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今日ドイツ証券副会長の武者陵司氏から詳細な講演のレジュメが届く。これをみるとかなりサブプライムのかなりつっこんだ解説が見られる。10月2日PM7:00から虎ノ門の商工会館での講演が期待できる。霞が関ビルの裏、特許庁隣ですからすぐわかります。どうぞ知研のHPを見て参加してください。昨夜は久しぶりに貿易会社をやっている弟と沖縄料理を食べた。40年ほど前、弟が鉄の商売で沖縄に駐在していたとき、私も同じ時期にちょくちょく出張して向こうで飲んだり遊んだりしたことを思いだしてなつかしかった。それで新宿の駅ビルの7階にある店を選んだ。あのころの沖縄の店で食べたものはなにもかもおいしかった。やすくてうまい沖縄のやきそば、チャンプル、豚の角煮、泡盛にコーラを割って飲む、値段が東南アジアに比べてもすごく安く、人情がこれまたよかった。波の上という料理店などで沖縄のおどりを見ながら飲み食いをしたり、宮古島や石垣島まで行ったことが懐かしく思い出される。しかし新宿の店で食べた沖縄料理は、まるで高級料理みたいになっていたのでピンとこなかった。弟の会社は中国貿易がメインだが、10年ほど前からアメリカやインドネシア、最近はドバイにまで日本の酒とか調味料、すしだねなどを輸出している。得意先は向こうにある日本料理店である。売上は24億円になり、従業員も10人以上になった。最近は中国向けの日本食品がよく売れている。これはご存じのように中国の食品が信用できなくなったのは日本のみではない。中国人自身も信用しなくなり、日本の商品がよいというのでどんどん出るようになった。去年、私が中国に行った時も向こうの中産階級以上の人はみな日本商品をほしがった。私がお土産にもっていった虎屋のようかんが大変喜ばれた。日本商品のにせもの、果ては勝手に日本の老舗の屋号まで商標登録しているというのはけしからんことだが、逆に考えるといかに日本の商品が信用があるかということで、少々高くても日本の商品が売れるということである。現に例のメラミン事件で日本から森永、明治の赤ちゃんミルクが大量に中国にでている。。中国の沿海部の国民の一人当たり年収はそろそろ1万ドル、そういう中産階級以上の富裕層が1億人以上に達しているそうであるから、これは有望な日本の中小企業のマーケットになるだろう。ところが、中国はヤバイという反応ばかりが働いて、これからがチャンスという燃え上がりが少ない。最近の中国関係のデータを寺島さんのレジュメから借りると、08年上期の経済成長率は10.4%、07年の粗鋼生産量は637万トン、自動車販売台数は08年予想は950万台、海外渡航者数は07年4095万人、うち日本に来た数は06年81.2万人である。地理的に近いということが何といっても日本の強みである。
2008/09/30
昨日の続きで東洋大学の講演の話。27日に行われた基調テーマは、東洋大学が力を入れようとしている文系と理系の壁をなくそうというものである。それには元新日鉄のエンジニアで東大の特任教授で東洋大学の客員教授でもある大場善次郎氏がパネルディスカッションで熱烈に話したように、そういう新設の総合的な学科以外にも、文系の人と理系の人が、学生、教員、職員の間で時を選ばず常に「学び合い、教え合い」をしていけばいいという。官僚、政治家、財界人なども政策決定の場にある人は文系が圧倒的に多いから、理系意識をどんどん拡大して、科学技術を振興していかないと立ち行かないから、これは両者のバランス回復のため、また総合的な見方をするために絶対必要である。次に登場したのが「バカの壁」でおなじみの養老孟司先生。今日は寸前まで2回も講演をしてきたとおっしゃったから、相変わらず養老ブームは続いているのだろう。知研でも4回ばかり先生の講演を実施した。印象に残った3点を紹介する。●高校生が東大の医学部を受験するとき、物理、化学、生物、数学、社会、国語、英語などのうちから5科目を選び、その総合点で順位をきめ、合否を決める。このほうが客観評価が楽だからである。採点者が責任を取らなくていい。最近の高校生は点数を取りやすいのは数学、物理など回答が決まっているものを選び、正解がつけにくい生物をとらない人が多い。こうして医学部の学生、および医者になった人は数学、物理などにつよい人が増えた。点数制だと158点は合格、157点は不合格、これって本当に合理的だろうか。しかも、数学、物理に社会、国語、英語までたした総合点と医者になる素質といったいどういう関係がある?この結果、医者の診断が変わってきた。患者と対面して問診して感じ取る医者がすくなくなり、綿密な検査をしてデータを取り、その結果で病名を当てはめてしまう傾向になった。これでは医療事故は増えるはずである。私がやった解剖学には、数学や物理はあまり役に立たない。人体という総合的な生きた構造と対話しながら感じ取り、判断しなければならないのである。●もし人間が2人いたとすると、最も生産的な組み合わせは何か。二人とも全く発想が同じだったら、一人と同じ。180度違ったらおさらば。一番いいのは90度ちがうこと。90度だとたがいに活性化し、競争し、寄りあう力が働き、対角線になる。この対角線が一番長く、最も効果的である。だから組織には異質な人を入れなさい。●最後はおなじみの養老理論。世の中の万物は日々変化している。昨日の自分はもう今日の自分とは異なっている。川の流れも、1分前の位置にいた水はもう数百メートル先に移っている。しかし、情報は変化しない。今日書いたブログは百年たっても一字一句同じ内容で残っていく。人間の脳というものは、瞬間でとらえたものを固定・保存してしまうくせをもっている。動いている胴体をカメラでパチリと撮ると静止画像になるのと同じだ、人間は動いているものを切りとって概念をつくる。だから情報は常に過去のことである。それなのに、世の多くの人は情報のほうが正しいと思っている。過去の情報でできた概念や知識に固執する。概念がすべてだと思っている。つまりバカの壁。養老先生はいつまでもいつまでもこのことを言い続けておられる。何百回年千回の講演の内容のメーンテーマがそれである。先生は二年先の講演まで決まっている。私は先生のおっしゃることはもっともなことだと思うが、人間というものは一方で概念をつくってそれに取りすがらなければ生きていけない動物だと思う。すべて感覚で、というのも無理な話である。要するに養老先生のご注意を肝に銘じておけばいいというのが、改めて思った感想であった。
2008/09/29
今週は木曜日に多摩大学リレー講座の寺島実郎氏の講演を聞き、27日の土曜日には東洋大学の「文系、理系の壁とはなにか」という講座を聞きにいった。印象深いポイントを取り出して何度かにわたって伝達したい。まず伊藤忠商事会長で、経済財政諮問会議や地方分権改革推進委員会委員長などをやっている丹羽宇一郎氏の「グロバリゼーションの中で企業が求める人材」という約45分の講演。彼は大企業のトップだが、日本の企業数570万社のうち99%は中小企業で、10行社員数は4700万人、大企業は700万人、収入の格差は大企業を100とすると、中小企業は52.3%から65%、過去5年間で従業員300人以上の中小企業は給与が3.1%上がったが、300人以下の中小企業は3.9%下がっている。中小企業が元気にならないと日本は沈没するという話から始めた。結論は、日本には技術と人材しか資源がないから、人材集めと育成で世界でトップにならないといけない。日本にはいい人材がいることは事実であるのに、なんで昨今問題ばかり起こるのか。組織が大きくなればかならず不祥事が起こる。これは、ウソ、イツワリ、カクスなどして他人の命より自分の利益を守る人間が増えたからである。経済学がなぜ当たらなくなったかというと、人間は理性的、合理的に動くという前提で作られたのであるが、最近の人間は理性的、合理的に動かなくなったので、経済学の常識が当たらなくなった。人間はまじめな顔をしてとんでもないことをするずるい存在であるが、外から見るとそれがよくわからないから困る云々。という人間性悪説を日本の経営者が言うようになった。したがって人間として大切なのは、ウソをつかない人、やさしい心をもった人がいい。知識は勉強すれば身に着けられるが、それよりも大事なものがある。学校教育では、基礎知識を教えること、読み書きそろばんで普通程度の能力をつけてもらうこと。パソコンで文章を書いて、文字転換をまちがえてとんでもない熟語になっているようではダメ。グローバル時代になると、英語ができないと困るが、英語はペラペラでも中身がない人はだめである。英語はトツトツとしゃべっていても、中身のある人は必ず向こうが信用してくれる。浪花節的な外国人もいっぱいいる、人間のよさはからなず相手から尊敬される。企業としては、そういう素質の良い人を採用して、仕事を一生懸命してもらう。仕事だけが人間を磨き、育てる。誠実に頑張ってやること。努力をすること、難しい仕事をやってクリアすればするほど人間は育ってくる。長年多くの人を見てきたが、人間の能力にはほとんど差がない。生物学的にもDNAには差がないと証明されている。だから継続して努力を続けていけば必ず成長する、というのが結論であった。だいたい平凡といえば平凡な結論であるが、大会社のトップが人間の採用について人間の道徳的なものを重視し始めたのは、注目すべき現象だと思う。
2008/09/28
麻生内閣はまたまた安倍内閣が復活してきたようで不快である。人格的にも教養的にも福田さんのほうがよかった。ただ彼はあまりにもドクがなかったので、麻生氏のドクに負けるのである。麻生氏の発言を聞いても何ら新味がない。自民党の古い枠からはみ出るようなものは何もない。そしてはやくも低能人士が現れた。中山大臣のバカ発言。曰く、成田空港反対者はゴネ得、曰く、日教組の子供は成績が悪くても先生になるので、だから大分県の学力は低い。曰く、日本は単一民族で、内向き。成田空港は、もとは違う場所につくるつもりであったが、そこがダメになって、急きょ急ぐために第二候補地の成田でしゃにむに土地買い占めを行い、反対する農民を機動隊を入れて強制退去させてつくった。事前に農民の承諾なしにやったので摩擦が起き、左翼の学生が参加して成田闘争といわれるようになったが、もとはといえば、筋を無視してやったのでもめたのである。ごね得というものではない。日本の農民にそんな悪質な者はいない。次にやたらに日教組の悪口を言うが、日教組は戦争直後の10年間は日本の民主化に貢献があった。しかし、昭和30年代後半には組織率が下がって影響力を失っている。日教組がつよいところは学力が低い、だから大分県は学力が低い、とはどういうデータと根拠で言っているのか。それが大分県の教員不正採用とどういう関係があるのか、日本人単一民族説のまちがいはもはや小学生でも知っている。大和民族が来る前は日本列島はエゾ、クマソという先住民族がおり、東北の北のほうまでアイヌ民族がいた。沖縄の人も民族的には大和民族とちがっている。日本人は内向きというが、それは政治家がうちむきだからである。こんな初歩的なことまで知らず、出まかせ、口まかせで言うのは教養がなく、勉強が足りなすぎるためで、低能の証拠である。もうひとつはテレビの低能人士。「麻生さんと小沢さんはどちらが首相にふさわしいでしょうか」なんて写真をならべて人気投票みたいなものに誘導しようとしている。こんなキャスターは消えてほしい。選挙はお祭りやイベントではないのだから、マスコミはきちんと両方の政策を分析して、説明しないといけない。マスコミがどちらかの政党を応援するというのは良くないから、そういう立場をきちんと国民に説明したうえで、政策をきちんと論理的に報道すべきである。このごろは、小杉隆さんというニューヨークタイムスにいた記者が大活躍しているが、記者クラブから排除されていたこの人があちこちに出ているのに、大新聞の大記者があまり表に出ず、黙っているというのはどういうわけであろうか。
2008/09/27
アメリカのサブプライム問題というのが、だんだんわかってきた。ここでおさらいすると、銀行が融資しても大丈夫な層をプライム層といい、銀行があぶなくてお金を貸さない貧苦層(70%が黒人、ヒスパニックなど)にもお金を貸して、リスクを冒して採算をとるには、まず最初は低金利で3年ほど貸し、そのあとはだんだん利子を上げてゆき、最高は10%にするという商法である。どうして貧苦層が3年以降に高い利子を払えるようになるかというと、いま住んでいる住宅価格が上がっているから、それがあがったらそれを担保に安い金利のローンに借り直せばいいという理屈である。しかし銀行もさるもの、そうなっては困るから、サブプライム層に貸した債権をこんどは証券化して、それにいろいろなヘッジファンドをくっつけ危険を分散すれば、たとえリスクにあったとしてもハイリターンだから十分カバーできるだろうと考えた。初めのころは100%もうかるという触れ込みで始まった。要するに銀行は自分でリスクをしょわないで、投資家、証券を買ったところにリスクを転嫁すればいいというあざといやり方である。こういうやり方を考え出したのはウオール街にいたマイケル・ミルトンという人で、ジャンク債(紙くず同然の信用のないクズ証券)にいろいろたくさんの債権を組み合わせてヘッジすれば、ハイリターン・ハイリスクを顧客に承知させて売ればもうかるという発明でこれは大いにもうかった。アメリカ人は銀行に預けても利子は3%くらいしか入らないから、もっともうかるところへと必死に探すらしい。そこでこういう人たちに「これはもうかりまっせ」とすすめる街のエージェントがいっぱいいて、田舎の人は簡単にだまされてしまうらしい。ところが、とうとう住宅価格が暴落して、サブプライム層が金を返せなくなり、すべての虚構がひっくり返ってしまった。こうして世界中から金を集めて回していた大証券会社の金がこげついて、150年続いたリーマン・ブラザースまでつぶれるという事態になった。FRBはついに75兆円もの公的資金を投入して不良資産の買い取り策を発表したが、これには一般納税者からの反発が燃え上がって大揺れらしい。アメリカの金利は2%に下がり(それでも日本の金利0.5%より高い)、世界の金の流れが変わるだろう。ドルの世界循環の構造がいよいよ崩れてきた。先行きはまったくが不透明だ。
2008/09/26
自民党総裁選なのに5人の候補者が関係のない街に出て、事前選挙運動を繰り返し、ふたをあけてみたら、麻生氏が圧倒的に勝って、後の候補はちょびちょび、地方票に至ってはほとんどないに等しかった。したがって麻生氏に代表される自民党の旧体質がはっきり裏付けられたわけで、後の候補は刺身のつまというか、かえってこういう候補が勝手なことをいうと、自民党の本質かくしになるだけである。このために費やした1週間はまったく時間の無駄だった。麻生氏圧倒的優勢が伝えられるとたちまち白けてしまった。さすがにテレビもバランスをとって民社党の小沢一郎氏の政策発表を流した。この前に自民党の河野一郎氏がやっている無駄撲滅プロジェクトによる文部科学省と環境庁の政策棚卸を参観したが、たった一日で1600億円というやめてもちっとも困らない政策の無駄遣いが発見された。こういうことに対して挨拶にたった年配の議員は、こういうことには手をつけなかったからわからなかったと言ったが、半世紀も政権をとっていながらなんという怠慢だろうか。霞が関のお役人がやっている仕事のすくなくとも1割は余計な仕事で、予算は10%確実に減らせるわけである。これ以外に無駄が5%はある。構想日本の加藤秀樹代表は元大蔵省のお役人だったが、この人は中央で画一的に決める規格を地方にも押し付けるために、交付金がバカ高くなるので、こういうのを地方にまかせてやれば、30兆もの国債発行はまったく不要になると言っている。自民党の幹部は、二言目には「財源がない」というが、こういう人はやる気がないか、今の官僚機構に手をつけることをはなから嫌がっているひとであることがわかった。小沢一郎氏は、財源は22兆円、一般会計と特別会計からねん出できると言ったが、さきほどの無駄な仕事、無駄な費用をけずるだけで、約10兆円は出るのであるから、これはリーズナブルだと思う。ごく一般家庭でも企業でも、困ったらねん出はどこでもやっているわけで、これくらいの無理をしなくては、霞が関の改革などできるわけがない。
2008/09/24
アメリカのサブプライム不況も泥沼の状態に突入し、このままでいくと金融恐慌、ドル暴落は必至のがけっぷち、ここでバーナンキFRB長官はいよいよ蛮勇を発揮、なんでもやるよとヘリコプターからドルの雨を降らせるに至った。21日、ポールソン財務長官は7千億ドル、日本円で75兆円の不良資産買い取りを発表した。これで、株価も急反発したが、せっかく日経平均は1万6千円台までいったのに1万2千円あたりでまったく先行きが見えなくなった。円はドルとともに下がり、ユーロ、英ポンドは上がっている。さて、75兆円のアメリカ政府の公的資金による不良資産買い取りを見て、思ったことは、救済にしてもアメリカのやり方は日本とはちがうなということである。ドル札を大量印刷し、外国にも協力を押し付けてなりふりかまわぬやり方だが、国民に対する徳政のようなものが伝わってくる。バブルに踊ったのはお前たち自身が悪いんだから事業自得だということはあまり言わない。ここでアメリカ人がすこしでもいい家に住みたいという希望をつぶしてはならないということを最優先するのである。日本では、バブル時代に2LDKのマンションが6千万にも上がったが、バブルが終わったら、3千万に下がってしまった。ところが、バブル時代に契約してローンを組んだ人は毎月20万円ものローンを払わねばならないが、残業収入は一気に減少して生活が行き詰まってしまった。やむなく契約解除し、大損した人が続出したが、こういう人はまったく救われなかった。同じように、数年前の姉歯の不法建築で取り壊されたマンションを買った人も全く救われなかった。特定の個人を救済するのは、公平性の原則にかけるというもっともらしい理屈で、日本の役人や政治家はちいさな国民の幸福を見捨ててしまう。たった一人の国民の不幸にも配慮するというのが施政者のつとめであることが原則ではないか。たった一人ではない大勢の人たちの年金、医療などにも、愛情のようなものが少しも感じられないのが今の政治である。
2008/09/23
秋の夜長、また遠野の世界にもどろう。「遠野物語」を収録している岩波文庫にはもうひとつ「山の人生」「山人考」という文があり、これがまた実に面白い。柳田国男氏は、遠野で取材する一方で、日本全国に流布している民間伝説などの古文書を読み漁っていろいろな話を紹介し、民俗学の原型のようなものをつくろうとしている。私たちの記憶がとどかないずっと昔、百年も二百年も昔、あるいはそれ以上の過去に人々がどんなことを信じていたかは、想像を絶するものがある。鬼って何だったのか?天狗ってほんとうにいたのか?酒顛童子の鬼は人間だったのか。怪力金太郎は鬼子だった、タヌキが酒徳利と通帳をぶら下げている焼きもののいわれは何?などなどに想像をはせていくと面白い。私がおぼえている子供時代でも、迷子はどこの家でも心配の種で、夜7時以降は子供は外出禁止、娘は8時までに帰宅することなどが強くいわれた。すこしでもこの時間を過ぎてもどらないと家じゅう大騒ぎになった。だから夕方になったらカクレンボ遊びはするなというのが大人のいいつけだった。こういうのはずっと明治の昔から、あるいは江戸時代からもそうだったのだろう。夜の闇は深く、鼻をつままれてもわからないから、月夜のない夜は迷子、迷い人が多く出た。さんざん捜し歩いたが、夜が明けたら家のちょっと先の畠の中に立っていた、なんていう話がしょっちゅうだったらしい。こういう単なる迷い子はすぐ見つかるが、かき消すように杳として行方知らずという迷い子が出る。大きな木の下にそろえた下駄だけ残っていたというのは、神隠しと言われた。村の人々は提灯や松明をもって集団で捜し歩いたが、それが宗教行事のようであったのは、山の神様が子供をさらっていったのだから、神様にお願いして返してもらおう、と当時の人はそれを信じていたからだという。では、山の神様とは何かというと、いろいろな説があり、仙人だとか、天狗だとか、山姥だとか、あるいは山男、山女だとかで定説なない。天狗は背丈が大きく、鼻が長いのと、烏天狗といって鳥のようなくちばしをもった者もいる。しかし特徴は僧形である。今日でも土木業界がトンネルや道路を山の中に作る時は、開通式には山の神にお神酒をささげる。そのときは女性の参加は禁止される。山の神は女性だという説があって、それで奥さんのことを山の神とちゃかしたのである。柳田国男は、日本全国の山には山人が住んでいて、平地の俗界とは隔絶しており、山に迷い込んだ人や樵などが山人を目撃した話がたくさん言い伝えられていることからこれは単なる作り話ではなく事実であったとしている。目撃した人たちが言う、共通する山人の特徴は背が高い。6尺から8尺、9尺、1丈もあり、色が白く眼が輝いており、衣服は着ず裸である。腰は木の葉か木の皮で隠している者もいる。火は用いず、獲物をとらえて生のままむしゃむしゃ食う。ものすごい速さで駆け、すぐ行方を見失ってしまう。山で仕事をしている炭焼き小屋などにきて火にあたっていたり、食物を持ち去る。だんだん人になれてくると、米のめしや酒をほしがり、与えると喜んで作業の手伝いをする者まで現れ、里に下りてきて物々交換する者まで現れた。こういう山人はなぜ山にすんでいるのか。普通の人が世を捨てて山に入り、山人になった場合もある。あるいは子供の時に山人にさらわれて、山人に育ってしまった例や、山人が女がほしくて里に出て女をさらい、山人の嫁になったケースもある。神隠しの多くの原因はそれらしい。山はそれほど物資は貧しくなく、獲物はたくさん取れ、木の実なども豊富にあったから、山人が食うにこまるということはなかったらしい。しかし、やはり米のめしや酒がほしかったらしい。だらしない山人が毎夜のようにやってきて酒をねだったので、それが大キンタマをもち酒徳利と通帳をぶらさげたタヌキ像になった。ある地方などではものすごく大きい草履などをつくって、張り出したのは、3尺もの大ぞうりを履いた山男を追い払うために、こっちにはもっとがでかい男がいるぞという脅かしのデモンストレーションだったと柳田は推理する。では、山人とはいったい何者なのだろうか?大和朝廷が全国を平定して国を定めたのはおよそ2千7百年ほど前の昔。北方には蝦夷、南方に熊襲という異人種、というより、朝鮮半島や大陸からやってきた大和民族より前にいた先住民、アポリジニがいたわけである。アイヌとはまたちがうらしい。彼らを討伐した結果、多数の者は降伏して帰順し、土着した。討伐の結果、殺した者も膨大な数にのぼった。帰順しない者は山の中に逃げ込んだ。長い時代がたつうちにその多くが死滅し、今日では絶滅した。いつまでも反抗し、悪さを働く者は鬼といわれるようになった。丹波の山の中にいた酒顛童子は夜な夜な女をさらってお酌をさせ、悪事を働くので源頼光によって退治された。先住民はそれぞれ原始宗教をもっている。先住民を征服したらその宗教もやめさせなければならない。したがってたくさんいた神様たちを整理し、その神格を否定するために悪神にし、それが天狗や山姥、山ハハになったのである。これを読んで、ヨーロッパでもどこでもメジャーな宗教が制覇するとき、それ以前の土着の小宗教の神様たちは悪神、悪魔、よくて副神、従属神、妖精にさせられた、という話を思い出した。天狗に神隠しをされた子供が帰ってきて話す話を聞くと、空高く舞い上がり、何日も空中を飛翔して、そのうちにドスンと屋根を破って落とされた、というのが多いそうである。想像力を刺激される楽しい本を書いた柳田さん、ありがとう。
2008/09/20
リーマン・ブラザースの株が暴落し、アメリカはおそらく公的資金まで使わないだろうと思っていたら、バンク・オブ・アメリカが買収した。ものすごい金融業界の合併吸収だ。そうしたら今度はサブプライム関連商品の保険として元手を保証するデリバティブとして急伸したAIGの格付けが下がり、約150億ドルを払う立場に追い込まれ、行き詰まった。AIGは毎日のように日本でもコマーシャルしているアリコジャパンやアメリカン・ホームダイレクト、AIU保険などで日本の保険業界でも大手になっている。これがつぶれたら相当な影響が予想されていた矢先、さすがに関係国への波及を恐れたFRBが公的資金を使って救済した。ドルの下落は前々から予想されていたが、暴落状態が予想されると、手持ちドルの暴落を防ぐために先進各国がドル支えに介入するので、ドルの下がり方がにぶり、同時に各国の通貨も渦に巻き込まれたように下落し始めた。ドルはあまりにも大きすぎて下げられない。このままいくと来年3月には円ドル相場は60円くらいになるという人が増え始めている。一方、来年3月までにはなんとかけりがつくという人もいる。しかし、日本の対アメリカ輸出、アジアの対アメリカ輸出は大きな打撃を受けるだろう。来年3月に学校を出てくる若者たちにちゃんとした職業が与えられるかが心配だ。昨夜は教育ジャーナリストとして綿密な取材で定評のある中井浩一氏を呼んで「若者全体の学力は下がっているか?どうしたらいい、日本の教育」という座談会をした。若者全体の学力が下がっているというデータはないそうである。しかしイメージとしてはそうなっている。「若者が向学心がない、本を読まない、研究開発心が衰えている、がんばりがきかない」などいろいろな発言と質問が出たが、これは若者の責任というより、高校全入、大学全入時代は受験勉強などする必要がなくなった時代に入り、昔のガリ勉した若者だって今の時代になれば今のようになるのではないか、というのが中井氏の結論であった。すべては時代のせい。これでわかったことは、るる中井氏が説明した若者の現状は与件であるということだ。大人たちが果てしのない若者批判をするより、こういう、固定観念がない、柔軟な、なんにでもすぐ染まるという若者のよさ、を生かしていかに教育をするかだ。これに対して当会の久恒理事長は宮城大学、いまは多摩大学で貴重な実験をして成功したのは、これからの教育モデルになるだろう。
2008/09/18
自民党の総裁選なら自民党員相手にやるべきなのに、候補者5人が渋谷の街頭に出て、一般人に宣伝し、あちこち回るというのはどういう了見なのか。5人が華やかに乗り出せば、まずテレビ局が報道のネタになるから、すぐのってくる。それを利用すれば、次の選挙で自民党の宣伝になるという魂胆がみえみえだ。5人の政策がそれぞれずいぶん異なるというのは、1つの政党として内部がバラバラである証拠で、こういう政党は一体性がなく信頼できない。国民はいろいろな政党を支持しているから、民間放送だといっても、公的な性格をもつのであるから、軽々に特定の政党を利するような報道をしてはならない。しかるに公共放送であるNHKまでが5人を集めて討論放送させるというのは、まったくけじめというものをわきまえない行為だ。三笠フーズというのはどれくらいの格のある店か知らないが、国民の健康に危険だと知りながら、商業道徳を投げ捨てて悪に走ったというのは、徳川時代以来、くりかえし行われてきた悪徳行為である。米を隠匿秘蔵して値を吊り上げて稼ぐ、御用米を横流ししてもうける、材木の値を上げるために、放火させて町を灰にする、配給品を闇に流すなどの手口は悪徳商人によって次から次へと考案されてきた。とくに元がタダ、あるいはそれに近い商品は、悪い人が蜜にたかる蟻のように集まってくる。普通の商人でも目の前にもうかるタネがある場合には、クラクラと悪心が湧いてくる。事故米はもとがキロ8円、一番高く売ったのは270円。30倍以上もうけている。工業用ノリなどの需要はそれほど多くないそうであるから、当然量があまる。農水省は当然これをどうしたかを突いた調査をしなければならないのにしなかった。上の、5人で集まってがやがややればテレビを利用してただの選挙宣伝ができるという魂胆、報道のネタがころがりこんできたから、これを大いに利用してやろうというテレビ局。元がタダに近いからごまかしてもうけてやれという悪徳商人。こういうのはこすからいということで共通している。
2008/09/15
北京パラリンピックの受賞国にアングロサクソン系が多い北京パラリンピック11日目、主催国の中国がダントツに多いのは人口が多いのと、成績のよい障害者に奨励金をだしていることもある。1位 中国 金33、銀37、銅262位 英国 金27、銀16、銅143位 米国 金18、銀12、銅14日本は24位 金2、銀5、銅1である。ちなみに過去の成績では2004年アテネ1位 中国 金63、銀46、銅32、2位 英国 金35 銀30 銅293位 カナダ 金28 銀19 銅2510位 日本 金17 銀15 銅202000年シドニー1位 豪州 金63 銀39 銅472位 英国 金41 銀43 銅473位 カナダ 金38 銀33 銅256位 中国 金34 銀22 銅1712位日本 金13 銀17 銅11日本は元スポーツ選手で惜しくも怪我などでハンディがついた人がパラリンピックで活躍している姿がすばらしい。しかし、外国と比較すればまだまだである。さて、注目すべきは人口5千万の英国がものすごく健闘していることである。いったいどのような種目で受賞しているかは、これから調べるが、概してアングロサクソン系のカナダ、豪州、米国まで含めて多いのは、彼らの社会的な気風に関係があるとみる。身障者が健常者同様差別をうけることなく、むしろハンディを抱えて一生懸命たたかい、努力している者を評価、顕彰し、快く援助する気風があることは、いろいろな記述をみてもうかがえる。私の友人の音楽評論家、工藤由美さんは車いすだが、アメリカまでしょっちゅう行って活動しているが、向こうに行くと、駅でもどこでも通行人が何人も寄ってきてすぐ車いすを持ち上げて階段を上がってくれるし、バスに乗る時はみんなで車いすごと持ち上げてくれる。サンキュウというと、障害はあなたのせいではない、協力するのは当たり前です、と答えが返ってくるという。パラリンピックの選手が多いということは、人生の再スタート、敗者復活のチャンスが多いということでもあろう。事業に失敗しても、周りがすぐダメにしないで、すぐまた復活してくる人が多いという。ボランティアが多いこと、ドナー(寄付する人)が多いこと、意義あることにはすぐ賛同者が出てくること、新しいことが好きで、果敢なことが好きで、冒険家、探検家、事業家、発明家が多いことがアングロサクソンの特徴である。スポーツにしても危険なスポーツを好んでする。このあたりにアングロサクソンが世界的にリードしてきた秘密があろう。この事実をよく調べてみれば、1冊の本が書けるくらいである。
2008/09/14
さて、この前のつづきで環境省の施策評価であるが、3R(ゴミ発生抑制、再利用、資源循環)について野球場などでの使い捨てカップを再利用する実験、プラスティックやビニール袋をスーパーなどで無償提供するのをやめさせて、市民が買物袋を持参するキャンペーンなどであるが、使い捨てカップの再利用はなかなか進まない。またレジ袋を5円で売るというスーパーが現れたが、これも他のスーパーが協力しないために進まない。買い物袋を創意工夫し、応募して入選すれば大臣表彰を受ける運動も、少数の主婦などが生きがいにしているが、全体のキャンペーンに結び付かない。私の住んでいる府中は、グリーンとオレンジ色の鉄製のボックスが整備されて、これに燃えるゴミと燃えないゴミを分別して入れ、市が収集しているが、最近は廃棄場所がなくなり、市は猛烈にゴミ減量キャンペーンをやっている。いま問題になっているのは、他市区からのゴミ持ち込み、不法投棄が目立ち、またあまりにも安易にゴミを捨てるので、このボックスをやめようと市が提案している。これらの施策について行われた評価は、こういう施策は国がやるほどのことではなく、自治体、民間がやるべきことで、不要というのが多数決で決まった。「SATOYAMAイニシアティブ推進事業費」として平成20年度1億2千6百万円がついている。これは日本にある15000の里山のうちからタイプ別に300か所をえらび、里地里山の自然資源の管理、生物多様性の保全、利活用のための方策の検討、多様な主体の参加促進のためのルールづくりの検討のための施策である。たしかに、最近は日本でも自然環境破壊がすごい。里地里山をどんどん壊して宅地にしたり、わけもなく森林を伐採したり、不必要な工事を施したりして自然環境を破壊し、その結果、生物の多様性も失われつつある。このようなことを防ぐために里山300か所(全里山の40%の面積)を保護保全のためのモデルとして、里山一般の保護のキャンペーンをしようとするものである。我が国の施策を成功させて世界における自然破壊に対する範とするというものである。河野座長は、15000もある里山のうち、2%にすぎない300選みたいなものを選ぶ必要があるのか。全体の里山保護がたいせつなので、やるとしても自治体がやる仕事である。ということで不要という結論になった。「自然公園事業費」として平成20年度110億円が計上されている。これは国立公園、国定公園の自然環境保護、再生、また年間5000万人がおとづれるために、遊歩道、標識、休憩所、植生復元施設などを建設するための費用である。このための専門従事者43人が雇用されている。国立公園、国定公園は林野庁が保安林の関係から関与し、また道路づくり、観光促進の関係から他の省庁も関与している。縦割り2重行政のそしりをまぬかれない。評価は、環境省は、道路やハコモノ建設にはまらず、自然保護という大きな観点からやるだけでよい。工事的なものはその時の必要に応じて民間に託せばよい。国立公園は、環境省、国定公園は自治体がやればよいという評価の結論になった。以上の環境省の施策評価でみえてきたものがある。環境省という役所は、エコ時代に乗っているため、お役人もあれもやりたい、これもしようということで、あれこれプランを出し、予算と人員を獲得するが、結局予算額が少ないので、小さなことしかやれなくなり、全体に対する普及効果がなかなか出ないということになる。しかも自治体がやればいいではないかということが多い。こういう施策をどんどんなくしていけば、予算削減になり、その予算も自治体に移譲すればいいわけである。私は地方公務員の研修講師などをやった経験から、地方公務員は中央公務員より資質、スキル面で劣っているということは絶対にない、そんなことは神話にすぎないと確信している。だから中央公務員が地方公務員を指導監督する、交付金をつかって施策を強制・実施させるということは、全国一律性の重要テーマでないかぎり不必要であると思う。しかも全国一律性のテーマであっても、中央官庁が縦割りに行う以外に方法はいくらでもあると思う。環境庁という、環境保護という大テーマであるだけ、そういう意識で特化・集中した官僚だからこそ発想が出てくるが、地方公務員ではそういうものは、なかなか出てこないのではないか。自治体でいったい誰がそれを考えるのか、という疑問もある。これは「問題解決の課題は誰が出すのか」という問題に集中する。私は、結論を言うと、それは国民の役目だと思う。国民が、住民が、市民が、NPOがやいのやいのと言って、行政に言い出し、行政といっしょになって、問題解決していくことが民主主義の本義ではないのか。
2008/09/13
自民党の無駄撲滅プロジェクトチーム「環境省政策棚卸し」というのに出席した。主査の河野太郎氏は他の自民党員にくらべて格段に勉強していて質問がするどい。この人は少々バランスを欠いた人というからかい気味の形容詞がついて紹介されたが、他の連中はバランスがつきすぎてだめになったのではないか。さて、私が聞いたのは「低炭素社会モデル街区形成促進事業」「廃棄物処理施設整備に必要な経費」「3R関連事業」「「SATOYAMAイニシアティブ推進事業費」という4つの政策で、それぞれ1時間弱で環境省担当部局の政策の発表、つっこみ質問と評価、最終決定を行う仕組みであった。まず、「低炭素社会モデル街区・・」はまたの事業名を「街区まるごとCO2 20%削減事業」と言い、その一つは戸建住宅や集合住宅、業務用ビルなどを含む街区を整備するディベロッパーや事業主体に対して太陽光発電や地下熱ヒートポンプなどの再生可能エネルギーなどの省エネ技術を活用するところに補助金を与える事業で予算は平成20年度で4億円である。もう一つは大都市の中枢街区のヒートアイランド現象を低減する事業である。つまり東京の大手町、丸の内、有楽町、池袋駅周辺、名古屋、大阪、横浜みなとみらい地区など高層ビルが密集しているところは、夏の間は太陽熱でコンクリートやビル壁にたまる熱や冷房の放出熱で他地区より3度も温度が上がる。このために冷房の稼働率がさらにあがり、エネルギー消費が多くなる。これを軽減するために屋上を緑化したり、熱反射率の高い塗料をビル壁にぬる事業者に補助金を与えるという事業であある。こうすれば結果的にCO2削減になるというものである。平成20年度予算は7億円。とにかく我が国は京都議定書で温室効果ガスを6%へらさないといけないが、逆に最近は40%も排出が増えていて、達成が難しくなっているからそのためのしゃにむに削減事業の1部である。これに対しての評価は、自治体が行うべき事業であるということになった。次に「廃棄物処理施設整備に必要な経費」であるが、廃棄物処理場とか浄化槽、焼却炉だとかいうのは市町村にとっては迷惑施設といわれる。したがってこのような施設の設置に対して市町村などに交付金を与える制度で平成20年度予算は800億円である。この議論は、税源移譲して市町村に自由にやらせればいいではないかというやりとりになり、環境庁側では、税源移譲は避けてほしい、と主張したが、河野氏の「そういう判断はこちらでする」という一喝をうけて、それでは「市町村と一緒になる」と固執した。市町村側の評価者は「中央で交付金がつくとあれこれ縛られて自由がきかない」との反論があった。評価の結論は「税源移譲すべきである」。引き続いて「3R(リジュース、リユース、リサイクル)関連の施策」にうつる。施策1は野球場における使い捨てカップの再利用。野球場ではビールやジュースを飲むためのプラスティック使い捨てカップが大量にでるために、洗って再利用できる大型のカップを試作して、うまくいけば、民間の事業者に貸与事業としてやらせるための実証試験、その他、2R事業の普及・促進のための調査費など平成20年度予算が2千万円。再利用カップは実際に進んでいない。また、同じようなことを農水省や経産省がちがう観点からやっている。施策2 これはスーパーでビニール袋をくれるが、ゴミの原因になるので、市民にマイバックを持参してもらうなどの協力意識をひろめるために、講演会活動や市民から自作マイバックを募集して、優秀作品には大臣表彰状を贈るイベントなど。予算は平成20年度で6千6百万円。マイバック応募作品は318件で、表彰された優秀作品は30件。こういうキャンペーンを通してゴミ減量につくそうというもの。これまでに1400万円を使った。施策3は、「3Rイニシアティブ国際推進費」という政策で、日本の3R技術の成果を国際的にひろめ、この分野の研究者、専門家を外国に派遣する費用が1億2千万円。最近ペットボトルや廃紙などの輸出が多くなり、逆に国内のリサイクル業者の仕事がなくなって困っている状態である。これはゴミ減量に役立っているので、これを促進するねらいもある。さて、長くなるので、明日また続きを書く。
2008/09/12
遠野で「マヨイガ」というのは「迷い家」と書くのだろう。63話:小国の三浦家は村一番の金持ちだが、2、3代前は貧乏だった。このころ、嫁が家の前の小川をさかのぼって蕗を取りに行った。いいものがないのでだんだん谷奥の方に入っていった。すると草深い中に見たこともない立派な黒門の家があった。不思議に思って入っていくと、広い庭に紅白の花が一面に咲き乱れ、にわとりがたくさん餌をついばんでいた。その奥の牛小屋には牛がたくさんおり、馬小屋にも馬がたくさんつながれていた。しかし、人の姿がみえなかった。玄関から入ると、朱と黒の膳椀が取り揃えて食事の支度がしてあり、奥の部屋に火鉢があって鉄瓶の湯がたぎっていた。しかし、人影がない。嫁は山男の家だと思うと急に怖くなって逃げ出して帰ってきた。このことを人に話しても、誰も本当にしなかった。数日して嫁が川で洗い物をしていると川上から赤い椀がひとつながれてきた。それはこの間の黒門の家の中で見たものと同じであった。あまりにも美しいので持ちかえって穀物を量る器に使った。するとこの器で量ると穀物がいつまでたっても減らないので、家人が不思議に思って嫁に聞き、はじめて事情を知った。こうして三浦家は幸運に向かい、2,3代のちに村一番の長者になった。マヨイガというのはそこに行き当たった者がそこから物をもちかえれば幸運が授かるという家である。しかし嫁は持ち帰らなかったので、川上から椀を流して嫁に授けたという話である。64話:山奥にある金沢村から栃内村にきた婿が、道に迷ってマヨイガに行き着いた。家は牛舎にも馬小屋にも家畜がたくさんいて長者の家であることがたしかめられた。家の中に入っていくと広間には大勢の者が食事につかう膳椀がいっぱい出されていた。奥の部屋の火鉢には鉄瓶の湯がにえたぎっていて、誰かがちょっとトイレにでもたっているかのようにおもわれた。しかし、待っていてもまったく人影はなかった。婿はおそろしくなってかえってきてこの話をすると、誰もそんなところにおおきな長者の家があるわけがないと言って信用しなかった。しかし、欲深な男がいて、それはマヨイガにちがいない、シメシメ、そこに行って物を取ってくれば運がさずかると考えて、家じゅうで探しに行ったが、話に聞いたあたりに何も発見できず、空しく引き揚げてきた。西洋にも似たような話がある。大西洋で漂流していた貨物船があった。発見者が乗船してみると、船長も船員も乗客も誰ひとり発見できなかった。何事かが起こってボートを下して全員が避難したのではないかと思って点検したが、ボートも救命具も持ち出された形跡はなかった。あるいは海賊におそわれて全員が殺されたとも考えられたが、貴重な積み荷も盗まれておらず、格闘や惨劇が行われた形跡もなかった。ダイニングルームに行くと、手をつけられないままのハムエッグなどの食事が腐敗せずに残っていた。スープはさめていたが、そのままであった。ということは朝の食事をこれからはじめようという矢先に何事かが起こったものとみえる。まったく神隠しにでもあったとしか思われない不可解な謎である。事実かどうかはわからないが、かならず世界不可思議物語に登場する話である。私はサスペンスのように結局最後は犯人がわかる話より、こういう回答がわからない、想像力を刺激する話のほうがすきである。(つづく)
2008/09/09
もうだいぶ前に黒沢明の「夢」という映画を見て印象に残ったシーンはキツネの嫁入りである。(もうひとつはトンネルの中を死んだ兵士たちが完全装備して行進するシーン)カミシモ、陣笠をつけたキツネの武士たちが嫁入り行列を粛々と先導して夜の林の中を行く。しょうやひちりきの音に合わせて、何ともいえない夢幻的なシーンを演出していた。リズムにのせて団体行動を華やかに振り付けする黒沢監督の才能はなんともすばらしい。さて、キツネの嫁入りとは何だろうか。夜、黒々とした山の中腹などに横一列にならんでかぼそい光がついたり消えたりする。提灯をつけた人々の行列が行くような感じである。私が子供のころに見たものは4つか5つのつらなった明かりで、だれかが提灯をもって歩いているね、と言ったら、あれはキツネの嫁入りだよ、と田舎の人が教えてくれた。昭和16年の夏、私達一家は千葉県の富浦というところの農家の離れを借りて、避暑にいった。毎日浜で遊んだり、泳いだりして実にたのしいひと夏をすごした。夜になると月がでないときは鼻をつままれてもわからない闇夜になった。こわくてトイレに行けないから、きまって母を起こして懐中電灯で照らしてもらって、離れたところにある厠に行った。オケラが一面にふるように鳴いている。こういう夜は道を歩いていると、先を行く人の提灯の火がゆらゆらとこころぼそく見えるのである。ある夜、それほど晩くない時に、母が近所に同じように避暑に行っている知り合いのところに遊びにいった。しょっちゅう行っている歩いて7,8分のところである。ところがその母がなかなか帰ってこなかった。心配になったので、農家の主婦が電話をかけた。すると、もう20分も前にお帰りになりましたよ、という返事であった。さあ、大変、農家の主婦は急にもんぺ姿にたすき掛けして「あたしが行ってきます。この辺はキツネが多いから」と身支度を始めた。私が、僕も行く、というと、坊ちゃんはだめ。家で待っていてくださいと言って大きな提灯を持って出かけていった。15分も待っていただろうか。やがて主婦と母のにぎやかな会話が聞こえてきた。「いつも行っているところだし、夜は道を間違わないように曲がり角のところの石垣をさわって確かめて歩いてきたのよ。先のほうに提灯の火がみえたから、あの人も同じ方向に行く人だから安心だと思っていたら急にその提灯の火が見えなくなったの。もう真っ暗やみで、田んぼのところに出てしまったの。いったいどうしてあんな近いところで道にはぐれたのかさっぱりわからない」と母は興奮して話していた。「やっぱりキツネです。このあたりに親子で3匹いるのですよ。キツネの提灯といいましてね、道案内するようにしてだますんです」と主婦が言った。私は、20世紀の科学の時代というのに、まだ、こんな原始的な話があるのだろうか、と不思議に思ったのである。それにしても、キツネの嫁入りという並んで明滅する火はなんだろうか。いまだにいろいろな説がある。鬼火と同じものだという説もある。キツネはウサギや野ネズミを食べて、その骨を路傍に残すが、そこから燐が出て、空中で燃える火の玉になって浮遊するのだという説がいちばん有力なようである。(つづく)
2008/09/08
ここは遠野の話は先送りして、政治の話。福田首相は辞任するにあたって、できるだけ多数が総裁選に立候補してもりあげるよう指示したという。福田さんはどうやら麻生さんだけに禅譲する結果になることに不満であるようだ。あれからもう5人も6人も総裁選に立候補する人がでてきた。推薦人20人をあつめられるかどうかもわからない人、立候補したってとうてい指名される可能性のない人までが立候補したというのはどういうことなのだろうか。その魂胆は徹底的なテレビ利用である。テレビへの露出度を多くして印象付けようとしている。自民党は、もう全党が一丸になって取り組むテーマなどないし、それぞれの派閥、個人が勝手なことを言って統制に服すということがなくなった。バラバラな求心力のない政党になってしまったので、もはや存続不可能である。だからここでにぎやかにワイワイやって、テレビをさんざん利用して選挙に多少とも有利な雰囲気をつくろうということらしいが、もっとうがっていうと、総裁選に出るような人は、当落スレスレの人であるから、個人の露出を多くしての事前選挙戦術である。マスコミ、時にテレビはこの手にのらないようにすべきである。放映を制限すべきだ。国民は、面白がって、かつての刺客選挙のような見世物に踊らされてはならない。自民党がやるべきことは、たったひとつ。行政改革。中央の補助金を全部地方に渡して、道州制をつくり、中央と地方の格差をちじめることである。中央の官僚の数を減らして統制可能にすることである。だが、このことを一人でも強く主張する人がいるだろうか。私ははやく解散総選挙をして、政権交代が実現することを望んでいる。
2008/09/07
遠野物語にはキツネが人を化かす話がいくつか出てくる。どうしてキツネが人を化かすといわれるようになったのかはわからないが、わが国には昔、このイヌ科の動物が山や里山、あるいは町の郊外にさえ、数多く棲息していたらしい。毛皮をとったためにあらかた絶滅してしまったが、お稲荷さんのみ使いとして崇められ、油揚げなどが供えられた。94話:菊蔵という男が姉の家に行ってふるまわれた餅を懐に入れての帰り道、愛宕山のふもとの林のあたりで大酒飲みの友人、藤七という者に出会った。藤七が相撲をとろうと言い出したので三番まで取って勝った。このとき藤七の体重がものすごく軽かったので簡単に投げ飛ばせたのを不思議に思った。別れて10メートルあまり来たとき、懐の餅がなくなっていたので、よもやキツネにだまされたのではないかと疑ったが、恥になるので黙っていた。数日たって、飲み屋で藤七に出会ったとき、藤七は俺はお前と相撲などとったことはない、とアリバイまで言ったので、菊蔵は初めてキツネにだまされたことを覚った。100話:船越の漁夫何某、夜遅く四十八坂の小川の辺りで一人の女と会う。よく見れば妻であった。妻がこんな時分にこんなところにいるはずはないと思い、化け物と思って魚切り包丁で一突きにさし殺した。化け物なら正体を現すはずであるが、なかなか現さない。漁夫は急に心配になって急いで家に帰ったところ、妻は起きていた。そして言うには、「あなたの帰りがあまりにも晩いので、出迎えにいったところ、ある男に出会い命を取られそうになったので、こわくて目が覚めた」と言った。漁夫はさては、と思い、先の場所に引き返してみたところ、女の死体は一匹のキツネになって去ったという。101話:ある旅人が夜更けて泊まるところがなく、豊間根村のあたりに家の灯が見えたので一宿を頼んだところ、よく来てくれた、今日の夕方死人が出た。人を頼みに行きたいが、留守をたのむ者がおらず困っていた、すまないが、留守をひきうけてくれ、という。旅人はやむなく留守を引き受け、囲炉裏でたばこをのみながら、奥の部屋に寝かされていた老女の亡骸に目をやったところ、やにわにその老女がむくむくと起き上った。旅人は肝をつぶしたが、流し元の水口のあたりにキツネのような動物が死人のほうを見ているのを見つけた。旅人は裏からまわってみると明らかにキツネであることを確かめ、棒で打ち殺したという話。明日はキツネの嫁入りの話を書きます。(つづく)
2008/09/06
河童は遠野のシンボル・マスコットになっている。駅前の交番の街燈も河童の目になっており、駅前のいたるところにある電柱のてっぺんにいる彫物は河童と座敷ワラシである。河童には男女があって男の河童は胡坐をかいてすわり、女の河童は膝を立てて座っている。伝承園に通う近傍に巾数メートルの川が流れていて、昔そこに河童が住んでいたのでかっぱ淵と名付けられている。ちいさな河童を祀る堂があった。河童伝説は全国にあって、私が子供のころから絵本で知っているのは、子供くらいの大きさで、背にすっぱんのような柔らかい甲羅があり、頭に皿があり、この皿に水がたまっているが、それが乾くと死ぬという。からだ全体は青く、鳥のようなくちばしが曲がっている。川にすんでいて、人間の尻の穴に手を突っ込んで中の内臓を引きずり出してたべ、殺してしまう。遠野物語に出てくる河童の話は2話あり、川童と書く。体は真っ赤で口が大きいとある。2話とも川童の子を産んだ女の話である。ある川端に近い一家の者が連れ立ってあるいていると、女川のほとりでえへらえへら笑う者がいて、何度も会ううちに、その者が婿の留守に嫁のもとに通うようになった。だんだん大胆になって婿と寝た晩にも忍び込んで嫁と体を交わした。女はどうにも防ぐことができなかったという。やがてその者は川童ではないかという噂になり、女は川童の子を産んだ。大変な難産で馬をつからせる桶に入れてようやく産み落とした。川童の子を産む話はほかにもあり、生んだ子は醜悪そのもので、恐ろしくて切り刻んで一升樽に入れて土中に埋めた。ある者は捨てに行ったが、あれは見世物にだせばもうかると思い返して、とりに引き返したが、もうそこにはいなかったという。私の亡父は明治30年生まれだが、悪童時代に、熊本の白川のほとりに河童がでるというのでそれを捕えんものとしょっちゅう川に行ったがとうとう行きあうこともなかった。しかし、数多くいきあったのはいたちのような体つきをしたかわうそで、こいつが河童の正体だったのではないかと疑い、盛んに石を投げて殺した。ずいぶんたくさん殺したので、結婚後も毎夜かわうそが夢の中に出てきてうなされたという。柳田国男は、民俗学者として、どうしていろいろな架空の、ゆめまぼろしのような話が古くから伝わったか、その理由が知りたくていろいろな推理をしているところが、面白い。子供たちの遊び場として川はなんといっても魅力である。鯉や鮒、ウナギなどを採る仕掛けの籠を沈めておいたり、魚釣りをしたり、夏は泳いだりする、しかし、雨の後など急に水かさがまして流れが速くなり溺れ死ぬ事故が多発する。子供たちには、口を酸っぱくして大人たちが川辺に行くなといっても聞かないので、そうしたところには河童がいて命を取られるぞ、こわいから行くなと教えたのではないか。(つづく)
2008/09/04
遠野から帰ってから知研フォーラムの編集に忙殺、そこへ福田首相の辞任のニュースが入ったが、驚かない。もう機能不全に陥ってしまった内閣だからどうにもあるまい。あまりにも与党内の権力が派閥や個人に分散し、統制不能になってしまったのだから、政権交代以外にあるまい。早く解散総選挙をやれ!余計な政権維持のあがきは不要だ!さて、遠野の話にもどろう。バスガイドの伊藤弘美さんは、地元の篤農家の娘で家はビールのホップを栽培し、父は優良な生産で褒章されたという。伊藤弘美さん自身は、遠野物語の語り部の一人である。最年少だという。彼女が伝承園というところの囲炉裏端で語ってきかせた遠野弁の語りの1節。遠野の茅葺屋根の家は曲がり家といってL字形の形が多い。まがったところに厩がある。冬、馬を寒さからかばうために、人間の住む母屋に厩をくっつけ、冬は夜通しかまどの火を落とさずに家じゅうをあたためたという。それは煙を立ち上げて茅葺屋根のためにもよいためであった。昔、あるところに貧しい百姓がいた。たった一人の娘が年頃になると、美しいので評判になり、貰い手があまた押し寄せ、婿入りの希望者も多く出た。しかし、娘は一向に結婚の意思はなく、毎日朝から夜中まで、厩に行って馬と話をし、夜は馬によりそって寝るというほどの馬好きで、あたしの恋人は馬、嫁入りなんかこれっぽっちもする気はないよ、と言い続けた。親はひどく心配して、もう娘の気持ちを変えるには、この馬を処分するしかないと観念し、父親は鎌を研いで、娘の留守の間に馬を桑の木につるして生きたまま皮をはいだ。馬は苦しがってもだえ、とうとう死んでしまった。父親はあらかた馬の皮をはいで、地上に置いた。娘が帰ってきて馬がいない、と騒ぎ出したので、両親は、あんたにあらぬうわさがたって嫁にいけなくなったらどうするのや、と叱責し、そのために馬を処分したと告げた。娘は泣き叫んで、桑の木の下にきて馬の皮をみつけ、馬の首を抱いてさめざめと泣いた。すると、馬の皮は娘を包み込んで立ち上がり、天空をさして飛び去った。以来、娘の行方は杳として知られず、両親は嘆き悲しんだ。ある夜、父親は夢をみた。娘が出てきて、お父さん、お母さん、長い間、ご無沙汰してごめんなさい。あたしは馬といっしょにすごく幸せに暮らしているからもう心配しないでね。あたしは親孝行もしないで出ていったから、それがとてもつらいのよ、それで年が明けた3月の14日になったらかまどの釜の蓋をあけてね。そこには虫がいっぱいいるから、桑の葉を与えなさい。そうしたら虫たちは繭をつくり、それが絹糸になります。それを織って布にし、町に行って売りなさい。とても高く売れるから。そうしたらうちも貧乏から足をあらえるかもね。といって娘は消えた。父親は不思議に思って妻に話したところ、あれ、おとうさんも同じ夢を見たの、とびっくりし、これは何かのお告げかもしれないと二人は思った。年が明けた3月14日、ふたりはおそるおそる釜の蓋をあけると、なんとがさごそと音を立てて桑の葉を食べている虫、つまりカイコがいた。カイコがU字形になるとそれは馬のひずめそっくりだった。そういえば、おとうさんが馬をつるしたのは桑の木だったっけ。二人は娘が教えたとおり、絹を反物に織って町にもっていくと、長者たちが群がるようにして買い求め、やがて貧しい農家の二人は豪農になったとか。遠野にはオクナイサマとオシラサマという神様がいる。オシラサマは狭い2,3畳の部屋にお住いになり、その部屋で寝ているといきなり枕返しにあい、オシラサマのお叱りをうける。するとやがて悪い事が起こる。村人は四角の布の真ん中に穴をあけ、桑の木でオシラサマの頭をつくり、テルテル坊主のような人形をつくって部屋の壁一面に飾る。オシラサマの部屋にはおそれて入らない。あの貧しい農家に、娘を通して絹織りの仕方を教えたのはオシラサマという言い伝えがある。ここで伊藤弘美語り部の話は終わり。「とんど・はれ」というのがおしまいという意味だそうだ。(つづく)
2008/09/03
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