそれがそうした働き方をするのか? ということになると「運命」とか、「摂理に対する信仰」としか、説明できなくなっている。この悩める問題は、ヘーゲルの弁証法が概念の弁証法だということに原因していると思います。主客の関連が逆立ちしているから、事物の発展について無理な説明をせざるをえなくなっている。だけどそこには、「歴史的な発展と論理的な発展」とのすばらしい洞察もふくまれています。そこは逆立を正すことで、より一貫した世界観がつくられたこと、このマルクスやエンゲルスが課題として引き継いだ重要な問題があるんですね。今回はここまでです。次回は、b〔発展と具体者との二つの観念の〕哲学史の取り扱い方への適用、P91 第52節 からです。
2020年12月28日
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みかんの歳末大売り出しの初日いよいよ始まりました、みかんの歳末大売り出しです。12月28日(月)、東京・多摩市の永山団地でのことですが。生産は消費がともなってこそ、循環は円滑にすすみます。この11,12月には、みかんの収穫を、真鶴と小田原で必死になってすすめました。今や問題は、それが「命がけの飛躍」、すなわち販売が出来るかどうか、決定的な点が移りました。昨日、「紀伊国屋文左衛門のみかん船」ではありませんが、当方の車にみかんを満載して、小田原から東京へ、そのみかんを搬送してきました。今日、12月28日(月)から31日(木)までの4日間は、みかんの歳末大売り出しです。去年は、元日初日の「初売り」をしたんですが、お客さんは、ほとんどいなかったんですね。考えてみれば当たり前です。元日ぐらいは、家でゆっくりしていたいじゃないですか。それで考え方をあらためました。元旦の初売りを重視するよりも、「歳末大売り出し」に重点を置くことにしようと。その結果が、今回の4日間の「みかんの歳末大売り出し」です。はてさて、この「命がけの飛躍」-みかん販売の大勝負ですが、はたしてこれは、成功することが出来るでしょうか。
2020年12月28日
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解決が求められている課題眠い目をこすりながら、とはいえ見始めると眠気は飛びましたが、12月25日の衆・参両院の議院運営委員間の様子を見ました。情報公開もあり、昼間はみかん仕事で見れない私などにも、国会の様子はインターネットを使って、後から見ることが出来ます。https://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.phpそれぞれ1時間15分くらいの質疑でしたが、「桜を見る会」に関しての安倍前首相への質疑です。コロナ問題への対応にも、同じ問題が引き継がれて、政治が自らの責任を果たそうとせず、ヘラヘラと相変わらず責任転嫁して言い逃れようとしている。検察庁も、この事態に鈴をつけようとせず、放免してしまった。もしも、国会がこの事態をただせないとしたら、国会そのものが機能不能に陥るということです。貴重な時間を、こうしたグズグズした問題でついやしたくはないんですが、仕方ありません。ここを正せなくては、他の問題を正すなどということは解決したなんてことはありえないからです。だいたい、日本学術会議の6名の任命拒否も、同類の問題じゃないですか。学術に対して、自己の都合・弁護に役立つものしか認めないとしたら、そんな政治が何をもたらすかは、それは今の事態に具体的に展開されているじゃないですか。主権者の一人として、どうしたらこの事態を変えれるのか、解決できるか。それが今を生きるものに問われています。
2020年12月28日
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初めてのみかん狩り12月27日(日)、小田原・石垣山のみかん園にご家族がやってきました。オーナーと、この子どもさん夫婦とお孫さんです。みかん狩りについては、子どもさんの家族は、初めての経験なんだそうです。残念ながら、みかん園のみかんは、この2,3週間で、ほとんど採りつくされちゃっているんですが。霜が降りる前に収穫しようと、すでにほとんど収穫されちゃっているんです。それに、イノシシが木の裾の方についていたみかんをほとんどを食べちゃっているんです。みかん畑は、シーズンオフの状況にかわってしまったんですが。それでも、最後の締めくくりの段階ではありましたが、ご家族で、みかんの収穫体験をしていただきました。実際にみかん畑に足を運んでいただくと、いろいろなことが見え行きます。イノシシの加害のひどさの様子もしかり。みかんを収穫するタイミングが年によってことなることもしかり。みかんの表年と裏年の、隔年結果の様子もしかり。八百屋さんで買うみかんとは違って、どんなみかんが美味しいのか、実際に味を試しがら収穫が出来ます。今シーズンの温州みかんの収穫の最後でしたが、ご家族でみかん狩りを楽しんでいただけました。今年は、コロナの問題などで、みかん園に来ていただけた方は少なかったんですが、それでも、収穫の最終段階を、実際に体験していただきました。こうした交流は、来園者にとっても、農家にとっても、将来に生きてくると思っています。
2020年12月27日
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みかんの団地での大売り出し12月26日(土)に、多摩の団地でのみかんの売り出しを始めました。昨日、小田原から搬送してきたみかんです。団地の商店街は人通りが少ないんですが、それでも、みかんをかっていってくれる人がいます。これから小田原まで、さらにみかんの搬送に行ってきますが、12月28日(月)から31日(木)の4日間、12時半から4時まで、多摩の団地で、みかんの歳末大売り出しです。
2020年12月26日
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みかん収穫の最終盤です12月22日(火)から25日(金)まで、真鶴・小田原へみかんの収穫に行ってきました。今年のみかんの収穫も、いよいよ大詰めです。12月22日、みかん園に向かう途中、平塚から見えた富士山です。22日(火)は、これまで収穫してあったみかんの選果と、箱詰めをしただけでした。翌23日(水)は、JAからみかんを発送したあと、真鶴へ移動してみかんの収穫です。真鶴のみかん園は、今年は老木が頑張ったんです。2000年に27本あった木は、カミキリムシの加害で8本に減っています。その8本に隔年結果の裏表がありますから、去年は収穫量は少しでしかなかったんです。その収穫量が念頭にありましたから、今年も大したことなしと思っていたんですが、どっこい、老木が頑張って、往年の勢いを思い出させてくれるような箇所もありました。とにかく、12月23日、24日の二日間で、真鶴園のみかんの収穫を、すべて終えることが出来ました。最終盤は、木からみかんの果実をすべて採ることが、みかんの木への一番の手入れです。みかんが木についたままでいると、そのみかんが木の養分を取り続けているんですね。みかんの木は、その養分を搾り取られてしまうんです。だから、みかんの収穫の最終盤は、木からみかんの実のすべてをおろしてやることです。古代ローマでいうの『荷下ろし』のみかん版です。さて、午後からは移動して、広大な小田原・早川の石垣山のみかん園です。次の写真は、今回、すべての作業を終えて、帰途につく前の様子です。こちらは、一昔前なら「もぎ子」さんですが、収穫への応援も得て、だいたいひと回りしたところです。主だったところの収穫はひと回りできたんですが、まだまだ、ところどころに、みかんが点在するように残っています。したがって、「完全収穫」とまでは行ってなくて、9割がたの収穫というところです。年内はあと一回、12月27日(日)が最後の収穫日です。問題のもう一つの点は、収穫したみかんを販売することです。これは、当方の本日の車の状況です。昔なら、紀伊国屋文左衛門のみかん船でしょうが。みかんを満載するようにして東京に戻ってきました。12月26日(土)は、年内最後の多摩の団地の土曜朝市ですから。しかし、当方は、その朝市はみかん販売の序の口だと思っています。12月28日(月)から31日(木)まで、歳末のみかんの大売り出しを計画しています。いくら収穫しても「命がけの飛躍」でして、販売しないことには、生産したことの意味が無いわけです。これは井原西鶴の世界ですが、現代も同じで、年末の数日に一年の生産努力のすべての浮き沈みがかかっているわけです。はたして、どの様な新年をむかえれるか。それは、これからの数日間の努力にかかっているわけです。
2020年12月25日
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みかん収穫の最終段階12月19日の土曜朝市を12時に打ち切って、小田原・真鶴のみかん園へもどり、最終段階の収穫に当たりました。途中、平塚から見た富士山です。この天気はなんとしたものか。富士山はすそ野が見えるのに、その手前には厚い雨雲がかかっていて、強い雨が、小田原料金所あたりでは降っていたんです。これじゃあ、みかんの収穫はむりか・・・と思ったんですが、さいわいにして、夜には星が出だして、翌日の20日の日曜日は晴れました。20日の午前中は真鶴園での収穫でした。午後からは、早川のみかん園で最終収穫にかかりました。これがその成果です。早川園の方は、本日・21日(月)には、ありがたいことに、収穫への応援が来てくれました。当方などは、連日の収穫で、すでにヘトヘトなんですね。一人でショボショボ収穫しているのと、二人で収穫するのとでは、はるかに活動量と集中力が違ってくるんです。応援の力もあって、広い早川園ですが、こちらの方は、収穫を終える段階まで来れした。ところで、今日・月曜日の農協でのみかんの発送作業ですが、大変な事態になっていました。この写真は、午前8時45分の時のもの。まだ受付の開始時間前だというのに、ご覧のようにみかん箱が並んでいました。受付手続きを待っている間に、同じく待っている農家の人たちの会話が聞こえてきました。「霜の被害が出ないか心配で、収穫を急いだ。 数年前には霜が降りたため、みかんがほとんど駄目になってしまった」霜に当たると、みかんの味や形の品質が落ちてしまうというんですね。今年は、ここにきて急に冷たくなったこともあり、収穫作業を急いだ、というんですね。雨が降れば、陽気の冷たさから霜も降りてくる心配がでてきているというんです。この一週間くらい、農家の人たちが必死に収穫していたのは、こうした事情だったんですね。「あ~ぁ、くたびれた」なんて言っている暇はない、ということです。それにしても、すごい量のみかんが発送されようとしている。お正月用でしょうか。受付の実務をしている人も、私だったらたちまちパニックになるところなのに、そこをがまんして、同時に押し寄せてくるたくさんの発送伝票を前にしていながら、処理が間違わないようにと、一生懸命に対応されていました。
2020年12月21日
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みかんの朝市12月19日(土)、多摩の団地でみかんの朝市を開きました。今回は、早川から「みかん」ののぼりを借りてきました。寒くて道行く人は少なかったんですが、なるべく試食をしてもらうようにしています。「みかんを田舎に送りたいんだけど…」と、何人かの方から声をかけられました。
2020年12月19日
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今年のみかん作業も山場に当方は2000年から、50歳の時からみかん作業を始めました。今回はそのもととなっている郷里の真鶴園の紹介です。その年に亡くなった父が、狭い畑ですが、そこにみかんの木を植えていたんですね。19歳の頃から東京生活をしていた私などは、そのことは知っていたんですが、よもやその手入れを引き継ぐことになるなんて、まったく考えて無かったんですが。そのみかんの木は、当初は27本あったんですが、今ではその後、カミキリムシに枯らされて、8本くらいになっています。枯らされた後には苗木を植えたあるんですが、まだほとんどみはつけません。苗木がいっぱしになるには、10数年はかかるんですね。従って、その収穫量は、去年はたいしたことはなかったんです。それで簡単に済むと余裕でいた私でしたが、しかし、今年は違っていました。今期に入っての収穫は、すでに去年の収穫量をこしているんですが、まだまだ採れるんです。今年が表年のようで、みかんの老木が頑張っているんです。これは12月16日(水)に収穫したものですが。だいたい1本の木でこの収穫量でしたから、収穫が終わりません。こりゃぁもう一回、すぐに続きに挑戦すべきだととおもい、翌日の、12月17日(木)につぎの一本を収穫しました。それが次の写真です。あわせると、この二日間だけで10コンテナの収穫になるじゃないですか。「早く採りゃあ、いいじゃないか」と思われるかもしれませんが、みかんは成熟のタイミングで、収穫の時が決まるわけで、収穫するときが早いと、食べてもらう人には『酸っぱい!』との悪印象になります。この収穫のタイミングの選択で、評価に月とスッポンの違いが出てくるんですね。しかし、その収穫が遅すぎると、冷気と霜が降りてきます。これは12月15日の富士山です。雪が裾の方にも広がって、寒々としてくる景色です。綺麗といえば綺麗ですが、厳しい景色です。みかん仕事に来ると、テレビも新聞もありませんから、ニュースは聞けなくなるんですが。後から知ったんですが、関越などの裏日本は雪で交通が大変になっているとのこと。当方は、この富士山をみて冷気が下界にちかづいているのを感じさせられてましたが、雪による大変な事態が、各地に起きていたんですね。霜が降りるようになると、みかんの皮が浮いてきて、味が落ちるようになります。だから、なるべくその前に収穫を終わらせたいんです。みかんの収穫は、早すぎてもダメ、遅すぎてもダメなんです。しかし、みかんの半日の収穫作業では、これ以上の頑張りは出来ません。人間の体力と、時間、はさみのにぎにぎには、やはり限度というものがあるんですね。今回の収穫作業を終えたあとのみかんの木ですが。まだまだ、木には果実がついていて、『もうひと頑張りせよ』との指示が出ています。しかし、みかんの収穫は、今は真鶴は一部分でして、小田原・早川の石垣山の、知人の畑を借りて手入れをしています。そちらは裏年基調なんですが、何しろ本格的なみかん畑で、広いんです。真鶴の何陪もの面積と生産力をもっていますから、裏年でも大変なんです。いまでは、こちらの早川の方が、私の労働が主になっているんです。早川は「みかんの宝の山」なんですよ。桃源郷のような世界です。山場には残酷に感じることもありますが、宝の山です。従って、私などのみかんの収穫は、まだまだ終わりません。限られた時間に、集中的な作業が求められています。あと3回くらいしか、年内に真鶴・小田原方面に行くことは出来ないんですが。はたして終われるかどうか不明です。頑張るしかないんですが。しかし、収穫は事柄の半分でして、販売があります。生産には消費が必要で、収穫したみかんを販売しないことには、みかん小屋は収穫したみかんであふれ出してしまいます。収穫はパニックになり、ストップしてしまいます。農協に出荷できるようなみかんの質、水準ではない当方としては、あくまで自主的な努力でみかんを販売しないことには、すべてはすすまないわけです。この販売作業が、収穫と並行して進まなければならないわけです。多摩の団地で、土曜の朝市をやっているのも、そのためなんですが。ということで、今朝はこれから朝市に行ってきます。大量の美味しいみかんを、どの様にして消費者の手に届けるのか。宝を持ち腐れにせず、喜んでもらえるものにするにはどうしたらよいのか? これが、問題の片面になっているわけです。あと半月間、頑張りぬくということです。
2020年12月19日
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哲学学習27 鰺坂真「ヘーゲル生誕250周年によせて」しんぶん「赤旗」の12月15日付に、哲学者の鰺坂真氏の「ヘーゲル生誕250周年によせて」が掲載された。ヘーゲルの「歴史哲学序論」に次いで、もっか「哲学史序論」に挑戦している私などにとって、この「学問文化」の記事を興味深く読ませていただいてます。今を生きている哲学者が、その研究をふまえて、ヘーゲルのもっている意義を、その中心点を紹介してくれたものです。ただ、新聞というのは万華鏡のような多岐な分野、問題の一コマですから、字数からしてもごく限られています。簡潔にヘーゲルの意義を紹介した記事なんです。その紹介の一部ですが-「ヘーゲルの画期的な功績は、弁証法的世界観の最初の最も包括的な叙述を試みたことでした。彼は自然と歴史および人間の認識のすべての過程が、不断の運動・変化・発展の過程に貫かれていることを示し、その内的な関連をとらえました。これがヘーゲル弁証法です。ヘーゲル哲学の合理的な核心は、人間社会の進歩と科学の発展の豊かな内容に立脚している点にありました。 しかし彼はその内容を、「絶対理念」という観念的実体が自己実現していくという、現実がさかだちした観念論的体系として叙述しました。」新聞というもののかぎられた字数の中で、ヘーゲルの業績と問題の要点を紹介してくれています。しかし、それでは具体的な問題や論点を解明するには無理があります。あくまで紹介する程度に、結論的なエッセンスくらいしかふれることはできません。鰺坂氏のヘーゲル紹介の基礎には、『マルクス主義哲学の源流-ドイツ古典哲学の本質とその展開』(学習の友社刊)などの研究があるわけですが。私なども以前に読ませていています。私などが、もっか『歴史哲学序論』をまなび、『哲学史序論』を学んでいるのは、ヘーゲルの主張していることの中で、業績や問題点として指摘されている事柄を、具体的にそのものの中で吟味してみることが大事だと思うし、そうした努力をするに値する重要な中身をもっていると感じているからなんですね。だいたい「全一的世界観」ということもヘーゲルがもとでしょうし、森羅万象において一般的に弁証法がはたらいているなどという思想を、洞察を、提起したのもヘーゲルですから。すばらしいものですね。ただ、洞察というのは、あくまでヘーゲル自身の洞察であって、それは正確に学術的な論証をするにまではいたっていないということではないんですね。それだけでなく、そこにはヘーゲルの考え方の中に問題点(逆立ち)があるんですね。人間はものごとを理解するのに、多くの解説書でいわれている言葉ですませるのではなくて、原典に分け入ってでもとことん検討してみることも大切じゃないかと、などと思っている次第です。従って、私などの学習は、まだまだ続きます。
2020年12月18日
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みかんの収穫は山場です12月12日(土)の多摩の団地朝市をお昼で切り上げて、みかん園行きです。12月13日(日)・14日(月)の収穫ですが、今年の収穫は、このあたりがみかんの収穫の山場です。イノシシは鉄柵を押し破ってみかんを食べているし、鳥たちは、巡回するように、時々けたたましくみかんを食べにきます。日々、刻々と狙われているみかんを、それらをかき分けて当方も収穫してます。自然界の競争というのは、人間の都合なんて関係ないんですね。12月13日(日)は、真鶴園で0.8コンテナ、石垣山・北園で3コンテナの収穫でした。前回収穫したみかんを、12日(土)にみかん農家のプロに見てもらったんですが。『(収穫するのが)まだちょっとはやい』『成熟したのを採るように、その見極めが重要だ』とのアドバイスをいただきました。美味してみかんを提供している人の認識と技が、そこにあるんですね。当方としては、鳥たちとイノシシにみかんをとられまいと思って、また、周りのみかん農家が全収穫をしているのを見ていたので、やはり急き立てられるような採り方をしていたんです。アドバイスのおかけで、13日(日)の収穫は、慎重になりました。かりに収穫が年を越したとしても、早もぎするよりはましだ、と腹をくくりました。次のは、12月14日(月)、本日の収穫です。午前9時からの農協の発送作業を終わらせてから、ひちすら山場の収穫で、木に登りました。今日はここまでと、時計を見たら午後2時15分でした。シンデレラは時間がかぎられています。当方も、都会の店舗が店じまいする午後5時までにみかんを届けなければならないので、午後2時にははさみを置いべきだったんですが。一か所の届けは、5分遅れたことでアウトでした。ヘーゲルも言ってます、「自然存在の一般的な在り方である外面性の中に定立すること、その外面性の様式の一つは時間である」と。(『哲学史序論』岩波文庫 P85)「おもい」ということでは時間を飛び越えるようなことも考えれますが、やはり収穫する作業にも、小田原から多摩へもどる交通からしても、時間というものが大きな客観的な問題としてあり、それを飛び越えることは出来ないんですね。観念論者ではあってもヘーゲルは、客観論者として主観主義者に対しては、すぐれた見識・観点をもっています。
2020年12月14日
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多摩の団地朝市12月12日(土)は、多摩市の永山団地の朝市です。昨日小田原から搬送してきた、真鶴と石垣山のみかんも並べました。午前11時半まで販売しましたが、そのあとは、ひと休みしてから、再び収穫するために小田原行きです。
2020年12月12日
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もうひと頑張りが必要な収穫です今年のみかんの様子ですが、去年、たわわになっていたみかんの木がさっぱり実をつけていません。表年と裏年の、隔年結果というものですが。南園は40本の木のうち、4本しかまともに実をつけていないんです。それで、今年の収穫は楽勝だと、半ば張のない、ゆったりした気分だったんですが。「木も人も、今年はひとやすみだ」と。それは南園にかんするかぎりでは、「当たり」だったんですが。それとは別な現象に突き当たっています。真鶴園と石垣山・北園のみかんの木については、様子が違っていて、本数は少なくても、老いた巨木ですが、大健闘しているのを実感させられているところです。次の写真は、石垣山の北園です。やはり半分以上の木が裏年で、みかんを余りつけていません。実をつけているのは、8本くらいの木かと、この遠景から想像して、「これなら、たいしたことはない」と高をくくっていたんですが。その北園の1本を収穫してみてわかったんですが。1本の木を収穫するのに、半日と半日の2日がかかり、後の半日でも4コンテナ、合計9コンテナの収穫がありました。20キロ×9コンテナで、180キロの収穫です。その木の収穫を済ませて、今はその次の別の一本にかかっているんですが、これはこれでやはり、この木の収穫を終わるには、あともう半日必要です。残りの木の全体を見ておこうと、北側の奥の方へ入ったところ、まさに桃源郷の状態でした。イノシシが太い枝をへし折って、背の届く範囲のみかんを全部食べていたんですが、それもそのはずです。イノシシの背の届かないところには、みかんが満開に咲いていました。隣にあったみかんの木を日陰にする雑木を、4月に切り倒したんですが、そのために、木に陽があたるようになったのと、表年が重なったようです。木が重なっていたのと、イノシシの加害に関心が地面あたりに集中していたため、みかんの木の全体的な具体的な状況は確認していなかったんです。まだ手つかずのところに、さらに大仕事が残っていることが分かりました。あと小田原・真鶴のみかん園に行けるのは、年内には5回だけなんですよ。残っている木を思えば、真鶴2本と北園5本はあります。これをぜんぶ収穫するには、とてつもない集中力が必要です。並行して、収穫したみかんを出荷・販売していかなければ、収穫しようにも、収穫したみかんを収容する場所がなくなるわけですから。これらは、年内にもうひと頑張りしなければ、年末をむかえれないということです。これは、うれしい悲鳴です。収穫するのは喜びではあるんですが、それとともに、人間の体力を超えるような仕事が求められ、なおかつ、大量のみかんをどの様に消費者に届けるのか。あと半月、これらの矛盾をどう解決するのか、そのために、あがくことが求められています。
2020年12月12日
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みかんの収穫は今が山場12月9日(水)午前中に、神奈川県真鶴町で、みかんの収穫をしてきました。真鶴のみかん園は狭いし、木が老木になっていますから、収穫は簡単に済むかと思っていたんですが、とんでもない。少ない本数のわりに、老木の木ですが、今年は頑張っているんですね。枯れてしまった木の後に、苗木を植えたんですが、それらは、まだ小さくて、たいして実は着けません。いっぱしの木になるには、10数年はかかるんですね。他方、小田原・石垣山のみかん園は、「大津」という種類です。真鶴のみかんの木は、在来系の普通温州みかんですが、湯河原・吉浜の大津さんという方が、温州みかんの中から「大津」みかんを育成したというんです。みかんも大きくて、つやつやしていて綺麗です。在来系のみかんから大津に植替えがすすめられたのも、うなづけます。石垣山のみかん園は、きれいに熟したみかんが、枝もたわわに、木にいっぱいついています。まさに「宝の山」なんですね。みかん園のあちこちでは、今、いっせいに収穫作業が行われています。昨日まで鈴なりだったみかんの木が、翌日には木についていたみかんがすべて消えている。どこからあの急展開の収穫の力は出てくるのか。当方も、頑張ってはいるんですが、農家の人たちにはかないません。集中力が、大きく違うんですね。当方は1本の木を片付けると、やれやれ人ですが、農家の人たちは、何十本と植えられている畑を、だいたい一日で終わらせているんですから。去年、一昨年は、結局最後までみかんが木についているのは、当方が手入れしている畑でした。このため、ヒヨドリたちが、大挙して当方のは畑に集まってきたんです。石垣山にいるヒヨドリが、みんな集まってきたかのように、たくさんの群れが集中してきました。今年も、そうした事態が繰り返されかねません。だから、ピッチを上げて収穫作業を進めているところです。この間、イノシシによる被害もすごかったんですが、すでに、イノシシが手が届く範囲のみかんは無くなりました。しかし今度は、上からやってくるヒヨドリが問題になっています。熟して美味しくなったみかんをついばんでいきます。美味しいみかんを誰が採るか、今やヒヨドリとの競争になっています。
2020年12月11日
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哲学学習26 ヘーゲル『哲学史序論』ノート7なかなか、みかんの収穫期というのは大忙しい。それは人気アイドルのスケジュールのようなものです。週に二回、真鶴・小田原とを往復する。その間に畑では収穫のはさみを入れて、出荷の箱詰め・袋詰めをする。東京に帰ってからは、搬送してきたみかんを寅さん商売で販売する。これを毎週くりかえして、その中で収穫が終わらせれるかどうか、またそれらが販売できるかどうか。綱渡りの「命がけの飛躍」を走りぬけているわけです。そうしたわけで、まぁ弁解しているわけではないのですが、そうした中での学習です。今回は前回の「『哲学史序論』Aの3のまえがき」に関連して、それについての問題意識のみですが。一、ヘーゲルの「歴史的なものが論理の展開と同じものである」との洞察ですが、これはマルクスの商品論に使われてますよね。いったいヘーゲルはどのようにこうした洞察を得れたのか。これは、世界観的な問題であり、洞察でもあるとおもいます。ただし、仮説というか、具体的問題に即して研究した結果において、はじめて言えることですが。二、それと関連しますが、レーニンの表現で「全一的な世界観」(『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』まえがき)ということがありますが。この「全一的な世界観」とはどういうことなんか。これも私などには、どういうことか、よくわからなかったんですが、ヘーゲルのこれらの世界観にヒントがありました。三、この二つは、ヘーゲルのこの部分を読んでいて、みえてきたんですが。ヘーゲルは、素晴らしい洞察をしています。理念(精神)と自然と社会における発展の共通なことを洞察しています。しかし洞察はあくまで洞察であって、当人の確信なんですが、そしてそれは当たっていると思うんですが、それを裏付ける社会観が、哲学的な世界観が問われてきます。学生に対する講義で、ヘーゲルはその洞察と確信を述べているんですが、こんがらかった現象の中に発展があるよと指摘しているんですが、その根拠については、明確にしきれなかったんですね。というより、「理念が外化したものとしての自然である」とか、「国家が合理性の現れだ」とか、「政治が社会の主導力だ」とか、全体からすると、そこには誤った考え方も含まれているんですね。問題は提起したけれど、正確な答えは出せないで亡くなってしまったんです。しかし、マルクスやエンゲルスの出発はそこにあったんですね。私などとしては、ヘーゲルは、その逆立ちしている点を保留しさえすれば、すばらしい課題を私たちに遺してくれているんですね。このごちゃごちゃはた表現の中でですが。ここには、唯物弁証法と唯物史観が、どのようにして生まれてきたのか。それをつかむ上で、ヘーゲルのここでの思想は、それを考えるヒントを提供してくれています。
2020年12月08日
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みかん仕事は大忙し今、小田原のみかん園は大忙しです。12月5日(土)は冷たい雨の多摩の団地朝市を途中でぬけて、小田原のみかん園行きです。この小雨降る中で、オーナーの一人がみかんの収穫作業をしてくれていました。もちろん、その収穫作業には間に合わないのですが。当方のみかん園は、その中の40本の木を、オーナーの人に当てています。「小田原のみかん園に、自分のみかんの木が1本ある」これは、都会人が小田原の大自然と親しむ機会として提供しています。翌日、12月6日(日)には、別のオーナーの方が、朝10時から朝市の多摩市から来てくれました。みかん園の全体の様子を簡単に見てから、自身がオーナーとなっている木のみかんを収穫です。収穫したみかんを郷里と職場の方に送りたいということで、当人は、電車で帰途につきましたが、当方は翌日・すなわち7日(月)にJA早川から出荷です。農協が宅配サービスの窓口になってくれているんですね。これは、朝一番に当方が持ち込んだみかん箱の21個です。発送作業を朝一番で済ませた後は、真鶴のみかん園行きです。こちらは450平米ですから、いたって小さなみかん畑ですが、自前の畑です。20年前から、私がみかんの手入れにかかわるようになった、そのきっかけとなったみかん畑です。自然豊かな真鶴町らしく、駅から5分の、街中にあるみかん畑です。私はほとんど知らなかったんですが、2000年に亡くなった父がみかん畑をつくっていたんですね。その父の残したみかんの木の多くは枯れちゃったんですが、今でも何本かは健在です。放置したままにはしておけない、ということから始まった私のみかん畑の手入れです。今年の真鶴園のみかんの木は、この数年の中でもよく頑張っているんですよ。カミキリムシのために、28本のうち20本くらいが枯らされちゃったんですが。みかんの木は隔年結果がありますから、去年はあまりならなかったんですが、見ての通り、今年を頑張っている老木が、今年は4本あります。おかげで、出荷した後の午前10時に来て、12時までの2時間でしたが、全部で、6コンテナの収穫でした。赤いオレンジのようなみかんが2個ありますが、今年初めて採れた「みはや」という木です。まだ、私などは味見もしてなくて、その味を知らないんですが。これらをみかん小屋に搬送して、代わりに、前日に用意しておいたみかんを積みこんで帰ってきた次第です。みかんの収穫作業は、まだ始まったばかりですが、一気に山場に入りつつあります。こんな往復しての収穫作業が、今年いっぱいは続きます。といっても、あと年内は6回くらいしか、収穫日は無いんですが。それと、採れたみかんを、並行して販売仕切らなくてはなりません。そうでないと、みかん小屋はパニックをきたしてしまいますから。12月は、みかん農家にとっては、猫の手も借りたくなるような大忙しの日々です。
2020年12月07日
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雨の下での団地朝市12月5日(土)は、東京は朝から冷たい雨が降ってます。雨が降ろうと、雪が降ろうと、槍が降ろうと、朝市は開きます。みかんは収穫の山場にあり、美味しさはさらに増してきていますから。生産は、消費が円滑にすすまないと品物があふれてパニックをきたします。美味しいみかんですから、しかも安いですから、売れないことはないんですが。なにしろ寒くて、表を歩いている人のいつもより数が少ない。買い手が少ない。そうした中であっても、みかんの経済循環をすすめていきます。明日は天気予報は晴れ、みかんの木が乾ていれば収穫するま予定ですから、今日は、午後から小田原へ向け出発です。
2020年12月05日
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みかんの収穫とイノシシ被害小田原・石垣山のみかん園は、今収穫の最盛期に入っていますが、イノシシによる被害が深刻です。イノシシは、地面から1メートルくらいのみかんを、バクバクと食い荒らしていきます。農家は、みかん畑に鉄柵を張って、侵入を阻止しようとしているんですが。ここにきて、毎日が攻防戦になっています。これは昨日の朝ですが。みかん園に侵入して食い荒らして、ここから住家へ帰って行ったわけですが。鉄柵のすそを押し曲げ、柵を固定した杭を押し抜いて、竹の主柱を壊してました。すごい力ですね。次のは隣接するみかん園ですが、今朝の様子です。主柱を浮き上がらせて、鉄柵の裾を押し曲げて、侵入口をつくっていました。イノシシは、みかんが大好物なんですね。次の写真は、今回の真鶴園での収穫です。当方の真鶴園は市街地の中にありますから、こちらはイノシシの加害は無いんです。木の裾の方には、大きな熟したみかんが沢山ついていました。早川では、その美味しいところですが、ことごとく食べられちゃったんですね。真鶴のみかんも、今年は木が頑張ってくれていて、良いみかんがついています。次の写真は、本日12月4日の、早川・石垣山での収穫です。こちらは温州みかんの「大津」ですが、イノシシが狙うのも無理はありません。ですから、下からイノシシにとられないように、木の裾の方をまずとって、同時に、上からヒヨドリについばまれないように、木の天辺の方をとるようにしています。そこを最優先でとるようにして、ようやく確保したものです。美味しそうなよいみかんでしょう。この収穫したみかんは、一週間小屋において、果皮を乾燥させてから、出荷するようにしています。そうすることで、酸味も少し引いてより甘くなり、味の濃い、最高のみかんになります。この木は、園主さんが丹精込めて育ててきた木なんです。小田原・早川は自然が豊かですから、その分イノシシとヒヨドリが狙っています。かれらと競走してのみかんの収穫です。どれだけ確保できるか、今がまさに勝負で、頑張り時なんですね。
2020年12月04日
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Nさん夫婦のみかん収穫12月3日(木)、東京多摩市からNさん夫婦が、小田原・石垣山のみかん園にやってきました。曇り空でしたが、前日の夜に雨が降ったため、木は雨滴が少し残っていたんですが。みかんが濡れてましたから、農家の人たちは収穫はせずに、選果作業をしていました。Nさんたちにとっては、これしきは支障なしと、収穫作業をしました。みかんが熟して来て、イノシシのみかん園の食い荒らしが、いっそう激しくなっています。毎日が、野球のように表と裏の攻防戦です。「今日は柵を破られて食べられた」「今日は塞いで侵入をとめた」と、繰り返しています。みかんが赤く色づきだして、イノシシの食欲も旺盛です。赤く熟したみかんを、イノシシが採るか、人間が採るか。すでに木の裾の方は、イノシシに食べられちゃっているんですが。当方のみかん園は今年は裏年で、みかんがついている木は1割程度なんですが、その少ない木をねらって、イノシシが侵入してきます。Nさんたちのみかんの収穫は、去年に引き続きは二度目なんですが、すでに手慣れた収穫作業でしたから、短時間にかなりの収穫をしてくれました。この中で、今年のイノシシ被害の深刻な様子に驚いてしました。
2020年12月04日
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