2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全49件 (49件中 1-49件目)
1
年末に死なんて縁起が悪いでしょうか?死を真剣に考えることによって、初めて生を真剣に考えるようになります。ウカウカと生きないために、この機会に自分の死について考えてみて下さい。死に方は人様々。太宰治は愛人と玉川に入水。三島由紀夫は切腹。川端康成はガス自殺。芥川龍之介は睡眠薬を服用し自殺。文学者には何故か自殺も多い。高齢化社会となり、老人介護がこの国の大きな問題となっている中で、家族に負担をかけずに死んでいきたいと願う人は多い。個人的には、75歳位までに痴呆にもならず、穏やかに大往生したいと願っているが、結局のところ模範的な死に方など無いだろう。今は医療が進みすぎたため、治療が死を逆に悲惨なものに変える危険生も高まっている。◆ある医者は、「部品も壊れ、燃料も切れそうなボロボロの飛行機を無理やり飛ばすのは、とても正しいことだとは思えない」と問いかける。彼は、かつては切って切って切りまくっていたが、介護の最前線で目にしたのは、強制的に栄養を与えられ、意思に反して生かされつづける高齢者の姿だった。結果、「なにもしない」医療にたどり着いたという。「丁度70歳のときですね。当時、このホームはしょっちゅう救急車が来る状態でした。もう体は受け付けないのに、1500キロカロリー食べなきゃいけないって、胃瘻をつけて無理やり食べさせるんだから、そりゃ墜落する飛行機は増えますよ。自然の摂理で人生の坂を下っているのに、本質を見てないんです。三宅島には年取って食べられなくなったら、枕元に水だけ置いておけば、静かに眠るように逝けるという言い伝えがあるんです。食べないから死ぬんじゃなくて、死ぬんだから食べないんだって。人間の知恵ですね。だから息子さんに、管をつけた母親を見るのは辛いと言われたんです。それで僕たちはとんでもない間違いをしていたと気づかされた。見ていてわかりますからね。食いたくなくなるんだから、食べなきゃいい。よけいなことやらないでくれよって。胃瘻や点滴で栄養を補給すると、水ぶくれになって、亡くなってもブヨブヨしています。ところが胃瘻も点滴もしなかった人は、体によけいな水分が残ってないから、まるで枯れ木のように自然な姿のままなのです。当たり前のことがやっとわかってきた。ガンで亡くなるのは、素晴らしいというとあれだけど、いろんな死に方があるなかで、わりと理想的な死に方だと思うんです。治療しない場合、体力がどんどん落ちていくのは最後の1、2カ月。でも、食べられなくなるのは最後の1週間くらいで、それまでは日常生活もできて、本当に最後にコトッて逝ける。闘病期間が短いし、みんなに悲しんでもらえるしね。8割の人が、自宅で死にたいと願いながら病院でなくなります。必要のない延命治療をするんですね」
2014.12.31
コメント(0)
昨日と同じ今日を繰り返していたのでは人生は何も変わらない本気で何かをしたいなら人は昨日までとは違う今日を生きないといけない自分を変えたいと思っても、永年習慣となっていることをかえることは生半可なことではできません。私も永年企業革新に取り組んできたが、徐々に「少しずつ」変えていくというのは却って難しいものです。例えば、禁煙や禁酒にしてもそうだが、徐々に減らしていこうと考える人はまず続きません。それよりも、一気にキッパリと止める方が成功の確率は高まります。つまり、180度変えるくらいの気持ちで取り組むことです。本当に何かをしたいなら、そのための行動をすぐに起こすことです。言葉に出すなり意識して1週間、1ケ月、半年と続けているうちに習慣となり、その人の体質=性格が驚くほど変わってきます。人間は気づきがなければ何も変化しないが、気がつくだけではダメで、即実行の癖をつけることが大切です。そして、階段を一歩上がる毎に拍手してくれる応援団を持つことです。さて、来年から何を変えますか?
2014.12.31
コメント(0)
今年も押し迫ってきました。自分の行く末を考えてみるのもいいかもしれませんね。老病死などについては、以前「人生の午後の歩き方」で述べたので簡単に留めておきたいと思います。「余命半年」と宣告された40代の婦人は「半年単位で物事を考えようと思うようになった。取り敢えず秋まで頑張って、秋になったらまた状況を見ながら次のことを考えよう。余命半年の「半年」は忘れようとしても忘れられない現実だけれど、死ぬときのことは、そのとき考えればいい。ここにいる時間を大切にしたいんです。具体的には、これまでなら明日やろうと考えたことを、今日やろうということなんです」と言うが、こんな思いを抱かさせたのは、夫の「僕だって、明日、事故にあって死んでしまうかもしれないんだ。もしかしたら、あなたより僕が先かもしれない。明日のことは分からないという点では、誰も同じなんだよ」という言葉だった。そして、「日々を大切に生きていかなければいけないという条件は、本当は皆、同じなんですね。その瞬間、余命1日という言葉が心に浮かびました。余命1日の思いで、毎日、毎日を精一杯生きよう、そう思いました」とも言う。あれこれと後ろ向きに考えず、また「明日にしよう」と面倒がらず、目の前のことを楽しみつつ打ち込む、これは老若男女、誰にも言えることだと思います。そんな生き方から、明日も開けてくると思います。迷うというのは、過去や未来のことを考えるだけで、今日只今に集中していないからです。43歳の時に乳ガンを患った奥井さんは、次のように言う。乳ガンを患い摘出手術を受けるまでは、生と死、人の幸福について考える機会はほとんどありませんでした。今思えば、なんと漫然と暮らしていたのかと感じます。まだ自分に時間が残されているうちに気づいたのは、病になったことによる幸いと言えるかもしれません。誰も死から逃れることはできません。死を見つめることで、人間関係の彩りが鮮やかになりました。幸せとは何かを考えたときにたどり着いた答は、人のために何かをすることでした。自分にどんな才能があり、なにができるかはわかりません。私なりに模索していくしかありません。死を意識した結果、身辺整理をし、不要なものをそぎ落とす。そうすると、物に囲まれて暮らしていると見落としがちになることに気づき、心が研ぎ澄まされ、広がっていくのを感じます。両手で抱えられる物は有限ですが、心を広げて包み込む能力は無限だと感じています。自分の心をどれだけ深く広くのばせるか。それが死と向かい合う私の課題でもあり、楽しみでもあるのです。年末年始は区切りを付けるには丁度良い時期。あなたも生きる意味・目的を一度じっくりと考えてみませんか?
2014.12.30
コメント(0)
一生懸命やればやるほど運は向こうからやってくるどんな道だろうと大いなる成功を収めるには運が良くなければならないが、幸運を得るためには努力と実力と忍耐が不可欠です。成功者の好運は、運を逃がさぬ絶え間ない努力と、運に乗って飛躍できるだけの実力と、運が来るまでの苦難に耐える忍耐との成果なのです。世に、努力もし、実力もあり、忍耐もしたのに、ついぞ運に恵まれずに人生を終えた不幸な人も数多い。しかし、努力と実力と忍耐を欠いて、好運だけで大成功した人物は見当たりません。それこそ命を賭けた、最も過激な競争社会だった戦国時代に大成した英傑たちの生涯を見るとき、つくづく思うのはこのことです。この時代に名をなし、家を興した人々は皆、大なり小なり好運児であると同時に、凄まじいほどの努力と、優れた実力と、驚くほどの忍耐を経ています。天下統一の先鞭をつけた織田信長をはじめ、秀吉、家康も例外ではありません。
2014.12.30
コメント(0)
介護にまつわる介護者・介護従事者・医者の側からもてきたが、では本人たちはどう考えているのかを、私を置いて先に逝った友たちの場合を書いておきます。三人の親しい同期の友を見送って感じたことは、介護してくれる身近な人には遠慮があって言えない本音(愚痴や胸の内)を打ち明けられる友(傾聴してくれる人)を持つことの大切さでした。意見は不要で、黙って心から聴いてくれる人がいると心が穏やかになるようです。私は余命6ヶ月程度の時に食事会を、そしてハガキやメールをその日まで送り続け交流してきました。◆膵臓ガンを宣告された40年来の友を最後の山行にと上高地に誘ったとき送ってきた五行歌これが最後の 旅仕度か いにしえの旅人には 及びもないが 青葉うれし(私はなかなかこんな心境にはなれないだろうな。さすが武士で家老の末裔)◆高校時代のマドンナ(旦那も同級生で檀家300軒の僧侶)からのメール注)郷里の知り合いから「誰にも言えない」と困り果ててSOSのメールがあり、私がマドンナに送ったメールへの返事。(余命1年半前で本人は未だ治ると希望有り。死の直前までメール交換)あなただけには、伝えてもらおうかと思っていた処ですけど、他の人には必ずナイシヨに願います。姑の認知症で8ヶ月のうちにガン化したのです。ストレスがいかにガンに影響するか証明されたようなものです。私むしろ喜んだ。姑はあの人(注 夫)の恋人化し、あと二か月も続いたらあの人は死んでしまう。私がガンになり、姑は妹のとこへ行きました。やっと彼を死なせずに済んだとルンルンなのに、あちらはため息ばかり。あまりの落ち込みように戸惑うし、あんまりケロケロしているので、子供たちは母さん認知症とちがう?なんて! 人の気持ちってわからないのですね! 人って、つい今の状況がズーッと続くような錯覚の中で生きていることが多いですけど、ある日突然変わらざるを得ない時がきます。入院から始まったこの一年、色々変わらなければいけない事が一度に押し寄せた感じです。皆で本心で話し合う機会にしていきたいです。 今までは表だって波をたてずに来たけれど、これからは喧嘩しても本心を言い合い、 納得して譲歩していくべきでしよう! 先日私は大爆発しました。私は姑の病状のせいでガンになるほどストレスを感じていて、姑のことはあの人の身を案じての事であるのに、人の言うことを全く聞かず自信過剰でもう離婚も辞さない!! バクハツしたら、予想外のショックを受け、姑と私のことでパニックとウツなの!◆大学ワンゲル部同期 膵臓ガンで亡くなる2ヶ月ほど前のメールより何時もハガキやメールを有難う。自分でも良くわからないが、不思議に「死」に関して冷静でいられる。どうしても自分でしなければならぬということが見つかっていないからかも知れないが、これまで、「やることをしたら後はしょうがないでは無いか」と生きてきた一つの諦めのようなものがある。医者に外科手術は出来ませんと言われ、当方からは点滴用のチュウブをつけて生活する気は無いですと宣言したので、これで治療の選択幅はぐっと狭まりました。後は体力勝負で、病の進行具合次第なのです。「なるようにしかならないな」と思うしかないでしょう。物事はこちらの思うようにはなかなか進まない。それでしょうがないのだろう。抗ガン剤も身体に負担がかかっていて、使わない方が楽だと思うが止めるだけの覚悟もない。優柔不断だと思うよ。療養していると、「小さな親切 大きなお世話」と思うことが、いろんなところに沢山ある。「どうでもいいお世話 とんでもない迷惑」もあるな。いつまで元気でいられるかわからないけれども、身体の動く間は気持ちだけは元気でいたいと思っている。(彼の結婚式の司会を行い奥さんから2個1と言われた。後見を託され、時々京都に呼んでいます。)
2014.12.29
コメント(0)
他人の立場に立って物事を考え相手の気持ちをくんであげれば何時も人に対して公平でいられるボーイング社が京都清水寺の座敷を借りて重役会議を開いたことがあるが、その時、貫主の森清範師に「今後50年、100年と会社を続けていくための参考にしたいので、清水寺が1200年の歴史を刻んできた極意はどこにあるのかを話してほしい」とお願いをした。森貫主は、「清水寺の御本尊である観音様は、相手の気持ちになって物事を考えられる大我の仏さんです。自分ではなく、相手がどう思っているかということを説いて1200年になる。企業にしても、相手の豊かさや幸せをまず考えることができるなら1200年でも2000年でも続くのでわ」と話されたそうです。自分の心の中にある三毒(貪欲・怒り・愚痴)を鎮め、慈悲の心(慈=相手を楽しませてあげたいと願う心、悲=相手の苦しみを和らげてあげたいと願う心)を心掛けて相手を喜ばせれば、きっと善いことが返ってきます。
2014.12.29
コメント(0)
◆ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人は殆どいないとのことです。では、なぜ外国には寝たきり老人はいないのか?宮本顕二医師は、ストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学して、その答を見つけたと言う。予想通り寝たきり老人は1人もいず、胃瘻の患者もいませんでした。その理由は、高齢や癌などで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃瘻や点滴などの人工栄養で延命を図るのは非倫理的であると、国民皆が認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃瘻は作らないし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。従って、両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした。また、人口当たりの病院病床数が日本は米国よりも4倍以上多く、入院期間は5倍以上長い。 さて、欧米が良いのか、日本が良いのかはわかりません。しかし、全くものも言えず、関節も固まって寝返りすら打てない、そして胃瘻を外さないように両手を拘束されている高齢の認知症患者を目の前にすると、人間の尊厳について考えざるを得ません。私は「将来、原因がなんであれ終末期になり、口から食べられなくなったとき、胃瘻を含む人工栄養などの延命処置は一切希望しない」を書面にし、かつ子供達にも、その旨をしっかり伝えています。◆参考 延命治療に関しての意識調査 「できる限りの手を尽くして少しでも長生きしたい」 60代11.6% 男性14.1% 女性 6.5% 「延命治療を希望する」 自分の場合11.0% 家族の場合24.6%◆70才を前に癌で亡くなった高校時代のマドンナのメール(余命半年時)より正月過ぎに最後のカテーテルをしました。その時一週間考えさせてもらいました。ホントはすごく嫌だったのですが、不思議としない!という選択肢が一度も頭に上らなかったのです! 結果殆ど不成功でした! 何度も出来ないのです。考えてみるに家族を納得させるには仕方なかったと思います。私はもう何もしなくてよいと思ったら却って元気になりました! 結局、その人の寿命に期すると思いますが。何も役に立たなくなったら、生きていたくない。人を喜ばせる存在でいたいです!注 延命治療の調査にもあるように、本音では自分はもうしたくないが、家族のために治療を受けるという人は意外と多いのが事実。彼女も何度か本音を書いてきました。
2014.12.28
コメント(0)
人生は自転車に乗るようなものだペダルを踏み続けるかぎり転ぶことはない大平原の地平線を目指して、二人の男が走り出した。走っても、走っても、地平線には届かない。あいかわらず、遙か彼方に見えたままである。やがて一人の男は、「もうダメだ。どうせ地平線には届きっこない」と走るのを止めた。もう一人の男は、諦めずに走り続けた。取り残された男は、走り続ける男を見守り続けた。男はグングン遠ざかり、何時しか地平線の彼方に消えた。彼には、走り続けた男は地平線を越えたかのように見えた。だが、走り続ける男の前には、あいかわらず地平線は見えたままである。まだ、追いつけないでいる。走るのを諦めて取り残された者たちは、『あの男は、地平線を越えた。成功したんだ』と讃えるだろう。成功した人と失敗した人との差とは、結局、こんなものだと思います。例え一つのことを成し遂げたとしても、目の前にはさらなる地平線が広がるのもまた同じです。
2014.12.28
コメント(0)
◆10年以上にわたって在宅医療を行っている医師在宅医療を行っている医者の私が、一番辛い思いをするのはなんだと思いますか?・診断治療の難しさでしょうか?・もはや治る見込みのないご老人を診ていることでしょうか?・ご老人の知的肉体的衰えの哀れさを感じてのことでしょうか?いえいえ、そんなことではありません。それは、ご老人たちの生きる気力の喪失を知ったときです。「何で生きているのだろう。いつまで生きているのだろう。早く死にたい。すぐ死ねる薬が欲しい」、こういう言葉が家族のいないときや一緒に在宅医療を行っている看護婦に密やかに告白されたときです。生きる喜び、生き甲斐を持とう。生涯学習、生涯運動、生涯現役、80才になっても自分の身の回りは自分で出来るようになろうなどとよく言うが、なんと空しい言葉でしょう。そうゆうことが自ら出来る人は素晴らしい人たちであり、それはそれで目出度いことです。でも、それが自らできるのはごく一部で、多くの人は「そんなことは出来はしない」と思っていて、一部に上記のような現実があることは事実なのです。(注 これは私も講演で感じることで、本当に聞いて欲しい人は出てこない。)このようなご老人の言葉に対して、小生は今までこう答えていました。・いつあの世に行けるかは、医者も知らないことである。寿命と言うものがあって、神様か仏様か知らないけれど、あの世にゆく時期を決めているので、神様がいらっしゃいというまではこの世にいるほかはない。・もし自分で自分の命を縮めるようなことをすれば、家名に傷が付くことになるので(この言葉に意外と老人は納得することが多い)自殺は決してしてはいけない。・毎日明るく生きて楽しい気分でいれば、コロッと逝けること。宗教的考えも必要なこと。生老病死の人生観、達観、死生命なりの潔さをなど。・展望を与えることになるか否かは分からないが、必ず決まった時期に往診に訪れること。苦しいことがあったらすぐ駆けつけられること。孤独感を和らげられる方法を考えなさいなどと、本人や家族に時々お話ししています。大切なことの一つは、家族は出来るだけそばにいてやることだと思います。例え公的介護保険ができても、この基本は変わらないと思います。人生に絶望しても、何か救いを求めているのが事実ではないでしょうか。だから往診=安心を求めてくるのだと思います。表面上は穏やかでも、内面では生きる希望を失った、生きる意味を失った、生きていても仕方ないと思っている、しかし死を恐れている超高齢のご老人たちに希望と勇気(死生を越えた)をご自身達が如何に身につけられるか又は身につけさせてあげられるかが、一つの糸口になるのではと思う今日この頃だが難題です。皆全く違う人生を歩んできたので、結論も個々に違うと思うからです。ただ人生の功労者に有終の美を飾らせてあげることができれば素晴らしいことだと思います。それには、若年の頃から死を見つめる心が大切なのだと思うのですが。いづれ近き将来に、若人も中年もその世代に遭遇するのですから。◆厳しい見方を書いてきたが、個人的な生き甲斐やライフワークなどは見つけやすいが、それらは状況や価値観の変遷に従って変わってきます。老若男女、万人共通の、終生変わらない生きる意味・目的となると???です。瀬戸内寂聴さんは、人間が生きる意味を、「周りの人が幸せになるため」だとする。自分のためだけでなく、他者のためだからこそ頑張れるのだと。だが、そのために自分がまず、幸せになる必要があるともおっしゃっています。人間共通の生きる意味は、「魂を磨くため」「悟りを開いて解脱するため」「幸せになるため」「自己実現するため」など色々と言われているが、歳を取り、介護されなければ生きていられない、そんな厳しい状況にあってもなお生き続けなければならない意味となると、きれい事の答なら言えるだろうが、私には納得できる答は見つかりません。最後は他力本願、宗教的に信じるしかないのでしょうか?
2014.12.27
コメント(0)
若者は空のボトルではないキャンドルなのだ中に何かを入れてやろうなどの老婆心は不要火をつけてやりさえすれば自ら燃え上がるものだこの頃の若者は、内向きで覇気がないと言われます。早稲田大学の坪井善明教授は、若者たちがどうしたら発憤するかを試行錯誤してきたが、結論は簡単でした。1.本人が気づいていない長所を指摘してやる2.その長所を伸ばす実例を示してやる私も長年学生たちに「夢起こし行動学」をやってきたが、自分がどんな人間で、どんな夢を持っているかを語らせ、質問しながら掘り下げさせることをしてきました。若者に大事なのは、教えることではなく、深い愛情を持ってジッと話を聞いてくれ、自らの長所や夢に気づかせ、豊かな人生経験に基づいて、それを伸ばす事例や実現への阻害要因の打破策を例示してくれ、進歩の階段を一段上るごとに拍手してくれる人を持つことです。若者たちの背中をソッと押してやるのが教育や大人の役割で、それで火がつけば後は自然と燃え上がります。
2014.12.27
コメント(0)
◆介護士8年の若者は語る食事も全介助、垂れ流しの便失禁など介助している時に、「人間はこんなになってまで生きる意味はあるんだろうか?」と思ってしまいます。この利用者さんは私たちと同じように若い時もあり、働き、人生を楽しみ、自分がこうなるとは思わなかっただろう人生になってしまい、今は羞恥心も無くなり生活全てを介護されて生きる、こうなってまで生きている意味はあるのだろうか? 認知症という病気は、なんて酷な病気なんだと思うようになってきた。私は介護従事者として失格でしょうか? ◆ある介護士は語る要介護高齢者の家を訪問するたびに目にするのは、家族のエゴがむき出しとなった、尊厳とは程遠い終幕だった。高齢者介護による心身の疲労で、それまで良好だった家族の人間関係がギスギスし、虐待、共倒れに至るケースもある。高齢者介護には高い費用がかかるうえに、家族の自由も奪われる。しかも人生50年といわれた時代から80年となり、昔より介護期間が長くなった。将来ある若者と違い、死を待つばかりの高齢者に、家族の対応は次第に冷たくなっていく。介護家族の悩みを打ち明けられても、励ます言葉がないのが実情だ。若い時は、「人は楽しむために生きている」と考え、できるだけ楽しめば、それで十分いい人生ではないかと思う。だがその思いは、やがてふりかかる「老い」の現実に裏切られる。介護の必要な家を訪問するたびに、「なぜ生きる?」の問いかけが頭の中をグルグルと回り続ける。介護の根底にある問題は、生きる意味の分からない者同士(太田注 若い介護者も年老いた被介護者も)が生きている、そこに行き着くような気がする。◆元医療従事者は語る寝たきり&ボケ老人が急増しています。自分で食事もできない、トイレにも行けない、お風呂にも入れない、という年寄りが沢山います。自分が医療機関で働いていた時も96歳で在宅酸素、イロウ、入浴全面介助という患者がいましたが、正直いってそこまでして本人は生きたいのでしょうか? 本人は自分が社会の負担になっているということは理解できているのでしょうか? また本人はどのように感じて生きているのでしょうか? 日本では安楽死を合法化しようという働きはないのでしょうか?
2014.12.26
コメント(0)
僕は二十歳だったそれが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない ポール・ニザン青春とは、来たるべき船出へ向けて準備を整える修行の時代で、その時代をどう過ごすかで人生が決まります。空海は、24歳の時にドロップアウトして各地を回る修行僧となったが、無名の僧として遣唐使船に乗り込む31歳まで、どこで何をしていたかは明らかではない。だが、第七祖恵果大阿闍梨は、わずか2カ月前に密教の本山青竜寺に現れた空海に、永い間修行している千人余の門弟を差し置いて密教のすべてを伝授した。それによって、空海は当代随一の高僧となったが、それは青春の空白時代における修行の賜物だったと思います。「中途半端にやってもダメ。必死に全力疾走で勉強する。吸収できる年齢は35歳位までと考えて自分を追い込んでいかないと本物の力にならない」と言う建築家安藤忠雄さんは、19歳の1年間は朝9時から翌朝の4時まで机に向い、造形に関する総てに取り組んだそうです。
2014.12.26
コメント(0)
「介護されてまで生きる意味があるのか」という厳しい見方もあり、少しネットで検索して編集してみました。介護される本人にとっても、老いて人の手を借りて生きるのは情けなくて辛いことだろうが、周りの人も大変なことがよくわかります。人間歳を取るって、寂しくて哀しいですね。厳しい見方をされている方々も何時かは我が身、その時になってどう考えるだろうか?◆ある介護に疲れた人は問う仕事やスポーツをしたりして元気な方は生きて人生を謳歌してもと思うが、寝たきりで、自分でトイレもできない、ご飯も食べられない、そんな人は生き続ける意味があるのでしょうか?本人たちの気持ちはどうだか知りませんが、はっきりいって、税金は上がるし、私自身母の介護に疲れています。住んでいるところは田舎なので沢山老人がいますが、介護疲れによって、自殺した人も知っています。年をとった人を殺せ、と言っている訳ではありません。自分で自分のことをできる人(体もお金も余裕のある人)はいいけれど、人に迷惑かけてまで、生きる意味が分からないと言っているのです。このままでは、少なくとも私は疲れてしまいます。もし私なら、自分で日常生活ができなくなったら、人の世話にまでなって長生きしたいとは思いません。何のために老人は生き続けるのですか? 何の意味があって生き続けるのでしょうか?老人ホームに入れられて、楽しいのでしょうか?◆義祖母・夫・子供と暮らす介護疲れの孫嫁は問う「なぜ高齢者は大切にしなければいけないのか」「介護の意味」これらのことについて自分に納得する意味が見いだせず何年も悩んでいます。色々な書籍やブログ、掲示板をみたり、プライベートや仕事で介護に携わっている人に話を聞いたりしましたが、いまだにわかりません。色々な事情があり、義祖母と同居してしばらくたちます。義母は数年前に亡くなり、義父は再婚を希望しましたが世間体を気にした義祖母に反対され、家を出て行ってしまいました。義祖母はもうひとりでは暮らせない状態になっていたため、別居していた私たち孫夫婦が同居しました。私は同居前には、何年もかかって取得した難関資格を武器に、やりがいのある仕事をしていました。いずれは独立開業する!という夢をもって、資格取得後も日々勉強をしていましたし、仕事ではとにかく会社・お客様・社会にとって役にたつよう努力してきたと思います。同居するにあたって、通えなくなり仕事は辞めました。再就職を希望しましたが、義祖母は外に働きにいくことには反対です。実際、介護しながら好きな仕事をし、勉強、育児をすることは困難な状態です。介護関係の本を手にすると、介護される側主体の介護の本が多く、介護する側の視点に立った本が少ないです。介護の大変さ、どう向き合うかは論じていても、介護に真摯に向き合うことは要求しています。介護する側の「夢」や介護する側の将来設計については論じているものは見かけません。なぜ。高齢者のことは大切にしなければならないのでしょうか?現役世代の「夢」、生活設計はあまり重視されないのでしょうか?以下は、いままで書籍等でみたものの例です。●「お年寄りは生き仏」→生き仏といったって、実際には仏様のように広い心をもってはいません。嫌味、悪口、過干渉などありますし。●「私たちの大先輩」→なぜ、長く生きたら尊敬しなければならないのでしょうか。私の周りには、世の中をよくするために自ら行動している人、少ないながらも寄付を欠かさない人、心を成長させるために日々努力している人たちが沢山います。これは、人間なら死ぬまでやらなければならないことだと思っています。しかし、年をとったらもう自分中心でいいと思っている人が若い人より多いように感じられます。尊敬に値することは、長く生きたかどうかより、そういったことをやり続けているかどうかではないでしょうか。●「今まで大変な時代をくぐり抜けてきた人たちなのだから」→今の時代は別の意味で大変な時代だと思います。失業率は高く、努力しなければ脱落する競争社会ですし、保育園で見ていてもいじめは残酷になっています。生きる意味を見いだせない、頑張っても仕方ないかもしれない。そんな鬱屈感のある今、違った意味で生きづらいんではないでしょうか。●「お年寄りは長く生きた分経験も知識もある生き字引」→一昔前ならまだしも、これについては今は当てはまらない時代になってしまったと思います。情報は今や、インターネットなどで簡単に手に入ります。お年寄りと話していても、勉強になると思うことはあまりないように感じます。長々と書きましたが、介護に携わっている皆様に「高齢者はなぜ敬わなければならないのか」、納得できる理由をぜひお聞きしたいです。介護に携わっている方には心優しい人が多く、「お年寄りに喜んでもらいたいから」「人生の終末期を幸せだったと思ってもらいたいから」という純粋な気持ちで高齢者と接することができているのだと思います。しかし、心の狭い私のように、そんな風に考えられず、考え込んでしまっている人も多くいるということを知ってもらいたいです。 講演時に「母を6年、その後妻が若年性アルツハイマーで9年計15年介護しているという男性がみえました。
2014.12.25
コメント(1)
この世の中には悪い人間はいない自分と気が合う人間と気が合わない人間がいるだけだ 斉藤茂太誰にだって、気が合わない人はいます。でも、この世の中は、いろんな人がいて、いろんな意見があるから面白いのです。最初から話が合いそうにもないと思ってしまえば、相手もそれを何となく感じてきっとそう思います。嫌いと思える人を、どう自分の中で消化するかです。京都の人は、嫌いな人でも「嫌い」とは言わず、「好きになれへんだけどす」と言う。狭い地域の中で、つまらない摩擦を起こさない生活の知恵です。「嫌い」で片づけてしまえば関係は終わりだが、「好きになれへんだけどす」なら何時かは修復できる可能性が残されています。嫌いな人を無理に好きになれとは言わないが、「嫌い」と切り捨ててしまうのではなく、京都人のように「いまは好きになれないだけ」と思ってみませんか。善いも悪いも自分の都合次第、好きも嫌いも相手に関心があればこそで、いつなんどきひっくり返るかも分かりません。
2014.12.25
コメント(0)
人は、この世に生まれるときも、この世を去るときも一人で、生まれてきたからには必ず死にます。今際の際に、「生まれてきてよかった」「生きてきてよかった」「ありがとう」と言って死ぬことができれば最高です。ピンピンコロリ、大往生(真に仏になれるような死に方、特に自身の遺志をしっかりと残し、大きな諍いや残念悔恨なく子孫親類に敬われ見守られて静かに天寿を全うする様)が多くの高齢者の願望であろうが、なかなか難しいですね。注)第一生命経済研究所が40~70代の男女735人を対象にした調査(07年)で、「どんな最期を理想と思うか」との問いに対し75.9%が「ある日、心臓病などで突然死ぬ」と答え、その理由(複数回答)として80%以上が「家族にあまり迷惑をかけたくない」と答え、「苦しみたくない」68%、「寝たきりなら生きていても仕方がない」50%と続いたそうです。お陰で、「苦しまず、やすらかに逝きたい」願いをかなえてくれるとされる全国の寺院には連日ツアー客が押しかけているとのことです。日本は世界に名だたる長寿国だが、年をとってもピンピンしている健康長寿の人はそんなに多くはありません。ただ長生きするだけでなく、私たちが望むのは、なくなる直前まで元気に活動するピンピンコロリ(心筋梗塞とか)の人生であり、不幸にして長期の寝たきりになって亡くなるネンネンコロリではないでしょう。だが、この頃では病院で生かされ、昔なら「往生際が悪い」と言われそうな亡くなり方がおおいですね。本人も情けないが、介護者も大変です。H24年の生命保険文化センターの調べでは、介護の平均期間は4.9年とか。4~10年未満が33.9%、10年以上が12.5%もみえます。(1年未満は12.8%のみ)なお、長寿いきいき研究所顧問の首都大学東京大学院・都市システム科学 星旦二教授の研究チームの研究によれば、標高が高い土地(長野など)で植物を育てて(当然自然環境が良い)よく働き、生涯学習を一緒にできる仲間やご近所さんを持ち、多少の体調不良では病院に行かず薬も飲まず、「自分の健康は自分たちで守る」をモットーに生きている人々が健康で長生きだということです。
2014.12.24
コメント(0)
頭は良いのに上手く行かない人は多い天賦の才能だけでは収入は得られない教育も然りこの世は学のありすぎる落ちこぼれで溢れている職に就く入口ではIQ度が影響するが(この頃では博士号を取っても職に就けない人も多いが)、社会人になってから成功するか否かはEQ度に大きく影響されます。日本電産の永守さんは創業時を振り返り、「小さな会社に人材は来ない。そんな中で、人はIQではなくやる気だと悟った。能力による差はせいぜい2~5倍だが、やる気による差は100倍以上つく。変に頭の良いのは『できない理由』を証明するがうまく実行しないが、やる気のある奴は何でもやってみる。すると道が開けてくる。学校の成績は関係なく、いかに意識の高い人を採用できるかがポイントだ。飯を食うのが早い、決断が早いなど、そんな人はやる気があるものだ。やる気のない人は消極的な言葉を使うが、やる気のある人は使う言葉が積極的。アメリカ人にベンチャーが多いのは、死にかけていても前向きの言葉を使うからだと納得した」と言う。
2014.12.24
コメント(0)
歳を取るにつれて、日常生活動作がスローになり、若い頃は簡単にできていたことができなくなります。低い段差でも躓いてバランスを崩す。片足立ちができなくなったりします。もう一つ、老化してなかなか本人には分からないが周囲の人は気が付くもの、それは老臭です。(この間経験しました)日常生活動作の基本的機能として「着替え・食事・移動(歩行)・排泄・衛生(入浴、歯磨き)」 の五つがあるが、この総てが、老臭の発生する要因になります。歯磨き、うがい、入浴といった日常生活動作を規則正しく続けることが大切です。とりわけ歯を大事にすることで、よく噛むことは脳の活性化にも繋がります。歯医者へ行って口腔内の雑菌を顕微鏡で見せてもらうと、歯磨きやうがいがいかに大事かが分かります。排泄と入浴が一人でできなくなったら要介護です。高齢者にとって最も怖いのが、就寝中に唾液と一緒に口腔内細菌を飲み込んでしまう不顕性誤嚥で、口腔内ケアが悪いと誤嚥性肺炎に罹ります。口腔内雑菌を取り除き、清潔を保つためには、歯磨き、うがいをし、食道からの逆流・誤嚥を防ぐ意味で毎食後2時間は坐位を保つと良いそうです。1.30ミリの水を飲む。飲み終わるまでが10秒以内で、咳やムセもなければ正常です。2.30秒間に何回、空嚥下できるかどうかを測定。高齢者の平均値は6.2回、3回以下は異常。基本機能が衰えてもなお生きる意味や目的、難しい問題です。物心がついた時にはもう生きていた訳で、「自分が何のために生きているか」のを分かってから生きている人は多分いないと思います。よく生きるということは、自らの死を想像し、死から翻って現在の自分を眺めてみる事から始まるようにも思います。「何のために死ぬのか」と考えた際に、「何のために生きるのか」という疑問に対する答が見つかるかも知れません。祖先のDNAを子孫に残し死んでいく、人に限らず生物は生きてDNAを子孫に残すように仕組まれています。だから、種の保存ができれば個体は死んでいいのです。「あーでもない、こーでもないと悩む、迷うのが生きている証である」とゲーテは「ファウスト」の中で書いているが、悩んでも分からない。生きているということは、心と体が喜ぶことです。楽しいこと、ワクワクドキドキすることにチャレンジすると心と体(DNA)は喜びます。結局、今生きている証を刻むために、今日一日を楽しむことであると思います。生きとし生けるものには必ず死は訪れるのだから、死を怖れて毎日を生きるのではなく、生老病死を自覚してよく生きること、生きている証をしっかりと刻むことが大切だと思います。そう思って周囲の自然を見渡すと、小さな虫、雑草すべての生物の生命の営みが愛おしく感じられ、生きている意味がほのかに理解できるはずです。
2014.12.23
コメント(0)
優れた経営とは並の社員に良い仕事をさせる技術のことである仕事の成果は、「対策×実行度×やる気」で決まります。そのとき、決め手になるのは「やる気」です。やる気があるから、人は一生懸命に対策(対応)を考え、執念深く確実に実践して成果を挙げるのです。そのやる気には、マイナスからプラス無限大まであります。どんなベテランのプロでも、やる気がなければ成果を挙げることはできません。逆に新人であっても、燃えるような情熱=やる気があれば大ホームランを打つ(例えば、大きな成約を勝ち取る)ことがあります。人間の能力なんて、一握りの天才を除けばみな同じようなもので、成果はやる気次第で決まります。だから、上に立つ人は部下をいかにやる気にさせるかです。人は、「楽しい・認められる・成長する」という要素が満たされるとやる気を出します。それらを刺激して、いかにエキサイティング・カンパニーにするかが経営の秘訣です。
2014.12.23
コメント(0)
こんな実験結果がありました。1.米国の地域在住高齢者246人に対して、まず「生きる目的」の強弱を調査した。生きる目的を、「人生の経験から意味を見つけ、意志と目標の感覚を持つ心理的傾向」と定義し、10項目の質問をして点数化した。2.その後、物忘れなどの認知機能についての検査を毎年行った。3.対象者が死亡した後に脳を解剖し、アルツハイマー病に特徴的な病理学的変化の程度を調べた。生前明らかなアルツハイマー病や認知機能の低下がなかった高齢者にもある程度生じている。「生きる目的」が強い高齢者では、アルツハイマー病に特徴的な脳の病理学的変化が進んでいても、物忘れなどの認知機能の低下が少ないということが分かった。アルツハイマー病に特徴的な脳の病理学的変化は、「生きる目的」が強いグループでも弱いグループでも同じように進んでいた。つまり、「生きる目的」が強いからといって、脳の病理学的変化じたいの進行が遅いわけではなかった。ところが、「生きる目的」が強いグループでは、脳の病理学的変化が進んでいても認知機能の低下の度合いが小さかった。これに対して、「生きる目的」が弱いグループでは、脳の病理学的変化が進むと、認知機能の低下の度合いも大きかった。研究者らによると、「生きる目的」が強いと、アルツハイマー病や認知機能低下のリスクが低いことを示した研究は、これまでにもいくつかあった。けれども、それに対する脳の病理学的な根拠を調べたのは、今回の研究が初めてという。高齢者の「生きる目的」が強いと、たとえアルツハイマー病に特徴的な脳の病理学的変化が進んでも、認知機能の低下が抑えられる可能性があると、著者らは考察している。(2012年5月発表)地域在住の高齢者に対して追跡調査を行い、死後に脳の解剖までして、「生きる目的」「脳の病理学的変化」「認知機能の低下」という三つの要因の相互関係を調べたことに、今回の研究の意義があるだろう。研究に協力した高齢者の人達(平均年齢80才)のボランティア精神にも感銘する。「生きる目的」を意図的に強く持つことで、脳の病理学的変化が進んでいても、本当に認知機能の低下を予防できるのかどうか、さらに検討が必要だ。とはいえ、しっかりとした目標を持って生きることの可能性について、希望を感じさせるデータといえるだろう。(評論より)
2014.12.22
コメント(0)
人生の目的は他人に勝つことではなく、自分に勝つことだ。自分の打ち立てた記録を破り、昨日の自分に優る今日の自分を創ることだ。WBCフェザー級チャンピオンになった長谷川穂積選手は少年院での講演で、「一番難しいのは自分に勝つこと。試合前も一番の敵は自分で、相手は二番目。辛いことがあっても、立ち向かって欲しい」と語りかけました。アテネオリンピック女子柔道78キロ超級で初金メダルの塚田真希も、厳しい練習に逃げ帰ったが、先輩の「練習は自分に勝つためにするんだ」と諭され、相手に勝つことしか考えていなかった自分にハッとしたという。商売も同じで、150年続く老舗の主人は、「先代によく“お客様の喜びだけを見ていろ”と言われました。お客さんの喜びを見ないで同業他社ばかり見ていたら、結局は他のコピー商品になってしまうんですね」と言う。大切なことは、夢中になれるものを見つけて、一所懸命に努力し、今日よりは明日、明日よりは明後日と、自分なりの高みに昇る努力を続けることです。
2014.12.22
コメント(0)
毎年3万人前後が自殺をするが、原因・動機別にみると、「健康問題」が48.9%と最多で、とくに高齢者の自殺の動機としては健康問題が6割以上を占めています。生活苦や多重債務などの「経済・生活問題」が18.7、夫婦関係の不和や家族の将来悲観などの「家庭問題」が14.6と続きます。自殺の原因・動機を年齢階級別にみると、「健康問題」は10代を除く全ての層でトップであり、全体に占める割合は年齢が上がるにつれて増え、60歳代からはその傾向が顕著です。30歳代から50歳代で「健康問題」がおよそ40%程度なのに対し、60歳代では56.4%、70歳代では63.3%、80歳以上では72.6%となっています。その背景には、うつ病などの精神疾患が存在していることが多いことが知られています。加齢と共に疾患を有する頻度および同時に罹患している疾患数共に増加していき、高血圧症、糖尿病、脳梗塞後遺症、心臓病、関節痛などの慢性的疾患をかかえることが多くなります。こうした継続的な身体的苦痛が、うつ病の引き金となりうる危険性を持っています。また、高齢になると近親者の死亡などによる環境変化、家庭内での人間関係のもつれを経験することも多くなり、こうした状態もうつ病の危険因子となります。うつ病に罹患すると、総てのことに対して悲観的なとらえ方をするようになり自殺志向が強まると考えられています。高齢者のうつ病は自殺の危険性が高いにもかかわらず、本人が医療機関にかかることを嫌がることも多く、また周囲が「年のせい」と取り合わなかったり、認知症と混同したりして、適切な治療が受けられないケースがしばしばあるのも問題です。こうした背景から、高齢者の欝を予防するという観点が重要となってきます。高齢者の引きこもりを防止し、生きがいを創造することが、結果的に高齢者の自殺予防にもつながると考えられています。◆参考 老人性欝を引き起こす切っ掛け□定年退職してこれといってすることがない □子どもが独立して夫婦だけの生活になった□配偶者を亡くした □可愛がっていたペットが亡くなった□長期間入退院を続けているが良くならない □顛倒して膝を悪くして外出しなくなった□脳卒中に罹って後遺症が残った □親族などから冷たくあしらわれた etc
2014.12.21
コメント(0)
縁ありて花開き 思いありて実を結ぶその志すものや仕事が何であれ、自分一人だけの力で大成することは不可能です。大成するには、個人の能力や努力はもちろん大切だが、それだけでは不十分で運が大きく左右します。運というのは、単なる僥倖を言うのではなく、ヒト・モノ・コトとの縁、つまり何かとの巡り会いによってもたらされるものです。私たちの毎日は、数え切れないほど多くのものとの接触によって織りなされ、数多くの運が巡りくる可能性があるのに、何故決定的な出会いとはならないのでしょうか。出会いとは心のバイブレーションであり、互いの共鳴がなければ、例えいかに多くのものとの巡り会いがあったとしても、それは所詮『縁なき衆生』に終わります。偶然の出会いによって開いた花も、「何としてもものにするのだ」という情念を持って、何があっても諦めずに執念深くやり続けなければ実を結ぶことはありません。
2014.12.21
コメント(0)
私は、就活を控えた学生たちに人生の目的や生きる意味などを考えさせるために、「人生は旅と言うが、あなたの行き先やルートはハッキリとしていますか?」と問い掛けてきました。 「オギャー」とこの世に生を受けた瞬間を、飛行機が飛び立った瞬間と想定してみて下さい。一端大空に飛び立てば、飛行機は1分1秒たりとも静止できません。休む暇もなく飛び続けなければ、墜落してしまいます。目的地も不明なままに大空を飛び続ければ、やがて燃料が切れて墜落する運命が待っています。着陸すべき空港も定かならぬまま、刻一刻と燃料切れが近づいてくる心境はどんなものでしょうか。美味しそうな食事を出されても、喉を通らないはずです。何処へ向かって飛び立つのか=目的地の空港がハッキリしていればこそ、安心して身を任せ(飛行機嫌いの人もみえるでしょうが)、旅を楽しむこともできます。人生も、また同じではないでしょうか?目的地の空港に当たるのが、「人生の目的」=「生きる意味」だともいえます。目的地も分からぬミステリーヤスな小型飛行機に乗って飛び続け、何時墜落するのか=自分の命が果てるのかと不安に苛まれているのが高齢者ではないでしょうか?それが嵩じると、自殺に走る人も出てきます。年間3万人を超える人が自殺し、そのうちの37%近くが60才以上の高齢者で、高齢になるほど自殺が多いのが現状です。「命を大切に」「頑張って生きていれば良いこともある」「生きることが尊いんだ」「とにかく生きよ」などと常識論を言われても、肝心の生きる意味がわからなければ生きる力も湧いてきません。そのうえ心身の不快状況が嵩じれば、自ら命を絶ちたい気持ちになるのも肯けます。◆終日、老人ホームの部屋から山ばかり見ているという90才の老婦人は、「生きる意味なんてなかったような気がする。鎖につながれたのでもない、厳しい規律があるのでもない。だが老いは、自身を肉体という獄に閉じ込める」と語る。うかうかと老いて、生きる意味もわからずに果てていくのでは寂しい限りです。だから、生きる目的や意味を意識して、安心して生きることは高齢者にとってこそ大切なテーマだとこの頃思えてきました。人生の目的などと大上段に構えなくとも、自分なりの生きる意味を考え納得したいものです。
2014.12.20
コメント(0)
立ち向かう 人の心は鏡なり 己が姿を写して見よ「自分は、会社でも近所でも白眼視されている」と訴える人がいるが、私たちは自分ほど可愛い者はいないから、人に会ったとき相手から心地よい微笑みや優しい言葉をかけてくれないと、「あの人は冷たい」、「私を無視している」「私を嫌っている」などと思いがちです。でも、そう思っている間は現実を少しも変えることはできません。相手は自分を映す心の鏡で、相手が冷たかったり、攻撃的だったり、素直でなかったり、上の空だったりするのは、自分の応対がそのまま跳ね返ってきただけのことです。善いことも悪いことも、大抵の場合は自分のほうに原因があります。お釈迦様は「利行・同事・布施・愛語」を説き、キリストも「人にして欲しいことを、人にもしてあげなさい」と言っています。相手に変わることを求めるのではなく、思い切ってあなたから「お元気ですか」と笑顔で声をかけてみてはどうですか。
2014.12.20
コメント(0)
H25年の日本の人口は1億2,730万人、65~74才が1,630万人(12.8%)、75才以上が1,560万人(12.3%)で、寝たきり・認知症・虚弱など介護の必要な高齢者は450万人を越えます。縄文時代の平均寿命はわずか12歳、鎌倉時代でも24才位で、明治時代の初期でさえ男女共に30歳台の半ばで、平均寿命が50歳を超えたのは1947年でした。それから70年近くの歳月が流れて、2010年の平均寿命は男性79.59歳、女性が86.35歳まで延びました。若いときの死亡が激減し、寿命が延びるにつれて人口も加速度的に増加しました。1万年前の世界人口は500万~1千万人、紀元0年頃が2億~3億人、20世紀の初頭でさえ16億5千万人で、約16万年前に人類が誕生して以来、この世に生まれ出た総人口は約500億人と推定されているが、現在の世界人口は約70億人だから有史以来総計の14%が今を生きている計算になります。ところで、名古屋から長野へ行く途中に「おばすて」があり、車窓から信州の街が一望できます。姨捨伝説によれば、ある国の殿様が、年老いて働けなくなった者を不要として、山に遺棄するようにというお触れを出した。しかし、ある家では山に老親を遺棄することができず、密かに家の床下にかくまうことにした。しばらくの後、隣国からいくつかの難題が出され、それらの難題を老親の知恵によって見事に解き、隣国を退散させた。老人も知恵があり粗末にできぬことを知った殿様は、お触れを撤回し、老人を大切にするようになったという。姥捨て山伝説の中に出てくる殿様は、「老人を大切にしない、徹底したコスト管理による合理主義者」ともいえます。長幼の序やそのほかの秩序を無視し、徹底した実力主義、合理主義で物事を判断しなければ生き残っていけなかったのが戦国時代です。戦国時代には、この物語のように、自分の考え方でお触れを出し、それを領民に実行させ、そのお触れに従わなければ罰することができた。まあ、今でもある意味ではお上のお達しに従わざるをえず、似たり寄ったりかもしれませんね。また、現代でも、一握りの富裕層は別として、老人は不要とばかりに外観だけは立派な現代版姨捨山老人ホームなどにうち捨てられ、人手不足その他の理由から身体拘束もなされるようです。私も後期高齢者と呼ばれる日が近づいてきて、「高齢者にとっての生きる意味」を少し真面目に考えてみようと思うようになり、少し自分の思考を纏めるために色々の面から整理してみました。
2014.12.19
コメント(0)
システム思考は他人とわかり合える技術「これだけ言っているのに、なぜ分かってくれないの。なんと物わかりの悪い人だろう」と思うことがあるように、お互いに分かり合うことほど難しいことはありません。コミュニケーションで大切なことは、伝えるのではなく相手の受信を助ける工夫です。理解し合えないときは、話の内容に「漏れ、飛び、抜け」があったり、部分だけを取り上げてさも全体であるように話したり、これがポイントだと勝手に決めつけて話しているときです。相互理解を深めるには、システム思考が役立ちます。まずテーマに関連する情報を広く集め、バラバラな情報を体系化して全体像を構造的に押さえます。そこから本質と要点を見極め、「全体像はこうで、要点は3つあります。一つは~」という具合に話をすると分かり易くなります。どんな場合にも、横の繋がりや時間的な関係を押さえて話すと、分かり易く相手の興味も高まります。
2014.12.19
コメント(0)
誰からもよく言われる人も誰からも誹られる人もいない真実は一つなのだが、物事をどちらから見るかで様相は180度違ってきます。例えば、あなたが車に乗っているときは歩いている人の横着さに、歩いている側になった途端に車の横暴さに怒りを覚えることがあります。ようは、自分にとって都合が良いか悪いかだけで、どんな場合でも同じことが起きます。物事がどのように見えるかは、心の反映にしかすぎず、同じ世界をそれぞれの立場から全く違うものとして見ているのが人間です。だから、同じAさんのことを、Xさんは「本当に素晴らしい人だ」と言い、Yさんは「最悪の人だ」なんていうことが起きるように、評価など人により大きく変わってしまいます。だから、第三者情報は、発信者の立ち位置をよく知って判断する必要があります。他人の評価を気にしすぎてノイローゼ気味の人も多いが、自分なりの志に沿った生き方をすればもっと楽に生きられます。
2014.12.18
コメント(0)
三才の童子もこれを知るが八十歳の老翁も行うことを得ず昔、中国に、何時も樹上で、坐禅瞑想していた鳥巣という僧がいた。ある日、儒者で有名な白楽天がその樹下を通ったとき、かねてから仏教に関心を持っていたので「いゝ処で貴僧に遇った。一体、仏教とは、どんなことを教えているのか、一言でお聞きしたい」と頭を下げた。鳥巣は即座に、「諸々の悪を為すことなかれ、謹んで善を修めよ(悪いことはするな、善いことをせよ)、と教えるのが仏教である」と答えると、白楽天は呆れて「そんなことくらいなら、三才の子供でも知っている」 と冷笑すると、鳥巣はすかさず「三才の童子もこれを知るが、八十の翁もこれを行なうは難し」と大喝します。世の中の真理というものは、聞いてみれば「なんだ」ということばかりです。でも、頭では分かっていても、それを執念深く確実に実践できないのが人間です。
2014.12.17
コメント(0)
明日への最善の準備は今日 良い仕事をすることである個人だろうが企業だろうが、今ある状態は、自分が過去に何をし、何をしなかったかの結果でしかないように、未来は今日何をなし、何をしないかにかかっています。その点、秀吉の生き方が参考になります。信長の草履取りになった籐吉郎は、貧乏暮らしをしている母親を引き取って楽をさせてやるには、一人前の武士になって給料を増やさなければだめだと考えた。一人前の武士になる条件を挙げてみるが、何一つ当てはまるものはない。そんな切羽詰まった彼が、ないない尽くしの中で絞り出した結論は、「今、俺は草履取りだ。ならば、草履取りとして与えられた仕事に全力を尽くせばいい」ということでした。以後も、目の前のことに全力を尽くすことを守り通した。それが、彼が世に立つ立脚点となりました。仕事が楽しくない、仕事にやり甲斐がない、夢への手がかりがないと愚痴る前に、秀吉を見習うことです。
2014.12.16
コメント(0)
人生には大切なものが三つある勇気と希望そしてサム・マネーサトウサンペイさんは、大丸の広告宣伝部でイラストを描きながら気楽に暮らしていた。社外からも時々注文がくるようになって、アルバイトの方が月給の二倍になったら、大丸を辞めて独立しようと思っていた。ある宵、フラッと映画館に入ったところ、チャップリンの『ライムライト』をやっていた。うらぶれた芸人が人生に絶望して自殺を図ろうとした少女に、「人生には大切なものが三つある。勇気と希望、そしてサム・マネー」と慰める言葉を聞いた途端、身体の中を電撃が走った。「そうだ。おれにはサム・マネーがある」、とその瞬間に勇気と希望をもって転職を決意したという。「いつかは」という夢とサム・マネーさえあれば、思い切って挑戦してみることです。「あの時やっていたら」と後悔するよりも、例え挑戦して上手くいかなかったとしても、そのほうがずっと充実した人生になるはずです。
2014.12.14
コメント(0)
生きる 生かされる 生かすイチロー選手がアメリカ大リーグに挑戦するとき、「僕はロングヒッターではないので、ヒットを量産し、足を生かす一番打者こそ天職だと思っている。トップ・バッターとしてのイチローを完成させたい。『生きる、生かされる、生かす』、これができる選手です。大リーグの道を選んだのは、まず自分を生かすためです。そして、自分の存在が他の選手との関係に広がって、お互いに生き生かされるようになることです。それがベンチの采配の幅を広げさせ、チームを生かすことになれば最高です」と言いました。彼はまさに、究極の一番打者こそが自分が一隅を照らす存在になれる場(=自己実現の場)だと確信して働く場を選択したのです。私たちも、自分の特性をよく見極めて、自分にとって「生きる、生かされる、生かす」仕事の場は何かを見極め、イキイキと輝いて生きていきたいものです。
2014.12.14
コメント(0)
転ばない人はいない転ぶことは少しも恥ずかしいことはない恥ずかしいのはそこから立ち上がらないことである人生には、どんなに努力してもどうにもならないこともあり、一度や二度は転んでも何ともありません。本田宗一郎は、「私にとって成功とは数多くの失敗と自己反省を繰り返した末に初めて手に入るものだ。そもそも成功とはあなたの仕事のほんの1パーセントに当たるものだが、それは失敗と呼ばれる99パーセントのものがあって初めて生まれてくるものである」と言っているが、失敗の中にこそ成功へのヒント潜んでいます。大切なことは、「七転び八起き」の精神で、転んだらすぐに起き上がることです。昔から「失敗は成功の元」と言うが、何事も前向きに失敗することが大切です。速やかに失敗してその失敗から教訓を学びとり、すぐさま賢明な処置を講ずることで成功への道が開けます。倒産者の「八起会」では、「早起き・笑顔・素直・感謝・いい出会い」を心掛けて立ち直りを呼び掛けています。
2014.12.13
コメント(0)
「自分は努力しているのに運がない」と嘆く人は、常に人並み以上の努力を続けてはいるが、ここぞと言うときに100点の努力をしない人である。人生は80点ではダメで、100点でないといけないときがある。どの業界でも、企業であれ個人であれ、一流と二流の差は厳然としてあります。年収差も厳しく、ゴルフの女子プロを例に取ると、トップは1億円を超えるが、100位になると260万円、150位では40万円です。プロだから平均的な力に大きな差はないが、ここぞというときに持てる力を100%発揮できるかどうかです。会社も、何をやらせてもそつなく80点は取れるという一流半の人材ばかりでは、絶対に世界で一流の会社にはなりえず、生き残ることは難しいと言えます。これからの社会では、ここぞとい言うときに、「これなら絶対に100点取れる」という一流のプロが求められます。自分には運がないと言って、嘆いたり不平不満ばかり言っているのではなく、運が巡ってきたときに、それをしっかりと掴むために普段から鍛錬を積むことです。その努力を怠って、逃げがちになるのが私たち凡人です。
2014.12.12
コメント(0)
その道の専門家プロには失敗は許されない。仮に失敗しても、言い訳はいけない。ましてや、他人のせいにすることは絶対に許されない。真のプロとは、失敗を自分の恥として、それを二度と繰り返さないことであり、それをバネにさらに成長する人である。プロとは自分の技でお客様を満足させる人であり、報酬をもらっている以上はパートだろうとプロで、お客様にとっては結果のみが問題です。失敗を、身分など他のせいにしたり、言い訳することは許されません。同じ間違いを二度と繰り返さず、より良い結果を出すために、プロセスを分析し繰り返し鍛錬することが求められます。長嶋は本物のプロでした。「一流打者だって7割は失敗する。その時にどうやったらお客さんが喜んでくれるか、プロだったら研究しなきゃ。一生に一度しか球場に来ない人だっているのだから、手抜きなんてできない」と華麗な三振ぶりを見せるために鏡の前でヘルメットが飛ぶ練習を重ねた。また、「お客さんは、打つときだけ見に来るのではない。守備でも入場料の半分はお返ししなければ」と歌舞伎の六方を参考に華麗な守備を見せました。
2014.12.11
コメント(0)
自立と言うことは依存を排除することではなく必要な依存を受け入れ自分がどれほど依存しているかを自覚し感謝しているかである「自立ということは依存と反対であると単純に考え、依存をなくしていくことによって自立を達成しようとするのは間違っている。自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれ出てくるものである。自立といっても、それは依存のないことを意味しない。そもそも人間は、誰かに依存せずに生きていくことはできない。依存を排して自立を急ぐ人は、自立ではなく孤立になってしまう」と河合隼雄さんは言ってみえます。欧米では親子が離れて暮らしている場合、電話で話し合ったり、贈り物をしたり、会食をしたりする機会が日本人よりもはるかに多いが、彼らは自立しているからこそ、よく付き合っているのではないでしょうか。日本では何時までも子離れできない親が増えているが、それが子供の自立を阻み、感謝の念を薄れさせ、回り回って孤立化社会を生み出しているように思えます。
2014.12.10
コメント(0)
愛は愛より生ず愛より憎しみは生ず憎しみより愛は生ず憎しみより憎しみは生ず 増支部経典愛情と憎しみは背中合わせで、愛と憎しみとはよく似ています。両方とも、根に相手への強い関心があります。人を好きになると、その人から目が離せなくなり、顔色が良いとか悪いとか、機嫌が良いとか悪いとか、今日は何をしているだろうかと、いつも気にかけ見守っています。嫌いな人にも同じで、「あの人の顔見るのも嫌だ」と言いながらも、「いい歳をしてあんなものを着て」と相手の着ているものから行動までちゃんと観察しています。愛情も憎悪もなければ、相手の存在自体に関心が無く何も気づかないものです。長年連れ添った夫婦によく見られるように、愛も憎悪もなければ無関心になるだけです。つまり、好きも嫌いも見る角度が違うだけで、そのスイッチが何かの弾みでひっくり返ると、好きだったものが嫌いになり、嫌いだったものが好きになるだけです。
2014.12.09
コメント(0)
人間関係の秘訣は4A アクセプト 受け入れる アドマイア 賞賛する アダプト 合わせる アプリシェイト 感謝する人間関係はコミュニケーションで成り立っているが、挨拶はすべてのコミュニケーションの初め、その入り口が「ハイ」です。「ハイ」は単なる返事ではなく、「あなたの言うことを聞いています」という受け入れ言葉です。どんなことでも、自分が正しくて相手が全部間違っていることなどありえません。まずは、相手を受け入れ、認めたり褒めたりすることです。すると、段々と相手の良いところも見えてきて、気が合うようになってきます。もう一つ、成功している人に共通することは、「ありがとう」と感謝の言葉が自然に出てきて、普通の人の何十倍も使うことです。逆に、一時的に羽振りがよくても、人をぞんざいに扱い、「ありがとう」が言えない人は必ず衰退していきます。どんな些細なことでも「ありがとう」「お陰さまで」などと謙虚に言える人は、外では仲間に尊敬され、家庭では幸せと平和を創る人となります。
2014.12.08
コメント(0)
秀吉の成功はスピード 本能寺の変の一報を聞いた秀吉は、戦闘状態にあった毛利家と終戦協定を素早く結び、走りに走って6日で岡山から大阪まで大軍を率いて戻るという離れ技をやってのけ、明智光秀を討ち取った。織田家の重臣の中では、それまで柴田勝家、丹羽長秀らが上席を占め、秀吉は彼らのはるか後塵を拝する身分にすぎなかったが、素早く引き返して信長の仇を討ったことで、秀吉の地位は飛躍的に向上し、織田家の実権を奪い取る礎となりました。経営においても、「経営資源をいかに有効に使うかより、いかに速く進めるかの方が重要になってきた。現在の企業競争は速さの競争になっている」とハーバード・ビジネススクールのM・ポーターは指摘しています。これからの企業間競争においてはスピードが主導権をとり、最も早く製品を市場に投入したものが、最も大きな利潤を得、シェアを獲得する時代になっています。これは、何も経営だけでなく、総てのことに言えることです。何事においても、成功の秘訣は「集×動」です。
2014.12.07
コメント(0)
満足したお客様はベスト・セールスマン情報誌やネットでいろんなお店や商品が紹介されているが、いざ利用してみるとがっかりすることも多い。老舗旅館で気持ちのいい応対に感心して女将と話してみると、「ようこそいらしてくださいました。私どもは、お二人様であろうと、200人様と思って一生懸命に努めさせて戴きたいと心がけているだけです」と言う。マスコミの宣伝には眉唾ものも多いが、友達からの口コミは信頼できます。心から満足したお客様は、最低でも数人(不満は10人)には話します。それを聞いた人が、また友達に話す。そうやってお客様がセールスをしてくだされば、口コミだけで次々とファンが増えていきます。(逆の場合はもっと恐ろしい)心から満足したお客様だけがリピーターとなるが、そんな真のお客様こそが企業の宝だということを忘れないで下さい。それは、個に対するきめ細かな対応からしか生まれません。
2014.12.06
コメント(0)

数時間の講義録が随分と長くなりましたが、いかがでしたか? まあ、74才になる暇人の手慰みのカスとも言えます。千葉周作(剣道の千葉道場)が「非凡の者はよく稽古し、その稽古に堪えるから、また非凡の技を得ることができる」と言っているが、幾つになっても自分を磨く努力を怠らないことが大切だと思います。そうやって技を磨くと、思うように事が運べるようになり楽しくなってきます。ところが、そんな努力は嫌だと努力を怠ると、思うように事が運ばず苦しくなるものです。幸運とは、準備していたことが機会と出会うことであると思います。運とは、ヨットと風のような関係で、風がなければ立派なヨットも走れません。この世は、「能力×努力×運=人の縁」で決まり、運は人が運んできます。私がメーカーに就職した切っ掛けも、コンサルタントになった切っ掛けも、コンサルタントとして独立したての頃の仕事も、みな人が運んできました。運が8割とも9割とも言う人もいるが、運が巡ってきたときにそれを確りとたぐり寄せるには、日ごろの努力で能力を磨いていないとダメです。まあ、自分の人生は(子供の頃はともかくも、自分で道を選択できる大人になってからの人生は)、人のせいではなく、全て自分が原因となった結果に過ぎません。今ある状況は過去に「何をしたか、何をしなかったか」の結果であり、未来はいま「何をし、何をしないか」で決まります。人生には「呼び寄せの法則=今の自分の状況は、良くも悪くもすべて自分自身が引き寄せた結果にすぎない」という考え方があります。因果応報ということかな?人のせいに思えることも、よく考えてみれば、そうさせた自分の行為に遠因があるはずです。丁度、「あいつが悪い」と指させば、3本の指は自分の方を向いているように、6割方は自分に遠因があると思って間違いありません。例え4割は相手に原因があったとしても、相手を変えさせることは不可能だから、総ては自分に責任があると思って、人を恨まずに達観して生きていって下さい。人生は長いようで短く夢のまた夢、アツ!と言う間に74年がすぎ去ってしまいました。思い起こせば、苦しくもあり、また楽しくもあった一生でした。しかし、今となっては苦しい時のことほど懐かしくもあり楽しくもあり、勉強にもなり、結局は楽しい思い出ばかりの一生で私なりに幸せな人生でした。「生老病死」は人間にはままならないことだが、花の下で最後の酒を一人で飲みながら、笑いながらこの世におさらばすることができれば最高の幸せです。あの世があるかどうかは分からないが、「死んで天国に行くのではなく、いま生きているこのときが天国なんだよ。太陽の恵みの下、働いて、日々の糧に感謝する」、それが聖フランチェスコの教えとか。私は、この考えが好きです。例えあの世に極楽が有ったとしても、どうせ私は極楽には行けそうもないが、蓮の上でジッと何もなく座っているのは退屈で、鬼に追い回されて走り回っているほうが楽しそうです。きっと、そうやってあの世でも酒を飲みながら「明るく、楽しく」やっていることでしょう。この世は四苦八苦、一切皆苦とお釈迦様は言ったが、どうせ生まれてしまったからには大いに笑い楽しく生きよう! 遊びをせんとや生まれけむ 戯(たはぶ)れせんとや生まれけむ 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ 「梁塵秘抄 今様」人生は楽しく遊ぶためにあると言った人もいるが、この世で最も有意義で楽しいことは仕事だと思います。人に喜ばれ、感謝され、お金までもらえるんだからね。でも、遊びやゲームを楽しむためにも技がいるように、仕事を楽しむためには技が必要です。そのためには、自分を鍛錬するしかなく、嫌なことや苦しいこともやりきらなければならない時もあります。それから逃げては、心から笑い、本当に楽しく生きることはできません。それが人生というものです。
2014.12.05
コメント(0)
人間、ひとたび志を立てたなら、50年掛かって成し遂げられないことはない。小林浩美さんは米国ゴルフツアーに挑戦したが、成績が振るわず予選落ちが続いて、すっかり弱気になった。思いあぐねてN航空アトランタ支店の日本人社員に打ち明けると、「ダメな奴は、何かと口実をつけて帰ろうとする。君は何のためにアメリカに来たのか。本気でやる気があるのか。このまま帰国したら、きっと一生涯挫折感がつきまとうだろう」と厳しく忠告された。これを聞いて、「人生には必ず浮き沈みがある。失敗とかスランプとか言って落ち込む必要はない。要は、失敗をいかに成功の糧にするかだ。前進だけを考えよう」と心に決めて踏み留まり、ついに95戦目で初優勝を飾った。諦めなかったことの勝利をかみしめつつ、寂しかったこと、辛かったことなどを思い出して、止めなく涙があふれ落ちた。成功者と失敗者が最初からいる訳ではなく、例え50年でも成功するまで諦めなかった人が成功するだけです。
2014.12.05
コメント(0)

コミュニケーション力は、単に話したり聞いたりする能力だけでなく、様々な要素から成り立っています。それらの構成要素のうち何に問題があるのか、まずはあなたのコミュニケーション力の特徴を確認してみることです。厚労省「若者(高校生・大学生)のコミュニケーション力」を参考にアレンジしてみましたのでチェックし、課題に合わせて克服法を考えてみて下さい。私はどちらかと言えば書くことは得意だが、人見知りするので話すことは苦手でした。そこで、コンサルタントになった当初は、講演などでも完全原稿を作ったうえに(実際に話す2倍くらい)、講演時にはテープ(録音・ビデオ)にとってもらってチェックし、気になる癖などを改めるようにしました。また、今でもパワーポイントで詳細な原稿を作るのは、イメージがすぐに絵になって浮かぶ性格や(私の遺伝子を受け継いだのか次女は美大を出ているし、広告に携わっている)、話すだけよりも視覚資料があると教育効果が高いこともあるが、私の記憶力の悪さを補う意味が大きいと言えます。読んだり聞いたりした目ことをメモにして蓄積する習慣も、元を正せば記憶力の悪さを補完するためで、コンサルタントになった当初から続けています。要は、スキルと言うよりも慣れです。安易にセミナーなどを受講するよりも、自分の欠点を良く知って、それを補う方法を自分なりに考え、それを習慣になるまで続けることです。すると、それが自分の持ち味になってきます。事上錬磨が決め手となるのは、どんなことでも同じです。「言葉」は最強のコミュニケーションツールだが、言葉以外のコミュニケーションを疎かにしていないかを意識することも大切です。コミュニケーション力は、スキルの問題よりも相手を思いやる心の問題が大きいように思います。好印象の人は、相手の目をしっかり見て、受け応えします。背筋を伸ばしたお辞儀と明るい挨拶、マナーをわきまえた身だしなみ、そして丁寧な言葉遣い、これらが誠実な態度として相手に受け入れられます。一方、表情が乏しく、下向き加減で相手と視線を合わすことなく、質問にたいしては「わかんねい」「べつに」といういような若者言葉を連発するような人は悪い印象を与えます。そうすると、話も素直に聞いてもらえなくなります。心から相手を思いやる気持ちさえあれば、立て板に水のように話すよりも、トツトツと話す方が説得力があるように、技術よりも心だと思っています。
2014.12.04
コメント(0)
おまえの頭は金庫や。大学まで行ってその頭という金庫の中に学問という財産を入れ、自由に運用して生きてくれ。 藤本義一の父中高生や大学生からも、「何のために学校に通っているのかわからない」とか、「学校では役にも立たないことを詰め込まれるだけで勉強に身が入らない」という声がよく聞かれます。学校や勉強の意味についてはいろんな意見があるが、藤本義一氏のお父さんの言葉もいいですね。香港生まれのアグネスチャンのお父さんは、「勉強して身につけたものは、泥棒に入られようと地震がこようと、戦争があろうと家族が死のうと、本人が存在する限り一生の財産となる」と言われたそうです。私たちは、生きていく過程で様々な問題や障害に出会うが、その解法や正解に「これ」という絶対的なものはありません。だが、先人の知恵を学んだうえで、その本質を見極め、自ら深く考えて判断することができれば、自ずと間違える確率は低くなり後悔することも少なくなるはずです。知識を知恵に変えるのが運用といえます。
2014.12.04
コメント(0)

説得というと外交官や弁護士のようなディベートを思い起こすかも知れないが、相手をやりこめるだけでは却ってうまくいきません。成果を上げるには「やる気」がポイントで、受け手に「一方的だ」「やりこめられた」という意識があっては、やる気も湧かないし、ときには反発から逆効果にもなりかねません。大阪の橋下市長などは良い例で、政策実現も行き詰まっています。分かり易く話すには、論理的に内容を詰めることは大切だが、それだけではなかなか上手く行かないことも多いものです。論理的思考で全体像を明らかにした上で、ディベートのように一方的に攻めるのではなく、苦い薬はオブラートで包むように、相手を立てたり、受け入れやすい工夫をすることです。貴方は、議論するとき次のどのタイプですか?1.自分を抑え込むタイプ 自分の意見を上手に伝えられずに飲み込んで我慢してしまったり、「NO!」とはっきり断ることができずにストレスを溜め込みやすいタイプです。「あの時、こう言えばよかった」「どうして自分はいつもこうなんだろう」と後悔することが多く、会社の人間関係においても損をすることが多いはずです。2.相手を攻撃するタイプ 面と向かって自分の感情をストレートに出し、相手を攻撃するタイプです。感情的になりやすかったり、言い方が嫌味っぽくなってしまいがちで、人間関係のトラブルも多くなりがちです。あなたに嫌々押し切られて、周りにストレスを溜めている人も多いのではないでしょうか?3.相手を尊重したうえで自分の意見もしっかり言えるタイプ 相手の立場を尊重して相手の言い分を受け入れつつも、自分の考えもしっかり主張するという「Win-Win」のコミュニケーションをとれるタイプです。このタイプは、自分も相手もお互いに我慢しなくてよいので、人間関係のストレスも少なく、理想的なコミュニケーションといえます。伝えるときには、思っていることをそのまま感情的に表現するのではなく(失言議員に多い)、チョット立ち止まって熟慮することが大切です。1.具体的に事実を告げる自分の意見を相手に分かってもらいたいときには、誰の目にも明らかな事実=具体的な数字やデータを使った資料が強い味方になってくれます。人間関係を悪化させずに、自分の言いたいことを相手に伝えられます。2.遠回しな言い方を避けてストレートに伝える言いたいことをオブラートに包み過ぎて、「結局、なにが言いたいの?」と首をかしげたくなってしまう人はいませんか。会社では、言いたいことはストレートに伝えたほうが(但し感情的にならない)人間関係もうまくいきます。角を立てないためには、「言いにくいのですが」、「恐縮ですが」、「申し訳ございませんが」などとクッション言葉を頭につけることです。悪い内容を伝える場合も、これが有るか否かで、相手に与える印象が大きく違ってきます。3.相手をディベート的に攻めるのではなく提案をするお互いの情報や意見をすり合わせてみて、どうしても相手の言うことに納得ができないことが出てくる場合もあります。そんな時は、相手の欠点をつつくばかりではなく、「こうしていただけませんか?」、「ここをこうするともっと良くなると思うのですがいかがですか?」などと相手に提案する形をとると上手く行きます。相手を攻めるだけでは人間関係にも亀裂が生じるうえに、仕事も前へ進まないので、お互いの立場を尊重して歩み寄ることが大切です。
2014.12.03
コメント(0)
フランス人はコンセプトや戦略を重視する日本は世界で1,2を争うプロセス重視の社会 カルロス・ゴーンフランス人はコンセプトや戦略を重視するが、それを具体的にどう運営していくかは二の次だ。一方、日本人は抽象的なコンセプトより、実際に何をどう進めていくかというプロセスを重視する。これは、製造業やエンジニアリングの分野では強みです。しかし逆に、プロセスをそれほど必要としない分野では効率が悪くなる(膨大な申請書類を書かされるなど)とゴーンさんは言う。確かに、日本人は既存の技術や機能の細部を磨き上げるプロセス改善は得意だが、従来の発想を一変させるようなコンセプトを描いて全く新しい概念の商品を創造するのが苦手なことは、いろんな分野で顕著です。だが、二番手主義が通じない社会で最も大切なのは、物事を俯瞰的に見て全体像をとらえ、今までにない戦略的な枠組みを考えることです。それさえ明確になれば、「いかに実現するか」はシミュレーションの問題です。
2014.12.03
コメント(0)

ビジネスコミュニケーションの基礎となるのは、読解力=話し手や書き手の情報の要点を要約する力=要約力です。ビジネスでは、話や通達、報告などの文脈から、その主旨を正しく読み解り(目的や本音を知る)、それに合わせて行動することが良い仕事をするための大前提だからです。的確に要点を掴み出すトレーニングが、読解力を鍛えることにつながります。内容を理解するためには、まず語彙力を高める必要があるが、それには幅広い人と付き合うことや読書が有効です。読書では、読むだけでなく要約する癖を付けることをお勧めします。私は、読書や人の話の中で「これは」と思ったことを、520字(文庫本1頁分)でまとめることを30年以上続けています。勉強にもなり、講演や本を書くときのネタ元にもなっています。読解力を高めるのに一番有効な方法は、逆説的になるが文章を書くことです。それも、少子化の検証のように論証を基礎とした文章を書くことです。文章の論拠、根拠を探し出すためには、文章やデータを読み解き、体系化して要点をつかむプロセスが必要で、その過程で自ずと読解力が高まってきます。それと、人間心理を勉強して言葉の裏にある本音を掴む努力も大切です。
2014.12.02
コメント(0)
日本人に欠けているのは、芸能界でいえば知性のある笑い。全般的にいえば、大人のチャーミングさ。甘え上手で、甘えさせ上手な大人は、ちゃんと駆け引きを知っています。 松本幸四郎日本人は気のきいた笑いを生み出す機知に欠ける人が多いが、「面白い話」の根本に必要なのはユーモアセンスです。ユーモアセンスのある人とは、ダジャレや人の欠点を笑いものにするのではなく、広い見識を持ち、相手の気持ちをよく理解でき、状況に合わせて柔軟に対応でき、優しい心根に溢れた笑いのとれる人のことです。人の気持ちを理解できる能力があれば、人を喜ばせるための方法を試行錯誤するうちに、自然と感性が磨かれ、知性のある笑いもとれるようになっていきます。相手の立場になって笑いを取るためには、優れた観察で物事を見抜く洞察力と想像力が必要です。想像を膨らませ、面白い話を工夫するうちに創造力も養われます。上質の笑いには、相手を不愉快にさせない優しい思いやりが欠かせません。それが、上手に場を盛り上げるチャーミングさであり、甘え、甘えされる駆け引きにも通じます。
2014.12.02
コメント(0)

共通理解を図るには、相手を良く知り、相手に合わせて伝わるように工夫することが大切です。だが、多くの人は、相手を知ることもなく、一方的に自分の思いを伝えるだけです。それでは、思いの何パーセントも伝わりません。伝わらないのは伝える側の責任なのに、聞き手側のせいにして、「この頃の若者は、コミュニケーション力が劣っている」などと愚痴を言っていませんか?貴方には、日本人同士、同じ職場同士、いつものメンバー同士だから、細かいことは話さなくても以心伝心で分かっているはずという潜在意識はありませんか。でも、それでは意志の齟齬をきたして当たり前です。塙義一氏が、日産とルノーとの合併の話し合いを通して得た体験を次のように語ってみえました。日産社内では当たり前のように通じた言葉も、一から説明しなければ議論が進まないので、当初はこの先、議論にどれだけ時間がかかるかと憂えたが、徐々にその利点が分かってきた。(日本では、社内で使用する言葉の定義が曖昧)以前は、社内では「あ・ん」の呼吸で議論が進み、時には「その説明はしなくても分かっている」と話を遮ることもよくあった。ところが、それが「あ・ん」の誤謬を生み、後で「そう言う意味で言ったのではない」という誤解を生むケースがよくあった。海外戦略の失敗やヒット車不在の原因も、実はこんなところにあったのかもしれない。ところが現在では、細かなことまでも確認しながら徹底的に議論を交わすので、誤解が生じにくく、お互いの立場の違いと解決すべき課題が驚くほど理解できるようになった。何よりも、丁寧な議論が信頼関係を生み出してくれたのが大きい・・・。グローバル化の今日、大変示唆に富んだ話です。変になった組織では、上が言っていることと、下のやっていることが、180度違うことさえ良くあります。グローバル化の時代になって、言葉の定義が益々重要になっています。コミュニケーションの第1歩は、「聞く・聴く・訊く」ことから始まります。 「聴いています」という気持ち言動で伝え、わからないところや不明瞭な点を質問して、言葉のキャッチボールを繰り返すことが大切です。聞くときに大切なのは、まず「相手を受け入れて聞く」(=傾聴)ことです。それも単に表面的な「言葉=情報」だけを聞くのではなく、言葉の裏にある「目的や問題意識」、「気持ちや感情」、「価値観や信条」など隠れている意味を聞くことが大切です。そうしないと、本当に聴いたことにはなりません。傾聴を心掛けるだけで、組織はイキイキとしてきます。自分の話すのは3分位(気持ち的には2分)に押さえ、相手の話に乗って気持ちよく話させることです。そうやって相手のことがわかれば、相手に合わせて話すことができるので説得率も自ずと高まります。例えば、5分後に大切な社内会議が始まろうとしています。あなたが資料を揃えて席を立ちかけたところに、部下がやってきて「お忙しいところすみません、ちょっと急ぎで相談に乗ってほしいんですが」と、こちらの都合をよそに話し始めたとします。どうやら簡単に済む話ではなさそうだが、会議が始まる時間は刻々と迫っています。こんな時、あなたなら部下にどう対応しますか?1.会議に遅れるのを覚悟で、部下の話が終わるまでじっと話を聴く。2.「要するに、おまえの言いたいことはこうだな」と部下の要点をまとめ、手短に結論を出す。3.「今は時間がないから後にしてくれ」と言って席を立つ。恐らく、三番目の応対が多いと思うが、こんなことが度重なると、部下は話しかけてもムダと思ってしまい、それとともに心も離れていきます。時間があるときでも、要領の悪い話しを聞いていると、つい二番目のような応対をしてしまいがちです。結論の決めつけ、「でも、しかし」の多用、話しの横取り、「前にも聞いた」などという戸締言葉、「そのうち良いこともあるよ」などという安易な慰めなどはNGです。話しやすい環境を作り、相手のペースに合わせるのが傾聴の第一歩です。相槌や肯きの動作があるだけで、相手は「聴いてもらっている」という気持ちになって心をひらきます。知らない分野の話しでも、相手の言っている言葉をオウム返しするだけで会話が弾みます。意味がわからないときは、「こういうことですか」などと言い換えて訊いてみることです。1日に5分で良いから、一人ひとりと話す機会を持つだけでも職場の雰囲気が変わってきます。今日1日、一語も交わさなかった仲間はいませんか?朝一番の三分間コーチングも有効です。今日片付けること、今日初めて取り組むこと、今日訪問するお客様に話す内容などを相手に質問したりして、深く考えさせることです。メンバーをペアにして(毎日ペアを組み替える)、相互にやらせるのでも良いでしょう。相互理解も深まるはずです。
2014.12.01
コメント(0)
学校で知識をつめてくると同じ見方、考え方しかしない「記憶力は創造性を犠牲にして成り立っている」と脳生理学者は指摘するが、脳には省エネ志向があります。知識とは前例で、ある時代の、ある状況下で上手くいった定型例です。そんな知識が増えると、「そんなときはこうする」という型を検索し、それ以上考えようとしません。それでは、みな同じ見方や考え方に陥る危険性が高まります。だが、差別化でしか生き残れない今日、前例を否定した新鮮な違い=独創性が求められています。東大総長も務めた小宮山宏氏は、優秀な高校の出身者ほど、「俺の方が知識が豊富だから、あいつより頭が良い」と決めつけ議論を嫌うという。何でも分かったつもりになっている人は、頭の中の前例知識(=一つの解答)と照合するだけで、それ以上深く考えようとしません。大切なことは、知識を蓄えることではなく、そこから本質を見極めて、新しい視点で組み合わせる知恵です。
2014.12.01
コメント(0)
全49件 (49件中 1-49件目)
1


