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車窓の外は、曇り。 テンション上げて発車準備します。 その前に、運転手の紹介をちょっと。 今、ブームの昭和30年代生まれ。 蟹座のA型。穏やかな夫、シャイな息子。 この二人には、ここだけの話、かなり感謝してる。仕事、趣味のダンス、ドラム、そして今回のネットに向かう私、日頃の天然主婦全て受け止め、楽しんでいる様子。家事に手抜きをしない努力は多少あり。ストレス発散法-*SOUさんとの映画鑑賞。彼女とは感性も映画の趣味も合い、長年 デスクの隣で私のありのままを見てきた。 今後もSOU入りの写真 沢山でて来る。その感性のシャッターに多忙な私も癒され。 ドラムセットは狭い4.5畳に置かれ、1970年代からの 曲を聴きながら叩く。ストレス吹っび、爽快。バンドは5人。 ポルノグラフィティー?「エロ本のタイトル?」「!・・」が スタート、世代のギャップに戸惑う日々。 平均年齢をかなり上げてるので、音楽教室に通い、力を付けて いきたい。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^前回のお話「光と影」 (その日、とうとうあいつは加奈子を抱いた。それはある種の予感、潜んでいた覚悟、そして一番恐れていたことかもしれない。そしてそれは、いつか二人が終わるという証でもあった・・・。あいつの腕の中で、そんな日がくることを感じざるを得なった。この日から、加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。) 社内は昨年とは色が違う、めいっぱい背伸びした生意気で可愛い新入社員で活気づいている。 手ごたえのある仕事は、自分らしく自分ならではの色で心を尽くしていった時にできる。 その達成感は、自分にしかわからない。 あいつが言ったその事が最近わかってきたように思う。 加奈子はと太陽が照りつける夏も、今日のように男性的な雷も好きだ。辺りがみるみる暗くなり一瞬シーンとなるそこを突き、稲妻のあいつが光と音と興奮を運んでくる。 春雷。 いつだったか、もう一度この雷のような激しい恋をしてみたい! と思った時があった。 そして今直面した時、戸惑う自分と微かに震える未来への不安が凛と存在する。 「その心、ちょと待って!」と言って、ハサミで切れるものではない。 人は人生の中で、何度そんな分岐点に立たされるのだろう。 続く
2006/01/31
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未来線は単線です。 故障ではありません。 ひと休みして、窓の外の風景や、車内の画像を お楽しみ下さい。 車内アナウンスはいたしませんので ご自由におくつろぎ下さい。出発する時はお知らせ致します こんな日もありましたね。ドールハウスのペンダント照明は イアリングで、窓の写真は本物。人形は?こんな風景好き! 写真が写メールだから今一。 山下君と腕組んで150mでいいから、歩きたい! 「それは、犯罪だ!」 と息子(笑) ※ 携帯からアクセスして下さった方にお詫び。 写真がひとつも写っていませんでした。 すみません。 一日がかりだったの ですが、・・確認して、唖然! 雪景色等。 最後の山下君は「青春アミーゴ」の二人の写真だったんですー。 昨日の続きスポット3「光と影」は、一時停車の前に入れてあります。
2006/01/30
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その日、とうとうあいつは加奈子を抱いた。それはある種の期待でもあり、潜んでいた覚悟でもあり、一番恐れていた事かもしれない。そしてそれは、いつか二人が終わる、という証でもあった。 悲しい事だが加奈子はあいつの腕の中でそんな日が来るのを感じざるを得なかった。 この日から、加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。 続く
2006/01/30
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夜景はどうして人の心を捕えるのだろう。たとえば港町。 小樽はいい、加奈子は神戸や長崎より好きだ。華やかさこそないが、どことなく色褪せた街並みや港の臭い、せわしさのない街の灯りは癒される。たとえば山間の小さな民家の灯り。 都会からどんどん遠ざかって行く夜汽車の窓から見える平穏と郷愁。 その灯りの下でどんな人が暮らしているのだろう? ベイブリッジは丸いボンボリが穏やかな曲線を描き、恋人達の心を魅了する。「橋で結ばれた、あっちとこっち。 人と人、男と女・・」加奈子が言った。 あいつは加奈子の横顔を見た。 小柄で細い身体、肩まで伸びた真直ぐな髪。めりはりのついた顔ではないが、睫毛が長く美しい目をしている。 28歳になっても尚、幼さが残る顔立ち。 「カーコ!」「ん?」 あいつはカーコと呼んだ。 ごく自然に。 悪い響きではなかった。「帰りに美味しいピザ食べようか?」 (いきなり現実)「うん!」「返事早いな」「私、図々しいの? 根は謙虚なんだけど」「俺、その謙虚っていうの信じられない」 二人はじゃれ合いながら笑った。車内で加奈子はポツリと言った。「・・逢いたくなくて逢わなかったんじゃない」「わかってるよ」二人はストレートに告げてしまった言葉を噛み締めながら、横浜の街を走った。「どうしてこんなに近くなったんだろう」「どうしてかな」「ただ・・」「ただ?」「カーコが気になって、ほおっておけなかった、ただそれだけ」「抜けてるから? 幼いから? ひっちゃかめっちゃかだから?ねえ!」「今言った全部」「えー、それじゃまるでボランティアみたい!」 加奈子はあいつを肘で押す。「じゃあ、カーコはどうして?」加奈子は心の奏で言葉にする事ができなかった。 あいつは少し偉そうに加奈子を見た。自然体の加奈子と自分を見せまいとするあいつ。 それは一年前から変わらない。 「鳩みたいだよ」 あいつはそう言う事を時々平気で言う。「鳩?」「公園で少ない餌を慌てて追ってる、そちこち動きながら、他の鳩に持って行かれて、それで一羽だけ別の所に飛んで行ってしまう」「何それ。白鳥の間違えじゃないの?」「白鳥が気の毒」 怒るなよー!とあいつは微笑む。 すぐにむきになる加奈子があいつは可愛い。 始めて仕事でペアーを組んだ時に感じた不思議さ。2度目からは興味が湧き食事して少し惹かれた。見た目ほど強くなくガラス細工のように脆い一面と健気さ、だんだんもう一人の加奈子が見えてきた。 そして気がついたら身近な存在になって大切な人になった。「俺、どうしたんだよ!?」と・・加奈子には聞こえないあいつの思いだった。 加奈子も恋を必死に探していたわけでもない。むしろそういう時は良い出会いは無い。 仕事柄、多くの男性と関わるがこんな事は始めてだった。あいつは心の何処かでこのまま終わらぬいい関係でいることをカーコが望んでいる事を知っていた。・・が二人の感情は磁石のように吸い寄せられ、それを許さなかった。横浜を後に車は走り続けた。 微妙な時は、外の夜景のように流れて行った。「着いたよ」車が止まった。 帰りは早い、楽しい時ほど帰りの秒針はズルイ!「・・うん、着いちゃった」「ずっと寄り添っていたい」とあいつの口からその言葉が出た瞬間、あいつは助手席の加奈子を強く引き寄せた。あいつの唇が加奈子の柔らかな唇に重なった。加奈子は突然のアクションに始めは戸惑い体に力が入ったが、やがてあいつの唇と腕の中で溶けていった。 続く
2006/01/29
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たとえどんな夜であっても、確実に朝はやってくる。道端の草花は、もう春を告げている。 送別会以来、あいつから何度か連絡があったが、加奈子はそれを避けていた。 車線変更した方がいいと思っている時は、声は聞かない方がいい。やがて、雲のように風に流されて飛んで行ってくれるかもしれない、そう思っていた。・・・・そう、あの日までは・・・・・・いつもより早く仕事が片付いたその日は、いつものようにいつもの道を走っている。ハンドルを握るその手も、アクセルを踏む右足も、クラッチやブレーキに入る力も、気を配る場所でさえ体が慣れていて、自然に動いている感じがする。走る個室であり、思案の空間でもある車内はなぜか落ち着く。いつもの信号でブレーキを踏む。 3年通ったこの道のこの信号は決まって赤。加奈子は両手をハンドルに置き、ため息をつく。 反対車線で止まった車がライトでパッシングしている。 前方で鼠取りしているのか?「スピード落とせ」の合図だと思った。 その白い見覚えのある車が、あいつの車である事に気づいた時、信号は青に変わった。 胸の高まりを感じながら、「引き返すなら今だ!」と思った。・・があっという間に車は擦れ違い、あいつの車は遠ざかって行った。偶然が呼ぶ一瞬の出来事は、時に運命を変える。暫く走った加奈子の車の前方に、あいつの車が右に寄せられ止まっている。「どうして? ここに!」 加奈子の脚はブレーキに、ハンドルも右にきられる。加奈子は戸惑いながらも、ミラー越しに「着いて来い!」とのあいつの合図でアクセルを踏み、あいつに追従する。 そして、二人の空白は一挙に消えた。「しばらく・・」「ああ・・」二人は、互いにとって長いトンネルを抜けたにも関わらず、たったそれだけの言葉を交わす。 それだけで十分だった。 3時を回っていた。 暫く車は走った。 どこへ行くのか、などと言うことはもうどうでもよかった。 「どうして、あそこにいたの?」「あの道にでる近道あるんだよ。」「かなり、とばしたんでしょ?」そんなきっかけで・・・・「結局、来ちゃったね・・」「うん、来ちゃった・・」 「寒い?] あいつはそう言ってジャケットを加奈子の肩にそっとかけた。 二人はべイブリッチを見ながら、始めてそっと寄り添った。 続く
2006/01/28
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「奏でる時に」 前編 ”クラクション” を読んで下さり、ありがとう!~:香乙発ー未来線:~は、各駅停車です。どの駅からも、ご乗車できます。 又、始発から乗ってくれた乗客、下記紹介。 Eさん(元、ミス東京大会出場の旧友、素敵なチャンスをありがとう。) Yさん(今回のパソコンの先生、おバカな生徒でごめん!) KITAZIMA SOUさん(風景写真の応援、無名のカメラマン) 感謝の日々です。友、仲間、そして貴重なコメントを下さった大切な人、沢山の乗客の皆さん、今の私の元気の維持に役立ってる仕事場の弟分! 娘達! その時どきの出会いを乗せて、心は生涯青春で、この未来線は進みます。 プラトニックに終わった前編、 加奈子と高倉の後編の展開は?イライラしてる人、ドキドキから無縁になってる人、過去のドキドキを思い出す人、一作目の「夏色のときめきを」と違う不倫にムカツイテる人。 途中下車はしないで 終点までこの電車に乗っていて下さることを祈ります。 2006.1月27日 恵 香乙
2006/01/27
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5時を過ぎると、この時期は夕日が美しい。送別会には30人ほど出席するらしい。 加奈子は3人の同僚とその店に向かった。 幾分の緊張感があった。 牧島と話を弾ませていた石田敦子が加奈子に話かけた。「そういえば、加奈子さんってお寿司とか苦手だったような・・・ねえ?」そんなふうに聞こえた。 奥の座敷では、すでに集まった仲間で盛り上げっているらしい。 牧島が「遅れてすみませーん!」 と言うと「待ってました!」という言葉が返って来た。 一番・・らしき席にあいつがいた。 加奈子は目を反らした。あいつも視線を牧島と石田に向けた。3人は席につき乾杯をして、早速牧島が古い付き合いのあいつの所に挨拶に行った。 加奈子は、ワイシャツの腕を捲り、厳しい表情で仕事に向かうあいつの姿や試験勉強の時のあいつとの時間、共にしたランチ、言い合い、そして電話の声を思い出しながら、そのざわめきを遠くに感じ、寂しい思いに暮れていた。しばらくすると、あいつが加奈子の所にやって来た。・・「来てくれたんだ?!」「来ちゃった・・」「はい、これ!寿司は卵しか駄目なんだよなあ」あいつはそう言って、卵ばかりがこんもりと並べた皿を置いた。二人は、微笑んだ。「いい仕事しろよ!」「あなたも」「傍に居ないからって、手を抜くんじゃないぞ」「うん」「また、逢えるといいな」「・・・・・・・・・・・・・・」「行こうな、いつか流れたベイブリッジ」「覚えていたんた?」 加奈子は時折周囲を気にしながら、あいつと話した。 二次会はカラオケで盛り上がった。 加奈子も場を考え、一曲だけ歌った。(どうぞこのまま)それは、馬鹿げた憧れか、気まぐれな恋だとしても雨はずっと降り続く曇りガラスを伝わる雨の滴のようにただ、一筋にただ、ひたむきにまともに歌える歌はこれしかない。 どこで覚えるのか沢山のを歌を上手に歌う周りには感心する。持ち歌が少ないとこんな時困る。その一曲に注目が集まるからだ。 送別会は終わった。悲しかった。あいつの声が好きだった。 涼しい目も、あさ黒い肌も、がっちりした肩も、図面をひく綺麗な手も、あいつの口から出る一言ひとことも・・・・・ あいつは細い路地の集団から離れると、皆に最後の挨拶をして軽く手を振り「じゃ!」と言って背中を向けた。 小雨がパラつく路地は光ったいた。 その路地に、辺りのネオンが映され、夜の街の気だるさが漂っていた。後姿のあいつに加奈子は強くひかれた。 出来る事なら追って行って後ろからそのしなやかな両手であいつをしっかり抱きしめたい衝動に駆られた。すると、まるで加奈子の気持ちに応えるかのように、あいつはもう一度振り返った。そして、加奈子を見た。「・・・」 二人はほんの一瞬見つめあった。 男の目だった。 そう、限りなく男の・・・・。やがて、あいつはその冬の冷たい雨の中を去って行った。 続く
2006/01/26
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「やめよう、・・うん、やっぱり止めよう。」「・・どうした?」 「何だか今は・・・」 今は、二人の間で確実に高まってきている恋愛感情の赴くまま二人が進む事がどういう事か? 加奈子が一瞬ブレーキをかけた事にあいつは気づいた。あいつには家庭がある。 たぶん二人は同時に同じことを考えていたはずだ。あいつの表情が曇った。「そんなに寂しい目をするなよ。」 二人は黙ってしまった。 その秋は長かった。 色付く紅葉も、日没も、身に染み入る肌寒さもいつもの秋よりずっとずっと切なく、時折、加奈子の長い睫毛も涙で濡れた。 それから二人は互いに連絡は避けた。それが一番いい事なのだと言い聞かせるしかなかった。 ・・が、あいつが退社する日は確実に近づいていた。 一晩、音もなく降り続いた雪のあくる朝、その静けさは加奈子の心をも深々と冷やした。テーブルに置かれたハーブティが加奈子の体をほんの少し暖めた。 あいつは今何をしているんどだろう。いつものように勢力的に仕事をこなしているあいつがいるとしたら、それは女である加奈子には辛い事になってしまう。 何度あいつのデスクの電話のプッシュボタンの上でその小さく細い指を迷わせていたことか・・・。「逢いたい!」 加奈子と同じ位、いやそれ以上にあいつも加奈子に逢いたいと思いながらも、クラクションを鳴らさずにいたことを加奈子は知らない。 そして年が明けた。その晩はあいつの送別会だった。 続く
2006/01/25
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加奈子は実技経験があまりないので、スクールで本来学ぶ基礎的な事を、あいつは繰り返し不慣れな手つきの加奈子に、実に丁寧に教えてくれた。一級建築士のあいつは、きっと内心イライラする事もあったかもしれない。 あいつとペアーを組んだ始めての仕事の時、森川が前もって加奈子がかけだしである事をあいつに伝えていたと言う。 あいつはその事をよく踏まえた上で加奈子とのペアーを森川に申し出て、その機会を作ったのだった。あいつの存在、あいつの優しさが今になって、くっきり炙り出されて来る。 そんなことを思いながらも時は過ぎて行った。 10月の空は爽快で、5月のように心広く、何かしなければ! どこかへ行きたい!そんな気持ちになる。 そして試験当日。それは加奈子にかかった数少ない電話の中の一回だったと思う。 携帯電話の普及はまだまだで待ち合わせ場所がズレたり遅刻を伝える手段は今とは違って難だった。 公衆電話だった。 日曜は家庭の電話は使えない。「体調はどう?」「大丈夫。頑張るってくるから・・・」「あせったりしないで、落ち着いて。 じゃあ・・」よく加奈子をわかっている言葉だった。 その短い電話の向こうで、あいつがどんな思いで受話器を手にしているか・・複雑な思いも正直、加奈子にもあった。いつも、ひっかかているその事が。 そして一月後、試験は落ちた。「 ごめん。 あんなに時間作ってくれたのに。」「一発ではきびしいよ。 年々難しくなってる。今年は15%の合格率、落とす為の試験だー。人気が出てくるとそうなって行くもんだよ。」「ありがとう、本当にありがとう。 また来年頑張るから私!」「時折、無鉄砲で危なっかしくて周りを驚かすような子かと思えば、そうやって素直さが言葉にきちんと出せる、気使いも細やかで、外見とのギャップが、俺好きだよ・・」 好きという言葉が会話に始めてでた事に、一瞬二人の会話は途切れた。 加奈子は、あいつとのこういう会話に不慣れだったせいか、赤面しているのを感じた。「試験も終わったし、息抜きするか!」「うん!」あいつに合わせて元気に応える。 まるで何もなかったかのように・・「どこ行きたい?、んー何食べたい!」「ベイブリッチへ行きたい! ピザが食べたい!」「ステーキとか、寿司とかじゃないのか?」「お寿司? 卵なら食べられる。」(笑)「それじゃあ、寿司を食べる意味が無いよ。」「安上がりにできてるのよ、私」「そうは思えない。」「苦労知らずのわがまま、って思ってる?」「いや、そうとも思わない」「へー、けっこう人見る目あるじゃない!」「Youに言われたかない。」「・・・・・・」「どうした?」 突然黙って視線をそらせる加奈子に、あいつは不安げに訊ねた。 続く
2006/01/24
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不思議なもので、あいつが年内に退社する事実を知ったその日の打ち合わせは二人の波長が合い、2世帯住宅という事もあってか、後に大きな契約になった。 そして夏が過ぎた。いずれ去って行くというあいつとの仕事の接点も時間もしだいに限られてきた。加奈子は思う。あいつから得たもの、アドバイスしてくれた事、あいつだからこそ言ってくれたのかもしれない忠告を、加奈子自身の為に受け止めていこうと。 人が誰かに心ひかれる時、それが尊敬からであったり、価値観の一致であったり,「嫌い」が「意識」になって「気になる存在」になっていったり、恋愛の相談にのっているうちに優しさや懸命さに打たれて何時の間にか好きになっていたり、・・・・あるいは出逢いそのものが運命であったり。どんな形にせよ、誰にもその気持ちを止められない。あいつが唯一、加奈子を誉めた言葉・「自分に正直そして、自然体。」果たしてこれが誉め言葉かは疑問だが、加奈子を見ていてくれた事が嬉しい。その存在や少ない言葉は、態度や言葉とはむしろ裏腹で、加奈子の心を捕らえていく。 その秋、加奈子は資格試験を控え、春頃から始めた勉強に追い込みをかけていた。独学でカラーコーディネーター、照明士などは何とか得たものの、今回は難関である。そして今・・・・「ほーら、またペンを噛んでるー」「!癖なのよ。」加奈子は再三のあいつの押しで、やっとその気になり、こうして誰もいない休日のofficeのあいつのデスクで、テキスト、問題集を広げてこの始末。「集中してない証拠だよ.まじめにやれ!」「わかったけど、っていうか煩いなあ! 集中できないじゃない、あっち行っててくれない?」 あいつは黙って出て行く。 傍にいると何かと細かい煩い奴、だが・・出て行かれると少し困る。できる事なら 紅茶でも入れて、黙って傍に座っていて欲しい。 たぶん、あいつが好きだから。 それから、何度かあいつの揃えてくれた問題集で、加奈子は何度も頭をこずかれながら、試験の特訓は進んだ。 進まないのは、加奈子の頭の方だった。 続く
2006/01/23
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今朝の電話と、思いもよらないプレゼント。 パープルのリボン!突然の午後の打ち合わせが無ければ、加奈子はどうしていたのだろうとふと、椅子の背もたれに寄りかかり、両足を伸ばして考える。 あいつに電話をして、「誕生日、知っていたんですか?」などと切り出してありきたりな礼を言う? 「平成の名コンビ! 頑張ってねー」牧島が言う。「何で! どこが? 誰がそんないい加減な事言ったの?」また、加奈子はムキになってしまう。笑ってかわせないものなのかと以前、誰かに言われた覚えがある。 イタリアントマトは3度だった。一度は現場の帰り、遅い昼食を作業着姿の監督と、あとは若い仲間と、そして今日はあいつと・・・。二人は喫煙席に座った。 小さいテーブルの上にはランプ風のペンダント照明。隣は中年のカップルのようだ。 こういう時、意外と彼らが夫婦かどうかわかるもので、それは会話にテンポがなく、どこかの帰り、あるいは子育てから開放された夫婦が「今日は、外に食べに行くかー」「そうねえ」みたいに二人は腰を上げ、だいたい女性の方の好みが優先され、こういうイタリアンにやってくる。男性は、ラーメンや蕎麦を好む年齢になり、それでもデザートが目的の女房の気持ちを汲んでこういう所に来る。 家庭でさえ会話に乏しくなる二人は、運ばれてきた大きなパスタとサラダを、テーブルにどう置いたら食べやすいか?溢さないか、肘があたらないかなど、最小限の会話になる。 ツーカーというか数十年の夫婦の歴史と言うか・・平和で穏やかな空気がそこにある。 きっと、声や目に勢いや輝きや甘さがないお隣さんは、熟年夫婦に違いない、と加奈子は納得する。 「また、少し口あいてる。」あいつに言われて、少し慌てる。 そして加奈子は言う。「プー」「?プ?」「プレゼントありがとう」「・・・気の効いた物じゃなくて、ちょっと悩んだよ。」「嬉しかった。」加奈子は誕生日がなぜわかったかとか、好きな色を知っていたのかとか、そういうことに触れないで、喜びだけを伝えた。「あと何度、一緒に仕事できるかな。」部長の森川や課内のうわさでも、あいつが独立の為会社を辞めるらしいという事が本当だったのか・・・と加奈子はあいつを見た。 「今年いっぱいで?とか?」「あっという間だ、時の経つのは早いよ」いつになく、優しい眼差し、自然な言葉に、加奈子は今まで感じたことがないあいつへの尊敬とは違うもうひとつの感情が芽生えている自分を感じた。そして二人で、ごく自然にこうして同じ時間を共有している現実に戸惑った。おおよそ、誕生日などというものは、プレゼントをくれる相手は予感がある。予期せぬ相手からのプレゼントに、可愛らしい声で「えー! ありがとう!私、嬉しい!」なんて言えるだろうか? こういう二人を、たとえば人はどう見ているのだろう?恋人? 不倫? 上司と部下? とてもシラケタ夫婦とは程遠い二人の恋心の始まりを知っているのは、誰でもない。あいつと加奈子だけなのだ。 続く
2006/01/22
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加奈子は、暫くあいつからのプレゼントを前に、さりげにカードの封筒に付けられた小さなパープルのリボンを触れていた。 加奈子の好きな色。 偶然が運ぶいたずらはメインのそれより、心がときめくものだ。 自分の世界に入っていた加奈子が我に返った時、いつものように少し前屈みで黒淵の眼鏡を右指で押さえながら森川部長が出勤して来た。社内を見渡す。 一瞬空気が変わる。いつもの朝の瞬間だ。あちこちから、「おはようございます!」の声が飛び交い、電話の応対の声も幾分爽やかに、丁寧になっているのが面白い。森川は、さっそく工事課の二人を呼び、大きな声で何やら話し始める。 二人は直立で彼の話に「はい!」「はい!」ときびきびと応えている。 加奈子もいつもの光景から目を移し、仕事に取り掛かる。 暫くして、牧島洋子が加奈子のデスクにやって来た。 「いくつになったの~]牧島は手作りのパンプキンケーキを可愛い小箱に詰めたそれを加奈子に差し出す。「えー! 美味しそう。 もしかしてバースデ-ケーキ? 」「もちよー!後で紅茶いれるから。」「ありがとう! 美味しいんだよね、牧島さんの手作り。 正月の揚げ餅も、スイートポテトもシナモン効いててさー」加奈子はそっとしまった、あいつからのプレゼントの入った下の引き出しを、右足で閉めながら、ケーキの箱を受け取る。牧島はきびきびとした仕事振りとは違う家庭的な一面がある。それは暖かく、そして優しく、そんな牧島が加奈子は好きだった。「何、このリボン?」 引き出しから、はみ出たパープルのリボンを牧島は見逃さなかった。「! やばい!・・」 加奈子は鯉のぼりのような口を開けたまま、しばし言葉に詰まった。 そんな中、さっきまでの雑音だった部長の森川がやって来た。 牧島はさっと席に戻った。 身のかわしも早い。森川が何の用事だろうかと、加奈子は緊張した面持ちになる。 「村松さん!」「はい!」「これ、本社の企画の高倉さんまで届けて、午後から彼に同行して色打ちあわせしてきて欲しい」「私がですか? 企画のプランナーでは駄目なんですか?」「晴海のイベントで誰もいないらしい。急で悪いが、頼むよ。」 わかりました、と頷く間もなく森川はまた前屈みで加奈子のデスクを離れて行った。・・・・急な仕事、しかもあいつだよー・・・リボンを見ながら、今朝のあいつの低く、冷たく、ミステリアスな声を思い出した。 つづく
2006/01/21
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その日は加奈子の誕生日だった。梅雨は明け、強い太陽の日差しが街の緑を、急ぎ足の人を、ビルを照りつける。夏、例えばひまわり。あのずうずうしく偉そうに存在を表現している元気な花。たとえば、このざわめき。この活気が他の季節にあろうか? あれからあいつとの接点はない。5月の終わり、旅行の土産が間接的に課に届いたことはあった。 別に接触しなければ、凄く気になるわけでもなし、と加奈子は思う。 仕事も順調だ。 この夏をどう過ごすか? 加奈子は夏が大好きだからだ。人は、いつでも不安と、ある種の自信とを行ったり来たりしているものだ。運のいい時と悪い時とが、山や波のようにくり返され、それでも人は、誰かに支えられ自分で前を意識して生きなければならない。 社に着き、ほっとした時だった。 デスクの電話が鳴った。「おはよう、企画室の高倉です。」「あ、お久しぶりです、おはようございます。」あいつだった。 その電話の受け応えで牧島が加奈子を見ている。一瞬、間があったからだ。「その後、仕事はどう?」「まあまあです。おかげさまで怒鳴る人もいないから順調で助かってます。」「そう」「・・それで今日は?」「デスクの右上の書類の上に大きな封筒があるから」そう言って、あいつは電話を切る。まただー、なんだあいつ。加奈子は振り回されまいと思いながら、その封筒を開けた。妙な気分。 ~Happy-Birthday~それはあいつの手書きの文字と、パースだった。 そこに描かれたそれは、あいつの設計士としての実力を密かに思わせるもので、美しい部屋の光景だった。 それがなぜか、嫌味なく描かれ加奈子の心を捉えた。 つづく
2006/01/20
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「どうして、こんなに早く?」「・昼、付き合えよ、」「えーー」「その反応!」「先方との約束は2蒔ですよ。」「おいてくぞ!早くプラン持って準備して、」なんで唯一楽しみなランチを、あいつと!?、と思いながらも、なぜかバタバタと仕度をする。「加奈子さん、どうせ昼は食べなきゃいけないんだから。 それに前打ち合わせも出来て、一石二鳥じゃない?」隣で同僚が言う。それもそうかと思って見ると、あいつの姿はもうない。 忍者のような男だ!いつだってそうだ、なんだか振り回されていつの間にかあいつのペースで事はすすんでいる。 車は、駅前のメインストリートにある沙茶というレストランの駐車場に入る。「、ねっ!もう少しゆっくり歩けない。?」あいつは聞こえない振りをしているようにも、聞こえてて笑っているようにも思える。店の木戸は、ずっしり重くて、アイビーの葉がドアの横を這う様に伸びている。店内はさほど明るくはなく、癒されるインテリアで加奈子は少しいい気持ちになる。「お二人様でいらっしゃいますか?」「はい」お二人・・どうせならもう少し素敵な男と同伴したいー加奈子は思う。席につくと、あいつは白いシャツから少し覗く腕時計を見る。「どうせなら、もっとこの店に合ういい女と来たかったけど、まっ、今日は。」( んー、先に言われた!悔しい! こっちのセリフ返せ!)「今日の林崎様は、部長のお知り合いだから。 」(いきなり仕事の話に切りかえるな!)「ご注文はお決まりですか?」「君、お子様ランチ?」「えー、私、これです、これ、」メニューをあわてて開いて、高そうな物を指差す。あいつは注文を済ませると、ロングサイズのメンソールに火をつける。「口、尖ってるよ」「そう思うんだったら、馬鹿にしないで、」「ここはいいけど、先方さんと会う時は、その口はまずいからね、」「言われなくても、わかってますから、! ご心配なく」「今日は、いつもより意識して、もう気持ちゆっくり話して欲しい。 相手が急がないと、という気分になるからな」けっこうマジにこられると、戸惑ってしまう。あいつの言う事は、いちいちもっともだから受けるしかない。 日頃からせっかちで、しゃべるのも食べるのも、動くのも、たぶん人より早いかもしれない。「わかった・・」「そう、」「私って、素直でしょ?」「一言、多い」「あっ、そう!」あいつは時折、加奈子を見ながら、それでもいたって穏やかに、そしてマイペースで食事を済ませ、二人は仕事に向かった。 この緊張感、打ち合わせ前の数分の。外科医がオペの前こういう緊張感でいるのだろうか、?と車中であいつに訪ねると、ハンドルを握ったあいつの涼しい横顔から、笑顔が見えた。信号待ちになると、あいつの右手が、コン!と加奈子の頭を叩いた。「おもしろい奴だなー」そして、その日はいつもより、落ち着いてゆっくり話すことで、なぜか今までにない仕事への自信がついていたように思えてならなかった。 つづく
2006/01/19
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「今日の仕事ぶり・・」「えっ?」「あれでよかった?」「思い上がるなよ。まだまだプロとは言えない、まっ、一生懸命が相手に伝われば、少しは成長の兆しが見えたって事だな。」「そう・・」「何、その目はー? 悔しかったら見返してみろよ」ふん、偉そうに、何よ!と加奈子は呟く。あいつはそう言ってデスクの書類を片つける。あいつと関わって1ヶ月。 いくら仕事上のペアーとはいえ、何でここまで言われなくちゃいけない。加奈子はプイっと!した態度で、カタログとプランをさっさと図面ケースに入れ、階段をスタスタと降りた。すぐ、むきになる加奈子、瞬間湯沸し機。態度はデカイが気は小さいと、同僚の牧島が言う。 彼女は加奈子より一年先に入社したベテランのコーディネーターだ。 時計が帰社時間を指す。加奈子はエンジンをかける。 あいつの顔がチラチラ・・ムッと来る。 思わず右足に力が入る。おっと危ない! あんな奴の為に事故ってもツマラナイ。生まれてから今まで、総合的にあまりいい事がなかったと思える加奈子、それから苦学して今やっと得た仕事は軌道に乗っている。 学歴不足や才能が今一だとしても、人の見えない部分で努力して手にしたこの仕事を貫いていきたいと、ほんの束の間の充実感でその日のストレスを跳ね返す。 確率から言ってあいつとペアーを組む可能性は十分の一・なのに又あいつ。最近、予定表を見ては思う。ただ腹が立つのは、あいつは仕事がかなり出来る男である事、認めざるを得ない。 テンポのある会話は顧客を引き付け、時に大きな仕事に結びつく。 数日後、あいつの車がショールームの駐車場にまた止まった。先方との打ち合わせは2時。白のチェイサーから降りるあいつを、厨房の窓から見下ろしながら、加奈子は呟く。「ああ、またストレスの細胞がひとつ増えるよ・・・」隣でたばこを吸いながら、牧島が意味深親な笑いを浮かべて加奈子にいう。 「今日はいい天気だねえ! 桜、満開だー さっ、仕事しよう!」去っていく。今のは何だ?確かにここから見える桜も紅葉も、木が小ぶりでな美しい表情がある。 ストレスの細胞を減らせというのか? 桜で・・・・。 そしてあいつがやって来た。 つづく
2006/01/18
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「奏でる時に・・」 前編=クラクション 1「・・乗って!」彼はそう言って、素早く助手席のドアを開ける。加奈子は息を殺して、速やかに車に乗り込む。 彼はアクセルを踏み込む。それから暫く彼は黙っている。 加奈子にも言葉はない。その無言の一瞬に秘められた思いは二人にしかわからない。だから、エンジンが止まって空間に入った時、二人は言葉もなく直ぐに強く抱き合う。彼は、細く少し熱い加奈子を強く抱きしめ、加奈子の体はその腕の中にすっぽり包まれてしまう。 加奈子の胸に彼の胸の鼓動が伝わるのにそう時間はかからない。「逢いたかった?」「・・うん・・」加奈子は首を縦に振って、すぐ傍にある彼の瞳にすいこまれてしまう。逢えなかったあの長いトンネル、あの寂しさが、この瞬間全て消え去る。それが、たとえゴールの見えない恋であろうと・・その呵責と葛藤の波が何度も二人を襲うと、二人はもう引き返せない。二人がふたりの束の間の時間から離れた後に来る胸の痛みと寂しさがピークに達した時、彼とは違い、若い加奈子は何度「もう、止めよう」と思ったことか。それが、遊びや一時のアバンチュールだったらどんなに楽だろう。加奈子の心にブレーキは効かなかった。そんなくり返しで2年。 忘れるにはあまりに重い、深い、長い時を彼と過ごしてしまった。が・・・自分が本気で愛した人を忘れまい。悔やむまい。 そう、加奈子は春というにはあまりに寒いその朝、薄手のカーディガンを肩にひっかけ、数枚の写真と思い出の全てを燃やす為、いつものライターに火をつけた。そしてそれは、小雨にもめげず燃えていく。2年間の思い出が今、煙となって消えていく・・ 加奈子の肩は微かに震え、白く美しい手が、強くぎゅっと握り締められた。 枯れたはずの涙が再び溢れた。いつの日か、この煙のように、加奈子の心も彼への思いも、遠い空の彼方へ消え去っていくのだろうか・・? さようなら...... つづく
2006/01/17
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香乙 発-未来線 「夏色のときめきを」。長くて未だ”青い”文章につきあって 下さり、ありがとう! 自分の遠い日の為に友の遠い日の為に見知らぬ誰かの遠い日の為に残せたら... 日記の原色より、想像を借りて小説にそっとしまい込んだ淡色。 日々の暮らしや時間の経過と共に、いつしか頭の片隅に追いやられていく思い出がフラッシュバックされた時、かっての記憶や感情を鮮明に懐かしむことが出来る,もう一つの手段。また、これらを読み、これからも読むであろう人達も、小説の中での出来事がそれぞれの人生の中の体験と重なった時、楽しかった事、切なかった事、辛かった事など思い出させてくれるとしたら・・・・ 次作「奏での時に・・」は、前作には無い、メッセージをそのスクリーンに織り込みました。 2005年からペンを執っている「天使の梯子」。 10年後これを読む私は?友は? 仲間は? 見知らぬ誰かは? 何を感じ、どんな人生を送っているのだろう....
2006/01/16
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それぞれの秋良子は直樹に呼び出され、銀座のソニービルの中のルニエールという店へむかった。亜紀は良子の妹夫婦の家にしばらく身をおいていたが、もうほとぼりがさめたであろう村松建設からのいやがらせもないため、今後のことを決める時が来ていた。 その日、直樹が連絡をとったのはもちろん亜紀のことである。待ち合わせの時間より少し早く銀座についた。側には理知子が勤める会社がある。あれっきり理知子とは逢っていない。あのアパートをおとずれた男は誠実そうで本当に理知子の具合を心配しているようであった。すまなそうに直樹に挨拶をしてアパートの階段を下りる後ろ姿は直樹という存在を知った彼が、少なくとも心みだれて帰っていく様そのものだった。 待っていることにいつのまにか慣らされた理知子が、何時、なんどきあのような男に心をうごかすことだってありうる、いや、今の理知子にとっては、その方が幸せなのかもしれない。亜紀の今回の出来事がなければ、理知子とだってもっと逢っていただろうし、気持ちも傾いただろう。理知子への気持ちが冷めたわけではないのだから。ただ思うことは、亜紀への情は女である理知子への気持ちとは別種のものであることだ。直樹は白のポロシャツのえりをたて、グレーのカーディガンを肩にかけ、まだ5時前だというのに薄暗い銀座4丁目の交差点を少し足早に歩いていた。秋の気配はこんなネオンやビルの谷間でさえも刻々とせまる。人の群れもどこか夏の活気からはなれ静かにそしてゆっくり闇の中に溶けていく。 ルニエールに着くと良子は意外にも直樹よりすこし早く来ていたとみえて、さめたコーヒーと煙草の吸殻が数本あった。「待たせたみたいですね。」「亜紀のことでしょう?」「突然ですが、平林さん、亜紀の父親と亜紀とあわせたいと思います。」「 ! 本当に突然なのね。 あなたは何時もそうやって驚くようなことを淡々と言うのね。」「亜紀だって心のどこかでそれを望んでいる。わかるんです。もし相手さえよければ近いうち、」「急ぐわけがあるのね。」「亜紀はまた一人で暮らすでしょう。もう大人ですからね、自分の足で歩いていける。」「それはわかっているわ、あなたももう真実を知っているようだから、亜紀がもう黒岩の家で暮らすことはないと思うのでしょう。驚いたでしょうね、あなたも。」「いえ、むしろ黒岩という同じ血を共有してなくて今はむしろよかったと。」「本妻の子と愛人の子、そういう立場でなくなったんですものね。」「直樹さん、平林の事考えておきます。たぶん二人は逢うことになると思います。」直樹が急に亜紀と平林を逢わせようと考えたのには、なにか他にわけがあるのだと良子は思った。数日後二度直樹からの連絡で良子は平林を銀座のツインタワービルへと誘った。そして亜紀は23年たった今、実の父平林貢と逢う瞬間を迎えた。「ここで、絶対待っていてね ! きっと。」「 大丈夫、待ってるから早く行きな。」「 どんな人かな、何を話したらいい?」「…ここまで来て、そんな事心配したってしょうがないよ、逢いたいって言ったの誰?」ビルの地下にあるイタリアンレストランでは良子のいうままに平林がもうすでに待っていた。逢って二人がどうなるか、何を話し、何を感じるか、それは良子にも直樹にもわからない。ただ、二人は列記とした親子である、という真実以外もはやなにもない。 すこし躊躇する亜紀の背中を「さあ! 行きな ! 」とやさしく押した直樹は、一度は振り向いた亜紀にむかってやさしく微笑んだ。亜紀はエスカレーターをその父が待つレストランに向かって降りていった。1時間後にここに亜紀を迎えに来る、ここで待っている、と言った直樹が最後に見る亜紀の後ろ姿であった。不安げな後姿が、愛しかった。抱きしめたいと思った。「…亜紀…元気でな。」直樹は心のなかでそっとつぶやいた。 またたく間に半年がすぎた。きらきら照りつける太陽の光は白いガーデンテーブルをいっそうまぶしく写す。テーブルに置かれたジンジャーエールの氷はすこし溶けかけている。それをぼんやり見ている女の横顔は少女のようなあどけなさを残し、また恋に疲れた大人の女の香を感じさせている。 亜紀と平林を逢わせた後、突然黒岩建設を去っていった直樹は理知子に最後の言葉を残し、建築の勉強をかねてヨーロッパへと旅立っていった。 直樹が亜紀の為に出来る最後のいきな計らい以後、亜紀がどうしているかは わからない。父親である平林と良子が亜紀をそっと見守っていくにちがいない。直樹の中で膨らみ始めた亜紀に対する感情は、やがて理知子ばかりか、黒岩に良子と平林の過去も、亜紀の出生も悟られる結果になる予感があった。いくら他人とわかったとはいえ、仮にこの先二人が恋におちていったとしても、黒岩が自分の血をひくと信じる二人を一緒にするわけがない。何処か遠くへ亜紀と駆け落ちでもしないかぎりはありえない。 が、今はそれをさけたい。 と直樹は思う。理知子にとって直樹とのあの夏の出会いは、夏の始めに感じる夏色のときめきだった。直樹との恋に一ヵ所逃げ道をつくっていたとすれば、それは理知子が過去の恋愛にて時に自分を見失う程熱く身も心も傾けていったのち、一度不安や疑いの思いにかられると、全てすぐそこにむすびつけてしまう。そういう自分がかわいそうであったし、全てうしなっても、自分をコントロールできる力と意志をもっていよう!と努力していたともいえる。愛とは相手の自由を尊重すること。自我の押し付けは男との愛に限らず友情だってだめにするのかもしれない。恋人とは肉体関係がありながらどこか裸のつきあいができない。相手に飽き、相手の体に飽き、その恋はおわる。2人の間にいい距離が保てれば愛情がやがて友情にとなっていくこともある。……がそれは爪の上の砂ほどでしかないのかもしれない、と理知子は思う。直樹との2年間、理知子の知らぬ直樹自身の中で起こったことは分析しまい。またいつか、どこかで別の出合いがあるかもしれない。ただ、今は仕事に生きたい。 理知子の恋は今静かにおわった。 ジンジャーエールの氷がそっと溶けていくように… そして、ほら…またどこかで夏色のときめきがはじまっている…… END
2006/01/15
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そっと…募る思い仕事も一段落した理知子は、ここ数日間部屋のかたづけや、買い物と今までできなかった事をして過ごしていた。その日は疲れがたまっていたせいか、朝から微熱があり会社を休んでいた。 窓辺に掛かっているうすいグリーンのカーテンが風で幾分揺れているのを横になりながら眺めているうちにうとうとと眠ってしまったのだろうか。雨の音でふと目がさめた。あわてて窓をしめた。しめてから、その雨が急に懐かしいあの日と同じ雨である事に心ときめいた。直樹の顔がスーッと浮かんだ。その瞬間胸がキュンと痛くなった。寂しさと、もうこれきり逢えないのではないか、という 不安と、心にズシンと比重をしめているくせにそれはあっちに置いておいて、 という自分の切ない努力がごちゃまぜになって、その胸の痛みが増していくのがわかった。楽しい恋じゃなくて、苦しい恋ならしないほうがいいじゃない!と、京子がよく言った。若い頃のそれとは違ってやはり直樹との恋はどこかいままでとはまた少し違う直樹の影にもうひとつ別の存在があるように思えるのだ。それが未知なだけに怖い。それはある時期から強く感じるようになった。昨日まで少しホコリをかぶっていたCDラジカセが今日はきれいになっている。こんな日は何かずっと昔の曲を聞きたくなる。オリビアニュートンジョーンのそよ風の誘惑がかかる。こんな時はどんな曲を聞いても直樹との思い出が理知子の心のスクリーンに写し出されてしまうのだ。夜のベイブリッジ、横浜の高台のホテルから見下ろした港の夜景、夏の終わりの沖縄。時計は9時を指していた。その時だった。懐かしいエンジンの音が聞こえていた。「まさか…まさかよね。」アパートの前でとまり、ドアがしめられ、階段を早足であがってくるあの懐かしい数分のアクション。それは直樹に間違いなかった。「どうしよう!」待っていた人がタイミングよく、それも予期せぬ時にあらわれる事は喜びを超えて、頭がカーっとしてきて何をどうしたらいいのかわからなくなる。ほんの束の間の興奮と幸せを理知子はかみしめた。コンコン。 「はい。」 「俺。」_____________ドアを開けると、すずしげな顔をした直樹が立っていた。直樹と理知子はその瞬間言葉もなく抱き合った。あけっぱなしのドアから部屋の中へと二人を通りぬけて、夏色の風がフーと吹いていった。「元気だった?」「一応…なんとか、」「一応、か」直樹は理知子の入れたコーヒーを一口飲むと、少し疲れた顔を隠すように微笑んだ。「存在だけで、なんだかほっとする。」「・・本当?」「いいのか、こんな俺のペースでずっときちゃって。」「うん、でも…」 ほっとするという直樹の言葉はうれしかった。男はほっとする女と、どきどきしてときめく相手と、両方いて欲しいものなのだと、いつか京子が言っていた。女はどきどきと胸を焦がすような相手はいつしか情が移ってほっとする相手になっていく事が多い。男も同じであろうが、男は常に「女」を感じさせてくれる相手を心のどこかで捜し求めている動物なのだと。ときめいた相手がほっとする女になり、いつでも自分に心を傾けていてくれるんだという安心感を得たときから男がそういう別の存在に目がいくのは本能なのだろうか?これもまた、人それぞれで、出来る人と出来ない人がいるし、願望はあっても理性が食い止めるか、 よほどもてないのかのどっちかなのかもしれない。いずれにせよ、直樹にとって理知子は特別な存在であることにはちがいなかった。今はその事がうれしい。 直樹が腰を上げて、「沖縄のホテル建設のほう、なんとかまとまりそうだよ。」と言った後、もう帰るの? という言葉をかけそこなった理知子は直樹の後ろ姿を見送りながらドアの方へ一緒に歩いていった。その時だった。「こんばんは。こんな時間に。安岡です。」時間は10時前だった。理知子に心を寄せていた会社の安岡が、その日休んだ彼女を心配して訪ねてきたのだった。よりによって、こんな事ははじめてなのになぜか直樹がひさしぶりに理知子のアパートに来てくれたその日に。 ドアごしにたっていた直樹は一瞬怪訝な顔をしたが、「会社の人、今日私熱があって休んだから、きっと心配して。」「そう」直樹はドアを開けた。安岡は直樹を見て驚いたように見えたが、申し訳なさそうに「突然すみません。」というと理知子の方を見て「大丈夫ですか?」とたずねた。敬語が様になっていなかった。 3人は一瞬しらけたが、理知子は「来週は出社しますから、御心配なく。わざわざすみません。」そういって頭をさげた。それにしてもどうやって理知子のアパートを捜しあてたのだろうと理知子は思った。直樹は安岡が去ったあと、「体、もう大丈夫なのか?」とたずねた。理知子は予期せぬ出来事に少し心がみだれていた自分に平静を言い聞かせ、むろん安岡とはなんでもないのだから、それは勝手にきたことだから、と言うタイミングを逃してしまったことに苛立っていた。すこしして直樹は「じゃあ・・」と言ってアパートの階段を降りていった。エンジンの音をかけてから車がでるまでがいつもより早く感じる理知子だった。後味の悪い夜は長く感じた。直樹が彼の事を変に誤解することはない、あってほしくない、と思った。むろん、様々な女をみて、尚且つ1年以上もずっと理知子をみてきた直樹が、さっきの安岡と理知子を見て、二人の間に何もないこと位は瞬間的に感じていて欲しい!と理知子は願った。リゾートホテルの建設が黒岩の手によって行われることが決まり、黒岩建設の直樹をはじめとするプロジェクトチーム周辺は多忙さをみせていた。一方、ライバル会社である村松建設からの風当たりも強かった。村松でおさえるべく仕事をよそものに取られたわけだ。まして暮林組を使って黒岩がかなり強引に話をすすめたことは明らかだった。 工事着工が近づいたその日、直樹はおそくまで事務所にいた。その電話は理知子かと思った。あれ以来、理知子にはあっていない。「もしもし?」「設計室です。」「亜紀…」「 ! 亜紀?」懐かしい声だった。「どうした…?」そんな時の直樹のひとことは深く重い。「元気でやってんだろうな?」「…このところ、夜も眠れなくて。」「何かあった? 体の調子崩したのか?」「誰かに見張られてるみたいなの。 無言電話もあるわ、時々。」「見張られてるって誰に ! 」「わからない。 つけられてるような、それにアパートの下にも時々人相の悪い男が2人」「おまえを見張っているのか! いつから?」直樹の声が次第に大きくなっていった。「どんな車だ?」「ベンツだと思う。今もとまっていて時々こっちを見ているみたい。気のせいだと思っていたけど、無言電話もその頃から。」「わかった。 2、3日内にそっちにいくから。わかってると思うけど戸締まりはちゃんとして、ひとりではできるだけ行動しない ! なんかあったら警察だ。いいな!」「…わかった 」 電話をきった直樹は黒岩の自宅へと車を走らせた。代官山の黒岩の自宅前まで一気につっぱしった直樹は車を降りると、数段の石段を上がり、高い白の外壁に囲まれたその家を訪れるのは何年ぶりだろうか、とふと思った。 黒岩の表札を横目にみながら、インターホンを押した。「社長在宅?」直樹はかつてから一度も黒岩を”父”と呼んだ事がない。「めずらしいわねえ、直樹さんが黒岩の家をたずねてくださるなんて。」………「僕も黒岩建設の一社員ですからね。 不思議はないでしょう。」……………「それもそうね」…………「亜紀の事で今日は来ました。」良子ははっとした。………………「何か連絡があったのね。」「こちらでは御心配ではないのですか?」「博多にいることは電話があったから、あの子わりと頑固だから、あなたの言う事ならきくんじゃないの。」良子は亜紀が自分の出生の事を直樹に話したことは察しがついているらしい。幾分神妙な顔を見せたが、応接間に黒岩が入って来ると2人は黙った。「…亜紀がどうしたって?」黒岩も亜紀には手を焼いているらしい。特に今回のように自分のわからぬ所で何か起こって亜紀は黒岩家を出ていったのだから。一度は引き戻そうとしたが、亜紀は「子供じゃないのよ。」と、黒岩に返す言葉も与えなかった。そういう点直樹と同じように黒岩に対してはどこかさめていた。母親の苦労を互いに反対側の立場でありながら知っている2人にとっての共通の気持ちだったのかもしれない。「沖縄のホテルの件だと思いますが、連中、亜紀の方まで手をのばしてますよ。」「!」「亜紀をもどさないと、まずいんじゃないですか。」「何 ! それにしても会社への嫌がらせはともかく、亜紀の所在まで調べあげるとは…」「それは、こっちだって同じじゃないですか。それに相手はプロですからね、 その辺のことは。」 黒岩は暮林組の石井に電話を入れた後、直樹に明日にでも亜紀を連れ戻すよう言った。言われなくともそうするつもりである。こんな連中に亜紀を任しておけるか、という思いで黒岩の家を後にした。あくる日、直樹は博多へ飛んだ。黒岩の指示で暮林組の者らしき連中が亜紀のアパートの側で部屋の方を見張っている。ガードを依頼されたのだろう。ベンツの姿は今はない。 亜紀は思いの他早く来てくれた直樹の姿を見て安堵と共に言い知れぬ切なさが込み上げてきた。事情を話した直樹は荷物は後で処分するにしても、とにかく東京へ戻ることをすすめた。その後黒岩に戻るかどうかは後で決めればいい。仕事がらみ、やくざ絡みで亜紀にとっては、たとえ黒岩建設の一人娘といったって巻き込まれてたまるか!という思いで直樹の言うままに手持ちのものをまとめはじめた。「わたし、宙に浮いた雲みたいな心境。」「どうして?」「黒岩の家には戻りたくない。」「わかってる。考えてるから、任せな。」「…ごめんなさい。心配かけて、」「水臭い言い方はやめろよ。」 直樹は外に出ると、暮林組の車に亜紀と乗り込み、駅まで送らせた。「お嬢さんの東京でのことも、社長から頼まれましたがどうします?」「ガードは最低限でいい。あんまりうろうろされては返って困る。」「わかりました。」「じゃあ、ここで。」「お気をつけて。」 二人は空港から東京への最終便にのって九州を去った。 「亜紀はもう黒岩の家では暮らさないと思います。」「今となっては、これ以上黒岩のために私の娘、大事な亜紀を危険な目に合わせたくない。」「それは私も同じです。黒岩は亜紀が家を出た本当の訳をしりませんから、手放すかどうか。」「それは亜紀しだいだよ。」「たぶん、直樹さんがほうっておかないでしょうけど。」「父親としてしてあげられることは、今からでも力になりたいと思うが、それは亜紀自身が望まない事であれば、しかたがない。」「亜紀は本心は直樹さんにしか打ち明けないところがあって。特に最近は。あの子達がこんなに本当の兄弟みたいに関わっていくなんて、思ってもみなかった。」平林貢と黒岩良子が銀座で会っていたのは丁度その頃だった。「あなた、亜紀と逢いたいんでしょう?」「それは、無理なことだって諦めている。いつかみたいに遠くから亜紀の姿を見るのは、かえって後で辛くなるばかりだ。」「あの子は私達の事許すでしょうか。」「今はわからなくとも、いつか女として、君のことをわかってくれる日が来るよ」続く・・・
2006/01/14
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亜紀の不在続きで悶々としていた直樹が良子からの情報で、亜紀が博多にいる事を知ったのは数日後のことだった。 良子は「直樹さんなら、亜紀のい場所わかっているのかと、思っていたわ」と、少し意外そうな顔をしていた。年が明けてまもなく亜紀とはつまらないことから口論になり、次の日九州の友達の所に遊びがてら旅行してくると言って出ていったと言う。気晴らしになるのなら子供じゃないのだから…と良子は思ったらしい。それにしても1ヶ月近くも娘がもどらないというのに、少しばかり呑気すぎるのではないか?、と直樹は少々腹がたった。良子は亜紀のことで、何か直樹に言えないことがあって、それを隠しているようにも感じた。良子はけっして平静ではない、後になればなるほどそんな気がしてならなかった。それは、亜紀と最後に逢った時に亜紀がそうであったのと同じ直感だった。仕事の切れ目があった直樹はさっそく博多の亜紀の友人渡部祥子を訪ねることにした。機内での1時間半、直樹はまた亜紀がとんでもない男にでもだまされてひどいめにあっているのではないか? 亜紀が惚れる男はいつもと言っていいほど、亜紀がとてもたちうちできないような、一癖ありそうな奴、深みにはまっていく亜紀が男の目から見ていて危なっかしくてしょうがない。___といやな妄想があたまの中をかけていた。 渡部祥子は亜紀の兄直樹の存在すら知らなかったせいか、直樹が突然現れ、亜紀のい場所を尋ねられたときは、一瞬ためらってしまった。 「本当にお兄さん?」 「ちょっと、事情があって亜紀からは聞いてないのも無理ないな…」 「あなたがもし悪い男で亜紀をここまで追ってきたとしたら、私亜紀の事は黙っていなければいけないわ。私達けっこう友情が固いの、これでも。」 「…亜紀に連絡をとって、俺いや私の名前を言ってもらえばきっと亜紀はすぐにとんでくると思うけど。」「渡部祥子は少し考えていたが、バックの中からメモを取り出すと、それを直樹に渡した。真新しいアパートの前には小さな公園があった。まだペンキ塗り立てとかかれたベンチがあった。その公園も最近できたらしい。 「亜紀の奴、何考えているんだろう。」直樹はアパートの階段をゆっくりあがっていった。3号室 ここだ!ドアのノックの音は重く響きがない。留守だろうか。祥子の話では近所の子に時々ピアノを教えているという。結局、亜紀の姿はなかった。 いったん、ホテルにもどろうかと直樹は商店街を駅に向かって歩き出した。白の綿シャツにジーンズ姿の直樹は少し陰りのある渋い男にみえた。コーヒーのいい香りがしている。直樹は“コーヒー館“という店にまよいなく 入っていった。もう夕暮れ時、街も仕事帰りの人達が家路に向かう時間なのか。けだるい夕方は直樹にどっと疲れを感じさせる。時々理知子の事がスーッと頭をかすめたが、すぐに消えた。カウンターに腰掛けた直樹はアメリカンを頼み、いつものたばこに火をつけた。ドアには開け閉めする度にカランコロンと鳴る鈴のようなものがついているらしい。何度かその音を聞き流したが、しばらくして本当に無意識に振り返ったその時である。ドアの前に肩までのびた髪にくりくりした瞳が愛くるしい亜紀の姿がそこにあった。驚いたのは亜紀の方だった。その目をまんまるくして茫然と直樹の方をみている。「……」 「立っていないで、ここにかければ、」直樹はあえて平静を装ってそういうと亜紀は直樹の隣にそっとこしかけた。「どうして、ここに?」 「それはこっちのセリフだよ。」「じゃあ、わたしを?」直樹は吸っていた煙草を強くもみけすと、「捜したんだよ…」と言って亜紀の顔を見た。亜紀は困ったような顔をしてうつむいた。二人の時が静かに流れた。 もう一人の女女はからだにその後の余韻を少し残し、バスルームへ向かう。男の目はそれを追う、昔愛しあった黒岩良子と平森貢が再びこうして逢うようになったのは2年前である。当時平森貢は千住に小さな鉄工所を営む父親を助け、真っ黒になって日夜働いていたが、不況のあおりで倒産。大きな借金をかかえた父親は後に病死。会社を立て直す事をよぎなくされた平森が当時愛していた良子に黒岩との見合い話がもちあがった時、良子の先々の幸せの為に身を引く事で良子への愛に終止符を打ったのだった。半ば政略結婚で黒岩の妻になった良子がすぐに妊娠を知ったとき、そのおなかの子が結婚直前に逢った平森の子である事を確信した。黒岩の子と偽って育てた亜紀が2歳の時、愛人綾子の存在とその愛人に生ませた直樹の事を知る。 このことがあってから、なんとか会社をたて直し、数十名の従業員と細々と 仕事をして家庭をもっていた平森に、いつか亜紀の存在を告白したいという強い願望と、してはいけないという葛藤に悩みながら良子は生きてきたのだった。亜紀が17歳になった時だった。夫が愛人綾子に生ませた一人息子の直樹を黒岩建設に入社させ、いずれあととりとして考えている事を知った。このことで良子は平森に亜紀の事を告げる決心し、当然、我が子亜紀に逢いたがった平森に遠くから亜紀の姿を見せる機会をつくった。 以来、亜紀の事でしばしば逢うようになった二人はやけぼっくいに火がついたように数年前から再び愛しあうようになっていた。黒岩との架空の結婚生活を続けていた良子にとって昔の恋人平森との時間は、もう一つの自分だけの大切な一時となった。 亜紀の横顔には平森の面影がはっきりと残っていた。首の後ろの小さなほくろは平森のそれとまったく同じであった。経済的になに不自由ない暮らしと、社長夫人という名目をあたえておけば良子は幸せなのだという、黒岩のワンマンな部分も平森の気性とは対照的であった。が良子も平森も今は互いの暮らしをどうこう変えたり、特に良子は彼の妻から完全に彼を奪おうとか独占しようなどという気持ちはなかった。むしろ自分との時間は二人の間だけのものであって平森の妻や家庭にはなんの関係もないこと、その事で平森が不幸になるようなことになっては良子自身が切ない。矛盾の心かもしれないが愛すればこそ、離れたくもないし相手を不幸にもしたくないというのはどっちも正直な気持ちであった。だからこそ苦しむのは良子自身に違いないことも重々わかっていた。一時の欲望や刺激を満たすだけの、男と女の関係であれば苦しむ事もないのだろうが、真剣であればあるだけ良心の呵責に苦しむ。ひっそりと始まり、ひっそりと終わる。プラトニックで友情に近い、恋人未満の男女の関わりが出来たら、それが長い目で見た時は理想なのかもしれない。 自分の出生の全てをふとした事から知った亜紀が黒岩も家を出たのも、今はもはや兄とは言えぬ直樹にもわからなくはなかった。亜紀は何度か本当の父親に逢いたいと思ったが、今はそれを避けた。自分と亜紀は黒岩という同じ父親の血を引く兄弟であると思っていたことが覆された直樹の心境は複雑だった。寂しくもあり、いっそう愛しくもあった。ふっと亜紀を見た時、大きな瞳からキラキラと光る大粒の涙が白い頬を伝わって溢れていく様を直樹はただ見守っているしかなかった。羽田空港は帰省客であふれていた。東京は雨だった。直樹は亜紀の事を心の片隅に残しながらも、仕事という日常にもどらねばならなかった。 黒岩建設が沖縄リゾートホテルの建設をめぐって、あくどい商売をしている事がわかったのもこの頃である。かねてから奇麗事ばかりではなかった会社の裏も、関西方面に手を延ばし始めてからは、しばしば暮林組と関わっていたため、その色を濃くしていた。直樹はホテルの設計のほとんどを、黒岩から任されていた。他社との競争を巡ってその土地を確保するため黒岩はやむなく暮林組の手を借りた。ライバル会社である村松建設は広く地元に手をのばしており、よそ者の黒岩に進出されてたまるかという殺気だったものがあった。しばしば直樹もじりじりと日の照りつける沖縄に足を運んだ。いずれは黒岩建設のものとなるホテルの仕事も直樹が設計の大まかなプランを任されていたため、他のリゾートホテルを数カ所視察する必要があった。そんな仕事を利用して一度は理知子と来たかった沖縄に理知子を誘った時、 理知子はこの上ない喜びの表情を素直に表してくれた。直樹がすきなホンダの750ccのバイクを以前理知子が旅の仕事でかかわった地元の青年から借り、理知子を乗せて突っ走った。晩夏の海岸線には夕日が沈みかけている。理知子の髪はスピードとともに強く美しくなびいた。直樹のからだに細い腕をまわししがみついている理知子はちょっと不安げで、それが愛しく感じた。「こんなにとばしてだいじょうぶ?」「えー!」直樹には聞こえない。だが、こうして二人ですごす時間は直樹にとっても仕事を忘れられる唯一の時間だった。夕日のスクリーンに写しだされたふたりのシルエットは、理知子の心のスクリーンにもそのまま残るであろう束の間の恋物語のひとまくでもあった。 ホテルにもどった二人はシャワーを浴び、そのままベットで激しく燃えた。 それはまるで夏の終わりを予告するかのように、空が黄昏時から美しい星空に変っていった。 直樹の汗がほんのり染み込む枕をどけ、理知子は直樹の腕の中でその余韻を感じながらしばらくうとうとと眠っていた。きっとこうして直樹と幸福な一時をすごしたその後はまた、しばらく彼とは逢えなくなるだろう…という予感がふと理知子の胸をよぎった。二人のあいだにはいつもそうやって得体のしれない影が入り込む事を理知子は知ってた。こうして気紛れに近い状態で理知子を誘ってくれる事がいやではなかった。後が辛い。そういつだって後がなぜか辛く寂しくなるのだ。案の定、直樹は仕事の事もあってか、それからまた連絡がとだえた。
2006/01/13
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心の風残暑厳しい9月の始め、二人はトロピカルジュースをのんでいた。トマトハウスは夏の終わりをまだ感じない若者でいっぱいだった。「私達って不思議。」「そうだな、こうしていることが…」「3度目、偶然地下鉄のホームで逢わなければ、今も他人。」「俺は、こうなる事を少しだけ予感してたかもしれないよ。」「期待してたって言ってほしい。」理知子が微笑んでそういうと、直樹は「それはどうかな?」という顔をわざとしてみせたので、理知子はプィッと首をあっちにむけた。その仕種がかわいく写った。年のわりに理知子は時々子供っぽい一面をみせる。理知子にとって、ひさびさに胸踊る日々が続いた。山下公園から見おろす横浜港のイルミネーションが目映いきらめきを散りばめている。直樹と理知子が主に横浜へ車をとばしたのは、横浜が好きなことはもちろん、デートの後帰りがけに理知子のアパートに理知子を送りがてらよっていけることだった。ふたりが朝をともにむかえる事を、さけたのは、ずるずるした関係になることを恐れていたからかもしれない。どんなに遅くなっても直樹は帰っていった。そのことは理知子にとっては、時折むしょうにさみしくなることであったが、そのさみしさ二人の気持ちをまた強く引き寄せることになる。もうけっして若くはない二人は大人のいい恋をしたかった。泥臭い男女の関係の結末は二人共わ かっていたし、お互いの自由を認めることは、長続きの秘訣でもある。理知子は女。頭でわかっていても感情がどうしようもない事だって正直ある。直樹の理知子のそういう気持ちをわかっていないわけでもない。 二人の気持ちと関係を大切にしたい。だから、感情の赴くままにいつまでも べったりはさけたい。若い恋人には考えられないことかもしれない。 かつて直樹にとって女とは肉質的なからだを提供してくれればそれでいい、という時期もあった。それはあまりにも女のいきざまを母綾子をとおして幼い頃から知りすぎたことが、「女」という存在を心の底から受け入れられなくしたのかもしれない。 直樹の車で横浜をはなれ、都内に入っていよいよ理知子のアパートが近くなってくると、理知子は必ずじっと直樹の横顔をみつめる一時があった。くわえタバコの直樹の横顔は少しさめたコーヒーのようにほんのりとした甘さとけだるい苦さを感じさせる。「何、?」「ううん、なんでもない。」けっして理知子の方をむくわけでもない、そんな彼を見ている、感じてひたっているだけでいい。だってこの「好き」という気持ちはもうどうしようもないのだから。最後までこの気持ちとつきあってあげなくちゃネ……受け身でいては傷つく時がこわい。要するに自分の気持ちがどうか.なのだ。相手がさめていくのを追っていっても自分が惨めになるだけ、その時はその時で整理をつけるしかない。 20歳前後からの恋で別れの傷みを少しだけ経験し、その繰り返しで免疫ができ、年を重ね、恋を重ねるにつれて慎重になり、過剰の期待ももたない。いつしか心身の防衛本能も働き臆病になっていく。それでも懲りず恋に落ちて、たまたまいい相手に巡り逢えば結婚にたどりつく。別れや、恋の痛手を経験することなく結婚できれば理想かもしれないが、ある意味では少し寂しいものである。そんなことを考えながら車はアパートの前についた。「じゃあ、今夜は遅いからここで。」「うん、ありがとう。 気をつけて。」「ああ」直樹の車が去るのを見送った後、理知子はほんの少しさみしい気持ちと今度いつ逢えるかという期待に胸がときめくこの瞬間が理知子は好きだった。 亜紀が久し振りに直樹に逢ったのはそれから数日後のことだった。秋の気配を風に感じる日だった。「久し振りね。」「元気そうだね。」直樹の後輩にあたる宮沢と最近すれちがいで逢っていないことは情報を得ていたがその事には直樹はあえてふれなかった。もう別れたかもしれない。ところが、亜紀の方の情報チェックの方が早かったらしく「いい人、できたんだってね、あにき?」と、にやりと顔を傾けながら、聞いてきたのだ。亜紀は理知子と違って若いせいか、いや性格か、ストレートにものをいう娘だった。扱いやすい部分とそうでない場合とがあるが、こんな時は少し困る「やっぱりねー」「何がだよ」「黒岩建設を継ぐんだから、もうそろそろ身をかためたら?」「そんな気ないよ。」「そういうと思ったわ」「店の方いそがしいの?」 ジュリアンの事である。直樹がそう言って、コーヒーに手をのばすと一瞬うつむいたかのようにに見えた亜紀が「それ、ノーシュガーよ」といって、シュガーポットを直樹の方に差し出した。「何か話があったんじゃないのか?」「別に…・・なくったっていいでしょう? こうして逢っても。」「荒れてる?」「別に。」「むずかしい奴だなあ。」 この日亜紀が時どき見せる寂しげな表情が直樹はいつになく気になった。特別な用事がないと言ったが何かが亜紀の中に起こっていることを感じていたが、亜紀はその小さな口を最後まで閉ざしていた。 亜紀は別れた後いつでもある種の余韻を残す。腹違いの妹、亜紀とももう10年以上の付き合いになる。世間では考えられない二人の関わりではあるのだろうが、亜紀のことはほっておけないのである。理屈ではない。直樹の素直な感情なのだ。ジュリアンは渋谷でもアダルトでシックな服がウィンドーを飾っていた。黒岩の妻良子は45歳という年令よりはるかに若くみえた。神楽坂で細々と小料理屋をやる綾子とは或る面対称的であった。ジュリアンの2階は良子のセカンドルームとして使い、店が忙しい時はそこに泊まっていく。栗色に染められた髪の側できらりと光るダイヤのピアス。ほんのり肉のついた首にはゴールドのネックレスがかかっている。 亜紀が母良子のそれを知ったのは数日前のことである。先日直樹に逢った時、それに触れなかったことは今思えば当然言うべき事でもないと、亜紀は小さな胸の中で一人うなずいた。 半年が目まぐるしく過ぎた。「ほら、また別の事考えている…」「そんな事ないよ。」直樹は理知子の部屋の天井を見ながら静かにそう応えた。理知子は胸まで掛けられたタオルケットをそっと引き寄せ直樹に背をむけた。直樹は最後に亜紀に逢って以来、こうして理知子を抱いていても、夜のネオン街を同僚と飲み歩いていても、出張先でも、なぜか晴れぬ思いでいた。今年に入って、ジュリアンに数回連絡を入れたが、亜紀は不在であった。一方、理知子は仕事に明け暮れていた。4月には新入社員も入るとあって社は幾分活気に満ちていた。そんな中社員の手でミニトリップ版を出す計画が進んでいた。スタッフの一人である理知子も俄然ハッスルしていた。最近直樹からの連絡も跡絶えていたし理知子にとってはちょうどいいタイミングの多忙さとでもいおうか。気にしはじめるとどんどん落ち込んでいく自分が見えた。来週あたまから木曽路へ行く。旅の写真から、コース、そして編集までスタッフの手で全て行われる。理知子にほんのり好意を抱く安岡も一緒である。彼は仕事もでき、社でも上役から信頼もあってなかなかの男であるが、完璧に近すぎて、「いい人ねえ。」で終わってしまう。安岡のような男と恋愛関係になれば、きっとこんな寂しい思いもすることなく、いつも暖かいぬくもりの中に満ちたりているだろう…と思う。連絡が跡絶えた直樹でもその日はきっと覚えていてくれるだろう、という日がもう近い。そんなことを微かに期待しながら、旅特集“MINI TRIP”の旅木曽路へむかう理知子であった。 4月3日 理知子の26歳の誕生日である。先月、絵に書いたような幸せな結婚をして退社していった友人の京子も早朝、あの元気の固まりの声でハーピーバースデー! と電話してきた。秋には母親になると言うのだから、どんな元気のよい少し並みでない子供が生まれてくるのかと二人は電話でもりあがった。直樹と約1年間普通の恋をして、デートを重ね、何度か抱かれ、またたくまに過ぎた日々。こんな物なのだろうか。あのときめきはどこに行ったのだろう。むしろ、どこか一点さめている直樹を相手にいままでと違った冷静な自分を保てたのが不思議なくらいだ。不安を打ち消してきた自分がかわいいとさえ思う。 外は爽やかな青空が広がっている。アパートの下では子供の遊び声が聞こえる。時折京浜東北線の電車の通る音もする。昼下がりの午後、ぼんやり外のざわめきを見届けていた理知子の視野にフラワーキューピットと書かれた薄いピンクの車が目にはいった。車はアパートの前でとまり、中からスッと背の高いエプロン姿の若い男の子が大きな花束を抱えて降りて来る。 理知子の部屋の前で足音は止まった。「お届けものでーす。」「!」もしや、という予感が当たった。オレンジがかった薄いピンクの薔薇のまわりには真っ白な霞み草が可憐につつみこんで薔薇を引き立てている。“HAPPY BIRTHDAY! 行けなくて、ごめん。 直樹”出張先からであろうか?理知子は胸に熱いものがこみあげてくるのがわかった。覚えていてくれたんだ… 理知子はその日、日が暮れるまでその薔薇をながめていた。期待を大きく持っていて、カラブリよりはこういうパターンの方がずっと幸せにひたれると思う。それもまた悲しいが。 (続く)
2006/01/10
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3度の偶然理知子がその時直樹から感じ取ったものは、ほぼ二人の終わりを意味していた。そうではないように祈っていたが、やがてそれは事実となった。27歳になるまで大なり小なりこういう恋愛や恋愛ごっこを繰り返してきたのだから、理知子が2年間愛した直樹がこういう形で去っていくことなど、後になって考えれば、どうってことない1つの出来事、そしていつかいい思い出になっていくことは間違いない。そう自分を慰めた。 外はカリフォルニアシャワーを思わせる細かな雨がシャーシャーと音をたてて降っている。直樹との出会いは、そんな夏のある午後のことだった。その日は、A出版社に午後までに届けるはずの原稿を片手に、銀座4丁目から日比谷に向かって小走りに歩いていた。 ブルーに白の水玉模様のかさは理知子の右脇に大切にかかえられた原稿の入った封筒をおおい、左肩は少し雨でぬれていた。「あそこの部長は締切にけっこううるさいんだから」そんな思いで、彼女が同僚と時々立ち寄るイタリアンレストラン“トマトハウス” の前を通り掛かったところだった。擦れ違い際に理知子の右脇の大切なものに何かがバン!とあたり、傘が手からはなれた。相手もかなり急いでいたらしい。痛い!というより「原稿が!」と思わず口から出ていた。しゃがみこんで見上げるとすまなそうな顔をしてぶつかった男がたっている。この人とぶつかったんだ。たぶん恨めしそうな表情を隠しきれなかったにちがいない。「だいじょうぶですか?」男は落ちた封筒と傘を理知子に手渡すと、不安そうな顔で理知子を見た。 「だいじょうぶなわけないでしょう! どこ見て歩いているのよ!」「……」半分泣きべそ顔の理知子は原稿を半分雨で濡らしてしまったということで、後でひどく先生からのお叱りを受け、当然のことながら社でもさんざんだったのだ。…が、このときの出会いは後にこの少々ヒステリックで色気のない理知子に甘い香りを運んで来ることを、まだ理知子は知らなかった。 原田理知子 東京生まれ、東京育ち。京浜東北線の大井町より徒歩10分の住まい。短大卒業後、親元から離れ、6畳、DKつきのアパートに住んでいる。25歳になるまでの5年間、有楽町の交通公社と同じビルにあるエル出版に勤務。これといった特技も才能もない。とりわけ美人でもないがひとつだけ誇れるとしたら美しく伸びた栗色の長い髪、後ろ姿には自信があった。そして、学生時代バスケットで鍛えた健康な体、少々チビだが均整はとれている。女は化粧でどうにでもなることを知って以来、自分の顔の欠点をカバーするのに使う化粧品代が月に2万ほど。色白は7難隠すらしいので救われているが…それにファッションセンスには自信がある。友達にスタイリストの卵がいるし、何よりも東京くらしの中で磨かれたものだと思う。あの雨の日の出来事は数日間、理知子の頭から離れなかったが、やがてその事も時とともに日常生活の中にぼんやりと消えていった。仕事は多忙だった。そんな事をいちいち気に留めておく暇もない“旅特集”の原稿をまとめ出版社に届けるのが理知子の仕事だった。本に掲載された記事はやがてエル出版社にとってプラスの要因となり、若者や新婚カップルが本を片手にやってくる。目先の変わったプランをたて、下見にいってコースと予算を決めるプロジェクトチームにも、理知子も時々参加する。 「8月よ、8月!盆休みの前にカーっとフィーバーしない?」いつも元気な京子の一声である。理知子とデスクを並べる彼女は5時をすぎると時々瞬間湯沸器のように発狂する。それがまた、一日の仕事の疲れがそれぞれの顔に隠せない時間帯とあって、少々ほっとする。「よし、もうひと頑張り!」と最後の追い込みにかける者もいる。京子の回りには、いつも人があつまってくる。理知子も京子と入社が一緒とあって、よく飲みにいくし、疲れないで頼もしい良き友だと思う。盆休みと言っても、旅行社にとっては束の間で2~3日を交代でとる。不況のあおりで必死な部分もないことはないが、せめてアフター5位は楽しまなくてはという京子の都会っ子らしい号令なのだ。 会社をでた2人は三愛デパートの中にあるいつものレストランに入った。 「今日は皆忙しいらしくって、二人か・・まあ、いいか!」「何に食べる?」「チキンバスケットとジンジャーエール」相変わらずのメニューねえ…という京子である。京子はブランドもののライターをバックから自慢化に取り出すとさっそくいつもの煙草に火をつけた。「ああ、美味しい!このいっぷくがたまらないのよね。」理知子にはこの気持ちは未だわからないが、女性が煙草を吸うことなど東京では普通であって、まして京子のようにストレスがフワッと中に浮いていくような快感が本当にあるのなら、理知子もあじわってみたいものだと思うことがあるのだ。 しばらくして、京子が席をたった。今夜理知子と別れてから逢う彼に電話をしに行ったのだ。 いつものパターンだ。理知子は長い髪を白い指でかきあげ、テーブルのうえのコップに手をやった。氷を口に含むとボリボリとそれをかんだ。いつも京子にはあてられっぱなしの理知子は「ああー…」と軽い溜め息をついた。 その時だった。観葉植物で仕切られたその間から、わずかにみえる3人連れの男性の中で理知子に先程から視線を向ける男がいる。「あっ!」とおもった。少し日焼けした顔に不似合なほどの涼しげな目線が理知子に確かに注がれていた。「あの時の…」 雨の銀座でぶつかった男であった。相手はとうにその事に気がついているらしい。よりによってまた同じ銀座で逢うなんて…妙に心が緊張する自分がくやしくもあり、こっけいでもあった。理知子がその視線に気がついた事を確認すると、男は軽く会釈をしたがしばらくしてまるで何もなかったように他の連中の話にとけこんでいった。 しばらくして京子がうきうき顔でもどってきたが、理知子はそれには触れず京子と食事を済ませ、新橋で軽く飲んでその日は家路へ向かった。理知子はある種のと・き・め・き の予感を感じた。 が理知子は知っていたこういう出会いを経て、何かが始まる期待を抱き数日が過ぎる。本当に始まる時は、胸騒ぎがある。その過程が後になれば最高に楽しいのだ。要するに「ときめき」という自分だけにしかわからない楽しさが、本気になっていくうちに「のめり込む」という辛さにも変わりうる。そこには「ときめき」の時にはなかった、別の喜びもあるにもかかわらず、不安や嫉妬、独占欲などの様々な心が共存してくることを。わかっていながら、ついつい恋の甘い罠に引き込まれる。感情というやっかいな者「ああ、 ばかばかしい!」恋の傷みはそこそこ深くのこってしまうタイプなのに、なんて単純なんだろうか、と足元でまるまっていたタオルケットを蹴飛ばし、「まだ何もはじまっていない うちからそこまで考えることはないじゃないか!」と、ふてぶてしく溜め息をついた。そして、その晩も深い眠りについた。 岩間直樹 29歳。 大手建設会社黒岩建設勤務、一級建築士。黒岩重蔵は直樹の父であり、無論黒岩建設の社長である。直樹は重蔵が愛人に生ませた子であり、彼の母は神楽坂で小さな料理屋をやっている。黒岩と本妻良子の間には22歳になる一人娘がいる。黒岩亜紀である。亜紀はごく平凡な娘に育っていたが、直樹は一時かなりぐれていた時期が合った。母親の苦労をみていたせいか、大人の醜い世界を早くから知らされたせいか、17,8の頃は、青春の裏道を突っ走っていた頃もあった。直樹がその色を濃くするにつれて母綾子が重蔵との間で苦しんでいることを知ってからは少しは全うな道を歩くべきと、方向転換したのだった。直樹がこうして黒岩建設で曲がりなりにも勤務できるようになるには、彼自身の相当の努力といろいろな複雑な思いがあったにちがいない。が彼はけっしてそれを口にすることなく、冷静に父を見つめ、綾子をそれなりに助け、自分の人生を歩んでいた。クールでわりあい無口なほうで、決して器用な人間でもないが、何処かまわりの人間を魅了する部分があるのは、彼のそんな生き様にあるのかもしれない 直樹にとって、あの雨の銀座で一人のおんなと擦れ違い際にぶつかったことなど、たいした事ではなかった。しかし、三愛で再び理知子の姿を目にした瞬間、もしもう一度あの彼女と逢うような偶然が重なれば、きっと何かがはじまるであろうことを不思議なくらい感じるのであった。長身の直樹からすれば理知子は小粒で、どこにでもいるような平凡な女に過ぎない。ただ印象強く直樹の心のほんの片隅に理知子の影が残ったのは、あの気の強さである。ぶつかるなどという事は両者が単に不注意であったのであって、たまたま強弱関係にあって男の直樹より、が理知子が少し犠牲を多く受けたというだけのこと。あそこまでメクジラたてて「何処見て歩いてるのよう!」はないじゃないか。その時は大切な書類を雨に濡らしたという申し訳なさがあったが、後で「なんて気の強い女だ!」-とあの キッと直樹を見上げた目、と水玉の傘を手渡したときにさりげなく彼女の口からもれた「ありがと…」という言葉がやけにアンバランスで、「ムッ!」ときたが 「ほう…」と許せる感情が残った事を直樹は覚えている 直樹の周囲には、美しいキャリアガールや、セクシーな女はいくらでもいる。そもそも直樹はミステリアスでスリリングな女が好きだったし、若い頃は女は快楽の道具くらいにしか考えていなかった時期もあった。自分が15歳で初めて女を知って以来、数々の女と遊び、時には10歳も年上の女と数回寝たこともあった。たった一度本気で惚れた美紀だけは彼だけに充分すぎる程、身も心もかたむけてくれた女だったが、21歳の若さで白血病でこの世を去った。 以来恋愛自体に比重をおく暇もなく、建築の勉強をがむしゃらにしてきた直樹が、ひさびさに心にひかれたカーテンの端をそっとゆらした理知子という女が、あまりに平凡なありふれた女であることが、逆に今までにない直感的部分を刺激するのだった。 結婚してもいい年令にきている彼に、父重蔵がすすめる話はいくつかあった。黒岩建設をいずれ直樹にたくす事を考えていた重蔵にとって、直樹はそこそこ身分相応で会社にとっても有利な結婚をさせたいとねがっていたが、直樹は結婚は勿論、会社を継ぐ意志も皆無にちかかった。力をつけて独立するような事が将来あるとしても、黒岩のいいなりになる事はないだろうと決めていた。 直樹にとって以前から、愛しくおもっている女がもうひとりいるとしたら、それは腹違いの妹、亜紀である。亜紀とは16の時はじめて妹としての存在を認識させられた。ふたりは半年に一度位の間隔で連絡をとりあっていた。「渋谷のラフォーレでかわいい服見つけたの!」といわれれば、すぐに白のセドリックを走らせ亜紀にそれを買ってあげたくなる。亜紀は可愛い女だった。社長令嬢という意識ももたない、むしろ持ちたくないと意識してきた。黒岩の妻であり、亜紀の母である良子が経営する渋谷のブティックジュリアンを手伝うとともに、、小学生にピアノをおしえていた。亜紀はスラッとした綺麗な娘だった。目鼻だちもはっきりしており、笑うとえこぼができる。流行に敏感かと思えば、時々どうでもよいかっこうで渋谷の街を歩く無頓着な部分もありマイペースでありながら、人にいやな感じを与えない、まわりを取り巻く人間にはそれ相応の心配りができる彼女には多くの女友達がいた。 直樹がぐれていた当時、亜紀が19歳の時だった。亜紀が恋愛中の男を追って仙台に行った事があった。結局、亜紀は捨てられて黒岩の部下にひきもどされるが、それを知った直樹が暴走族仲間を連れて相手の男に殴り込みに行ったのだ。「俺の妹をどうしてくれる!」若い相手はたまらない。そこまで恋の後始末をさせられ、袋叩きに遇わされるなどとは、思ってもいなかっただろう。 (続く)
2006/01/09
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今「天使の梯子」を執筆中。「フリーターのどこが悪い!」「若者をナメルナヨ!」 オバサンと若者達の元気のもらいっこ。 空間デザイナーから、レストラン”街路樹”の裏方に転職せざるをえなくなった主人公が、そこで出会った若者達から多くの事を学んでいく。 コミカルタッチへ移行する楽しい作品に、今、私のバイオリズムが復活した。 今回、紹介するのは手元にあった2作品。私が勇気を出して公開に踏み切ったきっかけは、友人のこの感想文だった。 2005年12月2日 小説、一気に読ませていただきました。読み終えた後、何ともいえない爽快感を味わうことがだきました。2作品ともひとことで表現するなら、『清涼感」、「心の水分」、「水と光と風」、「若さ」などの言葉が浮かんできます。また、理知子と加奈子の人物像に共感し、好感をいだきました。土足で人の心に踏み込むような、図々しさや無神経さとは一切無縁であり、相手を尊重する立場を貫きとおす芯の強さこそ、人間の強さであろうと思います。 作品を仲間内だけに公開しておくのは惜しいので、自分のブログをアップすることをお奨めします。
2006/01/09
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