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もともと曖昧だった。古代の東北と東北人をどう理解するか。我々の祖先はどうだったのか。先祖はエゾなのか、弥生時代はなかったのかとか、子供の頃から整理して教えられてもいないし。工藤雅樹『古代蝦夷の英雄時代』(平凡社ライブラリー554、2005年)は、その点教科書として備えておくのに好適の著書だ。蝦夷アイヌ説と蝦夷日本人説の対立を軸に、コロボックル説(なぜか非常に懐かしい!)や、ミネルバ論争など、学説史も簡潔に整理しているし、古代日本史全体や大陸交渉史上との関係をふまえて記述されているので、あいまいな知識の整理に大変よろしい。古代の東北、東北といっても阿武隈川以南と青森ではまったく事情が異なるが、歴史の段階を丹念にわけて、朝廷との関係、社会のようすを説明している。郡、城、柵、主要な氏族や戦いについても大いに参考になる。後半では蝦夷社会をゲルマン、アイヌ、古代ローマ、アメリカインディアンなどと比較しながら解説する。こう言っては失礼だが、歴史学者、考古学者の方々の著作には、文化や民族についての一定の思いがあるのだろうか、史実や科学的知見を、何か頭の中の見えない太い糸でつないだようにして、文学的な表現でまとめるような文章をみかける。読む方には読みやすいのかも知れないが、それでは客観的でない。(私が若い頃歴史学はサイエンスでないと発言して政治学の先生に笑われた一因でもある。)その点、この本は、いわゆる読み物としては、つまらない。文体も、機械的だ。各部分をみれば、情緒や訴えもない。同じ事も何回か出てくる。でも、私は逆に、科学的に検証し、知見を整理し、そして読み手に説明する、という姿勢を感じる。著者の学者としての姿勢なのだと思う。そういう意味で、とても新鮮だ。こんな本があったのだな。著者は現在、東北歴史博物館館長。岩手日報に平泉に関する連載もしておられる。
2006.05.31
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フルスタから電車で帰って帰宅が11時半、風呂とメシ食ってやっと落ち着きました。3回表から入場したので、それまでの事情がわからず(ラジオも携帯しなかった)、今何人かの方のブログを見て初めてわかった。先発は藤崎ではなかったのですね。それから、4回裏のホセの代打も不思議でしたが、負傷していたとは。そして何とウメさんも全治1ヶ月!とは。終盤の雨にもめげず、最後まで応援したのですが、投手陣も踏ん張って、良い試合ではありました。ただ、福盛の登場以降、打線にイマイチ迫力が無かった。代打で礒部や山崎がなぜ出ないのかと思ったが、故障なのですね。12回も福盛を続投させて勝つ意志を示して欲しかったのですが、3イニングはきついのでしょうか、やっぱり... 打たれた谷中も責められませんね。カープ戦3連勝ならずも、この粘りをヨシとしよう。戦力に不安があるけれど、チームの総力と若手の奮起で、明日も頑張れイーグルス!
2006.05.30
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きのう(28日)は雨で何と家の敷地から一歩も外に出ていない。午後に子供たちとクイズ番組(パネルクイズアタック25)を見ていたら、佐藤B作、西田敏行、伊東美咲の3人の出身地は、という問題で、答えは福島県。西田敏行と元Gの中畑選手が郡山というのは知っているけど、伊東美咲の福島県は、なぜかイメージにも合わない?し(あっ、福島の皆さん、特別な意味はありません)、意外だった。そこはヒマな日曜日、公式サイト(所属事務所か)にはたしかに福島県出身と出ています。保育士や幼稚園教諭の免許も持っている。掲示板や個人サイトには、出身校や本名など、もっと細かい情報も出ているようだが、あんまり見ていない。出身地はいわき市なのだそうだ。福島の出身・在住の有名人も結構いますね。...このあとの続きは、時間切れです。
2006.05.29
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昨日のカープ戦、フルスタに行きたかったけど事情でTV応援。シビれますね。ホセの逆転弾。野球って一発で逆転するスポーツだ、ということを再認識。これなら、本当、ちょっと流れが悪くなっても、応援に気合いが入ります。最高なのは、福盛の気合いのピッチング。抑えるぞ、といって出てきて、抑える。これもシビれます。ああ、これって強いチームじゃないか。頑張れイーグルス。日曜日(今日)は行くつもりだけど。朝井でしょうか。何、予報は大雨? 雨雲なんか吹っ飛ばせ!!
2006.05.28
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慶応4年は明治元年と同年だ。仙台藩士が旅館金沢屋で新政府の参謀世良修蔵を殺害する。戊辰の役の一大転機だ。さて、その2日後に、世良の従者の繁蔵が金沢屋に世良に会うためにやって来る。これを殺す命を受けたのが、仙台藩士の玉沢喜之助だ。喜之助は岩出山の菓子職人で、岩出山伊達家の士分扱い。武術に長けていたという。果たして繁蔵との文字通り真剣勝負に勝ち、喜之助は繁蔵の所持品調書を作成しようと筆を持とうとしたら、自分の指が落ちようとしていたという。激闘だったのだ。(逸見英夫『仙台じけん帳』2002年、河北新報社、を参考にしました。)この玉沢喜之助の兄は、仙台藩の金山御用達の大野安吉で、藩の軍資金捻出のため、喜之助も偽金作りにも関わったという。鋳造職人との人脈もあり、また自ら作製を指揮した。職人50人を集めては、まずウナギ蒲焼きを食わせて士気を高め、昼夜兼行3日間で7200枚もの偽造をさせたという、リーダーシップも並ではない。この玉沢喜之助、随分多方面に才能のある男だ。ところで、岩出山の菓子職人と言うから、仙台の御菓子屋の玉澤さんと関係があるのだろうか。先日も三越向かいの玉澤総本店に行った時に思い出したが、聞かなかった。私はこの玉澤の2階の喫茶コーナーが好きだし、またこのビルの3階か4階の喫茶店は学生時代によく行った。もう少し調べてみます。
2006.05.27
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NHKラジオ第一(06年5月24日午後)いきいきホットライン「英語をめぐる“最近”事情」で慶応大教授の唐須教光さんが出ていた。車中で聴く。途中ホーマックで蟻の巣のクスリを買ったりして、途切れ途切れで全体の半分も聴いていないが、印象に残った氏の見解は概ね次のようだ。(理解が一部不正確。私見も入って整理しているかも。)(1) 母音子音の単純な日本語が母語の場合、音声の複雑な英語に慣れるには、小学校高学年までに始めた方が良い。文章の内容の理解はなくても良い。音になれること。(2) 英語が母語で来日して間もないのにきれいな日本語をしゃべる人がいる。読み書きはできなくても。これは日本語の音声が単純だから。逆は、そうはいかない。(3) (中学校から始める、あるいは必要に応じて、関心を持ってから英語を勉強すれば良いではないかとの意見に対して)それでは時間がかかる。損をする。もったいない。(4) (しっかりした国語教育が先決だ、との意見に対して)英語教育で時間が奪われるとすれば、それはそれで議論しなければならないが(優先順位の問題)、英語をやるから国語がダメになる、ということはない。(極論すれば?)授業も日本語でやる必要もない。(5) 世界的には幼い頃から複数言語の環境にあるところが少なくない。日本でも日常生活に英語が入っている。だから、まず日本語を確立するというだけに拘泥すべきでない。(6) 日本語の形成過程である入学前だと複数言語に混乱があるかも知れないが、小学生なら混乱は生じず、ちゃんと使い分けられる。なお、(6)の点は、ご家族の米国での体験を話しておられたので、氏の意見ではないかも知れない。そもそも、早期教育の必要性は、言語理解というより、音に慣れさせる点に主眼があるようだ。敢えてキャッチフレーズ風に分類して、「有害」「不要」「有効」「必要」の各論者がいるとして、私は、早期教育「不要」論者であった。 ■関連する過去の日記 ○早期英語教育「あなたは本当に賛成?」チェックシートを開発!(05年10月6日) ○Yellow Submarine と早期英語教育を考える(05年10月5日)ただ、「有害」論に振り回されて、正しい議論になっていないという感覚は持っていた。つまり、国語の乱れを直すのが先決だ、という意見は、それはそれでもっともなのだが、だから英語教育を導入するのは良くない、とは論理的には結びつかない。せいぜい、学校の現行カリキュラムの総枠の制限を前提にして優先順位の問題となるだけのはずだ。国語の乱れを憂える気持ちが先行して、さらにこれを煽動する業界と煽られる哀れなお母さんたちの様を考えると、ついつい早期英語教育を否定する方向に気持ちが向く。それでも、何か、罪のない早期英語教育をバッシングしているような、そんな気持ちは持っていた。そこに今回の唐須さんの意見。「小学校高学年までに耳を慣らさないと、損である」という点。あっ、やっと正しい議論ができる、とピンと来る気がした。他の点はちょっと賛同できない(というより私にはわからない)面もある。(やっと、じゃなくて、あんたが知らなかっただけでしょうが、と言われそうですが。)科学的に正しいとすれば(学者が言うのだからそうなのでしょう)、確かに小学校から導入する方が良い。あとは、最低限必要な英語教育の内容はどうかの点と、既存教科との優先順位調整の点、だ。音声に親しむという点なら、時数も多くないだろうから、何とかなるようにも思われる。ここで気づく。私の場合、早期英語教育バッシングは、何やら自分のノスタルジー擁護とつながっていたと思う。しょせん第二外国語としての英語なのだから、それで良いだろう。文法と発音記号と、明治以来の伝統的な日本人向けの英語学習でやるべきだ。オレもそうやってきた。てな感じ。昔の若者が苦労して漢籍を学び、仏典を修めていくような、そんなイメージかも。日本人好みの、道を極めるイメージか。若い頃、渦中にいる頃は、さほど意識もしていないのに、年を取って無責任に振り返る立場に納まると、自分の中になる昔の感性を擁護したくなるのだろう。全く無責任な話だ。勿論それだけではないが、その気持ちがあったことは今思えば否定できない。意識してか意識せずしてか、自分の何か守りたい事のために、あれこれ理屈を持ち出して、都合の良いように並べる。そして自分の心の安泰に至る。前回の日記でも、英語はリテラシーではないから、と理由付けして自分で疑問に思ってもいた。また、教育に対する過度の期待や産業界の煽動など、縁辺的な事情を、早期英語教育の否定の理由にすることにも、自分ながら割り切れないでいた。本質論でないところで増幅・混乱していることと、早期教育の是非は、別なのだ。ところで、さらに気づくのは、この状況は、まさに仙台に今なお残る別学維持論者の精神構造なのだ。仙台二高の共学化対応予算の執行停止を求めるとか、よくもそんなに元気があるなと逆に感心もするが、結局はノスタルジー擁護、自分の感性擁護なのだ。とりあえず、周辺的なモヤモヤを振り払って、真っ当な早期英語教育の議論ができそうで、安心しているのが、現時点の私です。ちなみに、キャッチフレーズなら早期英語教育「有効」論者に変わりそうです。「有効」かどうか冷静に確認した上で、カリキュラムの調整(優先順位)と児童に楽しんでもらえる工夫、必要な施設設備、教員の資質と配備などを考えていくべきではないかと思います。
2006.05.26
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先日の日記(東北学院大学が35季ぶり優勝か(06年5月18日))のとおり学院大が優勝した。ところで、石巻専修大は南東北大学野球の春季リーグで優勝したのだそうだ。 ■東北放送ニュース 石巻専修大学野球部市長訪問(2006年5月25日) ■南東北大学野球リーグのHP 来月6日開幕の全国大会に、4年ぶり2度目の出場。おめでとう。正直言って、仙台六大学リーグ以外はよくわからなかったが、この南東北リーグが南3県11大学、ほかに、北東北リーグが16大学。北東北リーグは青森大が優勝しているようだ。エリアが広くて関係者も大変だと思うが、地元も声援を送って盛り上げたい。かつて石巻市民だった編集長も、石巻専修大を大いに応援していますよ。ここで、ちょっと当ジャーナルっぽい話題に引きずり込むのだが、私が石巻市民だった頃は、大学誘致に市が100億円投入することの是非が政治イシューだった。全国のTV番組でも取り上げられた。政治的にも、いささか閉鎖的な勢力争いに終始し、12万都市の割に政治風土が貧困だな、と感じたものだ。魚はうまいけれど、かつての繁栄も今は昔、海運による交易の品物を並べた店など、他都市にない魅力もあるが、商店街はみんな仙石線で仙台に吸い取られ、なんとも寂しい。他県の5万クラスの都市にあるはずの私立高校すらない。だから、私は大学設置は大賛成だった。今の市民はどう評価しているのだろうか。今回は全国選手権の出場。まずは、市民・県民全体で、盛り上がりたい。
2006.05.25
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最近気になっている事が、「正しい」という言葉の使い方。失敗学の畑村洋太郎さんの文章を読んで、どうしても忘れられず、1週間しても記憶の相当上位の方に残っている。それは、例えば次のよう。1年前のJR西日本福知山線の脱線事故は、電車が巻き付いたままのマンションを買い取って、そのままの姿で保存するのが「正しい」。氏は、「動態保存」というのだそうだが、それによってこそ失敗が社会の共有財産になる。また、失敗から何を学び今後どうするかのためには、利害関係のない立場の人間が究明して情報発信する必要がある(勝手連事故調査)。実際に、六本木ヒルズの回転ドア事件について実践しておられるそうだが、当事者でも警察でもない立場で、幅広く関係者の理解と協力を得て進めているそうだ。後代に伝えたい、また安全対策として自分の会社も生かしたい、という表に出ない気持ち、立場上動きにくい事情を、勝手連でうまく掬い上げていること、その着眼と行動力に大変敬服します。(当該文章は『中央公論』2006年6月号)そこで、「正しい」の使い方なのだが、氏の立場からずばっとそう言われると、何か鋭い説得力を感じる。編集長(私)などは、日頃、あ~あなたはこういう意見ですが、うん私はこうで、まあ、ということはあの点で意見が違うのですね、これは重要な点ですな、その意味では一致しているから、さて、それでは... なんて感じ。相対的な対応ではなく、絶対的にこうだ、おれはこうだ、これが「正しい」と言える素晴らしさ!自分の見解を明快にすることこそが、かえって相手との関係をハッキリさせる。個にこだわることこそ普遍性につながる。国際関係や教育論でも通じる。そんなことを思っているので、どうしても頭から抜けないようだ。
2006.05.25
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何かと批判したり持ち上げたりしている河北新報ネタですが、今日は記事の中身ではなく記事を掲げていること自体を大いに賞賛したい。昨日(5月23日)から連載の「石巻・市議選やり直し/新生への選択」だ。この再選挙は、選挙無効の裁判とともに、全国的にもありがたくない注目を浴びた。選挙にカネかかるからといって、市役所も議員も一緒になっている様はいかにも醜態だし、どうせカネ掛けても何も変わらない、という実態にも考えさせられるものがある。しかし、だからこそこの選挙を真の選挙にしてはどうか。候補者もホンネは迷惑だろうけど、これを幸いと逆手にとって有権者に訴えるとか、まあ教科書的なボンクラ理想論だが、そんなことがあっても良いのではないか。などと思っていた。そこに河北新報の連載だ。これは素晴らしい、さすが(理由なく)と思った。そうなのだ。統一選挙や市制施行後の他と同じタイミングの選挙とも違って、瓢箪から駒田、じゃなくて瓢箪から駒なのだが、とにかく注目されているのだから、この機会に徹底して市政の課題、市民の声を大いに議論すべきではないだろうか。さて、内容は... これから読みます。
2006.05.24
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先日書いた大正の米騒動の舞台です。どんより暮れなずむ空に、ぽっかりとライトで照らされて浮かんでいたので、撮りました。雨の予報でしたが、夕方は上がったようです(23日午後7時頃の映像)。あのときは、群衆がここに押し寄せて佐々木重兵衛さんに味噌醤油の払い下げを要求したのですね。■関連する日記 仙台の米騒動(06年5月21日)■仙台百景画像散歩 以前の記事です。 ○仙台百景画像散歩(その5 車止めポール)(06年4月29日) ○仙台百景画像散歩(その4 オロナミンC)(06年4月4日) ○仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) ○仙台百景画像散歩(その2 はんだや)(06年3月18日) ○仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2006.05.24
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こういう企画には単純に乗ってしまう編集長デス。 ■福島民報記事(06年5月21日)「磐越西線」狩人が歌う/活性化の夢発進/誘客と連携期待/郡山出身 市川昭介さん作曲、福島出身芸能プロ社長 石田重広さん企画企画して物事を動かし進める人がいるんですね。記事によると、狩人の兄は福島に住んでいるとか。知らなかった。6月7日全国発売。東北のご当地ソング、最もヒットしたのは、「津軽海峡冬景色」でしょうか。個人的には「義経伝説」(小金沢昇司)が好きですが。
2006.05.23
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最近苗字に関する日記を書いたが、「苗字」と「名字」の違いが気になっていた。最近も、仙台や東北の歴史を精力的に研究されてきた田村昭さんの著作で、岩手県北部は地名と苗字の関連が強い、など読んでいて、やっぱり「苗字」なのか、と感じつつも調べてもいなかった。 ■関係する日記 やっぱり多い鈴木さん(06年5月9日)そもそも、民法はじめ法律上は「氏」、だから人間の名前を役所や学校では「氏名」という。ところで、占いではなぜか「姓名」判断という。「氏」と「姓」はどう違うか。昔習った親族法の教科書には「姓のことを民法上は氏と呼ぶ。氏は戦前の家の名前だが制度を改めてもなお国民感情に配慮して氏の呼称を残して...」などという説明だったから、訳がわからない。この「氏」と「姓」の語義自体は、これまた昔習った古代の氏姓制度に由来するのだろう。「氏」は豪族そのもので、「姓」(かばね)はそれに朝廷が与えた称号だ。具体的に言えば、蘇我なる氏族に、臣や連などの「姓」を下賜したわけだ。ただ、平安時代からは、これらは同一視され、さらには、苗字を「姓氏」などと表現するように、現在の苗字と同様のものと認識されるに至る。それでも朝廷の公文書上だけは厳密で、例えば徳川家康は「徳川源朝臣家康」。徳川が苗字(名字)、「源」が氏(本姓)、「朝臣」が姓である。さて、その「苗字」ないし「名字」は、古代の氏姓制度とは直接の関連はなく、貴族や武士が各家を表すために地名などを冠したものだ。従って、例えば氏(本姓)が源であっても、家(苗字)はさまざまで、各家の嫡男が代々受け継いでいく、というものだ。そして、やっと「苗字」と「名字」の違い、だ。『自分のルーツを探す』(丹羽基二・鈴木隆祐、光文社新書248、2006年)に書いていた。現在は同じ意味で2通り表記するが、元来は違うものだ。中世、名田における年貢や課役の納入責任者を「名主」(みょうしゅ)と呼んだ。例えば源氏の系統の将軍家足利氏は、下野国の足利の庄を領有したので、当地の領主であることを示すために地名を家名を示す「名字」として名乗った。他方、徳川時代には、大名が小名に土地を与えていくうちに細分化されて武士の報酬は土地ではなく米俵による石高となり、つまり武士もサラリーマンとなったが、従って家名を示すにも「名字」の意味合いは薄れ、苗(血縁)を同じくするという意味で「苗字」の字を用いるようになった、というのだ。つまり、家名を示すという意味では共通だが、時代背景に応じて意味が異なるのだ。なるほど、これは納得。
2006.05.22
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大正7年(1918年)の夏、お盆の仙台市内の随所に蜂起を促す貼り紙が出た。明日15日午後4時西公園に集合すべし。同月3日の富山の米騒動を受けて全国が騒然となる中、米価の急騰と賃金切下げにあえぐ一般市民は、いよいよ仙台もか、との思いを抱いていた。11日には新聞社(東華新聞)社長などの主催で廉米払下げ大会が開催されたが、県も市も動く気配がない、そしてこの貼り紙になったのだ。竹槍マッチ持参せよ、と付記されている。リーダーも不在で市民3百人超が集まり、熱気の中から東華新聞記者で政友会党員の窪田総次郎が、石の上に立って演説し、気勢を集める。その後、立町の米屋が名乗りを上げ、大米屋や問屋が隠して貯めているから、我々小さい米屋は皆さんと同じで困っている、と演説。警察も張り付いたが気勢を押さえられない。群衆は目標に向けて歩き出した。肴町、国分町を横切り、東一番丁を右折、大町4丁目の角を左に進むと東二番丁手前に、佐々重商店。高騰する味噌と醤油を払い下げさせるためだ。番頭も小僧もびっくりしたが、佐々木重兵衛は観念して「味噌は40銭、醤油は30銭、でよござんすか」と返事したという。群衆は大歓声、今度は東二番丁を横切り新伝馬町。次は名掛丁の福田商店。外米を一手に扱う仙台最大の米問屋だ。西方哲四郎という義侠の筋も入って交渉を続ける。結局白米を一升20銭(高騰時は約40銭)の要求を飲ませる。次いで、裏五番丁で福田商店の出店の姉歯米店、宮城倉庫、元寺小路の奥田米店。二手に分かれて、片や同心丁、外記丁、宮町、車通りへ。他方は鉄砲町の高利貸し吉田由右衛門。吉田は多賀城の大工出身ながら市会議員にもなる。仙台三大悪徳高利貸し(吉田、山田、細谷)でも最も冷酷に市民を苦しめてきた(二度取りなど)という。市民は吉田に米価調節費として三万円寄附を要求。市民は吉田を一旦あきらめ上杉山通り北五番丁の伊沢平左衛門宅へ向かう。酒造業で大富豪。天保時代のどぶろく造りから始まり、平左衛門の先代の平蔵は多賀城笠神の農家から伊沢家に雇われて婿養子になり、仙台市長代理、貴族院議員(多額納税)、七十七銀行頭取なども務めたが、平左衛門も貴族院議員。北五番丁角には皇族も泊まる別館勝山館がある。市民は伊沢の店の前では、寄付金を要求。吉田のように憎まれてはおらず、さほど怒号はなかったという。別の群衆は大変なことになった。三代高利貸しの細谷は土橋通り北二番丁突き当たりに邸宅を構えていたが、伊勢堂山に集合した群衆など千人が押し寄せ、門塀や屋内外を打ち壊してしまった。細谷はさすがに観念し、二万円の寄附と、買いだめしている蔵の米を一升18銭で供出することを受け入れた。これで気勢のあがる市民は、八幡町(天江酒造)や北一番丁(高利貸し山田)などに向かう。他方で荒町で米屋味噌醤油屋に値下げをさせながら宮城野原に結集した市民は、田町の八木久兵衛(紅久)の邸宅へ。八木は藩政時代の紅小間物商から久兵衛の代に味噌醤油で裕福になり、ご存じ八木山を所有し、七十七銀行頭取、貴族院議員も務めた。八木は市民の米開放要求に、米は一粒もないとごまかしたが、傍らの小僧が蔵の中にあるとバラしたので結局要求が通ったという。こうして夜の12時頃には市民はようやく解散。行動した市民はおよそ2千人。明けた16日には仙台市の緊急市議会で外米の売り出し、内地米の買い入れなどを決議。16日夜も西公園などに市民は集結し、今夜の目標などを演説する。群衆は四分五裂し、例えば交番に投石するもの、また例えば新伝馬町に向かう一団は佐々重や福田商店に寄附の増額と誓約書を要求するつもりだった。ところが、鉄砲町の吉田邸が燃えているとの一報。市民千人が燃えさかる吉田邸を取り巻き歓声。消火活動もできなかったという。邸主一家は駅前の青木旅館に逃げ込んでいたという。ついに浜田県知事の要請で軍が出動し、騎兵隊や歩兵とのにらみ合いの後、やっと市民は退散した。このとき市民が兵隊の銃床で殴られたという情報もある。先頭に立った市民は逮捕。17日には県知事の夜間外出取締命令が出た。市民は今度はどこを焼き討ちか、などと不安と期待の入りまじった不穏な雰囲気。武装した歩兵が要所に配備。家族を市外に非難させるものも。こうして、市内はやがて静けさをとりもどした。放火や打ち壊しを扇動した「天誅組」なる一団も姿をくらました。20日には、栗原郡沢辺出身の政友会論客代議士の沢来太郎が、これは暴動ではなく、米価調節運動というべき市民の人道上やむを得ない美挙であり、非難すべきでなく、軍隊出動は甚だ遺憾、などと演説。以上では、『物語宮城県民のたたかい』 濱田隼雄、 ひかり書房、1976 によります。天明の米騒動(天明3年9月、1782年)、寛政の百姓一揆(寛政9年、1797年)を調べようと思ったから。特に寛政は仙台藩最大の一揆とされる。著者の社会観や思想、米騒動の評価についても共鳴し切れない面も多いけど、事実描写は史実でしょうから、参考になります。大正の米騒動で、群衆が市内を練り歩いた様子が印象的だったので、記しました。藩政時代の一揆については、後に。
2006.05.21
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昨夜(19日)の夜8時からのNHKローカル番組 なっトク!古今東北「泣いて笑って“東北弁”」 は面白かった。最近のTVは変に映像効果を駆使して見る人に一定の感動や理解を「強要」するものが多いが、素直でさりげないこんな番組が、かえって良い。(これでも強制の要素を感じるくらいだが。)平安時代の京はアクセント5種類、現在の京都は4種類、東京は2種類、そして南東北では「無アクセント」地帯があって、言葉を継ぎ足して区別する(木ナス、畑ナス)、つまり最も進化していること、など。栃木の友人のアクセントを思い出す。それから、津軽弁の作文は、本当に素直で、良かった。なお、玄侑宗久さんが福島に住んでいるというのは初めて知った。
2006.05.20
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今冬に山形県を訪れた韓国人スキーヤーは2,411人で、長野県(2,830人)続いて全国2番目に多いという。国際観光振興機構(JNTO)の調べ。 ■毎日新聞記事(06年5月18日)山形県のHPによると、平成17年度の受入れ実績は、31,241人で前年対比34.3%と大幅増加。 ■山形県観光振興課 平成17年外国人旅行者の県内受入実績の調査結果についてその要因を、国や隣県との誘客活動の成果と分析している。このうち、韓国は、5,667人、何と4.7倍という伸びで、何と言っても蔵王温泉スキー場(仙台人はついつい「山形蔵王」と呼びますネ)だ。その蔵王は「バブルに踊らなかった」ことこそが魅力だ、と高見屋グループの岡崎社長が言う。うなずける。列島がリゾートに浮かれた時期に設備投資に打って出なかった。設備が古くても、山と雪の豊かさ、樹氷に温泉、と観光地の地力で勝負できる。その岡崎社長さんは、仙台空港を蔵王の空港と思って活用している、と言っていた。その通りだと思う。観光に県境はない。蔵王に県境なし(ちょっと昔に境界争いあったけど忘れよう)。仙台空港から1時間圏の大型リゾートとして、山形県もPRに力を入れている。帰りに仙台に寄ってくれれば良い、というセコい考えはやめよう。蔵王が活発になれば、仙台にも東北にも良い影響が出る。東北の看板として、蔵王をみんなで盛り立てよう。
2006.05.19
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仙台六大学野球で、長らく優勝を独占してきた東北福祉大学に代わって、学院大が優勝する可能性が大きくなった。そこで、仙台六大学野球のHPを見てみた。昭和63年秋期に学院大が優勝して以来、ずっと福祉大の独壇場。実は、仙台六大学野球は20代後半の頃に一度だけ観戦したことがある。学院大関係者に連れて行かれたので学院大の試合だが、相手は忘れた。場所は中山の東北福祉大球場。応援リーダーの爽やかな格好良さが印象に残っており、学生野球の応援も良いものだと思った。仙台六大学野球は当初は評定河原球場でやっていたのだそうだ。その後、同球場が東北大学から仙台市に売却された関係で、球場を転々とし、昭和57年に福祉大球場に定着。評定河原の頃は、市民の観戦にも便利で、面白かったかも知れない。さて、HPで選手名簿を見てみたら、選手数は福祉大がやはり多くて、100人くらいいる。次は仙台大か。学院大、工大が続き、東北大22人、宮教大は14人だ。随分違うものだ。さて、その学院大が折角久々に優勝するのなら、市内で大いに盛り上がりたいものだ。OBの社長さんや店長さんも多いだろうから、商店や飲食店で「学院大優勝記念割引」とか。福祉大負けて良かったネ、と言うのじゃないですよ。六大学全体で盛り上がって、市民の愛着も湧いていけばいいじゃないか、という考えです。地元のリーグを盛り上げよう。
2006.05.18
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今春卒業の高校生の就職内定率(3月末時点)は、福島県が98.7%で全国1位。全国平均は92.8%と前年を1.6ポイント上回り、41の都道府県で前年比プラス。東北は、秋田県が3位(97.4%)、山形県が12位(96.0%)、岩手県18位(94.9%)など健闘が目立つ、という。■日本経済新聞記事(06年5月13日)この日経の記事の出所は文部科学省となっていたが、同省HPには載っておらず(大卒はあるが)、厚生労働省に載っていた。■厚生労働省資料「平成17年度高校・中学新卒者の就職内定状況等(平成18年3月末現在)について」記事と厚生労働省HPで数値が違うのだが(事情未確認)、後者で各県を比較すると、我が宮城は94.2%で、東北6県では青森(88.3%)に次いで低位。ちなみに、有効求人倍率は宮城が1.27と6県では突出、青森は0.58と図抜けて最低。単純には言えないだろうが、「仕事したくても仕事がない」青森と、「仕事はあるのに就職しない」宮城、か。学校での就職指導はがんばっていると聞いているが。
2006.05.17
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財団法人日本スケート連盟(JSU)の不透明な経理が報道されている。要約すれば、長野五輪後に連盟の収益部門として設立された国際事業委員会が浪費のため赤字を出した。同委員会は、連盟会長の久永氏が社長を務める会社(日本メディセル)に事務局を置き、同社に計1,700万円の家賃を納入したほか、大会記念品の納入なども同社が独占しており、億単位の資金が同社に流れていた、というのだ。フィギュア監督の城田強化部長もこの会社の株主で役員だったという。国際連盟副会長まで務めた久永氏の権力欲と、何か私的に借財でも抱えたのかが原因と思われるが、連盟内部のスピードとフィギュアの勢力対立も背景にあるとも言われる。そのスピードの分野でも不正経理疑惑があるそうだ。また、大会誘致や採点方法などをめぐって、役員や審査委員などの対応に何かと資金を要したのかも知れない。もっとも、競技団体のカネの不祥事といえば、今更驚くものでもない。枚挙に暇がない。スポーツ出身で金銭感覚や経営感覚がない、とか、閉鎖的体質だ、などと言われるが、勿論それで正当化されるものでもない。経理をキッチリできませんでした、などと中小企業主が税務署に言い訳するのとは一緒にできない。例えば、国体に向けた強化といって補助金を受けては、不透明に流用する。強化費などと呼んでも対象経費は団体活動経費そのものだから、公金が本当に選手育成に役立ったかどうかわからない。行政もしっかり監督しなければならない。政治のスポーツへの関わり方も良くない。政治家は団体の役員に納まって共存共栄だ。地域の少年野球大会にまで議員サンが挨拶にくる。また、例えば国体(国民体育大会)も必要なのか。都道府県を順繰りに回って、新しい施設を作らせるという副次的な(今や主位的?)効果もあったが、今や不要だろう。戦後の民心回復や体力づくり意識など本来の意義からはるかに逸脱してしまっている。これだけの国民的コストをかけていることと、純粋なスポーツ振興の視点とを、切り離すべきだ。一昔前に財界人により国体廃止論が唱えられ、確か新進党が政策に盛り込んだように思うが、私も賛成だった。小沢民主党に再び期待するか。スケートに戻る。ところで金メダルの荒川選手は、インタビューで各方面に感謝の気持ちを語っておられたが、「連盟のおかげ」とだけは、一切言及しなかったという。そもそも連盟の城田強化部長とも決別していたが。荒川さんのプロデビューとなる5月8日のアイスショーは、リンク閉鎖などに直面する子供たちのため、収益を連盟に寄付するのだという。スポーツの素晴らしさを広め、競技に参加する機会を増やし、また有力な選手を発掘し環境を整えてやるのが、競技団体の大きな役目だろう。だから公益法人になっているのでないか。決して功成り名を遂げた人の安楽ポストやカネづるではない。繰り返すが公益法人だ。しかも補助金を受けている。それが、かたや看板選手を抱えて金儲けを画策しながら、浪費をしているとは。役員交代などは最低限以下の当たり前のことで、意を決して解散して欲しいくらいだ。せめて活動場所の確保に真剣に取り組むべきではないか。もちろん団体として当然の責務ではないかも知れないが、浪費するカネがあるのなら、と言いたい。忘れてはならないのは、ほとんどの関係者は邪心などなく、スポーツを愛し、子供たちの育成に意を注いでいることだ。地域での競技大会の運営や審判は、こうした熱意ある人たちによって支えられている。競技団体の幹部には、こうした人たちの心を、そのまま集約して欲しい。選手の直向きなスポーツマンシップと関係者の熱意を食い物にし、また公益法人制度を悪用する一部の幹部の体質は、とにかく悪質だ。仙台ではフィギュアスケートリンクの問題がある(と言われている)。仙台市や宮城県も対応を求められている。行政が設置することは考えにくいが、民間施設の転用や資本拠出などに、行政や経済団体のリーダーシップが発揮できれば、と思っている。だが、その前に、当のスケート連盟は一体どう考えるのか、を表明してもらえないものか。不正経理やお偉いレベルの工作に使うカネがあるなら、というのは「貸し」を逆手に取る若干エゲツない言い方か。そういう論法を抜きにしても、それこそスポーツを普及奨励しようという公益団体として、現場の環境にどう関わるのか、考えはどうなのだろうか。
2006.05.16
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一番良い季節、今朝も気持ちいい朝... と確かにその通りなのだが、事情あって体調も気分も最悪。当ジャーナル編集局が休業状態です。
2006.05.15
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仙台はいまごろの5月が一番良い季節ではないかと思う。青葉通の緑も若々しく、風もややあるがさわやかだ。ハーフマラソンをやっていた。朝の電車で仙台駅に着いたときに、自分の電車は遅れていなかったが、白石の方で遅れが出ているのだと駅でアナウンスがあった。風のためのようだ。日曜の電車は客層もガラリと変わるので、新鮮な気持ちで運ばれる。いつもと同じルートを物理的に運ばれるのに、全然感じが違う。帰りには、「ずんだロール」を駅地下のみやげ街で買う。夜の8時台に日記を書いているのも、珍しい。
2006.05.14
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ブログの素晴らしさに、小鳥の名前を教えていただけること、があります。おかげで助かっています。という訳で、今回も無知な私にどなたかお願いします。今朝の仙台は柔らかく暖かい湿気に抱かれています。そのうち雨になりそうです。庭にスーッと舞い込んできた1羽。先日来たツグミと同じくらいか少し大きいか。ふっくらして尻尾も結構長めです。さっそくアルバムにも追加しました。
2006.05.13
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我が子から届けられました。忍者の奥義を記した巻物のような雰囲気で書いたようです。画像では読みにくいかも知れませんが...○ 大人が守る4つのほうそく 一、たたかない 一、いからない 一、あたらない 一、おこらないと記されています。どうも、怒りっぱなしの父親であるようです。ちなみに、この四つはどう違うのか、特に「いかる」と「おこる」の違いは、と聞いてみたところ、次のような説明がありました。おこる(大声)→たたく(頭を叩く)→あたる(家の中のモノを蹴ったりする)→いかるの順序で激しい段階なのだそうで、最大グレードの「いかる」は、「物置の中に座らせられる」という状態を指すのだそうです。そうそう、3歳の時、一度やったのです。そんなこと言うなら家に居るな、物置に座ってろ、と。(イナバ物置の入り口は開けたままにして、中に椅子を置いて、座らせた。あとで母親つまり妻が解禁通告の役目で迎えに行きました。)覚えていたのか。うん、親のしつけが効いているな、と親の都合の良いように身勝手に解釈しています。
2006.05.12
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杉浦日向子さんのエッセイ集の書名だ。昨年秋、つまり7月に亡くなった後に出版された。平成の江戸っ娘杉浦さんの珠玉のエッセイ集。実は読んだのではない。「聞いた」のだ。今日(10日)の昼前に、車中のラジオで聞いた。所収のエッセイを朗読するというもの。今日は、踏み台の話と、浮世絵の話。踏み台は大工さんから建て主への贈り物。決して店では売っていない。四角錐なのだが、板の突け合わせなどに技術を要するから、大工の腕の見せどころで、若い大工が親方に認めてもらえる証でもあった。何でもマニュアル化の今とは違う ...そんな話だった。杉浦さんは、漫画家で颯爽とデビューした後、35歳にして、江戸の風俗研究に専念した。この時、杉浦さんは漫画家を廃業し、粋な江戸の「隠居」ぐらしをスタートしたのだ、と長薗安浩さんが書いていた。隠居ぐらしも10年ちょっとで終わったのですね。早すぎました。テレビの「コメディお江戸でござる」も面白かった。出演している俳優さんたちも味があった。まだ2歳くらいだった娘もなぜか好きでよく見ていた。杉浦さんの本を買いたくなった。
2006.05.11
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永井病院前に新生児置き去り事件が報道された。生後2,3日の女児で健康状態は良好。育てられないので赤ちゃんを置いたという電話が有ったという。事情は知らぬが、何でこんな事するのか。一瞬今年の正月のスペルマン病院赤ちゃん連れ去り事件を思い出したが、とにかく無事だったことは良かったけど、折角生まれてきたこの女児の母親はじめ関係者は、いったい新しい命をどう考えているのか。永井病院は私も知人の奥さんの出産後に訪れたことがある。とても良い病院なので選んだと言っていたように思う。報道の事情や犯罪の問題はあるが、それはそれとして、とにかく親が早くこの子のもとに来て欲しい。
2006.05.10
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静岡県では鈴木さんが多いのだそうです。全国で一番多い。 ■読売新聞記事(06年4月27日)実数で東京より多く、県内世帯の3.7%、全国の鈴木さんの11.9%だそうで、堂々鈴木さんの聖地だ。私は、何となく愛知県に鈴木さんが多いように思っていたが、第3位だそうです。愛知に多いと感じるのは、たぶん昔の鈴木知事とイチロー・スズキのせいでしょうか。そして、東北地方では、福島7位、宮城10位(15,390件)、山形11位、秋田13位、岩手16位、青森22位など。これは絶対数ですから、占有率でいえば東北も相当の鈴木さん王国です。やっぱりそうですか、という感じ。福島に多いのは、熊野信仰の影響とか(記事による)。ちなみに最小は沖縄県のわずか114件。これもすごい。
2006.05.09
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朝日新聞asahi.comのマイタウン宮城に、企業人@sendaiというコーナーがあります。大手企業の支店長などが並ぶ中で、最近起業した経営者もいて、面白いです。例えばこの記事。同じ朝日の岩手版にも、ちょっと似ている連載がある。「いわて経済探訪~ビジネス最前線」というもの。学校教材用の琴がヒットしているという記事が面白かった。他4県では同類の企画はないようだ。
2006.05.08
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最近できた仙台市内の百均のダイソーに行った。ジョウロの先端部(ハスの実)が壊れたので買いに行ったのだが、残念ながらハスの実はなくて、一緒に行った娘に5色のチョーク(庭の落書き用)を買わされてしまった。庭のレンガ敷きのスペースや駐車場に落書きされるので、ちょっと心配もあるが(書くのは良いんだけど、その内容が問題)。なお目的のハスの実は、ホーマックで300円くらいで買えた。さて話題は、ダイソーのレジを終えて外に出るところに、ゴミ箱などとともに、気が利いたことに新聞紙を1頁サイズに切ったものが置いている。包装にお使い下さい、ということだ。その新聞が「中國新聞」で珍しかったので、早速持ち帰った。中国新聞3月31日金曜日。村岡元長官に無罪判決。まあこれは全国ニュース。面白いのは次の記事です。○「第1回ALL-IN大賞 カープは家族 手づくり新聞配布 ○○小学校」○「広島新球場 竹中案条件付き採用 選考委報告 市、慎重に判断」とカープ関連が2題。ダイソーの本社も広島(東広島市)だから、古新聞を活用しているのだろうか。他の地域に旅行した際に、旅館のTVでローカルのニュースを見ると、すごく新鮮な感覚を味わうことがある。そんな感じです。ローカル・トゥ・ローカルの情報交流、いいぞ!ダイソー。思いつき。河北新報の売れ残りをダイソーさん本社に包装用に無償(当然)で提供してやれば、全国に仙台・宮城を情報発信!?買い物帰りに家で包装を解いて、と。あれ、この新聞珍しいわね、あれ東北の話題だよ、何々、イーグルス連勝?、そういえば礒部は広島出身よね。弘前は今頃桜が咲くのか。平泉では変な祭りやっているね。松島にも行ってみたいネエ。...とか。(念のためですが、河北も包装紙なら役に立つネ、と言うつもりではないので。)写真は庭に来たスズメ。3羽がまとまって小枝に停まっていたので撮りました。公開アルバムにも収めています。
2006.05.07
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5日こどもの日、蔵王温泉スキー場へ家族で。3日もリナワールドに行ったので我が家のGWは山形に依存です。朝8時に仙台を出て、10時ちょうどにロープウエイに乗り山頂へ。写真は山頂駅を出たところのお地蔵さんです。ウグイスの声を聞きながらの春スキーは趣があるが、足が疲れてすぐバテる。パラダイス迂回コースを主に滑り、子供たちは疲れ知らずでスピードを発揮。下の子も初めて一人でリフトに乗るなど。パラダイスのリフト乗り場にある無料休憩所が良い。15人程度の広くないスペースだが、ゆったりできる。カップラーメン類もあり(200円)、妻と子は緑のたぬきを食べていた。若者客は備付けのボードのビデオを見ていた。冬には気付かなかったな。ハイシーズンには関係者の控え室だったのかも。5時間券ちょうどで降りてきて午後3時。新しい温泉「新左衛門の湯」に浸かって、仙台に戻って6時。こどもの日ということで?お手軽に回転寿司屋さんへ。疲れて熟睡でした。
2006.05.06
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以前に記したときに、(1)河北ウイークリー、(2)アルファ、(3)ウイークリー・オーレ、と来て最後によくわからなかった「マイタウン河北」ですが、多少わかりました。■〔参考〕以前の日記 河北関係タブロイド各紙について(06年04月10日)河北新報地域広告版情報誌という位置づけで、宮城県内に3エリアあります。いずれもフルカラー16ページ。北から、(1)フレッシュ河北 大崎(大崎市、加美町など2市2町) 48,600部 毎月最終木曜発行(2)マイタウン河北仙塩(塩釜市など2市3町) 37,000部 毎月第2水曜日発行(3)マイタウン河北仙南(名取市、岩沼市、柴田郡4町、亘理町) 44,000部 毎月第1火曜日発行発行はいずれも河北新報社広告局となっていますが、連絡先(編集室)はそれぞれ。仙塩塩が塩釜商工会議所で担当しているらしい点は、前回日記のとおり。大崎も古川の市外局番ですから、市内の経済団体か広告関係企業で担当なのでしょう。仙南だけは仙台の電話番号で、河北新報社直営でしょうか。県内世帯普及率56%と圧倒的シェアを誇る河北新報の広告折り込みによる宣伝は、相当な効果なのでしょう。マイタウン河北仙塩のほとんどのエリア(松島町以外)と、マイタウン仙南のうち名取市岩沼市には、仙台市中心の河北ウイークリー(また言いますが「イ」は大文字)の東部版または南西部版の配達エリアになっています。しかし発行頻度の関係などからマイタウンの方が広告料が相当安いと思われ(未確認)、広告主としては選択の幅があります。なお、同社の広告料金表を見ると、「河北新報姉妹紙」広告料金という位置づけで、さらに(4)石巻かほく(石巻市、東松島市、女川町) 47,000部 ブランケット判 8~12頁 毎週月曜。(5)リアスの風(4市2町=気仙沼市、本吉町、南三陸町、大船渡市、陸前高田市、一関市) 15,000部 ブランケット判 4~6頁 毎週月曜。というのがあります。いずれも姉妹会社の三陸河北新報社の扱いです。「リアスの風」は昨年に従来の「気仙沼かほく」を廃止して改めて発刊した新聞だそうです。一関市となっているのは、合併前の千厩町と室根村のようです。話が横にそれますが、釜石新報社の合併など、三陸方面の河北の岩手県への展開はどうなのでしょうか。ちなみに、気仙沼市長選挙の匿名電話事件に絡んでいるのは三陸新報社で、これとは別です。 ■三陸河北新報社小史(同社HP)河北は、今は山形との連携に力を入れています。そのうち仙山版のタブロイド広告を企画して、山形市民向けに仙台の企業広告を集め(逆もあるかも)、かたや新聞販促につなげる作戦か。
2006.05.05
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我が家の子供たちが、コップにビールを注いで、プハーとか言いながら大人のマネして飲んでいる。風呂上がりに、わざわざ私のいる2階までコップを持って見せに来た。もちろん本物のビールでないことはわかる。今年の冬に泉ケ岳のスキー場の売店(泉ヶ岳ロッジ)で、こどもビールとかいう商品を初めて見た。買わなかったが、娘たちに教えてやったら、興味を持ったようだ。そして、今日(4日)ヨークベニマルで買ってもらったのだそうだ。祖母と行くと色々買ってもらえる。■関連する日記 懐かしい観光ペナント全盛の時代(06年02月14日) 久々の泉ケ岳スキー場(06年02月12日)製造は大阪のハタ鉱泉という会社。HPを見ると、ラムネが主力商品のようだ。この商品、写真の通り「よいこのびいる」というモノ。泉ヶ岳の商品とも違う。最近いろんな商品が出回っているのだろうか。さては、子供向けの一大市場か。たしかに、スキー場や行楽地で大人だけプハーとやられては子供たちもたまらない?泉ヶ岳で見たのは、レトロな感じのラベルの「こどもびいる」だったと思う。友桝飲料のHPをみて、コレだったと思う。佐賀県の会社でやはりラムネなどを手がけてきたようだ。さて、娘たちに聞いてみた。やっと飲めて良かったね。ところで、味はどうだい。すると、娘「う~ん、泡はビールと似ていて苦いね。」私「あっそう。ところで何でビールの味がわかるの...」
2006.05.05
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子供の頃のあやふやな記憶だが、大船渡出身の大船渡(おおふな・わたる)というご当地歌手がいたように思う。昨日、ある記事で、大船渡港は岩手県の港湾取扱貨物量の半分を占めており、国際コンテナ定期航路開設の動きもあること、など物流の拠点として整備が進められていることを読んだ。静穏度の高い天然の良港だそうで、市の公式HPを見たら「国際港湾都市」と表現されている。 ■大船渡市HP「大船渡港の概況および沿革」取扱量は300万トンを越える。釜石港が200万トン程度で、やっぱり岩手県では随一だ。釜石港の方が多いように思っていたが。ちなみに東北全体での貨物取扱量は約1億5千万トン、八戸港3千万トン、石巻港5百万トン、仙台塩釜港は4千万トン弱、である。大船渡のHPを見て、同名の歌手がいたはずだ、と何故か思い出したのだ。子供の頃は岩手ゆかりの歌手といえば、千昌夫は陸前高田出身、藤圭子は花巻とか一関とか言われていた。しばらく後に大船渡から新沼謙治が彗星のごとくデビュー。歌手の大船さんは、岩手県人でもほとんど知らないだろう。良いネーミングだけど。ちょっと違うが野口五郎(山の名前)とも通じる。仙台で地名を生かしたご当地歌手なら(違っていたら失礼)花京院しのぶ、でしょうか。最後に、空想ですが、わが宮城の地域おこしに次のような歌手を誕生させよう。 ○石野真紀(いしの・まき)が歌う 「リアス流れ旅」(B面:石巻サンマ恋歌) ○大崎鳴子(おおさき・めいこ)が歌う「紅葉・燃える愛」(B面:恋するこけし) ○平泉(たいら・いずみ)が歌う 「藤原三代」(B面:義経よ永遠なれ) ○栗原トメ子(くりはら・とめこ)が歌う「栗原音頭」(B面は当然「登米音頭」)どうだろうか。一部岩手県が入ってしまった。昨夜山形からの帰途で運転しながら考えたことです。やっぱり面白くないですねスミマセン。
2006.05.04
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我が家のGWはまず、山形のリナワールド。朝8時に仙台を出て、9時30分の開園にちょうど間に合う。去年も行ったのだが、子供たちは大喜び。お客さんも6割は山形県内、9割5分は東北と思われ、比較しては何だが、TDLorSのように変に「緊張」しない。やっぱり私ゃあ、東北人。6時頃までいて、そのあと上山市内葉山の蕎麦やさん(やぶいち)のあと、市内の共同浴場へ。上山は城下町だが、市内の随所に共同浴場があるようだ。もちろん温泉。わが一家は二日町共同浴場というところへ。地元の方々しかいないが、思うに皆さん自宅に風呂を持たずに(あるいは持っていても?)共同浴場に来られるのだろう。実は、それは合理的なことなのだ。とても温まった。しかも、80円。風呂上がりに自販機で買ったポカリスエットの方が高い。もう夜の9時近くだった。静まりかえっていながらも、やっぱり風呂桶をもって共同浴場に行き来する地元の方々が結構いる。そんな上山の旧市街地を抜けて、高速経由で仙台へ。今日(3日)は憲法記念日、朝の新聞ではなぜか25条を取り上げていて、そう言えば共産党あたりは最近よく生存権をとりあげて生活の中に憲法を、というコンテクストで主張している。「憲法」論議も変容したな、ところで生存権って本当に今後どう考えていくのか、などと家人は車中で熟睡するなか、眠らないよう必死に考えながら運転。ラジオで工藤の巨人が阪神に勝利。5日で43歳だそうだ。頑張れ工藤。ついでに楽天の勝利も知る。ああいいぞ。というわけで帰宅は10時を回っていた。写真はリナワールドで大人気?の地元のマジシャンの方。去年も見ましたよ。
2006.05.04
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4月30日午後、棚倉町内で、ある人が自宅敷地内に、放置された風呂敷包みを発見、棚倉署に届け出た。中には、帯封がされた古い1万円札で、100万円。 ■読売新聞の記事(5月2日)「風呂敷包みの中身は100万円」 ■棚倉警察署のサイト(本件は掲載されていませんでした)思い出すのは、平成のはじめの頃(89年だったか)川崎市の確か宮前区あたりの竹やぶで1億円が発見された。竹下内閣のふるさと1億円バラマキ政策と時期が一致しており、記憶の中でも奇妙に符合している。あの頃私は東京にいたが、同級生で自宅が川崎の小田急沿線のC君が学校に出て来ない。さては竹やぶで2匹目のドジョウを探しているのに違いないと友人同士で話題にしていた。当人は後で否定していたが。なお、マスコミで有名になった大貫さんは、時期も1980年、発見地も銀座で、これとは別件。あの時はネタミ根性の報道もあったように感じたが、今思えば、まずもって大貫さんが正直に届けたことを直視すべきだろう。半年後に大貫さんのものになったのも、法の定めに従っただけ。ところでその遺失物法が改正されるのだという。拾得物が増加する一方で管理する警察側も大変。また最近よくある携帯電話の場合、期間経過で拾得者に個人情報ごと所有権が移ってしまうから、警察の対応も神経を使うのだそうだ。法改正の要点は、(1)保管期限を短縮(6→3ヶ月)(2)携帯電話・パソコンは、拾得者に所有権は移らない(3)携帯電話・キャッシュカードは警察が持ち主情報を電話会社や銀行に照会できる(4)持ち主がインターネットで全国の情報を検索できる。 ■東奥日報に関連する記事(06年3月9日) ■東京新聞の関連記事 ■警察庁のHPから(遺失物法案説明)市民法上の所有権得喪問題だから(民法240条)てっきり法務省民事局の所管と思っていたら、警察庁だったとは。意外だ。現在衆院で審査中。なお附則で、民法240条の文言「六箇月」を「三箇月」に改める民法一部改正の条項が、ちゃんとある。
2006.05.03
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すばらしい本だ。小野寺寅雄さんの文と写真による『みやぎの峠』(99年2月)。一昨日(4月30日)に初めて読んだ。 ■出版元(河北新報社)による紹介宮城県内の峠73カ所を個別に取り上げ、写真を織り交ぜて、歴史や地域をつづる。峠はまさに古来の交流の証であり、今に生きる私たちに様々なことを教えてくれる。今は車でアクセルに足を乗せていれば楽々越えてしまうが、昔は足で歩いたし、だいたい今の改良された道よりは険しかっただろう。ふるさとを離れ、あるいは戻り、峠を越えるとき、人は来し方行く末を思いめぐらす。出版社としては山歩きのガイドにも使えるという意図で出版したようだが、郷土資料として十分に価値がある。写真と図を多用し、読みやすい。そして、すばらしいと思うのは、著者の小野寺さんが、地図を丹念に見ながら、掲載されている全ての峠をチャレンジしたこと。廃道となった峠筋などを自ら探索し、あるいは土地の人に聞くなど、自らの足で峠頂に立ったという点。本の著者紹介では、小野寺さんは気仙沼の理容業なのだそうだ。生年は私の父と同年。ちなみに父もトラ年だ。前著には『東北100峠 今 峠の頂は』(自費出版)もあるそうだ。こんな本なら是非読んでみたい。
2006.05.02
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平成の大合併、宮城県内では今回最後に誕生の2市だ。新市長が注目された。大崎市は元知事を振り切って伊藤前県会議長。気仙沼市は、前気仙沼市長の鈴木氏。大崎は本間元知事が、それにしても随分得票した。旧古川市の18358票は、伊藤氏の18976票と拮抗。これでは、次も国政?選挙に出るのかも。それから気仙沼。鈴木市長は候補者乱立で漁夫の利を得た形。課題山積。今回は最低限の合併にとどまったが、それでも組織も刷新されているのだから、新たな心意気で望んで欲しい。
2006.05.01
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