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何事も大きな違いを一気に創り出すのは難しいが、1%ずつ変化させても、それを100回繰り返せば全く別の物になります。2割変われば、変化が分かります。それには、ほんの少しの差を表現できる語彙が必要になります。例えば、日本には風の名前だけでも『風の辞典』には2145も載っているが、風がどのように吹いているかを相手の目に浮かぶように伝えるために、あなたは「~の風が吹いている」という文章に何通りの表現ができるだろうか?古代色465色に和名がついているが、例えば鼠色一つとっても何色もあります。では、銀鼠と利休鼠の違いが分かりますか。前者は明るい銀色がった錫のような鼠色で、後者は抹茶のように緑色がかった鼠色です。昔「違いが分かる男」などというコマーシャルのキャッチフレーズがあったが、ほんの少しの違いを表現する言葉がなければ、何も考えなかったのと同じです。だから、深く考えるには言葉の表現に拘ることです。それと、抽象的な言葉で、何となく分かった気持ちにならずに、どういうことかと具体的に表現してみることです。例えば、よく「感性を磨け」と言われるが、何となく分かったつもりになっても、殆どの人は「感性とは何か」とも考えず、従って具体的にどうしたらいいか分からずに元の木阿弥です。ところが、「刑事の勘」とか「主婦の勘」などは無意識下の解析で瞬時にできる。感性とは、単なる頭で理解する知識ではなく、心による本質の把握力=「無意識下における脳の統合的な働き、 つまり高次情報処理能力」ではないかなどと仮説を立ててみる。すると、「精度を上げるには曖昧でない情報量が大切だ」「独自の視点に沿って体系化されていなければ即事に使うことはできない」、パストゥルが「直感のひらめきは、それを得ようと長い間準備、苦心した者だけに与えられる」と言ったように、普段から独自の視点で情報を整理して潜在意識下に蓄積しておく必要があるなどと本質が見えてきます。もう一つは、マンネリ的な見方や考え方から脱皮して、新鮮な見方や考え方をするには、意識的に視点を変えてみることです。それには、自分とは違う見方や考え方をする多様な人々と交わり、自分の立ち位置を変えてみることです。例えば、日本地図を180度逆転して見て下さい。何かアジア大陸の下にぶら下がっている気分から、アジア大陸の帽子や冠のような気分になるかも知れません。まずは、自分と対立する側の気分になってみるのもいいでしょう。
2014.10.31
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雲のかかるは月のため風の散らすは花のため雲と風のありてこそ月と花とは尊けれ「幸せは、弥生三月花の頃 おまえ十九で、わしゃ二十歳 死なぬ子三人、親孝行 使っても減らぬ金百両 死んでも命があるように」という古歌があるが、私たちは健康やお金、贅沢な生活、地位などという良い状態だけが幸せだと考えて、表面的な良い状態だけを求めすぎて不幸な気持ちに陥っている人が多いように思います。沢山のお金を儲ける、豪邸に住む、高い地位に就く、美味しいものを食べる、健康である、確かに表面的には幸せです。だが、そんな人が本当に幸せな気もちで生活しているかというと、必ずしもそうではありません。昔から、「月にむら雲。花に風」というように、月にむら雲がかかるからこそ、風が花を散らすからこそ風情があります。人生を明るく楽しく生きていくには、どんな状況の中でも、何かしら良いこと楽しいことを見つけ出し、希望を見いだしていく生き方が大切です。
2014.10.31
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ありふれた情報だって、加工の仕方や感じ方次第で重要な情報になりえます。第二次大戦直前に英国で各国の軍備に関する著書が出版された。中でもドイツの項目は実に詳しく、兵力の配置や各師団長の経歴、その性格まで細かく調べてあります。それを読んだヒトラーは、なんとかその著者を捕まえて情報の出所を押さえる必要があると考え、秘密警察に命じて、スイスの出版社の名前を偽って誘き出してドイツに連行し、どのようにして情報を入手したかについて自ら尋問したところ、意外な答が返ってきた。スパイとか特別な資料によったものではなく、毎日の新聞や雑誌、ラジオニュース、色々な催し事など、誰の目にも触れる情報の中から切り抜きを作り、それを細かく系統的に分析することによって、指揮官の名前は勿論、家族から癖、友人関係など、ほとんど完全な資料を作成したというわけです。元CIA長官のコルビーは、CIAにおいて収集する情報の95%は公開情報であるが、何気ないバラバラの情報を統合、分析して一点に集中することによって、秘密とされている真相が浮かび上がってくると言っています。寄せ集めの雑多な情報であるインフォメーションを、いかに特定の目的に使用できる情報にまで加工してインテリジェンスにするかが問われます。情報を使えるようにするために、概念化して体系化することをお勧めします。概念化というと何か難しく聞こえるが、ある基準を設けて「同じと違い」を明らかにして同じ性質のものを一括りにして(例えば野菜・果物など)分かり易くすることです。つまり、個々に羅列するのではなく、抽象度を高めて物事を一般化して類型化し(抽象度にも何段階かある)、類型毎に個々の情報を分類し、全体と部分の関連を幅広く捉えることです。そうやって個別の細かい事情を切り捨てて体系化すると、モノの本質が見えてくることが多いものです。新聞の死亡記事一つでも、その気になれば色々な利用の仕方があります。通夜が自宅とあれば弔問客を装って、香典などを盗んで逃げる。告別式が何時からどこそこでと書いてあれば、その時間は自宅が留守だと思われるので空き巣に入る泥棒までいました。逆に、死亡記事を注意深く呼んで、泥棒が入りそうな自宅付近を巡廻して、まんまと泥棒を捕らえていた警官もいます。あるホテルマンは、通夜が行われる自宅やお寺に数人の部下を連れて車の整理を引き受ける。一周忌が近くになると、法要を私どものホテルでと勧めて成功しています。
2014.10.30
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情けある人は暖かく智恵ある人は清らか「情けは人のためならず」とも言うが、情けとは「優しさ・思いやり・慈悲」などといった自分以外のものへの温かい想いだと思います。人としての温かい思いやりの心が、新たな優しさを呼び、それがまたさらなる優しさを呼ぶ。それが、また自分に跳ね返ってきて温かい気持ちになる。そんな優しさの連鎖が次々とつながっていけば、無益な争いなどない明るい社会になることでしょう。自分の煩悩を満たすために頭を熱くして生きるよりも、一人一人の心に優しさの灯を点し、自分の心がポッと温かくなるような生き方をしたいものです。私たちは、智慧がないために、万物は変化するという事実を認めない「無知」が「迷い」を生み、迷いが「欲望」を生み、欲望が「執着」を生み、執着が「苦しみ」を生みます。お釈迦様の智慧を身につければ、清らかな心で明るく、楽しく、幸せに暮らすことができます。
2014.10.29
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この頃では、大量の情報が渦巻く中で翻弄され、情報の選択や判断までを第三者の手に委ねざるをえなくなり、結果として様々な問題について誰もが同じような感想や意見しか持たなくなってきています。情報検索は上手いが、得た情報を自分なりに咀嚼し、熟考して再生産することが苦手なのが現在人の特徴です。その結果、精神面での画一化が進む象徴的貧困化が問題となっています。大岡進さんが「いかに情報が溢れていようと、それらが実際に使えるように分析加工されていなければ石ころと同じで意味がない。だが、ごく普通の一個人にしてみれば、真贋入り乱れて氾濫する情報に全て目を通して、それらをある価値観の基に整理し、創造的に再生することなど不可能である。多くの人は、ますます細分化され専門化された情報洪水の前に立ち竦んでしまうか、どんな情報にも無感動になることによって自らを護ろうとするようになる。そこで、それらをある価値観の基に捌いて整理し直し、適時適切に再発信してくれる存在が求められるようになる。そんな役目を果たしてくれる情報の編集者が、いまほど求められる時代はない。そのような編集者となると、実際には新しい価値の創作者ともいえ、優れた価値観を持った捌き手でなければ務まらず、情報化社会の今日、そんな人材が求められている・・・」と書いて見えたが、私などは創造性もなく、まさに彼の言う編集者そのもので心強く思ったものです。思考力を高めるには、記憶だけに頼らないことです。記憶は時間とともに抜け落ちていき、曖昧になってきます。そんな情報を元にしていては、正しい思考をすることはできません。まず思考の元となる情報を正確に蓄積するためにメモを取り、それを定期的に分類整理し、体系的に纏める習慣を持つことです。日本マグドナルドの藤田田さんはメモ魔としても有名で、寝室、風呂場、トイレ、食卓、居間などいたる所にメモ用紙と鉛筆が置いてあり、人と話していても、誰かと食事をしていても、ヒントになると思えば、その場で割り箸の袋など手近な物にメモし、そのメモを毎日見直すだけでなく、さらに一週間分をまとめて整理して見直し、内容やその後の展開などを点検されるそうです。福井謙一さんも、「メモしないでも覚えているような思いつきはたいしたものではない。メモしないと忘れてしまうような着想こそが貴重なのです」とも言っています。私たちはとかく、重要なことを聞き流したり、うろ覚えのままにしてしまう傾向があるが、ビジネスに曖昧は禁物です。
2014.10.29
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人間に大切なのは緊張である。緊張があるからこそ、だらけている時にしみじみ「幸せだな」と思う。いつも いつも気を抜いていたら、気を抜いていられることの幸せを感じない。仕事が忙しく緊張が続くと、「毎日が日曜日だったらどんなにいいだろうな」と思うことがあります。たしかに、そんなときの余暇は、思いがけない贈り物のようにありがたく楽しいものです。その日その日を、面白おかしく遊んで暮らすのが楽しく理想のように思われるが、それもやるべき勉強や仕事があればこそで、毎日が日曜日のように予定のない日々が続くと、人は生きる気力をなくしがちです。定年になってしばらくは、狭い庭や貸し農園などで花や野菜を作たり、ゴルフ三昧の日々を送ったり、旅行をしたりして楽しむのもいいものです。だが、毎日が日曜日のようになって、寂寥の日々を埋めるためだけのものとなっては輝きを失ってしまいます。定年になって時間を持て余すようになると、心の緊張がなくなって一気に歳をとりがちなのはそのせいです。
2014.10.29
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情報をありのままに受け取ることは、仕事の上でもとても大切なことだが、これほど難しいことはありません。情報を正しく受け取るのが難しい原因は様々だが、次のような点に注意することです。1.私たちは、自分の価値観や思い、立場や欲目、過去の経験や、知識、記憶などに照らし合わせて、自分の都合の良いように見たり、聞いたり、感じたり、判断したりしています。つまり、心を通して物事を見聞しているのです。その昔、中国留学の夢を抱いて旅に出た新羅の学僧元暁は、行き暮れて山中の洞窟で野宿をした。夜中に喉が渇いて目を覚ますと、入口に月を映した美しい清水があるのが目に入り、これ幸いと一気に飲み干した。まさに、甘露の水だった。ところが、翌朝になって清水を探すと、それはサレコウベにたまった汚水にすぎだった。その時、元暁は、「あらゆるものは己の心の影に過ぎぬ」と悟り、故郷へと帰っていったということです。詐欺にかかるのも同じ心理です。2.映像は、コミュニケーションや提案、裁判の可視化、教育などでも効果的です。だが、五感の中で一番騙されやすいのが視覚です。「この目で見たから間違いがない」と言いがちだが、映像は目に入ってくる情報量が多いので、印象の強い一部分しか見ていなくて真実を見誤る危険性もあります。騙し絵や、横縞の洋服は太って見え、縦縞の洋服はスマートに見えるのがいい例です。3.印象の強い出来事が重なると、実際は頻繁に起きていないのに確率が高いと思い込みます。野球では「チャンスを逃すと、その後にピンチ有り」「大量得点をした次の試合は打てない」などという通説があるが、加藤英明名古屋大学教授が分析したところ、そのような事実はありませんでした。通説だけでなく、服装など見た目の良し悪しで信用したり逆に疑ったり、学歴や出身校だけで人を判断したり、性別や好き嫌いなどで判断するのも同じことです。情報を正しく受け取るには、何事にもとらわれない精神を養うことが大切です。これらのことに注意しながら、多面的に情報を収集して見方が偏らないように注意することです。人間は興味のあることしか関心を示さないので、何事にも子供のような好奇心を持つことです。すると、いろんなことが見えてきます。情報などを調べる場合も、現代ではネットで検索すれば大概のことはヒットします。だが、それだけで満足して終わり、偏った判断をしがちです。そうではなく、一つの情報から、石蹴りの要領で次々と情報をたどっていくことです。
2014.10.28
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泣いて過ごしても一生 笑って過ごしても一生人の本当の生というものは、心から好きなことをする歓びの中にこそあります。歓びのないところには何の刺激もありません。ちょうど時間というものが分や秒の集積であるように、人間らしい幸福というものは数え切れない小さな楽しみの積み重ねで成り立っています。この世の中は、あまりにも憂いや悲しみに満ちているからこそ、そんな薄暗い環境の中にも輝く水晶のような歓びを見つけだすことが大切です。たとえ1日5分でも、綺麗な花や星を探すとか、好きな詩の一節を暗唱するとか、何か特別な歓びのために時間を割くことです。そうやって、どうせ生きるならしかめっ面で生きるよりも、胸を張って明るく笑って生きたいものです。お釈迦様は、「心が沈みそうなとき、心が沈んではいけない。明るく清らかに心を持って、暗い淀みにするな」と教えます。何事も、明るく、明るく受け取っていくことです。
2014.10.28
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情報が溢れれば溢れるほど大切なことは、玉石混淆の溢れる情報の中から必要な情報だけを選択し、それをどう加工して自分の仕事に生かしていくかという情報感度を磨くことです。それには、元大本営作戦参謀で経済界切っての情報人間といわれた瀬島龍三元伊藤忠会長が歴代調査部長に残した三つの教訓や東洋の思考の三原則を大切にして、自らの問題を具体的に考えるのが一番です。1-1 机の中を空っぽにせよ。むやみやたらに情報を詰め込むな。1-2 部分にこだわるな。全体から入れ。地球を網で包むような感覚で捉えろ。1-3 情報はあくまでも素材である。それを輝かせるのは人間の頭脳である。2-1 目先にとらわれないで、できるだけ長い目で観察する。2-2 物事の一面にとらわれないで、できるだけ多角的、全面的に考察する。2-3 枝葉末節にとらわれないで、できるだけ根本的に観察するまとめれば、次の三点に凝縮されます。1.溢れる情報から何を感じ取るかです。異質の情報やマイナス情報、それも現場の生情報を大切にして、覚めた目で事実と希望的事実とを篩い分けることです。異性、外国人、異業種や異職種の人、お客さまなどと付き合い、そこに流れる様々な情報を自らの目で確かめ、肌で感じて、自信を持って判断したことだけを信じるという姿勢を貫くことです。人々の表情や行動、考え方に関心を持って、生の人間観察力を磨くことが益々大切な時代で、そんな観察力とか興味がない人は取り残されてしまいます。2.鋭い問題意識を持つために、大きな志や理想を持つことです。どんな情報に心を動かすかは、その人の抱く志や夢や理想の高さ次第です。それに照らして現実に対する反省や批判(=問題意識)が湧き、「何が道理に適っているか」「この問題はかくあらなければならない」などという思慮分別が働くようになり、見識へ高まっていきます。情報洪水に押し流されないために、明確な価値観やポリシー、夢や理想を持って、膨大な情報の中から必要最小限の貴重な情報を選び出す独自の目を養うことです。3.情報を智恵に変えて、自分の問題解決に生かしてこそ意味があります。情報を一度分解して本質を把握し、それを新鮮な切り口でもう一度組み立てなおして仮説を立て、それを素早く実践して検証することを繰り返し、生きた智恵を磨くことです。
2014.10.27
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夫婦は一緒にいるのがいいと思われている。しかし、一緒にいること自体よりも、一緒にいて楽しいと言うことが、その結婚の成功を表している。笑いのツボは、その人の持っている知識とか経験、育った環境などあらゆることが影響します。桂文珍さんは「幸せの価値観というものも、笑いのツボと同じように人によって違うような気がする。どういう物差しを持って物事を見ているかという価値観の尺度は、笑いの物差しと共通するような気がする。同じ笑いの物差しを持っている人と結婚すると意外に幸せである。一緒に同じ道を歩む人を見つけ、幸せな人生を送るためには、まず笑いのツボを探ると良い」と言います。泣くところは誰もが似たようなものだし、一緒に泣いているような家庭では明るく楽しい人生はおくれません。共に笑い、笑いの絶えない家庭でありたいものです。そこで、恋愛中のデートには、楽しいものや笑いのあるものを一緒に見に行き、お互いがどこで笑うのかをチェックして見ると良いかもしれませんね。
2014.10.27
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新約聖書に「初めに言ありき、言は神とともにあり、言は神なりき」とあるように、その昔は言葉は神であり人類の光であり、いろんな言葉=情報・知識を持っていること自体が力を生み出しました。ところが、誰もが同じ情報を瞬時に手に入れることができる今日では、情報を知っていること自体は力ではなくなりました。だが多くの人は、情報を知っただけで満足してしまっています。パソコンやスマホで殆どのことが分かる今日、情報から自分なりに意味をくみ取って、新しいアイデアに昇華させて提示することが求められています。瀬島龍三が「情報は素材である。その素材をキラキラさせるのは人間の頭脳だ」と言ったように、情報を主体的に取捨選択して全く新しい視点で組み合わせ、独創的なアイデアを生み出してこそ意味があります。つまり、情報=言葉が真に力を発揮するためには、その情報をどう消化するかが問われます。情報は、蚕にとっての葉っぱのようなものです。蚕は、桑の葉っぱを食べて絹糸を吐き出します。この地上に葉っぱを食べて生きている生き物は、おそらく何千、何万種類といるだろうが、蚕のように美しい糸を吐き出す動物は他にはいません。私たちも、情報(知識)をただ集めるだけでなく、蚕のように情報という餌を食べて、何らかの問題解決を図るための素晴らしい智慧に変えることが大切なのです。それも、『宗鏡録』に「同じ水でも牛が飲めばこれを乳とし、毒蛇が飲めばこれを毒とする」とあるように、情報も同じで、そこから独自の有用なアイデアを生み出すことが求められます。同じ情報を入手しても、その人の価値観や感性によって受け取り方や生かし方に大きな違いが生じるのが普通です。その違いこそが命で、それが情報感度といわれるものの正体です。だから、情報感度を磨くということは、集める情報そのものよりも、情報に接する自分の立ち位置やものの見方(=視点)を磨くということです。つまり、自分なりの視点で情報を見て、それをもとに自分の将来や仕事にどう生かしていくかが問われているのです。情報が溢れる中で、大切なのは情報を嗅ぎ分ける鼻です。何時も問題意識や課題さえ持っていれば、あらゆることがヒントとなって飛び込んできます。それを火種として、点と点を結んで線とし、線と線を繋いで面とし、面を重ねることで一つの実像が見えてきます。そうやって深く考えることで真実を見通し、赤々と燃え盛る智慧の灯りとすることです。
2014.10.26
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夫婦というものは必ず愛し合う「べきだ」というのは中学生程度の道徳律20代は愛 30代は努力 40代は忍耐 50代は諦め 60代は感謝恋いをすることは、春になると花が咲くように、年頃になれば誰にでも起きる自然のなりゆきです。恋をすると、相手の全てが素晴らしく見えてきます。恋は相手への盲目的な執着で、恋の炎を燃え盛らす油は障害です。だから、障害が多いほど燃え上がります。恋はまたアバタもエクボと、ただ粗野なだけの男を「男らしい」などと美化し、相手の本当の姿を見る目を曇らせ、勝手に美化した相手に多かれ少なかれ恋しています。どんなに惚れた女性であっても、いざ女房にしてみると「女房(亭主)に持ってみればみな夢」(一茶)ではないが、だんだんとメッキがはげて実態が見えてきて、自分がほれたことが夢のように思えてくるものです。そうなっても相手を見捨てずに、苦しくて醜い人生を共に生きようと、努力し耐える中で本当の夫婦愛が育ちます。恋は誰にでもできるが、愛は育むものです。
2014.10.26
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私たちには、病や痛みから逃れたい、快楽を得たい、時間を短縮したい、様々な不満を解消したい、歳を取りたくない、死にたくないなど、様々な夢や欲求、願望などがあります。それは現状では満たされていないから起きるわけで、夢や欲求、願望を抱くと現状との間には様々な問題点や課題が浮かび上がってきます。私は、その関係を「フカイヨ」と呼んでいます。・ヨ=欲求・夢・願望・ありたい姿・理想・目標など・フ=「不」の付くこと(不安・不満・不便・不快など)・カ=課題(問題解決への方向性を示したモノ・問題意識) ・イ=課題までは行かないが何となくイライラすること人間は「不」に敏感で、「フカイ」が高まると=欲求不満が高まってきます。すると、それを「早く解消して楽になりたい」という気持が起きます。その解消策として、人はモノやサービスを購入するのです。だから、お客様の「ヨ」を満たし「フカイ」の解消策を提案するのが仕事の実態といえます。お客様の欲求は、あることが満たされれば、「もっと、もっと」とエスカレートしていきます。それを煽るのが広告であり、次から次へとでる新製品です。詳しい説明はおくが、人間には、「貪(トン)・瞋(シン)・癡(チ)」という根本的な煩悩「三毒」をはじめとした様々な煩悩があります。そこから、様々な苦が生じます。私たちは四苦八苦という言葉をよく使うが、「苦」とは求めても得られないことから生じる欲求不満です。四苦とは「生老病死」を指します。中でも、「死にたくない」というのは、人間にとって最大の欲求です。「病気になりたくない」「健康でありたい」「歳を取りたくない」という願望も強く、健康関連商品やアンチエイジング商品、保険のコマーシャルが溢れています。人間は「不」に敏感なので、不安を煽るのが一番効果的です。例えば、「肥満の人ほど生活習慣病に罹る確率が高く、糖尿病は正常者の5倍、高血圧は3倍にもなり短命の傾向があります」と訴え、「一食をこれに代えただけで何キロダイエットできました」などと言われればつい手が出てしまいます。そうやって不安を煽ってお客様の「フカイ」を極限まで高めれば、「直ぐにでも解消したい」という気持ちが起き、モノやサービスの購買に結びつきます。欲求は満たされれば、それが当たり前になって刺激がなくなるので、例えば携帯電話のように、最初は通話機能だけだったのが、メール、カメラ、電子マネー、ワンセグ、ネット検索などと次々と目新しい機能を付加して欲求を刺激し続ける必要があります。だが、ダイエーやソニーの例を見ても分かるように、新鮮であり続けるとなると難しいものです。100年以上続く老舗は2万社以下、300年となると500社以下で、永遠に繁栄し続ける企業はありません。大切なことは、狙い定めたお客様の「フカイヨ」を正しく知ることです。だが、この正しく知ると言うことほど難しいことはありません。お客様の意識と会社(店)の意識にはギャップがあるのが普通で、対応はさらに遅れるので、お客様の意識と対応のギャップはさらに大きくなります。お釈迦様も正聞(正しく聞く)を第一に挙げているが、人間は耳で聞き、目で見るのではなく、自分の心で見るので受け取り方にバイヤスがかかります。人は自分の経験・知識の範囲でしか理解できないし、自分の立場や欲目などが邪魔をして自分の見たいようにしか見えない(解釈を曲げる)ものです。真実は一つなのだが、物事をどちらから見るかで様相は180度違ってきます。物事がどのように見えるかは、作る側、売る側、買う側ではそれぞれ違うので、物事を多面的、立体的に、広く深く、正確に見ることが大切です。
2014.10.25
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何万年が過ぎようと なした行為のその報い消え去ることなく自らに返る定めは変えられないお釈迦様は、すべての現象には、必ず「(原)因」という種があり、必ず「(結)果」という実がなるという因果応報を説かれました。その間に、さまざまな「縁」(ヒト・モノ・コトとの出会い)が働き、現実の世界は複雑な様相を呈します。しかも、この「果」はすぐに現れるものと、ずっと後で現れるものとがあります。人間関係において同じで、自分にとって善いことも悪いことも全ては自分が蒔いた種に起因しています。自分の愛欲をまず満たそうとするのが人間だが、それでは相手の愛欲を冒すことになるので上手くいきません。そこで、自分の愛欲はひとまず横に置いておいて、相手の愛欲を満たしてあげることを考える。すると、「情けは人の為ならず」ではないが、相手が良いことを返してくれます。この基本原則は、いつの時代も変わりません。ビジネスでも同じで、顧客や社員を第一にすることです。
2014.10.25
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この世は人と人が綾なす社会で、人間関係も、経営も仕事も、この世のことは総てどれだけ人間を理解するかにかかっています。従って、人間の変わらぬ本性を学ぶことが、この世を明るく楽しく生きていくための礎となります。私は、どん底の頃に読んだお釈迦さまの智慧が、あるとき人間学の本質だと気づきました。人間の本質は、紀元前の昔から変わっていないと思います。そんな人間の本性を追求されたのがお釈迦様だと思います。そこで、私は経営や販売、マネージメントなどのバックボーンとして応用してきました。経営などに都合の良いように利用してもらってはかなわぬと、仏教を生業としている一部の方からはお叱りを受けたこともあるが、どんな教えも実生活に応用しなければ意味がありません。それが、智恵の本質ではないでしょうか?お釈迦さまの智慧が、「私にはこのように聞こえてきました」(如是我聞)という私なりの理解を元にしたものであることをお断りしておきます。会社を栄えさせ、良い人間関係を築く究極は、お釈迦様の説かれた「四無量心(慈悲喜捨)」と「四摂法」を実践することに尽きると思います。最澄は「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」と言ったが、これは「お客様第1」と置き換えることが出来ます。慈悲喜捨などと言うと難しく聞こえるが、自分が幸せな時には、人にその幸せのおすそ分けを考えてみる。身近に不幸な人がいる時には、共に苦しんであげることを考えてみる。いや、側にいて、そっと手を握ってあげる。そのようなことが、自然とできるようになれたらいいのではないでしょうか?四無量心を実際行動として実践する手段が、「四摂法(事)=布施・愛語・利行・同事」の四つの実践行動です。布施とは、大切にしているものを差し出して精神的・物質的な恵を与えることだが、ボランティアも現代の布施と言えます。財貨や人に教えたりする特別なモノが無くても、無財の七施ならその気さえあれば誰にでもできるはずです。無財の七施とは、・慈眼施(常に人に温かい視線を送り、優しい眼差しで接する)・和顔悦色施(いつもニコニコと、温かく、優しい顔で接する)・言辞施(常に温かい思いやりのある言葉で接する)・身施(人が困っている時に、そっと手を差し伸べて手助けをする)・心施(「情けは人のためならず」と思い情を込めて接する)・床座施(体の弱い人や困っている人に優しく席を譲る)・房舎施(宿に困っている人があれば泊めて心からもてなしてあげる)の七つです。愛語とは、相手の身になって親身に話しかけることです。利業とは、相手の役に立つことをすることです。同事とは、相手の身になって苦楽を共にすることです。「四摂法」の本質は、「あなたからどうぞ」と相手を先にする心だが、結局は共感力を育むことではないでしょうか?自分を大事にしてもらいたければ、他人を大事にしなければなりません。自分の心を分かってもらいたければ、人の心がわからなければなりません。こんな共感力は、社会生活に欠かせない最も大切な能力の一つです。精神的、物質的な恵みを人に与えたり、人に優しい言葉をかけたり、相手の利益になることをしたり、相手と同じ気持ちになって考えることを心がけて行動すれば、みんなが仲良く心安らかに生きていくことができます。何事にも偏らない優しい心をもって慈しみあい、良いことが有れば人と一緒に喜びあい、過分な欲望を捨てて持てるエネルギーを人々のために尽くそうという心を養うことが大切だという教えだと思います。
2014.10.24
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俺に似ろ 俺に似るなと 子を思い親の子に対する心情は複雑です。長所もあれば欠点もあるのが人間で、自分の良い所は似て欲しいと思っても、悪い所は似て欲しくないと思うのが人情です。でも、人間は欠点があるからこそ、一層長所が光るのだと思います。本当に魅力的な人というのは、陰と陽が絶妙に混ざりあっています。欠点も、見方を変えれば長所にひっくり返り(せっかち→迅速)ます。場と時を得れば大変に光ることがあり、完全な陰などありません。良い所も悪い所も混ざり合い、良くも悪くも自分を作っています。カエルの子はカエル、トンビが鷹の子を産むこともありません。自分はカエルなのに、サラブレッドにしようとか、鷹にしようと思わないことです。自分のできなかったことが、自分の子供にできるわけがありません。その子のあるがままに育てれば、子供は自信を持ち、もっとノビノビと明るく育っていきます。
2014.10.24
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考えてみると、人と人との触れ合いの連続が人生そのもので、お互いの毎日には数え切れないほど多くの人との接触があります。その出会いを、たった一回だけの「縁無き衆生」で終わらせるか、あるいは『生涯の友』とするかで人生は大きく変わってきます。単なる接触で終わらせることなく、人間関係を深める智慧を身につけて、自分にとって有意義な出会いにすることが大切です。それには、「もう一度お会いしたいな」と思われる人になることです。好かれるのも嫌われるのもほんの紙一重で、チョットした心遣いを忘れないことが大切です。人は自分のことだけで精一杯の自己中心的な生き物だから、自分に関心や好意を持ってくれ、自分を立ててくれる人を求め歓迎します。人に好かれ、良い人間関係を創りたかったら、人間の本性を知ることです。一つは、自分ほど可愛い者はいないという自愛の心です。私たちにとって、自分ほど可愛い者はいません。だから、何事も自分中心に考えがちです。一つは、自分が先ず幸せになりたいという我欲の心です。私たちは、金銭欲や物欲、性欲、食欲、権勢欲をはじめ我欲の塊です。誰よりも先ず、自分がそれらの我欲を満たして幸せになりたいと思います。人間は、本性のままに自愛と我欲を満たそうとして相争うのが常です。だが、「あなたなんか嫌いよ」と叫べば「あなたなんか嫌いよ」、「あなたが好きよ」と叫べば「あなたが好きよ」とはね返ってくる山彦のように、悪いことも善いこともとも、自分のなした結果としてはね返ってくる面もあります。そこで、良い人間関係を築くには、一見遠回りのようだがまず『他者の欲求』を何らかの形で満たしてやる、つまり他者にまず『感情的・人間的・経済的な利益』を与えることです。すると、相手も良いことをお返ししてくれます。清水寺の森清範貫主は「ご本尊の観音様は、相手の気持ちになって物事を考えられる大我の仏さんです。自分ではなく、相手がどう思っているかということを説いて1200年になる。企業にしても、相手の豊かさや幸せをまず考えることができるなら、1200年でも2千年でも続くものです」と言われたが、仏教の説く『忘己利他』と『自利利他』(後述)の教えをまず考えて対応すれば、相手はこちらに良い結果を必ず返してくれると信じることです。『私が、私が』という気持を少し押さえて、『あなたからどうぞ』と相手を先に立てる気持ちで対応すると、相手は気分を良くしてお返しをしたくなり、自ずと人間関係が良くなります。禅語に「終身道を譲るとも100歩を出でず」とあるように、相手に花を持たせても一生を通せば殆ど違わないものです。絵本『きつねのおきゃくさま』(あまんきみこ:二俣英五郎)をご存じですか?腹ぺこの狐が痩せた雛に出会ったが、太らせてから食べよう(自利)と考えた。雛が「狐さんどこかに良い住む処はない」と聞くと、狐は心の中でニヤリと笑い自分の家に連れて行きます。「狐さんは優しいね」と言われ、狐はボウッとなります。またある日、散歩に行った雛が痩せたアヒルに出会い、「狐さんとっても親切なの」と言うのでアヒルもまた狐の家に行きます。狐は親切という言葉にうっとりし、雛とアヒルにそれは親切にしました。またある日、散歩の途中で痩せた兎に出会った雛が、「狐さんは神様みたいなんだよ」と言うのを聞いて、狐はうっとりとして気絶しそうになります。そんなある日、山から下りてきた狼と勇敢に戦い、狐は恥ずかしそうに笑って死んでいきます。例え狐の自利が先立つ下心から生まれた誤解であっても、雛の肯定的な対応が狐の心の中に元々あった優しくて親切な心を引き出した訳です。相手がどういう行動をとるかは、実は自分の相手に対する心の持ち方次第なのです。つまりは、自分が人からされたら嫌なことはせず、人からされて嬉しいことをすればいいのです。でも、言葉では簡単だが、自愛と我欲の塊である私たちには実践となると難しいこと。世界中で争いが絶えません。
2014.10.23
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教育とは学校で習ったすべてを忘れた後に残るものを言う アインシュタインアインシュタインは、「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、自ら考え行動できる人間をつくること、それが教育の目的といえよう」と言っています。「後に残るもの」とは何かだが、哲学者カントは「私から哲学を学ぶな。哲学することを学べ」と述べたことがヒントになります。教育とは、まさに「学ぶことを学ぶ」助けをすることにほかならないと思います。一生が勉強だが、学校教育を通して生きるための力を養うための基礎を身につけます。生きる力とは、自らの夢を描き、そのための課題を自ら見つけ、自分だけの特定解を考え、自らの責任で実行する力です。基礎知識を使う機会は少なくても、学び方、問題解決力、自己表現能力、人間関係力などの総合力は後で生きてきます。
2014.10.23
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人間の感情には喜び、怒り、哀しみ、楽しみという代表的な四つの感情があります。人との出会いと継続が上手く行けば喜びや楽しみが生まれ、上手く行かなければ怒りや哀しみが生まれます。いずれにしても、人と出会い、ものと出会い、さまざまな状態との出会いによって私どもの一生は織りなされ、その巡り合わせによって人生が善くも悪くも展開していきます。この歳になると、あの時、あの人やコトと出会っていなかったら自分の人生はどうなっていただろうかと思うことがあります。人生を振り返ってみると、本人が制御できない「たまたま」の積み重ねともいえます。でも、出会いのマップを作ってみると、偶然の出会いにも色んな人との繋がりの産物であるが分かり、疎遠になっている人に対しても感謝の念が湧いてきます。ある経済界の重鎮が、「人の生涯は誰と出会ったかで決まる。若い頃は人生に恐いものはなく、自分の力で何でもやれると思い込んでいる。それは若さの特権でもある。そんな若者も結婚し、子供ができると、段々と考え方も変わってくる。世の中、自分の言いたいことだけを言っていたのでは生きられないことが分かってくる。私は、そこからが本当の人生だと思う」と言われました。そんな様々なたまたまの出会い=縁を活かすには、柳生家の家訓にもあるように、本人の意識次第という要素が高いように思います。ある芸能プロモーターが「スターになれるか否かは【能力×性格×運】で決まる。この人を盛り上げてやりたいという性格が大切だ」と言っていたが、私は世の中で成功する秘訣は【能力×努力×運】で決まると思っています。世の中には、能力もあり努力もしているのに、運に恵まれずにうまくいかない人が沢山います。では、運とは何でしょうか?それは、宝くじに当たるような暁光ではなく、人との縁が運んでくるチャンスだと思います。いわば、ヨットを走らせる風のようなものでしょうか。人との出会いの中で相手が興味を覚え、「こんなことをやってみる気はない」とチャンスを与えられたり、「この人をなんとかしてあげたい」という気にさせる何か(性格が大きい)があることから運は巡ってきます。だが、幸運の女神には後ろ髪がなく、普段から努力して能力を磨き続けていないと、その縁によってもたらされたチャンスを掴むことはできません。物事にはすべて原因があって結果があるが、この世の中のことはそう単純ではありません。それは、原因と結果の間に縁というものが働くからです。例えば、数粒の花の種があるとします。それを、蒔かなければ何時までたっても花は咲きません。適当な時期に蒔いて手入れをし、雨露や陽光に恵まれて初めて花が咲きます。だが、数粒の種を同じように蒔いたとしても、順調に芽を出して美しい花を咲かせものもあれば、途中で鳥に食べられてしまったり踏みつけられたりして枯れてしまうものもあります。種があって花が咲くのが因果であり、途中の出会いによって様々に変化する要因が縁です。人間も、誰でも素晴らしい種子(=潜在的な能力)を宿しているのだが、能力が幾らあって努力したとしても、それだけではなかなか素晴らしい花を咲かせることはできません。因(能力・努力)果(結果)の間に「縁」が介在するので、どんな縁に出合ったかで、万華鏡のようにいろんな違った結果が出ます。それが運の正体であり、因果関係だけでは割り切れないところが、人生の面白くもあり難しいところでもあるといえます。あらゆる物事は、この縁の力によって縦横無尽に結ばれています。因・縁・果という三段階を十分に認識したとき、物事の見方、考え方が変わってきます。
2014.10.22
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医者も否定語を肯定語に代える「~してはいけない」ではなく「~までは大丈夫」言葉は、口の端から出た途端に飛び散ってしまう儚いものだと思われがちだが、何気ない一言でも人の心のすき間に入り込むと、そこに根をはり、一生を左右するほどの恐ろしいマインドコントロール力を発揮します。人間の精神には、暗示への感受性があるからです。中村天風氏は、「消極的な言葉は遣ってはいけない。心の置きどころで、いつも元気でいられるのが人間だ」と言った。医者が使う言葉は、「○○してはいけません」などという否定語がほとんどです。そんな何気ない言葉が、いかに患者や家族を傷つけ、意気消沈させているかに気づき、肯定語に代えることです。親や先生も同じです。・あなたは一週に一度しか入浴できない あなたは一週に一度入浴できるのですよ・あなたは一日一合しか飲んではいけない あなたは一日一合は飲んでもいいんですよ
2014.10.22
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共通理解とは、ジグソーパズルを想像してみると分かり易いと思います。お互いの頭の中にあるイメージを幾つかのピースに分けて、それを言葉に変えて相手に伝え、相手の頭の中に同じイメージを描く作業です。つまり、双方の頭の中に、同じ絵が完成したときに共通理解ができたといいます。教育効果の所でも「聞いたことの10%、見たことの20%」しか伝わらず、最大でも情報の25%程度しか伝わらない」と書いたが、いくら会話を重ねても、相手の話を理解できなかったり(文章や話において、部分間に関連がつかない状態が「わからない」、部分間に関連がついた状態が「わかった」、その関連性が以前より緊密なものになった状態が「よりわかった」)、曲解したり(「情けは人のためならず」を、「人に掛けた情けは、自分にはね返ってくるから、人には情けを掛けなさい」と言ったつもりが、「情けは相手のためにならないから、人にはなさけをかけるものではない」というように)、聞き落としたり(興味のないことは耳に入らない)していては、内容が正確に伝わるはずがありません。コミュニケーションの真髄は、相手志向に徹して、「難しいことを易しく(小学5年生でも分かるように)、易しいことを面白く」に行き着くように思います。情報は一方的に自分の思いや考えを「伝える」という自分思考ではなく、「相手の受信を助ける」といった相手志向が大切です。よく「話し上手は聞き上手」というが、それは聞くことによって相手を理解し、相手に合わせて話が出来るようになるからです。だから、訊く力と聴く力を鍛えることです。仕事の場では、あやふやな解釈で行動すると、ミスを招いたり、期待外の行動をしたり、的外れの企画書を提出したりしてしまいます。私は企画のコンペでも、後で個別に時間を取ってもらいました。それは、何を訊くかが勝負だからです。相手の話の内容がはっきりとイメージできないときは、具体的にイメージできるまで訊くことです。普段の私的な会話だろうと同じです。質問にもいろんな目的があります。「何のために質問するのか」(具体的に事実を確かめる・意味を確かめる・目的を確かめる・意図や本音を確かめる・思いを確かめる・根拠を確かめる・問題を確かめる・課題を確かめる・ニーズを確かめる・価値を確かめる・影響を確かめる・意見を聞くなど)ということを明確に意識した上で、TPOに合わせて的確な質問を繰り返し、確実に初期の目的を達成することです。(詳細は長くなるが、この二点がポイント)相手の意図を理解する力=傾聴力を高めるには、本を読んで、要約する癖を付けるとよい。テーマや感心事毎に様式を決めてメモをする習慣を付けると、情報=知識の蓄積にも役立ちます。私の場合は、文庫本1頁(タイトル別520字)にまとめています。字数制限があると、それで納めるために深く考え、表現に工夫するようになります。
2014.10.21
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球根を植え 花咲くまで生きていたい余命を宣告され、夢も希望も持てない状況にもかかわらず、イキイキと命の火を灯し続ける人たちがいます。膵臓ガンで、余命6ヶ月と宣告されたにもかかわらず、周りに笑いを振りまきながら、道端の小さな野の花を見つけて美しいと思ったり、チョットしたことに感動したり、感謝しながら、8年間元気に生きている人がいます。胃ガンで3ヶ月の命と宣告された40代の女性は、子供の卒業式を見たいと思いながら、子供の弁当を丁寧に作りながら、1年8ヶ月生き抜きました。絶望しているとき、哀しみの中にいるとき、夢や希望なんか持てなくても良い。そんな時は、ささやかな日々の営みに目を向けてみることです。丁寧に作ったご飯や味噌汁を、ゆっくりと噛みしめてみるのもいい。「もうダメだ」と思ったときにも、とりあえず3ヶ月そうやってみると、「何であの時は」と思うときがくるものです。
2014.10.21
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コミュニケーションはドッチボールではなくキャッチボールだと伊藤守さんが言うように、ディベートのように相手をやっつけるのが本来のコミュニケーションではありません。ドッジボールでは、相手を倒すために受けにくいボールや強いボールを投げつけます。だが、キャッチボールを楽しく続けるためには、相手が受けやすいボールを投げることが大切です。相手が受け取れないようなボール(言葉)を投げかけるとか、相手の投げたボールを上手く受け取らなくては、コミュニケーションは成り立ちません。コミュニケーションは、相手と言葉のやりとりを通して、お互いに理解し合い、納得し合い、ときには意識や状態を変えさせて何らかの行動を起こさせること(説得)が目的だから、相手の受け取りやすい言葉を読んで投げかける必要があります。相手の理解度や状況も考えずに、一方的に自分の言葉や都合だけで話しておいて、自分の話を聞いてくれないと嘆いていませんか。良いコミュニケーションを続けるためには、まず相手にボール(言葉)を受け取ってもらえるように、相手の受け取りやすいボールを投げることが大切です。そして、自分も相手のボールを受け取る気持ちを大切にして、キャッチボールの回数を増やすことです。それにつれて、相互理解も深まってきます。小学校の先生方が、明石家さんまさんが小学生相手に司会する『やっぱりさんま大先生』を見て、子供達から笑いが絶えない技の秘訣を分析しました。1.子供の話を一言、一言、「うん」「うん」と肯定しながら聞いている。2.集中して細かいところまで聞き逃さず、速くて大きなリアクションをする。3.質問から外れたり要領を得なくても最後まで話を聞き、決して否定しない。「傾聴して相手を受け入れると気分が良くなって心を開いてくれる」というコミュニケーションの基本に忠実で、彼が面白いことを言うというよりも、子供たちから起きる笑いを上手く拾って広げていることが分かったそうです。とかく自分本位になりがちなのが人間の性だが、自己主張や弁解をしたい気持ちをグッと抑えて、まず「そうなの」と相手を受け入れてみることです。もう一つ、どのようなコミュニケーションの仕方を得意とするかを知っておくことも大切です。ビジネスではきちんと「話せること」と「書けること」が基本で、これによって自分の意思をしっかりと伝える必要があります。だが、読み書きが得意な文字人間と、聞いたり話したりするのが得意な言葉人間がいます。評論家などでも、講演は面白くても本にするとダメとか、本の内容は素晴らしくても話はダメというように、両立する人は少ないものです。例えば、ヨーロッパ連合軍最高司令官を務めていた頃のアイゼンハワーは記者会見の花形だったが、大統領になってからの評判は散々でした。それは、彼が文章を読んで理解する読み手であり、聞いて理解する聞き手ではなかったからです。司令官の頃は、会見30分前には広報官が記者の質問事項を書いて予め渡していたために質問内容を良く把握していて、適切な受け答えが出来ました。ところが、大統領になってからは、その場で口頭質問を受けたために、記者の質問内容が充分に理解できず、答弁がちぐはぐなことが多かったからです。説得や報告などのときにも、相手が文字人間か、それとも言葉人間かを知っておき、口頭がよいか文書が良いかを考えるとスムースにことが運びます。だが、驚くほど多くの人たちが、自分がどちらかに無頓着なように思います。両者には長所と短所があるので、自分の特性を知って対応することです。私は原則的に書く人で、講演などでも1,2ヶ月かけて完全原稿を創り上げます。
2014.10.20
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五体不満足は不便だけど不幸ではない 乙武洋ただ健康やお金、贅沢な生活、地位などという良い状態だけが幸せだと考えて、表面的な良い状態だけを求めすぎて不幸な気持ちに陥っている人が多いように思います。それでは、ごく一部の人しか幸せにはなれないことになります。どんな境遇の人でも、たとえば五体満足や健康でなくても、お金がそんなに沢山無くても、たとえ今が逆境にあっても、心の持ち方次第で、それでもなお毎日をイキイキと生きていくことはできるはずです。それが大切だし、それこそが本当の幸せの姿だと思います。乙武洋たださんが「五体不満足は不便ではあるが不幸ではない」と言うように、どんな状況に置かれても、自分の心と折り合いをつけて、「いま」という状況の中で自分なりの満足を見つけていくことが大切です。逆に、他人から見たらどんなに恵まれていたとしても、当人がそう思わなければそれは不幸せな人生というしかありません。
2014.10.20
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一つのコトバで喧嘩して 一つのコトバで仲直り一つのコトバにお辞儀して 一つのコトバに泣かされた一つのコトバはそれぞれに 一つの心を持っている (作者不詳)言葉には、人生を左右する大きな力があります。良い言葉が、良い人生を創ります。逆に、悪い言葉は悪い人生を創ります。それは、言葉が行動を創り、行動が習慣を創り、習慣が体質を作り、体質が運命を創るからです。中村天風は、「人間の精神生命の中には、暗示の感受性というものがある。だから、たった一言を言うのも、この暗示の感受性というものが、必ず自分が気がつかなくても、ものの声に応じたように感じる。感じると同時に潜在意識化し、それに対してその通りの状態が働きだす。万一、消極的な、怒り、悲しみ、悶え、迷い、悩みなどが口から出されると、恐ろしい結果を神経系統の生活機能に与えてしまう。何気なく出てくる言葉というものはない。どんな人の言葉ですら、その言葉になる前に、観念が言葉を創るのだから」と言ったが、何気ない一言が、相手の心の中で生き続けて大きな力を発揮することがあります。樋口廣光太郎アサヒビール元社長は、「小学校二年生のときに、先生から『あなたは何かを持っているから、自分の気持ちを全部出すようにして、嘘だけは言わないで伸び伸びやりなさい』と言われた。その一言によって、その後の人生で苦しいことや逆境に出会っても、自分には何かあるという自信が私を楽天的にさせ、その自信がその後の私の人生を切り開く原動力になった」と語る。東日本大震災で意気消沈した気持ちを奮い起こし、希望を生み出したのも言葉でした。たった一つの言葉が、相手の心を開かせたり、人を救ったりする一方で、いじめ問題にもみられるように、相手の心を閉ざさせたり、時には自殺に追い込むほど傷つける凶器になることもあり、二面性に留意することです。仕事も、上司や部下、同僚、関係部署、お客様や取引業者などとのコミュニケーション(なかでも説得)そのものです。思考力や想像力も、マネージメント力も、営業力も、説得力も、統率力も、その基礎をなすのは総てコミュニケーション力の問題で、仕事の成果さえも大きく左右します。ヨハネ福音書に「始めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった」とあるように、大昔には人の知らない情報=言葉を知っていること自体が力であり、古代文明では日食や月食を予言する人は神とあがめられ、言葉が人を動かしてきました。ヒトラーが大衆を動かし、米大統領候補オバマ氏が「チェンジ」と叫んで支持を集めたように、言葉は政治の武器ともなります。三重苦のヘレンケラーは「言葉は、知識の、思考の、幸福のシンボルである」と言ったが、人間の知の根源は言葉であり、見えないものを見えるようにするために言葉があります。私たち人間は、言葉によって時空を越えて知識を交換し、その蓄積が文化を築き発展させてきました。人は死ねば終わりだが、言葉は永遠に生き続けます。だから、言葉は前向きに正しく使いたいものです。この世は総て(国家間から貴方と私まで)人と人とが彩なす世界で、言葉を通した意思疎通がうまくいくか否かで、お互いの関係がうまくいくか、気まずくなるかが決まってきます。従って、言葉は生きる力そのものと言えます。「私の言葉の限界が私の世界の限界である」(哲学者ヴィットゲシュタイン)と言ったように、人間は言葉で考え、言葉で伝え、言葉に反応する故に、言葉の限界がその人の限界となります。大いに語彙を増やしたいものです。
2014.10.19
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子供をスポイルする一番簡単な方法は欲しいものを何でも与えることだ ルソー「エミール」アメリカ人と結婚している女性の子供は高校生だが、ときたま母親と一緒に日本に里帰りをします。普段は聞き分けの良い子が、何日か滞在するうちに、どうにも聞き分けのない我が儘な子になってしまうそうです。アメリカでは躾が非常に厳しく、例えば甘いものをおやつに食べたいと言ってもダメならダメで、もし黙って食べればピシッとお仕置きになります。ところが、おばあちゃんは甘いものだろうが何だろうが、食べたいと言えばこっそりと食べさせます。欲しいと言えば、何でも買ってやるという雰囲気があります。すると、調子のとれない我が儘放題な子になってしまうというわけです。望むものが何でも手に入る幸せな生い立ちは、一生の幸福を保証しないばかりか却って不幸にしてしまいます。子供の将来の本当の幸せを願うなら、自立心を持たせるために厳しく育ることです。それが本当の親の愛情です。
2014.10.19
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ところで、貴方は「深く考えて実行するタイプ」ですか、それとも「深く考えることもなく実行するタイプ」ですか? 多くの人は考える時間を惜しんで、数個の問題点や解決策が浮かんだら即実行しようとしがちです。だが、それでははかばかしい効果は期待できません。なぜなら、直ぐに思い浮かぶ問題点やアイデアなどというものは、常識的な薄っぺらなものでしかないからです。正しい思考や判断はまず量から生まれるので、広く深く考える必要があります。では、「考える」ということは、どうことでしょうか?図のように、木登りしている動物の手足だけが見えるとします。それを、後に回り込んだときに何が見えるかをシュミレーションして予測することが考えるということです。シュミレーションして予測するには、手掛かりになる情報が必要で、それも多ければ多いほど精度が高まります。そのために学んだり調べたり実験したりして、あらゆる可能性を追求し仮説を立てることです。仮説の信頼性を高めるには、納得性と判断の信憑性を高める必要があります。納得性を高めるには、まず広く深くものごとを追求することです。家を建てる場合でも、土台が確りとしていないと安心できる家が建ちません。目には見えない部分まで掘り起こし、目に見える部分も広く網羅することです。それには、好奇心を持って、石蹴り遊びの要領で、あちらこちらに飛ぶことです。内容の信憑性を高めるには、公表された情報には発信者の意図に沿って偏っている可能性が高いので(同じテーマでアンケートを採っても、集団的自衛権に対する新聞社の調査結果のように、訊き方で全く真逆の結論になることもある)、池上彰さんのように複数の情報で検証することが大切です。正しい思考には、正しい判断が必要です。その前提として、正しく情報を受け入れること(人間は煩悩に毒された心を通して見聞きするので、自分の都合のよいようにしか見聞きしないので難しい)が必要になります。そして、その思考結果を正しく伝えることができなければ人は動かず、何も思考しなかったのと同じことになります。つまり、思考技術とは、情報をあるがままに正しくインプットして、その情報の本質を捉えて正しく判断し、状況に合わせた最適の対応策を考え、その情報を正しく伝えることに尽きます。これは、ある意味では情報処理そのものであり、コミュニケーションそのものです。ですから、思考力とコミュニケーション力は表裏一体といえます。
2014.10.18
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人を惹きつけるものはただ一つ イキイキとしていること蝶は花にとまり、ハエは腐った物に集まります。人間関係も同じで、蝶のように華麗な人材は、花のように夢があってイキイキとしている人のもとに集まるものです。ある零細企業の社長が、「うちは零細企業だから、人材が全く集まらないんですよ。来るのは落ちこぼれ寸前のダメな奴ばかり」と息巻く。会社がダメなのは、ダメな奴ばかりしか集まらないから、つまりダメな社員のせいだというわけです。本当にそうなのでしょうか?・なぜ見所のある人材がこなくて、ダメな連中ばかりが集まってくるのでしょうか? それは、優秀な人を引きつける魅力がないからです。・その魅力を創り出すのは誰なのでしょうか? 人を引きつける魅力を創り出せない経営者自身の責任で、自分自身が腐っているからハエが集まるのです。個人に置き換えても、そのままいえることです。
2014.10.18
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多くの人は、分析する時間を惜しんで、原因が数個も思い浮かべば「これだ」と決めつけて直ぐに解決策を考えがちです。(政府の少子化問題も同じ)でも、自分の思い込みに縛られると誤認逮捕が起きるように、問題解決でも真の課題を見誤りかねません。すると、モグラ叩きや病巣の転移のように、同じような問題がまた形を変えて、あちらこちらで再発することになります。医者は、病名や病巣を特定するために様々な検査に時間を掛け、カンファランスで議論を重ねます。それに比べれば、手術は比べものにならないほど短時間で済みます。問題分析は、実は最も生産的な時間なのです。私がコンサルティングを請け負う場合でも、検討時間の三分の一(事前の関連部署や取引先などへのヒヤリング時間を入れれば半分)を掛けて徹底的に原因を分析します。原因を拾い集め、体系的に組み立てていく作業は、自動車を部品単位まで分解したもの(問題点)を、もう一度部位毎(中間インデックス)に組み立て、最終的に完成車を造り上げるようなものです。小さな部品が一個足りなくても、欠陥車になってしまいます。勉強会やコンサル現場、政治家などの答弁を見ても、思いつきや「これ」と思い込みから決めつけた原因を幾つか挙げるだけで満足し、効果も不確かな対策をとるので、成果が今一つというのが現実です。正しい判断をするには、物事を多面的に広く、しかも深く見ることが大切です。「偏らない心、こだわらない心、とらわれない心、広く、広くもっと広く、これが般若心経空の心なり」と教わったが、まさにこの通りです。それには、桃太郎を見習うことです。桃太郎は、何故キジと猿と犬を連れていると思いますか? まず、キジが空高くから全体を捉えて焦点を定めます。次には、猿が絞り込んだ地点の木や屋根の上に登って詳しく調べます。最後は、犬が地面に足を付けて警戒しながら攻め込みます。この要領が大切です。背景認識を確りと行い、思考の拡大、集束を繰り返して、本当の問題点を炙り出すことができれば、問題は半分以上は解決したのも同然です。大部分の人は、夢や志、ありたい姿にしろ、理想と現実のギャップとして認識される問題や課題にしろ、点かせいぜい線で描く程度だが、面で描くことが大切です。そしないと、木を見て森を見ずになってしまいます。それらを、ありありと目の前に浮かぶように、しかもカラーで描くことが出来れば、問題はほとんど解決したようなものです。後(解決策)は、人の知恵を借りることもできます。
2014.10.17
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信用というものの下限は安心感で上限は期待感である ヨーカ堂創業者伊藤雅俊「お客様が店に来て下さるのは、値段が安いと言うことだけではない。信用を買いに来て下さるのだ。信用というものの下限は安心感で、上限は期待感です。これをもっと良くわきまえていないと、お客様を逃してしまう」というのが伊藤さんの商売哲学です。人間関係において信頼ほど大切なことはないが、「言ったことは必ず実行する」「実行できないことは言わない」が信用を得るための第一条件で、その積み重ねが信頼になります。そうやって積み重ねた信頼も、相手に心配を掛けたり、迷惑をかけたりすれば一瞬に失います。ソニーの盛田さんは、「信用とは商品の品質に尽きる。“万一故障してもアフターサービスが完備している”ということでは安心して買ってくれない」と言っています。また、「お客様にとって新鮮な価値を提供し続ける」ことができなければ顧客は去るので、期待感も大切です。
2014.10.17
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問題解決とは、「背景や事実を知る→及ぼす影響を知る→真因を知る→課題とありたい姿を明確にする→特定解を考える→確実に実行する→成果を保証する」というプロセスを踏むが、「何を課題とするか」で5割、その課題を「どんなコンセプトで解決するか」で成果の8割は決まるように思います。ところが、私たちは問題分析を疎かにする傾向があります。事件の解決には、警察も裁判でも事実検証に時間が掛かるように、問題分析に時間をかける必要があります。ここを疎かにすると、誤認逮捕や冤罪事件が起きるように、問題解決においても真の課題を見誤り、あまり成果は期待できません。日本人の思考には何かと情が絡み、白黒をハッキリさせない傾向があります。とかく、個がない、内と外の表現が違う、謙譲や謙虚の美徳、場や空気を読んでの意志決定、物事の受け身的発想、自立より甘え、以心伝心、言葉の明確さより情緒的で曖昧な表現、対立より中庸、人間関係での和の重視、根回し、歩みより、リーダーは調整役、政治の二重権力構造など、何事にも島国独特の情が絡んでくるので、海外から誤解されたり、理解されずに浮いてしまいがちです。問題分析には、情を排した論理的な思考が大切です。そして、その影響度をシビアに判断することです。貴方にも、次のような傾向はありませんか?・深く考えず、一面的な見方や思いつきや、効果が曖昧な総花思考が多い。・長々と状況や理由を述べ、最後まで結論が分からないことが多い。・よく知らないことでも、深く考えたり調べることもなく、無条件に賛成したり、逆に反対派を封殺したり、無条件に反論したり、叩いたり、潰そうとする。・根本から考えることもないので、同じような問題が何度も蒸し返される。 集団的自衛権行使に関する議論について作家の橋本治さんが、「説明する側だけの一方的な説明だけで、自分の思うことだけを話して議論は終了したことにしてしまうので、議論はそのままになっている。日本人は、議論する能力や議論として成り立っているかどうかを判断する力を失ってしまった」と手厳しい。大切なのは、一方的に伝える自分志向ではなく、受信を助ける相手志向です。また、橋下大阪市長の慰安婦発言でも、「戦争中は何処の国でもしていること」と、白の中に黒を置くと目立つので、グレーの中に置いて目立たなくする議論も多い。これでは、問題が根本的に解決することはありません。何事も深く考え、真っ正面から議論し、自律的に実行するようにしたいものです。
2014.10.16
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アイデアは一心に求めてさえいれば必ず生まれる チャップリン知恵の勝負の時代になったが、情報社会の今日、情報=知識はあり余っているのに知恵が足りません。絶えず問題意識を持って求めている人には、誰もが気づかずに通り過ぎていく現象の中にさえも、創造性を刺激する偶然の出来事が飛び込んでくるものです。例えば、リンゴが落ちるのを見てニュートンは万有引力の法則に、沸騰した湯が鉄瓶の蓋を持ち上げるのを見てワットは蒸気機関車の発明に結びつけたのは有名な話です。それは誰もが見ている風景だが、問題意識がなければ気づかずに通り過ぎていく風景にすぎません。良いアイデアを捻り出すために必要なのは、すぐに結果を求めてある程度の解で妥協することなく、徹底的に掘り下げる執念です。勝負は、「これでよし」とする解が出てからの先にあります。そこで立ち止まらずに、「これで完全だろうか?」とさらに一歩掘り下げることです。
2014.10.16
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規模に関係なく「続く会社」が良い会社だと思うが、それには利益を上げ続ける必要があります。そのためには、絶えず適正な売上の確保と、利益創出のための課題を自ら創りだし、解決し続けなければなりません。経営の安定は、お客様のニーズに応え続けることによって可能になります。ところが、ニーズというのが厄介な代物で、TPOに合わせて多様な上に、時の流れとともに変化し続けます。企業は、そういう不安定な要素と常に対決し、それに応え続けていかないと安定は確保できません。こんな不安定な要望に応じ続けるには、顧客の本当のニーズ、期待、不満などを読み取り、新たな製品やサービスを市場に送り出すためのイノベーションと、その効率化を永続的に繰り返すための智慧を磨き続ける必要があります。永続性は、そうやって人々がより高い水準に向かって努力し変革し続ける場合にのみ可能になります。現状の枠組みの中で一歩一歩持続的に向上さていく改善改良と、一足飛びに飛躍して全く新しいものを創り出すイノベーションでは、必要なスキルの質は全く違います。改善改良に必要なのは、目先にあるものをコツコツと皆で日々改善を積み重ねていく分析的アプローチです。本格的なイノベーションには、斬新で壮大なコンセプトや課題を掲げてゼロから新たな物を創り出す演繹的アプローチが必要です。日本人は、一般的には後者は苦手なように思います。創業から成長、成熟、衰退へと一直線に向かう運命を避けるためには、この二つの問題解決手法を駆使して、何時までも「成長→再生」を繰り返し続けなければなりません。規模の大小に関係なく時代を超えて成長している会社に共通するのは、「変わらない理念」を羅針盤として守りながら、「終わりなき革新」を日々積み重ねていることです。時代を超えて頑なに守り抜く理念や原理原則を羅針盤に、日々革新を続けるしかありません。変化こそが生きている証です。問題解決は、何も会社だけではありません。人生の途上で様々な問題に遭遇し、解決法も思い浮かばずに立ち止まることがしばしばあります。明るく、楽しく、力強く生き抜いていくためには、時代を見極める情報感度を高めるとともに、状況に応じた最適解を考えるための思考技術を磨く必要があります。企業も個人も若々しくあり続けるためには、永遠に自己革新ができるか否かにかかっています。永遠のアンチエイジングのための課題解決、これは生物が生き続けていく上での基本であり、それこそが「生き抜く力」といえます。
2014.10.15
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すてきなものは みなただなの笑顔も優しい心も 黒柳朝(徹子さんの母)一休宗純の師嫌翁は、「よく心せよ。感情の荒れた者の中には『こころ』はない。生きておる人間は優しい心根を失ってはならない」と宗純を諭したそうです。その他に、微笑み、感謝の言葉などみなただですね。微笑は、いつも人の心を和ましてくれます。微笑みは、心の修行ができて初めて出るもの。赤ちゃんを見つめていると自然と優しい心になってくるが、あの無心な笑顔を思い浮かべて、笑顔の練習をしてみてください。「ありがとう」と感謝の気持ちを口に出すことで、相手を思いやる優しい心が自然と育ちます。「ありがとう」「すみません」という言葉を聞くことが少なくなってきたが、それは人に対する思いやりが薄れてきた証拠です。金や財は、分けたり使えば減ります。しかし、優しい心や、労りの心、慈悲の心などは、与えれば与えるほど、人の心に温かい灯をともし、増殖しいきます。
2014.10.15
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社会人へのアンケートによれば、基礎学力や専門知識以上に、コミュニケーション力や実行力、主体性・積極性、問題解決力、人間関係力などが必要との指摘が多く、とくにコミュニケーション能力は多様な人々とのチームワークにより新しい価値を創出する際に必要な能力として重視しています。「社会人基礎力に関する研究会」の報告では、求められる能力として次の点を挙げています。●前に踏み出す力=主体性・働きかける力・実行力(2.55)何事も出ようが大切で、初めの一歩は道の半ばにも当たります。試行錯誤しながら、主体的かつ積極的に一歩前に踏み出す行動力が求められます。●考え抜く力=課題発見力・計画力・創造力(1.79)商品開発や販売、生産、間接部門にしろ、仕事とは何らかの問題解決にほかなりません。ですから、問題解決力が無ければ職場で輝くことはできません。問題を解決し、物事を改善していくために、常に高い理想からくる問題意識を持ち、課題を創っていく姿勢が求められます。その課題を解決するための方法やプロセスを体得して、納得いくまで特定解を考え抜くことが大切です。●チームで働く力=発信力・傾聴力・柔軟性・状況把握力・規律性・ストレスコントロール力(1.76) 仕事の専門化や細分化が進展しており、個人として、また組織としての付加価値を創り出すためには、多様な人との協働が求められます。それには、自分の意見を的確に伝え、意見や立場の異なるメンバーも尊重した上で、目標に向けて協力する必要があります。とくに若手に不足する力としては、1位「前に踏み出す力」(2.36)、2位「考え抜く力」(2.29)、3位「チームで働く力」(1.37)となっており、前に踏み出す力や考え抜く力の不足が指摘されています。職種別に細かく見てみると、事務職では課題発見力・計画力・規律性、企画職では創造力・主体性・課題発見力、営業職では実行力・主体性・状況把握力が、技術・研究職では実行力・課題発見力・創造力の順で重視されています。つまり、自ら課題を発見し、その解決のために創造力を発揮し、主体的に行動することが求められていると言えます。それが、生きる力ともいえます。企業規模によっても多少の差はあるが、中小企業は大企業のように仕事が細分化されていないので、1人1人が柔軟に対応して様々な仕事をこなしていく必要性が高く、自立型人材の必要性が大企業よりむしろ大きいといえます。
2014.10.14
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希望を発見することの上手な人は生活の上手な人である。希望というのは大きなものである必要はない。 宇野千代患者がどんな困難な状況であろうとも、医者だけでなく看護婦も他のスタッフも一様に与えることができる良薬があります。それは『希望』と言う名の薬です。希望という薬には禁忌がなく、すべての病気のあらゆる経過中に処方できます。薬の効用を増すと同時に、患者の自然治癒力を高めます。過剰投与の危険性もない。それどころか、患者の持つ希望は、たいてい治療者の抱く希望よりも大きいものであり、治療者はどんなに大量の希望を投与しても、投与しすぎることはありません。針の穴のような小さな希望でも見逃してはならなりません。今日生きる、明日生きる、小さな糧といえるものを自分の中に発見して、上手に人にも差し上げることができる人が生き上手な人です。希望という薬は、病人だけでなく、あらゆる人をイキイキとさせる妙薬です。
2014.10.14
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人生は旅、それも唯一の正解などない1冊の問題集を解き続ける旅とも言えます。美空ひばり「川の流れのように」ではないが、平坦な道ばかりでなく、地図もないデコボコ道や曲がりくねった道、ときには胸突き八丁の峠道や雪山が待ち受けていることもあります。途中で絶壁に阻まれたり、落石や噴火に起き混まれてケガをしたり、ときには命を失うことさえあります。そんな厳しい人生の旅を力強く幸せに生き抜くには、どんな力=スキルが必要でしょうか?仕事というのも、何らかの問題解決のお手伝いすることに尽きるから、まず問題解決力が無ければ輝くことはできません。それには、まずお客様の話を正しく聞く(情報収集)必要があります。その上で特定解を考え、それを相手に巧く伝えて説得できなければ効果はでません。それらは、コミュニケーション力そのものともいえます。つまり、問題解決とコミュニケーションは表裏の関係で、その根幹となるコミュニケーション力は生きる力の源泉とも言えます。ただでさえ難しいコミュニケーションが、多樣な価値観や文化、言語を持った異質の人達の集まりであるグローバル社会になって、「あ・ん」の呼吸は通じず、異質で多様な情報を的確に収集し、論理的に分析して全体像を把握し、その対応策を戦略的に考え、的確に伝えて共通理解をはからなければなりません。そのような多様な人と共に理解しあうには、言語能力だけで済む問題ではありません。EQ力が深く関わり、異質のものに対する柔軟性、多様な文化に対する許容度が問われます。つまり、良好な人間関係を築く力が大切になります。世の中で大成するには、能力や努力だけではダメで、松下幸之助は運が9割と言っていました。運とは単なる僥倖ではなく、一つは人との出会い=縁(人間関係)から「これやってみない」などと開けてくる仕事の切っ掛けです。もう一つは、出会いから生まれる協力者です。良い仕事をするには、人の協力とチームワークは欠かせません。そんな他力が運と言われるものの正体だが、そのような良い縁を得るためには、良い人間関係を築く力が欠かせません。以上の三つの対象はすべて人間だから、人間の行動の裏にある本質(心理、特に人間の煩悩の実態)の深い理解は欠かせません。何事も通常通り順調に廻っている間はIQだけでことは済むが、微妙で難しい局面に立たされたときには人間に対する深い洞察と自らの人間性が試されます。IQ力は比較的簡単に身につけられるが、EQ力は一朝一夕に磨けるものではありません。
2014.10.13
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直感のひらめきはそれを得ようと長い間準備、苦心した者だけに与えられる パストゥル着眼の鋭さや勘の良さは、先天的なものと評価されがちだが、直感の背後にはその人が長い間苦労して体得した経験や知識が凝縮されて初めて発揮されるものです。「刑事の勘」などとよく言われるが、勘というのは、専門分野における経験や知識から推測される「多分、こうであろう」という論理化されていない閃きです。真のプロは、「なぜ、それをするのか」ということを論理的に説明できないにしても、無意識のうちに自分の中では何らかの判断をしています。ある意味では鉄人の技に通じ、鉄人の技は身体が覚えた直感とも言えます。できるだけ勘を排するためには、情報をどう編集し直すかです。知恵とは、情報の分解と再組み立てです。収集した情報を一度分解して本質を把握し、それを新鮮な切り口でもう一度組み立てて仮説を立て、それを素早く実践する中で検証するという行為を繰り返すことです。
2014.10.13
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知識と知恵は違います。仏教では、分別的な智(知識=情報)を若那といい、 修業を通して物事そのものを体験的に悟る智(智慧)を般若といいます。智とは因果を知ることであり、慧とは物事そのものを体験的に知ることです。「知る」と一言で言っても、そのレベルはピンからキリまであります。お釈迦様は、示(頭で分かること=理解)、勧(実践を通して心から納得すること)、証(実際に身につくこと)の三段階があると言いました。知識を得ることは、勉強すれば誰にでもできます。でも、それを確実に実践するとなると大変です。芸事や武芸などの世界では「守破離」という言葉があるが(「守」とは、師に教えられたことを正しく守りつつ修行してしっかりと身につけること。「破」とは、師に教えられしっかり身につけたことを自らの特性に合うように修行して自らの境地を見つけること。「離」とは、それらの段階を通り越して何物にもとらわれない境地)、単に知識として理解するだけでなく、せめて知識を実践して身に付け、自分なりに柔軟に応用できる「破」の境地までは高めたいものです。もう一つ大切なことは、インストラクター的な知力ではなく、コンサルタント的な知力を身に付けて欲しいと思います。インストラクター的な知力とは、いわばゴルフにおけるゴルフクラブ=手法の使い方をセオリー通りに覚えることです。コンサルタント的知力とは、コースをどう攻めるかを考え、状況に応じてクラブ=手法を使い分け、良いスコア=成果をあげることです。前者は手法の体得そのものが目的だが、後者では手法は結果を出すための手段に過ぎません。そのためには、次の3点が大切です。1.多くの知識や経験があること(インプット) 頭で理解するだけでなく、現場で実践することを通して体得することが大切。2.多くの知識や経験をうまく整理する能力があること(プロセス) 知識や経験を組み合わせ、現実の場に応用できる先見情報にすることが大切。 Ex コーチングを勉強してコーチングを語るだけではダメ3.整理された知識・経験をうまく発信する能力があること(アウトプット) 社会人の勉強は、アウトプットを前提としてインプットすべきだと思います。 発信することによって、指摘されたりして自分の未熟さが初めて分かります。体得したら、人に教えてみるのもいいでしょう。人に教えるには様々なバリエーションが必要で、何倍(最低100倍位)もの努力が必要です。
2014.10.12
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知は難きにあらずこれを処するは則ち難し 『韓非子』武公は娘を胡王に嫁がせたうえ、「戦争をしたいがどこが良いか」と大臣に問い、思惑通りに「胡を攻めるべきだ」と答えさせ、「娘を嫁がせた国を攻めるとは何事か」と処罰してすっかり信頼させ、胡が備えを解いたスキを狙って攻め滅ぼした古事を例に、「情報を収集するのはそれほど難しいことではない。難しいのは入手した情報をどう評価し活用するかである」と説いたが、雑多な情報が氾濫する今日の方が意味を持つ教訓ともいえます。元CIA長官のコルビーは、CIAにおいて収集する情報の95%は公開情報であるが、何気ないバラバラの情報を統合、分析して一点に集中することによって、秘密とされている真相が浮かび上がってくると言っています。寄せ集めの雑多な情報であるインフォメーションを、いかに特定の目的に使用できる情報にまで加工してインテリジェンスにするかが問われます。
2014.10.12
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その昔、ある山師は、掘っても、掘っても鉱脈にぶち当たらないので諦めて次の場所に移動していった。後を受け継いだ人が、少し掘り進むと鉱脈にぶち当たったという話があります。仕事も同じで、いつ真理にぶち当たるかも知れないが、脇目もふらずに脚下照顧、事上錬磨を重ねることです。すると、その場になくてはならない一隅を照らす人になれる確率が高まるはずです。また、一つのことを深く追求して得た真理は、例えば植木屋の木を育てる心が教育にも通じるように、他の分野のことにもあてはまることが多いものです。何事でも、自分のイメージ通りにできないと面白くありません。それには、まずスキルを磨く必要があります。それは地味で苦しいことだが、有森裕子が「楽しいというのは、苦しんで、苦しんで最後に出てくる言葉だと思う。下手をすると楽をすること、苦しさから逃げることを楽しいと勘違いすることがある。マラソンで苦しいときは、『生きているからこそ苦しめる』そう思って走りました」と語るように、仕事を楽しむためにも日々の辛い努力が必要です。不平不満を愚痴の種にするだけで止まるか、そこから抜け出して新たなエネルギーに変えていくか、この一歩の差がやがては千歩、万歩の差になります。一生の中で「やりたいこと」をやれる割合など少なく、「やりたくない、面白くないこと」の割合の方が多いかもしれません。でも、「嫌だ」と思えば思うほど、苦しさばかりがドンドンと募ってきます。そこで、逃げ道を断ち、一生懸命に工夫しながら目の前の仕事に打ち込んでみることです。郵便局勤めのA子さんは、窓口での単純作業の繰り返しが嫌になり、司書になろうと通信教育を受け始めたが続かない。転職を諦め、毎日が楽しくない原因を考えてみた。事務手続を機械的にこなしているだけの自分を反省し、お客様に笑顔で接し積極的に声を掛けることにした。するとお客様からの相談も増えてきて窓口に座るのが楽しくなり、研修にも身が入るようなってきたという。人は誰でも、少しでも人のために役立っていると思えば、やり甲斐も出てくるし楽しいものです。実は、仕事を通して人を楽しませたり喜ばせたりすることによって、自分自身も楽しませてもらっているのです。労働が生活の手段となり、労働対価として給料をもらうという考えでは、労働は苦痛となるだけです。心ある仕事とは、相手を思うチョットとした心の込め方の問題で、このチョットが欠けたら金儲けだけの仕事になってしまいます。
2014.10.11
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英雄とは自分のできることをした人であるこれに対して凡人は自分にできることをせずできもしないことをしようとする ロマン・ロランロマンは大河小説の先駆者ともいえ、ベートーベンをモデルにしたという「ジャン・クリストフ」や「魅せられた魂」などを書いているが、彼の言う英雄とは、自分の方向性をしっかりと見定め、最大限の努力をたゆまず持続させた人を指します。英雄と言われた人達の華やかで大きな成果も、もとをただせば平凡な行為の積み重ねと不断に最大限の努力を重ねた結果に過ぎません。これに対して凡人は、華やかに見えるものを見つけると、成功者の表の顔だけを見て羨ましがり、自分もなりたいと思うが、往々にしてその裏にある人には言えない不断の努力の積み重ねを嫌います。トーマス・エジソンも「天才的な発明家であっても、霊感は全体の1パーセントにすぎない。残りの99パーセントは汗の成果だ」と言っているように、天才たちの最も優れた点は、その熱中ぶりと集中力にあります。
2014.10.11
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IQが高いとか資格や肩書があることと、「本当に仕事ができる」こととは別物です。一隅を照らす、その場になくてはならない一流のプロになることです。まず高い理想や志を掲げて、自ら「課題を創り、特定解を考え、迅速に決断して行動を起こし、執念深く実践し続けて確実に成果を出してみせる」成果を保証する自律的な人である必要があります。その結果、信用度も高まります。それには、仕事の本質をしっかりと分かっていることが前提です。そして、フレキシブルな発想ができることも大切です。また、1人の力には限界があるので、他力を得るための信頼と高いEQ度も求められます。もう一つは、「お客様にとって新鮮な価値を、絶えず提供し続けて、お客様を喜ばせ、付加価値を高める人」つまり、慈悲の実践人の人であることです。日本デジタルインクルップメントの渡辺邦昭さんは、IBMに就職して1年間に及ぶ研修を同期800人のトップで終えて営業に配属されたが、自分より成績の悪かった同僚がドンドン成績をあげるなかで一台も売れずに焦ったそうです。そのとき、相手の事情や経営環境を一切考えずに、コンピュータを使わずに効率的な経営ができるはずがない、という売る側の論理だけで行動している自分に気づいた。そこで、営業先の悩みや相談を真剣に聞くことと、できる限りの情報を集めて相手の立場を理解するように努めた。すると、次々とお客様が開拓できるようななり、成績もトップグループになったと言います。仕事の原点は、いつもお客様の心になりきり、相手の為になることを考えることです。その結果、相手の喜ぶ顔を見て、それを自分の喜びとすることです。その気持さえ忘れなければ、あなたは必ず一流のプロになれるはずです。結局、仕事とは慈悲喜捨の実践です。「慈=人を楽しませてあげたい、楽にしてあげたいと願う心」、「悲=人の苦を取り除いてあげたい、和らげてあげたいと願う心」、つまり「利他」の心です。そして、その結果としてお客様に喜んで戴けば、喜ばせた人の数だけ自分も楽しくなります。それが喜捨の心です。喜捨の心の神髄は、「してあげたのに」と恩着せがましく思わず、させて戴く機会を得たことを自らの喜びとするところにあります。私たちは自愛(自分ほど可愛い者はいない)と我欲(自分がまず良い目をみたい)の塊です。本性のままに、愛欲に凝り固まっていては本物のプロになることはできません。まず、慈悲の心を持って相手の喜ぶことを一生懸命に考え実践することです。
2014.10.10
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自分を治め得ぬ人は人を治めることはできない人の上に立つ人は、自分を治め、自分を管理するように努めなければなりません。この自己管理ができて初めて、部下を自主的な行動と判断できる人材に育て上げることが可能となり、部下への権限委譲もできて、指導者として大局的な見地から管理していけるようになります。論語に、「其の身正しければ令せずして行われ、其の身正しいからざれば令すと雖も従わず」とあるように、口先や権力、利益だけでは人は動きません。その人の日常の言行一致を見て納得したとき、人は人の目の届かないところでも一生懸命に働きます。将の条件として統率力・先見性・決断力・実行力などがあるが、これらも『人をモチベートさせる力』があって初めて効果を発揮できます。自分を治め律することができず、自分の利益だけを事業の目的とするなら、たとえ数人の部下でもモチベートさせることは不可能です。
2014.10.10
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ビジネスは、「お客様にとって新鮮な価値を絶えず提供し続ける」ことによってお客様に喜んで戴き、その満足の代償として代価を支払って戴くことによって成り立っています。つまり、ビジネスマンとはお客様を喜ばせることが仕事であり、それを通して会社を儲けさせ、その結果として自らも満足する収入を得る人と言えます。自分の生活の糧は、お金を支払って下さるお客様からもたらされます。お客様に喜んでもらう、それ以外に仕事の目的はありません。ところが、日本の企業ではその意識が希薄なように思います。マーケティングの権威コトラー教授は、マーケティングとは「企業の業績向上と顧客の満足の創造によって、人々の生活の改善を目指す学問」と定義するが、2014年マーケティング世界大会で、「日本はマーケティングの後進国なのか」と厳しい企業評をしました。つまり、顧客志向でないという訳です。・日本の技術は優秀で、90年代くらいまでは高機能、高性能だけで売れ、マーケティングは軽視されてきた。その成功体験から抜け出せていない。・現代は機能や性能だけで差別化するのは難しく、顧客が何を望んでいるかを踏まえて、新しい生活様式や感動を提案する必要があるが、その視点がない。顧客視点で成功した例として、こんなのもあります。・P&Gの紙おむつパンパースは、高い吸水性を強調したが効果がなかった。そこで、赤ちゃんの眠りが深くなり、夜泣きが減ると伝えると売上が増えた。・ネスレ日本は、コーヒーマシンを無償でオフイスに配り、コーヒーを定期的に購入してもらうビジネスモデルで成功したが、その成功理由はマシンの周りで新しいコミュニケーションが広がったという点にあったそうです。結局、これからの厳しい時代を生き抜いていく「辞めてもらっては困る人」と言われるプロビジネスマンとは、年齢や学歴、労働時間には関係なく、・それぞれの持ち場で自分の役割を良く心得てお客様を喜ばせ・それによって社外にある収益機会を上手く取り込むことのできる人ということになります。間接部門であろうと、必ず対象者は有り同じです。本物のプロは、お客様をワクワクさせることを何時も考えています。その点、元読売巨人軍の長嶋茂雄選手は本物のプロだったと思います。「3割打者だって7割は失敗する。その時にどうしたらお客さんが喜んでくれるか、プロだったら研究しなきゃ。一生に一度しか球場に来ない人だっているんだから、手抜きなんてできない。その人のために、俺のすべてを出すんだ」と言い、空振りをして膝をつき、少し大きめのヘルメットを被って美しく空中に飛ぶように鏡の前で何度も練習を重ねて華麗な三振ぶりを見せてくれました。「お客さんは、打つときだけを見に来るのではない。守備でも入場料の半分はお返ししなければいけない」とも言い、三塁ゴロがくるとパッと走ってボールを取り、右手にボールを持つと後ろに振りかざし、そのまま直ぐにボールを投げるのではなく、トントンと二,三歩ステップしてから一塁に投げる。これは、歌舞伎の見せ所である六方(花道などで見せる見得)からヒントを得たという。一塁の王も心得たもので、ボールを捕るか捕らないうちにベースから足をサッと放して、オーバーなアクションでボールを内野に廻す。凡ゴロも、こうした味付けによって素晴らしいシーンに変貌し、観客が湧きます。あなたは、それだけお客様を意識して仕事をしていますか?仕事の直接の対象者を始め、あなたの仕事の影響を受ける上司や部下、他部門の人、ラインの下流の人など、沢山のお客様がいます。最高の仕事とは、そんなお客様の要望にピッタリ合い、なおかつ新鮮なことです。
2014.10.09
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人間は十人十色ではなく夢のある奴とそうでない奴の二種類しかない不満を言う人はもっと面白い場面や場所があるのにこれを探そうとしない横着者だ夢の有無だけでなく、夢はあっても、夢に向かって果敢に踏み出す人と、躊躇して踏み出せない人がいます。宇宙飛行士募集を知って、慶応病院心臓外科医だった内藤千秋さんは「凄い。宇宙から地球が見られるんだ。きっと素敵だろうな」と後先も考えずに応募した。同僚で病理医の向井万起男さんも応募を考えたが、収入や将来のことなどを考えて躊躇し断念した。多くの人は、向井さんのように躊躇して夢を諦めることになりがちです。大リーグ初挑戦の野茂英雄投手に未だ勝ち星がないとき、ケンタッキーダービーで敗退した武豊騎手が訪れ、「僕だって来たから負けたんです。来なくては負けることもできないんです。野茂さんだってここに来て投げたから打たれたんです。投げない人は打たれませんよ」と激励した。一歩を踏み出さなければ、失敗もない代わりに成功も感動もありません。踏み出す勇気が大切です。
2014.10.09
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これは、私の原稿「社会人として生き抜く力を育む」(千頁余 出版未定)から、勉強会で短い時間のためにピンポイントで要点を述べたモノです。1ヶ月ばかり掛けてポイントだけ書いていきます。国際アンデルセン賞作家賞を受けた上橋菜穂子さんが、「他者の気持ちに寄り添って歩み、読み終えた時は読みはじめた時と少し違う場所に立っている。そういう物語を書きたい」と挨拶されたが、私も何時も「たった1羽の小鳥を癒しなば我が人生に悔い無し」(ディッケンソン)と、一人でも良いからそうあって欲しいと願ってブログや本を書き、セミナーや講演に臨んでいます。物造りの時代からソフト化、サービス化の時代になり、一人当たりの労働生産性格差が大きくなってきました。ライン生産の場合は人による生産性格差はなく、1人で作業する場合でもせいぜい倍の格差程度です。だから、時間給で良かったわけです。現在では、期間工や派遣社員などで賄われています。他方、サービス化、ソフト化社会ではどうでしょうか。新幹線の社内販売をとっても、何も考えない人と、考えながら売る人とでは売上に4倍の差がつきます。ある自然化粧品会社の社長は、販売店(社員一人とパート)では笑顔の良し悪し一つで8倍の差(半額と4倍)がつくと言います。各種ソフトの世界では、才能がなければ幾ら時間を掛けても無理で、無限大の差がつきます。どんな世界でも[アマ:プロ:トッププロ]の差は大きく、これからの時代は、どんな職業であろうと、「これなら私に任せて下さい」と言い切れるだけの、世界に通用する一流の『専門性をもったプロ』が求められています。では、サラリーマンの世界ではどうでしょうか? 成果主義とは言っても評価はシビアではなく、例え二流三流であっても給料に大差はありません。だから、プロ意識に欠ける人が多いが、何をやらせてもそつなく80点は取れるという一流半の人材ばかりでは、絶対に世界で一流の会社にはなりえず、グローバル化の時代に生き残ることは難しいと思います。会社は社員で成り立っているわけだから、一流のエキスパートのいない会社が、一流の会社になることは絶対にありえません。それも、この頃のようなグローバル化社会では、日本だけに通用するというのではほとんど意味がなく、ましてや会社の中での専門性では社外では使いものになりません。だから、現代では、どんなに狭い分野でも良いから「これなら絶対に百点取れる」という人材、しかも社内だけでなく、世界で通用する人材が求められています。どこに出しても通用する、一流のプロとしてのスキルを身につけることが求められています。会社が社員の面倒を定年までみることが常識ではなくなり、成果主義も当たり前の今日、サラリーマンも自分の責任において高いマーケットプライスのつくスキルを身につけることが急務だと思います。それを怠り、会社にドップリと浸かって、会社の論理や価値観に飼い慣らされていると、潰しがきかなくなる危険性が高まります。いつ会社を放り出されても生きていけるように、自分の専門スキルを極限まで磨きあげることです。
2014.10.08
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人生の時間というものは長さで計れるものじゃない時間×活動の振幅度つまり広さで表されるものなんだ 日産コンツェルン創始者鮎川義介その人生が波瀾万丈であればあるほど、より多くの時間を生きたというわけだが、皇帝ネロに仕え謀判の疑いをかけられ自殺したローマ時代の哲学者セネカも「賢者は常に生命を量からではなく、質から考える」と言いました。量か質かは、その人の価値観によると思います。 医学の進歩につれて、死そのものも複雑化しています。臓器移植で助かり長生きできる人がいる一方で、そのために提供者は脳死を死として前倒しされます。逆に、死を遅らせる延命治療も盛んです。だが、助かる見込みのない延命処置が果たして必要なのか疑問もあります。 私自身は、物理的に命が滅んでも、その生き様が残された人達の心の中で忘れ去られないかぎり、私自身が人の心の中で生き続けていることになるのだから、人の心の中で長く生き続けるような生き方をしたいと念じています。それが、私にとっての長生きだと思っています。
2014.10.08
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「一番伸びるのは、わからないことは正直に『分かりません』と答える社員です」と、世田谷にある出版社『悠飛社』の宇治芳雄代表取締役は言う。宇治さんは常々、「質問に対する答えは、『イエス・ノウ・わかりません』の三種類しかない」と言っているそうです。自分の知識や経験から自信を持って肯定できるときは「イエス」、同様に自信を持って否定できるときには「ノウ」、それ以外はすべて「わかりません」というわけです。これほど複雑になったグローバル社会だから、世の中はわからないことばかりです。それなのに「わかりません」と言うのは恥だと思って、「~だと思います」「~のはずです」と答えがちです。だが、そうやって分かったつもりになっていると、そこで思考が中断してしまって詳しく調べようとしません。その結果、しばしば間違ったことを、正しいものとして頭の中にインプットしてしまいます。勘違いや間違いは、誰にでもあります。問題は、間違えることそのものにあるのではなく、いつまでも間違いに気がつかないでいることです。「わかったつもり」になって、後調べもしないのでは、間違いに気づくはずもありません。「なぜ」と深く追求することもないから、考えが深まることもありません。ノーベル賞詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカさんは、「インスピレーションとは、それが実際何であれ、不断の『私は知らない』から生まれてくる。どんな知識も、自分の中から新たな疑問を生みださなければすぐに死んだものになり、生命を保つのに好都合な温度を失ってしまう」と語るが、何事も一を聞いて十を知ったつもりにならず、「私は知らない」と自分自身に問い続けることが大切です。チョット勉強しただけで、分かったつもりにならないことです。B・ハイマン博士によれば、聞いたことは10%、見たことは20%、見て聴いたことは50%、実際にやったことは70%の学習効果があると言います。 また、いくら口で言って聞かせても最大25%しか伝わらないうえに、1時間たてば44%、1日たてば26%、1カ月間たてば21%しか覚えていないので、元情報の約5%(25%×21%)しか残っていないことになります。だから、学んだことを、体得するま実践を繰り返すこと(1万時間の法則)が大切なのです。あるFB友達の仏師が、「揺るがず、ぶれず、ただ前だけを見つめて自分の進むべき道を淡々と歩く。なかなか難しい。強くならないと」と書いていたが、初心を忘れずに実践し続けるには大変な意志が必要です。
2014.10.07
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人に勝つには相手の技を凌ぐだけ技を磨けばいい自分の心に生じる欲望に勝つのは敵に勝つより難しい 講道館柔道創始者嘉納治五郎「心技体」ということがよく言われるが、技を磨き、身体を鍛えることは努力すればできるが、心を鍛え、人間を鍛えて欲望に勝つことは不可能にちかいことです。「全ては燃えている。熾然として燃え盛っている。そのことを、汝らは知らねばならない」と釈迦は言ったが、燃え盛っているのは私たちの煩悩の炎です。その元は三毒といわれる「貪(トン)・瞋(シン)・癡(チ)」です。私たちは、一つ思いが叶ったからといって満足することはなく、次々とハードルを上げ、目標も増えてきます。これが貪(欲)です。自分の思い通りにならない、バカにされた、相手にされなかったなどどいってすぐに腹を立てる怒りの心が瞋です。癡とは、正しい判断が出来ないで、何かというとすぐ文句ばっかり言う心です。人間とはそんな煩悩の塊だが、いくら欲望を減じよ、執着を断てと言われてもできるものではありません。
2014.10.07
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