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32年間、 本当によく続きました、 タモリさん、 そして、笑っていいともに関わった多数の皆様、 本当にご苦労様でした、 国民的番組、 とよく言われましたね、 何だか解ったような解らないような、 言い方のような気がします、 もっとはっきりした言い方をさせてもらうなら、 その時々の世相を素直に切り取り続けた番組、 だったということです、 そして、巧まざることだったと思いますが、 近未来を先取りするものが、 そのなかにこもっていたのではないでしょうか、 僕がタイツ姿になったのは、 1988年頃のことでした、 当時、 朝のワイドショー番組のコメンテーターとして、 チョイチョイ出演していましたが、 あの番組は板付きです、 初めから椅子にかけていますから、 視聴者はコメンテーターの顔を見て、 そのコメントを聴いています、 脚はテーブルの下に少し見えましたが、 あまり注目されませんでした、 タイツをはかせている脚に、 一気に視線が注がれたのは、 バラエティーに登場してからでした、 カゲキファッションとはやされましたが、 そのファッションが全国津津浦浦に知れ渡ったのは、 笑っていいとものレギュラーになってのことでした、 僕がレギュラーだった時期は、 92年10月~94年3月でした、 出演してまもなくの頃、 あるパーティーでアパレル業界の人に、 話しかけられました、 いつも外出中に昼食を取り、 そのとき、食事の店の多くは、 テレビで笑っていいともを流しているので、 よく見ている、 ということでした、 「貴方を見て男がタイツをはく時代が、 やがてくると思いました。いいヒントを貰いましたよ」 この方が言った通リ、 2006,7,8年頃から、 若い男性がタイツや、 レギンスを気軽にはくようになりました、 笑っていいともに登場したての頃、 僕はコバルトブルー一色の、 カラーリングをしていました、 その頃、 若い男性で髪の毛を染める人はまだ少数派で、 色も茶髪、せいぜい金髪でした、 「色んな色に染める時代がきますねえ」 ヘアデザイナーが僕の頭を見て、 そう言ったことがありました、 僕の髪は1990年代の終り頃には多色になり、 今のレインボーカラーの確立につながっていきました、 今、レインボーカラーの若者をよく見かけます、 きっと、 笑っていいとものレギュラーだった方々は、 後に出演時の自分と、 そのときの何かを重ねて、 そうか、あの番組は、 近い未来を先取りしていたのか、 と思うことが多いと思います、 それほど凄い番組だったということです、 僕にとっては、 普段無意識に作っている自分を、 本来の自分を取り戻すために、 心にある本来の自分の要素を、 さらけだすことができた番組でした、 言い方を変えれば、 僕の心の隠れ家でした。 * 当時と僕は髪の色が違います。 体重体型にまったく変化はありません、 ただ当時は黒いアイシャドー、眉墨を使っていたので、 今より表情がきついです。 今はいつもすっぴんです。
2014.03.31
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世界選手権で、 浅田真央選手が3度目の優勝を飾った、 SPで堂々の世界歴代最高得点、 フリーで1位、 文句のつけようがない完全制覇だ、 ソチ五輪でもフリーは凄かった、 では、 SPでのまさかの惨敗は何だったろう 結論から言うと、 日本人の精神性を、 真央さんが代表して体現した、 ということだ、 僕はスポーツは苦手だったが、 高校では某スポーツ部のマネージャーをやった、 他校との試合で自校生徒の応援を受けると、 選手も僕もとても勇気づけられた、 気をよくして実力以上の成績を挙げた、 一度、部の先輩たちがぞろぞろと登場し、 絶対勝てよ、 負けたら腹を切れ、 などとハッパをかけた、 うちの高校も、 そのときの対戦相手も、 都では平均よりやや強いレベル、 に過ぎなかったが、 因縁試合の伝統があり、 負けるに負けられない一戦だった、 わがチームはプレッシャーの重圧から、 試合開始早々ミスを連発して惨敗した、 試合終了後、 殺気立った先輩たちから、 身がすくむほど気合を入れられた、 太平洋戦争で、 日本は海軍も陸軍も数多の特攻を行った、 そこで得た戦果は微々たるものだった、 特攻機はターゲットに突入する前に、 洋上で待ち構える敵戦闘機の迎撃を受け、 バタバタ叩き落とされた、 無事、敵機動部隊の間近に迫った少数機も、 対空砲火の弾幕の餌食になり、 稀にわずか1,2機が突入できたものの、 その程度では空母、 戦艦などの大型艦は沈みはしない、 終戦の年の昭和20年4月、 戦艦大和、軽巡矢矧他8隻の駆逐艦は、 沖縄特攻の途についた、 結果は幾多の戦記が記述している、 4隻の駆逐艦が帰投したのみで、 大和、矢矧など6隻は海の藻屑になった、 戦死者約3800人、 米軍の損害は雷撃機10数機、 戦死者数わずか15人、 ところで、敵機動部隊に向かった特攻機より、 内地の基地航空隊の迎撃機のほうが、 はるかに戦果を挙げている、 特攻機のパイロットより技量が高かった、 特攻機より優秀な機種で、 整備も優れていた、 などの理由もあったにしろ、 それだけでは説明がつかないだろう、 決死と、決死の覚悟は違う、 生還を封じられた特攻機の操縦士は、 死への恐怖と諦めから、 自分の能力を最大限に発揮できなかったろう、 ひきかえ、迎撃戦闘機の操縦士は、 敵を撃てば生還できる望みがあるから、 必死に戦い、 自分の能力の限りを尽くす、 農耕民族である日本人は、 獲物を追いとらえる肉食民族の、 血が濃い欧米人より、 もともと温和で平和を好む、 それでは欧米列強と伍して国を保てないから、 死して虜囚の辱めを受けず、 で代表される戦陣訓を兵に叩き込んだ、 日本の軍隊は精神主義の権化だった、 そのもっとも究極的な具体化が、 特攻だった、 特攻の意義と名誉を叩き込まれて、 つまり、洗脳されて、 特攻に志願する者は前に出よ、 と言われて前へ出ない日本人は、 皆無とは言わないが、 それに近かったろう、 当時の状況では、 志願しなかったことが伝われば、 家族が近所中から非国民の親とか、 きょうだいとか責められて、 生きてゆけなくなる、 そうして志願しても、 死の恐怖から完全に逃れられない、 出撃日には覚せい剤を与えられた、 そういう状態で能力を、 最大限に発揮できるだろうか、 日本人は本来が平和愛好の、 気持ちが強いから民族だから、 欧米人以上に悲壮な気持ちにさせて、 生への逃げ道を塞がないと、 特攻を納得できない、 硫黄島の戦いを舞台にした米映画を、 今までに数本観たと思うが、 ガムをクチャクチャ噛みながら、 敵前上陸する米兵に衝撃を受けた、 なかには口笛を吹きながらの兵もいた、 上陸直後に多くの米兵が斃されるが、 即死でない者は十字を切ってこと切れてゆく、 民族性が違うのだと思った、 レシプロ機で高空に上がり、 エンジンを切って錐揉みをしながら、 落ちてきて、 あわやと思わせて機首を上げる、 飛行機野郎は、 米国にはいくらもいるが、 日本人では数人しかいない、 そのうちの1人は何年か前、 地に激突して亡くなったと記憶している、 日本人にはまったく向いていない曲芸だろう、 特攻は終戦で終えたが、 特効的精神を是として、 そのための精神主義を重んじる風潮は、 日本人からなくならなかった、 それが色濃く滲む世界は、 スポーツ界だろう、 ソチ五輪の真央さんは、 自らも同じように内包している、 その日本人の古い精神性に、 SPでは敗れたが、 フリーでは日本人の新しい精神性を暗示する、 素晴らしい成績を挙げた、 日本人がもっと自分を楽しむために、 もっと自分を出せるようになれば、 プレッシャーの重圧に、 いい意味で鈍感になれると思う、 次期冬季五輪に、 浅田真央選手が現役で出場したら、 不滅の記録を出して、 これから日本を背負って立つ、 年若い日本人のために、 新しい日本人像を体現、象徴してほしい。
2014.03.30
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袴田巌さんが釈放された、 再審でどうなる解らないが、 再審開始決定の決め手として、 静岡地裁は、 物証が捏造された疑いに言及しているので、 無罪になる可能性が高い、 冤罪は晴れても、 それからが失われた歳月を思う、 袴田さんの無念の日々の始まりだろう、 大学を2年留年して卒業した僕は、 この一家惨殺事件を、 社会人2年目の出張の、 夜汽車の車中で読んだ新聞で知った、 犯人逮捕に至るまでの一連の記事は熟読し、 世の中にはこんな凶悪犯もいるんだ、 と袴田さんの顔写真に、 怒りと軽蔑の視線を浴びせたものである、 その頃は凶悪な殺人事件が、 今に比べると少なかったのか、 事件を報じる新聞記事は、 読み返すことが多かった、 ところで、 袴田さんの場合は、 実のお姉さんを始めとして、 その無罪を信じ、 たゆまず支持し訴えてくれる、 人たちに恵まれていた、 その意味では幸せな人である、 でも、親きょうだいもなく、 いても見放され、 強力な支持者がいない人は、 どうなるだろう、 無実を叫んでも認められることもなく、、 再審の道は閉ざされ、 この世の不条理を呪い、 絞首台の露となったかもしれない、 人が人を裁くのだから、 間違いはないとは言えない、 極刑が執行された後では、 たとえ冤罪だったとしても、 偶然に、 冤罪を確信させる驚愕的新事実が発見されない限り、 冤罪が晴れることはないだろう、 そう考えると怖い、 死刑制がなければ、 少なくとも冤罪者が無念のうめきを発して、 人生を終えることだけは防げる、 冤罪事件として知られる、 「徳島ラジオ商殺人事件」で、 夫殺しの罪に問われた富士茂子さんは、 懲役刑で服役した、 再審請求により再審が決定したとき、 すでに富士さんは肝臓がんで他界していた、 遺族が遺志をついでの再審請求が認められ、 再審で無罪の判決が出ている、 名誉は回復しても、 病死した富士さんの濡れ衣の無念は、 晴らしようがない、 さて、 絶対冤罪にならない方法、 ペースメーカーのように、 精巧な機器を体に埋め込んで、 自分の行動の一部始終を記録させる、 今の技術水準なら、 そういう機器を開発するのは、 さほど難しくないだろう、 でも、 こんな機器ができたとしても、 実際に活用する人は、 極めて限られるだろう、 自由な気持ちも解放感も得られないから、 とかくこの世は生きづらい。
2014.03.28
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その音で、 僕は眠りから覚めた、 一体、何が落ちたんだろう、 心の天井が崩落したのだろうか、 それは…ありえないな、 心の天井がなくなったら、 僕はこうして考えていられない、 心の中をを飛行していたものが、 墜落したのだろうか、 それにしては音がでかかった、 何が落ちたんだろう、 炎上していないだろうな、 心の底が焼きついているような感覚はない、 一体、何が落ちたんだ、 見たいけど、 自分の心は覗けないものな、 他人は覗けるのかな、 いや、覗いたつもりで、 適当なことを言ってるだけだろう、 やはり、 僕のものが落ちたんだ、 過信だとか傲慢だとか、 欺瞞なら墜ちて万々歳、 自信だったらどうしよう、 努力だったらどうしよう、 ドコンと衝撃強く落ちたんだから、 大切なモノだったらやだな、 いやだな、 ドコンだもの。
2014.03.26
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学童クラブのある学校へ何校か、 読み聞かせで行ったことがある、 日が短い頃だと、 学童クラブの教室だけがこうこうと灯がついていて、 他の教室が真っ暗だから侘しい気持ちになる、 でも、一步その教室に入ると、 何だか和気あいあいの雰囲気で、 心が和んだ、 上級生が下級生の面倒をよく見ていた、 子供の頃、 近所の家で子ども会が開かれると、 こんな光景がよく見られたなあ、 と一瞬タイムスリップした心地になる、 おやつをご馳走になったこともある、 読み聞かせ時も、 ほのぼのした空気の中で、 ストーリーに反応している、 これも寺の本堂などで、 夜に行われた幻燈会の雰囲気に似ている、 と思った、 東京では、 この学童クラブが消えていきつつあるという、 全児童向け事業への一本化が、 推進されているためらしい、 でも、その底流には、 効率化と弱者切り捨ての論理が働いていないか、 学童クラブは、 共稼ぎなどの事情を抱える家庭の、 子どもたちにとってはオアシスだ、 そのオアシスをなくさないでほしい。
2014.03.25
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3%増税が目前だが、 センセーショナル主義の、 ハゲタカメディアには痛くも痒くもない、 佐村河内事件はもはやしゃぶりつくし、 小保方事件も旨い汁は、 そろそろ出が悪くなる、 両事件とも最初は持ち上げて、 スターダムに乗せるという投資の手法は、 そっくりで、 充分商品価値が出たところで、 粗を探してあおりまくり、 地に墜ちさせる、 大衆は拍手喝采し、 メディアは投資過程でも儲け、 地に墜ちさせる過程ではボロ儲けをする、 さて、次なる獲物は、 投資の必要もない、 独居老人を中心に、 10人を超える男性が不審死をしている、 どの男性も同じ女性と接点があった、 20年前に未亡人になった67歳の美魔女が、 その女性だ、 所轄の京都府警は、 ハゲタカメディアの殺到に、 音を上げているが、 事件の概要を公表しようとしない、 さて、どこがすっぱ抜くか、 ハゲタカメディアランキングが待たれる、 と期待している僕は、 ハゲタカメディア劇場の優等生観客なのだろうか。
2014.03.25
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大阪市長選の投票率は23・59%、 僕は10パーセント台と予想していたから、 人気の峠の下り坂に入っていたHさんとしては、 かなりの善戦だったとみたい、 なぜなら、対立候補がいなかったわりには、 この低投票率でピーク時の半分も得票している、 これは凄いことではないか、 こう書くと、 対立候補は3人もいたではないか、 という声が挙がる、 確かにいた、 でも、そのお三方は、 ひとからげにしても、 無効票にも及ばなかった、 つまり、泡沫候補だった、 こんな選挙にいくら義務だと言っても、 誰が投票に行きますか、 強いて対立候補と言うなら、 無効票かな、 しかし、 こんな選挙でも6億7億はかかる、 それだけ放出されるわけだから、 潤う人達もいる、 つまり、選挙市場がある、 ところで、 泡沫候補の方々は、 供託金を没収されるほか、 それぞれに選挙活動にカネをかけている、 選挙市場では得難い消費者、 ということになる、 泡沫候補の中には、 10年15年と、 国政選挙や、 都知事選、府知事選、 政令都市の市長選などに、 出ずっぱりの人もいる、 没収された供託金の累計や、 選挙運動に費やした費用の累計は、 人によっては巨額に上るだろう、 それだけの収入や、 資産があるわけだから、 羨ましい限りだ、 でも、 それだけのカネを使って何を得たいのだろう、 自分の主義主張を広く浸透させたいのか、 それともただの売名なのか、 何度やっても泡沫でしかあり得ないのだから、 虚しくならないだろうか、 選挙をお祭りと思っているのかな、 とふと考えて、 これだろうな、 と無理に自分を納得させた、 お祭りになると血が騒ぐ人がいる、 元気に現れて勢いづいて、 周りをお祭り気分にさせる、 祭りが終われば、 泡沫のごとく姿を消す、 日本の選挙をお祭りにたとえれば、 泡沫候補は、 いなくてはならないボランティアさんなのである、 盛り上がるし笑わせてくれる、 なるほど有用な人たちか、 という結論になる、 よかったねえ、Hさん、 3人もボランティアがいて。、
2014.03.24
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鶴竜の横綱昇進が確実視されている、 昇進すればモンゴル人3横綱時代に入る、 日本人横綱は当分現れないのではないか、 いや、永遠にかもしれない、 モンゴルは日本の何倍もの面積がありながら、 人口は400万を切る、 ハングリー精神だけでは、 モンゴル人相撲取りの隆盛を説明できない、 サッカーで、フィギァスケートで、 大リーグで、 日本人選手はしっかり精進して活躍している、 かっこよくだ、 そうだそれだ、 花形になれてアイドルになれる、 そういうところなら、 ハングリーでなくても、 精神力を発揮して、 能力を出し切る、 今の若者にとって、 髷を結うなんてとんでもない、 まわしを締めるなんて面倒だ、 体型もかっこよくならない、 やだなあ、もてないよ、 部屋住みなんて封建的だし、 そういうことなので、 花形、アイドルになれる、 可能性のあるスポーツを目指す、 相撲界は21世紀を生き抜く、 大改革が必要なのではないか、、 それとも外国人の枠を撤廃して、 日本の土俵で外国人同士の熱戦を、 日本人が観戦して楽しむ娯楽になるのだろうか、
2014.03.23
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ある年の秋のこと、 東北の、 とある川の中洲の淵に、 100羽ぐらいの白鳥が飛んできた、 規模は小さいが、 渡来地の1つで、 渡ってくれば、 白鳥の餌を売る屋台も出るのだという、 地元の人に連れていってもらった、 中州がえぐれて淵になっているところで、 なるほど、 100羽ぐらいの、 白鳥が羽を休めていた、 数10人の見物人がいた、 見物人の1人が餌を見せると、 空腹らしい数羽が近づいてきた、 その人の掌から競って餌をついばんだ、 僕の横に若いお父さんと、 5歳ぐらいの男の子が手をつないで現れた、 「パパ、あれ何で色がグレーなの?」 男の子が指差したほうを見ると、 群れから少し離れて、 葦の生い茂った中洲の岸辺近くに、 2羽の白鳥が体を寄せあっていた、 1羽の羽の色はグレーなので、 体は隣の親鳥と同じぐらいでも、 まだ子供だと解る、 「ああ、あれは子供だからだよ。 北のほうで今年生まれて、 もう親と一緒に1000キロも飛んでくるんだぞ。 凄いだろ」 お父さんはなかなかいい説明をした、 その直後に男の子が発した言葉が、 僕を驚かせた、 「じゃ、お父さんいないんだ」 1羽の親がなぜお母さんと判断したのだろう、 その子にとって、 仲よしの子が母子家庭の子で、 母子家庭のイメージを、 強く意識に刻みつけたのだろうか。
2014.03.23
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ぼくはかあさんぐもから ちぎれて はぐれて かぜにながされていたんだよ みずうみのうえにきて、 ひとやすみしたくなった それでみずうみにうかんでいたら おおきなみずとりがのっかってきた、 くちばしで めちゃくちゃにされちゃうから あわててそらにまいあがった はながさいてるはらっぱにおりたらね、 モンシロチョウが いっぱいとんできてとまったんだよ まっしろいぼくにとまれば カクレミノになる もっとはながさいているはらっぱまで のっけていってやったら、 みんなでチョウチョのまいをまってくれた わあ さくらがまんかいだ わくわくしておりて さくらのえだのしたをながれていたら おはなみのひとたちが めをまるくしてぼくをみた ぼくのうえに さくらのはなびらをがいっぱいたまった そうだ ぼくはそらたかくあがった かあさんにおはなみさせてあげよう どこでみちくさくっていたの ってしからないだろう かあさんのうえでひっくりかえって はなびらをまわせたら かあさんよろこんで もくもくふくらむぞ
2014.03.21
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僕がストーリーを書き、長年の知友の木島誠悟さんが絵を描いた、 「キリンがくる日」ポプラ社 が第19回日本絵本賞 読者賞を受賞した、 絵本で賞を貰ったのは初のことなので、 望外の喜びである、 それに読者賞は読んでくれた人が、 この絵本は素晴らしいと思ってくれ、 さらにハガキや、メールで投票してくれて、 24点の候補作品中、 いちばん票を集めた作品が受賞する仕組みだ、 新刊絵本の年間出版点数は1500点前後、 その中から24点の候補に選ばれるだけでも、 大いに感謝すべきだろう、 さらに最多の得票をしなければならないので、 この賞は難関の賞と言っていい、 候補作に選ばれたと知ったとき、 もしかしたら多くの支持を得られるのではないか、 という手応えのようなものを感じた、 その理由はいくつかある、 1つはこの絵本が、 釧路の女性市民団体チャイルズエンジェルの募金活動、 という実話から派生して世に出たもので、 メディアの話題になり、 多くの人に知られる機会が多かったことである、 チャイルズエンジェルは、 子どもたちのために、 キリンがいない釧路市動物園に、 キリンを贈ろうと思い立った、 主婦グループを中心に結成され、 わずか1年余で、 目標額の5000万円を超える5300万円あまりを集めた、「キリンがくる日」は、その感動的な活動そのものを描いたわけではない、キリンのいない動物園に、キリンがきてほしいと切望する、子どもの心情を描いている、しかし、チャイルズエンジェルの活躍がなかったら、生まれなかった絵本である、チャイルズエンジェルの活動を知る人たちが、書店や、図書館で手にしやすかったことは、想像に難くない、2つには版元のポプラ社ホールを無償で貸与されて、「よい子に読み聞かせ隊」が、毎月、第3水曜日に催している、「よい子に読み聞かせ隊・ポプラワールド」、というイベントの影響力である、この3月で111回を数えたが、ここに集った親子で、「キリンがくる日」を支持してくれた人は、意外に多かったかもしれない、毎回の参加者の半数以上は、初参加の親子である、9年前に2歳で参加していれば、今は小学5年生、学校図書館で「キリンがくる日」を目にすれば、手に取るだろう、友だちにもポプラワールドの思い出を語り、薦めてくれるかもしれない、3つは1999年に結成された「よい子に読み聞かせ隊」の、読み聞かせ&講演の回数が、2013年4月末で1600回に達したことである、1000人2000人収容の開催も多く、平均すると、1回あたり200人超になる、これまでに32万人超の老若男女が参加した、この人たちの中で「キリンがくる日」に、注目した人も少なくなかったはずである、100人に1人が目を通してくれたとして、3200人、そのうちの3分の1が投票してくれたとして、1000票を超える、4つは、ツイッターで、「キリンがくる日」が候補になったことを知らせ、読んでほしいと繰り返し伝えたことである、25万3000人を超えるフォロワーに、ダイレクトに伝わるし、かなりの人がリツイートして拡散してくれた、買いました借りました、と写真付きのリプをくれた人も10指にあまった、フォロワーで投票してくれた人は、メール投票が多かったのではないか、以上、候補に挙げられた段階で、「キリンがくる日」が優位に立てた、根拠を述べさせていただいた、最後に、僕のストーリーと木島さんの絵も、好感を抱かれたのではないか、と自慢させてください、特に木島さんの絵は、可愛らしくいじらしく黄色の色使いも優れていて、年齢を超えて好評だった事実を銘記しておきます、僕と木島さんは70代60代コンビですが、高齢ゆえに若い人にはまだ見えない新しいものが見えてきて、純粋に感動できる、という考え方も成り立つはずです、いい絵本を作ろうとさらに情熱を燃やしているところです。 * 得票数は18614票で、2位の「りんごかもしれない」の 3882票に15000票近い差をつけての圧勝でした。
2014.03.20
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預かった子どもを死なせて、 ベビーシッターが逮捕された事件は、 一見、繁栄した経済の下で、 豊かに暮らして見える日本が、 いかに貧しい国であるかを、 思い知らせてくれた、 なぜなら、たった1人2人の子どもを育てるのに、 共稼ぎをしないとやっていけないのだから、 1人の子どもさえ育てる自信がなくて、 子作りをためらう若い夫婦も多い、 なぜ今の日本は、 こんなに貧しいのか、 僕が生まれた頃のわが家は、 僕の上に兄姉が4人いて7人家族だった、 それでも当時としては、 子どもが少ないほうだった、 父は国鉄職員で質素な家庭だった、 それでも、 母は専業主婦で、 子育て家事に専念していた、 専業主婦でなければ、 子育て家事がこなしきれなかった、 よその家もみんなそうだった、 貧乏していても、 ちゃんと育てられた、、こんな状態が、 団塊の世代が生まれる頃まで続いた、 と思う、 実はその頃のほうが、 今よりはるかに豊かだったのではないか、 食料は輸入に頼らずほとんど自給で賄えて、 魚も野菜もとても安かった、 生活必需品はすべて安かった、 でなければ、 主婦が専業で6人7人を育てられなかった、 今は便利な利器に支えられて、 生活水準のみが上がって、 収入が伴わなくなった、 働けど働けど厳しい子育てになる、 これを貧しいと言わずしてなんというのか、 日本が今ほど貧しいことは、 いまだかってなかった、 せめて5人ぐらい子どもがいても、 主婦専業で楽しい子育てに勤しめる、 そのように豊かになれば、 少子化社会など、 泡沫か蜃気楼になるだろう。
2014.03.20
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絶体絶命のピンチに立たされたようである、 捏造も視野に見えてきた、 もし捏造だということが明らかになったら、 日本の理化学研究所、 そして、日本の科学界の信用は、 地に墜ちるのではないだろうか、 理化学研究所は、 小保方さんのことを、 未熟な研究者、 と断じた、 そうかもしれない、 でも、彼女は理化学研究所のユニットであり、 責任ある立場のユニットリーダーなのだ、 そこへ未熟な研究者を据えた理化学研究所は、 科学的には未熟な組織ということにならないか、 未熟な研究者による未熟な論文を、 国際的に権威のある科学誌に発表させていたとしたら、 理化学研究所の責任が問われることになろう、 未熟な研究者をトカゲのしっぽ切りにして、 本体を守ろうとしているのなら、 門外漢の目から見れば、 本体は伏魔殿ということになる、 伏している魔を吐き出して、 門外漢にも誇りに思える、 日本の科学の頂点を極める組織になってほしい。
2014.03.19
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ふんころがしくん ねえ ふんころがしくん ころころ うんちをころがして くさくないの おはながまがらないの ねえ ふんころがしくん ぼくのまたのしたを ころころくぐって へいきでいくけど ぼくがしりもちついたら たいへんだよ ねえ ぼくのせなかに ぼくのきもちがなにかでていたら おしえてくれる ねえ なにがみえる そうか きみはふりかえらないんだ、 いつもまえをみて いっしょうけんめい ころがしていくだけだもの
2014.03.18
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上司の考えは、 確かに時代遅れで、 成果が見込めないかもしれない、 でも、 そこで自分の考えを楯に突っ張ったら、 上司も立つ瀬がないよ、 嫌なやつだとことごとにいびられる、 自分の考えは胸に収めて、 上司の考えでどうやったら成果が出るか、 それを工夫する、 その工夫はまぎれもなく貴方の工夫なのだよ、 つまり、自分の考えを出している、 それで成果が出れば、 上司は喜ぶだろう、 でも、上司という洋服を着てるけど、 中身は貴方のものだ、 胸に収めたはずの自分の考えが詰まっている、 成果を挙げ続ければ、 上司は最初から貴方の考えを聞いて取り上げる、 心おきなくゆうゆう貴方を出していけばいい、 上司には花を持たせ自分は実を取っていく、 それだけのこと、 ただ、これは手強いという脱帽モノの上司もいる、 素直に学んで言う通リにすれば、 いいだけのこと、 それで貴方の能力は高められていく、 いずれにしろ、 宮仕えでは上の者に我を張らないことだ、 簡単なようだけど、 意外と我を張っている人が多い。
2014.03.18
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それぞれの人の、 それぞれの運命の歯車を壊した、 元凶はすでにいない、 でも、 元凶の国は、 変わらぬ勝手な論理を振り回し、 変わらぬ理不尽な振る舞いを正義として、 孤立を厭わず在り続ける、 その鉄壁に、 蟻があけたような小さな穴が生まれ、 ささやかな希望が這い出てきた、 老夫婦は、 どんなにかこの日を待ったろう、 知らぬ間に生まれていた孫娘を知ってから10年余、 肉親の情は抑えがたく、 しかし、 抑えて抑えてようやくこの日がやってきた、 娘似の孫娘は愛想よく利発で、 老夫婦の表情を和ませ微笑ませた、 結婚していて、 10ヶ月の娘までいた、 思いがけない曾孫だ、 クビを振り振り歩行器で動き回る様子が、 幼き日の愛娘を彷彿とさせた、 孫娘の婿は真面目な印象だった、 まずは幸せにやっていそうだ、 老夫婦は安堵した、 この歓びの時間の中でも、 1つの辛い現実が見えないバリアを作っている、 娘のことには触れられない、 お互いに触れられない、 別れるとき、 万感の意味を込めて、 希望を… と祖母は言った、 祖父は黙って手を振った、 奇跡の時間が過ぎれば、 祖父母は、 一途の執念に生きる老夫婦に戻る、 喜びと感動の奇跡の時間は、 老夫婦にとっては通過点にすぎない、 おみやげのおもちゃのピアノで、 曾孫が生み出す音は、 希望の音、 海を渡って聞こえるその音に、 老夫婦は、 大きな春の訪れを信じ続けるだろう。
2014.03.17
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15日付の朝日朝刊3ページの記事によれば、 東大分子細胞生物学研究所の所属だった、 加藤茂明元教授の研究グループの論文のうち、 なんと48本に捏造、改ざんなどの不正の疑いがあり、 撤回が妥当、と東大当局が中間報告で発表したという、 医学・生命科学の分野で、 不正で撤回される論文は、 日本からのものの場合、 2001年頃から増える傾向にあったらしい、 これは何を物語るか、 論文でも、ノンフィクションでも、 インターネットが普及する前は、 コピー機でコピ-された資料を含めて、 机の傍らに積み上げた、 紙の冊子、本の文献資料を読み込み、 この部分をどのように使うかを考えるだけで、 多くの時間を割いた、 引用ならその旨を明記し、 参考にして自説を展開する場合でも、 作品の巻末に参考資料名を列挙した、 ワープロを使うにしろ、 原稿用紙にしろ、 引用部分は一言一句もなおざりにせず、 打ち込んだり、 手で書かなければならなかった、 だから、活字になって読んだ人間から、 この結論はどういう根拠で導き出されたものか、 と訊かれても、 そらで参考にした複数の説の由来を言えたし、 各説の長所短所を踏まえて、 自分はこう思う、 とはっきり自説を主張できたのだ、 今はインターネットを駆使すれば、 あらかたの文献資料を見出すことができる、 紙媒体ではまだ得られない最新の情報まで入手できる、 さらに、 実はそこに落とし穴があるが、 必要な箇所を切りとったりコピーしながら、 作成中の論文などにいくらでも貼りつけ挿入できる、 やたら引用があっても、 きちんと出典を明記すれば問題ない、 ただ、自説を展開するときに、 本来なら引用なのに、 数行の短いものだと、 つい自説の中に繰り込んでしまうことがある、 のではないか、 これが癖になると、 引用したかどうかも定かでなく、 安易にコピー、貼りつけをしたので、 出典が何かは思い出すことさえできない、 という有り様になる、 もう1度、確認しようにも、 その出典にたどりつけない、 という事態さえ起こる、 2001年前後は、 研究者のすべてがインターネットを、 駆使しだした時期ではないだろうか、 インターネットの負の部分に、 前途有為の研究者の多くがはまっている、 としたら由々しいことではないか。
2014.03.16
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世紀の大発見とうたわれ、 世界に驚愕と感動の波動を巻き起こした、 新万能細胞のSTAP細胞は、 医学の分野で人類に新しい夢を描かせられる、 画期的な発見だった、 だからこそ、 世界中がいい意味で騒然とした、 しかし、 その根拠となる論文は、 小保方晴子さんの所属する理化学研究所さえが、 重大な過誤がある、 と認めざるをえないものだった、 解りやすく言えば、 STAP細胞が作成できた、 という証明ができないものだ、 ということである、 つまり、まやかしの論文だ、 と認めたも同じに近い、 どうしてこういうことになったのか、 近年、理系に進出した女性の活躍が著しい、 小保方さんもその1人だ、 その小保方さんが世紀の大発見の立役者になった、 リケジョの鑑ともてはやされた、 小保方さんはアイドルになったのだ、 報道は加熱し、 その業績の価値を論証し賞賛するよりも、 年若いリケジョの華としての小保方さんの、 個人的な事柄を取り上げることに執心した、 つまり、アイドルとしての報道に、 より価値を見出したのである、 今の大衆はアイドルの動向に、 耳目をそばだてる、 芸能界を超えてアイドルを求めている、 そういう大衆志向に、 音楽、学術、体育の分野も、 無意識のうちに迎合していたのではないか、 理化学研究所にも、 リケジョを抜擢して重要な研究に当たらせよう、 という無意識の迎合が働いたのではないか、 佐村河内氏も、 音楽会にアイドルを求める、 大衆の志向が生みだした徒花だった、 のではないか、 アイドルだから音楽的才能は、 ほどほどでよく、 まったくなくてゴーストにやらせても、 アイドルツールがあればいい、 全聾の作曲家、 現代のベートーベン、 その2つは強力なアイドールツールとして、 彼をクラシックのアイドルにのし上げた、 クラシックがあまり解らなくても、 クラシックのアイドルが作った曲は聴きたい、 そういう大衆が熱く支持した、 ただ、何の世界でもアイドルの寿命は短い、 そのアイドルの中でも、 小保内さんと佐村河内氏は、 あまりにも儚く短いアイドルだった、 僕は個人的にはリケジョのアイドル小保方さんに、 アイドルとして好感を抱いていた、 才とアイドルツール兼備の、 アイドルを超えたアイドルとしての、 再起を希求してやまない。
2014.03.15
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街角で空模様を見たとき、 ふと気づくものがある、 さり気なく設置された、 普段は見逃している小さなカメラだ、 心が凹んでいるは、 なぜだかしっかり監視されているんだ、 となお気が滅入る、 心が弾んでいるときは、 守られているような気になって、 ご苦労さん、 と労を労いたくなる、 監視と言い防犯と言い、 諸刃の剣のカメラだよね、 安心て何だろう、 高い頑丈な塀をめぐらせ、 さらにその上に、 有刺鉄線を張り巡らせたり、 ガラス瓶の破片を植えている、 監視カメラもいくつも設置している、 たまにそんな邸宅を見ると、 そんなに他人を信用できないのかなあ、 と可哀想に思う、 心にも有刺鉄線や、 ガラス瓶の破片を見たような気がして、 きっと守るものがいっぱいあるんだ、 一家惨殺なんて事件も起きる世の中だしね、 最近あまり見なくなったけれど、 集合住宅なんかで、 道や、隣家との境は、 膝ぐらいまでの低い柵しかなく、 向こう三軒両隣が丸見えだった、 そういう家によく遊びにいって、 隣近所からお見通しだと、 守られているような気分になるなあ、 と思った、 不審者が庭に入ってきても、 誰かが見ている、 という安心感かな、 でも、これは犯罪者がごく少ない社会でないと、 この安心感は生まれないかな、 今は低層住宅群が城壁のような塀で守られ、 警備員が常時周回し、 出入りはゲートで厳しくチェックするところが増えてきた、 隔絶されたコミュニティーで安心が得られる、 自由闊達な安心ではなく、 自分たちの周りにバリヤーを張って安心する、 それだけ犯罪が増えたってことかな、 北風がピューピュー吹きつけて、 コートを重ね着して寒さを凌ぐ、 って時代は、 やはり、悲しいかなあ。
2014.03.14
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昭和12年(1937)下半期の第6回芥川賞は、 火野葦平の「糞尿譚」だった、 このとき火野は、 杭州へ上陸した第10軍の隷下第6師団所属の、 牛島満率いる旅団の軍曹をしていた、 牛島は後に沖縄防衛を担った第32軍の軍司令官になるが、 中国戦線での牛島旅団は、 鬼畜も黙る勇猛な部隊として怖れられた、 第10軍は3個師団を隷下において、 南京攻略戦で主役を演じ、 詩の都とうたわれた杭州を占領し、 そこに軍司令部を置いた、 評論家の小林秀雄が主催者を代表し、 報道陣とともに軍司令部を訪れた、 初めなんだ、こいつら、といった態度を見せた、 柳川軍司令官をはじめ第10軍首脳は、 小林が、 芥川賞は日本最高の文学賞であること、 その受賞者が南京攻略戦を戦いぬいた第10軍の軍曹である、 ということは、 第10軍が文武両道の軍である証だ、 とハッタリもまじえて持ち上げると、 コロリと態度を変えた、 杭州第1の劇場を授賞式の会場に、 柳川軍司令官はもとより、 各師団長、師団麾下の旅団長、連隊長が、 延々と祝辞を述べる大授賞式になった、 これに先立ち、 壇上に上がった火野葦平に、 商品の懐中時計と賞金を渡した小林も、 辟易しながらあっけにとられた、 さらに、連夜の招宴が待っていた、 何しろ軍司令官、師団長、連隊長が、 それぞれに席を持つのだから、 連夜のご馳走攻めになった、 受賞後、火野は、 「麦と兵隊」「花と兵隊」「土と兵隊」などの、 兵隊ものを書きまくり、 作家としての基盤を確立した、 遠征の軍中での文学賞授賞式は、 先にも後にもこれだけではないだろうか。 + 以上の文章は文藝春秋刊「芥川賞・直木賞150回全記録」、 に収録された文藝春秋昭和33年9月号所載の、 「芥川賞陣中授賞式」をもとに書いたものです。
2014.03.14
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例えば浅草の仲見世通りは、 昼の繁華街と言えるだろう、 例えば新宿の歌舞伎町は、 夜の繁華街と言えるだろう、 どちらも盛り場だ、 昼でも夜でも、 盛り場で遊ぶ若者の姿が少なくなった、 そこに若者がいないわけではない、 でも、そこで見かける若者たちは飲食店などに勤めている、 つまり、盛り場に職場がある若者たちだ、 盛り場で遊ぶ、 カネを使って遊ばなくても、 暇をつぶす若者たちがいなくなった、 昔は若者たちが、 カネがなくても盛り場に蝟集してきた、 徒党を組んで繰り出した、 今は盛り場を通り抜けている、 ある大学で講演を終えてのこと、 5,6人の学生グループが、 自動販売機を連ねて、 テーブル・イスを配した、 サロンのようなところになだれ込んだ、 7,8人がかけられる楕円形のテーブルに陣取ったから、 歓談をするのかと思ったが、 そうではなかった、 みんな思い思いの向きで椅子に腰を下ろすと、 漫画を読んだり、スマホをいじったり、 何かの検定試験の問題集に見入ったりして、 バラバラの行動をとりだした、 あっ、ネコだな、と僕はうなずいた、 建物と建物の間の草むらの空き地に、 ネコが何匹も集まって、 思い思いの場所に陣取りながら、 時を過ごしている、 そうか、今の学生の盛り場は、 こういうところか、 わざわざ遠出しなくてもすむ、 無駄遣いしないでもすむ、 もっと盛り場らしい盛り場と言えば、 住宅街のコンビニの夜だろう、 近場の部屋に住んでいる若者たちが、 集まってくる、 ほどほどに時間をつぶして出ていく、 出入りが頻繁でたえず盛っている、 買物をするようなしないような、 立ち読みをするようなしないような、 さらりと時間を過ごしている、 今の若い人たちは、 同じ若い人たちの姿があれば落ち着くのだろう、 無言のコミュニケーションをとっているのだろう、 進化した個人主義による変化なのか、 何かの活力が衰退しての様変わりなのか、 それはもっと時間が経たないと見えてこない。
2014.03.13
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子どもの頃、 どこの家の母さんも大変だった、 火をおこしてご飯を炊いて、 とんとん野菜を刻んで、 家族みんなの食事を作って、 食べさせて、 食器を洗って、 それから掃除をして、 ちりとりのちりを捨てて、 山のような洗濯物を前に、 洗濯板を使ってゴシゴシ、 ゴシゴシこなしていく、 そんな母さんを見ると、 大船に乗った気になる、 安心が立ち上る、 不意に父さんが浮かび上がる、 机に向かいペンを走らせ、 書類を作って残業している、 鉢巻きしてね、 ようし山は越えた、 というつぶやきが聞こえたんだよ、 なんだか守られている、 しっかりした大人になんなきゃ、 父さん母さん喜ばせなきゃ、 いつのまに、 料理がチンですんでいる、 食べた後の皿も機械が洗う、 掃除は丸いロボット、 この調子で行くと、 掃除洗濯留守番もロボットになる、 外食してもロボットかあ、 電子化ロボット化が進んで、 人は申し訳のように管理しているように見える、 もっと進むとどうなるのかな、管理ではなく、すべての制御をコンピューターに任せれば、人の管理は有名無実になる、戦争はもう一息でロボット任せになるのではないか、地球の裏側から無人爆撃機を、コントロールして、ピンポイント攻撃を行わせている、この調子で戦車も兵士もロボット化されたら、戦争に人手は要らなくなる、そんな状況が一般社会に広がったら、人はどうするのだろう、ひねもすのたりのたり、と暮らすうちに、コンピューターが勝手に進化して、不要の生物として、人を処分するのだろうか、なんだか独り勝手な幻想をやってる、でも、便利はほどほどでいい、人はみんないのちなんだから、動き働き考える、雨ニモマケズ風ニモマケズ、息して食べて生きてなんぼじゃないか、働く父さん母さんがいて、大きな安心感に包まれた、いい時代を再現しよう。
2014.03.12
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あっちこっちに象牙の塔が立っていて、 それぞれに君臨しているボス教授がいて、 弟子が凄い研究をして、 学界を瞠目させそうな成果を挙げそうだ、 と判断すると、 急にちょこっと首を突っ込んでくるのかねえ、 そして、 論文の提出時には共著者とか、 監修指導者ということになる、 その論文が世界を震撼させれば、 「私が指導した論文なんだよ」 と、胸を張れる、 今回のSTAP細胞の騒ぎだって、 共著者がぞろぞろいて、 こんなにいたんじゃ、 船頭多くして船山に登る、 にならないか、 と独りが基本のモノ書きからすれば、 いささか違和感があった、 そりゃ俺らの世界だって、 いろんな人の知恵や、文献のお世話になる、 でも、それは参考、引用であって、 そのことは巻末などにきちんと明記する、 あくまで著者は1人が原則、 ドキュメントものでは、 取材者が複数いることも多いが、 それをまとめて整理して書く人が、 代表して著者になる、 今回の論文なんかも、 小保方晴子ユニットチーム、 が著者ですっきりとよかった、 それを小保方さんにとっては、 師筋や、ボス筋の人たちを、 共著者にせざるを得ない事情があったのだろう、 何しろ権威や、 縄張り意識が強烈な象牙の塔のことだから、 そのため、 小さな問題が生じると、 ライバルの象牙の塔から、 次々に問責糾弾の矢が飛んでくる、 こういうときに師筋、ボス筋が、 矢面に立ってくれるか、 というとそうではない、 根幹が揺らいだから論文は撤回すべし、 と主張する共著者もいれば、 海外名門大学の共著者は、 根幹は揺らいでいないから撤回の必要はない、 と真っ向から前者を否定する始末だ、 共著者だから論文の根幹に関しては、 揺るぎようもないコンセプトができている、 と誰でも思う、 どうも論文の内容の全体を充分に精査して、 共著者になったわけでもないようだ、 象牙の塔は魑魅魍魎が巣食っているのだろうか、 小説の題材としては、 興味ある世界だが、 いったん、誰が見ても明瞭明快な世界になるために、 膿を出しきる必要があるのではないか。
2014.03.11
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3.11の翌月から被災地慰問を開始して、 年に数カ所の被災地を訪れている、 今年は気仙沼市の階上小学校、 久慈市の久慈湊保育園、長内保育園を訪れた、 年内はもう2箇所ぐらい行けそうな気がする、 以前に講演や、読み聞かせで訪れたところではなく、 生まれてはじめて訪れた被災地でも、 前々からの思わぬ縁に触れて驚くことがある、 もっとも驚いた縁のことを話したい、 3・11の年の暮れのこと、 気仙沼市大島町で、 お話の会をやっている人から電話を頂いた、 私たちの住んでいる大島も、 31人が犠牲になり、 大きな被害を出しましたが、 ようやく復興に向けた立ち上がろう、 という気持ちになったところです、 私たちの島へ慰問にきてもらえないか、 という依頼だった、 日時が合っていくことになった、 僕はうかつなことに、 気仙沼に大島があることを知らなかった、 それで、いろいろ予備知識になることを調べた、 ある1つの事実を知ったとき、 思わず僕は叫んでいた、 気仙沼・大島は、 緑の真珠、と呼ばれている、 それはこの島で生まれ、 島の大島小学校出身の人が、 海はいのちの源 波はいのちの輝き 大島よ、 永遠に緑の真珠たれ という賛辞を与えたことに由来する、 その人は詩人・童話作家だった、 水上不二というその名を見たときに、 僕は衝撃を受けて叫びを漏らしたのである、 伊豆の海辺に生まれた僕は、 国鉄職員の父の転勤で、 小学校の6年間は都下の小金井市で暮らした、 5年のとき、 僕のクラスに大柄の女子の転校生が入ってきた、 水上伶子、と言った、 伶子ちゃんはもの静かな性格で、 休み時間はいつも何かの本に読みふけっていた、 国語の時間だったか、 質問を出して手を挙げた伶子ちゃんを指し、 それに伶子ちゃんが答えた直後に、 担任の先生が、 「伶子ちゃんのお父さんて、 確かものを書いているんだよね」 と、訊くともなしに言った、 そのとき、僕の頭でピンと反応するものがあった、 当時、光文社発行の少年という雑誌を購読していた、 コラム欄に連載されていた詩を愛読していた、 いつも海にちなんだ内容で、 カモメ、砂浜、貝殻、ヨット、小島などが登場して、 5歳で海辺の故郷を後にした僕は、 毎回、とても郷愁をそそられた、 その詩人の名が水上不二だった、 それで担任の先生が、 伶子ちゃんにお父さんのことを訊いたときに、 水上不二は伶子ちゃんのお父さんだ、 と、咄嗟に確信したのだ、 翌日、少年の最新号を持って登校し、 伶子ちゃんにそのページを見せて、 「これ、お父さんだよね」 と、確認した、 寡黙な伶子ちゃんは黙って大きくうなずいた、 気仙沼・大島の人からの1本の電話は、 伶子ちゃん経由の気仙沼・大島と僕をつなぐ、 見えない糸をたぐりよせたのである、 水上不二という詩人・童話作家は、 一般的には無名に近い、 単行本作品は、 「僕は地球の船長だー水上不二詩集」理論社、 他2,3点に留まる、 しかし、 僕が愛読している詩の作者が同級生のお父さんだ、 という事実は、 僕にとって大きなインパクトになった、 小学校を卒業してからの伶子ちゃんの消息は知らない、 社会人になってから何度かクラス会、同窓会に出たが、 伶子ちゃんの消息を詳しく知る者はいなかった、 知り得たことは、 結婚した、ということぐらいだった、 ただお父さんが亡くなった、 ということは何かで偶然知った、 新聞か、詩誌の訃報欄でのことだったのか、 翌2012年の2月、 3人で慰問のため大島へ渡った、 大島は津波に蹂躙された後、 気仙沼港から流れ出た重油が、 火の海と化しながら、 島の北東部に流れ着いたため、 未曾有の大火に襲われている、 二重の災害に襲われた、 その大島は仮設の埠頭から見た限り、 無残な痕跡を留めていたが、 内陸にある小学校で開かれた、 読み聞かせ会にきてくれた人々は、 子どもも大人も活力に溢れていた、 終わって主催者の人たちとの懇談で、 伶子ちゃんが数年前に他界したことを知った、 島の人も詳しいことは知らないようだった、 何だか僕の中で伶子ちゃんは、 謎めいた人になってきている、 それでいいのかもしれない、 その日は西南部の断崖に建つ国民宿舎に泊り、 翌早朝、断崖を下りてみた、 津波は断崖の上まで這い上がってきたらしい、 断崖の途中の松の木はどれも、 太枝がボッキリへし折られていた、 断崖の下は、 こじんまりとした浜になっていた、 砂浜ではなく岩のかけらが目立つ浜だった、 津波に襲われる前は、 玉砂利を敷き詰めたような美しい浜だったに違いない、 沖合を見ながら、 少年に連載されていた、 詩の舞台の1つはここだな、 と思った、 午前中に児童館で、 仮設に住む高齢者の方々を、 主な対象にした読み聞かせ会を行って、 島を後にした、 すっかり緑の真珠に戻った大島を再訪したい、 と思いながら、 僕はフェリーの舷側から、 遠ざかる大島を見つめ続けた。
2014.03.10
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1945年3月25日、 僕は満5歳の誕生日を迎えた、 その15日前の3月10日に見た光景は、 忘れない、 正しくは3月9日の深夜というべきだろう、 常時ならばまだ5歳になる前の子どもが、 起きている時間ではない、 当時の我が家は都下小金井町【現在は市】にある、 国鉄の官舎だった、 この頃は、 昼夜を分かたず空襲警報が鳴り響き、 その都度、僕は母の背中におぶさって、 庭の防空壕に避難した、 でも、最初の頃だけで、 官舎の人たちは空襲警報が鳴れば、 外へは飛びだしたものの、 ただ空を見上げていた、 官舎群に隣接して、 東洋一の規模と言われた、 国鉄の変電所があり、 半径5キロ以内には、 中島飛行機をはじめとして、 組み立て、部品などの飛行機工場が、 いくつも分散していた、 昼間から爆撃されている音が、 地鳴りのように伝わってくる、 変電所も爆撃されてよさそうなものだが、 機銃掃射すら受けなかった、 占領後のことを考え、 鉄道輸送を確保するため、 あえて爆撃しないのだ、 という噂が広まった、 やられるときはやられるだけだ、 という開き直りもあって、 官舎の人々は、 庭で空を見上げるようになった、 こどももみんな空を見上げる、 昼間の空中戦は不気味だ、 斜めに尾部にあたった機銃弾が、 貫通して反対側から飛びだすのが見えた、 黒い煙の筋を引きながら、 超低空を戦闘機がよぎり、 麦畑の彼方の雑木林に突っ込んで、 火達磨になるのも見た、 そんな光景をみんなぽかんと、 視線だけは動かして見上げていた、 怖さを忘れちゃうのかな、 ただ当たり前の光景のように見上げていた、 夜間に空襲警報が鳴ると、 我が家は家族で縁側に腰を下ろして、 まるでこれから始まる花火でも見物するように、 空を見上げた、 敵味方の戦闘機は赤色灯をつけている、 その赤色灯が弧を描いて、 格闘に入ったと解る、 敵機に追尾したほうが発砲すると、 赤い点線が飛んでいく、 数発に1発の割で入っている曳光弾の輝きだ、 命中すると敵機に吸い込まれたように見える、 外れれば赤い点線は、 遠くまでいって消えた、 3月9日は熟睡していたのに、 起こされた、 規模の大きい空襲だという情報で、 珍しく家族全員で防空壕に入った、 僕以外はみんな聞き耳を立てた、 遠くから伝わってくる爆撃音を聞いているようだった、 耳の病気にかかっていた僕には、 そんな物音は聞こえなかった、 防空壕の中で寝てしまったらしい、 「家の中へ入るよ」 と起こされ、 父の背中におぶさって庭へ出た、 でも、父も母も2人の姉も、 家の中へは入らなかった、 並んで立って同方向の空を見上げた、 僕もすぐに気づいた、 その方向の空が真っ赤に染まっていた、 下方が濃く真っ赤で上方が薄く真っ赤で、 最上方はごく薄い赤紫色だった、 左右に広く上は空を狭めて、 不気味に赤らみ、 濃く薄くせめぎあうように変化を見せた、 恐ろしく怖く恐ろしく奇怪な光景だった、 その光景はずっといつまでも、 変わらず浮かびあがるのに、 年々、印象から恐怖が薄れていく、 あの下で10万人もの命が奪われた、 という事実は少しも揺るがない、 それなのに、 以前はあったおののきが消え、 妖しく美しいオーロラのようだ、 という印象になっている、 時を経て風化をはじめた記憶の中の光景には、 人は知らず美化の霧を降りかけてしまうのだろうか、 戦争に関わる光景に、 美化の霧を降りかけてしまったら、 戦争を遠い歴史でしか認識できない若い人たちに、 その悲惨さを伝えられないことになる、 若い人たちが、 戦争から悲惨を抜いて、 戦争を思うようになるとしたら、 それはわれわれの責任ではないのか、 すでに少しその風潮が感じられるのが怖い。
2014.03.09
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秋葉原の事件の容疑者も、 心の底に貯めた、 いわれの乏しい他人や、 社会に対する鬱憤を、 不条理極まるかたちで、 一気に噴出させたところがあった、 ネットへの書き込みを無視されたことで、 絶望と引き換えにした偏執的なヒロイズムも感じられた、 千葉県柏市で起きた殺傷事件の容疑者にも、 類似の傾向が見られる、 しかし、大変場当たり的で、 どうでもいい感じで、 やってしまったのかもしれない、 今のところ、 SNSにはまっていた、 という傾向も見られない、 あまり挫折の気配もない、 初めから何かを目指そうという、 意思に欠けていたのかもしれない、 それなら挫折しようもない、 中学時代の同級生たちは、 おとなしかった、 目立たなかった、 と証言している、 反抗期さえもなくした若者だったのだろう、 ただ誰かが何かをしてくれる、 という甘えはあったかもしれない、 当然、無視される、 それは大いに心外で、 その思いをずっと積み重ねていたのだろうか、 捜査員には、 バスジャックして乗客ごと空港に乗りつける、 ハイジャックして飛行機ごとスカイツリーに突っ込む、 などと話しているという、 社会に復讐するためだということらしい、 偏執的なヒロイズムもあったのだろう、 ただ、この容疑者は大変内気で、 臆病だったのだろう、 不満鬱憤を吐き出すすべも思いつかなかった、 内気な心に貯めに貯めて、 暴発寸前の精神状態のときに、 同じアパートに住む被害者が、 視界に入ったのかもしれない、 部屋から多数の刃物が発見されたというから、 その刃物をとっかえひっかえして、 部屋で他人や、社会に対する復讐劇を、 自作自演して、 せめてものの捌け口にしていたとも言える、 こういう若者がすぐ隣りにいる、 そういう時代だということを、 強く意識しておくべきかもしれない。
2014.03.07
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ついに真打ち登場、 長髪、髭、サングラスをなくすと、 こういう顔をしているんだ、 しばし、 人間性が顔に出るか出ないかを考えました、 でも、化けていたときより、 素顔のきみのほうがゲイジツ家ぽいじゃないの、 この人、耳に関しては健常者じゃないの、 って何となく思ったのは、 彼の姿勢と雰囲気を見てから、 僕は耳の病気で、 5歳のときから右耳は健常者の80%、 左耳は70%の聴力しかない、 やや難聴だ、 人と話すときは前のめりの姿勢で、 その人の口許に視線を注ぐ、 少しでも聞こえるよう、 聞きづらいところは唇の動きで補おう、 と無意識に気が働くからなの、 ところが、 佐村河内しにはそれがない、 難聴の時期があったのなら、 その名残が姿勢や、 目配りに自然に出る、 それはともかく、 案の定、記者会見の内容は、 ゴーストの罪を新垣氏に転嫁し、 自分をかばうところがまま見られた、 18年のパートナー同士といっても、 心を通い合わせていたわけではあるまい、 しょせんは悪仕事仲間、 お互いが満足のいく分け前でない限り、 いつかは仲間割れになる、 佐村河内氏は名声という華と、 収入の2つを得る立場だから、 名声が上がるたびに、 名声放棄料を新垣氏に奮発しなければならなかった、 総収入の3分の2を新垣氏にやって、 はじめて釣りあいが取れる、 でないと、新垣氏に不満がたまる、 不満がたまると憤懣になり、 どこかでポロリと本音が出る、 そういう意味で、 このコンビは危機管理が甘かった、 週刊文春が新垣氏の暴露インタビューを報じる前から、 メディアの1部は変だ変だと噂をしていた、 新垣氏はばれる前に自爆の道を選んで、 大向うの情状酌量を貰いたかったのだろう、 何だかおふたりの写真を見比べると、 花形役者を演じた佐村河内タヌキと、 黒衣の新垣キツネの、 お芝居破綻の幕切れを見た感じである、 佐村河内氏は告訴するというし、 新垣氏の対応次第で、 泥仕合としてまだ続くようである、 泥仕合はやめておふたりとも謙虚に反省し、 おふたり並んでの謝罪会見をして、 これにて一件落着にしたらどうか。
2014.03.07
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アナログ世界のメディアは、 40代以上の人たちが支配している、 ネット選挙が解禁になっても、 不発だったとか、 有権者は無関心だった、 とか報じて何だかホッとしている、 実は自分たちがネット選挙に無関心で、 冷ややかだっただけのことだ、 ネットの潜在力に気づいていないのだろう、 去年の参院選、今年の都知事選に、 その恐るべき力の片鱗が見える、 例えば比例代表の緑の党の三宅洋平候補、 ミュージシャンとして、 選挙フェスという新戦術を編み出した、 繁華街の街頭でライブを展開、 参加者がリアルに発信し、 興味を惹かれた有権者がライブに顔を出す、 この繰り返しが、 知名度の低かった三宅候補をして、 ネットの海に沈んでいた新たな票を掘り起こさせた、 結果は17万票超、 緑の党だったから落ちたが、 自民党だったら悠々当選圏内に入る、 東京で当選した共産党の吉良佳子は、 個性的で人を惹きつけるキャラもよかったが、 自分のツイートに寄せられたリプに返信し、 質問にも返す、 これはこれからは、 とても重要な双方向型選挙術になる、 大勝の最大原因はこれだ、 都知事選でも家入一真候補が、 将来のネット選挙に大きな影響を与える、 に違いない戦術を行った、 Twitterを利用して、 簡易な対話を行う、 この方式なら公園でひなたぼっこをしながら、 選挙権を持つユーザーと対話できる、 カネをかけずに、 対話して知り得た隠れた民意を即座に反映できる、 結果は8万8000票余り、 泡沫に近いが、 この票のほとんどがネットから飛びだし、 投票所にやってきたのである、 次なる選挙で拡散するかもしれないと考えると、 不気味なほどの潜在力だ、 田母神候補の場合は、 新聞テレビも大量に報じて、 アナログ世界の浮動票も大分獲得している、 ネットから飛び出した支持者が、 一般浮動票を巻き込んでいったケースと言える、 次の次の総選挙あたりから、 ネットからウヨウヨと、 若い有権者が飛びだして投票所へ向かうだろう、 アナログ系メディア人は、 そのことがよく解っていないらしい。
2014.03.06
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麦畑とサツマイモの畑に囲まれた、 僕の通う分校に、 あなたがやってきたときのことは忘れない、 1学年1クラス4学年までの分校だった、 僕はその日、 全学年で一番早く登校した、 その日までに返すという約束で、 近所の中学生からマンガを借りた、 それを読むためだった、 読み終えてもまだ誰もこなかった、 ふと校庭を見ると、 古ぼけた鞄を下げた眼鏡の男の人が、 校庭へ入ってきたところだった、 眼鏡の人は足を止めて、 鞄から水筒を取り出した、 そして、ラッパ飲みをした、 2口ぐらいだった、 ゴクゴクと飲み干したその音が、 はっきり聞こえたような気がするほど、 差し迫った行為に映った、 眼鏡の人は、 水筒の栓を閉めたときに、 教室の僕に気づいて、 慌てて鞄に水筒をしまった、 まだ低い朝日を受けたその顔は、 団子っ鼻がテラテラと赤く輝いていた、 その眼鏡の人が、 その日から僕ら4年の担任になった、 それまでの担任が結核で長期入院することになり、 本校からきた応援の先生がしばらく受け持ってくれたが、 ようやく別の学校からの転任で、 その先生がやってきた、 ということだ、 ところが、 この先生は数日を経ずして、 PTAに悪評の渦を起こした、 分校にはPTAのお母さんたちが何人か交代できて、 給食に出す味噌汁を作っていた、 その味噌汁と、 ユニセフ支給の大変まずい粉ミルクが、 僕らのうちから持ってきた弁当のお伴だった、 僕はどちらも苦手で、 1口2口すすっては、 窓際の机だったことを幸いに、 外へこぼし捨てていた、 それはともかく、 当番のお母さんたちから、 今度の新しい先生は、 朝っぱらから酒の匂いを放っている、 という噂が立った、 その話はほんとうで、 僕ら子どもはとっくに気づいていた、 先生がそばにくると、 口臭と混じりあって、 不快としか言いようのない匂いを嗅ぐはめになったからだ、 「あの赤鼻はアル中の証拠だ、って母ちゃんが話してた」 クラスの誰かが言って、 赤鼻が担任の渾名になった、 赤鼻先生はさらにPTAの評判を落とした、 生徒が授業中にトイレに行くのを、 咎めなかったのだ、 でも、それは授業中に自由に抜け出せることを意味して、 僕らには好評だった、 僕ら抜け出し派は、 数百メートル離れた神社にまで遠征し、 銀杏の実を拾って遊んだ、 こんな状態では授業が成立しないのではないか、 と今から考えると自分でも首をひねる、 でも、よくしたもので、 抜け出し自由でもクラスの3分の2は、 抜け出さずにちゃんと授業を受けた、 PTAには評判悪くても、 赤鼻先生は僕ら児童には、 抜け出し派以外にも人気が高かった、 数人いた分校の先生は、 僕らが抜けだしても、 見て見ぬふりだった、 秋の運動会は、 本校で合同でやるのが決まりだった、 1回限りの騎馬戦は3つの分校が1つになり、 騎数を本校と同じにして、 分校出身の5,6年生を加わり、 本校と対戦したが、 それでも太刀打ちできなかった、 運動会の呼び物は全学年参加の綱引きだった、 分校の3チームは、 男女全員が参加する、 騎馬戦のときと同じで、 本校の5,6年生のうち、 分校出身の者がそれぞれの分校に加わる、 対戦するときは男女の比率も、 人数も合わせる。 僕らは分校同士の対戦に勝ち、 本校対分校の対戦で勝った本校と、 決勝戦をすることになった、 僕らは分校の総力をあげて、 になるが、 本校は選抜で作られたチームだ、 勝てるわけがない、 と誰もが見ている、 始まってズルズル僕らは引かれた、 このとき、 「負けるな、K分校!」 と叫びざま赤鼻先生が駆けてきた、 赤鼻先生は僕らの脇に立ち、 手製の日の丸の軍扇を振って応援を始めた、 「鬼畜本校をやっけろ、フレーフレーK分校!」 「意地だ、特攻だ、ピカドンで行け!」 今だったら問題ある言葉遣いだ、 赤鼻先生の人となりを知らない本校の連中は、 虚を突かれた心地になったのだろう、 一瞬、力が抜けた、 「頑張ろうぜ、意地を見せようぜ!」 授業中に抜け出す回数ナンバーワンのTが、 喚いた、 僕らは掛け声にあわせて懸命に引いた、 ズルズルと本校チームを引き寄せた、 綱を引きあっている両チーム以外の児童も、 教職員も父兄も、 校庭にいる全員が声を挙げた、 赤鼻先生は何か叫んでいたが、 それは大歓声にかき消された、 軍扇を本校チームに向かって、 引き寄せるように振っていた、 赤鼻先生は泣いていた、 勝敗は再び分校チームが引かれて、 本校チームが勝った、 その夜、 赤鼻先生は泥酔して、 道端の草むらで寝ているところを、 通りかかりの消防団の人に助け起こされた、 と母から聞いた、 年が明けての3学期、 僕らはおちつかない日々を送っていた、 5年になれば本校へ通う、 分校から上がってきた者は、 いじめられると聞いていたからだ、 給食に出された味噌汁に、 大嫌いなニンジンが入っていた、 僕は1口も飲まずに捨てた、 教壇の机で弁当を広げた赤鼻先生の目と、 合ってしまった、 いつもは見て見ぬふりの赤鼻先生は、 つかつかと僕のところへきて、 「お前は体が弱いだろ。偏食するからだ」 と言うが早く、拳骨をくれてきた、 目から火花が散った、 でも、泣かなかった、 その拳骨には愛があったからだ、 僕らは本校に進んだ、 それからまもなく、 赤鼻先生がよその学校へ転じたことを聞いた、 PTAの排斥運動の結果だったという、 浪人生のとき、 電車で一緒になった小学生時代のTから、 赤鼻先生の訃報を知らされた、 まだ40代だったと思う、 「赤鼻には子どもがいなかったみたいだけど、 奥さんはいて空襲でなくしたんだってな」 ふうん、と僕は他人事のように聞いた、 でも、 あの綱引きのときに赤鼻先生が、 涙を流して応援する光景を、 しっかり脳裏に思い浮かべていた、 拳骨の痛みも蘇った、 その頃はもうニンジンは、 好物の1つになっていた、 今でも読み聞かせ会のクリスマスバージョンで、 赤鼻のトナカイをみんなで歌うときは涙ぐむ、 去年のイブもそうだった。 、 、
2014.03.06
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昨夏、三重県四日市市に住む、 中学3年の少女の殺人遺体が、 隣接する同県朝日町で見つかったが、 その容疑者として、 現場近くに住む18歳の少年が逮捕された、 この3月1日に、 県立高校を卒業したばかりだった、 自宅近所の人も、 学校の友人も、 真面目だったと話しており、 特に目立つことのない、 ごく普通の少年だったようである、 そんな少年がどうして殺人などという大罪を、 それも年下の少女に対して行ったのか、 動機はカネがほしかった、 というだけである、 それで面識も何もない少女に、 単独で行った、 でも、この中にこの犯罪を特徴づける、 重大なヒントが潜んでいる それは少年にカネがほしい、 という切実な状況がなかった、 ように思えることである、 少年は遊興にふけり、 あちこちに借金を重ねるような人柄ではなかった、 祖父母、両親、妹2人の7人家族で、 仲睦まじい家庭環境だった、 それでなぜ強盗殺人を犯す動機が生まれたのか、 年下の中学生の少女から、 殺人まで犯して強奪しても、 その額はたかがしれている、 面識がない年下の少女に的を絞ったのは解る、 単独でやって抵抗されても、 充分に目的を達成できる、 と見たのだろう、 ここにもう1つ重大なヒントが隠れている、 つまり、はじめからカネの多寡は問題でなく、 弱者に的を絞り成功することだけを目指した、 そのためには殺人を行うことも辞さなかった、 激しく抵抗されて殺すより、 いきなりのほうが抵抗も弱く、 簡単に命を奪える、 いずれにしても、 この場合の殺人は少年にとって、 金品を強奪するのにどうしても、 通らなければならない関門だった、 その理由は少年が充分に弱者だったことで、 当人もそのことを十二分に意識していたはずだ、 弱者がさらに弱者の少女に牙をむいた、 ということだ、 少年は取り調べには素直に犯行を認めている、 しかし、その犯した大罪に対する反省はないという、 殺人は目的を遂げるための関門に過ぎなかった、 でも、少年は殺人が大罪であることを、 熟知していたはずである、 ここに激しい自己矛盾がある、 でも、少年は動揺を見せない、 今のこの世代の1部の意識を読み解く鍵が、 ここにある、 少年は犯行後も、事件が明るみに出てからも、 普段とまったく変わりはなかったように見える、 ただツイッターに、その真情の1部を覗かせている、 「地元で女子中学生の見つかったって… 震えがとまらんわ」 「平和の街やったのに、気持ちの整理つかんわ」 部外者的な感想だが、 遺体が発見されてからの動揺が窺える、 数年前まで、 Twitterにおける若い人たちの呟きは、 攻撃的排他的憎悪にみちて、 対象には情け容赦もなかった、 でも、この若者たちは、 普段は真面目でおとなしく、 引っ込み思案のタイプだった、 Twitterを自分の欲求不満や、 憤懣のガス抜きの場にしてきたのである、 でも、それは非難ごうごうのリプという、 多くの返り血を浴びる結果になり、 炎上という代償を招くことにもなった、 だんだんとヘイトツイート的なものは、 少なくなってきた、 反比例していい子ツイートが増えてきている、 普段のいい子はTwitterでもいい子になりつつある、 見た目は自己愛的整合性と言えるかもしれない、 でも、意識の底に深く沈んだ自己矛盾の牙は、 ときに不意に浮上して、 自分よりずっと弱者に対しむかれるのである、 その不可解さを理解し、 それに応じた少年犯罪予防策を講じなければ、 このような少年による凶悪犯罪は根絶できないだろう、 ここで一言すれば、 少年犯罪を厳罰化するのは、 泥棒を見て縄をなう式の愚策で、 ほとんど予防になっていないはずだ。
2014.03.03
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こどもまつりの催しが、 にぎやかに行われている会場に、 騒中静を求めたくて、 静かな階段を上がった、 ひっそりとした部屋に入ると、 四方の壁を吊るし雛の滝が流れていた、 いったい、 何万体あるのだろう、 無数の雛たちは流れおちない滝を演じて、 ただ静謐にしている、 でも、息吹を感じる、 7,8歳の女の子が1人、 立ち止って自分の目線の雛に見入っている、 観賞しながら、 その子の隣に行った、 その目線にあるのは、 揺りかごに入った赤ん坊の雛だった、 その子はひたすら視線を注いでいる、 そんな妹がいるのだろうか、 自分が赤ん坊のころを、 思いだしているのだろうか、 お母さんになったときのことを、 イメージしているのだろうか、 唇をほんのかすかに開いて、 不思議な微笑を浮かべている、 そっとその子の背中を通って、 通路へ出た、 窓の外は、 雪の予報崩れの氷雨が降っていた、 あの子は赤ん坊の雛に、 何を訴えていたのだろう、 突然、 その部屋から響いてきた、 甲高い笑い声に、 部屋にとって返したい思いになったが、 こらえて階段口へ歩いた。
2014.03.02
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ゆとり世代は、 自分たちがゆとり世代と言われることを嫌う、 ゆとり世代の先頭世代が、 社会に出はじめてから数年経っ、 社会の先輩たちは、 新しい価値観を持ったゆとり世代を理解できず、 当然、使いこなせず、 ゆとり世代は駄目だ、 というレッテルを貼ることが多かった、 それでゆとり世代は、 ゆとり世代と言われることを、 嫌がるようになった、 僕は1999年8月に、 「よい子に読み聞かせ隊」を結成している、 幼稚園、保育園、小学校に、 招かれる機会を多く持った、 廊下をゆっくり歩くのが好きだった、 壁に園児、児童の作品が掲示されており、 それを眺めるためだった、 感性の鋭さや、 観察眼の特異な作品に心を打たれた、 2000年前後のことで、 まだゆとり教育は始まっていなかった、 それからまもなくしてゆとり教育が始まった、 2007,8,9年頃の小学生は、 ゆとり教育真っ只中の世代である、 その頃、小学校の廊下を歩いて、 違うなと思うことがよくあった、 感性の鋭さや、 観察眼の深さに驚かされる作品が、 2000年前後の頃と比べると、 格段に増えている、 ゆとり教育の成果だなと納得した、 小中高がゆとり教育になれば、 幼稚園、保育園もその影響をうける、 園児たちの作品にも、 それは表れていた、 もう1つ気づいたことは、 読み聞かせの現場で見られた変化だった、 僕は物語と物語の間に、 子どもたちの質問を受けたり、 質問をすることが多い、 特に園児に顕著なことだが、 2000年前後は、 質問をすると手を上げたから指したのに、 黙りこむ子が多かった、 答えても別の子どもが答えたことを、 模倣しただけのことが多かった、 2007,8,9年頃の園児は、 自分お考えをはっきり言うことが多くなった、 それも気後れせずに冷静に、 その頃、 ゆとり世代が閉塞感を破って、 新しい価値観に裏づけられた、 新しい時代を築くな、 とよく思った、 昨年、朝井リョウさんが23歳で直木賞を貰った、 きた、と思った、 その年齢でプロとして認められる賞である、 直木賞を受賞するのは、 異例中の異例だったからである、 ベルリン映画祭銀熊賞賞を25歳でとった、 黒木華さんもゆとり世代の最先頭世代である、 芸術学術の分野は、 これからゆとり世代の独壇場になるかもしれない、 学術の分野はガリ勉型よりも、 創造性にあふれた人がその地平を切り開いていく、 スポーツ分野も創造性が鍵になる、 ソチ五輪では10代の選手が、 金銀銅を獲得した、 ゆとり世代の申し子たちだ、 栄誉に輝いた彼らの感想を聞いてみても、 超ウレシイ、 などという単純な言葉は発しない、 冷静に自己を分析し、 自分の言葉で語った、 こういう世代が20年30年後の日本を背負う、 われわれ守旧派、 いや旧世代は彼らを理解し、 彼らの特性を引きだし、 その能力を高める努力をすべきだろう。
2014.03.01
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