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一国経済学では、すべての商品はできるだけ自国で生産し、どうしても補給できないものだけ輸入に依存する。貿易収支はバランスさせる、というのが常識で、日本は原材料など自国で賄えないものは輸入するが、それ以外はフルセット生産する、輸出は大いに行う、というのが伝統的な政策であった。外国においても、他国依存はできるだけ避けるというのが原則であった。しかし、ここにきて、安く買える物は外国から買い、自国で生産に得意な物は大いに輸出して外貨をかせぐという国際分業が主流になってきた。武者氏が挙げる数字は、アメリカの輸入依存度2005年度20.2%、アジア諸国の輸出比率は2005年度、韓国で48%、台湾56%、シンガポール196%、タイ36%、マレーシア108%、中国34%で、アジアは輸出で生きているという実態が浮かぶ。日本は80年代、90年代の過去の最大ピークが13%であったのに。 武者氏は、中国の多くの産業、電気、通信機器、繊維、アパレル、皮革、家具、プラスチックなどでは生産額に占める外資比率は40%以上で、中国輸出に占める外資系企業の割合は58%、つまり中国の輸出は半分以上外国人がやっている、という。日本でも、加工食品輸入などはたいてい日本商社やメーカーが指導してやっているから、そうだろうと思う。アメリカのスーパーなどで売っている商品の大半はメイド・イン・チャイナである。アメリカは日用品の大半から、各種機械まで外国に依存してしまい、自国の優位産業といえば金融、プロフェッショナル・ビジネスサービス、コンピュータ・ソフト、航空機、半導体、計測機器、兵器などである。国際分業の分担は、おおまかにいえば、中国は低賃金による労働集約的な量産品、台湾、韓国はある程度ビジネスモデルの確立したパソコンなどのエレクトロニクス、石油化学、鉄鋼など、東南アジア諸国は繊維、電機などの軽工業品、日本はこれら他国が供給できない高付加価値の電子部品、自動車エンジン、精密・高性能機械、特殊化学、セラミック素材などで、以上を組み合わせた高級自動車、電機などである。こうしてお互いに自国の優位産業を売り物に、地球全体は、予定調和的に、グローバル経済を成り立たせ、地球経済を形成しつつあるというのが武者説で、中国・インドの低賃金労働をアメリカの資本がフルに利用してハイリターンをあげ、中国・インド・東南アジアなどの低賃金国は生活必需品をアメリカに売ってドルをかせぎ、そのドルを金利の高いアメリカに還流させる。アメリカはこれを貿易・財政の双子の赤字に充てんする。この環流が軸になって世界経済が回っている。この結果、ドルは次第に減価しているが、中国・インドなどの低賃金国側もこの間に製造業が活気づき、近代化離陸が可能になっている。日本は、中国、インドなどに対する鉄鋼品輸出などとともに、高付加価値生産で、エンジンなどのキー部品をアメリカ、アジア諸国に輸出して非常にラッキーな位置にいる。こういう幸福な状態がいつまでつづくかわからないにしても、いえることは、日本は中国・インドなどの近代化離陸に力を貸すことで、将来は大いに道が広がるということである。最近は中国、韓国、台湾、ロシア、オーストラリアなどの近隣諸国の中産階層や富裕層が増え、中国に日本のコシヒカリ、高級肉、高級魚、リンゴ、アパレルなどのぜいたく品が売れ出した。またやってくる観光客も増えた。したがって近隣諸国の近代化離陸、生活レベルの向上などを助けてあげれば、日本のマーケットが広がり、こちらも得をする。日本に未来はない、ダメだ、などと閉そく感がおおう日本はおかしいのである。
2008/06/30
さて、いよいよ、武者陵司氏の最後の設問(20)前世紀初め、アジア停滞の代表とみられた巨大古代国家中国とインドが、突如離陸したのはなぜか。それは本物か。まず私の考えを述べる。昔、「アジア的停滞」といったウイットフォーゲルは主に北中国の農村を観察してそう言ったのだろうが、米産の南中国まで見たならばそうは思わなかっただろうと思う。彼の論拠は、中国人の血縁的共同体が極めて牢固でこれがこわれないかぎり近代化はあり得ないとした。農業における地主制度がまさにそうであった。しかし、20世紀に入ると、上からの官営による兵器などの工業がおこり、民営では沿海地域で紡績工業や外資合弁企業などがかなり発達した。紡績は当時の日本と大差がなく国際貿易においてライバルを演じた。日中戦争が起こってからは、これらの企業は日本企業によって接収されてつぶされた。企業家は奥地に逃れた。実際に私が育った天津に鐘紡が接収した裕大工廠があったが、鐘紡の人の話によるとほとんどそのまま使えたという。戦後、元の企業家が帰ってきて、鐘紡が返還したが、鐘紡が設備を保全し、より改良していたので大変喜んだという記録を読んだことがある。したがって近代化の萌芽がなかったわけでなく、日中戦争と毛沢東時代の60年間、民間企業家が勃興する機会がなかったにすぎない。しかし、「時間が経った」。と小平の時代になってから、深せんからはじまって工業特区をあちこちにつくり、外資を優遇して近代化の整備をすすめていった。こういう努力が急に実ったのは莫邦富氏によると、1996年からであるという。当時の国務院総経理つまり首相の朱よう基が辣腕を発揮して外資導入をすすめ、汚職を徹底的に取り締まったのが転機となった。もう一つ、蔡英俊氏が語ったところによると、21世紀に入ってから欧米に行っていた優秀なエンジニアや学者を国際レベルの給料を約束して帰国させ、彼らを要職につけて用いたことがバネになったという。また、マルクス・レーニン主義教育がすたれ、学問を学んだ優秀な若手が育ってきたことが潮が満ちるように変化を呼び起こした。血縁的共同体は毛沢東の革命時代に地主を皆殺しにしてしまったうえに、毛沢東以後は政策的に各省出身の人間を混ぜ合わせたりしていたことが、地ならしになっていたのではないか。したがって武者氏は離陸を「驚きとともにいぶかしさを与えている」と書いているが、私から見ると、自然にそう動いてきたのだと思う。北京の街から政治スロ-ガンを書いた看板がなくなり、人民服が背広になった頃から徐々にはじまっていたわけである。私は通訳をしていた時代は80年代だったが、私がかかわった造船工場や上海の宝山製鉄工場の建設などで、日本のエンジニアはよく中国の近代化に尽くしたと思う。しかし、近代的な離陸を猛烈に後押しした要素は、武者氏のいう「予定調和的な地球帝國」による国際分業体制である。これについては明日書く。
2008/06/29
武者陵司氏の設問(17)なぜ日本の重厚長大産業は突如復活したのか。 日本の重厚長大産業は30年以上前に衰退した。重厚長大から軽薄短小への時代と言われたものだ。それが突如、ここにきて鉄鋼、造船、重電が復活し、素材産業は好況でウハウハの状態になった。鉄、銅、アルミ、金、銀、プラチナなど素材は軒なみ値上がりしている。これはもう明らかに中国・インドの離陸のおかげである。両国の人口あわせて25億、これは16世紀に南北アメリカ大陸が「発見」されて諸問題が一挙にふっとんで解決してしまったことに比せられるかもしれない。(18)輸入は経済にマイナスとのマクロ経済学の前提は正しいか。武者氏はほんのわずかの輸入代金をはらっただけですむ貿易を略奪的安価輸入としている。現実のGDP計算では輸入代金分だけGDPが減価されるだけになっているが、実際は輸入物価が大幅に減額された場合は、実質所得が増加する計算がなされなければならない。しかし、サンプルが少ない、質の追跡ができない、競合国内商品との価値比較がなされないなどの理由で、このことが過小評価されている。武者氏は、したがって先進国のGDPの過小評価が起こっている可能性が高いとしている。つまり輸入もプラスと考えるべきであるとする。(19)なぜ生産性と企業収益・産業の盛衰とはむすびつかないのか。生産性があがれば利潤が増え、経済が成長するというのは古典的な常識であるが、それが産業ごと、企業ごとに実現していないという。たとえば半導体生産はものすごく伸びているが、インテルなどを除いてどこももうかっていない。コンピュータも同じである。なぜかというと、生産性が増えたとたんに販売価格が下がってしまうからである。概して家電などはそうで、苦心して開発して、これでいよいよ儲けるぞというときにドダーンと販売価格が下がってしまう。こういうことを避けるためには技術独占、政策による保護、流通網独占が必要だが、それができる業界とできない業界がある。したがって売値という要素が決定的に産業の盛衰を握ることになる。同時に為替レートも一国の盛衰を左右する要素である。日本では昭和40年代半ばまで1ドル360円だったが、それがみるみるあがって100円にまでなった。ひところはこ円高は悪で、日本にとって輸出が困難になり、円高不況などといわれたが、みずから円の価値を低くしてまで、輸出にこだわったのは、輸出産業を伸ばしたいこと、当時の最大のマーケットであるアメリカ市場を手放すまいとする意識が強かったためであろう。日本の大企業輸出産業の系列に中小の部品産業が群がって2重構造になっていたので、中小企業が生きるよすがは輸出だというのが声であった。しかし円高になったことで、輸入品が安くなり、下請け部品産業以外の商業的な中小企業はいっせいにもうかったのである。その証拠に過剰流動性が生じ、バブルになったではないか。生活は目に見えてよくなり、東京の街はきれいになって一変した。しかし、自国通貨を安くすることで輸出をやる同じやり方を中国がやっている。人民元の切り上げをなかなかしようとしない。低賃金でも仕事がないよりあった方が良いという悲しい意識である。中国の低賃金の源泉は内陸部農村の貧苦による。中国の一人当たり農民の可耕面積は日本より少なく、農業技術、設備機械などが遅れ、農業生産性は日本の42分の1にとどまっている。彼らが食えなくて都市に出稼ぎに出て低賃金で働くことが低賃金の源泉になっている。こういう現象をすこしでも改善するのは為替レート変更を行って農産物の輸出価格を上げ、肥料などの輸入価格を下げるなどのことを行えばよいのである。為替の魔術でどれだけ、国民の生活が豊かになるかの見本はオーストラリアである。オーストラリアの人が北海道に大挙やってきてスキーをしたり、別荘を建てたりしているが、彼らは金持なのかというと、ごく普通の人だという。つまり豪州ドルが高くなったので、タクシーの運転手の年収がいっぺんに1500万円くらいにはねあがった。なぜ豪州ドルがあたったかというと、豪州の資源価値による。
2008/06/27
ここ10年は世界同時成長という運のよさ武者氏の設問(14)なぜITバブル破裂が経済悲劇に帰結しなかったか。かつてグリーンスパンFRB議長はITバブルを根拠なき熱狂としたが、これは間違いだったのだろうかと武者氏は問う。武者氏も1999年5月からアメリカの株式はバブルだと主張し、その破裂を予告して的中した。しかし、武者氏はその後の経済と株式が順調に回復したことまで予測できなかった。この破裂は経済的な悲劇にまでむすびつかなかった。この理由は、武者氏のいう地球帝国の成立によるものだと結論している。(15)なぜアメリカ経済の結末は、ITバブル破裂と大恐慌の1930年とで異なったのか。武者氏はこの違いもやはり中国・インド要素、IT革命によって低賃金利用は可能になったからだとしている。1930年代の大恐慌対策は、ケインズ政策の利用による大規模公共事業、ニューディール政策が有名だが、各国は戦争に突入することによって大恐慌はうやむやになったと思う。ドイツ、日本などではファシズムによる侵略で外国から収奪した。ソ連は社会主義による計画経済などで圏外にあった。しかし一言でいうと、1930年代と現代とをくらべると、ITバブルが崩壊したといっても、なんといってもそれまで蓄積した富が巨大であったから、なんとかなったので、簡単に歴史の比較はできないと思う。1930年代に、日本は大恐慌に見舞われ、満州侵略したが、あのときもっとも貧しかったのは東北の農民で、西日本はそれほど貧苦ではなかった。だから大胆な分配を行えば、なんとかなったと思うが、軍部が東北農民の貧苦を救えと、しゃにむに戦争にもって行ったのである。(16)なぜIT革命による生産性革命は2000年以降に起きたのか。まずタイミングとして武者氏は、共産圏の消滅により市場が地球大に広がり、この圏内の低賃金労働を利用できるようになったことと新自由主義の隆盛を挙げる。新自由主義とは、1980年代からアメリカの歴代政権によってとられていた分配からサプライサイドへの転換、つまり市場主義にまかせるという政策である。それまでは経営者、労働者、政府などの意思決定主体がそれぞれの意思を主張して、経済を運営する要素が強かったので、各階層の既得権が強固になり、それが経済合理性の貫徹を蝕んでいたという認識を改めるために、生産、供給サイドを重視し、レッセ・フエール、金持ち、強い者はどんどん勝手に儲けなさい、そうすれば弱い者にも恩恵が及んでいくからという行け行けドンドンおまかせ政策である。この結果、規制緩和、財政出動、金融緩和、大規模減税などが進行し、結果的には経済運営は成功したが、貧富の格差が発生した。日本の小泉内閣もこの政策をまねて、バブル崩壊後の経済を回復させたが、リストラ、非正規労働者の増大などの格差が発生した。しかし、経済成功を大きく後押ししたのが、やはり中国・インド要素である。この両国の低賃金を利用した利潤の増大が企業を救った。IT革命による生産性革命が2000年以降に起きたというのは、それまではIT技術確立の段階、IT機器普及の段階で、IT機器、設備をフルに経営が活用して利益率を上げるようになったのは、2000年以降になって利用技術が確立してからだからである。これも一部の先進大企業が成功したので、ついていけない企業は淘汰された。
2008/06/25
武者陵司氏の新帝国主義論のつづき(11)の設問 なぜ1990年代の世界的貯蓄不足論は外れたのか。1990年、共産圏の崩壊により、旧共産圏での開発資金需要が急増して世界的な貯蓄不足が予想されて、金利が上昇するとの懸念がIMFにより提起された。しかし、実際はそうならなかった。途上国の開発による資金増加、世界的貯蓄増加による世界的金利低下傾向であった。この武者氏の答えは、旧共産圏途上国の低賃金労働者が労働市場に加わることによって、先進国資本は旧共産圏、途上国つまり中国、インド、東南アジアに進出し、先進国内においても労働コストが抑制され、利潤が増大した。このことによって世界的な金余り現象が出て、金利は低下した。私はこれにつけ加えて、旧共産圏の国営企業が私企業化した場合、極めて低廉なコストで買い上げられた、というより、ロシアの場合は強奪されたので、ロシアではたちまち億万長者が発生するなど、資金がそれほど必要でなかったということがあると思う。中国などでは国営企業はすでに投下資本を回収しており、国際信用を構築するために国民にさらなる低賃金を求めて、飢餓輸出同様の手段で貯蓄を創り出したからだといえよう。(12)なぜ日本経済は大きな痛みなしに復活できたのか。1990年代のバブル崩壊で、株価・地価は8割近く暴落し、全金融機関が経営破たんの瀬戸際に追い込まれるという金融恐慌が起きたにも関わらず、倒産した銀行はすくなく、国民が支払った犠牲は経済困難の深刻さに比べれば軽いものであった。金利ゼロまでの金融緩和、天文学的と言える財政支出、赤字の拡大にもかかわらず、それに伴う深刻な副作用や後遺症がなかった。これはなぜか。武者氏は、神風ともいえる中国特需、輸入物資の低廉性による貿易収支の黒字化、中国などの低賃金労働の利用、IT化、国内のリストラによる労働コスト削減などによる企業利潤の増大、アメリカのように完全大量首切りでなかったために、家計消費需要が維持されたことを挙げている。(13)なぜ中国、インド経済の離陸は2002年からなのか。両国経済の離陸は冷戦後10年たってからであり、それまでに改革開放路線のために国内要因が準備されていたのが前提をつくったのは確かであると武者氏は言う。しかしそれがなぜ2002年から始まったのかという疑問にたいする武者氏の答えは、アメリカによる異常な金融緩和、財政出動などによるケインズ政策が引き金になった。つまりアメリカでは弥縫策として打ち出されたものだが、アメリカ発のイージーマネーが中国やインドに流れ込んで、眠っていた巨大な労働予備軍を幸福な結婚をした、そういう予期せぬ偶然的な効果があったからだとしている。
2008/06/25
武者氏の設問(10)なぜデフ下の日本で企業の交易条件が改善してきたのか。デフレが致命的なのは販売価格がコストより下回り、利益がゼロかマイナスになることである。しかし、利益は少なくなってもなんとか持ちこたえたのはなぜかというと、武者氏はデフレといっても1930年代のような真性のデフレでなかった、としている。つまり、企業のコストを十分抑えることができたからだとしている。彼はそれ以上のことを言っていないが、つまりリストラと非正規労働の活用や下請け会社の納入価格の切り下げではないか。もうひとつは利子がやすかったことを挙げている。(11)なぜ主要国はフルセット型の産業構造追求を捨てたのか。保護主義は敗北したのか。武者氏は、世界経済統合、中国やインドの台頭で、国際分業が進んできた。それも垂直的国際分業(つまりどこかの国が下請け的な分業をする)で、いわば強みを分け合うリカード的国際分業がはっきりしてきたという。たとえば、アメリカはソフト・システム、テレコム・メディア、金融などに特化し(これ以外に航空機、兵器がある)中国は、低賃金を武器とした労働集約的製造業、韓国、台湾はある程度ビジネスモデルの確立した商品分野で資本集約型大量生産製造業、東南アジアは低賃金による軽工業、日本は高技術、高付加価値の製造業、たとえば電子、自動車、機械部品、高技術機械装置、特殊化学、セラミック、金属素材、以上を素材としたアッセンブリーなどである。20世紀までは、各国はフルセット型の産業を目指し、それが安定的な経済の強みであるとして、すべての産業を育てようとした。しかし、次第に、ある分野は他国に依存しても仕方がない。自分のつよい商品で勝負したほうがいい、ということになり、国際分業化が進んだものと見える。しかし武者氏はこれにはチェックポイントが2つあるとしている。1つは、世界経済への従属度を強め、自主性を損なわないかという点、2つ目は先進国に収奪されて、国内の資本蓄積や産業基盤が侵されないか、という点である。日本の強みはほとんどフルセットに近い機械部品の技術力と製造力である。これが国際資本に買収されて、いいようにされてしまうおそれがある。一昨日の講演でも、副島隆彦氏は日本の強みは機械部品である。それが中国や韓国、アメリカなどの製品にかならず組み込まれているから強いことを強調していた。日本人で偉い人間は技術者だけ。返す刀で文系はダメと口をきわめてののしっていた。寺島実郎氏は、石油投機などに流れ込んで価格を上げている国際的ファンドの四分の一くらいが日本からの円キャリーであると指摘している。自分で自分の首を絞める結果になっている。これなども豊富な日本の資金を有効に使う機関がないためである。戦後の復興期は日本人にせっせせっせと貯金させ、それを銀行があつめ、重点産業に傾斜的に流して、見事に資金を活用した。しかし、今は企業自体が貯金箱になり、銀行から借りなくても株や債券で集めるから、国民の貯金などがあてにしなくなったから、ダブダブにあまり、それを国際ファンドがかき集めて悪いことをしているのである。この金融・投機の化け物をなんとか制御する提案が夏の洞爺湖サミットでなされるであろう。
2008/06/22
昨夜は稀代の畸人副島隆彦氏の講演会を行った。小室直樹の弟子だというが、小室直樹直伝の学問好きと探求心の旺盛さは小室以上といってもいいか。世界のあらゆることを調べつくしたと豪語した。激してくると、大声を発し、机をたたく。西九州人の激情である。とにかくあびるほどの刺激をまきちらした。知研を何十年もやってきて、聴衆を叱りつける講師が何人かいた。記憶にあるのは、国際ジャーナリストの岡村昭彦氏。何だ、こんなことも知らないのか。勉強不足だ、と聴衆を罵倒した。岡村氏の講演は会場全体が興奮してきて床がうきあがるような経験をした。民族学者の今西氏も相当な畸人である。ある質問に答えて発した言葉、「今西錦司という強烈な個性をもったある男がある枠組みをつくったんだ。つまり人には迷惑もかけんし、人の世話にもならん。悪く言えば世捨て人。他の人がなんぼいい立派なことをしても、いい地位を得てもそんなことはいっさい自分には関係のないと達観して十数年こもって研究したんだ」こういう達観をしながら今西氏は十数年かけてカゲロウの採取や観察をして、「生物社会の論理」、住み分け理論というものを発見した。こういう天才的な人が普通の秀才的な人(大部分がそうであるが)とちがうところは、ぶらぶらしながら、あるとき、カン、インスピレーションを得て突然新しい知見を得るのである。したがってこういうタイプの人の講演はまったく敷衍式ではない。頭脳が浮かぶままにしゃべるから、あっちにいったりこっちに行ったりする。突然現在から歴史に飛ぶ。現存の人間と数百年、数千年前の人物を同列にならべて論じる。普通の人のレベルにあわせて親切に教えてあげるということが面倒くさいわけである。したがって聴衆は天才のパワーとか、気概とかそういうものを得て帰るしかない。公開できないいろいろなことを聞いた。まったく自己規制なしにいろいろなことを話してくれたが、言うことに信ぴょう性があるかどうかは、聴衆のカンで感じる以外にない。最後に投資についての質問の答え。豪州ドルがいちばんいい。インターネットで日経マネー&マーケットを開き、国内株を開き、いちばん後ろの方に世界の指標というのがあるからそれを開く。そこにすべて円と各国の貨幣との相場がでてくる。これで判断しなさいという。
2008/06/21
昨日は多摩大学リレー講座で元宮城県知事の浅野さんの話を聞いた。ダジャレが多く半分落語を聞いているような感じで面白かった。さて、最後のほうで、三位一体改革の話でポイントがわかった。三位一体の改革というのは、中央官僚の権限とともに補助金も地方に渡すということである。それがなかなか渡さないので、いつまでも地方分権劇は進まないのである。住民は観客席にいて見あきてしまうのである。 わが国の施政は、中央官僚が実施計画をつくってこれを地方官僚にやらせるというのが筋になっている。そのやらせる命令権みたいなものが補助金である。補助金がついてはじめて地方官僚がコピーみたいにして動く。浅野氏があげた例は、DV被害者相談事業補助金。DVというのは家庭内暴力のことで、これがひどくなっているから、中央官僚が国民にやめさせるための施政を計画する。そしてそれに補助金をつけて地方官僚にやりなさいと命令する。この補助金というのは一括ばんと渡すのではなく、各省ごと、施策ごとにくっついて渡す。すべて補助金というのは符箋つきになっているらしい。中央官僚にしてみれば、地方官僚はダメだからDVなんて言ったってわからない。それって食べられるんですかなんて町長か村長かが言ったというのはダジャレだが、まあ、今の地方官僚がDV施策を自ら進んで考え出すというのは、たとえば予算があったとしても、考えられない。中央にいる、わりと意識が高いというか、何か権限と仕事(それには予算がつく)を作り出そうと考える官僚がいるからそういう施策が生まれるのだろうが、しかし、彼らは地方官僚をダメ官僚と考えているから1から10まで権限を渡そうとしない。やむを得ない時は、補助金を削減する。削減なら権限は残るからである。浅野さんは、補助金をあっさりやめてしまえばいいという。すると地方のダメ官僚がDVなんかしなくなる。もしそうしたら、住民やNPOが、地方の役所におしかけてDV施策をやりなだいと要求をだすか、地方議員に訴えて動かせばよいという。つまり1段階置くわけである。こうして地方の住民が動いてはじめて民主主義が定着するという。私は、住民に動けといっても、補助金がなくならなかったら、いつまでたっても住民の出る幕はないではないかと質問した。何人かの知事が動いていることを浅野さんは説明したが、補助金というものを握られている中央に対して、どれだけ闘えるのか、ずいぶん長い道のりを考えてしまう。要するに地方官僚がDV施策が必要だと思ったら、中央官僚に言われなくてもやるという体制になればいいのである。ひとつの方法としては、中央官僚のそういう意識の働く人を地方に移せばいいと思う。あるいは、意識の高い住民が地方官僚と協力して施策を発案実施すればいいと思う。行政というのは、やる側のものだけではなく、受ける側のものでもある。私は、「行政市民講座」をいたるところで開いて、住民が行政に関与する道筋を作ればよいと思う。
2008/06/20
武者氏の第8の設問。「なぜ途上国に資本余剰があり、資本の提供者となっているか。常識的な経済学では、資本形成が遅れている途上国ではお金がないから、資本形成が旺盛な先進国から途上国の発展のポテンシャリティに対して資本が流れる、というのであるが、現在の状況は国際資本が周辺国からも中心国(アメリカ)に流れている。これはなぜか。すでに説明したようにアジア勢がアメリカ市場にいろいろな自国産商品を売りやすいように自国通貨の対ドル相場を下げて売り、かせいだドルを今度は金利の高いアメリカに還流するというぐるぐる回りをつくっている。この金がアメリカの貿易収支の赤字と財政収支の赤字の補てんに使われている。中国のドル保有はすでに1兆5千ドルを超え、日本は約9800億ドル、韓国が2600億ドルに達している。しかし、アメリカの外貨準備はわずか586億ドルである。こういう状態がいつまでもつづくと、アメリカはドルを輪転機でたくさん刷って支払いに回すしかないからドル価値はだんだん下がってくるのは必定である。アングロサクソンの国では、冒険家と宣教師とマーチャントは国家の管理不能であるが、国民も安い外国品に依存し、アメリカの国産品などは買わない。日常品はほとんど外国製品か、アメリカ企業が中国など外国で投資してつくらせた製品である。こうしてアメリカ人が依存する日用品は、自動車などの耐久消費財に至るまで外国に依存する状態が固定してしまった。この固定状態を維持するために意識的に為替の操作が行われる。円ドルはある一定の幅の中で固定している。したがって円に対してドルはあまり下がっていないようにみえても、ユーロとドルの格差がつき、知らない間に中国人民元、韓国ウオン、オーストラリアドル、イギリスポンドなどがドルや円に対して高くなって、アジアやのオーストラリアの人たちが日本に来て買い物をするという風景が見られるようになった。すなわち円とドルだけの関係を見てもわからなくなった。面白いのは米中関係である。中国が低賃金労働でアメリカに物を売り、せっせとアメリカ企業にもうけさせ、自分もドルを貯める。ドル持ちになれば、国際信用度が高まり、アメリカ他の投資を引き寄せることができる。さらに、金利が高いアメリカに還流して、その金がまた対中投資になって大いに利潤をあげる。中国のような国が離陸するには、低賃金労働でもよいから、とにかく国民に仕事をさせて現金収入をつくり、すこしでも生活水準を引き上げ、工業化に習熟させて、工業製品づくりの能力を向上させ、だんだん内陸の方にその影響を及ぼしていく。したがってアメリカや日本は低賃金労働を搾取しながら結果的に中国の近代化離陸を助けることになる。すでに中国の一人当たりGDPは平均3000ドルに達し、約2億人の沿岸地域では8000ドル以上になっている。これらの中間層、富裕層の購買力が牽引力になって、アメリカや日本や本国の商品を買うマーケットになり、対中投資はますます利益の大きいものになるという仮説がなりたつ。今から約2百数十年前、アダム・スミスが、各人が一生けんめい富を追求してやっきになっていれば、それは全体として、神の見えざる手に導かれて繁栄に向かうとした。この「神の見えざる手」などというのは果して経済学といえるのだろうか。説明できないから、そう言ったのではないだろうか。これと同じように地球規模で経済の分業が成り立ち、経済全体の規模が大きくなってくると、以前の経済学では理解できないことが生じてくるのではないか。規模が大きくなれば、多少のトラブルやデメリットを吸収してしまうのではないか。とにかく経済という全体現象を統御することは困難であって、1国経済ならまだしも、地球的なグローバル経済になると、もう誰も説明困難である。ここでクイズ。債権者と債務者はどちらが強いか。少額の借金で個人レベルの話なら、債務者は債権者の前に出ると蛇の前の蛙みたいになる。しかし10億円とか100億円の貸し借りになったら、はたして債権者のほうが強いか。逆に債務者のほうが、返すも返さないもこちらの都合次第だ、としらをきれば債権者はどうぞ返してくださいと懇願するしかないであろう。アメリカは大債務国であるが、アジアのドルを自分のところにかき集めて、つべこべ言うなら返してやらないぞ、ドルを一気に減価してしまうぞ、と脅しが効くようになる。こういうことに対してアジア勢は、まさかそういうことにはならないか、なったとしても先のことはなんとかなるさ、という感じでお互いがなっとくしているのではないか。経済というものはそんな程度のような気がする。日本の大相撲も横綱2人がモンゴル人、その他ロシアなど各国人がいるのに、それでも国技だと言っている。アメリカ経済圏も日本の大相撲みたいにアジア勢まで入れ込んで成り立っている。人の金は自分の金、アジアなぞはアメリカの50州プラスアルファだと思っているのではないか。私も、アダム・スミス流に、「見えざる悪魔の手に導かれてグローバル経済はなんとかなっている」と言いたいくらいだ。果たして悪魔かどうかは知らないが。
2008/06/18
武者氏の設問(6)なぜ為替調整は無効なのか、なぜドルは暴落しないのか。(7)なぜ世界最大の純債務国であるアメリカの投資収支は黒字なのか。一国経済の平衡を保つためには、貿易収支・経常収支を平衡させ、輸入が増えすぎたら、輸出を伸ばして帳尻をあわせる。輸出をのばす安易な策は自国通貨を安くして相手国での商品価格を安くすれば、向こうの人が買ってくれるから輸出が増える。ところが、アメリカはある時点から対外貿易赤字は増えっぱなしになり、逆に日本の対外黒字は増えっぱなしになっている。20年くらい前までは、かならず貿易摩擦ということが起こり、アメリカ側はもっとアメリカ製品を買えという政治交渉になった。しかし、いつごろからか、アメリカはそう言わなくなった。赤字は増えてもかまわない、ほっとけという状態になった。日本ばかりでなく、中国、台湾、韓国、ホンコンなどのアジア勢も対米黒字がたまる日本パターンになった。アメリカはこうして赤字が増えっぱなしなのに、なぜドルは暴落しないのか。これに対する武者氏の答えは、アメリカが債務国であるという常識は正しくない、だからドルは大丈夫だとしている。したがって(7)の説明に入る。武者氏の第一の説明:アメリカの外国投資は、すくない投資額でもうけが大きい。逆に外国がアメリカに投資するともうけが少ない。アメリカの方が投資効率は2倍、外国より2倍も儲けているから先行きは借金を返せるあてがあるというもの。第2の説明:そもそも国際収支統計自体が実態をとらえていない。経常収支とは、貿易収支、サービス収支、対外投資の収益の総合であるが、このうちはっきりつかめるのは貿易収支だけ。あとは推計程度である。だから赤字であるかどうかは本当はわからないというもの。第3の説明:新しい現実が現れ、経済に国境はなくなりつつあるというもの。アメリカの多国籍企業が例えば中国で生産してアメリカに輸出した場合(アメリカの対中輸入の大半は中国企業からでなく、アメリカの多国籍企業からの輸入)は、国際取引であっても、実際は企業内取引である。こういうのは統計に表れない。アメリカの多国籍企業の超過利潤を考えれば、アメリカは黒字国であるかもしれない。だからドルは暴落しないというもの。たとえば、金本位制の時代は、自国の保有する金の価値量によって経済の枠がきめられ、これで経済の安定を保ってきた。しかし、第二次大戦後はどこの国も金がなくなり、アメリカだけが世界の70%以上の金をもっていたから、多くの国は自国通貨をドルにリンクさせ、間接的な金本位制(金ドル本位制)をとってきた。ところが、1960年代に入って、欧州諸国はドルの切り下げを警戒して、早いうちにドルを金に換えてしまえとアメリカに要求したので、アメリカの金は半分に減ってしまった。アメリカ政府は大慌てになり、時の政府、ニクソン政権は金ドル交換をやめてしまった(ニクソン・ショック)。こうして1973年、変動相場制に移行する。これへの対抗措置として欧州諸国は自国通貨を切り上げて対外黒字が増えなくてもよいとした。アジア諸国はどうしたか。ドル黒字がどんどんたまって、いつそれが減価して紙切れになっても仕方がないよという対応をとり、ドルの変動に合わせて、自国通貨を操作する変動相場制を採用した。日本は伝統的に輸出志向であり、最大の輸出マーケットがアメリカであったから、これを捨てることができず、ドルが万一紙くずになっても構わないという覚悟の政策をとった。こうしてドルがどんどんたまる。これを自国の産業投資に使うということをあまりせず、余ったドルは金利の高いアメリカの金融市場に流れ、アメリカの貿易収支の赤字を補てんし、アメリカ政府の国債を買って財政収支の赤字をおぎなう役割をするようになった。日本のみならず中国、韓国などのアジア諸国も同じような役割に加わった。こうしてアメリカとアジア諸国との関係が固定化してくる。アメリカ側から言うと、お前たちが勝手にそうしたのだからな、こちらが押し付けたわけではないからネ、ということになる。
2008/06/16
武者氏の5番目の設問。「なぜほぼ完全雇用のアメリカで賃金インフレが起きないのか」アメリカ企業の労働分配率は2006年前半で過去最低になっている。1974年の第一次石油ショック、1980年の第2次石油ショックのときは賃上げが常態化しており、それがコストアップになり、物価値上げになり、それがまた賃上げになるというスパイラルになっていた。ところが、それが今度の石油価格上昇では、以前のような物価上昇に結びついていない。武者氏は、この理由を第一の仮説として、長期不況で賃金の下方慣性がついていること、第2の仮説として、中国やインドのような低賃金国に引っ張られて抑制が効いていること。を挙げている。また中国やインドとアメリカや日本などの先進国の間で生産の相互補完分業ができており、競合している産業は少なくなっているので、労働力の競争も限定的になっているとしている。武者氏はさらに第3の理由として、アメリカや日本のような先進国は中国、インドの低賃金労働力の活用やIT革命によって省労働力が進展している。こうした状況の変化は国内労働者の技量の向上や努力によるものではなく、経営者の判断、ビジネスモデルの選択によるものであるから労働への分配を増やす必然性はないこと、また、労働者がたりなくて困っているわけではないこと、物価がいろいろな要因によって抑制されているので、生活補てんのための賃上げの必要はないこと、などにより、先進国の労働賃金が抑制されているとしている。以上の武者氏のあげた理由はわれわれが普段感じていることであるが、日本では抑制というような言葉では言い足りないと思う。IT革命でどれだけ人が職場を追われたか。死屍累々という思いがする。JRではスイカやパスモで改札の人員が不要になり、銀行ではソロバンをはじいていた大勢の人が要らなくなった。国際競争力などとは関係のない業界でも、安い時間給もさることながら、契約期間は半年1年どころか、3か月というのでは、人は安心して生活などできないだろう。日本の経営者団体では、人件費高で国際競争力が劣化しているとして、あの手この手の賃下げ手段を行っている。その最大の手段が非正規雇用である。これで全体の労働コストの半分引き下げに成功している。資本側の極端な言論は、労働基準法や労働基準監督署などで労働を保護する必要はないとまで言っている。この頃感じるのは、コンピュータの不具合などで問い合わせると、どこもつながるまでが並大抵ではなく、不便極まりない。どこも小人数で大多数の消費者を管理しようとするから、手が回らない、手抜き、不親切、無責任、クレーム電話をかけられたら困るから、どこも電話番号がわからない。ノー・コミュニケーションで不便な社会になった。そのいいかえ言葉が「自己責任」「自己防衛」。「消費者は神様です」なんて言っていたセリフはとんと聞かれなくなった。
2008/06/15
(3)なぜ貯蓄率マイナスのアメリカで生産性の伸びが高く、貯蓄過剰の日本は逆なのか。常識的な経済学では、貯蓄率が高いと低金利、高投資が可能になるので生産性を高めると考えられる。しかし貯蓄率がマイナスのアメリカで金利や資本コストの上昇が起こらず、むしろ金利の長期低下傾向が続いている。さらに、設備投資水準が対GDPや企業が生み出すキャッシュフローと比較して低水準なのに生産性が上がっていて、経済の成長力はまったく犯されていない。武者氏は、この2つの不思議な事実は、アメリカ一国内の経済分析からは出てこず、世界経済の再生産構造、富の形成、分配、資本蓄積の法則を明らかにしないと説明されないとしている。私は、アメリカ人がなぜ貯蓄しないかというと、日本人みたいに銀行や郵便局に預けるのは、他人に儲けさせるだけだから、自分で株なり債券を買ってより儲けようとすると聞いたことがある。だから個人が銀行に預け、それを企業が投資につかうというのは、古典的な理解だけではないか。日本人がせっせと貯蓄しても、銀行は健全な借り手をさがすことができずに、金余りになり、投資に回らない。だからいくら貯蓄率が高くても、生産性と直接結びつかない。これも経済原論的な理解はもう成り立たないひとつの例である。(4)なぜ企業が純貯蓄セクターと化したのに、アメリカや日本は高い経済成長を続けているのか。これは(3)の説明になっている。つまり、企業はもうけのなかから設備投資してもなおかつ黒字がたくさん残る。だから、自分自身の貯蓄でやれるので、銀行から借りる必要はない。それどころか、その黒字を金融資産として運用して儲けるようになった。武者氏は、第一の仮説として、こういうのは不健全で続かないとする。企業が設備投資に消極的になると、やがて企業の生産性が落ち、経済全体がダウンしてくる。第2の仮説は、企業は貯めこんだ黒字をやがては積極投資にふり向ける時期が来て、先進国経済は投資主導の時期を迎え、経済は拡大に向かうだろうというものである。IMFの2006年の「アウトルックレポート」では、まず企業の大規模な貯蓄が発生した理由として、第1に、海外収益の増加、金利の低下、税負担の軽減、第2にIT革命のため、設備投資費用が少なくてすんだこと。これが主因であるとしている。これ以外に投資が抑制された理由は、過去に過剰設備投資したため、過剰債務の返済に忙しくて新規投資を手控えたという説である。IMFは、しかし、これは副次的な要因にしかすぎないとしている。今後、企業の貯蓄超過の持続性はどうかというと、IMFレポートはもろもろの事情を挙げて、今後もこの傾向は続くと結論している。つまり、企業が金ダブダブになった理由は、何と言っても中国、インドなどの低賃金国に投資してがっぽり稼いだということであろう。通常の自国内生産では、たとえばある商品1個につき100円しか儲からなかったものが、海外でつくらせたら、200円、300円もうかった。それ以外に、安い金利、リストラによる人件費コストの削減、ITの設備投資はそれほどお金がかからないですんだ、という事情が働いた。企業がこうして通常の産業努力でなく、金融や資産運用などで楽して儲けるようになると、何が起こるか。べつに社員や労働者が汗水垂らした努力のおかげではないよという経営者の意識が強まり、労働の分配率が下がる、つまりあまり社員の給料やボーナスを上げてやらなくなる、ということである。労働側も賃上げ要求に腰が引けてくるということである。
2008/06/13
(2)なぜ2001年以降のアメリカでの空前の弥縫策は成功したのか。というのが武者氏の第2の設問である。アメリカでは2001年以降のITバブル破裂、9.11以後の深刻な経済危機に対応して取られた空前の金融緩和と財政出動が景気を回復させ、生産性の上昇、企業利益の拡大、インフレ回避、ドル価格堅調をもたらした。ふつうの経済学の常識なら、これと正反対なことが起こるはずであるというのに、逆の効果をもたらした。「経済困難は金融緩和で治癒できる」というのがマネタリストの説のようだが、武者氏はこれに疑問を呈する。彼の仮説は「グローバル経済の恩恵が救世主としてはたらいたからである」と言う。政策による底上げ需要の回復初期(2004年まで)から自律回復期への移行が非常にスムースにいったのは、2つの要因が考えられる。ひとつは、企業業績のリバウンド(雇用と賃金の回復を支えた)と、もうひとつは低金利で、この高利潤と低賃金を可能にしたものはグローバル経済の恩恵だった、と言う。グローバル経済の恩恵とは何か。中国、インドなどの低賃金国に生産させてそれを輸入すれば国内で生産する2倍から3倍の利潤が得られる上、国内労働者の賃金も抑えられるから、物価―賃銀のスパイラル上昇が起こらず、インフレも避けられ、中国、インドの急成長市場に対する販売も好調ということである。したがって一国内経済学ではグローバル経済による経済効果を測定できない。武者氏は地球経済というものが成立しつつあり、その最大の牽引者が中国、インドであり、アメリカはこの両国の低賃金労働を搾取して、高利潤を生みだしているが、このことがまた両国の雇用の拡大、近代化離陸を助けており、ハイリターン投資と低賃金の結婚ということで世界が回っているから、ドルも意外に暴落しないと述べている。これはグローバル経済構造の急所で、設問の大部分もこのことで説明できると思う。これからも繰り返し述べる。
2008/06/12
企業家の質が変わったのか?この前、武者氏は省投資ということを挙げた。私は省投資だけでなく、投資家の活動力が鈍った、意欲が怠慢化したと言いたい。産業革命以後、投資はどんどん国家や国民の需要充足の方向でなされ、投資は利益を求める行動であるにも関わらず、そこには文明の発達への貢献という意義が感じられた。しかし、「米国はどこで道を誤ったか」(ジョン・C・ボーグル)は、企業経営がオーナー投資家からマネージャー経営者(CEO)に変わってからアメリカ資本主義がくるってきたことを述べている。つまりマネージャー経営者は株価さえ上げればいいという手練手管経営に終始し、安易な会社買収などで数字をあげ、腐ったリンゴ(悪質経営者)がやる粉飾決算やゴマカシが横行し、CEOは株価を上げたら膨大なストックオプションを売り逃げて大もうけ、会社の利益率と乖離した、一般社員とは数十倍のひらきのある収入を手にしている。つまり会社や株主のためでなく、個人の利得のために経営をするようになった。株主は株主で短期の株価の値上がりだけにしか関心がない。このような経営者が、夢のある投資をするはずがないというわけである。日本でも、すでに企業自身が豊富な資金を貯蓄してそれを運用しているから銀行から借りる必要はない。国民の預金が1400兆円、外貨積立が1兆ドルもたまっている。儲けた金はドル預金に流れ、アメリカ政府の国債を買っているだけである。これでは金が死んでいるだけである。今、必要なことは、台頭してきた中国、インドあるいはロシアと日本を組み合わせる投資である。日本国内にいくら道路を引いたって活性化につながらない。道路をつくるなら、九州と朝鮮半島の地下トンネルをつくり、東アジア経済と一体化することである。一国経済から複数国経済へと世界は動いている。石油が上がった今、電気自動車や燃料電池車の開発はどうなったのか。こういう自動車に特典を与えて有料道路は全部タダにするか自動車税を軽減すれば急速に普及するだろう。またユーラシア地域運航では中型旅客機の需要は急増するであろう。新しい中型旅客機の製造は十分採算の見込める投資である。中国には日本の省エネ技術が早速の売りになる。先日、秋葉原で7人の通り魔殺人事件があった。犯人は非正規雇用者で、作業着がなかったことから自分はクビになったと思い込んで自暴自棄になったらしい。年収200万円以下のワーキングプアが1700万人。これは明らかに日本資本主義の失敗である。新しい産業を創り出して、雇用を増やし、ワーキングプアを減らしていかないと、若者に未来はない。この国の未来はない。目の前に、中国、インドという巨大な離陸を目の前にしながら、なぜ新しい発想が浮かび上がらないのか。
2008/06/11
さて、前回は武者陵司氏の「新帝国主義論」で彼があげた20の従来の経済学では解きえない謎を挙げたが、彼のあげた回答と私の感想を書いてみたい。 (1)なぜアメリカでは好況下で低金利が続くのか。アメリカでは2003年~2006年まで名目GDPは6~7%で推移しているが、10年国債で見る長期金利は4%台で推移している。前グリーンスパンFRB議長はこれを謎とした。これほどでもないが、先進国でもこれと同様な現象が続いている。これに対する仮説1は、2002年以降の大幅な利下げの慣性であるというもの。しかしこれはアメリカが大幅利上げしたときも、長気金利は上がらなかったから、この節は成立しないことが明らかになった。仮説2は景気悪化説。先行き景気がよくないと企業家が判断して資金需要が起きないというもの。しかし景気拡大が4年も続いているから、この説も説得力がない。仮説3はバーナンキFRB議長の世界的貯蓄過剰説。アメリカ以外の各国で貯蓄過剰が起こり、それが行き場を失ってアメリカに流入しているというもの。日本、韓国、メキシコなどで投資、消費が抑制され、貯蓄率が高まっている。また中国、日本、欧州で人口が老齢化し、貯蓄率が高まっている。たしかにアメリカの過剰投資、消費はいつも海外の過剰貯蓄によってフィナンスされてきたのは事実であるが、2003年以降特発的にそれが起こった理由が説明されていない。武者氏の説は世界的企業の省投資である。企業が設備投資をキャッシュフロー以下に留めるようになり、それで世界的に資金余剰が発生している、としている。まとめ・・私の説は世界的にお金がダブダブ化してきたのは、ドルの刷り過ぎ、また、ある一部で猛烈な儲けが発生しているとみる。途上国の低賃金と先進国の賃金には20倍30倍の差がある以上、それを搾取しておれば、過剰利益が発生していなくてはおかしい。武者氏の省投資は正しいと思う。私は武者氏よりさらに発展して、これほど安易にもうかるなら、金融や投資によって儲ける道がいちばん安易であると企業家がみなすようになったからだと思う。リスクテイキングな産業投資は避けるようになった。小規模通常設備投資なら普通の利益範囲でやれるからである。つまりグローバルになって、金融投資の道がペーブされて、ビジネスチャンスが増えたということにほかならない。
2008/06/09
関西旅行に行く汽車の中で読もうと買った『新帝国主義論』武者稜司(東洋経済)はあたりだった。私が考えていたことをちょうどこの方も考えておられ、大変勉強になった。夢中で読み、ページが真っ黒になるくらい赤線を入れた。寺島実郎、副島隆彦、武者稜司はそれぞれちがうけれども、私の中でむすびつき、世界のことが何かつかめたような気がする。そこで、しばらく、この本が提起したことについて考えてみたい。武者氏は今の経済がまったくわからないことについて、冒頭で20の謎をあげられた。それを今回はそのまま引用させていただく。1。なぜアメリカでは好況下で低金利が続くのか。2。なぜ2001年以降のアメリカで空前の弥縫策が成功したのか。3。なぜ貯蓄率マイナスのアメリカで生産性の伸びが高く、貯蓄過剰の日本は逆なのか。4。なぜ企業が純貯蓄セクターと化したのに、アメリカや日本は高い経済成長を続けているのか。5。なぜほぼ完全雇用のアメリカで賃金インフレが起きないのか。6。なぜ為替調整は無効なのか、なぜドルは暴落しないのか。7。なぜ世界最大の純債務国であるアメリカの投資収支は黒字なのか。8。なぜ途上国に資本余剰があり、資本の提供者になっているのか。9。なぜデフレ下の日本で企業の交易条件が改善してきたのか。10。なぜ主要国はフルセット型の産業構造追求を捨てたのか。保護主義は敗北したのか。11。なぜ1990年代の世界的貯蓄不足論は外れたのか。12。なぜ日本経済は大きな痛みなしに復活したのか。13。なぜ中国、インド経済の離陸は2002年からなのか。14。なぜITバブル破裂が経済悲劇に帰結しなかったのか。15。なぜアメリカ経済の結末はITバブル破裂と大恐慌の1930とでは異なったのか。16。なぜITによる生産性革命は2000年以降に起きたのか。17。なぜ日本の重厚長大産業は突如復活したのか。18。輸入は経済にマイナスとのマクロ経済学の前提は正しいか。19。なぜ生産性と企業利益・産業の盛衰と結びつかないのか。20。前世紀初め、アジア停滞の代表とみられた巨大古代国家中国とインドが突如離陸したのはなぜか。それは本物か。武者氏は以上の従来の経済学では説明できない現象について自分なりの答えをこの本で出している。これは私が考えをまとめる上で大変に参考になった。しばらくこれについて書いてみる。
2008/06/07
梅棹先生のことはいくら書いても書ききれないほどである。梅棹先生の事績については、『行為と妄想』(中公文庫)に詳しく書かれているからそれをご覧になればよいだろう。梅棹先生は、いってみれば、探検家に学問がついたような方である。この前エレベスト登山に成功した75歳の冒険家三浦雄一郎さんのような冒険家は記録をしないが、梅棹先生は記録をつける探検家である。高校生時代から、レオナルド・ダ・ヴィンチの真似をして、好奇心を感じたこと、発見したと思ったことを何でもかんでも手帳につけた。このくせが梅棹先生のはじまりであろう。先生は理系であるから、文系の学者がたいていそうあるように、西洋の優れた先人にあこがれ、留学して西洋の思想を学び、原文を翻訳したり解説したりして、学者になる道を歩むということはしなかった。中学から旧制高校時代にかけて、日本の山々を歩きつくしたのちに、北朝鮮の白頭山を踏破し、サハリンを犬橇旅行し、大学に入ってから南洋諸島をフィールドワークした。大学を出た後、長家口にある西北研究所で2年間をすごした。所長は恩師の今西錦司氏である。この研究所はほんとうは戦略目的でつくられた施設であったが、先生はそういうこととは関係なく、モンゴル人の生態を観察して、ここで学問の基礎をつくられた。終戦になると天津に引き揚げられた。このとき25歳だった。ついでにいうと、先生はこのときいいことをされた。天津には十万人くらいの日本人がいたが、先生はこれら日本人が持っていた和書を集めてこれを天津市に寄贈されたのである。これはいまでもそっくり天津市図書館に所蔵されていて日本研究のいい資料になっている。もし、戦前の資料をみたければ、天津に行けばいいのである。先生の特色は何でもかんでもていねいに記録することだ。記録するときに気をつけることは、短くてもまとまった文章にしておくこと。小さな豆論文にしておくことである。キーワードひとつだとか、ただ一行のメモ程度だと、あのとき何を考えたか、思い出せなくなるからである。自分の記憶は信頼できないからこうされた。このようなカードをたくさん蓄積する。そして後で広げて読む。つまらないことしか書いてないな、と思うこともあれば、そこからハッとひらめくことがある。梅棹先生は自分自身が発見し、ヒラメキくことを最大の価値とされた。ヒラメキはいつ訪れるかわからないからである。先生がカラコルム・ヒンズークシ探検を皮切りに、アジア、中東、世界各域を探検旅行され、地球をおおうほど回られた。「あくことなき好奇心、知識欲、包容力、そういうものにあこがれていたのである」(梅棹)こうして各民族の中に分け入って観察、記録し、国立民族学博物館をつくられてからは組織的にそのような活動を大規模化された。小さなカードに記録して蓄積していたものがチリとつもり、巨大規模になって民族博物館は一大知的生産のセンターになった。民博にいくと民族学に関する情報がモノ、映像、文献になって、アジアにおける貴重な研究センターになった。先生は学者として成功してやろうなどという気持ちはなかったように思う。ただひたすら、好きな探検と民族研究の道を歩まれた。先生は誰かが先に書いたこと、発見したことを重ねて書くようなことはされなかった。常に誰も先人が果たさなかったこと、書かなかったことを新たに発想して書かれた。そうでなければものを書く値打ちがないと言っておられた。残念なことに十数年前に失明されて大きな挫折を体験された。晩年にかけて世界の宗教研究にとりかかろうとされておられた矢先である。こうして先生の宗教研究に接することができなくなったのは、かえすがえすも残念である。
2008/06/06
昨日の明るいニュース。日本人の父を持ちながら、父が出生後に認知したが、両親が結婚していない場合の子供には日本国籍が認められなかった。そういう子供たちが日本国籍を求めて集団で訴訟に持ち込み、とうとう最高裁で判事10対5の判断で勝訴した。子どもたちが飛びあがって喜んでいる写真がとても感動的だった。憲法はかくもありがたい。憲法は最高の法律で、その下部にあるどんな法律も憲法に違反した内容である場合は有効でなくなるわけであるが、日本では、そういう憲法裁判が明確に行われなかった場合が多い。今回は、出生前に父親が認知した子供は、日本国籍はとれたのに、出生後認知の子供は日本国籍がとれず差別されていた。こういう差別は、法の下に平等であるべきことに違反するとして、のけられたわけだ。それはさておき、どうしてこういう子どもたちが生まれたか。フィリピンに駐在した男性や男性旅行者が現地の女性と愛をもち、その結果、子供が生まれた。女性が子供を連れて男性を追って日本まで来て、男性に認知させた。そういうケースが多いだろうと思う。子供たちは、日本の学校に入り、日本語を話し、ほとんど日本人同様に育っている。こういうハーフの子は性格がノビノビしている子が多い。日本にいないで、フィリピンに住んでいる同じケースの子供、あるいはフィリピン以外の国に住んでいる同じケースの子供にまで判決の意思が及ぶであろうから、新たに日本国籍を得る子供たちは相当な数になるだろうと思う。
2008/06/05
関西旅行3日目は梅棹忠夫先生の米寿を祝う会に出た。わが知研の特別顧問の大先生であるから8人がはせ参じた。思えば37年間、先生にはずいぶん恩顧をいただいた。これほどスケールの大きな人は今後もめったに現れないであろう。梅棹先生の徳を慕って集まった人は380人、会場に入りきらないで断った人がず大勢いたという。梅棹先生のなされた業績は、民族学を確立されたばかりでなく、素晴らしい国立民族学博物館をつくられた。さらに情報化時代を早くから予言し、人々の蒙を開かれた。「知的生産の技術」という本を出され、この本が引き金になって、数々の類書が出され、日本の社会に方法論を定着させ、素人にも勉強と研究の仕方を教えて下さった。仮説では、「文明の生態史観」が名高い。私は、知的生産の技術研究会を作って、図々しくひらかなタイプライターを大学の研究室を軒並み回って売り込んだ。ある日、東大の研究室で「大塚研究室」と書いた部屋があった。入ってみると眼鏡をかけた老教授が一人居られた。なんとこの方が大塚史学で名高い大塚久雄先生だった。ひらかなタイプライターの話はすぐ引っ込めて、京都学派がいまブームですが、文明の生態史観についていかがお考えですかと質問してみた。すると、京都学派なんてそんな学派があるのかね。梅棹さんの説は読んだことはあるが、あれは学問ではないよ、と言われた。へー、なんと東京の学者は、京都と隔絶しているのかと不思議に思ったことがある。米寿を祝う会で、4人のお弟子さんによる梅棹先生の業績の一端を紹介するシンポジウムが行われた。小長谷有紀さんはスクリーンに、梅棹先生がやさしい感じのきれいな字で丹念に書いた取材メモの1枚を大写しにした。「先生は何でも見たこと、聞いたことを何でも書かれています」。本当に梅棹先生の原点は、丁寧な字とイラストで、後で役に立つかどうかはおかまいなく、些細なことまで、どうでもいいと思われることまで書かれる。これはダビンチの手帳をまねしたのだという。先生はこれを有効な素材蓄積法だとされている。情報については、「あらゆる存在そのものが情報である」とコメントされた。帰ってから「知的生産の技術」を開いてみると、29ページにウイルソンの霧箱というところにちゃんと書いてあった。どんなものでもそこから感じたことが情報になる!。感じるか否か。この一言にすべての情報論が込められているではないか。私などは、情報といえば、データ、インフォーメーション、インテリジェンスがどうのという議論にその後かき回され、情報とは、そういうものが「ある」のを探すことだと思ってきた。なんという愚かな誤解をしてきたものだと思う。先生のおかげで、私のような素人でも学者に対抗して研究することができる。梅棹先生はいわば、学問の世界、教育の世界で静かな革命をやられた人なのだと思った。
2008/06/04
関西旅行2日目、千里中央からバスで万国公園に行き、日本庭園で時間をつぶす。おにぎりを食べながら、荘大な庭を鑑賞。いつまでも見あききず、時間が経つのをわすれる。読書も進んだ。それから向かいの民族博物館で特別出し物の中国の少数民族展を見る。少数民族の絢爛たる衣装に目を見張った。これこそ芸術ではないかと感嘆した。土曜というのに、日本庭園も民博も観覧者がすくない。これは今日本中の美術館、博物館、テーマパークなどが陥っている病である。大阪の知事が赤字に苦しむ理由のひとつである。これについてはまた書く。 2時、もと朝日放送のディレクターである正賀さんが来られ、食堂で取材する。正賀さんが30年前につくられた「遠い島~硫黄島その33年」は1977年度にギャラクシー大賞を受けた。取材の目的は、ドキュメンタリー番組の作り方と、台本に使う絵をいただくためである。ドキュメンタリストがいかにドキュメント作品を創るかの詳しい段取りやカンドコロの話を聞く。ドキュメンタリーと映画とちがうところは、映画は台本ができていて、それ通りに作っていくが、ドキュメンタリーはコンセプトと狙いはあるが、台本はない。まったく未知の対象に当っていくわけだ。そこに最初のコンセプトを超える新しい発見があるかないかで勝負がきまる。正賀さんの作られた硫黄島は幸いすばらしい出来になり、大賞を受けた。カメラを向ける相手はまったくの素人の人である。こういう人にインタビュウして引き出していくのはなみなみならぬ経験と技術がいるが、決め手になるのは聞き手の人柄である。この点、正賀さんはうってつけの方でベテランであった。「きけわだつみの声」、徳島ラジオ商殺しの冤罪を扱った「無罪」という作品をつくられたときの話も伺った。ずいぶん昔になるが、かつて終戦直後の松川事件を調べた作家の広津和郎氏が事件を民間の立場で調べつくしたあと、それでも最後に「あなたは本当にやっていませんね」と聞く。これはダメ押しというものではない。そこで本当の涙を見て納得する。ドキュメンタリストはそういうラストの心境に到達するそうだ。正賀さんもラジオ商の人と膝を交えて夜がしらじらと明けるまで語り合った時間の意味を話して下さった。実に深い話である。
2008/06/03
30日から1日まで関西旅行した。いろいろな意味で大変な収穫があった。一日多く日程を取って行ったのがよかった。このためひさしぶりに時間にもてあます贅沢さを味わった。本もたっぷりある待ち時間で2冊半も読んだ。30日は関西大地震の跡をたずねた。あれから12年もたっている。地震直後3度おとづれて取材した思い出が昨日のように思い出される。これは「ボランティアが世界を変えた」((寳蔵館)に書いた。三宮駅周辺、元町界隈、三宮センター街などなんともいえないやさしい感じの町の味がやはり失われたような気がする。商店街は見事に再建されてきれいになっていた。しかし、おおぜいの人波が絶えることなく流れて活気があった雰囲気がなんとなく減ってさびしく感じた。地震のせいかどうかはわからないが、やはり神戸の受けた傷跡の大きさがひしひしと感じさせられる。それでも神戸も町の人情は衰えていなかった。道を聞いたりしたら実にこまやかに教えてくれた。うろうろしていたら道をお探しですかと老人の方に声をかけられた。ふと60年以上も昔、内地に里がえりするたびに通過した神戸の街のやさしいずまいを思い出した。一番被害がひどかった長田町、大開のあたりを歩いた。あの頃、見渡す限りの焼け跡だった。つぶれた家の悲惨な状態。焼け跡のところどころに住民の安否を問い合わせる張り紙がしてあった。役所では、かつてみられなかった光景がみられた。救援にかけつけた大勢のボランティアたちが区役所や学校を拠点にしていた。そこらじゅうにボランティアたちのビラは張り紙がしてあった。炊き出しの光景、給食をもらう長い行列。若者たちの行動は美しかったと思う。そういう光景ももう想い出のなかである。目のとどく限り広がっていた焼け跡はいまでは高層のマンションやアパートにふさがれ、つぶれた小さな家々のあとは安普請のモルタルや新建材をつかった無個性の色彩の家に変わっている。おそらく大半の住民は土地を手放してマンションに売り渡し、姿を消したのであろう。あの地震で約6千人の方がなくなった。中国の地震はこれに10数倍する被害が出た。鉄筋なしのレンガ建てだからいっぺんに子供たちが下敷きになって死んだ。これに比べると日本の学校などの建物は頑丈だった。木造家屋は材木の隙間ができて助かる可能性があった。しかし足などを挟まれたり押し潰された人はそこからえそが広がり、72時間以上が経つと亡くなった人が多かったという。12年やって、もはや地震の痕は見ることがなく、空間はびっしりマンションや家々でふさがれている。しかし、よくみるとお金がかけられた家はすくない。人々がいかに負の遺産を背負いながらも、健気に生きていく逞しさを感じ、胸が熱くなった。
2008/06/02
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