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2011.02.27
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“対抗文化”のアイコンは時代の産物に過ぎなかったのか ジェファーソン・エアプレイン(Jefferson Airplane)は、1966年にサン・フランシスコ発のバンドとしてレコード・デビュー。翌67年にはモデル出身のグレース・スリックが加入した本作『シュールリアリスティック・ピロー(Surrealistic Pillow)』をリリースし、一気にブレークした。 彼らの作品の中でもとりわけこのアルバムは、1960年代後半の特異な文化の中で生まれたものである。対抗文化(カウンター・カルチャー)、サイケデリック、フラワー・ムーヴメント、ヒッピー、ヴェトナム戦争…といった用語でひとくくりにされる当時の若者文化の体現者であったというのは、間違いない。しかし、40年以上たった現在から見て、これは過去の文化の断片、つまりはあくまで一時の流行ものに過ぎず、もやは現代的意義はないものと化してしまったのだろうか。 個人的には、半分はそうとも言えなくはないが、残り半分はそうでないように思う。“サマー・オブ・ラヴ”をリアルタイムで経験していない筆者にとっては、『シュールリアリスティック・ピロー』は最初から“あと聴き”の音楽だった。その意味では、今初めてこの音楽を聴く人と大差ないとも言える。そういう聴き手の立場からすると、“ドラッグ”(=フラワー、サイケ)的な部分に関しては、その時代の、早い話が流行の遺物的な響きが伴うのも避けられない。けれども、その一方で、それを超えた普遍的な音楽性や、今の音楽を理解する上での重要な意味といった、いわばプラスの側面もこのアルバムには潜んでいるように感じる。 そういうプラス面の一つは、米国ポップ/ロック界に女性ヴォーカルの存在を確立したという大きな功績である。それは単なる女性シンガーということではなく、バンドの中で男女それぞれのヴォーカルが一つの音楽を形成するという意味において、である。今の時代の耳で聴いても、元々このバンドのヴォーカルの中核を担っていたマーティ・バリン(同じく創設メンバーのポール・カントナ―)、本作から新加入のグレース・スリックの組み合わせは惚れ惚れする。一つのバンドの中に複数の男性ヴォーカルが共存するというのは、ビートルズの例を挙げるまでもなく、ロック界にはごまんとある。元々女性ヴォーカルがいたとはいえ、そういう風な形でヴォーカルが成立していたところへ、グレース・スリックのような力強い女性ヴォーカルを持ってきてこれほど見事にはまった例というのは、なかなかレアであり、大成功だったと思う。 また、これと同時に、ザ・バーズ、ママス&パパス、あるいはボブ・ディランといったフォーク・ロック系のアーティストが積み上げてきたものを、アメリカン・ポップス/ロック界の中で存在し続けられる位置に押し上げているという側面も見逃せない。軽薄なポップではなく、だからといってコアなロックでもなく、しかしありがちなフォーク・ロックというわけでもない。この絶妙なバランス具合は、どの曲にも当てはまるわけではないにせよ、正直聴いていて気持ちいいものだ。 ちなみにこのアルバムからは2.「あなただけを(サムバディ・トゥ・ラヴ)」(全米5位)と10.「ホワイト・ラビット」(同8位)の2曲がヒットし、アルバム自体も全米3位となった。時はビートルズの『サージェント・ペパーズ』がチャート上位を占めていたような時代の話である。ちなみに個人的なフェイバリットは、上述の2.「あなただけを」と6.「恋して行こう(3/5オブ・ア・マイル・イン・10セカンズ)」。 その後、ジェファーソン・エアプレインは1973年まで活動を続けるが、その後はメンバーが離れたりひっついたりしながら、ジェファーソン・スターシップ(1974~84年)、スターシップ(1985~90年)、再結成ジェファーソン・エアプレイン(1989年)、新生ジェファーソン・エアプレイン(1992年~)、スターシップ・フィーチャリング・ミッキー・トーマス(1992年~、後にスターシップ・スターリング・ミッキー・トーマスに改名)など複数のバンドが時に同時並行で存在してきた。一時期は名称使用の裁判もあったりして、もはやどれが正統なのかよくわからなくなってしまっている。いや、どれが本流かという議論自体、もはや意味を成さないのだろう。あまりにややこしいので、いずれ機会があれば別の記事としてこの経緯を整理してみたいとも思っている。[収録曲]1. She Has Funny Cars2. Somebody to Love3. My Best Friend4. Today5. Comin' Back to Me6. 3/5 of a Mile in 10 Seconds7. D.C.B.A. -258. How Do You Feel9. Embryonic Journey10. White Rabbit11. Plastic Fantastic Lover1967年リリース。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】シュールリアリスティック・ピロー(Blu-spec CD2) [ ジェファーソン・エアプレイン ] 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011.02.26
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前回のカフェ・タクーバ「ラ・チカ・バンダ(La chica banda)」の動画紹介です。まずは元のビデオクリップから。記事にも書いたように、メキシコらしさ(先住民の羽飾りのようなものが出てくるなど)を随所に織り込んで、なおかつステージでの演奏をイメージさせるものになっています。ちなみに最初にバスから降りてくるのが、詞で歌われている“彼女”という設定です。そしてこちらは上記シングル発表から15年後(つい数年前ですね)のライブ映像。ゼップ福岡での一場面のようです(“en un concierto de Toxic Punk”という詞が“en un concierto en FUKUOKA”となって盛り上がっています)。音質と歌はともかく、観客もステージに上がって、とことんはじけまくっている盛り上がり具合がよくわかります。 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011.02.25
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メキシカン・ミクスチャー・ロックのトップ・バンドの原点 カフェ・タクーバ(正しくはCafé Tacvbaだが、Café Tacubaと綴られることもある)は、メキシコ市郊外のナウカルパンで1989年に結成されたメキシコ人ロック・バンド。カフェ・タクーバという名はメキシコ市中心部に実在する老舗カフェの名前に由来し、あえて古風な綴り(uをvに変更)にしたという。カフェ・タクーバとなる前は、アリシア・ジャ・ノ・ビベ・アキー(Alicia ya no vive aquí)というバンド名でザ・キュアーやデフ・レパードを目指すスタイルの音楽をやっていたらしい。デビュー後は90年代のオルターナティヴ、ミクスチャー、さらにはヒップ・ホップ、エレクトロニカなどポスト・ロックの様々な潮流に乗り、ラテン系バンドの中で揺るぎない地位を確立し、2000年代に入ってからはグラミーを何度も受賞している。 上記の通り結成は1989年だが、デビュー・アルバムをリリースしたのは1992年になってからのこと。セルフタイトルの同デビュー作からのビッグ・ヒット(シングルとしては4枚目)がこの「ラ・チカ・バンダ(La Chica Banda)」である。現地メキシコのラジオでは、ヘビーローテの定番としてすっかり定着しており、頻繁に耳にする有名曲である。 カフェ・タクーバの成功の要因は、上で書いたようなポスト・ロックの時流にうまく乗ったということだけではなかった。それと同時にもう一つ重要な要素がある。それは、メキシコの伝統的音楽要素(マリアッチ、ノルテーニャ、ランチェーラなど)を巧みに取り入れ、スペイン語で歌う詞のテーマにもメキシコ的なものをうまく組み合わせてきた点にある。単にポスト・ロックな潮流で成功するだけなら、メキシコ初のバンドである必然性はないけれども、カフェ・タクーバの登場はこの二つ目の理由からメキシコ発という必然性があったと言えるかもしれない。 この「ラ・チカ・バンダ」という曲は、上の二つ目の要素のうち、詞の部分にもメキシコ的な内容が盛り込まれている。大筋は“イカした女の子の描写”というありきたりなテーマだけれども、その彼女が通う学校(第23中学校)で流行のブーツはメキシコの大手靴ブランド、フレクシ(Flexi)のもの。彼女自身については、父がサン・フアン・チャムーラ出身、母がツィンツンツァン出身で、本人は“大テノチティトラン生まれ”という設定。つまり、父母の出身地はいずれも先住民文化の村として有名で、テノチティトランとはメキシコ市の大昔(アステカ時代)の名称。トサカ・ヘアーの彼女にパンクのコンサートで主人公がコクるというありきたりなテーマの中にも地元性をうまく混ぜ込んだという感じか。 ともあれ、この時期を起点としてカフェ・タクーバはさらなる音楽的実験と地位を確立していった。その意味では、彼らの原点とも言える1曲だろう。[収録アルバム]Café Tacvba / Café Tacvba (1992年)その他、ベスト盤類にも収録。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011.02.24
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代表曲にして名曲を初めから終わりまで通して聴く レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)をよく知らない人でも知っているレッド・ツェッペリンの曲。「天国への階段(Stairway To Heaven)」はこう言ってもいいほどの超有名曲であろう。1971年のアルバム『レッド・ツェッペリンIV』(正式には無題のアルバム)に収録され、アナログ当時はA面を締めくくる曲だった。 8分近い大作で、それゆえ、ラジオなどでは全編通してオン・エアされにくいため、“どこかで聴いた経験がある”場合、必ずしも最初から最後まで通して流れているとは限らないのがこの曲の厄介なところである。また、イントロのアルペジオがあまりに印象的なため、後半のハードロック調の部分が必ずしも見なの印象に残っているとは限らない。長さゆえのジレンマと言ったところか。 そんなわけで、今回は8分近いこの曲を続けて全部聴くとどうかという点に焦点を絞ってみたい。全体として見た場合、この曲は4つのパートから成る。最初のパートは静かなイントロ部分。アコギの美しい12小節の長い序奏と最初のボーカル(4小節×4)からなるパートである。後ろで鳴っているリコーダーの音も印象的。2つめのパートは楽器に工夫が出てきて、伴奏のパターンが変化する。ただしボーカルのメロディーは同じものが継承される。イントロはアコギ中心だったが、この2つめのパートでは12弦エレキギター、エレピが新たなに加わり、印象的なパターンの伴奏を繰り返している。 続く3つめのパートは抒情的な雰囲気を残しながらも次第に盛り上がっていく部分。ちょうどドラムが入ってくるところがその開始の目印。ベースとドラムが追加され、ロックの楽曲らしくなってくる。ボーカルのメロディーは新しいものに変わっているが、第2パートの伴奏のリフは引き続き継承されている。第4パートはハードロック風に大きく曲調が変わり、ギターソロの手前から始まる部分。ボーカルはハードなシャウトとなり、曲の序盤とはかなり違う雰囲気になっている。とはいえ、最初のパートで提示されたコード・パターンが維持され、おそらくはそのために同じ曲というつながりが保たれている。そして、曲の最後は急速にテンポを落とし、ボーカルだけで静かに曲を締め括る。 とまあ、このようにだんだん曲調が変わっていく“組曲”あるいは“変奏曲”的な構成が約8分の中に収められている。全部を劇的に変えることなく、ボーカル・メロディーを続けたり、リフを継承したりという、一部分を変えて発展させながら他の部分は前のパートでやっていたことを繰り返すという細やかな工夫がこの曲の成功の要因ということなのだろう。言い換えると、この「天国への階段」は、偶発的に生まれた名曲なのではなく、しっかりと作り込まれてなるべくしてなった名曲と言えるように思う。[収録アルバム]Led Zeppelin / Led Zeppelin IV(1971年) 【送料無料】レッド・ツェッペリンIV<スタンダード・エディション>/レッド・ツェッペリン[CD]【返品種別A】 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011.02.22
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ブレイク期のボン・ジョヴィによる本邦ファンへのオマージュ ボン・ジョヴィ(Bon Jovi)は、1984年にデビューした米国ニュー・ジャージー出身のロック・バンド。途中ソロ活動の増えた時期もあったものの、現在も元気に活動中の有名バンドである。とはいえ、そんな彼らも、当初はあまり売れなかった。デビュー・アルバムの『夜明けのランナウェイ』は米国よりもむしろ日本、イギリスで売れた。時々あるパターンと言えばそれまでかもしれないが、日本で人気に火がつき、やがて米国でもメジャー・アーティストとしての道を歩むというパターンをたどったバンドの一つがボン・ジョヴィというわけである。 そうしたこともあってか、彼らは日本びいきである。来日回数もとても多いし、今回取り上げた「TOKYOロード(Tokyo Road)」では、もろにその日本の象徴としての“トーキョー”をテーマにしてしまっている。この曲が収められているのは、1985年発表のセカンド作『7800°ファーレンハイト』というアルバム。 イントロはオルゴール音と女性コーラスでの“サクラ~、サクラ~”。英語訛りの日本語発音なところが微笑ましいが、そこは御愛嬌。このバンドが、自分たちのブレークのきっかけを作ってくれた日本のファンへの愛着がよく表れている。しかも、こういう和風メロをロック・アルバムのイントロに強引に持ってきてしまうところが、何とも心憎い。その上、続いて繰り広げられるのが、いかにもアメリカン・ハード・ロックという曲調なのである。 このミスマッチがただのミスマッチに終わらず、以後もみられるボン・ジョヴィ節に仕上がっているところが爽快である。そう言えば、収録アルバムのタイトル(上記の『7800°ファーレンハイト』)に関して、“ロック(=岩)が解けてしまう温度”との説明がされていたように思う。ということは、“サクラ~、サクラ―~”は、バカボンのパパ流に言ってしまえば、“これでいいのだ”。すっきりしたアメリカン・サウンドの象徴みたいな曲をやりながらも、サクラ・イントロあり、トーキョーというテーマ選択あり、すべてOK。実際、この曲を含むセカンド・アルバムの時点では、日本でのセールスがなお先行したが、次のサード作(『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』)で一気に大ブレーク。ボン・ジョヴィはハード・ロックの大衆化を進めつつ、アメリカのトップ・バンドとしての地位を築き上げていくことになった。そんな彼らが、“最初のファンたち”に捧げた心地よいオマージュ、それがこの「TOKYOロード」と言えるのかもしれない。[収録アルバム]Bon Jovi / 7800°Fahrenheit (1985年)Bon Jovi / Greatest Hits (2010年) 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011.02.20
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女性ロック・シンガーという地位確立の立役者のヒット曲 パティ・スミス(Patti Smith)は1970年代半ば、ニューヨークのパンク・ロックのシーンから登場した女性アーティスト。“パンクのゴッドマザー”とも呼ばれ、1975年にアルバム『ホーセス』でデビュー。その後、70年代後半は主にパティ・スミス・グループ名義で活動を続けた。 この「ビコーズ・ザ・ナイト」は、アルバムとしては3枚目の『イースター(Easter)』(1978年リリース、名義はパティ・スミス・グループ)に収録されている。シングルとして全米13位は、これまでの彼女の楽曲中、最大のヒット曲である。そんなわけで、パティ・スミスと言えば、この曲をイメージする人も多いのではないだろうか。 この曲は、米ロック界の“ボス”ことブルース・スプリングスティーンとの共作としても知られる。ちょうどその当時スプリングスティーンが制作中だったアルバム『闇に吠える街(Darkness on the Edge of Town)』のために録音された曲が元になったらしいが、結局そのスプリングスティーンの元の曲はお蔵入り。二人の接点は、パティのアルバム『イースター』のプロデューサーだったジミー・アイオヴィン(この人は後にトム・ぺティやU2などの作品を手掛けることになる)がスプリングスティーンの録音エンジニアでもあったことによって生まれたとされる。 結局、パティ・スミスとB・スプリングスティーン二人の共作として「ビコーズ・ザ・ナイト」は完成した。上記アルバム『イースター』に収録されるとともに、シングルとしてもリリースされたパティ演じる本ヴァージョンは、見事にヒット曲となった。意外なことに、スプリングスティーンの曲としては初めてシングルチャートのトップ20を記録した(それ以前のスプリングスティーンは『明日なき暴走』の成功はあったものの未だ大きなシングルヒットはなかった)。なお、スプリングスティーンはこの曲を自身のアルバムでリリースすることはなく、ライブでのみ取り上げ続けた。やがて10年近く経過してから、ライブ集大成アルバムの『ザ・ライブ(Live 1975-85)』にそのライブ・バージョンがようやく収録された。 パンクをやるのが女というのは、今とは違う当時の時代背景からすれば、パティにとってやりにくい面が多かったことだろう。実際、その当時の他の楽曲と同様、この曲の演奏と歌唱からも“女性らしさ”みたいな部分はまったく感じられない。強いて言えば、この曲(そして彼女の当時の楽曲全般)は“男性的”であり、こうやって突っ張っていくことでしか成功の道はなかったのかもしれない。つまり、パティが非女性的というよりも、 “女性らしさ”を意図的に消していたような気がする。そんなことを考えながらこの曲を聴いていると、当時のパティ・スミスの、ある部分突っ張った生き様もまたパンクでありロックしていたのかな、と思えたりする。[収録アルバム]Patti Smith Group / Easter (1978年)Patti Smith / Land (1975?2002) (2002年、ベスト盤) 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2011.02.18
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2011.02.16
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“ブルー・アイド・ソウル”の成功、70年代後半ヒット曲 ホール&オーツ(Daryl Hall & John Oats)は主に1970年代後半~1980年代半ばにかけて人気を博した米国出身のポップ・デュオ。67年に知り合った二人は、72年にデュオとしてデビューした。R&Bやソウルの要素を取り込んだいわゆるブルー・アイド・ソウルのアーティストとして知られる。 彼らはデビュー後にすぐ大ヒットを放ったという訳ではなかった。石の上にも3年ではないが、デビューから数年間は地道に活動を続け、1976年にようやく初めてシングル・チャートでTOP 10入りを果たす。そのヒットこそがこの「サラ・スマイル」という曲であった。 一言でいえば、ブルー・アイド・ソウル、つまりは“青い目の(白人による)ソウル”、つまりは単なる“ソウル”ではなかったことに成功の要因があると思う。ホール&オーツがうまくいったのは、ソウルな方向性を向いていながらも、どこかに都会的・現代的で、洗練された雰囲気を湛えていたところにあるように感じる。多少強引なのを承知で敢えて喩えるならば、それは、彼らよりずっと以前に見られたブルースロックの成功とダブってすら見える。 そもそも、ブルース・ロックなるジャンル(この定義もいろいろ議論があるだろうけど)は、黒人音楽の要素を取り込んだ白人アーティストたちが、自己流にそれらを消化し、結果的には同じものを作り上げることなく、似て非なるものを作り上げたという点にその最大の特徴があった。ブルース・ロックの潮流よりはだいぶ後の話で、時代背景も違うにせよ、これと似た形で、ブルー・アイド・ソウル、とりわけホール&オーツのそれは、ソウルを志向しながらも、元のものと同じには仕上がらず、(もちろんいい意味で)別のものを作り出すことになった。 あとこれは筆者の個人的思い込みと言えばそれまでなのかもしれないが、この曲にはどこかしら“のどかさ”やら“懐かしさ”といった雰囲気も同居しているように感じる。この後、70年代末から80年代にかけてロックの商業化が急速に進んでいった。その反動として、こちらとしてはついついそれ以前を懐古的に見たくなる。がつがつしていないところがこの曲そして歌唱のよさの一つというのもあながち外れてはいないのではないだろうか、と思ったりもする。[収録アルバム]Daryl Hall & John Oates / Daryl Hall & John Oates (邦題:『サラ・スマイル』、1975年)その他、各種ベスト盤にも収録。 [CD]HALL & OATES ホール&オーツ/VERY BEST OF【輸入盤】 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2011.02.15
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ダイアナ英皇太子妃に捧げたリメイク エルトン・ジョンが1997年に発表したシングル曲。以前から発売を予定していた別の曲(「サムシング・アバウト・ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」)とのカップリングで、両A面(CD時代でもなぜこの言い方が続いているのだろう?)で発表された、言わずと知れたダイアナ元英皇太子妃(ウェールズ大公妃ダイアナ、1997年8月31日死去)への追悼曲である。日本のオリコン・シングル総合チャートでは、国内の曲を押しのけて初登場1位を獲得するという、21年ぶりの快挙も達成している。 周知のように、この曲は70年代の自曲のリメイクである。原曲は1973年発表の2枚組大作『黄昏のレンガ路(Goodbye Yellow Brick Road)』に収録されており、この時点の曲名の邦訳は「風の中の火のように(孤独な歌手、ノーマ・ジーン)」。このタイトルからもわかるように、ノーマ・ジーンことマリリン・モンローを偲ぶ曲だった。 その後、1987年にはライブ音源がシングルとしてリリースされた。こちらの方はアルバムでは『エルトン・スーパー・ライヴ~栄光のモニュメント~(Live in Australia)』に収録されている。このライブ・バージョンは翌88年に全英5位、全米6位のヒットを記録している。 以上のような経緯を持つ原曲は、エルトンのいつもの共作者バーニー・トウピンによってかなりの改変が施され、ダイアナ妃の人生や追悼という内容に合うように書き換えられた。例えば、“Goodbye Norma Jeane, though I never knew you at all(さよなら、ノーマ・ジーン、あなたには一度も会うことがなかったけれど)”という歌い出しは、“Goodbye English rose, may you ever grow in our hearts(さよなら、イギリスの薔薇よ、あなたが私たちの心で生き続けますように)”になっている。この印象的なヴァースだけでも実に印象的な追悼曲になったことが伺える。 結局、このシングル発表の結果、エルトン・ジョンは翌1998年のグラミーにおいて最優秀男性ポップボーカルを受賞した。さらに、2009年には、この曲がギネスブック上で“チャート史上もっとも売れたシングル曲”にも認定されている(余談ながら、それまでに英チャート史上最高売り上げは「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」、またギネスによるとチャート以前の非公式売上No.1はビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」と、いずれもクリスマス曲だとのこと)。[収録盤]Elton John / Something About The Way You Look Tonight/Candle In The Wind 1997 (In loving memory of Diana, Princess of Wales) (1997年、シングル盤) 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011.02.13
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兄弟デュオによるスティーヴィー・ナンバー スティーヴィー・ワンダーの「心の愛(I Just Called To Say I Love You)」を前回記事で取り上げたとくれば、次はこの曲にも言及しなくてはならない。先に書いたように、本来、「心の愛」は「特別な気持ちで」という日本語タイトルでブレッド&バターが自身のアルバムでリリースするはずだった(結局、彼らはカバー・バージョンとして後にこの曲を発表している)。彼らが歌った別のスティーヴィーの曲というのがあって、それがこの「リメンバー・マイ・ラヴ」という曲である。 ブレッド&バターは、岩沢幸矢(さつや)と岩沢二弓(ふゆみ)という茅ヶ崎出身の兄弟のデュオで、60代になった今も現役である。70年代前半から積み上げてきたアルバム・リリースは、ベスト盤を除いても20枚近くあるようだ。余談ながら、弟の二弓さんの方は楽天にオフィシャル・ブログを開いておられる。 さて、前項で書いたように、ブレッド&バターはスティーヴィーから提供された「特別な気持ちで」(後の「心の愛」)を吹き込み、リリースする予定だった。この曲は79年のアルバムに収録予定だったらしく、詞は松任谷由美が担当した。ところがスティーヴィー側から待ったがかかり、いったんこの曲はお蔵入りになってしまう。この一連の経緯が起こったのは1979年リリースとなったアルバムだったというのがミソでもある。 後にスティーヴィーが1984年にサントラ収録曲として「心の愛」を発表し大ヒットさせたたわけだが、そこでスティーヴィーの共同制作者との訴訟が起こる。リー・ギャレット(「涙をとどけて(Signed, Sealed, Delivered I'm Yours)」などの共作者として知られる)が、「心の愛」をパクられたと訴えたのだった。その時にスティーヴィーのオリジナルであることを証明する決め手になったのは、ブレッド&バターのデモテープだったという。おかげでスティーヴィーは勝訴し、スティーヴィーが謝意を込めてあらためてブレッド&バターに贈ったのが「リメンバー・マイ・ラヴ」だとのこと。 ちなみにこの曲もスティーヴィーがタイミング良く自作として出せば、平気でTOP10ヒットになったのではないかというようなシンプルで美しい曲。この手のスティーヴィー・ナンバーは70年代との比較の上でとかく批判されがちだけれど、メロディメイカーとしての実力はやはり相当のものなんだな、とあらためて実感する。NASAから電話がかかってきて宇宙へ旅立っていくという詞のストーリーはどうかとも思うけれど、それでもメロディメイカーという観点での評価は変わらない。もちろん、それをシンプルに美しく作品にしあげたブレッド&バターも見事というべきだろう。[収録盤]ブレッド&バター 『セカンド・セレナーデ』(1984年、CD特別企画盤にボーナストラックとして収録)ブレッド&バター 「Remember My Love」(1986年、アナログシングル盤、B面に日本語バージョンも収録)[関連記事]スティーヴィー・ワンダー 「心の愛(I Just Called To Say I Love You)」 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011.02.12
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80年代スティーヴィーの代表的ヒット曲 スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)の全盛期が1970年代にあったことは間違いないと思う。『トーキング・ブック』(1972年)や『インナー・ヴィジョン』(1973年)、あるいは『キー・オブ・ライフ』(1976年)など、いわゆるクラシック・ピリオドの諸作に勝る作品は、その後も現れていないし、おそらくはこれからも現れないような気がする。 当のスティーヴィーは、1980年代に入り、いい意味でも悪い意味でも、すっかり大物アーティストとしての貫録がついていった。そんな時期に彼が手掛けたサウンドトラック盤に収められ、シングル曲としても大きなヒットを記録したのが、この「心の愛(原題:アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー)」であった。当初は天才少年としてデビューしたスティーヴィーだったが、70年代を迎えて自身の作詞・作曲、セルフ・プロデュースを手掛け、ソングライターとしての経験を積んできたことが糧となって、こういうメロディ・メイカーぶりを発揮することにつながったのだろう。シンプルでありながら美しいメロディの実によくできたラヴ・ソングで、大ヒットも頷ける。 この曲には意外なエピソードもある。というのも、一つ間違えばこの曲はスティーヴィーの大ヒット曲にはなっていなかったかもしれないのだ。そもそも、この曲は、スティーヴィーがかねてから親交のあった日本人兄弟デュオ、ブレッド&バターのために書き下ろしたものであった。本来であれば、ブレッド&バター自身のアルバムに「特別な気持ちで」というタイトルで日本語で歌ったもの(日本語版の詞は松任谷由美)が収録されるはずだったとのこと。ところが、その出来の良さにスティーヴィーのマネージメント側から待ったがかかり、結局は作者であるスティーヴィー自身の作品とするべく、ブレッド&バターの発表がお蔵入りにされることになったらしい。 結果は、周知のように、全米No.1(ビルボード)となったのに加え、スティーヴィーにとって初の全英No.1の大ヒット曲ともなった。しかも映画(『ウーマン・イン・レッド』)のサウンドトラックということで、アカデミー歌曲賞とゴールデングローブ賞・主題歌賞を受賞した。ちなみに4分のシングル・バージョンに比べ、アルバム・バージョンは長く6分を超えている。それから、日本でCMに使用された子どものコーラス入りバージョンというのもあるらしい(筆者もそのCMは見た記憶があるのだが、どんなバージョンだったかまでは記憶にあらず)。 なお、最近では、2009年にマイケル・ジャクソンが亡くなった際、死の数日後にスティーヴィーは詞をかえてこの曲をマイケルに捧げている。[収録アルバム]The Woman In Red (Original Motion Picture Soundtrack) (1984年)←アルバム・バージョンその他、ベスト盤類にも収録 ←主にシングル・バージョン[関連記事]ブレッド&バター「Remember My Love」 【メール便送料無料】スティーヴィー・ワンダーStevie Wonder (Soundtrack) / The Woman In Red (輸入盤CD) (スティーヴィー・ワンダー) 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2011.02.11
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安定したリズムの中に“孤高の天才”を感じる1枚 中期以降のバド・パウエル(Bud Powell)はかつての輝きを失ってしまったとよく言われる。よく知られるように、その理由は、精神的な病に加えアルコールとドラッグでも問題を抱えていたパウエルが半ば強引に電気療法を施され、以降、往時の天才的閃きが見られなくなったというものだ。 バド・パウエルはブルーノートに5枚のアルバムを残した。本盤『タイム・ウェイツ』は “The Amazing Bud Powell Volume 4”とある通り、そのうちの4枚目に当たる。実際のところ、上の出来事以降のパウエルの演奏の輝きにはばらつきが見られる。手っ取り早く言えば、“出来”と“不出来”の差がつき始め、その意味では本盤はどちらかと言うと“不出来”の方に分類されるのかもしれない。 それでもなお、中・後期のバド・パウエルは、某かのきっかけで引っ張りだしてくると数日間は繰り返して聴いてしまう、個人的には不思議な存在である。特にこの作品と次の作品(『ザ・シーン・チェンジズ』、共に1958年ブルーノート録音)にそのパターンが多い。 メンバーはベースにサム・ジョーンズ、ドラムにフィリー・ジョー・ジョーンズという、少し珍しい取り合わせ。サム・ジョーンズは安定感があるし、フィリー・ジョー・ジョーンズのドラムも疾走感があっていい(本作はフィリー・ジョーの好演盤とも言われるらしい)。リズムが安定していると落ち着いて聴けそうなものだが、なぜかこの盤はそうは感じさせない。パウエルのピアノが“孤高”なのである。全盛期のように自信を持って安定したタッチというわけでなく、しかし天才の片鱗はあらゆるところに見られる。安定したベースとドラムの狭間で、必ずしも安定しない天才がもがいている感じがする。このどこかしら不安感のようなものが、不思議な緊張感を生んでいるのかなと思う。 こういう話ばかりすると、演奏面に話題が集中してしまうのだけれども、作曲者という観点から見るとバド・パウエルにとっては画期的なアルバムだったことを忘れてはならない。パウエルにとって初めて全曲自作という作品である点にも注目するといいのかもしれない。ちなみに、演奏者と作曲者というのは紙一重の違いの存在で、この話は本盤のオリジナル・ライナーにも記されている。 とにもかくにも、上で触れた5枚のブルーノート盤のうち、この作品はいちばん人気がないらしい。確かにジャズを初めて聴いてみようって人にはあまり勧められないだろう。そういう作品をパウエル盤から選べと言われれば、多分筆者は「ウン・ポコ・ローコ」の入った『Vol. 1』や、「クレオパトラの夢」収録の『Vol. 5(ザ・シーン・チェンジズ)』を選ぶだろう。でも個人的には、どこか聴き手を不安にしてしまうタッチの本盤の演奏もまた捨てがたい。何枚かパウエルを聴いた人にはぜひこの盤も試してほしいと思うのだけれど、どうであろうか。[収録曲]1. Buster Rides Again2. Sub City3. Time Waits4. Marmalade5. Monopoly6. John’s Abbey7. Dry Soul8. Sub City ?alternate master- 9. John’s Abbey -alternate take- (CD追加曲)[パーソネル・録音]Bud Powell (p)Sam Jones (b)“Philly” Joe Jones (ds)1958年5月28日録音。Blue Note 1598 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2011.02.09
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ジャズ界でソニーと言えば、この人も忘れてはならない ジャズ界でソニーと言えば、『クール・ストラッティン』のソニー・クラークを思い浮かべる人も多いだろう。あるいは『サキソフォン・コロッサス』などで知られるサックス奏者ソニー・ロリンズの名を先に思い浮かべる人もたくさんいるに違いない。けれども、個人的な趣味を含めると、忘れてはならないサックス奏者のソニーがあと二人いる。一人は本ブログで繰り返し取り上げてきたソニー・クリス(関連過去記事(1) ・(2) ・(3) ・(4) )。そしてもう一人は、今回のソニー・スティット(Sonny Stitt)である。 ソニー・スティットという人は何の因果か正当に評価されることの少ないミュージシャンである。1924年生まれで1982年に亡くなっていて、決して長生きしたというわけではないものの、演奏者としてのキャリア・活動期間は長い。リーダー作はもちろんのこと、その他の吹き込みも数多く、相対的な枚数からすると筆者も決して多くの枚数は聴いていないのだが、ジャズマンとしての評価という点では、何とも損な役回りの人だったようだ。 まず、長い活動期間のうちスタイルが様々に変わっていった。ビ・バップからハード・バップ、そのうちにオルガン・ジャズも積極的に取り入れ始める。さらに晩年になると、実験的楽器を用いての録音も残している。おまけに、演奏楽器のサックスは、テナーとアルトの両方を持ちかえる。加えて言うならば、ブルーノートの録音がない。こうした諸々の要素が積み重なった結果、総合的にこれが代表盤と自信を持って言えるアルバムもないというわけで、おそらくはこのことが正当な評価を妨げることにつながっているのだろう。 とまあ、早い話、キャリア的に凄かろうが代表盤を残していない、そんなタイプの典型と言えるかもしれない。個人的に聴いたことのある彼の盤のうち、わりと気に入っている中には、サックス同士のいわゆるブローイング・セッション系のものもある。そうした中でも結構リラックスした作品というのもがあって、本盤『ソウル・ピープル(Soul People)』は、まさしくそれに該当する。この作品ではオルガンを大幅にフィーチャーし、なおかつサックス二管ものという編成である。 本盤のスティットはテナーとアルトの双方を演奏し、ブッカー・アーヴィンのテナーとの二管編成である。多様なスタイルに対応できるスティットと、ブルージーなフレージングに特徴のあるアーヴィン、そこへアーシーなドン・パターソンのオルガン演奏が絡む。この組み合わせの時点で、どんな演奏だか想像しがたいかもしれない。選曲は、スタンダード中心の構成である。もしも似たような音楽性を持つ演奏者が組み合わされていたならば、退屈な一枚に仕上がっていたかもしれない。どんな演奏になるのか想像の付きにくい、ある種異質なメンバー構成でセッションをしたからこそ、聴いて飽きないアルバムが仕上がったのだと思う。 9~11分程度の長尺曲が並べられていて、前半(1.と2.)はスティット作のブルース・ナンバー。3.はエリントン・ナンバーで、4.はスタンダード曲のメドレーという構成。個人的な意見では、聴きどころは1.「ソウル・ピープル」と3.「C・ジャム・ブルース」。1.は上で述べた異色の組み合わせで彼らがやりたかったことがわかりやすく表現されていると思う。ありがちな曲をスタイルの異なる奏者たちがよってたかって料理してうまく調理できた暁にはこうなるのだ、という感じ。逆に3.はデューク・エリントンの、しかも有名なナンバーを、同じようなコンセプトで料理していて、結果は結構オリジナルな演奏に仕上がっていると感じる。 正座して聴くようなイメージの盤ではないけれど、目を瞑ってじっと聴くと各奏者が入れ替わってソロを回していくシーンが思い浮かんできそうで、それもまた楽しげに演奏してそうな光景が目に浮かぶ一枚。[収録曲]1. Soul People2. Sonny’s Book3. “C” Jam Blues4. Medley: I Can’t Get Started/The Masquerade Is Over[パーソネル・録音]Sonny Stitt (ts, as)Booker Ervin (ts)Don Patterson (org)Billy James (ds)1964年8月25日録音 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011.02.07
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ここのところ少々さぼり気味でしたが、INDEXページ(ジャンル別、アーティストのアルファベット順)を更新しました。 最近の記事を追加しています。INDEXページへは、下のリンク、もしくは本ブログのトップページ右欄(フリーページ欄)からお入りください。アーティスト別INDEX~ジャズ編へアーティスト別INDEX~ロック・ポップス編へアーティスト別INDEX~ラテン系(ロック・ポップス)編へ下記ランキング(3サイト)に参加しています。応援くださる方は、各バナー(1つでも2つでもありがたいです)をクリックお願いします! ↓ ↓ にほんブログ村 : にほんブログ村人気ブログランキング: 音楽広場:
2011.02.05
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80年代前半、TOTOの存在感を決定づけたアルバム この『聖なる剣(原題:TOTO IV)』は、1982年にTOTO(トト)が発表した第4作目のアルバム。TOTOの活動の中で最もヒットしたアルバムで、グラミーでは年間最優秀アルバムをはじめ6部門を受賞した。収録された全10曲のうち、都合7曲がシングルカットされ、B面収録も含めると、アルバム全曲がシングル盤で揃え得るというのは、トリビアではあるが、なかなか見事な快挙ではないか。シングル曲中とくに売れたのは、1.「ロザーナ」と10.「アフリカ」。前者は全米2位、後者は全米1位にチャートインするビッグセールスをあげた。 1977年にデビューしたTOTOは、後々、様々なメンバーチェンジを繰り返していくが、この第4作までは同じオリジナル・メンバーの布陣で作られたもの。そのオリジナル・メンバーとは、デヴィッド・ハンゲイト(ベース、ギター)、ボビー・キンボール(ボーカル)、スティーヴ・ルカサー(ギター、ボーカル)、デヴィッド・ペイチ(キーボード、ボーカル)、ジェフ・ポーカロ(ドラム、パーカッション)、スティーヴ・ポーカロ(キーボード、ボーカル)の6人。ゲストミュージシャンには、イーグルスのティモシー・B・シュミット(4.、10.のバッキング・ボーカル)、本作発表後に正式メンバーとなるマイク・ポーカロらが参加している。 本盤の制作にはおよそ9カ月が費やされたとのことで、この期間の長さはTOTOの諸作の中でも特に長いとのこと。元々がスタジオ・ミュージシャンの出身なので、スタジオにこもって細々と作業をしていたのかもしれない。ともあれ、そのせいなのか、出てくる音は確かに作り込まれた印象がする。AORだの産業ロックだのという評からは軽薄なイメージが付きまとうが、実際に聴いてみると、薄っぺらさなどは微塵も感じられない。しかも、4枚目のアルバムということで自信が生まれてきているのか、初期(例えばファーストの『宇宙の騎士』など)と比べ、全体的に余裕があるように思える。 あとこれは個人的な感想に過ぎないのかもしれないけれども、CD化されても成功したアルバムだと思う。何の話かと言うと、CD時代に入ってから聴き方が変わったアルバムというのが多い。もちろん、それはA面とB面を独立して聴くか続けて聴くかというところによるのだけれど、ふつうは続けても違和感があるかないかという評に落ち着く。ところが、この盤は珍しく続けることによって聴きやすくなったような気すらする。 ちなみに、元々のアナログ盤では、1.~5.がA面、6.~10.がB面だった。結果的にヒット曲で系統の似た2曲が最初と最後になったということも大きいが、全体が40分ほどという(今のCD時代からすると)短時間でコンパクトということも手伝って何か一つの統一されたトーンにまとまっているように思う。1.「ロザーナ」のイントロは静かに幕を開け、アルバムを聴きすすむにつれて、スローあり、アップテンポありの起伏がつき、最後はやはり静かで美しい10.「アフリカ」で締めくくる。CDならではのそんな通し聴きでもまとまっている作品というのは数少ない。 TOTOのボーカルの話もしようと思ったが、長くなりすぎそうだ。これについては別の機会に譲り、いつかそのうち曲単位の記事でも書ければと思う。最後に付け加えておくと、1.、10.以外で好きなのは、2.「メイク・ビリーヴ」、3.「ホールド・ユー・バック」、5.「イッツ・ア・フィーリング」、9.「ユア・ラヴ」、8.「ウィ・メイド・イット」、6.「アフレイド・オブ・ラヴ」…いやはや、こうやって挙げてみると、全曲ということになってしまいそうで、本当に捨て曲なしのよくできた盤である。[収録曲]1. Rosanna2. Make Believe3. I Won't Hold You Back4. Good for You5. It's a Feeling6. Afraid of Love7. Lovers in the Night8. We Made It9. Waiting for Your Love10. Africa1982年リリース。 【送料無料】TOTO IV~聖なる剣/TOTO[Blu-specCD2]【返品種別A】 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011.02.04
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60年代ストーンズをさかのぼってみる ~気まぐれ連載・PART 1~ ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)の全盛期は、本盤『ベガーズ・バンケット(Beggars Banquet)』(1968年発表)に始まる。そして、1970年代前半までが音楽的ピークだったと個人的には考えている。今回はその全盛期の幕開けから時代を下るのではなく、逆の発想で古い方へさかのぼってみたい。今までのように数回続けての連載ではなく不定期更新という形だが、興味のある方はぜひお付き合いいただきたい(数カ月かかるかもしれませんが、最低でも3~4回は続ける予定です)。 さて、現在では大ベテランのアリーナ・コンサート定番の超大物となった彼らにも、もちろんのこと若かりし頃があった。若々しいながらもシーンを牽引し、熱気に満ち溢れていたころの傑作の一つがこの『ベガーズ・バンケット』である。しかしまあ、この完成度の高さ…。その頃はまだ20代後半の若者たちだったということを考えたら、当時のストーンズは恐ろしいまでの潜在能力を秘めていたわけである。 1963年にレコード・デビューし、本盤までにアルバムは既に何枚も発表していた(1967年まではUKとUSでリリース内容が異なる)。67年末の『サタニック・マジェスティーズ』発表以降は、同一盤がリリースされるようになり、翌年末の本作『ベガーズ・バンケット』は統一リリース2作目に当たる。この間、1年間ほど経過しているが、実はアルバムの内容自体は7月には出来上がっていた。ジャケット・デザインもできあがっていて、トイレの落書きの写真というものだった。けれども、レコード会社はこの発売を拒否し、もめている間に時間が過ぎて行った。結局、リリース時のジャケットは、白地(クリーム色)のジャケットにバンド名とアルバム名が記されたシンプルなものになった。その際、ジャケット左下に記された“R.S.V.P.”は「お返事ください」を意味するフランス語の略。結局、論争の火種となった“落書きジャケ”は1984年の再発時にようやく採用され、陽の目を見ることになった。落書き内容が結構面白くて、収録された曲名などに交じって、“ジョンはヨーコを愛している(John Loves Yoko)”とか、“ボブ・ディランの夢(Bob Dylans Dream)”とか、果ては“ミュージック・フロム・ビッグ・ブラウン”(ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』のもじりと思われる)なんていうのもある。 前作の『サタニック~』がサイケデリックな方向性を持っていたのに対し、本作『ベガーズ・バンケット』は一転してルーツ音楽に迫るスリリングな楽曲と演奏が特徴である。アコースティック楽器の響きが強く、リズム・アンド・ブルース的な音が目立つ。ところが、アコースティックといっても、まったくおとなしくないのが不思議で、この後、全盛へと向かっていくストーンズ独特のうねるようなリズムが既に具体的な形を持っている。そして、このリズム感こそがこのアルバムの核心と感じる。無論、このリズムがここで完成されたことは、これ以降のストーンズのカラーを決定づけることにもなっていく。 一般論的には、1.「悪魔を憐れむ歌」、6.「ストリート・ファイティング・マン」、7.「放蕩むすこ」(この曲ではライ・クーダーが参加)あたりが有名曲としての聴きどころ。捨て曲がないので、これぞ聴きどころというのは挙げにくいアルバムだが、個人的な趣味からもう一つだけ付け加えると、2.「ノー・エクスペクテーションズ」(ブライアンのスライド・ギターが最高)は外せない。 セールス面のみならず、内容面でも本盤は大成功を収めた。ただし、その成功と引き換えに、初期ストーンズの中核を担ってきたブライアン・ジョーンズはドラッグ依存が悪化し、これを最後にグループを去ることとなる(結局、ブライアンは69年7月に死去)。リズム・アンド・ブルースを白人聴衆に聴かせることを何より目標としていたブライアンの参加した最後のアルバムが、上記のような方向性を定める名盤になろうとは、何とも皮肉な結果である。実際、少し前からの流れではあるが、本盤の各曲のクレジットは、ミック・ジャガーとキース・リチャード名義(厳密には“リチャードRichard”ではなく“リチャーズRichards”と表記されている)。余談ながら、発表当時は全曲このクレジットだったらしいが、7.は後にカバーであることが判明し、現在では別の作者名がクレジットされている。いずれにせよ、ジャガー/リチャード色の継続+ストーンズ独特のリズムの完成という点で、バンドが大きく飛躍するためのターニング・ポイントとなったのが本作『ベガーズ・バンケット』ということになるだろう。[収録曲]1. Sympathy for the Devil2. No Expectations3. Dear Doctor4. Parachute Woman5. Jigsaw Puzzle6. Street Fighting Man7. Prodigal Son8. Stray Cat Blues9. Factory Girl10. Salt Of The Earth1968年リリース。 【送料無料】ベガーズ・バンケット [ ザ・ローリング・ストーンズ ] 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2011.02.01
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